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2010年6月

2010.06.30

継続がもたらすもの

映画『21グラム』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 少々古い作品にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。映画好きの方たちが好む作品だと思います。このような作品のレビューに反応してくださると、生き方や感性にエールを送ってくださっているように感じて元気が湧いて来ます。そして、こうしてまた、次の記事を書くことができます。どうもありがとうございます。

 SPITZ JAMBOREE TOUR 2010 in 和歌山の一週間後の週末は、二日間に渡り、大阪で行なわれた好きなアーチストのコンサートに出かけた。週末は、ウィークデイの寝不足を解消するために睡眠時間をたっぷりと確保したいとも思うのだが、休みとなるとうれしくて、ついつい活発に行動してしまう。

 コンサートの初日は、ライブ仲間のお友達とコンサートの開始前に待ち合わせをして、おしゃべりを楽しむことになっていた。その一方で、私はライブ仲間のお友達との待ち合わせ時間前までの間に、ガンモと一緒に観ておきたい映画があったので鑑賞したいとも思っていた。というのも、最近のガンモはとにかく仕事が忙しく、一緒に鑑賞したい映画があっても、なかなかお互いの都合を合わせることができずにいたのだが、コンサート前の午前中ならば、ようやくそれが叶いそうだったからだ。お互い、少し早起きをして映画館に出掛ければ、その映画を一緒に鑑賞することができたはずなのだが、観たい映画の格安鑑賞券が直前まで手に入らなかったことに加え、二人ともウィークデイの寝不足をずっしりと引きずっていたため、無理をせずに、映画を鑑賞するための時間を睡眠時間に充てることに同意したのだった。

 ライブ仲間のお友達とは、コンサート会場の中にあるレストランで待ち合わせをして、そのレストランの営業時間ギリギリまで話し込んだ。その後、もう一人のライブ仲間のお友達との合流を果たし、いざ、出陣となった。

 コンサートの間中、私はほとんど自分の席に座ったままで演奏に耳を傾けていた。やはり、以前よりも確実に体力が衰えているのを感じる。以前のように、立ち上がって手拍子をしたり、拳を振り上げたりするのは、それなりに体力が必要だったのだと痛感した。また、女性ホルモンの分泌が減少しているために、上半身にはほてりがあるものの、下半身の冷えは冷房から守りたいため、私は自前のひざかけをコンサート会場に持参していた。しかも、例えひざかけを使用していても足首は守り切れないので、オフィスで仕事をしているときのように、発汗作用を促すグッズで冷気から足首を守った

 コンサート会場は、JR線を利用している人にとっては、少々不便な場所にあった。私は、できればたくさん歩きたくはなかったので、シャトルバスを利用してコンサート会場を行き来していたのだが、初日の終演後にシャトルバス乗り場に足を運んでみると、二十二時の最終便しか、もう座席の余裕がないと言われてしまった。シャトルバスを利用しない場合、JR線の最寄駅まで、ひざの痛みを抱えながら十数分歩くことになる。帰宅時間が遅くなるのを覚悟してもシャトルバスを利用するか、それとも最寄のJR線の駅まで意を決して歩くかの選択に迫られたが、結局私はシャトルバスを利用することにした。そんなこんなで、帰宅時間がすっかり遅くなり、また寝不足がぶり返してしまった。翌日の日曜日も同じ場所でコンサートが行なわれることになっていたのだが、土曜日と同じ時間のシャトルバスに乗っていては、月曜日の朝五時に起きて仕事に出掛けて行くのはとても辛いと思った。そのため、翌日のコンサート終了後は、できるだけ早い時間にシャトルバス乗り場に移動しようと心に決めていた。

 さて、翌日の日曜日、私は梅田店でホットヨガのレッスンを終えたあと、梅田ロフトに足を運んだ。というのも、無印良品のWeb会員割引セールが行なわれていたからだ。そこで私は、無印良品を求めたのだが、別の階で行なわれていた冷感グッズのコーナーも見て回った。現在、私は仕事中に腕を冷やして、上半身のほてりを収めているのだが、もしももっと効果のある冷感グッズがあれば利用したいと思ったからだ。ところが、私は冷感グッズのコーナーに並べられている商品を見て驚いた。何故なら、私が絶対に冷やしたくない首を冷やすグッズが売られていたからだ。首の他に、頭を冷やすグッズもあった。しかし、私が欲しいと思っている腕全体を冷やすグッズは見当たらなかった。更年期障害で上半身のほてりを感じている人は多いと思うのだが、そういう人たちを救済するためのグッズは、どうやらまだ世の中には出回っていないようである。私としては、腕が冷たければ、仕事中、何とかしのげそうなのに、とうとう欲しいものを手に入れることができず、肩を落として売り場を離れた。

 その後、少し遅い昼食をとり、再びシャトルバスに乗り、コンサート会場へと向かった。やはり体力に自信がないためか、心の中では、「二日間連続のコンサートは本当にきつい」と感じているようだった。特に、日曜日の夜の帰宅時間が遅くなるのはきつい。それが私の正直な気持ちでだった。

 そのことをきっかけに、私はいろいろな思考を巡らせてみた。例え身体のコンディションが同じだったとしても、ガンモと一緒に出掛けて行く旅行などは、いつも喜び勇んで出掛けているのではないか。それなのに、コンサートに関して、これほど後ろ向きな気持ちになってしまうのはどうしてなのだろう。

 私はまず、何故、このように足繁く彼らのコンサートに通い続けているのかを考えてみた。心の底からコンサートに行きたいからなのだろうか。残念ながら、私の中には決してそうとは言い切れないものがある。では、何故、コンサートに足を運ぶのだろうか。

 それは、身近な場所でコンサートが開催されるからだ。彼らのコンサートに足を運ぶことは、もはや私の中では当たり前のイベントになってしまっていた。何しろ、十代の頃から通い続けているのだ。そのため、かつてのように情熱を注ぎ込んでコンサートに参加しているわけではない。二十数年も同じアーチストのコンサートに通い続けていれば、こんな気持ちになったとしてもおかしくはないのかもしれない。むしろ、これまで継続して来たことを途中で中断してしまうことのほうが恐ろしい。

 「継続は力なり」などと言うが、継続することがいつの間にか目的になってしまうと、その時点でもう純粋ではいられなくなってしまう。歳を重ねるにつれ、身体が言うことをきかなくなってみて初めて、そのことに気付かされたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 二日目のコンサートを終えたあと、トイレに行かずにシャトルバスの乗り場へ直行したところ、一日目よりも十五分だけ早いシャトルバスに乗ることができました。ライブ仲間のお友達のご協力があったからこそ、前日よりも早いシャトルバスに乗ることができました。どうもありがとうございます。今の私は、情熱的だった昔を思い出したい気持ちでいっぱいです。(苦笑)

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2010.06.29

映画『21グラム』

ホットヨガ(一九〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m JR大阪駅から梅田店のスタジオまで、十分もあれば歩けるよという方も中にはいらっしゃるかもしれませんが、骨盤が固まっていて歩くのがひどく遅い上に、ひざの痛みまで加わると、到底無理ですね。何しろ、普段、およそ二十分掛けて歩いている距離ですので。(苦笑)

 今回は、ゴールデンウィーク中に鑑賞したDVDから、映画のレビューをお届けしようと思う。

 本作を鑑賞し始めたものの、最初のうちは何が何だか良くわからなかった。バラバラのジグソーパズルを、わかる範囲で一つの集合体に仕上げては、テーブルの端のほうにいったん避けておいて、次のジグソーパズルの集合体に取り掛かっているような感覚だった。そう、断片的な物語が、次から次へと生まれては消えて行くのだ。

 いくつものジグソーパズルの集合体を次から次へと突き付けられながら、「はて、映画タイトルの『21グラム』とは何ぞや?」という疑問が生まれて来る。そして、最後の最後で、すべてのジグソーパズルが完成するとともに、『21グラム』が何の重さであるのかもわかる作りになっている。

 心臓移植をめぐって、通常では有り得ないような男女関係が成立してしまうところが、本作の見どころかもしれない。何故、そのような男女関係が成立するのかというと、心臓に、元の心臓の持ち主の魂が宿っているためであるとも考えられる。

 私は、何年か前に鑑賞した映画『the EYE 【アイ】』を思い出した。映画『the EYE 【アイ】』は、角膜の移植手術を受けた少女が、その目の以前の持ち主の記憶を持つようになるという作品である。

 もしも心臓移植の手術を受けたことで男女が互いに惹かれ合ったのだとすると、誰も彼らを責められないかもしれない。しかし、やがて復讐心を共有することで、傷害事件にまで発展することになろとは、一体誰が想像し得ただろうか。

 交通事故で子供と夫を一度に亡くしてしまう女性クリスティーナをナオミ・ワッツが演じている。一方、その交通事故を引き起こした男ジャックを演じているのは、ベニチオ・デル・トロである。そして、心臓が弱く、ドナーを待っている男性ポールをショーン・ペンが演じている。それぞれの人間模様が明るみになって行くのは、断片的な物語が次第に関連性を持ち始める後半のことである。

 物語の初めのうちにいきなり結論を見せ付けられ、あとからそのいきさつを知ることになる作りはとても新鮮である。ただ、断片的な物語が頭の中で次々に繋がって行く喜びを感じなければ、しばらく混乱したままの状態に陥ってしまう危険性もある。そのため、中にはストーリーから取り残されてしまう人もいるかもしれない。おそらく、本作の評価が分かれている理由はそこにあるのだろう。

 本作は二〇〇三年の作品で、本作を手掛けたアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督は、のちに映画『バベル』をこの世に送り出すことになるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 鑑賞前に、時間軸がバラバラに構成されているという予備知識がなかったので、最初のうちはかなり戸惑いましたが、ジグソーパズルが完成に近付いて行くに従って、映画の世界に引き込まれて行きました。時間軸をバラバラに表現した作品としてすぐに思い浮かんだのは、サンドラ・ブロック主演の映画『シャッフル』でしょうか。私は映画『シャッフル』は鑑賞していないのですが、確かあの作品は時間軸が操作されていることを主人公自身が気付いていたはずです。そういう意味では、本作とは異なっていますね。

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2010.06.28

ホットヨガ(一九〇回目)

癒しの時間の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。日常的に顔を合わせている人たちの中に、本当の意味で気の合う人がいないのは、私自身が本当の自分を生きていないことなのだろうかと思うこともあります。だから私は、『聖なる予言』のあとに書かれた『第十の予言』のような物語が好きなのでしょうね。『第十の予言』には、同志は常に自分の身近にいるのではなく、いろいろな場所に分散して配置されていて、ピンチを迎えたときに互いに力を合わせて本来の力を発揮するといった思想が盛り込まれていると思います。

 あれやこれやと書き綴っているうちに、ホットヨガの記事を書くのが一週間遅れになってしまった。今からお届けするのは、およそ一週間前の出来事である。

 前回のレッスンで遅刻をしてしまったので、今度こそレッスンの開始時間に間に合うように家を出たいと思っていた。しかし、「ガンまる日記」を書いているうちに時間が経ってしまい、またしても家を出るのが遅くなってしまった。しかも、最寄駅に着いて乗り込んだのは、前回よりも遅い電車だった。

 私は、電車が駅に停車する度に、時計ばかり睨んでいた。この電車がJR大阪駅に着くのは一体何分なのだろう? 前回のレッスンのときに梅田店に到着したのがレッスン開始時間ギリギリだったということは、そのあとの電車に乗ってしまっている今回は、更に到着が遅れるということである。レッスン開始後、十分以上の遅刻は認められないルールになっているので、そうなると、せっかくの回数券が無駄になってしまう。以前のように、スタジオに電話を掛けて、次の時間帯に行なわれるレッスンに振り替えていただこうか。なかなか予約の取れない梅田店だけに、それは難しいかもしれないなどと思いながらも、携帯電話を使ってホットヨガの予約サイトにアクセスしてみると、次のレッスンは二時間後であることがわかった。いやいや、それでは私が困ってしまう。というのも、私はその日、大阪で行なわれるコンサートに参加する予定だったからだ。

 私が乗り込んだ電車はJR大阪駅には行かない電車だったので、JR大阪駅に向かう電車に乗り換えるべく、途中のJR尼崎駅でいったん電車を降りた。ところが、電車の遅れにより、普段は行なわれているはずの電車の乗り換え接続が行なわれていなかった。そのため、私はその次にやって来る電車に乗り換える羽目になり、JR尼崎駅で数分間も待つことになってしまったのだ。

 私は、JR大阪駅に着いてから、私の足で普通に歩いていては予約しているリラックスコースのレッスンに間に合わないと思い、とうとう覚悟を決めた。そのあとの予定が詰まってしまっていることから、二時間後のレッスンに振り返ることはできないため、JR大阪駅に着いたら、贅沢にもタクシーに乗ろうと思ったのだ。

 間もなくJR大阪駅に向かう電車がホームに入って来ると、私は急いでその電車に乗り込んだ。そして、JR大阪駅に着くや否や、改札口まで突進し、更には改札口を走り抜けて、タクシー乗り場を探した。自分で探すよりも詳しい人に聞いたほうが早いと思い、制服を着た警備員のお兄さんに、
「タクシー乗り場はどこですか?」
と切羽詰った様子で尋ねた。するとお兄さんは、すぐにタクシー乗り場を教えてくださったので、私は教えていただいた方向へと一目散に走った。レッスン開始まであと十分というドタバタ劇である。

 タクシーの運転手さんには、
「毎日放送のある大きな通りまでお願いします」
と伝えた。梅田店のスタジオは、毎日放送のすぐ近くにあるのだ。私が、実際は、毎日放送近くの大きな通りの向かい側の建物に用があることを付け加えると、タクシーの運転手さんは、
「それやったら、こっちから回ったほうが速いかもしれへんな」
などと言いながら、タクシーを走らせてくれた。

 いつもは大きな荷物を抱えてのらりくらりと歩いている道路が、タクシーによってみるみるうちに次なるシーンに切り替わって行く。こうして、梅田店のスタジオのある大きな通りに着いたのは、レッスン開始時間の数分前だった。私は余裕でタクシーを降りて、梅田店のスタジオで受付を済ませた。タクシー料金は、初乗り料金の六百六十円だった。ホットヨガのレッスンに行くのに、タクシーで乗り付けるなんてずいぶん贅沢だと思うのだが、おかげ様で何とかレッスンに間に合うことができた。もしもタクシーを利用しなければ、回数券がすっかり無駄になってしまっていたのだから、贅沢とも言っていられない。

 梅田店の受付でロッカーの鍵を受け取ると、私は大急ぎで支度を整え、何食わぬ顔で指定されたスタジオに滑り込んだ。レッスンに参加していたのは、私を入れて十五名の参加者で、そのうち男性会員は二人だけだった。前回のレッスンで久し振りにお会いしたNさんはいらっしゃらなかった。

 インストラクターは、これまでに何度かレッスンを担当してくださったインストラクターだった。途中、どういうわけかインストラクターの口から、
「このように、ライトコースのレッスンでは、○○なんです」
と、今、参加しているレッスンの特徴が語られた。ええっ? インストラクターさん、今、何とおっしゃいましたか? ライトコースですって? まさか、私は慌ててスタジオに滑り込んだものの、リラックスコースではなく、ライトコースのレッスンに紛れ込んでしまったのだろうかと不安になり、周りをキョロキョロ見渡した。しかし、他の人たちは特に動揺している様子もない。すぐに私は冷静になり、これまで取って来たどのポーズも、ライトコースではなく、リラックスコースのレッスンで行なわれているポーズだったので、インストラクターが言い間違えてしまったのだろうと解釈した。

 こうして、今回もたっぷり汗を掻いて、六十分のレッスンを無事に終えることができたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ホットヨガのレッスンのときは、着替えを忘れてしまったりと、何かしらヘマをやらかす私ですが、今回は、私の歩く速度ではどうしてもレッスンの開始時間に間に合いそうにない時間にJR大阪駅に着いてしまい、タクシーを利用することになってしまいました。思えば、梅田店のスタジオが毎日放送の近くで良かったと思います。タクシーの運転手さんに伝え易いですからね。(苦笑)

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2010.06.27

癒しの時間

映画『パリより愛をこめて』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この映画、実はフランス映画なんですよね。それなのに、アメリカ寄りの視点で描写されているところか面白いと思います。例えば、フランス人の外務大臣が秘書のうちの一人ではなく、二人と肉体関係を持っているということを知ったアメリカ大使が、「さすがフランス人だ」などと表現します。製作者であるフランス人がフランス人を客観視して、他国から見たフランス人はきっとこうだろうと推測し、アメリカ人の口から語らせているのです。

 ここ一年くらい、電話でしばしば話をしている友人がいる。おそらく相性がいいのだろう。平日だというのに、二十一時頃から話し始めて、二十三時半頃までみっちりと話し込んでいる。電話を切るのは、翌日に備えて眠くなってしまうためであり、もしも眠くならなければ、もっと話すべきことがたくさんある。単にだらだらと話をするだけならば、今よりももっともっと時間を自由にできた学生時代に長電話の経験がある。しかし、今や友人にとっても私にとっても、慌しい日常を送る中で、時間は最も大切な要素の一つである。だから二人とも、決して時間を無駄にするためにだらだらと話をしているわけではないと言い切れる。

 その友人との会話の内容は、社会生活を送る上では、むやみやたらに第三者に触れられないように心の中に大切にしまい込んで、表に出そうとはしていない考察であったり、感情であったりする。それらはとても深いところにあるので、相手の会話の内容に合わせて自分も一緒に深いところまで降りて行くのがとても心地がいい。

 おそらく私たちの中では、会話の中で相手に触れて欲しいと思っている領域が決まっている。しかし、誰もがその領域に容易に到達できるわけではない。だからこそ、一緒にその領域に分け入ってくれる同志を強く求めてもいる。その求め方は、クイズにも似ている。つまり、これを理解してくれる相手ならば、その相手ともっと深いところへ進もうと考えるのだ。

 かつてその友人とのやりとりは、もう何年も前からインターネットのメールがメインだった。最近では、インターネットのメールだけでなく、携帯電話のメールも良く交わす。思えば、これまでにも本当にたくさんのメールを交わして来た。いつも引用レス形式でメールを返してくれるので、お互いにとって、何がイエスで何がノーかが良くわかっている。

 その一方で、喧嘩も良くする。つい先日も、決定的な一言を発してしまうほどの大喧嘩に至ってしまった。その一言を言ってしまえば、お互いにとっての未来など存在しないはずだった。

