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2011.07.05

魂としての輝き

映画『悪魔を見た』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。イ・ビョンホンのファンの方たちがたくさん訪問してくださったようです。どうもありがとうございます。m(__)m ちなみに、イ・ビョンホン主演の映画で私が大好きな作品は、何と言っても映画『夏物語』ですね。もう、ぐじゅぐじゅになるくらい泣きました。男女の愛を扱った作品を鑑賞したいという方にはお勧めです。ところで、和歌山県で震度五強の地震があったそうですが、和歌山にお住まいの皆さん、大丈夫だったでしょうか。和歌山県というと、我が家からもそれほど遠くはないと思いますが、私が住んでいる地域は震度二だったので、地震の最中に移動中だったこともあり、まったく揺れを感じませんでした。それにしても、今や日本列島のあちらこちらで震度五以上の地震が発生していますね。やはり、東日本大震災でかなりの歪みが生じてしまったために、その歪みを矯正しようと、日本列島が寝返りを打っている状態なのかもしれませんね。

 ここのところ、私が感じていることを皆さんとシェアしておきたいと思う。

 私たちは、一人一人が、生まれながらにして愛そのものである。誰かの笑顔を思い出すとき、私たちはそこに相手の魂としての輝きを感じ取っている。その相手は、ときには自分が周りに受け入れられていないという大きなストレスを抱えているかもしれない。また、人には言えない深い悩みを抱えているかもしれない。あるいは、大きな悲しみを背負っているかもしれない。しかし、本質は愛そのものだ。だから、周りが受け入れてあげることで、その人の魂はもっともっと輝きを増すことができる。

 究極的な状態にいるとき、私たちは普段受け取れないようなものを受け取ることができる。急な変更に対し、仕事を快く引き受けてくれる同僚や、重い状況に対し、臆することなく歩み寄ってくれる友人、また、多数の言葉の中に埋もれ、思わず素通りしてしまいがちな状況にあったとしても、忘れずにちゃんと立ち止まって適切な言葉を掛けてくれる人・・・・・・。そうした人たちは、普段は見えて来なくても、私たちが互いに支え合いながら生きていることを実感させてくれる。

 言葉はスピードが重要なのではない。もちろん、長さでもない。すれ違いざまに語り掛けられたときのような慌しさを感じさせる言葉には、想いがこもらない。残念ながら、そのような言葉は、相手に向けて発せられるや否や、その言葉を発した人が既に別の方向を向いてしまっていることを感じさせてしまう。これは、常にスピードを求められながら生きている現代人が陥ってしまいがちな落とし穴である。遅くても速くても、長くても短くても、その言葉の中にそれを発した人の魂のかけらが落とし込まれていれば、その言葉はいつまで経っても受け取った人の中に残り続ける。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たちが究極的な状態にいるときは、本質的なものを求める傾向にあるようです。究極的な状況とは、余分なものを削ぎ落としたり、これまで見えなかったものが見えて来るチャンスなのかもしれません。知らず知らずのうちに、魂としての輝きを求めているのでしょうね。この時期に受け取ったものを決して忘れずることなく、いつか逆の立場でお返しできたらと思っています。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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