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2010.06.23

映画『17歳の肖像』

一時的な回避策の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。やはり、痛み止めの薬は服用していません。胃を痛めてまでも飲む気にはならないのと、もともと西洋医学の薬を服用すること自体に抵抗があるからです。とは言え、湿布については好奇心から使ってみました。薬局などで売られている湿布とは違い、医師に処方していただく湿布はずいぶん強力ですね。一時的な回避策でしかないのはわかっているのですが、粘着力もあって、貼ったときの感じもとても気持ちのいいものでした。ただ、痛みが劇的に軽減されるわけではありませんね。(苦笑)

 予告編から受けた印象と、実際に鑑賞したときの印象が大きく異なる作品だった。予告編を観たときは、十七歳の少女に大人の恋人ができて、彼と行動を共にしながら大人の世界を垣間見ることにより、様々な出来事を吸収して行くというだけの印象だった。しかし、実際はそれだけではなかった。大人の世界には、十七歳の少女がこれまで体験できなかったことを体験できた喜びを感じられることもあれば、反対に、十七歳の少女には到底受け入れ難いこともある。中には、「高い授業料」という表現にふさわしい出来事だってあるのだ。

 ロンドン郊外に住む十六歳のジェニーは、学校帰りに大切な楽器を持ったまま大雨に降られてしまう。途方に暮れるジェニーに対し、車に乗った紳士が声を掛けて来る。
「君のその楽器が心配だ。楽器だけ預かろう」
実際、紳士はジェニーから楽器だけを預かり、大雨の中、ジェニーを残したまま車を走らせる。大雨でびしょ濡れだったジェニーはたまらず、自分から紳士に声を掛けて、
「私も乗せてもらってもいい?」
と尋ね、紳士の了解を得て車に乗り込む。

 そんな運命的な出会いを果たしたジェニーと紳士は、少しずつ交流を深めて行く。紳士の名前はデイヴィッド。いつの間にかデイヴィッドは、ジェニーの進学に熱心で、頑固なはずのジェニーの両親の信頼さえも勝ち取って行く。

 前半は、順風満帆にことが運んでいるように思えた。しかし、ストーリーが進んで行くに従って、どことなくダークなイメージが拭い切れなくなって来る。デイヴィッドには仕事をベースにした付き合いの友人がいて、その友人の彼女とも行動を共にしている。デイヴィッドと付き合うことで、ジェニーは彼等の仲間入りを果たし、あたかも運命共同体であるかのように、四人でしばしば行動するようになる。やがて十七歳になったジェニーは、「受け入れる」ことを体験する。それは、デイヴィッドの仕事のことであったり、デイヴィッドと夜を共にすることであったり・・・・・・。しかし、やがて、ジェニーの「受け入れる」器の大きさを問われるような出来事が起こる。それは、十七歳の少女が「受け入れる」には、あまりにも過酷な出来事だった。

 本作を鑑賞しながら、私自身にも「受け入れる」ことが辛い時期があったことを思い出した。ある程度、場数を踏んで行けば、そうした出来事が何のために起こっているのかを直感的に見極めることができるようになる。例えばそれが、自分自身の「受け入れる」器を広げるために起こっているのか、それとも、「受け入れる」器を壊すために起こっているのか。「受け入れる」器を広げるために起こっている場合、その状況を乗り越えたとき、その出来事に関係した人たちとの絆は、これまでのよりも一層強くなるはずである。しかし、十七歳のジェニーの「受け入れる」器は壊れてしまった。

 「受け入れる」器が壊れてしまったことを客観的に見届けている場合、壊れてしまった器を何とか修復して、自らの「受け入れる」器を広げて頑張って欲しいと願うこともある。しかし、本作ではそうは思わなかった。それは、ジェニーにとっては初めてでも、デイヴィッドにとっては繰り返しの一つに過ぎないことがわかったからだ。例えデイヴィッドにとっては繰り返しの一つであったとしても、せめてジェニーに対してだけは特別であって欲しかったと思う。しかし、どうやらその特別感も、ジェニーの「受け入れる」器が壊れてからのフォローもなかったことから、本作の流れに従うのが最も妥当であると考えるに至った。

 ジェニーにとっての唯一の救いは、戻るべき場所があって良かったということだ。むしろ、「受け入れる」器が壊れるまでのジェニーは、その環境に強く反発して自ら手放してしまいたかったはずなのに、結果的にはその環境がジェニーを救ったのである。心にぽっかりと穴が開いてしまったような、何とも切ない物語ではあるのだが、これから先、ジェニーはこの出来事をバネにして強く生きて行くのではないだろうか。もしかすると、ジェニーが大人になってからも、決して忘れることのできない体験の一つになったかもしれない。

 ジェニーが既存の環境を手放そうとしたのは、既存の環境とデイヴィッドとの付き合いを共存させることができなかったからである。しかし、本当の意味で「受け入れる」とは、自らの既存の環境と新たな環境を共存させて行くことではないかと、本作を鑑賞した私はいたく実感したのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 甘い青春映画だと思っていたのですが、後味はほろ苦かったですね。(苦笑)途中、何となくダークなイメージが付きまとっているのですが、こういう結末だったからなのか、と妙に納得しました。私自身の苦い経験と、ついつい重ねてしまう作品でありました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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