 大喧嘩のきっかけとなったのは、お互いの価値観の違いである。友人は、私との価値観の違いについて自分自身を偽ることができず、あるとき思い切って本心を語った。本心など語らず、適当に取り繕っていればそのまま通り過ぎて行くこともできたはずなのに、友人は、ありのままの自分を語って私に受け入れて欲しかったようだ。

 お互いの価値観の違いは今なお解消されていないにもかかわらず、その大喧嘩のあとは、結局どちらが謝ることもなく、再び話をするようになった。本当に相性が良いというのは、喧嘩の相性も良いのだと思う。すなわち、喧嘩をしている最中に、相手に対してどんな言葉を発したらいいのかわからなくなって腫れ物に触るような態度を取ってしまったり、また、相手を徹底的に追い込んで逃げ道を失くしてしまうような陰湿な喧嘩には絶対に発展しないのだ。

 実は、その友人もまた、ホームページやブログを開設していて、かつてはインターネット上にせっせと自分の中で生み出したものを公開していた。しかし、次第に自分自身の持つ世界と現実社会とのギャップを感じるようになり、公開するのをやめてしまったそうだ。

 私もその気持ちは痛いほど良くわかる。インターネットを、自分の本当に好きなことや考えていることを表現できる仮想社会とするならば、現実社会においては、実に多くの人たちが私の目の前を素通りして行く。しかし、ホームページやブログには、検索エンジンを頼って、私の考えていることや感じていることに共感や理解を示してくれる人たちが訪れてくれる。むしろ、現実社会の友人や知人のほうが私の生み出す言葉には無頓着だ。言い換えると、現実社会においては、私の姿は見えていても、私が本当は何を考え、欲しているのかにまったく気付いていない人が多い。だから、私の中から出て行った言葉の一部を自分の側に引き寄せて解釈しようとしたりもする。ああ、私の痒いところはそこではないのに。

 その友人と私が話をするときは、例え私が悩み相談を受けている側だったとしても決して一方的にはならず、相手にとっても自分にとっても貴重な癒しの時間となっている。これから先、どこまで深くなれるかがとても楽しみでもある。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m もともと私は、人と深く繋がりたいという欲求を持っていました。そんな稀有な欲求を満たしてくれる友人との出会いは、限りない可能性を秘めています。これからもずっと大切にして行きたい友人ですね。

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2010.06.26

映画『パリより愛をこめて』

青森~北海道、飛行機と寝台列車の旅(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 自動改札に慣れてしまうと、駅員さんが切符に一枚ずつ鋏を入れてくださる光景がとても新鮮に思えます。もしかすると、切符に鋏を入れたくて駅員さんを目指した人もいるかもしれません。仮にそうだとすると、自動改札の導入は、そうした駅員さんの夢を奪ってしまったのかもしれませんね。

 主人公がパリで大暴れする映画と言えば、少し前にも似たような作品を鑑賞したように思う。そう、映画『96時間』だ。調べてみると、映画『96時間』も本作も、リュック・ベッソンとピエール・モレルのコンビにより製作されたものだった。ということは、彼らは映画『96時間』で得た快感が忘れられずに、またしても主人公をパリで大暴れさせる作品を創り上げたということなのだろう。

 今回、パリで大暴れするのは、映画『ヘアスプレー』映画『サブウェイ123 激突』のジョン・トラヴォルタである。ジョン・トラヴォルタは、そのうちパリを破壊してしまうのではないかと思えるくらい、標的に対し、とにかく激しく撃ちまくる。しかも、彼は悪役ではなく、CIAの諜報(ちょうほう)員なのだ。

 こうしたアクション映画を鑑賞する度に、いくらCIAの諜報員とは言え、あたかも虫けらを殺すかのように、次々に人間を殺してしまうのは問題があるのではないかといつも思ってしまう。相手が極悪人であるとは言え、自らの判断で殺してしまうというのは、人として生きている限り、激しい罪悪感に苛まれると思うのだ。しかし、映画『96時間』同様、本作もまた、そうした細かいところには意識が向けられてはいない。同じ人たちが製作に携わっているのだから、仕方のないことなのかもしれない。また、撃つべきか撃たざるべきかの判断を咄嗟に行なってところも謎である。たまたま、本作の話の流れの中では、標的をひたすら撃ちまくるという設定になっているのかもしれないが、もしも咄嗟の判断を誤り、味方を撃ってしまったとしたら、どうなるのだろう。激しい銃撃戦が繰り広げられているだけに、十分あり得る状況ではあるものの、そうした展開にならないのが不思議なくらいである。

 ジョン・トラヴォルタと相棒を組んでいるのは、ジョナサン・リス・マイヤーズである。型破りなジョン・トラヴォルタに対し、ジョナサン・リス・マイヤーズには、アメリカ大使館員としてのエリートの雰囲気さえ漂っている。不良と優等生のようなまるで正反対の二人がコンビを組んでもうまく行くのは、互いに自分にないものを持ち合わせている相性であるがために、補い合える関係だからなのだろう。互いに補い合うことによって、それぞれの視野を広げることのできる関係なのだ。

 最初は麻薬捜査のために動き始めたはずの二人が、やがてはアメリカ政府要人の暗殺計画へと辿り着いて行くわけだが、何となくこの展開は、以前にも何かの映画で観たように思う。すっかり忘れてしまうほど前に鑑賞した作品でもないはずなのに、何の映画だったかも既に忘れてしまっているのは、やはり私にとって、この手の作品が心に残りにくいということなのだろう。それでもまた、この手の作品を鑑賞してしまったのは、やはり私自身がパリを好きだからに他ならない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 大好きなパリを舞台とした作品だったので、またしても観に行ったわけですが、情緒的な作品ではないだけに、いろいろな出来事が単に目の前を通り過ぎて行くだけの鑑賞となってしまいました。お酒の飲み方に例えると、私自身は気の合う友人と二人だけで過ごす静かな時間が好みのはずなのに、大勢でドンちゃん騒ぎをするような作品を鑑賞してしまったのかもしれません。(苦笑)

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2010.06.25

青森~北海道、飛行機と寝台列車の旅(2)

三回忌の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 思えば義弟は、義父の世話という役割と、子供たちの父親としての役割、それから義妹の夫という役割、外で働いてお金を稼ぐという役割など、たくさんの役割をいっぺんに背負ってくれているのですね。役割が多いほどストレスも多いはずですが、かつてはこれらの役割のほかに、入院していた義母を見舞ってくれてもいました。そのときはさすがの義弟もたくさんの役割を担うことにパンクしそうになって、悲鳴をあげて私たちに助けを求めて来たこともありました。そのとき私たちは、親元を離れて暮らしているということについて、いろいろ考えさせられたことを思い出します。今はまだ、義弟に甘えさせてもらっていますが、この先、大きな決断を下さなければならないときが来るかもしれませんね。では、週末になりましたので、青森~北海道、飛行機と寝台列車の旅(1)の続きを書かせていただきます。

 三沢空港から三沢駅までの所要時間は、およそ十数分程度だったと思う。三沢駅に到着したと案内されて路線バスを降りてみると、そこには立派な建物のJR三沢駅と、少し古びた十和田観光電鉄の三沢駅の建物が並んでいた。私は、古びた建物を目にした途端、ピーンと来た。ガンモがこっそり立てていた計画とは、十和田観光電鉄を乗り潰すことだろうと思ったのだ。そこで私はガンモに、
「十和田観光電鉄を乗り潰すつもりなんでしょ?」
と尋ねてみた。するとガンモは、
「何でわかった?」
などと言う。私は、
「わかるよ、そんなもん」
と笑いながら答えた。

 十和田観光電鉄の三沢駅構内には、わずか二百円で利用できる大型コインロッカーが設置されていたので、私たちは喜び勇んでそのコインロッカーに荷物を預けた。身軽になった私たちは、十和田観光電鉄の三沢駅構内をじっくりと観察した。明らかに昭和を感じさせる古びた駅舎と駅の窓口は、人情とは言えないまでも、人と人をしっかりと結んで来た長い歴史を感じさせる。

 まだ自動化されていない改札は、次の列車の改札が開始されるまで扉がぴしゃりと閉められていた。天井には手作りの蛍光灯がぶら下がり、十鉄(とうてつ)オリジナルグッズなるものまで販売されていた。

 十和田観光電鉄三沢駅の構内には、これまた味のあるそば屋さんもあり、飛行機の中でお弁当を食べたばかりの私たちも、ここのそばは食べておかなければならないだろうという気持ちにさせられた。そこで私たちは、十和田観光電鉄を乗り潰して少しお腹を空かせたあと、そばを食べることにした。

 ひとまず、乗り潰しのために乗車券を購入し、改札が始まるのを待った。しばらく待つとホームに続く扉が開放され、駅員さんによる改札が始まった。駅員さんは、フィルムケースを合体させた鋏を使って、慣れた手つきで切符を一枚一枚切っていた。ホームに一歩足を踏み入れてみると、そこにはいきなり、手洗い場があった。何故、駅のホームに手洗い場があるのか良くわからないのだが、古い駅のホームには良く見掛ける光景である。

 ホームに待機している車両を見た私は、途端に懐かしさに襲われた。ホームに停車していたのは、どう見ても昔の東急の車両だったからだ。私は、かつての東横線に乗るような感覚で、停車していた列車に静かに乗り込んだ。

 列車の中はとても空いていて、日当たりも良く、心地良かった。利用客の中には、広々と車内を使えるのをいいことに、シートの上に寝転がってくつろいでいる人もいたくらいだ。こうして私たちの、三沢から十和田市までの数十分の旅が始まったのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、青森~北海道、飛行機と寝台列車の旅(2)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 地方の私鉄は、とにかく味がありますよね。中には経営困難に陥って、廃線になってしまう私鉄もありますが、このような味のある私鉄はいつまでも残って欲しいと思います。かつて都会で活躍していた車両が引退して、こうして地方で活用されているのも、懐かしさを感じさせてくれます。最前線で働いていた人が立派に定年を迎え、のんびりした職場で再就職するようなものかもしれませんね。のどかな環境で人々に愛されて、きっと車両も喜んでいると思います。

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2010.06.24

三回忌

映画『17歳の肖像』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m デイヴィッドがジェニーのご両親と打ち解けて行くプロセスは、まるで喜劇のようでもありました。ジェニーの教育にひどく熱心なご両親だからこそ、デイヴィッドの出身大学を聞いただけで騙されてしまったんでしょうね。

 遅ればせながら、天然ヘナと夜間移動の記事に書いた人前に出たときのことを書いておこうと思う。このとき、私が慌てて天然ヘナを使って白髪染めをしたのは、義母の三回忌の法要が控えていたからである。

 五月下旬のとある平日、私たちは義母の三回忌の法要に参列するため、揃って休暇を取り、ガンモの実家に帰省した。いつもならば、前日の夜に仕事を終えたあと、カングーで移動してしまうのだが、ここのところガンモの仕事がひどく忙しいため、いつも帰宅時間が遅く、夜間移動がままならない状態だった。そこで、朝十時から行われる三回忌の法要に間に合うように、頑張って早起きをして出掛けたのである。

 まだ兵庫県内を走っているときに渋滞に遭い、十時の開始時間には間に合わないかもしれないとも思った。三回忌の法要には、私の実家の両親も参列することになっていたので、たまたま電話で話をした母に、遅れるので先に始めておいて欲しいと義弟への伝言を頼んだ。結局、何とかギリギリで間に合ったのだが、ガンモの実家に着いてみると、今回もまた、義弟が何から何まですべての準備を整えてくれていた。

 毎回、義弟に甘えてしまってばかりではいけないとは思うのだが、そもそもガンモと義弟が密にコミュニケーションを取っていないのに加え、こうした行事は「家」の風習に従って行なわれるため、嫁の立場である私はなかなか思うように行動が取れないのも事実である。ガンモの実家からすれば、亡くなった義母もまたガンモ家に嫁いだ身である。そのため、こうした法要はガンモ家の風習に従って行なわれるというよりも、義母の里の風習に従って行なわれているのだった。言い換えると、義母がガンモ家に嫁いで何十年経っていたとしても、完全には嫁ぎ先の色に染まっていないことになる。これまでほとんど意識していなかったことだけに、私はこうした風習に驚いたのだが、このような風習が今でも残っているのは、義父と義母が同じ市内の出身者同士で結ばれたように、比較的近い地域の出身者同士で夫婦になるケースが多かったからなのかもしれない。

 ガンモの実家の地域では、お坊さんのことを「おじゅっさん」と呼んでいる。一周忌と同様、今回も三人のおじゅっさんが来てくださった。同じお寺から二人、別のお寺から一人のおじゅっさんが来てくださったのだが、驚いたことに、まるで申し合わせたように調和している。これが音楽ならば、楽屋での打ち合わせもほとんどない状態で、いきなりぶっつけ本番でハーモニーを奏でるようなものだ。

 こうした法要が行なわれるときは毎回、義弟の嫁である義妹と私で台所を担当している。担当すると言っても、ほとんど義弟たちが用意を済ませてくれている上に、義妹の子供たちも手伝ってくれるのでとても心強い。例えば、法要の前におじゅっさんにお茶をお出ししたり、法要の休憩時間中に、参列してくださっている皆さんにお茶やお茶菓子をお出ししたりするのだが、義妹の子供たちは、みんながお茶を飲み終わった頃になるとお盆を持って、湯飲みを下げて来てくれる。わざわざ大人が出向くとなると、変にタイミングを見計らろうとして気恥ずかしい思いをしたりするものだが、子供たちが手伝ってくれるとなると、飲み終わった湯飲みを積極的に差し出してくれる参列者の方が多いようだ。

 法要が終わり、おじゅっさんが帰り支度を整え始めると、大急ぎで仏壇の前にずらりと並べられたお供えを下げてせっせと袋に詰め始める。参列者からいただいたお供えを平等に袋に分けて、一足先にお帰りになるおじゅっさんに手渡すのだ。おじゅっさんにお布施をお渡しするのは、この少し緩んだ時間である。平等に分けたお供えは、おじゅっさんが席を立ち、お帰りになる直前に手渡すのだが、お布施については、おじゅっさんがまだ席を立とうとする前にお盆に載せて、控えめにお渡しするのだ。

 おじゅっさんを玄関でお見送りすると、ほど良い頃に近所の仕出屋さんがやって来て、お膳のセッティングを始めてくれる。仕出屋さんによって、さきほどまで法要が行なわれていた座敷に、お膳が一つ一つ並べられる。その間に、ほとんどの参列者の方たちは、近くにあるお墓に行ってお参りをする。義妹と私は家に残り、仕出屋さんが持って来てくださったお汁をコンロで温めたりする。

 そして、参列者の方たちがお墓から戻って来ると、間もなく昼食である。コンロで温めたお汁をお椀に装い、参列者の方たちのお膳に一つずつ並べる。このときも、義妹の子供たちが手伝ってくれる。こうして昼食の準備が整うと、仕出屋さんが並べてくださったお膳のお料理を一人一つずつつついて食べるのだ。食事中に不自由なくお茶が飲めるように、今回から、義弟がお茶の入ったペットボトルを一人一本ずつ用意してくれていた。これはとても便利である。

 静かな食事中、話題を提供してくれるのはいつも、義妹の子供たちである。義妹は、前夫との間に生まれた二人の子供を連れて義弟と再婚し、義弟との間にも子供を一人授かっている。しかし、義弟たち一家は血の繋がりなど一切気にすることなく、見るからに自然な形で互いに打ち解け合っている。義弟が、血の繋がりのない子供たちをきちんと叱っているのも、義妹の子供たちに対して無関心ではない証拠である。子供たちは、自分を叱ってくれる義弟に対して、そうした経験のない私たちの想像も及ばないほど懐(なつ)いているのだ。

 昼食が終わると、静かな大人たちは少しずつ帰り支度を整え始める。食べ切れなかったお料理は、仕出屋さんの用意してくださった紙風呂敷に包んで自宅に持ち帰ることができるようになっている。私たちはすかさず、平等に分けたお供えの袋を、帰ろうとする人たちに手渡す。お供えのほかにも、義弟が商品券やお赤飯などを手配してくれていた。本当に、何から何まですっかり義弟が準備を整えてくれていたのだ。

 こうしてほとんどの人たちが帰路についた。私の両親が残っていたので、少し前に私がセッティングを終えて送った父と母の携帯電話を預かり、それぞれの料金プランの変更と通話料金が安くなる「ゆうゆうコール割引」のサービスに登録する友人・知人のデータを追加した。私の両親は、私たちのためにクーラーボックスにおかずや飲み物などをたくさん持って来てくれていた。私はそれらを有り難く受け取り、カングーに積み込んだ。また、私の実家の両親は、義弟の好物の缶コーヒーをたくさん持って来てくれていた。義弟はその缶コーヒーにはとにかく目がないので、とても喜んでいた。本来ならば、私たちがフォローしなければならないことを、私の実家の両親に任せてしまうのも情けないことだが、今はこうした厚意に甘えようと思っている。

 実家の両親を送り出すと、私たちは台所で義弟と少し話をした。ガンモの実家近くで働いている義弟は、義父の面倒も良くみてくれている。私たちは本当に感謝しても感謝し切れないくらい、義弟にはお世話になっているのだ。しかし、普段からまめにコミュニケーションを取っていないだけに、ガンモも義弟への感謝の気持ちをなかなか言葉に表せないでいるようだ。糖尿病を患っている義父は、少し前と変わりなく元気そうだった。義父が元気でいられるのも、義弟のおかげなのである。

 義弟としばらく話をしたあと、義弟に厚くお礼を言って、私たちも帰り支度を整え始めた。今回は日帰りだったので、できるだけ早い時間に帰路につきたいと思っていたのだ。そして、行きと同じようにガンモの運転するカングーに乗って、無事に帰宅したのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回も、何から何まで義弟に頼り切ってしまいました。(苦笑)私はこの日、天然ヘナの匂いをプンプン漂わせながら、参列してくださった方たちにお茶をお出したりしていました。きっと天然ヘナの匂いに慣れている人は少ないと思うので、「何か変な匂いがするなあ」と思われていたことでしょうね。(苦笑)

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2010.06.23

映画『17歳の肖像』

一時的な回避策の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。やはり、痛み止めの薬は服用していません。胃を痛めてまでも飲む気にはならないのと、もともと西洋医学の薬を服用すること自体に抵抗があるからです。とは言え、湿布については好奇心から使ってみました。薬局などで売られている湿布とは違い、医師に処方していただく湿布はずいぶん強力ですね。一時的な回避策でしかないのはわかっているのですが、粘着力もあって、貼ったときの感じもとても気持ちのいいものでした。ただ、痛みが劇的に軽減されるわけではありませんね。(苦笑)

