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2011.06.27

招かれざる客

帰巣本能の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。少し前に、ポンパレで五百円のマックカード(マクドナルドのプリペイドカード)をわずか百円で購入しました。それがようやく送られて来たのですが、何とマックカードの現物をメール便で送付されているのですね。百円しか払っていないのにその中身は実質五百円であり、しかも送料まで掛かっているわけです。消費者にとっては大変ありがたい話ではありますが、これではかえって大赤字なのではないかと、こちらが心配になってしまいました。(苦笑)

 人々が深い悲しみにうちひしがれているときでさえ、その機会を利用してやろうと目論む人たちがいる。例えば、葬儀の席で来賓席の先頭を陣取る議員たちである。はっきり言って、彼らは生前の故人とは何の関係もない。ただ新聞などの情報から、そこで葬儀が行われることを知り、たまたまスケジュールが空いていたために立ち寄っただけである。だから、葬儀の最中に退屈そうに貧乏ゆすりをし、自分のお焼香が終わればさっさと退場してしまう。彼らにとってそれは営業活動であり、葬儀に参列したことをアピールできればそれで目的は達成されるのだ。おそらく彼らは、葬儀の途中で退場したあと、スケジュールの許す限り、次なる葬儀場へと向かい、同じことを繰り返しているはずである。また、葬儀に参列できないときは、弔電を打って自らの存在をアピールする議員たちもいる。言い換えれば、葬儀という厳粛で愛に溢れた神聖な場が、議員たちの営業活動に利用されていると言っても過言ではない。

 葬儀の翌日に呼び鈴を鳴らす人たちもいる。仏壇のセールスや香典返しのセールスである。仏壇のセールスは、
「できればお焼香させてください」
と言って、家の中に入るチャンスをうかがおうとする。そして、家の中に入ることができれば、仏壇を買って欲しいがために、仏壇についてあれこれ意見を言うのだろう。お焼香したいと申し出る人を断る人は少ないために、そうした心理をうまく突いた商法だと感じる。

 私たちは愛に包まれているとき、愛に包まれていない行為をたちどころに見破る。愛に包まれていない行為に違和感を感じてしまうのだ。しかし、儀礼として、いつの間にかそうした行為を容認してしまってもいる。その一方で、愛に包まれている行為と愛に包まれていない行為が同時に存在しているからこそ、愛に包まれている行為をとても温かく感じられるのもまた事実なのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 世の中には、「何故、存在しているのだろう? (風習も含めて)こんなもの要らないんじゃないか?」と首をかしげてしまうものがありますよね。しかし、そう思えるのは、私たちが愛に包まれている証拠なのかもしれませんね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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