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2011.03.09

映画『レオニー』

平日の夜の美術館の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 美術館で絵画を鑑賞すると、この作品は本来、どこに飾られるべきなのだろうと考えてしまいます。絵を描いた画家たちは、その絵が将来、どこかの美術館に収められることを強く望んでいたのでしょうか。それについては良くわかりませんが、絵が美術館に収められてしまうと、例えそれが特別な一枚であったとしても、美術館にある数多くの絵の中の一枚に収まって埋もれてしまうような気がします。絵がいつまでも、とっておきの一枚であり続けるには、美術館ではない場所にあったほうがいいように感じられるのです。

 本作を鑑賞したのは、十二月一日のことである。ようやく、十二月に鑑賞した作品のレビューに入ったというわけだ。私はイサム・ノグチという彫刻家を良く知らないのだが、本作は、波乱の人生を生き抜いたイサム・ノグチの母レオニーの物語となっている。

 のちにイサム・ノグチの母となるレオニーは、日本人であるヨネ・ノグチとアメリカで出会い、ヨネが英語で書いた詩や小説の文法や表現などをチェックする編集の仕事でヨネとパートナーを組むようになる。やがて二人は恋に落ちて、レオニーは妊娠するのだが、ヨネはレオニーを残して日本に帰ってしまう。その後、ヨネにより日本に呼び寄せられ、アメリカで出産した息子とともに日本にやって来たレオニーだったが、ヨネには何と、日本人の妻と子供がいることが発覚してしまう。

 いやはや、日本人として、アメリカ人のレオニーに謝りたくなるような展開である。決して、すべての日本人男性がヨネのようなタイプの男性ではないと弁明したい。むしろ、ヨネのように何でも欲しがろうとする日本人男性は珍しいと言えるだろう。とは言え、芸術は、既成概念という枠からはみ出たところで生まれるので、レオニーがこのような厳しい状況に放り出され、波乱万丈の人生を歩むことになったからこそ、息子であるイサム・ノグチがのちに彫刻家として活躍することができたのかもしれないとも思う。

 それでも、レオニーと同じ女性という立場から見ると、イサム・ノグチの父であるヨネ・ノグチの態度には、同じ日本人である私でさえも腹が立って来る。裕福な環境で育ったヨネは、常に足ることを知らず、そこにあるものには満足せずに、次々に新しいものを求めようとする。きっと彼は、金銭的には恵まれていたとしても、決して幸せだったとは言い切れないのではないだろうか。何故ならヨネは、常に心が満たされていなかったはずだからだ。そんなヨネとレオニーがうまく行くはずもなく、レオニーは日本で英語の個別レッスンを請け負いながら、何とか生計を立てて行く。もちろん、子供を連れて異国の地で暮らすのは、並大抵のことではなかったはずだ。

 苦境に立たされながらも、レオニーは日本において重要な人物との出会いを果たす。例えば、小泉八雲の妻セツに助けられたり、レオニーの英語のレッスンを受けていた裕福な男性からも、金銭的な援助があったことがそれとなく感じられる。それらの有り難い出会いが用意されていたことが、本作を鑑賞する上での精神的な救いとなることは間違いない。

 また、レオニーは息子のイサム・ノグチをアメリカで勉強させるためにアメリカに送り出すものの、第一次世界大戦が勃発してしまい、アメリカにいるはずのイサム・ノグチとしばらく音信不通になってしまう。その間、イサム・ノグチはアメリカである男性の力を借りて勉強を続けて、立派に成長していた。これらのことを総合的に考えると、例え私たちが苦境に立たされたとしても、どこかで支えてくれる人たちに必ず出会えることを示唆しているように思う。もしも現在、苦境に立たされている人たちがいるならば、そうした状況を見守ることで励みになるのではないだろうか。

 興味深いのは、現在の津田塾大学の設立者となった津田梅子がレオニーと関わっていたことである。レオニーと梅子は、アメリカで面識があったものの、レオニーが日本で梅子のもとを訪れても、梅子は力を貸さなかった。何となく、日本人の女性監督が手掛けた作品でありながらも、レオニーを真剣に愛することのできなかったヨネ・ノグチの存在と言い、梅子の存在と言い、決して日本人を贔屓に描いているのではないところもまた面白い。

 常に男女の愛に注目している私としては、特にレオニーとヨネの関係がうまく描かれていたと思う。最初から強く引き合う感じもなく、ヨネが淡々と主導権を握り、レオニーがそれに流されて行く。ヨネの中にあるのは愛ではなく、欲望だったと感じる。しかし、その中で、レオニーは自分の足で立って歩き、子供たちを守る使命を立派に果たしたのである。裕福なヨネの生き方と、苦境に追い込まれたレオニーの生き方を対比させると、レオニーの人生は、何から何まで楽に手に入れられる人生よりもずっと有意義な人生だったように思えるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m こうして振り返ってみると、本作は配役が的確だったと思います。誰一人として、違和感のない役者さんはいませんでした。それにしても、一九〇〇年代の初めに、日本である程度、英語を学んだ人たちが居たことに驚きを覚えました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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