 予告編から受けた印象と、実際に鑑賞したときの印象が大きく異なる作品だった。予告編を観たときは、十七歳の少女に大人の恋人ができて、彼と行動を共にしながら大人の世界を垣間見ることにより、様々な出来事を吸収して行くというだけの印象だった。しかし、実際はそれだけではなかった。大人の世界には、十七歳の少女がこれまで体験できなかったことを体験できた喜びを感じられることもあれば、反対に、十七歳の少女には到底受け入れ難いこともある。中には、「高い授業料」という表現にふさわしい出来事だってあるのだ。

 ロンドン郊外に住む十六歳のジェニーは、学校帰りに大切な楽器を持ったまま大雨に降られてしまう。途方に暮れるジェニーに対し、車に乗った紳士が声を掛けて来る。
「君のその楽器が心配だ。楽器だけ預かろう」
実際、紳士はジェニーから楽器だけを預かり、大雨の中、ジェニーを残したまま車を走らせる。大雨でびしょ濡れだったジェニーはたまらず、自分から紳士に声を掛けて、
「私も乗せてもらってもいい?」
と尋ね、紳士の了解を得て車に乗り込む。

 そんな運命的な出会いを果たしたジェニーと紳士は、少しずつ交流を深めて行く。紳士の名前はデイヴィッド。いつの間にかデイヴィッドは、ジェニーの進学に熱心で、頑固なはずのジェニーの両親の信頼さえも勝ち取って行く。

 前半は、順風満帆にことが運んでいるように思えた。しかし、ストーリーが進んで行くに従って、どことなくダークなイメージが拭い切れなくなって来る。デイヴィッドには仕事をベースにした付き合いの友人がいて、その友人の彼女とも行動を共にしている。デイヴィッドと付き合うことで、ジェニーは彼等の仲間入りを果たし、あたかも運命共同体であるかのように、四人でしばしば行動するようになる。やがて十七歳になったジェニーは、「受け入れる」ことを体験する。それは、デイヴィッドの仕事のことであったり、デイヴィッドと夜を共にすることであったり・・・・・・。しかし、やがて、ジェニーの「受け入れる」器の大きさを問われるような出来事が起こる。それは、十七歳の少女が「受け入れる」には、あまりにも過酷な出来事だった。

 本作を鑑賞しながら、私自身にも「受け入れる」ことが辛い時期があったことを思い出した。ある程度、場数を踏んで行けば、そうした出来事が何のために起こっているのかを直感的に見極めることができるようになる。例えばそれが、自分自身の「受け入れる」器を広げるために起こっているのか、それとも、「受け入れる」器を壊すために起こっているのか。「受け入れる」器を広げるために起こっている場合、その状況を乗り越えたとき、その出来事に関係した人たちとの絆は、これまでのよりも一層強くなるはずである。しかし、十七歳のジェニーの「受け入れる」器は壊れてしまった。

 「受け入れる」器が壊れてしまったことを客観的に見届けている場合、壊れてしまった器を何とか修復して、自らの「受け入れる」器を広げて頑張って欲しいと願うこともある。しかし、本作ではそうは思わなかった。それは、ジェニーにとっては初めてでも、デイヴィッドにとっては繰り返しの一つに過ぎないことがわかったからだ。例えデイヴィッドにとっては繰り返しの一つであったとしても、せめてジェニーに対してだけは特別であって欲しかったと思う。しかし、どうやらその特別感も、ジェニーの「受け入れる」器が壊れてからのフォローもなかったことから、本作の流れに従うのが最も妥当であると考えるに至った。

 ジェニーにとっての唯一の救いは、戻るべき場所があって良かったということだ。むしろ、「受け入れる」器が壊れるまでのジェニーは、その環境に強く反発して自ら手放してしまいたかったはずなのに、結果的にはその環境がジェニーを救ったのである。心にぽっかりと穴が開いてしまったような、何とも切ない物語ではあるのだが、これから先、ジェニーはこの出来事をバネにして強く生きて行くのではないだろうか。もしかすると、ジェニーが大人になってからも、決して忘れることのできない体験の一つになったかもしれない。

 ジェニーが既存の環境を手放そうとしたのは、既存の環境とデイヴィッドとの付き合いを共存させることができなかったからである。しかし、本当の意味で「受け入れる」とは、自らの既存の環境と新たな環境を共存させて行くことではないかと、本作を鑑賞した私はいたく実感したのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 甘い青春映画だと思っていたのですが、後味はほろ苦かったですね。(苦笑)途中、何となくダークなイメージが付きまとっているのですが、こういう結末だったからなのか、と妙に納得しました。私自身の苦い経験と、ついつい重ねてしまう作品でありました。

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2010.06.22

一時的な回避策

SPITZ JAMBOREE TOUR 2010 in 和歌山の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。スピッツは、マサムネが作詞作曲を手掛け、自らボーカルとギターも担当し、ファンからの支持率も一番高くなっています。メンバーの中で一人だけが突出して活躍しているバンドは、次第にバンドとしてのバランスが取れなくなり、解散や活動休止へと追い込まれがちですが、スピッツはなかなか息の長いバンドだと思います。うまく行っているのは、メンバー全員が草食系だからでしょうか。(笑)

 週末に遊び過ぎてしまったせいか、月曜日は仕事を休んでしまった。いつもは週末のうちに睡眠不足を解消しておくのだが、ついつい睡眠不足を引きずったまま、盛りだくさんな週末を過ごしてしまったためだ。

 それに加え、ひざの痛みが本格的になって来たので、休暇を取ったことはむしろチャンスだと思い、自宅近くの整形外科に出向き、ひざを診てもらった。その病院は、同じマンションの同じ階に住む奥様が看護師さんとして働いている病院でもある。

 最初に医師による問診をしたあと、レントゲン技師にひざのレントゲンを撮っていただいた。その後、再び診察室に呼ばれるとき、同じマンションの同じ階の奥様が私の名前を呼んでくださった。奥様は、私の顔を確認しながら、
「後ろ姿が似てると思ったので、もしかすると、そうかなあと思ってました」
と言ってくださった。診察室で知っている人に会うのは何となく気恥ずかしいものだが、逆に安心感にも包まれる。

 レントゲン結果によれば、私のひざは、いわゆる老化が始まっていて、ひざの軟骨が少し飛び出て来ているのだそうだ。そのため、痛みを感じてしまうのだという。この軟骨の変形は、西洋医学的には元に戻す方法はなく、これ以上、変形が進行しないように防止して行くしかないのだそうだ。私は、先回りして、
「体重を減らしたほうがいいのでしょうか」
と医師に尋ねてみた。すると医師は、
「まあ、一番の予防策は、体重を減らすことだと言われていますね」
とおっしゃった。その後、医師に、
「それから、長時間の歩行や激しい運動は控えるようにしてください。何か運動をされてますか?」
と尋ねられたので、
「ヨガをしています」
と答えると、医師は、
「ヨガぐらいだったら大丈夫でしょう」
とおっしゃった。

 結局のところ、西洋医学的には何も治療法がないので、薬を処方してくださるとしても、痛み止めや湿布だけのようである。つまりは、一時的な回避策に過ぎないというわけだ。それでも私は、何もないよりはマシだと思い、痛み止めと湿布の処方をお願いして診察室を出た。そして、病院の近くにある薬局で、処方された痛み止めと湿布を受け取り、帰宅した。何と、痛み止めは胃に負担が掛かるようで、胃の負担を和らげるための別の薬まで付いていた。私は、処方箋を受け取りながら、処方していただいたものの、私が痛み止めを服用することはないだろうと心の中で思っていた。

 私が病院にかかるときはいつも、このような腑に落ちない結果を突き付けられてしまう。西洋医学は、痛みを一時的に取り除くことはできても、問題となっている症状の根本治療は行わない。筋腫にしても、手術で筋腫を取ったり、子宮ごと取ってしまったりといったことが、あたかも治療であるかのように行なわれている。しかし、それは治療ではなく、一時的な回避策に過ぎないと私はいつも思って来た。例えば、部屋が寒いので暖房を入れるとしよう。この、暖房を入れるという行為が西洋医学の処置に相当する。しかし、そもそも部屋の窓を閉めなければ、部屋が寒いという根本原因は解決されないままなのだ。

 ひょっとすると、実は病院も商売熱心なので、同じ患者に繰り返し足を運んで欲しいがために、わざわざ根本治療を行わないようにしているのかもしれない。冗談はさとおき、一番いいのは、病院にお世話になるような状況を自分で作らないようにすることである。一時的な回避策を示される度に、私はそう思うのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ひざの痛みで病院に行っても仕方がないだろうということは最初からわかってはいたのですが、休暇を取ったことがきっかけになり、レントゲンを撮っていただいて、はっきりした状況を知りたいと思いました。整体や整骨院などでは、レントゲンは撮っていただけないので、その点に関しては良かったと思っています。もう少し症状が進めば、注射などの治療方法があるようですが、こちらもあまり患者に好まれている治療法ではないようですね。やはり、病院のお世話にならなくてもいい身体を作るのが一番です。(苦笑)

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2010.06.21

SPITZ JAMBOREE TOUR 2010 in 和歌山

映画『運命のボタン』の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 大金を受け取ることによって、誰かが死ぬだけでは終わらずに、まだ試練の続きがあったことは意外でもありました。最終的に大きなツケを支払うということは、大金を受け取ることと、誰かが死ぬことは等価ではなかったということですよね。言い換えると、大金を用意したスチュワードにとって、誰かが死ぬことがメリットではないことがわかります。となると、スチュワードたちの目的は一体何だったのだろうと、その真意がいよいよ謎に包まれるのです。

 私がスピッツベルゲンというスピッツのファンクラブに加入していることは、以前も書いた通りである。何故、スピッツのファンクラブに入っているかというと、一般発売ではなかなか手に入りにくいスピッツのコンサートチケットを入手しやすくするためでもある。とは言え、例えファンクラブに加入していたとしても、購入できるコンサートチケットは、同一ツアーのうち、一箇所のみである。

 もうずいぶん前のことになるのだが、今年のツアースケジュールが決まったとき、スピッツベルゲンからツアースケジュールの案内が届いた。そして、それらの中でどの公演を申し込むかを申請するためのハガキも同封されていた。

 ツアースケジュールを見てみると、あいにく大阪や神戸などの参加できそうな場所での公演は、平日にスケジュールが組まれていた。神戸公演ならば、何とか仕事を休まなくても参加できそうだが、大都市であるだけに競争率の高さも気になるところだ。一方、同じく平日に行われる大阪公演は、仕事帰りには到底参加できそうにない。私は、ツアースケジュールを見ながら、どの公演に参加するか、決めかねていた。

 スピッツのコンサートというと、ガンモもまた大好きで、毎回、私と一緒に参加している。そこで私は、ガンモにツアースケジュールを見せて、どの公演に参加したいか尋ねてみた。すると、しばらくツアースケジュールに見入っていたガンモは、
「和歌山に行きたい」
と言った。和歌山のコンサートは土曜日に予定されていたので、ガンモとしては和歌山でコンサートを見たあと、和歌山に一泊するつもりでいたのだろう。

 私は、同封されていたハガキに和歌山公演に参加したい旨を記入してポストに投函した。すると、何ヶ月か経って、和歌山公演のコンサートチケットの当選通知が私の手元に届いた。当選通知に同封されていた振替用紙を使ってチケット代金を振り込むと、その数ヵ月後、ようやく私の手元に和歌山公演のチケットが届いた。あとは、和歌山公演の当日を待つばかりである。そして、私たちが青森~北海道、飛行機と寝台列車の旅に出掛けた翌週に当たる六月の第二週の土曜日に、スピッツの和歌山公演が開催された。

 コンサートのあとは、ガンモと一緒に和歌山に宿泊できるものと思い込んでいたのだが、翌日の日曜日にガンモに仕事が入ってしまい、仕方なく日帰りすることになってしまった。とは言え、調べてみると、我が家から和歌山までは高速道路を使ってわずか一時間余りだった。

 コンサート当日になると、私たちは出発の準備を整え、カングーに乗り込んだ。カーナビに和歌山の会館を目的地としてセットすると、確かに一時間余りで目的の会館に着いた。会館の駐車場にカングーを停めたものの、会館から商店街までは距離がありそうだったので、私たちは開演までのおよそ二時間を、コンサートに訪れたスピッツファンの人たちをウォッチングしながら会館のソファで過ごした。

 さて、いよいよ開場となり、私たちは会場の中に入った。あろうことか、私たちの席は二階の最前列だった。何故、高所恐怖症の私が二階の最前列の席にばかり当たってしまうのだろうか。もしかすると、高所恐怖症を克服するような高次からの取り計らいなのかもしれない。

 普段、静かな曲か、それとも大音量の曲か、はっきりと区別できるアーチストのコンサートに参加し慣れているせいだろうか。スピッツのコンサートでは、果たしてどのように乗ればいいのか、戸惑うことも多かった。というのも、とりわけ大音量の曲が演奏されることがないために、観客として乗りを区別することが出来ず、どのような反応を示せばいいのか良くわからなかったからだ。他の人たちも私と同じように感じていたようで、どこの会場のコンサートに参加しても、会場の乗りはバラバラだった。しかし、今回のコンサートでは、参加者の反応にメリハリがついているのを感じた。コンサートの場数を踏むことで、ファンとしてどのようにコンサートに臨めば良いかを、次第に把握できるようになって来たのかもしれない。

 私の隣に座っていた人が、
「一時期、毎週のようにスピッツのコンサートに参加していたこともあった」
と、一緒にコンサートに参加している仲間に話しているのが聞こえて来た。ああ、わかるわかる、その感覚。私もかつてはスピッツのコンサートにはまりにはまって、いろいろな地方まで遠征していたこともあったっけ。そのときに出会ったスピッツのファン仲間の友人も何人かいたのだが、私が遠征をやめてしまってからは、いつの間にか疎遠になってしまった。あの頃知り合ったスピッツのファン仲間たちは、今でもスピッツのコンサートに通い続けているのだろうか。

 最近のアルバムを聴いていないので、今回のコンサートでは、初めて聴く曲も多かった。私がスピッツのコンサートに参加して良く思うことは、スピッツというバンドは、比較的CDに忠実な演奏をするバンドであるということだ。それは、言い換えると、古い曲にアレンジが加えられて生まれ変われるほどの歴史をまだ持っていないとも言える。そして、どこか素人っぽいMCもまた、スピッツのコンサートで味わうことのできる醍醐味の一つである。彼らのMCは、外に向けて堂々と発信して行くMCではなく、観客にフォローされることを心のどこかで期待しているMCである。反対に、どのアーチストとは言わないが、玄人っぽいMCで盛り上げることの出来るアーチストは、観客からのフォローを期待するよりも先に、観客をドッと沸かせてしまう。要するに、MCにおける素人っぽさと玄人っぽさの違いとは、MCが内に向かっているか、それとも外に向かっているかの違いなのである。

 十八時過ぎに始まったスピッツのコンサートは、いつもたいてい二十時過ぎには終演を迎える。アンコールを入れても二時間余りの演奏時間なので、ちょっぴり遠出をしたとしても、それほど遅い帰宅時間にはならない。そこで私たちは、コンサートのあと、晩御飯に和歌山ラーメンを食べて岐路についたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモ曰く、「スピッツのコンサートに行く」ということは、周りの人たちに宣言しやすいようです。私も何となくその感覚はわかりますが、おそらくそれは、スピッツという存在が、幅広いファン層を持っているからだと思います。逆に、スピッツが幅広いファン層に受け入れられている存在だからこそ、多数の熱狂的なファンに導かれていないという点において、これまでコンサートの乗り方がバラバラだったということもあるのですが・・・・・・。(苦笑)

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2010.06.20

映画『運命のボタン』

青森~北海道、飛行機と寝台列車の旅(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今となっては、寺山修司記念館に足を運ぶことができなかったことが悔やまれてなりません。旅行に出掛ける前に、もっと自分なりに下調べをしておくべきだったと後悔しています。そうすれば、旅行の行程を組み上げるガンモに最初からプッシュしておくこともできたのです。それはさておき、申し訳ありませんが、写真の整理をしながらの記事の更新となりますので、この続きは週末に書かせていただきますね。

 本作も、公開前からの宣伝に、ずいぶん力が入っていた作品である。ある程度、展開の読める作品だと思い込んでいたのだが、実際に鑑賞してみると、予想していたような展開にはならなかったことに驚いた。何故、鼻血を出しているのかなど、わからない点も多かったのだが、私としては意外なストーリーに引き込まれ、最後まで楽しむことができたと思う。

 ある日の早朝、ある若夫婦のもとへ箱が届けられる。その箱を開けてみると、中に入っていたのはボタンだった。やがて、その箱を届けたという男がやって来て、ボタンの説明を始める。そのボタンを押すと、大金を手に入れることができるものの、どこかで誰かが死ぬと言う。若夫婦には子供がいて、教育費などで何かと要り様である。ボタンを届けられた若夫婦は悩んだ挙句、とうとうボタンを押してしまう。

 もともと本作の原作となっている小説は、映画になるほどの長編小説ではないらしい。それを、映画の製作に携わった人たちが長編化に挑んだ作品のようだ。ちなみに原作は、映画『アイ・アム・レジェンド』などで知られるリチャード・マシスンだそうだ。

 もともと原作に盛り込まれていたかどうかはわからないが、映画としての本作のテーマを一言で表現するならば、「因果応報」なのだろうか。ボタンを押すことで大金を手にするという大きなメリットを得られるものの、どこかで誰かが死ぬことになる。言い換えると、誰かの死の要因を作ってしまうことになるのだ。最終的には、自分が加害者になったことへの大きなツケを支払うことになるという結末になっている。最初から、そんな結末が待ち受けているとわかっているならば、ボタンなど一体誰が押すだろうか。

 本作には、一部、スピリチュアルな展開もある。それは、足を患っている若夫婦の女性ノーマが、箱を届けた男スチュワードの顔の半分が怪我のために欠損していることに対し、傷そのものに深い愛を感じると言うシーンだ。ノーマは自分自身の足が完全ではないことから、他人の痛みまでも理解できるようになっていた。そのため、肉体的な苦しみに目を瞑って触れないようにするのではなく、むしろそこに光を当てて癒そうとする意気込みさえも感じられた。スチュワードが、そうしたノーマの深い精神性に惹かれ、ノーマに対してだけは、これまで彼が実践して来たルールを変えようとするのではないかと期待したのだが、実際はそうではなかったところが残念でもあった。

