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2010年11月

2010.11.30

霜月の東寺・弘法さんの市

映画『ぼくのエリ 200歳の少女』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m あまりにも力を入れてレビューを書き過ぎてしまいましたかね。特に思い入れの深い作品だったので、ついつい熱がこもってしまいました。(苦笑)でも、同じ作品を鑑賞しても何を感じるかは本当に人それぞれですし、私が、自分にとって思い入れの深い作品のレビューを文章に表してみたところで、実際に映画を鑑賞されていない方たちにはなかなか伝わりにくいものですよね。それでも、ここで私が熱のこもったレビューを書いていたということを、心の片隅にでも留めておいてくだされば幸いです。

 戦利品はアンティーク素材のペンダントおよび戦利品はムートンブーツ、コットンマフラー、そしてアンティークペンダントの記事に書いたスーベニールの部屋の長岡さん作のアンティークペンダントが無性に欲しくなり、京都にある東寺に出掛けた。ご存知のように東寺では、弘法大師の命日にちなんで毎月二十一日に骨董市が開催されている。スーベニールの部屋の長岡さんも東寺の弘法さんの市に出店されているのである。

 自宅の最寄駅からJR線で京都駅まで出て、まずは観光に便利な市バス専用一日乗車券カードを購入した。東寺の弘法さんの市を堪能したあとは、京都店でホットヨガのレッスンを受けることにしていたため、京都駅から東寺まで、東寺からホットヨガ京都店のある四条烏丸まで、そして四条烏丸から京都駅までの移動を考えると、五百円で市バスを自由に乗り降りできる市バス専用一日乗車券カードがお得だと考えたのである。

 ところが、京都駅前から東寺方面に向かう市バスに乗るのに、かなり手間取ってしまった。京都駅前の市バス乗り場は、京都タワーのある烏丸口と東寺に近い八条口にある。私は、東寺に近い八条口で東寺方面に向かう市バスを待っていたのだが、道路がひどく混雑していたためか、なかなか市バスがバス停に現れなかった。私は、市バスがなかなか来ないので、あちらこちらの市バスのバス停をあっちへ移動したり、こっちへ移動したりしながら、ようやくやって来たバスの運転手さんに尋ねた。
「このバスは、東寺道(とうじみち)には停まりますか?」
すると、バスの運転手さんは、
「停まりますが、五百円掛かりますよ」
とおっしゃった。私が市バス専用一日乗車券カードを運転手さんに見せると、運転手さんは、
「それ、『市バス』ゆうて書いてますよね」
とおっしゃる。どういうことだろうと思い、私が首をかしげていると、運転手さんは、
「これ、京阪バスなんです」
とおっしゃった。なるほど、京阪バスに市バス専用一日乗車券カードは通用しないだろう。外国で日本円を使おうとしているようなものだ。普段、京都市の市バスには乗り慣れていないので、ついついやって来たバスに飛び付いてしまったが、良く見れば、京阪バスは市バスとはデザインの異なるバスだった。そんなこんなで、ようやく東寺行きの市バスに乗り込んだのは、市バスに乗って東寺まで行こうと決めてから数十分が経過していた。

 さて、いよいよ目的の東寺に着いたので、スーベニールの部屋の長岡さんのお店を探した。そろそろ寒くなっているので、ひょっとすると長岡さんは東寺には出店されていないかもしれないという不安もあった。私は、いつも長岡さんが出店されている場所をくまなく探してみたのだが、不安が的中してしまったのか、長岡さんのお店は見当たらなかった。せっかく、中毒のような感情に突き動かされて長岡さんのアンティークペンダントを買うためにわざわざ東寺までやって来たというのに、残念である。

 私は仕方なく、他のお店を見て回った。とは言え、このあとホットヨガのレッスンが控えていると思うと、あまり思い切った買い物はできなかった。これまで東寺の骨董市に足を運ぶときは、午前中のうちにホットヨガのレッスンを受けて昼食をとったあと東寺の弘法さんの市を堪能するというパターンだったのだが、今回は参加したいレッスンスケジュールの都合で、東寺の骨董市が先でホットヨガのレッスンが後回しになってしまったのだ。

 しかも、京都駅前から東寺までのほんの近い距離を移動するのに、市バスの待ち時間も含めて数十分も掛かってしまったことからすると、東寺からホットヨガ京都店のある四条烏丸までは一体何分掛かるのかまったく予測することができなかった。そのため、レッスンに遅刻しないように早めの移動を心掛けようとすると、まだレッスン開始時間まで余裕があるというのに、そわそわして落ち着かなかった。それでも、お昼ご飯の量が少なかったので、露店で売られていたほくほくのたいやきを二枚もたいらげ、三百円の黄色い福財布と五百円の化粧ポーチを購入すると、わざわざ東寺まで来た甲斐があったと自分に言い聞かせるのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、霜月の東寺・弘法さんの市をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いつもは午前中にホットヨガのレッスンを受けたあと、午後から東寺の弘法さんの市をゆっくりと回るのですが、そのあとにホットヨガのレッスンが控えているとなると、気持ちがなかなか落ち着きませんでした。(苦笑)週末の市バスは道路の混雑のために遅れがちで、私が京都駅の八条口から利用した市バスも十五分ほど遅れていたように思います。やはり、週末の京都はたくさんの人たちで賑わっているんですね。

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2010.11.29

映画『ぼくのエリ 200歳の少女』

忍者紀行(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ガンモがこの忍者ショーをえらく気に入っていました。生のショーは、多かれ少なかれ、必ず観客との掛け合いがありますよね。しかも観客は毎回、同じではありません。同じネタでも、ある回の観客には受け入れられることもあれば、ある回の観客にはあまり受け入れられないということもあるでしょう。それでもきっと、観客からパワーを受け取りながら続けているのでしょうね。

 本作は、映画『彼女が消えた浜辺』と同じ九月二十三日に同じ映画館で鑑賞した作品である。この日に鑑賞した作品は、二本ともとても素晴らしかった。しかも、二本ともエリという名前の女性が登場するのは奇遇である。

 これまでの私の鑑賞経験から言えば、ヴァンパイアを扱った作品には外れがない。最近鑑賞した中でも、映画『トワイライト〜初恋〜』映画『ニュームーン/トワイライト・サーガ』映画『30デイズ・ナイト』映画『渇き』、映画『エクリプス/トワイライト・サーガ』は特に面白かった。しかし本作は、これらのどの作品とも違っている。過去に鑑賞したヴァンパイアの作品が、鑑賞中に燃え尽きるような感覚で楽しめた作品だとしたら、本作は、鑑賞して二ヶ月以上経過した今でも、心の中に余韻を引きずり続けている作品と言える。

 ヴァンパイアを扱った作品でも、理性のない作品は血みどろの戦いに転じてしまいがちだが、本作には、主人公のオスカー少年のさらさらとした髪の毛のような美しさと透明感がある。一見すると、人間の少年オスカーとヴァンパイアの少女エリとの恋の物語のように見える。私も、レビューを書き始めるまではそうだと思っていた。とは言え、上映中に聞いたエリの、「私は少女じゃない」という台詞が耳にこびりついてはいた。それと同時に、エリが着替えをするときに入った不可解なぼかしのことも気に掛かっていた。

 実はあのぼかしは、エリの女性性器を隠そうとしたものではなく、男性性器を隠したものだったらしい。ということは、エリは少女ではなく、少年だったということになる。これは衝撃的な結末である。本作を鑑賞された方のレビューを拝見すると、「どうしてあそこでぼかしを入れるんだ!」と怒りを露(あらわ)にされている方もいらっしゃった。それもそのはずである。エリが少女であるか少年であるかによって、物語の結末は大きく異なってしまうからだ。二人はその時点で既に特別な関係になっていた。エリが少女だった場合、オスカーはエリがヴァンパイアであることのみを受け入れたことになる。しかし、エリが少年だった場合、オスカーはエリがヴァンパイアであることと、少年であることの両方を受け入れたことになるのだ。そこには究極の愛情と呼べるものが存在していたはずである。

 思えば本作は、始まりからして衝撃的だった。何しろ、五十代後半くらいの男性が雪の積もった真っ白な森でいきなり男性を襲い、素早く逆さ吊りにしたかと思えば、喉を切り込んで血を絞り出しているのだ。逆さ吊りにされた男性の首からは、真っ赤な血がドクドクと流れ落ちている。五十代後半くらいの男性は、その血を自宅から持参したタンクに大事そうに収めようとしている。私は、これから一体何が始まるのかと手に汗握りながら鑑賞していた。

 衝撃的な冒頭と同様、本作は全体を通してとてもユニークな作品となっている。やがて、冒頭に出て来た男性がエリの保護者であることがわかる。エリは保護者の男性とともに、オスカーの住むアパートの隣の部屋に越して来たばかりだった。しかし、その頃から、オスカーの住む町で猟奇的な殺人事件が次々に起こるのだ。すなわち、エリの保護者の男性は、ヴァンパイアのエリのために人間の血を提供していたことになる。

 舞台となっているのはストックホルム郊外である。そのため、町の景色から白い雪は外せない。白い雪と赤い血の対比で、映像として強く目に焼き付けられる。その町で、同級生からいじめを受けているのに親には気付いてもらえないオスカーと、もう何年も十二歳の子供のままで生き続けているエリが結び付いた。エリにとってオスカーは、最初から特別な存在だったのだろう。何故ならエリは、生きて行く上でどうしても人間の血が必要なはずなのに、オスカーの血を求めることはなかったからだ。また、オスカーにとっても、エリは特別な存在だったはずだ。何故ならオスカーもまた、孤独を抱えていたからだ。

 こうしてレビューを書くために作品を振り返るだけでも、本作の透明感と美しさに酔いしれる。特に、のちに衝撃的な冒頭へと繋がって行くであろうことを想像させるラストが印象的である。「受け入れること」に関して深く考えさせられる作品でもある。

 実は、つい先日まで、三宮のミニシアター系映画館でも本作が上映されていた。私は二ヶ月以上前に一度鑑賞していたが、DVD化される保障はなかったので、もう一度鑑賞しておきたかった。しかし、上映スケジュールが合わず、泣く泣く見送ることになってしまったのがちょっぴり心残りである。もしもDVD化されたならば、是非とももう一度鑑賞したい作品の一つである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作については、語りたいことがたくさんあるのですが、このままではすべてを語ってしまいそうなので、このへんでやめておきます。(苦笑)鑑賞から二ヶ月以上経過しても、余韻を引きずり続けるような作品にはなかなか出会えないので、本作を通してとても貴重な体験をさせてもらいました。まだ上映されている映画館もありますので、もし、お近くの映画館で上映されていましたら、私に騙されたと思って、映画館に足を運んでみてください。(笑)

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2010.11.28

忍者紀行(3)

ホットヨガ(二一一回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私は、水のとてもおいしい愛媛県の西条市近辺で生まれ育ちました。実家の水道水は地下水で、蛇口をひねってしばらく水を流していると、冬でも温かくておいしい水に変わります。東京で一人暮らしを始めた頃、まずは水の冷たさに驚き、続いて水道水の臭いにも驚きました。愛媛に住んでいた頃は、市販の水を買うなどという感覚は一切なかったのですが、都会暮らしを続けているうちに、少しずつ受け入れられるようになりました。結婚して兵庫に住むようになってからも、浄水器を通さない水道水はほとんど飲みませんが、オフィスでは湯沸しポットに浄水器を通さない水道水が使われているので、いつも気になっています。(苦笑)それでは、忍者紀行(2)の続きを書かせていただきます。

 地下にある展示物を見学したあとは、わずか二百円の追加料金を支払って、伊賀忍者特殊軍団阿修羅による忍者ショーを見学した。土曜日とあって、忍者ショーが行われる会場はほぼ満席だった。そのため、あとから入って来られた観客にも楽しんでもらおうと、先に着席していた人たちが腰を上げ、席を詰めてスペースを空けた。

 忍者ショーはおよそ三十分間の出し物で構成されていた。前座から始まったかと思えば、やがて忍び同士の絡みのシーンが始まり、吹き矢の実演、手裏剣の実演、日本刀の実演など、笑いあり、緊張感ありの盛りだくさんな内容となっていた。

 吹き矢の実演では、伊賀忍者特殊軍団阿修羅の女性メンバーが数メートル離れた場所から板に固定させた風船に向かって二種類の吹き矢を吹き、見事に風船を割った。私は、学生の頃にファミリーコンピュータで楽しんでいたドラゴンクエスト(ドラクエ)を思い出した。ドラクエで、まだ戦いの経験値の少ない女性の魔法使いの持つ武器と言えば、吹き矢が定番だったのだ。

 手裏剣は、映画などでは惜しげもなく何枚も投げるように演出されているが、実際の忍者が使用していた手裏剣は、一枚のみを最後の切り札のように大事に使っていたそうだ。手裏剣の実演では、一枚だけ投げる手裏剣から、二枚同時に投げる手裏剣、三枚同時に投げる手裏剣などが次々に披露された。投げられた手裏剣は、前方の端に用意された板の上に鋭く突き刺さった。ショーが終わったあとに、板に突き刺さった手裏剣を観察してみたところ、ちょっとやそっとでは取れそうにない状態だった。これが人間の身体に突き刺さったとしたら、一体どうなるのだろう。

 吹き矢にしても、手裏剣にしても、万が一、道具を操る人の意図しない方向に飛んで行ってしまえば、ショーを見学している観客を攻撃しかねない。しかも、最前列の観客とショーを実演している人の距離はそれほど遠くはなかった。そのため、吹き矢や手裏剣の実演では緊張感が走った。実際、手裏剣の実演では、途中で失敗もあったのだが、笑いを取る方向に直ちにリカバリが行われたことからも、最初から計算された失敗だったようにも思う。最前列の観客との距離感から、伊賀忍者特殊軍団阿修羅が忍者ショーの出し物に対し、絶対的な自信を持っていることがうかがわれた。

 日本刀の実演では、丸められたござが用いられた。丸められたござは、ちょうど人間の首と同じくらいの固さなのだそうだ。そして、実際の日本刀はかなり重いらしい。その重い日本刀で、丸められたござを一瞬のうちに切り落とした。特に力は入れていないそうだ。時代劇などで、難なく人の首をはねるシーンがあるが、あれは決して誇張した表現ではなく、実際に日本刀がそこまで良く切れるものであるということがわかった。

 笑いあり、緊張感ありのこれだけの出し物がわずか二百円で見られるのだから、忍者ショーは大変お得である。日本を再発見するためにも、伊賀忍者博物館を訪れた際には、逃さず見学されることをお勧めしたい。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、忍者紀行(3)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 忍者ショーは、伊賀忍者博物館の入館料とは別料金なので、何も知らない私たちは、入口で「忍者ショーをご覧になりますか?」と尋ねられても見送っていたのです。しかし、地下の展示物を見学し終わって、忍者ショーの会場までやって来たとき、時間もちょうど良かった上に、二百円なら見てみようかなと思いました。結果は、それで大正解でしたね。

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2010.11.27

ホットヨガ(二一一回目)

映画『彼女が消えた浜辺』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本作は、本国のイランで二〇〇九年の興行収入第二位を記録した映画なのだそうです。描写の細かさからも、理解できる結果であります。とは言え、イランでそれほど多くの人たちに鑑賞されている作品であるにもかかわらず、日本では上映される映画館が少ないというのは、日本人が映画に求めているものがイランの人たちとは違うということなんでしょうね。

 I医師の診察のあとは、病院のあるJR線の最寄駅前で昼食をとり、コーヒーショップで「ガンまる日記」を書き上げると、三宮店で六十分のリラックスコースのレッスンを受けた。移動中もレッスン中も、I医師に子宮全摘手術を勧められたことが頭の中にこびりついて離れなかった。手術を受けるとしたら、最低三週間は仕事を休むことになる。ということは、その間、ホットヨガのレッスンも受けられないだろう。仮に仕事に復帰できたとしても、ホットヨガのレッスンを受けられるようになるのはいつのことだろう。

 それはさておき、今回のレッスンは、I医師の診察のあとだったので、自宅から水は持参せず、先日入会したVIP会員の特典である水の引換券を使って、受付で五百ミリリットルのペットボトル入りの水を二本受け取った。わざわざ自宅から重い水を持参しなくて良いので、これは楽ちんである。しかし、この券をレッスンごとに使ってしまうと、この券がなくなってしまったときでも自宅から水を持参することを忘れてしまいそうなので、注意が必要である。

 以前も無料バスタオル券をいただいたとき、自宅からバスタオルを持参することなくレッスンに参加することができたのでとても楽ちんだった。レッスン中にヨガマットの上に敷くバスタオルは、レッスンの度ごとに無料で借りられるのだが、シャワーを浴びたあとに使うバスタオルは自分で持参するか、有料でレンタルすることになっているのだ。その無料バスタオル券を切らしてしまったとき、やはり自宅からバスタオルを持参することを忘れてしまうのではないかと冷や冷やしていたことを思い出した。無料バスタオル券を切らしてしまったタイミングだったかどうかは忘れてしまったが、これまでに何度かバスタオルを持参するのを忘れてしまい、仕方なく、普段持ち歩いているフェイスタオルで身体を拭いてしのいだことがある。もちろん、受付に行けば有料でバスタオルを借りられるのだが、バスタオルがないことに気付くのは、シャワーを浴びるタイミングだったりするので、まあいいかと思ったり、裸のままで受付に行くわけにも行かないと自分を納得させるのである。

 ところで今回のレッスンは、念願の(?)自分の書いた台本を読む堅実なインストラクターが担当してくださった。参加者はわずか六名と少なかったのだが、スタジオ内がとても暑くなっていたため、やはり私は暑さに耐え切れず、レッスンの途中でスタジオの外に出てしばらく涼むことになった。どういうわけか、自分の書いた台本を読む堅実なインストラクターは、今回のレッスンでは入口の扉をあまり頻繁には開閉してくださらなかった。レッスンに参加している人の数が少なかったので、入口の扉を開閉してスタジオの空気を入れ替える必要性をそれほど感じなかったのかもしれない。

 それにしても、レッスンの参加者がわずか六名と少なかったのは、レッスンに参加されている皆さんも、私と同じように有給休暇を取得して、どこかで四連休を堪能していらっしゃるのだろうか。レッスンの参加者の数が少なくても多くても気になるものである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私がレッスン中に飲む水の量は、およそ七百ミリリットルのようです。しかし、七百ミリリットル入りのペットボトルに入った水は販売されていませんよね。他の方たちも私と同じくらいの量の水をいつもレッスン中に飲んでいらっしゃるのだとしたら、レッスンのあとにペットボトルに残った水をコポコポと捨てていらっしゃる方が多いのもうなずけます。七百ミリリットル入りのペットボトルの水が販売されれば、ホットヨガのレッスンのあとに捨てられる水も少なくなるように思いますが、いかがでしょうか。(笑)

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2010.11.26

映画『彼女が消えた浜辺』

開放感の漂う宇宙船(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。子宮全摘手術を勧めるI医師の言葉を受けて考察中の内容については、後日、改めて書かせていただきたいと思います。もちろん、まだ手術を受ける決心がついたわけではありません。結果を保留にしたまま、あれやこれやと思案中であります。

 本作は九月二十三日にホットヨガ梅田店近くのミニシアター映画館で鑑賞した作品である。もしかすると、私にとっては、劇場で鑑賞する初めてのイラン映画だったかもしれない。

 あるグループが、二泊三日の予定で浜辺の家にやって来る。しかし、予約していた浜辺の家は一泊しか利用できないことが判明する。そのため、長いこと利用客がいなかったために多少荒れ果ててはいるものの、借りる予定にしていた家よりも更に海に近い別の家を借りることにする。グループは互いに協力し合って、宿泊することになった浜辺の家を掃除したり、また修理したりして、少しでも快適に過ごせるように努める。何とかそこで一夜を過ごすものの、家のすぐ近くにある海で子供が溺れかけてしまい、グループの中に緊張感が走る。幸い、溺れかけていた子供は無事に救出されたものの、グループの中の女性の一人が失踪しまったことがわかる。彼女は溺れかけた子供を助けようとして波に呑まれてしまったのではないか、あるいは失踪する前に、彼女が二泊三日の予定を一泊だけで切り上げて帰りたいと言っていたことから、グループのメンバーに黙って帰宅してしまったのではないかという憶測が飛び交う。失踪した彼女に関する情報を必死に集めようとするものの、彼女がエリという名前であること以外はほとんどわからない。それでも、少しずつ彼女に関する事実が明るみになって行く中で、ようやく彼女の肉親と連絡が取れるのだが・・・・・・。

 外国映画を鑑賞するだけで、その国に住む人たちの思想や倫理観に触れることができるとしたら面白い。本作は、まさしくそういう作品である。本作を通して、結婚を前提とした男女のあり方について、イランの人たちが普段からどのような考えを持っているかが手に取るようにわかる作品である。実は、エリには婚約者がいたのだが、エリを誘ったセピデーという女性がその事実を隠し、エリをグループのある男性に紹介したのだ。そのことを知らないグループのメンバーは、エリとある男性をカップルに見立てて冷やかしたりする。

