« マンションの大規模修繕(3) | トップページ | マンションの大規模修繕(4) »

2010.10.18

映画『キャタピラー』

マンションの大規模修繕(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。一つ一つの記事をちゃんと読んでくださっているのだなあと、確かな手応えを感じることができました。私の書く記事はいつも長いので、読むことが本当に好きな人でないと、読み続けることができないのではないだろうかといつも気になっていました。現在、「ガンまる日記」には、毎日述べ三百人弱の方たちがアクセスしてくださっているようですが、検索エンジンからアクセスされている方が多いので、「ひょっとすると独りよがりになってしまっているのでは?」という懸念もあったのです。しかし、おかげさまで、そうではないかもしれないと思えるようになりました。本当にありがとうございます。m(__)m おそらく、ブログを書き続けることは、ミュージシャンが行っているライブ活動と似ているのではないかと思っています。ミュージシャンは、観客との呼応でライブ活動を盛り上げますよね。それに似た感覚が、読まれることを常に意識して書いているブログの書き手にもあるのではないかと思います。

 映画『ボローニャの夕暮れ』を鑑賞した八月十五日、ちょうど終戦記念日だったので、戦争に関する本作を鑑賞したいと思っていた。ところが、映画館に足を運んでみると、立ち見が出るほどの大盛況ぶりだったので、時期をずらして八月二十一日に鑑賞した。

 本作の予告編を劇場で何度も何度も観ていたために、実際に鑑賞するまでの間に、私の頭の中で勝手にイメージが膨らんでしまったのかもしれない。本作の正直な感想を述べさせていただくならば、私が勝手に想像していた内容とは違っていて、ちょっとがっかりだった。私は、男女の愛の物語だろうと思い込んでいたのだ。しかし、そうではなく、愛というよりもむしろ欲望を描いた作品だった。何よりもがっかりしてしまったのは、夫婦の間に愛が通っていなかったことだ。それなのに、妻は夫の要望に応え、前戯もないままに身体を開いて行くのだ。美しくない。

 本作を鑑賞されていない方であっても、本作のポスターはどこかでご覧になっているかもしれない。大西信満さん演じる夫の久蔵が戦争に出掛け、見るも無残な姿で帰って来る。顔は焼けただれ、手足も失い、自由のきかない身体になってしまったのである。寺島しのぶさん演じる妻のシゲ子は、そんな夫をなかなか受け入れることができないのだが、久蔵が戦争で勲章をもらい、人々から「生ける軍神」と崇められていることだけが、二人の間の共通の心の支えとなっていた。

 周りから見れば、シゲ子は自由のきかない身体になってしまった久蔵の世話をする献身的な妻に映っていたかもしれないが、シゲ子の心の中は、過去に久蔵から受けた仕打ちへの復讐心でいっぱいだった。一方、久蔵はというと、出征先で犯した強姦や虐殺の罪の重さに苛まれる毎日である。実に皮肉だと感じたのは、話すことのできない久蔵の苦しみをシゲ子がまったく理解していなかったことだ。もしも、夫婦が心を通い合わせていたならば、相手が何に苦しんでいるかを一生懸命理解しようとするだろう。しかし、意思の疎通ができていない夫婦は、勘違いしたままで夫婦関係を続けてしまうことになるのである。そこには、通常の人間関係にも良く見られる光景があった。片方の抱えている感情に対し、もう片方が過去の出来事を手繰り寄せることにより、自分の中で勝手に想像して相手の感情を想像する。想像されたもう片方は、相手が自分を理解せずに勘違いしていることがわかっていても、理解への道があまりにも遠いと感じているために、敢えて訂正しない。訂正して誤解を解こうとするエネルギーよりも、勘違いされたままで過ごすエネルギーのほうが少なくて済むと思っているのだろう。

 二人の間に愛が通っていたならば、久蔵は手が使えなかったとしても、シゲ子にキスくらいはできるだろう。それが困難な状況ならば、シゲ子から久蔵にキスを求めてもいいはずなのだ。しかし、二人の間には愛が通っていないゆえに、そうはならない。それでも二人は、セックスと夫がもらった勲章という名誉で結ばれていると言っても過言ではない。こんなふうに愛情のない夫婦関係が浮き彫りにされる中で、かつてはこのような夫婦関係があちらこちらに存在していたのだと想像すると、時代は変わっているのだと実感する。

 本編の感想はさておき、本作のレビューを書くにあたり、どうしても欠かせないのが、本作の主題歌である元ちとせさんの「死んだ女の子」という曲である。映画の内容はともかく、主題歌の持つエネルギーに強く惹き付けられた方も多いかと思う。予告編では、この主題歌に乗って、いくつかの象徴的なシーンが流れるのだが、不思議なことにこの主題歌が流れていると、本作をどうしても鑑賞したくなるのだ。かくいう私も、この主題歌につられて鑑賞した一人である。

 ただ、歌詞を注意深く追っていると、本作の内容からは少し離れていることがわかる。歌詞の中には原爆に遭ってしまった少女が出て来るのだが、本作は原爆をテーマにした作品ではない。そのため、もともとこの曲は本作のために作られた曲ではないのかもしれない。それでも、一度聴いたら忘れられないほどの強いエネルギーに引き寄せられるので、本作が今なおいろいろな映画館で上映され続けているのは、この主題歌の持つエネルギーも関係しているのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作はミニシアター系映画館で上映されている作品ですが、主題歌がこれほど注目されているのも珍しいですよね。歌詞もメロディも独特で、歌い手の元ちとせさんは、そこに魂を注ぎ込んで歌い上げているという感じです。私たちは、主題歌に注ぎ込まれたエネルギーに反応しているのでしょうね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

« マンションの大規模修繕(3) | トップページ | マンションの大規模修繕(4) »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18521/49783950

この記事へのトラックバック一覧です: 映画『キャタピラー』:

« マンションの大規模修繕(3) | トップページ | マンションの大規模修繕(4) »