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2010年9月

2010.09.30

映画『エアベンダー』

保険屋さん(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 個人年金のプランを見たときに驚いたのですが、私は現在四十五歳で、六十歳になるまでにあと十五年しかないのです。いつの間にか、こんなに歳を取ってしまっていたんですね。私たちが結婚して十四年経っているので、これから先の十五年なんて、きっとあっという間でしょうね。老後はすぐそこまでやって来ていたのです。

 二年ほど前に、映画『レディ・イン・ザ・ウォーター』という作品をDVDで鑑賞した。劇場公開中に見逃してしまったので、DVDで鑑賞したわけである。本作は、その映画『レディ・イン・ザ・ウォーター』のM・ナイト・シャマラン監督の作品である。M・ナイト・シャマラン監督というと、代表作が他にもあるのだが、私は残念ながら、映画『レディ・イン・ザ・ウォーター』と映画『ハプニング』しか鑑賞していない。

 本作を鑑賞したのは、八月十四日のことである。この日は自宅近くの映画館で映画を千円で鑑賞できる日だったので、この日のうちに合計四本の映画を鑑賞した。本作は、その中の一本というわけだ。本作に関する知識もほとんどなかったにもかかわらず、映画の上映スケジュールと相談しながら、単にM・ナイト・シャマラン監督の作品というだけで鑑賞に踏み切ったのである。

 本作を鑑賞された方たちは、本作をそれほど高くは評価していないようだが、私自身はそれなりに楽しめたと思っている。映画『レディ・イン・ザ・ウォーター』が水を意識した作品だったように、本作の中でもユニークな形で水を操る人物が登場する。普段、私たちが当たり前のように接している水が、M・ナイト・シャマラン監督の手に掛かると、特別なスポットを浴びて来る。しかも今回は、水だけでなく、火や気、土も仲間に加わっている。それぞれのエレメントを操ることのできる存在は「ベンダー」と呼ばれ、中でも四つのエレメントをすべて操ることのできる「ベンダー」は「アバター」と呼ばれ、世界に調和をもたらす存在として人々から期待されていた。

 その「アバター」となる存在を演じているのは、ノア・リンガーという少年である。彼はどこの国籍を持つのか良くわからないのだが、どことなくチベットの雰囲気が漂っている。彼と対抗する人物として、映画『スラムドッグ$ミリオネア』で主人公のジャマールを演じていたデヴ・パテルがいる。映画『スラムドッグ$ミリオネア』でのまっすぐな青年とは違い、本作での彼は何となくさえない役柄なのだが、それでも後半から存在感が出て来る。

 本作で面白いのは、「アバター」と呼ばれる尊い存在が、実はまだ「アバター」の卵であり、相応の力を備えていないところである。人々に期待されるべき存在のはずなのに、「アバター」としての力を発揮するには、厳しい修行を重ねなければならないのだ。しかも彼には、その厳しい修行からいったん逃げ出してしまったという苦い過去がある。「アバター」と呼ばれる尊い存在の彼が、まだ未熟であるところが何とも面白い。やがて彼は心を入れ替え、水や火、気、土のそれぞれの「ベンダー」とともに修行を重ねて行くのである。

 「アバター」が「アバター」の卵であるがゆえに、本作はまだ完結していない。どうやら、続編が製作されるようである。しかし、本作を鑑賞しても、なかなか高まって来るものがない。作品に対する製作者側の情熱はビンビンと伝わって来るものの、観客は製作者側の情熱について行けないところがあるのだ。そのため、本作を鑑賞した人たちが、作品の中に取り残されるような感覚を味わってしまうのではないだろうか。そのあたりの感覚が、続編でどのように解決されるのか、今から続編を楽しみにしておきたいと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m そう言えば、M・ナイト・シャマラン監督の映画『ハプニング』のレビューは、なかなか書き辛かったので書いていませんでしたね。本作は、映画『ハプニング』よりはわかり易く、レビューも書き易い作品だと思いました。おそらく、M・ナイト・シャマラン監督の好きな世界が描かれているために、力が入り過ぎているように感じてしまうだけなのかもしれません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.09.29

保険屋さん(2)

保険屋さん(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これまで保険に対してはまったく無頓着だったのに、ついに保険屋さんの話に耳を傾けるまでになってしまいました。老後のことを考えるようになったくらいですから、私もそれなりに歳を重ねて来たということなんでしょうね。では、続きを書かせていただきますね。

 定時で仕事を上がったあと、休憩室で保険屋さんと待ち合わせて、じっくりと保険屋さんの話を聞いた。保険屋さんはいつもその場所で、いろいろな方たちと話をしているらしい。オフィスで話をするよりも、そのほうが気兼ねなく話をすることができるそうだ。というのも、保険の話は、金銭的なことや健康状態など、個人情報に関わる内容が多いからだ。

 私は、個人年金のプランと医療保険などのプランを提示していただいた。ただ、それらの掛け金を、個人年金に関しては六十歳になるまで払い続け、医療保険に関しては肉体が滅びるまで払い続けるという。今はこうして派遣社員として働いているので、金銭的にも余裕があるのだが、将来的に両方の掛け金を払い続けることができるのだろうかと、私は少し不安になった。

 しかも、保険屋さんには現在の私の健康状態を尋ねられ、私の抱えている複数の症状について根掘り葉掘り聞かれた。私は、保険屋さんに自分の身体の状況を詳しく説明しながら、私の健康状態について心から気に掛けてくださるわけでもない相手に対し、自分の健康状態を詳しく語らなければならないことに違和感を覚えた。例えば、心から気に掛けるまでには至らないにしても、主治医に対して自分の健康状態を詳しく説明しているのとは明らかに異なっている。主治医は、私に対して医学的に適切な処理を施してくださるために私の健康状態を正確に把握しようとする。しかし保険屋さんは、私の健康状態を正確に把握しようとはするものの、簡単に言えば商売に利用しようとしているのだ。

 保険屋さんは私の健康状態を知ると、場合によっては保険料が高くなったり、また、最初に提示された特典のうちのいくつかの特典が付加されなくなってしまう可能性もあるとおっしゃった。それに加え、私が現在、加入している郵便局の終身保険のことをあれこれ聞かれたのだが、保険に無頓着な私は、加入している保険の種類も保障も正確に答えることができなかった。

 私は、もしも保険屋さんの勧める医療保険に加入するとなると、これまで郵便局で掛けて来た保険と重複することになるのだろうかとも思った。郵便局の保険は、母から引き継いで、現在は私が払っているのだ。

 ただ、保険屋さんがおっしゃるには、私が若い頃から掛け始めた保険ならば、このまま解約せずに掛け続けたほうが良いだろうとアドバイスしてくださった。とは言え、古い保険は、現代の医療には適応していないようで、例えば最近は入院しても入院期間が短いことが多いらしいが、今回、保険屋さんが提案してくださった新しい保険であれば、入院期間が比較的短くても保険支払いの対象となるらしい。また、新しい保険は先進医療にも対応しているが、古い保険は対応していないとも言われた。

 そんな話をいろいろと聞いたあと、作成してもらったプランを自宅に持ち帰り、ガンモに相談した。ガンモ曰く、最近は、例えばガンにかかって抗がん剤の治療を受けたとしても、入院ではなく日帰りの治療となるため、古い保険では保険の対象にならず、大きな問題となっているらしい。私はガンにかかる予定はないのだが、その他の場面においても、せっかく保険に加入しているにも関わらず、現代の治療方法に適応した保険契約ではないのだとすると、保険契約を見直す必要があるのかもしれないとも思った。しかしその一方で、私が若い頃から母が一生懸命掛けてくれていた保険なので、それを簡単に解約したりする気にはなれなかった。

 ガンモはまた、保険屋さんは、保険会社にとって決して損のないように話を持ち掛けて来るはずだと言った。確かに最初のうちは、特典に惹かれて保険屋さんの話に耳を傾け始めたものの、自分の健康状態について根掘り葉掘り聞かれ始めたあたりから、何となく保険屋さんに対する気持ちがビジネスライクなものに変わりつつあった。私は、何だかすっきりしない状態のまま、保険屋さんとの次の約束の日を迎えたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 保険屋さんに、「加入すると、こんな特典を受けられますよ」と言われ、最初のうちは何となく、「保険に加入してもいいかな」という気になりつつあったのですが、考えてみると、相手もビジネスでやってるんですよね。私たち加入者にとって、常にメリットのある保険というものは、ビジネスとしては成り立ちません。ガンモの一言で、改めてそのことを認識した私でありました。

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2010.09.28

保険屋さん(1)

映画『パリ20区、僕たちのクラス』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。フランス語の文法が映画の中に登場したので思い出しましたが、そう言えば、私たちが普段、話している日本語もずいぶん乱れてしまっていますよね。私が一番気になっているのは、敬語の使い方です。尊敬語を使うべき相手に対し、謙譲語を使ってしまっていることが実に多いのです。例えば電車に乗ると、「本日は、○○線にご乗車いただきまして、誠にありがとうございます」というアナウンスが聞こえて来ます。「えっ?」と思いませんか? 私はとても気になります。「ご乗車いただきまして」ではなく、「ご乗車くださいまして」ではないでしょうか。ビジネスにおいてもそんなシーンが多々あり、仕事で流れて来るメールにも、「○○していただきますよう、お願い致します」とか「○○していただけますよう、お願い致します」などと書かれています。○○するのは自分ではなく相手なのだから、「○○してくださいますよう」じゃないのでしょうか。

 企業の一員として働いていると、昼休みにその企業に出入りしている保険屋さんに声を掛けられることがある。私の昼休みは、出勤前にアップした「ガンまる日記」の推敲に忙しいので、それが誰であれ、昼休みにはあまり声を掛けて欲しくない。時にはそんな空気を読んではくださらない保険屋さんもいて、しつこく話し掛けられることがある。しかし、控えめな保険屋さんに対しては、しばしばちょっとした問い掛けに応じることもある。

 ただ、保険屋さんと話をしていると、貴重な昼休み時間があっという間に過ぎてしまうので、これまで私はほとんど保険屋さんとは長い話をしていなかった。また、保険に加入すると、「『いざというとき』の準備を自分から始めてしまう」という敗北感もあったため、これまでほとんど無頓着だった。保険に関する私の基本的な考え方は、「いざというとき」がやって来たとき、「保険に加入しておいて良かった」と考えるのではなく、「『いざというとき』の準備をしてしまっているために、案の定、そのときがやって来てしまった」というものなのだ。そのため、現在、私が加入している唯一の保険は、私がまだ若い頃から母がかけてくれていた郵便局の終身保険だけである。

 ところが、そんな私が最近、保険屋さんと少しずつ話をするようになった。だいたいにおいて、保険屋さんは巧みに話し掛けて来るものだが、現在、私の職場に出入りしている保険屋さんは、どこか素人っぽい上に旅行好きだというので、ついつい話を始めてしまったのだ。すると、いつの間にか、私に提案するためのプランが出来上がっていて、「保険に加入していただくとこういう保障が付いて、月々のお支払いはこれくらいです」といったような簡単な説明を受けることになってしまった。

 そのとき私は、自分が保健に関しては無頓着であることを主張したつもりだった。それなのに私は、保険屋さんに、
「医療、年金、万一、介護のうち、どれに一番興味がありますか?」
と尋ねられ、咄嗟のうちに「年金」と答えてしまったのだ。私たち夫婦には子供がいないので、早くも老後のことが心配になりつつあったのだ。すると、医療保険のプランを私に提案しようとしていた保険屋さんは面食らってしまい、
「それでは、ご提案させていただくプランを作り直して参りますので、後日お伺いしてもよろしいでしょうか?」
という話になってしまったのだ。これまで、保険屋さんが私の元に訪れても、ほとんど話を聞くこともなく軽く受け流し続けていたというのに、とうとう保険屋さんの話を聞くことになってしまったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 保険に関しては、いろいろ思うところがいろいろありますので、これから何回かに分けて連載して行きたいと思っています。おそらく、連続投稿とはならず、途中で他の記事を挟みながらの投稿になろうかと思いますが、気長にお付き合いくだされば幸いです。

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2010.09.27

映画『パリ20区、僕たちのクラス』

まだまだ関西人にはなり切れない私の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m このあたりの関西人的な感覚については、関西に住み始めて十四年経った今でも、なかなか慣れることができません。(苦笑)おそらく、関西でしか生活したことのない方たちには、私の主張している人との距離感がなかなか伝わり難いかもしれませんね。誰に対しても、何故、もっと近付かないのだろうと思われるかもしれませんが、様々な出来事を通して私が言いたいのは、親しさの度合いによって、保つべき距離を調整したいということです。

 本作を鑑賞したのは、夏休み前の七月十八日のことである。まだじわじわと全国展開されているようで、私が鑑賞したのはホットヨガの梅田店のスタジオ近くのミニシアター系映画館だったのだが、それからしばらく経ってから、私が最も良く足を運んでいる三宮のミニシアター系映画館でも上映されていた。

 本作を鑑賞するに至ったのは、予告編の内容に引き込まれたからに他ならない。移民の多いパリ20区に住む中学生たちの学園生活を描いた作品なのだが、何と、生徒たちを演じているのは、本作で初めて演技をする子供たちばかりだという。それにもかかわらず、様々な国籍を持つ子供たちの織り成す人間模様がリアルかつ自然に描き出されているのは、彼らがとてもリラックスした状態で、ごく自然な演技をしていたからだと思う。私には、まるで本作に登場する二十四人の子供たちが本当のクラスメートのように感じられたものだ。

 果たしてパリ20区とはどこに位置しているのだろうと思い、パリのガイドブックを開いて確かめてみると、パリの最も東側に位置していることがわかった。ちょうど私たちがパリを訪れたときに足を運んだ場所としては、ペール・ラシェーズ墓地あたりがパリ20区に該当する。

 そう言えば、私たちが宿泊していた北駅周辺にも移民が多かった。だからと言って、決して治安が悪いというわけではなく、私たちはむしろパリの庶民的な雰囲気を味わうことができたと言える。しかし、本作に登場する子供たちのはちゃめちゃぶりを拝見すると、まだまだ北駅周辺のほうが大人しい地域なのではないかとも思えた。

 国語(と言っても、舞台がフランスなので、国語と言えばフランス語のこと)教師である主人公のフランソワを演じているのは、本作の原作者でもあるフランソワ・ベゴドーである。彼が子供たちに一生懸命フランス語の文法を教えようと情熱を傾けるシーンはとても興味深かった。映画の中でフランス人からフランス語を学べるという面白さに加え、子供たちが試行錯誤を繰り返しながら、フランス語の正しい文法へとたどり着いて行くプロセスを見守るのはなかなか面白かった。フランス語の専門的なところは良くわからないのだが、どこの国でも子供たちは、悩み抜きながら国語を習得して行くものだとわかり、フランス語や英語を外国語として学習して来た私としては安心感にも似た感覚を味わった。

 とりわけ、このクラスには様々な国籍を持つ子供たちが多いために、中にはフランス語を母国語としない子供たちも含まれていた。例えば、中国人の男の子がいるのだが、彼はフランス語がまだあまり得意でないこと以外は、教師たちの心のよりどころとなるくらい成績優秀だった。

 また、子供たちは普段からスラングに慣れているために、正しいフランス語からはかけ離れた表現を使うことも多かったようだ。フランソワは、そんな子供たちに正しいフランス語を教えようと一生懸命だった。子供たちに作文を書かせるシーンもいい。子供たちはそれぞれ、個性豊かな表現方法で自己を表現して行く。

 移民が多いということで、クラスとしてのまとまりに欠けていたり、時には特定の子供の出身国を馬鹿にするような行為も見受けられた。また、父兄との話し合いが困難な状況も映し出されていた。例え住む国が変わったとしても、子供たちはすぐに新しい環境に順応し、フランス語も比較的早く習得する。しかし、フランス以外の国で生まれ育った大人たちはなかなかフランス語を理解できないでいる。そのため、父兄との話し合いに、子供が間に入って翻訳したりしていた。移民の少ない日本では考えられないような光景が、そこには広がっていた。

 とにかくはちゃめちゃな子供たちを抱える中学校の先生たちは、なかなか言うことを聞いてくれない子供たちに手を焼いているようだった。その中でもフランソワは、比較的、子供たちとうまくやっているように見えた。しかしそれも最初のうちだけで、ある時期から、特定の生徒との間に溝が出来てしまうのだ。

 私には、パリは自由なところというイメージがある。例えば、日本からヨーロッパに入ろうと思えば、イギリスのヒースロー空港から入るよりも、フランスのシャルル・ド・ゴール空港から入ったほうが断然スムーズに入国手続きが完了する。それは、フランスという国が、外国人を容易に受け入れているという現れでもあると思う。また、仕事を持って働くとなると、取得できる有給休暇の日数も多く、有給休暇の消化率も抜群に高いようだ。そんな自由な雰囲気に強く惹かれて、多くの外国人たちがパリに集まって来るのかもしれない。

 フランソワは、そんなふうに集まって来たバラバラの国籍を持つ子供たちの個性を伸ばしながら、クラスとしてまとめようとしていた。私は、ここでも人との距離の保ち方に注目した。子供たちがなかなか言うことを聞かないからと言って、子供たちを腫れ物のように扱って遠ざけるのではなく、愛情を持って近付いているために、子供を叱るシーンにも好感が持てた。フランソワは、今の時代には珍しい先生かもしれない。だから、初めて演技をする子供たちがあんなにも自然に輝いていたのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m まるでドキュメンタリーのように作られている作品なのですが、実際はドキュメンタリーではなく、ちゃんと台本のある作品のようです。それくらい、出演している方たちの演技が子供たちも含めて自然なのですね。こんな映画はちょっと珍しいと思います。

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2010.09.26

まだまだ関西人にはなり切れない私

ホットヨガ(二〇一回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 梅田店のスタジオが、もっとJR大阪駅に近ければありがたいのにとも思うのですが、実は、私のお気に入りのミニシアター系映画館や、今回、二本の映画をポイント鑑賞した映画館も梅田店のスタジオの近くにあるのです。そのため、梅田店のスタジオだけがJR大阪駅付近にあったとしても、結局のところ、レッスン後の楽しみとして映画を鑑賞するには、JR大阪駅からたくさん歩かなければならないのです。(苦笑)

 ○○市のコンサートチケットの一般発売日の二日後、チケットを購入するためにわざわざ会館まで出向いてくれた友人が、私たちの住んでいる兵庫県の東のほうにたまたま用があってやって来るというので、チケットを引き取るために互いに時間を合わせて会うことになった。

 自宅の最寄駅で合流して駅前のマクドナルドに入り、今回、彼女に取ってもらったチケットを引き取った。その後、おしゃべりに花を咲かせていると、彼女が突然、
「あれ、忘れ物かなあ?」
と私に言った。彼女が見ている方向は、私がずっと背を向けていた方向だったので、私は彼女が視線を送っているほうを振り返った。そこはテーブル席ではなくカウンター席で、誰も座っていないカウンター席の荷物入れに、忘れ物らしき紙袋がぽつんと残されていた。彼女は、迷わず立ち上がってそのカウンター席に歩み寄り、その紙袋を手に取った。それはデパートの紙袋で、紙袋の中にはそのデパートで購入したと思われる商品が包装された状態で入っていた。

 彼女は店内をきょろきょろと見回した。おそらく彼女の席からは、この忘れ物の持ち主の姿が視界に入っていたのだろう。しかし彼女は、その持ち主はもはや店内にはいないと判断したようだ。そして、マクドナルドのカウンターを振り返り、店員さんたちの様子を確認した。その直後、彼女はマクドナルドの外にいたおまわりさんを見付け、
「あっ、おまわりさん! 私、おまわりさんに預けて来るわ」
と言い残し、紙袋を手に持ち、慌ててマクドナルドから飛び出して行った。

 マクドナルドのすぐ近くには交番があり、おまわりさんは、ちょうど巡回から戻って来たところだったようだ。私は内心、マクドナルドでの忘れ物なら、おまわりさんよりも店員さんに預けたほうがいいのではないかと思っていたのだが、彼女はたまたま外にいたおまわりさんを見付けて、「忘れ物=交番に届ける」という公式を成り立たせてしまったようである。