 また、本山は、エリの失踪を通して、グループの人たちの心の動きが実にリアルに描き出されてもいる。エリを誘ったセピデーは、一泊だけで切り上げて帰宅したいと申し出たエリに対し、エリが浜辺の家を去り難くなるような小細工をしていたことがわかる。セピデーは、少しでもエリの情報を得ようとするグループのメンバーに対し、これまで内緒にしていたエリの事情を少しずつ明らかにし始める。やがて、エリの失踪の知らせを受けて、浜辺の家にはエリの婚約者の男性が駆け付けるのだが、セピデーからエリの事情を聞き出したグループのメンバーは、エリの婚約者に事実を包み隠さず話すか、それともグループのメンバーで口裏を合わせて嘘をつくかで激しい葛藤を繰り返すのだった。

 仮に同じテーマを扱うとして、舞台をイランではなく日本に置き変えたならば、エリの婚約者に対して事実を包み隠さず話すか、それともグループのメンバーで口裏を合わせて嘘をつくかの激しい葛藤の描写が少々物足りないものになってしまうだろう。何故なら日本では、結婚を前提とした男女のあり方について、すべての人たちが共通の価値観を持っているとは限らないからだ。そのため本作は、舞台がイランだからこそ成り立っている作品であるとも言える。それでも、一人の女性の失踪を通して、ここまで緊張感を表現できる作品は素晴らしい。わずか三日間の出来事なのに、鑑賞する人たちに緊張感が走るほど詳細に描写されているのだ。すなわち、派手なアクションなど用意されていなくても、心理的な状況で手に汗を握るような展開となっているわけだ。言うまでもなく、私好みの作品であるのは間違いない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作のアスガー・ファルハディ監督は、本作でベルリン映画祭最優秀監督賞を受賞されたそうです。なるほど、その受賞にふさわしいだけの素晴らしい作品でありました。いつも思うのですが、どんな本を読み、どんな映画を観て、どんな音楽を聴いて、どんな絵画を鑑賞するかなどの芸術的刺激によって人間が形成されて行くのだとしたら、こういう素晴らしい作品がミニシアター系映画館でひっそりと上映されているのはとても残念なことですね。

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2010.11.25

開放感の漂う宇宙船(後編)

開放感の漂う宇宙船(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。わざわざ検査着に着替えることなく、ホットヨガのレッスンを受けるときの格好で検査を受けることができて良かったと思います。そのほうが、私としても時間の短縮になりますし、病院も検査着を用意する必要がないので、コストの削減にもなりますよね。それでは、少し長くなってしまいますが、後編をお届けします。

 I医師の診察は、九時半からの予約だった。MRIの検査を終えたあと、婦人科に移動して受付を済ませて時計を見てみると、九時二十分過ぎだったので、時間的にはちょうど良かったことになる。しかし、早くも診察時間がずれ込んでいるのか、私の名前はなかなか呼ばれなかった。私はやきもきしながら、何度も何度も時計を確認した。三十分経っても名前が呼ばれないので、ひょっとすると婦人科の受付のスタッフは私のことを忘れてしまっているのではないかと不安にもなった。MRIの検査と違って、I医師の診察が始まるのは九時からのはずなので、九時半からの予約ということは、I医師の診察が始まってからわずか三十分しか経過していないはずである。それなのに、予約時間から三十分経過してもまだ名前が呼ばれないのはどうしたことなのだろう。

 そんなことを考えていると、診察の順番待ちにしびれを切らした患者さんが、受付のスタッフに自分の順番を確認しようとしているやりとりが聞こえて来た。その内容によれば、その患者さんは予約なしで診察を受けることになっているらしい。婦人科のスタッフが、
「日によっては、ふっと空いた枠にご案内できることもあるのですが、今日はちょっと難しいですねえ。おそらく、十二時半過ぎになりますかねえ」とおっしゃっていた。要するに、I医師の診察は予約優先ということなのだろう。診察時間がそれほどずれ込んでいなければ、予約なしの患者さんも途中で間に入ることができるのだが、今日はそうではないらしい。幸い、その患者さんは病院の近くにご自宅があるらしく、これからあと二時間半以上も診察待ちをしなければならないとわかると、いったん帰宅してから再び出て来られるそうだ。そのため、念のためにと、婦人科のスタッフが患者さんの連絡先の電話番号を尋ねていた。

 私にとって、筋腫を診ていただく病院としては現在の病院が四つ目(かつて、子宮体がんの検査だけを受けた病院も含めると五つ目)の病院となるのだが、待ち時間をストレスなく過ごせるように、病院によってはいろいろな工夫がなされている。例えば、受付時間に区分を割り当てて、現在はどの区分の患者さんを診察中であるかを待合室に設置されたデジタル案内板に表示して、待ち時間の目安を知らせてくれる病院がある。また、ある病院では、待ち時間が近くなると、携帯電話に呼び出しの電話を掛けてくれる。そうかと思えば、今年の四月までI医師が勤めていた病院は完全予約制だったため、待ち時間は長くてせいぜい二十分程度でほとんどストレスを感じることもなかった。お待たせしている患者さんが少なかったためか、診察のときにI医師と五十分ほど話し込んでしまったこともあったくらいだ。

 しかし、今の病院は、どうも十五分単位の枠の中に三人の患者さんを受け付けているようだ。これでは診察時間がどんどんずれ込んでしまうのも無理はない。また、現在はどの時間に予約した患者さんを診察中なのか、わかる仕組みになっていないので、診察待ちをする人たちはやみくもに診察の順番待ちをすることになってしまうのである。

 結局、私の名前が呼ばれたのは、予約時間よりも一時間以上も遅い十時半を回った頃だった。診察室に入ると、I医師のデスクの上に置かれたパソコンのモニタに私のMRI画像が映し出されていた。なるほど、この病院で撮影したMRI画像はアナログではなくデジタルで処理されていたのだ。どうりでMRI検査のあと、大きな封筒の中にMRIフィルムが入れられて、放射線科から婦人科へ運び込まれることもなかったわけである。

 I医師は私のMRI画像を確認しながら、何やら難しい顔をしていた。そして、
「あなたの筋腫はやっかいですね」
とおっしゃった。I医師は、マウスを上手に操作しながら、私に一番分かり易い筋腫の画像を開いて見せてくださった。

 それによると、私の子宮には直径八センチ程度の縦長の大きな筋腫が三つ認められた。それ以外にも、小さな筋腫がまるでおたまじゃくしの卵のように、子宮の膜の中にいくつも収まっていた。私の子宮はほとんど原形をとどめることなく、三つの大きな筋腫を飲み込んでしまった蛇のお腹のように変形してしまっていた。それを見た私は直感的に、「これではあまりにも子宮がかわいそうだ」と感じた。

 子宮筋腫が見付かってから、早くも丸六年が経過した。最初は直径二.五センチから五センチくらいまでの筋腫が全部で四つあると診断された程度だった。それが今では立派に成長し、直径八センチの縦長の大きな三つの筋腫になった。つまり、私のお腹の中では筋腫が二十センチ以上も占めているというわけである。最近では、誰にお腹を触られても、「大きいね」と言われるようになった。私は、ここまで筋腫が大きく成長して変形することを余儀なくされながらも、必死に頑張り続けている私の子宮がとてもかわいそうになってしまった。

 私はI医師に尋ねてみた。
「子宮の外に出来ている筋腫はありますか?」
するとI医師は、
「いいえ、ほとんどが筋層内筋腫です」
とおっしゃった。筋層内筋腫とは、子宮の中で大きくなる筋腫のことである。私の子宮が筋腫のためにあまりにも変形してしまっていたので、子宮の外に筋腫があったほうが、子宮にとってはまだ負担が少ないのではないかと思ったのだ。しかし、私の筋腫のほとんどは子宮の中に収まっているという。哀れな私の子宮は、子宮の中に大きな筋腫を何とか収めようとしたために、ここまで変形してしまったのだ。

 I医師はいつになく厳粛な雰囲気で、
「筋腫が大きくなって、子宮内膜に隙間が出来ているために生理の出血量が多くなっているはずです。あなたの場合は貧血もあることですし、いずれその貧血は鉄剤では間に合わなくなるでしょう。だから、子宮全摘手術を受けたほうがいいですね」
とおっしゃった。

 とうとう来たかと思った。これまで何度も手術の危機に瀕しながらも、その度に乗り越えて来た私だったが、今回はこの事実を素直に受け止めるしかないのではないかと思った。これ以上、子宮に負担を掛けてしまってはいけないとも思った。ただ、手術に対してすぐに
「はい、それではお願いします」
とは言えない状況だった。私は返す言葉もなく、しばらく黙っていた。

 MRI画像によると、私の筋腫はお臍(へそ)の数センチ上まで来ていた。要するに、私の筋腫は広範囲に渡っているということだ。先ほどのMRIの検査を受けるときに、男性検査技師が何度も撮影場所をずらそうとしたのは、私の筋腫が思いのほか広範囲に渡っていたためだと思われる。おそらく、男性検査技師のこれまでの経験から、筋腫を撮影するにはこのあたりだろうと中(あた)りをつけた場所がことごとく外れてしまったということなのだろう。男性検査技師が筋腫のMRI検査に不慣れなのではなく、私の筋腫が広範囲に渡り過ぎていたのだ。

 I医師は、筋腫がお臍の上まで来ていると、腹腔鏡による手術はできないとおっしゃった。ただ、手術を受けるために女性ホルモンの分泌を止める注射をすれば、一時的に筋腫は小さくなり、腹腔鏡による手術も受けられるかもしれないとおっしゃった。これは、以前にも聞いた話である。また、私のお腹の脂肪が厚いことは、MRI画像からもわかったようで、お腹の脂肪が厚いと手術のときにお腹を深く切らなければならないともおっしゃった。

 手術に掛かる時間としては、開腹による子宮全摘手術が最も短く、およそ二時間で済むそうだ。その場合は、輸血の必要もないだろうとのことだった。手術を受ける場合、輸血のために自己血(自分の血液)を少しずつ保存しておく方法があるのだが、手術の時間の短い開腹による子宮全摘手術ならば輸血の必要もないので、自己血を保存する必要もないだろうとおっしゃった。とは言え、以前、直径十二センチの彼女が筋腫核手術(子宮を残して筋腫だけを取り除く手術)を受けたときは、手術が順調に進んだからか、予め保存しておいた自己血を使うことはなかったそうだ。

 I医師は私の住所をご覧になり、
「開腹による子宮全摘手術を受けるなら、ここじゃなくても、○○市(私の住んでいる市)の近くの病院で手術の予定を立てれば、半年以内に手術ができるでしょう」
とおっしゃった。しかし、私がなかなか首を縦に振らないので、診察室内には重苦しい雰囲気が流れた。私は手術について、すぐには決断をせずに、もう少しじっくり考えたいと思っていた。

 私が手術に対してなかなか前向きになろうとしない様子を感じ取ったI医師は、
「急激に痩せて生理が止まれば、筋腫も小さくなりますよ」
とおっしゃった。これは、以前にもI医師から伺ったことのある話である。つまり、生理が来なくなるほどダイエットしたり、精神的なストレスを抱えれば体重も減り、それに連動して筋腫も小さくなるとのことだった。私は、
「それならば、逆に食べ過ぎることが筋腫の原因になっているのでしょうか?」
と尋ねてみた。しかしI医師は、
「いや、そういうわけではないです」
とおっしゃった。

 手術を受けることに対し、私がなかなか決断を下さないので、I医師は、
「では、考えておいてください。薬は加味逍遙散(かみしょうようさん)と鉄剤でいいね?」
とおっしゃって、いつものように処方箋を書いてくださった。診察が終わりかけたので、私は慌てて、
「この間、検査していただいた子宮体がんの結果は・・・・・・?」
と切り出した。すると、すぐ側にいた看護師さんが私の子宮体がんの検査結果の用紙を取り出して私の前で開いてくださった。その用紙には、"Negative"が大きく丸で囲まれていたので、私はほっと胸を撫で下ろした。I医師からも説明が入り、
「これは、問題ありませんということです」
とのことだった。

 私はI医師にお礼を言って診察室を出たあと、次の診察日を予約した。そのときになって初めて、今回、私が処方された薬が一ヶ月分しかないことに気が付いた。いつもならば、二ヶ月分の薬を処方してくださるというのに、今回は一ヶ月分しかなかったのだ。ということは、それだけ早い決断が迫られているということなのだろうか。

 しかも、一ヵ月後の診察の予約を入れようとしたところ、ちょうど一ヵ月後の土曜日はI医師が休暇を取っていらっしゃるという。しかし、その次の週だと処方していただいている薬が切れてしまう上に、私も旅行の予定が入っていたので、私は仕方なくその一週間前の土曜日を次の診察日に指定した。ということは、わずか三週間で手術を受けるかどうかの決断しなければならないということである。

 次の診察日の予約を済ませたあと、病院の会計でMRIの検査料と今回の診察料を支払った。両方合わせて五千円ちょっとだった。これまでの病院でMRIの検査を受けると、七千円前後掛かっていたように思う。MRIの画像がデジタル化されたことで、検査料が割安になっているのかもしれない。病院を出た私は、病院近くの薬局で一ヶ月分の加味逍遙散と鉄剤を受け取り、病院のあるJR線の最寄駅まで路線バスに乗った。

 これまでの間に、生理の周期に合わせてプロゲステロンクリームを塗る、フローエッセンスを飲む、ラジウム温泉に入る、冷え取り健康法を始める、朝食を果物に変えるなど、筋腫を小さくするために効果があるとされる様々なことを実践して来た。しかし、今や筋腫がここまで大きくなってしまったということは、それらは筋腫に対して大きくプラスに働きかけてはくれなかったということだ。ここまで筋腫が大きくなってしまったのは、もっともっと根本的なところに原因があったのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m MRIの検査を受けたあと、私はI医師の説明を受けている診察室で、I医師に了解を得た上で、デジタルカメラや携帯電話に付属のデジタルカメラでMRI画像を撮影して来ました。しかし、今回は撮影の許可をいただけるような雰囲気ではなかったのです。それだけ厳粛な雰囲気が漂っていたというわけですね。それにしても、過去のことを振り返ったり、これからのことを考えたりするには、三週間ではちょっと足りないと感じています。

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2010.11.24

開放感の漂う宇宙船(前編)

映画『食べて、祈って、恋をして』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 記事を書いたあと、映画サイトに書き込まれているいくつかのレビューを拝見したところ、やはりとことん酷評されていますね。(苦笑)どうやら私のように、主人公の生き方に共感できなかったという方たちが多いようです。主人公にジュリア・ロバーツという配役に対し、違和感を覚えた方もいらっしゃったようですが、確かに私も違和感を感じていました。しかし、最初からお金持ちの道楽を描いた作品だと割り切ってしまえば、ジュリア・ロバーツが適役だったのかなと思います。ところでジュリア・ロバーツって、THE ALFEEの高見沢氏に似てませんか?(笑)

 先週末から勤労感謝の日まで、有給を消化するために四連休を取っていた。その四連休の初日だというのに、私は仕事のある日と同じく五時に起床して、出掛けて行く準備を整えた。一体どこに出掛けて行ったのかというと、I医師の勤務する病院である。およそ二年振りに腹部のMRI検査を受けることになっていたのだ。

 予約時に指示された通り、朝食を抜いて家を出た。JR線と路線バスを乗り継いで、病院に着いたのは予約時間の五分前の八時二十五分頃のことだった。放射線科で受付を済ませると、私はすぐにトイレに行っておいた。トイレから戻ると、男性検査技師が私のことを探していた。どうやらトイレに行っている間に名前が呼ばれていたらしい。男性検査技師によって、私はすぐにMRI室に案内された。

 これまでにも、MRIの検査は何度か受けたことがあるのだが、この病院で検査を受けるのは初めてのことである。男性検査技師の案内で、私はひとまず更衣室に入った。男性検査技師は、いったん、
「今、検査着をお持ちしますね」
とおっしゃったのだが、私が着ている服をご覧になり、
「ベルトや金属類はありますか?」
と尋ねて来られた。私は、このあとホットヨガのレッスンを控えていたため、ジャケットを脱いでしまえば、上は半袖Tシャツに下はラフなズボンといういでたちだった。当然、ベルトも金属類もなかったので、
「ありません」
と答えると、
「そしたら、そのままで行けますね(検査を受けられますね)」
と男性検査技師はおっしゃった。ただ、身につけているアクセサリ類はすべて外すように言われたので、私はパワーストーンのブレスレットや指輪、ピアスなどをすべて外して、服装はホットヨガのレッスンを受けるときの格好になって更衣室を出た。実は、この日は生理中だったので、自分の用意したズボンを履いたまま検査を受けられるのは有難かった。かつてのように、検査着を生理の血液で汚してしまう心配もないからだ。検査着を汚してしまうくらいなら、今、自分が着ているものを汚すほうがまだマシである。

 こうして検査を受ける準備が整うと、いよいよ検査室に案内された。私がこれまで体験して来たMRI検査用の機械は、円筒型の装置の中に人間の身体が少しずつ収まって行くようなタイプだった。そのため、狭いところに閉じ込められているような感覚を伴った。機械のそうした形状から、これまで私はMRIの検査を行う機械のことを、勝手に「宇宙船」と呼んでいた。しかし、この病院のMRI検査用の機械は、開放的な円形の装置に、途中まで寝台が突っ込むようなタイプの開放感の漂う宇宙船だった。

 また、これまで体験して来たMRI検査では、宇宙船に入ると検査技師の方が耳にヘッドフォンを着けてくださり、検査中に聞こえる大きな音を遮断していたのだが、この病院では、フロア全体に優雅なクラシック音楽が流れていた。MRI検査のための宇宙船と言い、音楽の流れ方と言い、どれを取っても開放感の漂う雰囲気だったので、私はすっかりこの病院の設備が気に入った。

 私が寝台に横たわると、腹部を撮影するために板のようなもので腹部が固定され、その上に薄いマットのようなものが置かれた。その状態で円形の宇宙船本体の中に入って行き、いよいよ検査が始まった。しかし、検査の途中、どうしたことか男性検査技師が私のところにやって来て、
「すみません。もうちょっと下に下がってもらえますか?」
とおっしゃった。どうやら撮影する位置が良くなかったらしい。男性検査技師は、板のようなもので固定した私のお腹をいったん解いたあと、再び固定し直して、その上に薄いマットを置いた。そして、再び撮影が始まったのだが、しばらくするとまたしても男性検査技師が私のところにやって来て、
「何度もすみませんが、もうちょっと下に下がってもらえますか?」
とおっしゃったので、私は腰を浮かせて下に下げた。男性検査技師は、あたかも自分の過失で撮影場所を間違えてしまったかのようにおっしゃったのだが、何故、三回も撮り直しが必要だったかについては、あとで判明することになる。

 MRIの撮影には四十分ほど掛かった。私はリラックスしていたのか、途中で何度か眠ってしまったようである。はっと目が覚めてはまた眠るといったことを二、三回繰り返していた。検査室の中で流れているクラシック音楽にリラックス効果があったのかもしれない。

 男性検査技師から、
「お疲れ様でした。これで終わりになります」
と言われたので、私は寝台を降りて男性検査技師にお礼を言い、着替えを済ませて婦人科の受付へと向かった。

 私の検査が終わると、男性検査技師はすぐに次の患者さんを案内した。これまでの私の経験からすると、さきほど撮影したMRIフィルムを大きな封筒に入れて、婦人科の受付まで運んでくださるのではないかと思っていたのだが、男性検査技師がすぐに次の患者さんの撮影に取り掛かろうとしたので不思議に思った。その謎についても、のちに判明することになる。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m およそ二年振りにMRIの検査を受けて来ました。思えば、最初に受けたときはかなり緊張していたように思いますね。しかし、MRIの検査がどのようなものかを理解してからは、次第にリラックスできるようになりました。検査中に眠ってしまったことからすると、今回の検査が一番リラックスしていたかもしれません。(苦笑)

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2010.11.23

映画『食べて、祈って、恋をして』

マンションの大規模修繕(10)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 父ちゃんが我が家のベランダから離れていた間、私たちの心の中に常に父ちゃんへの想いが残っていたように、父ちゃんの中にも我が家のベランダへの想いが残っていたのだとしたら、それはとてもうれしいことであります。ただ、父ちゃんの中にあるのは、私たちの存在自身に対する想いというよりも、餌に対する思い入れなのでしょうね。(苦笑)

 本作は、九月二十日に鑑賞した作品である。実のところ、本作を鑑賞するのは少々迷った。というのも、普段、私が好んで鑑賞しているミニシアター系映画館で上映されているような繊細な作品とは違い、大雑把な作りのハリウッド映画だろうと思ったからだ。実際に鑑賞してみると、確かに大雑把な作りではあった。それでも本作は、世界四十カ国語にも翻訳され、七百万部も売れたベストセラー小説が映画化された作品らしい。主人公が一年間掛けて、イタリア、インド、インドネシアのバリ島という三つの国にしばらく滞在しながら、そこに住む人たちと関わりを持って行くという大掛かりなロードムービーである。しかし残念ながら、鑑賞中に気分が大きく高揚するようなことはなかった。

 ベストセラー小説が映画化されているにもかかわらず、何故、私の中で気分が大きく高揚しなかったのかを考えてみた。まず、自分の住んでいる場所を離れて、一年間も海外で生活するという状況に現実味が持てなかった。そのため、主人公のエリザベスに対し、なかなか感情移入できなかったのだ。

