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2010年3月

2010.03.31

映画『抱擁のかけら』

何としてでも足首を守るの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 実は、これだけ防御していても、足首は完全には守り切れません。足首に最も力を入れて守っているはずなのに、冷房の冷たい空気は、隙間から足首を直撃します。冷房の恐ろしさを改めて実感する毎日です。

 ペドロ・アルモドバル監督の作品というと、これまでに映画『オール・アバウト・マイ・マザー』や映画『死ぬまでにしたい10のこと』、映画『ボルベール <帰郷>』を鑑賞している。赤にこだわりのある監督のようで、今でも目を閉じれば、映画『ボルベール <帰郷>』の鮮やかな色彩感覚が蘇って来るかのようだ。

 そんな映画『ボルベール <帰郷>』と同様、ペドロ・アルモドバル監督とペネロペ・クルスのコラボレーションで生み出された本作は、脚本家と女優志望の女性との切なくも激しい恋の物語に仕上がっている。

 ペネロペ・クルス演じるレナは、お金持ちのエルネストという男性の愛人だった。しかし、二人の愛人関係は、エルネストからレナへの一方的な想いで成り立っているだけで、レナは決してエルネストを心から愛しているわけではなかった。あるときレナは、脚本家のハリーが手掛ける映画に出演すべくオーディションを受ける。そのことがきっかけになり、ハリーとレナは激しい恋に落ちてしまう。エルネストはレナの行動が心配だったのか、息子に頼んで、レナの行動の一部始終をビデオに収めるように指示する。エルネストは息子の撮影したビデオの鑑定を、読唇術の技術を持つ専門家に依頼して、唇の動きから二人の会話を再現する。その結果、ハリーとレナの関係はエルネストの知るところとなる。それにしても、ビデオの映像から、二人の唇の動きを読もうとするなど、愛を得ることができない男性の異様な執着ぶりが描かれている。

 エルネストとレナもそうだが、本作では、様々な人間模様があちらこちらで渦巻いている。ハリーのエージェントであるさばさばした女性ジュディットの存在も不思議である。息子とともにハリーの家に自由に出入りしているところからすると、ハリーと一体どのような関係なのだろうと思ってしまう。一見、別れた妻のようにも見えるのだが、ハリーが若い女性とセックスをしていたことを知っても、特に嫉妬するでもなく、実にさらりとしている。ところが、本当にさらりとしているのかと思いきや、実際はそうではなかったであろうことも面白い。

 また、エルネスト亡きあと、エルネストの息子がハリーのところにやって来て、お金はいくらでも出すので映画を作りたいと申し出るのも何だか狂気じみている。何故ならエルネストの息子は、エルネストの命令で、のちに盲目になってしまったハリーが盲目になる瞬間をビデオで撮影していたはずだからだ。ハリーにとって、それほど重要な鍵を握っていたエルネストの息子が、十数年後に、あたかも何事もなかったかのようにハリーに接触して来たのだから、ハリーが抵抗感を感じて彼の提案する映画の製作を拒否したとしてもおかしくはないだろう。

 本作の中では、エルネストの息子が撮影するレナのビデオだけでなく、ハリーが脚本を書いた映画の撮影も行われている。ストーリーの中に別のストーリーがあり、まるで鏡の中から更に鏡を覗き込んでいるような感覚だ。いやはや、面白い。また、ハリーが撮影した映画を使って、エルネストがハリーとレナに復讐する方法も実にユニークである。読唇術の件もそうだが、とにかく映像を通して、ユニークな表現方法がそこかしこに散りばめられている作品である。

 それにしても、邦題の『抱擁のかけら』とは、果たしてどのような意味を持っているのだろうか? 今は鑑賞してからまだ一ヶ月ちょっとしか経っていないので、まだまだ記憶に新しいが、のちに邦題と本作の内容が結び付かなくなってしまうような気がする。かと言って、自分ならどのような邦題を付けるかと問われたならば、頭を抱え込んでしまう。登場人物の諸々の事情が複雑に絡み合って織り成された作品なので、そこから邦題を導き出すのはとても難しい。だから、本作の邦題を考えた方は、それぞれの人間模様を『抱擁のかけら』と定義したのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ペドロ・アルモドバル監督は、赤を基調に作品を描き出すようですが、赤の印象は、本作よりも映画『ボルベール <帰郷>』のほうが強かったように思います。きっと、ペネロペ・クルスが赤の似合う女優さんなんでしょうね。

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2010.03.30

何としてでも足首を守る

ホットヨガ(一八〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。「先生」という呼び方と「インストラクター」という呼び方を私の中でどのように区別しているかというと、一番の違いは、そこに師弟関係が生まれるかどうかだと思います。前者は師弟関係が生まれる可能性を含んでいますが、後者は生まれませんよね。また、エネルギー的に言えば、前者の場合は教えている対象の一人一人に向けてエネルギーが注がれているように感じられますが、後者の場合は一人一人ではなく、集団に向けてのみエネルギーが注がれるように思います。さて、宮津(みやづ)にカニを食べに行った話の執筆途中ではありますが、旅行アルバムとの連携が必要になる記事となりますので、比較的時間のある週末に書かせてください。旅行アルバムと「ガンまる日記」との同時更新は、平日の私にはとてもとても手が負えません。(苦笑)続きは週末までお待ちくだされば幸いです。

 「ガンまる日記」をもう何年も読んでくださっている方ならば、現在の職場で、私が冷房に苦しんで来たことを良くご存知のことと思う。ある時期まで、冷房の冷たい空気が頭の上からざんざんと降り注ぎ、帰りの電車の中の冷房でさえも遮(さえぎ)りたくなるほど、冷房に対する恐怖を感じていたことがあった。また、冷房で足元が冷え切ってしまっているため、夜も寝られず、仕事を休んだことが何度もあった。そのあたりのことは、冷房対策カテゴリにまとめている。

 三月の半ば頃から、早くもオフィスに冷房が入り始めた。オフィス内にはパソコンなどの電子機器がたくさん設置されているため熱がこもりやすく、少しでも暖かくなると冷房が入るのだ。冷房が入ると、オフィスの空気は下が冷たくなりがちである。そのため私は、上半身は半袖Tシャツで過ごしながらも、下半身はズボンの下に暖かいタイツと冷えと取り健康法の四枚重ねの靴下、それからムートンブーツといういでたちである。しかし、冷房が入ると、やはり足元が寒い。これだけの重装備で固めていても、特に足首が冷えるのである。

 女性にとって足首を冷やすことは、婦人病の悪化に繋がる。そこで私は、足首を冷房から守るべく、更なる装備を固めた。活躍しているのは、百円ショップで購入した薄いビニール製のサウナスーツのズボンをカットして作ったレッグウォーマーと、同じく百円ショップで購入した発汗作用を促すグッズである。これらを足首の周りに装備させて、冷たい空気をブロックしている。最初のうちは、百円ショップで購入した発汗作用を促すグッズだけで足首を守っていたのだが、これを巻いていてもなお足首が冷えるため、同じく百円ショップで購入した薄いビニール製のサウナスーツをカットして作ったレッグウォーマーを併用したのである。

足首を冷房から守るため、百円ショップで購入した薄いビニール製のサウナスーツのズボンをカットして作ったレッグウォーマーの上から、同じく百円ショップで購入した発汗作用を促すグッズを巻いている

 写真で見ると、更なる装備を重ねて、太い足が余計に太く見えるようにも思える。しかし、こうでもしなければ、冷房の入ったオフィスで足首を守り切れないのだ。特に現在の私の場合、卵巣の働きが鈍り、女性ホルモンの分泌が減少しているため、足元が冷え易く、冷えた足元を温めるために身体が頑張り過ぎて、上半身がほてるという状況である。その状態で更に足元が冷えるとなると、とても気持ちが悪いのだ。何としてでも足元を暖かくしておかなければ、ずっと不快感が伴い続ける。経験されている方ならおわかりいただけると思うが、上半身は暑いのに、下半身は寒いという状況は、とても気持ちが悪いものなのだ。

 更に私は、上から降り注いで来る冷房の冷たい空気から頭を守るため、帽子もかぶっている。その上、首にもタオルマフラーやネックウォーマーを巻いているという状況だ。三月の段階で既にこの状況なので、これからの季節は更に、オフィスの冷房との戦いが繰り広げられる可能性が非常に高い。そのため、皆さんが待ち望んでいるはずの暖かい春も、オフィスに冷房が入るとなると、もうちょっと待って欲しいと願うこの頃なのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 足元が冷えて、上半身が暑いという状況は、本当に気持ちの悪いものです。古久澤先生によれば、身体の上下の温度差を取るためには、半身浴が良いとのことですので、現在、時間を一生懸命調整して、半身浴を実践しようとしているところです。この先、足元が寒くならない冷房が開発されれば、私からノーベル賞ならぬまるみ賞を進呈しますよ。(苦笑)

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2010.03.29

ホットヨガ(一八〇回目)

映画『50歳の恋愛白書』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。誰から見ても素敵な奥さんというのは、私から見ると、少々とっつきにくい雰囲気があります。実際にそういう方が私の周りにいたら、仲良くはなれないかもしれません(苦笑)。ピッパ・リーは、誰からも見ても素敵な奥さんでしたが、ある夜、ナイトウェアを着たまま、クリスが働いているお店に出掛けてしまうのですね。私は、何から何までいつもきちんとしている隙のない奥さんよりも、むしろナイトウェアを着たままお店に出掛けて行くような奥さんに心惹かれます。その人への入口を見付けたような気がするのです。

 あれやこれやといろいろな記事を書いているうちに、ホットヨガのレッスンの記事も一週間遅れとなってしまった。忘れないうちに、一週間前のレッスンについて書かせていただこうと思う。

 いつものように、南森町で六十分の骨盤コースのレッスンを受けた。骨盤コースというと、いつものインストラクターがレッスンを担当してくださるはずである。更衣室でレッスンのための準備を整えていると、会員さんの一人が、
「骨盤コースの先生(インストラクターのこと)って、ピラティス担当の先生やろ? あの先生のレッスン、いつもきついから、骨盤コースのレッスンも付いて行けるかどうか心配やわ」
とお友達に話をしているのが聞こえて来た。どうやらその方は、初めて骨盤コースのレッスンを受けられるようである。それにしても、骨盤コースのレッスンを担当してくださっているインストラクターが、同じ南森町店でピラティスのレッスンも担当されているとは知らなかった。

 不思議なことに南森町店では、インストラクターのことを「先生」と呼んでいる方が多い。しかもレッスン前に、そのレッスンを担当されるインストラクターの情報をご存知なのは、どういうわけなのだろう。以前にも更衣室で同じような会話を耳にしたことがあるので、もしかすると南森町店では、インストラクターがどのレッスンを担当するかという情報が、どこかに貼り出されているのかもしれない。

 さて、今回のレッスンには、私を入れて十二名が参加していた。鏡越しに参加者の皆さんのお顔を拝見してみると、やはり毎回、同じレッスンに参加されている方もいらっしゃるようである。私も皆さんと一緒に骨盤の矯正を目指しながらレッスンに参加した。

 いつものようにウォーミングアップのストレッチを行ったあと、本編のレッスンに入った。やはり私は、前かがみになるポーズで大きな筋腫が邪魔だと感じた。特に骨盤コースのレッスンでは、身体を前にかがめて休ませるチャイルドポーズを取ることがある。休息のために取るポーズのはずなのに、お腹の大きな筋腫が邪魔になってこのポーズをきちんと取ることができないのだ。そのため、私はいつもお尻や膝(ひざ)を少し浮かせてこのポーズを取っている。その方法だと休息にはならないので、ちょっと情けない。

 情けないと言えば、やはり後半の猫のポーズから入るバランスのポーズだ。猫のポーズは四つん這いになるだからまだ安定している。しかし、そこからバランスのポーズに入り、片方の足を後ろに蹴り上げ、蹴り上げたほうの足とは反対の手を前に差し出すと、途端にグラグラして来る。骨盤の状態を整えるポーズと言われているのに、それ以前に、このポーズを取り続ける持久力がないのだ。困ったものである。

 更にその後、すきのポーズと肩立ちのポーズに入るわけだが、私はこのあたりでいつも挫折してしまうので、シャワーが混雑することを考えて、今回は早めに退出させていただいた。シャワーを浴びようとして、着ていたものを脱ぐと、生理が始まっていた。おそらく、レッスンが始まる前に生理が始まっていたら、きっとレッスン中も落ち着かなかったことだろう。更にもっと早く始まっていたならば、レッスンをキャンセルしていせたかもしれない。生理が良いタイミングで始まって良かったと思った。そのおかげで、今回の骨盤コースのレッスンを受けることができたわけである。 

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 骨盤の状態を整えるはずのレッスンなのに、私の下半身はいつもグラグラしていて安定性がないように思えます。もしかすると私の骨盤は、思っている以上に歪んでいるのかもしれませんね。しかし、骨盤コースのレッスンのおかげなのか、仕事先のトイレで骨盤を動かしていることが効いているのか、はたまた古久澤先生の小指ストレッチが効いているのか、私の骨盤は少しずつですが柔らかくなっているようであります。

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2010.03.28

映画『50歳の恋愛白書』

伊根湾めぐり(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 遊覧船に乗り込むとともに船室に下りて行った人たちは、デッキに立ってカモメたちにかっぱえびせんを与えることもなく、遊覧船の旅を楽しんだようです。一方、私たちは、デッキに立ってカモメたちにかっぱえびせんを与えることに夢中で、風景を眺めることや遊覧船の中を流れているアナウンスに耳を傾ける余裕がありませんでした。同じ遊覧船に乗っても、船室に下りていった人たちと、デッキに立ってカモメたちにかっぱえびせんを与えることに専念していた私たちではまったく経験が異なるというのが面白いですね。

