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2010.08.22

映画『BOX 袴田事件 命とは』

マダム・タッソーろう人形館 in アムステルダムの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m Wikipediaによれば、マダム・タッソーろう人形館の分館は、アムステルダムのほか、ベルリン、ハリウッド、香港、ラスベガス、ニューヨーク、上海、ワシントンD.C.にもあるそうです。香港と上海にもあったのに、行きそびれてしまいました。(苦笑)ロンドンの本館はいつも混んでいるので、今後も望みは薄いとしても、その他の都市なら、何とか入れそうな気はします。きっと、その土地ならではの蝋人形たちが迎えてくれるのでしょうね。では今回は、久し振りに映画のレビューをお届けしますね。

 本作を鑑賞したのは、六月二十六日のことである。神戸での公開初日に映画館に足を運んだところ、映画『告白』を鑑賞する人たちで映画館のフロアが溢れ返っていたときのことだ。このとき、映画『告白』には立見が出ていた。その映画『告白』も、そして本作も、当時からおよそ二ヶ月経った今でも劇場公開され続けているのは感慨深い。

 本作は、一九六六年に実際に起こった袴田事件を基に描かれている。袴田事件というと、一九六六年にはまだ生まれていなかったという人であっても、一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。

 静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で味噌工場の専務一家四人が殺害され、家が放火される。間もなく事件の容疑者として、元プロボクサーだった袴田巌が捕らえられ、厳しい取り調べの末、自白に追い込まれる。物的証拠が乏しく、自白だけが頼りだったが、その自白さえも警察に強制されたものである可能性が高かった。そんな中、事件から一年以上も経って、味噌工場の樽の中から、血液の付着した衣服が見付かった。袴田巌は死刑が確定することになるのだが、この死刑判決に関わった主任判事の熊本典道は、袴田を無実だと思いながらも、判事による多数決で死刑が確定してしまう。熊本典道判事は、そのことを心から悔やみ、それ以来、判事の仕事を退いても袴田の無罪を求めて戦い続けている。袴田巌は、逮捕から四十四年、死刑が確定してから四十二年もの間、獄中生活を続けているという。

 映画を鑑賞して、ただひたすら「何故?」と思ってしまった。警察は、何故あんなにも強引に取り調べを行い、警察の望む答えへと無理に導きたがるのだろう。私は、痴漢行為をはたらいたと決め付けられて、裁判で有罪判決を受けた男性とその周辺の人たちを描いた映画『それでもボクはやってない』のレビューに以下のようなことを書いている。

仕事に対する安定は、変化を望まない体質を作り上げる。できれば、仕事で特殊処理などしたくない。一度捕まえた犯人が、どうか真犯人であって欲しい。「それでもボクはやってない」と主張されようが、真犯人を探し出す労力を惜しんでいるかのように見える。つまり、仕事が楽なほうへ楽なほうへと逃げているように見えるのだ。その人たちの判断で、犯人とされた人の人生が大きく変わるというのに、とにかく自分に与えられた仕事をこなしてさえいればいい。作業を右から左に流すだけ。そんな雰囲気さえもうかがえる。仕事が安定しない一般の企業のほうが、もっと何かを求めて前進しているように見えてしまう。そう、「求めて勝ち取る」という姿勢が感じられないのだ。

 まさしく、これと同じようなことを本作を鑑賞したときも感じた。警察の取り調べも裁判も、客観性をもって判断されるべきだと私は思うのだが、既に警察の取り調べの段階において、かなりの主観が入ってしまっているように見える。主観で判断された結果は、次の段階に進めば進むほど、覆すのが困難になる。これは、警察の取り調べや法律には間違いがないという過信があるために、間違いに気付いたときに後戻りできるシステムが整っていないことも原因の一つだと思われる。しかも、本作を鑑賞する限り、そうした過信が警察の傲慢さに繋がっていることも確かなようだ。私には、警察が事実を歪曲させ、証拠さえも捏造しているように見えてしまった。

 それに対し、犯行後、一年間も味噌工場の樽の中に隠されていたとされる衣服に関して、味噌を吸った布がどのように変化するかを実証しようとした熊本典道元判事の熱意は素晴らしい。発見された衣服は、袴田の身体には小さい衣服だったというのに、袴田は逮捕されてから太ったのだろうなどという解釈がまかり通ってしまっている。逮捕されてから痩せたというのならわかるが、太るということなど、ほとんど考え難いのではないだろうか。そんな警察や裁判所の判断に対し、判事を引退された熊本典道元判事は現在もなお、真実を求めて戦い続けているのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 映画の中の登場人物として、この事件に関わった方たちの敬称を略して表現させていただいたことをお詫び申し上げます。少し前に、栃木県で起こった殺人事件が冤罪だったことが認められ、無罪になりましたよね。そういうケースは本当に稀なのかもしれません。何故なら、逮捕から判決まで、ほとんど一方通行の手続きしか行なわれていないからです。もっと客観的にあらゆる方向から事件を解決して行かなければならないのに、反対方向への流れが確立されていないために、人間的な判断から遠ざかってしまっているように思います。確かに、世の中には、嘘と真実の二種類が存在しています。しかし、その中から真実を選び抜く冷静さと客観性が欲しいものです。熊本典道元判事の行動は、人間として決して忘れてはいけないことを思い出させてくれますね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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