 イタリアでは、エリザベスはそこで出会った仲間たちと共に楽しく過ごしながら、カロリーを気にすることなく、食べてばかりいた。

 一方、インドではアシュラムで生活をし、一見、スピリチュアルな世界に入って行くように見える。しかし、エリザベスに足りていないのは信仰心だと思う。エリザベスが選んだのは、彼女が離婚したあとにお付き合いをした年下の男性が支持していた聖者のアシュラムである。アシュラムで生活するには、その聖者のことを全面的に支持していないと、他の信者ともバランスが取れないのではないだろうか。信仰心を持たない彼女に対し、最初は否定的な態度を取る男性がいるのだが、私は、本作の登場人物の中では、その男性が最もスピリチュアルな存在だと感じた。だからその男性が、のちにエリザベスと心を通い合わせて行くプロセスをそっと見守りたくなる。その男性もまた、心に抱えている傷を癒すためにアシュラムに滞在しているのだが、のちにエリザベスと心を通い合わせることになるからと言って、エリザベスと恋に落ちるわけではない。

 インドネシアのバリ島では、エリザベスは占い師との関わりを軸に、そこで暮らす人たちと新たな関係を築いて行く。コテージのような一軒家を借りてそこに住み、大自然と触れ合いながら、毎朝たっぷりと瞑想に浸る。バリ島には、エリザベスにとって運命的な出会いも用意されていた。おそらく、七年間生活を共にしたかつての夫とも、のちに恋人関係に至った年下の男性とも実現することのなかった、「等身大かつ対等な関係」をエリザベスは手に入れたのだ。

 これまで、男性と「等身大かつ対等な関係」を築いて来なかったエリザベスにとって、好きになった男性と「等身大かつ対等な関係」へと移行して行くことは、ある意味、恐怖でもあったようだ。もしかするとそれは、「この先、踏み込んでしまえば、もう後戻りはできない」という感覚なのかもしれない。本当は相手をとことん愛しているのに、これまでのようにあっさりと離れようとするところからも、エリザベスの臆病な気持ちを察することができる。

 等身大の対等な第三者を受け入れる前に実践すべきことは、まず自分自身をしっかりと受け入れることだと思う。エリザベスは一年間に渡って旅先で自分探しを始めた結果、ようやく自分自身を受け入れることができるようになったのかもしれない。その結果、等身大の対等な第三者を受け入れる準備ができたために、運命的な出会いを果たしたのではないだろうか。ただ、相手の男性を演じているのが、ちょっと押しの強いイメージのあるハビエル・バルデムなので、何となく誠実ではない印象を抱いてしまうのが残念である。他の作品からの影響かもしれないが、彼には何となくプレイボーイ風の雰囲気が漂ってしまっているのだ。

 ラストは、エリザベスがこれまで必死に守っていた心の壁を壊し、運命的な男性と次なるステップに進むことができてめでたし、めでたしとなるのだが、私としては何となく、映画の中に取り残されたような感想を抱いてしまった。やはり、「えっ? これまでさんざん悩んでいたのに、これであっさり解決なの?」と思ってしまうような、いかにもアメリカ映画らしい大雑把な終わり方を迎えたように感じたのだ。そのため、全体を通して、最初の予想通り、私の中ではちょっと物足りない作品として位置付けられてしまったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m やはり、ベストセラー小説が映画化された作品ということで、注目度も高かったのでしょうか。まだまだ上映されている映画館もあるくらいですから、かなり長い間、上映され続けている作品だと思います。主人公の行動をあくまで他人事として鑑賞するには夢があっていいのかもしれませんが、私のように主人公の気持ちにシンクロしようとすると、現実味を感じないので、なかなかシンクロできないのが実情です。(苦笑)

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2010.11.22

マンションの大規模修繕(10)

忍者紀行(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 隠し庫の説明の部分で、最初は「障子のレール」と表現していたのですが、どうもしっくり来ないので、「ねえ、障子を収めるレールって何て言うの?」とガンモに尋ねてみました。するとガンモはすかさず、「敷居だよ」と答えました。「ええっ? ほんとに敷居?」と半信半疑で調べてみたところ、確かに敷居でした。敷居という言葉があるのは知っていましたが、自分の知っている敷居と今回の隠し庫の説明に該当する敷居が結び付きませんでした。どうやら敷居と鴨居はセットになっているようですね。(苦笑)では、マンションの大規模修繕(9)の続きを書かせていただきます。

 マンションの大規模修繕もそろそろ終盤に差し掛かって来た。それを敏感に感じ取ったのか、あるとき父ちゃんが我が家にやって来たかと思うと、かつてのようにベランダの手すりのところにペタンと座り込み、日向ぼっこを始めた。あまりにもリラックスしているその様子に、私は、
「父ちゃん、今夜あたりから、ここに帰って来るんじゃない?」
とガンモに言った。ガンモも父ちゃんの様子を確認して、
「あの雰囲気だと、そうかもな」
と言った。

 そして夜になって、寝室のカーテンを開けてみると、確かにそこには父ちゃんの姿があった。私はガンモに、
「父ちゃん、いるよ!」
と報告した。父ちゃんは、私と目が合うと、ちょこんと首をかしげた。久し振りに我が家のベランダに帰って来た父ちゃんは、まさしくそこで寝ようとしていたのだ。私は父ちゃんの帰還にうれしくなり、すぐに寝室の窓を開けて父ちゃんに餌を与えた。かつてモリやキッコロたちと一緒に飛び立って行った父ちゃんは単独で帰って来たらしく、ちょっとおどおどしていた。父ちゃんにしてみれば、自分が快適に過ごしていた私たちのベランダに突然足場が組まれ、やがてパサパサとしたビニールで窓が覆われたかと思うと、シンナーの臭いもきつくなり、一体何が起こったのか理解できない状況だったのではないだろうか。そして、父ちゃんなりに危険を察して、仕方なく我が家のベランダから離れたのだろう。しかし、シンナーの臭いが収まって来るとともに、父ちゃんはこうして帰って来たのだ。

 マンションの大規模修繕は着々と進み、やがて不要になった足場も完全に撤去された。足場が撤去され始めたのは、父ちゃんが我が家のベランダに帰って来てからすぐのことである。父ちゃんは、そろそろ足場が撤去されることを知っていたのだろうか。工事を担当してくださる業者さんに聞いたのかもしれないし、マンションのエントランスに設置されている工事用掲示板を見たのかもしれない。ただ、きれいになったベランダに対する遠慮はないようで、早速汚してくれている。しばらく我が家を離れていても、相変わらずといったところだ。

 思えば父ちゃんは、私たちが愛シチュー博に出掛けて不在にしている間に、初代母ちゃんとともにベランダに置いてあったガンモのごみ箱に巣を作ったのだ。あれから早くも五年半の月日が経過しようとしている。父ちゃんが我が家から一度離れて帰って来たことで、父ちゃんとの絆も絶対的なものに成長しつつあるように思えるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモの予測通り、父ちゃんは我が家に帰って来ましたね。現在は、かつて一緒に暮らしていたキッコロやモリたちとは別行動のようです。これが彼らにとって、事実上の巣立ちとなったのかもしれません。三番目の母ちゃんがいなくなってから、父ちゃんはまだ独り身ですが、ここでまた新しい母ちゃんと結婚して、雛たちを産み育てて行くのでしょうか。

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2010.11.21

忍者紀行(2)

映画『終着駅 トルストイ最後の旅』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m トルストイの妻のソフィヤは、世界三大悪妻の一人と言われているそうです。しかし、本作を鑑賞すると、「一体どこが悪妻なの?」と彼女を悪妻呼ばわりした人たちに詰め寄りたくなります。では、良妻とは、常に夫の意見に素直に従う妻のことを言うのでしょうか。ソフィヤが夫であるトルストイの意見に従わなかったから悪妻なのでしょうか。ソフィヤは確固たる自分の意見を持っていましたが、夫であるトルストイを深く愛していました。私は、悪妻とは、夫を深く愛さない妻のことだと思っています。夫を深く愛さずに取る行動と、夫を深く愛しているのに取ってしまう行動を混同して欲しくないものですよね。では、忍者紀行(1)の続きを書かせていただきます。

 伊賀忍者博物館は、カングーを停めた伊賀のだんじり館の駐車場から少しだけ歩いたところにあった。本当は、伊賀忍者博物館のすぐ近くにある駐車場に停めたかったのだが、土曜日だったこともあって観光客が多く、満車で停められなかったのである。

 伊賀忍者博物館のすぐ近くまで来ると、何と、子供の忍者がいるではないか。あまりにもかわいらしくて、私はしばらく見入ってしまった。どうやら、この町のどこかに忍者の衣装を貸してくれるところがあるらしい。他にも忍者の格好をした子供たちが元気に走り回っていた。大人用の忍者の衣装も用意されているらしく、子供とお父さんが忍者の格好をして歩いている姿も見掛けた。その親子は、忍者の衣装がとても似合っていて、忍者の衣装を借りている一般人とは思えなかった。

 忍者博物館には、忍者の仕掛けがあるらしい。そういう類の屋敷というと、以前、金沢にある忍者寺に足を運んだことがある。東京に住んでいたときに、社員旅行で観光してとても楽しめたので、結婚してからガンモと一緒に訪れたのだ。ガンモも忍者寺の数々のカラクリに感動していた。

 入場券を求め、しばらく屋敷の入口付近で待機することになった。どうやら先に訪れた人たちが、中で説明を受けているらしい。その説明が終わるまでは、屋敷の外で待機する仕組みになっているようだ。

 しばらく待っていると、先に訪れた人たちへの説明が終わった。私たちはスタッフに案内されるがままに靴を脱ぎ、脱いだ靴を手に持って屋敷の中に入り、座敷に腰を下ろした。説明を受けたあとに利用する出口が入口とは反対側にあるため、脱いだ靴を手に持って屋敷の中に入る必要があったのだ。靴の裏同士を合わせたら、そのまま畳の上に置いても良いと案内された。なるほど、そのほうが、一人一人に袋を用意して靴を収めてもらうよりもお手軽である。

 忍者のカラクリのあるその屋敷は、どこかよそにあった建物を移築したものらしい。その屋敷には、「どんでん返し」と呼ばれる回転扉があった。敵がやって来たときに咄嗟に逃げて隠れるため、部屋に設置された回転式の隠し扉を使って、別の場所に移動することができるようになっていた。その回転式の扉は、もちろん自動ではないので、手動でさっと回して手動でさっと止める必要があった。ふっくらとした女性スタッフが私たちに説明してくださったのだが、彼女の動きが驚くほど機敏なので、良く訓練されていると感心してしまった。

 また、紙で開けることのできる簡易式ロックの扉も披露された。忍者は、敵に追い掛けられたときに、箸入れほどの大きさの紙で素早くロックを外して扉を開けて逃げたという。屋敷には隠し階段もあり、それを使って逃げたり隠れたりすることもできるようになっていた。

 他にも、障子の敷居が外れるようになっていて、それを外すと廊下の板の下に隠し庫が現れた。障子の敷居が外れるようになっている場所は、継ぎ目があるため普段から怪しまれないように障子を閉めて継ぎ目を隠しておいたようだ。屋敷の至るところにいろいろな工夫が施されていて、私たちはとても興味深く説明に聞き入った。

 その後、地下道を通って博物館の展示物を見学した。そこには当時の忍者が着ていた服や忍者が使っていた手裏剣などの道具が展示されていた。水の上を歩くことのできる水蜘蛛(みずぐも)と呼ばれる木製の靴もあった。これを履けば、あめんぼのように水の上を歩くことができるとされているのだが、実際のところ、水蜘蛛にはそこまでの浮力はないらしい。そのため、忍者が水蜘蛛を使って水面歩行したという説は、現在では否定されているという。

 私たちは忍者博物館の展示物を見学し終えると、わずか二百円で見られる忍者ショーの会場へと移動した。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、忍者紀行(2)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 忍者は、古い書物に登場するだけでなく、現代で言うところのスパイのような存在として実際に活躍していたようですね。単に道具を使っていただけでなく、精神的な術も使っていたようです。私は、道具を使った術よりも、精神的な術のほうに興味がありますね。

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2010.11.20

映画『終着駅 トルストイ最後の旅』

ホットヨガ(二一〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 上半身にほてりのある私の体感温度は、他の人と比べて一体何度くらい違っているのだろうと思うことがあります。職場では、デスクワークを行うオフィスよりもマシンルームのほうが冷えているのですが、マシンルームの温度が二十六度になると、半袖Tシャツ一枚で仕事をしていても暑いと感じてしまいます。他の人たちは、その温度であっても、薄いセーターなどの長袖の服を着て仕事をしています。(苦笑)

 本作を鑑賞したのは、九月二十日のことである。この日、わざわざ梅田店でホットヨガのレッスンを受けたのは、本作を鑑賞したかったからである。本作は地元の映画館でも上映中だったのだが、公開されてから日にちが経っていたため、上映時間が限られていたのだ。そこで、地元の映画館よりも上映回数の多い梅田の映画館を選んだというわけである。

 ロシアの文豪トルストイの晩年を描いた本作は、ずばり、ツインソウルの愛の物語となっている。トルストイと妻のソフィヤは、互いに深く愛し合っているにもかかわらず、価値観の違いから相手の立場を理解することができずにいる。しかし、その価値観の違いによる対立も、トルストイを支持する弟子たちの介入が原因であることが良くわかる。純粋に愛し合う男女の間に、愛に対して純粋でないものが介入すると、男女の愛もこれほどまでこじれてしまうということを客観的に見せてくれる作品でもある。ソフィヤは悪妻と呼ばれたようだが、私には、トルストイを純粋に愛する姿がかわいくて仕方がなかった。自分よりもずいぶん年上の女性に対してかわいいと表現するのは失礼かと思うのだが、本当にかわいいのだ。むしろ弟子たちに対して、二人の純粋な愛を邪魔しないで欲しいと思ってしまったほどだ。

 多くの場合、純粋な愛を邪魔するのは欲望ではないだろうか。トルストイとソフィヤの間に通うものが純粋な愛ならば、トルストイと弟子たちの間に通うものは欲望であると感じる。欲望には、犠牲がつきものである。本作では、トルストイとソフィヤの尊い愛が犠牲になっている。現世ではもう会えないかもしれない状況にあるというのに、病床に臥せったトルストイに会わせまいとする弟子たちの行動に腹が立って仕方がない。トルストイの思想に固執している弟子たちには、トルストイとソフィヤが真に愛し合っている姿が見えないのだろうか。

 鑑賞中、唯一の救いだったのは、トルストイの秘書に採用されたワレンチンの存在である。彼にだけは、トルストイとソフィヤの尊い愛が見えていた。だから彼は、トルストイの一番弟子であるチェルトコフに採用されながらも、決してソフィヤを敵に回すことなく、ソフィヤと友好的に接していた。これは、トルストイとワレンチン、そしてワレンチンとソフィヤが欲望で結ばれた関係ではなかったことを意味している。また、ワレンチン自身の恋についても伏線として描かれているのも興味深い。

 トルストイの役を演じているのは、映画『Dr.パルナサスの鏡』でパルナサス博士を演じていたクリストファー・プラマーである。髭が良く似合い、いかにも文豪トルストイという感じが良く出ていた。また、ソフィヤを演じていたのは、映画『クィーン』でエリザベス女王を演じていたヘレン・ミレンである。エリザベス女王を演じているときは、気丈な役柄だっただけに、かわいいという印象は抱かなかったのだが、本作の彼女はひたすらかわいいのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 自分と密に関わる人を増やすことを、私は「愛の拡大」と呼んでいます。トルストイの一番弟子であるチェルトコフへの愛の拡大は、彼がトルストイとしか結び付かなかったことからも成功したとは言えませんが、トルストイともソフィヤとも密な関係を結んだワレンチンへの愛の拡大は成功したと言えるのではないでしょうか。

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2010.11.19

ホットヨガ(二一〇回目)

三十年前に分かれた道の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。中学二年のとき、Mちゃんと私が在籍していたクラスは、権力を持ったグループとそうでないグループにはっきりと分かれていました。いじめとまでは行かなくても、権力を持ったグループはそうでないグループに対し、常に威圧的な態度を取っていました。Mちゃんも私も、そうでないグループに属していたので、クラスでの居心地はかなり悪かったですね。そのため、中学二年の思い出はどんよりとしたものになってしまっています。それでも、Mちゃんも私も同窓会に参加しようとしているのは、いつの間にか、当時のことを水に流しているからなのかもしれないねと、Mちゃんと話しています。だからMちゃんも、自分の子供にもそれなりに悩みはあるかもしれないけれど、きっと大丈夫だろうと言っていました。

 十一月第二週の土曜日は、三宮店のスタジオで六十分のリラックスコースのレッスンを受けた。参加者は十四名と、それほど多くはなかったはずなのだが、どういうわけか、スタジオ内が狭く感じられた。レッスンが始まっても空いたままのヨガマットがあったので、その分、狭く感じられたのかもしれない。

 レッスンを担当してくださったインストラクターは、三宮店では初めてレッスンを担当してくださるインストラクターだった。以前、どこかのスタジオでお目に掛かったことのあるインストラクターのような気もするのだが、思い出せなかった。

 今回も家を出るのが遅くなってしまい、レッスンが始まった直後に慌ててスタジオに滑り込むことになってしまった。スタジオに入ってヨガマットに腰を下ろした途端、ホットヨガのレッスンを受けるときにいつもスタジオ内に持ち込んでいるものが何か足りないことに気が付いた。水はある。バスタオルもフェイスタオルもある。しかし、ロッカーの鍵がない。私は、ロッカーの鍵をどこに置き忘れてしまったのかを一生懸命思い出そうとしたが、すぐには思い出せなかった。遅れてスタジオに入った上に、皆さんが既に瞑想に入っているというのに申し訳なかったが、私はそろそろとスタジオを出て、ロッカールームに戻り、ロッカーの鍵を探した。ひょっとすると、ロッカーに鍵を挿したままスタジオに入ってしまったのではないかと思い、まず最初にロッカーを確認してみたのだが、あいにくそこには鍵が挿さっていなかった。ふと私は、スタジオに入る直前にトイレを利用したことを思い出した。そこで、二つあるトイレのうち、先程利用したほうのトイレを確認してみると、私のロッカーの鍵があったので、ホッと胸を撫で下ろした。

 そう言えば、以前は三宮店のロッカールームに設置されたトイレに、ロッカーの鍵を引っ掛けるための金具が設置されていたように思う。いや、もしかしたら、私自身がいろいろな支店に足を運んでいるために、他の支店と混同してしまっているのかもしれない。私は、例え些細なことであったとしても、このような配慮は利用者にとって大変ありがたいものだと感心したものだった。私は、旅先でしばしばホテルを利用しているが、ホテルの部屋に設置されている調度品の中には、実は使いにくいものが多いと常日頃から感じていた。例えば最も顕著なのが、椅子の高さとテーブルの高さがまるで合っていない組み合わせの調度品である。それらを設置した人が、実際にそこに宿泊してみればすぐにわかることなのだろうが、それを実施せずに、頭の中だけでホテルの部屋が設計されているために、ホテル側は使い勝手の悪さになかなか気が付かないのだ。椅子とテーブルの高さの組み合わせのほかには、就寝前に消灯する部屋の電気のスイッチの位置により、使い勝手の良さが大きく分かれることも挙げられる。そうした経験から、トイレにロッカーの鍵を引っ掛けるための金具を取り付けるという利用者目線の心遣いが、私にはとてもうれしかったのだ。実際に、レッスン前にロッカーの鍵を手に持ってトイレにこもってみると、ロッカーの鍵の置き場所に困ることにすぐに気が付くことだろう。

 さて、私はロッカーの鍵を手に持ち、再びスタジオに戻ってレッスンを受けた。スタジオ内はとても暑かったのだが、今回のレッスンを担当してくださったインストラクターは、レッスン中に入口の扉を開けて、冷たい空気を送り込んでくださる回数が少なかった。私はレッスン中に暑くて暑くてたまらず、スタジオの外に出てしばらく涼んだ。レッスン中にスタジオの扉を開けて冷たい空気を取り込んでくださる頻度も度合いも、インストラクターによって違う。私は、レッスン中にスタジオの中に冷たい空気を取り込んでくださる、自分の書いた台本を読む堅実なインストラクターのことが懐かしくてたまらなかった。上半身にほてりがあると、寒さには強いが暑さには弱く、三十八度の室温に保たれたスタジオでホットヨガのレッスンを受けるのはなかなかやっかいなものである。

 ところで、リラックスコースのレッスンで行うポーズの中に、「夢見るポーズ」というのがある。少女が夢を見るときのように、お腹を下にしてヨガマットの上に横になり、組んだ両腕の上に顔を乗せた状態で、両足を揃えて左右にパタンパタンと倒すポーズである。私はこのポーズを取るときに、骨盤がグラグラして両足がなかなか揃わなかったのだが、下腹スッキリクッションを使い始めてからは、両足が揃うようになった。こういうところからも、自分の骨盤が少しずつ整い始めたと実感するこの頃である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 神戸店が閉店してしまってからの三宮店は、週末のレッスンがひどく混雑していましたが、最近はその混雑も落ち着きつつあるように思います。ゆったりとしたスタジオでレッスンを受けられるのはいいですよね。それに加え、レッスン中に冷たい空気がどんどん入って来ると、なおいいですね。(笑)

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2010.11.18

三十年前に分かれた道

映画『ミックマック』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m どうやら「ミックマック」というのは、イタズラを意味する言葉のようですね。まさしくイタズラという表現にふさわしい作品でありました。ジャン=ピエール・ジュネ監督はやはりモンマルトル界隈がお好きなのか、本作の中でもムーラン・ルージュの赤い風車がチラリと映っていました。