 彼女が席を外してから十数分ほど経過した頃だろうか。いったん、彼女が店内に戻って来た。これから交番で、拾得物の届け出の手続きをするのだと言う。何でも交番で別の手続きをしている人がいて、その人が終わるまで手続きができないのだそうだ。彼女は私に、まだ店内に残るかどうかを確認した。私は、
「うん、私は店内で待ってるよ」
と答えた。何となく私の中には、忘れ物の持ち主が店内に戻って来るのではないか。あるいは、忘れ物の持ち主がお店に電話を掛けて来て、店員さんがその忘れ物を確認しにやって来るのではないかという予感があったのかもしれない。

 彼女が交番に戻ってから十分ほど経った頃だろうか。三十代くらいのカップルが心配そうな顔つきでお店に入って来て、さきほど忘れ物を見付けたカウンター席のあたりをさりげなく見ていた。私は咄嗟に忘れ物の持ち主だと思い、
「もしかして、忘れ物ですか?」
と声を掛けた。するとカップルは、
「はい」
とすがるように答えた。私は、
「今、友人がそこの交番に届けに行きました」
と、カップルに向かって、外の交番のあるほうを指差した。カップルは私に、
「ありがとうございます」
と言ったあと、すぐさま交番に足を運んだようだ。

 ほどなくして、友人が交番から戻って来た。拾得物の手続きをしようとしていたところ、カップルがやって来たのでめでたしめでたしということだった。私は、カップルが紙袋のあったカウンター席のほうを見ていたので、交番に行くよう案内したことを話した。彼女はおまわりさんに、
「マクドナルドの店員さん、忙しそうやったから、交番で預かってもらおう思て来たんや」
と言ったそうだ。それを聞いたおまわりさんは、
「あとで私がマクドナルドの店員さんに言っておくわ」
と言ってくれたそうだ。

 そんな話をしていたところに落し物の持ち主が現れたので、めでたしめでたしとなったわけだが、私は忘れ物を発見した直後からの彼女の行動の素早さに驚いていた。正直言って、私には、落し物を手で触る勇気もなければ、店員さんに忘れ物があることを伝える勇気もなく、ましてや、たまたま外にいたおまわりさんに声を掛けて、拾得物の手続きをする勇気もなかった。いや、決して勇気がなかったわけではなく、決断から行動するまでに時間が掛かると言ったほうが正しいだろう。今回のことに限って言えば、忘れ物の持ち主が現れるかもしれないので、私は忘れ物の紙袋をもう少しそこに置いたままにしておいても良いのではないかと内心思っていた。だから、身体がなかなか動かなかったのだ。しかし彼女は、忘れ物を見付けてから交番に足を運ぶまでの時間がとにかく早かった。しかも、交番では他の人が別の手続きをしている間、おまわりさんと和気藹々と話をしていたというのだ。

 私たちがしばらく話をしていると、さきほどの落し物の持ち主がマクドナルドに戻って来て、私たちに歩み寄り、深々とおじぎをしながら、
「どうもありがとうございました。本当に助かりました」
と言った。その方たちは、私たちに何かお礼をしたいと思ったのかもしれない。
「まだ、お店にいらっしゃいますか?」
と尋ねて来られた。すると友人は、
「ああ、どうかお気遣いなく。私も家が遠いので、そろそろ帰ろうと思ってるところなので」
と答えた。それを聞いた忘れ物の持ち主のカップルは、再び私たちに深々とおじぎをすると、
「本当にありがとうございました」
と言ってお店を出て行った。

 私は今回のことを通して、こんなふうに素早く行動を取ることができる彼女は、彼女自身が生まれながらの関西人だからだろうと考えた。私は結婚してから関西に住み始めたので、私の関西人度はまだ、横断歩道を渡るときに信号無視ができるようになった程度である。忘れ物を見付けたとしても、容易に立ち入ってはならない領域と判断し、なかなか重い腰が上がらないのだ。それなのに彼女は、忘れ物を見付けると直ちにその忘れ物に触れ、外にいたおまわりさんを見付けるやいなや、店を飛び出して行っておまわりさんに声を掛け、拾得物の手続きができない間は交番で和気藹々とおまわりさんと話をしていたのだ。いやはや、恐れ入った。

 果たしてこの先、私の関西人度が上がって行く可能性はあるのだろうか。横断歩道を渡るときに信号無視はできるようになったものの、「お人よし」の分野においては、人との距離の保ち方に関わることなので、自分がそれを受けるという受動的な立場では許容できるとしても、自分から能動的に仕掛けることはできないだろうと思う。やはり彼女のように生まれながらの関西人でなければ、「お人よし」の分野において、自分から能動的に働きかけるのは難しいだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 関西に住み始めてから十四年経ちましたが、それでもなお、根っからの関西人の「お人よし」ぶりには、しばしば驚かされることがあります。私自身がそれと同じことを返すことができないので、そうした行為に対し、受け取ることでさえも躊躇してしまうことがありますね。でも、彼らは決して見返りを求めているわけではなく、単に誰かに対して何かをしてあげたいだけなのかな、と最近になっては思えるようになりました。

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2010.09.25

ホットヨガ(二〇一回目)

映画『悪人』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。映画だけでなく、日常生活においても、私は常に本作を鑑賞したときに芽生えたような感情に出会いたくて、毎日を生きているような気がします。しかし、実際はそうではない場面のほうが圧倒的に多いために、私の中ではいつも達成されない想いがくすぶり続けているように思います。

 シルバーウィークはホットヨガ三昧だった。シルバーウィーク二回目のレッスンとなる今回は、梅田店で受けた六十分のリラックスコースのレッスンである。

 この日、どうしても鑑賞したい映画があり、私は梅田まで出掛けた。自宅近くの映画館や三宮の映画館でも上映されている作品なのだが、どちらも上映時間が午前中だったため、出掛ける前に「ガンまる日記」を書き上げたい私としては落ち着かないので、ホットヨガのレッスンを受けたあとに観たい映画を鑑賞できる梅田の映画館で鑑賞することにしたのである。

 シルバーウィーク中は映画館がひどく混雑することがわかっていたので、私はレッスンの前に映画館に立ち寄り、先にチケットを求めておいた。その日は映画を千円で鑑賞できる日ではなく、レイトショーの鑑賞でもなかったので、貯まっているポイントをすべて消費して、二本の映画を無料で鑑賞することにした。

 レッスンの前に映画館に寄るつもりでいつもよりも早めに家を出たため、梅田店のスタジオには比較的早い時間に着いた。いつもは数分の遅刻か滑り込みセーフでレッスンを受けているので、着替えを済ませて早めにスタジオに入ると、まるで優等生にでもなった気がした。

 私は、レッスン中にインストラクターが入口の扉を開けて冷たい空気を送り込んでくださることを期待して、入口付近のヨガマットを選んで腰を降ろした。レッスンの参加者は十一名で、男性会員はNさんだけだった。レッスンを担当してくださったインストラクターは、これまでにもレッスンを担当してくださることのあるインストラクターである。

 横に長い梅田店のスタジオは、レッスン中に熱がこもり、暑くなりがちである。私は、レッスン中にインストラクターが入口の扉を開けて冷たい空気を送り込んでくださることを期待していたのだが、インストラクターは、遠慮がちにほんの少し入口の扉を開閉してくださるだけだった。私は、もっと大胆に入口の扉を開けて欲しくてたまらなかった。

 スタジオの中がひどく暑かったので、私の中にはサボりたい気持ちがむくむくと沸き上がって来た。そこで、いつものように立ちポーズに入る前にスタジオの外に出ることにした。やはりスタジオの外は涼しく、上半身のほてりの強い私にとっては極楽だった。私の計画では、苦手なつるべ落としのポーズが終わる頃にスタジオに戻るつもりだったのだが、スタジオの外でしばらく涼んだあと、頃合を見計らってスタジオに戻ってみると、何と私の苦手なつるべ落としのポーズの真っ最中だった。そのため、仕方なく久し振りにつるべ落としのポーズを取ることになってしまった。

 私がスタジオの外に出てしばらく涼んだからだろうか。レッスン終了後、スタジオを出て行くときに、インストラクターが、
「大丈夫ですか?」
と声を掛けてくださった。リラクスコースのレッスンの途中に外に出て行く人は、あまりいないのかもしれない。

 Nさんが、
「三宮ではないんですね」
と声を掛けてくださったので、「ガンまる日記」を読んでくださっているのだなあとうれしくなった。更には、
「今日も映画ですか?」
と、Nさんには私の行動がバレバレだった。Nさんは、シルバーウィーク前半の三連休の間、毎日レッスンに参加されたわけではなく、途中の一日はお休みされたそうだ。私もシルバーウィーク前半の初日は三宮店でレッスンを受けたあと、三宮で映画を二本鑑賞し、三日目にこうして梅田店でレッスンを受けたあと、梅田で映画を二本鑑賞して帰宅する予定だった。

 ところで、私が通っているホットヨガのスタジオでは、九月十一日から十月十一日までの間にスタンプラリーが実施され、期間中にレッスンを六回受けると、一回分のレッスン無料券がもらえるらしい。私は、シルバーウィーク前半に三宮店でレッスンを受けたときにこのスタンプラリーの存在を知ったのだが、どういうわけか、三宮店ではスタンプラリーのスタンプを押してくださらなかった。しかし今回、梅田店のレッスンを受けたあとに回数券を開いてみると、スタンプラリーのスタンプがちゃんと押されていたのだ。もしかすると、私が梅田店で回数券を購入しているために、梅田店でしかスタンプを押してもらえないのかもしれない。これまでは、このようなキャンペーンが行なわれたとしても、梅田店だろうが三宮店だろうが、支店による区別はなかったはずなのだが、最近は事情が変わったのだろうかと思いながら、梅田店のスタジオをあとにしたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m つるべ落としのポーズのように、身体をねじるポーズが苦手ということは、そこに私の身体の問題があるからなのでしょうね。私の身体の問題を解決できそうな本が手元に届いたのですが、問題を解決するためには、自宅に平面を作らなければならないようです。家を片付けなければなりませんね。(苦笑)

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2010.09.24

映画『悪人』

路面電車の走る街(アムステルダム/ユトレヒト/デン・ハーグ)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m アムステルダムの路面電車は、乗降中に扉が閉まってしまうのが速いと感じました。車両が何両か連結されているのですが、乗車時にOV-chipkaartをかざす場所が決まっているため、すべての車両で乗車を受け付けてくれるわけではありません。乗車できるのは確か、前と真ん中と後ろの三箇所だけだったと思います。真ん中や後ろの乗車口は比較的早めに閉まってしまいますので、そのときは前のほうまで駆けて行って、運転手さんのいるドアから乗車しなければなりませんでした。

 最近は、映画を鑑賞するペースが以前よりもハイペースになってしまった。以前は、多くても月に十本程度の鑑賞だったのだが、最近は月に十五本以上鑑賞しているように思う。そのため、レビューを書かせていただこうと思っている作品が全部で二十三本も控えている。この数は、これから私が毎日、映画のレビューを書き続けたとしても、レビューを書いている間に新たに鑑賞するであろう作品まで含めると、この先一ヶ月以上は連続して映画のレビューを書き続けることができてしまうことを意味している。しかし、実際は映画のレビュー以外にも書きたい記事がたくさんあるので、三日に一度という現在のペースのままで映画のレビューを書き続けるならば、鑑賞してから常に二ヶ月遅れのレビューをお届けすることになってしまうのだ。

 中には、私たちが愛を知る上で決して見逃してはいけない作品も含まれているというのに、このようなペースで映画のレビューを書いていては、その作品を鑑賞しようかどうしようか迷っている方たちに対し、肩を押してあげることができない。そこで本作のように、どうしても見逃してはいけない作品を速達でお届けすることにした。

 もともと本作は、劇場で予告編を何度となく目にしてはいたものの、その原作が新聞に掲載されて話題を呼んでいたこともまったく知らなかった。そのため、「レイトショーで鑑賞できるならば鑑賞してみようか」くらいの軽い気持ちで鑑賞に臨んだのである。しかし、本作の鑑賞中、私は深い感動に打ち震え、鑑賞後もしばらく本作の余韻に浸っていたかった。それにもかかわらず、鑑賞し終わった直後に、すぐ近くに座っていた若い二人組の女性のうちの一人が、本作を鑑賞して思わず涙してしまった連れの女性のことをせせら笑っているのを見て、感性の違いの恐ろしさに血の気が引いてしまいそうになった。私はむしろ、連れの女性をせせら笑った女性がこの作品を鑑賞して、胸の奥からこみ上げて来る感情に見舞われなかったことについて、自分自身の感情を開くための回路が閉じてしまっているのではないかと心配になってしまったほどだ。

 レイトショーを鑑賞したあとは夜も遅かったので、私は本作を鑑賞した翌朝、映画サイトにアクセスして、他の方たちが書き込んだレビューの一つ一つに目を通して行った。それらのレビューを拝読するにつれ、私の目頭がどんどん熱くなって行くのがわかった。私と同じように感じていた人たちがたくさんいるという感動とともに、鑑賞中には気付かなかった殺人者である主人公の取った行動を理解することができて、そこに深い愛を感じて仕方がなかったのだ。正直言って、こうしてこのレビューを書いている今でさえ、他の方たちが書かれたレビューを思い出すと胸の奥のほうから熱いものがこみ上げて来る。

 誰かがレビューに書いていた。今年の邦画は凄い。映画『告白』も凄かったが、映画『告白』がどんどん堕ちて行く作品である一方で、本作は逆に上昇して行く作品だと。まさしくその通りだと私も思った。確かに映画『告白』の出来も素晴らしく、私は鑑賞中、作品の世界にどっぷりと浸った。しかし、そこには感動と呼べるものは存在せず、どちらかと言うと、人間の淡々とした感情が精巧に描かれた作品だったと言える。しかし本作には、魂の奥底からこみ上げて来るような深い感動があるのだ。他の誰かが書いていた。ずっと、こんな映画に巡り会いたかったと。まさしく私も同感なのである。

 本作を鑑賞し始めた私がまず最初に感じたのは、善とか悪の区別は決して絶対的なものではなく、常に相対的だということだった。『悪人』というタイトルが掲げられている本作には、殺人者となってしまった主人公の祐一のほかにも悪人と呼べる人たちが登場する。例えば、いんちきな商品を高く売り付ける悪徳商人や、女性を本当に愛するということを知らないお金持ちの大学生や、好きでもない男性と簡単に肉体関係を持ち、心の中ではその男性のことを軽蔑している被害者の女性などである。しかし、それらの人たちも、すべての人たちの前で悪人であるというわけではない。とりわけ、被害者の女性の両親から見れば、娘は常に愛すべき存在だったのであり、決して悪人などではなかったはずだ。そうなると、人と人の相対性が善とか悪を生み出しているのではないかと思えたのだ。

 そういう視点で鑑賞し始めると、殺人者となってしまった祐一と、のちに深く愛し合うようになる光代にとって、祐一は悪人ではなかったのだと気付く。それに気付いた時点で、タイトルとなっている『悪人』が私たちに何かを問い掛けているような気がして来る。そして更には、「本当の愛とは?」ということについて深く考えさせられるのだ。

 本作を鑑賞すると、世の中に存在している愛と呼ばれているものの先には、更にもっと愛と呼べるべきものが存在していることに気付かされる。多くの人たちは、究極的な状況に陥ったとき、第三者を愛することよりも自分を愛することを優先させてしまう。だから、殺人者と深く愛し合う自分を想像したとき、他の人たちからどのように見られるかという客観的な自分が主導権を握り始め、殺人者との恋愛を存続させることをやめてしまう。それは、感情よりも理性に支配された結果である。しかし、光代はそうではなかった。

 確かに祐一と光代との出会いは携帯電話の出会い系サイトであり、二人が初めて肉体関係を持ったときも、そこに存在していたのは欲望のみであり、愛は存在していなかったはずだ。しかし、祐一が殺人者であることを告白したのちに、二人が結ぶ肉体関係が素晴らしくいいのだ。大きく揺れる祐一を全身全霊で受け止めようとする光代の姿がそこにはあった。そう、今の世の中に足りていない、全身全霊という感覚を嫌というほど見せつけられるのだ。思えば映画『告白』には、この全身全霊とは正反対のものが表現されているように思う。

 携帯電話の出会い系サイトに出会いを求める書き込みをした二人は、本気の出会いがしたかった。互いの中に本気の出会いを求める同じ想いがあるとわかったとき、互いに相手を同類だと認めた。そして、異性との出会いの少ない九州の田舎という設定から、二人は心にぽっかりと空いた穴を埋め合わせるかのように、何度も何度も激しく愛し合うのである。私は、とりわけ邦画のセックスシーンにはいつも物足りないのだが、本作のセックスシーンには二人の深い愛を感じずにはいられなかった。

 やがてそれは二人の逃亡生活へと繋がって行く。人里離れた灯台で寒さをしのぎながらも二人で寄り添う姿はあまりにも切なかった。果たして日常生活において、これほどの強い絆を誰かと結ぶことができるだろうか。まず、日常生活においては、本当の意味で二人切りになるチャンスなど皆無と言っていい。何故なら、二人、あるいは二人のうちどちらかが、必ず外の社会と繋がっているはずだからだ。しかし、他者との繋がりを完全に断ってしまう逃亡生活という閉鎖された状況が二人の絆を一層強くした。二人がそこで築き上げた絆は、特別なものだったはずだ。だから、買い出しに出掛けた光代の帰りが遅くなったとき、祐一は光代の温もりが感じられる毛布を抱きしめて泣いたのだ。

 それなのに、祐一は何故、最後の最後に光代に対し、あのような行動を取ったのか、という疑問が残ってしまった。しかし、その答えは、多くの方たちがレビューで解明されていた。私は人と人との相対性を基盤に本作を鑑賞していたので、多くの方たちがレビューに書かれている解釈とは別の解釈をしていたのだが、おそらく、他の方たちの解釈のほうが私よりも正しいのだろう。すなわち、祐一は最後の最後に「悪人」を演じた。光代を愛するがために。ただ、光代が祐一の本当の気持ちを理解していたかどうかはわからない。

 ラストシーンとなった、灯台から海を眺める祐一の表情が抜群にいい。冒頭の祐一の表情は、まだ愛を知らない表情である。しかし、愛を知った祐一の表情は何と穏やかなことだろう。まるで至福の状態にあるのではないかと思えるようなその深い笑みに多くの人たちが釘付けになったのではないだろうか。そして祐一は、愛を知ったからこそ、人を殺してしまったことが苦しいと感じているのだ。私は、光代と一緒に灯台から夕日を見つめる祐一のその表情の中に、祐一の魂としての輝きを感じ取ったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 世の中でも実際に起こっているいくつもの殺人事件は、被害者の立場を優先させた方法で伝えられているのではないかと、本作を鑑賞して思いました。言い方は良くないかもしれませんが、本作の被害者は、自分が殺されるような原因を自ら導き出しています。そうしたいろいろな要因が重なって、一瞬の力関係が生死を決めてしまうのではないかと思いました。結果として祐一は殺人者であることには変わりはありませんが、もしも被害者が最初から違う態度を取っていたとしたならば、祐一が殺人者になることもなかったのにとも思いました。本作は、同じ作品を鑑賞した友人同士で作品についてとことん語り合うべきことがたくさんあるように思います。こういう作品を高校の道徳などの授業で取り扱って欲しいと思います。

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2010.09.23

路面電車の走る街(アムステルダム/ユトレヒト/デン・ハーグ)

路面電車の走る街(フランクフルト)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。こうしてラッピング車両の派手さを比べてみると、フランクフルトよりも日本のほうが派手なラッピング車両が多いことが一目瞭然ですね。日本の路面電車は、車両全体で「化ける」という感じですが、フランクフルトの路面電車は、車両の一部に宣伝文字があるといった感じでした。

 ドイツのフランクフルトに続いて訪れたオランダでは、滞在していたアムステルダムのほか、ちょっぴり足を伸ばして出掛けたユトレヒトやデン・ハーグでも路面電車が走っていた。三十五ユーロのペナルティの記事に書いたように、私たちはチャージ式のICカード(OV-chipkaart)を購入して、アムステルダム滞在中、ずっと活用していた。

