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2011年3月

2011.03.31

ピアスロックころりん

映画『森崎書店の日々』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。愛媛に住んでいる友人や従妹らと携帯電話のメールを交わしましたが、東北地方太平洋沖地震の話題を振っても、何となく反応が鈍いですね。返信メールをもらっても、東北地方太平洋沖地震について何も触れていなかったり、一言だけで済ませていたり・・・・・・。彼らにとって東北地方は、同じ日本であっても、遠い彼方に存在してしまっているのかもしれません。それでも、同じ愛媛に住んでいる母は、東北地方太平洋沖地震の大きな被害に胸を痛めていて、電話で話す度に話題にしていますので、住んでいる場所はあまり関係がないのかもしれませんが・・・・・・。

 もうかれこれ一年半くらい前になるだろうか。楽天市場でピアスロックという商品を見付けた。

 楽天市場の人気商品なので、ご存知の方も多いと思うが、ピアスロックは、大切なピアスを失くさないようにするための工夫が凝らされたピアスキャッチである。実は私は、ピアスの穴を開けてからずいぶん経ってしまっているためか、穴が緩くなり、緩んだ穴から大切なピアスが抜け落ちてしまうことが多かった。これまでにもお気に入りのピアスを片方だけ失くしてしまったことが何度あったことだろう。だから、楽天市場でピアスロックを見付けたときはうれしくて、すぐに購入したのだった。

 おかげで、ピアスロックを使い始めてからは、一度もピアスを失くしてはいない。しかし、ピアスロックを使い始めてから半年ほど経った頃、こんなことがあった。

 その日、私は伸びてしまった髪の毛をカットしてもらうために美容院に足を運んだ。おそらくカットの邪魔になるからだろう。シャンプーをしてもらう前に、シャンプーを担当してくださるスタッフから、
「ピアスを外していただけますか?」
と言われたので、私はピアスを外そうとした。ところが、ピアスはすぐに外れたのだが、耳から外したばかりのピアスロックがコロコロと転がって、座っている椅子の隙間に挟まってしまった。焦った私は、椅子の隙間に挟まってしまったピアスロックを手で掻き出そうと試みたのだが、ようやく手で掴みかけたとき、ピアスロックはコロコロと美容院の床の上に転がってしまったのである。

 私はかなり慌てた。そのとき耳に付けていたピアスは、それほど高価なピアスではなかった。お恥ずかしいことだが、ピアスそのものよりも、ピアスロックのほうが高価なくらいだったのだ。だから私は、美容院の床の上に転がってしまったピアスロックをおろおろしながら探した。これからシャンプーで髪を流してもらおうとしているその時に、シャンプー台の前の椅子に座った利用客がいきなり何かを探し始めたのだから、美容院のスタッフも気が気ではないだろう。私がピアスを外すときにピアスキャッチを失くしてしまったと言うと、美容院のスタッフも一緒に探してくださった。

 閉店時間が近かったので、美容院のスタッフの一人は箒(ほうき)で店内を掃除していたのだが、私がピアスキャッチを落としてしまったことを知ると、慎重に箒で掃いてくださった。しかし、どんなに探しても、床の上に転がってしまったピアスロックは見付らなかった。

 私は、これ以上、探し続けて、美容院のスタッフの作業を止めてしまってもいけないので、とても残念ではあったが、ピアスロックを探すのを諦めた。美容院のスタッフは私に携帯電話の番号を尋ね、掃除のときに見付かればご連絡しますと言ってくださった。

 その後、私は髪の毛をカットしてもらい、その美容院をあとにした。帰宅して、ガンモにこの話を聞かせると、着けていたピアスよりも失くしたピアスロックのほうが値段が高いことを知り、
「そういうものって、もっと高価なピアスを着ける人が使うんじゃないの?」
と笑われてしまった。確かにその通りかもしれないが、私の場合、値段はそれほど高くなくても、心魅かれるピアスはあるのだ。ちなみに、私の最もお気に入りのピアスは、ピアスロックよりも値段が高いことを、名誉のために言っておこう。

 その後、私は仕方なく、替えのピアスロックをもう一ペア購入した。ピアスロックは、一度使い始めるとどうしても手放せないのだ。ペアではなく、片耳だけの販売もあったのだが、美容院から見付かったという連絡が入るかもしれないという期待感があったので、ペアで購入したのだ。しかし、その後も美容院から連絡が入ることはなかった。残念ながら、私のピアスロックは、美容院のブラックホールの中に飲み込まれてしまったようだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 着けているピアスよりもピアスキャッチのほうが高価であるというのはちょっと笑ってしまうのですが、それでも確かに大切なピアスをしっかり守ってくれるので、もう手放せませんね。とは言え、今回、書かせていただいたように、コロコロしていて転がり易い商品ですので、皆さんもどうかお気をつけください。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.03.30

映画『森崎書店の日々』

ホットヨガ(二三〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 東京電力が過去最大の赤字経営に追い込まれているようですね。それに加え、人々が節電を心掛けることや計画停電の実施により、東京電力としても売り上げが落ち込んでしまっているのではないでしょうか。しかし、そんなことよりも、今は福島第一原子力発電所を安全な状態に持って行くことに全力を注がなければなりません。日本には、相当厳しい課題が課せられましたが、今後、国がどのような対応をして行くのかを見守りながら、微力ながらも私たちにできることが見えて来そうですね。

 本作を鑑賞したのは、十二月十一日のことである。

 あるとき、会社の同僚でもある恋人の英明と食事をしていた貴子は、英明から同じ会社の別の女性と結婚すると聞かされ、大きな衝撃を受ける。失恋のショックからなかなか立ち直れない貴子は、とうとう会社を辞めてしまう。まるで魂の抜けた人間のような生活を送っている貴子のもとへ、神保町で古本屋を営む叔父のサトルから電話が入り、住み込みで古本屋を手伝ってくれないかと持ち掛けられる。環境を変えることで、失恋の痛みから立ち直ることができるかもしれないと思った貴子は、叔父の提案通り、神保町にある森崎書店の二階へと引っ越すのだった。

 本作では、二股をかけていた貴子のかつての恋人の英明が、実に嫌な存在として描かれている。英明は、女性の心の痛みなど到底理解しそうにもなく、この先、何度でも同じようなことを繰り返してしまいそうなタイプである。そのため、鑑賞し始めるや、英明に対する嫌悪感がピークに達した。失恋のショックからなかなか立ち直れないでいる貴子に対し、私としては、そんなどうしようもない男のことでメソメソしていないで、さっさと前を向いて歩きなさいと言いたくなるのだ。とは言え、傷ついた心はなかなか元に戻らないのが私たち人間の愛すべき姿でもある。サトルの経営する森崎書店の手伝いを始めた貴子は、神保町で新たな生活の基盤を整えながら、少しずつ人脈を広げて行く。

 東京に住んでいた頃、読書好きだった私は、神保町の古書街にも何度か足を運んだ。どんな町にも古本屋はあると思うのだが、神保町の古書街は、町の古本屋がいくつも集まっているような古書街ではない。それぞれの古書店がそれぞれの得意分野を掲げているのだ。だから、それぞれの古書店には特有のカラーがある。サトルの経営する森崎書店の場合、日本のある時代における文学小説が得意分野のようだった。そのため、その分野に長けた常連客もいらっしゃる。最初はそれらの本に関心のなかった貴子も、森崎書店の手伝いをするうちに、本の面白さに引き込まれて行く。

 本作の中で唯一、登場人物に感情的な盛り上がりが見られるシーンがある。サトルが貴子に、ここに来る前に一体何があったのかと尋ね、貴子が英明にこっぴどく振られてしまったことを泣きながらサトルに告白したあとのシーンである。サトルは、貴子が失恋のショックから立ち直れるように、あることを提案し、二人で実践に出掛ける。ずっと静かに流れて来た物語が、いよいよ静寂を破るシーンである。

 しかし、心に深い傷を負っているのは、貴子だけではなかったはずだ。サトルにも愛する人との別れを経験したような影が漂っているのだが、それについては最後まで詳細に明かされることはない。ただ、貴子のケースと異なっているのは、貴子の経験したことは時間が立てばいつかは通り過ぎて行く出来事であるのに対し、サトルが経験したことは、いつまでもサトルの心の中に残り続けているということだ。どちらの経験も、自分の意志に反する結果を迎えたことは間違いないはずなのに、貴子の経験に関しては封印というよりも開放することで前進させようとするのに対し、サトルの経験には封印のあとが見られるのだ。

 本作は、貴子が失恋から立ち直って行くプロセスを描いたものだからだろうか。やがて貴子は新たな一歩を踏み出して行く。ひょっとすると、貴子をしきりに励ましながらも、心に深い傷を負ったままでいるのは、サトルのほうかもしれない。しかし、貴子がそのことに気付いていたかどうかはわからない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ミニシアター系映画館で上映されている、起伏の少ない作品の一つと言えます。それでも確実に、神保町で生きる人々の日常が描かれていますね。昔から、古書店の経営は私の憧れでした。私にもサトルのような叔父さんがいたら、喜んで古書店のお手伝いをしたいですね。(笑)

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2011.03.29

ホットヨガ(二三〇回目)

京都くろちくのガーゼマフラーの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。記事をアップしたあと、京都くろちくのショッピングサイトを参照していたら、他にもいろいろな商品があることがわかり、とても楽しい気持ちになりました。そう言えば、数年前に初めて京都くろちくの肌触りの良いガーゼマフラーを購入したときに、同じお店で売られていた和柄のガーゼマスクも購入したんですよね。自分のマスク姿は鏡にでも映し出さない限り、確認することはできませんが、モデルさんが和柄のガーゼマスクを着けているのを見ると、やはりかわいいですね。私もこのガーゼマスクを着けているときは、かなり視線を感じてしまいます。(笑)京都くろちくさんには、これからもいろいろな和雑貨を提供してくださることを期待しています。さて、東北地方太平洋沖地震に被災された方たちを支援するニュースがいくつか入って来ました。まずは、イスラエルから医療チームがやって来て、被災地で仮設診療所を開き、診療活動を行ってくださっているとか。仮設診療所では、レントゲン撮影や血液検査などの本格的な診察が行われているそうですね。本当に有り難いことです。また、フィンランド在住の日本人女性たちがTwitterなどで声を掛け合って、日本の被災地に向けて、水を使わない赤ちゃん用のミルクを贈ってくださったそうですね。みんなそれぞれに、得意分野を活かして、できることを実践してくださっているのですね。その熱意に胸が熱くなりました。

 東北地方太平洋沖地震が発生して日本全体が深い悲しみと大きな混乱に見舞われている中、私はホットヨガのレッスンに出掛けた。東北地方太平洋沖地震が発生した翌日の三月十二日土曜日のことだったが、決して淡々と出掛けて行ったわけではない。頭の中は、東北地方太平洋沖地震のことでいっぱいだった。

 いつものように、梅田店で六十分の骨盤コースのレッスンを受けたのだが、同じ日本であれほどの大地震が起こったというのに、関西地方はまったくと言っていいほど被害もなく、すべてが普通に機能していた。街を歩いている人たちは、一体どんな気持ちで家を出て来たのだろう。その日の朝、派遣仲間から届いたメールには、今日は出掛ける予定だったがキャンセルして自宅にいるつもりだと書かれていた。私も彼女の気持ちは良くわかった。ショックがあまりにも大き過ぎて、とても出掛ける気持ちにはなれなかったのだろう。

 私も迷ったのだが、レッスンをキャンセルしても仕方がないと判断し、思い切って出掛けることにした。おそらく、多くの人たちが派遣仲間のように自宅で過ごしているために、レッスンの参加者は少ないのではないかと思っていた。しかし、着替えを済ませてスタジオに入ってみると、何と二十名もの人たちがレッスンに参加していたのだ。梅田店の骨盤コースのレッスンでいつもお見掛けするご年配の方もレッスンに参加されていた。やはり、関西地方では日常が続いているのだと思った。ちなみに、男性会員の参加者は、またしてもゼロだった。

 レッスンを担当してくださったのは、梅田店で最も多くレッスンを担当してくださっているインストラクターである。そう、かつて南森町店や京都店のスタジオでもお目に掛かったことのあるインストラクターである。インストラクターは、骨盤コースのレッスンを担当してくださるのは初めてだったのだが、有り難いことに、かつて南森町店で行われていたオリジナルの骨盤コースに近いレッスンを展開してくださった。そう、これまで梅田店で骨盤コースのレッスンを担当してくださった他の二人のインストラクターが省略してしまっていた、四つん這いのポーズで前足を折り込むポーズが省略されなかったのである。私は、もはや梅田店では南森町店で受けていたようなオリジナルの骨盤コースのレッスンは受けられないと諦め掛けていた。しかし、今回のインストラクターによって、見事に再現されたのである。

 私はいろいろと想像を巡らせた。実に都合のいい解釈かもしれないが、ひょっとすると梅田店に通じているどなたかが私の書いているホットヨガの記事を読んでくださっていて、骨盤コースのレッスンを担当してくださっている梅田店のインストラクターにこっそり伝えてくださったのかもしれないとも思った。あるいは、私と同じように南森町店で骨盤コースのレッスンを受けていた方がいらっしゃって、勇気をもってインストラクターに話してくださったのかもしれない。同じ梅田店の中で、省略されたポーズを取っているインストラクターが少なくとも二人はいらっしゃるという状況の中で、オリジナルに近いレッスンを展開してくださるインストラクターがいらっしゃるということは、何らかの方法で練習用のDVDに立ち返るきっかけがあったのではないだろうか。実は、こんな都合のいいことを考えてしまったのは、今はなき神戸店のスタジオの店長さんをはじめとする一部のスタッフが、私の書いているホットヨガの記事を読んでくださっていたからだ。

 ちなみに、今回のレッスンでは、たくさんの汗を掻くことができた。私と同じように汗を掻いた人が多かったのか、レッスンを終えてスタジオを出るときに、床にたくさんの汗が飛び散っていた。

 シャワーを浴びて着替えを済ませたあと、受付にロッカーの鍵を返しに行くと、今回のレッスンを担当してくださったインストラクターが、
「大丈夫でしたか?」
と話し掛けてくださった。おそらく、私が一部のポーズを見送っていたために、気に掛けてくださったのだろう。私は、
「実は、子宮筋腫がかなり大きいので、うつ伏せになったり、また、お腹の筋肉を使うポーズは取れないんです」
と告白した。するとインストラクターは、「なるほど」という表情をされていた。私は、インストラクターが展開してくださったレッスンが、かつて南森町店で行われていたオリジナルの骨盤コースのレッスンにかなり近いレッスンだったことへの御礼をインストラクターに言いたかったのだが、何となく言いそびれてしまい、そのまま梅田店のスタジオをあとにすることになってしまったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 梅田店でオリジナルの骨盤コースに近いレッスンを受けることができて、本当に良かったと思います。これで安心して(?)梅田店で骨盤コースのレッスンを受け続けることができます。(苦笑)東北地方太平洋沖地震が発生しても、関西地方の日常は変わっていませんでしたね。日本は小さな国だと教えられて来ましたが、西と東の違いを強く実感した一日でした。

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2011.03.28

京都くろちくのガーゼマフラー

映画『100歳の少年と12通の手紙』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。本当にいい映画でした。ある方のレビューに、オスカーは一日で十歳、着実に年を重ねて行ったので、例えオスカーが亡くなるとしても、彼なりにその人生をまっとうしたように感じられ、その死を受け入れることができたといったようなことが書かれていました。まさしくその通りだと思います。オスカーが最期まで自分自身を悲劇的な状況に追い込まなかったのは、一日で十歳年を取るという魔法が効いていたからなんですよね。ところで、「ガンまる日記」の記事を書くにあたり、これまで足を運んで来た仙台や石巻女川(おながわ)などの写真をご紹介しながら、これらの被災地が元気だった頃のことを回想しようかと思っていました。しかし、これらの被災地が元気だった頃の写真を眺めていると、とても記事は書けないと痛感しました。写真を見ながら、どうしてもやり切れないような想いがこみ上げて来てしまうのです。観光客として一時的にそれらの場所を訪れただけの私でさえ、このような感情を抱くのですから、実際にその場所に長く住んでいらっしゃる方たちからすれば、もっともっとやり切れない感情が込み上げて来ていることでしょう。過去を振り返ることは、ある意味においては大切なことかもしれませんが、今は過去を振り返るべきときではなく、前を向いて歩いて行くべき時期なのだと思いました。

 ホットヨガのレッスンを始めてからは、それほど肩こりに悩まされることもなくなっていたはずなのだが、最近、姿勢が変わってしまったのか、これまでにないほど肩こりがひどくなってしまった。思えば、ホットヨガのレッスンを始める前までは、鍼灸医院に通って鍼灸治療を受けたり、肩にピップエレキバンを張り巡らせて血行を良くして、何とか肩こりをしのいでいた。その肩こりがとうとう再発してしまったので、私は楽天市場で格安の磁気ネックレスを購入した。

 磁気ネックレスでいくらか肩こりが和らいだものの、それでもまだ頑固な凝りは残っている。胸を広げて身体を後ろに反らせると気持ちがいいことから、おそらく日常的に身体が前屈みになってしまっていることが肩こりの原因になっているのだろうと思われる。それにはどうも、先日書いたような、骨盤が斜めに傾いてしまっているという私の身体の事情も関係がありそうだ。

 肩こりがひどくなると、やがて頭痛を引き起こす。頭が痛くなるときはたいてい首の後ろがひどく凝ってしまっているため、私はタオルマフラーかガーゼマフラーにカイロを包み込んで、カイロが凝っている首の後ろに当たるように首に巻き付けて頭痛が治まるのをひたすら待つことにしている。タオルマフラーは、汗も吸い取ってくれるので、夏の冷房対策などにはいい。そして、今のこの時期にいいのは、肌触りのいいガーゼマフラーである。私は何年か前にたまたま京都に出掛けたときに、「京都くろちく」というメーカーのガーゼマフラーを見付けて購入した。最初は和柄に魅かれて軽い気持ちで購入したのだが、使い始めてみると、肌触りの良さに酔いしれて、いろいろな柄のものをあとから何枚も追加で購入してしまった。

 この京都くろちくのガーゼマフラーは、春を迎えようとしている今の季節にぴったりであるだけでなく、いろいろな和柄を楽しみながらおしゃれな気分を演出してくれるうれしいアイテムなのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 和雑貨のお店などでも良く見掛けるアイテムなので、皆さんも良くご存知のことと思います。春がすぐそこまでやって来ているのにまだまだ肌寒いですが、毛糸のマフラーで首を保護するにはもはや季節外れの感じがしますよね。京都くろちくのガーゼマフラーは、まだ肌寒い今の季節にぴったりのマフラーだと思います。私は、カイロを巻き込んで使用するという特殊な使い方をしていますが、肩こりのない方は、和柄のガーゼマフラーをおしゃれに使いこなしてみてください。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.03.27

映画『100歳の少年と12通の手紙』

ブリージングストレッチセミナー in 岡山(10)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。記事の中には観音院が工事中だったと書きましたが、記事をアップしたあと、撮影した写真をじっくりと眺めていると、工事中だったのではなく、裸祭りの高まりからお寺の建物などを守るための工夫だったのではないかと思うようになりました。おそらく、それが正解でしょう。さて、東京電力の福島第一原子力発電所の周辺で高い放射性物質が検出されていますが、そうしたニュースを受けてか、日本に来ている外国人の方たちは、次第に日本を離れているようですね。また、日本から海外への旅行者も警戒されたりしているようです。海外からたくさんの救援物資が届いたり、多くの義援金が集められたりしてはいますが、やはり自分の身には危険が迫らないという大前提のもとに行われているのだなあと痛感しました。

 本作を鑑賞したのは、十二月八日のことである。鑑賞後、あまりにも感動してしまい、レビューを書き上げるのを待ち切れずに他の記事の中でほんの一部だけご紹介してしまった。鑑賞された方は気付かれたかもしれない。

 私は、エリック・=エマニュエル・シュミット監督の作品はすべて鑑賞している。映画『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』、映画『地上5センチの恋心』、そして本作だ。エリック・=エマニュエル・シュミット監督は、映画『地上5センチの恋心』においても、人間としての本質を引き出すような確かな感動を与えてくれたが、本作もまた、現実を見据え、偽ることのない生き方がいかに大切であるかを教えてくれる作品である。

 白血病を患って小児病棟に入院している十歳の少年オスカーは、もはや余命いくばくもない状態であることから、周りからは、まるで腫れ物にでも触るかのように扱われている。医師や小児病棟の中にある学校の教師、両親など、彼に関わるすべての大人たちが、彼のすることを何から何まで受け入れ、叱ることさえしない。例えば学校で、彼が教師に対していたずらをしたとしても、他の生徒ならば叱るのに、オスカーが犯人だとわかればたちどころに許してしまう。オスカーはそんな特別扱いが嫌でたまらず、誰に対しても心を開くことのない引きこもり状態に陥っていた。

 オスカーが一体何を求めているのか、映画を鑑賞していた私にはすぐにわかった。オスカーは、周りの人たちが自分に対して嘘や偽りのない態度で接してくれることを求めているのだ。あるときオスカーは、病院にピザを配達にやって来た口の悪い女性ローズに出会う。自分に対して横柄な態度を取るローズに興味を持ったオスカーは、ローズとの接触を試みるようになる。これまで誰とも口を利かなかったオスカーが、明らかに好意を持ってローズと話をしている姿を見た病院長は、ローズに対し、オスカーの話し相手になって欲しいと懇願するのだった。

 心を閉ざしていたオスカーが心を開く対象として選んだのは、肉親でも身近な友達でもなく、ただ病院にピザを配達にやって来ただけの女性ローズだった。ローズははっきりとものを言う性格だが、病院長から事情を聞かされ、最初は戸惑う。しかし、病院にピザを購入してもらうという条件で、オスカーの話し相手を引き受けるのだ。

