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2011.04.23

映画『ノルウェイの森』

ホットヨガ(二三三回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 避難所に現れて、被災者の方たちに封筒に入れたお金を配った二人組がいたそうですね。総額にして五千万円くらいあったとか。その方たちはきっと正義の味方だと思うのですが、こうした局所的な配布は被災者の皆さんに対して平等ではなくなってしまうので、職員から止められたそうです。居ても立ってもいられずに避難所を訪れた気持ちもわかりますし、平等でないと判断される気持ちもわかります。これが義援金という形ならば、平等になるのだそうです。とは言え、義援金ならば、被災された方たちで分け合うことができますが、それが物であった場合、どうなるのでしょう。数が足りないからと言って、分けることもできず、せっかくの厚意が宙に浮いてしまったりしていないでしょうか。ふと、そんなことを考えてしまいました。

 本作を鑑賞したのは、一月十四日のことである。

 これまでにも何度か書いて来たが、ある時期までハルキストだった私は、村上春樹さんのほとんどの著書を読み尽くしていた。しかし、村上春樹さんがマラソンに関する作品を発表した頃から、スポーツネタが全般的に苦手な私としては彼の作品を読めなくなってしまい、次第に村上春樹さんの作品から遠ざかってしまった。

 主人公のワタナベとその親友のキズキ、キズキの恋人の直子の三人はとても仲が良かった。しかし、ある日突然、キズキが自殺を図り、帰らぬ人となってしまい、ワタナベも直子も心に傷を抱えることになった。大学生になったときに、東京で直子と偶然、再会したワタナベは、ふとしたはずみから直子と身体を重ねてしまう。キズキを喪った悲しみからまだ立ち直っていなかった直子は、キズキの親友だったワタナベと肉体関係を持ったという罪悪感から、とうとう心を病んでしまう。ワタナベは、京都の療養施設に入った直子に東京から度々会いに行く。療養施設では、レイコという、やはり心を病んだ女性が直子の面倒をみてくれていた。

 原作を読んだときと、本作により、原作の内容を映像として鑑賞したときで、それぞれ理解できたところと理解できなかったところがいくつかあった。原作を読んだときはほとんど感じなかったのだが、映像として本作を鑑賞したときは、キズキが何故、自殺したのかまったくわからなかった。親友にも恋人にも恵まれていたキズキが一体何に思い悩んで自ら死に至る必要があったのか、どうしても理解することができなかったのだ。

 それでも、その後の直子が取った行動については、原作を読んだときよりも理解を深めることができた。例えば、草原の中を直子がワタナベよりもかなり早足で歩くシーンなどは、そのときの直子の気持ちを良く表現できていると思った。直子を演じていた菊地凛子ちゃんの演技が良かったのか、作品全体を通して、私は直子の気持ちに寄り添おうとしていたように思う。

 ただ、ワタナベの気持ちは良くわからなかった。直子と肉体関係を持ちながらも、同じ大学の緑にも惹かれている。ワタナベは、芯のないふにゃふにゃ男であるように見えた。複数の女性との関係を通して、相手という鏡に映った自分を観察することで、自分探しでもしているのだろうか。緑もまた、恋人がいながらも、ワタナベに対して男女を意識させるような言葉ばかり発している。

 ワタナベと同じ寮に住んでいる永沢もまた、ハツミという献身的な恋人がいるにもかかわらず、質よりも量を求め、いろいろな女性たちとのセックスを楽しんでいた。おそらく、永沢のような生き方をしていては、いつまで経っても満足することを知らないだろう。

 とは言え、直子の気持ち同様、原作を読んだときよりも理解できたこともあった。原作を読んだときは、何故、ワタナベが直子の亡きあとにレイコとセックスをしたのかまったく理解できなかったのだが、本作を映像として鑑賞したとき、これは儀式みたいなものだったのだと理解した。

 本作を鑑賞された方たちのレビューを拝見すると、登場人物たちの気持ちに寄り添うことができなかった方たちが多かったように思う。私も、胸を張って理解したとは言いがたい状況だが、一つだけ言えることは、直子のように感受性の豊かな人は、感情が大きく揺れ動き過ぎて、やがて自分自身をおかしくしてしまい、最後には自ら死を選んでしまうということだった。そうなると、詳細には描かれていなかったキズキの自殺に関しても、キズキの感情が大きく揺れ動くような出来事が起こったと想像することができる。また、あれほど永沢の浮気に目を瞑っていたハツミでさえ、最終的には自ら死を選んだところからすると、やはり感受性が豊かであるために自分自身を制御し切れなかったと想像することができる。

 それに対し、感情が大きく揺れ動かない人たちは、自分自身をおかしくすることもない代わりに、まるで退屈しのぎのように多くの異性たちと関わりを持って行く。それらは、心の奥に入り込んで、魂に刻まれて行くような恋愛ではなく、単に互いの入口だけを彷徨い、すぐに忘れ去ってしまう経験に過ぎない。これではきっと、何度同じことを繰り返したとしても、魂が前進できるような学びにはならない。自分の中に変革が起こってはいないのだから。

 本作には、感情が大きく揺れ動いて自分自身をおかしくしてしまった人たちと、感情が大きく揺れ動かないために異性関係にルーズであり続ける人たちの両極が描き出されているように思う。ひょっとすると両者は、自分とはまったく異なるタイプの人たちの価値観を自分の中に取り入れることによって救わたのかもしれない。

 本作でメガホンを取っているのは、ベトナム系フランス人のラン・アン・ユン監督だそうだ。外国人監督による作品だからなのか、日本の風景が映し出されているというのに、まるで外国でロケをしたのではないだろうかと錯覚してしまうことが何度かあった。日本を客観的に体験するいいきっかけになったと思う。映像もまた美しいので、例え登場人物の気持ちに寄り添うことができなかったとしても、映像美に酔いしれることができるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 原作を読んだときは、「何て淡々としているのだろう」というのが正直な感想でした。本作に描かれているような両極に属さない人たちは、登場人物たちの中に自分の分身を見出すことができずに迷うと思います。また、愛情寄りではなく欲望寄りの露骨な性描写に嫌悪感を抱いた方たちも多かったようですね。そういう方たちは、愛情寄りの性描写を既に知っているのでしょうね。実は、私も最初は本作の登場人物の中に自分自身の分身を見出すことができずに途方に暮れていたのですが、途中から、直子の存在に救われました。考えてみると、登場人物たちはみんな、自分の感情に素直に生きているんですよね。自分の感情に正直であるがゆえに、自分の中の迷宮に入り込んで抜けなくなってしまった人たちと、次々に軽はずみな行動を取ってしまう人たちの両極が描かれているわけです。それにしても、何故、本作の原作がベストセラーになったのかは、映画を観ても良くわかりませんでした。(苦笑)

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九十年代の大ヒット小説、村上春樹の「ノルウェイの森」がついに映画化。それによって、再度、ベストセラー小説に返り咲いた。「世界の中心で愛を叫ぶ」を追い抜く事になった。 松山ケンイチ主演だ。 映画自体は、学生運動時代という背景で、やる気のない主人公が妙に女性にモテるような感じ。 ある意味、小説通りなんだが、薄味かもしれない。 あの独り言のような台詞はあれでよかったのだろうか。 あまり原作が好きでない者の意見だけれど、こんな感じのストーリー(原作)が海外でも受け入れられている... [続きを読む]

受信: 2011.05.01 23:38

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