 いつもならば、予告編に呼び寄せられて映画を鑑賞しているのだが、本作は違った。おそらく、劇場では一度も本作の予告編を見てはいなかったと思う。だから、本作の存在自体、知らなかったのではないだろうか。それが、ホットヨガのレッスンを終えて時間があったことと、ガンモが仕事に出掛けていたという理由から、上映スケジュールと映画サイトの情報を照らし合わせて、二月十四日に鑑賞することになったのである。

 本作をひと言で表現するならば、不倫の映画ということになるのだろうか。ご存知のように、あまり私の好きな展開ではない。しかし、本作に限って言えば、それほど嫌な印象は受けなかった。ただ、因果応報という言葉を思い浮かべずにはいられなかった。

 物語の始まりは、現在にスポットが当てられている。しかし、その現在は、様々な過去が作り上げた結果でもある。誰が見ても素敵な奥さんという立場の五十歳の主人公ピッパ・リーは、彼女よりも三十歳年上のベストセラー作家の夫とともに、仲間たちの住む街に引越して来る。そこでピッパ・リーは、十五歳年下の男性クリスと出会う。完璧な妻という印象のピッパ・リーだが、夫と出会う前のピッパ・リーは、家庭の事情もあり、波乱万丈の人生を送っていた。そこから救い出してくれて、彼女を大きく変えてくれたのが現在の夫だったわけだが、夫は女性に対してだらしがなく、ピッパ・リーと出会ったときにも前妻がいた。そして、歴史は繰り返される。

 夫の秘密を知ってから、夫と結婚したあと、良き妻として生まれ変わったピッパ・リーが引っ張り続けていた緊張の糸がぷつんと切れる瞬間がある。それが、彼女とクリスが男女として結ばれる瞬間となるのだが、もともと二人には、世間からのはみだしっ子的な要素が漂っている。特にキアヌ・リーヴス演じるクリスは、明らかに本作の中でも、アウトロー的な存在である。ピッパ・リーもまた、夫の女性関係に絶望し、疎外感を感じていたはずだ。年齢差はあるにせよ、そんな二人が惹かれ合ったとしてもおかしくはない。ただ、少なくとも片方が順風満帆でないときに始まった恋が、永続性のあるものかどうかは疑問である。突然、火が付いたように始まった恋は、急激に冷めてしまう可能性だってある。

 とは言え、ピッパ・リーは、付き合う男性によって自分自身を変えることのできる女性である。夫と出会う前は、いつも露出度の高い服を着て、どこか危なっかしい雰囲気を漂わせていたというのに、夫と結婚してからは完璧な妻へと生まれ変わった。そして、クリスと出会ってからは、完璧な妻から、十五歳も年下の男性と恋に落ちる大胆な女性へと変貌する。一体、本当の彼女はどこにいるのだろう? そんな疑問も生まれて来る。

 本作は、決して大きな感動を呼ぶような作品ではないかもしれない。しかし、これまで順調に年齢を重ねて来た女性が、誰からの影響も受けずに自分自身を確立させられるかということに関して、疑問を投げ掛けているようにも思えて来る。付き合う男性によって、カメレオンのように自分を変えて行くのではなく、まずは本当の彼女らしさを確立させた上で、その彼女らしさに惹かれた男性と恋に落ちるほうが、お互いに幸せになれるのではないだろうか。そんなことを考えさせてくれる作品だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ピッパ・リーの場合、子供の頃に母親からの愛情が充分に足りていなかったのかもしれません。ピッパ・リーの母親は、子供のことよりも自分の問題に精一杯だったからです。ピッパ・リーは、欠如した愛情の穴埋めのために、露出度の高い服を着たりして、ちょっとすさんだ生活を送っていたのかもしれません。きっと、母親からの愛情を欲していたんでしょうね。

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2010.03.27

伊根湾めぐり(後編)

伊根湾めぐり(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m カモメは顔にあまり表情がなく、一見すると何を考えているのかなかなかわかりにくいのですが、かっぱえびせんがどこにあるのかということだけは、目ざとく観察しているようです。しかし、キャッチに失敗したときでも悔しい顔一つせず、無表情のままですね。

 遊覧船に乗り込んだ私たちは、船室には入らず、デッキに立った。というのも、遊覧船が出航すると、カモメたちがかっぱえびせんを求めて遊覧船のあとを付いて回るのを知っていたからだ。私たちの他にも、何人もの人たちが遊覧船に乗り込んだのだが、寒かったからだろうか。ほとんどの人たちが船室に入ってしまった。デッキに残ったのは、私たちと数名の男性客だけだった。

 遊覧船が出航すると、カモメたちがかっぱえびせんを求めて、旋回しながら私たちの乗った遊覧船に付いて来た。まるで凧揚げでもしているかのように、たくさんのカモメたちが遊覧船のデッキの近くを飛び回っている。桟橋でリハーサルしたように、私たちはかっぱえびせんを特定のカモメに向けて放り投げた。カモメたちは無表情でありながらも、かっぱえびせんの行方だけはしっかりと追っている。そのため、ほぼ百発百中で、私たちが放り投げたかっぱえびせんを嘴(くちばし)でキャッチしてくれた。

 それにしても面白い。デッキに向かって飛んで来るカモメたちが、みんなこちらを見ている。まるで、「次に投げられるかっぱえびせんは俺様のものだ!」と言わんばかりである。とは言え、カモメたちは鳩のように柄(がら)が少しずつ違うわけではないので、私たちにはまったく区別が付かない。しかも、膨大な数である。できるだけ片寄らないように、カモメたちにかっぱえびせんを与えたいが、区別がつかないので重複してしまうかもしれない。ゲームのように、かっぱえびせんをキャッチしたカモメにはしばらく色が点灯するような仕掛けがあればわかり易いのにと思った。

 近所のスーパーで購入した大袋のかっぱえびせんを持参しているとは言え、ガンモと私の二人でカモメに与え続けていると、かっぱえびせんは次第に残り少なくなった。見ると、さきほどまでデッキに立っていた男性客らは、いつの間にか姿を消していた。おそらく、かっぱえびせんが底を付いてしまったのだろう。デッキには、かっぱえびせんの無人販売も行われていたが、それ以上、かっぱえびせんを補充しようとは思わなかったようだ。私たちも、次第にかっぱえびせんが残り少なくなったので、チビチビと与えていると、カモメたちも私たちの状況に気付いたのか、次第に数が減って来た。そして、とうとう私たちのかっぱえびせんが底を付くと、カモメたちの姿もほとんど見えなくなってしまった。

 「伊根湾めぐり」の遊覧船に乗り込み、あたかも野生のカモメたちと戯れているかのように見えていたが、実際はカモメたちと感情を交わしながら直接的に関わっていたわけではなかった。カモメたちと私たち人間は、あくまでかっぱえびせんという媒体を通しての間接的に関わっていたに過ぎなかったのである。そのため、かっぱえびせんが底を付くと、カモメたちはもう、私たち人間には見向きもしなかった。もしかすると、すべての動物たちと人間の関わりも同様なのだろうか。餌という媒体がなければ、間接的に接触することさえできないのだろうか。そんなことを考えていると、先ほどまでの戯れが空しく思えて来るのだった。

※携帯電話で撮影した動画を貼り付けておきます。


伊根湾めぐり posted by (C)まるみ
※なお、動画を再生するためには、最新のFlashが必要です。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、伊根湾めぐり(後編)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たち人間にとっても、カモメに餌を与えている瞬間は確かに楽しいのですが、かっぱえびせんが底を付いてしまうと、急に空しくなりますね。おそらく、それらの行為を通しても、私たちとカモメたちの間に蓄積されたものが何も残されていないことに気付いてしまったからかもしれません。互いに感情を交し合った関係ならば、互いの中に蓄積されたものが残ります。だからこそ、普段の生活の中で、様々な人たちと感情を交わすことが大切なのだと改めて実感しました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.03.26

伊根湾めぐり(前編)

映画『インビクタス/負けざる者たち』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m やはりモーガン・フリーマンは、意識的に南アフリカ共和国訛りの英語を使っていたようです。習得に苦労されたとの情報もありました。また、マンデラの役は、ネルソン・マンデラご自身がモーガン・フリーマンを指名されたのだそうです。いやはや、すべてが明るみにされなくても、一つの映画が出来上がるまでには、実にいろいろなプロセスを辿っているものなのですね。さて、今回から数回に分けて、三月の初めにカニを食べに出掛けたときの話を書かせていただこうと思います。

 そろそろ三月も終わりにさしかかろうとしているというのに、三月の初めに、京都の宮津(みやづ)までカニを食べに出掛けたときの話を書かせていただこうと思う。冬になると、無性にカニを食べたくなる。毎年のように、城崎温泉にカニを食べに出掛けてはいるのだが、いつも利用している旅館を予約しようにも、週末は既に予約がいっぱいで予約を取ることができなかった。平日ならば、予約を取ることも可能だったのだが、折しも納品前で私の仕事が忙しく、なかなか休暇を申請し辛い状況にあった。そこでガンモは、楽天トラベルを探し回り、週末も何とか空いていたという京都の宮津にある旅館を予約したのだ。

 宮津というと、実は鉄道乗り潰しの旅をしていた二〇〇四年十月末に、ガンモと二人で一度訪れている。いきなり宮津と言われても、あまりピンと来ない方もいらっしゃると思うので、もっと分かり易く言うと、天橋立(あまのはしだて)のすぐ近くである。あのときは、せっかく日本三景の天橋立を訪れたというのにあいにくのお天気で、股のぞきをしても絶景の感覚を味わうことはできなかった。ところが、今回こそは天候に恵まれるのかと思いきや、やはり雨が降ってしまい、出掛けて行くのもちょっと億劫なくらいだった。

 前回は鉄道乗り潰しという名目があったので、鉄道を利用して移動したのだが、今回はガンモの運転するカングーに乗り込んだ。雨の中、高速道路を走り、途中で休憩を入れながら、二時間余りで目的地に着いた。不思議なことに、宮津に着く頃には、雨が止んでいた。

 宿泊する旅館の場所を確認したあと、私たちが向かったのは、天橋立から車でおよそ十五分くらいのところにある「伊根湾めぐり」という遊覧船乗り場である。二〇〇四年に訪れたときも利用したのだが、その遊覧船に乗ると、野性のカモメが餌を求めて遊覧船の周りを飛び回るのである。カモメの餌はかっぱえびせんで、遊覧船乗り場や遊覧船の中には無人のかっぱえびせん売り場がある。ここのカモメは運動神経が発達していて、私たち人間がカモメに向かってかっぱえびせんを放り投げると、嘴(くちばし)で素早くキャッチしてくれるのである。

 私たちが遊覧船乗り場に着いたのは、十五時くらいだっただろうか。ちょうど遊覧船が出航する時間だったので、私たちは次の遊覧船に乗船すべく、先に出航した遊覧船を見送った。出航した遊覧船の周りには、餌を求めてたくさんのカモメたちがついて回っていた。私たちは遊覧船の乗船券を購入し、遊覧船乗り場の周辺にいるカモメたちとコミュニケーションを取った。カモメたちも、人間たちがいると餌をもえらると期待するのだろう。用意周到なガンモは、自宅近くのスーパーでかっぱえびせんの大袋を購入して持参していた。というのも、遊覧船乗り場などで売られているかっぱえびせんは、二袋とは言え、子供会のおやつみたいに量が少ないからだ。

 「Gu-Guガンモ」からハンドルネームを拝借したガンモは、鳥を見ると反応する。ガンモは、持参したかっぱえびせんをゴソゴソと開けて、自分の近くにいるカモメに与えた。すると、
「俺にもかっぱえびせんをくれー。かっぱえびせんは、やめられない、止まらないんだ」
とでも言うかのように、一度に何羽ものカモメがガンモの近くまでやって来た。

 カモメに求められたガンモは、カモメのリクエストに次々に応えた。私もガンモからかっぱえびせんをもらい、カモメに与えてみた。餌をねだって飛んで来るカモメに向けてかっぱえびせんを放り投げると、運動神経のいいカモメは、かっぱえびせんが地べたに落ちる前に嘴でキャッチしてくれる。それが面白くて、何度も何度もかっぱえびせんをカモメの嘴目掛けて放り投げる。

 その様子を見ていた他の利用客も、かっぱえびせんをカモメに与え始めた。中には、いくつものかっぱえびせんを空中に向かって放り投げる人もいたが、かっぱえびせんがすぐに地べたに落ちてしまい、あまり美しい光景とは言えなかった。「誰でもいいから欲しいヤツは拾え」といった発想ではなく、「君にあげるからキャッチしなさい。ほら、行くよ」とテレパシーを送りながらかっぱえびせんを放り投げるほうがうまく行く。私は、両者の違いを身を持って実感していた。

 中には、かっぱえびせんを一つだけ指に挟んだ手を差し出す人もいた。すると、すかさずカモメが寄って来て、人間の手からかっぱえびせんを食べていた。そこにも、人間とカモメの一対一の交流があった。人間には、「このカモメ」と決めたカモメが自分の手から餌を食べてくれるのがうれしいし、カモメもまた餌をもらえてうれしい。ここではそんな持ちつ持たれつの関係が成り立っているのだった。

