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2011年1月

2011.01.31

クーポン食堂

映画『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 若かりし頃のジョン・レノンの物語ということで、ファンにはたまらない内容だったようですね。ビートルズの前身となるバンドが登場していましたね。ビートルズは、デビューから五十年近く経った今もなお、世界中の人たちに愛されています。音楽史上、稀に見る偉大なグループだと思います。

 バンコクに住んでいた二つ年下の従妹から、タイにはクーポンを使って利用する食堂があると聞いていた。携帯電話での短いメールのやりとりだったので、詳細については尋ねなかったのだが、クーポン食堂なるものをガイドブックで確認してみると、どうやらいくつかのお店が集まるフードコート内で使える金券となるクーポンを購入して、そのクーポンと引き替えに注文したものを受け取る仕組みの食堂らしい。

 アユタヤに行った帰りにタイ国鉄のフアランボーン駅構内を散策したところ、気になっていたクーポン食堂を見付けた。タイには、安くておいしそうな屋台のお店がたくさんあるのだが、バケツの中に山積にされた使用済みのお皿を見ると、いくら安くても食べるのはちょっと勇気がいる。その点、室内にあるクーポン食堂なら、日本で言うところのフードコートのような感覚で手軽に利用することができる。違っているのは、注文した食べ物を受け取るときに、現金ではなく、クーポンを渡すということだ。

 私たちは、カウンターで販売されているクーポンを百バーツ(日本円でおよそ三百十円)分購入した。そこにはいくつかのお店があり、いろいろ目移りしたのだが、やはり麺類を食べたかったので、私たちはヌードルを食べさせてくれるお店を選んだ。

 そこは、西洋人にも人気のお店らしく、数人の西洋人たちが私たちの前に並んで注文した料理を待っていた。しかし、彼らがお店の人と英語で話をしているのを見守っていると、タイ語を話さずに、否応なしに英語で語り掛ける様子が、何となく威圧的に見えてしまった。もちろん、国際的なタイのことだから、店員さんも彼らの話す英語を理解していた。かくいう私たちも、タイの人たちと話をするときは英語を使わせていただいたのだが、もともと母国語が英語ではないため、英語で話すことを手探り感覚の手段として選んでいる。そのため、誰かが私たちのことを客観的に観察したときに、英語を母国語とする西洋人よりも消極的な態度に映っていて欲しいと願う。こうして西洋人たちが否応なしに英語を話しているのを見ると、やはりその国を訪れるならば、その国の言葉を学習しておくべきだと反省してしまった。

 麺類を注文したところ、ヌードルはもう売り切れと言われてしまったので、一皿四十バーツ(日本円でおよそ百二十四円)のシーフード・チャーハンを二皿注文することにした。注文したシーフード・チャーハンは二皿で八十バーツ(日本円でおよそ二百四十八円)なので、購入した百バーツ分のクーポンは残り二十バーツ(日本円でおよそ六十二円)ということになる。私たちは、喉が渇いていたので飲み物を買いたかったのだが、飲み物が相場よりも高く、三百五十ミリリットル入りの缶入りジュースがちょうど二十バーツ(日本円でおよそ六十二円)だったので、仕方なくそれを一本だけ購入して喉を潤した。ちなみに、コンビニなどでは、ペットボトル入りの水は八バーツ(日本円でおよそ二十四.八円)、ドリンク類は十数バーツで売られている。飲み物を一本しか買うことができなかったので、私たちは一本の缶入りジュースを仲良く分けて飲んだ。

 クーポン食堂を利用して感じたのは、購入した分だけのクーポンを使い切ろうとする意識が働くということだ。とは言え、決められた金額分の買い物をするみたいで楽しい。おそらく、余ったクーポンは、カウンターに行けば再び現金に引き換えてくれるのだろうが、どういうわけか、そうする気にはなれなかった。クーポン食堂は、そうした利用客の心理をうまく突いて、タイで成功している食堂なのかもしれない。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、クーポン食堂をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 従妹から、クーポン食堂は安くておいしいと聞いていましたが、私たちが食べたシーフード・チャーハンもまさしく安くておいしかったですね。お店の人は、チャーハンを作るときに特殊なうまみの効いたお醤油のようなものを足し込んでいましたが、きっとあれがおいしさの秘密なのでしょう。

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2011.01.30

映画『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』

タイスキ食べたい!の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 残念ながら、私たちは王宮にも行けずタイスキも食べられなかったわけですが、これも「またタイにおいで」という私たちへの歓迎だと思うことにします。(笑)それまで、余ったタイバーツ(タイの紙幣)は換金せずに取っておこうと思います。

 本作は、ジョン・レノンがまだ少年だった頃の物語である。鑑賞したのは十一月五日の公開初日で、公開前から劇場で何度も予告編を観ていて、公開を楽しみにしていた作品の一つである。

 リバプールで生まれ育ったジョン・レノンは、幼い頃に産みの母ジュリアと離れ離れになり、実母の姉ミミに育てられている。あるとき、自分を可愛がってくれたミミの夫である伯父のジョージが急死してしまう。その葬儀で、ジョンは実母のジュリアと再会し、意外にもジュリアが近所に住んでいることを知り、思い切って訪ねて行く。ジュリアは厳格な性格の姉のミミとは対照的の自由奔放な性格で、ジョンに音楽の楽しさとともにバンジョーを教えた。そんなジュリアの影響を受けて、次第に音楽に目覚めて行くジョンだったが、やがて実母であるジュリアの愛と育ての親であるミミの愛との板ばさみに苦しむようになる。

 リバプールというと、三年半前の夏休みにガンモと二人で訪れた街である。街全体のイメージとしては、港町といった感じだったろうか。そのリバプールで、のちに世界的に有名なバンドが誕生することになる。そう、ビートルズである。

 本作は、ジョンが音楽に目覚め、ポール・マッカートニーとの運命的な出会いを果たすシーンが盛り込まれている。のちの彼らの世界的な活躍を知っているだけに、そのシーンは実に感動的である。音楽的な刺激を与え合うことのできる貴重な仲間との出会いが用意されていたことからすると、やはり将来、彼らが大物になることは決まっていたのではないだろうか。伯父のジョージの死がきっかけになり、実母であるジュリアとの再会を果たし、音楽に目覚めたことでポール・マッカートニーと出会ったことから、私たちの人生もジョンの人生のように、ある出来事が引き金になり、連鎖的に繋がって行くものなのだとわかる。すなわち、人と関わることで、多かれ少なかれ、その人の人生を変えてしまうこともあるということである。

 ジョンの音楽活動の根底にあるものは、愛への渇望であるように思える。しかし、たいていの場合、何かを求めて止まないときは、存在しないものに対してとことん渇望しているのではなく、既にそこに存在しているものに満足していない場合が多い。ジョンの場合も、二人の母親から与えられる愛が既にあるはずなのに、それらを正面から受け入れようとせずに、もっと違う形の愛を求めていたようにも思える。しかし、人はやがて気付くのだろう。既に目の前に存在しているものを受け入れずに他のものを求めようとしても、結局はうまく行かないということに。だから、ジョンが愛を求め続けることではなく、既に存在している愛を受け入れることの大切さに気付いたとき、そこに大きな変化が生まれるのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作を鑑賞すると、のちに大物になった人たちは、決して苦労を知らずにぬくぬくと育って来たわけではないことがわかります。むしろ波乱万丈の人生を送っている人のほうが成功しているように感じられますね。それは、自分が苦労をした分だけ、人の痛みも理解できるようになるために、その人の周りに人が集まって来るからではないでしょうか。また、実母であるジュリアのように、これまでの既成概念を打ち破ってくれるような存在も大切なのだと感じました。

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2011.01.29

タイスキ食べたい!

王宮周辺と涅槃寺(ワット・ポー)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m いつもよりも更新時間が遅くなり、申し訳ありませんでした。平日は睡眠時間を四時間程度しか確保することができないため、かなりの寝不足に陥ってしまっているようです。(苦笑)それでもやりたいことがいっぱいで、なかなか思うように活動できずにいます。いつも、身体を休ませたい気持ちと、予定をこなしたい気持ちとの葛藤ですね。ところで、涅槃像のことを書きましたが、タイの伝統舞踊付きディナークルーズの司会者の方が、涅槃像のことを"Sleeping Buddha"と表現していて、なるほどと思いました。英語の表現をこのように覚えることができれば、わざわざ単語帳などに書き出して覚えなくても自然に頭に入りますよね。

 タイには、タイスキというタイ風のスキヤキがある。せっかくタイに来たのだから、やはりタイスキを食べたい。そこで、王宮周辺と涅槃寺(ワット・ポー)を観光した私たちは、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートのサートーン船着場からBTSに乗り換え、サパーン・タークシン駅から二駅だけ乗車し、チョンノンシー駅で下車した。ガンモの持っていたガイドブックの情報によれば、この駅から少し歩いたところにあるホテルの中に、タイスキで有名なお店があるというのだ。

 ところが、チョンノンシー駅の高架を降りてホテルのある方向に歩いて行こうとすると、通りに街灯もなくひどく暗いことがわかってしまった。時間は二十時頃だったと思うのだが、当然のことながら、辺りはもうすっかり暗くなっていた。私は、一日中歩き回ってとても疲れていたので、タイスキのことは諦めて、さっさとホテルに帰りたい気持ちもあった。タイスキを食べられるほどの元気が残っていなかったのだ。

 私はガンモに、
「この道、暗くて怖いよ。ほんとにタイスキを食べに行くの?」
と言った。するとガンモは、
「確かに暗いね。じゃあ、やめる?」
と言った。そう言われると、ここまで来て引き返すのも何だか悔しいではないか。私は、
「いや、せっかく来たからやっぱり行こう」
と言って、そのままガンモに案内を任せた。

 目的のホテルまでは、チョンノンシー駅から十五分ほど歩いたように思う。途中、タイ古式マッサージのお店がいくつかあった。その時間帯は利用客が少なかったのか、お店の外ではマッサージを担当する女性たちがおしゃべりを楽しんでいた。私もせっかくタイに来たのだから、タイ古式マッサージを体験したい気持ちもあった。しかし、そのときはおいしいタイスキを食べさせてくれるお店を探すのに必死だったことに加え、とても疲れていた。おまけに生理中だったので、シーツを汚してしまわないだろうかという不安もあった。とは言え、もともと第三者にマッサージを施してもらうというのは、私の好みに合った健康法ではなかった。ホットヨガのレッスンに通うことになる前、私は毎週のように近所の鍼灸医院に通っていたが、一回の治療費が四千円前後と比較的高額であるにもかかわらず、ほんの少しの効果しか上がらなかった。おそらく、第三者に治療を任せ切りにしてしまうことが、私のライフスタイルと一致しなかったのだろう。それに対し、ホットヨガのレッスンは、レッスンできっかけを与えてもらうだけで、自分でどんどん探求して行くことができる。だから長く続いているのだろうと思う。

 ガイドブックで確認しながら歩いているうちに、ようやく目的のホテルに到着した。ガイドブックによれば、そのホテルの二階にタイスキのお店があるはずだった。しかし、体力の残っていたガンモが二階まで上がってお店を確認してみたのだが、そこにはもはやタイスキのお店はなく、ガイドブックに掲載されているタイスキのお店とも違う名前だったようだ。どうやらガイドブックに掲載されてはいるものの、今はもう閉店してしまい、別のお店に変わってしまったらしい。

 一日中、いろいろなところを歩き回って疲れ果てた状態でここまでやって来たというのに、目的のタイスキを食べることができないので、私たちは余計に疲れが出た。そのため、しばらくホテルのロビーで休み、トイレを借りてから宿泊先のホテルまで帰ることにした。

 私はあまりお腹が空いていなかったので、ホテルに帰ったあとは、日本から持ち込んだダイエット食品の雑炊を食べることにしていた。一方、ガンモはコンビニに寄って、何か食べるものを買った。

 帰りは暗い道を通らずに、BTSではなくMRT(地下鉄)を利用するため、少し歩いた。すると、パッポンストリートというバンコクの歓楽街が見えて来た。そこは、初日にタイの伝統舞踊付きディナークルーズカリプソオカマショーの現地ツアーに参加するために、集合場所に指定されたホテルの近くだったため、ガンモと一緒に歩いたところでもある。そのときはまだ外が明るかったので、夜店は出ていなかったのだが、このときはもう二十時を回っていたため、夜店がぎっしり並んでいた。明けないバンコクの夜といった感じだった。

 初日に続いて、二日目も盛りだくさんな一日を過ごし、そして三日目はアユタヤまで足を伸ばした。最終日となる四日目は、ホテルをチェックアウトしたあと、すぐに空港に向かったので、ほとんど何も観光しなかったのだが、滞在中、忙しく動き回っていただけに帰りの飛行機ではどっと疲れが出てしまい、飛行中にたっぷりと睡眠を取ることができた。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、タイスキ食べたい!をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回の記事で、タイ旅行の話は終わったかのように結んでいますが、もう少し続きます。(笑)細かいエピソードがまだ残っていますので、引き続きよろしくお願い致します。

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2011.01.28

王宮周辺と涅槃寺(ワット・ポー)

映画『冬の小鳥』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 西洋人が韓国人の女の子を養女として迎えることは、西洋人にとってもかなり大きな決断だと思います。東洋人に対し、神秘的なものを感じているのかもしれません。それに対し、もともと東洋人には西洋人に対する憧れのようなものを抱いていると思います。自分たちとは異なる人種の養女を引き取って育てようとするということは、西洋人がそれだけ周りに対してもオープンであるということなんでしょうね。

 お昼前にホテルを出て、チャトゥチャック市場を楽しんだあと、バンコクの中華街周辺を彷徨いチャオプラヤー・エクスプレス・ボートに乗った私たちは、次なる目的地となる王宮を目指していた。一日のうちにいろいろな場所に足を運んだあとだったので、王宮に着く頃には、既に十五時半を回っていた。

 王宮の周辺にあるいくつかの入口は、銃を持った王室の警備兵たちによって守られていた。何かあろうものなら、銃を突き付けられるかもしれない。私たちは緊張感から、彼らにカメラを向けることができなかった。

 王宮の周辺には、大きな道路が走っていて、自家用車や路線バス、トゥクトゥク(三輪車タクシー)などがひっきりなしに行き交っていた。これだけの交通量があれば、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートがひどく混雑していたとしても、渋滞のストレスに比べればまだましなのかもしれない。

 王宮に入場するためにガイドブックを確認していたガンモが、王宮への入場時間は十五時半までだったことに気が付いた。私たちは、せっかくここまでやって来たというのに、王室には入場できないことがわかり、ひどくがっかりした。とは言え、王室の周辺にあるどこかの入口では、まだ入場を受け付けているところもあったので、思い切って入口をくぐってみた。そこは王宮への入口ではなく、何やら建物の一部を見学するための入口だったようだ。しかし、私たちの服装が良くなかったのか、入場できないと言われてしまった。他にも、私たちと同じように入場を断られている外国人カップルもいた。

 私たちは理由もわからず、その入口を離れ、歩き始めた。すると、またしても別の入口が現れた。やはり、入口には銃を持った室の警備兵たちがいた。ありがたいことに、そこには入場可能な服装と入場不可能な服装について、絵による説明がなされていた。ノースリーブや丈の短いズボンは入場不可の対象となっているらしい。しかし、私たちはノースリーブの服を着ていたわけでもなく、丈の短いズボンを履いていたわけでもなかったので、私たちが何故、入場を断られたのかは最後まで謎だった。また、実際には入場を断られても、着替えを貸し出してくれるところがあるらしいのだが、それに関する情報もなかったので、私たちは素直に入場を諦め、次なる目的地である涅槃寺(ワット・ポー)を目指した。

 涅槃寺(ワット・ポー)は、王宮周辺から歩いて十数分のところにあった。トイレに行きたかったので、私たちは涅槃寺に入場してからすぐにトイレに行った。その後、中を見て回ったのだが、やはり仏教国と言われるだけの厚い信仰心を、熱心に祈りを捧げる人たちや数々の仏像から感じ取った。

 靴を脱いでご本尊に入ってみると、そこは神聖な空気で包まれていた。向かって左側の段の上には、複数の僧侶たちがお経を唱えていた。私は正座を続けることに自信がなかったので、その段にもたれかかろうとしていたところ、涅槃寺のスタッフに注意されてしまった。仕方なく、段から少し離れたところに腰を下ろし、足を少し崩して座った。見ると、西洋人の女性が腰の下に何かを巻き付けて座っていた。どうやら、露出度の高い服を着ている人には、肌を隠すための布を貸し出してくださるようである。

 段の上にいる僧侶たちは、日本とは違うお経を唱えていた。私はそれを聞いて、僧侶たちは音(おん)で働き掛けていると感じた。タイの僧侶たちの唱えるお経は、独特のメロディとリズムを持っていたのである。

 しばらくお経に耳を傾けていると、あるタイミングで僧侶たちがいっせいに足を崩し、全体的にリラックスした雰囲気に包まれた。そのタイミングを見計らって、何人かの人たちが次々に本堂に入って来た。その人たちの何人かが、本堂の中のリラックスした雰囲気を感じ取り、写真を撮り始めた。私はそれまで、本堂の写真を撮影することは控えていたのだが、他の人たちが撮影しても涅槃寺のスタッフに何も注意されていなかったので、撮影しても良いと判断し、一枚だけ写真に収めた。

 その後、本堂を出て、外にある大きな仏塔などを見学したあと、私たちは入口付近にある涅槃像の横たわるお堂に入った。いやはや、大きい。涅槃像は、偏平足の足を投げ出して横たわっていた。足の裏には、特徴のある指紋が描かれていた。実は私も偏平足に近いので、涅槃像には親近感を持った。涅槃像の裏側には、いくつもの壺が並べられ、順番にコインを入れるようになっていた。

 涅槃像は特殊なパンチパーマなのか、短く刈られた髪の毛にはいくつもの突起の塊があった。見方によっては、居間に横たわってテレビを観ながらお菓子を食べるときのような格好にも似ているのだが、その格好で両足をきれいに揃えるのはなかなかやっかいだろうと思う。実際、ホットヨガのレッスンでも涅槃像と同じようなポーズを取ることがあるのだが、ヨガの場合は両足をくっつけたままの状態で上に引き上げるので、ちょっと苦しい。果たして、涅槃像の偏平足や、まっすぐの身体は、何を意味しているのだろうか。

 涅槃像を見学して満足した私たちは、再びチャオプラヤー・エクスプレス・ボートに乗って、次なる目的地を目指したのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、王宮周辺と涅槃寺(ワット・ポー)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 日本と同じ仏教国でも、タイと日本は対照的だと言っても過言ではないかもしれません。タイにおける仏教に関する建築物や仏像は金色がふんだんに使われていて、一見すると派手なイメージがありますが、人々の信仰心はとても厚いですね。それに対し、日本における仏教に関する建築物や仏像は地味な色合いのものが多いですが、人々の信仰心はタイほど厚くはありません。仏教に関する建物や仏像は、人々の信仰心がそのまま反映されるのでしょうかね。(笑)

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2011.01.27

映画『冬の小鳥』

ホットヨガ(二一九回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m リラックスコースのレッスンを受けた日のことを書いたはずなのに、内容は骨盤コースのレッスンへの期待感に満ちたものになってしまいましたね。(苦笑)三宮店のリラックスコースのレッスンは、土曜日の十四時半から行われていたので、自宅で「ガンまる日記」を書き上げたあと、お昼ご飯を食べてから自宅を出るとしても、せかせかすることなく時間に余裕がありました。しかも土曜日なので、レッスン後に映画を二本鑑賞したとしても、翌日の活動には響きませんでした。更に、日曜日は丸一日自宅でゆったりと過ごすこともできたんですよね。しかし、これからは、そうした生活のペースを変えて行く必要がありそうです。

 今回、お届けするのは、十一月四日に鑑賞した韓国とフランスの合作映画である。

 ある日、よそ行きの服を着せられたジニは、父親と一緒に出掛けて行く。おいしいケーキを手土産に買ったジニは、優しかったはずの父親によって、カトリックの児童養護施設に預けられる。父親は、ジニには何も告げることなく、背を向けて児童養護施設から立ち去ってしまうのだった。ジニは、自分が児童養護施設に置き去りにされたという事実をなかなか受け入れることができず、自分には父親がいるので孤児ではないと主張し、児童養護施設の生活になかなか馴染むことができなかった。それでも、次第に自分の置かれた状況を受け入れるようになると、児童養護施設での生活にも少しずつ馴染んで行く。

 児童養護施設には、時折、何組かの西洋人夫婦がやって来ては、養女の候補を探していた。親のいない彼女たちの唯一の希望は、養父母に引き取られることだった。

 本作の監督であるウニー・ルコントは、実際に自身が韓国のカトリックの児童養護施設からフランスの養父母に引き取られた経験を持つことから、本作の脚本を書き上げたそうだ。本作の児童養護施設における描写がとてもリアルだったのは、監督自身の経験が再現されているからなのだろう。養父母に引き取られる描写に関しても、年齢を重ねてしまえば次第にチャンスを失う孤児たちの緊張感も良く描かれていた。