 オスカーの置かれている状況が非常に深刻なものであったことからも、両親を含めた彼の周りにいる大人たちが、まるで彼を腫れ物に触るかのように扱っていた気持ちはわからないでもない。しかしそれは、客観的に見ると、オスカーの未来に対して無関心であることとほとんど変わりがないように思える。オスカーに遺された時間はわずかしかないのに、真実と向き合わずに、表面だけ取り繕っているようでは、せっかくの貴重な時間を無駄に過ごしてしまうように思うのだ。

 ローズはオスカーとともに、やがて迫り来る死から逃げようとせずに正面から向き合い、信頼関係を結んだ。これは、なかなか実践できることではない。多くの人たちは、やがて死を迎えようとしている人に対し、迫り来る死を隠すことが愛情を示すための唯一の手段だと思い込んでいることだろう。しかしそれは、死を隠す人自身が、やがて迫り来る相手の死と正面から向き合うだけの勇気を持てていないからではないだろうか。

 ローズは、人は誰でもいつか必ず死ぬということをオスカーに教えた。自分も、オスカーの両親も決して例外ではないと言った。だからオスカーが、自分を腫れ物のように扱う両親を心理的に遠ざけていることに対し、そのような態度を取るべきではないと戒めるのだ。すなわち、いつかは必ず死ぬという点においては、誰しも平等であることをローズはオスカーに教えたのである。

 タイトルの中にある100歳の少年の意味は、オスカーが余命いくばくもない状態であることから、一日で十年歳を取るようにオスカーとローズの間で取り決めたものである。自分がもはや余命いくばくもないことを知ったオスカーは、ローズの提案で毎日神様に手紙を書き、病院の中で恋をして、結婚もして、最愛の妻との別れまでも経験し、次の日を迎える度に十歳年を取って行く自分をわくわくしながら体験したのである。

 オスカーがローズに強く魅かれたように、私自身もローズの生き方には強く魅かれた。現実から目をそらさず、正面から受け入れ、正直に伝える勇気を持っている女性だと思う。人は誰しも、自分や自分の親しい人たちがいつかは必ず死ぬなどとは思いながら生きていない。多くの場合、死は心の準備ができていないときに突然訪れるものとして存在している。この映画は、誰にでもいつかは必ず訪れる死に対し、心の準備をしておくべきだと主張しているのではない。誰にでも死が平等に訪れるという事実から目をそらさず、余命いくばくもない状態である少年オスカーに対し、自分だけが死んで行くという恐怖心を和らげ、人生の最期の日まで強く生きる勇気を与えた作品なのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この作品を鑑賞すると、事実を隠して腫れ物に触るような態度を取ることが必ずしも愛であるとは思えなくなりますね。少なくとも本作からは、そうした態度が自己愛であるかのように伝わって来ます。しかし、ローズが取った立場は、真実を隠して表面的に取り繕うことよりも、更に一歩先へ進んだ立場であると感じるのです。

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2011.03.26

ブリージングストレッチセミナー in 岡山(10)

ホットヨガ(二二九回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。毎日、東京電力の福島第一原子力発電所の事故に関する様々なニュースが流れていますね。これまでの流れを振り返ってみると、始めは大きなニュースであるかのように取り扱われるのですが、翌日になると放射線量や対応が落ち着いています。まさしく、一進一退という表現がぴったりかもしれませんが、果たして本当にそれでいいのでしょうか。実は、一進一退であるのは見せ掛けで、本当は少しずつ後退しているなんてことはないですよね。それでは、ブリージングストレッチセミナー in 岡山(9)の続きを書かせていただきますね。

 セミナーが終了したのは、十六時半頃だったと思う。そのあと、セミナー会場となった五福座近くのお店で懇親会が行われることになっていたのだが、その前に、今回のセミナーの主催者であるIさんが通っていらっしゃる和太鼓教室のO先生のご案内で、古久澤先生をはじめとする有志の方たち数名と一緒に、五福座のすぐ近くにある観音院というお寺に足を運んだ。ここは、会場となった西大寺で行われている裸祭りの会場ともなる由緒正しい場所である。このとき、一週間後に控えていた裸祭りでは、おそらくたくさんの人たちで埋め尽くされていたであろうことが推測される。

観音院

手水(ちょうず)

仁王門

石門。どことなく中国を感じさせている

裸祭りの顔抜き

普陀南海観音像

三重塔

 観音院は、真言宗のお寺で、ご本尊は千手観音なのだそうだ。私は、真言宗のお寺では、どのお寺も大日如来がご本尊だと思い込んでいたのでちょっと驚いた。お寺の中は、一週間後に控えた裸祭りのためなのか、工事中となっている場所が多かったのだが(というよりも、お寺を保護するためのガードかもしれない)、工事中でも由緒正しい雰囲気が漂っているためか、古久澤先生をはじめとする有志の方たちは、お寺の様子を時間を掛けて見学していた。営業はしていなかったが、売店ではグッズも販売されているようで、曼荼羅の下敷き(?)が売られていた。売店が営業中であれば、間違いなく購入していたことだろう。

 一週間後に行われた裸祭りの映像をここでご紹介しておきたい。私たちが観音院を訪れたとき、午前中は雪が降るほど寒かった。セミナー会場となった五福座も底冷えのする寒さだった。二月下旬とは言え、その一週間後に急激に温かくなるはずはないので、真冬にふんどし一枚の裸で外を歩き回るだけでなく、冷水に使って身を清めるなど驚くべき行為である。よほど気合が入っていなければ、体調を悪くしてしまうことだろう。しかも、一歩間違えば、命だって落としかねないのだ。

裸祭り

 私たちが観音院を訪れたときは、静寂しかそこにはなかった。まさしく嵐の前の静けさだったのかもしれない。

 観音院をじっくりと見学したあとは、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』のロケ地となった古い街並みの五福通りに再び戻り、懇親会の会場へと向かったのだった。

懐かしい看板

そのまま検眼ができる看板

映画のロケの様子が写真に収められている

五福通り

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 裸祭りの映像を見ていると、私たちが足を運んだ観音院であのような行事が行われていたのかと驚きますね。まさしく、嵐の前の静けさという表現がぴったりの静寂でした。

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2011.03.25

ホットヨガ(二二九回目)

映画『武士の家計簿』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m あちらこちらで東北地方太平洋沖地震の義援金が集められていますね。窓口がたくさんあるために、あっちで募金したばかりなのに、またこっちでも声を掛けられるということもあるかもしれません。そういう状況なので、熱心に募金活動をされている方たちの前を通り過ぎるときに、東北地方太平洋沖地震に対して決して無関心でいるわけではないのだと言い訳したくなるような衝動に駆られます。(苦笑)また、募金の度にお札を出していると、「もう少し小分けしたほうがいいのだろうか?」などと思ってしまいます。それに加え、人々が募金箱を持って立っているところに募金しに行くのは、その瞬間、自分だけがスポットライトを浴びているような気がして、どうも苦手なんですよね。(苦笑)一番いいのは、買い物をしたときに、レジの横に置いてある募金箱にそっと募金することです。これが最も私に合っている募金方法だと思います。そう言えば、同じ職場の仙台市出身の男性社員は、この週末を挟んで仙台に帰省しています。そのことがわかったとき、職場の人たちが彼にカンパを企画したので、私もカンパに参加させていただきました。彼から届いた御礼のメールには、彼のご家族が、一時期、孤立した場所で救助を待っていたと書かれていました。しかし、自衛隊によって無事に救助されたそうです。それほど遠くないご縁の人たちの中に、そのような経験をされた方がいるということに胸が痛みました。救助されて本当に良かったと思います。今、仙台市に戻っている彼は、無事に避難所まで辿り着き、ご家族との再会を果たしたそうです。何だか胸が詰まる思いですね。また、世界のいろいろな国の有志の方たちが東北地方太平洋沖地震のためにたくさんの義援金を集めてくださっているようです。そのことに対しても胸がいっぱいになります。東北地方太平洋沖地震を通して、世界が一つになろうとしているのに、東北地方太平洋沖地震で亡くなられた方たちの数が日々増えているという、プラスの感情の波とマイナスの感情の波が同時に押し寄せて来るような感じですね。

 三月五日は、梅田店で六十分の骨盤コースのレッスンを受けた。FOMAカードが古い携帯電話にささったまま抜けなくなってしまったため、レッスンをキャンセルして、何よりも先にdocomoショップに駆け込もうかとも思っていた。また、生理の三日目だったこともあって、レッスン中に生理の血液が漏れてしまうのではないかという不安もあり、レッスンに参加することに対して消極的にもなっていた。それでも私は、ずいぶん迷った末に、予定通り、梅田店でレッスンを受けることにしたのだった。

 レッスンの参加者は二十名で、そのうち男性会員は一名だった。男性会員も受け入れている梅田店で骨盤コースのレッスンを受けるのは今回で三回目だが、骨盤コースのレッスンでお目に掛かる記念すべき初めての男性会員である。おそらく、男性と女性は身体の作りが異なるために、骨盤に意識を向けるのは女性ばかりなのだろう。古久澤先生も、女性の骨盤は開閉する幅が大きいが、男性は開閉の幅が女性ほど大きくないとおっしゃっていた。ということは、男性には、骨盤の開閉がスムーズに行われないことにより抱える不具合もないということなのだろうか。

 参加者が二十名もいらっしゃったため、スタジオ内はかなりひしめきあっていた。それでも、ポーズによって、ヨガマットを縦や横に使い分けながら、できるだけ他の参加者と接触することのないように心掛けてポーズを取り続けた。

 それにしても、私の場合、四つん這いのポーズから片手を上げて、上げている手とは反対側の片足を蹴り上げるバランスのポーズを取るときには、支えている方の足がグラグラして安定性が悪い。インストラクターは、お腹に力を入れるとグラグラしないとおっしゃったのだが、私はそれを聞いて、やはり私は、大きな筋腫があることが原因でお腹に力を入れることができないためにグラグラしてしまうのだろうと思った。

 グラグラする理由を模索するために、四つん這いのポーズのときに片手と片足を上げた状態で鏡に映った自分の姿を見てみると、私の骨盤は斜めに傾いていた。反対側の手と足を挙げて鏡に映してみても、やはり私の骨盤は斜めに傾いていた。どうやら私の骨盤は、片手を上げているために傾いているのではなく、普段から傾いてしまっているようだ。もしかすると、それが私の身体の最大の難点なのではないのだろうか。

 実は、骨盤が斜めに傾いているという感覚は、骨盤コース以外のレッスンで英雄のポーズを取っているときに感じていたことだった。両足で踏ん張って立ったときの姿勢が、明らかに他の人たちと違うのである。要するに私は、足を九十度曲げた状態で英雄のポーズを取ることができないのだ。おそらくそれこそが、私の骨盤が前後にずれてしまっている最大の原因なのかもしれない。そうだとするならば、この斜めに傾いた骨盤を正常の位置に戻すには、どのようにすればいいのだろうか。レッスンを受け続けていれば、骨盤の傾きは自然に矯正されるのだろうか。私は頭の中であれやこれやと考えを巡らせていた。

 生理中で身体が水分を出したがっていたからだろうか。今回のレッスンでは汗をたくさん掻いた。しかし、あまり調子は出なかった。生理の血液が漏れてしまうのではないかという不安が常に付きまとい、レッスンに集中することができなかったのだ。とは言え、これまでは生理中のレッスンをキャンセルしたことも多々あったが、以前よりも生理の出血量が少なくなって来ているので、少しは前進していると思っている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m その後、何となくですが、自分の骨盤をまっすぐに立てる方法がわかって来ました。まず、お尻の穴を締めることです。(苦笑)その上で、上に上がってしまっている尾てい骨を下にぐっと下に引き下げることです。そうすることで、私の骨盤は、メリハリを取り戻してくれるような気がしています。

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2011.03.24

映画『武士の家計簿』

N-08B購入記(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。実は、新しい携帯電話(N-08B)の購入に際し、ショックだったことがあります。それは、大阪駅前のヨドバシカメラでは、私が購入した金額よりも更に半額の金額で機種変更することができたということです。すなわち、六万円の四分の一の価格である一万五千円で機種変更することができたのです。ちょっと先走ってしまいました。(苦笑)それはさておき、東京電力の福島第一原子力発電所で復旧作業に当たっていた方たちが被曝されたというニュースが流れましたね。実際に福島第一原子力発電所で復旧作業に当たっていらっしゃる方たちは、大地震の発生後、一度も帰宅せずに復旧作業に努めていらっしゃるそうで、命懸けの作業に頭が下がる思いです。しかし、本当にこのままでいいのだろうかとも考えます。何故なら、私はいつも、誰かの苦しみの上に成り立つ幸福はないと考えて来たからです。しかし、原子力発電所における事故に立ち向かうには犠牲を覚悟しなければなりません。皆さんもそうだと思いますが、そのあたりの想いが実に複雑ですね。

 本作は、公開からわずか三日後の十二月七日に鑑賞した作品である。

 森田芳光監督のお名前は良く存じ上げているが、これまでの彼の監督作品を振り返ってみると、映画『(ハル)』と映画『黒い家』の二つくらいしか鑑賞していないことがわかった。古くから活躍されている映画監督なのに、どうやら私と交わる時間が少なかったようだ。しかし、不思議なことに、過去に鑑賞した二本とも、ガンモと一緒に鑑賞しているのだ。特に、パソコン通信で出会った二人が恋に落ちて行く状況を描いた映画『(ハル)』は、同じようにパソコン通信で出会った私たちと共通するものがあるのではないかと思い、興味津々で劇場まで足を運んだ。ところが、実際に鑑賞してみると、私たちの進行とはまったく異なっていて驚いたのを覚えている。

 本作は、江戸時代に加賀藩の御算用者(ごさんようもの・会計処理の専門家)として、加賀藩の財政に関わった猪山家の物語である。歴史学者の磯田道史さんが、偶然、古書店で見付けた家計簿を分析して原作を書き上げたらしい。

 もともと猪山家は下級武士なのだが、そろばんを得意としていたため、代々加賀藩の御算用者を担当していた。主人公は、堺雅人くん演じる八代目の直之である。直之は、そろばんをはじくのが得意だっただけでなく、自宅でもせっせと家計簿を付けて、家計をうまくやりくりしていた。武士は、身分が高くなるほど出費が多くなるらしく、いつの間にか増えてしまっていた借金を確実に返済するため、直之は家財道具を売り払って借金の返済に充てることにした。世間体などから、武士はなかなかこのようなことを実践しないらしいのだが、直之は思い切って実践し、その後も節約を重ね、借金を返済することに成功したようだ。

 そろばんと言うと、私も子供の頃に習っていたが、今の子供たちはどうなのだろう。電卓による計算が主流の世の中になったので、もはやそろばんを習う子供たちは少なくなってしまったのかもしれない。かつて、町でたくさん見掛けていたはずのそろばん塾も、今ではほとんど見掛けなくなってしまった。ちなみに、私が通っていたそろばん塾は、私の同級生のお父さんが経営していたのだが、やはりそのお父さんの子供である私の同級生は、そろばんが得意だった。

 しかし、考えてみると、私の同級生は確かにそろばんが得意だったかもしれないが、そろばんの高い技術を活かして、家計をやりくりすることも得意だったかどうかはわからない。そろばんが得意なことと、家計をやりくりするのが得意なことはまったく別物だと思う。しかし、本作の主人公である直之は、そろばんをはじいて計算するという行為を、家計をやりくりするという方法でうまく実践に持ち込むことができた人であると言える。

 直之には、お駒という妻がいるのだが、二人の夫婦関係が実にいい。お駒を演じているのは仲間由紀恵ちゃんである。二人は、お見合いのような縁が一時的に設定されるものの、実際には自力で出会い、惹かれ合う。実際に恋をして結ばれた二人の絆は強いのだ。

 本作の中で最も印象的なシーンは、直之の息子の着袴のお祝いのために親戚を招いたときに、予算不足のために鯛料理を出すことができず、鯛の絵を描いて間に合わせたシーンである。招かれた親戚たちは、出された鯛が絵であることに驚きを隠し切れない様子なのだが、直之一家は決して見栄を張ることをせず、鯛料理を出してもてなすことができないことを親戚に対してオープンにして、できる限りの出費を抑え、借金を返済することに専念したことは素晴らしい選択だと思う。思えば、鯛料理はぜいたく品の象徴であり、言い換えれば、決して存在しなければ困るものではない。そういうことにお金を費やすよりも、存在しなければ困るものだけにお金を費やして、残ったお金をできるだけ借金の返済に充てたというわけなのである。

 直之が息子に対して厳しかったことも印象的である。お金を失くしてしまったまだ小さな息子に、直之は出て来るまで探せと言う。息子は、失くしたお金を探すために、夜の暗い道を歩き、お金を失くしたと思われるく川辺のほうまで探しに出掛ける。一見すると、直之は、お金の計算のことばかり考えている父親であるように見受けられるのだが、思えば直之は、息子に対してそのように厳しく接することで、お金の帳尻が合うことの大切さを教えていたように思う。何かを植えつけるには、ポジティブな感情を伴うよりも、ネガティブな感情を伴ったほうが強く印象付けられるのは確かである。息子にしてみれば、お金の計算に関して特に厳しい父は、自分をしっかりと愛してくれていなかったように見えるかもしれない。しかし、のちに彼はそろばんが得意ということで、新政府軍に高く評価され、軍の会計を担当することになるのだ。これは、父の直之がお金の計算に関して厳しく育ててくれたからこそ得ることのできた貴重な役割でもあるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 何かを極めるには、生半可な気持ちでは到達できない領域がありますよね。本作は、そういう領域に到達した人たちの人生が描かれた作品であると言えます。失うものも多いかも知れないけれど、得たものも大きいのではないか。全体として、そんな感想を抱きました。

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2011.03.23

N-08B購入記(後編)

N-08B購入記(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。現在の日本は、東北地方太平洋沖地震で被害に遭われた方たちのことよりも、東京電力の福島第一原子力発電所の事故のことに意識が向いてしまっているようですね。人々の意識の中で、東北地方太平洋沖地震で発生した大津波の被害が既に過去のものとなり、福島第一原子力発電所のことは未来のこととして危惧しているとも思えます。ひょっとすると、その先にあるのは、人々のエゴなのかもしれません。何故なら、福島第一原子力発電所の安全性が確認されなければ、東北地方に限らず、日本全土に被害が及ぶ可能性があるからです。そういう意味で、福島第一原子力発電所の一連の事故は、私たちから意識をどんどん奪っていると感じますね。だからと言って、福島第一原子力発電所の状況から目を離せないのも事実ですが、被災された方たちのことを忘れないでいたいと思います。

 私は、ガンモとの電話連絡が付かないまま帰宅した。何とかガンモと連絡を取ろうと、帰宅したあとも、自宅の固定電話からガンモの携帯電話に電話を掛け続けていた。ガンモの個人用携帯電話はずっと圏外だったのだが、何度か掛けるうちにようやくガンモの業務用携帯電話と繋がり、ガンモと話をすることができた。ガンモはひどく切羽詰った様子で、仕事で大きなトラブルが発生し、今夜は徹夜になると言った。かつて私も勤務していたこともあるその客先は、入場時に携帯電話の電源を切って預けなければならないらしく、ガンモは個人用携帯電話については預けたそうだが、業務用携帯電話については作業をする場所まで持ち込んだそうだ。おかげで、ようやくガンモと連絡が取れたわけである。私は、FOMAカードがささったまま抜けなくなってしまったので、携帯電話が使えないと手短にガンモに伝えておいた。

 ガンモが急に徹夜作業になってしまったことはとても心配だったが、私自身もガンモという頼みの綱が切れてしまった。ガンモならば、器用にFOMAカードを取り出してくれるはずだと思っていたからだ。仕方なく、私は作戦を練り直した。翌日は土曜日だったので、朝から梅田店でホットヨガのレッスンを受ける予定だった。梅田店でのホットヨガのレッスンをキャンセルして、朝からdocomoショップに足を運ぶべきだろうか。それとも、ホットヨガのレッスンを受けたあとにdocomoショップに駆け込むべきか。とは言え、その日は観たい映画が二本あった。ホットヨガの梅田店のスタジオに一番近いdocomoショップは、ヨドバシカメラの中にある修理サービスセンターかヨドバシカメラの斜め向かいにあるdocomoショップだった。私はあれこれ考えを巡らせながら、その日の計画を練った。

 翌朝六時過ぎにガンモは仕事から帰って来たが、徹夜でへろへろになっているガンモに、
「携帯電話にささったままのFOMAカードを取り出して」
とは言えなかった。私は直ちにガンモをベッドに案内し、
「今日はホットヨガのレッスンに行って来るから、ゆっくりお休み」
と言った。

 さて、私が立てた計画は、こうである。まず、予定通り、ホットヨガのレッスンを受ける。その後、お気に入りのお店で昼食をとり、映画を二本鑑賞する。docomoショップに行くのは夕方である。最初は、ホットヨガのレッスンをキャンセルして、docomoショップに立ち寄ろうとまで思っていたのだが、おそらく私たち人間には、環境への適応能力があるのだろう。携帯電話が使えない時間が次第に長くなって来ると、すぐさま何とかしなければという状況からは解放されるのだ。こうして私は次々に予定をこなし、夕方になって、大阪駅前のヨドバシカメラの中にある修理サービスコーナーに足を運んだ。

 ヨドバシカメラの携帯電話コーナーは、ちょうど一年前、実家の両親に携帯電話をプレゼントしたときに利用してひどく待たされたので、今回も待たされるのではないかという覚悟があった。ヨドバシカメラの斜め向かいにdocomoショップがあったのだが、万が一、預かり修理となったときに、平日でも仕事帰りに修理から上がった携帯電話を受け取ることができるように、docomoショップよりも営業時間の遅いヨドバシカメラを選んだのである。

 ヨドバシカメラの修理サービスコナーは、数人の待ち行列が出来ていた。それにも関わらず、対応してくださっているのは一人か二人だった。数十分待って、ようやく私の順番が回って来たので、FOMAカードがささったままの古い携帯電話を受付カウンターに差し出して、
「実は、昨日、機種変更したばかりなんですが、古い携帯電話にメールが届いていたので確認しようとして、古い携帯電話にFOMAカードを挿し直してみたところ、FOMAカードが抜けなくなってしまったんです」
と事情を説明した。

