三回忌
※映画『17歳の肖像』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m デイヴィッドがジェニーのご両親と打ち解けて行くプロセスは、まるで喜劇のようでもありました。ジェニーの教育にひどく熱心なご両親だからこそ、デイヴィッドの出身大学を聞いただけで騙されてしまったんでしょうね。
遅ればせながら、天然ヘナと夜間移動の記事に書いた人前に出たときのことを書いておこうと思う。このとき、私が慌てて天然ヘナを使って白髪染めをしたのは、義母の三回忌の法要が控えていたからである。
五月下旬のとある平日、私たちは義母の三回忌の法要に参列するため、揃って休暇を取り、ガンモの実家に帰省した。いつもならば、前日の夜に仕事を終えたあと、カングーで移動してしまうのだが、ここのところガンモの仕事がひどく忙しいため、いつも帰宅時間が遅く、夜間移動がままならない状態だった。そこで、朝十時から行われる三回忌の法要に間に合うように、頑張って早起きをして出掛けたのである。
まだ兵庫県内を走っているときに渋滞に遭い、十時の開始時間には間に合わないかもしれないとも思った。三回忌の法要には、私の実家の両親も参列することになっていたので、たまたま電話で話をした母に、遅れるので先に始めておいて欲しいと義弟への伝言を頼んだ。結局、何とかギリギリで間に合ったのだが、ガンモの実家に着いてみると、今回もまた、義弟が何から何まですべての準備を整えてくれていた。
毎回、義弟に甘えてしまってばかりではいけないとは思うのだが、そもそもガンモと義弟が密にコミュニケーションを取っていないのに加え、こうした行事は「家」の風習に従って行なわれるため、嫁の立場である私はなかなか思うように行動が取れないのも事実である。ガンモの実家からすれば、亡くなった義母もまたガンモ家に嫁いだ身である。そのため、こうした法要はガンモ家の風習に従って行なわれるというよりも、義母の里の風習に従って行なわれているのだった。言い換えると、義母がガンモ家に嫁いで何十年経っていたとしても、完全には嫁ぎ先の色に染まっていないことになる。これまでほとんど意識していなかったことだけに、私はこうした風習に驚いたのだが、このような風習が今でも残っているのは、義父と義母が同じ市内の出身者同士で結ばれたように、比較的近い地域の出身者同士で夫婦になるケースが多かったからなのかもしれない。
ガンモの実家の地域では、お坊さんのことを「おじゅっさん」と呼んでいる。一周忌と同様、今回も三人のおじゅっさんが来てくださった。同じお寺から二人、別のお寺から一人のおじゅっさんが来てくださったのだが、驚いたことに、まるで申し合わせたように調和している。これが音楽ならば、楽屋での打ち合わせもほとんどない状態で、いきなりぶっつけ本番でハーモニーを奏でるようなものだ。
こうした法要が行なわれるときは毎回、義弟の嫁である義妹と私で台所を担当している。担当すると言っても、ほとんど義弟たちが用意を済ませてくれている上に、義妹の子供たちも手伝ってくれるのでとても心強い。例えば、法要の前におじゅっさんにお茶をお出ししたり、法要の休憩時間中に、参列してくださっている皆さんにお茶やお茶菓子をお出ししたりするのだが、義妹の子供たちは、みんながお茶を飲み終わった頃になるとお盆を持って、湯飲みを下げて来てくれる。わざわざ大人が出向くとなると、変にタイミングを見計らろうとして気恥ずかしい思いをしたりするものだが、子供たちが手伝ってくれるとなると、飲み終わった湯飲みを積極的に差し出してくれる参列者の方が多いようだ。
法要が終わり、おじゅっさんが帰り支度を整え始めると、大急ぎで仏壇の前にずらりと並べられたお供えを下げてせっせと袋に詰め始める。参列者からいただいたお供えを平等に袋に分けて、一足先にお帰りになるおじゅっさんに手渡すのだ。おじゅっさんにお布施をお渡しするのは、この少し緩んだ時間である。平等に分けたお供えは、おじゅっさんが席を立ち、お帰りになる直前に手渡すのだが、お布施については、おじゅっさんがまだ席を立とうとする前にお盆に載せて、控えめにお渡しするのだ。