 そんなことを繰り返しているうちに、先に出航した遊覧船が乗り場に戻って来た。遊覧船に乗っていた利用客がすべて下船し終わると、私たちは乗船券を用意し、いよいよ遊覧船に乗り込んだ。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、伊根湾めぐり(前編)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m およそ五年半振りにカモメたちとの再会を果たしたわけですが、カモメたちは今でも変わりなく、人間たちの与えるかっぱえびせんを食べ続けていました。かっぱえびせんは、油を含んだスナック菓子ですから、それなりにカロリーもあり、栄養も偏ってはいると思うのですが、カモメたちはそんなことおかまいなしに食欲旺盛なので、成人病になりはしないかと心配ですね。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.03.25

映画『インビクタス/負けざる者たち』

「ジェネリックはありません」の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。最近のI医師の診察では、もともとの子宮筋腫よりも、擬似更年期障害の症状に関して相談に乗っていただいているという感じですね。膝(ひざ)の痛みについては、そろそろ本格化して来たので、近いうちに整形外科を訪れてみたいと思います。でも、それまでの間に、できる限り自分でできることを実践してみますね。

 少し前に、映画『マンデラの名もなき看守』を、今はなきホットヨガ神戸店の隣にあったお気に入りの映画館で鑑賞した。その映画館も、今はもうヘ閉館してしまったのだが、思えば映画『マンデラの名もなき看守』は、その映画館で鑑賞した作品の中で最も見応えのある作品だったかもしれない。

 映画『マンデラの名もなき看守』が、のちに南アフリカ共和国の大統領に就任したネルソン・マンデラの二十七年間にも及ぶ獄中生活を扱った作品ならば、本作は、ネルソン・マンデラが南アフリカ共和国の大統領に就任したあとの話と言える。すなわち、映画『マンデラの名もなき看守』を鑑賞したあとに本作を鑑賞すれば、あたかも続編の作品を鑑賞するかのごとく、ネルソン・マンデラの話を繋げて行くことができるのである。

 アパルトヘイトによる人種差別で、黒人と白人がなかなか一つにはなりにくい南アフリカ共和国を、黒人初の大統領に就任したネルソン・マンデラは、ラグビーチームを通して一つにまとめようとする。マンデラの驚くべき選択は、黒人だけのラグビーチームを新たに結成しなおして、まずは自分と同じ黒人からの絶対的な支持を仰ごうとするのではなく、黒人たちから反感を買いながらも、これまで存在していた白人中心のラグビーチームを南アフリカ共和国の代表チームとして存続させたことだった。すなわち、これまで黒人たちを痛めつけていた白人を、南アフリカ共和国代表のラグビーチームの選手として認めたのである。

 アパルトヘイトの名残から、大統領を警護する人たちでさえ、黒人と白人のスタッフが共存することに緊張感が走る状態だったというのに、アパルトヘイト時代から存在していたラグビーチームであるとはいえ、国の代表としてのラグビーチームをほとんど白人で構成させるなど、実に大胆な発想である。最初は、ほとんど白人だけでチームが構成されることに反対していたり、ぎこちなかった二つの肌の色の国民たちも、やがて肌の色に関係なく、白人中心のラグビーチームを受け入れ、応援するようになる。そして、最後には・・・・・・。

 映画『グラン・トリノ』でぐちゃぐちゃに泣かされて間もないというのに、またしてもクリント・イーストウッド監督の仕掛けた罠にはまってしまった。クリント・イーストウッド監督は、人間的な成長を意識させてくれるような作品ばかりを世の中に送り出しているように思う。きっと、クリント・イーストウッド監督の中では、映画を通して世の中に伝えたいものがはっきりしているのだろう。右から左に流れて行ってしまうような作品とは違い、鑑賞する私たちの中に、必ず何か温かいものを落として行ってくれるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作の中で私が注目していたのは、マンデラ役を演じていたモーガン・フリーマンの使っていた英語です。彼は、普段、アメリカ映画に出演されているときとは明らかに異なる英語を話していました。あれが南アフリカ共和国で話されている英語なのかどうかはわかりませんが、意識して普段の英語とは異なるを使っていることからも、本作に対し、モーガン・フリーマンが真剣に取り組んでいたであろうことがうかがえます。

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2010.03.24

「ジェネリックはありません」

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(14)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。懇親会の席で年齢の話になり、私の実年齢を明かしたところ、多くの方たちに驚かれてしまいました。どうやら、実際の年齢よりもかなり若く見えていたようです。(笑)うれしいことに、「肌がきれい」とまで言ってくださった方がいらっしゃったのですが、実は、私はほとんどすっぴんで生活しています。眉毛とアイシャドーをちょこっと描く程度ですね。化粧水も乳液も使っていません。お風呂上りにも何も塗りませんし、洗顔にもボディーソープを使用しています。(笑)もしもそんな生活が私の肌を作っているのだとすると、女性の肌は、化学物質のたくさん入った化粧品でケアされることを望んではいないのかもしれませんね。

 二ヶ月に一度のI医師の診察の日がやって来た。前回の診察のときに、処方していただく漢方薬を八味地黄丸(はちみじおうがん)から牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)に変えていただいたので、新しい薬に変えてからはどのような感じかとI医師に尋ねられた。私は、一時は顔のほてりが強かったが、最近は落ち着きつつあること、足の冷えも以前よりは少しマシになったことなどを伝えた。とは言え、仕事中に半袖のTシャツで過ごしていることには変わりがない。

 私の中には、かつて処方していただいていた桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)が恋しい気持ちがあり、桂枝茯苓丸に戻せないかと申し出るきっかけを探していた。ただ、八味地黄丸や牛車腎気丸に変えてからは、朝、膀胱がパンパンに脹らんで、目覚ましをセットした時間よりも早く目が覚めるということも少なくなって来たので、頻尿については改善されているようである。

 私は、一つ気になっていたことがあったので、I医師に尋ねてみた。それは、牛車腎気丸が、私のような頻尿にも排尿困難にも効くという点である。何故、相反する症状に効くのかと尋ねてみると、I医師は、頻尿と排尿困難は、相反する要素ではないとおっしゃった。私は、排尿困難というと、尿が出にくいことを意味しているのだと思い込んでいたのだが、どうもそうではないらしい。大きな意味で排尿がうまく行かないことをすべてひっくるめて排尿困難と表現しているらしいのだ。なるほど、そういうことなら理解できた。

 私が、何となく桂枝茯苓丸のことを懐かしがっていると、I医師は、私のように生殖器に問題がある場合は、やはり牛車腎気丸を服用し続けたほうがいいとおっしゃった。そのため、今回も二カ月分の牛車腎気丸を処方していただいた。

 最近、気になることとして、生理の周期が二十五日から二十七日に変化したことと、関節の痛みを感じるようになったことをI医師に伝えた。すると、関節のどのあたりが痛むのかとI医師が尋ねてくださったので、私は、一番痛むのは膝(ひざ)で、あとは腕の関節や手の親指の付け根などが痛むと答えた。私はI医師に、卵巣の働きが鈍っていることで女性ホルモンの分泌が減少し、骨密度が下がりつつあるのではないかと尋ねてみた。I医師は、
「それは有り得るでしょうね」
とおっしゃった。ただ、そのあたりは整形外科の領域なのだそうだ。あまりにも関節が痛むようなら、一度、整形外科を訪れたほうがいいのかもしれない。

 診察を終えて受付でお会計を済ませたものの、次回の二ヵ月後の予約を入れようとすると、五月からI医師の診察の曜日が変更になるとかで、予約を入れられなかった。I医師の診察が何曜日に変更になるのか、まだわからないそうだ。もともとI医師は、私の職場近くにある病院で診察されている医師なのだが、火曜日と土曜日に限って、私が通っている病院で診察してくださっているのである。私はこれまで、土曜日に診察していただけるのがとてもありがたかったので、今後、土曜日の診察がなくなってしまうとなると、仕事を休んでI医師の診察を受けなければならないだろうと思った。とは言え、仮にレディースデイに仕事を休めるのだとしたら、映画鑑賞とI医師の診察をセットにできるのに、などと楽しいことを考えていた。

 さて、I医師に二カ月分の薬を処方していただいていたのだが、思うところがあって、今回は病院の近くにある薬局は利用せずに、週明けの月曜日に、職場近くの薬局に足を運んでみた。初めて訪れた薬局だったので、簡単なアンケートに答えなければならなかったが、とても丁寧な薬剤師さんが対応してくださった。ありがたいことに、二カ月分の牛車腎気丸を一度で揃えてくださった。病院の近くにある薬局では、一度には揃わず、後日、残り分を引き取りにうかがうことが何度かあったので、こうして一度に揃えていただけるのはとても便利である。

 処方された漢方薬について、何かわからないことはないかと尋ねられたので、
「この薬のジェネリック製品はありますか?」
と尋ねてみた。ジェネリックとは、処方していただいた薬と同じ成分の薬で、最初にその薬を研究開発した製薬会社以外の他社が製品化した薬である。薬の研究開発費が掛からない分、ジェネリックのほうが薬の価格が安いと聞いたことがあるので、もし他の選択肢があるならば考慮してみようと思ったのだ。しかし、薬剤師さんには、
「保健調剤の漢方薬には、ジェネリックはありません」
と言われてしまった。仮に私が処方していただいた牛車腎気丸のジェネリックが存在していたとしても、私の判断で決められるものではなかったかもしれない。

 話の流れの中で、薬剤師さんは、
「I先生は、漢方薬にお詳しい先生ですしね」
とおっしゃった。おそらく、私の差し出した処方箋をご覧になってのことだと思うが、私は、薬剤師さんの口からI医師の名前が出たことに驚いた。何故なら、私がI医師の診察を受けている病院は、その薬局から一時間ほど掛かる場所にあったからだ。何故、薬剤師さんがI医師のことを良くご存知なのだろうと不思議に思ったのだが、はたと思い出した。I医師は、私の職場近くの病院でメインに診察されていたのだった。なるほど、それで薬剤師さんもI医師のことを良くご存知だったのだ。これまでI医師に診ていただいている病院の近くで処方箋を受け取ったとしても、I医師のことが話題に上ることはなかったのに、不思議なものである。

 私は、その薬局がとても気に入ったので、これからも、対応の丁寧な職場近くのその薬局を利用することに決めた。私なりにその薬局が気に入ったことを示す証として、五十円払ってお薬手帳を購入して、その薬局をあとにした。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 近くに大きな病院があるので、品揃え(?)の豊富な薬局なのかもしれません。二カ月分の牛車腎気丸を一度に用意してくださるのは、とても気持ちがいいものでした。また、I医師のことを良くご存知の薬剤師さんから薬を受け取ることができるのも安心でした。それにしても、保健調剤の漢方薬にジェネリックが存在していないというのは、初耳でしたね。

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2010.03.23

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(14)

映画『忘れえぬ想い』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ロロの役を演じていたのは、香港では有名な日本人の子役さんなのだそうです。彼が日本人であることなど、まったく気が付きませんでした。(笑)きっと、香港での生活にすっかり馴染んでいるのでしょうね。さて、今回はいよいよ、夢のコラボセミナーの懇親会の完結編を書かせていただくことにします。

 懇親会の席で、それぞれが手持ちの紙に樹の絵を描く時間が設けられた。もともとこれは、夢のコラボセミナーの本編で古久澤先生によって解説されるはずのものだったが、時間がなくなり、懇親会に持ち越されたのだ。ほとんどの方たちが筆記用具を持参していたので、手持ちの紙に自分の思うままの樹の絵を描くことができたようだ。もしも今、この記事を読んでくださっている方たちの中で、ご自身でも絵を描いてみたいと思われる方は、ここでいったん記事を読むのを止めて、白い紙にご自分の思うままの樹の絵を描いてみて欲しい。

 樹の絵を描き終わると、参加者たちの描いた絵が一箇所に集められた。古久澤先生は、それらの絵を一枚一枚ご覧になりながら、絵から読み取れることを解説してくださった。

 まず、樹の根っこを描かなかった人は、地に足が付いていないそうだ。幹は背骨や生命力を表し、樹に色を付けた場合は、それが肌の色に相当するという。また、樹に皺(しわ)を描いた人は、自分自身の皺を表しているらしい。

 葉っぱは、人生で自信に繋がっていることを示しているという。そして、例えばりんごなど、葉っぱ以外のものを描いた人は、人生の結果が現れているという、すこぶる良い描写なのだそうだ。

 樹が一本しかない場合は、助けてくれる仲間がいないそうだ。樹に根っこが描けている場合は、現在、金銭的に恵まれているという。全体的に黒い絵を描いた人は、悪いことをしてお金儲けをしているらしい。

 古久澤先生曰く、お金は「お支払い」→「おはらい」になっているそうで、お札(さつ)はお札(ふだ)なのだそうだ。つまり、それだけありがたいものという意味だろうか。また、街角で配られているチラシを無視すると、金運が逃げて行くらしい。お金は回りものであり、それはすなわち思いやりなのだそうだ。また、絵の右側は未来を表し、左側は過去を表しているという。

 古久澤先生は、描いた樹の絵に対し、一週間以内に色鉛筆で色を塗るようにおっしゃったのだが、あろうことか、私は描いた絵をそのまま放置してしまっていたので、この記事を書くにあたり、慌てて色付けをした。ちなみに、私が描いた絵は、こちらにアップしておいた。古久澤先生の解説によると、私の描いた絵は地に足が付いていて、金運に恵まれ、りんごの実が人生の結果を表していることになる。しかし、樹が一本しか描かれていないことから、助けてくれる仲間には恵まれていないことになる。