 対応してくださったのは、おそらく私よりも若いお兄さんである。携帯電話が本格的に壊れているわけではなく、FOMAカードがささったまま抜けなくなってしまったという間抜けな状況を聞いて、少々面食らったようだ。それでも、私の古い携帯電話の裏蓋を開けて、中にささっているFOMAカードを抜こうと一生懸命努力してくださった。最初は手を使って抜こうとしていたのだが、やはり抜けないことがわかり、奥からピンセットを取り出して来た。私はそのピンセットに期待感を込めてエネルギーを送った。しかし、若いお兄さんがどんなに頑張っても、頑固なFOMAカードは抜けなかった。

 若いお兄さん曰く、FOMAカードは傷つけてはいけないので、あまり力を込めて取り出さないほうがいいのだそうだ。そして、ここまで頑張っても取り出せないとなると、メーカー送りになるので、引き渡しまで二週間くらい掛かると言われてしまった。ということは、それまでの間、ずっと携帯電話が使用できないことになってしまう。いくら何でもそれだけは避けたいと思い、
「FOMAカードを複製することはできないのでしょうか?」
と尋ねてみた。すると、
「複製はできますが、三千百五十円掛かりますね」
と言われた。私はそれでもいいと思ったので、
「じゃあ、FOMAカードの複製をお願いします」
と言った。しかし、若いお兄さんは、ここは修理の受付窓口なので、docomoショップに行かなければFOMAカードの複製の手続きができないとおっしゃった。そこで私は、若いお兄さんに御礼を言って、ヨドバシカメラの斜め向かいにあるdocomoショップに足を運んだのである。

 docomoショップの受付で番号札を取り、順番待ちをしていると、若いお姉さんが声を掛けてくださった。私が事情を説明すると、少し難しい顔をしながら、
「わかりました。少々お待ちください」
と言って、椅子に座って待つよう勧められた。しばらくすると、さわやかなお兄さんが私のところにやって来た。さわやかなお兄さんはスーツ姿なのだが、とても人情味のある方で、技術者の匂いがぷんぷん漂っていた。私はさわやかなお兄さんに、FOMAカードがささったまま抜けなくなってしまった携帯電話を託した。さわやかなお兄さんは私に、
「FOMAカードを取り出すときに、万が一この携帯電話が壊れてしまって、使えなくなってしまってもいいですか?」
と尋ねてくださった。私は、機種変更をした新しい携帯電話が海外では限定して使用できる3Gのみの対応だったので、
「できれば海外旅行で使いたいので、本体は使えるようにしておきたいです。でも、それが難しいようでしたら、FOMAカードの複製をお願いします」
と答えた。さわやかなお兄さんは、
「わかりました」
と言って、私の古い携帯電話を持ってご自分の作業場に戻った。

 ほどなくして、さわやかなお兄さんが私のところに戻って来られて、あっさりと、
「抜けましたよ」
と言ってくださった。私は狂喜して、
「ありがとうございます!」
とさわやかなお兄さんに御礼を言った。さわやかなお兄さん曰く、やはり私は、FOMAカードを裏表反対に挿し込んでしまっていたようだ。そのため、FOMAカードが斜めに挿入されてしまい、抜けにくくなってしまっていたようだ。さわやかなお兄さんは、FOMAカードが外れた古い携帯電話の裏蓋部分を開いて、FOMAカードの切りかきのある絵を私に見せながら、
「この形に合わせてから置いてください」
とおっしゃった。なるほど、さわやかなお兄さんの説明は、ロジカルでとても分かり易かった。さわやかなお兄さんが、
「じゃあ、新しいほうの携帯電話に挿しておきましょうか」
と言ってくださったので、私はさわやかなお兄さんに、昨日機種変更したばかりの携帯電話を差し出した。さわやかなお兄さんは慎重に、私の新しい携帯電話にFOMAカードを挿してくださった。FOMAカードはすぐに認識され、私の新しい携帯電話は通話可能になった。

 さわやかなお兄さんに御礼を言ったあと、
「料金はおいくらですか?」
と尋ねてみると、さわやかなお兄さんは、
「いえ、料金はいただいておりません」
と言ってくださった。何ともありがたい話である。私はもう一度、さわやかなお兄さんに御礼を言って、docomoショップをあとにした。

 そして、徹夜明けで帰宅し、自宅でたっぷりと睡眠をとったであろうガンモに電話を掛けて、携帯電話が元に戻ったことなどを話して聞かせた。こうして私は自宅に戻り、今度は新しい携帯電話から慎重にFOMAカードを取り出して、再び古い携帯電話に挿し直して、届いているメールを処理したあと、新しい携帯電話にFOMAカードを戻しておいた。やれやれである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長い長い記事にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。このときは、ガンモとなかなか連絡が取れず、しかも翌日の予定はいっぱいで、どのように自分のスケジュールを調整したらいいのかあたふたしていました。しかし、docomoショップの窓口に行くことを一番後回しにした結果、いろいろなことが回り始めました。普段、携帯電話を当たり前のように使っているために、その便利さに慣れてしまっていましたが、いざ使えなくなると、かなり不便を感じてしまいます。しかし、不便を感じても、ある時期を過ぎれば、落ち着きを取り戻すものなのですね。何はともあれ、さわやかなお兄さんのおかげで抜けなかったFOMAカードが無事に抜けて、復活できたことを感謝しています。ちなみに、私が購入した新しい携帯電話は、ニンテンドーDS Liteよりも大きく、ちょうどプレイステーション・ポータブルくらいの大きさであります。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.03.22

N-08B購入記(前編)

映画『酔いがさめたら、うちに帰ろう』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。三泊四日の青春18きっぷの旅から無事に帰宅しました。三泊のうち、民宿に一泊したのですが、民宿のオーナーの話では、東北地方太平洋沖地震の影響により、やはり利用客が激減しているのだそうです。私たちが出掛けていたのは西日本ですが、西日本まで元気を失ってしまってはいけないと思いました。行動を自粛しないことと、東北地方太平洋沖地震に対して無関心でいることは違うと思います。やはり、私が購読しているメルマガにも書かれていたように、西日本に住んでいる人たちは、日本経済を支えるべくこれまで通りの生活を送ることで、日本の復興に少しでも協力できるのではないかと思います。

 携帯電話を機種変更した話を書いておきたい。三年前に購入した携帯電話は、携帯電話にSonyのサイバーショットが付いているという優れものだった。「ガンまる日記」の中でも、その携帯電話に付属のサイバーショットで撮影した写真をいくつも掲載して来た。今では、携帯電話をわずか二年ほどで買い換える人が多いのだが、私は三年経ってもその携帯電話を使い続けていた。ただ、昔ながらの文字入力方式なので、インターネットに接続できないときの「ガンまる日記」の推敲やメールの発信および返信にはかなり手間取っていた。

 同じ携帯電話を三年も使い続ければ、本体の傷もそれなりに目立って来るものだが、私は便利さと不便さが一体になった携帯電話がとても気に入っていたので、できればこの携帯電話を使える限り、使い続けようと思っていた。

 その一方で、去年の夏に発売されたモデルで、文字入力し易いフルキーボード付きの携帯電話に心引かれてもいた。その携帯電話は、小さなノートパソコンのような形をしていて、付属のフルキーボードで文字を入力することができるのだ。おまけに、iモードも継続して使うことができる。ガンモは早々とスマートフォンに乗り換えてしまったが、私はスマートフォンのサービスがまだまだ充実していないと感じていたので、もしも自分が携帯電話を機種変更するとしても、スマートフォンは避けたいと思っていた。こんなふうに、私の中に、これまで使用していた携帯電話を継続して使用したいと思う気持ちと、フルキーボード付きで文字入力し易い新しい携帯電話に機種変更したいという二つの想いが存在していたことは確かである。

 あれは二月の終わりか三月の初めくらいのことだった。そんな私の心の葛藤に決着を付けるような出来事が起こった。私の不注意から、お気に入りの携帯電話が、お弁当を食べ終わったあとのサラダのドレッシングでひどく汚れてしまったのだ。ご存知のように、携帯電話は水分を含むと機能しなくなることが多い。サラダのドレッシングが掛かってしまった私の携帯電話も、最初のうちは正常に機能していたのだが、そのうち、こちらがまったく意図しない文字ばかりが入力されるようになり、友人から届いたメールの返信にも困るようになってしまった。どうしてもメールに返信しなければ相手に用件を伝えられないメールがあり、私はまるで宇宙人が書いたようなメールを時間を掛けて何とか書き上げると、できる限りこちらの事情が相手に伝わるような一文を沿えて、そのメールを送信した。

 お気に入りの携帯電話が正常に機能しなくなってしまってはいるものの、私はまだ諦め切れず、おそらくサラダのドレッシングを含んだキーボードが乾けば元に戻るのではないかと期待して、その携帯電話を騙し騙し使っていた。

 ところが、その数日後、仕事帰りにふと立ち寄ったdocomoショップで、私が欲しいと思っていたフルキーボード付きの携帯電話がこれまでの半額で売られているのを発見した。これまでその携帯電話は、六万円もの値段が付けられていたので、まだ使える現役の携帯電話を差し置いて購入することに対し、ブレーキが掛かっていた。しかし、これまでのおよそ半額で手に入ることがわかり、私の心は大きく揺れたのだ。すぐに機種変更できるのかと思い、私は店員さんにそのdocomoショップの営業時間を尋ねた。すると、二十時まで営業しているという。とは言え、その日は映画鑑賞に出掛ける予定を立てていたので、私は、
「じゃあ、明日、伺います」
とそのdocomoショップの定員さんに言い残して、docomoショップを去った。

 約束通り、その翌日、私は仕事を終えて、そのdocomoショップに立ち寄った。これまで愛用していた携帯電話は相変わらず調子が悪かったので、そろそろ潮時だろうととうとう腹をくくった。私はdocomoショップの店員さんに、
「メールを打ち易くて、スマートフォンではない携帯電話を探しているのですが」
と持ち掛けた。ひょっとすると、私が狙いを定めている携帯電話よりももっと私の要求に合った携帯電話が見付るかもしれないと思ったからだ。しかし、私が狙いを定めている携帯電話が最もメールを打ち易い機種だとわかったため、私は思い切って、
「じゃあ、この携帯電話をください」
と申し出た。

docomo PRO series N-08B。docomo PRO series N-08Bの製品ページより画像拝借。

 在庫があることも確認できたので、それからすぐに機種変更の手続きに入ったのだが、一時間も掛からないうちにすべての手続きが完了した。新しい携帯電話は、私がこれまで愛用していた携帯電話が持ち合わせていなかった機能をたくさん持ち合わせていた。しかし、その反面、私がこれまで愛用していた携帯電話が持ち合わせていた機能を持ち合わせていなかったりもした。例えば、私がこれまで愛用していた携帯電話には、Sonyのサイバーショットが付属していた通り、カメラの機能が優れていたが、新しい携帯電話には、本体の外側に向けたカメラはなく、わずか三十万画素のインカメラしか持ち合わせていなかった。インカメラとは、ノートパソコンや携帯電話の本体の内側に備え付けられたカメラである。ノートパソコンを開いた状態で、ノートパソコンの前に座った人を撮影するようなカメラを想像してくだされば幸いである。おそらく、チャットやテレビ電話のときに使用することを目的としたカメラなのだろう。ほとんどの携帯電話は、本体の外側にカメラが設置されているので、携帯電話をデジタルカメラのように使用することができるのだが、本体の内側にあるインカメラは、携帯電話を開いた状態で使用しなければならないので、かなり使い辛いのだ。

 また、バーコードリーダーの機能がないのも不便である。例えば外食をしたときに、そのお店のメルマガ会員になれば何か特典を受けられることがあるが、そういうときは、携帯電話に付属のバーコードリーダーの機能を使ってメルマガ登録をしていた。しかし、バーコードリーダーの機能が備えられていないため、わざわざアドレスを手入力しなければならないのである。

 更に、最も不便に感じるのは、電話の着信である。これまで愛用していた携帯電話は、電話が掛かって来れば本体をスライドさせるだけでも着信して相手と通話することができた。しかし、新しい携帯電話は、小さなノートパソコンのような仕様なので、電話を着信すると、相手の声はまずスピーカーから流れる。屋内ならば、相手の声が多少外に漏れることを度外視すれば会話は可能なのだが、屋外にいるときには、スピーカーから流れて来る相手の声がなかなか聞こえない。そこで私は、Bluetoothのヘッドフォンを購入することにした。Bluetoothは、現在、いろいろなオーディオ機器に幅広く使われているワイヤレスのヘッドフォンである。この機器を使用することにより、ハンズフリーでの会話が可能になるのだ。とは言え、いつ掛かって来るとも知れない電話に素早く対応するために、常にBluetoothのヘッドフォンを耳に挿したまま待機するのは、なかなかやっかいでもある。

 とは言え、必ずしも不便なことばかりではない。これまで愛用していた携帯電話に比べて、フルキーボードを持つ新しい携帯電話は、文字入力に関しては比べ物にならないほど良くなった。しかし、パソコンのキーボードとは少々キー配列が異なっているため、パソコンのキーボードに慣れている私としては入力ミスが多いのが難点ではある。

 さて、機種変更の手続きも終わり、これまで愛用していた携帯電話に登録していた情報も転送していただいて、docomoショップをあとにしたのだが、ふと見ると、これまで愛用していた携帯電話にメールの着信ランプが点灯していることに気が付いた。どうやら、機種変更の手続き中にメールの着信があったらしい。これまで愛用していた携帯電話に届いたメールを参照するには、新しい携帯電話に挿入されているFOMAカードを取り出して、これまで愛用していた携帯電話に挿し直さなければならない。docomoの携帯電話は、このFOMAカードというICチップですべて管理されているのだ。言い換えれば、例え機種変更をしたとしても、FOMAカードを入れ替えるだけで古い携帯電話を利用することができるのだ。

 私は喫茶店に落ち着いて、新しい携帯電話の本体の裏蓋を開けて、中のFOMAカードを慎重に取り出して、これまで愛用していた携帯電話に挿し直してみた。その後、これまで愛用していた携帯電話の電源を入れてみたのだが、どう頑張っても「FOMAカードを挿入してください」というメッセージが表示されてしまう。どうやら、挿入したFOMAカードが認識されていないようだった。私は、古い携帯電話の裏蓋を開けて、もう一度FOMAカードを挿し直してみようと試みたのだが、あろうことか、私のFOMAカードはこれまで愛用していた携帯電話に張り付いてしまい、どう頑張っても取り出すことができなくなってしまった。古い携帯電話にFOMAカードを挿し直すときに、なかなか入らなかったのでちょっと力を込めたのだが、それがいけなかったようだ。もしかすると、挿入する方向を間違えてしまったのかもしれない。

 その後もFOMAカードを引き出そうと、何度もトライしてみたが、どうしても取れなかった。FOMAカードにはICチップが埋め込まれているので、あまりストレスを加えることはできない。私は青ざめてしまったが、きっとガンモなら何とかできるだろうと思い、ガンモに連絡をしたかった。しかし、FOMAカードが変な方向にささったままなので、携帯電話を使うことができない。そこで、喫茶店を出たあと、公衆電話からガンモの携帯電話に電話を掛けてみたのだが、ガンモは電波の届かないエリアにいるらしく、なかなか電話が通じなかった。私は、機種変更を済ませた直後に携帯電話が使えなくなるという想定外のピンチに立たされることになったのである。 

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 新しい携帯電話の便利な点と不便な点が、これまで愛用していた携帯電話と対照的なのが面白いくらいです。こっちを立てればあっちが立たずといった感じで、何かが便利になろうとすると、必ず何か別のものが不便になってしまうのが興味深いですね。例え技術が進歩したとしても、削ぎ落とされる機能があるというのが面白いと思います。おそらく、何から何まで実装すると、携帯電話のコストが高くなると考えられているのでしょうね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.03.21

映画『酔いがさめたら、うちに帰ろう』

ブリージングストレッチセミナー in 岡山(9)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。東京電力の福島第一原子力発電所の様子が少しずつ落ち着いて来たかと思ったら、またまた白煙が上がったりと、なかなか緊張感から解放されませんね。その他にも、ニュースを見ていましたら、瓦礫(がれき)の中を歩いて必死に家族を探す人たちの姿などが映し出されていました。そんな状況にありながらも、瓦礫を効率的に片付けるためにショベルカーが導入されるシーンも映し出されました。しかし、ショベルカーを使用してしまっては、瓦礫の下に生き埋めになっている方がいらっしゃる場合、傷つけてしまうのではないでしょうか。とは言え、このままでは何も捗(はかど)らないのも事実なんですよね。そのあたりの判断がとても難しい状況だと思います。また、農作物や原乳などにも放射線の影響が出ているようです。本当に、いろいろなことが連鎖反応のように次々に起こっていて、日本は課題が山積みとなっていますが、ニュースは決して悲惨な状況だけを伝えているわけではないことに希望を持ちたいと思います。

 本作を鑑賞したのは、十二月六日のことである。本作は、人気漫画家の西原理恵子さんとその元夫である鴨志田穣さんの家族の物語である。現在、映画『毎日かあさん』というキョンキョン主演の映画が公開中だが、映画『毎日かあさん』が西原さんの視点から描かれた自叙伝的漫画を原作とする作品であるならば、本作は鴨志田さんの視点から描かれた自叙伝的小説を原作とする作品である。

 本作には、西原さんと鴨志田さんが、それぞれ人気漫画家の園田由紀、元戦場カメラマンの塚原安行として登場する。園田の夫である塚原は、お酒を飲み始めると限度を知らない人である。そのために、重度のアルコール依存症となってしまい、度々血を吐いては救急車で病院に運び込まれるということを繰り返していた。また、お酒を飲むと暴れる癖もあるため、園田はとうとう塚原との離婚を決意する。とは言え、園田の塚原への愛情は、これまでとは何ら変わりがないように見えた。

 私は、何から何まで夫の面倒をみる妻が良き妻であるとは思っていない。妻が何から何まで夫の面倒をみてしまうと、夫は自立するチャンスを失ってしまう。以前、私のホームページの掲示板で交流させていただいていた方が、ご自身のブログにこんなことを書いていた。それは、夫との関係についてではなかったのだが、お二人のご友人が泊まりに来られた際、喉が渇いたときに飲む飲料やお腹が空いたときに食べるお菓子などをご友人のために予め用意しておくかどうかについてご夫婦で話し合われたそうだ。そのときに、夫が、
「何から何まで用意してしまっては、○○さん(ご友人)が自分たちに声を掛けるチャンスを失ってしまう」
と言って、用意はしなかったそうだ。そのご夫婦はツインソウルのご夫婦なので、ご夫婦で自立した関係を築いている。それと同じように、お二人のご友人に対しても、自立した関係を築きたかったのだろうと思う。

 園田が塚原との離婚を決意したことは、塚原を自立させるためにプラスに働いたと思う。相手を自立させることは、愛情がなくなってしまったために相手を自分から切り離すことではない。相手が自分の足で立って歩いて行けるように、愛情を持って突き放し、必要最小限の手を差し伸べることだと思う。

 園田と塚原が離婚したことで、塚原には園田と再び一緒に暮らすという目標ができた。その目標のために、園田はアルコール依存症の方たちが入る病院に入り、アルコールからの依存を断とうとしたように思える。アルコール依存症の方たちが入る病院においても、例えば食事係などいろいろな係を決めて、入院患者を自立させようとしていた。また、退院前に実施される発表のシーンが特にいい。自分がこれまで体験して来たことや感じたことなどを、他の入院患者たちの前で発表するのである。それは、発表する人と発表に耳を傾ける人たちが最も心をオープンにする瞬間でもある。涙なしには語ることのできない特別なシーンである。

 ところで、塚原が何故、アルコール依存症になってしまったのか、本作を鑑賞すれば何となくわかる。私なりに解釈したことだが、塚原が戦場カメラマンの仕事をしていたときに、あまりにも残酷なシーンを目の当たりにしてしまったために、それらの残酷なシーンを脳裏から消し去ってしまおうと、塚原はどんどんお酒に溺れて行ってしまったのではないだろうか。

 やがて塚原は、アルコール依存症の病院を退院することになるのだが、別の深刻な病気も併発していたため、アルコール依存症の病院を退院してもなお、別の深刻な病気の治療に専念するようになる。

 本作を一言で表現するならば、離婚という形を取りながらも、そこかしこに愛が溢れている作品である。もう、その一言に尽きるのだ。もしかしたら、アルコールに溺れる塚原を知っていた人たちから見れば、何故、アルコールとの縁を断ち切ることができないのだろうと不思議に思ってしまうかもしれないが、塚原は愛を感じることのできるセンサーを持ったカメラマンだったからこそ、戦場で体験した悲惨な光景に目を瞑りたくて仕方がなかったように思えるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作では、人気漫画家の園田の役を永作博美ちゃんが、塚原の役を浅野忠信さんが演じています。この二人がまたハマリ役なんですね。ちなみに、映画『毎日かあさん』では、その昔、本当に夫婦だったキョンキョンと永瀬正敏くんがペアを組んでいます。もちろん、私は両方とも鑑賞しましたが、どちらも愛に溢れている作品です。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.03.20

ブリージングストレッチセミナー in 岡山(9)

ホットヨガ(二二八回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。記事をアップしたあと、三宮店でレッスンを受ける二日前に梅田店で六十分の骨盤コースのレッスンを受けていたことを思い出しました。しかし、そのときの記録がどこにも見当たらないため、記事の中でご紹介させていただくことができません。どうやら、記録を取るのを忘れてしまっていたようです。そのため、記事のタイトルを変更させていただきました。ところで、東京電力の福島第一原子力発電所は、まだまだ安全とは言い切れない状況のようですね。テレビのニュースを見ていると、東京電力の福島第一原子力発電所の放水大作戦のニュース以外にも、避難所で生活されている方たちの映像が映し出されたり、大地震発生から九日振りに救出された方がいらっしゃったりと、いろいろな意味で涙なしには見られません。たくさんの救援物資が山積にされていても、ガソリン不足のためにそれぞれの避難所まで届けることができなかったり、医療の場においても薬不足や医師不足などの深刻な問題が浮上してしまっているようです。病院で働くスタッフがオーバーワークになってしまっていることに加え、これまで治療に使っていた医療器具が津波で水に浸かってしまったために、もうその医療機器を使用した治療ができなくなってしまっている病院もあるようです。こういうニュースは、見ているだけでやきもきしてしまいます。明らかに不足している状況に対し、私自身が埋め合わせできないからだと思います。それでは、しばらく時間が空いてしまいましたが、ブリージングストレッチセミナー in 岡山(8)の続きを書かせていただきます。

 体操の実践のあとは、質疑応答の時間となった。何人かの方たちから古久澤先生に向けて質問が投げ掛けられたので、その内容をお伝えしておきたい。Q.の括りが古久澤先生に向けて投げ掛けられた質問で、A.の括りが、質問に対する古久澤先生の回答である。

Q.血栓があるため、医師から処方された薬を服用しています。古久澤先生は薬は飲まないほうが良いとされているので、自分も飲まないようにしたいと思っているのですが、血栓に効くと言われている納豆を食べてもなかなか数値が良くならないので、薬を飲まないことに対し、葛藤があります。

A.深刻な状況にある場合は、薬を飲むのを急に止めるのではなく、自分の日常生活を見直して点検した上で、徐々に止めて行くことを目標にして行くといいでしょう。日常生活を点検すれば、必ず何か問題が見付かるはずなので、点検を強くお勧めします。ちょっと深刻な状況なので、あとで個別におうかがいします。

Q.知人がかなりの甘党で、コーヒーや紅茶にお砂糖を六杯も入れています。どうすればいいでしょうか?

