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2011.08.30

映画『100,000年後の安全』

例外処理への対応の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 「サイト登録の未納料金がある」とのメールが届き、そのメールを読んだ主婦が請求元に支払いをして、四千九百万円もの詐欺にあったというニュースをインターネットのニュースサイトで読みました。この手の催促メールは私の携帯電話のメールアドレスにもしばしば届いていますが、まったく身に覚えのないことなので完全に無視しています。しかし、例え身に覚えのないことであっても真に受けて、こうして支払ってしまう人がいるんですね。その方はきっと、普段から人がいいのだと思います。どうか皆さんも、人の良さにつけこまれることのないよう、くれぐれもお気をつけください。

 三日に一度のペースで映画のレビューを綴っていても、ひとたび旅行に出掛けてしまうと、しばらく映画のレビューをお休みさせていただくことになるためか、現在のところ、映画のレビューをおよそ五ヶ月遅れでお届けすることになってしまった。映画を鑑賞した直後に、「この作品のレビューを早く書きたい!」と思うこともしばしばあるのだが、あとから鑑賞した作品のレビューを先に書いてしまうと、まだ書いていない作品のレビューがどんどんずれ込んでしまうことを懸念して、ついつい古い作品から順番にレビューを書く姿勢を崩せないでいた。

 しかし、先日、映画館に出掛けたときに、映画『チェルノブイリ・ハート』という作品のポスターを目にした。タイトルからも想像できるように、チェルノブイリの原子力発電所の事故の影響を扱った作品である。ポスターを見て、その作品が公開されたら是非とも鑑賞したいと思ったのだが、その前に、原子力発電がらみで既に別の作品を鑑賞していることを思い出した。そこで、映画『チェルノブイリ・ハート』を鑑賞する前に、六月二十五日に鑑賞した本作のレビューを書かせていただくことにしたのである。

 実のところ、私は本作を鑑賞する直前まで、本作が一体何を扱った作品なのか知らなかった。ホットヨガのレッスンを終え、いつも足を運んでいるミニシアター系映画館で本作が上映されていたので、たいして内容も確認しないまま、この映画館で上映されている作品ならば外れはないだろうと思い、他の上映作品とともにチケットを購入した。とは言え、チケットを購入するときに困ったのは、受付でタイトルの『100,000年後の安全』と指定するのに、ゼロの数を一生懸命数えなければならなかったことだ。「十万年後」と漢数字にしておいてくれれば、ゼロを一生懸命数えることもなかったのにと思い、邦画のタイトルを付けた人をちょっぴりうらめしく思った。チケットを購入したあとは、上映開始までたっぷり時間があったので、お気に入りのレストランでお昼ご飯を食べた。そのとき、さきほど購入したチケットに印字されているタイトルを元に、携帯電話かノートパソコンを使って映画情報サイトにアクセスし、映画の内容を確認した。タイトルからはまったく想像が付かなかったのだが、本作は原子力発電に関する作品だった。

 ドキュメンタリー映画である本作が主張するところの「100,000年(十万年)」とは、役目を終えた高レベル放射性廃棄物が人体に無害になるまで要する歳月である。しかも、この気が遠くなるほどの歳月は、決して多めに見積もったわけではなく、「最低でも」というレベルらしい。すなわち、本作が私たちに訴え掛けているのは、人間は原子力発電という大量のエネルギーを生み出すことのできる一見、便利なシステムを創り上げたものの、大量のエネルギーを生み出せるということにのみ着目しただけであって、それが活用されたあとに残される高レベル放射性廃棄物が十万年もの長きに渡って人体に影響を与え続けることを認識してはいなかったという事実である。原子力発電に頼る各国において、既に多くの高レベル放射性廃棄物が廃棄されようとしているはずだが、実はそれを処理するのに困っているという事実が明るみになったわけである。

 本作では、フィンランドの取り組みにスポットが当てられている。フィンランドの場合、オルキルオトという場所にある広大な自然を切り開き、「オンカロ」と呼ばれる地下五百メートルに潜る地下都市のような壮大な施設を創り上げ、そこに高レベル放射性廃棄物を次々に封印している。しかし、高レベル放射性廃棄物が無害になるまでに十万年もの時間を要することから、十万年後の人類に、ここに埋められているものが非常に危険なものであることをどのように伝えて行くかで頭を悩ませているようだった。

 おそらく、十万年の間には氷河期が訪れることもわかっているらしく、そうなると、人類が話す言葉も大きく異なって来ることが予想される。現代とは言葉も著しく違うであろう十万年後の人類に、宝探しのような感覚でこれらの高レベル放射性廃棄物を掘り起こして欲しくないがために、いろいろな議論がなされているのである。

 実際、例えば今から十万年前の世界に住む人類とどのようにコミュニケーションを取れば良いかを考えてみると、今から十万年後に住む人類とコミュニケーションを取ることがとても難しいと想像できる。それは同時に、十万年もの間、有害であり続ける高レベル放射性廃棄物を安全な状態のままで封印し続けることの難しさをも訴え掛けている。本作を鑑賞した人たちは、原子力発電が活用されたあとに残る高レベル放射性廃棄物がこれほど有害なものであるということを改めて認識せざるを得ないのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 正直言って、本作を鑑賞するまでは、高レベル放射性廃棄物が無害になるまで、十万年もの時間を要するとは思ってもいませんでした。本作を鑑賞して、今までいかに原子力発電が生み出す豊富なエネルギーに甘えていたかが良くわかりました。それほどの代償を伴う原子力発電が存在し続けていいはずはありません。私はこの作品を見て、認識を新たにしたのです。

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