 来年のお正月に、中学校の同窓会が開催されることになっている。そのことを知ったのは、私の実家方面でお祭りが行われた先月半ばのことである。いつもメールでやりとりをしている小学校時代からの友人Mちゃんが、地元のお祭りで同窓会の世話人であるOくんに遭遇し、Oくんから聞いた内容を私に伝えてくれたのだ。私は二つ返事で「同窓会に参加したい」と、すぐにMちゃんに返事を書いたのだが、あとからカレンダーを確認してみると、同窓会が行われる一月三日は、年末年始の休暇の最終日だった。その日の夜に帰省先で行われる同窓会に参加するとなると、翌日の仕事始めの日は休暇を取らなければならないだろう。私は慌ててMちゃんに事情を説明し、仕事始めの日に休暇を取るかどうか、しばらく考えてから改めて返事をするというメールを送信した。

 後日、Mちゃんから、Oくんから預かったという同窓会の案内状の往復はがきが届いた。Mちゃんは、その往復はがきに私の住所を書き込んで、そのままポストに投函するだけでも良かったのに、わざわざ私に手紙を書くために封筒を用意して、その封筒に自分で切手を貼って往復はがきを送ってくれた。封筒の中には、往復はがきの他に、Mちゃんの手紙が同封されていた。往復はがきとは言え、同窓会の案内だけを送るのは味気ないとMちゃんは思ったのだろう。私は、そんなMちゃんの優しい心遣いに心を打たれたのだった。

 地元に住むMちゃんは、同じく地元に住む他の同級生たちの同窓会への参加状況をしばしばメールで知らせてくれた。そうこうするうちに、小学校時代からの別の友人であるYちゃんからも同窓会に関するメールが届いた。Yちゃんも同窓会には参加するらしい。Yちゃんとは、しばしば電話で話をしたり、昨年、久し振りに会ったりもしているのだが、最初に連絡をくれたMちゃんとは、私が結婚してからはなかなかタイミングが合わず、一度も会っていない。同窓会で、そんな懐かしい同級生たちに会えるとなると、やはり仕事始めの日に休暇を取ってでも参加したいものである。

 それはさておき、Mちゃんは、身近な同級生と、同窓会の参加の可否をメールでやりとりしていたらしい。Mちゃんがメールでやりとりをしていた相手は、中学時代に私とも仲の良かったGちゃんである。しかし、Gちゃんと私は、互いに別の高校に通うようになってからは、交流が途絶えてしまった。Mちゃんは、Gちゃんと同じ高校に進学したので、互いの携帯電話のメールアドレスも知っていて、現在でも交流が続いているようなのだ。

 Mちゃんによれば、Gちゃんは同窓会には参加しないと言っているそうだ。私は、同窓会でGちゃんに会えないことを残念に思ったのだが、考えてみると、私には何となくGちゃんが同窓会に参加したくない気持ちが理解できるような気がした。実は、Gちゃんは独身なのだ。そのため、今や同級生のほとんどが結婚して、子供にも恵まれているという状況の中に、自ら飛び込んで行きたくはないのではないだろうか。私がMちゃんに、「ひょっとするとGちゃんが同窓会に参加したくないと言っている理由は、彼女がまだ独身だからじゃないのかな」とメールに書いて送ったところ、Mちゃんもそれに同意して、実はGちゃんから、「同窓会で、子供や旦那の話をされてもねえ」と言われ、何も言えなかったという返事が返って来た。

 中学時代は、お互いの立場の違いなどほとんど気にすることなく毎日顔を合わせて楽しく過ごしていたというのに、大人になると、他者との違いを強く意識するようになってしまうものだと思った。確かに私も、結婚しているとは言え、子供のいない夫婦二人だけの生活を送っているため、世間の大多数からははみだしてしまっているとも言える。しかし、だからと言って、他の同級生たちとの違いを気にして、懐かしい同級生たちとの再会できるチャンスを見送る気にはなれない。

 Mちゃんによれば、Gちゃんは、同窓会に参加する人たちの体型をひどく気にしているとのことだった。Gちゃんは、「みんながどんな体型になっているか、あとで教えてね」とMちゃんに頼んだらしい。Gちゃんは、自分は同窓会に参加しなくても、他の同級生たちの体型が気になるようだが、それほど気になるなら、Gちゃん自身の目で他の同級生たちの体型を確認しに来ればいいのにと私は思った。

 同窓会の出欠確認は、二次会への参加可否まで問われているのだが、私が二次会にも参加しようと思っていると言うと、Mちゃんは自分も二次会に参加したいが、子供さんを家に残して遅くまで家を空けることが心配なのだという。Mちゃんのご主人さんもご在宅のはずなのだが、事情があって、子供さんのことをご主人さんには任せられない状況らしい。そのことを聞いて初めて、私は、休日前になると映画のレイトショーを鑑賞して夜遅く帰宅したり、週末ごとにホットヨガのレッスンに通ったりと、自由気ままな生活を送っていることに気が付いた。

 三十年前に分かれた道は、来年のお正月にもう一度交差しようとしている。三十年の間に、それぞれいろいろなことを体験した同級生たちは、どんなふうに年を重ねているのだろうか。私は、「体型は変わっても、中身は変わらないね」と言われてみたいものだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 同窓会開催の知らせを受けて、参加を楽しみにしている人と、参加しなくてもいいと最初から見送る人、それぞれですね。でも、子供の頃に出会って交流を結んだ人たちとは、大人になってから交流を結んだ人たちと違って、自分の根本部分に近いところで繋がりを持っているような気がします。だから、例え再会したときにかなりの年月が経過していたとしても、一瞬のうちに子供の頃の親しさを取り戻すことができるんですよね。

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2010.11.17

映画『ミックマック』

保険屋さん(8)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。一人の人間として保険屋さんを観察してみると、人との関わり方がお金の動きと見事にリンクしているように感じられて興味深いですね。目的を達成したあとの潔さを感じさせてくれる存在とも言えるかもしれません。(苦笑)私自身が顧客と直接関わりを持たず、オフィスにこもって仕事をする技術者であるために、保険屋さんのような営業活動を行っている人たちが新鮮に感じられるのでしょう。

映画『ミックマック』公式サイト

 ジャン=ピエール・ジュネ監督の最新作というとで、私は本作の公開を心待ちにしていた。鑑賞したのは、映画『恋するナポリタン〜世界で一番おいしい愛され方〜』と同じ九月十八日である。ジャン=ピエール・ジュネ監督の代表作というと、映画『デリカテッセン』や映画『アメリ』となるのだが、私は映画『デリカテッセン』はまだ鑑賞していない。

 私は、映画『アメリ』が大好きで、劇場公開中に二回鑑賞し、サントラCDもDVDも購入している。ガンモと一緒にパリに出掛けたときも、二年連続でモンマルトルに足を運び、映画『アメリ』の撮影場所となったコリニヨンの八百屋とカフェ・ド・ムーランも訪問した

 しかし、以前、二人の派遣仲間から、
映画『アメリ』の世界が良くわからない」
という感想を述べられたことがある。彼女たちにしてみれば、おそらく個人の好みや感性の違いによる壁から、映画『アメリ』の世界を理解したくてもできない状況にあるのだろう。

 その二人の派遣仲間が本作を鑑賞したら、もっとわからないと言い出すかもしれない。私は、ジャン=ピエール・ジュネ監督の作品に登場する人たちが何かに一生懸命に取り組んでいる姿に強く惹き付けられる。しかし、映画『アメリ』の世界が良くわからないと言った二人の派遣仲間にしてみれば、登場人物たちが何故、そんなことに一生懸命になっているのだろうと不思議に思ってしまうのではないだろうか。

 本作の中で何かに一生懸命に取り組む人は、複数存在している。発砲事件に巻き込まれ、頭に銃弾を受けてしまったバジルとその仲間たちである。頭に銃弾を受けたバジルは、銃弾を取ってしまうと命取りになるという医師の判断から、頭に銃弾を残したまま手術を終えられてしまう。入院中に仕事も住む家も失ってしまい、ホームレスになったバジルは、あることをきっかけに、おかしなおかしな仲間たちと出会う。その仲間たちというのが、人間大砲、発明家、軟体女など、輪を掛けてユニークである。日本で言えば、寺山修司さんが描き出すサーカス小屋のような雰囲気が漂っている。いや、寺山修司さんの世界よりも明るいと言える。おかしなおかしな仲間たちを含めた作品全体の雰囲気が、何となくテリー・ギリアム監督の作品を思わせてくれるようだと感じていると、既にジャン=ピエール・ジュネ監督が映画『デリカテッセン』を発表したときに世間からそのような評価を受けていたことがわかった。

 本作では、頭に銃弾を受けてしまったバジルが、おかしなおかしな仲間たちとともに、銃弾を作った会社と、三十年前に父の命を奪った地雷を作った会社に復讐する物語である。復讐すると言っても、二つの会社に直接殴り込みに行くのではない。復讐したい会社が互いに近所であるのをいいことに、バジルたちはある作戦を思い付くのだ。何とも奇想天外な展開になるのだが、復讐というよりはむしろ、イタズラと表現したほうが適切かもしれない。

 バジルを演じているのは、映画『ぼくの大切なともだち』でブリュノを演じていたダニー・ブーンである。彼は、フランスを代表するコメディアンなのだそうだ。しかし、本作からも、映画『ぼくの大切なともだち』からも、コメディアンという雰囲気は感じられない。彼はおおまじめなコメディアンなのだろうか。とにかく本作では、バジルとおかしなおかしな仲間たちの連携プレイが抜群にいいのだ。

 「世界が平和でありますように」というキャッチコピーを抱えて上映された本作だが、銃弾を作った会社と、地雷を作った会社への復讐を果たすることで、果たして世界は平和になったのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m おかしなおかしな世界をおおまじめに表現できる人は、世の中にはそれほど多くはないのではないでしょうか。何でこんなことをおおまじめにやるのだろうと疑問を感じてしまう人には理解し辛い作品かもしれませんが、そういう人には、ジャン=ピエール・ジュネ監督が映画『ロング・エンゲージメント』のような作品も世に送り出していることをお伝えしておきます(笑)。

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2010.11.16

保険屋さん(8)

マンションの大規模修繕(9)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 以前、我が家にモノが多いために、食事中に味噌汁をこぼしてしまい、ガンモと二人で笑い合ったという話をしたところ、「『家を片付けないからこんなことになるんだ!』と喧嘩にならないところがいいよね」と言ってくれた人がいます。そういう人は、私たちが何を大切に生きているかをちゃんと理解してくれているのだなあと思い、とてもうれしくなったことを思い出しました。私たちのことを外側から見ずに、ちゃんと内側から見てくれている貴重な存在です。それでは、保険屋さん(7)の続きを書かせていただきます。

 あるときガンモが、
「こんなのがポストに入ってたよ」
と言いながら、兵庫県民共済生活共同組合の新型火災共済・生命共済のパンフレットの入った封筒を私に差し出した。早速その封筒を開き、中身を確認してみたところ、掛け金の安さに驚いてしまった。兵庫県民共済は、少ない掛け金で加入できる保険のようである。テレビや雑誌などでの宣伝活動は行わず、ポストへの投函のみでその存在をアピールしているようだ。これまでにも何度かこれと同様のパンフレットがポストに入っていたことがあるのだが、一度も真剣に吟味したことはなかった。しかし、先日、保険屋さんが提示してくれた医療保険のプランが、今の私にとってことごとく不利な内容だったため、他に条件の良い保険があれば加入してもいいのではないかと思い始めていた。

 私は、昼休みに保険屋さんが私の席にやって来たときに、ポストに入っていた兵庫県民共済のパンフレットをチラリと見せてみた。驚いたことに、保険屋さんは、自社以外の保険についても実に良く研究されていた。保険屋さんは、私の持っていた兵庫県民共済のパンフレットをご覧になり、確かに毎月の掛け金は少ないかもしれないが、年齢が高くなると保障が半分になってしまうことや、保険屋さんが立ててくれたプランよりも入院時の受け取り金額が少ないこと、それから、入院についても入院初日からの支払いではなく、最初の四日間は保険料が支払われないことなどを次々に指摘した。

 私は保険屋さんに、
「すごいですね。自社以外の保険についてもしっかりと研究されてるんですね」
と言った。そろそろ自分の昼休みを取り戻したいなどと心の中では思いながらも、ついつい自分から保険屋さんにネタを提供してしまう私である。おそらくこれは、沈黙を苦手とするO型特有の性格のせいなのだろう。とは言え、保険屋さんに兵庫県民共済のパンフレットを見せたのは、保険屋さんが私に提示してくれた医療保険のプランへの反発でもあった。

 その次に保険屋さんが私のところにやって来たのは、確か私が個人年金に加入する手続きをしてからおよそ二週間後のことである。私は、次に保険屋さんに会ったときは、今度こそ自分の時間を優先させようと思い、保険屋さんに対して少しだけバリアを張って自分の時間を守るつもりでいた。ところが保険屋さんは、私の席に突進して来るなり、
「先日はご成約ありがとうございました。保険証書もまもなく出来上がるかと思います。よろしかったらこれ、召し上がってください」
と言って、箱菓子の入った紙袋を差し出して来た。突然のことに私が戸惑っていると、保険屋さんは、
「ご成約いただいた皆さんにお渡ししているものですので、どうぞ」
と言って、私に箱菓子を受け取るように促した。そこで私は戸惑いながらも両手を差し出して、保険屋さんから箱菓子を受け取った。

 そのとき保険屋さんは、とても晴れ晴れしい表情をしていた。その晴れ晴れしい表情から、保険屋さんには、顧客が申し込みをしてから保険証書が作成されるまでは、契約が取れたという保険屋さんの喜びがまだ確定しない状態であることが窺えた。保険屋さんにしてみれば、保険証書が作成される段階になって初めて、契約が取れたと安心できるものなのかもしれない。私が保険屋さんから差し出された箱菓子を受け取ると、保険屋さんは一礼したあと、そそくさとオフィスを出て行った。

 私は帰宅してから、ガンモと二人でその箱菓子をおいしくいただいた。その後、保険屋さんは私の働いているオフィスに何度か足を運ばれているようだったが、それ以来、私には一度も声を掛けて来なくなった。これまで重ねて来たコミュニケーションは、やはり保険契約を取るためのものだったのだろう。私は、いきなり訪れた静かな昼休みに安心するというよりも、自分がどこかに置き去りにされてしまったような一抹の寂しさを感じてしまうのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 例えばスーパーで働くとして、AさんとBさんが陳列棚に商品を並べたとします。スーパーの場合、Aさんが陳列棚に並べた商品よりもBさんが陳列棚に並べた商品のほうがたくさん売れたとしても、AさんとBさんのお給料に差が出るわけではないですよね。しかし、保険屋さんは、営業成績がはっきりとお給料に現れる仕事なのでしょう。だから明らかに、保険あるいは個人年金への加入後は、目的を達成したような態度に切り替わるのでしょうね。

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2010.11.15

マンションの大規模修繕(9)

映画『恋するナポリタン~世界で一番おいしい愛され方~』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 映画としては楽しめたのですが、こうして本作の内容を振り返ってみると、何だか作品のタイトルと作品の内容が一致していないように思えて来ますね。「恋するナポリタン」というタイトルも、「~世界で一番おいしい愛され方~」というサブタイトルも、何だかしっくり来ません。「誰が誰に恋しているのか」わかりませんし、「世界で一番おいしい愛され方」をしているのが誰なのかも、今一つピンと来ませんね。(苦笑)それでは、マンションの大規模修繕(8)の続きを書かせていただきます。

 我が家に二箇所あるベランダの床のシートもきれいに張り替えられ、更にルーフバルコニーもきれいに洗浄してもらったあとは、玄関扉の周りをペンキで塗る作業が行われることになっていた。この作業は、玄関扉を開けた状態で行うことになるため、各戸の区分所有者が立ち会わなければならなかった。我が家の場合、玄関扉の周りのペンキ塗りに立ち会うためには、玄関口に置いているたくさんのモノを片付けなければならなかった。

 自宅にいるときは、工事を担当してくださる方たちに気付かれないように、アンネ・フランクのように息をひそめてひっそりと過ごしていたガンモは、
「玄関扉の周りのペンキ塗りには、まるみが立ち会ってくれ。俺は、まるみが立ち会う前日に休みを取って、玄関口を片付けるから」
と言った。私たちの中では、ガンモは常に裏方担当で、私は外交担当なのだ。家の中のことは主にガンモが担当してくれているが、例えばマンションの管理組合がらみの仕事なども含めて、外と接触する仕事はすべて私が担当しているのである。

 それはさておき、どんなに想像力の発達している人でも、我が家の散らかり具合を想像できる人はいないだろう。我が家に遊びに来たいと言ってくれた人たちは、これまでにも何人かいらっしゃったのだが、家を片付けるのが非常に困難な状況だったため、ずっと断り続けて来た。私たちの家に最後の訪問者が訪れたのは、おそらく十年ほど前のことで、それもクラシックカメラに関する雑誌の取材だった。夫婦でクラシックカメラを集めているということで、取材に来てくださったのだ。そのとき、かなり気合を入れて片付けたはずなのに、取材で訪れた方たちに、「ずいぶんモノが多いですね」と驚かれたのを覚えている。

 私たちは、玄関扉の周りにペンキを塗ってもらう日を、十一月始めの祭日に決めた。そしてガンモがその前日に休暇を取り、玄関口をきれいに片付けてくれることになった。私は、片付けの様子が心配だったので、仕事中、何度かガンモに電話を掛けてみた。しかし、何度電話を掛けても、ガンモはまだ片付けに取り掛かってはいなかった。我が家の玄関口はたくさんのモノで溢れ返っているというのに、ガンモは片付けを甘く見ているのだろうか。それでも、仕事を終えた夕方、もう一度電話を掛けてみると、ガンモは電話に出なかった。どうやら本格的な片付けが始まったようだった。

 ガンモは、玄関口に置いているものをすべて、浴室と更衣室に運び込もうと計画していたようだ。そのため、
「今夜はお風呂は使えないかも」
と言っていた。とにかく、我が家にはそれだけモノが多いということだ。

 さて、私が帰宅してみると、玄関扉の前に大きな黒いゴミ袋が六つ置かれていた。直前にガンモと電話で話した内容によれば、私が帰宅したときに、ゴミを捨てて来て欲しいとのことだった。私は黒いゴミ袋を一度に二つずつ抱え、玄関前とマンションのゴミステーションの間を三往復した。

 ゴミも出し終わり、いよいよ玄関の扉を開けてみると、何と、玄関がきれいに片付いていた。うれしいことに、何年か振りに床が見えているではないか。私は、
「ガンモ、すごいよ。ありがとう!」
と狂喜した。あれだけ玄関にごちゃごちゃと置いてあったモノがほとんど移動され、玄関口がすっきりしているのだ。ガンモは、
「大変だったんだから。でも、いろんなものが見付かった」
と言った。ガンモ曰く、夕方からようやくエンジンが掛かって片付け作業に取り掛かり、玄関口に置いていたものを次から次へと浴室と更衣室に運び込んだそうだ。浴室と更衣室には、これまでに買い求めたバッグやら服やら、これまでろくに整理もせずに玄関に放置していたモノがたくさん積み上げられていた。それらを見た私は、これまでこの状況に甘え過ぎていたことを後悔した。このままでいいわけがない。確かにそう思った。しかし、ひとまず今は、玄関扉の周辺のペンキ塗りを完了させることが先決である。

 翌日、ガンモは仕事の待機要員で、私は仕事が休みだった。私たちは、工事を担当してくださる方がやって来るのを朝から待ち構えていた。工事を担当してくださる方がやって来る時間がわからなかったので、
「今のうちにトイレに行っておいた方がいいんじゃない?」
などと言いながら、何度も何度もトイレに立った。しかし、工事を担当してくださる方はなかなか現れなかった。おそらくその日が祭日だったために、同じ日を在宅の日として指定した方たちがいて、対応にてんてこまいだったのだろう。

 玄関扉の周辺のペンキ塗りは、二度塗りを行うため、一回目の塗りと二回目の塗りの間に少し時間を置く必要があった。その一回目の塗りのために、工事担当の方が我が家に来られたのは、午後の比較的早い時間のことだった。工事担当の方は、慣れた口調で作業の内容を簡単に説明し、
「作業が終わりましたら声を掛けさせていただきますので、どうぞ家の中でお待ちください」
とおっしゃった。

 玄関扉の一回目のペンキ塗りは、およそ十数分で終わった。工事担当の方に呼ばれ、玄関に出てみると、今、ペンキを塗ったばかりなので、しばらく扉を空かして乾かして欲しいとのことだった。工事担当の方は、二度塗りするために、あとでもう一度来られるそうだ。

 工事担当の方がひとまず引き上げて行かれたので、私は玄関の外に出て、ペンキの塗り具合を確かめてみた。ちょうど玄関の周りに枠を描くように、玄関扉よりも濃い色のペンキが丁寧に塗られていた。私には美術の才能はないが、こうした工事担当の方にも美術作品を仕上げる丁寧さのようなものが必要なのだろうと思った。

 しばらくすると、工事担当の方がもう一度来られて、玄関扉の周りに二回目のペンキ塗りを施してくださった。作業はすぐに終わり、やはりこのまま二時間ほど空かして乾かして欲しいとのことだった。二時間経てば、玄関の扉を閉めてもいいらしい。

 こうして、私たちにとっては大イベントである玄関扉の周辺のペンキ塗りが無事に終了した。あとは後日、玄関扉のシート張り替えと、玄関扉のシリンダー錠の取り替えのために、もう一度在宅して立ち会う必要があった。