 児童養護施設のシーンで特に印象に残っているのは、ジニと仲の良かった先輩のスッキが、児童養護施設を訪れた西洋人の養父母に気に入られようと、一生懸命英語を話そうとするシーンである。自分なりに何とか幸せを掴もうと、一生懸命になっている姿がとても痛々しかった。ただ、その一方で、スッキのように一生懸命になって養父母の気持ちを自分のほうに向かせようと努力した場合、無理に手繰り寄せた糸がどこかでぷつんと切れてしまわないだろうかと心配にもなった。というのも、互いに引き合い、自然に紡いだ糸ではなく、スッキが一方的に養父母に気に入られようと頑張って紡いだ糸のように感じられたからだ。

 また、お腹を空かせたジニが、児童養護施設で食べ物を漁るシーンも印象的だった。自分が孤児になってしまったことをなかなか受け入れられなかったジニは、児童養護施設で用意される食事に手を付けなかったために、お腹を空かせてしまい、食堂に何か残っていないかと探し回る。しかし、もともと充分とは言えない児童養護施設の食事が残っているはずもなく、ジニはわずかに残された残飯で必死に空腹を満たそうとするのだ。

 まだレビューは書いていないが、ここのところ、立て続けに親と子供が何らかの事情により生き別れる映画を鑑賞している。それらを鑑賞して感じたのは、親の愛は絶対だということだ。しかし、本作のように児童養護施設に預けられた子供たちは、自分が親に絶対的に愛されていたことを知らないまま育つ。そのことが原因で抱えてしまう心の闇に、光を当てる方法はないものだろうかと私は模索する。結局は、私が近日のうちに鑑賞した映画のような作品をいくつか鑑賞し、自分も親から絶対的な愛を注がれていたことを疑似体験するしかないかもしれない。あるいは、自分自身が親になったときに、ようやく理解できる人もいるかもしれない。

 ウニー・ルコント監督がこの作品の脚本を書いたということは、何らかの事情により、自分を育てられなくなって児童養護施設に預けた肉親への恨みではないと思う。ウニー・ルコント監督は、ジニのように、どこかの段階で自分の置かれている状況を受け入れ、そこから光を見出して、こうして世界に羽ばたいたのではないだろうか。何と、ウニー・ルコント監督自身は韓国人のはずなのに、韓国語を話すことができないそうである。おそらく、ジニのように、子供の頃から養女としてフランスに渡ったためだろう。それでも、こうして韓国を舞台にした作品を生み出したことにより、ウニー・ルコント監督なりに祖国への想いを表現できたことになるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 鑑賞した当時は、本作がウニー・ルコント監督自身の物語だとは気付きませんでした。あとになって、これが監督自身の経験から生まれた作品であることがわかり、リアルな描写に納得が行きました。

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2011.01.26

ホットヨガ(二一九回目)

難しいトイレ(11)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m タイの人たちが観光客用のトイレを使って用を足したあとにホースを使っている姿を想像すると、何だか不思議な気がしますね。反対に、タイの人たちにとっては、トイレットペーパーを使うことが不思議なことなのかもしれませんね。考えてみると、水を使って洗ったほうが確実にきれいになるのですから、タイの人たちはきれい好きなんでしょうね。

 私にとって、今年最初のホットヨガのレッスンは、三宮店で受けた六十分のリラックスコースのレッスンである。I医師の診察のあと、映画を一本鑑賞してから三宮店のスタジオへと向かうと、エレベータを降りてすぐ目の前にある入口の扉に、「骨盤ヨガ」の開始を知らせる紙が貼り付けられていた。

骨盤ヨガの開始を知らせる紙

 私はこの紙を見たとき、「おおおお! ようやく三宮店でも骨盤コースのレッスンが開催されるようになったのか!」と、心が踊った。受付でロッカーの鍵を受け取るときに、自分の書いた台本を読むインストラクターが対応してくださったので、
「ついに骨盤コースが始まったんですね。待ってました!」
と興奮気味に言った。すると、自分の書いた台本を読むインストラクターは、
「そうなんです。講習を受けて来まして・・・・・・」
と答えてくださった。私は、
「実は、骨盤コースのレッスンを受けるために、南森町店や京都店まで出掛けていたんですよ。講習は、南森町店のインストラクターから受けられたんですか?」
と尋ねてみたのだが、自分の書いた台本を読むインストラクターは、
「ごめんなさい。わかりません」
とおっしゃったので、話はそこで終わってしまった。

 レッスンを担当してくださったのは、自分の書いた台本を読むインストラクターである。ロッカールームがひどく混雑していると思っていたところ、十六名の人たちがレッスンに参加していた。狭いほうのスタジオに十六名もの参加者がひしめきあうのは、さすがに狭い。最近は、二回分のトライアルレッスンをわずか千円で受講できるようになっているためか、レッスンを受ける方の数がどんどん増えているのかもしれない。リラックスコースのレッスンは、ビギナーコースと同様、トライアルレッスンの対象レッスンなのだ。

 それにしても、三宮店で骨盤コースのレッスンが始まったとなると、私はしばらく、リラックスコースのレッスンからは遠ざかってしまうことになるだろう。そう思うと、少し名残惜しい気もする。思えば、リラックスコースのレッスンは、私が溝の口店のラビエで初めて受けたときにとことん惚れ込んだレッスンである。しかし、リラックスコースは、関東にあるラビエのスタジオから、関西にあるホットスタジオ・オーのスタジオに伝わったときに、わずかに変化してしまった。何がどう違うのかまではうまく説明することができないのだが、ひょっとすると、関西に伝わったリラックスコースのレッスンの中に、リラックスコースのレッスンを生み出した人自身の分身が含まれていないのかもしれない。

 レッスンを終えたあと、三宮店における骨盤コースのスケジュールを確認したところ、私が通えそうなレッスンは、日曜日の十六時からのレッスンか月曜日の十九時半からのレッスンだということがわかった。どちらも、これまであまりレッスンを受けたことのない時間帯に行われるレッスンである。私の場合、仕事のある日は五時起床のため、前日の夜はできるだけ早めに就寝して翌日の仕事に備えたい。日曜日の十六時からのレッスンを受けた場合、レッスンが終わるのは十七時だが、それからシャワーを浴びて着替えを済ませると十七時半過ぎになってしまうだろう。翌日、仕事に出掛けて行くことを考えると、映画を鑑賞してから帰宅するには少し遅い。ということは、これまでのように、ホットヨガのレッスンと映画鑑賞をセットにするならば、映画鑑賞はレッスンの前に済ませておいたほうがいいだろう。そのようなパターンには慣れていないので、ペースを掴むまでに苦労してしまいそうだ。また、月曜日の十九時半からのレッスンは、気合を入れれば参加できるのだろうが、毎週参加となるときついかもしれない。レッスンを受けた当日はいいのだが、やはり帰宅時間が遅くなると、翌日の仕事が辛いのだ。

 私は、三宮店で骨盤コースのレッスンを受けられるならば、梅田店でも受けられるようになっているはずだと思い、梅田店のスケジュールも調べてみた。しかし、梅田店もやはり三宮店と似たような状況だった。しかも、梅田店の場合は、平日のレッスンに参加できないため、一層選択肢が狭まってしまう。せっかく、三宮店や梅田店で骨盤コースのレッスンが開催されるようになったというのに、これまでの私の生活サイクルの中にレッスンを組み込み難いのはちょっとやっかいである。やはり休日は、誰しも、一日の早いうちにレッスンを終えて、そのあとショッピングなどを思う存分楽しみたいと思うのではないだろうか。しかし、その時間帯に骨盤コースのレッスンがスケジュールされていないということは、それだけ骨盤コースのレッスンが人気が高いレッスンであるということなのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ようやく三宮店や梅田店でも骨盤コースのレッスンが始まりました。期待感で胸はいっぱいです。(笑)しかし、どのように私の生活の中に取り入れて行くかが課題であります。(苦笑)実は、これを書いている今は、既に三宮店で骨盤コースのレッスンを受けて来ました。そのときの状況については、また後日、書かせていただきますね。

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2011.01.25

難しいトイレ(11)

映画『マザーウォーター』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 当たり前のことかもしれませんが、同じ出演者、スタッフで映画を製作したとしても、台本や監督が異なればまったく別の雰囲気を持った作品に仕上がりますよね。登場人物が現在、置かれている状況に関する細かい説明がないという点においては、映画『めがね』も同様なのですが、作品がもたらす起伏というのでしょうか。うねりとでも言うのでしょうか。荻上直子監督の映画『めがね』にはそれがありましたね。

 これからお届けするのは、お食事中の皆さんには大変申し訳ない記事である。数時間の夜間飛行を経てバンコクのスワンナプーム国際空港に着いたとき、当然のことながらトイレに行った。そして、個室に入るや驚いた。日本のように、トイレの扉が床の位置すれすれまで詰まっていなくて、スカートの裾をたくし上げたように扉と床の間に隙間があることに驚いたわけではない。そうした扉はヨーロッパのトイレで既に体験済である。私が驚いたのは、便器の横からホースのようなものが出ていたからだ。このホースは、トイレで火災が発生したときに消火活動を行うためのものなのだろうか。いや、違う。出発前に、確かガンモがタイのトイレは面白いと言っていたはずだ。ガンモの解説によれば、
「タイのトイレでは、用を足したあと、紙で拭くかわりに水で洗うようになっている」
のだそうだ。タイでは、水よりも紙のほうが高級なのだろうか。

便器の横からホースのようなものが出ている。用を足したあと、どうやらこれを使って洗うらしい

ホテルの部屋にも同様のホースが付いていた

 いやはや、恐れ入った。もちろん、私はこのホースは使わずに、備え付けの紙を使った。空港のトイレだけでなく、宿泊したホテルの部屋に設置されたトイレにも、同様に便器の横からホースが出ていた。しかし私は滞在中、一度もこのホースは使わずに、備え付けの紙を使っていた。そう言えば、ホテルの客室係の人がトイレットペーパーの予備を置いてくださらないので、毎日かなり不安だった。今になって思えば、タイの人たちはトイレットペーパーを使う習慣がないために、外国人観光客が二人で一泊したときにどれくらいのトイレットペーパーを消費するのか、想像もつかなかったのかもしれない。


 そして私たちは、三泊四日の対旅行を進めて行くうちに、空港やホテルにあったこの手のトイレは、明らかに外国人観光客向けのトイレだったことを知るのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m トイレの話だけに、何だか続編を匂わせる終わり方ですね。(苦笑)海外旅行に行くと、楽しみなのはやはりその国特有のトイレです。空港でこのタイプのトイレを目にしたときは、驚きとともに、また皆さんに面白いトイレをご紹介できると思うと、心が躍っていました。(笑)

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2011.01.24

映画『マザーウォーター』

バンコクの中華街周辺を彷徨うの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 掲載した写真は、何だかトゥクトゥク(三輪車タクシー)の写真集のようになっていますね。(苦笑)街を歩いている人の数は少なかったのに、トゥクトゥクの数が多かったということは、あのあたりは歩くところではなく、トゥクトゥクに乗って移動するところなのかもしれません。(苦笑)

 本作を鑑賞したのは、十一月三日のことである。本作の予告編を見たとき、「えっ? またこのメンバーで映画を撮ったの?」と思った。そう、私は映画『かもめ食堂』は鑑賞していないのだが、映画『かもめ食堂』と同じ出演者、スタッフで製作されたという映画『めがね』を鑑賞している。その後、映画『めがね』の監督である荻上直子監督の作品として、映画『トイレット』を鑑賞している。映画『トイレット』は、映画『めがね』とはちょっと毛色の違う作品だった。

 本作の監督は、荻上直子監督ではなく、映画『かもめ食堂』や映画『めがね』でメイキングを担当していた松本佳奈という人なのだそうだ。やはり、映画『めがね』とは監督が異なっているためか、出演者が同じであっても、雰囲気の異なる作品に仕上がっている。どちらかと言うと、映画『めがね』よりも緩い感じである。そのため、出演者たちが何を思い、何にこだわりながら生きているのか、そしてどこに向かっているのかがなかなかわかりにくい。

 舞台となっているのは、京都の小さな町である。町の中を大きな川が流れていて、登場人物の多くは水と関わっている。例えば、銭湯で働くオトメ、コーヒーショップを始めたタカコ、豆腐屋さんのハツミ、ウィスキーしか置いていないバーを営むセツコらである。しかし、京都が舞台であると言っても、登場人物たちはみんな、よその地域から越して来た人たちばかりなので、京都弁を話さない。見方を変えると、よその地域から京都に移住して来た人たちが、緩い関係を築きながら生きて行くドラマと言っていいのかもしれない。とは言え、先ほども書いたように、出演者たちが何を思い、何にこだわりながら生きているのか、そしてどこに向かっているのかがなかなかわかりにくいために、「だから何?」と突っ込みを入れたくなってしまうのも事実なのだ。

 私は、映画というものは、喜怒哀楽を疑似体験させてくれるものだと思っている。しかし、本作には喜怒哀楽の喜も怒も哀も楽もない。ただ流れて行く日常を淡々と受け入れ、その町で暮らす人たちが緩く関わって行く様子が描かれているだけなのだ。そのため、物語の展開についメリハリが欲しくなる。監督は、本作を通して、ただ水のように流れて行く日常を表現したかっただけなのだろうか。それとも、同じ出演者、スタッフで仕事がしたかっただけなのだろうか。考えれば考えるほど謎の作品なのである。

 本作には、もたいまさこさんも出演されていたのだが、特に台詞が多いわけではないのに、やはり彼女の存在感は大きかった。そして、彼女は誰かと共に生きたり、誰かと特別親しくなるような役柄よりも、独りで自立して生きている役柄がとてもお似合いだと思った。また、豆腐屋で働くハツミを演じている市川実日子さんは、どの作品に出演しても同じようなキャラクターを演じている。そういうところに視点を置いてみると、本作に登場しているほとんどの役者さんたちが緩いキャラクターで構成されているために、喜怒哀楽という凸凹のない平坦なストーリーに仕上がっているのも無理はないのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作には町の人たちに愛されるキャラクターとして、お母さんのいない赤ちゃんが登場するのですが、その赤ちゃんには何故、お母さんがいないのかといったことは説明されません。そう言えば、多くの登場人物は三十代後半から四十代半ばだと思ますが、誰一人としてパートナーを伴っている人はいません。そのあたりも不思議な感じがしますね。

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2011.01.23

バンコクの中華街周辺を彷徨う

チャトゥチャック市場の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今回のタイ旅行を通して、私は間接的に、従妹の見ていたものを自分自身の目で確認することになりました。その過程において、彼女が日本で妊娠、出産をしたあと、夫や二人の子供とともにバンコクに渡ったことに対し、彼女の、夫に対する深い愛情を感じずにはいられませんでいた。英語が得意でないと言っている従妹ですから、夫への深い愛情がなければ、異国の地で暮らすなど到底実現できなかったことでしょう。しかし彼女は、愛のもとに、それを実行いたのですね。今回、ガンモが風邪を引いたまま旅行を始めることになってしまったわけですが、従妹が「何かあれば夫がいるので言ってね」と心強いことを言ってくれたので、もしも病院に掛かったほうがいいような状況になれば、彼女の夫を頼ろうと思っていました。しかし、結果的には彼女の夫を頼ることなくガンモの体調が回復してくれて良かったと思っています。

 これからお届けするのは、タイ旅行中にリアルタイムで書かせていただいたガンまる、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートに乗るの直前までの出来事である。チャオプラヤー・エクスプレス・ボートに乗船したことをメインに書きたかったので、リアルタイムで書かせていただいた記事からは省略させていただいたのだ。言い換えれば、本来ならば、ガンまる、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートに乗るの記事は、これからお届けする記事のあとに続くものである。

 チャトゥチャック市場をあとにした私たちは、王宮方面へと向かうため、今度はBTSではなくMRT(Mass Rapid Transit、地下鉄)に乗車した。MRTの切符は、これまた面白い。オセロの駒くらいの大きさの物体が、実はICチップ入りの切符なのである。ICチップ入りなので、当然、こちらも再利用可能である。鉄道の切符を再利用するという点においては、日本はタイに遅れを取っていると言えるだろう。

 私たちは、MRTのフアランボーン駅で降りた。実はこのすぐ近くには、この翌日、アユタヤに行くために利用したタイ国鉄のフアランボーン駅がある。私たちは、MRTのフアランボーン駅からガイドブックに掲載された地図を見ながらずんずん歩き始めた。この時点では、ここから一生懸命歩けば、王宮にたどり着くことができると思い込んでいたのだ。しかし、のちにそれがとんでもない誤解だったことに気付くのである。

 ところで、タイを訪れてみて強く感じたのは、横断歩道を渡る恐怖である。信号があるところはまだいいのだが、横断歩道でも信号のないところが実に多いのだ。地元の人たちはタイミングを見計らって、信号のない横断歩道を堂々と渡っている。関西で信号無視をして横断歩道を渡っている私たちも、信号のないタイの横断歩道にはかなわない。何しろ、交通量が半端じゃないからだ。私たちは、地元の人たちが横断歩道を歩き始めると、まるで金魚の糞のように地元の人たちにくっついて渡った。

 もう一つ、タイの特徴として、段差が多いことが挙げられる。多くの駅にはリフト(エレベータ)の設備がなく、スーツケースを運ぶにもスーツケースを抱えて階段を昇らなければならない。エスカレータがあればラッキーといったところだ。また、街を歩いていても、歩道と車道の段差が激しい。これでは車椅子で生活している人たちは大変だろうと思う。実際、タイを訪れてみて、車椅子に乗っている人たちをほとんど見掛けなかった。車椅子に乗っている人たちが少ないから段差が激しいのか、それとも、段差が激しいから車椅子に乗っている人たちが街へ出て来ないのかはわからない。

 さて、途中、いかにもタイらしい建物をいくつか見掛けたのだが、何も知らない私は、これが王宮だろうかと思いながら建物の前で立ち止まって覗き込んでみたのだが、何度確認しても、そこは王宮ではなかった。一体、王宮はどこにあるのだろうか。私たちが歩いている横を、何台ものトゥクトゥク(三輪車タクシー)が通り過ぎて行った。何十分も歩き回り、そこが中華街に近いということだけはわかったのだが、中華街そのものではなく、人通りもそれほど多くないところをずいぶん長いこと彷徨っていた。どうやら私たちは道に迷ってしまったらしい。私たちは次第に不安になって来た。

 ガンモ曰く、
「ガイドブックを見ながら歩いていたんだけど、ガイドブックの構成の関係で、地図が途中で途切れていたんだよ。でも、歩けば道は繋がっているんだろうと思ってた」
ということらしい。結局私たちは、それから更に歩いてチャオプラヤー・エクスプレス・ボートの乗り場を見付けたわけだが、、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートに乗ったとしても、王宮まではずいぶん道のりがあったので、私たちは無謀な街歩きを敢行してしまったことになる。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、バンコクの中華街周辺を彷徨うをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私よりもロジカルなガンモの案内で道に迷ってしまうなんて、きっとそれなりの理由があったのだろうとは思うのですが、どうやらガイドブックのページが切り替わって掲載されていない部分を勝手に埋めようとして歩いたみたいですね。(苦笑)その後、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートを利用して王宮の近くまで移動したのですが、船着場を四つくらい移動したように思います。(苦笑)

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2011.01.22

チャトゥチャック市場

カリプソオカマショーの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 記事をアップしたあと、記事の中に貼り付けたYouTubeの関連動画へのリンクを次々に辿りながら、しばらく見入ってしまいました。日本では、こういうところに出入りしているわけではないのですが、さすが、現地ツアーが企画されているだけあって、見応えも充分でした。

 私の周りでは、少なくとも五人の人たちがバンコクに行ったことがあるそうだ。その中でも最もバンコクと縁が深いのは、二つ年下の従妹である。彼女は数年前まで、夫の転勤のためにバンコクに住んでいたことがある。彼女の実家の事情で、彼女が二人の子供を連れて日本に帰国し、現在は彼女の夫だけがバンコクに住んでいる。今回、バンコクに行く前に従妹にメールしてみると、従妹はバンコクの情報などをいろいろと教えてくれた。そのメールの中に、チャトゥチャック市場のことが書かれていたので、足を運んでみることにした。

 チャトゥチャック市場は、バンコクで週末のみに開催されている巨大マーケットである。一万以上ものお店がところ狭しと軒を並べていると言われ、ここに足を運べばお土産品でも日常品でも何でも揃うのだそうだ。お店の数があまりにも多いために、欲しいものを見付けた場合は、躊躇せずに何でも購入することが推奨されている。というのも、価格が安い上に、お店の数が多いために、同じお店に再び戻って来られる保障はないからだそうだ。ただ、非常に混雑するため、スリも多いようで、スリにはくれぐれも注意するようにと従妹から忠告を受けていた。

 バンコク滞在の二日目、宿泊先のホテルを出発した私たちは、BTS(Bangkok Mass Transit System、高架鉄道)に乗り、チャトゥチャック市場の最寄駅であるモーチット駅を目指した。BTSの切符は区間ごとに運賃が決まっていて、自動販売機で切符を購入すると、カード式の再利用切符が出て来る。私の知る限り、確か上海でも、使用済の切符が再利用されていた。区間ごとに販売されているBTSの切符は、発駅や着駅の情報が書かれていないため、再利用し易いのかもしれない。一方、日本の鉄道の切符には、乗車日や乗車区間(○○駅から何円区間)といった内容が印字されているため、再利用しにくいのかもしれないが、例えば三百円区間の切符などというふうに発売すれば、バンコクのBTSのように切符を再利用することができるのではないだろうか。