 古久澤先生から描いた絵の解説がなされると、あちらこちらから喜びの声や驚きの声、残念そうな声が上がっていた。中には女性であっても、男性的な絵を描いた方もいらっしゃるようである。

 樹の絵の話で大いに盛り上がったあとも、懇親会に参加されている方たちと楽しいおしゃべりが弾んだ。私の周りに座っていらっしゃった方たちで、古久澤先生のメルマガを購読されている方たちの中には、まだ朝食を果物に切り替えることを躊躇されている方もいらっしゃった。私は既に切り替えが完了していたので、
「朝食を果物に切り替えると、お通じがすごく良くなりますよ。一日に二回は大量に出るようになります」
と断言した。

 そんな私も少し前までは、朝食を果物だけに切り替えることなど、到底できるはずがないと思っていた。しかし、実践してみると、それほど特別なことではないことがわかった。ただ、お昼のお弁当と一緒に朝食の果物(私の場合はバナナ)も一緒に職場に持参しているので、通勤時の荷物は更に多くなってしまっている。私の場合、自宅で朝食をとってから出勤するとなると、六時半頃までには食べ終わらなければならず、それではお腹が空いてしまうため、朝、出勤してからオフィスの机の上でもぐもぐ食べているのだ。

 実は、朝食に果物を食べたあと、味噌汁も飲んでいる。はっきり言って、果物を食べたあとにすする味噌汁はたまらない。古久澤先生は、午前中の味噌汁は身体に良いとおっしゃっているが、味噌汁と果物をセットにしても良いとはおっしゃっていないかもしれない。果物と味噌汁をセットにして朝食をとっているのは、私なりのアレンジである。

 古久澤先生の推奨されている半身浴についても、実践されている方とそうでない方に分かれた。実は、半身浴については、私はまだ実践していないほうのチームに属している。というのも、毎日の生活の中で、半身浴のための二十分を確保することがどうしてもできないからだ。特に平日は、帰宅してから就寝するまでの時間が短いため、ほとんど余裕がない。そのため、半身浴をずっと見送り続けて来たのだが、東京の古久澤先生の体操教室に通っていらっしゃる方は、さすがに実践されているそうで、やはり半身浴の大切さを力説していらっしゃった。

 今の時期、半身浴は寒いという声がどこかから上がると、
「でも、寒いのは最初の五分だけでしょ?」
とその方はおっしゃった。そう、確かにそうなのだ。しかし、一時的な寒さのために、その最初の五分間を我慢することができず、半身浴を実践していない方が多かったのだ。半身浴を実践されている方からすると、身体の温まり方が格別に違うそうだ。かくいう私も、半身浴を途中まで実践して、身体の温まり方が断然違うのを実感してもいる。しかし、毎日の生活があまりにも慌しく、半身浴のためのわずか二十分をどうしても確保することができないのは本当に情けないことである。

 翌日は、山志多さんのセミナーが大阪で開催されることになっていたようだ。私は、夢のコラボセミナーのみに参加させていただいたのだが、今回の夢のコラボセミナーと山志多さんの大阪セミナーをセットで申し込まれて参加される方が多かったようだ。

 懇親会がお開きになったとき、何となく二次会に向かいたがっている雰囲気を感じ取ったのだが、翌日も山志多さんのセミナーが大阪で開催されるということで、早めの解散となったのだった。懇親会に参加された方たちのおかげで、本当に心地良い時間を過ごすことができた。懇親会に参加された皆さん、本当にどうもありがとう。またどこかでお会いできることを夢見て・・・・・・。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m こうして、楽しかった懇親会はお開きになったわけですが、一体何が楽しかったのかを今になって回想してみると、やはり、お互いに興味を持っていることが似通っていたからだと思います。身体のこと、心のこと、魂のこと、そうした話題を躊躇することなく口に出せる心地良い空間でした。スピリチュアル系のパワーストーンを身に着けていらっしゃる方が多かったのも、お互いの共通点を見付けるきっかけになりました。また、皆さんにお会いしたいですね。

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2010.03.22

映画『忘れえぬ想い』

ホットヨガ(一七九回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m YouTubeでフラダンスを検索してみたり、ベリーダンスを検索してみたりしましたが、やはりどちらも骨盤をふんだんに使って運動していますね。特にベリーダンスに至っては、もう、「うひゃーっ!」という感じです。(笑)

 こちらもGyaO!で視聴した作品である。本作を鑑賞しようと思ったきっかけは、今年一月に出掛けた香港が舞台となっていたからだ。香港を訪れたときに、二階建ての大きな路線バスや路面電車のほかに、以下のようなミニバスが街を走っているのを目撃した。広東語がわからなかったため、滞在中に利用することはなかったのだが、香港の街を走るバスとして、そのこじんまりしたサイズがとても気になっていた。本作は、そんなミニバスの運転手たちの物語である。

香港の街を走っていたミニバス

 ミニバスの運転手であるマンが、ある日、交通事故で亡くなってしまう。マンの恋人だったシウワイは、マンを亡くした悲しみに暮れる暇もなく、マンの連れ子であるロロとの生活が降り掛かって来る。ロロを実の母親に引き取ってもらうという選択肢もあったのだが、敢えてそうしなかった。シウワイは、マンが亡くなったときに運転していたミニバスを活用して生活費を稼ごうと、思い切ってミニバスの運転手を始める。しかし、慣れないミニバスの運転手の仕事は、なかなか思うようには行かない。そんなシウワイを見るに見かねて、マンの仕事仲間であり、マンが交通事故に遭ったときの発見者でもあるファイが、わざわざ時間を割いてミニバスの運転手としてのコツを叩き込んでくれる。

 私は、本作を鑑賞して初めて、香港で見掛けたミニバスの運転手が、個人事業主のような存在であったことに気が付いた。ミニバスの運転手にとってのミニバスは、所属する会社の持ち物ではなく、個人事業主としての立派な営業資本だったのだ。そのため、ミニバスを維持して行くお金も自分で捻出しなければならない。本作の中では、何とかミニバスの運転手を始めようと決意したものの、ミニバスの修理費や維持費などでどんどんお金が消えて行くシウワイの苦悩が描かれている。

 また、ミニバスの運転手が効率的に利用客を拾う方法や、ミニバスの縄張り、更には協定や組合など、香港のミニバスの世界が実にリアルに描かれてもいる。観光目的で香港を訪れただけでは決して見えなかったミニバスの裏の世界が明るみになるのも面白い。

 ファイはシウワイに、ミニバスの運転手としてのノウハウを惜しみなく伝授しようとしただけでなく、金銭的な援助もためらわなかった。ファイはシウワイたちの住んでいるアパートに頻繁に出入りし、マンの連れ子であるロロとも次第に打ち解け合った。シウワイとファイの間には、愛が芽生えてもおかしくはない状況だった。

 シウワイとファイとロロの三人が一緒にいると、あたかも愛情で結ばれた家族であるかのように見える。しかし、シウワイとファイは夫婦ではないし、ロロは亡くなったマンの連れ子である。シウワイとファイの間には、明らかに愛情が芽生えていそうな雰囲気なのに、二人はなかなか決定的な愛の言葉を口にしようとはしない。単に意地を張っているだけなのか、それとも、決定的なことを口にして、今の関係が壊れてしまうのが怖かったのか、それはわからない。

 シウワイと親しくしていることで、仕事仲間から冷やかされがちなファイだったが、実は、そんなファイにも事情があり、最後にはそれが明るみになって行く。そうした上で、今後、シウワイとファイが男女として一緒に生きて行くかどうかが決まる。

 シウワイを演じているのは、常盤貴子さんにそっくりのシリア・チャンである。マンの恋人を演じているときは、恋する女性そのものだったはずなのに、愛するマンを亡くしてからは、ロロを育てるために急にきりりとして来る。シウワイからロロに注がれる感情は、果たして同情なのか愛情なのか。はたまた、ファイからシウワイに注がれる感情は、同情なのか愛情なのか。同情と愛情の境界線について、鑑賞する人たちに問い掛けて来る作品であると言える。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ファイを演じているのは、ラウ・チンワンという俳優さんですが、いかにも香港にいそうなタイプの男性です。(笑)力強さもあり、本作のファイ役としては適役だったと思います。それにしても、ミニバスの世界はこんなにも厳しかったんですね。確か、ミニバスの中では英語のアナウンスが流れないはずなので、主に地元の人たちに利用されているようなイメージがありました。もしもまた香港に足を運ぶことがあれば、勇気を振り絞って乗車してみたいものです。

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2010.03.21

ホットヨガ(一七九回目)

携帯電話を忘れた日の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 昔はなくても全然困らなかったのに、一度使い始めると携帯電話はあまりにも便利で、もう手放せなくなりますね。電車の中で本を読む人の数が減りつつある事情もわかるような気がします。

 前回のレッスンから二週間後の日曜日、またしても南森町店で六十分の骨盤コースのレッスンを受けた。前回のレッスンでは、代理のインストラクターが骨盤コースのレッスンを担当してくださったのだが、今回のレッスンでは、再びいつものインストラクターがレッスンを担当してくださった。

 参加者の数はいつもよりも多く、私を入れて十四名だった。中には、骨盤コースのレッスンを初めて受けられるという方もいらっしゃったので、インストラクターから、骨盤コースとはどのようなレッスンであるのかの説明がなされた。インストラクター曰く、骨盤は急には整って来ないが、骨盤コースのレッスンで矯正を行うことにより、徐々に整って来るそうだ。そして、骨盤が本来のバランスを取り戻すと、体型が一気に整ってスリムになったりするらしい。それを聞いた私は、今とは別人になった自分を想像して、何だかわくわくした。

 インストラクターから、骨盤運動に繋がるという意味で、フラダンスの話が少し出た。そう言えば、何年か前の夏休みにハワイに出掛けたときに、フラダンスを生で鑑賞したが、くねくねした腰の動きに赤面してしまうほど刺激的なものだった。フラダンスで骨盤運動を行って、骨盤が活性化されている人は、私のように子宮のトラブルなど抱えていないかもしれない。今の私の動きにくい骨盤では、フラダンスは絶対に無理だ。

 そう言えば、私と同じように、かつてはたくさんの子宮筋腫を抱えていた作家の横森理香さんが、ベリーダンスに夢中になった話を思い出した。私も横森さんに倣おうと、ベリーダンスのDVDを購入したりしているのだが、結局のところ、実践してはいない。横森さんはおそらく、ベリーダンスに夢中になることにより、骨盤がどんどん活性化され、筋腫がエネルギーを失って行ったのではないだろうか。

 いつものレッスンよりも若干、参加者が多かったためか、スタジオ内の温度はそれほど高くはなかったものの、湿度が七十七パーセントにまで上昇し、レッスン中に暑苦しさを感じてしまうほどだった。そのため、ただでさえきつくなりがちな後半のレッスンが、私にはいつも以上にきつく感じられ、とうとうすきのポーズに入る前にスタジオを退出させていただくことになってしまった。すると、何と、私のあとから五名ほどの参加者が次々に退出されたらしく、早めに退出したのでのんびりとシャワーを浴びようとしたところ、何となく慌しい雰囲気になってしまった。やはり、他の参加者の方たちも、いつになくスタジオが暑いと感じられていたようだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m レッスンを受ける度に、骨盤を整えることの重要性をかみしめています。基盤になるものがしっかりしていないと、積み木と一緒で、その上に何を重ねても崩れ易いのでしょうね。私の身体の左側に感じる不具合が解消されて行くのは、いつのことでしょう。(苦笑)

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2010.03.20

携帯電話を忘れた日

映画『パラノーマル・アクティビティ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 夢のコラボセミナーでルースさんが、怪奇現象について解説されているときに、「『パチパチ』という音ならまだいいが、『ドン!』という音は要注意」というようなことをおっしゃったことを思い出しました。本作では、「パチパチ」ではなく、「ドン!」という音が繰り返し表現されています。何となくですが、「パチパチ」は、「遊んで」とか「かまって」というレベルものもなんでしょうね。それに対し、「ドン!」は怒りであるように見受けられました。

 先日、ガンモに徹夜の仕事が入った。ガンモは昼間のうちにたっぷり睡眠を取っておいて、夜中にカングーで出掛けて行った。翌日のお昼過ぎには帰宅できると言う。一方、私も翌朝、いつものように仕事に出掛けて行った。ガンモがまだ帰宅する前に家を出たので、ガンモに会えるのは、私が仕事を終えて帰宅した夜ということになる。

 ところで、私は通勤途中のJR線の中では、たいていいつも携帯電話をいじっている。JR線の次に利用する神戸市営地下鉄の中では、乗車時間もそれなりに長い上に座席も確保できるため、ノートパソコンを開くのだが、JR線は乗車時間が比較的短い上に座席も確保できないため、携帯電話がお手頃ツールなのである。

 ところが、その日、いつものように首からぶら下げているはずの携帯電話に手をやると、当たるものがない。あれれ? 一体どうしたのだろう? もしかすると、首からぶら下げていたストラップが切れてしまい、携帯電話をどこかに落としてしまったのだろうか。私は青ざめながらも、出掛ける前の出来事を冷静に回想した。確かに私は、出掛ける前に、携帯電話を玄関に置いたはずだ。そのとき、メールの着信を知らせるランプが光っていたのを覚えている。もしも、出掛ける前に携帯電話を首からぶら下げたならば、携帯電話を操作して、届いたメールを確認しようとしたはずだ。しかし、そうではなかったということは、私は携帯電話を自宅の玄関に置いたまま家を出て来てしまったのだ。