 ガンモは、ひとまず浴室に移動させたたくさんのモノを浴槽に積み上げ直して、それらを私が買って来た大きなビニールシートでしっかりと保護し、シャワーを浴びられるようにしてくれた。どんなに寒い日であっても、玄関扉のシートと玄関扉のシリンダー錠の取り替えが終わるまでは、湯船に浸かることはできそうもない。私たちは、浴室暖房の力を借りて浴室を暖めながら、毎日シャワーを浴びることになった。

 それでも、ガンモが片付けてくれた玄関スペースは、私にとってとてもくつろげる場所となった。私は仕事から帰宅すると、リュックに詰め込んでいたノートパソコンや手帳、ノート、筆記用具、携帯電話のケーブル類などを別のバッグに移し変えて寝室に持ち込むのだが、玄関スペースがくつろげる空間になったため、その作業を行う時間が長くなった。時には、玄関スペースに座り込んで考えごとをしたり、携帯電話を操作することもあった。そのため、寝室にいるガンモに、
「玄関で何してるの?」
と尋ねられるようになった。私はその度に、
「くつろいでんの」
と答えるのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m おそらく、皆さんにはなかなか想像がつかないとは思いますが、我が家はこんな状況であります。(苦笑)それでも、私たちは家がきれいに整頓されていることにはこだわらずに、笑いながら過ごして来ました。むしろ、こういう雑な空間のほうがくつろげるとさえ思っていたのです。しかしガンモは、片付けることに喜びを見出したようで、「このままではいかん。ウチをきれいにするから」と張り切っています。私も、玄関スペースが広くなったので、ここにヨガマットを敷きたいなどと思い始めています。(苦笑)

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2010.11.14

映画『恋するナポリタン~世界で一番おいしい愛され方~』

忍者紀行(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これまで、伊賀という忍者にまつわる地域が存在していることは知っていましたが、それが三重県にあることまでは知りませんでした。伊賀は、愛知からも、京都や奈良からも、また、私たちの住んでいる兵庫からもそれほど遠くないところに位置していますので、各方面からの観光客が訪れているようですね。

 本作は、九月十八日に鑑賞している。いつも足を運んでいる映画館で、少なくとも一度は本作の予告編を目にしていたはずなのだが、私の中には予告編の記憶がほとんど残っていなかった。

 本作が上映されていた映画館で、映画をいつでも千円で鑑賞できるようになってからというもの、余程好みでない作品でもない限り、その映画館で上映されているほとんどすべての作品を鑑賞し尽くすようになった。たいていの場合、好みの作品を先に鑑賞してしまい、まだ鑑賞していない残りの作品を少しずつ吟味して行くことになるのだが、その過程において映画サイトの情報を参考にさせていただいたところ、本作がなかなかユニークな作品であることがわかった。何故、ユニークかと言うと、本作もまた、映画『カラフル』のように、一度死んでしまった人の再生を独自の形で描き出そうとしているからだ。

 シェフの武が、上から人が落ちて来るという不慮の事故で命を落とし、武と男女の厚い友情を結んでいた瑠璃はひどく悲しむことになる。何しろ二人は、幼なじみという長い付き合いだったからだ。上から落ちて来たのはピアニストの佑樹で、彼は幸いにして命が助かるのだが、何と佑樹の肉体には、武の魂が宿ってしまうのである。そのため、これまで料理などしなかった佑樹が、いきなり台所に立って料理を作るようになり、かつての佑樹を知る者たちから驚かれることになる。佑樹は意を決して瑠璃に会いに行き、自分の中に武の魂が宿っていることを説明しようとするのだが、佑樹のせいで武が死んでしまったと思っている瑠璃は、佑樹のことをなかなか受け入れようとはしない。

 実際にこのようなことが起こるかどうかは別にして、とてもユニークな作品だと思う。感動的な要素もしっかり備えていて、鑑賞しているうちに登場人物の真剣さに心を打たれ、泣けて来るのだ。ただ、最初のうちは、武と瑠璃がどれほど強い絆で結ばれているのかが良くわからずに、男女の愛と混同して少々戸惑う。というのも、瑠璃は別のシェフからプロポーズされていたからだ。武と瑠璃の間に通っているものが男女の愛だと仮定すると、瑠璃が別のシェフからの求愛を受け入れようとするのは、武を試す行為にも受け止められる。そうした前提で本作を鑑賞すると、瑠璃にプロポーズしたシェフが何となく瑠璃に対して真剣ではないように見えてしまうのだ。しかし、武の死をきっかけにして、少しずつ状況が見えて来るようになる。

 男女の友情を扱う作品の多くは、友情という仮面をかぶった男女の愛として、二人の関係を発展させたがるだろう。しかし本作は、そういうところからも、他の作品とは違っているのだ。

 面白いことに、佑樹の中には武だけではなく、もともとの佑樹自身の魂も同時に存在している。時々、武よりも佑樹自身の魂が優性になり、武の意志とは異なる行動を取る。しかし、そうした行為は、武の取る行動ではないと、瑠璃にすっかり見透かされてしまうのだ。

 本作の本当の面白さを実感するのは、武と瑠璃の間に通う男女としての真の友情を理解したときだろうと思う。本当に、こんな関係が男女の間で取り交わされるのだとしたら、素晴らしいことである。また、それを許容する瑠璃の結婚相手の男性も素晴らしい。最初のうち、瑠璃の結婚相手の男性は、瑠璃に対してそれほど真剣ではないように見えてしまったのだが、瑠璃の武に対する想いを理解した上で挙式の段取りを進めて行くところから、好感度が一気にアップする。

 また、本作には、いかにもおいしそうなイタリア料理がいくつも登場する。子供の頃、イタリアのナポリに住んでいた武は、イタリア人男性からイタリア料理の基礎を学んだ。日本に帰って来た武は、子供の頃から瑠璃にいろいろなイタリア料理を作って食べさせるのである。それは、二人が大人になってからも変わらなかった。しかし武は、ナポリには実在しなかったスパゲティのナポリタンだけは作れなかったということが、物語の最後のほうまで鍵として残っている。

 武の役を演じているのは塚本高史くん、瑠璃の役を演じているのは相武紗季ちゃん、佑樹の役を演じているのは眞木大輔くんである。これほどたくさんの映画を鑑賞している私でも、実は彼らのことを良く知らなかった。どうやら彼らは、これまで私が鑑賞していなかった作品に出演されているらしい。特に眞木大輔くんは、「若かりし頃の三田村邦彦さんに似ているなあ」などと思っていたところ、EXILEのメンバーらしいことがわかった。と言っても、普段からテレビをまったくと言っていいほど観ていない私は、恥ずかしながら、EXILEの存在自体も良く知らないのだ。

 本作の評価は、佑樹の中に武の魂が宿るという意外な展開を受け入れるかどうかによって、いろいろなベクトルに分かれるだろうと思う。その展開を快く受け入れた私としては、なかなか楽しめる作品だったと思うのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 瑠璃がシェフと結婚するということは、瑠璃の中においしいお料理をたくさん作ってくれる武への想いが少なからず存在しているということなのでしょうね。武の場合は、男女の愛には至りませんでしたが、結婚相手となったシェフに対しては、男女の愛に発展したということなんでしょう。細かく分析を始めると、結婚相手に武の面影を求めていると言えなくもないですが・・・・・・。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.11.13

忍者紀行(1)

ホットヨガ(二〇九回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ホットヨガのレッスンでは、ときどき、ウォーミングアップのストレッチで足の指を広げたり閉じたりすることがあります。「はい、足の指を広げてください」とインストラクターに言われても、私の足の指はほとんど開きません。開いても閉じてもほとんど同じ格好をしています。(苦笑)しかし、周りを見渡してみると、皆さん、しっかりと足の指を開いていらっしゃるんですよね。足の指が大きく開く人とそうでない人の違いは何なのでしょうね。下半身の冷えと関係しているのでしょうか。私も足の指が大きく開くようになりたいものです。

 十月半ばの週末のことである。私が独身時代から加入している全日本クラシックカメラクラブというカメラサークルの撮影旅行が奈良で行われるというので、ガンモと二人で予約もせずに出掛けてみることにした。予約もせずにと書いたのは、全日本クラシックカメラクラブが東京を拠点とするカメラサークルであり、撮影旅行に参加される会員の皆さんも、関東地方から関西地方まで移動して来られて滋賀のホテルに宿泊することになっていたため、滋賀のホテルに一泊したあと奈良まで移動して散策が行われる頃に、奈良で勝手に皆さんと合流しようと思っていたのである。

 最初は、全日本クラシックカメラクラブの皆さんが宿泊される宿に私たちも自前で予約をして、お久し振りにお会いする皆さんを驚かせようと企てていた。ところが、その日はその宿が貸切となっていたため予約が取れず、結局私たちは別の宿を取ることにしたのだ。そして私たちは、朝から宿泊の準備を整えて、愛車カングーに一泊分の荷物を積み込んで出発した。

 全日本クラシックカメラクラブの皆さんとは違う宿に宿泊することになったため、思い切って、その日は私たち自身で計画を立てて、全日本クラシックカメラクラブの皆さんとはまったく別行動を取ることにした。皆さんとは、翌日に奈良でお会いできるだろうと思っていたからである。そこで私たちが最初の目的地として選んだのは、三重県の伊賀である。ご存知のように、忍者で知られる伊賀は観光地となっている。私たちは伊賀を観光したあと三重県で一泊し、翌日、奈良に移動しようと計画したのである。

 ところが、目的地をカーナビに設定して高速道路を走っていると、伊賀まで行くのに奈良を通過することになってしまった。我が家から伊賀方面まで行くには、大阪市内の環状線などのちょっとややこしい高速道路をいくつも経由しなければならない。田舎の高速道路のように、一本の長い高速道路が続くのではなく、○号線に乗ったあとは△号線に乗り換えて、次に分岐点が見えて来たらまた別の高速道路に乗り換えるなど、目的地に辿り着くにはかなりの集中力が必要なのである。

 そこで、カーナビの案内だけでは不安なので、私が携帯電話を使って乗り換えるべき高速道路の順番をすべて把握してシナリオを作り、ガンモに口頭でナビを行っていた。ところが、私が携帯電話で調べた情報と、カーナビが示す情報が途中で食い違ってしまい、判断に困った運転手のガンモは、カーナビの示す道を選んだのだ。その先が、奈良だったというわけだ。

 ガンモは、翌日訪れるはずの奈良に迷い込んでしまったことでひどく困惑してしまった。もちろん、奈良を経由したとしても伊賀に辿り着けなくもないのだが、奈良を経由することは、出発前にガンモがアナログの地図で確認していた情報とも異なっていたため、困惑してしまったのである。

 奈良市内は、行き交う自動車の量がとても多かった。あちらこちらに、「一般駐車場はありません」という大きな看板を持った方が立っていた。私たちはこの時期に、奈良まで自家用車で出掛けて来てしまったことが無謀だったということを思い知った。

 間もなく私たちは、奈良を経由して伊賀に入った。カーナビが示してくれたルートは、決して間違いではなかったのだ。伊賀のだんじり館の駐車場にカングーを停めて、まずは昼食をとるために市内を軽く散策した。くのいちが描かれた電車が市内を走っていた。伊賀鉄道である。全国の鉄道乗り潰しの旅を続けている私たちとしてはとても興味の惹かれる列車だったのだが、今回はカングーで来ているので、また時期を改めて伊賀を訪れようということになり、伊賀鉄道への乗車は見送った。

くのいちが描かれた伊賀鉄道の車両

 伊賀鉄道の踏み切りを超えてすぐのところに、伊賀忍者弁当を食べさせてくれる大番というお店があったので、そこに入った。ガンモは忍者うどん定食を注文し、私は伊賀忍者弁当を注文した。忍者うどん定食にも、伊賀忍者弁当にも、食べられる手裏剣が入っていた。伊賀忍者弁当は、家庭料理で作られた温かいお弁当だった。

 私は、お弁当が温かいことがうれしかった。おそらくオフィスで仕事をしていると、お昼に冷たいお弁当ばかり食べることになってしまうからだと思う。また、伊賀忍者弁当は、私たちが普段から使っているお弁当箱に近い形のお弁当箱に入っていて、本当にお弁当を食べているという気持ちにさせてくれた。○○弁当と名の付くお弁当を飲食店で注文すると、大きな正方形あるいは長方形の入れ物に入れられて出て来ることが多い。しかし、それではお弁当を食べているという気持ちにはなかなかなれないものだ。

 それに加え、伊賀忍者弁当は味もおいしかった。お会計をするときに、厨房の様子が見えた。どうやら、老夫婦が二人で経営しているお店らしい。私は、伊賀忍者弁当が普段から馴染みの深いお弁当箱に入っている上に温かくておいしかったことをお店の人たちに伝えたかったのだが、ついつい伝えそびれてしまった。だから今、こうして記事に書いているわけである。

伊賀忍者弁当

 腹ごしらえをしたあと、私たちは目的の伊賀忍者博物館へと向かったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は私は、お弁当箱が好きなんですね。昔から、良く買ってしまうのが、お弁当箱と手帳やノートでした。手帳やノートは、書くことが好きだからと胸を張って言えるのですが、お弁当箱が好きなのは、きっと料理が好きなわけではありません。(苦笑)おそらく私は、お料理を作ることよりも出掛けて行くことのほうが好きで、お弁当を持っているだけでもウキウキして来るのだと思います。そのせいか、お弁当箱のほかには、水筒類もたくさん持っています。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.11.12

ホットヨガ(二〇九回目)

映画『借りぐらしのアリエッティ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。絵がとてもきれいで、いかにもスタジオジブリらしい雰囲気を感じさせてくれる作品だっただけに、とても残念な気がしています。あと、やはり大竹しのぶさんの声がお母さんの役に合っていなかったというご意見は、他にもあったようですね。

 ゴダイゴコンサートに参加するため、いつも受けているリラックスコースよりもレッスン時間の早い、六十分の脂肪燃焼コースのレッスンを三宮店のスタジオで受けた。

 三宮店に入るなり、受付にいらっしゃった、古くからお話をさせていただいているインストラクターが声を掛けてくださった。見ると、レッスン着を身に着けていらっしゃる。ということは、これから私が受けようとしている脂肪燃焼コースのレッスンを担当してくださるのかと思い、尋ねてみると、まさしくその通りだった。レッスンを担当してくださるのは久し振りですねと話をしたあと、少し前に脂肪燃焼コースのレッスンに参加したところ、以前よりも緩いレッスンに変わっていたと感想を述べると、古くからのインストラクターもその通りだとおっしゃっていた。古くからのインストラクター曰く、かつて脂肪燃焼コースのレッスンが二つ存在していた頃は、レッスンの内容があまりにもきつ過ぎたために、レッスンを緩くする動きが出て来たのだそうだ。

 さて、今回のレッスンの参加者は十二名だった。参加者の数がそれほど多くはなかったので、ゆったりとレッスンを受けることができた。いつもならば、途中でレッスンをサボってスタジオの外に涼みに行く私も、前回のレッスン同様、スタジオの外に出て行くことなく、最後までレッスンを受けることができた。そのことを通して、もしかするとこれまでの私には、レッスンを担当してくださるインストラクターとの間に信頼関係が成り立ってはいなかったのかもしれないと思うようになった。極端な言い方をすれば、このインストラクターから、何から何まで学び取りたいという姿勢でレッスンに臨むと、レッスンの途中でスタジオの外に出て行くことはしないのかもしれないと思えたのだ。ただ、私の場合は、上半身のほてりが強いので、室温三十八度に保たれたスタジオでレッスンを受け続けることは、通常ではなかなか難しい。

 今回のレッスンでは、レッスンの途中にスタジオの外に出て行かなかっただけではない。何と、いつもはお休みしてしまう腹筋を使うポーズにも挑戦してしまったのだ。思えば、これまでは、筋腫を庇(かば)うあまり、お腹を下にするポーズや腹筋を使うポーズは極力避けて来た。しかし、古くからお話をさせていただいているインストラクターのレッスンとなれば、例え辛くても頑張ってポーズを取ってしまったのだ。その結果、レッスン後にお腹がプルプルしているのを感じた。果たしてお腹の筋肉を使うことが、大きな筋腫持ちの私にとっていいことなのかどうか、そのときの私にはわからなかった。意図的に腹筋を使うことで、普段は子宮の中に収まっている筋腫が剥がれ落ち、痛みを伴いながら大量に出血したりすることはないのだろうか。実際にそういうことが起こり得るかどうかはわからないが、いつになくプルプルしているお腹から、そのような不安を感じてしまった。

 シャワーを浴びたあと、ロッカールームでくつろいでいると、先ほどのインストラクターがロッカールームの掃除のために入って来られたので、少し話をさせていただいた。私が、今回のレッスンでは、途中でスタジオの外に出て休むことなく、最後までレッスンを受けることができたことと、レッスンを通していい汗を掻くことができたことを報告すると、古くからのインストラクターは、自分の行っているレッスンが、参加されている方たちにとって緩いレッスンになってしまっているのではないかと心配になっていたそうだ。

 私は、インストラクターの立場に立って考えてみた。リラックスコースのレッスンならば、それほどきついポーズが出て来なくても誰も文句は言わないだろう。しかし、脂肪燃焼コースはどうなのだろう。参加者によって、脂肪燃焼コースに対して抱く期待感に幅があるために、判断が難しいように思う。何故なら、ある人はきついレッスンを求めたがるだろうが、ある人は脂肪燃焼コースに参加しているという実感だけを得たいがために、最初からそれほどきついレッスンを期待してはいないかもしれないからだ。私は、
「参加する人によって、脂肪燃焼コースに求めるものが違って来ると難しいですね」
と言った。古くからのインストラクターもそれに同意していた。

 私は古くからのインストラクターに、
「でも、リラックスコースは、また別の意味できついんですよね」
と言った。古くからのインストラクターもそれには大きくうなずいていた。古くからのインストラクター曰く、現在の脂肪燃焼コースも、自分でポーズを強めようと思う方にとっては、それなりにきついレッスンになるとおしゃった。しかし、特に何も考えることなくレッスンに参加した場合、レッスンの内容が緩く感じられるようだとおっしゃった。私は、なるほどとうなずいたあと、
「ところで、三宮店では骨盤コースのレッスンは開設しないんですか?」
と尋ねてみた。すると、古くからのインストラクターの口から、意外な答えが返って来たのだ。何と、三宮店でも骨盤コースのレッスンを開設すべく準備を始めているらしい。古くからのインストラクターも、骨盤コースの研修を受けるように言われているそうだ。

 私は、南森町店に、骨盤コースにとても詳しいインストラクターがいらっしゃることを話した。古くからのインストラクターもその方のことはご存知だったようで、聞くところによると、どうやらその方が骨盤コースのレッスンを産み出した方らしい。私はその方のことを、「魔女みたいな人」と表現した。その方は、骨盤コースのレッスンに関する内容をびっしりと書き込んだ小さなノートをレッスンに持ち込んでいて、骨盤コースへの強い意気込みが感じられる。実際に、そのノートを見ながらレッスンが行われるわけではないのだが、その方が骨盤コースを産み出した方だと伺って、大きく納得したのだった。

 三宮店で骨盤コースのレッスンが始まったら、私は現在のリラックスコースから骨盤コースのレッスンに切り替えるだろうと思う。それほど骨盤コースのレッスンが気に入っているなら、南森町店に通えばいいと思われるかもしれないが、南森町店まで通うには、三宮店や梅田店に通うよりも交通費が掛かってしまうのだ。私にとっては、通勤定期券を使うことのできる三宮店に通うのが一番安上がりである。また、梅田店に通うには、JR大阪駅までの昼間特割回数券を利用できるので、通勤定期券で通えないにしても運賃は割安である。しかし、南森町店に通うには、JRの通常回数券を購入するしかないため、片道運賃ではJR大阪駅まで行くのと変わらないにもかかわらず、割高になってしまうのである。しかも、レッスンのあとに映画鑑賞のお楽しみを実現するには、そこから更に電車に乗って移動しなければならず、やはり割高になってしまうのだ。そういう事情もあって、三宮店で骨盤コースのレッスンを受けられるならば、私にとっては一番ありがたいのだ。

 ところで、脂肪燃焼コースのレッスンを受けた直後にプルプルしていたお腹は、翌日になると痛みに変わり、筋腫のあるところにまで痛みが及んだ。そのため、私はとうとう、トイレに立つのも苦労する羽目に陥ってしまった。トイレに立つときはお腹に力を入れることになるのだが、お腹に力を入れるとひどく痛むので、痛みをかばいながらそろそろと立ち上がらなければならなくなってしまったのだ。これはとても辛く、月曜日に仕事を休もうかと思ったほどだ。しかし、そんな痛みも二~三日経つとようやく引いた。私は、ホットヨガのレッスンでは、腹筋を鍛えるような動きをしてはいけないと改めて悟ったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m レッスン後の痛みには参りました。(苦笑)気持ち良くレッスンを受けることができたはずでしたが、これほどの痛みに襲われるとは思いもしませんでした。脂肪燃焼コースのレッスンでは、リラックスコースのレッスンで使っている筋肉とは違う筋肉を使っていたのですね。

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2010.11.11

映画『借りぐらしのアリエッティ』

マンションの大規模修繕(8)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。以前から、マンションの大規模修繕は、夏の暑い時期は外したほうがいいという話を聞いてはいましたが、なるほど、こういう事情があったからなのですね。だから、この時期にあちらこちらで、足場の組まれたマンションを見掛けるのでしょうね。おそらくエアコンを使うことのない今の時期は、マンションの大規模修繕には最適な季節なのでしょう。(笑)