 アムステルダムに到着したその日にこのOV-chipkaartを購入したのだが、そのとき、アムステルダムへの滞在中、毎回一日乗車券を購入し続けるか、それともOV-chipkaartをチャージして活用するかで少し迷ったのだが、思い切ってOV-chipkaartを購入して良かったと思う。というのも、OV-chipkaartは首都のアムステルダムだけでなく、ユトレヒトやデン・ハーグでも活用することができたからだ。ただ、ユトレヒトの路線バスはまだOV-chipkaartへの対応準備中で、路線バスに乗車するとOV-chipkaartの読み取り機はあるものの、まだサービスが稼動していない路線バスもあった。

 滞在中、OV-chipkaartをずっと快適に活用していた反動なのか、最終日に三十五ユーロのペナルティを支払う羽目になってしまったのだが、今となってはこのペナルティも、私たちの中に強烈に刻み込まれた旅の思い出の一つとなっている。

 ちなみに、アムステルダムの路面電車の運賃は、日本の路面電車のように均一料金ではなく、OV-chipkaartを使うと乗車一キロメートルごとに〇.一ユーロ加算されるという仕組みになっていた。OV-chipkaartを使わない方法など、切符の求め方にもいろいろあり、それによって同じ区間を乗車しても運賃に差が出るというのも面白かった。OV-chipkaartを使用したほうが比較的割安であることや、いずれ紙の切符が廃止されることが決まっていることからも、今後はオランダ鉄道や路線バスにも乗車できるOV-chipkaartに統一したいのだろうと思われる。ちなみに、OV-chipkaartで路面電車を利用する場合、乗車するときと降車するときに一回ずつOV-chipkaartを読み取り機にかざすのがお作法となっている。

 アムステルダムの路面電車はまったくラッピングもなくすべての車両の柄(がら)が同じだったのだが、良く見ると柄は同じでも、車両の形が若干異なるものが走っていて、その違いを見分けるのが面白かった。やはり、すべて同じでは面白くないのだ。同じようなものの中に、ちょっとした違いを見分けるのが楽しい作業だとわかった。

 残念ながら、ユトレヒトを走っていた路面電車に乗る機会はなかったのだが、デン・ハーグでは、ほんの二駅ほど路面電車を利用した。路面電車の形から言えば、私はデン・ハーグを走っていた路面電車に心惹かれた。アムステルダムを走っている路面電車よりもやや古めかしい車両で、おでこが広く、行き先案内板が比較的大きいのが私の好みの車両のようだ。また、アムステルダムを走る路面電車のようにすべての柄が同じなのではなく、いくつかのバリエーションがあったのも気に入った要因の一つだった。

 日本では、路面電が減少傾向にある。私たちもかつて、岐阜を走っていた名鉄の路面電車の引退を見守ったことがある。そして、その引退した路面電車の車両を豊橋で見付けたときはうれしかったものだ。おそらく、岐阜を走っていた名鉄の路面電車は利用客が減少したために廃線に追い込まれてしまったのだろうが、オランダを走る路面電車は数分ごとにやって来ているというのにとにかく利用客が多く、まったくと言っていいほど廃線の心配はなさそうだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、路面電車の走る街(アムステルダム/ユトレヒト/デン・ハーグ)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなり、申し訳ありません。いやはや、記事を書くにあたり、これまで乗車した路面電車の思い出にどっぷりと浸ってしまいました。(苦笑)オランダの路面電車は、日本と違ってとにかく大盛況といった感じでしたね。日本の大都市でも、かつてはあちらこちらで路面電車が走っていました。それらが廃線になってしまったのは、やはり自動車や歩行者との共存が難しかったのでしょうか。これだけ多くの人たちに利用されている路面電車を見ると、やむなく廃線に追い込まれてしまった日本の路面電車が見習うべきこともあるかもしれないと思えて来ました。

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2010.09.22

路面電車の走る街(フランクフルト)

映画『クロッシング』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。私が鑑賞してから既に二ヶ月近く経っている作品ではありますが、まだまだ全国展開されているようですね。ちなみに本作は韓国映画なので、実際に演じている俳優さんたちは韓国人であります。

 どういうわけか、私は鉄道の中でもとりわけ路面電車が好きで、路面電車のはなしというブログも立ち上げているくらいだ。これまで、高知、京都、函館、広島、東京、豊橋、岐阜、岡山、鹿児島、熊本、長崎、大阪、富山、ブリュッセル、アントワープ、香港など、路面電車の走る様々な街を旅して来た。そして、今年の夏休みに出掛けたドイツやオランダの街でも、路面電車が走っていた。そこでまずはフランクフルトからご紹介したい。

 フランクフルト中央駅に着いて、まず視界に飛び込んで来たのは、街の景色よりも路面電車だった。路面電車というと、古めかしい一両編成の車両を想像されるかもしれないが、フランクフルトの路面電車の車両は比較的新しく、たくさんの人たちを乗せるために複数の車両が蛇腹で連結されていた。私は、蛇腹式の車両の連結部分を見ると、広島を走っている広電を思い出す。

 思えば、私が生まれ育った愛媛にも路面電車は走っていた。私は路面電車の走る松山の出身ではないのだが、愛媛の県庁所在地である松山には、チンチン電車という呼び名で親しまれている古めかしい路面電車が走っていたものだった。しかし、最近は松山でも、蛇腹式の連結部分を持つ新しい車両が次々に登場している。

 その後、地元の高校を卒業して最初に進学した大学が広島にあった。「最初に」と書いたのは、入学した広島の大学をわずか二ヶ月で休学し、予備校に通いながら再び受験勉強をして、今度は神奈川県にある大学に進学するために東京に住み始めたからだ。東京でも、路面電車とは言えないかもしれないが、少なくとも年に一度は世田谷線と馴染みがあり、また、都電もしばしば見掛けた。

 こんなふうに、路面電車は当たり前のように私の身近にあった。だから、旅先で路面電車を見ると、思わず見入ってしまうのだ。しかし、その車両はできるだけ古めかしい車両であって欲しいと願う。広島に住んでいた頃、特に宮島行きの車両など、混雑する車両は次第に蛇腹式の連結部分を持つ新しい連結車両へと切り替えられて行った。私は、広島から古めかしい車両の路面電車が次々に引退して行くのが寂しくて仕方がなかった。しかし、そうした新旧交替の引退は、各地で起こっているようだった。だから私は、蛇腹式の連結車両を見ると、私は広島を走る広電の路面電車を思い出し、ちょっぴり寂しい気持ちになるのだ。残念なことに、フランクフルトを走っている路面電車のほとんどが蛇腹式の路面電車だった。

広島の蛇腹式連結部分を持つ車両

 一方、路面電車で面白いのは、広告入りのラッピング列車である。過去の記事にも書いたが、私の一番のお気に入りは、長崎を走っていたチキンラーメン号、そして函館を走っていたスーパー北斗号である。チキンラーメン号のラッピングはわかりやすいとしても、スーパー北斗号のラッピングは少々わかり辛いかもしれない。わかり易く言うと、路面電車はJR北海道が運営しているわけではないのに、JR北海道の車両が路面電車にラッピングされているところが面白いのだ。そういう意味で言うと、スーパー白鳥号も同じ視点で面白い。すなわち、路面電車には、ラッピングされた広告に目を奪われる楽しみもあるのだ。

私の一番のお気に入り。長崎のチキンラーメン号

函館のスーパー北斗号

函館のスーパー白鳥号

 しかし、フランクフルトで見た路面電車がどのような広告でラッピングされていたのか、ドイツ語がわからない私には良くわからなかった。とは言え、撮影した写真を見ると、日本ほど派手なラッピング車両ではなさそうに見える。それに加え、蛇腹式の連結部分を持つ新しい車両が多かったのも、古めかしい車両ファンの私としてはちょっぴり残念なことだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、路面電車の走る街(フランクフルト)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 路面電車はできるだけ古めかしい車両であって欲しいなんて、きっと私のわがままなんでしょうね。新しい車両のほうが安全性は高いわけですが、カメラと同様、新しい車両だと、何となく愛着がわかないのです。そういう古い車両好きの路面電車ファンを狙って、古めかしい造りでレトロな車両を走らせている観光地もありますよね。しかし、それもまた心が動きません。私は、見掛けだけの古めかしさにこだわっているわけではなく、何十年もその街を走って来た車両に愛着を覚えるのです。残念ながら、フランクフルトではそのような車両には出会えませんでしたが、私にとっては懐かしい広島を思い出せただけでもよしとしましょうか。(笑)

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2010.09.21

映画『クロッシング』

ホットヨガ(二〇〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m かつて私がせっせと参加していたように、ホットヨガのレッスンにも、骨盤の歪みを矯正する骨盤コースがあるのですが、やはり現在の自分の状況にぴったり合った骨盤矯正が必要だと考え、ある本を注文してみました。これからは、その本に書かれていることを実践しながら、身体の歪みを取って行きたいと思っています。

 本作を鑑賞したのは、今からおよそ二ヶ月前の七月二十四日のことである。いつも足を運んでいるミニシアター系映画館で鑑賞したのだが、普段はそれほど混雑することなどないはずなのに、私が鑑賞した回の上映は座席がほとんど埋まっていたのを覚えている。しかも、鑑賞されている方の年齢層が比較的高いように思えた。

 北朝鮮の実情に対する問題提起とも取れる本作は、分かれ分かれになった家族が再会を切望しながら過ごすやるせない日々が描かれている。元サッカー選手のヨンスとその妻、そして二人の息子であるジュニは、貧しいながらも三人で幸せに暮らしていた。しかし、妻が結核を患ってしまったため、ヨンスは妻と息子を北朝鮮の我が家に残し、妻の薬を買うために危険を冒して国境を越え、不法に中国に入国して出稼ぎを始める。脱北したことがばれたヨンスは警察に追われる身となるのだが、様々なピンチを切り抜けながらも、何とかお金を貯めて行く。そして、そのお金でようやく妻の結核に効く薬を購入したものの、妻は病状が悪化し、既に亡くなっていることを知った。家に一人残されたジュニもまた、危険を冒して国境を越え、父ヨンスを探し求めようとしていた。

 今はもうテレビを見なくなってしまったのだが、何年か前までテレビを見ていた頃、日曜日の朝のニュース番組で、北朝鮮に住む人が中国に続く国境を越えようと、危険を冒して川を渡る映像を観たことがある。確か川の周辺には、不正に国境を越えようとする脱北者たちを取り締まるための武装した兵隊が待機していた。栄養不足のために痩せ細ってガリガリの脱北者たちを見るにつけ、北朝鮮という国が決して豊かな国ではないことを思い知らされた。彼らはその国に留まっていてはもはや生き延びられないと判断し、必死の思いで川を渡り、国境を越えようとするのだ。本作の中でも、ヨンスやジュニがその川を渡るシーンがあり、私の中で、過去に見たニュース番組の映像と重なった。

 実際にそうなのだろうが、本作の中での北朝鮮は、自由のない国として描かれていた。韓国と繋がりのある仕事をしている人が、韓国から文化を持ち込んでその文化をこっそり堪能していると、それを取り締まるための武装した兵隊がやって来て、その家に住む人たちをたちまち連行してしまう。その文化とは、私たち日本人にとっては当たり前のビデオ鑑賞であったり、宗教であったりする。北朝鮮に住む人たちには、そんな自由さえも与えられていないのだ。そして、連行されたあとは収容所のようなところに入れられて、国のために働かされながら集団生活を強いられるのである。私にはとても理解できない光景だった。

 日本では、オウム真理教(現アレフ)のように、人の命を奪うような宗教団体に対しては厳しい取り締まりがあるものの、基本的には言論も思想も宗教も自由な国である。しかし、北朝鮮という国は、国をあげて国民たちからそれらの自由を奪おうとしているのだ。素人の私から見れば、そんなことを取り締まろうとする軍隊に使うお金があったら、もっと別のことにお金を使うべきなのではないかと思ってしまう。しかし、まるで洗脳されているかのように、人々は国の言いなりになっている。

 北朝鮮は、そもそも国として成り立っているのがおかしい。それが私の正直な感想だ。国民に自由を与えないのは、他の国の文化に触れるとそっちに転んでしまい、国としての一体感を維持できなくなると思っているからなのだろうか。もしも真剣に国としての一体感を感じたいと思うならば、強制的に同じ方向を向かせて感じる一体感よりも、国民それぞれに自由意思を与えた上で辿り着く一体感のほうが素晴らしいと私は思うのだが・・・・・・。

 日本人も朝鮮の人たちも、顔立ちはとても良く似ている。しかし、特に北朝鮮の人たちの表情には笑いがない。笑いは心の余裕、あるいはその人の持つ自由意思の表れなのではないだろうか。だから、同じような顔立ちをした民族であっても、北朝鮮の人たちと韓国の人たちの表情はずいぶん異なって見える。

 しかし、そんな中でも救いだったのが、彼らが国境を越えるための手伝いをする人たちが存在していることだった。中には、軍隊にお金を渡して、国境を越えるのを見逃してもらおうとするシーンもあった。例えそれが違法であるとしても、もともとそこで敷かれている法がおかしいのだから、そうした裏の選択もむしろ愛のある行為に思えてしまう。

 ただ、本作のラストはあまりにも切ない。普段の私の生活の中で足り過ぎているものを、思わず差し出したい気持ちになる。例えば、映画鑑賞中に携えている水分でさえも、父との再会を切望して砂漠のようなところを彷徨い歩くジュニに差し出したかった。しかし、ジュニは・・・・・・。

 国の頂点に立つ人は、すべての国民に対してその温かい想いが行き届くような慈悲深い人であって欲しい。国民に対して何かを強いる人ではなく、国民に自由意思を与える人であって欲しい。少なくとも、本作のような映画作品が製作されていることに問題意識を持つ人であって欲しい。今更ながら、ついそんなことを切望してしまうのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 病気の妻を治療するための薬を買うために薬局に出向いたヨンスが、処方箋があれば薬をタダでもらえることを知り、驚くシーンは印象的でした。国民にできるだけ負担を掛けないこと。それが政治たるものなんでしょうね。北朝鮮は、国民が豊かな生活を送ってはいないというのに、核実験を繰り返したりする国であります。そういうところからも、やはり国としてのお金の使い方がおかしいと思います。言うまでもなく、国の頂点に立つ人の大幅な意識改革が必要だと痛切に感じました。

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2010.09.20

ホットヨガ(二〇〇回目)

冗談混じりから本気へ(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。とにかく、チケットを入手することができて良かったと思います。友人のおかげですね。彼女曰く、○○市の会館は、わずか千人程度収容の小さな会館のようです。実はこのあと、別のアーチストのコンサートチケットを購入するためにローソンチケットのサイトを利用してみたのですが、最初にログインしているのに、実際の購入時にもう一度ログインし直さなければならず、やはりとても使いにくいユーザインターフェースだと思いました。それによると、どうも指定された期限内にチケットを引き換えに行かなければ、予約したチケットが無効になってしまうようなので、登録したクレジットカードでただちに決済が行なわれるわけではなさそうです。それにしても、ローソンチケットのチケット予約システムを開発した会社はどこなのでしょうか? 私はソフトウェアの開発技術者であるとは言え、Webアプリケーションの開発が専門ではありませんが、このサイトのユーザインターフェースはあまりにも酷すぎます。きっと、開発した人が実際に活用しているアプリケーションではないのでしょうね。ミリ秒単位の速さが競われるチケット予約のサイトで、このような使い勝手の悪いサイトは好まれませんよ。こういうアプリケーションは、実際にチケットの予約を経験したことのある人が設計したほうが良いと思います。

 十数回分の回数券が余っている状態で五十回回数券を購入したので、毎週末に加えて月に一回程度のレッスンを受けなければ、またしても回数券を余らせてしまうことがわかっていた。できれば平日の仕事帰りに何とか時間を作ってレッスンに参加できないものかと常々思ってはいるのだが、レッスンを終えたあと二十二時頃に帰宅して、「ガンまる日記」の下書きをしたあと、翌朝五時に起床するという冒険になかなか踏み切れないでいる。実はホットヨガではなく、神戸市内のレディースデイである火曜日に、映画館に寄って映画を鑑賞するという方法で二十二時頃に帰宅してみたことがあるのだが、やはり翌日の仕事が辛かった。

 こんなふうに、平日になかなか身動きの取れない私にとって、三連休はホットヨガのレッスンに参加するのにもってこいのチャンスである。というわけで、三連休の初日は、三宮店でリラックスコースのレッスンを受けた。レッスンを受けたときには意識していなかったのだが、今回のレッスンで記念すべき二〇〇回目のレッスンを迎えることになったようである。とは言え、私が勝手にカウントしているだけなので、例え二〇〇回目のレッスンであろうとも、受付で、
「今日でちょうど二〇〇回目のレッスンですよね。おめでとうございます! 二〇〇回目のレッスンの記念として、こちらを進呈致します」
などといった祝福を受けるわけではない。

 さて、記念すべき二〇〇回目のレッスンの参加者は、私を入れてわずか九名だった。三宮店での土曜日のレッスンとしては珍しく少ない。やはり三連休ともなると、皆さん、どこかにお出掛けなのかもしれない。

 インストラクターは、いつも土曜日のこの時間に三宮店でリラックスコースのレッスンを担当してくださっている元神戸店のインストラクターである。あれから何度か三宮店に足を運んでいるものの、彼女以外に元神戸店のインストラクターを見掛けないので、元神戸店のインストラクターは、もはや彼女だけになってしまったのかもしれない。

 私は、彼女がレッスン中に入口の扉を大胆に開けて、スタジオの外の冷たい空気を送り込んでくださることを知っていたので、スタジオの中ほどのほうが空いていたにもかかわらず、入口に近いヨガマットを選んで腰を降ろした。私が加わったため、私の座ったエリアは、そのレッスンでは比較的密集したエリアとなってしまった。

 レッスンの途中、またしてもカエルのポーズが飛び出した。三宮店のレッスンでは、男性会員がいらっしゃらないので、私は恥ずかしげもなく思い切り足を広げてポーズを取った。

 ところで、私がいつも拝読している古久澤先生のメルマガで、先日、お腹の硬さに関する内容のメルマガが配信された。それによると、身体の硬い人はお腹が硬いらしい。

 何を隠そう、私は身体が硬い。ホットヨガのレッスンに通い始めてから早くも四年が経過しているというのに、いつまで経っても身体が柔らかくならないのだ。その原因としてお腹が硬いことを指摘されれば、まさしくその通りである。私のお腹は筋腫がかなり大きくなり、とても硬くなっている。そのためか、前屈をしても深く曲げられない。何年もホットヨガのレッスンを受けている人たちは、既に身体がとても柔らかくなっているというのに。

 私は、身体が柔らかい人とそうでない人の違いは、毎回のレッスンで自分自身の身体の硬さの限界に挑戦し続けて来たかどうかだと思っていた。私の場合、自分自身の身体の硬さの限界に挑戦するというよりも、自分の身体を庇(かば)うことに精一杯であるような気がする。これでは、いつまで経っても身体が柔らかくなろうはずがない。

 しかも、自分の骨盤の状況をチェックするために、目を瞑って両手を振りながら足踏みをしてみると、ほんの数歩足踏みをしただけで身体がどんどん前の方へと移動してしまう。目を開けてもほぼ同じ位置に立っているのが正常な骨盤とされている。どんどん前に進んでしまう私の場合、背骨が曲がっているために、骨盤に歪みを引き起こしてしまっているらしい。つまり私は、身体に不具合を抱えたままホットヨガのレッスンを受け続けていることになるのだ。その不具合を調整しなければ、このままいくらレッスンを受けたとしても、自分の身体の限界に挑戦することよりも、自分の身体を庇うことしかできないのではないかと思い始めたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 二〇〇回目を迎えて、ホットヨガのレッスンも新たな局面を迎えたようです。骨盤についていろいろ調べていると、何が不具合の原因で何が結果なのか、正直なところ良くわかりません。(苦笑)しかし、どうやら骨盤や背骨の歪みを矯正するための自宅でできる簡単な体操があるようなのです。ホットヨガのレッスンとそれらを合わせて行えば、自分の身体を庇うレッスンから、自分の限界に挑戦するレッスンへと移行できるでしょうか。

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2010.09.19

冗談混じりから本気へ(後編)

映画『コロンブス 永遠の海』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m マノエル・デ・オリヴェイラ監督自身が九十九歳になっても映画を撮りたいという情熱を持ち続けていることと(現在は一〇二歳らしいですが)、本作の主人公の夫婦がコロンブスに傾ける情熱はおそらく重なるのでしょうね。だからこそ、ご夫婦で出演されたのではないかと思います。私はマノエル・デ・オリヴェイラ監督の歳まで生きられるかどうかわかりませんが、おばあちゃんになっても「ガンまる日記」を書き続けていられるでしょうか。(笑)それでは、冗談混じりから本気へ(前編)の続きを書かせていただくことにします。