 アユタヤまで利用したタイ国鉄の特急列車の冷房がギンギンに効いていて寒かったという話を書いたが、冷房がギンギンに効いているのはBTSも同様だった。ただ、タイ国鉄のように長時間利用したわけではなかったので、まだ許容範囲内である。BTSの車両は、あたかも覆面をしているかのように、窓まで絵で塗り潰されていた。これは、列車の窓を活かして外の光を取り入れることよりも、絵を描くことを優先したかったからなのだろう。

 モーチット駅に着いて高架を降りて少し歩くと、そこには巨大なマーケットが広がっていた。もともとタイの物価は安いのだが、チャトゥチャック市場はとりわけ安いようだ。建物として構えているお店のほか、露店もたくさんあり、衣料品や食べ物、飲み物などが売られている。

 それらの露店の中で、大きな丸い金物製の入れ物を構え、その中に試験管のようなものをいくつも差し込んで売っているおばあちゃんを見掛けた。おばあちゃんは、試験管のような細い入れ物の中に、何か液体を足し込んでいた。あとでわかったことだが、おばあちゃんが売っていたのはアイスキャンデーだったらしい。

 立ち止まることなくずんずん歩いて行くと、飛び出す絵本のような立体の何かを売っている人もいた。綿菓子を背中に背負い、歩きながら売っている人もいた。農家の人なのだろうか。竿に通した籠を紐でくくり付け、農作物を売っている人もいた。とにかく、いろいろなお店がたくさんあり過ぎて、自分でも何をどうしたいのか、わからなくなる。ただ、このときはまだバンコク滞在二日目で、状況をあまり良く把握していなかったために、私たちは購買意欲が薄れてしまっていたと言える。そのため、私たちがチャトゥチャック市場で購入したのは、何と飲み物だけだった。

 その飲み物とは、推定年齢十五歳くらいの少女が売っている色とりどりのフレッシュジュースである。ジュースの中に、何かの花びらが入っているらしく、花びらの赤い色がジュースににじみ出ているようだった。一体何の花びらだったのか、未だに謎なのだが、一杯二十バーツ(日本円でおよそ六十二円)でマクドナルドのLサイズくらいの大きさの透明な入れ物に氷とともに入っていて、ジューシーな上に冷たくてとてもおいしかった。

 チャトゥチャック市場でなくても、バンコクには屋台が多い。飲み物を扱う屋台では、ペットボトルなどに入ったお水やドリンクを店頭に並べるために、大量の氷が使用されている。屋台で冷たいものを売るには、氷は欠かせないようである。何しろ外の気温が一月でも三十二度前後と高いので、外を歩くときには飲み物は欠かせないのである。手ぶらで出掛けたとしても、このように飲み物を売っている屋台やコンビニエンスストアがたくさんあるので安心である。ただ、日本にたくさんあるような自動販売機はほとんど見受けられなかった。

 おそらくチャトゥチャック市場は、丸一日掛けてもすべてのお店を回り切ることはできないだろう。そう思うと、次なる目的地へと向かうために気ばかり焦ってしまい、せっかくのショッピングに集中することができなかった。というのも、初日に寝不足のままバンコクに着いてしまったため、予定していた市内観光がまだ実現できていなかったからだ。後ろ髪を引かれながらも、私たちは初日の遅れを取り戻すかのように、チャトゥチャック市場をあとにしたのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、チャトゥチャック市場をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 一万以上のお店があったのだとすると、私たちはその百分の一も回っていないかもしれません。(笑)チャトゥチャック市場は、週末しか営業されていないということで、どうしても滞在二日目の日曜日に足を運ぶ必要があり、前日の夜の就寝が遅かったにもかかわらず、ちょっと無理をして出掛けたのです。実は、タイの米袋を改造して作られたバッグを探していたのですが、見当たりませんでした。日本で、タイの米袋を改造して作られたバッグを販売しているお店からインターネットを経由していくつかの商品を購入し、気に入って愛用しているので、本場のタイに来ればもっといろいろなものが格安で手に入るかと思って期待していたのですが、じっくりと探す時間がありませんでした。チャトゥチャック市場は、是非また訪れたい場所の一つです。価格が安い上に商品も豊富なので、日本でアジア雑貨などを販売している業者さんは、チャトゥチャック市場で仕入れたりするのでしょうかね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.01.21

カリプソオカマショー

ホットヨガ(二一八回目)(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 塩飴をいただいたと記事に書きつつも、塩飴の写真を掲載していなかったので、あとになってから慌てて写真を掲載しておきました。(苦笑)いただいた塩飴は、年が明けてからおいしくいただきました。さて、週末になりましたので、タイ旅行の続きをお届けします。今回は、女性ホルモンについての内容も含みますので、子宮筋腫カテゴリにも加えておきますね。

 タイの伝統舞踊付きディナークルーズでお腹いっぱいになった私たちが次に向かったのは、アジアホテルである。ここにはカリプソという名前のキャバレーがあり、オカマショーを披露してくれるという。そう、今回申し込んだ現地ツアーは、タイの伝統舞踊付きディナークルーズとカリプソのオカマショーがセットになっていたのである。

 アジアホテルに着いたのは二十一時過ぎだった。オカマショーは一日に二回行われており、私たちが鑑賞したのは、その日の最終ショートとなる二十一時四十五分からのショートだった。オカマショーの開始時間までまだ時間があったので、私はそれまでの間、同じアジアホテル内にあるNaRaYaのお店でショッピングを楽しんだ。というのも、NaRaYaで使える五パーセント割引券を現地ツアーのスタッフからいただいたからだ。

 NaRaYaには、かわいらしい化粧ポーチなどがたくさんあり、思わず見入ってしまった。特に私は布ナプキンを愛用しているので、布ナプキンを収納できるかわいらしいポーチが欲しくてたまらなかったのだが、大きさもデザインもちょうどお手頃のものがなかなか見付からず、ずっと探し求めていたのだ。ありがたいことに、NaRaYaには、そんな私におあつらえ向きのものがあった。しかも、タイの物価が安いからだろう。お値段も日本で同等のものを買うよりはずいぶんお得だった。私は、お土産用と自分用にいくつかの化粧ポーチを選んでレジに行き、現地ツアーのスタッフからいただいた割引券を提示した。ところが、クレジットカードで支払いを済ませようとしたところ、私が差し出したクレジットカードでも五パーセント割引になると言われたので、現地ツアーのスタッフからいただいた割引券を引っ込めた。日本で使っているクレジットカードがタイのお店で割引になるのだから、NaRaYaはそれだけ日本人観光客に利用されているということなのだろう。

 ショーの時間が近付いて来たので、私たちはホテルの地下にあるカリプソまで移動した。驚いたことに、私たちが案内された席は、ステージの真ん中寄りの最前列だった。同じ現地ツアーに参加されている方たちも、私たちのすぐ後ろの二列目に座った。最初は最前列の席に座ることに躊躇したのだが、最前列の席は二席、二列目の席は四席用意されていたので、私たち二人のほかに男性一人、男女三人組の組み合わせで席を振り分けるならば、私たち二人が最前列に座るのが妥当だったのだろう。それほど広くはない店内には、日本人観光客も多かったが、西洋人もたくさん見受けられた。おそらく満員だったのではないだろうか。

 間もなくショーが始まると、私は踊り子さんたちの美しさに圧倒された。それと同時に、私の中にいろいろな想いがこみ上げて来た。最初に私の中に浮上したのは、私自身が女性であるのに、今、目の前にいる踊り子さんたちのように、女性であることを心から楽しんでいるだろうかという反省の想いだった。彼女たち(と言っていいのかどうかはわからないが)は、先天的には男性でありながらも、女性であることを求めてやまなかった。女性になりたいのに肉体的には恵まれず、おそらく性転換手術を受けてようやく肉体的にも女性になった。そこまでして女性になりたかった彼女たち(と言っていいのかどうかはわからないが)の情熱は、これまで私自身が女性であることに対し、あまりにも無頓着であり過ぎたことを気付かせてくれた。彼女たち(と言っていいのかどうかはわからないが)は、苦労して手に入れた女性という性をとても大事にし、楽しんでいるように思えたのだ。

 しかも、彼女たち(と言っていいのかどうかはわからないが)にとってのオカマショーは、人生のある時期だけ、何かの繋ぎのために存在しているものではないことが良くわかった。彼女たち(と言っていいのかどうかはわからないが)は、本気でオカマショーに取り組んでいたのだ。その意気込みが伝わって来るから、鑑賞する私も本気になるのだ。

 興味深かったのは、オカマショーに出演しているすべての人たちが女装しているわけではなかったことだ。そう、ちゃんと男役の男性もいるのである。観客席のどこかから、男性の日本人観光客が、
「まるで宝塚そのものやな」
と関西弁で話している声が聞こえて来た。なるほど、宝塚歌劇団はすべて女性だけで構成されていて、男役と女役に分かれている。それに対し、オカマショーはすべて男性だけで構成されていて、男役と女役に分かれている。すなわち、宝塚歌劇団の正反対というわけだ。

 ちなみに、ショーで流れる歌に対し、踊り子さんたちはすべて口パクで対応していた。確かに見掛けは女性でも、声は男性のままなので、それをカバーするためかもしれない。

 それにしても、私は、踊り子さんたちの肉体のことが心配になった。彼女たち(と言っていいのかどうかはわからないが)は、今の美しい肉体を作り上げるために相当無理をしているのではないだろうか。性転換手術は外科手術としても、女性らしい身体を作り上げるためには、ホルモン調整は避けられないだろう。私自身、筋腫を小さくするために女性ホルモンに関して少し勉強して来ただけに、自分の身体の中のホルモン量を調整することの難しさを少しは体験しているつもりである。しかも、実際にどのような手段が取られているのかはわからないが、もしも彼女たち(と言っていいのかどうかはわからないが)が合成ホルモンを使っているのだとしたら、身体に相当の負担を掛けている可能性もあるのではないだろうか。婦人病の緩和目的で使用される女性ホルモンに関しても、合成ホルモンには発ガン性があるとされ、恐れられている。実際には、先天的には男性として生まれた人が、女性らしさを保つためにどのようなことを実践されているのかは未知数だが、合成ホルモンを使用することだけは避けて欲しいと願う。

 そんな話をガンモにしてみたところ、ガンモは、
「それでも、女性性器がないだけ、まだマシなんじゃないか」
と言っていた。なるほど、先天的な女性のトラブルは、女性性器を始めとする女性特有の部分に現れやすい。しかし、彼女たち(と言っていいのかどうかはわからないが)にはそれがない。見掛けでは女性特有の部分が存在するとしても、それらは人工的なものである。それゆえ、女性特有の部分が病気になることはないだろうが、それ以外の部分が悪くなる可能性も決してゼロとは言い切れないだろう。

 さて、オカマショーが盛大な盛り上がりを見せる中、突如として現れたのは、日本の着物を身にまとった三枚目キャラクターの踊り子さんである。おそらく、日本人観光客に喜んでもらえるように編み出された演目なのだろう。流れているのは、都はるみさんの曲である。三枚目キャラクターの踊り子さんは、ときどきおどけながら、都はるみさんの曲に合わせて口パクを続け、舞台の上を華麗に舞っていた。そして、曲が終わりのほうに差し掛かると、三枚目キャラクターの踊り子さんは、おもむろに客席に近付いて来た。見るからに、男性客に色目を使っているようである。その中でターゲットとなったのは、何とガンモだった。あれよあれよという間に、三枚目キャラクターの踊り子さんは、歌いながら、ガンモのほっぺたにブチューッとキスをした。三枚目キャラクターの踊り子さんがガンモから離れると、ガンモのほっぺたには大きなキスマークが付いていた。私は、予想外の展開に驚き、興奮した。結婚してからこれまで、ガンモは私以外の人からのキスを受け入れたことはなかったはずだが、何とバンコクまでやって来て、オカマショーの踊り子さんにキスされてしまったのだ。私は、しっかりと証拠写真をカメラに収めた。

 こうして、およそ一時間程度のオカマショーは大盛況のうちに幕を閉じた。私は、ガンモのほっぺたに刻印されたキスマークをニヤニヤしながら眺めた。その後、踊り子さんたちとの記念撮影タイムとなった。出口に並んだ踊り子さんたちにチップをあげると、記念撮影に応じてくれるらしい。しかし、私たちは恥ずかしさもあって、記念撮影はせずにカリプソをあとにした。

 オカマショーが終わって、現地ツアーの集合場所で現地ツアーのスタッフと合流し、宿泊先のホテルまで送っていただいた。ガンモは、三枚目キャラクターの踊り子さんに付けられたキスマークを拭き取ることなく、ホテルのフロントで堂々と部屋の鍵を受け取った。フロントのスタッフは、そんなガンモを見てくすっと笑った。部屋に戻ると現地時間の二十三時を回っていたので、日本時間に換算すると翌日の午前一時を回っていたことになる。寝不足のままバンコクに到着し、ガンモの体調も優れないままの旅行初日だったが、タイの伝統舞踊付きディナークルーズで食べたトムヤムクーンで元気になり、カリプソのオカマショーで大いに盛り上がり、とても有意義な一日を過ごすことができたと思う。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、カリプソオカマショーをご覧ください。

※私が撮影した動画ではありませんが、YouTubeにバンコクのカリプソの動画がありましたので、いくつかピックアップしてみました。お時間のある方は、一緒にカリプソの雰囲気を味わってみませんか?

ええっ? 本当に男性? というのが正直な気持ちです。

ダチョウのダンスです。実際に目の前で観たときはぶっ飛びました。(苦笑)

この三枚目キャラクターの踊り子さんがガンモのほっぺたにブチューッとキスをしました。(苦笑)

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 思えば、この日は本当に盛りだくさんな一日でしたね。それでも、タイの伝統舞踊付きディナークルーズで食べたトムヤムクーンやカリプソの踊り子さんたちから、たくさんのパワーをいただきました。YouTubeには、カリプソのオカマショーの映像がたくさんあったのですが、ガンモのほっぺたにキスをした踊り子さんの古い映像もあり、その方にとって、カリプソでのステージがほんの一時的なものではないことを物語っていました。観光客にとっては一夜限りのワンナイトショーでも、踊り子さんにとっては、それこそライフワークに繋がっているのかもしれませんね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.01.20

ホットヨガ(二一八回目)(後編)

ホットヨガ(二一八回目)(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 首の凝りが身体の固さに関係していたというのは、驚きでしたね。ということは、身体の柔らかい人たちは、首の後ろが凝っていないのでしょうね。私は、プライベートでも仕事でもパソコンに向かうことが多いので、人一倍首の凝りがひどいのかもしれません。

 レッスンを終えたあと、私は携帯電話から、いつもレッスン予約時にアクセスしているホットヨガのサイトを開いて、スタッフブログへのリンクを探してみた。しかし、そのサイトからはスタッフブログがリンクされていなかったため、残念ながら参照することができなかった。

 シャワーを浴びたあと、着替えを済ませて受付に足を運んでみると、会員の女性と受付のスタッフが何やら話し込んでいた。私はその間に割り込んでしまうことを躊躇しながらも、受付のスタッフに、
「こんにちは」
とあいさつをした。何故ならそのスタッフは、三宮店や梅田店でお目に掛かった南森町店のスタッフだったからだ。受付のスタッフは、
「三店舗でお会いしましたね」
と声を掛けてくださった。

 先ほどまでスタッフと話し込んでいた会員さんは、
「ブログ見てないけど、塩飴をもらいましたよ」
とおっしゃる。そして、私にも、
「塩飴、もらったらどうですか。きっともらえますよ」
とおっしゃる。私は、携帯電話からスタッフブログのページにはアクセスできなかったので、
「ブログを読んでいないのでダメですよ」
と正直に答えた。するとその会員さんは、
「じゃあ、私がもらった塩飴をあげますよ」
と言って、さきほど受付で受け取ったばかりの塩飴を私に差し出してくださる。ずいぶんフレンドリーな会員さんである。

 私が困っていると、会員さんは更に、
「私もブログを見てないのに塩飴をもらったので、言えば、きっともらえますよ」
とおっしゃる。しかし、実際は見ていないのだ。戸惑う私に、会員さんは、
「じゃあ、見るということにしてもらったらいいじゃないですか」
とおっしゃる。私はとうとう腹をくくり、
「わかりました」
と言った。すると、その様子を見守っていた受付のスタッフが、
「じゃあ、見るということで」
と言って、私に塩飴をくださった。実際、南森町店をあとにしてから、私はパソコン用のサイトからスタッフブログを参照した。確かに南森町店の記事のほとんどは、今回、骨盤コースのレッスンを担当してくださったインストラクターが書かれているようだった。そのインストラクターなりの世界を持っているように思えた。

いただいた塩飴

 その後、受付では、今回の骨盤コースのレッスンの感想に花が咲いた。その会員さんも、骨盤にずれがあるのを認識してはいるが、自分ではなかなか矯正することができないとおっしゃっていた。そして、今日のレッスンがとても良かったともおっしゃっていた。私も、これまで南森町店で骨盤コースを担当されていたインストラクターのレッスンとは内容が異なっているものの、とてもためになるレッスンだったとコメントした。

 受付のスタッフ曰く、今回の骨盤コースは、年末用の特別レッスンなのだそうだ。ということは、骨盤コースのレッスンが通常のレッスンに組み込まれた場合、また別のレッスンになるということなのだろう。

 会員さんは、私が大きな荷物を抱えているのをご覧になり、
「私も以前はたくさんの荷物を抱えていて、『これから山に登るの?』と、人から良く言われてたんですけど、えらい目に遭って、生活を変えたんです」
とおっしゃった。「これから山に登るの?」というのは、私もしばしば人から言われていることである。その日も、自宅の最寄駅の駐輪場のおじさんに、
「山にでも登るの?」
と言われたばかりだった。

 会員さん曰く、重い荷物を背負っていると、腰を痛めてしまうそうだ。会員さんは、これまで仕事の荷物やらホットヨガの荷物やらをリュックに詰め込んで背負って歩いていたが、腰を痛めてしまったことをきっかけに、キャスター付きのリュックに変えて、コロコロ転がしながら歩くようになったのだそうだ。その話を聞いた途端、受付のスタッフが、
「そう言えば、以前はずっとリュックを背負っていらっしゃいましたよね?」
とおっしゃった。

 私が、会員さんの愛用していらっしゃるキャスター付きのリュックに注目していると、会員さんは、
「もし買うなら、キャスターが四つ付いているリュックを買うといいですよ」
とアドバイスしてくださった。そのほうが安定性もあり、キャスターのある方向にリュックを傾けることなく、スーツケースのようにコロコロとまっすぐ転がしながら歩くことができるからだそうだ。

 これはいいことを聞いたと私は思った。確かに私も重いリュックを背負っているとき、腰に負担が掛かっていることは実感している。とは言え、実は私はキャスター付きのリュックも持ってはいるのだが、リュックが大きい上にキャスターが付いているため、これまでよりもかえってたくさんの荷物を詰め込んでしまうため、使用を中止していたのだ。しかも、キャスターが二つしか付いていないので、リュックを転がして歩くときは、リュックをキャスターのある方向に傾けなければならなかった。それでも、会員さんの話はとてもためになった。会員さんは、私が腰を痛めてしまってからでは遅いということで、私に貴重な体験談を聞かせてくださったのだと思う。

 その後、私は、南森町店でレッスンを受けたときにいつも利用している定食屋さんで昼食をとった。ありがたいことに、およそ数ヶ月振りの利用だったにもかかわらず、お店の人が私のことを覚えてくださっていた。というのも、私はいつも、お店で用意された割り箸を使わずに、My箸を利用して特定の店員さんに印象付けていたからだ。私のことを覚えてくださっていた店員さんが、他の店員さんに、
「あっ、この方は箸はいらないから。お箸はお持ちだから」
と言ってくださり、
「お久し振りですね」
とあいさつしてくださったのだった。

 久し振りに訪れた南森町で、このようにいろいろな想いを交わすことができて、とても有意義だったと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ホットヨガのレッスンを受けていると、着替えやバスタオル、お風呂セット、水などを持ち歩くことになるため、かなりの大荷物になるんですよね。レッスン時の荷物を軽くするためには、レッスンウェアやバスタオルをレンタルしたり、水も購入したりという方法がありますが、それでは一回のレッスンが少し割高になってしまいます。中には荷物の少ない人たちもいますが、そういう人たちは、どこかで水を購入し、バスタオルもレンタルして、腹巻も使わず、靴下もきっと重ね履きすることなく一枚で、ひざサポーターも使用していないんでしょうね。(笑)

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2011.01.19

ホットヨガ(二一八回目)(前編)

二ヶ月前とは違う未来の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これまで何度となく、手術を逃れて来ましたが、今回も何とか逃れることができました。(苦笑)ガンモは、「本当にそれでいいの?」などと言っていますが、I医師がそう言ってくださるのだから、いいのです。それよりも、自分自身が治療に参加しているという喜びのほうが大きいですね。

 年の瀬も押し迫った十二月二十九日のことである。前日に仕事納めをして年末年始の休暇に入ったので、まだ年賀状も書いていなかったものの、ホットヨガのレッスンを予定していた。というのも、毎回、レッスンの回数券を余らせてしまい、次の回数券を購入するときに繰越しているため、レッスンを受けられる状態のときにはできるだけ受けておきたかったからだ。しかし、私が前日に仕事納めをしたのと同じように、ホットヨガのスタジオもまた、十二月二十九から年末年始の休暇に入ろうとしていた。