A.糖分を摂り過ぎると頭(精神)に来ます。ひどくなると、自殺願望が出て来たりしますので、早めに対策を練ったほうがいいですね。(質問者によると、実際にそうした傾向もありそうだと言う)こちらも、あとで個別にご相談しましょう。

Q.先生は板の上に寝ていらっしゃるのですか?

A.はい。板の上に寝ています。板の上に寝ると、身体がまっすぐに矯正されます。

 古久澤先生が板の上に寝ていらっしゃるというお話は、これまでにも何度か古久澤先生の発行されているメルマガにも登場している。例えば、こちらこちらなどである。

 古久澤先生曰く、身体の歪みは寝ている間に矯正されているそうで、例えば子供さんが昼間のうちに右回りにぐるぐる回った場合、寝ている間に、今度は左回りにぐるぐると寝返りを打っているのだそうだ。人間には、自分で身体を整える力があるらしい。

 平たい板の上に寝ると、身体の歪みが矯正されるというのは、私自身も日頃から実感していることである。我が家のシングルベッドは、ガンモと二人で寄り添って寝ているためか、ところどころに深く沈み込んでしまう箇所がある。旅行に出掛けて、硬いベッドや畳の上に敷かれた布団に寝ると、翌朝、ガンモは背骨がまっすぐになって気持ちがいいと言って目を覚ますが、私はお腹や背中に痛みを感じて、カメのように起き上がれなくなってしまう。私の場合、筋腫が大きいためにお腹に力を入れることができないので、お腹の痛みをかばおうとするとなかなか起き上がれないのである。おそらく、硬いところに寝ることで、身体の歪みが矯正されてはいるのだろうが、あまりにも身体の歪みが大きいために、痛みを感じてしまっているのではないだろうか。

 Q&Aのコーナーが終わると、大盛況のうちに古久澤先生のセミナーが終了した。その後、会場となった五福座の後片付けに入ったときに、主催者の方のお仲間さんの一人の足に画鋲が刺さってしまい、出血してしまった。すぐにHさんが古久澤先生に知らせてくださり、古久澤先生が怪我をされた方のもとへと駆けつけた。そのやりとりをそっと見守っていると、古久澤先生は、
「これは出してしまってもいい血ですので、思い切って出してしまってください」
とおっしゃった。それを聞いた私は、「あっ」と思った。

 午前中の排泄機能を活発にするために、朝食を果物に変えることを強く推奨されている古久澤先生は、そうすることで、身体の表面に、身体の中から不要なものが出て来るとおっしゃっている。例えば、吹き出物などが最も顕著な例である。しかし、それは、自分の意志でもって朝食を果物に変えたことにより現れた現象である。それに対し、片付けの最中に画鋲が足に刺さってしまうのは、いわば突発的な事故であるとも考えられる。古久澤先生は、それさえも受け入れて、「出してしまってもいい血」と判断されているのである。すなわち、このことを発展的に解釈するならば、身体の中から不要な血を排出したいがために、わざわざ足で画鋲を踏むという突発的な事故を自ら引き起こしたことになるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m Q&Aのコーナーでは、ここにご紹介した以外の質問もいくつか投げ掛けられていたとは思うのですが、メモを取っていなかったため、忘れてしまいました。(苦笑)血栓があるという方の心の葛藤は、私にも伝わって来ました。私自身も同じような問題に直面したときに、普段は西洋医学の取る立場に対して否定的であったとしても、治癒のための近道として、西洋医学による投薬を選択してしまいそうな気がしますね。

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2011.03.19

ホットヨガ(二二八回目)

映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。週末を迎え、多くの企業が休みに入るということと、気温も上昇したことから、計画停電は実施されずに済んだようですね。それに加え、東京電力の福島第一原子力発電所における三号機への放水大作戦も、放水時間を延長して実施され、その結果、かなりの海水が三号機を冷やすために注入されたようです。最初の頃から比べれば、試行錯誤を繰り返し、道具を駆使して、より効率的な放水大作戦が展開されていると考えられます。「三人寄れば文殊の知恵」などということわざにもあるように、みんなで知恵を出し合った結果、より効率的な放水大作戦が実現されたのだと思います。今、これらの知恵は、世界中の人たちに共有され、一緒に経験値を積んでいると感じます。今や多くの先進国が原理力発電に頼っている時代ですので、決してあってはならないことではありますが、今後、同じような事故が万が一どこかの国で起こってしまったならば、まさしく、今、日本で行われているような放水大作戦を通して得た知恵が活かされるときが来るのではないでしょうか。こうして考えると、普段から大きな事件が起こると、マスコミの過剰な報道が問題になったりしますが、本来、マスコミの持つ役割とは、こうした経験値を共有するための媒体になるということなんでしょうね。しかし、そうした目的を通り越して、自分たちだけがスクープを取ろうとして行動したりすると、過剰な報道として叩かれるわけです。それはさておき、気になる空中放射線量ですが、実は私は筋腫を小さくするために、鳥取県の三朝温泉にこもり、十日間ほど湯治をしていたことがあります。その後、自宅のお風呂をラジウム温泉と同等にしようとラジウムボールやラジウム鉱石を購入して、お風呂の中でしばらく使用していました。そのときに、どれくらいの放射線量が出ているのかがひどく気になったので、eBayオークションで海外からロシア製のガイガーカウンター(放射線の測定器)を購入し、放射線量を計測していました。ご紹介したeBayオークションのリンクには、業務向けの本格的な装置も掲載されていますが、私が購入したのは、テレビのリモコンくらいの大きさのものです。これで、空中放射線量を計測することができますので、不安な方は個人で持たれると良いかもしれません。ちなみに、私が自宅でラジウム温泉を目指していた頃の放射線量(マイクロシーベルト/時間)は、自然には太刀打ちできないの記事に掲載しています。効果がないため、現在は自宅のラジウム温泉作りは断念しています。(苦笑)

 二月二十六日の土曜日は、梅田店で六十分の骨盤コースのレッスンを受けた。しかし、私はうっかりしていて、レッスンの記録を残しておかなかったようで、そのときの様子についてお伝えすることができない。(※レッスン後に書いたメモが見付かったので、後日、書かせていただいた。記事はこちら。)

 二月二十八日の月曜日は、仕事を終えたあと、三宮店のスタジオで六十分の骨盤コースのレッスンを受けた。実は、三宮店の三月からの骨盤コースのレッスンスケジュールが変更になり、私が参加できそうなレッスンに限って言えば、日曜日の夕方と火曜日の夜のレッスンになってしまった。しかし、以前も書かせていただいたように、私には日曜日の夕方のレッスンは通いにくい。また、火曜日の夕方も、神戸市内のレディースデイと重なるため、もしも仕事を終えたあとに何か活動するならば、映画鑑賞を優先させたい。そうなると、これからは三宮店でレッスンを受けるのが困難になると思い、その二日前に梅田店でレッスンを受けていたにもかかわらず、月曜日の夜のレッスンの最後となる二月の最終日に三宮店でレッスンを受けることにしたというわけである。

 今回のレッスンの参加者は十一名だった。以前よりも、レッスンに参加される方が確実に減って来ているようだ。やはり、私のようにちょっぴり無理をしてレッスンに通っていらっしゃる方が多かったのだろうか。それとも、骨盤コースのレッスンでは物足りないと感じていらっしゃる方が多いのだろうか。そんな中でも、これまで同じ曜日の同じ時間帯のレッスンでお目に掛かっていたサウナスーツの女性ともう一人の女性は、今回のレッスンに参加されていた。

 ちなみに、三月からの平日の夜のレッスンは、月曜日から火曜日に変更されてはいるものの、レッスンの開始時間もこれまでの十九時半から十九時十分に繰り上げられている。十九時半から行われるレッスンでは、レッスン後にシャワーを浴びて帰り支度を整えたあと、二十一時までに退出しなければ、わざわざ業務用エレベータまで案内してくださるスタッフの手を煩わせてしまうことから、心理的に急かされてしまう。それを考えると、レッスンの開始時間が二十分繰り上がることは、ありがたいことでもある。とは言え、私に限って言えば、三宮まで出るのに一時間弱掛かってしまう職場で働いているために、レッスン時間が二十分繰り上がるとなると、レッスンに間に合うように三宮店のスタジオに入ることができるかどうか不安でもあるのだ。

 さて、今回のレッスンを担当してくださったのは、自分の書いた台本を読むインストラクターである。自分の書いた台本を読むインストラクターは、いつものようにとても堅実なレッスンを展開してくださった。大きなスタジオにわずか十一名の参加者しかいなかったので、広々とスタジオを使うことができた。

 しかし、スタジオ内がそれほど暑くなかったからなのか、今回のレッスンではあまり汗を掻かなかった。それよりも、私はレッスン中にどうしてもトイレに行きたくなってしまい、スタジオを飛び出して、慌ててトイレを済ませてからスタジオに戻った。レッスンの前にトイレは済ませておいたのだが、私の場合、身体の中に冷たいところと温かいところが混在しているためか、ある一定の水分を取ったあと、身体の体温差を感じると、いったんトイレを済ませた直後であってもすぐにトイレに行きたくなってしまうのだ。もちろん、筋腫が大きいために、常に膀胱が圧迫されていることも関係しているのかもしれない。

 三宮店のレッスンでは、鳩の王様のポーズに続く一連のポーズが、南森町店で受けていた頃の骨盤コースのオリジナルのレッスンに近いのがうれしい。ここのところ、週末に梅田店で省略された骨盤コースのレッスンを受けていたので、私は自分の身体を思い切り前後に伸ばしておいた。

 二十一時のタイムリミットが気になっていたのだろうか。レッスンが終わる前に、大半の人たちが途中でスタジオを退出してしまった。いろいろな面から、三宮店で行われている骨盤コースのレッスンは、レッスンが開催される時間帯で損をしてしまっているように思う。

 今回、私は帰り支度を整えて三宮店を退出するのに、二十一時を少し回ってしまった。受付には、以前から良くお話をさせていただいているインストラクターがいらっしゃったので、遂に骨盤コースのインストラクターとしてのデビューを果たしたかどうか、尋ねてみた。しかし、残念ながら、まだデビューを果たしていらっしゃらないそうだ。私は、
「楽しみにしておきます」
と言って、三宮店をあとにした。

 店舗のエレベータは早くも停まってしまっていたので、私は誰もいない従業員用エレベータを操作して、一人で一階まで降りた。二十一時を回って店舗のエレベータが停止すると、スタッフがわざわざ従業員エレベータで案内してくださるのが常となっているのだが、いっそのことそれをやめてしまって、「お帰りはあちらです」と一言案内してくださるだけでも充分なのではないかと思った。というのも、私が二十一時のタイムリミットを気にするのは、決して便利な店舗のエレベータを利用したいからではなく、後片付けで忙しいスタッフに、わざわざ従業員エレベータで案内していただくことが申し訳ないと思うからなのだ。今回は、たまたまスタッフの手が回らずに一人で従業員エレベータを利用することになったわけだが、私にはそれで充分だと思えたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 三月から三宮店のレッスンスケジュールが変わってしまうため、ひょっとするとしばらく三宮店でレッスンを受けられないかもしれないと思い、思い切って今回のレッスンに参加しました。骨盤コースのレッスンに参加されている方たちが少しずつ減って来ているのが気になりますね。また、最後までレッスンを受けずに、レッスンの終わりに行われている瞑想の手前でバタバタと退出されてしまう方が多いのも、やはり二十一時のタイムリミットが設けられているためだと思います。二十一時のタイムリミットを意識することで、帰り支度を整えるのが早くなり、その結果、早く帰宅できることにも繋がるのですが、心理的にはあまり良い状態であるとは言い切れないと思います。とは言え、レッスン開始時間が繰り上がると、今度は仕事帰りに利用し辛くなったりと、そのあたりの加減がなかなか難しいですね。

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2011.03.18

映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』

拮抗するエネルギーの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 被曝(ひばく)の危険にさらされながらも、東京消防庁の緊急消防援助隊も加わって、引き続き放水大作戦が繰り広げられたようですね。その結果、放射線量が下がるなど、少しずつ効果が現れているようです。まだまだ安心できるレベルではありませんが、このまま経過を見守りたいと思います。というわけで、「ガンまる日記」も通常更新に戻らせていただきますね。なお、この三連休とプラス一日の有給休暇を利用して、陸路で北海道旅行に出掛けて行く予定を立てていた私たちですが、購入していた青春18きっぷを活用して地味な普通列車の旅に切り替えることにしました。大地震で被災された方たちのことを思うと、行動を自粛したほうがいいのではないかとも思ったのですが、購読しているメルマガに、「大地震の被害に遭っていない西日本に住んでいる人たちは、今後の日本経済を支えるためにも、これまで通りの生活をしたほうがいいのではないか」と書かれてあり、私もその意見に賛同しました。まだまだご紹介し切れていない旅の記事がたくさん溜まっていますので、旅先でのリアルタイム更新は控えさせていただこうと思っています。それでは、久し振りに映画のレビューをお届けしますね。

 本作を鑑賞したのは、十二月四日のことである。全シリーズを一緒に鑑賞しているガンモとともに映画館に出掛けた。シリーズの中では、本作が一番面白かったと感じて、リアルタイムでは思う存分楽しんだはずなのに、鑑賞してから三ヶ月以上も経ってしまうと、残念ながら、どのようなストーリーだったのかほとんど忘れてしまっている。心に強く響くヒューマンドラマならば、いつまで経っても私の記憶の中に残り続けると思うのだが、この手の作品は、夢中になって鑑賞するものの、時間が経つとあとに残るものが少ないように思う。

 ちなみに、本作はシリーズ最後の作品であり、映画としてはそのパート1となっている。このシリーズの作品で、一つの作品が二部作に分かれるのは初めてのことである。確かに初期の頃から、原作は上下巻に分かれてはいたものの、映画としてはちゃんと一つの作品に仕上がっていたからだ。

 それにしても、これまで特に意識してはいなかったが、最初の作品が公開されてから早くも十年の歳月が流れているらしい。十年も経過したということは、シリーズが始まった頃は小学生だった仲良し三人組も、今では二十歳前後にまで成長したということである。原作者のJ・K・ローリングがこのシリーズの作品を完結させてしまったために、これ以上、映画も製作されなくなるはずなのだが、反対に、このシリーズの作品が『サザエさん』のようにいつまでも完結しなければ、きっと同じキャストで映画を撮り続けることは困難だったことだろう。

 本作では、ハリーを狙うヴォルデモート卿の手下たちの目をごまかすために、仲間たちがハリーに姿を変える。ヴォルデモート卿の手下たちがみんな魔法使いならば、見た目のハリーではなく、中身までハリーかどうかを簡単に見破ることができるのではないかと、マグルの感覚では思ってしまうのだが、どうやらそうではないらしい。そのため、スクリーンには何人ものハリーが一度に現れる。私には、このシーンが最も印象的で面白かった。

 また、仲良し三人組が途中で仲違いしてしまうのも面白い。ロンとハーマイオニーは恋人同士なのに、ハーマイオニーがハリーと仲良くすることにロンが激しく焼きもちを妬くシーンもある。しかし、映像からは、ハリーとハーマイオニーはあくまで男女の友情で結ばれている間柄という感覚が伝わって来る。

 ハリーの宿敵ヴォルデモート卿の姿は、本作ではほとんど映し出されない。おそらく、本格的な対決はパート2に持ち越されるのだろう。ところで、レビューを書くにあたり、映画サイトの情報を参照していてようやく気が付いたのだが、このシリーズでヴォルデモート卿を演じているのは、何と映画『愛を読むひと』で大人のマイケルを演じていたレイフ・ファインズだそうだ。いやはや、これまでまったく気付かなかっただけに、気付いたときの衝撃は大きい。逆に、もしも気付いていたならば、映画『愛を読むひと』をまともに鑑賞することなどできなかったかもしれない。

 本作において、仲良し三人組はヴォルデモート卿の魂が入っているという分霊箱を探す旅に出る。しかし、これがなかなか一筋縄では行かない。ダンブルドア校長の亡きあとで、仲良し三人組はダンブルドア校長の遺してくれたものを手掛かりにしながら、少しずつ前進して行く。亡くなってしまってもなお、彼らを導くように手掛かりを遺してくれているダンブルドア校長の存在の大きさには感心するばかりである。

 一方で、理解できないのがスネイプ先生の立場である。シリーズの最初の頃は、スネイプ先生はハリーと敵対する関係であるかのように描かれていたものの、実際はハリーの味方だった。しかし、前作あたりからはっきりと、スネイプ先生はヴォルデモート卿の手下であるかのように描かれている。とは言え、スネイプ先生の態度には、ヴォルデモート卿の手下であることにほんの少しの躊躇がうかがえる。原作を読んでいないので、パート2でまたまたどんでん返しがあるのかどうか、注目したいところだ。

 全シリーズを劇場で鑑賞しているとは言え、最初に公開されたのが十年も前のことであり、しかも内容もほとんど覚えてはいない。その上、新たな作品が公開されるときには、登場人物らも過去の作品から次第に蓄積され、ストーリーも前作までの展開が大前提となっている。そのため、私のように前作までのあらすじをほとんど覚えていない人たちにとっては、少々難解な作品に仕上がってしまっているとも言える。もしも時間的に余裕があるならば、最後の緊張感を味わうためにも、パート2を鑑賞する頃までには、DVDで過去の作品をすべておさらいしておいたほうがいいのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 普段、私が好んで鑑賞している作品とは異なる分野の作品であるとは言え、シリーズの中で最も面白いと感じた作品のはずなのに、たった三ヶ月で頭の中からその内容が吹っ飛んでしまっているのですから、実に驚きですよね。反対に、この手の作品を普段から好んで鑑賞していて、普段、私が好んで鑑賞しているような作品を鑑賞しても心の中に残らない方もいらっしゃるかもしれませんね。私たち人間は、食べ物と同じように、映画鑑賞や読書においても、自分なりの人生を生きて行く上で必要なものとそうでないものをふるいにかけているのかもしれませんね。

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2011.03.17

拮抗するエネルギー

あとは専門家にお任せしますの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。テレビも通常番組の放送に戻ったようですし、そろそろ「ガンまる日記」も通常更新に戻ろうかとも思ったのですが、東北地方太平洋沖地震のもたらした影響について、もう少し書いておきたいことがありますので、今回もお付き合いください。

 生活のサイクルが変わって来たのか、最近の私は二十二時頃には眠くなってしまう。時には早くも二十一時半頃に就寝してしまうこともあるのだが、その代わり、四時前には起床して活動を始めている。そのため、仕事から遅く帰宅したガンモとは夢うつつの状態で会話をする。〇時頃帰宅したガンモが所用を終えて深夜にシングルベッドに潜り込んで来たとき、私は、
「世の中は陰と陽のエネルギーで成り立ってるはずだけど、核爆発に拮抗するようなエネルギーって何なのかな?」
と言った。核爆発がとびきり陽のエネルギーならば、それと同じくらいとびきり陰のエネルギーを持つものが存在するはずだと考えていたのだ。ガンモは、
「わからないなあ」
と言った。その後、原子やイオンの話になり、眠いながらもむにゃむにゃと会話を続けていた。

 事故のあった東京電力の福島第一原子力発電所に対し、自衛隊や警視庁による空や陸からの放水大作戦が実施された。日本のためであるとは言え、身近に守るべき家族もいるはずの立場にありながら、被曝の恐れのある場所まで出向いて行くのは、どんなに不安だったことだろう。勇敢にも決死の放水大作戦を引き受けてくれた彼らは、慣れない作業でありながらも、核燃料プールに向かって放水してくれた。その結果、これらの放水大作戦は「一定の効果があった」と発表された。この放水大作戦は、今後もしばらく続けられることになるようだ。

 ちなみに、インターネットのニュースサイトで知ったのだが、核爆発を抑える働きを持つ物質は、何と、ホウ酸なのだそうだ。ホウ酸と聞いてすぐに思い浮かべるのは、ホウ酸団子である。ホウ酸は、ゴキブリ退治に効くだけでなく、核爆発を抑える効果もあるということだ。何と活躍の幅の広い物質だろう。核爆発は、普段の生活とはかけ離れたところで起こっている出来事だが、ホウ酸は、ごく身近に存在している物質である。そのような身近なものが核爆発を抑える働きがあると知って、私は驚きを隠せなかった。放水するときには、核爆発を抑えるホウ酸も一緒に投下しておくと、より安全なのだそうだ。

