« 高エネルギーの同窓会(1) | トップページ | 映画『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』 »

2011.01.05

高エネルギーの同窓会(2)

高エネルギーの同窓会(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 対等な関係を築き上げている親子関係は、とても好感が持てますね。互いに依存心がなく、親には子供を自立させようとする強い意志があります。親は子供の持つ力を信頼しているから、子供が自立することにしか手を貸さないのですね。Mちゃんと娘さんの関わり方も、そういう関わり方だと感じました。

 そんな状況の中、私は自宅から持ち帰った秋冬もののフォーマルウェアに恐る恐る袖を通した。このフォーマルウェアは、今からおよそ六年前に挙式した派遣仲間の結婚式に参列するために購入したものである。しかし、あれから私の肉体はずいぶん成長してしまっているため、持参したフォーマルウェアのサイズが合うかどうか、とても不安だった。それにもかかわらず、自宅でサイズ合わせをするのが怖くて、サイズ合わせもしないまま旅行カバンに詰めて持ち帰ったのだった。もしもサイズが合わなければ、仕方がないので普段着で参加するくらいの気持ちでいた。

 母に手伝ってもらいながらジャンパースカートをかぶってみると、ありがたいことに、そのフォーマルウェアは、多少きつく感じられるものの、何とか私の身体を包み込んでくれた。ただ、良くみると、スカートのスリット部分が窮屈に少しめくれ上がってしまっていた。めくれ上がったそのスリットを確認した私の両親が、
「ああ、それはいかん」
と言って苦笑いしていたのだが、私は思いがけず、自分の身体がそのフォーマルウェアに収まったので、多少きつくてもこれを着て行こうと心に決めていた。結局私は両親の苦笑いも無視して、そのまま支度を整え、会場となる居酒屋まで父に送ってもらった。

 居酒屋に着いて、居酒屋のスタッフに同窓会の参加者であることを告げると、同窓会の会場は階段を昇って三階だと案内された。私は高鳴る鼓動を抑えながら、階段を一段一段踏みしめて昇った。三階が近付くにつれ、にぎやかな声が次第に大きくなって来た。三階に着いてみると、そこには懐かしい顔ぶれが揃っていた。ぐるっと見渡して、目が合った人たちに軽く会釈をした。私を見付けてくれた何人かの同級生が声を掛けてくれた。その中には、小学校から高校までずっと一緒だったYちゃんもいた。Mちゃん同様、Yちゃんは、今回の同窓会が開催される前から、同窓会の話題でずっと盛り上がっていた友人なのである。

 入口付近で懐かしい友人と少しだけ会話を交わしたあと、私はYちゃんを誘って座敷に上がった。女性たちはある程度、固まって座っていたのだが、ぱっと見ただけでは誰なのかわからない人たちも多かった。

 私の通っていた中学校は、四つの小学校から生徒たちが集まって来ている。同じ小学校出身の同級生たちは、さすがに付き合いが長いので、例え中学校で一度も同じクラスにならなかったとしても、誰が誰なのか良くわかる。しかし、同じ小学校出身ではない同級生たちで、一度も同じクラスにならなかった同級生たちのことは、さすがに良く覚えていない。何故なら、そういう人たちは、顔に残された面影だけを頼りに、三十年前の記憶を呼び覚まさなければならないからである。

 私はときどきYちゃんに耳打ちしながら、あれは誰だろう、などとこっそり確認し合っていた。そう言えば、同じ小学校出身の同級生たちとは、中学校卒業後に何度か同窓会を開いて顔を合わせている。かくいう私も同窓会の発起人になって、同じ小学校出身の同級生たちに集まってもらったこともあったくらいだ。

 実は私は、小学校高学年から高校一年の始めくらいまでは眼鏡を掛けていた。しかし、高校一年の途中からコンタクトレンズに変えたので、眼鏡を掛けていた頃の私しか知らない人たちは、私が誰だか良くわからないだろう。しかも、若い頃と今では、体型がすっかり変わってしまっているのだ。そんな私とは違い、女性たちの多くは、体型もほとんど変わることなく、華麗に歳を重ねていた。大変うらやましい限りである。

 やがて、全員に飲み物が行き渡ると、乾杯の音頭が取られ、盛大な同窓会のスタートが切られた。誰しも最初のうちは大人しかったのだが、次第にお酒が入って来ると、自分のコップを片手に、好きな席に移動しておしゃべりに花を咲かせるようになった。おかげでいろいろな人たちと会話を交わすことができて良かった。今回の同窓会で一番の収穫だったことは、これまで一度も、あるいはほとんど話したことのなかった人たちと会話を交わすことができたことである。しかも、何故、これまでほとんど会話を交わさなかったのだろうと思えるくらい、自然で心地良い会話が成立していた。

 例えば、自宅でピアノ講師の仕事をしているというEちゃんは、楽譜を見ただけでその曲をさっと弾いてしまえるのだそうだ。また、絶対音階も聞き取れるそうで、和音の聞き取りもへっちゃらなのだそうだ。気になる曲を耳コピーして携帯電話の着メロを作っていた私としては、とてもうらやましい才能である。私は相対音階しか聞き取れない上に、和音の聞き取りもあまり得意ではない。そもそもコード理論が良くわかっていないのだ。しかし、世の中には私の得意でないことをいとも簡単にできてしまう人たちもいる。果たして、このような話を、Eちゃんと中学時代にできたかというと、そうではない。Eちゃんと交わす、音楽の話がとても楽しいと実感できるまでに三十年も掛かってしまったのだ。