 ところが、ありがたいことに、この日、南森町店だけが営業していることがわかった。しかも、この日はお昼過ぎから大阪の京橋で人と会うことになっていたので、南森町店でレッスンを受けたあと、南森町店の最寄のJR線を利用して移動するのに好都合だった。それだけではない。まるであつらえたかのように、お昼過ぎの待ち合わせに間に合う時間帯に骨盤コースのレッスンが組まれていたのである。これだけの条件が整えば、レッスンを受けないわけには行かない。

 私は、ひょっとすると、これまで南森町店で骨盤コースのレッスンを担当してくださっていたインストラクターの最後のレッスンを受けられるのではないかと期待していたのだが、先日、梅田店で南森町店のスタッフにお会いしてお伺いしたところ、別のインストラクターによる骨盤コースだとわかった。

 南森町店のスタジオは、南森町店のJR線の最寄駅である大阪天満宮から歩いてわずか二分ほどのところにある。私は久し振りに南森町店でレッスンを受けられることに喜びを感じながら、南森町店のスタジオへと向かった。ところが、いつものように南森町店の入口の扉を開けようとするにも、かつて南森町店のスタジオの入口があったところに入口がなくなってしまっているのである。私は慌てた。入口が閉まっているのなら、ビルを間違えてしまったのではないかと思われるだろう。しかし、そうではなく、入口がないのである。私は、直ちに携帯電話を使ってホットヨガのサイトにアクセスして、南森町店のスタジオの電話番号を調べて、電話を掛けて南森町店のスタジオの場所を確認しようかと思った。しかし、その前に、これまで利用していた入口がビルの工事中のためにビニールが掛けられていることに注目し、ほんの少し先まで歩いてみた。すると、ホットヨガのいつもの見慣れたマークが目に入って来たのでほっと胸を撫で下ろした。驚いたことに、何らかの理由により、入口が少し移動していたのだ。

 私は入口の扉を開けて、南森町店に足を踏み入れた。見ると、以前と同じビルの中ではあるものの、受付のスペースが以前よりも狭くなり、受付のカウンターも移動していた。どうやらスペースが縮小されたようである。なるほど、そのために入口の場所がこれまでとは異なっていたのだ。

 受付でロッカーの鍵とタオルを受け取り、ロッカールームで着替えを済ませた。南森町店のロッカーは他店のように細長タイプの一段ロッカーではなく、上下二段で横幅が広い。細長タイプのロッカーには私の大きな荷物は入り切らないので、貴重品以外はいつもロッカーの上に置いてしまうのだが、横幅の広い南森町店のロッカーならば、私の大きな荷物もすっぽり入るのでとてもありがたい。

 着替えを済ませてスタジオに入ってみると、以前、バレエストレッチのレッスンを担当してくださったインストラクターが骨盤コースのレッスンを担当してくださることがわかった。ちなみに、レッスンの参加者は、私を入れて八名だった。

 レッスンの内容は、これまで南森町店や京都店のスタジオで受けていた骨盤コースのレッスンとはまったく異なるものだった。一言で言うと、今回のレッスンは、自分の骨盤の歪みを意識するためのレッスンだと言っても過言ではないだろう。例えばポーズを取るときに、左右の足が同じ高さにあるかなどを注意深く観察する。左右の骨盤の高さに違いがあれば、ポーズを取るときの足の位置も変わってくるというのが、インストラクターの持論のようだった。

 ウォーミングアップのストレッチのときに、足をマッサージしながら、できるだけ足が内側に向くように足を内側にねじった。インストラクター曰く、ほとんどの人たちは靴底が外側に磨り減りがちなのだそうだ。よって、このストレッチは、靴底が外側に磨り減りがちな人はできるだけ内側に向けてねじり、靴が内側に磨り減りがちな人はできるだけ外側に向けてねじるように導かれた。

 興味深かったのは、首の後ろをほぐすと身体が柔らかくなり、前屈のポーズも取り易いということだ。インストラクターが、
「誰か身体を貸してください」
と呼び掛けると、私の隣にいた人が名乗りをあげた。インストラクターがその方の首の後ろを手でもむと、その方は以前よりも身体が柔らかくなり、前屈がしやすくなったそうだ。インストラクター曰く、このおまじないを五十代くらいの身体の固い男性に行うと、みるみる効果が上がるそうだ。かくいう私も、ホットヨガのレッスンを受け続けている割には身体が固いほうである。しかし、その原因が首の凝りにあったのかもしれないと思うと、ひどく納得した。というのも、私の首周りはいつもひどく凝っているからだ。ただ、私も首の後ろをマッサージしてから前屈に取り組んでみたものの、自分でほぐすにはほぐしにくかったのか、あまり効果は実感できなかった。あるいは、首の凝りがあまりにもひどいために、ちょっとやそっとのマッサージでは足りなかったのかもしれない。

 その後、インストラクターは、
「寝転がって足を開いたときに、どちらの足がより広がっているかに注目してみましょう」
とおっしゃった。私の場合、右足よりも左足のほうが広がっていたのだが、それは、左側の骨盤のほうが右側の骨盤よりも開いていることを意味しているのだそうだ。確かに、足の付け根は骨盤に繋がっているのだから、特に意識せずに開いた足の状態が骨盤の状態を表していることは良くわかる。

 このように、大変有意義なレッスンが行われている中で、インストラクターが、
「『ブログ見ました』と受付で言っていただければ、塩飴をさしあげますので、是非、おっしゃってください。携帯電話からもアクセスできます。塩飴、たくさん用意していますのでね」
とおっしゃった。少し前に、ホットヨガのスタッフが書いているブログがリニューアルされたことは知っている。どうやらブログとは、そのブログのようだ。そして、南森町店の記事のほとんどは、回のインストラクターが書かれているのだそうだ。そのブログを見ましたと言えば、受付で塩飴をもらえるらしかった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回の記事は長くなりますので、二回に分けて書かせていただきますね。次回の記事は映画のレビューの予定ですが、その次の記事は週末の更新に当たります。さて、どうしましょう。(苦笑)次回の記事は、映画のレビューを先延ばしにして、今回の記事の続きを書かせていただいて、週末はタイ旅行の続きを書かせていただくことになるかもしれません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.01.18

二ヶ月前とは違う未来

映画『セラフィーヌの庭』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ご覧の通り、セラフィーヌは自室で鮮やかな色合いの絵を描いていました。本作のレビューを書くにあたり、セラフィーヌの描いた絵が写し込まれている写真を記事に貼り付けたかったのですが、日本の映画サイトでは見付けられなかったので、海外の映画サイトから拝借しました。インターネットって、便利ですね。(笑)

 先週の土曜日は、I医師の診察を受けた。九時からの診察を予約していたので、五時半に起きて支度を整え、家を出たのだが、もたもたしているうちに出遅れてしまい、予約時間よりも数分遅れて受付を済ませる羽目になってしまった。というのも、この日はI医師の診察のあと、ホットヨガのレッスンを受けて、夜は派遣仲間たちと四人で食事をすることになっていたため、ホットヨガのレッスンの準備と、派遣仲間たちに会うための準備を整えなければならなかったからだ。もちろん、ホットヨガのレッスンと派遣仲間たちとの待ち合わせ時間の合間に映画鑑賞をしたことは言うまでもない。

 婦人科の受付を済ませてしばらくすると、いつも診察に付き添ってくださっているご年配の看護師さんが私のところにやって来て、
「前回の診察のときに、血液検査をする話が出ていたと思いますが、診察の前に、一階の処置室というところに行って、採血してもらってください」
と言われた。私は、看護師さんから渡された採血の受付票を持ち、看護師さんに言われた通り、一階の処置室で採血していただいた。

 毎度のことながら、身体に針が刺さる瞬間は恐ろしい。それでも、かつてはベッドに横になって採血していただいていたのに、最近は座ったままでも採血できるようになったのだから、私の中ではずいぶん進歩していると言える。採血してくださった看護師さんに、採血の結果はすぐに出るのかと尋ねてみたところ、十分ほどで結果が出るのだそうだ。私は採血してくださった看護師さんに御礼を言って、処置室をあとにした。

 再び婦人科の待合所に戻り、順番待ちをしていると、およそ二十分ほどで名前が呼ばれた。診察室に入ってみると、早くもさきほどの採血の結果が出ていた。I医師は、
「十二.三まで回復しとるから、大丈夫やね」
とおっしゃった。

 七月に受けた健康診断で、私のヘモグロビン値は七.四まで下がっていた。自分では気付かなかったのだが、生理の出血量が多かったために、貧血が進んでしまっていたのだ。その値をI医師に報告したところ、このままではいけないと、鉄剤を処方してくださった。その鉄剤のおかげで、私のヘモグロビン値は十二.三まで回復したのである。

 私は、ほてりの原因を探るために、エストラジオール値についてもI医師に尋ねてみた。するとI医師からは、今回の血液検査では、エストラジオール値を計っていないという答えが返って来た。以前も伺ったが、I医師は、状態の変化に富んだ女性の血液から、女性ホルモンの値を導き出すことはあまり意味がないと考えているようだった。

 参考までに、私は、
「エストロゲンが多いと生理の周期が長くて、エストロゲンが少ないと短くなるのでしょうか」
とI医師に尋ねてみた。するとI医師は、
「いえ、そういうわけではありません。生理の周期は、エストロゲンとプロゲステロンの周期の組み合わせによるものです」
と答えた。そして、
「こういうグラフを見たことがあるでしょう」
と言いながら、机の下からエストロゲンとプロゲステロンの周期が描かれたグラフを見せてくださった。私もそのグラフは見たことがあった。排卵日を境に、エストロゲン期とプロゲステロン期に分かれて描かれているグラフである。私は、
「閉経前には生理の周期が短くなるようなので、エストロゲンが少なくなると、生理の周期が短くなるのかと思っていました」
と言った。実際、私の生理の周期も以前よりは短くなっていたからだ。そのことが、私の中でエストロゲンが減少している目安になるのではないかと思っていた。しかしI医師は、そうではないとおっしゃった。わかりやすく言えば、人によってエストロゲンとプロゲステロンの量もグラフに現れる周期も異なっているために、その組み合わせによる周期も異なって来るということなのかもしれない。

 I医師は、処方してくださっている漢方薬を加味逍遥散(かみしょうようさん)から桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)に戻したことで、私の身体にどのような変化が起こっているかについて尋ねてくださった。私は、
「およそ一ヶ月の服用で、生理の出血量は二十パーセントほど減りました。また、下半身の冷えも緩和され、ほてりも以前よりも落ち着いて来ました」
と答えた。

 実は、今回のタイ旅行中、ずっと生理中だったのだが、以前よりも出血量が減っていたため、旅行中も憂鬱な気分になることなく旅を楽しむことができた。ただ、生理中であることが気になって、残念ながら、タイ古式マッサージを体験することはできなかった。とは言え、桂枝茯苓丸をたった一ヶ月服用しただけで、出血量が減っていることは間違いない。しかも、下半身の冷えが緩和され、ほてりも以前よりも落ち着いて来ているのだから、やはり私にとっては桂枝茯苓丸が合っているということなのだろう。

 I医師は、
「あなたのようにがっしりとした身体つきだと、桂枝茯苓丸のほうが合っているのかもしれんね」
とおっしゃった。私は、
「ああ、漢方薬の分類上の話ですね」
と苦笑いした。以前も書いたが、漢方薬は、身体つきによって合う薬が変わるのだ。だから、こうして私が桂枝茯苓丸を絶賛していたとしても、私と同じような症状を抱えている人で、私とは異なる身体つきの人は、桂枝茯苓丸は合わないことになる。

 私はもう、I医師の口から子宮全摘手術の話は出て来ないだろうと予測していた。I医師が子宮全摘手術を勧める条件は、筋腫の大きさではなく、症状だとわかっていたからだ。鉄剤で貧血が緩和されていて、桂枝茯苓丸で生理の出血量も減っているとなれば、手術の必要はないとI医師は判断されたはずである。

 私の状況についてひととおり尋ねたI医師は、
「薬はどうしますか。三ヶ月分、出しましょうか」
と言ってくださった。私は子宮全摘手術の話が出ずに、一気に三ヶ月分の漢方薬を処方していただけることがうれしくて、息を弾ませながら、
「はい。お願いします」
と答えた。二ヶ月前にMRIの検査を受けたときとはまったく違う結果がここにあった。やはり、思い切って、漢方薬を桂枝茯苓丸に変えていただいて良かったと思う。

 I医師に御礼を言って診察室を出ると、看護師さんが、
「次回は三ヵ月後の診察となりますので、一ヶ月前になったら、電話で診察の予約を入れてください」
とおっしゃった。なるほど、病院の予約システムは、二ヵ月先までしか予約できないのだろう。私はすがすがしい気持ちで病院をあとにして、近くの薬局で三ヵ月分の桂枝茯苓丸を受け取ると、路線バスに乗り、病院の最寄駅へと向かったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m やはり、思い切って、漢方薬を桂枝茯苓丸に変えていただいて良かったと思います。思えば、私は自分で漢方薬を元に戻して欲しいとI医師にお願いしたんですよね。何となくですが、最近、自分の身体にとっていいものを選べるようになって来たのかな、と思います。それと筋腫は、食事を減らすと調子がいいこともわかって来ました。これからも、筋腫にとって良いこと、良くないことをどんどん探って行きたいと思います。

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2011.01.17

映画『セラフィーヌの庭』

タイの伝統舞踊付きディナークルーズの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ちなみに、ディナークルーズが行われていたのは、チャオプラヤー川の船上です。チャオプラヤー川は、このようなディナークルーズの船も行き交っていますが、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートのような庶民的な船も行き交うようです。

 手元のノートによれば、本作を鑑賞したのは十一月二日となっている。ちなみに、鑑賞したのは元町映画館である。元町というと、横浜を思い浮かべる人も多いかもしれないが、神戸にも元町があるのだ。その元町に、元町映画館という名前のミニシアター系映画館が誕生していることを知った。仕事帰りにわざわざ回り道をしてまで元町映画館で映画を鑑賞しようと思ったのは、普段、足を運んでいる映画館で上映されている作品をほとんど鑑賞し尽くしてしまったために、せっかくのレディースデーを有意義なものにしようと、活動範囲を広げたからだ。

 元町映画館はミニシアター系映画館とは言え、スクリーンが一つしかなく、トイレも全体で二つだけとかわいい。しかも、一つしかないスクリーンは、外からの光をさえぎるために黒幕が張られていたりして、手作りの雰囲気が漂っている。それでも、座席と座席の間のスペースが広いのが、いつも荷物の多い私にはうれしい。

 そんな元町映画館に足を運ぶきっかけを与えてくれたのが、本作だった。本作の予告編を、ホットヨガ梅田店のスタジオの近くにあるミニシアター系映画館で観て、本作に興味を持ってはいたものの、鑑賞するタイミングを逃してしまい、鑑賞することができなかった。だから、元町映画館で本作が上映されていると知ったときには、小躍りしたものだった。

 予告編を観たときに本作に惹かれたのは、セラフィーヌという家政婦が描く絵が個性的で素晴らしかったからだ。セラフィーヌはフランスに実在した画家で、家政婦として働く傍ら、しばしば自室にこもり、集中して絵を描く。しかもセラフィーヌは、天然の素材を使い、既製品の絵の具では決して出せないような鮮やかな色を出す。邦題の『セラフィーヌの庭』というのは、物理的な庭のことではなく、キャンバスを意味しているのではないだろうか。

 彼女の取っている行動を見守っていると、天然の素材がキャンバスでどのような色を出すのか、予め知っているかのように見える。彼女が大きな肉体をさらして、素っ裸で川を泳ぐ姿は印象的だ。しかし、そうすることで彼女は自然と一体になり、自然から偉大なエネルギーを受け取っていたのではないだろうか。

 そんな彼女の描く絵に強く惹き付けられ、無償で彼女を金銭的に援助したドイツ人画商ヴィルヘルム・ウーデの存在は大きい。画家と画商との出会いは、互いに与え合うことのできる関係である。世の中に大きな役割を果たした人たちには、必ずと言っていいほどこのような出会いが用意されている。しかし、ひょっとすると彼女は、この出会いを活かし切れなかったのではないだろうか。もちろん、第一次世界大戦でウーデの母国であるドイツがフランスの敵国になってしまったことにより、ウーデはフランスを離れなければならなくなってしまったが、そうした厳しい時代背景よりも、自由になるお金を得た彼女自身の浪費により、ウーデとの縁が少しずつ萎んでしまったようにも思えるのだ。

 人生と同じように、栄えたものはやがて衰えて行く。彼女の絵が次第に世間から注目を浴びるようになったとしても、いつまでも輝き続けるわけではない。やがて始まる転落は、かつての頂点を忘れ去ろうとしている儀式のようでもあった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m セラフィーヌを演じていたヨランド・モローは、過去に鑑賞したいくつかのフランス映画でお目にかかったことがありますが、ここまで存在感のある女優さんだとは思っていませんでした。私はセラフィーヌという画家を知りませんが、ヨランド・モロー自身がまるで本当のセラフィーヌ自身のように思えてしまいました。

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2011.01.16

タイの伝統舞踊付きディナークルーズ

アユタヤ紀行(4)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m そう言えば、アユタヤ駅前で借りたレンタサイクルは値段がはっきりと提示されていましたが、パンク修理の値段は提示されていませんでした。ということは、利用する人によって値段が違ったとしても、利用者にはわからない仕組みになっているのかもしれません。レンタサイクルを扱っているお店はアユタヤ駅前に複数あり、競争意識が働くために明朗会計となっているのかもしれませんが、自転車屋さんはその周辺に一軒しかなかったので、他のお店に顧客を取られる心配もなく、自転車屋さん優位の状況なのでしょうね。

 バンコクに着いた日の夜、私たちは現地ツアーに参加して、タイの伝統舞踊付きナイトクルーズに出掛けた。現地ツアーというのは、私たちのように個人旅行を好む旅行者でも、現地で気軽に参加できる、観光スポットを絞った部分的なツアーである。現地ツアーの集合場所に指定されていたのは宿泊先のホテルではなく、別のホテルのロビーだったので、宿泊先のホテルにチェックインしてしばらく身体を休ませていた私たちは、待ち合わせ時間に遅刻しないようにするために、少し早めに宿泊先のホテルを出発した。

 集合場所に指定されたホテルに着いて、ロビーに足を踏み入れた途端、私たちはきつい冷房に打撃を受けた。前日にようやく熱が引いたガンモは、回復に向かっていた風邪をこじらせないためにも、強い冷房から身体を守る必要があった。そのため、私が持ち歩いているひざ掛けをマントのように肩に掛けて、寒さをしのいだ。一方、私は、ひざ掛けで足元を温めたかったのに、ガンモにひざ掛けを貸してしまったために足元を温めることができず、集合場所のホテルに早く着き過ぎて時間もあったというのに、ロビーのソファの上で何もすることができなかった。

 集合時間が近付いて来ると、日本語を話せる現地ツアーのスタッフが声を掛けてくださった。どうやら同じ現地ツアーに参加するのは、私たちを含めた三組の日本人のようである。その三組とは、三人組の若い男女と、若い男性が一人、それから私たち二人であることがわかった。私たちは、日本語を話せる現地スタッフの案内でワゴン車に案内された。ワゴン車を運転してくださるのは、これまた現地スタッフである。

 およそ十分余りでナイトクルーズを行う船の乗り場に到着した。日本で言えば、屋形船のような感じの船である。三組の参加者は、それぞれ別々のテーブルに案内されたのだが、私たちは前方のステージから近いテーブルに案内された。前方のステージでは、弦楽器でタイの音楽が奏でられていた。

 テーブルにつくと、間もなく飲み物の注文を尋ねられたので、ガンモはスイカジュースを、私はレモンジュースを注文した。運ばれて来たスイカジュースとレモンジュースは、どちらも果汁がたっぷり入っている上にボリュームもあり、とてもおいしかった。

 また、船には窓がないために冷房設備もなかったが、外から吹いて来る自然な風と天井に取り付けられた扇風機だけで充分涼しかった。昼間は気温の高いバンコクも、夜になると少し涼しいようである。

 間もなく、ディナーがテーブルに運ばれて来た。最初はおでんのようなお料理で、続いてトムヤムクーンが運ばれた。お料理を運んで来た人は、確かに「トムヤムクーン」と伸ばして発音していた。このトムヤムクーンは、一口味見してみるととても辛かったのだが、辛い以上にとてもおいしかった。私たちは、
「こんなおいしいトムヤムクーン、食べたことがないよね。日本で食べるのとは違う」
と絶賛した。ガンモは、
「おいしい。風邪がいっぺんに治りそうだ」
と言った。

 ガンモの身体は、辛い料理を食べて刺激を受けたのかもしれない。実際、ガンモは、トムヤムクーンを口にした途端、元気になり、そのあともりもり食欲も出て来た。ガンモ自身も、
「やっと食欲が出て来た」
と驚いていた。トムヤムクーン、恐るべしである。

 その後、四つのお茶碗に盛られたお料理が運ばれて来た。かなりのボリュームだったが、トムヤムクーンで体調が回復したガンモはきれいに平らげていた。そして、デザートが出て来てすべてのお料理が出揃ったのだが、あろうことか、私はデザートに出て来たパパイヤを一口か二口かじったあと、テーブルの下に転がしてしまった。せっかくのパパイヤを食べることができなかったのでうらめしく思っていたところ、ディナークルーズの翌朝、宿泊先のホテルの朝食ビュッフェのメニューにパパイヤが含まれていたので、心行くまでパパイヤを食べることができた。デザートのあとは、コーヒーか紅茶を用意してくださったので、ガンモはコーヒーを、私は紅茶を注文して飲んだ。

