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2010.05.28

出雲~倉敷一人旅(6)

映画『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。モーツァルトとロレンツォ・ダ・ポンテのコンビで「ドン・ジョヴァンニ」よりも先に生み出されていたのがオペラ版の「フィガロの結婚」だったようです。「ドン・ジョヴァンニ」は知りませんでしたが、「フィガロの結婚」なら知っていました。(笑)それでは週末になりましたので、出雲~倉敷一人旅(5)の続きを書かせていただきます。

 あるアーチストに対して好きという感情を抱くとき、多くの人たちは、そのアーチストの人間性に惹かれるのだろうか。それとも、作品に惹かれるのだろうか。おそらく両方好きという人は、まずは人間性に惹かれていて、その想いが強いあまり、あとから作品が付いて来ているのだと思う。

 益田で行われているコンサートに参加したとき、私は、自分自身が彼らの音楽を完全には受け入れていないことに気付いてしまった。実はこの春、開催されているのは、新しいアルバムを引っ提げての全国ツアーだった。それにもかかわらず、私は彼らの新しいアルバムを購入せずにコンサートに臨んだのだ。かつては、彼らに対して盲目的で、彼らのリリースするアルバムやシングルなどの情報もこまめにチェックしていた私だったが、ある時期から盲目的ではなくなってしまった。それは、彼らに対する気持ちが落ち着いたというよりも、私自身が彼らをどのように好きであるかが変化して来たのだと思う。

 私は、今回のコンサートに参加して、もしも彼らの新しいアルバムの曲が気に入ったら、コンサート会場でCDを買い求めても良いとも思っていた。しかし、コンサート会場で耳にした彼らの曲は、私の心を揺さぶってはくれなかった。彼らの生み出す曲が、どこかで聞いたようなアレンジに仕上がっているという感想は、既に何年も前から抱いていたのだが、今回の新しいアルバムではそれが決定的になってしまったように思う。

 コンサートの最中に、私の中で、激しい葛藤が続いた。これは、私自身のスランプなのだろうか? いや、そうではない。彼らの人間性はとても好きなのに、彼らの生み出す音楽が受け入れられないのだ。私は、プログレッシブロックと呼ばれる分野の音楽は好きなほうである。キングクリムゾンが来日したときも、イエスが来日したときも、喜び勇んでコンサートに出掛けている。キングクリムゾンに関しては、名古屋公演にまで足を伸ばしたくらいだ。今は通勤の途中にBBCを録音したmp3ばかりを聴いているが、少し前までは、ルネッサンスというプログレッシブロックグループの音楽を繰り返し聴いていた。ルネッサンスの演奏するプログレッシブロックは、私の耳に最も心地良く響いてくれる。

 しかし私は、自分の耳に心地良いと感じる音楽を生み出したり演奏したりしているプログレッシブロックグループのメンバーについて、ほとんど何も知らない。知っているのは、せいぜい名前くらいである。その人たちの人間性など、もっと知らない。これは純粋に、そのアーチストの作品に惹かれているということなのだろう。私がしばしば思うのは、アーチストにとって、ファンから支持されるということを考えたときに、人間性を支持されるのがうれしいのか、それとも作品を支持されるのがうれしいのか、どちらがうれしいのだろうということだ。もちろん、人間性と作品の両方を支持されるのが最もうれしいであろうことはわかっている。

 例えば、私はアーチストではないが、私が「ガンまる日記」を書いていることを知っている友人や知人はたくさんいる。もちろん、私と楽しく交流してくれて、その上で「ガンまる日記」も読んでくれればとてもうれしい。しかし、私と楽しく交流してくれている友人や知人でも、私の書く「ガンまる日記」には無関心な人たちもいる。そういう人たちは、私の友人や知人ではないのかと言えば、決してそうではない。何故なら、その人が生み出すものに、その人の人間性のすべてが投影されるとは限らないからだ。作品は、それを生み出すアーチストのすべてはなく、単に一部に過ぎないと私は思う。

 思えば、私の環境は、ガンモとの結婚をきっかけに大きく変わってしまったように思う。ガンモとの結婚が決まったとき、私は友人が手配してくれていた神奈川県でのコンサートのチケットを手にしていた。しかし、私は葛藤の末、そのコンサートには足を運ばなかった。チケットを手配してくれた友人には事情を説明して謝罪したのだが、彼女は私が説明した内容を理解してくれて、彼女自身もきっと同じことをするだろうと言ってくれた。

