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2010.11.02

映画『トイレット』

ホットヨガ(二〇七回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 三宮店のレッスンスケジュールによると、仕事帰りに三宮店でリラックスコースのレッスンを受けられるのは木曜日です。木曜日は、私が加入しているシネマポイントカードで二倍のポイントがもらえる日なんですよね。汗のあまり出ない夜のホットヨガのレッスンと、ポイントが二倍もらえる映画鑑賞のどちらかを選ぶとなると、やはり後者になってしまいそうです。(苦笑)

 本作を鑑賞したのは、本作の公開初日となった八月二十八日のことである。劇場で何度も予告編を観ていたので、ごく自然な流れの中で鑑賞に至った。本作が上映されていたミニシアター系映画館で、映画をいつでも千円で鑑賞できるシネマポイントカードに加入しているため、最近はどっぷりとそのシネマポイントカードが使える映画館に浸かり切っている。

 三人のアメリカ人の孫たちとともに、孫たちから「ばーちゃん」と呼ばれる日本人のおばあさんがアメリカで暮らしている。「ばーちゃん」の娘である孫たちの母が亡くなり、孫たちはアメリカで「ばーちゃん」と一緒に暮らすようになったのだ。「ばーちゃん」は、朝のトイレが長く、ようやくトイレから出て来たかと思うと、「はーっ」と大きなため息を漏らす。

 「ばーちゃん」の役を演じているのは、もたいまさこさんである。本作のもたいまさこさんは、英語をしゃべれないおばあさんの役柄だからなのか、ほとんど台詞がない。しかし、もたいまさこさんには、台詞がなくても確固たる存在感がある。本作の台本を想像するならば、「ばーちゃん」役の描写はほとんどト書きで書かれていることになるのだろうか。

 三人の孫たちは、プラモデルオタク、引きこもりのピアニスト、エアギターに熱中というふうに、それぞれが自分の世界を持っている。その中でも私が最も注目したのは、引きこもりのピアニストである長男の存在だ。彼は、母の遺品の中から古い手動ミシンを見付けたかと思うと、「ばーちゃん」にその使い方を教わり、思い付いたように何かを一心に縫い始める。彼が縫い上げたものを見たとき、私は感動したものだ。のちにそれは、彼が最も自分らしくあるためのお守りのようなものとなる。そのことをきっかけに、彼は引きこもりの状態から解放され、自己表現への道を開いて行くのだ。そして、その過程において、これまでコミュニケーションが成り立っていなかった「ばーちゃん」とも繋がって行く。

 同じ屋根の下に住んでいても、繋がりの薄かった「ばーちゃん」と、三人がそれぞれが別々の方法で接点を見出して行くのが面白い。言葉が通じなくても、そこには、決して自分を偽らないコミュニケーションが成立している。そのコミュニケーション方法は、「接点で繋がる」という表現がぴったりかもしれない。接点による接触だから、相手と接触している部分は、面よりも狭い。しかし、本作のようなコミュニケーションを体験すると、「面で繋がる」コミュニケーションがどこか偽善的だと感じてしまうかもしれない。互いの違いを認めようとすると、「接点で繋がる」コミュニケーションになるものだが、共通点がベースにあると、「面で繋がる」コミュニケーションになるのだ。「接点で繋がる」コミュニケーションは、互いに対等なコミュニケーションとなるので、共通点をベースにした「面で繋がる」コミュニケーションが対等でないと感じられる場合には、違和感を感じてしまうのではないだろうか。

 作品のタイトルと本編の絡みは、終盤に近付くにつれ、はっきりして来る。用を足したあとに、便器の中からノズルがしゅるしゅると出て来て、排泄による汚れを取り除いてくれるのは、どうやら日本だけの文化らしい。そう言われてみると、海外ではウォシュレットに相当するようなトイレに出会ったことがない。トイレから出て来たあとの「ばーちゃん」のため息が、日本独特の「ウォシュレット」を懐かしむ気持ちだと勘違いするプラモデルオタクの次男の取る行動は面白い。

 ちなみに本作の監督は、映画『かもめ食堂』や映画『めがね』の荻上直子監督である。私は、映画『めがね』しか鑑賞していないので、荻上直子監督の作風まではわからないが、やはりアメリカ人が登場すると、スクリーンはずいぶんにぎやかなものとなるようだ。本作は、そんなにぎやかな環境にあって、じっと言葉を発することなく演技を続けるもたいまさこさんの存在感が圧倒的なものになった作品と言えるだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m うらやましいことに、「ばーちゃん」の財布の中には、ドル札がいっぱい詰まっているんですよね。孫たちは、「ばーちゃん」の支援を受けながら、自己表現への道を切り開いて行きます。本作のポスターを見ると、「みんな、ホントウの自分でおやんなさい」と書かれいます。それは言い換えると、「みんながホントウの自分でいてくれるならば、自分との繋がりは接点でもいい」と言っているようにも思えます。おそらくこれが、違いのある他者を認めるということなんでしょうね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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