 さて、困った。徹夜明けのガンモが無事に帰宅したかどうかを知るためにも、携帯電話は必要だった。しかし、その携帯電話は今、私の手元にはない。そこで私は、ひとまず携帯電話を自宅に忘れて来てしまったことを知らせるために、ガンモにメールを送ることにした。三ノ宮から神戸市営地下鉄に乗り換え、座席を確保すると、いつものようにノートパソコンを開き、ガンモにメールを書こうとした。しかし、パソコンからガンモの携帯電話にメールを送信することがこれまでほとんどなかったので、ガンモの携帯電話のメールアドレスをパソコンのアドレス帳に登録していなかった。それでも私は、記憶を頼りに、何とかガンモにメールを送信した。メールの不達エラーは出ていなかったので、おそらくメールは正常に配信されたものと思われる。

 そして、午前中の仕事をこなし、お昼休みに職場の公衆電話からガンモの携帯電話に電話を掛けてみた。しかし、呼び出し音は鳴るものの、電話は繋がらなかった。ガンモは無事に仕事を終えたのだろうか。それとも、まだ仕事が片付かないために電話に出られない状態にあるのだろうか。そんなことを思いながら、ガンモと連絡が取れないことに悶々としていた。

 携帯電話が手元にあれば、例え仕事中であったとしても、ほんの少しの間、席を外してガンモに素早く電話を掛けることができるのだが、公衆電話となると、わざわざ一階まで降りて行かなければならないので、とても不便である。また、オフィスでは私物のノートパソコンの使用は禁じられていたので、昼休みを利用して、一度書き上げた「ガンまる日記」の記事を推敲するのも、パソコンのメールアドレス宛に届いたメールを確認するのも、すべて携帯電話から操作していた。しかし、その携帯電話が私の手元にはないのだから、ガンモからメールの返事が届いているかどうかもわからない。とにかく、何から何まで不便で仕方がなかった。

 ようやくその日の仕事が終わり、帰宅できる時間になった。いつもならば、職場の最寄駅に向かうまでの間にガンモに電話を掛けて話をするのだが、それもできない。とは言え、徹夜明けのガンモは、おそらく睡眠を取っているはずなので、例え携帯電話が手元にあったとしても、この日は電話を掛けるのを差し控えたことだろう。

 ノートパソコンを開いてメールを受信してみても、ガンモからのメールは届いていなかった。果たしてガンモは、無事に仕事を終えて帰宅しているのだろうか。携帯電話が手元にないと、知りたい情報がなかなか手に入らない。携帯電話が手元にないというのは、これほどまで不便なことなのかと改めて思い知らされたのだった。

 私は帰宅するや、すぐにマンションの駐車場に出向き、カングーの存在を確認した。カングーは、いつものようにそこにあった。ガンモは仕事を終えて無事に帰宅しているのだ。私は踊る心でエレベータに乗り、喜び勇んで我が家に辿り着いた。そして、玄関に置いてあった携帯電話を発見した。どこかに携帯電話を落としたのではなかったことが確認できて、ほっと胸を撫で下ろした。携帯電話を確認してみると、スパムメールが何通も届いていた。ブロックしなければ今後もしつこく配信され続けるので、私は慌ててそのドメインからのメールをブロックした。

 ガンモは寝室で寝ているはずだが、寝室からは灯りが漏れていた。足音を忍ばせながら寝室に入ってみると、ガンモが起きていた。私たちは、まるで何日も会えなかった恋人同士のように固く抱き合った。私はとにかく、ガンモが徹夜の仕事を終えて無事に帰宅していたことがうれしくてたまらなかったのだ。

 ガンモは、私からの電話がないので、きっと自分が寝ているために気遣って電話を掛けて来ないのだと思っていたようだ。私が、
「えっ? 携帯電話を忘れて行ったって、メールしてるでしょ?」
と言うと、ガンモは慌てて自分の携帯電話を確認し、
「メールが届いてるの、知らなかった」
と言う。どうやら私が送信したメールに気付かなかったようだ。ガンモ曰く、ガンモの携帯電話は、どういうわけか、メールが届いてもときどき着信音が鳴らないのだそうだ。
「それに、昼休みに職場の公衆電話からガンモの携帯に電話を掛けたけど、通じなかったよ」
と言うと、ガンモは着信履歴も確認し、
「お昼前には仕事が終わって帰宅してたから、その時間はもう、家で寝てた」
と言う。何ということだ。私が携帯電話を忘れてあれこれアプローチしたことは、どれもガンモには通じていなかったのだ。しかし、かえってそのおかげで、久し振りに再会した恋人同士のような感覚を味わうことができたのも事実である。

 これまで携帯電話が手元にあることがあまりにも当たり前過ぎて、そのありがたみを実感できてはいなかったが、携帯電話を忘れただけで、これほど不便で切ない思いをするとは思ってもみなかった。普段、当たり前のように持ち歩いている携帯電話は、いつの間にか、私たちの生活には欠かせないものになっていたのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いやはや、この日は本当に不便に感じました。私はガンモの携帯電話の番号もメールアドレスも何とか覚えていますが、中にはそれらの情報を携帯電話に記憶させているため、実際の番号やメールアドレスは覚えていないという方もいらっしゃるかと思います。そういう方にとっては、携帯電話が手元にないことは、不便なことこの上ないでしょうね。しかし、なかなか連絡が取り合えないと、思いがどんどん募りますね。長年連れ添ったご夫婦で、昔の恋人同士のように戻りたい方は、一度、携帯電話をご自宅に忘れてみてください。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.03.19

映画『パラノーマル・アクティビティ』

寝ヘナ、再びの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 髪の毛に染み込んだ天然ヘナは、洗い流しても落ちないのに、手や衣服に付いた天然ヘナは容易に洗い流せるのが不思議です。きっと、髪の毛を染めるという目的で天然ヘナを使用するのは、自然の法則に適(かな)っているのでしょうね。

(DVDで鑑賞したわけではないのだが、画像だけ拝借)

 約百三十五万円の制作費で製作され、わずか十二館においてレイトショー限定で上映が始まった本作は、口コミでどんどん広がり、やがて全米一位を獲得するほどの話題作となった。私は普段、ホラー映画は鑑賞しないのだが、全米でこれほど話題を呼んだ作品ならば、鑑賞する価値がありそうだと思い、二月十二日に鑑賞した。

 一見して、フィルムを回しながら撮影したというよりも、ホームビデオで撮影した作品という雰囲気が伝わって来る。それもそのはずで、男女のカップルが住んでいる一軒家で次々に超常現象が起こり、その解明のためにビデオカメラを回し続けるという設定なのだ。そのため、どこか素人っぽさが残る作品ではあるのだが、ドキュメンタリータッチで仕上がってはいるものの、ストーリー性があり、次に何が起こるのかという期待と不安でいっぱいになる。

 ただ、ホラー映画を観るときの鉄則かもしれないが、「何か恐ろしいことが起こるはずだ」と最初から決め付けて鑑賞してはいけない。そういう気持ちでホラー映画を鑑賞し始めると、映画を鑑賞しながら得られる怖さのレベルよりも、自分の中で定めた怖さのレベルのほうが勝っていた場合、がっかりすることになる。実は、私自身が本作に対し、過度の期待を抱いてしまったために、「あれれ?」という結果に終わってしまった。私にとって怖かったのは、最後の一シーンだけだった。

 しかし、こうしてドキュメンタリータッチに仕上げられると、映画と現実の区別がつかなくなってしまうのも事実である。映画だとわかっているのに、もしかすると、現実に起こった出来事なのではないかと錯覚したりもする。実際は、本作に登場する二人はオーディションで選ばれ、撮影に使われている一軒家は監督の家らしい。

 本作の中でとりわけ興味深かったのは、悪霊と悪魔は違うということだった。悪霊はあくまで人間の霊が悪さをするもので、霊媒師による働きかけで収まることがある。しかし、相手が悪魔の場合、霊媒師の力ではどうすることもできない。悪魔祓いの力が必要になって来るわけだ。

 考えてみると、日本には、西洋の悪魔に相当するものが存在していないように思える。すなわち、日本のホラー映画に登場するのは、ほとんどが悪霊であると言っても過言ではない。しいて言えば、妖怪がそれに相当するのかもしれないが、妖怪はどちらかと言うと、想像上の存在である。しかし、西洋には、かの有名な映画『エクソシスト』に代表されるように、悪魔祓いが存在するくらいだから、悪魔の存在に悩まされた人たちがいるのだろう。

 ちなみに、「パラノーマル・アクティビティ」とは「超常現象」のことらしい。日本においては、「超常現象」という表現よりも、「怪奇現象」という表現のほうが馴染みが深いようにも思える。同じ地球で起こっている出来事なのに、国や思想が違うだけで、悪魔が存在したりしなかったりするのはとても興味深い。悪魔も、活動し易い環境を選んでいるということなのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最初から低予算で映画を作って大当たりを狙おうとしたわけではなく、結果としてそうなったのだと思いますが、それにしても公開六週目にして一億ドルの興行収入を突破したというのですから、凄いことです。ただ、有名になればなるほど、映画に対する期待感も育まれて行くので、まだ有名にならないうちに鑑賞された方たちと、有名になってから鑑賞された方たちでは、きっと感じ方が違うのでしょうね。映画を通して、自らの目で意外性を感じることはとても大切なことであるように思いますが、情報社会の現代においては、なかなか難しいことかもしれません。

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2010.03.18

寝ヘナ、再び

自転車のあなたに、職務質問します!の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。夜、携帯電話に付属のカメラを使って撮影したため、掲載した写真の写りがあまり良くなくて申し訳ありません。ところで、こんなゲームを思い付きました。自転車で帰宅途中に、警察官から職務質問を受けずに無事に帰宅することができたらポイントアップ。仮に警察官から職務質問を受けたとしても、防犯登録の番号を尋ねられなかったらポイントアップ。こんなゲームはいかがでしょうか。誰か商品化しませんか?(笑)

 もう三ヶ月以上も天然ヘナを使用していなかったので、私の髪の毛はすっかり白くなっていた。そろそろ天然ヘナを使用したいが、その前に髪の毛を切っておきたかった。しかし、平日も週末も予定がびっしりで、美容院に足を運ぶ時間がない。そんな状況がしばらく続き、天然ヘナで白髪染めをするのがずっと延ばし延ばしになっていた。

 三月に入ったある週末のことである。ホットヨガのレッスンの帰りにようやく美容院に行く時間を確保することができた。これまた何ヶ月かぶりに髪の毛をカットしてもらい、すっきりした。美容院から帰宅した私は、すぐに天然ヘナをお湯で溶いて、白髪染めの準備を整えた。できればナチュラルオレンジを使用したかったのだが、前回の白髪染めで使用したナチュラルブラウンがまだ残っていたので、それをそのまま溶かし込み、しばらく寝かしておいた。いつもならば、天然ヘナを紅茶で溶くのだが、今回はベーシックに何も溶かさずにお湯だけで溶いた。

 天然ヘナを寝かせてから一時間以上経過すると、いよいよ泥遊びの時間がやって来た。いつものようにビニール手袋を着けて泥遊びを始めようと思ったものの、ビニール手袋が見当たらなかったので、バターナイフに天然ヘナを付けて、素手のままベタベタと塗り込んで行った。溶かした天然ヘナをすべて頭に塗り込むと、日本てぬぐいで素早く頭を覆い、その上にタオル地のターバンを巻いて、更にその上からビニール製のシャワーキャップを着けた。これで数時間、放置すれば出来上がりである。

 しかし、天然ヘナを塗り込んだ時点で既に二十一時半を回っていた。翌日は仕事だったので、五時起きである。となると、天然ヘナを早めに洗い流さなければ、また寝不足になってしまう。とは言え、せっかく久し振りに塗り込んだ天然ヘナなので、できればしっかりと染めておきたかった。しかも、日頃の寝不足のせいか、私はとても眠かった。

 私はとうとう睡魔に負け、天然ヘナを塗り込んだままベッドでうとうと眠り込んでしまった。〇時頃に、しびれを切らしたガンモが、
「お風呂が沸いたよ」
と声を掛けてくれたのだが、私はどうにもこうにも眠くてたまらず、
「ホットヨガのレッスンのあとにシャワーを浴びたから、今夜は寝ヘナする」
と宣言して、歯磨きと顔洗いだけを済ませて再びベッドに潜り込んだ。

 その翌朝、いつもよりも少し早めに目を覚ました私は、シャワーキャップとターバン、それから日本てぬぐいを順番に外し、洗面台で天然ヘナを洗い流した。寝ヘナをしたため、天然ヘナはゴワゴワに固まってはいたが、洗い流してみると、長時間、放置していたおかげでしっかりときれいに染まっていた。仕事の都合でいつもよりも早めに起きたガンモに、
「ほうら、きれいに染まったよ」
と見せると、
「おお、確かにきれいに染まってるなあ」
と感心していた。

 ただ、出勤前にシャワーで天然ヘナを洗い流してから仕事に出掛けて行ったので、その日は一日中、天然ヘナの匂いが私の頭から漂っていた。それにしても、こういうときに限って、仕事仲間がいつもよりも接近して来るものである。仕事仲間は、化学染料の匂いとは馴染みがあるかもしれないが、天然ヘナの匂いには慣れていないと思うので、ときどき私の頭から匂って来るこの畳のような匂いは何だろうと首をかしげているかもしれない。私は仕事仲間に対し、何だか申し訳ない気持ちを抱えながら、その日の仕事をこなしたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 久し振りに天然ヘナを使用し、今回もしっかりときれいに染まりました。そう言えば、一月に直径十二センチの彼女と会ったときに、私がダ○ソーヘナを使って白髪染めをしていると言うと、「何が入っているかわからないのに大丈夫ですか?」などと心配されてしまいました。私は、ダ○ソーの商品だからと言って、特に偏見は持っていなかったのですが、直系十二センチの彼女には、やはり天然ヘナを使用するなら、価格的にも安心できるしっかりとしたブランドの天然ヘナを使用したほうが良いのではと言われてしまいました。(苦笑)それでも私は、これからもダ○ソーの天然ヘナを使い続けて行くつもりです。(笑)

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2010.03.17

自転車のあなたに、職務質問します!