 原作も、謎の部分を多く残したままで終わっているらしいのだが、映画もまた、謎の部分が多い。スチュワードとその仲間たちが一体何を企んでいるのかも、最後まで良くわからない。彼らが、ノーマをはじめとする箱を受け取る人たちにとって、敵なのか味方なのかさえも良くわからないのだ。ただ、はっきりと言えるのは、箱を受け取ってボタンを押した若夫婦が、大金を手に入れることで、決して幸せになったわけではないということだけである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 何だか良くわからないけれども、私としてはそれなりに楽しめた作品であると言えます。時代の設定が現代ではなく、一九七〇年代ということから、このボタンを核爆弾のスイッチと解釈する人もいたようですね。なるほど、それはなかなか面白い解釈だと思いました。かつては、ボタンを押すことにより、徹底的に敵国を痛めつけることもできるけれど、同時に自国も危険にさらされるという状況でした。核爆弾のボタンは、押すことではなく、押さないことで平和が保たれていたんですよね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.06.19

青森~北海道、飛行機と寝台列車の旅(1)

ホットヨガ(一八九回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 梅雨に入ると、出掛けるのがついつい億劫になってしまいますよね。特にホットヨガのレッスンの日は、JR大阪駅から梅田店のスタジオまで距離がある上にたくさんの荷物を抱えていますので、傘をさして歩くのがとても面倒です。ちなみに、雨がたくさん降っているときや風が強いときなどは、私は傘をささず、リュックも手提げバッグもすっぽり包んでくれるレインポンチョをかぶって歩いています。

 あるとき私は、
「寝台列車に乗りたいなあ」
とガンモに向かってつぶやいた。かつて私は、ガンモと二人で月に一度のペースで鉄道乗り潰しの旅に出掛けていた。その際、寝台列車を利用したことも何度かある。寝台列車は、夜、寝ている間に私たちを旅の目的地まで連れて行ってくれるだけでなく、設備という面においても、私たちにとびきりの非日常を感じさせてくれる。お行儀良く並べられた二段ベッドは、子供時代を思い出させてくれるし、ベッドに備え付けられた小さな灯りは、秘密基地にこもっているようなわくわく感を与えてくれる。とりわけ、寝台列車の窓からのぞいた駅のホームは、例えそれが見慣れた駅のホームであったとしても、私たちに別世界を感じさせてくれる。

急行きたぐにの二段ベッドの上段の窓から駅のホームを眺める(二〇〇四年頃)

 私のつぶやきに反応したガンモは、早速、旅行の計画を練り始めた。この時期に出掛けるとなると、やはり涼しい場所へと逃亡したい。そして、できればまだ乗車したことのない寝台列車に乗ってみたいものだ。検討の末、ガンモは青森と北海道をターゲットに選んだ。関西地方から青森に出掛けて行くには、寝台特急日本海を利用する手があるのだが、実は私たちは二〇〇五年に既に寝台特急日本海に乗車している。そこでガンモは、ひとまず飛行機を使って青森まで移動して、青森から北海道まで移動する際に寝台列車を利用する計画を立てたのだ。飛行機を利用するならば、溜まっているマイルを消費することができる。ガンモは、旅行の一ヶ月前に無事に青森から北海道へ向かう寝台列車の切符を押さえ、マイルを消費しての航空券も手配した。あとは出発の日を待つばかりである。

 出発当日、私たちは朝八時に家を出た。伊丹空港(大阪国際空港)を十一時二十分に飛び立つ青森の三沢空港行きの飛行機に乗る予定だったのだが、我が家から伊丹空港までは、距離的にはそれほど遠くないはずなのに、公共の交通機関を利用して移動するとなると、かなり不便である。かつてはJR尼崎まで出て、そこから空港リムジンバスを利用したのだが、今回も同じルートを利用しようとしたところ、JR尼崎駅前から出ている空港リムジンバスは既に運休してしまっていることがわかった。

 そのため急遽、自宅近くのバス停から阪急電車の最寄駅まで向かい、そこから空港リムジンバスを利用することになった。空港リムジンバスの本数は意外にも少なく、私たちは阪急電車の最寄駅に着いてから四十分ほど待つことになった。涼しい木陰で待つことができたので、四十分の待ち時間もあっという間に過ぎて行った。

 空港リムジンバスは、時間通りにやって来た。驚いたことに、その駅から空港リムジンバスを利用したのは、私たちを入れてわずか三名だけだった。それほど小さな駅でもないはずなのに、何故、こんなにも利用客が少ないのだろうと思っていたところ、私たちははたとひらめいた。阪急電車の駅からは、わざわざ本数の少ない、遠回りをする空港リムジンバスを利用しなくても、阪急電車とモノレールを乗り継いで伊丹空港に移動することができるのである。私たちは、そのことをすっかり忘れてしまっていたのだ。もし、そのことに気付いていれば、ゆっくりと出発の準備を整えて、もう少し遅い時間に家を出ることもできたのだ。

 とは言え、空港リムジンバスは、例え遠回りをしたとしても、いったん荷物をトランクに預けてしまえば、乗り換えなしに私たちを空港まで連れて行ってくれる。阪急電車の最寄駅を出発した空港リムジンバスは、途中、別の駅でたくさんの利用客を広い、私たちを伊丹空港へと運んでくれた。考えてみれば、阪急電車とモノレールを乗り継いで伊丹空港まで行くには乗り換えが必要で、その度に重い荷物をひきずることになる。それを思うと、空港リムジンバスに乗って時間を掛けて空港まで移動するのも悪くはないと思うのだった。

 三沢空港行きの飛行機は、満席ではないにしても、比較的たくさんの利用客がいた。機内は冷房がひどく効いていたので、私はフライトアテンダントからひざかけをお借りした。もちろん、自前のひざかけも持参していたのだが、それでも寒さをしのぎ切れなかったのである。ちょうど昼食の時間帯に移動することになったので、フライドアテンダントが飲み物を配ってくださると同時に、私たちは空港の売店で購入しておいたお弁当を取り出して、むしゃむしゃと食べ始めた。かつては国内線であっても、フライト中に軽食サービスがあったと記憶しているのだが、最近の国内線の飛行機にはそのようなサービスはない。

 私たちがお弁当を食べていることを気遣ってか、フライトアテンダントが飲み物のお替わりを勧めてくださったり、冷たいお茶を入れてくださったりした。それだけではない。食べ終えたお弁当のゴミを片付けてくださった上に、食後のコーヒーまでサービスしてくださったのだ。私たちは、至れり尽くせりのサービスに恐縮しながらも、顔がほころんでいた。

 私たちの乗った飛行機は、およそ一時間半ほどで青森の三沢空港に無事に着陸した。飛行機を降りて、空港に降り立ってみると、空気が冷たくてとても気持ちが良かった。その日の関西地方の最高気温は二十七度だったが、いきなり十六度の気温の涼しい場所にやって来たのである。上半身にほてりのある私は生き生きとしていたが、さすがに半袖のTシャツ一枚だけでは肌寒く感じられ、持参した半袖のジャンパーを羽織ることになった。

 三沢空港に着いて初めて、三沢市が寺山修司さん縁の地であることに気が付いた。三沢市には、寺山修司記念館なるものが存在しているようである。ガンモに、
寺山修司記念館に行こう!」
と提案してみたのだが、
「また今度」
と言われてしまった。ガンモは何やらこのあと、観光の計画を立てているようだった。私は後ろ髪を引かれる思いで、三沢駅行きの路線バスに乗り込んだのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、青森~北海道、飛行機と寝台列車の旅(1)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 三沢空港に降り立ったときは、本当に涼しくて気持ちが良かったです。十六度の気温と書きましたが、私たちが降り立ったときの地上気温が十六度だっただけで、決してその日の三沢の最高気温が十六度だったわけではありません。おそらく、この日は二十二度くらいまで上がっていたのではないかと思います。それでも、関西地方よりも涼しいのは間違いありません。(笑)

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2010.06.18

ホットヨガ(一八九回目)

映画『シャッター アイランド』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 少し前に友人から、どうしても観たい映画があったので、定価の千八百円を払って映画を観て来たというメールが届きました。一回の映画鑑賞に、千八百円の出費は痛いですよね。私の場合、派遣会社の福利厚生サービスを利用すれば、多くの映画の鑑賞券をわずか千二百十円で手に入れることができます。以前はこのサービスを良く利用していたのですが、最近はほとんど利用しなくなりました。というのも、レイトショーなら、派遣会社の福利厚生サービスを利用するよりも十円安い千二百円で映画を鑑賞できるからであります。それに加え、私はいくつかの映画館の会員サービスに加入しています。それらの会員サービスは、鑑賞を重ねて行くとポイントが溜まり、溜まったポイントを消費して好きな映画を無料で鑑賞することができるようになっているのです。そのため、千円や千二百円で映画を鑑賞してせっせとポイントを貯めておいて、割引の効かない休日の昼間にポイントを消費して鑑賞するという方法を取っています。

 日曜日に、いつものように梅田店で六十分のリラックスコースのレッスンを受けた。家を出るのが予定よりも遅くなってしまい、梅田店に着いたのは、ちょうどレッスンが始まった頃だった。受付のスタッフに、
「レッスンはもう始まっていますので、お急ぎください」
と言われ、ロッカールームで準備を整え、スタジオに滑り込んだ。

 梅雨に入り、雨が降っていたからだろうか。いつもよりも参加者の数が少ないように思えた。参加者は私を入れて十二名で、そのうち男性会員は一人だけだった。鏡越しに観察してみると、レッスンに参加されている男性会員は、以前、少しお話をさせていただいたNさんではないか。そう、Nさんは、ホットヨガに関する記事をインターネットで検索しているうちに、この「ガンまる日記」にたどり着いてくださった貴重な方なのである。

 レッスンを担当してくださったインストラクターは、おそらく梅田店では初めてレッスンを担当してくださるインストラクターだったと思う。いつものように、私が選んだヨガマットは、前列に並べられたヨガマットだった。横に広く、インストラクターの使うヨガマットと前列に並べられたヨガマットの距離が比較的接近している梅田店のスタジオにおいては、後列の参加者に向かって話し掛けようとするインストラクターの声が聞き取りにくかった。

 今回のレッスンで不思議に思ったのは、途中で休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)が入ったことである。通常のレッスンでは、休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)が二回入るのだが、これまでのリラックスコースのレッスンにおいて、このポーズは、すべてのポーズを取り終えたあとに一回だけ行なわれていたはずだった。インストラクターが、リラックスコースのレッスンを他のレッスンと同様に扱ってしまったのか、それとも意図的にそうされたのか、本当のところはわからない。

 レッスンを終えてスタジオを出るときに、Nさんにご挨拶をさせていただくと、
「ブログ、読ませてもろてます」
と言ってくださった。有り難いことである。フリーパス会員のNさんは、週末は連続してレッスンの予約を入れてらっしゃるのだそうだ。そう言えば、かつて神戸店があったときも、フリーパス会員の方は、朝から連続してレッスンを受けていらっしゃった。しかし、連続でレッスンを受けられるとなると、レッスン中に飲む水やレッスンウェアはどのように用意されているのだろうか。かくいう私も、一日に二回のレッスンを受けたことがあったが、そのときは、レッスンウェアを二セット持参したはずだった。ホットヨガのレッスンは、汗をたっぷり掻くだけに、レッスンを終えたあとは必ず着替えをしたくなるだろう。一セットのレッスンウェアだけでも荷物が多くなるはずなのに、二セットも三セットも持参するのは大変ではないだろうか。レッスンを受けている間に、洗濯機や乾燥機を借りることができるならば、一日中でもレッスンを受けられるかもしれない。

 ところでこの日のレッスンには、比較的ご年配の女性たちがグループで参加されていて、ロッカールームはとてもにぎやかだった。もしかすると、初めての体験レッスンだったのだろうか。通常、体験レッスンは、ビギナーコースのレッスンが対象だったと思うのだが、もしかすると、リラックスコースのレッスンも対象になっているのかもしれない。ある方が、ご自分のロッカーがどこにあるのかわからないと迷子になっていらっしゃったので、私がそのロッカーまでご案内した。その方は、
「自分のロッカーもわからないなんて」
と言いながら笑っていたが、そうした出来事も、仲間たちと一緒にレッスンに参加すれば、ともに笑い合うことができるようだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m JR大阪駅から梅田店までは比較的遠いので、余裕を持って家を出なければなりません。(笑)しかも、JR線を利用するときは、最寄駅の階段から一番遠いところの車両に乗り込んで、JR大阪駅に着いたら御堂筋口という改札をくぐることになります。頑張って、最寄駅のホームを端まで移動しておかなければ、JR大阪駅に着いたあと、利用客で溢れ返ったホームを端から端まで歩く羽目になってしまうのです。少々大げさではありますが、梅田店に通うには、それなりの苦労があるんですよね。(苦笑)

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2010.06.17

映画『シャッター アイランド』

返事が欲しいの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。そう言えば、ほとんど年賀状だけで交流が続いている友人の一人が、一年前に私が送付した年賀状に書いた内容への返事を、翌年の年賀状に書いてよこしてくれたことがありました。あのときも、うれしかったですね。例え大幅に遅れたとしても、やはり返事をもらうのはうれしいものなのです。

 本作を鑑賞したのは、ゴールデンウィーク後半のことだった。もっと早いうちに鑑賞したかったのだが、劇場公開前からずいぶん積極的な宣伝が行なわれていただけに、もしかするとDVDの鑑賞で充分だったと、わざわざ劇場に足を運んで鑑賞したことを後悔してしまうかもしれないと思い、しばらく迷っていたのだ。しかし、ようやく気持ちを奮い立たせて劇場での鑑賞に踏み切ったところ、やはり劇場に足を運んで良かったと思った。近年、稀に見る面白さで、最後までその素晴らしい構成と魅惑的な展開に惹き付けられずにはいられなかった。私はすぐにガンモを誘い、二回目の鑑賞も果たした。いやはや、本当に良く出来た映画である。

 それにもかかわらず、二回目の鑑賞のあと、近くの席に座っていたカップルの女性が、連れの男性に向かって、
「まあ、良くある話やな」
と一言言って席を立ち、劇場から去って行った。私はその女性を呼び止めて、
「ちょっと待った! この映画のどこが『良くある話』なんですか!」
と説教したい気持ちでいっぱいだった。決して、それだけの映画ではないはずなのに、「良くある話」というたった一言だけで本作が片付けられてしまうことに、強い憤りを感じたのだ。

 後日、この映画を鑑賞したという友人と電話で話していたときに、本作の感想ですっかり盛り上がってしまった。やはり、良くできた作品であること、「良くある話」などという一言で片付けられる作品ではないことで意見が一致した。

 有名な作品であるのに加え、実際に鑑賞して謎解きを楽しむ作品だと思うので、本作については多くを語らないほうがいいように思われる。ある時点において、最初の視点が大きく覆されることになるのだが、それを機に、本作の見方は大きく分けて二手に分かれるように思う。一つは、最初の視点をそのまま真実と捉える場合、そしてもう一つは、あとからやって来た視点を真実と捉える場合である。ちなみに、私と一緒に鑑賞したガンモは後者の解釈だった。しかし私は前者の解釈である。実は、ガンモと一緒に二回目の鑑賞を果たしたのは、自分の視点を検証するためでもあった。そして私は無事に検証を終え、満足して映画館を出たのだった。

 本作を一度しか鑑賞していないガンモは、鑑賞後、頭の中がひどく混乱していたようだった。私が自分の視点で意見を言うと、ガンモは私の言葉でますます混乱した。そして、
「劇場でもう一回観ようとは思わないけど、DVDが出たら借りて来て」
と私に言った。

 理系出身のガンモは、いつも映画を鑑賞するときに、ストーリーを先読みしてしまう。そして、先読みしたストーリーが合っていることを確認することで、映画鑑賞を楽しむのだ。しかし、本作は得意の先読みがままならなかったようだ。そのため、ガンモとしては不完全燃焼に終わってしまったらしい。もしかすると、私のように、ストーリーを先読みせずに、その時点で起こっていることに集中するほうが、本作は楽しめるのかもしれない。

 本作には、鑑賞後に親しい人と感想を語り合うという楽しみも残されている。自分と同じ意見の人と語り合うのも楽しいが、例え自分と異なる意見であったとしても、相手の意見を聞いているうちに混乱する姿がまた楽しい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本当に良く出来た作品だと思いました。レオナルド・ディカプリオの演技も素晴らしかったですし、相棒のチャック役のマーク・ラファロも、ジョン・コーリー医師役のベン・キングズレーも良かったですね。マーティン・スコセッシ監督の作品でありますが、調べてみると、私はこの監督の作品をこれまでに一つも鑑賞していませんでした。お恥ずかしい限りです。(苦笑)

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2010.06.16

返事が欲しい

「冷やし腕」始めました。の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 実は、「冷やし腕」にも弱点があるのです。それは、仕事で使っているノートがハンドタオルの含む水でよれよれになってしまうことです。(苦笑)それでも、ノートがよれよれになってしまうことと、仕事中に暑いことを天秤にかければ、ノートがよれよれになってしまうことのほうがまだマシなのです。(苦笑)

 かつて私は、コミュニケーションという渦巻きという記事を書いた。おそらくこの記事の中に書いたことが、私が人とのコミュニケーションに望むほぼすべてである。

 古くから私のホームページや「ガンまる日記」を読んでくださっている方たちは、私が引用レス式のコミュニケーションを強く望んでいることを良くご存知だと思う。引用レス式とは、">"などの引用符を使って相手の発言を引用しながら自分の考えを述べて行くコミュニケーションで、例えば以下のような感じである。

> ○○さんってさ、最近、きれいになったと思わない?

うんうん、私もそう思うよ。ほんと、きれいになったよね。何があったんだろう?