 チケットの一般発売日の朝七時頃、友人からメールが届いた。朝早く起きることができたので、何と、九時からの発売に備えて早くも会館のチケット売り場に並んでくれているという。彼女曰く、まだ他の人たちの姿はなく、彼女が一番乗りだったのだそうだ。私は、早朝から会館のチケット売り場に並んでくれた彼女に対してありがたい気持ちでいっぱいになり、まだまだ暑い時期だったので、できるだけ日陰で待てるようにという願いとともに、くれぐれも熱中症には気を付けてというメールを送った。

 それに対し、彼女からは、並んでいる場所は日陰であることと、座布団を持参して並んでいることを知らせるメールが届いた。彼女が会館に到着して三十分も経つと、二人組の女性が現れ、彼女の後ろに並んだそうだ。更に一時間ほど経過すると、いつの間にか十人ほどの列が出来ていたという。○○市は神戸市からも遠い場所にあるというのに、その方たちはチケットを求めるために、平日の朝九時前にわざわざ会館までやって来たのだ。

 一方、私はというと、チケット発売の前日までにローソンチケットへの入会手続きを済ませ、決済に使うクレジットカードをローソンチケットに登録しておいた。そして、チケット発売当日は休暇を取り、十時から始まるローソンチケットの発売に備えていたのだが、彼女が頑張って一番乗りを果たしてくれたおかげで、私がローソンチケットにアクセスすることはないように思えた。

 チケットぴあでもそうだが、ローソンチケットでもまた、チケットの電話予約や店頭発売が行なわれている。たいていの場合、私はいつ繋がるかわからない電話予約よりも、店頭に並んでチケットを購入していた。何故なら、店頭に並べば、いつかは必ず順番が回って来るからだ。しかし、どうやら今回は店頭発売が行なわれないようだったのだ。

 彼女と私による二段構えでチケットを獲得しようとしている一方で、私は、彼女と重複してチケットが取れてしまうことを密かに心配していた。もしも会館での一般発売も、ローソンチケットでの発売も同時に行なわれたとしたならば、両方でチケットが取れる可能性がある。その場合、過剰になってしまったチケットをどのような方法で欲しい方にお譲りするかが課題だった。

 これまでのチケット購入方法ならば、電話予約をしたあとに予約番号を発行してもらうと、引き換え期限までにチケットを引き換えに行かなければ、その予約番号は無効になるという正規ではない抜け道があったはずだった。しかし、いつの間にかその抜け道はなくなり、ローソンチケットのサイトを利用する際、最初からクレジットカードの登録が必須になっていることから、予約が取れた時点でただちにクレジットカードによる決済が行なわれるようである。おそらく以前の方法では、電話予約をしたものの、チケットを引き取りに行かない人があまりにも多過ぎたのだろう。そこでローソンチケットは、予約と同時に決済を行なうようなシステムに切り替えたのではないだろうか。

 それにしても、ローソンチケットは、携帯電話からもパソコンからもアクセスできるようになっているものの、ログインしたあと、トップページへのリンクが存在していないなど、実にわかりにくいユーザインターフェースとなっていた。また、私は携帯電話のサイトから入会手続きを行なったのだが、住所の番地などをすべて全角数字で入力しなければならず、半角文字での入力をベースに設計されている携帯電話からの入力が非常に困難だった。おまけに、私がメインで使用しているパソコンのメールアドレスは、パソコン通信時代から愛用しているメールアドレスであるために、大文字の英字が含まれているのだが、確認のために同じメールアドレスをもう一度入力するエリアに同じメールアドレスを入力すると、勝手に小文字に変換されてしまい、最初に入力したメールアドレスと確認のために入力したメールアドレスが異なっているというエラーメッセージが表示されてしまったのだ。そっちで勝手に小文字に変換しておいて一体何ごとだと、私は怒りを露にしながら、仕方なく、最初に入力したメールアドレスをすべて小文字に変換して登録手続きを完了させたのだった。

 さて、いよいよ九時になり、会館の窓口での発売が始まったようだった。一番乗りなので、おそらく大丈夫だろうと思いながらも、ドキドキしながら彼女からの連絡を待っていると、九時をほんの少し回った頃に、彼女から電話が掛かって来た。彼女の第一声は、
「取れたよ、まるみちゃん!」
だった。私は、
「ありがとう!」
と、心からの感謝の気持ちを彼女に述べた。チケットが一般発売されるまでの数日の間、ああでもない、こうでもないと何度も彼女と打ち合わせを繰り返していただけに、彼女への多大な感謝の気持ちとともに、一つのプロジェクトを完成させたような達成感があった。

 彼女曰く、
「ほんとは△△(好きなアーチストの中の特定のメンバーの名前)寄りのもうちょっと前のほうの席があったんだけどさ、まるみちゃんたちご夫妻が☆☆(好きなアーチストの中の特定のメンバーの名前)ファンだから真ん中の席にしてもらったよ」
とのことだった。何とありがたいことだろう。もともと彼女自身は△△ファンだったが、今から二十数年前にバックバンドのメンバーに心変わりした。しかし、そのバックバンドのメンバーは、私の好きなアーチストのバックバンドのメンバーを卒業してしまったため、もはやコンサートでは姿を見られなくなってしまったのだ。

 私は彼女に重ねて御礼を言い、電話を切った。その後、届いた彼女からのメールも、やはり無事にチケットを確保することができた喜びに満ち溢れていた。私も彼女のおかげでチケットを入手することができた喜びと感謝の気持ちをメールに綴って送信した。

 ちなみに、○○市でのコンサートが行なわれるのは、とある平日である。その日、仕事に出掛けていてはコンサートの開演時間にはとても間に合わないので、ガンモと二人で休暇を取って参加することになりそうである。ただ、私の好きなアーチストのコンサートは、平日だと十八時半から始まり、だいたい三時間後に終演となる。そこから高速道路を使っても一時間以上かかる我が家に戻り、「ガンまる日記」の下書きをしたあと、翌朝、五時に起きて仕事に出掛けて行くのはちょっと厳しいだろう。もしかすると、コンサートの当日とその翌日は二日連続で有給を取ることになるかもしれない。

別記事の冒頭に書かせていただきましたように、ローソンチケットは、予約と同時に登録したクレジットカードから決済が行なわれるわけではなさそうでした。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 友人のおかげで、無事に○○市で開催されるコンサートのチケットを入手することができました。考えてみると、私はときどき彼女と会っていますが、ガンモを含めた三人で顔を合わせるのは、ずいぶん久し振りのことであります。何年か前に、ガンモと二人で彼女の家に泊まりに行った以来のことかもしれません。彼女はガンモのことを「ガンモちゃん」と呼んでいます。二人は同い年なんですね。(笑)懐かしい三人組でコンサートを鑑賞できるというのも、また楽しみの一つであります。

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2010.09.18

映画『コロンブス 永遠の海』

冗談混じりから本気へ(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 友の会向けにチケットが発売されるコンサートは、友の会に入会していない人にとってはなかなか入手が困難であります。そのときだけ友の会に入会するという手もありますが、そもそも会館の主宰する友の会は、あくまでその会館で行なわれるコンサートチケットの優先販売であって、特定のアーチストのコンサートチケットの優先販売ではないんですよね。それを考えると、特定のアーチストに特別な情熱を注いでいる場合、そのアーチストがその会館で公演を開催しなければ、友の会に入会する意味がなくなるわけなのです。おそらく会館の主宰する友の会に入会されている方というのは、特定のアーチストに情熱を注ぐというよりも、もっと広く浅く芸術を楽しみたい方なのではないかと推測します。

 鑑賞しても、なかなかレビューを書き難い作品もある。本作がまさにそうである。七月十八日に梅田店のスタジオでホットヨガのレッスンを受けたあと、梅田店のスタジオのすぐ近くにあるミニシアター系映画館で鑑賞した作品なのだが、私としては作品から受け取ったものがやや少なかったように思える。

 ただ、レビューを書くにあたり、作品の情報を調べようと、映画サイトを拝見していると、本作がポルトガルとフランスの合作映画であり、本作でメガフォンを取ったマノエル・デ・オリヴェイラ監督が現在百歳を超える世界最高齢の現役の監督であることがわかった。しかも、本作はマノエル・デ・オリヴェイラ監督が九十九歳のときに撮影された作品なのだが、何と、作品の中で現代の主人公のご夫婦の役をマノエル・デ・オリヴェイラ監督ご自身とマノエル・デ・オリヴェイラ監督の奥様のお二人で演じていらっしゃるのだ。結婚七十周年を迎えられたお二人がともにお元気でいらっしゃるのは感動的である。

 新大陸を発見したことで知られているコロンブスは、イタリア人ともスペイン人とも言われているそうだ。しかし、そのコロンブスの没後五百年となった二〇〇六年に、実はコロンブスがポルトガル人だったという新説が浮上したそうだ。本作は、その新説に触発されたマノエル・デ・オリヴェイラ監督が、半世紀に渡ってコロンブスの謎に迫ろうとする夫婦を主人公に描いている。しかも、コロンブスの謎に迫るという夫婦のライフワークは、新婚旅行から始まっているのだ。そして、そのライフワークを通して夫婦の絆を深めて行き、新婚当時から四十七年経っても、夫婦ともにそのライフワークに対する情熱を持ち続けているだった。

 映し出される映像の中にはポルトガルや、コロンブスが目指したアメリカが登場する。これまであまり意識したことはなかったが、ポルトガルは海との縁がずいぶん深いようだ。他国との国境となっている地域は陸地だが、それ以外の境界は海である。その海を眺めていれば、船に乗ってまだ見ぬ異国の地へと出掛けて行きたいz衝動に駆られるのかもしれない。確か日本の種子島にも、一五四三年にポルトガルの船がやって来たはずである。

 ただ、良くわからなかったのが、ポルトガルの国旗を象徴する服を着た少女が、夫婦の訪れる先々で夫婦を見守っていたところである。その服装からも、彼女はあたかも遠い過去からやって来たように見える。彼女は誰の目にも見えない存在なのだが、ポルトガルの国旗柄の服を着ていることから、マノエル・デ・オリヴェイラ監督自身のポルトガルへの愛国心を示すものだったのかもしれない。あるいは、コロンブスがポルトガル人だったという強い希望を表現していたのかもしれない。そう考えると、私が本作を鑑賞したときに足りていなかったのは、ポルトガルへの愛国心だったのだろうか。とは言え、コロンブスにまつわるとされるポルトガルの様々な地域とコロンブスとの繋がりがわかりにくかったのも事実である。計画的ではなく、あたかも偶然にその場所を訪れたように描かれていたように思うからだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m レビューを書くにあたり、ポルトガルのことやこの作品を通してマノエル・デ・オリヴェイラ監督が描きたかったであろう内容を想像するにつれ、じわじわと本作への理解度が深まっているように思います。本作は、マノエル・デ・オリヴェイラ監督の気持ちに寄り添って、自分自身がポルトガル人になったような気持ちで鑑賞するのが一番いいのかもしれません。

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2010.09.17

冗談混じりから本気へ(前編)

ユーロとご縁がありますようにの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m インターネットで日本銀行本店の写真を確認してみたところ、円(¥)のモニュメントは設置されていないようですね。(笑)政治的には、円高への対策が練られているようですが、少なくとも日本円を外貨に換金するという点においてはメリットがあるわけですから、目くじらを立てずにそのメリットを活かせばいいのにと思ってしまいます。そうでないと、何となく日本国内において、円高であることのデメリットだけが強調されてしまうように思いますね。

 かつては、コンサートのチケットを入手するのに、休日の朝十時から血まなこになって電話を掛け続けたり、携帯用椅子などを持参して、早朝からチケット売り場に並んだりしたものだった。しかし最近では、私の参加しているほとんどのコンサートにおいて、郵便振替による申し込みを受け付けてくださるようになり、以前よりもチケットの入手が楽になったと思っていた。

 秋に行なわれる私の好きなアーチストの神戸公演のチケットも、郵便振替で申し込めるようになっていた。しかし幸か不幸か、郵便振替の受付期間のほとんどが、夏休みの旅行で日本を離れている時期だった。救いだったのは、帰国した翌日まで受付期間が設けられていたことである。言い換えれば、その日を逃してしまえば、別の手段で神戸公演のチケットを入手しなければならないということである。

 私は、帰国した翌日から出勤だったので、忘れないように郵便振替用紙を携え、いつもよりも早めに家を出て、出勤前に職場の最寄駅近くにある郵便局のATMから神戸公演のチケット代金を振り込んだ。これで、郵便振替の最終受付日に、何とかギリギリセーフで間に合ったことになる。

 ところが、八月の後半くらいだっただろうか。信じられないことに、神戸公演のチケットを確保できなかったことを知らせる手紙とともに、私の振り込んだチケット代金が郵便為替で送られて来た。神戸公演は、比較的大きな会館で行われるはずなのに、地元とも言える私がチケットの抽選に外れてしまったのは何故だろう? 納得の行かない気持ちを抱きつつも、私が郵便振替の最終受付日に振り込みを行なったことから、やはり抽選ではなく、先着順に当選が決まってしまったのだろうかとも思えた。

 私ががっくりと肩を落としていると、同じアーチスト仲間の友人からメールが届いた。彼女は、私と同じ兵庫県内に住んでいる古くからの友人で、これまでにも何度か「ガンまる日記」に登場したことがある。彼女とは、コンサートのために遠征した旅先で出会い、出会ったその日に同じホテルの同室に泊まったほど意気投合した仲である。また、彼女は、ガンモと私が交際を始める前からじっと見守ってくれていた大切な友人でもある。

 彼女と出会った頃は、私が東京に住んでいて、彼女は兵庫県に住んでいたのだが、のちに彼女が東京の学校に通うことになり、東京に引っ越して来たときはとてもうれしかった。彼女は先に東京で一人暮らしをしていた私の部屋に遊びに来るときに、自分の食べるご飯をコンビニで買って来ては、私の部屋でくつろぎながら食べていた。彼女はやがて、兵庫県に帰って行ったのだが、考えてみると、それから何年も経って、今度は私が彼女のいる兵庫県に嫁いだというのも不思議なご縁である。ただ、兵庫県内では比較的大阪に近いところに住んでいる私と違って、彼女は、私の住んでいる場所とは反対側の岡山に近いところに住んでいた。横にも縦にも広い兵庫県なので、彼女と会うためには、お互いにかなり気合を入れなければならなかった。

 そんな彼女からのメールには、
「○○のコンサートに行こうかなあ」
と冗談混じりに書かれてあった。○○というのは、彼女の住んでいるところから比較的近い市の名前である。毎年、秋に行なわれるツアーにおいて、私の好きなアーチストは、兵庫県内では神戸市でしか公演を行なっていなかったのだが、今年はどういうわけか、彼女の住んでいるところから近い○○市でコンサートを行なうことになっていたのである。彼女は、ここ数年、好きなアーチストのコンサートには足を運んでいなかったのだが、彼女の住んでいるところから近いところで公演が行われるということで、久し振りにコンサートに参加したいと思ったようだ。ただ、彼女がメールをくれた時点では、彼女はまだ、自分が○○市のコンサートに足を運ぶということに関して、現実的には考えていなかったようだ。

 神戸公演のチケットが取れなかった私は、彼女と一緒に○○市のコンサートに賭けてみたい気がして、まずはガンモに○○市の公演に参加しないかと持ち掛けてみた。どういうわけか、ガンモもまた、好きなアーチストが○○市でコンサートを行なうことをしっかりチェックしていて、神戸市内の大きな会館でのコンサートに参加するよりも、○○市の小さな会館でのコンサートに参加したいと答えた。それを聞いた私は、すぐに彼女にメールの返事を書いて、ガンモも私も、○○市のコンサートに行きたいと思っていると伝えた。すると彼女は、私のそのメールですっかりスイッチが入ってしまったらしく、何とかして○○市で行われるコンサートのチケットを確保して、三人でコンサートを観ようということになった。

 それから彼女とは、○○市で行われるコンサートチケットを入手するために、頻繁にメールをしたり、電話で話をしたりした。やっかいだったのは、そのコンサートのチケット購入方法が郵便振替ではなく、会館の窓口やローソンチケットなどで発売されるということだった。しかも、会館では、その会館の主催する友の会の会員向けに、チケットの先行発売も行なわれるというのだ。

 そこで、彼女も私も手を尽くしてそれらの正確な情報を集めた上で、会館の主催する友の会の会員に入会して早めにチケットを確保するか、それとも一般発売に賭けるかという話をした。何と彼女は、自宅から自家用車で四十分も掛かるという○○市の会館までわざわざ出向いてくれて、友の会の会員に入会するための方法などを聞いて来てくれた。それによると、購入するチケットの枚数によって、友の会の会費が異なって来るらしい。

 彼女曰く、たまたま彼女の知人がその友の会に加入しているらしく、私の好きなアーチストが○○市でコンサートを開催することを知ると、そのコンサートに参加したいと言ったらしい。しかし、友の会の会員といえども、友の会の会員の特典を利用して購入できるチケットの枚数は年間何枚と決められてしまっているそうで、彼女の知人自身にも他に行きたいコンサートがあり、そのコンサートに参加することで友の会の特典を消費してしまうことを渋っていたようだった。

 そのため、私たち三人で新たに友の会に入会して、チケットを購入しようかという話もいったん持ち上がったのだが、やはりチケットを三枚購入するとなると、友の会の会費が割高になってしまうため、踏み止まった。結局、一般発売に賭けようという話になったのだが、その一般発売が何と、平日の午前中だったのである。郵便振替でチケットの販売が行なわれないことと言い、平日の午前中にチケットが発売されることといい、平日に仕事をしている人にとっては優しくない発売方法である。ただ、不思議なことに、コンサートが行なわれる会館の窓口では朝九時からの発売で、ローソンチケットでは一時間遅れて十時からの発売だった。ありがたいことに、彼女はたまたま平日でも身動きが取れるというので、発売日の発売時間前に会館まで自家用車を走らせて出向いてくれることになった。一方、私は私で有給を取って、万が一彼女がチケットを取れなかったときのために、ローソンチケットでチケットを確保すべく待機することになったのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 一回で書き上げようと思ったのですが、記事が長くなってしまいましたので、このあといったん映画のレビューを挟んでから、続きを書かせていただきますね。普段は郵便振替で比較的楽にコンサートのチケットを入手していたのですが、今回は会館主宰なのか、特殊な方法でチケットの発売が行なわれました。平日に仕事をしていると、例えば郵便局が職場近くにない場合など、郵便振替によるチケットの申し込みでさえもままならないことがあるかと思います。それでも、近くに郵便局さえあれば、仕事を終えて振り込むこともできますので、郵便振替によるチケットの申し込みは、平日になかなか自由の効かない人にとっては優しい申し込み方法だったのですね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.09.16

ユーロとご縁がありますように

映画『ザ・ロード 』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ここまで本格的に髭を生やしたヴィゴ・モーテンセンを拝見したのは初めてのような気がします。髭があるだけで、ずいぶん雰囲気が変わって来るものなのですね。女性は髭を生やしてイメージチェンジを図ることはできませんので、男性にとっての髭は、女性にとっての髪と同じくらい、変化を付けられるアイテムなのかもしれませんね。

 フランクフルトには、欧州中央銀行の本店がある。欧州中央銀行とは、ユーロ圏全体の中央銀行である。ユーロ圏の集まりを日本に例えてしまうならば、欧州中央銀行本店は、日本銀行本店に相当する。ユーロを発行している銀行の本店だけに、おそらくここにはたくさんのユーロがあるのだろう。それを象徴するかのように、欧州中央銀行本店のあるユーロ・タワーの前にはユーロのモニュメントがあった。このモニュメントの前で、多くの観光客たちが記念撮影をしていたので、私たちも、これからもユーロとご縁がありますようにという願いを込めて、このモニュメントをカメラに収めた。

欧州中央銀行本店前にあるユーロのモニュメント

 しかし、すぐに気が付いたのだが、何だか様子が変である。どうやらユーロのモニュメントの裏側から撮影してしまったらしい。普段からユーロには馴染みがないだけに、裏側から撮影していることに気付かなかったのだ。そこで再び撮り直すことにした。

