映画『お家(うち)をさがそう』
※追い風に乗っての記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 派遣会社の営業担当がやって来て、オフィスの蛍光灯が暗くなっていることに気付いたようです。かつて、あれほどバブリーな雰囲気の漂っていた派遣会社のオフィスでさえ、現在は私の派遣先と同じように、蛍光灯を取り外して間引きしているそうです。バブル時代の人たちが現代にタイムスリップしてやって来たとしたら、きっと現代で学ぶべきことがたくさんあるでしょうね。
本作を鑑賞したのは、三月二十六日のことである。映画『アメリカン・ビューティー 』や映画『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』のサム・メンデス監督の作品である。バートとヴェローナという三十代の未婚カップルが、妊娠をきっかけに、生まれて来る子供のために良い環境を求めてあちこち旅をするロードムービーとなっている。
カップルからにじみ出る雰囲気というものは、そのカップル特有のものだと思う。バートとヴェローナからは、どこか中性的な雰囲気が漂って来る。もしもヴェローナ役をサム・メンデス監督の妻であるケイト・ウィンスレットが演じていたならば、彼らほど中性的な雰囲気を演出することはできなかっただろうと思う。
これまで生活の基盤を築いていなかったバートとヴェローナは、生まれて来る子供のためにどのような環境が良いのか、彼らの両親や友達、それから親戚の家を次々に訪ねて行く。舞台がアメリカであるだけに、彼らの旅も壮大なものとなっている。行く先々で彼らが目にして来たのは、やはり幸せとは、夫婦の単位によってそれぞれだということではないだろうか。何故なら、一見、幸せそうに見える夫婦でも、第三者から見ると、必ずしも幸せとは言い切れないこともあるからだ。
例えば、ウィスコンシン州マディソンに住んでいるバートの幼馴染に会ったとき、幼馴染の彼女がベビーカーを持っていなかったので二人がプレゼントすると、ベビーカーは子供との距離を遠ざけると言って、幼馴染の彼女がいきなり激しく怒り出した。その気持ちは私にも良くわかるし、もしも私に小さな子供がいたならば、ベビーカーでは育てたくないと思っているのだが、自分たち思想で生活をガチガチに固め込んでしまい、第三者の価値観を受け入れようとはしないのはどうだろうと考え込んでしまった。幼馴染みの彼女たち夫婦にとっては心地良い世界でも、他者の生き方を著しく否定する生き方になってしまっているのだった。
二人が訪れた先のどんな夫婦も、外から見ると幸せそうに見えてはいても、何かしら問題を抱えていたりもする。彼らは、あちこち旅を続けたにもかかわらず、完璧に幸せな夫婦を見付けることができなくて、がっかりしただろうか。いや、むしろ、自分たちが進んで行きたい道を完璧なものにしなくても良いとと考え、楽になれたかもしれない。
私は彼らが、ヴェローナの育ったサウスカロライナ州の家を訪れたとき、思わず涙が出て来た。そこは既に空家だったのだが、ヴェローナの子供の頃の思い出がたくさん詰まっていたからだ。その思い出とは、ヴェローナが親の愛情を受けながら、家族と過ごした尊い記憶だろう。そこを訪れたとき、彼らはようやく気付いたのではないだろうか。彼らの探していたお家(うち)は、単に建物という住人たちを受け入れる器ではなく、そこに住む人たちが互いに愛情を持って作り上げて行くものであったということに。だから、お家(うち)という器を手に入れた彼らは、そこで、決して人真似ではない、彼らだけのオリジナルのお家(うち)を築いて行けばいいのだ。そのお家(うち)で築き上げたものは、例えそのお家(うち)に住人がいなくなったとしても、そこで過ごした人たちの中に、温かい思い出としていつまでも残り続けるのである。
※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m お家(うち)は人間を収納する器でもあり、同時に、家族という人間関係でもあるんですよね。これまで生活の基盤を築いていなかった彼らだけに、きっとこれからの生活のお手本になるようなお家(うち)を探そうとして来たのだと思いますが、何のことはない、自分たちで築き上げて行けばいいのだということに気付く物語なのではないかと思います。器が用意されたならば、そこに素敵な人間関係を築いて行きましょうという物語なのでしょうね。
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