 ところで、東京電力の福島第一原子力発電所の事故を受けて、鹿児島県の市民団体が九州電力に向けて、原子力発電所の即時停止と増設計画の撤回を求める訴えを起こしたそうだ。そのニュースを知った私は、「それはちょっと違うんじゃないかい?」と思った。訴えを起こした鹿児島県の市民団体からすれば、不安材料を根本から断ってしまいたい気持ちがあるのだろうが、現実問題として、今の日本は原子力発電に頼らなければならないほどたくさんのエネルギーを必要としているのだ。その証拠に、福島第一原子力発電所が正常に機能しなくなってしまったために、東京電力圏で多くの世帯が計画停電のために一時的に電気を使えない時間帯があり、大混乱を招いている。原子力発電所の即時停止を願うならば、これらの問題の解決策まで提示して欲しいものである。

 大切なことは、不安材料を根本から断ってしまって新たな不便を生じさせるのではなく、膨大なエネルギーを持つ原子力発電をどのように扱って行くかであるように思う。今回のような大きな事故が発生するまでは、間違いなく原子力発電の素晴らしい機能を活かすことができていたのだ。そのおかげで私たちは、安心してたくさんの電気を使用することができた。まずはそのことに感謝し、高く評価すべきだと思う。世の中に、陽に大きく傾くエネルギーがあるとすれば、それに拮抗するだけの陰に大きく傾くエネルギーが存在するということを知っておくだけでも少しは不安が和(やわ)らぐのではないだろうか。

サンシャイン牧場で「ファイト日本」を植えてみました

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 現状に文句を言うよりも、現状を受け入れ、対処して行くことのほうがずっと難易度の高い選択だと思います。人生全般において、可能性を断ってしまうのではなく、新たな可能性を見出すことにエネルギーを注いで行きたいものですね。それにしても、勇敢な方たちのおかげで、また一つ前進できたように思います。放水作業に参加してくださった方たちに、心からありがとうと言いたい気持ちでいっぱいです。

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2011.03.16

あとは専門家にお任せします

どうなる? 日本の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 東北地方太平洋沖地震が発生してからというもの、私の周りでもいろいろなことが起こっています。またまた些細なことではありますが、そう言えば、迷惑メールが激減していますね。また、登録しているいくつかのショッピング用メルマガも休刊されているため、いつものようにメールを処理する作業に追われることなく、自分の作業に集中することができます。これまで迷惑メールの削除を含めてメールを処理するのに費やしていた時間がどれだけ膨大だったかがわかります。できれば、今のメール量を保ちたい気がしますね。

 今朝、いつものように勤務先への道を急いでいると、仙台市出身の男性社員が私を追い越して行った。その後、勤務先の入口のところで彼に追い付いたので、彼が耳からヘッドフォンを外していることを確認した私は、
「ご家族の方、大丈夫なんですか?」
と声を掛けた。すると彼は、
「多分、大丈夫だと思います」
と答えた。私は、想定外の返答に驚いた。何故、断定ではなく推定なのだろうか。彼の表情は、何とか笑顔を作ろうと努めているかのようだった。ひょっとすると、実際はご家族の方たちの安否確認が取れていないのだろうか。何となく込み入った事情がありそうだったので、私はそれ以上、尋ねるのをやめて自分の席に着いた。

 その後、気になったので、彼の事情を知っていそうな人に朝の彼とのやりとりを話して聞かせた。すると、
「ご家族は全員無事で、何とか連絡も取れてるようだけど、今は避難所にいらっしゃるようだよ」
とのことだった。私はそれを聞いて、客観的に、まずは彼のご家族が全員無事だったことに安堵した。しかし、避難所にいらっしゃるということは、大地震や津波のために住んでいた家が激しく損傷してしまっている可能性が考えられる。そのために、彼は今後のことを思い、複雑な表情を示したわけだ。あの凄まじい状況からすると、せめて命だけでも助かって良かったと思うのは、第三者的な発想なのかもしれない。

 その一方で、私は、東京電力の福島第一原子力発電所で発生した火災のことで頭がいっぱいだった。もしも核燃料が大爆発して、大量の放射性物質が広範囲に広がりでもしたら・・・・・・。そう思うと、私は居ても立ってもいられず、実家の父母やガンモに、もしもこの先何かあったら、docomoの提供する災害用伝言板にメッセージを残すこと、または災害用伝言ダイヤルの一七一に電話を掛けることを提案しておいた。

 また、携帯電話が使えなくなってしまったときのことを考えて、災害時に連絡を取りたい人たちの電話番号を、携帯電話の電話帳の情報を頼りにアナログの手帳に書き出しておいた。普段の生活で携帯電話に頼りすぎているために、電話番号などのデジタルな情報はすべて携帯電話に付属の電話帳で管理していたのだ。これでは、携帯電話が電池切れのときに電話帳の情報を参照することができない。しかし、こうしてアナログの手帳に情報を書き出すことによって、書き出した情報を手掛かりに、伝言サービスを利用して連絡を取り合うことができるだろう。

 仕事中も、福島第一原子力発電所の状況が気になり、アクセス履歴が残ってしまうにもかかわらず、ニュースサイトをちょくちょく見ていた。水曜日は、自宅近くの映画館がレディースデイで映画を千円で鑑賞できるというのに、昨日と同じく映画館に足を運ぶこともせず、まっすぐ帰宅した。

 その帰り道、携帯電話のニュースサイトで、冷却の必要な核燃料プールに陸上自衛隊のヘリから水を投下して冷却する作業が試みられたものの、上空からでは作業員の被曝が避けられないため中止されたというニュースを知った。その作業に期待していただけに私はいよいよ先行きが不安になった。しかし、帰宅して携帯電話のワンセグ機能を使ってニュース番組を見ようとすると、既にほとんどのテレビ局においてニュースの特番が終了し、娯楽番組が放送されていることを知り、拍子抜けしてしまった。燃料プールを冷却できないことは、これまでの状況ほど深刻な問題ではなかったということなのだろう。私は、まるで人々に読み捨てられた雑誌をいつまでも大事に抱えているような気持ちになってしまった。多くの人たちは、早くも次の段階へと進んでいるのである。

 その後、東京電力の福島第一原子力発電所で発生している問題が、既に使用済の核燃料が持っている熱を冷ますことに留まる問題であり、実際に稼動中の原子炉に関わる問題ではないことがわかった。それならば、あとは専門家の方たちにお任せするしかないだろう。原子力発電に関する専門家たちも、海外から日本に駆けつけてくださっているようである。

 それにしても、問題が発生してから命がけで作業に当たってくださっている福島第一原子力発電所で働く東京電力や関連会社の方たちには、本当に頭が下がる思いである。一方で、被曝を恐れた宅配業者が救援物資を運んでくれないという問題も浮上している。仮に、福島第一原子力発電所の問題が落ち着いたとしても、ガソリン不足のために被災地の避難所で生活している人たちのところまで救援物資が行き届かない問題は残ったままである。また、ここに来て、被災地も急に冷え込みが厳しくなり、燃料不足がかなり深刻化しているそうだ。こうして便利な世の中になってしまったからこそ、ひとたび何かが欠けてしまうとなかなかリカバリできない。むしろ、今ほど便利でなかった昔のほうが、いろいろ工夫してやりくりしていたのではないかと思えてしまう。思えば、今ほど便利でなかった昔に行っていた工夫は未来へと向かう前向きの工夫だが、便利な世の中で行う工夫は、過去へと向かう後ろ向きの工夫になってしまうために、ひとたび便利さに慣れてしまうと、なかなか後戻りできないのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m まだまだ課題が山積みの日本ではありますが、少しずつ問題が解決しつつあるのではないかと期待感を持って見守っています。不謹慎かもしれませんが、今、国民の中に一体感が生まれているのに、それが解けてしまうのは寂しい気もしますね。(苦笑)

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2011.03.15

どうなる? 日本

幻の北斗星の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。寝台特急北斗星に乗車できないことなど、本当に些細なことであると断言できるような出来事が、次々に起こっていますね。東京電力に対し、菅総理が怒りを露にしたとのことですが、それでもいいじゃないですか。感情を抑えたままで付き合う相手とは、新たなものは何も生まれません。一国の総理が冷静に対処できていないとの指摘を受けているようですが、血の通ったコミュニケーションという観点で考えると、もっと先に進んで行くには、お互いの感情を交わすことが大切だと思います。

 週明けの二日目、いつものように出勤していると、仙台市出身の男性社員が私をゆうゆうと追い越していった。「あっ! 彼に話し掛けるチャンスだ!」と思いながらも、彼が耳にヘッドフォンを耳に挿して何かを聴いていたので、声を掛けるのをためらった。関西在住の方たちは、相手が耳にヘッドフォンを挿していようが通勤の途中に声を掛けて来るが、私はやはり東京に住んでいたこともあり、躊躇してしまうのだ。

 その後、お昼休みを過ぎてトイレに立つと、彼がオフィスの外で誰かと携帯電話で話をしている姿を見掛けた。ときどき漏れ聞こえて来る会話の内容から想像すると、どうやら相手は仙台市出身のご友人で、自分たちの周りで誰も亡くなった人がいないということをお互いに前向きにとらえている様子だった。もしかすると、ずっと連絡が取れなかった友人とようやく電話が繋がったのかもしれない。それを聞いた私は、ひとまずほっと胸を撫で下ろした。

 とは言え、今日も重要なニュースが入って来た。東京電力の福島第一原子力発電所でまたもや火災が発生し、超高濃度の放射線が計測された。その影響で、首都圏でも一時的に通常よりも高い放射線量が計測されたと聞いて、果たして私は、このまま自分がオフィスで仕事を続けることに意味があるのだろうかと思い始めた。私はそれほど放射線に関して詳しいわけではない。しかし、日本は本当にこのままではいけないと感じて、それ以上、仕事に集中できなくなってしまった。何とかしなければ・・・・・・。

 火曜日は、神戸市内の映画館がレディースデイであるために、女性は映画を千円で鑑賞できるのだが、映画を鑑賞する気にはなれず、映画館には立ち寄らずにまっすぐ自宅の最寄駅へと向かった。すると、自宅の最寄駅の改札口で、五月に大阪駅にオープンするという新しいビルの宣伝のためにビラ配りをしている男女に出会った。この人たちの頭の中には、東北地方太平洋沖地震のことも東京電力の福島第一原子力発電所の状況のことも占めてはいないのだろうかと思うと、同じ日本人として無性に腹が立った。こんなときに良くもまあ、五月に大阪駅にオープンするという新しいビルの宣伝などできるものだと、彼らの活動が非常識に思えて仕方がなかったのだ。

 そして、「ガンまる日記」の記事を下書きしているうちに、ほんの少しだが我が家が揺れた。またもや地震のようである。地震情報に注目していると、静岡県東部で震度六強の大きな地震があったようである。この地震による被害の大きさはまだ把握できていないが、震度六強というと、先日の東北地方太平洋沖地震で東京を襲った震度よりも大きいのではないだろうか。

 それに加え、東京電力の福島第一原子力発電所がかなり緊迫した状況にある。次々に押し寄せて来る地震、そして津波発生の恐怖、原子力発電所から漏れ出す可能性のある高濃度の放射能、計画停電による混乱、足りない生活用品・・・・・・。ああ、これからの日本は一体どうなるのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 静岡県東部で震度六強の大きな地震で被災された皆さん、心よりお見舞いを申し上げます。これから底力を振り絞って頑張って行こうとしているときに、次々に災難が降りかかっています。福島第一原子力発電所の状況はかなり深刻ですね。これまでほとんど意識していなかったことを意識せざるを得ない状況になって来ています。どうか日本が今の危機を乗り越えられますように、願いを込めて。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.03.14

幻の北斗星

の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。記事の中で私が伝えたかったことが、誤解なく皆さんに伝わっていることを強く望みます。伝えたかったことを更に発展させると、各国から続々とレスキュー隊がやって来るほどの大きな感動だけを、あたかも上澄み液のように味わうことはできないのではないかということでもあります。ありとあらゆることが表裏一体で起こっていることを受け入れ、暗闇の中にあっても光を見出だせるように想いをこめました。さて、また新たな展開があったようですね。どういうわけか、菅総理よりも、枝野官房長官の対応に好感が持てます。菅総理はもともと眠そうな顔立ちの方ですが、枝野官房長官は寝不足で眠いはずなのに、しっかりとした受け答えをされていますね。マダム・タッソーろう人形館にろう人形が飾られるのは、枝野官房長官のほうかもしれません。(苦笑)

 これまで東北地方太平洋沖地震について、自分なりに思うことを綴って来たので、今回の記事では個人的なことを書いてみたい。

 週が明けて、再び仕事が始まった。関東地方では計画停電が実施され、一部の鉄道しか運行されていなかったりと、大きな混乱を招いたようである。私の勤務先では、本社や一部の事業所が午前または午後というまとまった時間で勤務免除となった。一方、関西地方はというと、まるで世間から取り残されたかのように普段と変わりない日々を送っている。

 そんな中でもひどく気になっていたのが、やはり仙台市出身の男性社員のご家族の安否である。彼はいつも、私が出勤する時間帯に、のろのろと歩いている私を後ろからずんずん歩いて追い越して行く。私は、いつものように彼が私を追い越して行ったならば、それは彼のご家族がご無事だったことを意味しているのだろうと期待しながら、いつもの道を歩いていた。しかし、私を追い越す彼の姿は見えなかった。

 聞いた話によると、彼のご家族は大変な状況にあるらしい。彼は出勤していなかったが、午後になって出勤して来た。ご家族のことがどんなに心配だったとしても、交通事情により、仙台まで移動できるかどうかわからないので、ひょっとすると、やりきれない気持ちを抱えながら神戸で週末を過ごしたのかもしれない。とは言え、出勤できる状況にあるということは、最悪の事態には至っていないと考えていいのだろうか。彼とはプロジェクトが異なるため、なかなか話をする機会がなく、勤務時間中には確認することができなかった。

 大地震が発生してからというもの、私の周りでもいろいろなことが起こっている。どれもほんの些細なことで大変申し訳ないのだが、一つは、ガンモの携帯電話に国際電話が掛かって来るようになったことである。それも、短期間のうちに二回もである。

 一回目は国番号八十六の中国本土からで、二回目は国番号六十のマレーシアからだった。どちらも知らない電話番号だったので、ガンモは海外からの着信ということに恐れおののいて、電話には出なかった。いつも私よりもTOEICで高得点を取っているのだから、電話に出て英語を話せばいいのにと思う。イギリス英語で応答するならば、"Wrong line."、アメリカ英語で応答するならば、"You had wrong number."でいいのではないだろうか。それにしても、何故、ガンモの携帯電話に海外からの着信があったかを考えてみたのだが、ひょっとすると、日本で大地震が起こったことが世界中で大きく取り上げられているために、誰でもいいから日本の誰かの携帯電話に電話を掛けてみて、状況を確認しようとしているのかもしれない。

 ところで私たちは、今度の三連休に有給休暇を一日足し込んで、陸路で行く北海道旅行の計画を立てていた。以前から、寝台特急が大好きな私たちだが、突然、寝台特急に乗りたくなり、寝台特急北斗星を利用する旅を東京のツアー会社に頼んで予約していたのだ。ご存知のように、寝台特急北斗星は東京の上野駅から発着するため、関西地方に住んでいる私たちからすると、なかなか乗車する機会のない寝台特急である。

 最初は、寝台特急カシオペアに乗車して北海道まで行きたいと思っていたのだが、豪華車両の寝台特急カシオペアはあまりにも高価で手が出ず、また、切符もなかなか取れないことから、寝台特急北斗星の旅にターゲットを絞ったのである。ところが、駅の窓口で空席確認を行っても、既に満席と言われてしまったため、インターネットで検索して、ようやく座席を確保できると言ってくれた東京のツアー会社を見付けて予約したのだ。とは言え、もはや寝台の個室は取れず、開放寝台のしかも喫煙車両しか取れなかったが、それでも私たちは、寝台特急北斗星に乗車できることを心待ちにしていた。おまけに寝台特急北斗星の食堂車も予約が取れ、フランス料理よりも二千円ほど安い懐石料理ではあるものの、寝台特急北斗星に乗車して食堂車で優雅に夕食をとることを夢見ていたのだ。

寝台特急北斗星の寝台券と乗車券

寝台特急北斗星の食堂車券

 しかし、東北地方太平洋沖地震が起こり、凄まじい映像を目の当たりにすると、とてもこのような地域を通り越して北海道までは行けないと感じた。私たちがそう感じるとともに、鉄道の復旧のめども立たなくなってしまったので、私たちは心理的にも物理的にも寝台特急北斗星には乗車不可能になった。そこで、ツアーを申し込んだ東京の旅行会社に電話を掛けて、ホテルも含めたすべての切符の払い戻しの手続きを取った。旅行会社の話によれば、手元に届いたチケットを簡易書留で返送して欲しいとのことだった。そこで、返送する前に、せめて切符だけでも記念撮影しておこうと思い、切符を並べて撮影したわけである。

 憧れの寝台特急北斗星に乗車できないのはとても残念だが、被災された方たちが直面されている状況に比べれば、持ち出すのが恥ずかしいくらいの些細な話である。いつか改めて寝台特急北斗星に乗車できるときが来たときには、きっと今回の東北地方太平洋沖地震のことを思い出すことだろう。そのときには、被災された方たちにも笑顔が戻っていることを願うばかりだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たちのように、今度の連休を利用して陸路で北海道方面に向かう計画を立てていた方もいらっしゃるかもしれませんね。被災された方たちが体験されたことに比べれば、本当に取るに足りないことかもしれませんが、東北地方太平洋沖地震は、実に様々なところに爪あとを残しているようです。引越を控えている友人は、今回の大地震により、引越屋さんが手一杯で荷物を運んでもらえそうにないらしく、自分自身で何とかして引越を進めようとしています。また、計画停電の影響で仕事にならない人たちもたくさんいらっしゃるようですね。でも、どん底の中からでも何とか這い上がって行かなければなりません。私日本人の底力が問われるときだと思います。

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2011.03.13

ソフトウェア技術者として思うことの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 避難所に掲げられている掲示板やインターネット上に公開されている行方不明の方たちの情報を、時間をかけてデータベースなどを使って地道に管理することで、正確な安否確認が可能になるのではないかと思います。そうした情報整理は、現地にいなくてもFAXやインターネットを駆使すればできる作業なので、例えば遠隔地にいる求職中の方たちに政府や自治体などがお給料を払って実践してもらうという手もありますよね。そんな中で、行方不明者の情報が、今度は警察に集められるというニュースを拝見しました。行方不明者の情報は、一箇所に集められるのではなく、反対にどんどん分散化が進んでしまっているように思います。情報を一箇所に集めて適正に管理することが大切なのに、分散化が進んでしまっていることがとても残念です。

 どんな悲惨な状況の中にあったとしても、そこに感動はある。各国から次々にレスキュー隊が到着し、大地震で被災された方たちの救助や避難所への救援物資の配給に当たり始めた。自らの生命にさえ危険を及ぼす可能性のある人命救助の作業は、日頃から訓練を積んだ人たちでなければ難しい。今、日本には、そのように訓練された人たちが各国から続々とやって来ている。聞くところによれば、世界の数十ヵ国から、こうしたレスキュー隊の派遣の申請があったそうだ。有り難いことである。

 救助され、大地震発生以来、初めて顔を合わせる家族や友人、知人たちと抱擁を交わす人たちの姿もある。外国には、日常的に抱擁を交わすシーンがあるが、日本では余程のことがない限り、誰かと抱擁を交わしたりはしない。しかし、大震災を経験された方たちの間には、ごく自然な形で親しい人たちと再会したときに抱擁が行われている。そこには、日本人特有の恥ずかしさはない。離れ離れになっていた家族との再会を果たし、例え住む家がなくなっていたとしても、
「生きているだけでいい」
とここに生きている喜びの声を漏らした人もいる。

 被災地ではない場所にいる私たちが、ニュースという映像を通してこのようなシーンを見るということは、私たちが生きて行く上で最も大切なものは何であるのかを擬似体験させてもらっていることになる。それは、究極的な状況でなければ体験することができないような、ある意味、貴重な出来事でもある。

 しかし、その一方で、テレビという娯楽から遠ざかってしまったことに対し、退屈な気持ちを露にする人もいるようだ。テレビが大地震の報道特番で埋め尽くされているために、どうやら変化を求めているようなのだ。世界各国から次々にレスキュー隊が到着しているというのに、同じ日本に住む日本人が、大地震に対して無関心であるというのは、恥ずかしいものである。

 そんな中、東京電力圏内で、早くも十四日から、一日三時間から最大六時間程度の計画停電が実施されることになった。原因は、東京電力の発電所が相次いで停止したためである。正直言って、これはかなりの混乱を招くことだろう。停電中は電車も止まり、発電機のない信号機も止まる。街も屋内も暗くなる。生命に関わる医療器具はどうなるのだろう。国民に充分な備えもないまま、計画停電が実施されようとしているが、見方を変えると、半ば強引ではあるものの、政府の対応の早さに感心する。混乱は避けられないかもしれないが、そんな中からも、新たな秩序が生まれることを期待したい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 大地震の発生から丸二日が経ちましたが、慌しい状況の中にあっても、次々に新しい対策が練られ、実践されているようですね。これらの経験を通して、私たちは、何が一番大切なことであるかを間違いなく体験させられているように思います。うまく言えませんが、普段から、色を重ねるかのごとく、いろいろなことが層になって起こっているように思います。層の中では、ネガティブとポジティブが必ずセットになっています。そして、何らかの事情で層が変わり、普段は起こり得ないようなことが次々に起こっているように思います。

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2011.03.12

ソフトウェア技術者として思うこと

 普段はほとんどテレビを観ない私も、先日機種変更をしたばかりの携帯電話がワンセグ携帯なので、テレビの報道特番やインターネットから配信されている海外のニュース番組に釘付けになっている。被害の状況は想像をはるかに上回るもので、新しいニュースが伝えられる度に悲惨な状況に胸を痛めている。自分に何ができるかを模索する中で、今回は、伝えられるニュースの中で気になったことを、ソフトウェア技術者という立場から書いてみたいと思う。

 まず、これほどの情報化社会であるにもかかわらず、いくつもの情報の関連付けが行われていないことを残念に思う。被災者の方たちが知りたいのは、離れ離れになってしまっているご家族や友人、知人たちの安否に関する情報だろう。それなのに、災害情報の掲示板などがあちらこちらに分散されていて、本気で誰かを探したいと思ったら、複数の災害情報の掲示板にアクセスして検索しなければならない。

 私は利用していないので詳しいことはわからないのだが、最近流行りのTwitterというサービスから、他のつぶやきサービスにも同時に書き込みができるようになっているらしい。あるいは、Twitter以外のつぶやきサービスから、自分のTwitterのアカウントに書き込みができるようだ。このようなことが実現できるならば、複数の災害情報の掲示板に書き込まれた情報を一箇所にまとめることができるのではないだろうか。すなわち、どの災害情報の掲示板にアクセスしたとしても、同じ情報を参照できるという仕組みが最も望まれているのではないかと思う。そうでなければ、せっかくの情報があちこちに溢れ返るばかりで、意味をなさなくなってしまう。

 とは言え、大地震発生当初から、携帯電話が通じにくくなったり、メールの配信も遅延したりしているようである。これほど携帯電話が普及しているはずの世の中なのに、いざというときに携帯電話が通じないのは不便なものである。今後、強く望まれる携帯電話とは、緊急時にも通じる携帯電話だと思う。そのためには、日頃から最大限の稼働率でシステムを稼動させるのではなく、災害発生時などの携帯電話の需要の多いときに、稼働率を自動的に拡張させられるようなシステムを組み上げておくことが必要であるように思う。コンピュータの世界において、障害が発生したときのために代替サーバとして待機しておくサーバが用意されている場合があるが、これの応用で、障害が発生したときにのみ自動的に拡張されるサーバを仮想サーバとして用意しておけば、運用コストもそれほど掛からないのではないだろうか。

 しかし、携帯電話を使う以前に、電気が足りていないという実情もある。鉄道会社も、電力会社からの電気の供給待ちのために停まっているらしい。それに加え、東京電力の福島第一原子力発電所で爆発事故があった。原子炉の熱を除去するために継続的に水を供給し続けなければ、炉心溶融と呼ばれる核燃料の一部が溶け出す現象が発生して、多くの人たちが被爆する恐れがあるという。多くの電力を供給するために、原子力発電所を設けてまかなっているわけだが、多くの電力をまかなうには、それだけの危険性も伴うということなのである。考えてみれば、私たちは、常に多くの電力が供給されることに甘えてしまっている部分もあるように思う。福島第一原子力発電所の爆発事故について記者会見を行った枝野官房長官は、国民に対し、節電を呼び掛けていた。

 ちなみに、節電に関するチェーンメールが飛び交っているようだが、関西電力圏に住んでいる私のところにも、以下のような節電を呼び掛けるチェーンメールが届いた。

■お願い■

関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、本日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。

一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!