今度は表側からユーロのモニュメントを撮影した。バックに写っているのは、欧州中央銀行本店があるユーロ・タワー

 これで良い。私たちも、これからきっとたくさんのユーロとご縁があることだろう。

 欧州中央銀行本店のモニュメント付近には公園があり、ベンチが備え付けられていたので、私たちはしばらくベンチに腰掛け、ユーロのモニュメントを見守っていた。すると、入れ替わり立ち替わり観光客がやって来ては、やはりモニュメントを背景に記念撮影を行なっていた。普段からユーロに馴れ親しんでいる彼らは、私たちのように、ユーロのモニュメントの反対側から撮影するようなヘマはしなかった。

 しばらく公園のベンチに座っていると、サングラスをかけて、耳にイヤホンを挿した中年男性が通り過ぎて行った。野球帽のような帽子を頭にかぶり、上下揃いではないスーツを着用している。しかし、公園を散歩するにしては、公園と一体にはなっていない様子である。良く見ると、耳に挿したイヤホンも、自分の好きな音楽などを聴くためのものではないことがわかった。

 その男性は、私たちの前をいったん通り過ぎたあと、しばらく経つとまた同じ場所を歩いていた。サングラスに、好きな音楽などを聴くためのものではないイヤホンという怪しいいでたちから、この男性は、ユーロがたくさんある欧州中央銀行本店をさりげなく警備している人なのかもしれないと思った。もしも公園付近に怪しい人物を見掛けたならば、この男性はただちにイヤホンに繋がった無線か何かで欧州中央銀行本店に知らせて助けを呼ぶのではないだろうか。その男性のいでたちから、勝手にそんなことを想像したのだった。

 ところで、ユーロついでにご報告しておくと、夫婦でプチFXの記事に書いたように、私たちは早々と日本円をユーロに換金していた。というのも、夏になれば、ユーロがもっと高くなるだろうと思ったからだ。しかし、私たちが出発する頃のユーロのレートは、私たちが換金した頃のユーロのレートとほとんど変わりがなかった。むしろ、出発する頃のほうがほんの少し円高で、ユーロを求め易いくらいだった。そのため、現地ではクレジットカードもしばしば利用することになった。そして、この記事を書いている今も、私たちが換金した頃のユーロのレートとほとんど変わりがない。

 ユーロは、私たちが換金した頃よりも更に求め易くなったこともあったというのに、私たちはそのタイミングで円高の恩恵を受けることができなかった。やはり、ユーロのモニュメントを裏側から撮影して涼しい顔をしていたくらいだから、ユーロにはご縁がないのかもしれない。とは言え、一ユーロ百六十円前後の時代からすれば、ずいぶん円高の恩恵を受けてはいるのだが・・・・・・。これからもどうか、ユーロとご縁がありますように。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 円(¥)は表側から見ても裏側から見てもほとんど変わりはないですが、ユーロは違うんですよね。ところで、日本銀行の本店に足を運んだことはないですが、日本銀行本店前には、円(¥)のモニュメントがあるのでしょうか。仮にあるとしても、円(¥)のモニュメントの前で写真撮影をする日本人はいないでしょうね。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.09.15

映画『ザ・ロード 』

自動販売機のクロケットとピリ辛ヌードルの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 「ガンまる日記」始まって以来の一大事が起こってしまいました。(苦笑)朝六時半の更新直後からおよそ十二時間に渡り、「ガンまる日記」の過去二日分の記事が消えてしまったのです。朝、記事を更新したときには気付かなかったのですが、どうやらそのときに同じ記事がいくつも重なってしまい、それに加えていつの間にか過去二日分の記事が消えてしまっていました。アクセスしてくださった皆さんには大変ご迷惑をお掛けしました。m(__)m そのことに気が付いたのは、勤務先でのお昼休みが終わる頃でした。ひとまず、重複している記事を携帯電話のココログ管理画面から削除したあと、消えてしまった過去二日分の記事をどのように復活させるかでしばらく悩みました。こういうときこそ冷静に対処すべきだと思い、夕方、仕事を終えるまでの間にこっそり作戦を練りました。(苦笑)そして、消えてしまった記事のうち、映画『ロストクライム -閃光-』の記事については、ダウンロード型のRSSリーダーから取得しました。私には、いつも楽しみに拝読しているブログがいくつかあり、それらのブログの記事を自分のパソコンにも保存しておきたいので、ダウンロード型のRSSリーダーを使用して記事の内容を取り込んでいるのです。その中に「ガンまる日記」も登録していたため、映画『ロストクライム -閃光-』の記事はそこから復活させました。そして、空振りしてしまったアムステルダムのコインランドリーの記事については、Googleのキャッシュに頼りました。いやあ、Googleのキャッシュは凄いですね。私は、記事をアップロードしたあと、何度か推敲しているのですが、推敲する前の記事がGoogleのキャッシュに残っていました。そこから掘り起こして記事を書き上げ、もう一度推敲しておきました。やれやれです。(苦笑)

 七月二十四日に鑑賞した作品だが、今なお上映中の映画館が全国にいくつかあるようだ。世界の終わりが描かれた暗い雰囲気の作品で、何となく、村上春樹さんの『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を映像化するとこのような暗い雰囲気になるのだろうかと想像してしまった。やはり、世界の終わりともなれば暗いのは当たり前で、明るく完全燃焼するような世界の終わりなど有り得ないのだろうか。

 本作の中では、何故、世界の終わりが訪れてしまったのかは説明されていない。世界の終わりを一生懸命生きようとする父と息子が、南を目指して旅を続けている。食料もほとんど尽きてしまい、とうとう人肉を食べる人間たちまで現れてしまった。そんな恐ろしい人間たちから自らの身を守りながら、二人はひたすら南へ南へと旅を続けて行く。

 このような世界を生きることになれば、人肉を食べる人間たちのように理性を失い、堕ちて行くこともあるだろう。しかし、二人は決してそうはならず、理性を保ったまま旅を続ける。旅の途中で何人かの人たちに出会うのだが、相手が善人なのか悪人なのかをしっかりと見極めながら接して行こうとする姿がとても印象的だった。普段、私たちが生活している世界においては、すれ違う人たちが善人であるのか悪人であるのかなどということを意識することはほとんどない。しかし、世界の終わりの旅においては、自らの身を守るためにとても重要なことなのだ。

 また、意外にも、世界の終わりの旅においては、「靴」が大切な必須アイテムとなっていた。歩くために必要な靴がもはや生産されることがないとなれば、今、持っている靴を大切に大切に使って行くしかないだろう。それでも、旅を続ければ靴はどんどんすり減ってしまう。旅を続けている人たちの中には、どうしようもなく劣化した靴を新聞紙で保護して使用している人もいた。ボロ着を身にまとい、破れ被れの靴で歩いている人の姿は、やけにリアルだった。

 食べ物もなく、外を歩けば人肉を食べる人間たちにも出くわす可能性があるために、南を目指す二人の旅はハラハラドキドキの連続だった。そんな中にあって、至福の時間とも言える素晴らしい時間を二人は過ごすことになる。それは、偶然見付けた廃屋の地下に蓄えられたたくさんの食糧を見付けたことから始まった。暗く緊張した世界の終わりの映像から一転して、明るく柔らかな蝋燭の光とともに二人の笑顔が映し出される。少なくとも食料が尽きるまでは、この状況がずっと続けばいいのにと思っていたのだが、強い警戒心から、二人は持てるだけの食料を持ってそこを離れてしまう。外に出れば、人肉を食べる人間たちがいるというのに・・・・・・。

 警戒心からそこを離れるきっかけとなった現象については、ラストに解き明かされることになるのだが、そこに至るまでの間に二人は様々な出会いと別れを経験することになる。今、こうして本作を振り返ってみると、本作は、例えどのような状況に陥ったとしても、自分自身を見失うことなく生きて行くことの大切さと、ある程度は新しい状況に順応しながら生きて行くことの大切さを同時に表現しているように思う。世界の終わりに順応できなかった人物としては、二人にとって最も身近な存在でもあったはずの息子の母が挙げられる。南へ向かう旅が父と母と息子の三人ではなく、父と息子の二人だけの旅になってしまったのは、母が世界の終わりに順応できなかったためでもあるのだ。

 また、このような究極的な状況下において、出会った相手が善人であるのか悪人であるのかを判断する際に、既にいろいろな人生経験を重ねて来た父と、まだまだ人生経験の浅い息子とでは判断基準が異なっていたのも興味深い。例えば、海辺で二人の持ち物を盗んだ黒人男性に対し、父は完全に悪人と決め付けてしまうのだが、息子は悪人の中にも善人の要素を見出そうとしている。

 父の役を演じているのは、暗い役柄を演じるとピカイチのヴィゴ・モーテンセンである。ここのところ、彼の出演作に触れる機会が多いのだが、ほとんどすべての作品において、彼は明るい役を演じてはいない。そんな中でも本作は、ヴィゴ・モーテンセンの肉体を駆使した演技よりも精神の演技に注目する作品であると言える。

 ちなみに本作の原作者は、映画『ノーカントリー』の原作者でもあるコーマック・マッカーシーだそうだ。本作には、映画『ノーカントリー』とはまた違った緊張感が表現されている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実際にこのような世界の終わりが訪れたとき、人々はどのような行動を取るのでしょうか。人と人が新たな信頼関係を結ぶのが難しいということが、ラストに表現されています。相手を善人だと判断していいものかどうか、とことん迷うんですね。世界の終わりであるだけに、相手が本当に善人であるとわかったときに思わずこぼれる笑顔が余計にキラキラと輝いて見えました。極端に陰に傾いた作品ではありますが、それだけに、陰と陽のバランスの大切さについても考えさせられました。それは、私たちが普段、当たり前のように接しているバランスだったのですね。バランスを崩したときにしか、バランスの大切さを実感できないのは、愚かなことであるようにも思いました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.09.14

自動販売機のクロケットとピリ辛ヌードル

空振りしてしまったアムステルダムのコインランドリーの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。去年、出掛けたベルギーのブリュッセルでも、コインランドリーで洗濯をしたいのにホテルの周辺にコインランドリーが見当たらなかったため、結局、その次の滞在先となったパリでコインランドリーを利用した覚えがあります。諸事情により、確かブリュッセルで宿泊したホテルも五ツ星ホテルでした。ホテルの周辺には高級ブランド店が立ち並び、私にとってはかなり居心地の悪い場所でした。(苦笑)せっかく外国を訪問しているのですから、できるだけ庶民的な感覚を味わいたいものですよね。

 オランダには、クロケットと呼ばれる揚げ物があるらしい。調べてみると、もともとフランスあるいはイギリスから伝わった食べ物らしい。オランダでは、何種類ものクロケットがまるで私書箱のような自動販売機で売られていた。利用客がコインを入れると、クロケットの入ったボックスのロックが解除されるので、利用客は、食べたいと思うクロケットの入ったボックスを手で開けて中身を取り出すのだ。

自動販売機で売られているクロケットを購入している利用客

まるで私書箱みたいな自動販売機である。同じ商品が縦一列に並べられている

 面白そうなので、ガンモも挑戦してみた。何だか自分宛に届いた郵便物を取り出すみたいで面白いではないか。商品を開閉式のボックスの中に並べることにより、利用客は自分の欲しいと思うクロケットを確実に選ぶことができる。店員さんの対応するお店で同じことを実現しようと思えば、それぞれのクロケットに名前や番号が付いているわけではないのでなかなか伝わりにくい。
「えーと、それください」
と商品を指差しても、利用客が思っている商品と、お店の人が思っている商品は違うものかもしれないのだ。

 クロケットの自動販売機は、駅の構内にあるお店で良く見掛けた。お店によって値段が微妙に違うので、価格調査をしないうちに早々と買ってしまうと、「しまった、こっちのほうが安かったのに」と後悔することになってしまう。

こちらは別のお店。上に書かれている数字がそれぞれの商品の価格となっている。単位はユーロ。例えば、1.20なら、一ユーロ二十セント(ユーロ)となる。同じ商品でも、お店によって少しずつ値段が違っている

 さて、私たちは、毎日パンばかり食べていたので、そろそろ違うものを食べたいと思い始めていた。そこで目に留まったのが、ピリ辛ヌードルを販売している中華風のお店である。ヨーロッパで中華風のお店を見付けると、どういうわけか安心する。おそらく、私たちの身体が自然に、温かいものを求めているからだろう。

中華風のお店

 こういうお店に入ると、いつも注文するのは私の仕事である。私は注文カウンターで、紙製のカップ入りピリ辛ヌードルを二つ注文した。日本のファーストフード店では、商品の準備が整わないとき、商品と引き換えに番号札や音の鳴る呼び出しベルを手渡されるものだが、この中華風のお店では、商品が出来上がるまで、コップにマジックで番号を書き込んだものをトレイの上に置いて待機することになった。番号札ならぬ番号コップというわけである。

商品を注文すると、番号札ならぬ番号コップがトレイの上に置かれた

 しばらく待っていると、間もなく私たちの注文した商品が出来上がり、番号コップはお店の人によって回収された。替わりにトレイの上に置かれたのは、紙製のカップに入った温かいピリ辛ヌードルである。

紙製のカップ入りピリ辛ヌードル

 見た目は焼きそばのようなものだが、スパイスが効いていてなかなかおいしかった。私は、この味がとても気に入ったのだが、ガンモにはあまり好みの味ではなかったらしく、自分が食べているピリ辛ヌードルよりも、すぐ近くのテーブルでオランダ人が食べているヌードルではなくうどんのほうに注意を奪われていたようだった。私が、
「おいしい、おいしい」
と言いながらピリ辛ヌードルを食べていると、ガンモは、
「俺はあっちにするんだった」
とうらめしそうに、同じように紙製カップに入ったうどんを食べているオランダ人を見つめていた。

 私は、
「文句を言うなら自分で注文しなさい」
とガンモに言った。実際、私は麺も気に入ったのだが、花のように開く紙製のカップも気に入っていたので、中身はヌードルでもうどんでもどちらでも良かったのだ。ただ、そのときはうどんよりもピリ辛ヌードルのほうを食べたかったのだと思う。

実は、この紙製カップがユニークだと思い、注文したのだ

 久し振りに、普段、日本で食べている料理に近いものを食べることができて、私はうれしくなった。おそらく、紙製のカップは、もともと店の外に持ち出して食べられるように用意されたものだと思うのだが、外に持ち出して食べている利用客よりも、店内で食べている利用客のほうが多かったように思う。

 日本で類似の商品を食べようと思えば、屋台などで売られている焼きそばに相当するのかもしれない。焼きそばも、透明な平べったい容器ではなく、このような紙製のカップで売られるならば、量も多くなり、また、珍しがって利用客も増えるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 海外には日本料理のお店が少ないからでしょうか。日本に近い中華風のお店を見付けると何故かホッとします。紙製のカップは、映画館などで食べるポップコーンに使われている、蓋の閉まるタイプのものでした。深さがあるので、ボリュームも満点でした。

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2010.09.13

空振りしてしまったアムステルダムのコインランドリー

映画『ロストクライム -閃光-』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 三億円事件は、今から四十年以上も前の事件ではありますが、三億円というと、今でもかなりの大金ですよね。事件当時の三億円は、今のお金に換算すると、果たしてどれくらいの価値があったのでしょうか。本作の中で、実行犯グループたちは、盗んだ三億円を燃やしてしまいました。急にお金回りが良くなると疑われますから、実行犯グループが逮捕されなかった理由が盗んだお金を燃やしてしまったことにあるとするならば、納得が行きますね。

 九日間の夏休みの旅行のために、私たちは四日分の着替えを持参していた。最初の三日間はフランクフルトに滞在し、持参した着替えが尽きてしまうアムステルダムでコインランドリーを利用しようと思っていた。

 そこで、オランダ語で書かれたアムステルダムのコインランドリーリストを頼りにコインランドリーを探してみたところ、アムステルダムで宿泊していたホテルのすぐ近くにコインランドリーがあることがわかった。このリストに書かれているWassalonsとは、オランダ語でコインランドリーのことらしい。ところが、下見のために足を運んでみると、残念なことにそこにコインランドリーはなく、あるのはクリーニング屋さんだけだった。

 海外でコインランドリーを探そうとすると、しばしばそのような状況に出くわす。それは、インターネットの検索エンジンなどが示すコインランドリーと一部のクリーニング店が同じ扱いになってしまっているためだと思われる。あるいは、かつてはクリーニング店の経営するコインランドリーが実際にその場所に存在していたのかもしれなかった。

 コインランドリーで洗濯をしなければ、もはや着替えがなかったので、私たちは市内観光をするときに、目を皿のようにしてアムステルダム市内のコインランドリーを探し回った。しかし、少なくとも私たちが出掛けて行った先には、コインランドリーは一軒も見当たらなかった。

 そこで仕方なく、ホテルのランドリーサービスの案内を確認してみたところ、下着を一枚洗濯してもらうのに何と数ユーロ(日本円で数百円)も掛かるという。もちろん、最も安い下着が数ユーロなのだから、下着よりも大きいTシャツやズボンなどはもっと高い。ホテルのランドリーサービスを利用するくらいなら、新しい下着や服を買ってしまったほうがいいのではないかとも思えた。ガンモと私の四日分のTシャツや下着、ズボン、靴下などをすべてホテルのランドリーサービスにお願いするとなると、一体全体洗濯代にいくら掛かると言うのだろう。コインランドリーさえあれば、ガンモと私の四日分の洗濯物を、おそらく数ユーロだけで一度に洗ってしまえるはずである。

 そう思うと、ホテルの近くにコインランドリーが見当たらないことがとてつもなく不便なことに思えて来た。思い切って、ホテルのフロントで、ホテルから一番近いコインランドリーがどこにあるのか尋ねてみようかとも思ったのだが、私たちがアムステルダムで宿泊していたホテルは五ツ星ホテルだったので、コインランドリーを教えて欲しいと申し出るのはあまりにも庶民的過ぎて、少々気が引けてしまった。

 結局私たちは、インターネットの情報を駆使して、ホテルから路面電車でいくつか移動したところにあるコインランドリーを見付けた。その日の観光を終えたあとに立ち寄ってみたのだが、残念ながら、営業時間は十八時までで、早くも閉まっていた。夏のアムステルダムは二十二時くらいまで外が明るいので、もしもコインランドリーが遅くまで開いているようなら、いったんホテルに戻って洗濯物を取って来る意気込みでいたのだ。



ようやく見付けたコインランドリー。しかし、十八時に閉店してしまっていた

 ガンモがインターネットで調べた情報によれば、そのコインランドリーの近くにもう一軒、別のコインランドリーがあるという。そこで私たちは、二軒目のコインランドリーを探し回った。その通りは、昼間のうちにマーケットが開催されていたらしく、マーケットのテントを撤去したあとに出て来た大量のゴミを始末するために、二、三台の清掃車がフル回転していた。清掃車のスタッフがチームを組んで楽しそうにゴミを片付けている姿が、私にはとてもうらやましかった。これまで私は、彼らのように楽しそうに仕事をしたことがあっただろうかと反省したほどだ。



楽しそうにゴミを片付けている清掃車のスタッフ

 そうこうしているうちに、ガンモはとうとう、もう一軒のコインランドリーを探し当てた。しかし、そのコインランドリーもまた、十九時で閉店してしまっていた。時計を見ると、十九時を少し回ったところだったので、もう少し早くそのコインランドリーに辿り着いていれば、営業中のコインランドリーを確認することができたかもしれなかった。

 ただ、私たちはその日、一日中歩き回ってとても疲れていたので、正直なところ、一刻も早くホテルに帰って休みたかった。とは言え、ホテルに帰ってももはや着替えがないので、私たちは仕方なく、ホテルに帰ると、おのおのが洗面所で一日分の洗濯をすることにした。そして、洗い終えたものをせっせとホテルの部屋の窓辺に並べて干した。

 翌朝、出掛けて行くまでにまだ乾きが足りないと感じたので、洗った洗濯物を備え付けのドライヤーで温めた。熱いドライヤーを吹きかけると、洗濯物はすぐに乾くことがわかった。とりわけ、筒状になっている靴下はすぐに乾いた。そして、あいにくその日の夜も帰りが遅くなってしまったので、またしてもコインランドリーには行けなかった。そのため、もはやコインランドリーを利用することは諦めて、私たちは毎晩、ホテルに帰るとおのおのの洗濯物を洗面所で洗ってホテルの部屋の窓辺に干した。