映画『食堂かたつむり』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本作にはブラザートムさんも出演されていました。もともとお笑い出身の彼ですが、味のある役者さんに成長されましたね。確か、音楽の分野でも活躍されていたように記憶しています。芸能界に入り、ご自身の才能をどんどん開花させた一人だと思います。

 帰宅途中に警察官から職務質問を受けたという話を、「念のため」という名目および「ランダムに」という名目の記事に書いた。私の住んでいる市では、職務質問が実に良く行われていると実感していたところ、自宅の最寄駅前にある交番の掲示板に、以下のような張り紙が掲載されていた。

自転車のあなたに、職務質問します!

 なるほど、自転車に乗っている人たちに対し、積極的に職務質問が行われていたのなら、短期間のうちに二回も職務質問を受けてもおかしくはなかったのだ。また、このようなポスターを作って、職務質問の存在を市民にアピールしておけば、職務質問をする警察官にも後ろめたさがない。

 さて、先日、ガンモが自転車に乗って帰宅途中に職務質問を受けたそうだ。やはり、パトカーから警察官が降りて来て、
「ライトが点いていなかったですよね?」
と話し掛けられたらしい。とは言え、ガンモの自転車は、私の自転車とは違って、ちゃんとライトが点く仕様になっている。しかし、最近流行りの電池式の明るいライトではなく、自転車の前輪に取り付けられた発電機から電気を取る昔ながらのライトなので、自転車が停止すると発電機からの供給が止まり、ライトは消えてしまう。ガンモは、
「自転車が止まるとライトは消えるのに、ライトが点いていないと言われた」
と怒っていた。

 その後、警察官は、何気なくガンモの自転車の防犯登録の状況を確認していたらしい。しかし、私がされたように、無線を使って、防犯登録の番号を実際に確認されたわけではなく、
「鍵はどこにあるのですか?」
と尋ねられだけだという。そのときに、ガンモの自転車の防犯登録をさりげなく確認されていたという。やはり、もともとあった鍵を壊して使用していたためか、それとも、私と同じように荷物が多かったからなのか、とにかくガンモは生まれて何回目かの職務質問を受けたのだった。

 ところで、現在、ガンモが乗っている自転車は、阪神大震災のときに電車が運行不可能となり、電車を利用しての通勤ができなくなってしまったために、やっとの思いで大阪まで出掛けて行き、購入した自転車である。自転車のメンテナンス好きのガンモが何度も何度も手を入れながら使い続けて来たものの、十五年も使用しているため、ガンモのメンテナンスが及ばないところもいくつかある。

 そんなことから、少し前に、カングー好きのガンモはルノー製の自転車をネットオークションで落札した。ガンモはいずれこの新しい自転車に切り替えたいと思っているようだが、ルノー製の自転車は、前籠を取り付けることが困難なため、なかなか切り替えに踏み切れないでいるようだ。また、通常、自転車屋さんで自転車を購入すると、自転車屋さんで防犯登録の手続きを行ってくださるのだが、ルノー製の自転車はネットオークションで購入したため、防犯登録がまだ完了していない。購入した自転車を近所の自転車屋さんに持って行けば、その自転車屋さんで購入した自転車でなくても防犯登録の手続きをしてくださるらしいのだが、ガンモはもともと、利益の少ないものに対して誰かに動いてもらうことがあまり好きではない。そのため、荷物が多くても近距離ではタクシーを利用しないくらいなのだ。

 そこでガンモは、今後、ネットオークションで落札したルノー製の自転車に切り替えるならば、警察官による職務質問に対応するために、落札したときに支払った払い込み証明書などを持ち歩く覚悟でいるそうだ。そうすることで、その自転車屋さんで購入していない自転車の防犯登録を、わずかの金額で請け負ってくれている自転車屋さんの負担を少しでも減らせると考えているようだ。そして、防犯登録を警察で行えるようにして欲しいと、警察に対して暗にアプローチしたいらしい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m このあたりが、ガンモの頑固なところなんですよね。(苦笑)それにしても、自転車に乗っている人たちに対し、ここまで積極的に職務質問を行う必要があるのでしょうか。何もしないよりはいいのかもしれませんが、中には、警察官に声を掛けられたというだけでも人生が変わってしまうような純真な若者もいるかもしれません。(苦笑)

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2010.03.16

映画『食堂かたつむり』

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(13)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。懇親会は、バイキング形式で飲み放題のコースでした。バイキング形式のお店だと、リラックス度が高まりますね。最初は自分の分だけ取り皿にお料理を盛って席に戻って来るのですが、宴もたけなわになって来ると、他の方たちの分まで取り皿に盛って席に戻るようになります。(笑)こういう変化を見届けることができるから、人と人のコミュニケーションは面白いですね。

 本作を鑑賞したのは、二月十日のことである。とてもユニークな作品だったので、「早くこの作品のレビューを書きたいなあ」と思いながら、その日が来るのを心待ちにしていた。それ以前に鑑賞した他の作品のレビューをほぼ順番に書き終わり、いよいよ本作のレビューに取り掛かりたいと思い、参考までに映画サイトに書き込まれた他の方たちのレビューを拝見してみたところ、多くの方たちが本作を楽しまれてはいるものの、かなり辛口のレビューも少なくないことがわかった。映画の世界では、少しでも変わったことをすると、すぐに賛否両論に分かれてしまうようだ。例えばCGの出来が粗悪だとか、あれこれ難癖をつけたがる人たちもいる。CGの完成度の高さを求めるよりも、映画全体から感じられる、主人公が大事に持っていた手書きの料理のレシピ本のような雰囲気を楽しむことはできなかったのだろうか。

 本作は料理に関する映画なので、普段から、主人公のようには時間を掛けて料理を作っていない私からすると、憧れの作品でもある。ただ、もしかするとその憧れとは、料理そのものに対する憧れではなく、料理にこれだけ多くの時間を費やせることへの憧れかもしれない。私の場合、日々の生活の中で新たなことを始めようとすると、何かを削らなければ、その時間を確保することができない。たいていの場合、睡眠時間を削ることになってしまう。

 それはさておき、主人公の倫子(りんこ)を演じているのは、女優業がすっかり板に付いている柴咲コウちゃんである。失恋の精神的なショックから、口がきけなくなってしまった倫子は、これまで疎遠だった母が一人で住んでいる実家に戻り、その納屋を改装して「食堂かたつむり」という名前の食堂を開くことになる。やがて、「食堂かたつむり」で食事をした人には幸せが訪れるというジンクスが広まり、倫子の食堂経営は成功に向かいつつあったのだが・・・・・・。

 倫子の料理へのこだわりについては、おそらく本作を鑑賞された多くの方たちが述べてくださっていることだろう。だから私は、本作を鑑賞して最も衝撃を受けた動物の肉を食べることについて述べておきたい。先日、レビューを書いたばかりの映画『オーシャンズ』では、弱肉強食に関するアプローチが物足りなかったと書いたが、私たち人間が動物の肉を食べるということについては、少し前に鑑賞した映画『ブタがいた教室』でも問い掛けが行われている。映画『ブタがいた教室』の場合、動物の肉を食べることが人間にとっていいことなのかどうかを、子供たちに議論させることで問題提起しようとしている。

 本作では、私たち人間が動物の肉を食べることに対し、迷いのない結論を導き出している。しかも、その内容は深い。まず、動物の肉を食材として利用する倫子は、食材としての動物の肉に対し、祈りを捧げる。すなわち、「命を『いただきます』」の儀式が確実に実践されているのだ。そこには、食材としての動物の肉に対する敬意が感じられる。更に本作の凄いところは、倫子の母がとても可愛がっていたブタを、いとも簡単に、
「食べようと思うの」
と言ってのけるところである。

 正直、この選択には面食らった。何故なら、映画『ブタがいた教室』とはまったく異なるアプローチ方法だったからだ。それまでの間に、倫子の母があたかもペットのようにブタを可愛がるシーンが何度も何度も映し出されている。倫子の母が、そのブタのことを本当に好きなのだということが、映画を鑑賞している人たちにもひしひしと伝わって来る。倫子の母は、それほどまで大事に飼っていたペットのブタを、自分の大切な日に食べると言い放つのだ。それなのに、どういうわけか、その流れに対し、抵抗を覚えない。何故なら、倫子の母には、そのブタに対するただならぬ愛情があったからだ。

 これと同じようなことが、実はもう一つ用意されている。それは、食堂かたつむりを営む倫子を影でずっと見守り続けていた白い鳩が、あるとき食堂かたつむりの店先で命尽きてしまうことだ。信じられないかもしれないが、倫子はいとも簡単にその鳩を料理するのだ。

 わかるだろうか。本作の中には、人間が動物の肉を食べるという行為に対し、一つの解決がもたらされている。それは、愛情を持って行動するとき、そこに善悪の判断は存在しないということだ。すなわち、愛情を持って行動するならば、ブタを食べようとも、ブタを生かそうとも、亡くなった鳩を食べようとも、亡くなった鳩を手厚く葬ろうとも、そこに善悪の判断は存在しないということである。おそらくだが、それが、私たちがいるこの二元的な世界を脱出するための鍵なのである。

 しかし、多くの場合、私たちは動物の肉を食べるときに、愛情を持って行動していないように思われる。動物の肉を料理する前の祈りや、食前の「いただきます」を心から実践していないことのほうが多い。本作は、私たちのそうした怠惰な食生活に対し、新たな気付きを与えてくれる作品であるように思えるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いやあ、参りました。倫子の母が、あれほど可愛がっていたブタを食べると言い放ったのですから。しかし、その裏には、ブタに対する尋常ではないほどの深い愛情がベースとしてあったのですね。こんなふうにあっけらかんと表現しながらも、実に深いところまで考えられた作品だと思いました。料理の内容だけでなく、食べるということについてじっくり考えさせられました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.03.15

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(13)

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(12)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 懇親会の楽しい雰囲気をまだまだお伝えし切れていなかったので、今回の記事でもう少し詳しく書かせていただきますね。

 ある方が夢のコラボセミナーに参加するためにポートライナーを利用されたとき、ポートライナーの中に携帯電話を置き忘れてしまったのだそうだ。その方は、携帯電話が手元にないままセミナーに参加されたようだが、懇親会の前に運良く見付かり、セミナーが終わったあと、セミナー会場の少し先のポートライナーの駅まで携帯電話を引き取りに行かれたのだそうだ。そのため、懇親会には遅れて参加された。

 懇親会の会場にその方が入って来られると、事情を知っていた何人かの方たちが安堵の息を漏らしていた。私は事情を良く知らなかったので、懇親会の会場に向かうまでの間に、その方のことを心配されている方たちが一体何を話しているのか、良くわかっていなかった。あとから事情を知り、ポートライナーの中に携帯電話を置き忘れた方は、きっとセミナー開催中も気が気ではなかったことだろうと思った。しかもその方は、他の県からわざわざ遠征されてセミナーに参加されている方だったのである。そのような状況の中、不慣れなポートライナーに乗り、セミナー会場よりも少し先の駅まで、見付かった携帯電話をわざわざ引き取りに行くのは、さぞ不安なことだっただろう。何はともあれ、その方の携帯電話が無事に見付かって良かった。それに加え、初めて出会った者同士であるにもかかわらず、その方のことをずっと心配されていた方たちがたくさんいらっしゃったことにも感動を覚えた。

 お酒が入って来ると、懇親会に参加されている方たちは、更に愉快で陽気な存在へと変身した。私のすぐ近くに座っていた方たちの中には、ヨガを習っているという人が私を含めて三人いた。三人のうち一人は、ホットではない普通のヨガを習っていらっしゃったようだった。確かにその方からは、ヨガを通してご自分の身体と向き合って来られた雰囲気が感じられた。

 もう一人の方に、
「ホットですか?」
と尋ねられたので、
「そう、ホットヨガです」
と答えると、何と、その方も、私が通っているのと同じ系列会社のホットヨガの会員だったという。

 しかし、ホットヨガのレッスンでは、会員同士の心の交流が実現できなかったため、レッスンに通うのを辞めてしまったのだそうだ。ホットヨガのレッスンで、会員同士の心の交流がないことは、私も常日頃から感じていることである。見方を変えれば、誰からも干渉されずにマイペースで参加し続けられるのだが、ホットヨガのレッスンを通して同志に出会いたいという目的がある人には向いていないように思う。

 その方は、東京で古久澤先生の体操教室に通われている方だったのだが、古久澤先生の体操教室に通うようになってから、体操教室の先輩たちが温かく迎えてくださったことで、とても心地の良い交流が実現できているのだそうだ。実際、見るからにその通りで、体操教室に通っていらっしゃる生徒さんたちはとても仲が良かった。しかも、仲が良いからと言って、内輪だけの仲良しグループとして固めてしまうのではなく、同時に外に向かっても意識が開かれていた。そのため、古久澤先生の体操教室に通っていなくても、疎外感を感じることなく楽しいおしゃべりをすることができたのである。