 食事の時間はおよそ一時間くらいだっただろうか。その後、若い女性の踊り子さんたちにより、タイの伝統舞踊が披露された。タイ特有の美しい衣装を身にまとい、特徴ある手つきで手を反らせながら踊っている。それらの姿をカメラに収めたのだが、船の中が暗かったことに加え、踊りに動きがあることから、ISO1600に増感したにもかかわらず、撮影した写真のほとんどがぶれてしまっていた。

 間もなく場面が変わり、インドの叙情詩『ラーマーヤナ』を起源とするタイの古典文学『ラーマキエン』から、ハヌマーンがラーマ王の妃シーダ姫を救出する場面が演じられた。私は、ホットヨガのときにインドの神様Tシャツを着てレッスンを受けているが、神様でなくても、ハヌマーンのTシャツを二枚持っている。そのハヌマーンがタイの伝統舞踊に取り入れられていたことを、今回初めて知った。

 演じられたどの伝統舞踊にも台詞はなく、動きだけで感じ取るものだった。最初はシーダ姫が一人で登場し、続いてハヌマーンが登場した。そして、最後には二人が手を取っているので、おそらくハヌマーンがシーダ姫の救出に成功したものと思われる。

 その後もタイの伝統舞踊がいくつか披露され、最後には利用客の中から選ばれた何人かが前方ステージに出て、踊り子さんたちと一緒に踊り始めた。やはり、場を盛り上げる国民性を持った人たちが選ばれるようで、日本人観光客は誰一人として選ばれなかった。ちなみに、私たちが乗っていた船には、日本人観光客は、私たちと同じ現地ツアーに参加した三組だけだったと思う。それ以外はほとんど西洋人だった。前方ステージに出た人たちは、あの特徴ある手の動きを真似ながら、とても楽しそうに踊っていた。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、タイの伝統舞踊付きディナークルーズをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私はハヌマーンのTシャツを二枚持っているのですが、二枚の雰囲気がそれぞれ違っているのを不思議に思っていました。もしかすると、一枚はインドの叙情詩『ラーマーヤナ』のハヌマーン、もう一枚はタイの古典文学『ラーマキエン』のハヌマーンなのかもしれません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.01.15

アユタヤ紀行(4)

アユタヤ紀行(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m こうして振り返ってみただけでも、アユタヤはバラエティに富んだ街ですね。アユタヤには遺跡巡りだけでなく、いろいろな楽しみ方があるように思います。さて今回は、三日に一度の映画のレビューをお届けする予定でしたが、せっかくの週末ですので、仕事のある平日に書くことのできる映画のレビューは後回しにさせていただいて、アユタヤ紀行(3)の続きを書かせていただこうと思います。

 それから私たちは、涅槃像のあるワット・ロカヤスタを目指した。タイは暑い国だからなのか、外で活動しているだけでも喉が渇いて来る。そのためか、タイの至るところには飲み物を扱う露店がある。街中(まちなか)であろうと、観光地であろうと、それは変わらない。タイという国は、飲み物を扱う以外にも、全体を通して露店の多い国である。

 ところで、ワット・ロカヤスタを目指す途中で、ガンモが乗っていたレンタサイクルの前輪がパンクしてしまっていることに気が付いた。ガンモ曰く、でこぼこ道を走るときに、嫌な予感がしたのだそうだ。不幸中の幸いか、後輪ではなく前輪だったので、パンクしていてもまったく走れないということはなかったのだが、それでも気持ちはふさぎ込んでしまうものである。私はすっかり見落としていたのだが、ガンモはレンタサイクルで走っている途中に自転車屋さんがあったはずだと言った。私は、涅槃像のあるワット・ロカヤスタのすぐ手前まで来ていたので、そのまま素早くレンタサイクルを走らせてワット・ロカヤスタの涅槃像を撮影した。大きな涅槃像は、どっしりと横たわっていた。インターネットで検索してみると、他の方たちが撮影したワット・ロカヤスタの涅槃像は、黄色い袈裟を着ていたり、身体が黒く汚れていたりするのだが、私の見た涅槃像は白かった。もしかすると、ちょうどお風呂上りだったのかもしれない。私が涅槃像を撮影している間に、ガンモはパンクしたレンタサイクルを転がしながら引き返して、自転車屋さんを目指していた。

 私がガンモに追いつくと、分かれ道が現れた。果たして、自転車屋さんがあったのは左の道なのか、右の道なのかわからなかったので、とりあえず私が左の道を行き、ガンモが右の道を行くことになった。しかし、私が選んだ左の道には自転車屋さんはなかった。そこで、ガンモの選んだ右の道へと引き返してみると、ガンモは既に自転車屋さんを見付けてパンク修理をしてもらっていた。ガンモ曰く、パンクしたレンタサイクルを転がしながら歩いていると、地元の人がパンクの状況を理解し、自転車屋さんまで案内してくれたそうだ。ガンモがパンク修理を見守る側(そば)で、私もパンク修理を見守った。

 日本にいるとき、ガンモはすべて自分でパンク修理を行っている。私の自転車がパンクしたときも、ガンモの自転車がパンクしたときも、すべてガンモによってパンク修理が行われる。機械いじりの好きなガンモは、人に頼らずに何でも自分でするのが好きなのだ。だから、きっとパンク修理を人任せにしてしまっている今の状況は、やきもきしているだろうと思っていた。

 パンク修理は、二箇所に渡って行われていた。一箇所目がシールによって補強されたあと、水に漬けると、まだ空気漏れをしている箇所があったようだ。そのため、二箇所目がシールによって補強された。その後、チューブはタイヤに納められ、空気が入れられ、パンク修理は完了した。

 パンク修理代としていくら請求されるのだろうと思っていると、四十バーツ(日本円でおよそ百二十四円)と言われた。しかし、その直後に自転車屋さんの女性スタッフから、その半額の二十バーツ(日本円でおよそ六十二円)を請求された。おそらく私たちが日本人観光客だからだろう。普段のパンク修理代の二倍の金額を請求されたものの、その話が女性スタッフにしっかり伝わっていなかったために、女性スタッフはついうっかり、いつもの相場を口にしてしまったのではないだろうか。

 ガンモはパンク修理代として、相場の二倍の金額を請求されていることがわかったので、少し出し渋っていたものの、目の前で、二箇所に渡ってパンク修理が行われているのを見守っていたので、しぶしぶ四十バーツを支払った。とは言え、私たちに二十バーツと言ってくれた女性スタッフもまた、二箇所に渡ってパンク修理が行われているのを見守っていたはずなので、ひょっとすると地元の方たちに対しては、二箇所に渡ってパンク修理を行ったとしても二十バーツだったのかもしれない。ガンモが二十バーツ札を二枚差し出すと、パンク修理を担当してくれた男性スタッフともう一人の男性スタッフが二十バーツずつ分け合っていた。

 私たちにとってこの出来事は、せっかく運良くパンク修理をしてもらえたというのに、とても後味の悪いものになってしまった。タイは日本とは著しく物価の異なる国なので、パンク修理代金が二十バーツだろうと四十バーツだろうと、私たちにとってはそれほど大きな金額ではない。しかし、金額の問題ではなく、日本人観光客だからという理由で、通常の二倍の金額を請求されるのは、あまり気持ちのいいものではない。私たちは鳥ではないが、彼らにとって日本人観光客は、格好のカモだったのかもしれない。

 レンタサイクルのパンク修理が終わったので、私たちは再びレンタサイクルにまたがって、アユタヤ駅へと急いだ。帰りの列車の時間まで、もうあまり時間がなかったのだ。行きは渡し舟に乗って川を渡ったが、帰りは渡し舟に乗らずに大きな橋を渡ることにした。たくさんの自動車が行き交う大きな橋で、私たちは交通量の多さに怯えながらも、川の向こう岸を目指した。少々大げさかもしれないが、それはまさしく命がけの冒険だった。

 こうして何とか無事に大きな橋を渡り、レンタサイクルを借りたゲストハウスまで戻ってみると、酔っ払った西洋人の二人は、店先でまだお酒を飲んでいた。もうすっかり出来上がっていて、顔も赤かった。私たちは、借りていたレンタサイクルを無事に返却し、陽気にあいさつを交わしてゲストハウスをあとにした。

 帰りの列車の発車時刻は少し過ぎてしまっていたのだが、アユタヤ駅に着いてみると、奥のホームに普通列車が停車していた。行きは特急列車を利用したが、できれば帰りは普通列車を利用したかった。駅の改札口にいた係員に、私たちがその列車に乗りたい旨を伝えると、係員は奥のホームで列車の音頭を取っていた係員に連絡して、列車を発車させずに待ってくださった。改札口の近くにいた係員が、切符を購入するように窓口に誘導してくださったので、私たちは大急ぎで切符を購入して、待ってくれていた列車に乗り込んだ。この列車を逃すと、次の普通列車まであと二時間半ほど待たなければならなかったので、列車を発車させずに待ってくれていたことはとてもありがたかった。

 行きは特急列車で一時間半揺られ、お弁当付きで三百十五バーツ(日本円でおよそ九百七十六.五円)を支払ったが、帰りは普通列車の三等車だったので、何と、フアランボーン駅までわずか二十バーツ(日本円でおよそ六十二円)だった。アユタヤ駅からフアランボーン駅まで、普通列車を利用した所要時間はおよそ二時間である。特急列車を利用しても、三十分しか短縮されないというのに、十倍以上も金額が違うのである。ただし、暑い国タイで、特急列車には強い冷房が効いているが、普通列車には扇風機と自由に開閉できる窓しかない。とは言え、既に夕方だったので、扇風機と窓を開けて走るのでちょうど良いくらいの気温だった。むしろ、足が冷えなくて済んだので、持参したひざ掛けも使うことなく、健康的な列車の旅をすることができた。

 普通列車に乗っている間、ガンモは列車の窓を開けてずっと外の景色を眺めたり、写真撮影をしていたようだが、私は疲れと睡眠不足のために激しい睡魔に襲われ、列車が発車して間もなくすると眠ってしまった。時折目を覚ますと、駅の近くに僧侶が座っていたり、列車のすぐ近くを地元の人たちが歩いていたりした。また、庶民の家もすぐ近くに見えた。行きの特急列車では、こうした光景を目にすることなく、高速で通り過ぎてしまったのだと思った。特急料金を支払わずに普通列車で行くと、こうして多くのものを間近に体験することができるというのに、特急料金を支払って普通列車よりも三十分速く移動すると、見落とすものが多いのだから、皮肉なものである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、アユタヤ紀行(4)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これでアユタヤ紀行シリーズは完結しました。と言っても、タイ旅行の話が終わってしまったわけではありません。次にタイ旅行の話をお届けするときは、再びバンコクに話を戻して書かせていただきますね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.01.14

アユタヤ紀行(3)

ホットヨガ(二一七回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。久し振りにホットヨガの記事をお届けしました。とは言え、年が明けて早くも二週間経過しているというのに、次回のホットヨガの記事もまた、去年のレッスンの内容をお届けすることになりそうです。(苦笑)それでは、週末になりましたので、アユタヤ紀行(2)の続きをお届けしますね。

 私たちは再びレンタサイクルにまたがり、アユタヤの更に奥のほうへと進んだ。しばらく走ると、大きな看板が見えて来た。タイ語で何と書かれているのかはわからないが、うっすらと英語表記もあった。あとからわかったことだが、そこは、ワット・タミカラートというガイドブックにも説明のない寺院だった。私たちは看板の示す先へとレンタサイクルを走らせた。すると、二人組の白人男性が、やはりレンタサイクルにまたがり、私たちの目指そうとしているワット・タミカラートでの観光を終えて、今にもそこを出発しようとしているところだった。私は白人男性のうちの一人に軽くあいさつをした。

 ここアユタヤでレンタサイクルを借りて走り回っているのは、ほとんどが西洋人観光客だった。日本人観光客はツアーで来ているか、トゥクトゥク(三輪車タクシー)を借り切って回っているようだった。私たちは、レンタサイクルを固定させる場所が見当たらなかったため、二台のレンタサイクルをチェーンで繋ぎ合せて停めておいた。

 その周辺には牛がいて、一見すると、牧場のようでもあった。私たちはmixiでサンシャイン牧場のアプリを楽しんでいるので、思わずサンシャイン牧場のことを思い出し、目の前の牛に飼料や水を与えることを想像した。

 手前には、沖縄のシーサーのような像が回りを取り囲み、保護しているかのような建物があった。これもあとからわかったことだが、その建物は仏塔だったようだ。更にその奥には、カラフルな鶏の像が何体も並べられている祭壇のようなものがあった。とにかく、並べられている鶏の像の数が半端じゃない。ここは、鶏をお祀りするための祭壇なのだろうか。鶏ではないが、鳩の父ちゃんたちも仲間に入れてもらえるのだろうか。そんなことを思いながら、日本に残して来た父ちゃんのことを想った。そして、「鳥インフルエンザが蔓延しませんように」と密かに祈った。

 祭壇の奥のほうには、仏像もあった。何だか良くわからないが、ガイドブックにも説明のない、面白いところにやって来たと思った。更に奥のほうへと進んでみると、金色の仏像や、こまごまとしたものがいろいろと祀られていた。穏やかな表情の仏像もあった。それだけではない。私たちは入るのを遠慮したのだが、靴を脱いで入る建物があり、そこでは祈りが捧げられているようだった。何とも不思議な場所に迷い込んだものである。しかも、入場料不要であるのはありがたいことだ。

 不思議な雰囲気に包まれながら、ワット・タミカラートをあとにして、再びレンタサイクルにまたがって進み始めると、進行方向に象が見えて来た。今度は像ではない、象である。アユタヤでは象に乗ることができるとガンモから聞いていたので、私は興味津々でその光景を見守った。実はガンモから、アユタヤで象に乗る現地ツアーがあると聞いたときは、私も象に乗ってみたいという願望、いや、欲望が一瞬だけ頭をよぎったのだが、良く考えてみると、それは、動物が人間の娯楽のために利用されているという、私の嫌いなシチュエーションではないか。そういう観点で見始めると、象は背中の上に人間を乗せて歩いていても、ちっとも楽しそうには見えなかった。しかも、象の背中には、人間が乗り易いように鞍まで取り付けられていた。いくら象の身体が大きいからと言って、身体に鞍まで取り付けられて、入れ替わり立ち替わり、いろいろな観光客を乗せなければならないとしたら、きっと楽しくはないだろう。象はおいしい餌をもらうために、嫌な仕事でも一生懸命頑張っているのだ。象もまた、人間のサラリーマンと同じかもしれない。

 しばらくレンタサイクルを走らせると、象のターミナルのようなところがあった。象の背中の高さに合わせた高台があるところからすると、どうやらここから観光客が象に乗るようだ。見ると、たくさんの観光客が象に乗るために行列を作って待っていた。そのほとんどが日本人観光客だった。確かにタイに来て、象に乗れば、楽しい想い出を人間たちは作れるのかもしれない。しかし、いつまでも、象の気持ちに無関心でいてはいけないのではないだろうか。

 象のターミナルには、子供の象もいた。その象もまた、大人になれば鞍を取り付けられて、ここでたくさんの観光客を乗せて歩くのだろうか。私には、そんな自由のない未来がすっかり決まってしまっている子供の象が、ちょっぴりかわいそうに思えてしまった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、アユタヤ紀行(3)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 写真にもある通り、アユタヤの象には牙がありました。ひょっとすると、それがせめてもの救いかもしれません。何故なら、象に牙があるのは当たり前のことなのに、私たちが動物園などで見掛ける象の牙は、人間の安全のために取り去られているからです。人間も動物も、自然体でいるのが一番いいですよね。でも、鞍を取り付けられて、人間を運ぶ象は、牙があっても自然体とは言えないような気がします。

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2011.01.13

ホットヨガ(二一七回目)

映画『雷桜』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 最初は互いに反発し合っている二人が、次第に距離を縮めて行くプロセスを見守っていると、思わずくすっと笑ってしまいます。他の人たちと同じように壁を作ろうとしているのに、調子が狂ってしまって、何だかおかしいんですよね。のちに特別な関係に至る二人は、互いにまだ気付いていないだけで、出会った瞬間から既に特別な関係であることがわかりますね。

 天皇誕生日の三日後の日曜日、またしても梅田店で六十分のリラックスコースのレッスンを受けた。まだ年賀状も書いていなかったというのに、休日になるとホットヨガのレッスンを受けて、心行くまで映画を鑑賞したい衝動に駆られる。三日前にも梅田店でレッスンを受けて、そのときに映画を二本鑑賞したというのに、この日もレッスンの前に一本、そしてレッスン後に一本の映画を鑑賞した。

 いつもは遅刻してしまいがちな梅田店でのレッスンだが、映画を一本鑑賞したあと、レッスン開始時間までに余裕があったため、レッスンに遅刻することなく梅田店のスタジオに入ることができた。

 受付で、またしても南森町店のスタッフと顔を合わせたので、ごあいさつをしたあと、改めて南森町店の骨盤コースの予約を入れさせていただいたことを報告した。というのも、南森町店で骨盤コースのレッスンを担当されていたインストラクターが退職されるとうかがったあとに、南森町店で行われている骨盤コースのレッスンの予約を入れたところ、そのレッスンが別のレッスンに振り返られるとご連絡いただいたのだが、そのあと南森町店のレッスンスケジュールを確認してみると、他の支店が年内の営業を終了してしまっている十二月二十九日に骨盤コースのレッスンが開催されることがわかったので、すかさず予約させていただいたのだ。すると、南森町店のスタッフは、その骨盤コースのレッスンは、かつて南森町店で骨盤コースのレッスンを担当されていたインストラクターによるレッスンではなく、別のインストラクターによるレッスンであることを教えてくださった。もはや南森町店のかつてのインストラクターから骨盤コースのレッスンを受けることができなくなってしまったのはとても残念だが、私は新しい骨盤コースにも期待感が募っていた。

 さて、梅田店で受けたリラックスコースのレッスンは、先日の天皇誕生日のレッスンと違って、十五名もの方たちが参加されていた。天皇誕生日にレッスンをお休みして、年賀状を書き上げた方たちがこぞって参加されていたのかもしれない。ちなみに、十五名のうち男性会員は三名だった。レッスンを担当してくださったのは、これまでに何度かレッスンを担当してくださったことのあるインストラクターである。

 参加人数が多かったにもかかわらず、インストラクターはレッスン中に空気の入れ替えをしてくださらなかった。梅田店のスタジオは横長で熱気がこもり易いので、スタジオ内はとても暑くなっていた。そのため、私はいつものように立ちポーズに入って間もなくすると、スタジオの外に出て涼んだ。梅田店のスタジオの外には、ヨガに関する本が置かれているので、私はそれを手に取って目を通しながら、身体をクールダウンさせてからスタジオに戻った。

 こうして、私にとって、梅田店での二〇一〇年最後のレッスンを終えたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m スタジオの外に置かれていたヨガに関する本の中には、森林浴をしながらヨガのポーズを取っている人の写真が掲載されていました。外で行うヨガは、私も経験がありますが、とても気持ちがいいんですよね。かつて、京都四条通店のスタジオがあった頃に、野外ヨガに参加したことがあるのですが、三宮店や梅田店でもこのような企画があれば、また参加したいものです。

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2011.01.12

映画『雷桜』

アユタヤ紀行(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。四日振りに出勤しましたが、前日までタイにいたのに妙な感じです。(笑)今の日本の寒さとタイの暑さを足して二で割りたい気分ですね。この続きはまた週末にお届けすることにして、今回は久し振りに映画のレビューを書かせていただきます。

 私にとって、本作を鑑賞したのは比較的最近のことのように思えるのだが、ノートに書き記した鑑賞日を確認してみると、十月二十九日と書かれていた。

 本作は、若い男女の身分違いの恋を、時代劇の形で描いた切ないラブストーリーである。身分の高い徳川家の息子として生まれた斉道を演じているのは、岡田将生くんである。斉道は心の病を治すため、瀬田村で静養していた。斉道は瀬田村で、蒼井優ちゃん演じる、村人から天狗と呼ばれている娘・雷と出会い、激しい恋に落ちる。驚いたことに、小出恵介くん演じる斉道の家臣・助次郎は、雷が二十年ほど前に誘拐された自分の妹だと斉道に言う。

 身分違いの恋は、決して珍しい話ではない。そういう意味では、心に余裕を持って鑑賞することができると言える。しかし、こうしてレビューを書くにあたり、本作の流れを思い出してみると、心に熱いものがこみ上げてくる。身分違いの男女が互いに惹かれ合い、激しい恋に落ちた。二人はともに、第三者に対しては頑ななはずだったのに、互いに対してだけは心を開いた。それは、これまで誰も招くことのなかった領域に、相手を招いたからだ。

 おそらくその領域は、無責任に接して来ようとする人たちに対しては閉じている領域である。しかし、相手の中に本当の愛があることがわかると、次第に開かれて行く領域なのだ。すなわち、二人は互いに対して、特別な領域を開くための鍵を持っていたことになる。それだけに、繋がりも特別で深くなる。それなのに、二人は身分違いを理由に引き離されようとしている。しかし、二人を引き離そうとするのは、まだ愛を知らない人たちであると言ってもいいだろう。何故なら、愛の尊さを知った人たちならば、身分の違いが二人の愛を引き裂くものではないと知っているからだ。