 しかし、ここのところ、電子メールや携帯電話のメール、インターネットの掲示板など多くのコミュニケーションツールから、引用レス式のやりとりが姿を消しつつある。私はそれが残念で残念で仕方がない。というのも、引用レス式のコミュニケーションツールが姿を消しつつあるにつれ、どうも一方通行のコミュニケーションが主流になって来たように思えて仕方がないからだ。

 少し前の話になるのだが、ある友人と携帯電話のメールでやりとりをする機会があった。そのとき、私が彼女に向けて何か発信しても、彼女はそれにはほとんど答えてはくれず、いつも新しい話題ばかりを私に投げ掛けて来た。その結果、私が常に彼女の新しい話題を受信する人になり、彼女が常に新しい話題を発信する人になった。そのようなコミュニケーションが長続きするわけがなく、彼女との交流はいつの間にか途絶えてしまった。彼女とは、かつては文通もしていた古い仲間だったのだが、コミュニケーションツールが手紙から携帯電話のメールに変わったことにより、一方通行のコミュニケーションに切り替わってしまったのだ。

 とは言え、携帯電話のメールでやりとりをしている友人たちの中にも、私が書いたメールの内容をちゃんと引用符で引用して、丁寧な返事を返してくれる友人もいる。そういう友人とは、双方向のコミュニケーションが成り立っているので、単にポジティブなことだけでなく、ネガティブな感情もぶつけ合うことができる。ポジティブとネガティブの両方を体験すると、ちょっとやそっとでは壊れない絆も生まれて来る。

 また、同じく携帯電話のメールのやりとりで、引用符で引用されていなくても、ちゃんと私が一つ前に送信したメールの内容に沿った返事を書いてくれる友人もいる。そういう友人たちとは、交流が途切れることがない。

 私は、ホームページやブログを開設している関係で、いろいろな方たちから、記事に書いたことへの感想メールをいただいたりもする。おそらく、私の書く記事が長いからだろう。皆さんからいただくメールも長いものが多い。それら一つ一つのメールに返信するのはなかなか時間も取れないことも多いのだが、あるとき、とても長いメールに一生懸命気合を入れて返事を書いた。気合を入れて返事を書いただけに、私はそのメールに対する更なる返事を期待していたと思う。しかし、その方からは何の音沙汰もなかった。しばらく経って、その方から再びメールが届いたのだが、そのメールには、先のメールに対する返信ではなく、新たな内容が綴られていた。私はそのことにひどくがっかりしてしまい、結局、新たに届いたそのメールには返信しなかった。

 ひとたびコミュニケーションを始めれば、一体どこで話を終わらせたらいいのか悩んでしまうことも多いことだろう。ただ、私の言い分としては、話がそろそろしぼんで来たときに話を途切れさせればいいのであって、話がまだしぼんでもいないのにさっさと次の話題に移行されてしまうのは寂しいものだ。ひどく遅れてもいい。私は新たな話題ではなく、返事が欲しいのだ。コミュニケーションにおいて、どちらか一方が受信するだけ、あるいは発信するだけという固定の役割が生まれてしまうのはおかしいと思う。

 このように、一つの話題をとことん語り合うことができなくなってしまったのは、基本的には受信よりも発信のほうがパワーが掛からないことと、引用レス式のコミュニケーションツールを活用しなくなったことと、更には、情報過多の時代であることも関係しているのだろう。いや、むしろそんな時代だからこそ、引用レス式のやりとりをいつまでも大事にして行きたいと私は思うのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m そう言えば最近は、インターネットの掲示板などでも、お互いの名前を呼び掛けることも少なくなって来ましたね。相手の名前を呼び掛けるだけでも、コミュニケーションは円滑に進んで行くと私は思っています。実際、見知らぬ人からメールが届いたときでも、「まるみさん」と書いてくださっていると、とてもうれしいものです。(^^)

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2010.06.15

「冷やし腕」始めました。

映画『オーケストラ!』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ゴールデンウィーク中に鑑賞した作品でありますが、今なお劇場公開中であるのはうれしいですね。実際は、例え一人一人の演奏が完璧であったとしても、チームとしての音合わせが出来ていなければ、決して良い演奏はできないとは思うのですが、映画ですから、ついつい応援してしまいましたね。おそらく、一人一人の演奏は絶対的でも、チームとしての音合わせは相対的なものになるんでしょうね。

 夏になると、「『かき氷』始めました」のようなのれんが店先に掲げられることがある。「かき氷」のほかに、「冷やしあめ」の場合もある。そろそろ夏が近付いて来たので、私も何か始めてみようと思い、「冷やし腕」を始めてみた。と言っても、冷やした腕を売るわけではない。「冷やし腕」とは、「冷やしあめ」にちなんで私が勝手に命名したものなので、おそらくインターネットの検索エンジンに問い掛けてみても、納得の行く回答は得られないだろうと思う。

 実は仕事中、冷房が効いているというのに、相変わらず暑いのだ。仕事中、ずっと団扇で扇ぎ続けていても仕事にならないので、何とか上半身のほてりを鎮める方法はないものだろうかと模索していたところ、自宅にあった発熱時に使う熱冷まし用シートを腕に貼り付けると、ほてりが和らぐことがわかった。とは言え、毎日のように使い捨ての熱冷まし用シートを消費し続けるのも割高である。そこで考案したのが、水で濡らしたハンドタオルを両腕に巻きつけるという画期的な方法である。

ほてり対策のために、水で濡らしたハンドタオルを両腕に巻きつける。名付けて、「冷やし腕」

 仕事中、これを両腕に巻きつけているのだが、これがなかなかいいのだ。トイレに立つ度に、腕に巻きつけているハンドタオルを湿らせて席に戻る。すると、冷たさが回復し、仕事に集中できるというわけだ。

 しかし、周りから見ると、やはり怪しいようである。私の格好を見た派遣仲間が、女子トイレで、
「足に巻いてるものと腕に巻いてるものは何ですか?」
と尋ねて来た。そう、私は、「冷やし腕」だけでなく、百円ショップで購入した薄いビニール製のサウナスーツのズボンをカットして作ったレッグウォーマーと、同じく百円ショップで購入した発汗作用を促すグッズを使って、オフィスの冷房から足首を守っているのだ。足元だけでも充分怪しいのに、それに「冷やし腕」も加わったので、周りの人たちは一層不思議そうな顔で私を見ている。

 とは言え、オフィスには全体的に無機質な雰囲気が漂っているため、私に対して何か問い掛けて来るのは、ある程度、親しい人だけだ。やはり、せめて一部の親しい人たちには、私が宇宙人であることを正直に話しておいたほうがいいのかもしれない。地球の環境が私の身体に合わないために、こうして宇宙人なりにいろいろな工夫をしているのだと。

 私の場合、まだ更年期障害ではなく、卵巣の働きが鈍っているために女性ホルモンの分泌量が減ってしまい、上半身がほてるという症状に悩まされているのだが、おそらくこの先、本格的な更年期障害に突入したとしても、あまり変わりはないだろう。それを考えると、この「冷やし腕」とも長いお付き合いとなりそうである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 冬の間も半袖で過ごしていたくらいですから、今の気温まで上がると、とにかく暑いです。しかし、「冷やし腕」のおかげで、仕事中も比較的涼しく過ごしています。もっと、上半身のほてり対策グッズのようなものが出回っていてもいいと思うのですが、探してみても、なかなか見付かりません。例えば、夏の寝苦しい夜を緩和するためのひんやりシートなるものが存在していますが、腕に巻きつけるタイプのひんやりシートがあってもいいと思うのです。新しいビジネスチャンスだと思いますよ。(苦笑)

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2010.06.14

映画『オーケストラ!』

出雲~倉敷一人旅(8)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これで、書きかけだったすべての記事の連載が終了しました。今度の週末からは、先日出掛けた新たな旅について書かせていただこうと思います。三泊四日の旅なので、こちらも長くなりそうですが、季節が変わらないうちに完結させたいと思っています。(笑)

 本作は、劇場で予告編を観て、「公開されたら絶対に鑑賞しよう!」と心に決めて鑑賞に臨んだ作品の一つである。ロシア映画だと思って鑑賞していたところ、鑑賞後に作品情報を参照してみると、フランス映画だということがわかった。監督はルーマニア出身なので、撮影後の編集作業がフランスで行なわれたということなのだろうか。

 かつてロシアのボリショイ交響楽団の指揮者を担当し、脚光を浴びていたアンドレは、今はさえない劇場清掃員として働いている。あるとき仕事をしていたアンドレは、パリのシャトレ劇場から届いたFAXに、出演できなくなってしまった楽団の替わりに演奏してもらえないかと書かれているのを発見した。それは、現在のボリショイ交響楽団宛に届いたFAXだったが、アンドレは無断でそのFAXを拝借し、かつて自分が指揮者だった頃の楽団員たちをかき集めて当時のボリショイ交響楽団を再結成し、シャトレ劇場からのリクエストに応えるべくパリで演奏するという大それた計画を立てるのだ。

 コメディタッチに仕上がっている本作には、様々な笑いの種が散りばめられている。フランス語を話せる共産党員を仲間に引き入れ、マネージャーに仕立て上げたかと思えば、先手を打ってこちらから連絡を取り付けることにより、みるみるうちにシャトレ劇場と出演契約を成立させる。とは言え、マネージャーとなった共産党員は、かつてアンドレが指揮者を担当していた頃に彼を裏切る行為をしていたため、当時の楽団員らと対立が絶えない。

 何とか楽団員たちをかき集めるのだが、全員がパリに行くにはパスポートが必要だった。しかし、正規の発行ルートに頼っていては、もう間に合わない。そこで、闇ルートでパスポートを入手することを試みるのだが、パリへの出発当日に、空港の片隅で正々堂々と楽団員全員のパスポートを偽造する連携プレイは実に面白い。同様に、楽団員たちがパリで使用する楽器をまとめて調達しようとするのだが、そんな大切なことさえもギリギリに決まる。とにかく、一つ一つが正当な方法ではなく、思いつく限り裏の方法で、着々と準備を進めて行くのだ。

 何とかかき集めた楽団員たちは、どういうわけか、パリに渡ってもリハーサルに参加する気配もなく、観光客気分でパリを満喫している。また、パリ滞在中の出費を抑えるために、興行主であるシャトレ劇場に何かと支払いを回そうとするのだが、それもなかなかうまく行かない。なかなか思うようにことが運ばない状況に追い込まれながらも、とうとう演奏の本番を迎える。一方、アンドレがソリストとして指名したバイオリニストの女性とアンドレの間には、何らかの個人的な事情がありそうでもある。まさしくパリでは、何かが起ころうとしていた。

 このように、本当にこんなことが起こっていいのだろうかと突っ込みたくなるような展開ではあるものの、それらが大真面目かつ面白おかしく描かれているので、鑑賞する人も大真面目に鑑賞する羽目になる。

 また、ロシア人を演じている人たちが、それなりにフランス語を話せてしまうというのも驚きである。島国である日本人の感覚からすると、フランス語を特別に勉強したわけでもなさそうな人が、ほとんど不自由なくフランス語を話せるというのは想像できないものである。おそらく、楽団員たちの住んでいるロシアは、大陸が繋がっているために他国の言語が容易に入って来るのだろう。そんな有り得ないようなことが次々に起こり、ついには成功を収めるという、笑いの止まらないハッピーエンドストーリーなのだが、彼らがひどく大真面目だからだろうか。有り得ないようなことが次々に起こったとしても、観客は笑いながら受け入れてしまうのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長い目で見ればコメディ映画なのかもしれませんが、出演者がみんな大真面目なので、どの笑いも滑りません。(笑)考えてみると、かつての著名な指揮者が今はさえない清掃員という設定も、なかなか有り得ないシチュエーションだと思います。それだけ柔軟なストーリーということなんでしょうね。充分、楽しませてもらいました。

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2010.06.13

出雲~倉敷一人旅(8)

出雲~倉敷一人旅(7)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m そう言えば、山口線に乗っているときに、反対側ホームですれ違いのために待ち合わせをしているSLやまぐち号を見掛けました。やはりSLのようなとびきりの非日常を感じさせてくれる列車はわくわくしますね。一度乗った列車だとしても、もう一度乗ってみたくなります。(笑)

 倉敷駅に着いたのは、開演のおよそ一時間ほど前のことだった。倉敷駅から会館までは、例え私ののろい足でも三十分もあれば着くはずなので、コンサートに遅刻することはないだろうと思っていた。ところが、友人と携帯メールのやりとりをしながら歩いていたところ、歩き慣れたはずの倉敷の街で道に迷ってしまい、自転車に乗った地元の方に会館までの道順を尋ねる羽目になってしまった。その方が、
「あの道をずーっとまっすぐ行けば会館ですよ」
と教えてくださったので、言われた通りにただひたすらまっすぐ歩くと、確かに見慣れた風景が見えて来た。余裕で会館に到着するはずが、道に迷ってしまったロスも加わって、私が会館に到着したのは、開演ギリギリの時間だった。

 会場スタッフに、開演時間が近付いていると急かされながら会場に滑り込んだものの、二階九列目に指定されているはずの私の席が見当たらなかった。何故、自分の席が見当たらないのだろうと思い、会場スタッフに座席の案内をお願いしたところ、会場スタッフは私を二階席の真ん中の最前列まで案内してくれた。私の座席番号は、確かに二階九列目だったのだが、倉敷の会館はちょっと変わっていて、ちょうど両手を前に差し出したスフィンクスのように、二階一列目から八列目までが両側のせり出した空間を占めていた。そして、スフィンクスの顔の部分、すなわち、せりだした空間のない真ん中のエリアは、二階九列目が二階席としての最前列となっていたのである。

 多くの人たちは、二階席といえども最前列でコンサートを鑑賞できることに喜びを感じるのかもしれない。しかし私は何を隠そう、ひどい高所恐怖症なのだ。大変な旅行好きではあるものの、飛行機が離陸するときには、毎回、恐怖を感じているくらいである。だから、コンサートで二階の最前列の席に当たってしまうと、下を見下ろすのが怖くて私は席を立てない。しかし、私の周りにいる人たちは、そんなことはおかまいなしに、二階席の最前列から身体を乗り出して、ノリノリに乗っていた。恐ろしいことである。

 高所恐怖症の人と高所恐怖症でない人の違いは一体何なのだろうと、私は時々思う。一番しっくり来るのは、前世で高所から落ちて命を落としたときの恐怖が根強く残っているというパターンである。以前も書いたように、私の場合、ガンモの目の前でゴンドラのような乗り物から落ちて命を落としたときの記憶がある。そのときは、愛するガンモを残して肉体を去って行くことがたまらなく悲しかった。その前世を思い出したとき、決して遺された人だけが悲しいのではないとわかった。そして、前世で達成されない想いを遺して肉体を去った場合、その想いを達成するためにこうしてまた再会できることもわかった。

 十八時過ぎから始まったコンサートが終わったのは、二十一時過ぎだった。私は再び倉敷駅までてくてく歩いた。帰りは、コンサートを終えて倉敷駅に向かって歩く人たちが大勢いたので、迷うことはなかった。毎年、コンサートのあとに倉敷駅まで直行すると、岡山駅まで向かう列車がひどく混雑している。そのため私は、倉敷駅前でラーメンでも食べてから帰路に着こうと思っていた。そして、倉敷駅の少し手前にあるラーメン屋さんでラーメンを食べて時計を見ると、あわわわ、新幹線ひかりの最終便にようやく間に合う時間になってしまっていた。そう、旧大阪中央郵便局前から始まった今回の一人旅は、倉敷のコンサートを終えたあと新幹線に乗って帰宅することで幕を閉じることになっていたのだ。

 私は大急ぎで倉敷駅へと向かった。そして、岡山駅まで出ると、その日の最終の新幹線ひかりに乗車し、新神戸まで戻った。かくして、二泊三日のゴールデンウィークの私の一人旅は無事に終了し、三日振りにガンモとの再会を果たしたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長い旅行記にお付き合いくださいまして、どうもありがとうございました。今回でこのシリーズは完結となります。今回の旅では、出雲市で映画を鑑賞したり、日帰り温泉に入ったことが良き思い出となりました。来年のゴールデンウィークは、どのようなツアースケジュールが組まれるかわかりませんが、次回はコンサートがどこで行われるのか、最初から的確に把握しておきたいと思います。(苦笑)

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2010.06.12

出雲~倉敷一人旅(7)

映画『第9地区』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 南アフリカ共和国というと、現在、ワールドカップが行なわれている国でしょうか? すみません、スポーツの話題にとことん疎いので、断片的な情報しか知り得ませんが、治安がそれほど良くない国なので、携帯電話のニュースサイトで日本チームの安全性が心配されていました。南アフリカ共和国、そしてワールドカップというと、ネルソン・マンデラ元大統領を描いた映画『映画『インビクタス/負けざる者たち』』を思い出しますね。さて、週末になりましたので、書きかけだった出雲~倉敷一人旅(6)の続きを書かせていただきます。

 益田で行なわれたコンサートに参加したあとは、会館近くのコンビニで購入したお弁当を片手に、ホテルに戻った。コンサートに参加するときはいつも、ご飯を食べる時間に悩んでしまう。何しろ、ちょうど夕食どきにコンサートが行なわれるため、お腹が空いていなくてもちょっと無理をして開演前に食べておくか、お腹を空かせたままコンサートに参加し、終演後に食べるかで葛藤するのだ。特に、今回は夜行高速バスを利用しての移動でひどく寝不足の状態だったため、終演後はすみやかにホテルに戻り、睡眠を貪りたかった。とは言え、それほどお腹の空いていない開演前にご飯を食べておくのも気が進まなかったので、やはり終演後に食べることにしたのだ。

 そしてこの夜、ガンモとはこまめに連絡を取り合いながらも、前夜の夜行高速バスに引き続き、一人寝の夜を過ごした。良く眠り、睡眠不足はほぼ解消されたと思う。

 翌朝、チェックアウト時間ギリギリまでホテルで過ごしたあと、ホテルをチェックアウトして益田駅へと向かった。その日は倉敷でコンサートが行なわれることになっていたので、これから倉敷まで移動するのだ。益田駅には、私と同じ目的で益田を訪れていた人たちが何人もいた。彼女たちも、これから倉敷へ向かうようである。

 益田から倉敷まで向かうルートは二つあった。一つは、出雲市まで戻って特急スーパーおきと特急やくもを乗り継いで移動する方法、そしてもう一つは、山口線経由で新山口まで出て新幹線を利用する方法である。私は、出雲市から神戸市内まで連続した区間で乗車券を購入したかったので、山口線経由で倉敷まで移動することにした。乗車券を連続した区間で購入したかったことに加え、ゴールデンウィーク中の移動であるにもかかわらず、指定席券を購入していなかったため、在来線特急列車の自由席に期待するよりも、新幹線のこだまを利用したほうが座れる確率が高いと思ったのだ。

 山口線というと、五年前にガンモと二人でSLやまぐち号に乗って津和野に出掛けたことが思い出される。五年前は、SLやまぐち号の都合で津和野までしか行けなかったが、今回の移動で利用する山口線は、津和野から先の駅も通過するため、ガンモよりも乗り潰しの経験を積むことになってしまう。ガンモはそのことを悔しがったが、もともと鉄道乗り潰しの旅は、ガンモと私が二人で揃って乗車しないと乗り潰したことにはならないというルールを定めているので、私たちが山口線を乗り潰したと宣言するためには、ガンモと二人でもう一度、津和野から先の山口線に乗車しなければならないのだ。