おじゅっさんを玄関でお見送りすると、ほど良い頃に近所の仕出屋さんがやって来て、お膳のセッティングを始めてくれる。仕出屋さんによって、さきほどまで法要が行なわれていた座敷に、お膳が一つ一つ並べられる。その間に、ほとんどの参列者の方たちは、近くにあるお墓に行ってお参りをする。義妹と私は家に残り、仕出屋さんが持って来てくださったお汁をコンロで温めたりする。
そして、参列者の方たちがお墓から戻って来ると、間もなく昼食である。コンロで温めたお汁をお椀に装い、参列者の方たちのお膳に一つずつ並べる。このときも、義妹の子供たちが手伝ってくれる。こうして昼食の準備が整うと、仕出屋さんが並べてくださったお膳のお料理を一人一つずつつついて食べるのだ。食事中に不自由なくお茶が飲めるように、今回から、義弟がお茶の入ったペットボトルを一人一本ずつ用意してくれていた。これはとても便利である。
静かな食事中、話題を提供してくれるのはいつも、義妹の子供たちである。義妹は、前夫との間に生まれた二人の子供を連れて義弟と再婚し、義弟との間にも子供を一人授かっている。しかし、義弟たち一家は血の繋がりなど一切気にすることなく、見るからに自然な形で互いに打ち解け合っている。義弟が、血の繋がりのない子供たちをきちんと叱っているのも、義妹の子供たちに対して無関心ではない証拠である。子供たちは、自分を叱ってくれる義弟に対して、そうした経験のない私たちの想像も及ばないほど懐(なつ)いているのだ。
昼食が終わると、静かな大人たちは少しずつ帰り支度を整え始める。食べ切れなかったお料理は、仕出屋さんの用意してくださった紙風呂敷に包んで自宅に持ち帰ることができるようになっている。私たちはすかさず、平等に分けたお供えの袋を、帰ろうとする人たちに手渡す。お供えのほかにも、義弟が商品券やお赤飯などを手配してくれていた。本当に、何から何まですっかり義弟が準備を整えてくれていたのだ。
こうしてほとんどの人たちが帰路についた。私の両親が残っていたので、少し前に私がセッティングを終えて送った父と母の携帯電話を預かり、それぞれの料金プランの変更と通話料金が安くなる「ゆうゆうコール割引」のサービスに登録する友人・知人のデータを追加した。私の両親は、私たちのためにクーラーボックスにおかずや飲み物などをたくさん持って来てくれていた。私はそれらを有り難く受け取り、カングーに積み込んだ。また、私の実家の両親は、義弟の好物の缶コーヒーをたくさん持って来てくれていた。義弟はその缶コーヒーにはとにかく目がないので、とても喜んでいた。本来ならば、私たちがフォローしなければならないことを、私の実家の両親に任せてしまうのも情けないことだが、今はこうした厚意に甘えようと思っている。
実家の両親を送り出すと、私たちは台所で義弟と少し話をした。ガンモの実家近くで働いている義弟は、義父の面倒も良くみてくれている。私たちは本当に感謝しても感謝し切れないくらい、義弟にはお世話になっているのだ。しかし、普段からまめにコミュニケーションを取っていないだけに、ガンモも義弟への感謝の気持ちをなかなか言葉に表せないでいるようだ。糖尿病を患っている義父は、少し前と変わりなく元気そうだった。義父が元気でいられるのも、義弟のおかげなのである。
義弟としばらく話をしたあと、義弟に厚くお礼を言って、私たちも帰り支度を整え始めた。今回は日帰りだったので、できるだけ早い時間に帰路につきたいと思っていたのだ。そして、行きと同じようにガンモの運転するカングーに乗って、無事に帰宅したのである。
※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回も、何から何まで義弟に頼り切ってしまいました。(苦笑)私はこの日、天然ヘナの匂いをプンプン漂わせながら、参列してくださった方たちにお茶をお出したりしていました。きっと天然ヘナの匂いに慣れている人は少ないと思うので、「何か変な匂いがするなあ」と思われていたことでしょうね。(苦笑)
さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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