 ガンモと結婚するとき、私は、そのアーチストがどのように好きかという感情を、自分の中で納得の行くように変換させたのだ。それまで私の周りには、こうした私の気持ちを理解してくれる友人たちがたくさんいた。神奈川県のチケットを手配してくれた友人もその一人で、彼女とはしばしば、好きなアーチストの人間性や音楽性についても熱く語り合った。彼女と私は、そのアーチストがどのように好きかという感情がとても似通っていたと思う。大学生の頃、松江のホテルに一緒に泊まったという友人も、アーチストがどのように好きかという感情がとても似通っていた。端的に言ってしまえば、そのアーチストを一人の男性として見ていたということだ。

 そのような感情を持ってアーチストに接している人は、アーチストの数多くのファンからすれば少数派かもしれない。しかし、独身の頃の私には、「ファン」という表現に対してさえ、抵抗があったほどだ。しかし、そんな私たちも互いに年齢を重ね、結婚したり、これまで住んでいた場所から引っ越ししたりして、それぞれの環境がすっかり変わってしまい、以前のように熱い感情を共有できる間柄ではなくなって来た。

 もしかすると、理解してくださる方は少ないかもしれないが、アーチストとの関係で、私が最も心地良いと感じた瞬間があるので、思い切って書いてみたいと思う。独身の頃、私は東京に住んでいたのだが、好きなアーチストがしばしば足を運ぶ街に住んでいたので、好きなアーチストと街でばったり会うことが何度かあった。あるとき、私が自転車に乗って走っていると、商店街の向こうから私の好きなアーチストが歩いて来るのが見えた。アーチストとは、その街でしばしば顔を合わせていたので、アーチストは私の姿を見てもいっこうに驚かなかった。私も意外とあっさりしていて、
「今日は休みですか?」
とアーチストに尋ねた。アーチストは、
「うん、休み」
と言って立ち去って言った。私自身も、立ち去って行ったアーチストを振り返りもせずにそのまま自転車を走らせて帰路についた。

 この出来事が、アーチストとの関係において最も心地良い出来事として私の印象に強く残っているのは、私にとっては、アーチストと顔を合わせることが非日常ではなく、日常でありたかったという証なのだと思う。つまり、私の中では、アーチストのことが本当は特別なのに特別ではないような、そんな微妙な立場でいたかったのだと思う。

 だから、彼らがテレビに出演するときにテレビの前にかじり付いたり、ビデオに録画して欠かさず鑑賞するといった応援方法は取っていなかった。表面的には冷めているように見えていても、心の中にはいつも熱いものを隠し持っていた。しかし、その熱いものを、自分の想いと異なる人には見せたくなかった。

 益田でのコンサートの最中に、かつてのいろいろな想いがよみがえって来た。そう言えば、同じく大学生の頃、やはり松江のコンサートに足を運んだとき、アーチストが松江の街を散歩するのに、本屋さんまで一緒に付いて行ったことがある。そのときのことを、私は今、こうして思い出してはいるが、アーチストの記憶の中からは、もはや消え去ってしまっていることだろう。事実は一つでも、人の記憶は様々だ。それならば、私がいつまでもそのときのことを記憶に留めていよう。そんなことを考えてもいた。

 コンサートの最中に、冗談だとは思うのだが、バンドのリーダーが言った。
「新しいCDが出ましたので、買ってください。聴かなくても買ってください(笑)」
これはある意味、アーチスト側の本音だと思う。アーチストにしてみれば、CDが売れればうれしい。自分たちの懐も暖かくなる。しかし、それでは何かが違うのではないか。私は今回のコンサートで、彼らの生み出す音楽のすべてを受け入れられないことに気付いてしまったために、例え彼らのことが好きだとしても、新しいCDを購入する気にはなれなかった。

 もちろん、何年か前にレコード会社が変わってから、彼らのCDの売り方が、売り上げアップを意識した売り方に変わってしまったことが気に入らない気持ちもある。しかし、それよりも、メロディラインの美しさや、いつもとは違うアレンジをどこかで期待し続けているのだと思う。初めて曲を聴いたときに感じる、頭をハンマーで殴られたようなあの衝撃を待っているのだ。そんな期待とは裏腹に、私には彼らが、無理に作品を生み出しているように思えてしまったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m アーチストに対して盲目的であり続けることは、果たしてアーチストにとって良いことなのかどうかについて、いろいろ考えさせられました。私たちが、次々にリリースされる新しいCDを相変わらず買い続けて彼らを無条件に受け入れるならば、アーチストの中には何も変革が起こらないようにも思えました。彼らには、もっともっと変革を起こして欲しいと思うのです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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