 さて、山口線を乗り継いで、私は新山口までやって来た。山口方面の新幹線を利用されたことのある方の中には、新山口と聞いてもまだピンと来ない方もいらっしゃるかもしれない。実は、私もその一人である。新山口よりも、昔の駅名である小郡(おごおり)のほうがしっくり来るのである。

 その新山口から、私は新幹線に乗り換えた。指定席券を購入していなくても座りたい気持ちがあったので、思い切って、こだまを利用した。驚いたことに、ホームに入って来たのは、七百系のこだまだった。こだまで七百系の車両を利用することができるとは、ちょっぴりお得な気分である。思った通り、こだまはひどく空いていた。新幹線の各駅に停車するこだまを利用すると、倉敷への到着時間は大幅に遅れてしまうが、倉敷へは毎年、この時期にコンサートで出掛けているため、例え開演ギリギリの時間に会館に着いたとしても悔いはなかった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 益田から倉敷までの移動は、なかなか大変でした。しかも、移動したあとはすぐにコンサートに参加する予定でしたので、慌しかったですね。このようなコンサートスケジュールが組まれていることを、ちょっぴりうらめしく思ってしまったのも事実です。(苦笑)

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2010.06.11

映画『第9地区』

天然ヘナと夜間移動の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m およそ二ヶ月ごとに天然ヘナを使用していますが、天然ヘナを使用するのになかなか重い腰が上がらないため、正直なところ、この一連の作業が自動化されればどんなに楽ちんだろうと思うこともあります。しかし、自動化されてしまえば、天然ヘナを手ですくって頭に塗りこんで行く泥遊びのような楽しさも味わえなくなってしまうんですよね。

 本作は、話題になっていたので、ゴールデンウィークに鑑賞した作品である。

 南アフリカ共和国のヨハネスブルグ上空に、突如として巨大な宇宙船が現れ、しばらく上空に停留したままの状態となった。攻撃されるのかと思いきや、それといった動きもなく、思い切って宇宙船の中に踏み込んでみると、中にいたのは、宇宙船の故障により、憔悴し切った多数の異星人の難民だった。そこで南アフリカ政府は、彼らを救済すべく、第9地区と呼ばれる地域に仮設住宅を作って彼らを住まわせ、食料などを与えた。しかし、それから二十八年後、第9地区はスラム化してしまい、超国家機関MNUは現場責任者であるヴィカスを派遣し、彼らに対し、強制収容所に移動すべく立ち退きを要請するのだが・・・・・・。

 いきなり、難民と化した異星人が登場することにより、物語に一気に引き込まれる。ただ、異星人は、人間からはほど遠い甲殻類である。正直言って、甲殻類の彼らは人間よりも手先が不自由だと思われるのに、彼らが宇宙船を製造できるほど高度な技術を持っているというのは、少し違和感があった。手が高度な技術を生み出すのならば、もう少し繊細な作業に適した手であって欲しかったと思う。

 ちなみに彼らは、地球上ではキャットフードを主食としている。第9地区には、彼らの好むキャットフードを闇で販売している権力グループがいる。その権力グループは、彼らの持つ強力な武器と引き換えに、彼らにキャットフードを提供しているのだが、その強力な武器は、人間には扱えない仕組みになっている。

 あるとき第9地区をレポートしながら、彼らに立ち退きを要請していたヴィカスは、彼らの仮設住宅の中で見付けた謎の液体を浴びてしまう。そのことがきっかけになり、ヴィカスの身体には異変が起きてしまうのだった。

 いやはや、最後まで引き込まれるストーリーだった。最初のうちは異星人の難民という意外なシチュエーションに惹き付けられ、途中からはヴィカスの身体の異変に意識が向き、最後は異星人と人間との心の触れ合いで締めくくられる。謎の液体を身体に浴びたことにより、ヴィカスの身体に異変が起きたことから、人間たちはヴィカスを特別視して、あたかも敵であるかのように追い詰めて行く一方で、甲殻類の異星人は仲間意識が強く、いわば人情に厚い。そんな対比が描かれているのも面白かった。また、エネルギーを集結させることにより、二十八年間も上空に留まっていた宇宙船の母船がようやく動き始めるシーンも、そのギリギリのプロセスを見守て来ただけに壮大である。

 舞台が南アフリカ共和国ということで、人間と異星人の難民との関係に、アパルトヘイトを連想させる。何故、南アフリカ共和国が舞台になっているのだろうと思っていたところ、本作の監督は、ニール・ブロムカンプという南アフリカ共和国生まれの新人監督なのだそうだ。ちなみに彼は、本作では脚本も担当している。出演しているキャストも無名のキャストが多いが、ちっともそんなことは感じさせない。最初から最後まで、意外性で惹き付け続けてくれる魅力的な作品である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 異星人は、「本当に高度な技術を持っているの?」と疑ってしまうような格好ではありましたが、彼らの話す言葉は、いかにも甲殻類の身体から出て来たような言葉でありました。私から見ると、どの異星人も似たような顔つきで区別が付きませんでしたが、逆に異星人から見ると、地球上の人間たちも同じような顔に見えるのでしょうか。

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2010.06.10

天然ヘナと夜間移動

『トリノ・エジプト展』で大英博物館を想うの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。大英博物館のグッズ売り場で購入したミイラの棺型のペンケースの裏には、"pencil tin"と書かれています。そう、tinはイギリス英語でブリキ製の容器(缶)のことであります。アメリカ英語で言うとcanですね。ミイラの棺型のペンケースの写真をたくさん掲載して、一番にまにましていたのは、おそらく私です。"pencil tin"に限らず、どうもブリキ製の容器全般に惹かれているようです。(笑)

 ここのところ、鏡を見る度に髪の毛の生え際が白くなっているのが気になっていたので、私は天然ヘナで白髪染めをしたかった。しかし、週末も決して時間がないわけではないのに、なかなか重い腰が上がらなかった。天然ヘナは、エンジンが掛かって動き始めれば、必ず楽しい結果をもたらしてくれることはわかっているのだが、準備を始めてから染め終わるまでに何時間も掛かるとなると、なかなかエンジンが掛からない。そんな事情もあって、天然ヘナを使って白髪染めをするのをずっと伸ばし伸ばしにしていた。

 しかし、そうこうしているうちに、とうとう人前に出る日が近付いて来た。人前に出る日の詳細については、後日別の記事で書かせていただくことにして、その日が目前に迫ったとき、ガンモは私の髪の毛を見て、
「そのままで行くの?」
と言った。そこで私は無謀にも、人前に出る日を前日に控えた夜、仕事から帰宅したあと、寝ヘナをすることにした。ガンモの一言で、ようやくエンジンが掛かったのだ。

 まず、天然ヘナのナチュラルブラウンの残り(おそらく使用するのはこれで三回目だと思う)をすべて温かい紅茶で溶き、マヨネーズ状にしておいた。それをそのまま一時間寝かせておいて、その間に髪の毛をシャンプーし、タオルで軽く水分を拭き取った。そして、寝かせておいた天然ヘナをビニール製の手袋にすくうと、大胆にも頭部にペタペタと塗り込んで行った。すべての天然ヘナを塗り終えると、その上から日本てぬぐいを巻いて、更にその上からターバンを巻き、その上をシャワーキャップで覆い、そのまま就寝した。そして、早朝に起きて、乾いてごわごわに固まった天然ヘナを流した。

 人前に出る前に天然ヘナで白髪染めができたものの、人前に出るというのに、天然ヘナ特有の臭いが頭に残ってしまった。

 ところで、今回のように慌しい状況で天然ヘナを使用すると、もっと便利な世の中にならないものだろうかと考えてしまう。例えば我が家に、とある天然ヘナシステムを導入することにしよう。その天然ヘナシステムとは、私の頭が白くなったことを自動的にキャッチし、私が仕事から帰宅する頃に、温かい紅茶で天然ヘナを溶いてマヨネーズ状にして一時間寝かせ、仕事から帰宅した私の頭をシャンプーで洗い、タオルで軽く水分を拭き取ってくれる。そして、私が「ガンまる日記」の下書きをしている間に、私の頭にほど良く寝かせた天然ヘナを塗り込んでくれる。朝、目覚めた私は、ごわごわに固まった天然ヘナを洗い流すだけである。こんな夢のような天然ヘナシステムが完成したら、とてもありがたいと思ってしまうのだ。

 寝ている間に天然ヘナで白髪が染まってくれないかと願う気持ちは、寝ている間に旅先まで移動したい思いから、夜行高速バスや寝台列車を利用する気持ちととても良く似ているのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私の考案した天然ヘナシステムは、忙しい人にはとても有難いシステムだと思います。(苦笑)化学物質を含んだ毛染め液は、時間をかけることなく簡単に染まりますが、天然のもので白髪染めをするとなると、なかなかそうも行きませんよね。それでも、化学物質を含んだ毛染め液を利用したくないときは、どうしてもまとまった時間が必要です。私のような生活を送っていると、まとまった時間というのは、睡眠時間とリンクし易いわけなのです。(苦笑)

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2010.06.09

『トリノ・エジプト展』で大英博物館を想う

映画『てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。松雪泰子ちゃんの映画『デトロイト・メタル・シティ』での女社長とのキャラクターの違いを引き合いに出しましたが、本作の監督はまさしく、映画『デトロイト・メタル・シティ』の李闘士男監督だったのですね。それにしても、沖縄の海は本当にきれいですね。私も一度だけですが、沖縄でシュノーケリングを体験したことがあり、その海の美しさに見とれてしまいました。しかし、ずっと沖縄に住んで海を見守っている人からすれば、人間の介入によって、海は少しずつ変化しているのですね。そこで健司は、沖縄の海を守るべく立ち上がったわけです。途中、理性で動いて損得勘定をしたことにより、痛い失敗も経験しましたが、理性ではなく本能で動いたことにより、最終的には成功を収めた物語でありました。

 I医師の診察のあと、病院近くのレストランで食事をとった私たちが次に向かったのは、神戸市立博物館である。今はもう六月になってしまったのだが、五月三十日まで、イタリアのトリノ・エジプト博物館からやって来たエジプトコレクションを展示した『トリノ・エジプト展』が開催されていたのである。

神戸市立博物館で開催されていた『トリノ・エジプト展』

 何故、『トリノ・エジプト展』に足を向けたかというと、エジプトの文化に触れたい気持ちももちろんあったのだが、二年前にロンドンの大英博物館に足を運んだときに購入したミイラの棺型のペンケースのバリエーションをもっと増やしたいという下心もあったからだ。そこで、既に『トリノ・エジプト展』に足を運んだという方に、大英博物館で購入したミイラの棺型のペンケースを見せて、このようなものがグッズ売り場にあったかどうかを尋ねてみた。すると、
「多分、あったと思う」
という答えが返って来たので、是非とも足を運ぼうと思い立ったわけである。自分でも良くわからないのだが、私はこの手のグッズに強く惹かれてしまうのである。

大英博物館のグッズ売り場で購入したミイラの棺型のペンケース

 『トリノ・エジプト展』は、開催直後から話題を呼び、かなりの人たちが足を運んでいるようだった。やはり私たちにとってエジプトは、魅惑の地であるのだろう。大英博物館でエジプトの展示物を見学したときも、エジプトは独特の文化を持っていると感じた。

 非常に人気の高い展示物を鑑賞することになるので、ある程度、覚悟を決めて出向いたつもりだったのだが、会場に足を踏み入れてみると、土曜日だったこともあって、その人の多さに参ってしまった。どの展示物の周りにもたくさんの人たちがぺったりと張り付いていて、展示物の説明をじっくり読むこともままならなかった。それに加え、展示物の写真撮影は禁止で、展示物の劣化を抑えるためなのか、館内はひどく暗かった。写真撮影も可能、館内も明るい大英博物館とは大違いである。そのため私たちは、せっかくの展示物の前を足早に通り過ぎるしかなかった。

 また、展示物の保存状態についても、大英博物館に展示されていたものよりも劣化が激しかった。実は、大英博物館を訪れたとき、イギリスは、これらのものをエジプトに返してあげればいいのにと思っていた。しかしイギリスは、莫大なお金をかけて、展示品を常に良い状態で保存し続けているのだとわかった。しかも、寄付は募っているにしても、表向きにはそれらを無料で公開しているのである。大英博物館ではなく、イタリアのトリノで保管されているというエジプトの展示物を見ながら、どういうわけか、私の心は大英博物館にあった。このような形で大英博物館の偉大さを知ることになろうとは思いもよらなかった。

 それぞれの展示物の前を足早に通り過ぎたあと、私はグッズ売り場に出向き、ミイラの棺型のペンケースを求めた。何となく、大英博物館で購入したミイラの棺型のペンケースよりも造りが雑である。『トリノ・エジプト展』のグッズ売り場で購入したミイラの棺型のペンケースは、以下のようなものである。

『トリノ・エジプト展』のグッズ売り場で購入したミイラの棺型のペンケース

 ちなみに、大英博物館のグッズ売り場で購入したミイラの棺型のペンケースは、以下のようなものである。

大英博物館のグッズ売り場で購入したミイラの棺型のペンケース

 外観と言い、中身と言い、『トリノ・エジプト展』のグッズ売り場で売られていたものとは造りが全然違っているのがおわかりいただけると思う。大英博物館で購入したミイラの棺型のペンケースのほうが断然造りがいいのである。

 ちなみに、私が大英博物館で購入したミイラの棺型のペンケースと同じものが、神戸市立博物館の常設のグッズ売り場でも売られていたので、再び購入した。同じものが日本でも売られているというのはちょっぴり複雑な気持ちではあるのだが、この手のものに強く心惹かれてしまうのだから、仕方がない。価格は、大英博物館よりも少しだけ高い千五百円ちょっとだった。

 利用客が思いのほか多かったことと、館内がとても暗かったことで、私たちは不満足のまま、神戸市立博物館をあとにした。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 以前も絵画を鑑賞するために神戸市立館を利用したことがありましたが、その日は平日だったにもかかわらず、やはりものすごい人でした。都会にある博物館は、ゆっくり鑑賞できませんね。ガンモは、「トリノまで見に行けばいい」などと大それたことを言っていました。(苦笑)

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2010.06.08

映画『てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~』

ホットヨガ(一八八回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m そう言えば、リラックスコースのレッスンで取るポーズの中には、過去の記事の中でもご紹介したイグアナのポーズなどもありましたね。あと、弓のポーズまでは行かないまでも、私の苦手な、うつ伏せになって上半身を反らせるポーズもありました。それから、バランスのポーズとしては、シバ神のポーズを取ることが多いですね。他のコースのレッスンでは、踊るシバ神のポーズを取ることが多いのですが、リラックスコースのレッスンでは、踊らないシバ神のポーズなのです。(笑)

 本作は、ゴールデンウィークに出掛けた出雲市のシネコン、T−ジョイ出雲で鑑賞した作品である。沖縄の方言にあまり詳しくない私は、本作のタイトルをなかなか覚えることができず、劇場窓口で本作の鑑賞券を購入するときに、
「『てぃかだんだん』をお願いします」
と言ってしまった。劇場の窓口担当の方は、私の言葉を聞いて一瞬、戸惑いの色を見せたものの、すぐに、
「『てぃだかんかん』ですね」
と言い直して、鑑賞券を発行してくださった。ちなみに、「てぃだかんかん」の意味は、「太陽さんさん」ということらしい。本編の中にも、それを意味するシーンが登場する。

 最初に告白しておくと、もともと私は関西芸人のお笑いのノリが好きではなかった。だから、岡村くんが出演するという本作の鑑賞も見送るつもりでいたくらいなのだ。しかし、実話に基づいた作品ならば、関西芸人としての岡村くんのキャラクターも、それほど色濃く打ち出されることはないだろうと思い、鑑賞することにしたのである。

 実際に鑑賞してみると、岡村くんの役柄は、いつもはちゃめちゃで、くじけることを知らない関西芸人のキャラクターからはほど遠かった。岡村くんは、沖縄の方言らしき言葉を使い、何度も何度も挫折感を味わいながらも、珊瑚の養殖に魂を注ぎ込む健司の役を演じている。そんな岡村くんの演技を見ながら、私は何故、関西芸人のお笑いのノリが苦手なのか、何となくわかった。おそらく彼らがいつも、陽のキャラクターしか演じていないからだ。私は彼らに対し、暗黙的に、陰と陽のバランスを求めているのだ。

 そういう意味で、岡村くんの妻の役を演じている松雪泰子ちゃんは、映画『デトロイト・メタル・シティ』の女社長ような毒のあるキャラクターを演じることができるかと思えば、映画『容疑者Xの献身』映画『クヒオ大佐』、そして本作のようなまじめで毒のないキャラクターを演じることのできる、陰と陽の両方を兼ね備えた女優さんだと思う。

 いわば本作は、岡村くん演じる健司を支える幼馴染で妻でもある由莉や地元の友人たちが、沖縄の海で珊瑚を養殖するという健司の大きな夢を全面的に支援し、健司と同じ夢を見ようとするサクセス・ストーリーである。私自身は、大学進学と同時に地元を離れてしまったので、地元の友人たちとの繋がりは手紙や電話、それからメールなど、間接的な手段に傾くことが多い。だから健司のように、大人になってからも、子供の頃から親しくしていた友人たちに囲まれて、同じ夢を追い続けられるほどの強い絆を結べることがうらやましくもある。

 とりわけ妻の由莉は、健司が夢に挫折しそうになったときに叱咤激励して軌道修正した重要な存在である。そんな健司と由莉は、本当に相性がいいご夫婦なのだと思う。何故なら、健司が夢を追い続けることで家計が大きく傾いてもなお、健司に夢を追い続けるように、健司の本心を引き出したからだ。相性の良くないご夫婦ならば、どうしても理性部分での繋がりばかりが強くなってしまい、相手が本当に望んでいることをなかなか引き出せなくなるものだ。理性の部分で考えれば、二人の子供を抱えた家庭ということで、家計を最優先させようとしてしまうからだ。おそらく健司と由莉は、理性ではなく、本能で結ばれたご夫婦なのだろう。だから二人の子供たちも、由莉と同様、お父さんの大きな夢を支持し続けたのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最近、私は、欲望や理性、それから本能について深く考えるようになりました。考えてみると、理性がベースになっている関係は意外と多いですよね。例えば私にとっては、仕事仲間などが理性で結ばれた代表的な関係であります。それに対し、本能で結ばれた関係というのは、一切の損得勘定をしないんですね。理性で考えれば、自分にとってはマイナスの要因をもたらす状況であったとしても、敢えて踏み込んで行こうとします。健司と由莉の間には、明らかに損得勘定はありませんでした。二人が本能で結ばれた関係だから、相手の本心を引き出すことができたのだと思います。

