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2010.08.02

フランクフルト動物園

出国ラッシュと十二時間飛行の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 飛行機の中で私たちが座っていた席は、三人掛けのエコノミー席でした。外の景色を見たいガンモは一番奥の席に座り、私は真ん中の席に座っていました。トイレに立つときは、私の左横に座っている女性にお願いして、わざわざ席を立っていただかなければなりませんでした。しかし、有り難いことに、その女性が飛行中にビールをたくさん飲まれていたようなので、その女性自身も席を立つことが多く、声を掛け易かったですね。

 私たちの乗った飛行機がフランクフルト国際空港に着陸したのは、日本時間の夜十二時を回った頃だった。およそ十二時間もの飛行を終えて、ようやく宿泊先のホテルに辿り着いたのは、日本時間の夜中二時近くだった。行きの飛行機の中で映画ばかり観ていた私は、もはや眠くて眠くて仕方がなかった。そのため、ホテルにチェックインしたあとは、すぐにベッドに横になって休んだ。とは言え、興奮しているのか、身体はとても疲れているのになかなか眠れなかった。それでも何とか睡眠をとり、日本時間ではお日様が空高く昇る時間になっても、日本との七時間の時差を埋めるため、本格的な活動には至らなかった。仕事で徹夜をしたまま飛行機に乗り込んだガンモも、たっぷりと睡眠を貪ったようだ。

 さて、こうしてエネルギーの充電を終えた私たちは、フランクフルト時間の早朝からゴソゴソと起き出して、活動を始めた。ホテルのレストランで朝食をとったあと、一日乗車券を購入し、フランクフルト市内の観光を始めたのだった。

 私たちの回ったルートをあれやこれやとご紹介したい気持ちもあるのだが、それらは帰国後にじっくりご紹介させていただくとして、今回はフランクフルト動物園について書かせていただこうと思う。

 フランクフルトは、ベルギーのブリュッセルやアントワープのように、路面電車の走る街である。フランクフルトの路面電車を一目見たとき、私は広島の広電を思い出した。蛇腹式の連結部分が広電を想像させるのだ。私たちはZOO行きの路面電車に乗り、終点のZOOで降りた。そこにはフランクフルト動物園があったのだが、入口には路面電車の行き先と同様、フランクフルトの表記はなく、ただZOOとだけ書かれていた。

 入場料は一人八ユーロだった。仮に一ユーロ一一三円だとすると、九〇三円である。ヨーロッパの多くの国のトイレは有料だが、こうした施設に入ると無料でトイレを利用できるので有り難い。もしかすると、入場料の中にはトイレの利用料金も含まれているのかもしれない。

 私たちはこれまで、ハワイのホノルル動物園や北京の北京動物園などを訪れているが、残念ながら、それらの動物園と比べてフランクフルト動物園は、動物の数も少ない上に手入れの行き届いていない動物園だと感じた。まず、いろいろな飼育部屋があるのに、二つに一つくらいの確率で動物たちの姿が見えなかった。動物たちが留守をしているのか、それとも私たちの見えないところで休んでいるのか、区別がつかなかったのだが、とにかく何がいるのだろうと目を凝らして見ても、飼育部屋には何もいないように見えてしまったのである。

 また、仮に動物たちの姿がそこにあったとしても、やはり動物たちに元気はなかった。私たちは、旭山動物園の行動展示がいかに動物たちを生き生きさせているかが良くわかったのだった。

 動物園の敷地内には、動物の姿だけでなく、動物園のスタッフの姿もほとんど見受けられなかった。広い動物園を維持して行くためには、動物園のスタッフがあちらこちらで清掃をしていたり、動物たちの飼育部屋を掃除していたりする姿が認識できても良いはずなのだ。しかし、およそ二時間以上もフランクフルト動物園に滞在していたというのに、動物園のスタッフの姿を確認したのは、わずか二回だけだった。

