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2010.09.15

映画『ザ・ロード 』

自動販売機のクロケットとピリ辛ヌードルの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 「ガンまる日記」始まって以来の一大事が起こってしまいました。(苦笑)朝六時半の更新直後からおよそ十二時間に渡り、「ガンまる日記」の過去二日分の記事が消えてしまったのです。朝、記事を更新したときには気付かなかったのですが、どうやらそのときに同じ記事がいくつも重なってしまい、それに加えていつの間にか過去二日分の記事が消えてしまっていました。アクセスしてくださった皆さんには大変ご迷惑をお掛けしました。m(__)m そのことに気が付いたのは、勤務先でのお昼休みが終わる頃でした。ひとまず、重複している記事を携帯電話のココログ管理画面から削除したあと、消えてしまった過去二日分の記事をどのように復活させるかでしばらく悩みました。こういうときこそ冷静に対処すべきだと思い、夕方、仕事を終えるまでの間にこっそり作戦を練りました。(苦笑)そして、消えてしまった記事のうち、映画『ロストクライム -閃光-』の記事については、ダウンロード型のRSSリーダーから取得しました。私には、いつも楽しみに拝読しているブログがいくつかあり、それらのブログの記事を自分のパソコンにも保存しておきたいので、ダウンロード型のRSSリーダーを使用して記事の内容を取り込んでいるのです。その中に「ガンまる日記」も登録していたため、映画『ロストクライム -閃光-』の記事はそこから復活させました。そして、空振りしてしまったアムステルダムのコインランドリーの記事については、Googleのキャッシュに頼りました。いやあ、Googleのキャッシュは凄いですね。私は、記事をアップロードしたあと、何度か推敲しているのですが、推敲する前の記事がGoogleのキャッシュに残っていました。そこから掘り起こして記事を書き上げ、もう一度推敲しておきました。やれやれです。(苦笑)

 七月二十四日に鑑賞した作品だが、今なお上映中の映画館が全国にいくつかあるようだ。世界の終わりが描かれた暗い雰囲気の作品で、何となく、村上春樹さんの『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を映像化するとこのような暗い雰囲気になるのだろうかと想像してしまった。やはり、世界の終わりともなれば暗いのは当たり前で、明るく完全燃焼するような世界の終わりなど有り得ないのだろうか。

 本作の中では、何故、世界の終わりが訪れてしまったのかは説明されていない。世界の終わりを一生懸命生きようとする父と息子が、南を目指して旅を続けている。食料もほとんど尽きてしまい、とうとう人肉を食べる人間たちまで現れてしまった。そんな恐ろしい人間たちから自らの身を守りながら、二人はひたすら南へ南へと旅を続けて行く。

 このような世界を生きることになれば、人肉を食べる人間たちのように理性を失い、堕ちて行くこともあるだろう。しかし、二人は決してそうはならず、理性を保ったまま旅を続ける。旅の途中で何人かの人たちに出会うのだが、相手が善人なのか悪人なのかをしっかりと見極めながら接して行こうとする姿がとても印象的だった。普段、私たちが生活している世界においては、すれ違う人たちが善人であるのか悪人であるのかなどということを意識することはほとんどない。しかし、世界の終わりの旅においては、自らの身を守るためにとても重要なことなのだ。

 また、意外にも、世界の終わりの旅においては、「靴」が大切な必須アイテムとなっていた。歩くために必要な靴がもはや生産されることがないとなれば、今、持っている靴を大切に大切に使って行くしかないだろう。それでも、旅を続ければ靴はどんどんすり減ってしまう。旅を続けている人たちの中には、どうしようもなく劣化した靴を新聞紙で保護して使用している人もいた。ボロ着を身にまとい、破れ被れの靴で歩いている人の姿は、やけにリアルだった。

 食べ物もなく、外を歩けば人肉を食べる人間たちにも出くわす可能性があるために、南を目指す二人の旅はハラハラドキドキの連続だった。そんな中にあって、至福の時間とも言える素晴らしい時間を二人は過ごすことになる。それは、偶然見付けた廃屋の地下に蓄えられたたくさんの食糧を見付けたことから始まった。暗く緊張した世界の終わりの映像から一転して、明るく柔らかな蝋燭の光とともに二人の笑顔が映し出される。少なくとも食料が尽きるまでは、この状況がずっと続けばいいのにと思っていたのだが、強い警戒心から、二人は持てるだけの食料を持ってそこを離れてしまう。外に出れば、人肉を食べる人間たちがいるというのに・・・・・・。

 警戒心からそこを離れるきっかけとなった現象については、ラストに解き明かされることになるのだが、そこに至るまでの間に二人は様々な出会いと別れを経験することになる。今、こうして本作を振り返ってみると、本作は、例えどのような状況に陥ったとしても、自分自身を見失うことなく生きて行くことの大切さと、ある程度は新しい状況に順応しながら生きて行くことの大切さを同時に表現しているように思う。世界の終わりに順応できなかった人物としては、二人にとって最も身近な存在でもあったはずの息子の母が挙げられる。南へ向かう旅が父と母と息子の三人ではなく、父と息子の二人だけの旅になってしまったのは、母が世界の終わりに順応できなかったためでもあるのだ。

 また、このような究極的な状況下において、出会った相手が善人であるのか悪人であるのかを判断する際に、既にいろいろな人生経験を重ねて来た父と、まだまだ人生経験の浅い息子とでは判断基準が異なっていたのも興味深い。例えば、海辺で二人の持ち物を盗んだ黒人男性に対し、父は完全に悪人と決め付けてしまうのだが、息子は悪人の中にも善人の要素を見出そうとしている。

 父の役を演じているのは、暗い役柄を演じるとピカイチのヴィゴ・モーテンセンである。ここのところ、彼の出演作に触れる機会が多いのだが、ほとんどすべての作品において、彼は明るい役を演じてはいない。そんな中でも本作は、ヴィゴ・モーテンセンの肉体を駆使した演技よりも精神の演技に注目する作品であると言える。

 ちなみに本作の原作者は、映画『ノーカントリー』の原作者でもあるコーマック・マッカーシーだそうだ。本作には、映画『ノーカントリー』とはまた違った緊張感が表現されている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実際にこのような世界の終わりが訪れたとき、人々はどのような行動を取るのでしょうか。人と人が新たな信頼関係を結ぶのが難しいということが、ラストに表現されています。相手を善人だと判断していいものかどうか、とことん迷うんですね。世界の終わりであるだけに、相手が本当に善人であるとわかったときに思わずこぼれる笑顔が余計にキラキラと輝いて見えました。極端に陰に傾いた作品ではありますが、それだけに、陰と陽のバランスの大切さについても考えさせられました。それは、私たちが普段、当たり前のように接しているバランスだったのですね。バランスを崩したときにしか、バランスの大切さを実感できないのは、愚かなことであるようにも思いました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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