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2010.06.07

ホットヨガ(一八八回目)

一人、また一人(13)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m それぞれの取る立場が異なっているために、どちらかの立場に完全に傾くことができず、なかなか伝わりにくい内容になってしまったかもしれませんね。私自身は子供の誕生を、男女の愛がたまらずはじけた賜物だと思っているところがあります。そして、男女の愛をたまらずはじけさせる方法は、子供を産んで育てる以外にもあると思っているのですね。このあと、婚活をしているという派遣仲間は、「久し振りにいっぱいしゃべることができて良かった!」と喜んでいました。一方、私はというと、もっともっとスピリチュアルな話をしたくてたまらなくなっていました。久し振りに、スピリチュアルな話で盛り上がることのできる直径十二センチの彼女と連絡を取ってみようかなと思いました。

 今から一週間以上前のことになってしまうのだが、梅田店で六十分のリラックスコースのレッスンを受けた。参加者は比較的多い十八名で、そのうち男性会員は二人だった。レッスンを担当してくださったのは、おそらく梅田店で初めてレッスンを担当してくださるインストラクターである。

 今回は、リラックスコースのレッスンで行なわれているポーズをいくつかご紹介させていただこうと思う。

 揺れる吉祥のポーズは、足裏を合わせて座り、左右にゆらゆらと揺れるポーズである。だるまのように身体が左右にゆらゆらと揺れると、思わず幸せの笑みがこぼれて来る。

 マーメイドのポーズは、両足を投げ出して座り、両手をお尻の後ろについて、片方の足をもう片方の足の上に軽く乗せて身体をねじるポーズである。女性がこのポーズを取ると、少し艶(なまめ)かしい感じがするのだが、男性がこのポーズを取るときは、果たしてどんな気持ちでいるのだろうか。ちなみに、鏡の中に写っている私は、相変わらず「とど」のままだった。「とど」が一週間やそこらで「人魚」に変身できるわけがない。

 つるべ落としのポーズは、田植えをするときのように前に屈んだあと、左右どちらかの方向に向いて両手を上下に大きく広げて一直線に伸ばすポーズである。

 ヴィーナスのポーズは、前屈みになって身体を片方にねじり、ねじった側にある手を上に上げ、もう片方の手は下に下げるポーズである。

 猫のポーズは、骨盤コースでもお馴染みのポーズである。四つん這いになり、猫が伸びをするように背中をぐっと丸めて高く上げたかと思うと、今度は反対に背中を落としてお尻と顔を上げるポーズである。背中を丸めるのも、背中を落とすのも、どちらも交互にゆっくり行なう。

 寝転がって行う牛の顔のポーズは、仰向けに寝た状態で、座って行なう牛の顔のポーズのときのように、両足を組んで行う。

 頭の上で両手を合わせて座る雷のポーズというのもある。まず、両足の踵(かかと)を九十度くらいに広げて立ち、頭の上で両手を合わせる。その状態のまま、ゆっくりと膝を曲げて中腰のような状態になって腰を落として行くのだが、卵巣の働きが鈍り、エストロゲンも減少して膝の痛みを抱えている私にとっては、膝を曲げるのがとてもきついポーズである。

 とは言え、今回も途中退場することなく、最後までレッスンを受けることができた。これまでリラックスコースのレッスンではあまり汗をかくことができなかったようにも思うのだが、今回のレッスンでは汗をたくさんかくことができてとても気持ちが良かった。やはり、私には骨盤コースよりもリラックスコースのレッスンのほうが合っているのは間違いないようだ。

 シャワーを浴びたあとふと思い立ち、シャワールームの近くにあった体重計に乗ってみると、あろうことか、いつの間にか体重が二キロほど増えてしまtっていた。かつては毎日のように体重計に乗って、その日の体重を記録していた私だったが、朝食を果物に変えてからは、ついつい気が緩んで、体重計に乗るのをやめてしまった。きっと痩せるに違いないと過信していたのだ。ところが予想に反して、いつの間にか体重が増えてしまっていた。おかしいではないか。何故だろう?

 レッスンから帰宅したあと、体重が増えていたことをガンモに報告すると、ガンモは、
「バナナは糖分があるんだよ」
と言った。確か、古久澤先生のメルマガには、朝の果物は食べたいだけたっぷり食べて良いと書かれていたはずだった。もしもガンモの言うことが正しいのだとすると、私は朝食にバナナを食べ過ぎてしまっているのだろうか?

 いや、おそらくだが、私の場合、半身浴を実践できていないせいだろうと思う。平日の生活の余裕のなさに加え、気温が上昇してからは、湯船でじっくり温まらずにシャワーで済ませたりして、下半身が温まっていなかった。おまけに仕事中のオフィスは冷房が入っているので、余計に下半身が冷えて代謝が悪くなっているのではないだろうか。これでは、上半身のほてりが収まらないはずである。やはり、何とか時間を作って二十分の半身浴を実践し続けなければならないだろう。体重増加の現実を前に、そんな決意を固めたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 朝食に果物を食べていれば痩せられるものだと過信していました。(苦笑)思えば、朝食を果物に変えた直後は、一日に何度も便通があったのに、最近は一度だけになっていました。私の場合、やはり下半身の冷えがきついのでしょうね。おそらく下半身を温めることが、上半身のほてりを収めることにも繋がり、同時に代謝を良くする方法でもあるのだと思います。

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2010.06.06

一人、また一人(13)

映画『ウルフマン』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。思えば、狼男に変身するプロセスの描写が凄まじかったと思います。こういうシーンを詳細に描写できるのは、技術が進んだからこそ、なんでしょうね。ひと昔前ならば、こうしたシーンは省略されていたはずです。さて、少し時間が空いてしまいましたが、一人、また一人(12)の続きを書かせていただきます。今回で、このシリーズの記事をひとまずの完結編とさせていただき、もしも今後、何らかの変化が訪れるようであれば、また別の機会に続きを書かせていただこうと思います。

 退職した派遣仲間と、私がしばしば一緒に食事をしている派遣仲間、それから、これまでPの仕事を担当していた派遣仲間と私の四人でご飯を食べに行った。退職した派遣仲間に、現在の仕事の状況や新しい職場の雰囲気などを尋ねてみると、
「朝、出勤したときにちゃんとあいさつも交わすし、働いている人の数も多いし、これまでとは全然違う」
と言う。そう、現在の私の職場には、朝、出勤したときの「おはようございます」や、仕事を終えたあとの「お先に失礼します」のあいさつを交わすという当たり前の習慣がない。もちろん、個別にすれ違って目を合わせた人であればあいさつを交わすのだが、朝、出勤して、隣の席に誰かが座っていようとも、目が合わなければあいさつをしない。いや、むしろ、先に席に座っている人たちは、誰かが出勤して来た気配を側で感じていながらも、顔を上げてあとから出勤して来た人と目を合わせようとはしないということでもある。しかし、退職した派遣仲間の新しい職場では、朝から元気なあいさつが交わされているらしい。そのことについては、私としばしば一緒に食事をしている派遣仲間も認めていて、
「フロアも広いし、コミュニケーションも活発だし、いかにも『会社』っていう感じがするよね」
と、退職した派遣仲間に同意を求めていた。

 話を聞いていると、他にもあらゆる面において、現在の私の職場とは異なるところが多かった。例えばそれは、福利厚生という面においても大きな違いが出ている。退職した派遣仲間たちが働いている職場では、社員でなくても、お茶はもちろんのこと、コーヒーや紅茶のベンディングマシンを無料で利用できるらしい。私も、ときどき別のフロアの休憩室に足を踏み入れることがあるのだが、休息室にそうしたベンディングマシンが設置されていることは知っていて、無料でこれらを利用できる環境がとてもうらやましいと思っていた。また、休憩室には健康管理などのテーマに沿った展示物もある。すなわち、例え仕事以外のことであっても、そうした展示物を作ることに積極的な姿勢を示しているということだ。その上、音楽やテニスなどの課外活動なども活発らしい。また、退職した派遣仲間がプロジェクトの打ち合わせに参加したときも、これまでの職場と違って、議論が繰り広げられたりするシーンもあり、驚いたそうだ。とは言え、彼女はそうした議論を通して、仕事のある分野において、自分の中で漠然としていたことが明るみになったと喜んでいた。要するに、全体的に活気に溢れているのだ。

 一方、現在の私の職場は、全体的に大人しい人が多く、コミュニケーションも活発ではない。ただ、場合によっては、逆にそれが心地良いと感じることもある。例えば私は、以前、関西に来てから、通勤途中にヘッドフォンを耳に挿して音楽を聴いているときに、後ろからやって来た職場の同僚に気安く声を掛けられることに違和感を感じたと書いて来た。しかし、現在の私の職場では、例え同じプロジェクトグループのメンバであっても、歩くのが遅い私を黙ってどんどん追い越して行く。すなわち、私のことが視界に入っているはずなのに、あいさつも交わさずにどんどん追い越して行くのだ。通勤途中に声を掛けられないことを望むというのは、こういうことなのだろう。例えそれが自分が望んだ状況であるにしても、実際はそうした雰囲気が、人間関係を無機質なものにしてしまっていることも事実である。

 そう言えば、私は少し前まで、自前のノートパソコンをオフィスに持ち込んで使用することを黙認されていたが、私が昼休みに自分のノートパソコンを取り出して「ガンまる日記」を書いていても、誰からも「何をしているんですか?」とは聞かれなかった。おかげで私は、のちに職場にノートパソコンの持ち込みを禁止されるまで、「ガンまる日記」を昼休みに更新し続けることが可能だったわけだ。自分の作業に専念したいときは、そうした無関心が心地良いときもあるということである。ちなみに、ノートパソコンの持ち込みが禁止されたのは、情報セキュリティ対策に関して厳しくなったからである。ノーットパソコンはもちろんのこと、自前のUSBメモリなどの業務利用も固く禁じられている。

 ちなみに、現在の私の職場では、何か不具合があっても誰も何も言わない。例えば、同報で一斉配信されたメールの中に間違いや不明な点が含まれていたとしても、誰もそのことを指摘しようとはしない。誰も何も言わないので、たいていの場合、私が率先して質問したり指摘したりしている。朝、出勤しても、気付かない振りをしてあいさつを交わさないのと同じように、問題に気付いていても、気付かない振りをしているのだ。その背景には、わざわざ自分が指摘しなくても、誰かが指摘してくれるという受身の姿勢があるのだろう。あいさつを交わさないことも、相手に声を掛けてもらえるのを密かに期待しているとも考えられる。こんなふうに、現在の私の職場には、受身の人が多い。だから私は、退職した派遣仲間が、新しい環境で楽しく仕事をしているとわかって安心するとともに、彼女たちの働いている活発な環境をうらやましくも思った。これまでPという仕事をしていた派遣仲間もまた、私と同じように感じていたようだった。

 やがて、話は仕事の環境のことだけでなく、恋愛のことにまで及んだ。誰とははっきりと書かないでおくが、ある派遣仲間は婚活をしていて、友人に誘われて、お見合いパーティーのようなものに参加しているそうだ。しかし、あまり成果がないらしい。私は、自分らしく生きていれば、その輝きに惹かれて自分にぴったりの異性が現れると思っているので、異性と出会うチャンスを意図的に作り出そうとしている行為が人工的なものに思えてしまった。というのも、私自身、生まれてからガンモと出会って結婚するまで、男性との出会いはいつも自然な形で訪れていたので、お見合いパーティーのようなものに参加してまで異性との出会いを強く求めることがなかったからだと思う。

 聞くところによると、その派遣仲間は、将来的には好きな人と幸せな家庭を築いて子供に恵まれたいのだそうだ。その派遣仲間の話を聞いていると、彼女は結婚よりもむしろ出産のほうを強く望んでいるように思えた。私は、これまで一度もそのような順序で自分の幸せを考えたことがなかったので、これについても驚いた。私には、彼女自身が現時点でまだ心から愛する男性に出会っていないのに、その先にある出産について想いを馳せているのが不思議でならなかったのだ。究極的な解釈をすると、私にはまるで、彼女が心から愛する男性に出会えなくても、せめて子供だけでも欲しいと言っているように思えた。そこで、思い切って彼女にこんなことを聞いてみた。
「私は、まず心から愛する男性がいて、その先に結婚とか出産があるというのは想像できるんだけど、まだ心から愛する人がいない段階で、出産を強く望んでいるというのは、言い方は悪いかもしれないけれど、これから現れるであろう男性のことを、出産のための手段として利用しているように見えてしまう」
すると彼女は、そんなことはないと強く否定してくれたので安心した。

 私はこの会話を通して、人生の中で何を一番大切にしたいかというのは、本当に人それぞれなのだと思った。だからこそ地球は丸く、他の人が実現できないようなことを他の人がカバーしてくれているのかもしれない。私自身は、今は筋腫が大きくなり過ぎて妊娠・出産はほぼ不可能になってしまったが、もともと子供を交えた夫婦関係よりも、夫婦二人だけの濃厚な夫婦生活を望んでいた。それは結果的に少子化に拍車をかけてもいるのだが、反対に、子供が欲しいと強く望んでいる彼女が人生のパートナーを求めて婚活をしているというのは、何とも皮肉なものだと思った。夫婦二人だけの濃厚な夫婦生活を望む私が、結婚をしているのに新しい生命を世の中に送り出さず、子供の誕生を強く望む彼女がまだ愛すべき男性に出会えずに婚活を続けているのだから。こうした現象は、私たちに対し、本当に大切なものは何なのかを問い掛けているように思えてならない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 表面的に見え隠れしている問題の奥には、いつも本当の問題が隠されているように思います。いや、もしかしたら、単に考え方が違っているというだけで、もともと問題ではないのかもしれません。仮に本当に問題だというならば、陰と陽のバランスが崩れているのでしょうね。大きなレベルで崩れたバランスを取り戻すことができれば、互いにサポートし合える良い社会が出来上がるように思います。そのためには、それぞれが自分の持っている真の役割に気付く必要があるのかもしれませんね。

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2010.06.05

映画『ウルフマン』

主治医の追っかけ(4)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。五積散(ごしゃくさん)を服用しても、上半身のほてりがなかなか収まらない私ではありますが、実はこの週末と火曜日まで取得している有給休暇を利用して、ガンモと涼しいところに旅行に来ています。この旅行記をお届けするのは、ずいぶん先になってしまいそうですが、やはり涼しくて、上半身がほてりにくい状況にあるのはいいですね。ただ、私のように、半袖を着て歩き回っている人はあまりいません。(苦笑)とは言え、例え涼しい地域であっても、やはり冷房が効いているところは効いていて、冷たい空気が下に溜まる影響で下半身が冷たくなってしまいがちです。そうなると、身体が冷えているところを温めようとして、また上半身だけがほてるという状況に陥ってしまうようです。下半身が冷えてしまう冷房は、やはり気持ちのいいものではありませんね。

 こちらもゴールデンウィーク前に鑑賞した作品である。普段、この手の作品はあまり鑑賞しないのだが、演技派俳優のベニチオ・デル・トロが出演していることと、イギリスが舞台となっている作品であるということから、鑑賞に踏み切った。

 予告編からすると、ベニチオ・デル・トロ演じるローレンスが、満月の夜になると狼男に変身してしまい、苦悩する作品であるかのように見えるのだが、実際に鑑賞してみると、単にそれだけの作品ではなかった。ローレンスの父親ジョンを演じているのは、映画『ハンニバル』などのシリーズで有名なアンソニー・ホプキンスである。私は、映画『ハンニバル』などのシリーズをほとんど鑑賞していないので、彼の演じる狂気の人格を世間の評価でしか知らない。それでも、そんなアンソニー・ホプキンスが父親役で出演しているとなると、それだけで、ごく普通のありふれた父親ではなさそうな、きっと何かとんでもないことをしでかしてくれそうな期待感が募って来る。

 舞台俳優のローレンスは、兄の恋人を名乗る女性グエンから、兄が行方不明になったという手紙を受け取る。実家とはすっかり疎遠になってしまっていたローレンスだったが、兄の行方不明の知らせを受けて久し振りに帰宅する。そこでローレンスは、何者かに襲われ、実にむごたらしい姿になってしまった兄の遺体と対面する。兄を殺した犯人を自らの手で追及しようとする過程において、ローレンスもまた何者かに襲われ、身体に傷を負うのだが、やがてそのことがきっかけになり、ローレンスは満月の夜になると変身する狼男になってしまう。

 兄の恋人グエンを演じているのは、映画『プラダを着た悪魔』映画『マイ・サマー・オブ・ラブ』映画『サンシャイン・クリーニング』などのエミリー・ブラントだ。彼女は、本作でもいい演技を見せてくれている。もしかすると彼女は、何物にも染まる女優さんかもしれない。

 少々ネタバレになってしまって恐縮なのだが、のちにローレンスとグエンは男女として惹かれ合うことになる。しかし、二人の関係から、あの結末を導き出すには少々弱いように思える。ローレンスにとってグエンは、亡き兄の元恋人という設定である。兄あるいは恋人の死という深い悲しみを共有して行く中で、かつての兄の恋人、あるいはかつて愛した男性の弟にどうしようもなく惹かれて行くという葛藤のプロセスへの描写が甘く、また、二人の想いが通じ合ってからも、濃厚なラブシーンはない。あの結末を導き出すためには、二人がもっともっと男女としての強い絆を結んでおく必要があるように思うのだ。つまり、本当に愛しているからその結末を選択したということが物語としての深みを与えるのであり、何かのはずみでそういう選択をしたのとは決定的に違う描写をして欲しかったと思うのだ。

 おまけに、二人の想いが通じ合う頃には、ローレンスと父ジョンとの間にも、これまで見えていなかった強烈な関係性が浮上し、観客はそちらのほうにエネルギーを奪われてしまう。むしろ、そちらの展開のほうが強烈で、違和感を感じてしまう。父と息子の関係性の強烈さを、ローレンスとグエンのロマンスに費やせば、もう少しバランスの取れた作品になったのではないかとも思う。