 懇親会は、二時間半ほど続いただろうか。途中、みんなでそれぞれ紙に樹の絵を描いて、古久澤先生の解釈に耳を傾けた。描いた樹の絵から、実にいろいろなことがわかるらしいのだ。これは、夢のコラボセミナー中に時間がなくなってしまい、「この続きは懇親会の会場で行いましょう」と約束されていたものである。それについては、また後日詳しく綴らせていただくことにしよう。

 懇親会が終わる頃には、心地良く会話を交わした人たちとの間で、携帯電話の赤外線通信機能を使って、お互いの携帯電話の番号やメールアドレスなど交換が行われていた。懇親会の会場内で飛び交っていた赤外線を視覚的に表すことができたなら、きっと面白い線が描かれていたことだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 懇親会の会場内には、ルースさんや山志多さんもいらっしゃったのですが、一度もお話させていただくことなく、懇親会がお開きになってしまいました。古久澤先生とは、少しお話をさせていただきました。また、テーブルが大きく二つに分かれていたのですが、私が座っていたのと反対側のテーブルにいらっしゃった方たちとも、ほとんどお話をすることができませんでした。今回は、比較的席の近い人たちとの話が盛り上がるような選択をしていたのかもしれません。

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2010.03.14

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(12)

映画『オーシャンズ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ネットを徘徊しても、皆さん、同じような感想を持たれているようですね。期待していた作品だっただけに、残念に感じられた方も多いようです。では、お待たせしました。夢のコラボセミナーの続きを書かせていただきますね。

 懇親会の会場となるお店に到着するまでの間に、今回の夢のコラボセミナーを企画してくださったみぃみさんと少しお話をさせていただいた。去年の十月におうかがいしたみぃみさんの波音サロンがとても素敵なところだったと感想を述べさせていただいた。みぃみさん曰く、波音サロンはご住居とは別になっているそうで、みぃみさんの生活の拠点となっているご住居は、私が住んでいる市の隣の市に構えていらっしゃるのだそうだ。ということは、みぃみさんは癒しの場所である波音サロンまで通っていらっしゃることになる。確か、波音サロンのあるマンションは分譲マンションだったはずなので、そのことも尋ねてみたところ、ご縁があって、運良く成立した物件だったのだそうだ。

 去年の十月にみぃみさんの波音サロンで行われた神戸セミナーで感じたのは、古久澤先生と参加者の皆さんの年齢が比較的近いということだった。そのため、まるで同世代の集まりのようで楽しかったと感想を述べさせていただいた。ちなみに、私は古久澤先生よりも一学年上である。みぃみさんは、私よりも少しお若いようだった。

 いよいよ懇親会の会場となるお店に到着し、階段を昇ってお店の中に入った。少し早めの到着となったためか、お店の方たちがパーティー会場の準備を整え終わるまで、少し待たせていただくことになった。パーティー会場の手前のエリアに荷物を置き、ジャケットを脱いで備え付けのハンガーに掛けた。古久澤先生は私の荷物をご覧になり、
「荷物が多いですねえ」
とおっしゃった。いつものことなので、私はのんびり構えていたのだが、今になって思えば、
「私は宇宙人なので、地球の環境に身体を合わせるためには、いろいろな道具が必要なんです」
と言い訳すれば良かったと思った。

 古久澤先生は、ホテルにはまだチェックインされていないようだった。去年の十月に行われた神戸セミナーのときも、ホテルにチェックインされたのは二十三時くらいだったそうだ。

 そんな話をしていると、参加者の女性が古久澤先生に、
「先生のお尻、ちっちゃーい」
とおっしゃった。確かに古久澤先生のお尻は、自由自在に小指だけを折り曲げるのストレッチを行えるだけあって、とてもキュートに締まっていた。「先生のお尻、ちっちゃーい」と言われた古久澤先生は、
「女性のお尻はどっしりしているほうがいい」
というようなことを、その場にいた女性たちのフォローのためにおっしゃっていた。

 そうこうしているうちに、パーティ会場の準備が整ったので、パーティー会場に入場できることになった。パーティ会場に入る前に懇親会費の五千円を支払って中に入ると、私は、幹事でもないのに、入口に近い下座の席を陣取った。参加者の方たちは次々にパーティー会場に入場され、私の座っている周辺にも次第に人が埋まって来た。そこで、誰からともなく、どこから参加しているのか、今回のコラボセミナーの講師のの方たちのうち、どの講師の方のメルマガを購読しているのか、などという話が始まった。私の周辺に座っていたほとんどの方が、古久澤先生と山志多さんの両方のメルマガを購読されていた。

 私の近くに座っていたのは、東京、神戸、香川、大阪などのエリアから参加された方たちである。私の隣に座っていたのは、東京の古久澤先生の体操教室に通っていらっしゃる生徒さんで、関東地方のある地域から参加された方である。ご自身はお酒を飲まないのに、本当にいろいろ気を利かせてくださって、飲み物や食べ物をせっせと手配してくださった。(Hさん、感謝!)

 その後、皆さんといろいろな話で盛り上がったからだろうか。お会いしてから既に一ヶ月以上経過しているというのに、この記事を書きながら、今でも皆さんのお顔がはっきりと頭に浮かんで来る。もしかすると、懇親会で、皆さんと魂の会話ができたのかもしれない。何故なら、懇親会の間中、ずっとずっと心地良かったからだ。だから、たった一度お会いしただけでも私の中にはっきりと皆さんのお顔が刻まれたのだと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今、こうして思い返してみても、本当に楽しい懇親会でした。人と人が新たに出会い、お互いに何者であるのかを示しながら距離を縮めて行こうとする状態は、とても心地がいいものですね。それは、自分が相手に対して開いていているのと同時に、相手もまた自分に対して開いてくれているからだと思います。

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2010.03.13

映画『オーシャンズ』

絵の具のような人間関係の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。二人で会ったとしても、三人で会ったとしても、色が固定化してしまうのではなく、次にまた会うと、色が変化して行くような関係がいいですね。人はいろいろな可能性を秘めているはずなので、それらの可能性を固定化してしまわずに、会う度に別の可能性をも引き出せる関係でありたいと思います。

 本作を鑑賞したのは、二月七日のことである。世界の海で暮らす海洋生物を撮影した作品ということで、壮大な自然を感じるために映画館に足を運んだのだが、映像はとても美しいものの、ストーリー性がなく、一体何が言いたい映画なのか良くわからないままに終わってしまった。途中で何度かコックリコックリと居眠りをしてしまったのは、それだけ引き込まれるものがなかったからかもしれない。

 前半は、弱肉強食などをテーマに描かれているようにも思う。しかし、後半は、日本人の捕鯨やフカヒレ取りに対する批判であるようにも見受けられる。まず、思ったのは、前半で描かれていた弱肉強食のテーマと、日本人の捕鯨やフカヒレ取りはどう違うのだろうかということだった。命を奪うということにおいては、小魚を食べることも、鯨を食べることも変わりはないはずだ。それなのに、次第に数が減って来た動物は保護したくなるのか、それらの命を必死で守ろうとする。絶滅の危機に瀕しない動物ならばどんどん食べても良くて、数が少なくなってしまった動物は徹底的な保護へと向かうのだ。命を同等に扱い、保護しようとしているのではないことに、どうしても違和感を覚えてしまう。

 もしも弱肉強食を扱うならば、どうしてもそれを食べなければ生き延びられないのか、それとも、他の何かで替わりが効くのかといった視点で論議できるようにも思う。

 フカヒレ取りに関しては、日本人らしき猟師がフカヒレだけを切断して、生きたまま再び海に戻すという残酷なシーンが流れる。フカヒレを切り取られた鋭い傷口から流れる血で海が赤く染まる。エンドロールの前に、それらの映像は実際の映像ではなく、合成されたものだという注意書きが入るのだが、あたかも日本人がそういうことをしているかのようで、何となく嫌な気持ちになる。インターネット上に挙げられているこのシーンの感想を拝見すると、日本でそのような行為が行われていることはこれまで聞いたことがないので、おそらく噂を映像化したのではないかというご意見があった。仮にそうだとしても、大自然が大胆に映し出されている映像の中に、人間が出て来ることだけでも違和感があるというのに、その上、映像があれほど残酷なものならば、同じ日本人として、後味の悪いものを感じずにはいられない。

 世界の美しい海の自然を映し出した作品であるはずなのに、本作の評価がそれほど高くないのは、やはり作り手の伝えたいものがなかなか伝わって来なかったことと、弱肉強食のテーマへの弱点、そして、日本人の捕鯨やフカヒレ取りに対する批判とも取れるシーンによる影響ではないかと思う。高性能のカメラで撮影に四年も費やしたというのに、本当にもったいない話である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 映像は美しいのに、心にずしんと響くものがない作品でした。私もかつては動物のお肉を食べられない時期がありましたが、これだけの映像で弱肉強食を謳うには、あまりにも矛盾があり過ぎますね。でも、宮沢りえちゃんのナレーションは良かったと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.03.12

絵の具のような人間関係

ホットヨガ(一七八回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 通常のレッスンとは違う骨盤コースのレッスンの代理ということで、代理のインストラクターはずいぶんプレッシャーを感じていらっしゃったかもしれませんね。慣れないレッスンにも臨機応変に対応してくださったことに感謝したいと思います。

 二月のある週のことである。月曜日の夜に仲の良い派遣仲間と二人で食事をして、同じ週の金曜日にの夜に彼女も含めたもう一人の派遣仲間と三人で食事をした。仲の良い派遣仲間とは、同じ週のうちに二回、一緒に食事をすることになったわけだが、面白いことに、二人だけで会うのと、他の派遣仲間を交えて三人で会うのとでは、話の内容がまったく異なっていた。

 以前から感じていたことではあるのだが、誰かと二人だけで会うと、三人以上で会って話をするよりも深い話ができるので、私は三人以上で集まるよりも、二人で会って話をするほうが好きだ。とは言え、中には三人以上で会うと話は弾むのに、二人だけになると何を話したらいいのかわからなくてお互いうつむいてしまうこともある。だから、人と人の相性は面白い。

 仲の良い派遣仲間と二人で会ったときに、直感の話になった。私が普段から、いろいろなことを直感で決めているのだと言うと、仲の良い派遣仲間は、自分には直感がないと言った。例えば私は、妊娠している女性のお腹の中に男の子の赤ちゃんがいる場合はだいたいわかる。以前も書いたが、同じ職場で働いていた別の派遣仲間や女性社員さんが妊娠されたときに、男の子の赤ちゃんがお腹の中にいることがわかったので、
「こんなこと言っていいかどうかわからないけど、男の子だよね?」
と確認したという話をすると、仲の良い派遣仲間は、
「どうしてそんなことがわかるの?」
と驚いていた。私は、
「そんなこと聞かれても、理屈では説明できないよ。きっと、男の子の魂を感じたからだと思う。わかるときははっきりと確信を持ってわかるし、わからないときはあいまいなので、わざわざ口にしないだけ」
と答えた。

 直感について、もう少し深く掘り下げてみると、どうやら私は、自分以外の何かから情報をキャッチしようと、常にアンテナを立てているようだ。私は仲の良い派遣仲間に、
「派遣の仕事で面接を受けるときも、その企業に行くまでの間に信号があったとして、青の信号が続くかとか、そんなところから情報をキャッチしてる。今の職場は、自宅から遠いのでお断りしようと思って面接したんだけど、駐車場に仲の良い人の誕生日のナンバーの車が止まってたので、ここで働こうと思ったんだよ。そして、そのまま八年も居ついてしまった」
と言った。

 そんな話やもろもろの話をして、月曜日の夜に仲の良い派遣仲間と盛り上がったあと、金曜日の夜に再び顔を合わせたわけだが、三人で会ったときに最も盛り上がったのは、スポーツクラブの話だった。私以外の二人はスポーツクラブに籍を置いていて、しばしば通っているという。驚いたことに、二人は別々のスポーツクラブに通っているにもかかわらず、そこで出会う人たちの特徴が共通しているのだった。

 スポーツクラブもホットヨガと同じで、通っている人たちがそれぞれ自分の世界を守りながら身体を鍛えているらしい。じっくりと鏡を見ながら、ひたすら自分の身体を創り上げることに専念している多少ナルシスト気味の男性会員や、身体に自信があるのか、露出度の高いウェアを着ている女性会員の話を聞いた。露出度の高いウェアとは、まさかり担いだ金太郎が着ているようなほとんど前掛けだけのウェアで、首の後ろに付いている紐がほどけてしまえば、周りが一斉に赤面してしまうほど大胆なウェアらしい。さすがにホットヨガのレッスンでは、そのような大胆なウェアを着ている人はいない。

 ふと感じたのは、やはり女性会員だけのホットヨガ(梅田店は例外)と違って、男女の会員が同じ部屋でトレーニングを行う環境というのは、女性は女性らしく振る舞おうとするし、男性は男性らしく振る舞おうとするのではないかということだった。そして、男性会員のみ、女性会員のみと敢えて分けないでいることで、それぞれの性の持つ特性が自然な形で活かされて行くように思えた。