 私は本作で、蒼井優ちゃんの素晴らしい演技力に改めて注目した。これまで彼女の出演する作品をいくつか鑑賞して来たが、彼女は毎回、その役になり切っている。しかも、一つのキャラクターに固定していない。どんな役でもこなせるフレキシブルな女優さんと言っていいだろう。

 また、本作で「おおっ」と思ったのは、柄本明さんと岡田将生くんの共演である。何故なら、少し前に鑑賞した映画『悪人』の中で、娘を殺された柄本明さんは、娘を殺さないまでも、車から無理矢理降ろして蹴り上げた岡田将生くんのことをひどく憎んでいたからだ。そんな柄本明さんが、本作では岡田将生くんの忠実な家臣であるという設定に苦笑いしてしまった。

 それだけではない。柄本明さんの切腹のシーンにも目を見張るものがあった。何しろ、見る見るうちに顔が赤くなり、柄本明さんが演技のためにお腹に力をこめているのがわかったからだ。こんなに顔が赤くなっていれのに大丈夫だろうか。撮影のあと、倒れたりしなかっただろうかと心配になってしまったほどだ。

 とにかく、作品としての評価はそれほど高くはないものの、見どころの多い作品であることは間違いない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m こういう作品に続きがあれば、輪廻転生の仕組みについて分かり易いのにと思います。この時代に結ばれなかった二人は、別の時代に再び巡り合って惹かれ合い、本作の二人と同じように、愛し合っているのに環境に引き裂かれてしまう愛を体験することでしょう。しかし、輪廻転生を重ねて行くうちに互いの問題を克服し、二人の間に邪魔が入ることなく愛し合うことができるようになるという、いくつもの時代を経て、一組の男女の愛が完成して行く壮大なラブストーリーが出来上がりそうですよね。

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2011.01.11

アユタヤ紀行(2)

アユタヤ紀行(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 酔っ払った西洋人は、ずっとゲストハウスに滞在している人たちなのだろうかとガンモと話していたところ、ガンモは、「ああいう人たちが、実は学者だったりするんだよね」と言いました。なるほど、ひょっとすると酔っ払った西洋人の二人は、考古学者かもしれませんよね。普段はまじめにアユタヤの遺跡の研究に取り組んでいるけれども、休日だったので羽目を外して昼間から飲んでいたのでしょうか。いや、そうとも思えないような気がしますが・・・・・・。(苦笑)

 不安になるくらいまっすぐ進むと、やがて、レンガ造りの遺跡のようなものが見えて来た。ワット・マハタートと呼ばれる遺跡である。私は、初めて見るアユタヤの遺跡に心が躍った。ワット・マハタートの周りは低い外壁で囲まれていたが、その隙間から大きな仏像が見えていて、タイの人たちの信仰心の厚さに心を揺り動かされた。

 タイを訪れた人ならば、誰しも日本を振り返り、思うことだろう。日本は仏教国と思われているかもしれないが、日本人にとっての仏教は、単に儀式のようなものでしかないのではないかと。何故なら、仏教への信仰心が日常生活に根付いてはいないからだ。日本人が仏教に対する信仰心を見せるのは、特別なときだけである。しかも、日本人は仏教を信仰しているように見えていて、実は仏だけではなく神にも頼ることがある。いわば日本人は儀式を守るために、仏教と神道の両方を表面的に信仰していると言える。仏や神への信仰に、深く入り込んではいないのだ。

 一方、タイでは、国民の九十五パーセントが仏教を信仰しているのだそうだ。その信仰心はとても厚いもので、決して日本人のように表面的なものではない。心から仏を敬っているように見える。それは、街のところどころに祀られている仏像からも伝わって来る。

 ところで、ワット・マハタートには、頭のない仏像がいくつもあった。何故、頭がないのかとガンモに尋ねてみると、
「昔、ビルマ軍に破壊されたんだよ」
と、ガイドブックで予習していたガンモが答えた。なるほど、それでこんなにも頭のない仏像ばかりが並んでいるというわけである。

 また、ワット・マハタートには、長い年月を経て、木の根に取り囲まれた仏頭がある。この仏頭もそうだが、敷地内に据えられた仏像もまた、表情がとても穏やかなのだ。それも、思わず立ち止まって見とれてしまうほどの穏やかさで、お顔を拝見しているだけでも心が鎮まって来る。

 穏やかな表情の仏像を拝みながら、信仰心とは一体何だろうと私は思う。自分の欲望を叶えるために、神仏に祈るのは信仰心ではないだろう。それならば、自分が日々生きていることを感謝するのが信仰心なのだろうか。それもまた、何だか自分が日々生き続けていたいという欲望に繋がっているように思えて、しっくり来ない。神仏に対して依存するのも信仰心ではない。偶像崇拝もまた、信仰心ではない。信仰心そのものを言葉で表現するのはなかなか難しい。しかし、少なくとも、あの穏やかな表情の仏像を造るには、深い信仰心がないとなかなか造れないだろう。仏像は、信仰するための対象物ではなく、信仰心が形に表れたものなのかもしれない。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、アユタヤ紀行(2)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 三泊四日のタイ旅行を終えて、無事に帰国しました。二十度ほどの気温差に身体が縮こまっています。(苦笑)アユタヤで撮影した写真を眺めながら、タイの日差しの強さを実感しています。同じ地球でも、飛行機で数時間も離れると、これほど気温が違っているのは不思議ですね。なお、旅行を終えましたので、次の記事は映画のレビューをお届けします。タイ旅行の話はまだ続きますが、これまでのように、平日は写真の整理と記事の更新を同時に行う余裕がありませんので、たくさんの写真を扱うタイ旅行の記事は週末を中心に書かせていただきますね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.01.10

アユタヤ紀行(1)

ガンまる、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートに乗るの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ちなみに、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートには、Seat for monksと書かれた僧侶ための優先席がありました。列車でもそうですが、タイは仏教国なので、僧侶が敬われているんですね。

 バンコク滞在三日目の今日は、アユタヤまで足を伸ばした。まず、MRT(地下鉄)を利用してタイ国鉄のフアランボーン駅まで出て、そこから特急列車に一時間半ほど揺られてアユタヤまで移動した。実は、特急列車ではなく普通列車を利用する予定だったのだが、窓口で切符を購入するときに二等席を指定してしまったためか、特急列車の切符が発券されてしまったのだ。アユタヤまで二十バーツ(日本円でおよそ六十二円)ほどだと思っていたのに、その十倍以上の三百十五バーツ(日本円でおよそ九百七十六.五円)も請求されてしまったから驚いた。それでも、まあいいかと思い、私たちは指定された特急列車に乗車することにしたのだった。

 特急列車は、少し遅れてホームに入って来た。見るからに古い車両で、乗り込んでみると、青いカーテンがなまめかしく、いかにも庶民的な雰囲気が漂っていた。タイはどこでもそうだが、冷房がガンガンに効いている。タイ国鉄の特急列車も例外ではなかった。私は持参したひざ掛けを使って、強い冷房から身体を守った。

 特急列車が動き始めてしばらくすると、女性スタッフがお弁当を配ってくださった。何と、私たちが利用した特急列車の二等席には、お弁当が付いていたのである。私は、ヨーロッパで乗車したユーロスターやタリス、ICEなどの国際的な特急列車を思い出したが、どれも庶民的な乗り物ではなかった。しかし、タイではこんなにも特急列車が庶民的で、こんなにも庶民的なお弁当が付いているのだ。お弁当のあと、コップ一杯のストロー付きミネラルウォーターも配られた。至れり尽くせりである。ガンモは配られたお弁当をすぐに平らげたが、私はあまりお腹が空いていなかったので、すぐにはお弁当を食べなかった。

 私たちの乗った特急列車は、およそ一時間半ほどでアユタヤに到着した。アユタヤで降りると、たくさんの人たちがホームの椅子に座って、バンコクのフアランボーン駅方面に向かう普通列車を待っていた。私は、ようやくお腹が空いて来たので、駅のホームにある椅子に腰掛けて、さきほどのお弁当を平らげた。見掛けは小さなお弁当だったが、ご飯がたっぷりと詰まっていてお腹一杯になった。タイ特有の香辛料の効いたおかずだった。

 腹ごしらえをしたので、いよいよアユタヤの遺跡巡りをしようと思っていたところ、アユタヤ駅で一人の男性に声を掛けられた。親切な観光案内人かと思い、しばらく話を聞いていたのだが、どうやらトゥクトゥク(三輪車タクシー)の運転手のようだった。アユタヤはとても広いので、歩いて回ることは困難だから、三時間六百バーツ(日本円でおよそ千八百六十円)で案内してくれると言う。しかし、私たちには計画があったのでやんわりと断ると、私たちのあとをつけて来て、今度は三時間五百バーツ(日本円でおよそ千五百五十円)に値下げするからどうかと言われた。私たちはそれもお断りして、駅前に並ぶお店を見て歩いた。

 実は私たちは、レンタサイクルを利用してアユタヤの遺跡巡りをしようと思っていたのだ。アユタヤの遺跡はあちらこちらに点在しているため、レンタサイクルを利用して回るのが効率的だと考えていたのである。トゥクトゥクで案内してもらえば体力を消耗しなくていいのかもしれないが、それなりに時間もあるし、何よりも自分たちのペースで、自分たちの足を使って観光したい気持ちが強かったのである。

 ところが、一つ難点があった。それは、アユタヤの遺跡巡りをするためには、渡し舟に乗って向こう岸まで渡らなければならないことである。ガンモの持っていたガイドブックによれば、向こう岸に渡った場合、レンタサイクルを借りるには、一キロほど歩かなければならないという。そのため、できれば渡し舟に乗る前にレンタサイクルを借りておきたかったのだ。とは言え、レンタサイクルを借りたままで渡し舟に乗れるかどうかが大きな問題だった。

 偵察のために、渡し舟の乗り場の前まで足を運んでみると、ありがたいことに、「サイクルの追加料金二バーツ」と書かれていた。ということは、レンタサイクルと一緒に渡し舟に乗ることができるのだ。そうとわかれば話は早い。私たちは、渡し舟に乗る前に、アユタヤ駅前でレンタサイクルを借りることにしたのである。

 そこで、レンタサイクルを貸してくれるお店を探したところ、いくつかのお店が候補に挙がった。あるお店の前では、酔っ払った西洋人が私たちに声を掛けて来た。どうやらその西洋人は、ゲストハウスも運営しているそのお店の宿泊客らしい。カメラを首からぶら下げている私たちに、写真を撮って欲しいと言うので、撮ってあげるとうれしそうだった。

 どういうわけか、西洋人はガンモのことを"Benny"と呼び、私のことを"Hill"と呼んでいた。あとからわかったことだが、イギリスに"Benny Hill"というコメディアンがいたようである。そのコメディアンがガンモに似ているということなのだろうか。YouTubeで"Benny Hill"の映像を確認したガンモは、「確かに"Benny Hill"は親父に似ている」と言っていた。

 酔っ払った西洋人があまりにもにぎやかなので、他のお店でレンタサイクルを借りようとしたところ、他のお店の人が不在だったため、結局、酔っ払った西洋人のいるお店で借りることにした。私たちは、酔っ払った西洋人から盛大な歓迎を受けた。酔っ払った西洋人は、お店の人でもないのに、アユタヤの地図を見せながら、私たちにレンタサイクルを使ったアユタヤ遺跡の巡り方について説明してくれた。説明のあと、酔っ払った西洋人がその地図を私たちにくれたので、アユタヤの詳しい地図を持っていなかった私たちはとても助かった。ちなみに、酔っ払った西洋人に出身地を尋ねてみると、イギリス人だった。更にどのくらいここにいるのかと尋ねてみると、もう何百年もここにいるという答えが返って来た。アユタヤに魅せられて、ずっとアユタヤに滞在しているのだろうか。

 レンタサイクルを借りるのに、お店のノートに名前とパスポート番号を記入した。そして、書き込んだパスポート番号を証明するために、お店の人にパスポートのコピーを提示し、レンタサイクル料金として、一人一日四十バーツ(日本円でおよそ百二十四円)を支払った。

 こうして私たちは、何とかレンタサイクルを借りて、すぐ近くにある渡し舟の乗り場まで移動した。そこでサイクル持ち込み料金として二バーツの追加料金を加算して、一人六バーツ(日本円でおよそ十八.六円)を支払うと、案内されるがままに渡し舟の乗り場へと降りて行った。渡し舟の乗り場は、一部は階段で、階段の先には自転車を転がすためのレールが取り付けられていた。ずいぶんワイルドな感じである。階段を下りると、私たちはそのままレンタサイクルを転がして渡し舟に乗り込んだ。利用客は私たちのほかに一人いただけだった。

 渡し舟が出航すると、ただちに向こう岸に着いた。向こう岸では、僧侶を含む十数人の人たちが渡し舟の到着を今か今かと待っていた。もしも私たちが利用した船着場からこれだけの人たちが乗船していたとしたら、レンタサイクルと一緒に向こう岸に渡ることはできなかったかもしれない。向こう岸に着いた私たちは、さきほどと同じように一部の階段とレールの上を転がして陸に着いた。

 ところが、向こう岸に渡って最初に目に入ったのは、レンタサイクルを貸し出すお店だった。何だ、向こう岸へと渡って一キロ歩かなければレンタサイクルを借りられないというのはガイドブックの間違いだったようだ。最初からそれがわかっていれば、渡し舟を渡るのにサイクル追加料金を支払わなくて済んだのにと思ったが、レンタサイクルと一緒に渡し舟に乗ったことは、それはそれで大変貴重な経験だったと思っている。私たちは気を取り直して、酔っ払った西洋人に教えてもらった通り、そこからレンタサイクルに乗ってただひたすらまっすぐ進んだ。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、アユタヤ紀行(1)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 特急列車の車両といい、渡し舟をレンタサイクルと一緒に渡ったことといい、何となくワイルドな旅の幕開けとなりました。アユタヤには坂道がほとんどありませんでしたので、レンタサイクルで遺跡めぐりをするには最高でした。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.01.09

ガンまる、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートに乗る

夜間飛行の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本来ならば、夜間飛行で目的地まで移動してしまっているのだから、時間の節約に繋がってもいいはずなんですよね。しかし、今回は少し身体に無理をさせて未来をたぐり寄せてしまいました。結局、空港で数時間を過ごすことになりましたが、私たちと同じように早朝に着いてしまい、ホテルにチェックインすることもできずに空港で寝ている外国人がたくさんいらっしゃいました。(笑)さて、本来ならば、今回の記事は三日に一度の映画のレビューをお届けする予定でしたが、旅行が終わるまでは映画のレビューをお休みさせていただきます。

 ありがたいことに、心配していたガンモの体調は、初日の夜から著しく回復し始めた。食欲も出て来たようで、二日目の朝にはすっかり元気になっていた。そこで私たちは、初日の遅れを取り戻すかのように、初日に行きたかった観光地を訪れることにした。その一環として、観光地を効率良く回るため、チャオプラヤー川を運行する高速ボート、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートを利用した。

 バンコクには、路線バスや鉄道など様々な交通手段があるのだが、川や運河を走る水上バスも数多く運行されている。路線バスと違って、川や運河を走る水上バスならば、交通渋滞がないのでストレスなくスイスイ移動できるのではないかと思っていたのだが、これはとんだ誤算だった。確かに交通渋滞はないものの、利用客の多さに驚いたのだ。しかも、利用客の多くは観光客というよりも、買い物帰りの地元の人たちだった。地元の人たちは、たくさんのビニール袋を抱えてチャオプラヤー・エクスプレス・ボートに乗り込んでいた。週末なので、週に一度の買出しなのだろうか。

 とは言え、観光客ばかりの乗り物を利用して移動するよりも、地元の人たちの多い乗り物を利用して移動するほうが、旅としては充実感を味わうことができる。旅の醍醐味は、有名な観光地を訪問することだけでなく、地元で暮らす人たちの生活に少しでも触れることではないかと思っているからだ。

 ところで、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートの運賃だが、私たちが利用した区間は十四バーツ(日本円でおよそ四十三.四円)だった。運賃は、利用する区間によって異なるらしい。確かに運賃が安いので、地元の方たちにも大いに利用されているわけである。

 運賃は、乗船前に船着場で支払うか、乗船後に車掌さんから購入する。車掌さんは女性で、小銭の入った金属製の
円筒の入れ物を振って小銭の音をジャリジャリと鳴らしながら、検札にやって来た。私たちは乗船前に運賃を支払って切符を購入していたので、車掌さんにその切符を見せた。切符は一辺二センチほどの正方形のペラペラの紙である。車掌さんは私たちの購入していた切符を受け取ると、金属製の円筒の入れ物に通し、検札のしるしを付けた。

 下船する船着場までほんの三つ先だったので、私たちはできるだけ出口に近い場所に留まり、いつでも下船できるように待機した。おかげで、目的地に着いたときには、無事に下船することができた。

 いつもならば、観光地に出掛けると、行きと帰りでルートを変えることにしているのだが、今回は復路も同じルートを利用した。復路で利用したのは夕方だったのだが、昼間以上に混雑していてすぐには乗船することができず、二本の船を見送った。椅子も何もない揺れる桟橋の上で次の船が来るのを待ち続けていたので、ようやく乗船できたときにはぐったり疲れていたが、それでもバンコクの庶民の雰囲気を味わうことができて、とても有意義なひとときだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ガンまる、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートに乗るをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m バンコクは、人の数が半端じゃないくらいに多いですね。おまけに、国際色も豊かです。私には、タイ人と外国人の区別がつきません。(笑)船に酔う人ももちろんいるかもしれませんが、とにかくあまりにも人が多いので、人の多さに酔う人もいるかもしれませんね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.01.08

夜間飛行

高エネルギーの同窓会(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。たまに会えるからこそ、二つのエネルギーの回路を同時に開くことができるのでしょうね。そういう意味では、同窓生たちとは、瞬間、瞬間の繋がりを大切にしている関係と言えるかもしれません。この次にいつ会えるのかはわかりませんが、歳を重ねた分だけ、また懐かしさも増すのでしょうね。

 日本の皆さんには申し訳ないのだが、今、私がいるところは暑い。日中の最高気温は三十度前後だと思う。ただ、夜になると最低気温が二十度前後になるので、夜風は涼しい。

 滅多に風邪を引かない私が大晦日に風邪を引いてしまい、体調が回復しかけた頃に中学校の同窓会のために帰省した。そのとき、木造の寒い私の実家で、寝ているときに私がガンモの布団を奪い取ってしまっていたようだ。そのため、いつもは私の風邪などうつらないのに、寒さのためにガンモは風邪を引いてしまった。

 それなのに、同窓会を終えた私が帰宅する頃、ガンモに急な東京出張が入ってしまった。その日はガンモの誕生日だったというのに、ガンモは自分の誕生日をたった一人で東京のホテルで迎えることになってしまったのである。風邪を引いている状態で、いったん帰宅してから出張の準備も整えることなく、朝仕事に出掛けたままいきなり東京出張に出掛け、翌日の仕事を確実なものにするために少し寝不足に陥ってしまったことが良くなかったようだ。週末からの三連休に有給休暇を加えて三泊四日の旅行に出掛ける計画を立てているというのに、ガンモの体調は更に悪化してしまった。

 東京に一泊して帰って来たガンモは、翌日には出発を控えているというのに熱を出し、咳をしていた。ガンモは、出張から帰って来たあと、病院で点滴をしてもらい、薬も処方していただいたようである。それでも、すぐには体調が回復しなかったため、出張から帰って来た翌日、ガンモは大事を取って仕事の休暇をいただいた。一日寝て、何とか体調を回復させようと試みたものの、薬を飲んでいる間は調子がいいのだが、薬が切れるとまたぶり返してしまう始末だった。

 そんな状況の中、出発日となる金曜日、少し回復したというガンモを自宅に残して、私はいつものように仕事に出掛けた。この日、ガンモはもともと休暇を取っていたので、できる限り自宅で療養していた。ガンモの体調が心配でメールを送ってみると、解熱剤を服用していない状態でも熱が下がっているとのことだった。どうやら、回復に向かっていると判断していいようである。私が仕事から帰宅したあとは、大急ぎで支度を整えて関西国際空港に向かうことになっていた。ただでさえ、旅行に出掛けてしまえば無理をすることがわかっているのに、体調が万全でない状態で旅行に出掛けてしまってもいいのだろうかと思い悩みながらも、ガンモに判断を委ねていた。おそらく今回の旅行を楽しみにしていたガンモが、自分の体調不良を理由に旅行を取りやめにすることなど考えられなかったので、ガンモが無理をして旅行に出掛けて行くと判断することが心配だった。

 仕事を終えて帰宅すると、ガンモは朝よりも元気になっていた。旅行には出掛けて行くという。結局私たちは大急ぎで支度を整え、二十時頃にスーツケースを転がして自宅を出発した。すると、ちょうど自宅の最寄駅まで向かう路線バスがやって来て、私たちを自宅の最寄駅まで運んでくれた。それだけではない。自宅の最寄駅に着いてみると、そこから乗る予定だった関西国際空港に向かうリムジンバスもとんとん拍子でやって来た。しかも、予定していた便よりも一本早いリムジンバスに乗ることができたのだ。三連休前なので、リムジンバスも混雑しているのではないかと心配していたのだが、夜だったためか、むしろ空いていた。