 そして、肉食と思われるある鳥類の飼育部屋をのぞいたとき、私はその場にしばらく立ち尽くすことになってしまった。おそらく、餌が与えられた直後だったのだろう。飼育部屋に生えた草の中に、魚の死骸が転がっていた。その魚には、鳥が嘴で突付いたようなあとがあった。私たちも魚を食べているとは言え、やはり食べかけの魚の死骸を見るのは胸が痛んだ。しかし、それだけではなかった。食べかけの魚の死骸のすぐ側には、鳥の羽がむしり取られたようなあとが散乱していたのだ。私は最初、ここで飼育されている鳥自身の羽なのだろうかとも思った。しかし、羽の先に血の付いた肉片を認めたとき、それはここで飼育されている鳥によって食べられた別の鳥のものだとわかった。そう認識したあとに、もう一度肉片のあった周辺を確認してみると、鶏のヒヨコの頭の部分だけが転がっているのが見えた。私はそのとき理解した。魚と同様、ヒヨコもまた、ここで飼育されている鳥の餌として与えられたのだと。

 私自身も鶏肉を食べているというのに、この事実には胸がとても痛んだ。人は、生き物を食べるということに対して、このように客観的な立場でなければ、本当の意味で胸を痛めることができないのだろうか。そんなことを思いながら、その鳥の隣の飼育部屋を見て更に驚いた。何と、そこには数羽のヒヨコが、まだ完全な形で、既に息絶えた状態で横たわっていたからである。

 ふと上を見上げると、そこには白い鳥がいた。そうか、この鳥のために、これらのヒヨコは犠牲になったのかと思うと、私にはその白い鳥が憎らしく思えた。と同時に、子供たちもやって来るであろう動物園で、ヒヨコが餌として与えられていることがわかるような形で餌付けをされていることに驚きを覚えた。大人の私でさえ、これほど衝撃を受けるというのに、子供たちがこの事実をを知ったならば、もっと傷つくのではないかとも思えたからだ。しかし、その一方で、逆に子供の頃からこうした事実を包み隠さずに突き付けておくことで、子供たちの中で自然に形成されて行くものがあるのかもしれないとも思った。

 私は、そのとき既に先を歩いていたガンモを呼び戻し、これらの事実を伝えた。するとガンモもやって来て、飼育部屋の中で切り刻まれたヒヨコや、まだ切り刻まれていないヒヨコの死骸に釘付けになっていた。やはりガンモも強い衝撃を受けていたようだった。

 数羽のヒヨコが息絶えていたということは、ヒヨコは生きたまま飼育部屋の中に入れられたのではなく、動物園のスタッフの手で殺された状態で餌として与えられているのだろう。その瞬間を想像すると恐ろしい。また、動物園を訪れた人たちが、そのようにして与えられたヒヨコを肉食の鳥が食べているシーンを目撃することを想像しても恐ろしい。

 しかし、私たち自身も鶏や牛や豚を食べていることは事実である。ただ、普段の生活の中に、それらの行為はあまりにも自然に溶け込み過ぎていて、もはや客観性を失ってしまっている。考えてみると、このような事実を包み隠さずに突き付けるフランクフルト動物園は、私たちが日常の中で失ってしまっている客観性を取り戻す役割を持っているのかもしれない。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、フランクフルト動物園をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たち人間も同じようなことをしているとは言え、やはり衝撃的でしたね。日本の動物園は、肉食の動物の餌付けをどのように行なっているのでしょうか。少なくとも、これほどあからさまではないように思えます。動物園にいるライオンやトラたちが、動物園で何を食べているか、私たちは知らないはずですよね。しかし、彼らに対し、どのような餌が与えられているかがわかるような仕組みになっていたとしたらどうでしょう。思わず目をそむけたくなるのではないでしょうか。何となくですが、この話は、何かを部分的に受け入れるか、それとも事実を包み隠さずに受け止めて行くかという問題とも繋がっているように思えます。結論の出ない出来事ではありますが、深く考えさせられました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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