 知らない間に私の隣に座っていたTくんは、最初のうち、誰なのか良くわからなかった。名前を尋ねてみてようやく、あのTくんだとわかった。驚いたことに、中学校時代のTくんは、人とほとんど会話をすることのないとても内気で大人しい男の子だったはずなのに、今ではすっかり人懐っこい性格に生まれ変わっていた。そう言えば、私は過去に、同様のケースに遭遇したことがある。幼稚園のときに、ずっと固い殻にとじこもっていた男の子がいたのだが、大人になって彼と再会してみると、すっかり明るい性格に生まれ変わっていた。度肝を抜かれるというのは、まさにこういうときに使うべき表現なのかもしれない。これらのことから、人格を形成するのは、環境なのではないかと思えて来たのだった。

 中学校時代に好きだった男の子(イニシャルはヒ・ミ・ツ)とも話をすることができた。実は、中学校時代、Yちゃんと私は同じ男の子のことが好きだったのだ。しかし、私には、Yちゃんと彼が両想いであるように思えた。だから私は、Yちゃんと彼のことをずっと応援していたのだ。私はYちゃんと彼の前で、「どうして二人は結婚しなかったんだろうね」などと言った。若い頃、Yちゃんと私が話すことと言えば、彼のことばかりだった。私は、若い頃のYちゃんが彼のことをどれほど真剣に好きだったかを一生懸命彼に伝えた。Yちゃんもそれを否定せずに心をオープンにしてその会話に加わっていた。時の経過がもたらす効果は不思議なもので、若い頃はプライドや恥ずかしさが邪魔をして、自分の気持ちを素直に表現することができなくても、こうして歳を重ねてしまえばすんなりと表現できるものだと実感した。若い頃は、何をそんなに必死で守っていたのだろう。守って守って守り抜いて、結局のところ、二人は別々の道を歩んでしまった。そんな話をしながら、私は彼と話をするのはとても楽ちんで心地がいいことにも気が付いた。彼と話すのに、構えが要らないのだ。だから、頭の中でさっと先回りして計算する必要もない。自分の思ったままを、フィルタを通さずに何でも口にすることができた。彼もまた、私に対して気軽に突っ込んで来た。こういう相性の人はなかなか巡り合えないので、とても貴重な存在だと思った。

 Yちゃん同様、小学校から高校まで一緒だったKくんとも話をすることができた。Kくんは、遠くから見ているだけでも癒し的な存在だった。私はYちゃんに、
「どこかにKくんのマスコット売ってないかな」
などと冗談を言った。Kくんは小学校のときに、算数のノートを消しゴムで丁寧に消して再利用していた。私がそんなことを覚えていることをKくんに話すと、Kくんは、私が小学校のときから小説じみたものを書いて、小説家になるなどと宣言していたことをちゃんと覚えてくれていた。私は、
「今でもいろいろ書いているよ。覚えてくれていてありがとう」
とKくんに言った。子供の頃から夢中だったことを、今でも記憶してくれている人がいるというのは、とても心強いものである。かつて、私が何故、ブログランキングに参加しているかの理由を書かせていただいたが、こうして振り返ってみれば、ブログランキングへの参加も小学校時代からのまっすぐな思いが積み重なったものなのである。

 私は、懐かしいいろいろな人たちとの会話を通して、間違いなく、古い記憶の上に新し記憶が次第に積み重ねられていることを実感していた。私の中で、小学校時代に出会った同級生たちと、中学校時代に出会った同級生たちとの接し方は明らかに違う。小学校時代に出会った同級生たちは、いわば幼馴染のような存在である。今回の同窓会で、この歳になっても、下の名前+ちゃん付けで私を呼んでくれた小学校時代の同級生(男性)がいた。少なくとも中学校時代は男女の間に照れが入る時期なので、実際に、下の名前+ちゃん付けで呼ばれることはなかったと思う。しかし、彼の中で、私は下の名前+ちゃん付けで存在し続けていたのだろう。私の中でも、彼の存在は、下の名前の一部+くん付けで存在し続けていた。

 大人になってから人と知り合うと、よほど親しい間柄に発展しない限り、お互いに苗字+さん付けという、大変よそよそしい呼び方で呼び合うようになる。しかし、長い時を経ても、小学校、中学校時代の同級生たちはお互いニックネームで呼び合っている。今回の同窓会でも、ニックネームは思い出せるが本名はなかなか呼び出せない同級生たちも何人かいたほどだ。子供の頃は、呼び方と比例して、親しい関係を築くことができていたのだ。しかし、歳を重ねれば重ねるほど、お互いの呼び方と同様に、どこかよそよそしい付き合いをするようになってしまったのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 中学の同窓会に参加して、人との距離の保ち方の違いについて、はっきりと実感しました。大人になってから知り合った人ほど、よそよそしい関係になってしまっています。(苦笑)その証拠に、小学校時代に出会った同級生たちの中には、例え何年顔を合わせることがなかったとしても、再会したときに、よそよそしい態度を取ってしまう人はほとんどいませんでした。また、大人になってから出会った人でも、互いにニックネームで呼び合っている人たちとは、心の距離が近いように思いますね。だから、相手と親しくなりたいと思ったら、いつまでも苗字+さん付けで呼び合っていてはいけないのですね。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

« 高エネルギーの同窓会(1) | トップページ | 映画『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18521/50504953

この記事へのトラックバック一覧です: 高エネルギーの同窓会(2):

» 遠近両用コンタクトレンズ調査隊 [遠近両用コンタクトレンズ調査隊]
遠近両用コンタクトレンズについての情報サイトです。よろしければご覧ください。 [続きを読む]

受信: 2011.01.06 14:20

« 高エネルギーの同窓会(1) | トップページ | 映画『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』 »