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2011.03.27

映画『100歳の少年と12通の手紙』

ブリージングストレッチセミナー in 岡山(10)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。記事の中には観音院が工事中だったと書きましたが、記事をアップしたあと、撮影した写真をじっくりと眺めていると、工事中だったのではなく、裸祭りの高まりからお寺の建物などを守るための工夫だったのではないかと思うようになりました。おそらく、それが正解でしょう。さて、東京電力の福島第一原子力発電所の周辺で高い放射性物質が検出されていますが、そうしたニュースを受けてか、日本に来ている外国人の方たちは、次第に日本を離れているようですね。また、日本から海外への旅行者も警戒されたりしているようです。海外からたくさんの救援物資が届いたり、多くの義援金が集められたりしてはいますが、やはり自分の身には危険が迫らないという大前提のもとに行われているのだなあと痛感しました。

 本作を鑑賞したのは、十二月八日のことである。鑑賞後、あまりにも感動してしまい、レビューを書き上げるのを待ち切れずに他の記事の中でほんの一部だけご紹介してしまった。鑑賞された方は気付かれたかもしれない。

 私は、エリック・=エマニュエル・シュミット監督の作品はすべて鑑賞している。映画『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』、映画『地上5センチの恋心』、そして本作だ。エリック・=エマニュエル・シュミット監督は、映画『地上5センチの恋心』においても、人間としての本質を引き出すような確かな感動を与えてくれたが、本作もまた、現実を見据え、偽ることのない生き方がいかに大切であるかを教えてくれる作品である。

 白血病を患って小児病棟に入院している十歳の少年オスカーは、もはや余命いくばくもない状態であることから、周りからは、まるで腫れ物にでも触るかのように扱われている。医師や小児病棟の中にある学校の教師、両親など、彼に関わるすべての大人たちが、彼のすることを何から何まで受け入れ、叱ることさえしない。例えば学校で、彼が教師に対していたずらをしたとしても、他の生徒ならば叱るのに、オスカーが犯人だとわかればたちどころに許してしまう。オスカーはそんな特別扱いが嫌でたまらず、誰に対しても心を開くことのない引きこもり状態に陥っていた。

 オスカーが一体何を求めているのか、映画を鑑賞していた私にはすぐにわかった。オスカーは、周りの人たちが自分に対して嘘や偽りのない態度で接してくれることを求めているのだ。あるときオスカーは、病院にピザを配達にやって来た口の悪い女性ローズに出会う。自分に対して横柄な態度を取るローズに興味を持ったオスカーは、ローズとの接触を試みるようになる。これまで誰とも口を利かなかったオスカーが、明らかに好意を持ってローズと話をしている姿を見た病院長は、ローズに対し、オスカーの話し相手になって欲しいと懇願するのだった。

 心を閉ざしていたオスカーが心を開く対象として選んだのは、肉親でも身近な友達でもなく、ただ病院にピザを配達にやって来ただけの女性ローズだった。ローズははっきりとものを言う性格だが、病院長から事情を聞かされ、最初は戸惑う。しかし、病院にピザを購入してもらうという条件で、オスカーの話し相手を引き受けるのだ。

 オスカーの置かれている状況が非常に深刻なものであったことからも、両親を含めた彼の周りにいる大人たちが、まるで彼を腫れ物に触るかのように扱っていた気持ちはわからないでもない。しかしそれは、客観的に見ると、オスカーの未来に対して無関心であることとほとんど変わりがないように思える。オスカーに遺された時間はわずかしかないのに、真実と向き合わずに、表面だけ取り繕っているようでは、せっかくの貴重な時間を無駄に過ごしてしまうように思うのだ。

 ローズはオスカーとともに、やがて迫り来る死から逃げようとせずに正面から向き合い、信頼関係を結んだ。これは、なかなか実践できることではない。多くの人たちは、やがて死を迎えようとしている人に対し、迫り来る死を隠すことが愛情を示すための唯一の手段だと思い込んでいることだろう。しかしそれは、死を隠す人自身が、やがて迫り来る相手の死と正面から向き合うだけの勇気を持てていないからではないだろうか。

 ローズは、人は誰でもいつか必ず死ぬということをオスカーに教えた。自分も、オスカーの両親も決して例外ではないと言った。だからオスカーが、自分を腫れ物のように扱う両親を心理的に遠ざけていることに対し、そのような態度を取るべきではないと戒めるのだ。すなわち、いつかは必ず死ぬという点においては、誰しも平等であることをローズはオスカーに教えたのである。

 タイトルの中にある100歳の少年の意味は、オスカーが余命いくばくもない状態であることから、一日で十年歳を取るようにオスカーとローズの間で取り決めたものである。自分がもはや余命いくばくもないことを知ったオスカーは、ローズの提案で毎日神様に手紙を書き、病院の中で恋をして、結婚もして、最愛の妻との別れまでも経験し、次の日を迎える度に十歳年を取って行く自分をわくわくしながら体験したのである。

 オスカーがローズに強く魅かれたように、私自身もローズの生き方には強く魅かれた。現実から目をそらさず、正面から受け入れ、正直に伝える勇気を持っている女性だと思う。人は誰しも、自分や自分の親しい人たちがいつかは必ず死ぬなどとは思いながら生きていない。多くの場合、死は心の準備ができていないときに突然訪れるものとして存在している。この映画は、誰にでもいつかは必ず訪れる死に対し、心の準備をしておくべきだと主張しているのではない。誰にでも死が平等に訪れるという事実から目をそらさず、余命いくばくもない状態である少年オスカーに対し、自分だけが死んで行くという恐怖心を和らげ、人生の最期の日まで強く生きる勇気を与えた作品なのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この作品を鑑賞すると、事実を隠して腫れ物に触るような態度を取ることが必ずしも愛であるとは思えなくなりますね。少なくとも本作からは、そうした態度が自己愛であるかのように伝わって来ます。しかし、ローズが取った立場は、真実を隠して表面的に取り繕うことよりも、更に一歩先へ進んだ立場であると感じるのです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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