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2010.11.05

映画『カラフル』

「下腹スッキリクッション」を試してみるの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m あまりにも座り心地がいいので、実のところ、映画を鑑賞するときにも持参したいくらいなのです。(苦笑)しかし、そこまですると、さすがに荷物が増えますよね。ただでさえ荷物が多いので、自粛しなければなりません。(苦笑)

 本作を鑑賞したのは、九月十日のことである。もともと私はアニメにはあまり興味がなく、実写版の映画ばかり好んで鑑賞していた。しかし、毎回千円で鑑賞できる映画館で、既に本作以外の作品を鑑賞してしまったため、まだ鑑賞していなかった本作のレビューを参考にさせていただいたところ、思いのほか評価の高い作品だということがわかり、鑑賞に至ったわけである。とは言え、もしもレビューに書かれていることがすべて真実ならば(すなわち、映画の宣伝のために、映画制作に携わった関係者らが意図的に評価の高いレビューを書き込んでいるのではないとすれば)、私は本作を鑑賞して感動されたという多くの方たちとは違う感想を抱いてしまったかもしれない。

 それなりに感動する作品ではあったのだ。涙したシーンもある。しかし、全体的に振り返ってみると、他の方たちが絶賛されているほどの高ぶりは感じられない。テーマも流れもいいとは思うのだが、いろいろな意味で違和感を感じてしまったのだ。

 本作は、自殺した中学三年生の少年・小林真の肉体に、再び魂が吹き込まれ、その魂が小林真として再生して行く様子が描かれている。普段から、輪廻転生についてまじめに考えている私は、まずはそこで「えっ?」と思ってしまったのである。肉体を去ろうとしていた魂が、霊界に行かずに元の肉体に舞い戻るというのは良くあることだ。しかし、かつての小林真の魂は既に肉体から去ってしまっているが、同じ小林真の肉体に、今度は別の魂が使命を持って入り込んで行くように描かれているのだ。

 更に、輪廻転生のループから外れることの捉え方についても違和感を覚える。精神世界に足を踏み入れ、輪廻転生を受け入れた人ならば、輪廻転生のループから外れることは、これ以上、肉体を通して学ぶ必要がないほど魂が成長した証でもあるため、魂としては非常に喜ばしい状況として捉えることができる。しかし、本作の解釈ではそうではなく、輪廻転生のループから外れることが悲しむべきこととして描かれている。何故、人が輪廻転生を繰り返しているかというベースになる思想がまったく異なっているように思える。

 また、ガイドの存在についても違和感を覚えてしまう。本作では、関西弁をしゃべる横柄な態度の男の子のガイドが、再生した小林真のガイド役を務めることになるのだが、そのガイドに対し、激しい嫌悪感を覚えてしまう。もちろん、ガイドの存在そのものを否定するわけではないのだが、精神世界に足を踏み入れ、輪廻転生を受け入れた人ならば、ガイドという存在がここで登場するのはおかしいと感じてしまうはずだ。何故なら、通常、ガイドというのは、退行催眠などで中間世(転生と転生の間のスピリチュアルな世界)を訪れるときに寄り添ってくれる存在だからだ。おそらく本作の原作者は、どこかでガイドの存在を聞きかじって、ガイドという存在にオリジナルの役割を持たせたのだと思われる。

 そのガイドが、関西弁をしゃべるというのも受け入れられない要素の一つである。もともと私自身が関西弁を苦手なこともあるのだが、ガイドであるにもかかわらず、スピリチュアルな要素がまったく感じられないのは、いかがなものだろう。そういう観点で振り返ってみると、本作に登場するガイドは、精神世界でお馴染みのガイドではなく、自殺により亡くなってしまった小林真の肉体に、別の魂が入り込んで来たために、かつての小林真の情報をインプットするための存在であることがわかる。まったくもって、精神世界からはかけ離れたオリジナルのアイディアである。

 自殺した魂が、自分自身の過去世を振り返るとき、そこには嗚咽するほどの感情がこみ上げて来てもおかしくないはずである。例えば、小林真が何故自殺するに至ったのかを思い出したとき、そこには嗚咽するほどの感情がこみ上げて来ておかしくはないはずなのだ。実際、私だって、いくつかの過去世を思い出したとき、魂の奥底からこみ上げて来るような感情に襲われ、しばらく泣きじゃくったものだ。しかし、本作ではそこまでの感情は表現されていない。ただ、自殺した小林真の肉体に、別の魂が入り込んで来るという設定に関しては、あとでカラクリがあることがわかる。

 ところで、映画サイトによれば、「カラフル」というタイトルの解釈が二つに分かれているようだ。一つは、「カラフル」を自分自身の多様性とする解釈で、もう一つは、「カラフル」を他者の中にある多様性を認めようとする解釈である。私は、前者の解釈だと思っている。他者の中にある多様性を認めようとすると、例えばこの方のような究極的なご意見も出て来る。もちろん、この方のご意見に、うなずけなくもない。しかし、自分自身で気付かなければ、人は変われないのだ。援助交際をしているひろかが、援助交際を通して深く傷つき、それが本当は自分が心から望んでいる行為ではなかったことに自分で気付かなければ、いくら外から言っても意味はない。何故なら私たちには、ネガティブな感情を通して体験し、魂がステップアップして行くこともたくさんあるからだ。

 一方で、これまで友達に恵まれなかった小林真に、早乙女くんという友達ができるプロセスはいい。その過程において、これまでうまく行っていなかった兄との関係も修復されて行く。できのいい兄と、成績がクラスで最下位の小林真の間に溝が生じてしまうのはごく自然なことである。しかし、これまで距離のあった兄が、小林真の得意な美術を活かせる高校を一生懸命探してくれる。ただ、その高校に進学すれば、小林真は早乙女くんとは別々の高校に通うことになってしまう。好きな美術と大切な友達・・・・・・。しかも、その高校は、これまで兄弟といえども距離の遠かった兄が探してくれた高校なのだ。これまで手に入らなかったものが一度に提示される中で、小林真は最も優先させたいものを選ぶ。感動のシーンである。

 小林真のお父さんの役柄も素晴らしい。妻が不倫していたことを知っていたかもしれないのに、その不倫関係が終わったことを知ったからなのか、決して妻を追い詰めるようなことはせず(すなわち、自己愛に走ることはせず)、自殺を図った小林真に愛情を注いで行く。何と心の広い人だろうと思った。

 人が生きて行く上で、いろいろな後悔はある。精神世界の観点から言えば首をかしげたくなる描写が多いものの、小林真が自殺を図ったことをきっかけに、小林真だけでなく、小林真を取り囲む周りの人たちまでもが再生して行く様子を描いた作品であると言えるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 自分の中で、輪廻転生というものが精神世界の観点から確立されていると、驚きと戸惑いを感じてしまう作品ではありました。しかし、本作を鑑賞された方たちのレビューを拝見していても、私と同じような感想を抱かれた方はいらっしゃらなかったように思います。やはり、精神世界の観点から輪廻転生について考える人は少ないのでしょうか。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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