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2010.03.13

映画『オーシャンズ』

絵の具のような人間関係の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。二人で会ったとしても、三人で会ったとしても、色が固定化してしまうのではなく、次にまた会うと、色が変化して行くような関係がいいですね。人はいろいろな可能性を秘めているはずなので、それらの可能性を固定化してしまわずに、会う度に別の可能性をも引き出せる関係でありたいと思います。

 本作を鑑賞したのは、二月七日のことである。世界の海で暮らす海洋生物を撮影した作品ということで、壮大な自然を感じるために映画館に足を運んだのだが、映像はとても美しいものの、ストーリー性がなく、一体何が言いたい映画なのか良くわからないままに終わってしまった。途中で何度かコックリコックリと居眠りをしてしまったのは、それだけ引き込まれるものがなかったからかもしれない。

 前半は、弱肉強食などをテーマに描かれているようにも思う。しかし、後半は、日本人の捕鯨やフカヒレ取りに対する批判であるようにも見受けられる。まず、思ったのは、前半で描かれていた弱肉強食のテーマと、日本人の捕鯨やフカヒレ取りはどう違うのだろうかということだった。命を奪うということにおいては、小魚を食べることも、鯨を食べることも変わりはないはずだ。それなのに、次第に数が減って来た動物は保護したくなるのか、それらの命を必死で守ろうとする。絶滅の危機に瀕しない動物ならばどんどん食べても良くて、数が少なくなってしまった動物は徹底的な保護へと向かうのだ。命を同等に扱い、保護しようとしているのではないことに、どうしても違和感を覚えてしまう。

 もしも弱肉強食を扱うならば、どうしてもそれを食べなければ生き延びられないのか、それとも、他の何かで替わりが効くのかといった視点で論議できるようにも思う。

 フカヒレ取りに関しては、日本人らしき猟師がフカヒレだけを切断して、生きたまま再び海に戻すという残酷なシーンが流れる。フカヒレを切り取られた鋭い傷口から流れる血で海が赤く染まる。エンドロールの前に、それらの映像は実際の映像ではなく、合成されたものだという注意書きが入るのだが、あたかも日本人がそういうことをしているかのようで、何となく嫌な気持ちになる。インターネット上に挙げられているこのシーンの感想を拝見すると、日本でそのような行為が行われていることはこれまで聞いたことがないので、おそらく噂を映像化したのではないかというご意見があった。仮にそうだとしても、大自然が大胆に映し出されている映像の中に、人間が出て来ることだけでも違和感があるというのに、その上、映像があれほど残酷なものならば、同じ日本人として、後味の悪いものを感じずにはいられない。

 世界の美しい海の自然を映し出した作品であるはずなのに、本作の評価がそれほど高くないのは、やはり作り手の伝えたいものがなかなか伝わって来なかったことと、弱肉強食のテーマへの弱点、そして、日本人の捕鯨やフカヒレ取りに対する批判とも取れるシーンによる影響ではないかと思う。高性能のカメラで撮影に四年も費やしたというのに、本当にもったいない話である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 映像は美しいのに、心にずしんと響くものがない作品でした。私もかつては動物のお肉を食べられない時期がありましたが、これだけの映像で弱肉強食を謳うには、あまりにも矛盾があり過ぎますね。でも、宮沢りえちゃんのナレーションは良かったと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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