こんなことくらいしか関西に住む僕たちには、祈る以外の行動として出来ないです!

このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!

 実際は、六十キロヘルツから五十キロヘルツに変換するときに多くの電力が失われるため、関西電力圏の人が節電しても、あまり力にはなれないらしい。また、関西電力も、チェーンメールで協力を呼び掛けるようなことはしていないと自社のホームページで明言している。ちなみに、このようなチェーンメールが増えると、携帯電話やインターネット上に多数のメールが流れることになるため、本当に連絡を取りたい人が連絡を取り辛くなってしまうという意見もある。実際、私自身も、今回の大地震が発生してから、メールの遅延が発生するという状況に直面している。ただ、節電については、今回のような大地震という状況でなくても、日常的に必要なことだと思っている。

 ニュース番組を見ていて不思議に思ったのは、食料や毛布が足りていない避難所がいくつもあるということだった。情報だけでなく、救援物資についても、必要なときに必要なものを届けるということがまだまだ実践されていないようである。取材陣が、そのような避難所まで足を運んでいるというのに、救援物資も届けずに取材しているというのが何とも理解できない。彼らにとっては取材をすることが仕事であり、救援物資を運ぶのは担当外ということなのだろう。寒い東北地方で電気も通じず、食べ物もなく、毛布も足りていない状況がどれだけ辛いか、私には想像もつかない。しかも、これまで住んでいた家が地震や津波により破壊されてしまっている場合、避難所生活を終えたとしても途方に暮れるばかりなのだ。

 そんな状況にあっても、冷静に見守ることができるのが、菅総理のご活躍ぶりである。兼ねてより、私は、日本にリーダーが誕生しないことを嘆いていた。それは、去年の夏休みにオランダのアムステルダムでマダム・タッソーろう人形館を訪れたときに強く感じたことでもある。世界中の著名人の蝋人形が並べられる中で、日本人の蝋人形が一体も確認できなかったのだ。しかし、今や菅総理のご活躍ぶりは、全世界のニュース番組で流れている。もしも菅総理がこれからの日本を引っ張ってくださったならば、日本だけでなく、世界に認められる総理大臣になれるかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 願いも空しく、新しい情報が入る度に被害者の方たちの数が拡大していますね。この先、余震が落ち着いたとしても、課題は山積だと思います。被災地の方たちもそうですが、日本のリーダーとなるべき方たちも、充分な睡眠時間を確保できていないのではないでしょうか。自分が政治に携わらないのに、いつも文句ばかり言っている国民ではありますが、彼らの頑張りが、いつか国民に認められる日も近いような気もしています。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.03.11

東北地方太平洋沖地震に思うこと

ブリージングストレッチセミナー in 岡山(8)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m まずは東北地方太平洋沖地震の被害に遭われた皆さま、心よりお見舞い申し上げます。と言は言うものの、このような状況のときに暢気にブログを読んでいる場合ではないだろうと思います。最も大変な方たちには届かないかもしれませんが、巨大地震に対する今の想いを書かせていただきたいと思います。

 私が今回の地震の第一報を知ったのは、十五時を回った頃だった。仕事中、上司のまた上司がマイクを手に持ち、オフィスで仕事をしている人たち全員に語りかけたのだ。それによると、東京の本社から連絡が入り、宮城県で大きな地震があった影響で、東京の本社も大きく揺れて、これから避難することになるかもしれないとのことだった。そのため、仕事で関連のある本社の人たちと連絡がつかなくなる可能性もあるという内容だった。

 宮城県で大地震と聞いた私は、同じ職場で働いている仙台市出身の男性社員の様子を見守った。彼はまだことの大きさを理解していなかったのか、暢気に十五時から始まるリフレッシュ体操をして身体を動かしていた。私の職場では、毎日十時と十五時にリフレッシュ体操の音楽が流れ、音楽に合わせて身体を動かすことになっているのだ。私は、自分の席の近くに座っている別の男性社員に、
「○○さん(仙台市出身の男性社員)、体操なんかしてますけど、いいんですかね」
と言った。すると、それを聞いた私の席の近くの男性社員は、
「体操をして、平静を保とうとしているのかも」
と冗談を言った。

 そう、この時点ではまだ冗談を言うことができたのだ。宮城県で大きな地震があったと聞いてから、私も含めた何人かの人たちは、仕事中にインターネットのニュースサイトにアクセスして、地震の状況を把握しようとしたようだ。私の働いている職場では、一人一人のインターネットのアクセス状況が履歴として残されるため、仕事中に仕事に関係のないサイトにアクセスするようなことはほとんどしない。しかし、それも時と場合によりけりである。

 私は、ニュースサイトの情報から、一番大きく揺れた地域が宮城県の栗原市であることを知った。栗原市と言えば、二〇〇六年にガンモと一緒にくりはら田園鉄道(通称:くりでん)を乗り潰すために出掛けたところである。一度でも足を運んだ場所が大地震でめちゃくちゃになっているかと思うと、胸が痛んだ。

 また、この地震が日本の広範囲に影響を及ぼしていることを知った。東京でも震度五強だったと聞いて、東京の友人は大丈夫だろうかと心配になった。そして、
「東京の友人が心配だから、メールを送って来る」
と隣の席の派遣仲間に宣言して席を立ち上がると、女子トイレにこもり、携帯電話からメールを送った。

 席に戻ってみると、オフィスの奥のほうから、ニュース番組の音声がかすかに聞こえて来た。見ると、仙台市出身の男性社員が、上司の持っているワンセグ携帯の画面を心配そうに見つめている。しばらくワンセグ携帯の画面に見入っていた彼は、やがて自席に戻ったようだ。しかし、周りにいた他の社員の方たちも彼のことが心配だったようで、引き続きインターネットのニュースサイトなどで大地震の状況を確認していたらしい。

 私はというと、仕事が立て込んでいたので、パソコンの画面を見つめながら黙々と仕事を続けていた。それでもやはり、仙台市出身の男性社員のご家族の安否がひどく気になった。男性社員の口からは、家族と連絡が取れないという声も聞こえて来た。

 それから終業時間まで、仙台市出身の男性社員やその周辺にいる社員の方たちは、引き続き、大地震の状況を把握しようとインターネットのニュースサイトにアクセスしたりしていたようだ。途中、仙台市出身の男性社員から、
「この状況は、かなりやばいかも」
という声が聞こえて来た。そのときはわからなかったのだが、おそらく大津波の映像を見ていたのではないだろうか。

 終業のベルが鳴ったので、私は帰宅することにした。金曜日の夜は、たいていレイトショーに足を運んでいるのに、この日はたまたまレイトショーを予約してはいなかった。職場を去るときに、しばしば話をする警備員さんと、大地震の話になった。警備員さんの話によると、大津波が発生して、自動車が流され、プカプカ浮いていたこと、千葉でもコンビナートが燃えているとのことだった。阪神大震災よりも大きな規模の地震であることも、そのとき初めて知った。

 私は、大きな地震が発生したことを知りながらも、理性的に仕事を続けていたために、地震に関して大まかな情報しか把握していなかった。しかし、今になって思えば、それは無関心にも相当する行為だったのではないかと思っている。

 東京の友人から返って来たメールによれば、都内の交通機関がストップしているために、ひたすら歩いているとのことだった。ひとまず友人の無事を確認することができて良かったが、こういうときはメールではなく、電話を掛けたほうが良かったのかもしれない。とは言え、地震が起こった時間帯は、多くの人たちが勤務中だったことだろう。そうなると、発信する側も私用の電話を控えたくなるだろう。何故なら、着信する側は、大事な会議をしているかもしれないからだ。実際、そんな遠慮が働いたのも事実である。

 警備員さんと話をしたあと、ガンモに電話を掛けてみると、ガンモは地震のために発生したトラブル対応に追われていた。更に、実家に電話を掛けてみると、大地震発生直後からテレビを観ていた母が、今回の地震の恐ろしさを伝えてくれた。やはり多くの人たちが、ほぼリアルタイムでテレビなどで大地震の状況を把握していたようである。

 職場の最寄駅から地下鉄に乗ると、私の隣に座った女性が携帯電話で誰かと話を始めた。その女性は、ゆうべ、たくさんのお墓が目の前に浮かぶという奇妙な夢を見たと言う。夢から覚めた直後は、自分が何故、そんな夢を見たのかわからなかったが、こういうことが起こる前触れだったのだろうかと電話の相手と話をしていた。

 金曜日の夜なのに、私はまっすぐ帰宅して、今回の大地震についてずっと考えていた。そして、世界は日本をどのように見ているのだろうと思い、イギリスのBBCのサイトや同じくイギリスのニュースサイトにアクセスしてみた。やはり、どちらも日本で起こった大地震のことを大きく取り上げていた。

 大地震が発生してから、いくつものメールを受け取った。友人たちと交わすメールにはちゃんと心が通っていたが、中には大地震が起こる前に配信予約されたであろう何通かのメルマガが機械的に届いた。例えメルマガを配信しているのが企業であったとしても、こういうときに大地震についてのコメントを一言でも寄せられるかどうかで、企業としての器を問われるように思う。

 感動したのは、私が購読している英語学習関連の二つのメルマガに書かれていた内容である。そのどちらも、私が英語教材を購入したり、英語学習のノウハウを購入したりした英語の達人の方たちが発行されているメルマガである。あるメルマガ発行者は、英語学習のための教材を通じて多くの人たちと繋がっているために、大地震の影響がどこまで及んでいるのか、心配でたまらないといった様子だった。そしてもう一人のメルマガ発行者は、大地震の影響で連絡が取れなくなっている方たちのために、お互いに連絡を取り合う災害伝言サービスなるものをメルマガの中で紹介してくださった。多くの人たちと繋がりを持っている立場で、このようなことをすぐに実践できる人たちと、メルマガを淡々と機械的に配信する企業の対応を見比べることで、私自身がどうありたいかを考えるきっかけになったと思う。単におろおろするだけではなく、小さなことであったとしても、何かできることがあるのではないかと思う。

 まだまだ大地震の与えた影響の全貌は明らかにはなっていないが、これ以上、被害が拡大しないことを祈るばかりである。

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2011.03.10

ブリージングストレッチセミナー in 岡山(8)

映画『レオニー』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m こういう作品を鑑賞すると、お互いに与え合うことのできる男女関係はとても珍しいのだとわかります。レオニーとヨネ・ノグチは正式な夫婦ではなかったのでしょうが、ヨネの書いた英語の詩や文章にレオニーが手を入れることでヨネの本が世間に認められ、売れたということからすると、レオニーのほうが一方的にヨネに与えていたものが多かったのではないかという気がしますね。それでは、ブリージングストレッチセミナー in 岡山(7)の続きを書かせていただきます。

 古久澤先生がひととおりお話をされたあとは、セミナーの参加者全員で体操の実践に入った。以前も書かせていただいたように、今回のセミナー会場となった五福座はとても寒かったので、体操で身体を動かすと身体が温まって来るのではないかという期待感があった。

 体操の実践に入ると、当然、これまでメモを取り続けていた筆記用具を置くことになるので、すべての体操を鮮明に思い出すことができない。覚えている限りで書かせていただくと、ヨガの三角のポーズのように、身体の側面を思い切り伸ばし、深呼吸をしたときに、身体の側面にも空気が行き渡るようなストレッチを行った。

 また、手の長さや足の長さが違う場合の矯正なども簡単にできるとレクチャーを受けたのだが、ここに正確に記せるほど内容を覚えてはいないのが残念である。セミナーに参加されている方たちにモデルになっていただいて、古久澤先生がセミナー参加者の前でレクチャーしてくださったのである。とは言え、体操の内容をすっかり忘れてしまってもいいように、四月になると、古久澤先生の体操の本が出版されるそうだ。その本の中には、今回のセミナーで実践した体操も含まれているらしい。

 私がはっきりと覚えているのは、骨盤の歪みを矯正するという体操である。仰向けに寝転がり、まずは両足を立てて、両方の手でそれぞれの足首を掴んで手前に引き寄せたあと、片方の足を内側に捻(ねじ)る体操である。そのとき、足の外側が張ると食べ過ぎの警告らしい。片方の足が終わると、続いてもう片方の足も行う。私はやはり、左の足をねじるときに痛みを感じた。私は早速、この体操を、ホットヨガのレッスンの前にヨガマットの上で行う体操として実践させていただいている。

 古久澤先生の体操は、一人で行うものもあれば、他の参加者の方と組んで行う体操もある。去年の神戸セミナーのときは、会議室で行われたので、誰かと組になって体操を行うことはなかったのだが、その神戸セミナーの数ヶ月前に行われたもう一つの神戸セミナーは身体を動かせる場所で行われたので、その場で出会ったばかりの方と組になって体操を行った。二人で行う体操は、二人が同時に同じことをして引っ張り合ったりするのではなく、片方が完全に受身になり、もう片方が能動的に働き掛けるようになっている。分かり易く言えば、片方は施してもらう方、もう片方は施す方、ということになるだろう。今回、私は、去年の神戸セミナーでお目に掛かったHさんとパートナーを組ませていただいて、体操の実践に及んだ。Hさんは、普段から古久澤先生の体操教室に通っていらっしゃるだけに、とても慣れていらっしゃった。

 古久澤先生のセミナーに参加して思うことは、他の参加者の方たちとの距離が近くなることである。私が最初に参加した神戸セミナーは、マンションの一室というこじんまりとした空間で行われたのだが、そこでは自分が呼んで欲しい名前をシールに書いて、名札代わりに服の上から胸に貼り付けていた。その次に行われた神戸セミナーでも同様だった。また、体操の実践では他の参加者の方と組むことになるため、そこでコミュニケーションが発生する。こういうところは、常に自分一人だけの世界を守り続けるホットヨガのレッスンとは大きく異なっているところである。

 ところで、今回実践した体操の中で、やはりホットヨガの骨盤コースのレッスンでも実践している体操があった。それは、私が最初に参加した神戸セミナーでも実践した体操なのだが、四つん這いになったあと、伸ばしている左手の間に右手を通して、そのまま頭や右肩を床に落として身体をねじる体操である。左手の間に右手を通したあとは、反対側も同じように行う。私はこの体操で、足が浮いてしまっていたらしく、Hさんが浮いていることを指摘してくださった。私としては、足が浮いてしまっていることを特に意識してはいなかったので、おそらく私の身体は、この体操をしたときに足を浮かせなければならないほどの歪みがあるのだろうと感じた。

 有り難いことに、こうして体操で身体を動かしているうちに、だんだんと身体が温まって来たのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 体操の内容を詳細にお伝えすることができなくて申し訳ありません。(苦笑)おそらく、その体操を実践することで、身体のどこに働きかけているかを理論的に理解することができれば、体操の内容をあとから組み立てることも可能なんでしょうね。今はそれが難しいので、四月に発売されるという古久澤先生の体操の本に期待したいと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.03.09

映画『レオニー』

平日の夜の美術館の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 美術館で絵画を鑑賞すると、この作品は本来、どこに飾られるべきなのだろうと考えてしまいます。絵を描いた画家たちは、その絵が将来、どこかの美術館に収められることを強く望んでいたのでしょうか。それについては良くわかりませんが、絵が美術館に収められてしまうと、例えそれが特別な一枚であったとしても、美術館にある数多くの絵の中の一枚に収まって埋もれてしまうような気がします。絵がいつまでも、とっておきの一枚であり続けるには、美術館ではない場所にあったほうがいいように感じられるのです。

 本作を鑑賞したのは、十二月一日のことである。ようやく、十二月に鑑賞した作品のレビューに入ったというわけだ。私はイサム・ノグチという彫刻家を良く知らないのだが、本作は、波乱の人生を生き抜いたイサム・ノグチの母レオニーの物語となっている。

 のちにイサム・ノグチの母となるレオニーは、日本人であるヨネ・ノグチとアメリカで出会い、ヨネが英語で書いた詩や小説の文法や表現などをチェックする編集の仕事でヨネとパートナーを組むようになる。やがて二人は恋に落ちて、レオニーは妊娠するのだが、ヨネはレオニーを残して日本に帰ってしまう。その後、ヨネにより日本に呼び寄せられ、アメリカで出産した息子とともに日本にやって来たレオニーだったが、ヨネには何と、日本人の妻と子供がいることが発覚してしまう。

 いやはや、日本人として、アメリカ人のレオニーに謝りたくなるような展開である。決して、すべての日本人男性がヨネのようなタイプの男性ではないと弁明したい。むしろ、ヨネのように何でも欲しがろうとする日本人男性は珍しいと言えるだろう。とは言え、芸術は、既成概念という枠からはみ出たところで生まれるので、レオニーがこのような厳しい状況に放り出され、波乱万丈の人生を歩むことになったからこそ、息子であるイサム・ノグチがのちに彫刻家として活躍することができたのかもしれないとも思う。

 それでも、レオニーと同じ女性という立場から見ると、イサム・ノグチの父であるヨネ・ノグチの態度には、同じ日本人である私でさえも腹が立って来る。裕福な環境で育ったヨネは、常に足ることを知らず、そこにあるものには満足せずに、次々に新しいものを求めようとする。きっと彼は、金銭的には恵まれていたとしても、決して幸せだったとは言い切れないのではないだろうか。何故ならヨネは、常に心が満たされていなかったはずだからだ。そんなヨネとレオニーがうまく行くはずもなく、レオニーは日本で英語の個別レッスンを請け負いながら、何とか生計を立てて行く。もちろん、子供を連れて異国の地で暮らすのは、並大抵のことではなかったはずだ。

 苦境に立たされながらも、レオニーは日本において重要な人物との出会いを果たす。例えば、小泉八雲の妻セツに助けられたり、レオニーの英語のレッスンを受けていた裕福な男性からも、金銭的な援助があったことがそれとなく感じられる。それらの有り難い出会いが用意されていたことが、本作を鑑賞する上での精神的な救いとなることは間違いない。

 また、レオニーは息子のイサム・ノグチをアメリカで勉強させるためにアメリカに送り出すものの、第一次世界大戦が勃発してしまい、アメリカにいるはずのイサム・ノグチとしばらく音信不通になってしまう。その間、イサム・ノグチはアメリカである男性の力を借りて勉強を続けて、立派に成長していた。これらのことを総合的に考えると、例え私たちが苦境に立たされたとしても、どこかで支えてくれる人たちに必ず出会えることを示唆しているように思う。もしも現在、苦境に立たされている人たちがいるならば、そうした状況を見守ることで励みになるのではないだろうか。

 興味深いのは、現在の津田塾大学の設立者となった津田梅子がレオニーと関わっていたことである。レオニーと梅子は、アメリカで面識があったものの、レオニーが日本で梅子のもとを訪れても、梅子は力を貸さなかった。何となく、日本人の女性監督が手掛けた作品でありながらも、レオニーを真剣に愛することのできなかったヨネ・ノグチの存在と言い、梅子の存在と言い、決して日本人を贔屓に描いているのではないところもまた面白い。