 皆さん、既にお気付きかもしれないが、実は世界のコインランドリーという、またしても大袈裟なカテゴリを追加している。できればアムステルダムのコインランドリーを使用した感想をこのカテゴリに納めたかった。しかし、ホテルの近くにコインランドリーがなかったことと、コインランドリーの営業時間が思いのほか早かったために、このようにコインランドリーの写真しか掲載することができないのは、とても残念なことである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 夏のアムステルダムは二十二時くらいまで明るいというのに、美術館や博物館は十七時で閉館してしまいますし、コインランドリーも十八時あるいは十九時で閉店してしまいます。日本には、二十四時間営業のコインランドリーもあるくらいですが、考えてみると、日本はそれだけ治安がいいということなのでしょうか。十九時にコインランドリーが閉まってしまうなら、平日に仕事がある人たちはコインランドリーを利用することができないのではないでしょうか。それとも、美術館や博物館が十七時で閉館してしまうのと同じように、仕事も十七時で終わることができるなら、何とかすべり込みセーフで何とか間に合うのかもしれません。

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2010.09.12

映画『ロストクライム -閃光-』

ホットヨガ(一九九回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m レッスンを終えたあとは、また同じインストラクターのレッスンを受けたいと思いました。そのインストラクターから、いつもポジティヴなエネルギーをいただいているので、いつかお返しができればいいなと思っています。

 本作は、今からおよそ二ヶ月前の七月十六日に劇場で鑑賞した作品である。予告編の雰囲気から、何となく、四十年以上前に起こったあの三億円事件の謎に迫る作品なのだと思い込んでいた。しかし、実際に鑑賞してみるとそうではなく、三億円事件をモチーフにした新たな殺人事件を描いたフィクションドラマであるように思えた。現代で起こったいくつかの殺人事件の原因が、三億円事件にあるとしているのである。とは言え、本作の原作者の方がノンフィクションライターであるというのが少し気になるところだ。

 総合的に言えば、私としては比較的楽しめた作品と言えるのだが、どういうわけか本作もまた、世間の評価がそれほどよろしくないようである。かくいう私もまた、他の方たちがコメントされているように、あっけないラストには賛同できない派である。だからと言って、全体的につまらない作品だったとは言い切れないものがある。それなりに作品の中に引き込まれて鑑賞していただけに、あまりにも残念なラストだったというのが正直な感想である。

 定年を間近に控えたベテラン刑事の滝口を奥田瑛二さんが演じている。そして、滝口とペアを組んで捜査に乗り出す若手刑事の片桐を渡辺謙さんのご長男である渡辺大くんが演じている。最初は滝口の協調性のない仕事のやり方に不信感を抱いていた片桐だったが、三億円を背景に、次第に親密な関係へと発展して行く。ただ、三億円事件に関わって来たいろいろな人たちが次から次へと登場するので、途中で状況を把握できなくなってしまう可能性もある。実際、私自身も、登場人物の多さには圧倒されそうになった。

 三億円事件を引き起こした実行犯グループの中に、警察関係者の近親者がいたというのが滝口の推理だった。どうやらその中で、自殺した実行犯グループのある少年のことは世間にも広く知られているらしい。しかし、本作の中ではもう一つ、トップシークレットに値するほどの新事実が浮かび上がっている。どうやら当時の警察は、そのトップシークレットを守るために、実行犯グループのすべてのメンバーを把握していながらも、検挙できない状況にあったとされている。それは確かに、なかなか面白い展開だとは思うのだが、実際にそうだったのだとすると、権力のために真実が明かされないまま、できるだけ腫れ物には触らないように、事件から四十年以上も経過してしまったことになる。

 当時の緩い管理体制がそうさせたのか、それとも、滝口が仕事熱心であることを強調させるためにわざわざそういう設定にしたのか、本当のところは良くわからないが、滝口は三億円事件に関する膨大な資料を複製し、自宅に保管していた。現代では、おそらくどんな企業も団体も、情報セキュリティの観点から、仕事で使う資料を勝手に複製したり、自宅に持ち込んだりすることはできないはずだ。そうした設定が、現代社会にそぐわないのも事実である。

 また、武田真治くん演じる、三億円事件に関してやたら詳しいジャーナリストの登場も、最初のうちはちょっぴり不可解な感情を抱いてしまう。実際、彼の登場により、作品のカラーが一気に変わってしまったような気もしている。しかし、後半になると、それだけ彼は作品の中で重要な役割を担っていることがわかるのだった。


 本作は、最初から最後までフィクションとして見るか、それともノンフィクションとして見るかで面白さが違って来るだろう。原作者がノンフィクション作家であるということで、あるいは原作者が心の中では真実だと思っていることを、小説仕立てにして客観的に世の中に伝えて行くために書き上げた作品だったのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作では、警察内部で権力に従う派と正義感に燃える派の激しい対立が繰り広げられます。実際に本作のような状況に陥ったとき、警察関係者は冷静かつ公平に対処できるのでしょうか。冷静かつ公平に対処されないのであれば、本作のような物語が成り立つのでしょうね。警察だけでなく、一般企業や私たちにとって、もっと身近な出来事にも置き換えて考えることができそうです。

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2010.09.11

ホットヨガ(一九九回目)

機嫌を損ねた自転車(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 女性の皆さんも、自転車に乗っているときにチェーンが外れてしまったら、自転車をひっくり返してチェーンを取り付けるべく頑張ってみてくださいね。ちょっと勇気が要るかもしれませんが、最近の男性たちは機械にはめっぽう弱いようですし、王子様の登場を待っていては、女性もまた、いつまで経っても機械に弱いままですので。(苦笑)

 九月第一週目の金曜日、私は私用のため、休暇を取っていた。何故、休暇を取っていたかについては、また後日書かせていただこうと思う。そして、せっかく休暇を取ったので、三宮店で十八時から行われる六十分のリラックスコースのレッスンに参加した。

 驚いたことに、レッスンの参加者は私を入れてわずか六名だったため、スタジオ内を広々と使用することができた。仮に一人二枚のヨガマットを使用したとしても、左右に気兼ねなくポーズが取れるくらい、スタジオ内はとても広々としていた。金曜日の夕方は、いつもこんな感じでゆったりとレッスンを受けられるのだろうか。毎回、これほど少ない人数でリラックスコースのレッスンを受けられるならば、私も参加したいところである。しかし、同じ神戸市内といえども、私の勤務先から三宮店のスタジオまではおよそ一時間掛かってしまう。そのため、残念ながら、仕事を終えて、十八時から始まるレッスンに間に合うように、三宮店のスタジオに入ることはできないだろう。

 レッスンを担当してくださったのは、受付でいつも礼儀正しく、ポジティヴなエネルギーを分けてくださるインストラクターである。そのインストラクターは、私の友人に雰囲気が少し似ている。私は、友人の顔を思い浮かべながら、そのインストラクターのレッスンを受けた。

 そのインストラクターのレッスンは、礼儀正く接してくださる普段のインストラクターとギャップのないとても堅実なレッスンだった。その堅実さはまるで、インストラクター自身が書いた台本を一字一句間違えることなく読み上げているかのようだった。台本を読み上げているようなレッスンと書くと、そのレッスンがまだインストラクター自身のものにはなっていない借り物のレッスンのような印象を受けられるかもしれないが、そうではなく、そのインストラクター自身が書いた台本を読み上げているような感じなので、台本をインストラクター自身が書いたと感じられた時点で、そのレッスンは間違いなくインストラクター自身のものになっているはずなのである。他の人が書いた台本を読み上げながらレッスンを行なうのと、インストラクター自身が書いた台本を読み上げながらレッスンを行なうのとでは、明らかにレッスンを受ける側の印象が違うのだ。

 その堅実なインストラクターは、いつも三宮店でリラックスコースのレッスンを担当してくださっている元神戸店のインストラクターと同様、ことあるごとにスタジオの扉を開けて、スタジオの外から冷たい空気を取り込んでくださるので、入口に近いところでレッスンを受けていた私は涼しい空気をすぐ側で感じることができてとても気持ちが良かった。おかげで、スタジオ内はそれほど暑くはならず、上半身のほてりの強い私でも快適にレッスンを受けることができた。しかし、ついついいつもの癖で、立ちポーズに入るとすぐに涼みたくなり、スタジオの外に出てしばらく休んだ。

 実のところ私は、いつも受付でポジティヴなエネルギーを与えてくださっているインストラクターが、もしかしたらある程度の演出をしながら私たちに接してくださっているのではないかと思っていた。それくらい、そのインストラクターは、マニュアル化されたような堅実さ持っていたのだ。しかし、今回、初めてそのインストラクターのレッスンを受けてみて、そのインストラクターの堅実さが本物であることを実感したのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 普段、受付でのやりとりを通して感じていた堅実さとレッスンを通して感じる堅実さが私の中でイコールになり、疑惑が解けた感じです。(苦笑)いつもポジティヴなエネルギーを与えてくださるインストラクターだったので、もしかすると無理して堅実さを演出されているのかもしれないと思っていたのですね。でも、そうではないことがわかり、すっきりしました。(笑)

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2010.09.10

機嫌を損ねた自転車(後編)

映画『必死剣 鳥刺し』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m いつも画像をアップロードしている自宅サーバのガンまるコムサーバがしばらくダウンしていました。そのため画像が表示されず、皆さんにはご迷惑をお掛けいたしましたことをお詫び申し上げます。それでは、機嫌を損ねた自転車(前編)の続きを書かせていただきますね。

 あれは、梅田店のスタジオでホットヨガのレッスンを受けた帰りの夏真っ盛りの日曜日の夜のことである。その日はガンモが仕事の待機要員(客先でトラブルが発生した場合、ただちに客先に出掛けて行ってトラブル対応する当番のこと)だったため、私はホットヨガのレッスンのあと、映画を鑑賞して帰宅しようとしていた。

 大阪駅から電車に乗る前にガンモに電話を掛けてみると、ガンモは業務用携帯電話でトラブル対応をしていたようだった。その日はご飯を炊いていなかったので、帰宅したらガンモと一緒に食べようと思い、自宅の最寄駅前にあるお惣菜屋さんでお弁当を買って自転車に乗った。帰宅する前にもう一度ガンモに電話を掛けてみると、ガンモは客先のトラブル対応のため、あと四十分ほどで出掛けて行くと言う。私は、ガンモが出掛けて行く時間までには何とかお弁当を食べ終わるだろうと思い、家路を急いた。

 ところが、自宅の最寄駅から少し走ると、自転車のチェーンが嫌な音を立てたかと思うと、ペタルが空回りを始めた。どうやら、またしてもチェーンが外れてしまったようである。私はすぐに自転車を降りて、チェーンを確認した。見ると、やはりチェーンが外れているではないか。ああ、困った。これからガンモが仕事に出掛けようとしているのに、お弁当を届けることができないかもしれない。私は、早く家に帰りたいのに、自転車のチェーンが外れて動けなくなり、やきもきしていた。

 ひとまずガンモに電話を掛けて、自転車のチェーンが外れて身動きが取れない状態にあることを報告すると、ガンモは、
「今、どこ?」
と聞いて来た。私が、
「まだ駅前。○○の近く」
と答えると、
「悪いけど、今回は自分で何とかして。できるはずだから」
とガンモは言った。客先でトラブルが発生して、これから客先に向かおうとしているのだから、仕方がない。私はガンモに、外れたチェーンを元に戻すコツを聞いてみた。するとガンモは、
「ペダルを反対方向に回すんだよ」
とアドバイスしてくれた。私は、
「うん、わかった」
と言って電話を切った。

 私は、自転車の前籠に入れていたホットヨガ用のバッグとさきほど買ったお弁当を道端に降ろし、外れたチェーンを元通りに戻すよう努めた。しかし、暗くて外れたチェーンの様子が良く見えない。私は、少しでも光のある方向に自転車の向きを変えた。そして、手を真っ黒に汚しながら、外れたチェーンを元通りに戻すべく頑張ってみたのだが、なかなかうまく行かなかった。

 そう言えば、先日もチェーンが外れたときに、ガンモが、「自転車をひっくり返して直すのに、マンションの駐車場に一人で残るのは恥ずかしい」というようなことを言っていたことを思い出した。私は、自転車をひっくり返すことが、自転車のチェーンが外れたときのお作法なのかと思い、大胆にもサドルを下にして、自転車をひっくり返してみた。すると、これまでは重力の関係で垂れ下がっていたチェーンが反対向きになり、元通りに戻し易くなっていることに気が付いた。私は、手が汚れるのもかまわず、外れたチェーンを元に戻した。何だ、やればできるじゃないか。女性は機械が苦手だと言われているが、それは、いざというときに求められる冷静な判断力が足りていないせいだと思われる。こうして冷静になってロジカルに考えれば、たいていは対処できるものだ。

 私は、チェーンが元通りになったので、喜び勇んでホットヨガの荷物を前籠に戻し、買ったばかりのお弁当も持ち直して、再び家路を急いだ。

 ところが、しばらく走ると、チェーンが再び嫌な音を立てて空回りし始めた。今になって思えば、チェーンを元に戻したあとも、変速レバーを一番軽い状態にしていたために、チェーンに弛みが出来てしまい、チェーンが外れやすくなっていたのだと思う。私は、再びチェーンが外れたことにイライラしたが、さきほどと同じように、自転車をひっくり返して、チェーンを元通りに戻した。

 しかし、再び自転車で走ろうとすると、チェーンは元通りに戻っているはずなのに、どういうわけかペダルが空回りして、自転車が前に進まないのだ。私はもう一度自転車をひっくり返して、チェーンの様子を確認した。外れたチェーンはしっかりとギアに収まっているのに、どうしてペダルが空回りしてしまうのか、私にはわからなかった。

 時間を優先させたい私は、ひっくり返していた自転車を元に戻し、コロコロと転がし始めた。とにかく家に帰らなければ。これから仕事に出掛けて行こうとしているガンモに、せめてお弁当だけでも手渡したかった。しかし、自転車を転がして帰るには、ガンモが家を出る時間までもはや余裕がなかった。私は明かりのあるところに自転車を停めて、再び自転車をひっくり返してみた。そして、私はようやく理解した。外れたチェーンはしかりとギアに収まっているように見えたが、良く見ると、ギアの突起からは外れたところにチェーンが収まっていたのだ。そのため、ギアとチェーンがうまく連動できずに、ペダルが空回りしてしまっているようだ。

 私は、力をこめてチェーンをいったん浮かせて、ギアの突起に食い込ませようと頑張ってみたが、何度やってもうまく行かなかった。夜とは言え、夏真っ盛りのお盆の頃だったので、私は手が真っ黒になっているだけでなく、汗だくだった。こんなに汗だくになりながら頑張っているというのに、通行人は私をどんどん追い越して行った。

 そう言えば、私がまだ若い頃のことである。確か東京に住んでいたときだったと思うが、同じように自転車のチェーンが外れて途方に暮れていると、見知らぬ男性が声を掛けてくださり、手が汚れるのもかまわず、自転車のチェーンを元通りに戻してくださったことがある。私は、その男性が王子様に思えたものだった。今回も、王子様の登場を密かに期待していた気持ちもある。しかし、東京と関西では事情が違うのだろうか。それとも、現在は何もかも電動式に変わってしまったため、機械に強い男性は少なくなってしまったのだろうか。

 そんなことを考えながら、私は仕方なく、自転車を転がしながら帰宅した。ガンモは客先のトラブル対応のため、既に出掛けてしまっていた。その日、ガンモが仕事から帰宅したのは深夜のことだった。ガンモは深夜であるにもかかわらず、またしても私の自転車のチェーンを元通りに直してくれた。やはり、チェーンの弛みが原因だったらしく、ガンモは金属製の時計のバンドの長さを調整するかのように、チェーンの長さを調整するための器具を使って、互い違いに組まれているチェーンを二つ取り外し、チェーンの弛みを取った上で、チェーンを元通りにしてくれたようだ。

 私はガンモにお礼を言った上で、
「東京に住んでいたときにさ、やっぱり自転車のチェーンが外れて困っていたら、男の人が声を掛けてくれて、自分の手が汚れるのもかまわず、チェーンを直してくれたんだよね。今回もそういう人が現れないかなと期待していたんだけど、最近の男の人は機械に弱いのかなあ。みんな通り過ぎて行ったよ」
とぼやいた。するとガンモは、
「いやいや、それはまるみがまだ若かったからでしょ。それに、今よりも痩せてたしね」
と言った。
「ええええ? そんなあ!」
かつて私を助けてくれた王子様も、私がまだ若くて、今よりも痩せていたから助けてくれたのだろうか。私はそうは思いたくなかったが、あれほど普段からお人よしな関西人が、自転車をひっくり返して格闘している私を無視してどんどん通り過ぎて行ったのだから、ガンモの言う通りか、私の言うように機械に弱くなってしまったかのどちらかである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 何はともあれ、チェーンの不具合に関してはこれで落ち着きました。チェーンが外れ易くなっていたのも、ちゃんと理由があったのですね。ガンモが器具を使って、チェーンを二つ分取り外してくれたおかげで、現在は変速レバーを一番軽くしても快適に走ってくれています。ただ、古い自転車なので、これからもガンモの自転車のメンテナンスは続きそうです。(笑)

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2010.09.09

映画『必死剣 鳥刺し』

機嫌を損ねた自転車(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 我が家には、自転車のメンテナンス用グッズがたくさんあります。チューブやタイヤの買い置きなどもあります。(苦笑)私が乗っているのは、新婚時代にダ○エーで購入したそれほど高くはない自転車ですが、もう十数年もガンモのメンテナンスを受け続けて何度も蘇っています。(笑)

 本作もまた、成田国際空港からフランクフルトに向かう飛行機の中で鑑賞した作品である。時代劇が好きではないため、普段は時代劇を避けて映画を鑑賞している私だが、藤沢周平さん原作の作品は、人間の生き様が実に深いところまで描き出されているので、できれば見逃したくはなかった。しかし、本作が劇場公開されていた頃、私は夏休みの旅行の準備を整えるのに必死剣、いやいや必死で、時間的な余裕がほとんどなかった。劇場で鑑賞された方のレビューを拝読して、できれば私も劇場に足を運びたかったと後悔したものだった。そんな私の気持ちを察するかのように、本作が、私の乗った国際線の飛行機の中で鑑賞できるメニューに加えられていたのはとてもラッキーなことだった。

 それにしても、私は「隠し剣」シリーズなるものをまったく知らなかったので、劇場で何度か予告編を観ても、また、そのタイトルからも、本作の内容を想像することはほとんど不可能だった。鑑賞中、どうしても、「必死剣とは? 鳥刺しとは?」という疑問が浮かんでしまうのだ。しかし、最後まで鑑賞することにより、必死剣も鳥刺しも理解できるようになっている。

 とは言え、本作の始まり方に、私は少々面食らった。何故なら、豊川悦司さん演じる兼見三左ェ門が、お城の中である女性を刺殺するところから物語が始まるからである。最初のうちは、「一体何故?」と疑問ばかり浮かんで来るのだが、三左ェ門が何故、その女性を刺殺するに至ったのか、鑑賞を進めて行くうちに少しずつ理解できるような構成になっている。

 三左ェ門が刺殺したのは、藩主である右京太夫の愛妾・連子だった。藩主の愛妾をいきなり刺殺したのだから、三左ェ門はすぐにでも打ち首にされてもおかしくない状況だったはずなのだが、どういうわけかそうはならず、閉門だけで済んだ。そこがまたまた不思議なところなのだが、実はそれにもちゃんと理由があったのだ。その理由とは、右京太夫の藩の治め方に強く反発する吉川晃司くん演じる、剣の達者なご別家の帯屋隼人正と対決させられることだった。

 私は本作を鑑賞しながら、貧しい農民たちからたくさんの年貢を巻き上げようとする右京太夫のやり方に強く反発していたので、農民たちの味方であるご別家を密かに応援していた。だから、三左ェ門がご別家と対決することになったとき、少々戸惑ったものだ。何故なら、連子を刺殺した三左ェ門のことも、同じ理由で密かに応援していたからだ。

