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2010.09.24

映画『悪人』

路面電車の走る街(アムステルダム/ユトレヒト/デン・ハーグ)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m アムステルダムの路面電車は、乗降中に扉が閉まってしまうのが速いと感じました。車両が何両か連結されているのですが、乗車時にOV-chipkaartをかざす場所が決まっているため、すべての車両で乗車を受け付けてくれるわけではありません。乗車できるのは確か、前と真ん中と後ろの三箇所だけだったと思います。真ん中や後ろの乗車口は比較的早めに閉まってしまいますので、そのときは前のほうまで駆けて行って、運転手さんのいるドアから乗車しなければなりませんでした。

 最近は、映画を鑑賞するペースが以前よりもハイペースになってしまった。以前は、多くても月に十本程度の鑑賞だったのだが、最近は月に十五本以上鑑賞しているように思う。そのため、レビューを書かせていただこうと思っている作品が全部で二十三本も控えている。この数は、これから私が毎日、映画のレビューを書き続けたとしても、レビューを書いている間に新たに鑑賞するであろう作品まで含めると、この先一ヶ月以上は連続して映画のレビューを書き続けることができてしまうことを意味している。しかし、実際は映画のレビュー以外にも書きたい記事がたくさんあるので、三日に一度という現在のペースのままで映画のレビューを書き続けるならば、鑑賞してから常に二ヶ月遅れのレビューをお届けすることになってしまうのだ。

 中には、私たちが愛を知る上で決して見逃してはいけない作品も含まれているというのに、このようなペースで映画のレビューを書いていては、その作品を鑑賞しようかどうしようか迷っている方たちに対し、肩を押してあげることができない。そこで本作のように、どうしても見逃してはいけない作品を速達でお届けすることにした。

 もともと本作は、劇場で予告編を何度となく目にしてはいたものの、その原作が新聞に掲載されて話題を呼んでいたこともまったく知らなかった。そのため、「レイトショーで鑑賞できるならば鑑賞してみようか」くらいの軽い気持ちで鑑賞に臨んだのである。しかし、本作の鑑賞中、私は深い感動に打ち震え、鑑賞後もしばらく本作の余韻に浸っていたかった。それにもかかわらず、鑑賞し終わった直後に、すぐ近くに座っていた若い二人組の女性のうちの一人が、本作を鑑賞して思わず涙してしまった連れの女性のことをせせら笑っているのを見て、感性の違いの恐ろしさに血の気が引いてしまいそうになった。私はむしろ、連れの女性をせせら笑った女性がこの作品を鑑賞して、胸の奥からこみ上げて来る感情に見舞われなかったことについて、自分自身の感情を開くための回路が閉じてしまっているのではないかと心配になってしまったほどだ。

 レイトショーを鑑賞したあとは夜も遅かったので、私は本作を鑑賞した翌朝、映画サイトにアクセスして、他の方たちが書き込んだレビューの一つ一つに目を通して行った。それらのレビューを拝読するにつれ、私の目頭がどんどん熱くなって行くのがわかった。私と同じように感じていた人たちがたくさんいるという感動とともに、鑑賞中には気付かなかった殺人者である主人公の取った行動を理解することができて、そこに深い愛を感じて仕方がなかったのだ。正直言って、こうしてこのレビューを書いている今でさえ、他の方たちが書かれたレビューを思い出すと胸の奥のほうから熱いものがこみ上げて来る。

 誰かがレビューに書いていた。今年の邦画は凄い。映画『告白』も凄かったが、映画『告白』がどんどん堕ちて行く作品である一方で、本作は逆に上昇して行く作品だと。まさしくその通りだと私も思った。確かに映画『告白』の出来も素晴らしく、私は鑑賞中、作品の世界にどっぷりと浸った。しかし、そこには感動と呼べるものは存在せず、どちらかと言うと、人間の淡々とした感情が精巧に描かれた作品だったと言える。しかし本作には、魂の奥底からこみ上げて来るような深い感動があるのだ。他の誰かが書いていた。ずっと、こんな映画に巡り会いたかったと。まさしく私も同感なのである。

 本作を鑑賞し始めた私がまず最初に感じたのは、善とか悪の区別は決して絶対的なものではなく、常に相対的だということだった。『悪人』というタイトルが掲げられている本作には、殺人者となってしまった主人公の祐一のほかにも悪人と呼べる人たちが登場する。例えば、いんちきな商品を高く売り付ける悪徳商人や、女性を本当に愛するということを知らないお金持ちの大学生や、好きでもない男性と簡単に肉体関係を持ち、心の中ではその男性のことを軽蔑している被害者の女性などである。しかし、それらの人たちも、すべての人たちの前で悪人であるというわけではない。とりわけ、被害者の女性の両親から見れば、娘は常に愛すべき存在だったのであり、決して悪人などではなかったはずだ。そうなると、人と人の相対性が善とか悪を生み出しているのではないかと思えたのだ。

