« ホットヨガ(二〇〇回目) | トップページ | 路面電車の走る街(フランクフルト) »

2010.09.21

映画『クロッシング』

ホットヨガ(二〇〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m かつて私がせっせと参加していたように、ホットヨガのレッスンにも、骨盤の歪みを矯正する骨盤コースがあるのですが、やはり現在の自分の状況にぴったり合った骨盤矯正が必要だと考え、ある本を注文してみました。これからは、その本に書かれていることを実践しながら、身体の歪みを取って行きたいと思っています。

 本作を鑑賞したのは、今からおよそ二ヶ月前の七月二十四日のことである。いつも足を運んでいるミニシアター系映画館で鑑賞したのだが、普段はそれほど混雑することなどないはずなのに、私が鑑賞した回の上映は座席がほとんど埋まっていたのを覚えている。しかも、鑑賞されている方の年齢層が比較的高いように思えた。

 北朝鮮の実情に対する問題提起とも取れる本作は、分かれ分かれになった家族が再会を切望しながら過ごすやるせない日々が描かれている。元サッカー選手のヨンスとその妻、そして二人の息子であるジュニは、貧しいながらも三人で幸せに暮らしていた。しかし、妻が結核を患ってしまったため、ヨンスは妻と息子を北朝鮮の我が家に残し、妻の薬を買うために危険を冒して国境を越え、不法に中国に入国して出稼ぎを始める。脱北したことがばれたヨンスは警察に追われる身となるのだが、様々なピンチを切り抜けながらも、何とかお金を貯めて行く。そして、そのお金でようやく妻の結核に効く薬を購入したものの、妻は病状が悪化し、既に亡くなっていることを知った。家に一人残されたジュニもまた、危険を冒して国境を越え、父ヨンスを探し求めようとしていた。

 今はもうテレビを見なくなってしまったのだが、何年か前までテレビを見ていた頃、日曜日の朝のニュース番組で、北朝鮮に住む人が中国に続く国境を越えようと、危険を冒して川を渡る映像を観たことがある。確か川の周辺には、不正に国境を越えようとする脱北者たちを取り締まるための武装した兵隊が待機していた。栄養不足のために痩せ細ってガリガリの脱北者たちを見るにつけ、北朝鮮という国が決して豊かな国ではないことを思い知らされた。彼らはその国に留まっていてはもはや生き延びられないと判断し、必死の思いで川を渡り、国境を越えようとするのだ。本作の中でも、ヨンスやジュニがその川を渡るシーンがあり、私の中で、過去に見たニュース番組の映像と重なった。

 実際にそうなのだろうが、本作の中での北朝鮮は、自由のない国として描かれていた。韓国と繋がりのある仕事をしている人が、韓国から文化を持ち込んでその文化をこっそり堪能していると、それを取り締まるための武装した兵隊がやって来て、その家に住む人たちをたちまち連行してしまう。その文化とは、私たち日本人にとっては当たり前のビデオ鑑賞であったり、宗教であったりする。北朝鮮に住む人たちには、そんな自由さえも与えられていないのだ。そして、連行されたあとは収容所のようなところに入れられて、国のために働かされながら集団生活を強いられるのである。私にはとても理解できない光景だった。

 日本では、オウム真理教(現アレフ)のように、人の命を奪うような宗教団体に対しては厳しい取り締まりがあるものの、基本的には言論も思想も宗教も自由な国である。しかし、北朝鮮という国は、国をあげて国民たちからそれらの自由を奪おうとしているのだ。素人の私から見れば、そんなことを取り締まろうとする軍隊に使うお金があったら、もっと別のことにお金を使うべきなのではないかと思ってしまう。しかし、まるで洗脳されているかのように、人々は国の言いなりになっている。

 北朝鮮は、そもそも国として成り立っているのがおかしい。それが私の正直な感想だ。国民に自由を与えないのは、他の国の文化に触れるとそっちに転んでしまい、国としての一体感を維持できなくなると思っているからなのだろうか。もしも真剣に国としての一体感を感じたいと思うならば、強制的に同じ方向を向かせて感じる一体感よりも、国民それぞれに自由意思を与えた上で辿り着く一体感のほうが素晴らしいと私は思うのだが・・・・・・。

 日本人も朝鮮の人たちも、顔立ちはとても良く似ている。しかし、特に北朝鮮の人たちの表情には笑いがない。笑いは心の余裕、あるいはその人の持つ自由意思の表れなのではないだろうか。だから、同じような顔立ちをした民族であっても、北朝鮮の人たちと韓国の人たちの表情はずいぶん異なって見える。

 しかし、そんな中でも救いだったのが、彼らが国境を越えるための手伝いをする人たちが存在していることだった。中には、軍隊にお金を渡して、国境を越えるのを見逃してもらおうとするシーンもあった。例えそれが違法であるとしても、もともとそこで敷かれている法がおかしいのだから、そうした裏の選択もむしろ愛のある行為に思えてしまう。

 ただ、本作のラストはあまりにも切ない。普段の私の生活の中で足り過ぎているものを、思わず差し出したい気持ちになる。例えば、映画鑑賞中に携えている水分でさえも、父との再会を切望して砂漠のようなところを彷徨い歩くジュニに差し出したかった。しかし、ジュニは・・・・・・。

 国の頂点に立つ人は、すべての国民に対してその温かい想いが行き届くような慈悲深い人であって欲しい。国民に対して何かを強いる人ではなく、国民に自由意思を与える人であって欲しい。少なくとも、本作のような映画作品が製作されていることに問題意識を持つ人であって欲しい。今更ながら、ついそんなことを切望してしまうのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 病気の妻を治療するための薬を買うために薬局に出向いたヨンスが、処方箋があれば薬をタダでもらえることを知り、驚くシーンは印象的でした。国民にできるだけ負担を掛けないこと。それが政治たるものなんでしょうね。北朝鮮は、国民が豊かな生活を送ってはいないというのに、核実験を繰り返したりする国であります。そういうところからも、やはり国としてのお金の使い方がおかしいと思います。言うまでもなく、国の頂点に立つ人の大幅な意識改革が必要だと痛切に感じました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

« ホットヨガ(二〇〇回目) | トップページ | 路面電車の走る街(フランクフルト) »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18521/49524674

この記事へのトラックバック一覧です: 映画『クロッシング』:

« ホットヨガ(二〇〇回目) | トップページ | 路面電車の走る街(フランクフルト) »