 自分の応援している二人が今にも目の前で対決しようとしていたが、そもそもこの二人の中には、陰陽ではあるものの、右京太夫のやり方に強く反発するという同じ想いがあったはずではないだろうか。明らかに右京太夫のやり方に強く反発していたご別家は陽の立場、一方、右京太夫の愛妾を刺殺するという方法で右京太夫のやり方を一部食い止めようとした三左ェ門は、陰の立場である。それなのに、策略により、対決させられることになったと言っても過言ではない。

 しかも、対決のあとに、三左ェ門にとっては不本意な裏切りもある。そのときになって初めて、三左ェ門は自分が利用されていたことを理解するのだ。そこで、必死剣取刺しが登場するというわけなのである。「必死剣鳥刺しとは何ぞや?」と、頭の中で疑問を抱きながら鑑賞していただけに、突然現れた必死剣鳥刺しに驚き、そして納得するのだ。とある映画サイトの解説によれば、必死剣鳥刺しとは、ほとんど死んだ状態で使われる必殺技らしい。

 かつて、三左ェ門には妻がいたのだが、あいにく病気で亡くなってしまっていた。連子殺しを実行すると心に決めたとき、打ち首になって、愛する妻の元へ行きたい気持ちもあったかもしれない。連子殺しの罪により三左ェ門が閉門されている間、せっせと三左ェ門の世話をしていたのは、亡き妻の姪である里尾だった。里尾は明らかに三左ェ門に惹かれているのが良くわかる。のちの二人のラブシーンに、しっかりと心の繋がりが描かれていたことから、三左ェ門は単なる欲望から里尾と関係を持ったのではないことがうかがえる。二人には輝かしい未来があったはずなのに、三左ェ門はとうとう、必死剣鳥刺しの技を使う羽目になってしまったのだ。

 ハッピーエンドではないだけに、最後はひどく物悲しい。事情も知らず、ひたすら三左ェ門を待ち続ける里尾の姿が痛々しい。それでも、三左ェ門と里尾の間に生まれた子供の存在が、三左ェ門に似た強い子に育って行くであろう未来をうかがわせるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 藤沢周平さん原作の作品の主人公には、口数の少ない男性が似合うように思います。主人公は、言葉では表現し切れない想いを抱えていることが多いのですね。それを思うと、豊川悦司さん演じる三左ェ門は適役だったと思います。ちなみに、三左ェ門と対決することになるご別家を演じていたのが、私と同い年の吉川晃司くんだったことを、鑑賞し終わってから気づきました。(苦笑)

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2010.09.08

機嫌を損ねた自転車(前編)

難しいトイレ(10)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。難しいトイレシリーズの記事を楽しみにしてくださっている方がいらっしゃるようで、とても心強く思っています。ありがとうございます。他のトイレの便座がそれほど高くなかったので受け入れ難いことですが、やはり結論は・・・・・・便座の高い洋式トイレだったのでしょうね。あはは、便座を靴で踏んでしまいました。(苦笑)

 夏休みの旅行の少し前のことである。帰宅途中に自転車の後輪がガタガタするので確認したところ、あろうことか、パンクしているではないか。どうしてパンクしてしまったのか、原因はわからない。旅行の準備に忙しい時期だったので、できるだけ旅行以外のことに時間を取られたくない気持ちがあり、正直言って、ちょっとイライラした。

 多くの人たちは、自転車がパンクをすると、すぐに近所の自転車屋さんにパンクした自転車を持ち込んで、修理を依頼するだろう。しかし我が家では、ガンモが自転車の修理を全般的に担当してくれていた。とは言え、この頃のガンモは仕事がひどく忙しく、この日も深夜まで残業したあとの帰宅だった。

 私はひとまずガンモに電話を掛けて、自転車がパンクしたことを伝えた。しかし、ガンモは深夜に帰宅したため、私の自転車の修理をすることができずにいた。我が家から自宅の最寄駅までは徒歩で二十分以上掛かるため、自転車を使えないとなると、路線バスを利用することになる。翌朝、私は路線バスに乗るために、いつもよりも早めに家を出て、仕事に出掛けて行った。

 ところが、その日も、そのまた翌日も、ガンモはやはり仕事で帰宅時間が遅くなり、私の自転車のパンク修理ができない状態が続いてしまった。行きも帰りも路線バスを利用するとなると、路線バスの待ち時間を考慮しなければならないため、いつもよりも通勤に時間が掛かってしまう。そこで私はガンモに、
「ガンモの仕事が忙しくてパンクの修理ができないなら、自転車屋さんに持ち込んで、パンク修理してもらおうかな」
とつぶやいた。するとガンモは、
「禁止!」
と言って、私が自転車屋さんに自転車を持ち込むのを嫌がった。ガンモは、自分たちができることをよそに委託するのが大嫌いなのだ。そして、その日の夜、相変わらず帰宅時間が遅いというのに、ガンモはとうとう私の自転車のパンク修理をしてくれた。深夜であるにもかかわらず、マンションの部屋の入口付近に私の自転車を持ち込んでガチャガチャと音を立てながら修理を行なっていたので、近所迷惑になるのではないかと心配だったのだが、何とか大丈夫だったようだ。

 おかげで、めでたく夏休み前には私の自転車が復活したのだが、夏休みの旅行から帰ってしばらく経った頃、今度は私の自転車のチェーンが外れてしまった。そこで再びガンモに、
「今度はチェーンが外れた」
と泣き付いた。そのときも仕事帰りで、あともう少しで自宅に着くという距離だったので、私はチェーンが外れて空回りしている自転車を転がしながら帰宅した。

 その夜、ガンモは夏休み前よりも早い時間に仕事から帰宅した。ちょうどガンモが帰宅する頃、私は実家に旅行のお土産を発送するために近所のコンビニに向かおうとしていた。私は、仕事から帰宅したガンモに、
「じゃあ、私の自転車のチェーン、直しておいてね」
と頼んで、歩いてコンビニまで向かおうとすると、ガンモは、
「えっ? 俺一人でここ(マンションの駐輪場)でチェーンを直すの? 自転車をひっくり返して直すのに、一人だと恥ずかしいじゃん。一緒にここに居てよ」
と言った。私は、
「大丈夫、大丈夫」
と言いながら、実家に発送するための荷物を抱えて、コンビニまでさっさと歩いて行った。そして、コンビニから荷物を発送してマンションの駐輪場に戻ってみると、もはや私の自転車は外れたチェーンが元通りに装着されていて、そこにガンモの姿はなかった。ガンモは実に手際よく、私の自転車のチェーンを直してくれていた。

 コンビニから帰宅した私は、ガンモにお礼を言った。ガンモは、
「変速レバーを一番軽いやつにすると、またチェーンが外れるかもしれないから、重いやつにして乗ったほうがいいよ」
と助言してくれた。しかし私は、最初のうちはガンモの言いつけを守っていたものの、次第に慣れて来ると、変速レバーをいじって、自分にとって最も乗り易い、一番軽いモードに切り替えた。できるだけ足に掛かる抵抗が少ないほうが良いと思ったからだ。確かに少し前から、一番軽いモードで走っていると、チェーンの様子がおかしかったのは事実だった。走っているときにときどきガクッと音がして、チェーンが一瞬、空回りするような状況にあったのだ。しかし、それでも私は変速レバーを一番軽い状態にしたままでしばらく騙し騙し乗っていた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 我が家では、いつもこんな感じで、自転車のメンテナンスをガンモが担当してくれています。ガンモは自転車だけでなく、カングーのメンテナンスも出来るところまでは自分で行いますし、直せる機械式カメラも自分で直します。きっと、根っからの機械好きなんでしょうね。だから、パンクしたからと言って、パンク修理のために自転車屋さんに自転車を持ち込むのは禁止なのです。(苦笑)この話には続編がありますが、次回の記事でひとまず映画のレビューをお届けしてから、続きを書かせていただこうと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.09.07

難しいトイレ(10)

映画『孤高のメス』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 難しいオペも物怖じせずにこなして行く当麻(とうま)先生は、とても魅力的な存在でした。都はるみさんの演歌を流しながらオペを行うという方法も、ずいぶん変わっていますよね。そんな当麻先生の影響を受けながら、仕事に対して頑なだったスタッフがどんどん柔軟になって行く様子に好感を持ちました。

※スマートフォンからの表示方法が変わっているようです。これまでとは違う、appから始まるアドレスの携帯電話版の表示に切り替わっている場合、お手数ですが、「PC表示にする」というボタンを押して、表示を切り替えてください。marumiから始まるアドレスで表示されていれば、PC版と同じ表示になります。

 ユトレヒトの鉄道博物館に足を運んだときのことである。閉館間際であるにもかかわらず、トイレに行きたかったのでトイレをお借りしたのだが、そのトイレがとても不思議なトイレだったのだ。まず、ドイツと同様、トイレの表記が英語ではなかったので、ドイツ語で女子トイレを意味するDAMENに近いDAMESのほうを選んで入った。ドイツ語とオランダ語は少し似ているのである。

オランダ語表記のトイレだったので、ドイツ語で女子トイレを意味するDAMENに近いDAMESを選んで入った。

 入ってみると、扉の奥に個室があり、個室を開けてみると、木製の不思議な便器がでーんと据えられていた。私が悩んだのは、このトイレは洋式トイレなのか、それとも和式トイレなのかということだった。洋式トイレとして便座に座って用を足すには、お尻や足が届かないほど便座が高い上に、そもそも便座が広過ぎる。しかし、和式トイレのように、便器をまたいで用を足すには、ここがオランダであることを忘れなければならない。果たしてこのトイレは、どのように使用するのが正しいのだろうか?

洋式トイレなのか和式トイレなのか、とにかく判断に困ったトイレ。

 個室でこっそりトイレを撮影するには近過ぎる距離だったため、写真に収めることはできなかったのだが、実はこのトイレを使い終わったあとに水を流すためのレバーに繋がるチェーンが右上から垂れ下がっていた。トイレの右上から紐あるいはチェーンが垂れ下がっている古い和式トイレは、皆さんも日本で利用されたことがあるのではないだろうか。何を隠そう、私が独身時代に東京で一人暮らしをしていたアパートに設置されていたトイレが、まさしくその形式のトイレだった。

 長らくトイレを我慢していたため、このトイレが洋式トイレなのか、それとも和式トイレと同等なのか、あまりじっくり考える余裕はなかった。そこで私は、このトイレは日本でしばしば見掛ける、紐あるいはチェーンを引っ張る形式の和式トイレと同等であると判断して、便器をまたいで用を足した。用を足したあとは、上から垂れているチェーンを引っ張り、水を流した。

 トイレから出て、ガンモにこのトイレの写真を見せると、
「こんな面白いトイレがあったなんて!」
と残念がっていた。閉館間際で、ガンモも個室のトイレまで確認できるだけの余裕がなかったらしい。私は、このトイレが果たして洋式トイレだったのか、和式トイレと同等だったのか、判断に困ったことをガンモに伝えた。ところが、ガンモと話をしているうちに、はたと気が付いたのだ。それは、オランダは鎖国中も唯一日本と交流のあった国だったことである。その間にオランダから伝わって来たものも多いはずだ。ということは、紐あるいはチェーンを引っ張る形式の和式トイレは、オランダから伝わったものではないだろうか。つまり、私が利用したこの木製のトイレは、やはり便器をまたいで使用する和式トイレと同等の扱いで正解だったのではないだろうか。あいにく写真に収めることはできなかったが、何よりも、上から垂れ下がっている水洗用のチェーンがそれを物語っていたのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m もしもこのトイレが洋式トイレならば、これほど広い平面の便座は必要ないですよね。写真ではわかりにくいですが、これが便座だとすると、私には便座が高過ぎて、お尻が便器に届きません。(苦笑)だからやはり、和式トイレと同等なのだと思います。紐あるいはチェーンを引っ張る形式の和式トイレがオランダからやって来たものであるという証拠はまだ掴んでいませんが、おそらく私の考えは間違っていないと思っています。しかし、ガンモは「洋式に決まってるだろ?」などと理不尽なことを言っています。そう言えば、撮影した写真を良く見てみると、左上のほうに、便座クリーナーのようなものが見えていますね。(苦笑)むむむ? ということは、洋式トイレだったのでしょうか? あっ、ちょっと待ってくださいよ。便座らしきところに木の蓋のようなものがありますね。ひょっとすると、この蓋を上に持ち上げると、私の足でも届く便座が出て来たのでしょうか? いやいや、仮にそうだとして、その開けた蓋の分だけ便座の高さが低くなったとしても、私のお尻はまだ便座には届かないと思います。それとも、この木の蓋は、男性が小便をするときに持ち上げるものなのでしょうか。謎は深まるばかりです。(苦笑)

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2010.09.06

映画『孤高のメス』

ホットヨガ(一九八回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m おそらくサボり癖が付いてしまったのも、上半身のほてりが強いせいだと思います。もともと上半身がほてっているのに加え、三十八度に温められたスタジオでレッスンを受けているわけですから、ほてりのない人に比べれば、よりたくさんの体力を消耗しているはずです。そのため、レッスン中に「ちょっと休みたいなあ」という気持ちになってしまうようです。ただ、実際は休憩を入れるタイミングが難しく、苦手なつるべ落としのポーズを避けたつもりでも、スタジオに戻ってみると、つるべ落としのポーズの真っ最中だったりすることもあります。(苦笑)

 本作もまた、成田国際空港からフランクフルトに向かう飛行機の中で鑑賞した作品の一つである。劇場公開当時、話題性の高い作品と知りながらも、他に鑑賞したい作品を優先させてしまったため、見逃してしまっていた。しかし、国際線の飛行機を利用したおかげで、劇場公開中に見逃した作品を鑑賞することができたのだ。

 本作は、現役医師の書いたベストセラー小説が映画化されたものらしい。そのため、特にオペのシーンがやけにリアルだった。普段の私は、例え映画の中であっても、血を見たり、臓器が露(あらわ)になるオペのシーンを見届けたりはしないのだが、どういうわけか、本作の場合はそれらのシーンを冷静に見届けることができた。思えば、これまで目を背けて来たこれらのシーンには、患者への愛が足りていなかったのかもしれない。しかし本作には、至るところに、患者に対する外科医の当麻(とうま)先生の愛が溢れていた。だから、目を背けることなく、オペのシーンが終わるまで見届けることができたのだと思う。健康診断のときに、自分の腕に注される注射器の針が苦手で、横になって採血をしていただくほどの私からすれば、これは大きな進歩である。

 地方都市の市民病院に赴任して来た外科医の当麻先生は、常に患者の立場を考えた素晴らしいオペの技術で、一緒に働く同僚たちの意識レベルをぐんぐん引き上げて行った。本作は、医療ドラマとして描かれてはいるものの、一般企業にも通じる普遍的なテーマが隠されている。それは、組織に属する一部の人たちが徒党を組んで権力を持ち、不正を隠蔽していることだったり、また、それらの人たちが、これまでのやり方を変えて行こうとする革新的なスタッフの取る行動を快く思わなかったりするところである。当麻先生の登場により、これまでオペを楽しいとは思っていなかったスタッフが、オペのときに自分の力を最大限に出し切ることができるようになる展開は見ものである。

 そういう意味で、人と人が結ぶ相対性の違いを描いた作品であるとも言える。これまで、オペが楽しくなかったスタッフは、オペを仕切る一部の徒党を組んだ人たちの圧力により、自らの可能性を見出せないままでいたとも言える。しかし、当麻先生が彼らの持つ本来の力を最大限に引き出した。スタッフは、これまでも様々な可能性を秘めていたはずなのに、相対性により、その可能性を活かすチャンスに恵まれなかったということなのだ。素晴らしいチームワークとは、良き相対性の賜物なのだと思う。

 後半は、チームワークの素晴らしさだけでなく、物語の舞台となっている時代の法律では許可されていなかった脳死肝移植という難しいテーマに迫る。肝臓を著しく患った人の命を助けたいと思ったとき、法律ではまだ認められていなかった、脳死状態の患者の肝臓を移植することができるかどうかというところが論点になる。

 法律や制度は、時として、最も尊いものを守るために追い付かないこともある。それでも、法律や制度が最も尊いものから一歩遅れていることに気が付かずに、法律や制度を守ることにやっきになる人たちもいる。患者の命を救う使命を持つ医師にとって、どのような選択が一番ベストなのか、緊迫した状況の中で冷静な判断を下すことになる。

 最も身近な存在が脳死の状態で、他の患者に肝臓を移植することに同意した家族の決断も素晴らしい。当事者としては大変な決断だと思うのだが、臓器を提供することにより、せめて一部の臓器だけでも他の人の身体で生き続けることができると頭ではわかっていても、実際に首を縦に振るのは難しい。何故なら、首を縦に振るということは、脳死状態にある最も身近な存在の確実な死を意味することになるからだ。

 選択には、前向きの選択と後ろ向きの選択があるように思う。実際の場面に直面したことがないので、映画を通した感想でしかないのだが、脳死の状態で肝臓移植に同意するのは、前向きの選択であるように思える。人の命を預かる医療の現場では、素早い決断が迫られるというのに、あちらこちらでいろいろなベクトルに向かう想いが分散してしまっていては、人の命を救えるはずがない。脳死の状態で、他の患者への肝臓移植に同意するという前向きの選択のベクトルと、例え法律に違反することになったとしても、脳死の患者の肝臓を移植するという前向きの選択のベクトルが重なってはじめて、一人の患者の命が助かる可能性が生まれて来るのだ。本作で描かれているのは、そういう緊迫した状況である。

 思わず笑みがこぼれそうになるようなラストも、私はとても気に入っている。医療の舞台が、互いに親和性のある人たちを結び付けて行くのだ。新米医師が、どんな師のもとで働くことになるのか、想像しただけでもわくわくするようなラストである。映画サイトで高く評価されている作品だけあって、後味も良く、本当に素晴らしい作品だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作の面白いところは、病院で看護師として働いている浪子が日々の出来事を日記に綴るような形で物語が進行して行くところでしょうか。しかも、物語は、その浪子が亡くなったところから始まるのです。そして、そうした設定が、ラストに生きて来るわけなのです。いやはや、実に良く出来た作品だと思いました。

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2010.09.05

ホットヨガ(一九八回目)

運河のある国の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 運河の写真を掲載して、一番涼しい気分に浸っているのは私かもしれませんね。そう言えば、私の通っていた高校は、眞鍋かをりちゃんの出身校でもある愛媛県立西条高校なのですが、高校の周りが運河ならぬお堀で囲まれているのです。水が周りにあるだけでも、何となく涼しげだったのを思い出しました。ただ、運河と同様、水の流れは活発ではないので、川のように澄んだ水ではなかったですね。(苦笑)

 八月最後の土曜日の午後は、三宮店で六十分のリラックスコースのレッスンを受けた。どういうわけか、お天気も悪くないはずなのに、参加者はわずか九名だった。八月最後の土曜日ということで、これまでレッスンに参加されていたお母さんたちが、小さなお子さんたちの宿題を一生懸命手伝っているのだろうか。レッスンを担当してくださったのは、いつも三宮店でリラックスコースのレッスンを担当してくださっている元神戸店のインストラクターである。

 ありがたいことに、レッスン中、スタジオ内はいつもほど暑くはならず、暑さから来る疲労感もほとんど感じなかった。しかし、後半の立ちポーズが始まると、私は何となくスタジオの外で休みたい気がした。というのも、ビギナーコースやベーシックコースで行なわれている三角のポーズのように、私にとって、リラックスコースのレッスンの中にも退屈に感じてしまうポーズが含まれているからだ。それは、つるべ落としのポーズである。私はどうも、身体をねじるポーズがあまり好きではないらしい。つるべ落としのポーズは、両足を広げて立ち、前屈したあと、片方の手を床に添え、添えた手とは反対側の肩を起こして身体をねじるポーズだ。そこで、つるべ落としのポーズが始まる頃に、コソコソとスタジオの外に出て、涼しいソファの上に座ってしばらく休んだ。

 すると、インストラクターがスタジオの中から顔を出して、私に、
「大丈夫ですか?」
と声を掛けてくださった。私は、
「いえいえ、サボっているだけなので大丈夫です」
とは言えずに、
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
と答えた。