 そういう視点で鑑賞し始めると、殺人者となってしまった祐一と、のちに深く愛し合うようになる光代にとって、祐一は悪人ではなかったのだと気付く。それに気付いた時点で、タイトルとなっている『悪人』が私たちに何かを問い掛けているような気がして来る。そして更には、「本当の愛とは?」ということについて深く考えさせられるのだ。

 本作を鑑賞すると、世の中に存在している愛と呼ばれているものの先には、更にもっと愛と呼べるべきものが存在していることに気付かされる。多くの人たちは、究極的な状況に陥ったとき、第三者を愛することよりも自分を愛することを優先させてしまう。だから、殺人者と深く愛し合う自分を想像したとき、他の人たちからどのように見られるかという客観的な自分が主導権を握り始め、殺人者との恋愛を存続させることをやめてしまう。それは、感情よりも理性に支配された結果である。しかし、光代はそうではなかった。

 確かに祐一と光代との出会いは携帯電話の出会い系サイトであり、二人が初めて肉体関係を持ったときも、そこに存在していたのは欲望のみであり、愛は存在していなかったはずだ。しかし、祐一が殺人者であることを告白したのちに、二人が結ぶ肉体関係が素晴らしくいいのだ。大きく揺れる祐一を全身全霊で受け止めようとする光代の姿がそこにはあった。そう、今の世の中に足りていない、全身全霊という感覚を嫌というほど見せつけられるのだ。思えば映画『告白』には、この全身全霊とは正反対のものが表現されているように思う。

 携帯電話の出会い系サイトに出会いを求める書き込みをした二人は、本気の出会いがしたかった。互いの中に本気の出会いを求める同じ想いがあるとわかったとき、互いに相手を同類だと認めた。そして、異性との出会いの少ない九州の田舎という設定から、二人は心にぽっかりと空いた穴を埋め合わせるかのように、何度も何度も激しく愛し合うのである。私は、とりわけ邦画のセックスシーンにはいつも物足りないのだが、本作のセックスシーンには二人の深い愛を感じずにはいられなかった。

 やがてそれは二人の逃亡生活へと繋がって行く。人里離れた灯台で寒さをしのぎながらも二人で寄り添う姿はあまりにも切なかった。果たして日常生活において、これほどの強い絆を誰かと結ぶことができるだろうか。まず、日常生活においては、本当の意味で二人切りになるチャンスなど皆無と言っていい。何故なら、二人、あるいは二人のうちどちらかが、必ず外の社会と繋がっているはずだからだ。しかし、他者との繋がりを完全に断ってしまう逃亡生活という閉鎖された状況が二人の絆を一層強くした。二人がそこで築き上げた絆は、特別なものだったはずだ。だから、買い出しに出掛けた光代の帰りが遅くなったとき、祐一は光代の温もりが感じられる毛布を抱きしめて泣いたのだ。

 それなのに、祐一は何故、最後の最後に光代に対し、あのような行動を取ったのか、という疑問が残ってしまった。しかし、その答えは、多くの方たちがレビューで解明されていた。私は人と人との相対性を基盤に本作を鑑賞していたので、多くの方たちがレビューに書かれている解釈とは別の解釈をしていたのだが、おそらく、他の方たちの解釈のほうが私よりも正しいのだろう。すなわち、祐一は最後の最後に「悪人」を演じた。光代を愛するがために。ただ、光代が祐一の本当の気持ちを理解していたかどうかはわからない。

 ラストシーンとなった、灯台から海を眺める祐一の表情が抜群にいい。冒頭の祐一の表情は、まだ愛を知らない表情である。しかし、愛を知った祐一の表情は何と穏やかなことだろう。まるで至福の状態にあるのではないかと思えるようなその深い笑みに多くの人たちが釘付けになったのではないだろうか。そして祐一は、愛を知ったからこそ、人を殺してしまったことが苦しいと感じているのだ。私は、光代と一緒に灯台から夕日を見つめる祐一のその表情の中に、祐一の魂としての輝きを感じ取ったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 世の中でも実際に起こっているいくつもの殺人事件は、被害者の立場を優先させた方法で伝えられているのではないかと、本作を鑑賞して思いました。言い方は良くないかもしれませんが、本作の被害者は、自分が殺されるような原因を自ら導き出しています。そうしたいろいろな要因が重なって、一瞬の力関係が生死を決めてしまうのではないかと思いました。結果として祐一は殺人者であることには変わりはありませんが、もしも被害者が最初から違う態度を取っていたとしたならば、祐一が殺人者になることもなかったのにとも思いました。本作は、同じ作品を鑑賞した友人同士で作品についてとことん語り合うべきことがたくさんあるように思います。こういう作品を高校の道徳などの授業で取り扱って欲しいと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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» 映画『悪人』(お薦め度★★) [erabu]
監督、李相日。脚本、吉田修一、李相日。原作、吉田修一。2010年日本。犯罪映画。 [続きを読む]

受信: 2010.09.25 21:41

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