 本作を鑑賞したのは、九月四日のことである。スタジオジブリの作品ということで、大きな期待感に胸を膨らませながら、ガンモと二人で観に行った。しかし、鑑賞し終わったあとに私たちの口から出て来たのは、
「ううん・・・・・・」
という何ともはっきりしない言葉だった。これは、何と表現したらいいのか困ってしまったときの反応である。感情の高ぶりを示す針があるとすれば、残念ながら、その針はほとんど触れることがなかった。これまで、同じスタジオジブリの宮崎作品では、心を大きく揺さぶられる作品が多かっただけに、鑑賞する前から大きな期待感で胸がいっぱいになり過ぎていたのかもしれない。

 本作は、「床下の小人たち」という児童文学を基に宮崎駿さんが脚本を書き上げ、米林宏昌という人が初めて監督を務めている。スタジオジブリの作品らしく、絵はとても美しく、そしてリアルだった。しかし欲を言えば、物語にもう少し躍動感が欲しかったと思うのだ。

 田舎のとある屋敷の床下には、小人の家族が住んでいた。小人たちの間には、人間に姿を見られてはいけないという掟(おきて)があった。小人たちは、人間たちに見付からないように、人間たちの生活用品から、自分たちの生活に必要なものを「借りて」生活していた。彼らは、そうした行為を「借り」と呼んでいた。

 鑑賞していて、「これはちょっとおかしいな」と思ったのが、借りて来たものの縮尺である。小人のアリエッティは、縫い針を剣のように扱い、洗濯バサミを髪止めに使用していた。しかし、実際の大きさで言うと、縫い針と洗濯バサミは、それほど変わりはないと思う。アリエッティが縫い針を剣のように扱っているならば、洗濯バサミもまた、縫い針と同じくらいの大きさでなければおかしい。しかし、アリエッティが髪止めに使用している洗濯バサミは、縫い針よりもずっと小さかったのだ。まずはそこに違和感を感じてしまった。

 また、「借りる」という表現についても、どこか引っ掛かるものがある。例えば私たちが誰かに、
「これ、借りるね」
と言って、何か物を借りたあとは、必ず返している。「借りる」という行為の裏には、「あとで返す」という大前提の行為があるのではないだろうか。アリエッティたちが、使ったものを人間たちに返していないところからすると、本作の題名は、『借りぐらしのアリエッティ』というよりも、『もらい暮らしのアリエッティ』ではないだろうか。

 とは言え、アリエッティとお父さんが一緒に「借り」に出たときは、私自身が人間であるという立場にもかかわらず、ハラハラドキドキしてしまった。アリエッティたちがどうか人間たちに見付かりませんようにと願うのだが、アリエッティは病気のために屋敷で療養中の少年・翔に姿を見られてしまうのである。

 実は私は、こういう作品を鑑賞すると、子供の頃のことを思い出す。私にとって小人という存在は、それほど突拍子もない存在ではなかった。子供の頃、ふと視界の隅のほうでチラッと動く小さなものを何度か見掛けたように思うからだ。だからだろうか。大人になって、忙しい仕事を抱えると、
「夜のうちに、小人さんが私の仕事を仕上げてくれないかなあ」
などとつぶやいてみることがあった。しかし、これまで一度だって、小人によって私の仕事が仕上げられたためしはない。では、子供の頃に視界の隅のほうでチラッと動いていたものは一体何だったのだろうか。ひょっとすると小人ではなく、妖精だったのかもしれない。だから私は、コーヒー党ではなく、紅茶党だったのだろうか。

 そういう観点で鑑賞すると、病気のために屋敷で療養していた翔が、小人であるアリエッティの姿をひどく冷静に受け止めていたところが何ともしっくり来ない。もっと感情豊かに彼らの存在を受け入れて欲しかったと思うのだが、病気だから仕方がなかったのだろうか。

 それはさておき、本作でアリエッティの父の声を担当しているのは、三浦友和さんである。堅実なお父さんの様子が良く出ていたと思う。それに対し、アリエッティの母の声を担当していたのは、大竹しのぶさんである。私は、大竹しのぶさんは個性が強過ぎるために、声優さんには向かないのではないかと感じてしまった。大竹しのぶさんの声を聞くと、本作の役柄のお母さんではなく、大竹しのぶさんご自身の顔が浮かんでしまうのである。鑑賞中、私は何度も何度も大竹しのぶさんのイメージを拭い去ろうと試みた。

 一方、ちょっと意地悪な家政婦さんの声を担当しているのは、樹木希林さんである。しかし、何故だろう? 樹木希林さんもまた、個性の強い女優さんだというのに、樹木希林さんに関しては、本作の役柄とのギャップを特に感じることなく鑑賞することができた。大竹しのぶさんと樹木希林さんの違いは良くわからないが、あくまで私の主観で表現させていただくならば、大竹しのぶさんの場合は本作の役柄との間に分離が起こっていたが、樹木希林さんの場合は一体化していたように思う。

 さて、今、こうしてレビューを書きながら、本作で何が一番残念だったのかと考えてみた。おそらく私は、人間と小人との共存を期待していたのだろうと思う。しかし、とうとうそれが叶わなかったことが残念でならなかったのだろうう。そのため、何となく淡々とした作品に仕上がっているように思えて仕方がないのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最近、一人暮らしを始めた友人がいるのですが、少し前に彼女と会って食事をしたところ、「もしも、何か要らないものがあったらちょうだいね」と言われました。彼女曰く、生活に必要なものが足りていないそうで、親戚の人や知り合いから、いろいろなものを譲ってもらっているのだそうです。それを聞いた私が、「それじゃあ、『借りぐらしのアリエッティ』じゃん」と言うと、彼女は笑いながらそれに同意し、「そう、まさしく『借りぐらしのアリエッティ』なのよ」と言っていました。

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2010.11.10

マンションの大規模修繕(8)

保険屋さん(7)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。保険屋さんに、「選択肢の一つとして、先進治療を受けるチャンスを見逃して欲しくない」と言われたときには、実のところ、唖然としてしまいました。何故なら、私自身が医療保険の申し込みをしたときには、私にとってほとんどメリットのない保険内容を提示して来たからです。保険というものが、あたかも相手のことを真剣に考えているようでいて、結局はビジネスに活かされていると私はとっくに気付いているというのに、それでもなお、ガンモのことを真剣に考えているような口調で語られるのは、ちょっと腹立たしい気がしました。それでは、マンションの大規模修繕(7)の続きを書かせていただきます。

 九月から始まったマンションの大規模修繕は、滞りなく着々と進んでいた。共有部分の塗装および補修が行われるにあたり、まずは損傷している箇所が徹底的に点検され、工事を担当してくださる建設会社独特の方法で、マンション内に「しるし」が付けられた。損傷の状況を示す数字や記号なのだろうか。マンションの共有部分のあちらこちらには、いろいろな色で書かれた数字や記号が点在していた。

損傷の状況を示す「しるし」

 しばらくすると、マンションのドアや窓などがパサパサとしたビニールで一斉に覆われた。いよいよ塗装が始まるらしかった。そのために、汚してはいけない部分をパサパサとしたビニールで覆ったのだろう。

塗装時に汚れてはいけないところは、パサパサとしたビニールで一斉に覆われた

 まず、最初に塗られたのは、金属部分の錆(さび)止めだった。赤褐色の錆止めが、ガスメーターの扉などを始めとする金属部分のあちらこちらに塗られた。錆止めは、少しはみ出している箇所もあったが、あとからその上に別の塗料を上塗りするため、問題はなかった。

 やがて、私たちの寝室の窓も、パサパサとしたビニールで覆われた。そのため、私たちは部屋の中が暑くても、窓を開けることができなかった。この頃はまだ今ほど涼しくはなく、仕事から帰宅したあとも、そして寝るときも、窓を少し空かして涼を取り入れていた頃だったので、窓を開けられないのは辛かった。私は、
「窓を開けられないなら、思い切ってエアコンをつけようか」
とガンモに提案したのだが、ガンモの調査によると、エアコンの室外機までもが既にパサパサとしたビニールで覆われているらしかった。ということは、暑くても窓も開けられず、エアコンも使用できないということだ。もう秋に差し掛かっていたので、窓を開けられなくても蒸し風呂状態になるほど暑くはなかったのだが、上半身にほてりのある私には厳しい修行のようにも思えた。ガンモでさえも、窓を開けられないのは暑いとぼやいていたくらいだった。

 寝室の窓がパサパサとしたビニールで覆われてしまうと、ベランダに住んでいる父ちゃんたちの様子もわからなくなってしまった。台所からベランダに通じるガラス戸もパサパサとしたビニールで覆われてしまったため、寝室の窓と同じように開けることができなかった。もちろん、緊急時にはパサパサとしたビニールを打ち破ってもいいことになってはいるのだが、鳩の様子を見るためや、涼しい風を部屋に取り込むために、工事担当の方たちがせっせと施したパサパサとしたビニールを打ち破って窓を開けるのは、さすがに憚(はばか)られた。

 私たちは、ベランダに父ちゃんたちがいるのか、毎朝、毎晩、耳を澄ました。しかし、どんなに耳をそばだててみても、父ちゃんたちの羽の音は聞こえなかった。父ちゃんたちは、今でもベランダの外にいるのだろうか。本格的にマンションの大規模修繕工事が始まったので、ベランダで大人しくしているのだろうか。それとも、工事担当者の方たちにより、ベランダからすっかり追い払われてしまったのだろうか。私たちはやきもきしながら、窓を開けることのできない日々を過ごした。

 数日経つと、ガンモが、
「ビニールを打ち破らないにしても、窓だけでも開けてみると涼しいよ」
と教えてくれた。パサパサとしたビニールで窓が覆われていても、挑戦してみると、ほんの少しだけ窓を開けることができた。ただ、窓を開けることができても、そこにはパサパサとしたビニールがあるだけなのだが、窓をまったく開けないでいるよりは、少し風が入って来たのである。私たちは、パサパサとしたビニールと窓の隙間から入って来る風に助けられた。その状態で、ベランダの音に耳を澄ましてみたが、やはり羽の音も、父ちゃんたちの鳴く声も聞こえては来なかった。

 一週間か十日くらい、そんな状態が続いただろうか。ある日、仕事から帰宅すると、窓に張り巡らされていたパサパサしたビニールがすっかり撤去されていた。私たちは喜び勇んで窓を開けてみた。しかし、ベランダは壁も塗り替えられ、床のシートもきれいに張り替えられてものの、父ちゃんたちの姿はそこにはなかった。

 次の朝になっても、ベランダからは羽の音も父ちゃんたちの鳴く声も聞こえては来なかった。父ちゃんたちは、どこで寝ているのだろう。みんなで一緒にいるのだろうか。私たちはそのことが心配で心配で、窓を開けては外の様子を窺い、父ちゃんたちが帰って来ればいいのにと寂しい気持ちを募らせていた。

 ある日、朝から羽の音がバサバサと聞こえて来た。私は慌てて、まだ寝ているガンモを起こした。ガンモが寝室の窓を開けてみると、ベランダには父ちゃんたちがいた。どうやら、どこかで無事に寝泊りしているようだ。私たちは久し振りに、父ちゃんに餌を与えた。いつものように、父ちゃんは餌箱の中から、とうもろこしを上手に狙って突付いた。

 そんなことがあったので、父ちゃんたちはてっきり私たちのベランダに帰って来るものだと思っていたのだが、その日の夜になっても父ちゃんたちは帰っては来なかった。その代わり、毎朝ではないのだが、ときどき早朝にやって来た。相変わらず、他の鳩たちを元気に追いかけ回しているところからすると、「ここは俺の縄張りなんだからあっちへ行け!」と言っているのだと思う。私たちはその度に父ちゃんに餌を与えた。

 以前と変わったことと言えば、かつて父ちゃんたちが住んでいたベランダの壁は塗り替えられ、床のシートもきれいに張り替えられていることだ。もしかすると父ちゃんたちは、きれいになったベランダに遠慮しているのだろうか。いや、そうではなく、おそらく父ちゃんたちはシンナーの臭いが苦手で、私たちのベランダから遠ざかってしまったのかもしれない。

 私は、父ちゃんたちがいなくて寂しかったが、ガンモは、
「ここは父ちゃんたちの通り道なんだろうし、時々餌を食べに来るということは、ここのことをちゃんと覚えてるはずだから、きっと工事が終わって足場も取れたら、また戻って来るよ」
と言った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m マンションの大規模修繕は順調に進んでいます。おかげで、マンションの見栄えもずいぶんきれいになったのですが、ベランダに父ちゃんたちの姿はありません。(苦笑)時々遊びに来るにはいいけれど、夜、安心して眠るには、シンナーの臭いがあまりにもきつ過ぎるのかもしれません。果たして、マンションの大規模修繕が終わったあと、父ちゃんたちは帰って来るのでしょうか。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.11.09

保険屋さん(7)

映画『ハナミズキ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ツインソウルやソウルメイトの愛について語ることは、私のライフワークであります。(笑)ちなみに、現在公開中の作品の中にも、ツインソウルやソウルメイトの愛の物語があります。先日、鑑賞して来たばかりなので、これからおよそ二ヵ月後にレビューを書かせていただくことになろうかと思いますが、映画『エクリプス/トワイライト・サーガ』です。シリーズものになっていますが、私は全作品鑑賞しています。(笑)これはツインソウルの映画だと思える作品については、映画・テレビカテゴリのほかに、ツインソウルカテゴリにも追加しておきましたので、もしもご興味があればご覧ください。それでは、久し振りに保険屋さん(6)の続きを書かせていただくことにします。

 それからも保険屋さんは、私の席を何度か訪れ、その度にガンモのことを根掘り葉掘り尋ねるようになった。
「ご主人様は、現在、どのような保険に加入していらっしゃるのですか?」
という保険屋さんの問い掛けに対し、
「多分、掛け捨てだと思います。夫の職場は、ある保険会社さんと友好的な関係にあるので、その保険会社さんの保険に加入しています」
と私が答えると、保険屋さんは目を輝かせながら身を乗り出して、更にいろいろ尋ねて来た。私が、ガンモの会社と友好的な関係にある保険会社の名前を口にすると、保険屋さんは「なるほど」と言いながら、大きくうなずいていた。保険屋さんに、ガンモの会社名を尋ねられると、私はついうっかりしゃべってしまった。それを境に、保険屋さんはガンモの会社が自分の所属している保険会社の事務所からそれほど遠くないところにあることを理由に、ガンモに直接会って、保険の話をしたいと言い始めた。

 保険屋さんにしてみれば、現在、ガンモが加入している保険が満期になってしまえば、もう保険には加入しないと宣言していることが、ビジネスチャンスに繋がると思ったのだろう。保険屋さんは私に一枚の封筒を差し出して、
「次にお会いするとき、この封筒に、ご主人さんの保険証書のコピーを同封してご持参いただけないでしょうか」
と言った。私は突然のことに驚いたが、
「保険証書はどこにあるかわからないし、私は保険に無頓着なので、あまりいい情報は持って来られないと思いますよ」
と、あらかじめ釘を刺しておいた。

 私は、ガンモの保険証書のコピーを持参することに関しては最初から抵抗があったので、現在、加入している保険の簡単な状況をガンモから聞き出して、それを保険屋さんに伝えた。保険屋さんは益々ガンモに興味を持ったようで、ガンモと面会できるように取り次いでもらえないかとしきりに言い寄って来た。そして、かつて私に提示してくれたような紙に印刷したプランを用意して、
「これをご主人さんにお渡しいただけないでしょうか」
と言った。そこには、ガンモの名前と年齢が記されていた。見ると、ガンモは私よりも一歳半、年齢が高いためか、私よりも少しだけ掛け金が高かった。

 保険屋さんは、
「万が一、ご主人様がご病気になられたとき、保険に加入していないと、莫大な治療費が掛かることになります。万が一の備えのためにも、保険には加入しておいたほうが絶対にいいと思います」
と言った。そして、保険屋さんの勧める医療保険が先進医療にも対応している保険であることをしきりに力説した。保険屋さんによれば、ガンモの会社と友好的な関係にある保険会社さんの保険は、先進医療には対応していないらしいのだ。

 保険屋さん曰く、例えばがんにかかってしまったとき、これまで抗がん剤による治療は、病気ではないところにまで悪影響を及ぼしていたが、先進医療では、ピンポイントでがん細胞のある箇所にだけ狙いを定めることがてきるようになったのだそうだ。そのため、以前よりも命が助かるケースが増えて来ているという。保険屋さんのお知り合いの方で、先進医療の治療を受けてがんを根治された方がいらっしゃったそうだが、残念なことに、その方はたまたま再発してしまったのだという。その方のようなケースを含めると、先進医療で必ずしも良い方向に向かうとは言い切れないが、選択肢の一つとして、先進治療を受けるチャンスを見逃して欲しくないと保険屋さんは力をこめて言った。

 保険屋さんは、その次に私の席を訪れたときにも、ガンモの保険加入について、しつこく勧めて来た。これからも、保険屋さんのアプローチは続くのだろうかと思うと、正直言って、私は少しうんざりしていた。実のところ、私はそろそろ元の生活に戻りたいと思い始めていたのだ。元の生活というのは、保険屋さんに話し掛けられることのない静かな昼休みである。これまでの私は、昼休みになると、朝のうちに書き上げた「ガンまる日記」を携帯電話の管理画面から推敲したり、英語学習に充てたりしていた。現在は、朝、自宅を出る前の六時半頃に「ガンまる日記」を書き上げて、通勤列車の中で推敲をしているため、昼休みのほとんどを英語学習やお気に入りの本を読むことに費やすことが多い。私は、ここのところ、これらの貴重な時間が保険屋さんによってすっかり奪われてしまっていると感じていた。保険屋さんの勧めてくれた個人年金に加入し、無事に契約も完了したのだから、そろそろ昼休みはそっとしておいて欲しいと思うようになっていたのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモに、「保険屋さんがガンモに会いたがっていたよ」と伝えると、ガンモは、「個人情報をばらすの禁止!」と言いました。確かにその通りかもしれませんね。私は保険屋さんに、ガンモの勤務する会社名をうっかり漏らしてしまったことを後悔しました。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.11.08

映画『ハナミズキ』

ホットヨガ(二〇八回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ゴダイゴの神戸公演の記事にたくさんの方たちが訪れてくださっているようですね。ちなみに、ホットヨガのVIP会員に加入すると、誕生日月に回数券を購入する場合は十パーセントオフになりますが、誕生日月以外の月に回数券を購入する場合は五パーセントオフになります。五パーセントオフの場合、割引率が少ないので、VIP会員に加入するかどうか、迷ってしまうことと思います。おそらく今回、VIP会員に加入された方というのは、私と同じように誕生日月のサイクルで回数券を購入されている方たちなのでしょうね。

 本作を鑑賞したのは、九月三日のことである。一青窈さんの大ヒット曲「ハナミズキ」は、カラオケが盛り上がって来ると、必ずと言っていいほど誰かが歌う曲なので良く知っている。本作は、その歌をモチーフにしたストーリーである。

 若手の人気俳優さんたちが主役を務めているということで、きっとミーハーな作品に仕上がっているに違いないという思い込みがあり、実はあまり期待はしていなかった。しかし、鑑賞するうちに、運命に翻弄されて行く二人の愛から目が離せなくなった。通っている高校も進路も、のちには住む場所も環境も異なってしまう二人が、数々のすれ違いを経験しながらも、やがて真実の愛に辿り着いて行くプロセスが詳細に描かれている。途中で二人の間に割って入るそれぞれの別のパートナーの出現も、実にうまく用意されている。観る人が観れば、この作品がツインソウルの物語であることは一目瞭然だろう。

 新垣結衣ちゃん演じる紗枝と生田斗真くん演じる康平は、高校生のときに通学列車の中で出会うのだが、最初は康平の片想いに過ぎなかった。しかし、あることをきっかけに二人は急接近し、やがて互いに強く想い合うようになり、公認の仲となる。物語の舞台となっているのは北海道で、二人で普通列車を途中下車して雪の夜道を歩くシーンもあり、二人は果たして凍えることなく無事に家に辿り着くことができるのだろうかと冷や冷やしてしまう。そんな大自然に飲み込まれてしまいそうな北海道で育んで来た二人の愛も、紗枝が東京の大学に進学したことから、少しずつすれ違いが生じるようになってしまう。

 若い頃にツインソウルに出会うと、互いの違いに振り回されて、その尊い愛を見失ってしまうことがある。東京と北海道の遠距離恋愛に加え、夜に塾講師のアルバイトを始めた紗枝と早朝から猟師の仕事をしている康平は、次第に共有できる時間がなくなってしまう。やがて別れを決意することになった二人には、それぞれ別のパートナーが現れる。このあたりの展開が実にうまく出来ているのだ。

 紗枝の新しいパートナーとなった男性は、紗枝のソウルメイトであるように思える。何故なら二人は、互いの違いを吸収して行く関係ではないからだ。紗枝は新しいパートナーを頼ってニューヨークに渡り、得意の英語を活かしてニューヨークで仕事に就くことになる。一方、康平の新しいパートナーとなった女性は、康平のカルマの相手であるように思える。康平はその女性と結婚するのだが、決して幸せな結婚とは言えなかったようだ。そして、運命の荒波は、再び二人を引き合わせることになる。