 常に男女の愛に注目している私としては、特にレオニーとヨネの関係がうまく描かれていたと思う。最初から強く引き合う感じもなく、ヨネが淡々と主導権を握り、レオニーがそれに流されて行く。ヨネの中にあるのは愛ではなく、欲望だったと感じる。しかし、その中で、レオニーは自分の足で立って歩き、子供たちを守る使命を立派に果たしたのである。裕福なヨネの生き方と、苦境に追い込まれたレオニーの生き方を対比させると、レオニーの人生は、何から何まで楽に手に入れられる人生よりもずっと有意義な人生だったように思えるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m こうして振り返ってみると、本作は配役が的確だったと思います。誰一人として、違和感のない役者さんはいませんでした。それにしても、一九〇〇年代の初めに、日本である程度、英語を学んだ人たちが居たことに驚きを覚えました。

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2011.03.08

平日の夜の美術館

ホットヨガ(二二六回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。一連の四つん這いのポーズの中で足りないポーズがあったので、レッスンのあとでインストラクターに、「足りないポーズがありましたね」と言おうかどうしようか迷っていました。骨盤コースのレッスンを作ったと言われている南森町店のインストラクターのもとで骨盤コースのレッスンを受けていた私としては、ひどく気になりますから。(苦笑)結局、言わなかったのですが、何故、ポーズが省略されてしまっているのか謎ですね。(苦笑)

 もう何ヶ月も前のことだが、去年の夏休みにガンモと出掛けたオランダのアムステルダムでゴッホ美術館に行きそびれてしまったので、昨年末まで兵庫県立美術館で開催されていたザ・コレクション・ヴィンタートゥールに足を運ぶ予定であるとここで宣言していた。皆さんへのご報告がすっかり遅れてしまい。恐縮だが、年末のある金曜日の夜に、ようやくこれが実現した。

 私は、このザ・コレクション・ヴィンタートゥールの前売券を早々と金券ショップで購入していた。金券ショップは、青春18きっぷを購入したり、劇場で販売されている前売券よりも安く売られている映画の鑑賞券を購入したりするのにしばしば利用している。しかし、金券ショップでザ・コレクション・ヴィンタートゥールの前売券を購入していたにもかかわらず、財布の奥のほうにしまっておいたために、私は前売券を購入していることをすっかり忘れてしまっていた。そして、この企画展が終わる少し前になってようやく前売券を購入していことを思い出し、慌てて仕事帰りに兵庫県立美術館へと立ち寄ったのである。

あらかじめ、金券ショップで購入していた前売券

 いやはや、仕事帰りに立ち寄ったと簡単に書いたが、実は、兵庫県立美術館がどこにあるのか、おおよそは把握していたものの、実際に足を運んだのは初めてのことだったので、辿り着くまでに時間が掛かってしまった。というのも、兵庫県立美術館は神戸の繁華街からは少し離れたところにあるからだ。私は、三宮から路線バスを利用したのだが、路線バスの乗り場がわからず、あちらこちらをうろうろ歩き回ってようやく見付けて路線バスに乗り込んだ。金曜日の夜を選んだのは、開館時間が金曜日の夜だけ二十時まで延長されていたからだ。

 路線バスを降りて少し歩くと、裏口のようなところがあったので、そこから入った。見ると、前売券と同じゴッホの絵が描かれたポスターが貼られていた。

裏口のようなところに貼られていたポスター

 兵庫県立美術館の企画展室は、コンクリートの空間で出来ていた。吹き抜けの階段で昇る高いところにあり、企画展室の入口に辿り着くまで階段になっているので、高所恐怖症の人はちょっと辛いと思う。

三階まで階段を昇って行く

 さて、中に入ってみると、そこには明るく、そして広い空間が広がっていた。しかも、平日の夜だからだろう。利用客はそれなりにいるものの、作品を鑑賞するのに差し支えない程度である。これまでに二回ほど足を運んだ神戸市立博物館は、作品保護のために館内も暗く、作品の前にも近寄れないほどの混雑ぶりだったが、平日の夜の兵庫県立美術館は穴場的存在だと思った。

 ただ、今回足を運んだザ・コレクション・ヴィンタートゥールは、ゴッホの作品がいくつも展示されているわけではないことに気が付いた。ほとんど、前売券に印刷されている作品だけだったように思えた。そのため、「これはやられた!」と思ったのだが、ゴッホ以外にも様々な近代画家たちの作品を鑑賞することができた。しかも、作風の異なる作品が多く、短時間のうちに様々な世界をトリップしたような感覚に陥った。

 私が最も気に入ったのは、ジャン・ブロエ・ニーストレという画家の『湿原のアカアシシギ』という作品だった。絵としての密度の高い作品の前に立ち尽くし、しばらく見入ってしまった。一体この作品の描き手は、何時間くらい、キャンバスに向かってこの絵を描き続けたのだろうと思った。

 他にも気になったのは、ルネ・マグリットの『失われた世界』という作品だった。物が実際に何であるのかは、名前によって現されるものではないというコンセプトのもとに描かれた作品である。ルネ・マグリットというと、これまた皆さんにご報告していなかったが、二年前に訪れたベルギーで、マグリットのアトリエだったルネ・マグリット・ミュージアムを訪れている。そのことについて、いつか皆さんにご報告したいと思いながらも、二年の歳月が流れてしまっている。

 インパクトがあったのは、アンリ・ルソーの『赤ん坊のお祝い!』で、この記事の三枚目に貼り付けている写真の絵である。手にプレゼントを抱えているはずなのに、何故、ここに描かれている子供は不機嫌なのか、想像力を掻き立てられる作品である。本当はプレゼントをもらってうれしい瞬間のはずなのに、直ちに絵の被写体にされたからなのだろうか。会場で売られているいくつかのグッズには、この絵が入っているものがあったので、私はチケットを収める小さなクリアファイルとバッグを購入した。

 ザ・コレクション・ヴィンタートゥールは、近代美術を中心とした企画展で、これまでまとめて鑑賞することのできなかったと言われている九十点の作品が展示されていた。ただ、やはり美術館の企画展として成り立つ規模なので、実際にヨーロッパの美術館を訪れて鑑賞するよりもずっと規模が小さい。そのため、日本には厳選された九十点がやって来ているはずで、それだけに、それら九十点の作品の中から全体を感じ取るのは、私には難しかった。また、金曜日の夜は開館時間が二十時までだったとは言え、路線バスに乗るまでに時間を費やしてしまったために、実際に館内で過ごしたのは一時間足らずだったように思う。美術館は、駆け足で回るものではなく、ゆったりとした時間を過ごすために出掛けて行きたいものである。しかし、やはり日本でそれを実現するのは難しいような気もしている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この企画展の終了間近に足を運んだことと、平日の夜だったことで、これまでの慌ただしい感覚からすると、比較的ゆったりと鑑賞できたと思います。何しろ、神戸市立博物館では、作品に近付くことすらできませんから。(苦笑)神戸市立博物館と違い、兵庫県立美術館は、館内も明るくて良かったのですが、やはり企画展という小さな規模ではなく、もっと多くの時間を費やして、もっと多くの作品に触れたかったと思います。できれば美術品を鑑賞するだけのたくさんの時間があり、館内には大きなソファが用意されていて、ため息をつきながら贅沢な時間を過ごしたいと思いました。

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2011.03.07

ホットヨガ(二二六回目)

映画『行きずりの街』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 映画『行きずりの街』というタイトルは、何となく作品の内容と一致していないように思いますね。「行きずり」とは、いろいろな人たちが狭い社会の中で行き当たりばったりで関連性を持って生きていることを意味しているのでしょうか。狭い社会の中で登場人物たちに関連性を持たせるならば、物語の舞台が東京のような都会であるよりも、人口の少ない田舎のほうがしっくり来るような気がします。しかし、そうなると、「行きずり」という表現がますます合わなくなってしまいますね。

 二月十九日の土曜日は、毎回千円で鑑賞できる三宮のミニシアター系映画館で上映されている作品をほとんど鑑賞し尽くしてしまったので、同じ系列のミニシアター系映画館に近い梅田店のスタジオで六十分の骨盤コースのレッスンを受けた。

 梅田店で、土曜日の午前中に骨盤コースのレッスンが開催されていることを知らなかったので、最初は六十分のリラックスコースのレッスンを予約したのだが、鑑賞する映画の上映時間を考えるともう少し早い時間のレッスンのほうが良いと考え、今ではほとんど受けることのない七十五分のアクティブコースのレッスンに切り替えた。

 その上で、再び映画の上映時間と照らし合わせてみると、その日のうちに鑑賞したい作品が三本もあるために、アクティブコースのレッスンを終えてからでは、一日のうちに鑑賞し切れないことがわかった。そこで、もう一度梅田店のレッスンスケジュールを確認しようと携帯電話からアクセスしてみたところ、何と、十時半からの六十分の骨盤コースのレッスンを予約できるではないか。どうやら、最初からレッスンスケジュールには組み込まれていたものの、予約がいっぱいでメニューに出て来なかったらしい。しかし、直前になって、おそらくキャンセルが出たのだろう。私はすかさず十時半からの骨盤コースのレッスンを予約し、七十五分のパワーアクティブコースのレッスンをキャンセルした。

 久し振りの梅田店で着替えを済ませ、スタジオに入ってみると、横長いスタジオに何と二十一枚ものヨガマットが敷かれていた。これほどの人気ぶりでは、なかなかレッスンの予約メニューには出て来ないはずである。梅田店でも骨盤コースは人気のレッスンのようだ。しかし、スタジオ内をぐるっと見渡してみると、男性会員を受け入れているはずの梅田店のレッスンであるにもかかわらず、男性会員は一人もいらっしゃらなかった。やはり、骨盤を気にしているのは、女性ばかりのようである。

 レッスンを担当してくださったのは、梅田店で初めてレッスンを担当してくださるインストラクターだったと思う。インストラクターがあまりにも早口だったので、私は最近観た映画『ソーシャル・ネットワーク』を思い出した。私は、スタジオの一番奥のヨガマットに腰を下ろした。横長のスタジオなので、できれば熱のこもらない入口に近い場所でレッスンを受けたかったのだが、私がスタジオに足を運んだときには既に入口付近のヨガマットはすべて埋まってしまっていたのである。

 それでも、インストラクターがスタジオ内の温度を気に掛けてくださったのか、いつもよりもファンヒーターの電源が入れられる回数も少なく、スタジオ内はそれほど暑くはならなかった。そのおかげで、私はスタジオの一番奥のヨガマットでポーズを取っていたにもかかわらず、最初から最後までスタジオの外で休むことなくレッスンを受けることができたのである。

 ただ、少し不満に思ったのは、四つん這いのポーズの一部が、インストラクターによってアレンジされてしまっていたことである。具体的には、鳩の王様のポーズに入る直前の前足を折り込むポーズが欠けてしまっていたのだ。前足を折り込むポーズは、骨盤コースの中では、股関節を前後に広げるという意味においては重要なポーズだと思っていたので、その部分が省略されてしまっていたのは、骨盤が前後に歪んでいることがわかっている私としてはとても残念だった。

 また、三宮店のレッスンでは、ぺちゃんこ座りで座ったあと、そのまま後ろに倒れるポーズを取っているのだが、今回のレッスンではそのポーズもなかった。あれは、三宮店だけで行われているポーズなのだろうか。そんなこともあって、骨盤コースのオリジナルに近い三宮店のレッスンが懐かしく思えてしまった。ただ、三宮店と違って、土曜日の午前中にレッスンを受けられるのは魅力的である。レッスンが終わるとちょうどお昼どきなので、お気に入りのレストランでお昼ご飯を食べたあとは、ゆっくりと映画鑑賞に当てることができる。この日はガンモが仕事だったので、私は心行くまで三本の映画を鑑賞して帰宅したのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 三宮店で週末に行われている骨盤コースのレッスンは、日曜日の夕方ですので、週末のスケジュール調整に四苦八苦してしまいます。これまでは、土曜日にホットヨガのレッスンを受けて、そのあと心行くまで映画鑑賞し、日曜日はできるだけ自宅でまったりというパターンだったのです。梅田店で土曜日の午前中にレッスンを受けられるとなると、これまでのペースを取り戻すことができるので魅力的なのですが、四つん這いのポーズの
一部が省略されてしまっているのがひどく気に掛かります。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.03.06

映画『行きずりの街』

ブリージングストレッチセミナー in 岡山(7)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。人と人との繋がりが、特定の事象についての報告や確認のみで終わってしまう場合は、互いに肉体レベルでのみ交わっているのだと思います。何故なら、心を交わしていない状態ではあるものの、それぞれが物理的に存在していることだけは確かだからです。要するに、心を交わさずに、単に肉体だけがそこに存在している状態ですね。それに対し、心を交わしている状態は、肉体レベルに加えて心レベルでの繋がりがあると言えます。更には、肉体も心も省略して、物理的に離れていたり、言葉を介さなくてもわかり合える場合があります。これが、魂レベルの繋がりではないかと私は思っています。魂の世界のことについて、共有できる関係であるとも言えます。そう言えば、去年、行われた古久澤先生の神戸セミナーで、ルースさんという講師の講演をレポートした記事があります(夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(2)夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(3)夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(4))。私は、ルールさんのお話が、普段の私自身の普段の感覚にぴったりと合っていると感じました。言い換えると、こういう話を共有できる人と出会いたいと思っています。ルースさんのお話は、まさしく魂の世界のお話だったのです。

 本作を鑑賞したのは、十一月三十日のことである。劇場で予告編を観たときに、鑑賞しようと心に決めたのだ。その背景には、面識はもちろんないが、主演の仲村トオルくんが大学の同じ文学部の同期だったということもある。

 実際に鑑賞してみると、予告編から抱いたイメージからはとことんかけ離れていた。というよりも、思わず突っ込みを入れたくなるような要素があまりにも多かったのだ。あの広い東京において、登場人物たちの繋がりがあまりにも狭い範囲で実現されてしまっている。例えば、あたかも偶然出会ったかのように見える人物が、仲村トオルくん演じる塾講師の波多野がかつて働いていた名門女子高の理事であったり、小西真奈美ちゃん演じる十二年前に別れた妻、雅子だったりといった展開である。それだけではない。雅子のお店の常連客が、波多野が十二年振りに東京に出て来たきっかけを作ったかつての教え子とも繋がりを持っていたり、更には雅子の母までもが名門女子高の主要人物と関わりがあったりするのである。ここまで揃ってしまうと、物語がうまく流れて行き易いように、登場人物があまりにも都合良く配置され過ぎてはいないだろうか。そのため、鑑賞中に「そんな安易な展開は有り得ないだろう」と、ついつい反論してしまいたくなったのである。

 とは言え、別れてから十二年経っても、お互いの中に愛の炎を燃やし続けている波多野と雅子の深い愛情や、それぞれを演じる仲村トオルくんと小西真奈美ちゃんの演技はとても良かった。二人は、波多野が働いていた名門女子高の教師と生徒として出会い、深く愛し合うようになったのだ。私は、出会った時点で互いにフリーならば、例え教師と教え子が愛し合ったとしても、何も後ろめたいことはないと思う。しかし、現実的には、世間がそれを許さない。その背景には、教師は生徒たちを平等に評価する立場にあるために、特定の生徒と親しくなるべきではないという価値観があるからではないだろうか。

 実は、私の通っていた高校でも、教師と生徒が付き合っているという噂が流れたことがある。ただ、私の通っていた高校の教師には、奥さんも子供もいたようだ。そのため、生徒たちからはかなり冷ややかな目で見られていた。実際に、教師と生徒が付き合っていたかどうかはわからないが、今年の一月に行われた中学の同窓会で話をした同じ高校出身の男性からも、その噂を裏付けるようなコメントが得られたので、やはり噂だけではなかったのかもしれない。

 十二年経ってもなお、お互いの中にある愛の炎が燃え尽きることのなかった波多野と雅子が、自分の中で燃え滾(たぎ)っている炎を相手にまだ見せないでいる状態にあるときの二人が特にいい。それこそ、少しでも触れてしまおうものなら、これまで頑なに守り続けていた理性が崩れてしまいそうな状態だったのだ。特に印象に残っているのが、雨に濡れた波多野を自宅マンションに招いた雅子が、波多野のために新しい下着をコンビニで買って来たというのに、波多野は別の男の下着だと勘違いして激しくののしるシーンである。再会したあと、互いの心の中を見せずに、表面的な部分だけで関わろうとしていた姿勢が一気に崩れたシーンでもある。それからの二人は、自分の気持ちに素直になった。二人が愛し合うシーンでは、女性の私でさえ、雅子の姿がひどく艶っぽいと感じてしまったほどだ。

 突っ込みを入れたくなるような展開は多かったものの、何と本作は、一九九二年度の「このミステリーがすごい!」で第一位に輝いた作品なのだそうだ。原作は読んでいないが、映画を鑑賞した限りでは、ミステリーというカテゴリは当てはまらないように思える。しかも、何故、「このミステリーがすごい!」で第一位に輝いたのかも良くわからない。原作がミステリーなのだとすれば、映画化された本作は男女の愛を扱った作品であるように思う。これは、監督による脚色なのだろうか。

 ちなみに、本作の監督は、かつて私もエキストラとして出演したことのある映画『顔』の阪本順治監督である。最近では、映画『闇の子供たち』や映画『座頭市 THE LAST』などの作品を手掛けている。私は、映画『座頭市 THE LAST』を鑑賞してはいないのだが、映画『座頭市 THE LAST』もまた、世間には不評だったらしい。阪本順治監督は、人間ドラマを扱う名手と言われているそうだが、それだけに、これからも頑張って欲しいと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作で、トオルくんの中にある熱いものを見せてもらった気がします。彼は、いい役者さんになりましたね。突っ込みどころの多い作品ではあったのですが、彼の役者としての成長ぶりをたっぷりと味わうことができただけでも良かったと思っています。

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2011.03.05

ブリージングストレッチセミナー in 岡山(7)

ニュートラルなガンモの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 現在の職場で大きな声で自分の意見を主張したのは、実はこれが初めてではありません。現在、最も親しく交流している派遣仲間とも、かつて仕事中に大声でやり合いましたし、かつての上司とも大声で対立しましたね。(苦笑)しかしどういうわけか、対立した人たちとは、フランクな付き合いが成立しています。大声で対立するのは、自分の立場を主張することのほかに、相手との壁を取り除く役割も持っているように思います。その証拠に、言いたいことを心の中に溜め込んでいると、相手との壁も取り払われないために、革新が起こらずに、関係は停滞したままのような気がします。

 二月十二日に岡山で行われたセミナーの内容をお届けしている最中だが、ここで私自身が今回のセミナーを通して強く感じたことを書いてみたいと思う。それは、ずばり、心の世界を共有することのできる「仲間」に出会えることの喜びである。

 今回のセミナーは、主催者の方のお友達や趣味のお仲間さんたちがお手伝いに駆けつけてくださっていた。これは、お仲間さんたちとの志が同じでなければ実現できないことである。志を同じにするには、心の世界を共有している必要がある。

 極端な話、仕事をするのに心はいらない。実際、私は職場では心をオープンにしてはいない。だから、仕事仲間との心の距離は遠い。仕事仲間は、私が普段から何を考え、何が好きで、何に感動しているかをほとんど知らないだろう。おそらく、表面的に見えている部分だけで私を判断しているのではないだろうか。言い換えると、私の内面には触れていないのだ。

 とは言え、心を見せていないのは、何も仕事仲間だけではない。例え友人であっても、心の世界まで共有できていない友人はたくさんいる。そういう人たちもまた、仕事仲間と同じように、表面的に見えている部分だけで私を判断しているはずだ。だから、彼らが思い描いている私と、本当の私とのギャップがあるだろう。

 整体師でいらっしゃる古久澤先生のブリージングストレッチは、身体のことだけでなく、心の世界にまで及んでいる。例えば、私が通っているホットヨガは、主に身体の世界のことであり、もともとヨガであることからも、レッスンの内容が心の世界にまで及んでいると思われがちかもしれないが、インストラクターはレッスン中に、参加者を心の世界にまで導いたりはしない。しかし、ブリージングストレッチは違う。古久澤先生のセミナーでは、人間としての生き方の問題にまで話が及ぶのだ。それはまさしく心の世界である。

 私は一部の友人との間で、心の世界にまで及ぶ会話が成り立つこともあるが、ほとんどの場合、心の世界までは及ばずに、特定の事象についての報告や確認のみで終わってしまう。例えば私はホットヨガのレッスンの記事の中で、インストラクターとの会話の内容を綴っているが、それらは何かの事象であり、お互いの心の世界にまでは踏み込んではいない。

 だから、身体のことだけでなく、心の世界にまで話が及ぶブリージングストレッチのセミナーに仲間と一緒に参加するということは、互いに心の世界を共有していなければ実現できないことだと思うのだ。というのも、私自身、古久澤先生のセミナーに友人の誰かを誘いたいと考えたときに、まずは誘いたいと思っている友人が古久澤先生のメルマガを購読していないという壁にぶち当たる。メルマガを購読していない状態で、数千円のセミナー会費を払ってまで参加してくれるだろうか。まず最初に、そんなことを考えてしまうのだ。しかし、仮に古久澤先生のメルマガを購読していなくても、私と心の世界を共有できている友人ならば、セミナーを楽しめるとは思う。とは言え、私の場合、心の世界を共有できる友人は、たいてい遠く離れたところに住んでいる。実際、夫であるガンモと出会ったのも、今はなきパソコン通信を介してである。当時、ガンモは兵庫県に住んでいて、私は東京都に住んでいたのだ。そんなことを考えると、私にとってはセミナー会場が近くても、セミナーに誘いたい心の世界を共有している友人からすると、セミナー会場が遠かったりするのだ。

 心の世界を共有できる人たちが点在していることを裏付けるかのように、ブリージングストレッチのセミナーに参加すると、全国から集まって来られた、私にとって心の世界を共有できる方たちとたくさん出会うことができる。そういう方たちとの出会いには、堅苦しい前置きが要らない。最初から心の世界を共有できているので、前提条件なしにいきなり本題に入ったとしても、差し支えないのである。だから、とても居心地が良い。普段の生活では構えることが多くても、心の世界を共有できる人たちの前では、すんなりと自分を出すことができる。