 実を言うと、リラックスコースの中で苦手なポーズはつるべ落としのポーズだけではない。以前から書いているように、うつ伏せになって行なうポーズは全般的に苦手である。ただ、うつ伏せになった状態で、片足を九十度に開いて折り曲げるイグアナのポーズは苦手ではない。むしろ、長い間、そのポーズを取っていたいくらいだ。それでも、そのポーズのあとに完全にうつ伏せの状態になり、お腹で支えて身体を反らせる弓のポーズに近い状態になるのは、筋腫が直撃されるためひどく苦手である。それだけでなく、うつ伏せになるポーズは、胸も潰れそうになるのでやっかいだ。私にとってはすなわち、突起のある部分を下にして取るポーズは苦手なのである。だから、それらのポーズを取るときは、ヨガマットの上でじっと動かないようにして、時が過ぎ去るのを待っている。

 ところで、いつもリラックスコースのレッスンを担当してくださる元神戸店のインストラクターは、ウォーミングアップのストレッチも、自分なりにアレンジされている。その中に、足の指を大きく広げるストレッチがあるのだが、私の足は不器用なのか、毎回、ほとんど広げられない。どうしたら足の指を広げられるのだろうと思いながら、周りを見渡してみると、ほとんどの方たちが足の指を大きく広げてストレッチを行っていた。つまり私は、足の指を大きく広げられないという点において、少数派ということになる。これは私の勝手な解釈だが、足の指が大きく広がらないのは、足の冷えと関係しているのかもしれないとも思う。下半身が冷え易いという状況と、足の指が大きく広がらないという状況は、何らかの関連性があるのではないかと密かに思っている。

 レッスンの参加者が比較的少なかったためか、いつもは混み合っている三宮店のロッカールームも比較的ゆったりとしていた。私はレッスンを終えたあと、どんなときも千円で映画を鑑賞できるようになったミニシアター系映画館に足を運び、映画を二本鑑賞した。不思議なことに、映画を二本鑑賞して映画館を出ると、顔が妙にほてって来た。私はいつも、ホットヨガのレッスンの直後に顔がほてりやすいのだが、どうやら、ホットヨガのレッスンのあと、すぐに冷房の効いた映画館にこもってしまったため、顔のほてりが一時停止されたような状態になっていたらしい。映画館を出た途端、その一時停止の状態が解除され、顔のほてりが復活してしまったようである。良く、冷房の効き過ぎた部屋で過ごすと、足首の辺りに冷えが残っているが、その冷えは、足湯をして温めなければ緩和されないのと同じように、ほてりもまた、身体の中から抜けて行くきっかけがなければ、身体の中に残ってしまうのだとわかった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 上半身にほてりがあることを周りの人に話すと、毎回、不思議そうな顔をしながら私の話を聞いてくれます。言い換えると、私と同じような身体の悩みを抱えている人がいないということなのですが、そういう意味でも、いつの頃からか、私の身体は、他の人とは違う方向に転んでしまったのでしょうね。もともと少数派のほうが好きな性質(たち)ではありますが、理解者が少ないというのも、寂しいものです。(苦笑)

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2010.09.04

運河のある国

映画『ダーリンは外国人』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m トニー役を演じていたジョナサン・シェアさんは、普段は舞台で活躍されている俳優さんらしいですね。ちなみに、トニーの役はオーディションで決められたそうです。日本語が達者で、原作の漫画と同じようにヒゲをはやしていたところが決め手になったのでしょうか。(笑)

 九月に入ってもなお、夏休みの旅行の記事を綴っている私も私だが、九月になってもなお、日中の最高気温が三十五度前後まで上がっている日本も日本である。そこで、私たちが滞在中、日中の最高気温が二十度前後だった涼しいオランダの運河の風景をご紹介して、皆さんにも涼しさを味わっていただこうと思う。

 古くからネーデルランドと呼ばれて来たオランダは、土地が低く、埋め立てをして、人々が住むべき土地を確保して来た。また、運河もあちらこちらに作られていて、首都のアムステルダムに限らず、私たちが足を伸ばしたユトレヒトやデン・ハーグにも運河はあった。運河には、観光客を運ぶための遊覧船だけでなく、地元の人たちの交通手段としての船も行き来していた。運河の両岸には、いくつものボートが停船していたので、もしかすると地元の人たちは、自家用車ならぬ自家用ボートを所有しているのかもしれない。

 また、観光客向けには遊覧船のほか、自分の足で漕いで動かすボートもあった。そこに水があれば、そこで暮らす人々は、水を活かした乗り物を水辺に配置させ、生活や商売に積極的に利用するようになる。これまでにも水辺で暮らす人たちのいる観光地を訪れたことがあるが、やはり岸には自家用ボートなどが多く見受けられた。海や川と違い、人工的に作られた運河は流れが静かなので、小さな自家用ボートで運河をスイスイと移動するのはとても気持ちがいいだろう。

 明らかに水が生活に活かされていると感じたのは、ユトレヒトを訪れたときに、買い物帰りの人たちが自家用ボートで運河を移動しているのを見掛けたときだった。買い物袋を持った数人の人たちが運河の船着場のようなところで何かを待っていた。しばらく様子をうかがっていると、一人の男性が、その先に停船させていた自家用ボートを操り、船着場で待っている人たちをすべて拾って去って行った。この人たちは、
「自家用ボートで買い物に行きましょう」
と誘い合わせて街までやって来て、自家用ボートを運河の行き止まりのところに停船させておいて、買い物を済ませたあとにみんなで乗り合わせて帰って行ったのだろうか。もしくは、買い物目的ではなく、実は単に通勤帰りに買い物をしただけだったのかもしれない。

 このように、運河が交通手段としても利用されているのは、大都市で道路が混雑しているせいもあるのだろう。今回、私たちが訪れたアムステルダム、ユトレヒト、デン・ハーグともに路面電車の走る街だった。すなわち、道路にはたくさんの自家用車のほか、路面電車や路線バスなども走っているのである。それを考えると、できるだけ交通量の少ない運河を利用したくなるのも当然なのかもしれない。

 また、運河に面した場所に家を構えている人も多く、デン・ハーグでは運河沿いのエリアにテーブルと椅子を出して、夕食を食べている老夫婦の姿も認められた。

 もともと土地の低い国だったオランダは、埋め立てをして土地の高さを上げて暮らしやすくしたのと同時に、水とも仲良しの国だったのだ。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、運河のある国をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m オランダの運河の写真で、少しは涼しく感じられたでしょうか。遊覧船などに乗り、運河をゆったりと移動するのも悪くなかったのかもしれませんが、陸の上から運河を眺めているだけでも充分満足だったので、一度も遊覧船に乗ることもなく過ぎてしまいました。今度、アムステルダムを訪れたときは、このやり残しを消化したいと思います。(笑)

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2010.09.03

映画『ダーリンは外国人』

合法売春と合法ドラッグの街の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 成田国際空港に着いてから大阪国際空港行きの飛行機に乗り換えたのですが、どういうわけか、スーツケースなど、アムステルダムのスキポール国際空港で預けた荷物をいったんピックアップしたあと再び空港カウンターに持ち込んで、預け直さなければなりませんでした。実はその間に税関のチェックなどが行なわれたので、やはり国際線で帰国したときのチェックは成田国際空港で行なわれるような決まりがあるのかもしれません。私たちは、麻薬犬の活躍ぶりにちょっぴり期待していたのですが、残念ながら、麻薬犬の姿はありませんでした。

 本作は、夏休みに成田国際空港からフランクフルトに向かう飛行機の中で鑑賞した作品である。国際線の飛行機に乗ると、小さいモニタながらも、自分のペースで映画をじっくり鑑賞できるのがうれしい。劇場公開前の作品を鑑賞できることもあれば、劇場公開中に見逃してしまった作品に巡り会えることもある。本作の場合、それほど強く意識していたわけではないのだが、劇場で何度も予告編を目にしていたため、ある程度、気になっていた作品として、ひとまず後者に該当する。ただ、本作は、私の中ではつい先日まで劇場公開されていた作品だったのだが、こうしてレビューを書くにあたり、調べてみると、本作の劇場公開は今年の四月十日だったようだ。ということは、私の感覚が正しければ、かなり長い間、劇場公開され続けていた作品ということになるのだろうか。それでも、既にDVDも発売されているので、劇場公開が終了してからある程度の時間が経っている作品であることは間違いないようである。

 題名からも推測されるように、本作は、日本人女性と外国人男性のカップルの物語である。二人は同棲していて、日本人女性は自宅で仕事をしている漫画家さおり、外国人男性は語学マニアのアメリカ人トニーである。さおりは英語が苦手だが、語学マニアのトニーは日本語がとても達者である。しかも、トニーが時々発する、日本人が通常、口語では使わないような日本語の表現が面白い。例えば、「度肝を抜かれました」とか「ここで会ったが百年目」などである。トニーのそれらの使用方法に対し、日本人としては微妙に違和感があり、笑えるのだ。また、普段、日本人が意識していないような、日本語にとってはもはや当たり前となってしまっている表現に対し、トニーが突っ込みを入れて来るのも面白い。本作を鑑賞する日本人にとっては、トニーという外国人の目を通して、日本という国を客観的に見詰め直すきっかけとなるのだ。

 私自身も、本作のトニーの台詞をきっかけに、日本語の使い方について改めて考えさせられた。トニーは、「すごいきれい」という日本語の表現を、おかしな日本語として指摘していた。このとき、トニーによって同時に指摘された「全然~(肯定)」の表現については、私も普段から違和感を持っていたものの、「すごいきれい」という表現については特に違和感を持っていなかった。しかし、「すごい」という形容詞の活用からすれば、「すごいきれい」ではなく「すごくきれい」が正しい日本語の表現なのだと思う。何故なら、「すごい」の後に続く言葉が「きれい」という用言(活用する言葉)ならば、その直前の活用は連用形でなければならいという日本語のお約束があるからだ。どうやらいつの間にか、そうした日本語のお約束が破られ、あまり違和感のない日本語として成長してしまったようである。

 物語としては、さおりの仕事が忙しくなった頃に、二人の関係がギクシャクして来るところが何とも切ない。トニーが家事を請け負ってくれることになるものの、コップを洗ってもらっても洗剤がまだこびりついていて、さおりがもう一度洗わなければならなかったり、洗ってはいけないさおりの大切な服を雑に洗濯してしまったりする。これらの出来事を通して、さおりはトニーに対してオープンではなくなってしまうのだ。

 恋愛関係がうまく行っている間は、相手に対して互いにオープンである。オープンであるということは、相手に向かう口を広げているのと同時に、相手を受け入れようとする口も同時に広げている。しかし、価値観の違いなどにより、相手を受け入れることが困難になって来ると、その口を閉ざしてしまう。さおりは、トニーが洗ったコップに洗剤が残っていることを指摘せずに、一人でこっそり洗うようになる。しかし、口が閉じられてしまった状態では、二人の関係がうまく行くはずがない。

 トニーが一人でアメリカに行っている間、さおりはトニーがどれだけ真剣に家事を担当してくれていたかを知ることになる。洗濯物のマーク表示など、トニーは過去の家事の失敗により、既に多くのことを学んでいた。実際、私たちは、失敗から学ぶことが多い。しかし、これまで相手に向かって開いていた口を閉ざしてしまい、相手に対して言いたいことを言わずに済ませてしまうのは、相手に気付くきっかけを与えないでいるのと同じことなのだ。ネガティブなことは言わないほうがいいとするのは社会的な関係のみに留めておいて、親しさを築いて行く関係ならば、やはり相手に向かって口を広げて、言いたいことを伝えたほうがいいのだ。

 本作には、男女に限らず、一度親しくなった人たちが疎遠になって行くプロセスや、再び親しさを取り戻すプロセスが良く描かれていると思う。本作を鑑賞することで、誰かと本当の意味での親しさを築いて行きたい場合はどのように接すれば良いか、ヒントになるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ラブコメディーというジャンルの作品なので、普段、私が好んで鑑賞しているジャンルの作品とは少し違った作品だったのですが、とても楽しめました。やはり、トニーが語学マニアであるという設定が一番面白かったですね。聞くところによると、本作の原作者である漫画家の小栗左多里さんや実際のトニーも出演されていたようです。

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2010.09.02

合法売春と合法ドラッグの街

ドイツ人はビール腹?の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ハワイに行ったときに、信じられないほど身体の大きいアメリカ人をたくさん見掛けましたが、彼らは明らかに食べ過ぎによる肥満なのでしょうね。何しろ、見ていると、食べる量が全然違いますから。それに対し、ドイツ人は、食べ合わせによる肥満という気がしました。

 アムステルダムと言えば、合法売春と合法ドラッグの街としても知られている。私たちはアムステルダムで過ごした最終日の昼間、合法売春が行なわれている地域に足を踏み入れてみた。写真撮影禁止区域なのでカメラは向けなかったのだが、そこには飾り窓と呼ばれるいくつもの小さな部屋があり、露出度の高い服を着た女性が中から通りの様子をうかがっていた。男性は、気に入った女性がいれば、女性と直接話をつけて行為に至るらしい。一体どのような人たちがそこで働いているのだろうと興味があったのだが、最初はかなりぽっちゃりとした女性を見掛けたので、私はガンモに、
「私もアムステルダムで働くなら、ここで働けるかな」
などと冗談を言った。

 その後、いくつかの飾り窓を見て歩いたのだが、その中にとびきりきれいな若い女性がいて、彼女と目が合った。その瞬間、私は自分の中にはない女性性を、彼女の瞳を通じて強く感じた。女性として、女性性の一部はもはや欠けてしまっているものの、特定の男性に長く愛されながら生きるのと、女性性を武器にして、多くの男性たちに興味や好意を持たれながら生きるのと、果たしてどちらが幸せなのだろう。彼女はほとんど下着同然のような格好をしていて、艶かしい様子で客を迎える準備を整えていた。きれいな女性だから、きっと特定の恋人もいるだろう。それでも、何らかの事情があってこの仕事をやむなく選んだか、それとも好きでこの仕事をしているかのどちらかだと思われる。

 ただ、男性にとっても女性にとっても、人生の中でどんなセックスを体験するかは、かなり重要なことだと私は実感している。それは、愛と欲望の違いとも大きく関わって来る。誰しもセックスを通して、欲望よりも愛を体験したいに違いない。しかし、これが愛だとはっきり認識するためには、たくさんの欲望を経験しなければならないのも事実である。

 こうした地域を散策しながら歩いているうちに、合法ドラッグのお店も見付けた。オランダでは、ソフトドラッグの使用が認められているらしい。Coffee Shopと書かれたお店では、ソフトドラッグが販売されているようだ。そのような地域を歩くと、何だか変な匂いがした。私たちは帰国を目前に控えていたので、
「こういうところを歩いて、ソフトドラッグの匂いが身体に染み込んでしまうと、成田に着いたときに麻薬犬に嗅ぎつけられるんじゃないの?」
などと言って笑った。そのようなお店の周辺で売られている見慣れないグッズは、オランダという国が自由な国であることを象徴していた。

 オランダは、同性愛についても受け入れる体制が整っていて、私たちが滞在している間にも、ゲイ・プライドと呼ばれるゲイの大規模なイベントが行なわれていた。ゲイ・プライドの開催日には、身体の一部にピンクの装飾品をまとった女性たちがたくさん街を歩いていた。どうやらピンクは、同性愛を支持する色らしい。あとからわかったことだが、このゲイ・プライドは、世界的にも有名な同性愛主義者のお祭りで、世界中からこのお祭りを見るために人々が集まって来るのだそうだ。しかも、運河で船上パレードが行なわれていたようなのだが、確かに私たちが宿泊していたホテルのすぐ近くにあった運河も、お祭り騒ぎでかなりにぎやかだった。それがゲイ・プライドだったとは・・・・・・。アムステルダムには、路面電車に乗るために購入したICカードにチャージを残したまま帰国してしまったので、またいつか、ゲイ・プライドが開催される時期を狙って足を運んでみたいものである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、合法売春と合法ドラッグの街をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m アムステルダムは、いろいろな意味で開けた街と言えそうです。しかし、決して治安が悪いというわけではありません。治安が悪いのは、凸凹で言うと凸なイメージがありますが、私がアムステルダムに対して抱いているのは、逆に凹なイメージです。つまり、いろいろなことを許容して来た街なんでしょうね。

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2010.09.01

ドイツ人はビール腹?

映画『アデル/ファラオと復活の秘薬』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 主人公のアデルを演じていた女優のルイーズ・ブルゴワンは、笑顔よりもしゃきっとした表情のほうが似合いそうなキャラクターでした。おそらく、私にとっては初めてお目にかかる女優さんですが、とても個性的なキャラクターなので、この先、彼女のことを忘れることはないでしょう。

 筋腫腹の私が言うのも何だが、単刀直入に言って、ドイツ人のほとんどがビール腹だった。街を歩いているドイツ人を注意深く観察していたところ、男女問わず、お腹周りがデーンと脹らんでいた。そう、ドイツ人にはいわゆるメタボな人たちが多かったのだ。

 昔、「ドイツ人は水の替わりにビールを飲んでいる」というような話を聞いたことがあるが、やはり、普段からビールばかり飲んでいるために、お腹周りにお肉が付いてしまうのだろうか。しかし、私たちがフランクフルトの街を歩いた限りでは、フランクフルトの人たちが、普段からそれほどたくさんのビールを飲んでいるようには見えなかった。もしかすると、フランクフルトで過ごしたのが平日だったからかもしれない。いくらドイツ人でも、まさか仕事の合間にビールを飲むなどということはしないだろう。夜はほとんど出歩かなかったので、実際のところ、ドイツ人が浴びるほどビールを飲んでいるような現場を目撃することはなかった。

 ドイツ人がビールを飲んでいる現場を目撃することがほとんどなかったためか、私の筋腫腹にも負けないくらいの彼らのお腹は、果たしてビールだけで出来上がったものなのだろうかと疑問に思った。私には、それだけではないように思えたのだ。というのも、フランクフルトには、フランクフルトソーセージがある。ちなみに、フランクフルトの街のあちらこちらでFrankfurterという表現を見掛けたので、フランクフルトに住む人たちのことをFrankfurterと呼んでいるのだろうかと思っていたのだが、どうやらフランクフルトソーセージのことを略してFrankfurterと表現しているらしい。

 それはともかく、ドイツの人たちが肉食中心の生活を送っているであろうことは、ホテルの朝食ビュッフェのメニューからも容易に察しが付いた。フランクフルトで宿泊したホテルの朝食は、やはり野菜が少なく、肉類が中心だったのだ。どういうわけか、その中に串刺しの焼き鳥が含まれていたのは、とても不思議である。私はそれを、日本人に対する歓迎の意味だととらえることにした。

 ちなみにビールと言えば、私はてっきりハイネケンがドイツのビールだと思い込んでいたのだが、実はオランダのビールだった。学生の頃、試飲や試食を担当するマネキンのアルバイトをしたことがあり、酒屋さんに出向してハイネケンの販売を担当したことがある。そのときに何を間違ったのか、ハイネケンがドイツのビールであると勘違いしたまま記憶に留めてしまったようだ。実際、オランダではあちらこちらの店先でハイネケンの緑のラベルを見掛けた。恥ずかしい話だが、上海で購入したハイネケンのロゴ入りTシャツ(実際にはハイネケンではなく、アルファベットで"Shanghai"と書かれている)をドイツで着ようと思って持参していたのに、ハイネケンがオランダのビールであることがわかってからは、ドイツで着るのは恥ずかしく思われたので、オランダで着て歩くことにした。

オランダで良く見掛けたハイネケンの提携店

 不思議なことに、ドイツ人のお腹がビール腹であるのに対し、オランダ人のお腹はそれほど出てはいなかった。ということは、ドイツ人とオランダ人の食生活が大きく異なっているのということなのだろうか。ハイネケンの普及率からすると、オランダ人もドイツ人に負けないくらいビールを飲んでいるはずである。ということは、ドイツ人とオランダ人の最も大きな違いは、フランクフルトソーセージと言えるのかもしれない。そうだとすると、ドイツ人はビール腹というよりも、フランクフルトソーセージ腹ということになるのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ドイツでは、筋腫腹の私には親近感が湧くくらい、お腹周りの大きな人が多かったですね。こういう状況に出くわすと、他人を通して、自分自身を客観的に観察するモードに入ります。(笑)やはり、食生活がその人の身体を作っているのだなあとつくづく実感してしまいました。ドイツ人を反面教師にして、野菜をたくさん食べようと思いました。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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