 ただ、ガンモは乗り物に乗ると、いつも窓際に座る癖があるのだが、ガンモがいつものように窓際に座っていると、窓の隙間から外の冷たい空気が入り込んで来て、ひどく寒かったようだ。そのため、私は持参したひざ掛けをガンモの肩に掛けた。しかし、肩を保護するのが少し遅かったようで、いったん良くなりかけていたガンモの風邪がまた少しぶり返してしまった。

 それに懲りずに、ガンモはまたしても飛行機で窓際に座ってしまったため、外の冷たい空気を肩のあたりに感じながら、数時間のフライトを続ける羽目になってしまった。飛行機の中で、私の上半身は半袖Tシャツ一枚だったのでガンモと席を入れ変わっても良かったのだが、私たちが座っていた三人掛けの席には既に私たちの他に利用客が座ってしまっていたため、ゴソゴソしていてはご迷惑になると思い、遠慮した。ガンモはジャケットを着た上に、航空会社が用意してくれたひざ掛けはもちろんのこと、私の持参したひざ掛けや私の脱いだジャケットなどを使って身体を温めていた。最初のうち、機内は少し寒かったが、だんだん暖まって来たようで、途中からはガンモも自分の着ていたジャケットを脱いでいた。

 こうして私たちの乗った飛行機は、金曜日の深夜、すなわち土曜日の早朝の〇時半に関西国際空港を離陸し、およそ六時間弱のフライトを経て目的地に着いた。飛行機の中では、もちろん熟睡できるわけでもなく、目的地に到着したときには日頃の睡眠不足も加わって、ガンモだけでなく私の体調までも万全ではない状態だった。本来ならば、夜のうちに飛行機で目的地まで移動できる上に、目的地には早朝に着くため、朝の早い時間から観光を始められると思っていたのだ。ところが私たちは、目的地の空港に着いてからおよそ五時間ほど、空港の待合所の椅子に座ったり横になったりしながら、身体を休ませる羽目になってしまった。

 私たちが降り立った場所は暑いところだが、早朝に現地に着いてしまい、ホテルのチェックイン時間までまだまだ時間があったため、ガンモはジャケットを着たまま空港のベンチに横になり、私が持参したひざ掛けを布団代わりにしてしばらく眠った。ひざ掛けだけでは足元から冷えが入ってしまうと思い、私の着ていたジャケットをガンモの足元に置くと、私には掛けるものがもう何もなくなってしまった。おまけに、ガンモが寝ている状態で、私まで一緒に眠りこけてしまっては貴重品や荷物の安全が確保されないと思い、私はずっと起きていた。とは言え、私は普段から活動するときは下半身を温めながら活動しているので、下半身を温めるものが何もないと、何をするにも調子が出なかった。ガンモはガンモで大変だったが、私もまたガンモの寝ている時間を有効活用しようにも、睡眠不足を解消することもできず、活動もできずに悶々としていたのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、夜間飛行をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 特にもったいぶる必要もないのですが、私たちが今、どこにいるかは、写真をご覧くださればおわかりいただけるかと思います。それにしても今回の旅は、思い切って強行に踏み切ったという感じでしたね。しかし、体調以外はすべてとんとん拍子で進んでいます。現在は二人とも、体調を回復しつつあります。やはり、睡眠時間は大切なんですね。ロールプレイングゲームでも、宿屋に泊まって体力を回復させますもんね。(笑)

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2011.01.07

高エネルギーの同窓会(3)

映画『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m グリゴリエフ大佐は、ソ連に明るい未来をもたらしたいがために、敢えてそれまでのソ連を崩壊させようと試みたことになります。グリゴリエフ大佐の取っていた立場が、ピエールの贈った本に書かれている狼の詩と連携されているのが印象的でしたね。それでは、高エネルギーの同窓会(2)の続きを書かせていただきますね。

 同窓会は大いに盛り上がり、やがて二次会の会場へとタクシーで移動することになった。タクシーは一度にやって来るわけではなかったので、私たちはちょろちょろと現れた一台ずつのタクシーに分乗し、二次会の行われるスナックへと向かった。

 私にとって、今回の同窓会のテーマは、「これまでほとんど話したことのなかった同級生たちと話をする」ことだったようで、二次会の会場へと向かうタクシーに同乗することになったSくんもまた、これまで一度も、あるいはほとんど話したことのない同級生の一人だった。

 二次会の会場となったスナックで、私はタクシーで一緒だったSくんと、これまたほとんど話をしたことのなかったHくんのいるテーブルに、小学校から高校まで同じだったYちゃんと一緒に加わった。不思議なことに、これまでほとんど話をしたことがなかったというのに、私にとってSくんから発せられるエネルギーもまた、とても心地のいいものだった。Sくんは猟師なので、私と仕事の話が合うはずもないのだが、話の内容云々よりも、話をするときに互いに相手を許容し合っているエネルギーがとても心地良かったのだ。

 一方、Yちゃんはというと、SくんともHくんともかつて同じクラスだったことがあったようだ。特に、Yちゃんが進学した大学が京都にあったこともあり、同じく京都の大学に進学したHくんは大学時代にYちゃんと交流を持っていたらしい。そんなHくんは、病気をしたとかで、まるで別人のように痩せこけてしまっていた。命に関わる病気ではなかったことが、せめてもの救いである。

 その後、私たちのテーブルに、中学三年のときに生徒会長を務めていたIくんが加わった。私は、Iくんが生徒会長だったことや、Iくんと同じ高校に進学したこともあって、
「同じ高校だったよね?」
などと言ってIくんに話し掛けてみたのだが、あろうことか、Iくんは私のことを覚えてくれてはいなかった。そこで、SくんやHくんがIくんに対し、私の名前を当てるクイズのようなものを始めてくれたのだが、Iくんは私のことをなかなか思い出してはくれなかった。

 それでも、高校時代の話を始めると、Iくんはおぼろげながら少しずつ、私の存在を思い出してくれたらしい。私は、自分がこんなにもマイナーな存在だったのだろうかと、ある意味驚いた。というのも、現在の私は、持ち歩く荷物がとても多いからか、たいていの人たちには良く覚えてもらっているからだ。それなのに、中学の頃は、同級生たちの心に強く印象付けるだけのインパクトに欠けていたようなのである。中学の頃から、今みたいにたくさんの荷物を持ち歩いていれば、同級生に忘れられることもなかったのかもしれない。

 現在、Iくんは、特殊学級の教師をしているのだそうだ。Iくんは東京の大学に進学したらしいのだが、どういうわけか三浪することになってしまい、教育実習は弟さんの友達と一緒に母校で受けることになってしまったのだそうだ。私も東京方面の大学に進学したので、Iくんに、
「どこの大学?」
と尋ねてみると、驚いたことにIくんは、私と同じ出身大学を口にしたのだ。
「ええっ? 私も同じ大学の出身だよ。私は一浪したけど」
と言った。私の場合、いったん広島の私立大学に入学したあと、すぐに休学届を提出して翌年に再受験しているのだが、話がややこしくなるので、細かい説明は省いてしまった。Iくんが私と同じ大学に通っていたことなど、今回の同窓会で同じテーブルにならなければ一生知らなかったかもしれない。その後、Iくんとは、同じ大学出身の有名人の話で盛り上がってしまった。さすがIくんは、特殊学級の教師をしているだけあって、話をするスピードがゆっくりで、とても話が聞き取り易かった。普段から、相手に伝えることを意識しながら話をしているからだろう。それが普段のコミュニケーションにもしっかりと活かされているのだ。

 Iくんが何かの拍子に立ち上がったあとは、背の高い男の人がその席にやって来た。一体誰だろうと思いながらじっくりと観察していると、小学校のときに良く話をしていたGくんだということがわかった。Gくんは以前よりもずっと背が伸びていて、いわゆる「いいおじさん」になっていた。とは言え、ピュアな心は小学校の頃のままだった。Gくんが聞かせてくれた話で印象に残っているのは、亡くなってしまった同級生の話である。Gくんはその同級生と仲が良かったらしく、事故で亡くなる二日前にGくんのところに電話を掛けて来たのだそうだ。私は亡くなった同級生のことは良く知らなかったのだが、彼のことを話題にするGくんの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 やがて二次会の会場では、カラオケで盛り上がる人たちも出て来たのだが、私は耳だけでメロディを追いながら、同じテーブルで交わされる会話に夢中になっていた。

 同窓会の席は、久し振りに顔を合わせた同級生たちの間で、お互いのことをもっと知りたい気持ちと、相手に自分のことを伝えたい気持ちに溢れていた。知りたい気持ちと伝えたい気持ちの両方が存在することで、双方向のコミュニケーションが成立しているのだ。だから、同窓会のような席では高エネルギーが流れている。そんな高エネルギーに包まれていることが、とても気持ちがいい。

 私は、父に迎えに来てもらうことにしていたので、できれば早い時間に帰宅したいと思っていた。何故なら、実家の両親は早寝早起きの習慣が身に付いているからだ。私が帰省していることで、父母の生活のリズムを崩してしまってはいけない。そんなことを思っていると、二十一時半過ぎになってYちゃんが申し訳なさそうに、そろそろ帰宅したいと切り出した。Yちゃんは松山に住んでいるのだが、翌日、用事が入っているため、その日のうちにJR線に乗って松山まで帰りたいと思っていたようなのだ。Yちゃんのおかげで、私も帰宅組に便乗することができた。

 Yちゃんと私が席を立つと、私たちが帰ることに気が付いた同級生たちが声を掛けてくれた。幹事さんに御礼を言い、同窓会が始まる前に私が声を掛けた男性を再びニックネームで呼んでみると、
「実は最初に声を掛けてもらったとき、誰なのか、ようわからんかったんよ(よくわからなかったんだよ)」
と言われてしまった。やはり私はマイナーな存在だったのだろうか。いやいや、中学の頃に比べて、私が変わり過ぎてしまっているからなのだろう。

 こうして楽しみにしていた中学の同窓会が静かに幕を閉じた。父に迎えに来てもらって帰宅した私は、布団に入ってから寝るまでの間中、同級生のみんなと会話したことを一つ一つ思い巡らしていた。そして、会話をした人たちの名前を手帳に書き留めた。布団に入ってからも、私はずっと高いエネルギーに包まれ続けていたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m コミュニケーションを取るときに、他の人と繋がる回路は二つあるのですね。一つは、相手の話を聞くための回路、そしてもう一つは、自分の話を伝えるための回路です。久し振りに会ったり、出会ったばかりのすがすがしい関係の場合は、二つの回路が同時に開いているのがわかります。だから、心地良いコミュニケーションが成立するのだと思います。しかし、馴れ合いになってしまうと、お互いの甘えから、どちらかの回路を閉じてしまいがちなんですよね。(笑)ところで、私は今、この記事を関西国際空港の出発ロビーで書いています。三連休と有給休暇を利用して、ガンモと一緒に暑い地域へと旅立ちます。次回の記事は、暑いところからお届けしますね。

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2011.01.06

映画『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』

高エネルギーの同窓会(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m そう言えば、女性たちは相手に認識してもらうために、旧姓で名乗り合っていました。眼鏡を掛けていた中学時代とは顔も体型も変わってしまっている私も、旧姓で名乗ることで、相手に認識してもらいました。名簿が作成されて配布されたわけではなかったので、きっと同窓会を解散したあとも、女性たちはみんな旧姓のままで、同級生たちの記憶の中に残って行くのでしょうね。

 本作を鑑賞したのは、十月二十八日のことである。年末年始は多忙のため、映画館に足を運べていないというのに、こうして着々と映画のレビューを書いている。ということは、去年のうちに鑑賞したものの、まだレビューを書き切れていない作品を、私の中で少しずつ消化できているということである。これは大変良い傾向と言っていいだろう。

 本作は、冷戦時代にソ連を崩壊に導いたと言われているスパイの物語である。スパイの物語と言うと、少し前に鑑賞した映画『ソルト』を思い出す。更に、本作はフランス映画なのだが、本作同様、フランス映画でソ連が舞台となっている映画『オーケストラ!』を思い出す。それでは本作は、それら二つの作品を足して二で割ったような作品なのかというと、そうではない。スパイ映画といえども映画『ソルト』のような激しい戦いのシーンがあるわけではなく、また、フランス映画といえども映画『オーケストラ!』のようなユーモアたっぷりの展開でもない。どちらかと言うと、シリアスな人間ドラマだ。

 タイトルにもなっているフェアウェルというのは、本作の主人公でスパイであるグリゴリエフ大佐のコードネームである。彼はKGBの幹部であるにもかかわらず、これまでスパイ行為とはまったく無縁だったフランス人技師ピエールを介して、ソ連の知り得た機密情報を次々に西側に流して行く。すなわちグリゴリエフ大佐は、自らの手で祖国を危機にさらそうとしているのだ。とは言え、グリゴリエフ大佐がスパイ行為を働いたのは、決して祖国に対する愛国心がなかったためでもなく、またお金のためでもなかった。グリゴリエフ大佐はむしろ、祖国を危機に追い込むことで、祖国を変えようとしたのである。それは、愛する息子に、当時のソ連の延長線上にある暗い未来ではなく、もっと輝かしい未来をプレゼントしたかったためでもある。

 スパイ行為に手を貸すことになったピエールは、重大なスパイ行為に関わっているということで、自分自身の取っている行動に対し、深刻に思い悩むものの、そんな状況を重ねながら、グリゴリエフ大佐とピエールの間には奇妙な友情が育まれて行く。

 グリゴリエフ大佐はピエールを通して西側の文化に触れる。例えば、グリゴリエフ大佐の息子さんが好んで聞いている音楽は西側のものだったので、ピエールにそのアーチストのミュージックテープを買ってもらったりする。

 また、グリゴリエフ大佐はピエールからもらった詩集をとても大事にしている。狼の父親が家族を守るために自ら犠牲になるという内容のその詩は、本作の中でも活きている。もちろん、グリゴリエフ大佐がその詩に、自分の状況を重ね合わせて行くのは言うまでもない。

 たくさんの台詞があるわけではないが、本作の中で、グリゴリエフ大佐の存在感は大きい。彼には台詞など必要なく、表情だけでもすっかり絵になっているのだ。しかし、そんな彼も妻子ある身でありながら、女性と浮気をしていたり、彼の妻もまた、過去にグリゴリエフ大佐の同僚と浮気をしていたことがあったりと、どろどろした男女関係の一面ものぞかせてくれる。更に、そんな彼には実に皮肉な結末まで用意されているのだ。

 私は良く知らなかったのだが、グリゴリエフ大佐を演じているエミール・クストリッツァは、映画監督として名の知れた人なのだそうだ。そう言われてみれば、私も彼のお顔を拝見するのは初めてではないような気がした。過去に何らかの作品で拝見したか、それとも映画監督としてのご活躍ぶりをどこかで拝見したのかもしれない。それにしても、本作のグリゴリエフ大佐という多くを語らないスパイの役が見事にぴったりはまっている。言葉ではなく、表情だけで存在感を感じさせてくれる貴重な役柄を演じ切ることができるのは、じっくりと着実に歳を重ねて来た人たちだけの特権であろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 人生経験の少ない赤ん坊が、多くを語らずに自分がお腹を空かせていることを主張するのは難しいでしょうね。(笑)歳を重ねるということは、表情の中にいろいろな感情を表現する装飾を施して行くことなのかもしれませんね。

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2011.01.05

高エネルギーの同窓会(2)

高エネルギーの同窓会(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 対等な関係を築き上げている親子関係は、とても好感が持てますね。互いに依存心がなく、親には子供を自立させようとする強い意志があります。親は子供の持つ力を信頼しているから、子供が自立することにしか手を貸さないのですね。Mちゃんと娘さんの関わり方も、そういう関わり方だと感じました。

 そんな状況の中、私は自宅から持ち帰った秋冬もののフォーマルウェアに恐る恐る袖を通した。このフォーマルウェアは、今からおよそ六年前に挙式した派遣仲間の結婚式に参列するために購入したものである。しかし、あれから私の肉体はずいぶん成長してしまっているため、持参したフォーマルウェアのサイズが合うかどうか、とても不安だった。それにもかかわらず、自宅でサイズ合わせをするのが怖くて、サイズ合わせもしないまま旅行カバンに詰めて持ち帰ったのだった。もしもサイズが合わなければ、仕方がないので普段着で参加するくらいの気持ちでいた。

 母に手伝ってもらいながらジャンパースカートをかぶってみると、ありがたいことに、そのフォーマルウェアは、多少きつく感じられるものの、何とか私の身体を包み込んでくれた。ただ、良くみると、スカートのスリット部分が窮屈に少しめくれ上がってしまっていた。めくれ上がったそのスリットを確認した私の両親が、
「ああ、それはいかん」
と言って苦笑いしていたのだが、私は思いがけず、自分の身体がそのフォーマルウェアに収まったので、多少きつくてもこれを着て行こうと心に決めていた。結局私は両親の苦笑いも無視して、そのまま支度を整え、会場となる居酒屋まで父に送ってもらった。

 居酒屋に着いて、居酒屋のスタッフに同窓会の参加者であることを告げると、同窓会の会場は階段を昇って三階だと案内された。私は高鳴る鼓動を抑えながら、階段を一段一段踏みしめて昇った。三階が近付くにつれ、にぎやかな声が次第に大きくなって来た。三階に着いてみると、そこには懐かしい顔ぶれが揃っていた。ぐるっと見渡して、目が合った人たちに軽く会釈をした。私を見付けてくれた何人かの同級生が声を掛けてくれた。その中には、小学校から高校までずっと一緒だったYちゃんもいた。Mちゃん同様、Yちゃんは、今回の同窓会が開催される前から、同窓会の話題でずっと盛り上がっていた友人なのである。

 入口付近で懐かしい友人と少しだけ会話を交わしたあと、私はYちゃんを誘って座敷に上がった。女性たちはある程度、固まって座っていたのだが、ぱっと見ただけでは誰なのかわからない人たちも多かった。

 私の通っていた中学校は、四つの小学校から生徒たちが集まって来ている。同じ小学校出身の同級生たちは、さすがに付き合いが長いので、例え中学校で一度も同じクラスにならなかったとしても、誰が誰なのか良くわかる。しかし、同じ小学校出身ではない同級生たちで、一度も同じクラスにならなかった同級生たちのことは、さすがに良く覚えていない。何故なら、そういう人たちは、顔に残された面影だけを頼りに、三十年前の記憶を呼び覚まさなければならないからである。

 私はときどきYちゃんに耳打ちしながら、あれは誰だろう、などとこっそり確認し合っていた。そう言えば、同じ小学校出身の同級生たちとは、中学校卒業後に何度か同窓会を開いて顔を合わせている。かくいう私も同窓会の発起人になって、同じ小学校出身の同級生たちに集まってもらったこともあったくらいだ。

 実は私は、小学校高学年から高校一年の始めくらいまでは眼鏡を掛けていた。しかし、高校一年の途中からコンタクトレンズに変えたので、眼鏡を掛けていた頃の私しか知らない人たちは、私が誰だか良くわからないだろう。しかも、若い頃と今では、体型がすっかり変わってしまっているのだ。そんな私とは違い、女性たちの多くは、体型もほとんど変わることなく、華麗に歳を重ねていた。大変うらやましい限りである。

 やがて、全員に飲み物が行き渡ると、乾杯の音頭が取られ、盛大な同窓会のスタートが切られた。誰しも最初のうちは大人しかったのだが、次第にお酒が入って来ると、自分のコップを片手に、好きな席に移動しておしゃべりに花を咲かせるようになった。おかげでいろいろな人たちと会話を交わすことができて良かった。今回の同窓会で一番の収穫だったことは、これまで一度も、あるいはほとんど話したことのなかった人たちと会話を交わすことができたことである。しかも、何故、これまでほとんど会話を交わさなかったのだろうと思えるくらい、自然で心地良い会話が成立していた。

 例えば、自宅でピアノ講師の仕事をしているというEちゃんは、楽譜を見ただけでその曲をさっと弾いてしまえるのだそうだ。また、絶対音階も聞き取れるそうで、和音の聞き取りもへっちゃらなのだそうだ。気になる曲を耳コピーして携帯電話の着メロを作っていた私としては、とてもうらやましい才能である。私は相対音階しか聞き取れない上に、和音の聞き取りもあまり得意ではない。そもそもコード理論が良くわかっていないのだ。しかし、世の中には私の得意でないことをいとも簡単にできてしまう人たちもいる。果たして、このような話を、Eちゃんと中学時代にできたかというと、そうではない。Eちゃんと交わす、音楽の話がとても楽しいと実感できるまでに三十年も掛かってしまったのだ。

 知らない間に私の隣に座っていたTくんは、最初のうち、誰なのか良くわからなかった。名前を尋ねてみてようやく、あのTくんだとわかった。驚いたことに、中学校時代のTくんは、人とほとんど会話をすることのないとても内気で大人しい男の子だったはずなのに、今ではすっかり人懐っこい性格に生まれ変わっていた。そう言えば、私は過去に、同様のケースに遭遇したことがある。幼稚園のときに、ずっと固い殻にとじこもっていた男の子がいたのだが、大人になって彼と再会してみると、すっかり明るい性格に生まれ変わっていた。度肝を抜かれるというのは、まさにこういうときに使うべき表現なのかもしれない。これらのことから、人格を形成するのは、環境なのではないかと思えて来たのだった。