 好感が持てるのは、二人が決して不倫の関係には至らないところだ。それだけ、ツインソウルの愛は尊いということなのだろう。二人は再会したとき、自分が本当に愛する人は誰なのかを理解したのではないだろうか。その後、あたかもツインソウルの愛に遠慮するかのような展開が見られる。ただ、紗枝の場合は、「遠慮」と表現するにはあまりにも過酷な展開かもしれない。一方、康平の場合は、新しいパートナーとのカルマ的な結末が訪れる。

 本作の台本を書かれた方は、男女の愛というものを実に良く理解されていると思う。最初から、ツインソウルの愛やソウルメイトの愛、カルマの関係を意識して書かれているわけではないと思うのだが、一組の男女が運命に翻弄されながらも、決してはちゃめちゃな展開にはならず、納得の行く結末に仕上がっている。特に康平の取る行動については、自分の取る行動によって、結果的にどのようなことが自分の身に降りかかって来るかも的確に表現されていると思う。そして、それら一連の出来事を通して、例えそれがどんな出来事であっても、魂をステップアップさせてくれる出来事であることが客観的に理解できるようになっている。一つの大ヒット曲から、これだけ骨のあるストーリーが出来上がるのだから素晴らしいことである。

 もしも、紗枝や康平と同じような立場のカップルが本作を鑑賞したならば、自分たちの進むべき道をはっきりと示してくれる作品になるのではないだろうか。それが真実の愛ならば、例えひどく遠回りをすることになったとしても、互いの目指すべきゴールに必ず辿り着くということではないだろうか。選択に迷うと運命に翻弄されるが、強い意志をもって自分で進むべき道をしっかり定めると、不思議とその方向へと動いて行くものだ。そんなことを感じさせてくれる作品でもあった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最初に抱いた先入観を見事に打ち破ってくれた良い作品でありました。こういう作品を鑑賞すると、私たちの魂はまだまだ完璧ではないと感じます。まだまだ完璧ではないから、遠回りをしながらいろいろなことを学ぶんですね。だからこそ、この世に生を受け続けているのだろうとも思います。

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2010.11.07

ホットヨガ(二〇八回目)

GODIEGO CONCERT 2010 in KOBEの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ゴダイゴは、ブレイク当時中学生だった私にとって、まさしく青春そのものでした。あの頃、中学の同級生たちは、甲斐バンドやツイスト、郷ひろみさんのファンでしたね。考えてみると、「ガンダーラ」の大ヒットから実に三十二年も経過しているのですよ。あれから三十二年経った今でも、ゴダイゴは人々の気持ちを熱くさせるバンドなのです。

 十月の最終土曜日は、いつものように、三宮店で六十分のリラックスコースのレッスンを受けた。何と、土曜日だというのに、レッスンの参加者はわずか五名だった。参加人数が少なかったため、ポーズを取っているときに隣の人にぶつかることもなく、のびのびとレッスンを受けることができた。レッスンを担当してくださったのは、これまでにも何度かリラックスコースのレッスンを担当してくださったことのある元神戸店のアレンジインストラクターである。

 参加者が五名しかいなかったためか、レッスン中にスタジオ内に熱がこもることがなく、私自身もレッスンの途中でスタジオの外に出て涼むこともなかった。そのため、最初から最後まで通しでレッスンを受けることができた。

 レッスンを終えて、シャワーを浴びたあと、受付にロッカーの鍵を返しに行くと、電話対応中のスタッフが電話で話しながら対応してくださった。実は私は、十月三十一日までの入会がお得と言われているVIP会員制度に興味があった。ずいぶん前から、スタジオ内に掲示されているポスターなどで知ったのだが、六千円の会費を払ってVIP会員になれば、回数券を購入するときに割引特典を受けられるのだ。特に私の場合、七月の誕生日月に五十回回数券を購入しているため、十パーセントオフの割引を受けられるらしい。五十回回数券は、十万円近くするので、十パーセントオフで回数券を購入できるとなると大変お得である。例え初期投資に六千円を費やしたとしても、まだお得なのである。

 私は、このまま三宮店のスタジオをあとにすると、VIP会員に加入するチャンスを失ってしまうのではないかと思った。以前から、六千円で入会できるキャンペーンは十月三十一日までと決められていたので、VIP会員に加入するかどうかの決断を伸ばし伸ばしにしていた。そして、十月三十一日に近い最後のレッスンでスタッフから入会を勧められたならば、その場で決断しようと思っていたのだ。

 ところが、そのスタッフは今、電話対応中だった。私は、VIP会員入会への最後のチャンスの日なのに、スタッフに何も勧められずに三宮店をあとにしようとしていることが残念に思えてしまった。仕方なく、靴を履こうとしていると、受付に立っていたスタッフの電話が終わったのがわかった。私はVIP会員募集のポスターを眺めながら、受付のスタッフを振り返って、
「これは、次の年になると年会費が三千円掛かるんですよね」
と尋ねてみた。するとスタッフは、
「そうなんです。でも、一度ご入会いただくと、次に年会費をお支払いいただくのは強制ではないので、いつでも脱会することができます。とにかく一年ご加入いただくだけでも大変お得なんです」
とおっしゃった。スタッフ曰く、一番良く売れているのは五回回数券や十回回数券などの比較的少額の回数券だという。そういう方たちに加入していただく場合、あまり元の取れないVIP会員制度ではあるのだが、私のように五十回回数券などの比較的高額の回数券を購入している人たちにとっては、大変お得になるのだそうだ。

 私は、ずっと気になっていた制度に対し、ようやく肩を押してもらえた気がして、
「では、加入します」
と申し出た。

 スタッフは、私を受付の側にあるテーブルに案内して、申込書に記入するように促すと、
「ハーゲンダッツって高いですよね。このキャンペーンは、高いハーゲンダッツが十円で買えるくらいお得なキャンペーンなんですよ」
とおっしゃった。

 私は申込書に必要事項を記入し、入会金プラス年会費として六千円を支払った。仮カードが発行され、入会特典としての水のプレゼント券をもらった。これで次回から、回数券を十パーセントオフで購入することができるのだ。こうして私は、ずっと気掛かりだったことを一つクリアすることができたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 入会特典としての水のプレゼント券だけでも、かなりお得だと思います。この券があれば、自宅から重い水を持参しなくて済むわけですから。(笑)ということは、夜のレッスンで汗がなかなか出ないことは別にしても、仕事帰りにレッスンを受け易くなったということでしょうか。

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2010.11.06

GODIEGO CONCERT 2010 in KOBE

映画『カラフル』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 映画サイトで拝見したレビューに、私が書いたような感想を書き込んでいる人がいなかったと書きましたが、普段、私が交流している人たちの中にも、そういう視点でものを考えている人は少ないと感じています。本当は、この手の話題を一番語り合いたいのですけどね。(苦笑)

 十一月にゴダイゴが神戸でコンサートを開催するという情報をmixiのゴダイゴコミュニティーの書き込みで知った。私は半信半疑のままチケット販売サイトにアクセスし、まだそのチケットが売り切れになっていないことを確認した。チケットが発売されてから既に四ヶ月ほど経っていたので、もはや売り切れになってしまっているのではないかと心配していたのだが、一階席で前から二十一列目のほぼ中央の席を確保することができた。

 コンサートのあと、メンバーが日帰りするためだろうか。チケットには、開演時間が十六時半と記されていた。開演時間を間違えないようにしなくてはと思いながら、私はホットヨガのレッスンをいつもより早い時間に行われるレッスンに繰り上げて、コンサートに臨んだ。

開演時間は十六時半。終演時間は十八時半

 今回のコンサートに、私はガンモと一緒に参加することにしていた。しかし、ガンモはゴダイゴのコンサートのあと、徹夜の仕事が入っていたため、私がホットヨガのレッスンを受けている間に自宅で睡眠をとり、開演時間の直前に会場で直接落ち合うことになっていた。いよいよ開演時間がさし迫って来たので、私が会場に向かおうとすると、ガンモから私の携帯電話にメールが届いた。そのメールには、「自転車のチェーンが外れたので遅れる。まだ○○駅」と書かれてあった。○○駅からコンサートが行われる会館のある三宮駅までは少なくとも十分は掛かるだろう。それに加え、三宮駅から会館までの徒歩を含めると、最低でもあと十五分は掛かることになる。開演の時間が差し迫っているというのに、私はイライラしていた。

 とうとう開演時間が過ぎてしまったが、ガンモはまだ会館には現れなかった。私は会館の入り口でやきもきしながらガンモの到着を待っていた。ガンモが会館に到着したのは、開演時刻を八分ほど過ぎた頃だった。私たちは入口でチケットを提示して、会館のエスカレータを小走りに駆け抜けた。会場からは、現在、演奏中の曲が聞こえて来た。それは、これまで生で聴きたくても聴くことのできなかった「ポートピア」だった。

 私は、
「『ポートピア』を歌ってるというのに、遅刻するなんて!」」
とガンモを恨めしい様子で睨み付けた。ご存知の方も多いかと思うが、「ポートピア」は、一九八一年に神戸で開催された博覧会で、そのときのテーマソングをゴダイゴが歌ったのである。その歌詞は一般公募され、当時中学生だった私も応募し、見事落選してしまった。ゴダイゴが再結成されたときの神戸公演で「ポートピア」が生で聴けるかと思っていたのだが、聴けなかった。今、会場ではその「ポートピア」が歌われているのだ。

 会場に入るとき、スタッフに、
「今、お入りいただいても、演奏中は席にご案内できませんのでご了承ください」
と言われてしまった。確かにその通りだ。私だって、映画の鑑賞中に遅れて入って来る人たちが気になってしまう。それが映画だろうとコンサートだろうと、遅れて入って来た人が先に席に着いて楽しんでいる人たちの邪魔をすることには変わりがない。私たちはスタッフの言葉にうなずいた。

 会場に入ってみると、私たちが入場したばかりの扉の周辺では、他の観客が立ち見をしていた。おそらくこの方たちも、遅れて入場されたのだろう。そして、演奏中の曲が終わるのを静かに待っているのだ。

 スタッフは、私たちのチケットを小さな懐中電灯で照らして座席を確認したあと、現在、演奏中の曲が終わるのを待った。演奏中の曲が終わると、私たちは若いスタッフに案内されて、会場の席の近くまで出向いた。しかし、すぐに次の曲が始まってしまったことと、若いスタッフが会場にまだ不案内だったためか、次の曲が始まるまでに着席することができず、再び一階席の最後尾にある扉のところまで戻る羽目になってしまった。この時点で、私はかなり不機嫌になっていた。何故、長年聴きたかった「ポートピア」を最初から聴くことができず、次の曲が始まってもまだ着席することができないのだろうと。私は、ガンモが遅刻して来たことを恨めしく思った。

 しかし、彼らの演奏を耳にするにつけ、そんな恨めしい感情もどこかに消え、私の目頭はどんどん熱くなった。演奏されているのは、三十年前の懐かしいナンバーである。あの頃の私は、まだ中学生で、青春真っ只中だった。確か、演奏されているアルバムが発売された頃、ラジオのFM放送で彼らの過去の発表曲を含む特集が組まれ、私はカセットテープにその番組を録音した。しかし、途中でカセットテープが足りなくなってしまい、それほど多くない小遣いでやりくりするために、格安のカセットテープを買いに、遠くの町まで自転車を走らせたこともあった。そんなことが、曲を聴いた途端、走馬灯のように蘇ったのである。三十年前の記憶を一瞬にして呼び覚ますのだから、音楽の持つエネルギーとは計り知れないものである。結局、彼らはしばらくの間、当時のアルバムから何曲か聴かせてくれた。

 次の曲が始まると、私たちはようやく席に案内された。端の席ではなかったので、既に座ってコンサートに聴き入っている何人かの方たちに謝りながら、自席に着くことになってしまった。本当に申し訳ない。自席に着いて周りを見渡してみると、三階席までびっしりと席が埋まっていた。再結成コンサートの神戸公演よりも大きな会場のはずなのに、どうやら満員のようだ。ちなみに、年齢層は私たちとほぼ同じ四十代か私たちよりも少し上の五十代くらいの方たちが中心だった。中には、子供さん連れのご家族もいらっしゃった。熟年のご夫婦で参加されている方たちが多かった。

 私が三十年前を思い出しながら感慨に耽っているのに対し、当時、ゴダイゴのファンではなかったガンモにしてみれば、自分の知っているヒット曲を早く演奏して欲しい気持ちでいっぱいだったようだ。そう言えば、私が普段、映画をたくさん鑑賞していることを知っている人が、自分が最近、鑑賞した作品について、私に確認もなく語り始めることがある。相手は、普段からあまり映画を鑑賞する習慣のない人であることが多い。私が映画をたくさん鑑賞しているので、当然、その作品も鑑賞しているものと思い込んで話を始めるようなのだ。しかし、たいていの場合、普段からあまり映画を鑑賞する習慣のない人が話題にする映画というのは、私の鑑賞リストからはすっかり外れてしまっていることが多い。そのときにいつも感じるのは、普段からあまり映画を鑑賞する習慣のない人から見えている映画というのは、宣伝効果の高い有名な作品だけだということだ。それと同じように、ファンではない人がゴダイゴを語ろうとすると、「モンキーマジック」や「ガンダーラ」、「ビューティフルネーム」、「銀河鉄道999」などの大ヒット曲にスポットが当てられることになるのだろう。しかし、ファンにとっては必ずしもそうではない。私が、ミニシアター映画館で上映されている作品を好んで鑑賞しているように、ゴダイゴの音楽もまた、メジャーではないところにその中心があるのだ。

 一度解散してしまったゴダイゴは、現在ではそれぞれ違う事務所に所属してソロ活動を続けているようだ。懐かしいナンバーを演奏したあと、彼らは現代におけるそれぞれの活動を披露してくれた。そんな中で、ベースのスティーブからは驚きの報告があった。実は・・・・・・と書いてしまいたいところだが、このあと東京でもコンサートが行われる予定になっているようなので、ここでは触れないでおくことにしよう。

 終盤に差し掛かると、「ホーリー&ブライト」、「ビューティフルネーム」、「ガンダーラ」、「銀河鉄道999」、「モンキーマジック」が熱唱された。「銀河鉄道999」では、これまで座って彼らの音楽に耳を傾けていた観客が我慢し切れずに総立ちになった。もちろん、私も立ち上がった。立って手拍子をしたり、腕を振り動かしたりしていると、私の中から突き抜けて行くような感覚が湧き上がって来た。ああ、何故、こんなにも彼らの音楽は私を魅了し続けるのだろう。コンサートの回数が少ないために、コンサートに参加する前までにエネルギーを溜め込み、それを放出しているからなのだろうか。

 そして、本編が終わると、すぐにアンコールがかかった。彼らは直ちにアンコールに応えて出て来てくれて、「威風堂々」を演奏してくれた。「威風堂々」はこれまでにもコンサートで聴いたことがあったはずだ。私は、「威風堂々」と「ポートピア」の曲順が入れ替わっていれば良かったのにと思った。

 こうして、久し振りのゴダイゴのコンサートは幕を閉じた。「威風堂々」のあと、再びアンコールの声がかかると、全員がステージに出て来てくれた。そして、どこかの劇団によるお芝居のあとに行われるように、みんなでステージの上に並び、観客に向かって深々とおじぎをして退場して行った。私は大満足だった。今回も、たくさんの感動をありがとう。果たして、次に彼らに会えるのは、いつのことだろうか。

GODIEGO CONCERT 2010 ポスター

※過去の関連記事

子供の頃からずっと会いたかった
世界遺産劇場 結成30周年記念 ゴダイゴ特別コンサート「轟き」in東大寺
タケカワユキヒデコンサート ~神戸から叫ぼうビューティフルネーム~

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 彼らが全盛期の頃、コンサートに足を運ぶにはあまりにも幼過ぎた子供たちも、今では立派に大人になって、家族を伴ってコンサートに参加しているようです。彼らは突然、音楽活動を休止してしまいましたが、そんな彼らもまた、それぞれがステップアップを続けて来たことからすると、今となってはそれがプラスに働いているのかな、とも思えるようになりました。彼らが音楽を諦めないでいてくれて良かったと思います。

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2010.11.05

映画『カラフル』

「下腹スッキリクッション」を試してみるの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m あまりにも座り心地がいいので、実のところ、映画を鑑賞するときにも持参したいくらいなのです。(苦笑)しかし、そこまですると、さすがに荷物が増えますよね。ただでさえ荷物が多いので、自粛しなければなりません。(苦笑)

 本作を鑑賞したのは、九月十日のことである。もともと私はアニメにはあまり興味がなく、実写版の映画ばかり好んで鑑賞していた。しかし、毎回千円で鑑賞できる映画館で、既に本作以外の作品を鑑賞してしまったため、まだ鑑賞していなかった本作のレビューを参考にさせていただいたところ、思いのほか評価の高い作品だということがわかり、鑑賞に至ったわけである。とは言え、もしもレビューに書かれていることがすべて真実ならば(すなわち、映画の宣伝のために、映画制作に携わった関係者らが意図的に評価の高いレビューを書き込んでいるのではないとすれば)、私は本作を鑑賞して感動されたという多くの方たちとは違う感想を抱いてしまったかもしれない。

 それなりに感動する作品ではあったのだ。涙したシーンもある。しかし、全体的に振り返ってみると、他の方たちが絶賛されているほどの高ぶりは感じられない。テーマも流れもいいとは思うのだが、いろいろな意味で違和感を感じてしまったのだ。

 本作は、自殺した中学三年生の少年・小林真の肉体に、再び魂が吹き込まれ、その魂が小林真として再生して行く様子が描かれている。普段から、輪廻転生についてまじめに考えている私は、まずはそこで「えっ?」と思ってしまったのである。肉体を去ろうとしていた魂が、霊界に行かずに元の肉体に舞い戻るというのは良くあることだ。しかし、かつての小林真の魂は既に肉体から去ってしまっているが、同じ小林真の肉体に、今度は別の魂が使命を持って入り込んで行くように描かれているのだ。

 更に、輪廻転生のループから外れることの捉え方についても違和感を覚える。精神世界に足を踏み入れ、輪廻転生を受け入れた人ならば、輪廻転生のループから外れることは、これ以上、肉体を通して学ぶ必要がないほど魂が成長した証でもあるため、魂としては非常に喜ばしい状況として捉えることができる。しかし、本作の解釈ではそうではなく、輪廻転生のループから外れることが悲しむべきこととして描かれている。何故、人が輪廻転生を繰り返しているかというベースになる思想がまったく異なっているように思える。

 また、ガイドの存在についても違和感を覚えてしまう。本作では、関西弁をしゃべる横柄な態度の男の子のガイドが、再生した小林真のガイド役を務めることになるのだが、そのガイドに対し、激しい嫌悪感を覚えてしまう。もちろん、ガイドの存在そのものを否定するわけではないのだが、精神世界に足を踏み入れ、輪廻転生を受け入れた人ならば、ガイドという存在がここで登場するのはおかしいと感じてしまうはずだ。何故なら、通常、ガイドというのは、退行催眠などで中間世(転生と転生の間のスピリチュアルな世界)を訪れるときに寄り添ってくれる存在だからだ。おそらく本作の原作者は、どこかでガイドの存在を聞きかじって、ガイドという存在にオリジナルの役割を持たせたのだと思われる。

 そのガイドが、関西弁をしゃべるというのも受け入れられない要素の一つである。もともと私自身が関西弁を苦手なこともあるのだが、ガイドであるにもかかわらず、スピリチュアルな要素がまったく感じられないのは、いかがなものだろう。そういう観点で振り返ってみると、本作に登場するガイドは、精神世界でお馴染みのガイドではなく、自殺により亡くなってしまった小林真の肉体に、別の魂が入り込んで来たために、かつての小林真の情報をインプットするための存在であることがわかる。まったくもって、精神世界からはかけ離れたオリジナルのアイディアである。

 自殺した魂が、自分自身の過去世を振り返るとき、そこには嗚咽するほどの感情がこみ上げて来てもおかしくないはずである。例えば、小林真が何故自殺するに至ったのかを思い出したとき、そこには嗚咽するほどの感情がこみ上げて来ておかしくはないはずなのだ。実際、私だって、いくつかの過去世を思い出したとき、魂の奥底からこみ上げて来るような感情に襲われ、しばらく泣きじゃくったものだ。しかし、本作ではそこまでの感情は表現されていない。ただ、自殺した小林真の肉体に、別の魂が入り込んで来るという設定に関しては、あとでカラクリがあることがわかる。

 ところで、映画サイトによれば、「カラフル」というタイトルの解釈が二つに分かれているようだ。一つは、「カラフル」を自分自身の多様性とする解釈で、もう一つは、「カラフル」を他者の中にある多様性を認めようとする解釈である。私は、前者の解釈だと思っている。他者の中にある多様性を認めようとすると、例えばこの方のような究極的なご意見も出て来る。もちろん、この方のご意見に、うなずけなくもない。しかし、自分自身で気付かなければ、人は変われないのだ。援助交際をしているひろかが、援助交際を通して深く傷つき、それが本当は自分が心から望んでいる行為ではなかったことに自分で気付かなければ、いくら外から言っても意味はない。何故なら私たちには、ネガティブな感情を通して体験し、魂がステップアップして行くこともたくさんあるからだ。

