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2010.09.06

映画『孤高のメス』

ホットヨガ(一九八回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m おそらくサボり癖が付いてしまったのも、上半身のほてりが強いせいだと思います。もともと上半身がほてっているのに加え、三十八度に温められたスタジオでレッスンを受けているわけですから、ほてりのない人に比べれば、よりたくさんの体力を消耗しているはずです。そのため、レッスン中に「ちょっと休みたいなあ」という気持ちになってしまうようです。ただ、実際は休憩を入れるタイミングが難しく、苦手なつるべ落としのポーズを避けたつもりでも、スタジオに戻ってみると、つるべ落としのポーズの真っ最中だったりすることもあります。(苦笑)

 本作もまた、成田国際空港からフランクフルトに向かう飛行機の中で鑑賞した作品の一つである。劇場公開当時、話題性の高い作品と知りながらも、他に鑑賞したい作品を優先させてしまったため、見逃してしまっていた。しかし、国際線の飛行機を利用したおかげで、劇場公開中に見逃した作品を鑑賞することができたのだ。

 本作は、現役医師の書いたベストセラー小説が映画化されたものらしい。そのため、特にオペのシーンがやけにリアルだった。普段の私は、例え映画の中であっても、血を見たり、臓器が露(あらわ)になるオペのシーンを見届けたりはしないのだが、どういうわけか、本作の場合はそれらのシーンを冷静に見届けることができた。思えば、これまで目を背けて来たこれらのシーンには、患者への愛が足りていなかったのかもしれない。しかし本作には、至るところに、患者に対する外科医の当麻(とうま)先生の愛が溢れていた。だから、目を背けることなく、オペのシーンが終わるまで見届けることができたのだと思う。健康診断のときに、自分の腕に注される注射器の針が苦手で、横になって採血をしていただくほどの私からすれば、これは大きな進歩である。

 地方都市の市民病院に赴任して来た外科医の当麻先生は、常に患者の立場を考えた素晴らしいオペの技術で、一緒に働く同僚たちの意識レベルをぐんぐん引き上げて行った。本作は、医療ドラマとして描かれてはいるものの、一般企業にも通じる普遍的なテーマが隠されている。それは、組織に属する一部の人たちが徒党を組んで権力を持ち、不正を隠蔽していることだったり、また、それらの人たちが、これまでのやり方を変えて行こうとする革新的なスタッフの取る行動を快く思わなかったりするところである。当麻先生の登場により、これまでオペを楽しいとは思っていなかったスタッフが、オペのときに自分の力を最大限に出し切ることができるようになる展開は見ものである。

 そういう意味で、人と人が結ぶ相対性の違いを描いた作品であるとも言える。これまで、オペが楽しくなかったスタッフは、オペを仕切る一部の徒党を組んだ人たちの圧力により、自らの可能性を見出せないままでいたとも言える。しかし、当麻先生が彼らの持つ本来の力を最大限に引き出した。スタッフは、これまでも様々な可能性を秘めていたはずなのに、相対性により、その可能性を活かすチャンスに恵まれなかったということなのだ。素晴らしいチームワークとは、良き相対性の賜物なのだと思う。

 後半は、チームワークの素晴らしさだけでなく、物語の舞台となっている時代の法律では許可されていなかった脳死肝移植という難しいテーマに迫る。肝臓を著しく患った人の命を助けたいと思ったとき、法律ではまだ認められていなかった、脳死状態の患者の肝臓を移植することができるかどうかというところが論点になる。

 法律や制度は、時として、最も尊いものを守るために追い付かないこともある。それでも、法律や制度が最も尊いものから一歩遅れていることに気が付かずに、法律や制度を守ることにやっきになる人たちもいる。患者の命を救う使命を持つ医師にとって、どのような選択が一番ベストなのか、緊迫した状況の中で冷静な判断を下すことになる。

 最も身近な存在が脳死の状態で、他の患者に肝臓を移植することに同意した家族の決断も素晴らしい。当事者としては大変な決断だと思うのだが、臓器を提供することにより、せめて一部の臓器だけでも他の人の身体で生き続けることができると頭ではわかっていても、実際に首を縦に振るのは難しい。何故なら、首を縦に振るということは、脳死状態にある最も身近な存在の確実な死を意味することになるからだ。

 選択には、前向きの選択と後ろ向きの選択があるように思う。実際の場面に直面したことがないので、映画を通した感想でしかないのだが、脳死の状態で肝臓移植に同意するのは、前向きの選択であるように思える。人の命を預かる医療の現場では、素早い決断が迫られるというのに、あちらこちらでいろいろなベクトルに向かう想いが分散してしまっていては、人の命を救えるはずがない。脳死の状態で、他の患者への肝臓移植に同意するという前向きの選択のベクトルと、例え法律に違反することになったとしても、脳死の患者の肝臓を移植するという前向きの選択のベクトルが重なってはじめて、一人の患者の命が助かる可能性が生まれて来るのだ。本作で描かれているのは、そういう緊迫した状況である。

 思わず笑みがこぼれそうになるようなラストも、私はとても気に入っている。医療の舞台が、互いに親和性のある人たちを結び付けて行くのだ。新米医師が、どんな師のもとで働くことになるのか、想像しただけでもわくわくするようなラストである。映画サイトで高く評価されている作品だけあって、後味も良く、本当に素晴らしい作品だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作の面白いところは、病院で看護師として働いている浪子が日々の出来事を日記に綴るような形で物語が進行して行くところでしょうか。しかも、物語は、その浪子が亡くなったところから始まるのです。そして、そうした設定が、ラストに生きて来るわけなのです。いやはや、実に良く出来た作品だと思いました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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