 中学校時代に好きだった男の子(イニシャルはヒ・ミ・ツ)とも話をすることができた。実は、中学校時代、Yちゃんと私は同じ男の子のことが好きだったのだ。しかし、私には、Yちゃんと彼が両想いであるように思えた。だから私は、Yちゃんと彼のことをずっと応援していたのだ。私はYちゃんと彼の前で、「どうして二人は結婚しなかったんだろうね」などと言った。若い頃、Yちゃんと私が話すことと言えば、彼のことばかりだった。私は、若い頃のYちゃんが彼のことをどれほど真剣に好きだったかを一生懸命彼に伝えた。Yちゃんもそれを否定せずに心をオープンにしてその会話に加わっていた。時の経過がもたらす効果は不思議なもので、若い頃はプライドや恥ずかしさが邪魔をして、自分の気持ちを素直に表現することができなくても、こうして歳を重ねてしまえばすんなりと表現できるものだと実感した。若い頃は、何をそんなに必死で守っていたのだろう。守って守って守り抜いて、結局のところ、二人は別々の道を歩んでしまった。そんな話をしながら、私は彼と話をするのはとても楽ちんで心地がいいことにも気が付いた。彼と話すのに、構えが要らないのだ。だから、頭の中でさっと先回りして計算する必要もない。自分の思ったままを、フィルタを通さずに何でも口にすることができた。彼もまた、私に対して気軽に突っ込んで来た。こういう相性の人はなかなか巡り合えないので、とても貴重な存在だと思った。

 Yちゃん同様、小学校から高校まで一緒だったKくんとも話をすることができた。Kくんは、遠くから見ているだけでも癒し的な存在だった。私はYちゃんに、
「どこかにKくんのマスコット売ってないかな」
などと冗談を言った。Kくんは小学校のときに、算数のノートを消しゴムで丁寧に消して再利用していた。私がそんなことを覚えていることをKくんに話すと、Kくんは、私が小学校のときから小説じみたものを書いて、小説家になるなどと宣言していたことをちゃんと覚えてくれていた。私は、
「今でもいろいろ書いているよ。覚えてくれていてありがとう」
とKくんに言った。子供の頃から夢中だったことを、今でも記憶してくれている人がいるというのは、とても心強いものである。かつて、私が何故、ブログランキングに参加しているかの理由を書かせていただいたが、こうして振り返ってみれば、ブログランキングへの参加も小学校時代からのまっすぐな思いが積み重なったものなのである。

 私は、懐かしいいろいろな人たちとの会話を通して、間違いなく、古い記憶の上に新し記憶が次第に積み重ねられていることを実感していた。私の中で、小学校時代に出会った同級生たちと、中学校時代に出会った同級生たちとの接し方は明らかに違う。小学校時代に出会った同級生たちは、いわば幼馴染のような存在である。今回の同窓会で、この歳になっても、下の名前+ちゃん付けで私を呼んでくれた小学校時代の同級生(男性)がいた。少なくとも中学校時代は男女の間に照れが入る時期なので、実際に、下の名前+ちゃん付けで呼ばれることはなかったと思う。しかし、彼の中で、私は下の名前+ちゃん付けで存在し続けていたのだろう。私の中でも、彼の存在は、下の名前の一部+くん付けで存在し続けていた。

 大人になってから人と知り合うと、よほど親しい間柄に発展しない限り、お互いに苗字+さん付けという、大変よそよそしい呼び方で呼び合うようになる。しかし、長い時を経ても、小学校、中学校時代の同級生たちはお互いニックネームで呼び合っている。今回の同窓会でも、ニックネームは思い出せるが本名はなかなか呼び出せない同級生たちも何人かいたほどだ。子供の頃は、呼び方と比例して、親しい関係を築くことができていたのだ。しかし、歳を重ねれば重ねるほど、お互いの呼び方と同様に、どこかよそよそしい付き合いをするようになってしまったのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 中学の同窓会に参加して、人との距離の保ち方の違いについて、はっきりと実感しました。大人になってから知り合った人ほど、よそよそしい関係になってしまっています。(苦笑)その証拠に、小学校時代に出会った同級生たちの中には、例え何年顔を合わせることがなかったとしても、再会したときに、よそよそしい態度を取ってしまう人はほとんどいませんでした。また、大人になってから出会った人でも、互いにニックネームで呼び合っている人たちとは、心の距離が近いように思いますね。だから、相手と親しくなりたいと思ったら、いつまでも苗字+さん付けで呼び合っていてはいけないのですね。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2011.01.04

高エネルギーの同窓会(1)

映画『死刑台のエレベーター』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m マイクロソフトが「プリンター」を「プリンタ」などと表記して、語末の長音を省略していたため、世の中の流れがそれに倣っていましたよね。しかし、最近の新しいOSでは、再び「プリンター」という表記に戻っているそうです。本作のタイトルである『死刑台のエレベーター』を記事のタイトルに入力したとき、これまで「エレベータ」と表記していたのに「エレベーター」と伸ばすのは何だか違和感がありました。しかし、マイクロソフトが語末の長音を卒業したのだから、発音通り「エレベーター」でいいんですよね。それでもやはり、違和感を感じてしまうのは私だけでしょうか。

 三十年前に分かれた道の記事に書いた中学校の同窓会に参加するため、私はガンモの運転するカングーに乗り、愛媛にある私の実家に帰省した。ガンモも私も四日が仕事始めの予定だったのだが、同窓会は三日の夜に開催されることになっていたため、私は仕事始めとなる四日は休暇を取得していた。一方、仕事の待機要員のために四日から出勤することになっていたガンモは、私の実家に一泊だけして自宅に戻って行った。

 同窓会は、市内の居酒屋で開催されることになっていた。私の実家からその居酒屋までは少し距離があるため、友人のMちゃんが私の実家まで車で迎えに来てくれることになっていた。同窓会当日の午前中、実家に戻って来た報告とともに「今日はよろしくね」とMちゃんの携帯電話にメールを入れておいたところ、午後になってからひどく慌てた様子でMちゃんからメールが届いた。Mちゃんからのメールには、娘さんがとても可愛がっている動物の容態が悪くなり、携帯電話も持たずに、お正月に営業している動物病院を探し回り、わざわざ自宅から少し離れたところにある動物病院まで出掛けていたのだそうだ。獣医さんに診てもらい、容態が悪くなった原因もわかり、それに対する適切な処置もしていただいたそうなのだが、あとは動物の体力にかかっていると獣医さんに言われたそうだ。

 娘さんがとても可愛がっている動物であるため、娘さんを自宅に残して同窓会に出席するのははばかられるが、同窓会に参加しないことに決めるにしても、幹事さんには直接会って一言言っておきたい気持ちがあることや、私をお店まで車で運んでくれると約束しているので、その約束は果たすとMちゃんからのメールには書かれていた。

 それに対し、私は、娘さんがとても可愛がっている動物ならば家族も同然なのだから、無理して同窓会には参加しないほうがいいこと、そして、お店まで私を車で送ってくれることに関しては、実家に父がいるので心配はいらないと返事した。ところが、携帯電話のメールでそんなやりとりをしているうちに、Mちゃんから電話が掛かって来た。Mちゃんは電話で、とても悲しいことを私に伝えた。それは、娘さんがとても大切にしていた動物が、たった今天国に旅立ってしまったというものだった。

 娘さんの心のケアもあるため、Mちゃんはすぐに電話を切ったのだが、その後、Mちゃんからメールが届き、娘さんに何と声を掛けてやればいいのかわからないと書かれていた。私は、「まやかしの言葉を掛けるならば、真剣に死と向き合う機会を逃すことにもなるから難しいね」と書いた。そして、最近観た映画の中で、迫り来る自分の死に対し、正面から向き合うことができずに逃げてばかりいる余命いくばくもない少年に対し、死は誰にでも平等に訪れることを教えた人がいて感動したことをメールに書いて送った。更に、同窓会の幹事を務めているOくんの携帯電話に電話を掛けて、Mちゃんが同窓会に欠席することを伝えたことを報告すると、Mちゃんからは感謝の言葉が綴られたメールが届いた。

 不思議なことに、Mちゃんへのメールの返事を書いているときに、Mちゃんの娘さんが可愛がっていたという動物のことを思うと泣けて来た。私はその動物に会ったこともないのに、その動物がMちゃんの娘さんにとてもかわいがられていたというだけで泣けてしまったのだ。とは言え、決してもらい泣きしたわけではない。おそらく私が、Mちゃん家の事情に沿って、MちゃんやMちゃんの娘さんとほぼ同じスピードで、その動物の死を受け入れることができたからだろうと思う。私がMちゃんやMちゃんの娘さんよりも時間を速く進めてしまえば、涙は出なかったと思うのだ。人間の感情というものは、そういうものではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私には子供がいないので、今回の出来事を通して、母から娘への愛情の示し方について学ばせてもらっている気がしました。Mちゃんは娘さんに対して、いつも絶対的な愛情を注いでいるのだなあと感動してしまいました。Mちゃんが娘さんに愛情を注ぐから、Mちゃんの娘さんもまた、飼っていた動物に対してたっぷりの愛情を分けてあげることができたのかもしれませんね。本流から注がれた絶対的な愛は、やがて支流へと注がれて行くのでしょうね。

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2011.01.03

映画『死刑台のエレベーター』

沖縄は顔抜きの宝庫だったの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 最近はあまり更新できていませんが、実は、顔抜きのはなしの姉妹サイトとして、ポストのはなしというブログも綴っています。こちらもまた、あちらこちらを訪れ、その土地の象徴的な観光名物が乗っかっているポストを撮影したものです。

 本作を鑑賞したのは、十月二十六日のことである。確かオリジナルはフランス映画だったはずだが、本作は日本を舞台にしてリメイクされた邦画である。リメイク前のオリジナルの作品は鑑賞していないのだが、オリジナルの作品の評価がとても高いので、私は本作の公開を楽しみにしていた。

 思い切って、仕事帰りに本作が上映されている映画館に立ち寄ったところ、携帯電話の映画サイトに掲載されていた十九時台の作品上映が行われていないことがわかってしまった。映画館で、実際の上映スケジュールを見て青ざめた私が、しきりに首をかしげながら携帯電話を操作して上映スケジュールを再確認していると、親切な劇場スタッフが私に声を掛けてくださった。私は、携帯電話の映画サイトに掲載されていた上映スケジュールによれば、十九時台に本作が上映されることになっていると劇場スタッフに告げた。すると、劇場スタッフは、
「申し訳ありません。ご参考までに、どちらのサイトでしょうか?」
と尋ねてくださった。そこで私は携帯電話に表示されている映画サイトを劇場スタッフに見せた。劇場スタッフは私の携帯電話に表示されている劇場名と上映スケジュールを確認し、
「誠に申し訳ありませんでした」
とおっしゃった。

 確かその映画館では、以前にも同じようなことがあったと記憶している。やはり、携帯電話の映画サイトで、十九時台に上映されているはずの作品を鑑賞しようとその映画館に足を運んだところ、上映されていなかったため、鑑賞したいと思っていた作品を鑑賞することができなかったのだ。今回も同じような状況に陥ってしまったことを考えると、劇場から映画サイトに通知する上映スケジュールに誤りがあったか、途中で変更になったかのどちらかだろう。しかし、上映されていないことを確認したあとで、携帯電話を使って別の映画サイトにアクセスして同じ映画館の上映スケジュールを確認してみたところ、やはり上映されていないスケジュールが表示されていたので、私が最初に参考にしたサイトが上映時間を間違えて掲載していたのではなく、劇場からのもともとの情報が間違っていたことになる。

 しかし、その翌週、同じ映画館でやはり十九時台に本作が上映されるとの情報を得たので、私はその映画館の公式サイトで上映スケジュールを確認し、性懲りもなく再びその映画館に足を運んだ。実際に鑑賞してみてわかったのだが、上映スケジュールの掲載ミスという形でわざわざ私の足を遠ざけたのは、それなりの理由があったようだ。というのも、オリジナルの作品の評価が高いために本作に期待していたのだが、まったくの期待はずれの作品だったからだ。すなわち、上映スケジュールの掲載ミスは、私に貴重な時間を無駄にしてはいけないという警告を与えてくれていたのではないかという気がしている。しかし私は、せっかくの警告を無視して鑑賞してしまったのである。

 繰り返しになるが、私はオリジナルの作品を鑑賞していないので、オリジナルの作品がどれだけ素晴らしいかは良くわからない。しかし、多くの人たちが鑑賞している中で、五点満点の評価で四よりも高い評価が付けられているのだから、信憑性は高いだろう。そして、邦画にリメイクされた本作の評価は、同じく五点満点で二ちょっとというとても低い評価が付けられている。明らかに、オリジナルとの差は大きいと考えられる。

 オリジナルの素晴らしさは語れないので、本作を鑑賞した感想を率直に述べさせていただくと、やはりストーリーがはちゃめちゃであることが本作を鑑賞してがっかりした要因の一つである。まるで小説を書き始めたばかりの素人が、ほとんど構想を練らずに、突拍子もない物語を書き上げてしまったかのような展開なのだ。おそらく多くの人たちが、鑑賞し終えたあとは、「これはいかんだろう」とつぶやきたくなることだろう。

 ストーリーは、不倫をしている女性が夫の存在を邪魔に思い、不倫相手の男性に夫の殺害を依頼するというものである。不倫相手の男性は、女性の夫を殺害するのだが、逃走中にエレベーターが停止してしまい、エレベーターの中に長時間閉じ込められたままになってしまう。

 私の中にある不倫に対する偏見を度外視したとしても、本作の二人の不倫は応援したくない。どう見ても、切なく愛し合っているようには見えないからだ。しかも、夫を殺して不倫相手と幸せになろうとするなんて、どこかに心の冷たさを持っていると感じる。その心の冷たさは、どんなに不倫相手への想いが熱かったとしても、温かさには至らないのである。

 更に良くわからなかったのが、玉山鉄二くん演じる警官である。警官であるはずの彼は、正義の味方なのか、それともチンピラなのか、一見すると区別がつかない。更には、りょうが演じていた娼婦と警官との関係も謎である。いや、仮に私がどんなに駆け出しの小説家だったとしても、本作のような展開には絶対に持ち込まないだろう。それくらい本作は、首を傾げたくなるようなぐちゃぐちゃなストーリーがてんこ盛りなのだ。有り得ないような話が次々に生まれるために、話に現実味がなく、のめり込まない。有り得ないような展開でも、観客を楽しませてくれる面白い話はたくさんあるのだが、本作の場合、観客を飽きさせてしまうのだ。ドリフターズのいかりや長介さんがご存命であったならば、「だめだこりゃ」と一言残して、映画館を去ってしまったかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 映画サイトでも酷評されている作品ですね。(苦笑)誰しも、映画館で映画を鑑賞するからには、どこかで心を動かされたいという願望を持っていると思いますが、私は本作を鑑賞して、どこにも心が動きませんでした。過去に高い評価を得ていた作品がリメイクされて、再び高い評価を得た作品はたくさんあると思うのですが、本作はその逆を行ってしまいました。全体的に血の通っていない作品に仕上がってしまっていると思います。どこかに温かいものを感じさせて欲しかったですね。

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2011.01.02

沖縄は顔抜きの宝庫だった

首里城公園 舞への誘いの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 加那よー天川という舞がひどく気になったと書きましたが、思えば、他の舞についてはすべて女性ばかりが演じていました。そこで、ひょっとすると加那よー天川を女性と一緒に演じていた男性も、実は男装した女性だったのではないかという疑問がガンモと私の頭に浮かび上がりました。しかしガンモが、「やっぱり骨格が男だと思う」と言うので、おそらく男性だとは思うのですが、実際のところはどうなのでしょうね。

 いつからだろう。私は旅行に出掛けると、顔抜きを探して写真に収めるようになり、旅先でせっせと撮り貯めて来た顔抜きの写真を顔抜きのはなしというブログにまとめるようになった。たいていの場合、旅先で目ざとく顔抜きを見付けるのはガンモである。「ほら、あそこ」と言ったガンモが指差すところに目をやると、そこに顔抜きがあるのだ。

 旅行に出掛けて顔抜きの写真に出会えると、「収穫があった」と思えるのだが、時にはたった一つの顔抜きにも出会えないこともあり、そういうときは「不作だった」とがっかりする。その点、沖縄は顔抜きの宝庫だった。そこが正真正銘の観光地であるかどうかは、存在する顔抜きの数によって決まると言っても過言ではないだろう。何故なら、顔抜きは地元の人たちのためにあるのではなく、旅行者が確実にそこに足を運んだことをユーモアたっぷりに証明してくれるツールだからだ。その観光地ならではの名物が漫画化された顔抜きに顔をはめてしまえば、確かにその観光地に足を運んだというアリバイが成立してしまうのである。そこに観光地の名前や実際に訪問した日付が入っていればなお良い。

 おそらく沖縄は、日本全国からいろいろな人たちが集まって来る観光地なのだろう。わずか二泊三日の旅行で、七種類もの顔抜きに出会うことができた。まずは那覇空港で二種類の顔抜きが出迎えてくれたかと思うと、首里城公園まで歩いて行く途中に一つ、沖縄美ら海水族館に向かう途中にも一つあった。そして、沖縄美ら海水族館に着いてみると、顔をはめる部分を開閉することのできる顔抜きがあった。最終日に練り歩いた国際通りでは、二つの顔抜きに出会うことができた。これまでいろいろな観光地を旅して来たが、これほどたくさんの顔抜きに出会える旅は経験したことがなかった。しかも、どの顔抜きにも個性があって面白いではないか。

 多くの場合、観光地で顔抜きを見付けた人たちは、急いで顔抜きに駆け寄って、顔をはめる部分に顔をはめて家族や恋人同士で撮影し合っている。しかし、私はというと、顔抜きを顔抜きのまま撮影するだけで、顔抜きの顔をはめる部分に自分の顔をはめてガンモに撮影してもらうことはほとんどない。それだけ多くの顔抜きを観察して来ただけに、顔抜きを見ても、他の観光客よりも冷静でいられるのかもしれない。いつか私の前に、もはや冷静ではいられなくなるほどの強烈な顔抜きが登場してくれないだろうか。私はそんな顔抜きの登場を密かに待っている。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、沖縄は顔抜きの宝庫だったをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 観光地で顔抜きを探すのは楽しいですね。私が大の顔抜きファンであることを知った旅行好きの人は、「あそこにこんな顔抜きがあったよ」と教えてくれたりします。しかし、すぐにはそこに足を運べないので、しばらく経ってから足を運んでみると、もはや撤去されてしまっていて、教えてもらった場所には顔抜きが存在しないこともあります。(苦笑)また、観光地に顔抜きがあるのは日本だけではありません。それもまた面白いですよね。

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2011.01.01

首里城公園 舞への誘い

映画『ガフールの伝説』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 皆さん、新年あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。まめに読んでくださる方たちがいたからこそ、こうして毎日書き続けることができました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。さて、新年を迎えて初めての記事に何を書こうと思いながらも、去年からの持ち越し記事がたくさんあるので、その中から最もお正月らしい記事を選んでお届けします。(笑)

 首里城公園では、「舞への誘い」という琉球舞踊が披露されていた。私たちは、普段はお目に掛かることのできないおっとりとした優雅な舞にしばらく見入った。沖縄には独自の文化があることを実感してはいたが、やはりこうして琉球舞踊を目の当たりにすると、その衣装の彩(いろどり)にさえ、独特の匂いを感じる。

 私たちが鑑賞した「舞への誘い」は、美和の会という団体が披露しているもので、演目は、若衆こてい節、四つ竹、本貫花、前の浜、花風、加那よー天川の順だった。それぞれの舞には台詞があるわけではなく、動きと表情だけで何かが表現されようとしていた。私はこれらの舞を鑑賞しながら、言葉で表現してしまえば伝わるスピードは速いのに、わざわざ言葉を使わずに舞を通して根気良く何かを伝えようとしている意気込みに圧倒された。しかも、ご年配の方たちが好きなことをして輝いている姿がとても美しかった。

 これらの舞の中で、私たちが釘付けになり、夢中でシャッターを切った舞がある。それは、加那よー天川という男女一組で行う舞である。私たちはどういうわけか、この舞に強く惹き付けられた。何故、強く惹き付けられたのかは自分でも良くわからない。不思議なことに、私たち二人とも、とりわけ男性の舞に注目していた。演じている人が何も語らないのに存在感を感じさせてくれる舞だった。加那よー天川の舞を鑑賞しながら、ぼんやりと、舞台用のメイクに宝塚歌劇団の雰囲気を感じ取ったのかもしれない。

 加那よー天川を鑑賞し終えたところで、美和の会によるひととおりの舞は終了したので、私たちは首里城公園内を観光した。しかし、首里城公園内を観光しているうちに、「舞への誘い」の次の回の舞が開始されるというので、順路とは反対方向であるにもかかわらず再びこの場所に舞い戻り、鑑賞することにした。もともと途中から鑑賞したので、すべての舞を鑑賞したわけではなかったからだ。そして、若衆こてい節、四つ竹、本貫花まで鑑賞し、満足して首里城公園をあとにしたのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、首里城公園 舞への誘いをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 加那よー天川以外の舞については、ほんの数枚程度しかシャッターを切らなかったというのに、加那よー天川は、「これでもか」というくらいたくさん撮影していましたね。(笑)それほど引き込まれる舞だったと思います。男性と女性の息がぴったりと合っていたのも良かったと思います。少しはお正月の雰囲気を感じていただけたでしょうか。(苦笑)

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