 一方で、これまで友達に恵まれなかった小林真に、早乙女くんという友達ができるプロセスはいい。その過程において、これまでうまく行っていなかった兄との関係も修復されて行く。できのいい兄と、成績がクラスで最下位の小林真の間に溝が生じてしまうのはごく自然なことである。しかし、これまで距離のあった兄が、小林真の得意な美術を活かせる高校を一生懸命探してくれる。ただ、その高校に進学すれば、小林真は早乙女くんとは別々の高校に通うことになってしまう。好きな美術と大切な友達・・・・・・。しかも、その高校は、これまで兄弟といえども距離の遠かった兄が探してくれた高校なのだ。これまで手に入らなかったものが一度に提示される中で、小林真は最も優先させたいものを選ぶ。感動のシーンである。

 小林真のお父さんの役柄も素晴らしい。妻が不倫していたことを知っていたかもしれないのに、その不倫関係が終わったことを知ったからなのか、決して妻を追い詰めるようなことはせず(すなわち、自己愛に走ることはせず)、自殺を図った小林真に愛情を注いで行く。何と心の広い人だろうと思った。

 人が生きて行く上で、いろいろな後悔はある。精神世界の観点から言えば首をかしげたくなる描写が多いものの、小林真が自殺を図ったことをきっかけに、小林真だけでなく、小林真を取り囲む周りの人たちまでもが再生して行く様子を描いた作品であると言えるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 自分の中で、輪廻転生というものが精神世界の観点から確立されていると、驚きと戸惑いを感じてしまう作品ではありました。しかし、本作を鑑賞された方たちのレビューを拝見していても、私と同じような感想を抱かれた方はいらっしゃらなかったように思います。やはり、精神世界の観点から輪廻転生について考える人は少ないのでしょうか。

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2010.11.04

「下腹スッキリクッション」を試してみる

マンションの大規模修繕(7)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m こういう記事を書くと、私の価値観は、なかなか人には受け入れられないだろうなあといつも思ってしまいます。何が好きで、何にこだわりを持っていて、生きて行く上で何が最も大切かというのは、本当に人によってそれぞれ違いますよね。自分の中に優先させたいものがあるということは、優先させなくても良いものもあるということであります。自分が人にはなかなか理解されにくい分、私と同じように、多くの人たちには理解されないような価値観を持っている少数派の人たちの存在を認めて行きたいですね。

 ホットヨガのレッスンを受けていても、骨盤の歪みが気になるということを、これまでの記事に書いて来た。骨盤に歪みがあるために、骨盤の血行が悪くなり、筋腫が大きく成長してしまったり、卵巣の働きが鈍くなっているのではないかと思うようになった。ずっと以前からそうだったのだが、私のお腹や骨盤周りは冷たい。特に冷たいのが、お尻と腰周りである。こうしたことからも、やはり骨盤に血液が行き届いていないのは事実のようである。

 以前も書いたが、目を瞑ってしばらく足踏みをすると、私の身体はどんどん前に移動してしまっていた。これは、身体が前屈みの体勢になってしまっていることが原因らしい。そして、身体が前屈みになってしまう原因も、おそらく骨盤の歪みにあるのだろうと思い、私はある商品を購入してみた。その名も、高さの違う山が骨盤の下の坐骨をピン!骨盤矯正スリムクッション!【送料無料】福辻式下腹スッ...である。

 筋腫が大きいせいもあるのだが、確かに私のお腹はぽっこり出ている。この高さの違う山が骨盤の下の坐骨をピン!骨盤矯正スリムクッション!【送料無料】福辻式下腹スッ...は、その上にただ座るだけで骨盤の歪みを矯正し、ぽっこりと出てしまったお腹を引っ込めてくれるというのだ。私は、自宅用と職場用にそれぞれ一つずつ注文してみた。

 商品が届き、早速使い始めたのだが、まずはその座り心地の良さに驚いた。かつて、同じような商品を購入したことがあるのだが、それは固くて、長時間座り続けることができなかった。しかし、高さの違う山が骨盤の下の坐骨をピン!骨盤矯正スリムクッション!【送料無料】福辻式下腹スッ...は、材質も柔らかく、長時間座り続けることができる。

 自宅で使用して気持ちが良かったので、届いた翌日に職場にも持参して、仕事中も愛用するようになった。自宅では、高さの違う山が骨盤の下の坐骨をピン!骨盤矯正スリムクッション!【送料無料】福辻式下腹スッ...の上に胡坐をかくことが多いのだが、職場では、椅子の上に置いて使用している。どちらもとても快適である。あまりに気持ちがいいので、私は仕事で会議をするときにもこの高さの違う山が骨盤の下の坐骨をピン!骨盤矯正スリムクッション!【送料無料】福辻式下腹スッ...を持参して、会議で使う椅子の上に置いてからその上に座るようにしている。

 私の場合、高さの違う山が骨盤の下の坐骨をピン!骨盤矯正スリムクッション!【送料無料】福辻式下腹スッ...を連続して使用していると、左側の骨盤に大いに違和感を感じる。以前から、私は自分の左側の骨盤に問題があることを何となく感じ取ってはいた。というのも、普通に立っているだけでも左側の肩が下がり気味である上に、いつも左の鼻が詰まり易くなっているからだ。

 それでも、高さの違う山が骨盤の下の坐骨をピン!骨盤矯正スリムクッション!【送料無料】福辻式下腹スッ...に座っていると、背骨がしゃんと伸びて来て、下腹もいくらか引っ込んで来たように思う。しかし、使い始める前のお腹周りを測定しておくのを忘れてしまったので、正確なことはわからない。私はこの高さの違う山が骨盤の下の坐骨をピン!骨盤矯正スリムクッション!【送料無料】福辻式下腹スッ...がすっかり気に入ったので、十月に二回出掛けた旅行にも忘れずに持参した。

 さて、高さの違う山が骨盤の下の坐骨をピン!骨盤矯正スリムクッション!【送料無料】福辻式下腹スッ...を使い始めてから、劇的に変わったことがある。それは、目を瞑ってしばらく足踏みをしても、私の身体がほとんど前には移動しなくなったことだ。以前は本当に、そのまま足踏みを続けているとどこかにぶつかってしまいそうなほど、前へ前へと移動してしまっていたのだが、今では足踏みを終えたあとに目を開けてみても、多少は前に進んでしまっているものの、最初に足踏みを始めた位置からそれほどかけ離れてはいない。これは、私にとって驚異だった。また、これまでは骨盤を開きにくかったのか、歩くときもなかなか歩幅を広げられずにゆっくりとしか歩くことができなかったのだが、最近では歩幅を広げてずんずん歩けるようになった。ただ、左肩が下がりやすい癖や、左の鼻が詰まり易い症状に関しては、まだ緩和されてはいない。

 それでも、今の私には、身体が前に傾かなくなったことだけでも素晴らしい。座るだけで骨盤が矯正されて行くのだから、実にお手軽な健康法である。しかも、高さの違う山が骨盤の下の坐骨をピン!骨盤矯正スリムクッション!【送料無料】福辻式下腹スッ...を使って背骨をしゃんと伸ばすと、お腹にも力が入ることがわかった。これまで私は、筋腫をかばうために、知らず知らずのうちに背骨を伸ばさない姿勢を取ってしまっていたのかもしれない。

 お腹周りをメジャーで測ることをしていなかったが、最近、メジャーも買ったので、これからはお腹周りを測定しながら使用を続けてみようと思う。とにかく、骨盤に悩みのある方にはお勧めのクッションである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私は、骨盤の不具合が原因だろうと思われる症状を、ノートに書き出してみました。高さの違う山が骨盤の下の坐骨をピン!骨盤矯正スリムクッション!【送料無料】福辻式下腹スッ...を使用することで、今ではそれらの症状が少しずつ改善されているのを実感しつつあります。背骨をしっかり伸ばして姿勢を正すということは、とても大切なことだったんですね。

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2010.11.03

マンションの大規模修繕(7)

映画『トイレット』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 公式サイトによれば、本作の撮影はカナダで行われたそうです。えっ? ということは、物語の舞台もアメリカではなくカナダで、三人の孫たちも実はアメリカ人ではなくカナダ人だったりするのでしょうか? そして、「ばーちゃん」の財布の中に詰まっていたのも、アメリカドルではなくカナダドルだったのでしょうか? ただ、三人の孫たちが話していた英語は、バリバリのアメリカ英語だったように思います。(苦笑)

 マンションの大規模修繕が始まってから、市のゴミ処理施設に粗大ゴミを何度か持ち込んだものの、私たちの部屋の玄関の外にはまだまだいろいろなものが並んでいた。玄関の外はマンションの共有部分にあたり、今回の大規模修繕の対象エリアとなっているため、本来ならば、できるだけ片付けておかなければならない。しかし、もともと家の中には置けないものを玄関の外に出しているわけなので、どれを取ってもすぐには片付けられないものばかりである。

 とは言え、このまま大規模修繕に協力しないままでいるのも良くないと思い、またまたガンモが率先して片付けを始めた。ところが、モノが多い我が家は、いくら片付けても片付けてもなかなか片付かなかった。それでもガンモは、最終的には玄関もきれいに片付け、どうしても撤去できないものは台車に載せていつでも移動可能なようにした。また、父ちゃんたちが住んでいるベランダも、塗装が行われることになるため、何度も掃除を繰り返した上にきれいに整えた。

 工事を担当してくださる方たちは、とても丁寧に作業を進めてくださっていた。私たち区分所有者に対して、工事がどの程度進んでいるのかを工事用掲示板およびポストに入れられるお知らせにより示してくださった。また、マンションの中で私たちと顔を合わせることがあっても礼儀正しく、とても好感が持てた。

 しばらくすると、玄関や我が家のベランダにも工事を担当してくださる方たちが立ち入るようになった。そのため、平日、仕事に出掛けて行くときは、寝室のカーテンを閉めて、窓もしっかり施錠しておいた。平日はそれで良かったのだが、問題は休日である。私はそれほど気にも留めていなかったのだが、寝室にいるとき、ガンモは工事を担当してくださっている方たちの気配をベランダに感じると、声を潜めて話すようになった。私が、
「ここは私たちの家なんだから、もっと正々堂々としてていいんじゃないの?」
と言うと、ガンモは、
「ウチはまだまだ掃除が行き届いてないから、工事担当の人たちに存在を知られるのが恥ずかしいんだよ」
と言った。そして、あたかもアムステルダムでひっそりと潜伏生活を送っていたアンネ・フランクのように、息を潜めて、家の中には誰もいないかのように振る舞った。私が、ベランダで作業をされている工事担当の方たちに聞こえるくらいの大きな声で話をすると、ガンモは声を立てずに人差し指を口の前に立てて、「シーっ」という素振りを見せた。私は、大規模修繕が始まっても、家をきれいにすることに対してあまり神経質にはならなかったが、せっせと片付けをしているガンモは、いつの間にか私たちの生活を客観的に振り返っていたのだろう。それに対し、私は常に私たちの生活を主観でしか見ていなかったと言えそうだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m このあたりに私たちの性格の違いが出ていますよね。(苦笑)あるとき私はガンモに言いました。「ガンモとの生活はあまりにも楽チン過ぎる」と・・・・・・。そのため、私はガンモにすっかり甘えてしまっているのだと思います。更に、「ガンモがもっと亭主関白で厳格な人だったら、私は日々の生活にストレスを感じてすっかり痩せ細って、今みたいな幸せは実感できていないだろうと思う」とも言いました。今の私たちの状況は、夫婦生活があまりにも楽チン過ぎて、ついつい怠けてしまったのですよ。(苦笑)でも私は、例え家の中が片付いていなくても、ガンモとのこのような生活が本当に面白くてたまらないのです。

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2010.11.02

映画『トイレット』

ホットヨガ(二〇七回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 三宮店のレッスンスケジュールによると、仕事帰りに三宮店でリラックスコースのレッスンを受けられるのは木曜日です。木曜日は、私が加入しているシネマポイントカードで二倍のポイントがもらえる日なんですよね。汗のあまり出ない夜のホットヨガのレッスンと、ポイントが二倍もらえる映画鑑賞のどちらかを選ぶとなると、やはり後者になってしまいそうです。(苦笑)

 本作を鑑賞したのは、本作の公開初日となった八月二十八日のことである。劇場で何度も予告編を観ていたので、ごく自然な流れの中で鑑賞に至った。本作が上映されていたミニシアター系映画館で、映画をいつでも千円で鑑賞できるシネマポイントカードに加入しているため、最近はどっぷりとそのシネマポイントカードが使える映画館に浸かり切っている。

 三人のアメリカ人の孫たちとともに、孫たちから「ばーちゃん」と呼ばれる日本人のおばあさんがアメリカで暮らしている。「ばーちゃん」の娘である孫たちの母が亡くなり、孫たちはアメリカで「ばーちゃん」と一緒に暮らすようになったのだ。「ばーちゃん」は、朝のトイレが長く、ようやくトイレから出て来たかと思うと、「はーっ」と大きなため息を漏らす。

 「ばーちゃん」の役を演じているのは、もたいまさこさんである。本作のもたいまさこさんは、英語をしゃべれないおばあさんの役柄だからなのか、ほとんど台詞がない。しかし、もたいまさこさんには、台詞がなくても確固たる存在感がある。本作の台本を想像するならば、「ばーちゃん」役の描写はほとんどト書きで書かれていることになるのだろうか。

 三人の孫たちは、プラモデルオタク、引きこもりのピアニスト、エアギターに熱中というふうに、それぞれが自分の世界を持っている。その中でも私が最も注目したのは、引きこもりのピアニストである長男の存在だ。彼は、母の遺品の中から古い手動ミシンを見付けたかと思うと、「ばーちゃん」にその使い方を教わり、思い付いたように何かを一心に縫い始める。彼が縫い上げたものを見たとき、私は感動したものだ。のちにそれは、彼が最も自分らしくあるためのお守りのようなものとなる。そのことをきっかけに、彼は引きこもりの状態から解放され、自己表現への道を開いて行くのだ。そして、その過程において、これまでコミュニケーションが成り立っていなかった「ばーちゃん」とも繋がって行く。

 同じ屋根の下に住んでいても、繋がりの薄かった「ばーちゃん」と、三人がそれぞれが別々の方法で接点を見出して行くのが面白い。言葉が通じなくても、そこには、決して自分を偽らないコミュニケーションが成立している。そのコミュニケーション方法は、「接点で繋がる」という表現がぴったりかもしれない。接点による接触だから、相手と接触している部分は、面よりも狭い。しかし、本作のようなコミュニケーションを体験すると、「面で繋がる」コミュニケーションがどこか偽善的だと感じてしまうかもしれない。互いの違いを認めようとすると、「接点で繋がる」コミュニケーションになるものだが、共通点がベースにあると、「面で繋がる」コミュニケーションになるのだ。「接点で繋がる」コミュニケーションは、互いに対等なコミュニケーションとなるので、共通点をベースにした「面で繋がる」コミュニケーションが対等でないと感じられる場合には、違和感を感じてしまうのではないだろうか。

 作品のタイトルと本編の絡みは、終盤に近付くにつれ、はっきりして来る。用を足したあとに、便器の中からノズルがしゅるしゅると出て来て、排泄による汚れを取り除いてくれるのは、どうやら日本だけの文化らしい。そう言われてみると、海外ではウォシュレットに相当するようなトイレに出会ったことがない。トイレから出て来たあとの「ばーちゃん」のため息が、日本独特の「ウォシュレット」を懐かしむ気持ちだと勘違いするプラモデルオタクの次男の取る行動は面白い。

 ちなみに本作の監督は、映画『かもめ食堂』や映画『めがね』の荻上直子監督である。私は、映画『めがね』しか鑑賞していないので、荻上直子監督の作風まではわからないが、やはりアメリカ人が登場すると、スクリーンはずいぶんにぎやかなものとなるようだ。本作は、そんなにぎやかな環境にあって、じっと言葉を発することなく演技を続けるもたいまさこさんの存在感が圧倒的なものになった作品と言えるだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m うらやましいことに、「ばーちゃん」の財布の中には、ドル札がいっぱい詰まっているんですよね。孫たちは、「ばーちゃん」の支援を受けながら、自己表現への道を切り開いて行きます。本作のポスターを見ると、「みんな、ホントウの自分でおやんなさい」と書かれいます。それは言い換えると、「みんながホントウの自分でいてくれるならば、自分との繋がりは接点でもいい」と言っているようにも思えます。おそらくこれが、違いのある他者を認めるということなんでしょうね。

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2010.11.01

ホットヨガ(二〇七回目)

ゴッホやレンブラントには遠くても、大型チェスに癒されるの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 改めて撮影した写真を眺めてみると、地元の方たちが大型チェスを楽しんでいる場所には、もともと、チェスのための碁盤(じゃないですよね。囲碁じゃないんだし。(苦笑))が描かれているのですね。しかも、この大型チェスの駒(と言うのでしょうか?)は、チェスを終えたあと、どこに仕舞うのでしょうね。どこにも収納せずに、出しっ放しにしておくのでしょうか。

 ここのところ、少しずつ平日の仕事帰りを有効活用しようと、思い切って、レディースデイに映画を鑑賞したりしている。フレックスタイム制が廃止されてからというもの、五時起き生活が始まってしまったため、平日はできるだけ早めに帰宅して「ガンまる日記」の下書きをしたあと、翌日の仕事に備えるというのが常だった。しかし、心の中にはいつも、もっと平日の仕事帰りを有効活用したいという思いもあり、思い切って仕事帰りに寄り道をしてみたのだ。その結果、週に一日程度なら、仕事帰りに寄り道をして寝不足になったとしても、何とかリカバリできることがわかって来た。

 その調子で、とうとう、ホットヨガのレッスンにも参加してみた。フレックスタイム制が廃止される前までは、仕事帰りに神戸店のスタジオに立ち寄って、ホットヨガのレッスンを受けていたものだった。神戸店のすぐ隣にはお気に入りの映画館もあり、ホットヨガのレッスンにも通いたいし、映画も観たいという葛藤を抱えてもいた。今になって思えば、あの頃がとても懐かしく思う。

 仕事帰りにホットヨガのレッスンを受けようと思ったのは、二週連続でガンモと一緒に週末を利用して泊まりで出掛ける予定を入れていたため、レッスンに間隔が空いてしまうと思ったからだ。私は、三宮店でリラックスコースのレッスンが受けられる木曜日の夜を選んでレッスンに参加した。

 レッスンの参加者は十五名で、平日の夜のレッスンとしては多いと感じた。きっと私以外の方たちは、ほぼ日常的にこのレッスンに参加されているのだろう。私は、平日の夜を自由にできる人たちがちょっぴりうらやましかった。ちなみに、レッスンを担当してくださったのは、自分の書いた台本を読む堅実なインストラクターである。

 神戸店のスタジオに通っていた頃から、夜のレッスンに参加しても、あまり汗が出ないことを実感していたが、やはり今回も、スタジオ内がひどく暑くなっているにもかかわらず、ほとんど汗は掻かなかった。おそらく、汗をたくさん掻こうと思ったら、午前中の排泄の時間にレッスンを受けるほうがずっと効果は高いのだろう。夜に汗をあまり掻かないのは、午前中と違って夜が蓄積の時間であるという身体のリズムと関係しているのだと思う。おそらく夜は、身体が水分を逃がしたがらないのだと思う。

 スタジオの中がとても暑かったので、やはりいつものように、つるべ落としのポーズの前になるとスタジオの外に出て、しばらく涼んだ。それにしても、上半身にほてりがあるというのは、なかなかやっかいなことである。一時的に寒くなったので、この秋、二日間だけ長袖を着て出掛けてみたが、今は再び半袖に戻っている。以前よりも気温が低くなっているので、さすがに半袖を重ね着しているが、腕が暑いので、常に生腕をさらしておきたい。心配なのは、この先、オフィスに暖房が入ることだ。今でさえ、オフィスに着くと半袖Tシャツ一枚になって仕事をしているというのに、暖房が入ってしまえば、私はこれ以上、何を脱げば良いのだろう。

 それはさておき、久し振りに平日のレッスンを受けて感じたことは、自宅から水を持参するのが重いということだった。私はいつも、ホットヨガのレッスンを受けるとき、浄水器を通した一リットルの水を自宅から持参する。週末に受けているレッスンでは、ホットヨガのレッスンセットと映画鑑賞のためのひざかけを用意して出掛けて行くのだが、仕事帰りにホットヨガのレッスンを受けるとなると、通常のレッスンセットに加え、仕事に出掛けて行くために必要なものも同時に揃えておかなければならない。ということは、オフィスに着いてから食べている朝食のバナナや昼食のお弁当も一緒に持参することになるのだ。それらをすべて一つのバッグに詰め込んで持参するのは、正直言ってかなり重い。それならば、せめて水だけでも、レッスンの直前に自動販売機などで購入すれば良いのではないかと思われるかもしれないが、水に対するこだわりもあったりして、できるだけ自宅から持参したいのだ。

 夜は身体が水分を逃がしたがらないように出来ているのだとすると、仕事帰りにホットヨガのレッスンを受けるのは、あまり効率的ではないと感じた。やはり、ホットヨガのレッスンは、身体のリズムに合わせて、休日に余裕を持って受けたいものである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 以前から、夜にレッスンを受けてもあまり汗を掻かないことは実感していましたが、今回、レッスンに参加してみてそれが決定的になりました。ホットヨガでなくても、ヨガは午前中の空腹時に行うのが一番いいと聞いたことがあります。私の場合、ホットヨガなので、汗をたくさん掻くことができることを最初から期待しているんですよね。今後も仕事帰りにレッスンを受けるかどうかはわかりません。(苦笑)

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