 古久澤先生は、私たちに身体を治すきっかけを与えてくださっているだけでなく、全国に散らばっているであろう、心の世界を共有できる仲間たちとの出会いの場を提供してくださっているのではないかと思うこの頃である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 昔から気付いていたことですが、私の場合は、心の世界を共有できる人たちが全国に散らばっていますね。だから、私自身の人生がロードムービーみたいな感じなのかもしれません。(苦笑)それを考えると、主催者の方が、心の世界を共有できる身近なお仲間さんたちに恵まれているということが、とても素晴らしいことであるように思えたのです。私の場合は、心の世界を共有できる仲間たちが散らばっているために、普段の生活ではなかなか本当の自分を出すことができません。だから、こうしてブログを書いて、本当の自分を取り戻そうとしているわけなのです。(苦笑)それに対し、心の世界を共有できる身近なお仲間さんたちに恵まれている主催者の方は、普段から本当の自分を生きていらっしゃるのだろうなあと思いました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.03.04

ニュートラルなガンモ

映画『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。私は、裁判を傍聴した経験はありませんが、通っていた大学の法学部の校舎を訪れたときに、法廷のような教室があり、目新しいものを見た気がしたことを覚えています。ちなみに、私としては、裁判を傍聴するなら、いろいろな事件の裁判を傍聴するのではなく、一つの事件をずっと追い続けたいですね。

 先日、上司と仕事のやり方の違いが原因で、仕事中にお互いに大きな声で自分の立場を主張するという出来事があった。ご存知のように、私の仕事はソフトウェアの開発業務なのだが、この度、八年ほど前にリリースしたプログラムに手を入れることになり、前任者が残したコメントを頼りに、プログラムの中で不要と思われる部分を私がばっさりと削除してしまったことがことの発端だった。

 ソフトウェアの開発業務と無縁の方には伝わりにくいかもしれないが、例えばWindowsの場合、皆さんが普段使用している多くのアプリケーションは、*.exeという拡張子を持っている。ただ、デフォルトでは、エクスプローラで拡張子が表示されない設定になっているので、わかりにくいかもしれない。このexeファイルは、*.dllという種類の、いわばプログラムの部品ともなるべきファイルを引き込んで動作することがある。例えば、マイクロソフトが提供するdllを使って動作するプログラムもあれば、私たちのようなソフトウェア技術者が自前でプログラムを作成してdllに仕上げて、関連するexeからその中の機能を呼び出す場合がある。プログラムの作りに関して説明しているとちょっとややこしいので、詳しいことは割愛させていただくが、今回、私は古いdllに手を入れていた。

 プログラムを作成するときは、テキストエディタ(代表的なものはメモ帳だが、多くのソフトウェア技術者はメモ帳よりももっと便利なツールを使う)でソースファイルを開いてプログラムを編集し、それをコンパイラというツールにかけてexeやdllに仕上げる。ソースファイルはプログラム言語で書かれているため、ソフトウェア技術者には解読可能だが、コンパイラというツールを通して出来上がったexeやdllは、コンピュータがわかる言語で書かれているため、ちょっとやそっとではわかりにくい。

 今回の修正で、私は前任者がソースファイルに残していた「ここから下は使っていないので、動作テストをしていません」というコメントを信頼し、使っていないのなら、いっそのことソースファイルから削除してしまおうと、ばっさりと削除してしまったのだ。例えソースファイルからそれらの不要なものを削ってしまったとしても、ソースファイルの世代管理がきちんと行われているため、いつでも元に戻せる状態にあったからである。

 ところが、私がそれをばっさりと削ってしまったことによって、これまで動いていたはずのexeプログラムが動かなくなってしまった。調べてみると、exeプログラムの中から呼び出しているdllの部品の中に、私がごっそりと削ってしまった内容が含まれていることがわかった。しかし、実のところ、私が不要な部分をごっそりと削ってしまったことが動かなくなってしまった原因ではなく、削ったことにより発生した別の作業で単純なミスを犯してしまったために、exeプログラムが動かなくなってしまっていたことがわかった。

 上司は私に、
「こんなにごっそり消すなら、一言相談してくださいよ」
と言った。私は、確かにそうかもしれないが、ソースファイルに書かれているコメントを信頼して、不要なものを削除したのだと主張した。しかし、上司はそもそも、そんなコメントは信頼できないと言った。更に、不要なものと判断して大胆に消すのなら、動作検証を行うことが大切ではないかと言ったのである。

 私は、ソースファイルに書かれている前任者の残したコメントを上司に見せて、
「ここまではっきりと、ここから下は使っていないと書かれてあるのに、このコメントを信頼しないんですか?」
と言った。すると、上司はやはり、
「前任者は既にこのプロジェクトを退いた人間だし、信頼できないですよ。それに、古いプログラムの面倒も、残った人間で見て行かなければならないんですから」
と言った。私は、プログラム内にわざわざ残されたコメントがまったく意味をなさないことがどうしても不可解だった。そこで、
「それなら、一体何のためにコメントを残すか意味がないじゃないですか」
と反論したのだ。

 しかし、その後は、前任者により残されたコメントが信頼できないこと、消すなら動作検証を行うべきだったの繰り返しで、私も書かれたコメントを無視すべきではないこと、そもそも、不要なものをソースファイルの中に残しておくことのほうが問題だと主張したために、上司と私の話は平行線を辿るばかりだった。上司と私が大きな声で自分の立場を主張しているので、オフィスで仕事をしている他の人たちも時々顔を向け、私たちの会話に注目していた。

 結局、上司は、
「この先も、プログラムのメンテナンスをするのは僕なんですから、僕のやり方に従ってください」
と言った。確かに、言われてみれば、私は根なし草のような派遣社員であり、いつ今の職場を去ることになるかもしれない。それに対し、社員という形で地に根を張って働いている上司からすれば、これからもそのプログラムをメンテナンスして行く可能性は高いのだ。だから、自分のやり方に従って欲しいと言ったのである。それを聞いて、ようやく私も納得し、
「わかりました。お手数をお掛けして申し訳ありませんでした」
と言った。

 お互いの立場を主張しているときは、上司も私も職場で大きな声を出していたわけだが、そんな中でも、私の中には、妙な安心感があった。普通、仕事で上司と意見の食い違いがあり、オフィスで仕事をしている人たちに聞こえてしまうくらいの大きな声で話をしているようなときは、対立したあとのことを考えたりするものだろう。しかし私は、上司が自分の中にあるものをすべて出し切っていることに安心していたので、きっとあとに残らないさっぱりとした関係が築けるだろうと思っていた。つまり、このあと上司と険悪なムードには陥らない自信があったのである。そして実際、その通りだった。

 上司は対立の最中に、私の主張を信じられないといった様子で耳を傾け、
「家に帰って旦那さんにでも聞いてみてくださいよ。使っていないからってコメントを信頼して大胆に削るなんて、絶対におかしいって言うと思いますよ」
と言った。上司は、ガンモもコンピュータ業界で働いていることを知っているのである。

 そこで私は帰宅して、ガンモにこのことを話した上で、
「で、ガンモはどっちの立場を支持する?」
と尋ねてみた。するとガンモは、
「そりゃ、プログラムに書かれたコメントなんて信頼できないだろ。上司の言う通りだよ」
と言った。
「何? 何? 私の夫なのに、私の味方じゃないの?」
と私は面食らった。

 昔からガンモは、単に私の夫であるという理由だけでは、私の意見に傾かない。そういうところは、ガンモのすごいところでもあり、また信頼できるところでもある。すなわち、ガンモはいつでもニュートラルなのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 前任者の残したコメントを信頼するかどうかで、大きく意見が分かれているようですね。私は残されたコメントを信頼する派でしたが、上司もガンモも信頼できない派でした。私は、不要なものをソースファイルの中に残したまま放置しておくことが嫌だったのですが、堅実な人たちは、不要なものがあっても害を及ぼさないが、大胆に削除してしまうのはまずいと思っているようです。おそらく、文系と理系の考え方の違いなのでしょうかね。確かに、害があるかないかというリスクで考えれば、私の取った行動はリスクを背負っているわけですから。

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2011.03.03

映画『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』

ブリージングストレッチセミナー in 岡山(6)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。多くの人たちに向けて一斉に発信する立場にあるとき、発信内容が一部の人たちの立場を著しく否定することになっていないかを考慮する必要があります。そういう観点から、古久澤先生がメルマガには書けないとおっしゃっている状況についても何となく理解できます。こうしてブログを綴ることも同じなんですよね。表面的なことだけで済ませるならば、多くの人たちに向けて同じ言葉で発信することは可能かもしれませんが、もっと奥まで入り込もうとすると、対象を絞りたくなるだろうと思います。

 本作を鑑賞したのは、十一月二十五日のことである。正直言って、このタイトルを劇場の窓口で口にするのは、ちょっと気が引けた。鑑賞する人たちが劇場の窓口で切符を購入するときに味わう気持ちを考慮してタイトルを付けて欲しいものである。

 本作は、ライターである主人公が脚本作りのために裁判所に通い始め、そこで何人かの傍聴マニアと出会い、彼らと繰り広げるはちゃめちゃストーリーとなっている。

 私は良く知らなかったのだが、裁判の傍聴ブームなるものが沸き起こっていたらしい。そうした現象を良く知らなかったので、毎日のように裁判所に足を運んでは、裁判を傍聴している傍聴マニアの方たちの会話が面白くてたまらない。それが何であれ、一つのことに飛び抜けて詳しい人を観察するのは面白い。しかも、毎日のように裁判を傍聴していれば、自然に他の傍聴仲間たちとも結び付いて行く。私も、毎日のようにホットヨガのレッスンに通ったならば、同じく毎日のようにホットヨガのレッスンに通っているホットヨガマニアの仲間たちとの交流が活発になるかもしれない。そして、スケッチブックにインストラクターの似顔絵を描いてホットヨガマニアの仲間たちに見せてみたり、レッスンの内容をこと細かに綴ったノートを見ながらレッスンを振り返ったり・・・・・・。そう、まさしく傍聴マニアの方たちは、裁判に関してそのような形で情報を収集し、整理しているのだ。

 本作をコメディとして成り立たせているのは、美人検事の存在だろう。主人公も含め、傍聴マニアたちは、彼女の大ファンである。憧れの人に近付くために裁判所に通う姿は、特定のアーチストを好きになったファンが、そのアーチストのコンサートに足繁く通う姿とも重なる。とにかく本作は、裁判の傍聴マニアという形を取ってはいるものの、その対象が何であれ、何か情熱を傾けているものがある人にとっては、とてもわかりやすいドラマなのだ。ただ、コメディ映画であるだけに、ところどころに仕掛けられた笑いの爆弾に対し、引いてしまうこともあるかもしれない。

 何かのマニアになったときに、気をつけなければならないのは、コレクターズ精神が高じて、人間性までも見失ってしまうことである。本作の中でも、傍聴マニアたちが冤罪の裁判を傍聴したがっていることがわかる。そんなとき、主人公は、裁判所の外で息子の無罪を必死に求めてビラ配りをする一人の母親に出会い、心を打たれる。そして、傍聴マニアの仲間たちにも事情を説明し、無罪を求める裁判を応援することになるのだが、その先には、主人公のがっかりするようなことが待ち受けているのだった。

 誰かが行動を起こすとき、それが欲望を満たすための行動なのか、愛のための行動なのか。何かに突き動かされながら行動するにしても、原動力による違いは大きい。欲望のために行動することは、愛のために行動している人をひどくがっかりさせるものなのだ。そういう意味で、本作には、物語が延々と続いて行かないような結末が用意されていると言っても過言ではないだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 夢中になる何かがある人にとっては、わかりやすい作品かもしれませんが、コメディとしての要素も強いために、シリアスな展開にはならないですね。私はテレビを観る習慣がないので、主人公を演じているお笑いコンビ「バナナマン」の設楽統さんのことはまったく知りませんでした。お笑い芸人でありながらも、彼は、本作の主人公として適役だったのではないかと思います。

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2011.03.02

ブリージングストレッチセミナー in 岡山(6)

ホットヨガ(二二五回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m レッスンを終えて自宅の最寄駅の駐輪場に降り立ってみると、自転車のサドルの上に雪が三センチほど積もっていました。雪の多い地域に住んでいらっしゃる方たちからすれば、そんな光景はまだまだ甘っちょろいのかもしれませんが、西日本に住んでいる者からすると、とても珍しい光景です。それでは、ブリージングストレッチセミナー in 岡山(5)の続きを書かせていただきます。

 古久澤先生はセミナーの中で、足を温めることの大切さを力説されていた。やはり足を冷やすのは、婦人病には良くないようである。これについては、私自身もしっかりと経験済みである。

 古久澤先生は、幸せを感じると、必ず温かいと感じるとおっしゃった。「温かい」と「幸せ」は、同じ意味合いだと古久澤先生はおっしゃった。こういう話を耳にすると、私の中には『マッチ売りの少女』の光景が目に浮かぶ。『マッチ売りの少女』の中でも、「温かい」と「幸せ」は同じ意味合いだったのではないだろうか。

 古久澤先生は、手が冷たいと、人には優しくできないとおっしゃった。手が温かい状態のときに、初めて人に優しくなれるそうだ。ひょっとするとこれは、世間一般で昔から言われていることとは正反対の価値観かもしれない。昔から、手が温かい人は心が冷たいなどと良く言われて来たものだ。何を隠そう、私は昔から手が温かいほうで、古くから信じられている価値観があまり好きになれなかった。今でも、お腹やお尻は冷たいものの、手だけは温かいのである。かと言って、古久澤先生がおっしゃるように、人に優しくできているかどうかはあまり自信がない。ちなみに、手が冷たい人は、腸が温まっていない状態なのだそうだ。

 気がつけば、いつの間にか、不幸についての話題になっていた。古久澤先生曰く、不幸の入口は顔なのだそうだ。詳細なメモを書き留めていないので想像するしかないのだが、ネガティブな表情が不幸を引き寄せてしまうということなのかもしれない。

 古久澤先生は、不幸と災難の違いについて、例を挙げながら分かり易く説明してくださった。電車に乗っているときに、誰かにハイヒールのかかとで踏まれたとする。そのとき、痛みを感じたとしても、相手に謝罪されてそれで終わりにできるなら、それは災難で終わることができるという。しかし、そこで足を踏んだ相手とバトルを始めてしまえば、それは不幸なのだそうだ。

 古久澤先生曰く、このようにネガティブな感情を貯め込むと、婦人科系の病気になってしまうそうだ。すなわち、女性を象徴する場所に不具合ができるという。それに対し、男性の前立腺肥大は、女性に対する訴えなのだそうだ。

 また、子宮筋腫はセックスで治るらしい。これは、以前の神戸セミナーでも伺ったことで、確かずっと以前の古久澤先生のメルマガにも書かれていたはずである。セックスの熱が筋腫を治してくれるそうだが、こういう話は、メルマガには書けないと古久澤先生はおっしゃっていた。私も、これについては書きたいことがあるのだが、別の機会に改めたい。

 古久澤先生曰く、人間の身体も陰と陽でできているそうで、最も陽性なのは子宮なのだそうだ。女性は子宮で考えると言われているが、女性の直感が鋭いのは、そういうところから来ているらしい。ちなみに、妊娠中の女性は最も直感が鋭いそうだ。私は、子宮に筋腫があると、子宮の中に重たいものがあるために、感受性が鈍って来るように感じていたので、妊娠中の女性の直感が鋭いということに、むしろ驚いてしまった。とは言え、直感と感受性はまったく別ものなので、直感は鋭くても、思考力や感受性は鈍ってしまったとしてもおかしくはないのかもしれない。私自身は、子宮は女性にとってのエネルギーの源だと思う。だから、子宮が健康でないと、元気も出ないように感じている。そう言えば、かつてホームページの掲示板を通じて交流していた方たちから良く言われたものだった。筋腫のなかった頃の私は、もっと感受性に溢れていたと。ちょっとしたことで立ち止まって泣くことも多かったのだ。しかし、筋腫が子宮を占めるようになってからは、感受性がすっかり鈍くなってしまったのだ。そこで、以前も書いたように、感受性を取り戻すための対策として、映画をたくさん鑑賞して、自分の感情を引き出すようにしているのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 身体の健康と幸せには、どうやら温かさが関係しているようですね。私は、身体のいろいろな部分に温度差があるので、冷たいところを温めることが必要だろうと思っています。その部分には血液が流れにくくなっているはずなので、何とかして改善して行きたいものです。

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2011.03.01

ホットヨガ(二二五回目)

映画『うまれる』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。今はほとんどの出産が、産婦人科医のもとで行われているようですが、本作には、助産院で出産される方が出演されています。私はそのシーンを拝見して、近代的な技術に頼らなくても、人間が本来持っている力を活かすことができるのだと実感しました。大切な出産に夫が付き添ってくれて、ただ一人で迎えるのではない出産のシーンに感動したのです。私は、実際に出産を体験していないのでわかりませんが、映像から察するに、あれほどの痛みを体験しても、その痛みを乗り越えたあとはすぐに笑顔になるのですから、不思議なものですよね。そう言えば、私が妊娠や出産に関して頑なになっていた頃、本来は喜ばれるべき出産に、何故、大きな痛みが伴うのかがわからずに、その疑問を出産経験のあるスピリチュアルな女性にぶつけてみたことがあります。即答ではなかったのですが、彼女は私の問い掛けをしばらく自分の中で温め、何年も経ってからメールで自分の考えを述べてくれました。それによると、世の中にはポジティブな痛みとネガティブな痛みがあり、例えば誰かに傷つけられたときに感じるような痛みはネガティブなものだけれど、出産の痛みはポジティブな痛みなのではないかということでした。私はそのメールを読んで、大きく頷き、そして癒されました。彼女のおかげで、出産の痛みを世の中のバランスと結び付けて考えることができたように思います。このような問答ができる彼女と巡り合えたことに深く感謝しています。それと、私の場合、妊娠や出産に対する恐怖は、前世に子供を亡くした経験と繋がっているのではないかと書きましたが、それ以外にも、ガンモとの夫婦二人だけの関係を尊重したいという想いも強かったですね。

 二月十四日のバレンタインデーに、雪が降った。職場では、積雪に対する警戒メールが流れていたが、私はホットヨガのレッスンを予約していたので、予定通り、仕事を終えて、三宮店のスタジオへと向かった。しかし、三宮駅からホットヨガのスタジオまで歩くまでの間に、ムートンブーツが雪でべちょべちょになり、中の靴下まで濡れてしまった。レッスンの前ならば、濡れた靴下は脱いでしまうので問題ないが、レッスンのあとに、シャワーを浴びて着替えを済ませた状態で履いた靴下が濡れてしまうのは、できる限り避けたいものだ。

 受付には、古くからお話をさせていただいているインストラクターがいらっしゃった。インストラクターは、私が骨盤コースのレッスンを受けていることを良くご存知だった。普段から激しいレッスンばかり担当されているためか、インストラクターは、骨盤コースのインストラクターとしてのデビューをまだ果たしていないとおっしゃった。しかし、そんなインストラクターも骨盤コースのレッスンがとても気に入ったそうなので、いつか骨盤コースのインストラクターとしてデビューできる日を楽しみにしているそうだ。

 私が、毎回、月曜日のこの時間のレッスンに参加している人が多いことを口にすると、インストラクターは、何と今回は、参加者が六名しかいないと教えてくださった。おそらく、バレンタインデーでもあり、雪も降っているため、最初からレッスンを予約していなかったか、雪のためにレッスンをキャンセルされた方が多いのだろう。

 着替えを済ませてスタジオに入ってみると、確かに私を入れて六名しか参加者がいなかったが、いつもお目に掛かっているサウナスーツの女性は参加されていた。私は暖かいスタジオの中で、濡れたムートンブーツで冷えてしまった足を温めた。

 レッスンを担当してくださったのは、自分の書いた台本を読むインストラクターである。いつものように、堅実なレッスンを展開してくださった。私は途中で息が荒くなり、やはり四つん這いのポーズの頃になると、かなり息苦しくなった。いやはや、骨盤コースを侮るなかれ、である。救いだったのは、大きいほうのスタジオに、参加者がわずか六名しかいなかったので、スタジオ内がそれほど暑くはならなかったことである。

 レッスンを終えたあと、レッスンを担当してくださった自分の書いた台本を読むインストラクターがロッカールームに来られたので、今回のレッスンの御礼を言った。私はインストラクターに、
「完璧なレッスンでしたね」
と言った。自分の書いた台本を読むインストラクターは、リラックスコースのレッスンと同様、まるで台本を読むような流れでレッスンを展開してくださったのである。しかし、インストラクターは、途中で立つ方向を間違えたことを負い目に感じていらっしゃるようだった。私は、そんなことよりも、インストラクターの頭の中で冷静に台本が出来上がっていて、レッスンの流れが完璧だったことを指摘した。

 二十一時を過ぎると、店舗のエレベータが止まってしまうので、私は大急ぎで帰り支度を整えた。インストラクター曰く、店舗のエレベーターは、二十一時を一分でも過ぎると止まってしまうそうだ。参加者がわずか六名しかいなかったので、自分が最終退出者にならないように、他の参加者の方たちも、二十一時までに退出しようと急いで支度を整えたようだ。私がロッカールームを出る頃、私のほかにもう一人、ロッカールームに残っている方がいらっしゃったのだが、その方も二十一時頃には無事に退出されたようだ。これで、わざわざ従業員用のエレベータで案内していただかなくても、店舗のエレベータを使って下に降りることができた。

 まだ雪が降っているのかと思いきや、外に出てみると、雪はもう止んでいた。おかげで、ムートンブーツも履き替えた靴下も濡れることなく帰宅することができた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 六名しかいなかったのは、やはりバレンタインデーだったからでしょうか。それとも、雪が降ったからでしょうか。雪も降り、皆さん、ロマンチックなバレンタインデーを過ごされたのでしょうね。バレンタインデーには、ガンモにチョコレートをあげましたが、ホットヨガのレッスンにはしっかりと参加しました。(笑)

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