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2011.07.22

映画『シリアスマン』

ツインソウルは一対九の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。サイドバーにも表示されていますように、どういうわけか、「ガンまる日記」の検索キーワードのトップは「ツインソウル」なんですよね。それだけ、世の中にはツインソウルとの関わり方について模索し続けている方が多いのかもしれません。確かに、出会ったばかりのツインソウルは荒削りなので、頭を抱えてしまうことも多いかと思います。しかし、価値観が違うからと言って、相手をコントロールして自分の側に引き寄せようとせずに、相手が自分らしく振舞っている姿に魂としての輝きを感じることができるようになれば、悩むこともなくなるように思います。難しいですが、一対九ということは、自分が持っていないものを相手が持っていることになりますので、一つのものを不公平に分け合っている感覚をむしろ楽しむようにすればいいのではないかと思います。

 映画『ノーカントリー』のコーエン兄弟の監督作品である本作を鑑賞したのは、三月五日のことである。

 舞台となっているのは、一九六七年のアメリカ中西部にあるユダヤ人コミュニティーである。大学教授のラリーは、妻と二人の子供、それから実の兄と一緒に暮らしている。幸せそうに見えていても、ラリーにはいくつかの悩みがあった。兄は無気力で仕事もせず、自立していないためにラリーに世話をかけている。そうかと思えば、ラリーの妻は突然、ラリーに別れを切り出し、再婚を考えている人がいると言う。その相手は何と、ラリーの友人サイだった。それだけではない。ラリーの息子は同級生からマリファナの代金を請求されて怯えているし、娘は娘で鼻の美容整形を密かに計画している。

 一方、ラリーの勤務先の大学では、ラリーがアジア人の男子生徒に落第点を付けたところ、その男子学生が現金入りの封筒をさりげなく研究室に置いて行った。それは、ラリーに落第点を付けさせないためのワイロだと思い、返しに行くと、今度は男子生徒の父親に圧力をかけられてしまう。そんなとき、妻の不倫相手のサイが交通事故で亡くなってしまい、サイの葬儀の費用をラリーが持つことになる。他にもいろいろあるのだが、とにかくいろいろなことが次々にラリーの身に降りかかるのである。

 日本ならば、これだけいろいろなことが次々に身に降りかかれば、神社などで御祓いしてもらおうとするのではないかと思う。しかし、日本人の信仰心はひどく曖昧なので、自分を助けてくれる対象は神でも仏でもいい。ユダヤ人のラリーの場合、ユダヤ教の宗教的な指導者であるラビに意見を仰ぐことになる。

 実は、BBCのラジオドラマを聴いていると、rabbiという単語を頻繁に良く耳にする。私自身、ユダヤ教にあまり詳しくないので、最初は良くわからなかったのだが、Wikipediaによれば、rabbiとは日本で言うところの神社の神主さんやお寺の住職さんのような立場の人らしい。人生で道に迷ったときに、そのような立場の人たちに意見を仰ぐというのが、ユダヤ教を信仰する人たちの中ではごく当たり前に行われていることのようだ。しかも、興味深いのは、ラビにも階級のようなものがあるらしく、最初は下位のラビから意見を仰ぎ、それで解決しなければ次第に上位のラビから意見を仰ぐようになっているらしい。そのような感覚が、ユダヤ教と馴染みのない私にはひどく新鮮でもある。

 特に、上位のラビがラリーに話す歯科医の話は大変興味深い。歯科医がある患者の歯を治療していたところ、患者の歯の裏に文字を発見し、その文字に意味があるのではないかと思い、ありとあらゆる患者の歯の裏を調べ尽くすという話だ。結局のところ、上位のラビがラリーに言いたかったのは、患者の歯の裏に文字を発見したからと言って、そのことが何らかのメッセージ性を含んでいるわけではないということだったようだ。ラビはすなわち、歯の裏に見付かった文字を例えに、不幸とも思える様々な出来事が立て続けに起こったとしても、あまり気にせず前を向いて生きなさいということだったのかもしれない。しかし、それにしてはとても気になる例えである。私としては、そうした例えに高度な落ちを期待してしまいがちなのだが、結局どこにも落ちなかったので、自分の中で勝手に盛り上がった気持ちをどこかに収めなければならなかった。

 本作を鑑賞するにあたり、あまり小さなことにはこだわらず、ただ文化の違いを楽しめばいいだけなのかもしれない。おそらく、私たち日本人にとっては、文化の違いからあまりにも非日常的な出来事が描かれているにしても、ラリーのようにユダヤ人コミュニティーで生活する人たちにとっては、日常が描かれているのだと思う。だから、決して特別なことが起こるわけではなく、むしろそういう人たちの日常がブラックコメディとして描かれている作品なのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 作品の背景として、宗教に特化した内容が含まれていると、なかなか理解し辛いものがありますね。何か悩みを抱えたときに、ラビの意見を仰ぐことが日常だなんて、私にはまるで別世界の出来事でした。とは言え、逆に私たちが当たり前のように実践している日常が、外国の人たちにとっては当たり前ではないということはたくさんあると思います。例えば、おじぎをしたりする行為や、「ありがとう」よりも「ごめんなさい」のほうが多く使われるのも、日本人の特性だと思います。こうした日常が映画化されることにより、その渦中にいる人たちはそれらの行為を客観視できると思います。本作もまた、ユダヤ教を信仰する人たちにとっては、自分たちを客観視する材料になっているのかもしれません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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