 とは言え、ビクトリア朝時代と言われている十九世紀末のロンドンの雰囲気は、その時代を知らない私にも違和感なく伝わって来る。アンソニー・ホプキンスの見せてくれる狂気も期待通りだ。そして、本作でもベニチオ・デル・トロは、苦悩する役の似合う俳優としての経験を積んだ。結果としてはオーライなのだが、前述した通り、私としては途中のプロセスがちょっぴり物足りなかったのだ。弱いところと強いところのバランスさえ調整されれば、もっと面白い作品になったのではないかと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 突っ込みどころとしては、狼男に襲われて負傷しただけに終わった人たちはもっともっとたくさんいるはずなのに、そういう人たちが狼男にならなかったのがおかしいですね。おそらく、たくさんの狼男を登場させてしまうと、父と息子の問題やローレンスとグエンの愛情関係を描き切れなくなるために、ストーリーとしての枝分かれを阻止したのでしょうね。

物語の視点を分散させないための配慮だったのでしょう。

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2010.06.04

主治医の追っかけ(4)

主治医のおっかけ(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。病院の食堂での昼食を密かに楽しみにしていたのですが、残念でした。病院によっては、食券を買って食べるような、本格的な食堂もありますよね。そういうところはメニューも豊富で、ランチサービスもあったりします。実は、そういうい食堂を期待していたんですよね。(苦笑)

 病院を出た私は、病院近くの薬局で処方箋を受け取ることにした。少し前に、職場近くの薬局で処方箋を受け取り、とても丁寧な対応に感動したので、次回もその薬局で処方箋を受け取りたいと思っていた。しかし、土曜日にまだ営業している保健調剤薬局が病院のすぐ近くにあるとなると、利用しておきたくなるのが患者の心理というものだろう。

 初めて利用する薬局だったので、住所や氏名などの情報を含む簡単なアンケートに答えることになった。I医師が処方してくださったのは、二十八日分の五積散(ごしゃくさん)だった。しかし、薬剤師さんに処方箋の用紙を渡してしばらく待っていると、何やら言いにくいことがありそうな、ざわざわした雰囲気が伝わって来た。薬剤師さんの説明によれば、十四日分の五積散はあるのだが、残りの十四日分の在庫がないらしい。私はすぐに、ほとんどの薬局がそうであるように、足りない分の処方箋を後日取りに来なければならないのかと思い込んだ。仮に同じ状況にあるならば、職場近くにある薬局で処方箋を受け取ったほうが便利である。そこで私は、
「足りない分を取りに来るのは遠いので、今回はいいです」
と言って断わろうとした。すると薬剤師さんが、
「よろしければ、残りの分を郵送させていただくという形でもよろしいでしょうか?」
と言ってくださった。確かに一部の薬局では、処方箋の在庫がない場合、あとから郵送してくれるところもあるのだが、この薬局でもそうしたサービスを行なっているらしい。私は、それは大変ありがたいことだと思い、
「では、お願いします」
と言ってお言葉に甘え、ひとまず在庫のある十四日分の処方箋だけを持ち帰ることにした。

 薬剤師さんによる処方箋の説明もとても丁寧で、好感が持てる薬局だった。おかげで、また一つお気に入りの薬局が増えた。これまでお世話になっていた病院の近くにあった薬局は、一度に処方箋が揃わなかった場合、後日、引き取りに行かなければならなかったので、少し面倒だったのだ。

 処方箋を受け取り、駐車場まで戻ろうとしたとき、私は次の診察の予約を取っていないことにはたと気が付いた。これまでの病院ならば、病院の会計と予約が同じ窓口だったので、会計を済ませると、
「次回のご予約は・・・・・・」
と、会計を担当してくださったスタッフが尋ねてくださり、次回の診察を予約し忘れることもなかった。しかし、新しい病院では、婦人科の看護師さんも、また、会計の担当の方も、次回の診察の予約について案内してはくださらなかった。本来ならば、どこで予約をと取るべきだったのだろう。

 私は思い切って、初診受付のコーナーに座っている年配のスタッフに声を掛けて、次回の婦人科の予約を取りたいと申し出た。すると、年配のスタッフは予約の方法がわからなかったのか、病院の事務室から若い男性スタッフを呼んで来てくださった。私はその男性スタッフに、次回の婦人科の予約を取りたいと申し出た。すると若い男性は、年配のスタッフが座っていた場所に設置されている端末を操作し、次の婦人科の診察の予約をささっと取ってくださった。次回は処方していただいた漢方薬の切れるおよそ一ヵ月後の診察となるはずなのだが、六月の土曜日は私自身の予定が既にびっしりと埋まってしまっているため、処方箋が切れてなくなってしまうほど先の土曜日の予約となってしまった。

 こうして無事に次回の診察の予約を終え、病院近くのレストランで昼食をとったあと、ガンモと一緒にその日の次なる目的地へと向かったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 後日、薬局からは、無事に残りの十四日分の処方箋が届けられました。I医師に処方していただいた五積散(ごしゃくさん)ですが、服用し始めてからそろそろ二週間ほどになります。上半身のほてりは、やや落ち着いてはいるものの、それでも気温のせいか、やはり暑くて暑くてたまりません。仕事中もパタパタと団扇で扇ぎ続けています。また、関節痛もそれほど緩和されていないように思えます。(苦笑)

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2010.06.03

主治医の追っかけ(3)

映画『月に囚われた男』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。私が変わり者だからなのか、低予算で製作された映画には、魅力を感じてしまいます。たくさんの制作費が注ぎ込まれた作品であったとしても、心に残るものが少ない作品もあります。そういう作品は、もう一度鑑賞したいとは思いませんし、内容を振り返ることもありません。映画を鑑賞したあとに残るものは、制作費や映画のスケールとは比例しないんですよね。

 名前を呼ばれて診察室に入ると、そこにはI医師の姿があった。これまでの病院とは違い、診察室が狭い。ただ、奥には婦人科検診を行うための別室があるようだ。これまでの病院には、エコーの設備はあったものの、主に問診のみの診察だったので、多くの女性たちの嫌がる、あの足を開いて座る婦人科の椅子はなかった。新しい診察室には、背後に小さな施術台があり、I医師は古びた事務机に向かっていた。

 私はI医師と目が合うなり、
「こんにちは」
と言った。するとI医師も、
「こんにちは」
と返してくださった。待合所で待っている患者さんが多かったので、
「先生、病院を変わられたんですね」
と切り出すこともできず、いきなり本題に入った。

 予想していた通り、I医師の手元に私の情報は何もなかった。ただ、患者のおおまかな情報かどうかはわからないが、I医師なりにまとめた手書きのノートがあった。やはり、カルテやMRIフィルムなどの個人情報は持ち出せないのだろう。まだ診察のペースが掴めないのか、I医師は、あたふたしているように見えた。これまでの診察の履歴がI医師の手元に残っていないため、これまでどのような診察を受けていたか、患者である私自身がI医師に説明することになった。私は、筋腫がいくつもあり、既にかなり大きくなっていること、最近は、卵巣の働きが鈍り、女性ホルモンの分泌量が少なくなっていること、そのため、上半身のほてりが強いこと、牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)という漢方薬を処方していただいていることなどを話した。I医師は、まっさらなカルテに、私が話したことを一つずつ書き留めていた。

 I医師は、
「血液検査はしたんやっけ?」
と私に尋ねた。私は、
「はい。確か半年以上前に血液検査をして、卵巣刺激ホルモンの分泌量が少ないので、まだ更年期ではないけれども、卵巣から分泌されている女性ホルモンの量も減っていると説明を受けました。女性ホルモンの分泌量が少ないため、上半身のほてりが特にひどく、このままでは夏を越せないのではないかという不安さえあります」
と答えた。ああ、こんなことなら、せめてそのときの「ガンまる日記」の記事だけでも参照して、自分のエストラジオール血清値を空で言えるくらいの意気込みでいたかったと思う。

 I医師は、処方してくださっている牛車腎気丸の効き具合はどうかと私に尋ねた。もともと私は、頻尿などの理由から牛車腎気丸を処方していただいていたのだが、結局のところ、トイレの回数がそれほど減ってはいないことなどを告げると、いつものように白衣のポケットから漢方薬のハンドブックを取り出して、五積散(ごしゃくさん)という漢方薬があると切り出してくださった。その漢方薬は、比較的歴史の新しい漢方薬だそうだが、まさしく私が抱えているような上半身のほてり、下半身の冷え、関節痛などに効果があるのだそうだ。私は、何故、そんなにいい薬があるのに、これまで処方してくださらなかったのかと恨めしく思ったのだが、考えてみると、頻尿などの悩みを改善したくて牛車腎気丸を処方していただいていたのだった。しかし、一時的に良い状況には向かったものの、結局のところ牛車腎気丸ではあまり効果は見られなかったので、またしても新しい漢方薬を処方していただくことになったのだ。

 処方していただく漢方薬が新しくなったので、次回の診察は一ヵ月後ということになった。診察を終えると、看護師さんが私のところにやって来て、処方箋が出ていること、今日は土曜日なので、多くの薬局は早い時間に閉まってしまうが、病院の近くにある薬局なら、病院が開いている間はずっと営業しているという情報を教えてくださった。

 私は処方箋の用紙を受け取り、会計を済ませたあと、ガンモに電話を掛けた。ガンモはきっと、カングーのメンテナンスも終わり、お腹を空かせて待っているに違いない。立体駐車場からやって来たガンモは、手を洗いたいと言った。カングーのメンテナンスをして手がひどく汚れていたのだ。ガンモが病院のトイレで手を洗ったあと、私たちはエレベータに乗って食堂のある階へと移動した。病院の食堂で昼食を食べるというのは、病院を利用するときの気持ちがそれほど深刻ではないときは、非日常を期待してわくわくするものだ。

 しかし、食堂に一歩足を踏み入れてみると、そこは食堂というよりも喫茶室に近いスペースであることがわかった。喫茶室のすぐ隣には、売店もあった。
「いらっしゃいませ」
と食堂や売店のスタッフが私たちを歓迎してくださっているモードだったのだが、お腹を空かせていた私たちは、昼食をしっかりとりたいと思い、喫茶室は利用せずに、静かにエレベータを降りたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 新しい病院での勤務が始まったばかりで、I医師はあたふたしている様子でした。まだまだ診察のペースがつかめないために、診察に時間が掛かっていたのかもしれません。そう言えば、病院の女子トイレには、婦人科の医師としてI医師を迎えたことを知らせる張り紙がありました。ホームページでも、女子トイレでも、新しい病院に歓迎されているI医師でありました。(笑)

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2010.06.02

映画『月に囚われた男』

主治医の追っかけ(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。そう言えば、以前、子宮体がんの検診を行なうために、自宅近くの女医さんをI医師にご紹介いただいたところ、検査終了まで四時間近く掛かったことがありました。レディースデイだったため、休暇を取り、検査のあとは映画を鑑賞しようと予めチケットを購入していたというのに、ようやく映画館に着いたのは、予告編も終わり、ちょうど本編が始まる頃でした。それを考えると、婦人科で一時間半程度の待ち時間は、世の中では当たり前なのかもしれませんね。

 本作は、映画『プレシャス』を鑑賞したのと同じ日に、同じミニシアター系映画館で鑑賞した作品である。映画館で何度か観ていた予告編に誘われ、鑑賞に踏み切ったのである。

 サムは地球に必要なエネルギー源を採取するため、三年間の契約で、月にある基地にたった一人で送り込まれる。たった一人と言っても、地球とはテレビ電話で繋がるし、人工知能が搭載されたコンピュータ、ガーティも話し相手になってくれる。しかし、何らかのトラブルにより、地球とリアルタイムで通信ができなくなってしまった。そして、三年間の任務終了まであと二週間を残すのみという時期になって、自分の他には誰もいないはずの基地で、サムは自分と顔がそっくりの男と出会う。どういうわけかサムは、その男のことが気に食わず、時には激しい対立となる。やがてサムは、自分と顔がそっくりの男の正体を知ることになるのだが・・・・・・。

 本作は、デヴィッド・ボウイの息子であるダンカン・ジョーンズが脚本と監督を手掛けているそうだ。セットは月にあるという基地だけで、宇宙の雰囲気も良く出ているのだが、実は驚くほど低予算で製作されているらしい。低予算のセットでドラマが展開される場合、脚本には観客を飽きさせないだけの要素が求められる。その点、私たちにとって未知の存在である月の基地という設定は、例えそこでどのようなことが起こるにしても、強く興味をそそられる。

 私自身がコンピュータの技術者として、心を動かされたシーンがある。それは、人工知能を持つコンピュータ、ガーティが、サムの計画に力を貸すというシーンである。おそらく、人工知能が搭載されていないコンピュータならば、石頭であるために、プログラムされたことしか実行しようとはせず、サムの計画に力を貸したりはしないだろう。しかし、人工知能の成せる技なのか、最後まで任務を遂行するという大元の命令に背いて、サムの計画に力を貸すのだ。そこが何ともたまらない。人工知能により、人間とコンピュータの間に、相手を思いやる気持ちが生まれているのである。

 自分と顔がそっくりの男が、人間としてどこか不完全であるという設定も面白い。それは、自分と顔がそっくりな男の正体とも関係しているのだが、考え方によっては、自分という不完全な人間を客観的に観察するきっかけを与えていると言っても過言ではない。自分とそっくりな人間と激しい対立を繰り返しながらも、最終的には受け入れて行くプロセスは、サムにとって、不完全な自分自身を受け入れて行くプロセスに繋がっていたようにも思う。

 低予算のせいか、月の基地の造りも、人工知能を持ったコンピュータ、ガーティも、今となってはどことなく古めかしい雰囲気が漂ってはいる。しかし、そうした雰囲気がなおさら、その古めかしい時代を知っている私たちに対し、月の基地という密室に親近感を与えてもいる。私たちにとってはそれが未知のものではなく、既に知っているものという感覚を味わうことができるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m デヴィッド・ボウイは俳優として活躍していたこともありますが、本業はミュージシャンだったと思います。ミュージシャンの息子が映画監督になったということは、おそらく芸術的な刺激を父親からも受け取っていたのでしょうね。私からすると、ちょっとうらやましい気がします。(笑)

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2010.06.01

主治医の追っかけ(2)

主治医の追っかけ(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m I医師を新しく迎えようとする病院と、I医師を送り出そうとする病院の対応の違いは明らかなものでした。病院も企業だと考えると、ポジティブなイメージのものは表に出そうとし、ネガティブなイメージのものは隠そうとするのかもしれません。もしもこれまでI医師が診察を担当していた病院で、I医師が他の病院に勤務されることになったことを公表されていたとしたら、私はその病院に対し、一目置いていたと思いますね。

 ガンモの運転するカングーで高速道路をスイスイ走り、カーナビの力を借りながら病院に着いたのは、十一時過ぎのことだった。病院の立体駐車場にカングーを停めると、ガンモは私が診察を受けている間にカングーのメンテナンスをすると言って準備を始めた。カングーのメンテナンスには水が必要だったため、私はガンモから大きなペットボトルを受け取り、総合受付で受付を済ませてから病院のトイレでそのペットボトルに水を汲んで駐車場に戻るという怪しい人になった。

 総合受付の案内によれば、現在、婦人科はひどく混み合っているため、診察時間がかなりずれ混んでいるという。覚悟を決めて婦人科の待合所に足を運んでみると、十人以上の患者さんたちが待合所のソファで診察待ちをしていた。I医師の診察は五月から始まったばかりだというのに、ゴールデンウィーク明けの土曜日で早くもこれだけの患者さんたちが診察の待ち行列を作っているということは、おそらく私と同じように、これまでI医師が勤務されていた病院から、主治医であるI医師を追いかけて診察を受けに来られたのだろう。

 私も待合所のソファに腰を降ろし、覚悟を決めて順番待ちをすることにした。思えば、これまでお世話になっていた病院は完全予制だったので、婦人科といえども待ち時間は最大でも二十分程度だった。しかし、午前の診察がもうすぐ終わろうとしているこの時間帯にこれだけの患者さんたちが診察待ちをしているとなると、少なくとも、これからあと一時間は診察待ちをすることになるだろうと私は思った。

 私の診察予約時間は十一時四十五分からとお昼前の時間帯だったので、私の診察が終われば、ガンモと一緒に病院内の食堂でお昼ご飯を食べる約束をしていた。しかし、待合所が思いのほか混み合っているため、診察には予想以上に時間が掛かりそうなことをガンモに告げようと、私は携帯電話を使ってもよさそうなところまで移動して、ガンモに電話を掛けた。カングーのメンテナンスを行なっていたガンモは、私が診察を終えるのを待ってくれると言う。それを聞いた私は安心して、再び待合所に戻り、名前が呼ばれるのを待ち続けた。

 実は、ありがたいことにその病院では、入院患者さんたちのために無料でアクセスできる無線LANサービスが提供されていた。私は、リュックの中からノートパソコンを取り出して、病院の無線LANに接続してみた。なるほど、これは快適である。病院の無線LANに接続しなくても、私は自分のモバイルカードを使ってインターネットに接続できる状況にあるのだが、病院に無線LANサービスが用意されているということで、待合所にノートパソコンを持ち込み易かった。この日私は、病院に出掛ける前に「ガンまる日記」を更新し終えていたのだが、診察待ちの間に、一度書き上げた記事の推敲を完了させた。

 ノートパソコンの画面を見つめながら待合所で診察待ちをしていると、一部の患者さんと看護師さんの会話が耳に入って来た。どうやらその患者さんは、MRIの予約を入れようとしているらしい。しかし、看護師さんが導き出したMRIの予約時間が、その患者さんにとっては比較的朝の早い時間だったようで、
「病院まで二時間掛かるので・・・・・・」
と、別の時間枠に変えて欲しい素振りを見せていた。なるほど、やはりI医師の診察を希望して、わざわざ遠方から診察に来られているのだろう。これまでの病院は完全予約制だっただけに、I医師が他の患者さんたちにこれほどまで強く求められる存在であることはほとんど見えない状況にあった。しかも、これまで私がお世話になっていた病院は、I医師がメインで診察を行なっていた病院ではなく、I医師がメインで診察を行なっていた病院の同系列の別病院だった。I医師はその病院で、一部の曜日の一部の時間帯だけ診察を担当されていたのである。しかし、こうして完全予約制ではない病院に変わったことで、I医師がどれほど多くの患者さんたちから強く求められている存在であるかがはっきりとわかるようになったのである。

 待合所では、途中でいったん私の名前が呼ばれ、看護師さんによる簡単な問診が行なわれた。そして、私の名前が本格的に呼ばれたのは、待合所に足を踏み入れてからおよそ一時間半後のことだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 完全予約制の病院から、待ち時間たっぷりの病院に変わったことで、診察の待ち時間をどのように過ごすかが課題となって来ました。(苦笑)それにしても、何らかのトラブルを抱えて婦人科に通う女性は本当に多いのですね。それだけ私たちの生きる環境が、一昔前から比べると、すっかり変わってしまったのかもしれません。

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