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2011.04.29

映画『クレアモントホテル』

脱毛サロン初体験の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。皆さん、GWはいかがお過ごしでしょうか。私は、木曜日から十一連休に入っています。ぼーっとしていると、あっという間に過ぎてしまいそうですね。(苦笑)ところで、およそ五八〇億円もの義援金が集められているというのに、実際に被災者の方たちのもとへ届けられたのはわずか一割にも満たないというニュースを読みました。かつて、救援物資が円滑に配給されていないというニュースを読んだときから、ひょっとすると義援金も同じような運命を辿るのではないかと思っていましたが、やはりそうでしたね。原因は、義援金を配布するための事務を担当する職員の不足や、義援金を受け取る人たちが被災者であるという本人確認ができないことなどにあるようです。実際に、義援金を必要とされていらっしゃる方もたくさんいらっしゃるでしょうし、せっかく善意で集められた義援金ですから、一日も早く、このような状況が改善されることを祈ります。

 本作を鑑賞したのは、映画『アブラクサスの祭』と同じ一月十五日のことである。先日、亡くなられたばかりの女優エリザベス・テイラーではなく、彼女と同姓同名のイギリス人女流作家のベストセラー小説が原作である。

 舞台となっているのは、ロンドンの長期滞在型ホテル、クレアモントホテルである。ある日、クレアモントホテルに、老婦人サラ・パルフリーがやって来る。最愛の夫に先立たれたサラは、晩年をクレアモントホテルで過ごすためにやって来たのだ。既にそのホテルに長期滞在している客人たちは、「あら、新入りさんね」といった様子でサラを観察している。クレアモントホテルの雰囲気がまだ掴めなかったため、初対面の見た目を大切にして来たサラは、迷いながらも、夕食のときにドレスアップしてホテルのダイニングに足を踏み入れてしまう。すると、ここではドレスアップしなくて良いと、長期滞在している客人の一人が教えてくれた。晩年を長期滞在型ホテルで過ごせるなんて、金銭的にもかなり恵まれた人たちだとは思うのだが、ホテルそのもののはそれほど豪華ではなく、むしろサラの期待を裏切るようなものだった。

 毎日が同じように過ぎて行く長期滞在型のホテルでは、新入りの客人や掛かって来る電話、ホテルへの訪問者などが長期滞在している客人たちの関心ごととなっている。サラは、孫のデズモンドがロンドンに住んでいることを長期滞在している客人たちに話して聞かせた。しかし、実際は、デズモンドに電話を掛けても、留守番電話になったままで、折り返しの電話も掛かって来ない。あるときサラは、出掛けた先でついうっかり転んでしまい、たまたまそこに居合わせた小説家志望の青年ルードヴィックに助けられる。サラはその御礼にと、ルードヴィックをクレアモントホテルでの夕食に招待することに決めるのだが、長期滞在している客人たちは、ルードヴィックがサラの孫のデズモンドだと勘違いしてしまう。サラは、孫のデズモンドに電話を掛けても折り返しの電話を受けていないことを隠すため、長期滞在の客人たちの勘違いを否定しようとはせず、ルードヴィックに事情を話し、孫のデズモンドの役を演じてもらうのだった。

 本作に描かれているのは、肉親よりも近い関係と言えるのだろうか。人と人が出会ったばかりの頃は、相手のことを知ろうとして互いに歩み寄るものだが、その過程において、自分の期待するような相手ではないことがわかってしまったり、また、ある程度、付き合いが長くなって来ると、それぞれが自分の世界にこもってしまい、互いの接点を見出せなくなってしまうことも多々ある。血縁者に関しては、無条件に受け入れられているという甘えから、役割が固定化してしまい、どちらか一方だけが常に働き掛ける役割を担ってしまうこともしばしばである。サラが残した留守番電話のメッセージを聞いたデズモンドもまた、血縁者という甘えから、サラに折り返しの連絡をしなかったのかもしれない。そんな状況の中、サラとルードヴィックの間に友情が結ばれて行ったのだとしたら、いろいろな条件が重なったために、互いに歩み寄り続ける時間が延長されたものと思われる。

 ただ、結末を見届けると、サラとルードヴィックが実際はどのような関係であったのかが覆されてしまうように思う。敢えて結末は書かないでおくが、サラとルードヴィックは、互いにあたかも心地良い双方向の関係を築いて来たように見えてはいても、実際のところ、サラは孫のデズモンドの代役をルードヴィックに求め、ルードヴィックは小説の材料をサラに求めていたのではないかと思えてしまう。つまり、最初から純粋な想いで結び付いた関係ではなく、交流することで互いにメリットをもたらす打算的な関係だったと推測することができる。何故なら、互いに感情を交わしながら交流していたにしては、あまりにもあっけない結末だったからだ。

 このようなあっけない結末が待っていたのだとすると、結局のところ、本作を通して原作者が表現したかったものは何なのだろうと疑問に思ってしまう。最初のうちは血縁者の繋がりよりも友情を尊重しているように見せながらも、最終的には築き上げた友情を打算的なものとし、人生で最も大切なときに立ち会うには血縁関係が必要だとする。最初から、打算的ではない友情が描かれていたならば、いつまでも余韻を引きずる作品になったと思うのだが、意外にもあっけない結末を迎えてしまったために、その結末が少し残念に思えてしまったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本来ならば、サラとルードヴィックが打算的な関係であることを、もっと早い段階で気付くべきなのに、結末を迎えてようやく気付かされる作品であります。というのも、登場人物たちと血縁者との関係がうまく行っていないために、血縁よりも良い関係がここにあると錯覚してしまうからだと思います。血縁よりも濃い関係を見付けたと思い、その関係を拠り所として鑑賞を続けていたのに、最後に「やられた!」という感じですね。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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