 仲の良い派遣仲間は、劇場で映画を鑑賞する習慣はないそうだが、もう一人の派遣仲間は、最近、ストレスを感じることがあり、その解消のために、ホラー映画を何本も観ているのだそうだ。私はホラー映画はほとんど鑑賞しないが、彼女がホラー映画に求めようとしているものが何であるのかは、何となくわかるような気がした。私が映画をたくさん鑑賞するようになったのは、筋腫を抱えて自分の感情が鈍くなったと感じたため、映画の感動を通して自分自身の感情を引き出そうと思ったからだ。これまでは、ちょっとしたことでも感動して涙を流したりと、もっともっと多感だったはずなのに、筋腫を抱えてからは感情が鈍くなったばかりでなく、てきぱきと動けなくなってしまったり、地の底を這うような感覚も味わった。またかつてのような多感な自分に戻りたいと思い、積極的に映画館に足を運ぶようになったわけだが、彼女の場合も、ホラー映画という刺激を通して自分の感情を探しているのではないかと思えた。

 それにしても、もう一人の派遣仲間が加わっただけで、話の内容がガラリと変わったのは面白い。人は、それぞれが単色の絵の具のような存在だが、それぞれの絵の具が組み合わさることによって、いろいろな彩りを表現することが可能になるように思える。もしも、人と人の繋がりを色で表すことができたなら、交流する人によって自分がどのように変わることができるかを視覚的に確認することができて、楽しくなるかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 二人で会って話をすると、心の世界へと突入して話はどんどん深くなり、三人以上で会って話をすると、話はどんどん横に広がって行くようなイメージですね。ちなみに、自分を活かしてくれる色を持っている人は白の要素が強く、ストレスを感じてしまう人は、黒の要素が強いのでしょうか。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.03.11

ホットヨガ(一七八回目)

映画『ラブリーボーン』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m どうやら映画館だけでなく、映画のレビューをブログに綴っていらっしゃる方たちの中にも首をかしげていらっしゃる方が多いようですね。私にとってはとても引き込まれる作品だったのですが、そう思えるのは、普段から魂の世界に興味があるからかもしれません。さて、夢のコラボセミナーの話に戻る前に、もう少しだけリアルタイムの話にお付き合いくださいませ。リアルタイムと言っても、二週間近く前の出来事になりますが・・・・・・。(苦笑)

 またしても南森町店で骨盤コースのレッスンを受けた。いつものようにスタジオに入ってみると、レッスン開始時間ギリギリだったというのに、スタジオ内にはインストラクターの姿が見当たらなかった。一体どうしたのだろうと思いながらスタジオで待機していると、レッスン開始時間をほんの少し過ぎて、いつものインストラクターではない細くて背の高いインストラクターがスタジオに入って来られた。初めてお目にかかるそのインストラクターは、私を入れて九名の参加者の前でレッスン開始のごあいさつをされたときに、「代理でレッスンを担当させていただきます」とおっしゃったように思う。どうやら、いつも骨盤コースのレッスンを担当してくださっているインストラクターが、何らかの事情により、レッスンをお休みされたようである。

 とは言え、骨盤コースのレッスンは、通常のレッスンとは異なっているため、代理のインストラクターによるレッスンで大丈夫なのだろうかと不安にもなった。代理のインストラクターは、ものすごいスピードでウォーミングアップのストレッチを始めた。いつもならば、ウォーミングアップのストレッチのときに足の裏を叩いたり、足の指を大きく広げたりするのだが、そうしたストレッチもなく、あっという間にウォーミングアップのストレッチが終了した。代理のインストラクターといつものインストラクターを比較してはいけないと思うのだが、いつもならばここでああするのになどと、頭の中でいつものレッスンで行っているウォーミングアップのストレッチをあれこれ思い巡らせていた。思えば、いつも骨盤コースのレッスンを担当してくださっているインストラクターは、骨盤に対する理解がとても深かった。だから、骨盤のベースとなる足をとても大切にされていて、じっくりと足を労わるストレッチを行っていたのだろう。

 ウォーミングアップのストレッチが終わると、いきなり猫のポーズに入った。いつものレッスンならば、猫のポーズは後半の最も息切れする頃に行われているポーズである。猫のポーズが終わると、そこから更に猫のポーズを利用したバランスのポーズに入った。片方の手を前に突き出し、突き出している手とは反対側の足を蹴り上げるこのポーズはかなりきついポーズなので、いつものレッスンではお休みさせていただいている。今回、改めて思ったのだが、まだ体力に余裕のある段階に行うとしても、やはりきついポーズだった。

 代理のインストラクターは、ウォーミングアップのストレッチと同様、恐ろしく速いスピードでレッスンを進めて行った。まるで、レッスン中に少しも立ち止まってなどいられないといった様子だった。何故、こんなにもペースが速いのだろう。私は、レッスンについて行くだけでも息切れしてしまいそうだった。もしかすると、代理のインストラクターということで、私たち参加者に不安を与えることのないように、ほんの少しの時間の隙間も作らないように努力されていたのかもしれない。それでも、代理のインストラクターが導いてくださるレッスンは、いつものレッスンとは若干違うポーズを取られるので、目新しくもあった。

 いつもの骨盤コースのレッスンでは、一回目の休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)に入るのが、レッスン開始後四十分後くらいである。しかし、代理のインストラクターのレッスンでは、レッスン開始からきっかり三十分後に休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)に入った。そのためか、いつもは十分ほどオーバーして終わるレッスンも、代理のインストラクターによるレッスンでは、ほとんど時間通りに終わった。

 そのおかげで、レッスン後にいつも利用しているお気に入りの食堂に入って時計を見てみると、一体どこで繰り上がったのか、いつもよりも三十分ほど早い時間だった。何だか得をしたような、損をしたような妙な気分だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 代理のインストラクターによるレッスンは、猛スピードで幕をとじました。代理のインストラクターにつられて高速で移動することにより、三十分も時間が繰り上がっていたのは驚きでしたが、いつも骨盤コースのレッスンを担当してくださっているインストラクターは、本当に骨盤のことを考えながら、一つ一つ丁寧にレッスンを行ってくださっているのだと、改めて実感してしまいました。

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2010.03.10

映画『ラブリーボーン』

豆炭あんか物語の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 湯たんぽを購入したことから、子供の頃に使っていた暖房器具にまで話が及んだわけでありますが、どうやら豆炭はキャンプなど、屋外で過ごすときに使用されているようですね。ということは、キャンプ用品を扱うお店で売られていたりするのでしょうか。豆炭あんかは、楽天市場でも販売されていましたので、興味のある方は検索してみてください。

 二月五日に、これまで鑑賞したこともないような映画を鑑賞した。殺人事件を扱う作品だというのに、サスペンス映画でもアクション映画でもない。とても美しい死後の世界が描かれた不思議な映画である。

 十四歳のときに、近所の男性によって殺されてしまった主人公の少女スージー・サーモンを、映画『つぐない』で多感な妹役を演じていたシアーシャ・ローナンが演じている。ようやく恋が叶いそうになったときに殺されてしまった彼女には、まだまだやりたいことがたくさんあったはずだ。だから、亡くなったあとも、彼女の肉体は人間界には存在しないが、意識だけは漂う。あちらの世界から、肉体を持った人間たちに向かって一生懸命語りかけるのだが、人間たちが彼女の存在になかなか気付かないところが悲しくもある。それでも彼女は、自分を喪った悲しみを抱えながら一生懸命生きようとする家族をあちらの世界から見守り続ける。

 本作は、そんな彼女が最終的に天国で自らの幸せを見出す結末となっている。どのような幸せであるのかは、タイトルの「ラブリーボーン」に深く関わって来る。ちなみに、ボーンとは骨のことである。原題ではbonesと複数形になっているのだが、邦題ではどういうわけか複数形にはなっていない。私には、彼女が救われた背景として、原題通りbonesと複数形で表現することが大切であるように思える。

 殺人事件をこのような形で取り上げるのは、賛否両論あるかもしれない。殺人犯の過去の殺人経歴も次々に明らかになって行くことから、中には、殺人犯を次第に追い詰めて行く展開を望む人もいるはずだ。しかし、本作はそうではない。殺人犯を追い詰めて逮捕することを目的とした作品ではないのだ。

 被害者にとっても、遺族にとっても、また、鑑賞する人たちにとっても、被害者の遺体が発見されることは大きな望みであるはずだ。だから、スージーの遺体の入った「入れ物」が今にも永遠に葬り去られようとしているとき、「ちょっと待った!」と言いたくもなる。しかし、そんな願いも空しく、スージーの遺体の入った「入れ物」は永遠に葬り去られる。せめて、スージーの遺体を遺族の元に返して欲しいという願いが達成されなかっただけに、私には、そのシーンがかえって印象深く刻み込まれている。

 もしかすると本作は、スージーの遺族と同じような立場の人たちに一筋の光をもたらす作品となるかもしれない。もしも殺人事件で殺された被害者たちが、スージーが行き着いたような場所へと到達することができるのだとしたら、遺族にとっては少しの救いになるように思えるからだ。殺人事件をこのように表現した作品はとても珍しいが、私にとっては、このような表現方法がとても心地良かったのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 鑑賞し終わったあと、劇場では奇妙な雰囲気が流れていました。首をかしげている人たちの姿が多く見受けられたように思います。私は、「こんな表現方法があったとは!」と拍手を贈りたい気持ちでいっぱいでした。映画として、こういう表現方法は好きですね。

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2010.03.09

豆炭あんか物語

湯たんぽ物語の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 先日、薬局で、またしても湯たんぽがセールに出されているのを発見しました。何と、その湯たんぽのサイズは大きくて、三.四リットルものお湯が入ります。しかも、いかにも低温やけどしそうな金物タイプでした。買おうかどうしようか、しばらく手に取ったりしながら悩んでいたのですが、我が家の電気ポットは二リットル入りであることを思い出し、思い止まりました。湯たんぽのためにガスでお湯を沸かせばいいのかもしれませんが、そこまでして手に入れようとは思わなかったのですね。便利な世の中になり、どうやら怠惰になりつつあるようです。(苦笑)

 考えてみれば、私が湯たんぽを使用したのは、生まれて初めてのことだった。ガンモに尋ねてみると、ガンモもまた生まれて初めての使用だったと言う。では、私たちが子供の頃は、夜、寝るときにどのような暖房器具を使っていたのだろうか。義父が電気店に勤めていた関係で、ガンモの実家では私の実家よりも電化が進んでいた。ガンモは子供の頃、電気あんかを使っていたそうだ。一方、私はというと、電気あんかを使っていた時期ももちろんあったのだが、電気あんかを使うようになる前に、豆炭(まめたん)あんかを使っていた。

 豆炭とは、三角のおにぎりを二つくっつけたような炭である。今は違うのだが、私が子供の頃に住んでいた実家は、わざわざ火をおこしてお風呂を沸かしていた。五右衛門風呂ではなかったのだが、お風呂の下が釜になっていて、下から燃料を焚いてせっせと釜を温めてお風呂を沸かすのである。現代のように、ガスの温度とお湯の量を設定しておけば、自動で湯船にお湯が張られるわけでもなかったので、子供の頃はお風呂を沸かすお手伝いを良くしたものだった。そして、私の実家では、お風呂を沸かすときに豆炭あんかで使う豆炭を一緒に焼いていた。

 豆炭がほど良く焼き上がると、小さなスーツケースのような形をした豆炭あんかに豆炭を一つずつ詰めて行った。豆炭あんかを開くと、中には豆炭が一つだけ収められるようになっていた。豆炭の周りは、燃えない綿のような素材で保護されていた。火の付いた豆炭はおよそ八時間ほど持つので、湯たんぽと同じように布にくるんだ豆炭あんかを布団の中に入れて布団を温めながら就寝していたものだった。私の記憶では、豆炭あんかのおかげで、朝までずっと布団が暖かかったように思う。私の母は、豆炭あんかの入れ物を手作りしていた。ただ、ごく稀に、いったん豆炭に付いた火が消えてしまうことがあり、朝起きると豆炭あんかが既に冷たくなっていることもあった。

 この冬、湯たんぽを購入したことで、ガンモと豆炭あんかの思い出話で盛り上がった。ガンモは豆炭あんかを使ったことはなかったのだが、近所に住んでいた親戚が豆炭あんかを愛用していたらしい。

 ひょっとして、今でも豆炭あんかはどこかで販売されているのだろうかと思い、インターネットを検索してみたところ、ごくわずかではあるものの、いくつかのお店がヒットした。豆炭あんかは今でも健在のようではあるが、どのような地域の方たちが利用されているのだろうか。

 思えば、昔は、当たり前のように火が生活の中に取り込まれていた。お風呂を沸かすにも火を使っていただけでなく、石油ストーブなどの暖房器具も良く使われていた。しかし、最近は、料理に使うコンロさえも電化され、また、お風呂もガスや電気でコントロールできるようになっている。すなわち、生活の中から火が見えなくなりつつあるのだ。そのうち、人間は火を使えない動物に退化してしまったりしないだろうか。

 子供の頃は、火傷をしながら火の使い方を体得して行ったものだった。しかし、見えないところに火が隠されてしまった現代においては、子供が火傷をすることも少なくなってしまったのかもしれない。そう思うと、火傷をしながら覚えたことが、とてつもなく貴重な体験に思えて来るのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今でも豆炭あんかは現役だったのですね。しかし、コストパフォーマンスの面から言うと、必ずしもど良くはないようです。(苦笑)暖房器具一つを取ってみても、歴史を感じますね。最近、湯たんぽがもてはやされているのは、もちろんエコに対する考慮もあるでしょうが、人々の中に、昔に帰りたい気持ちがどこかにあるのかもしれませんね。

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2010.03.08

湯たんぽ物語

映画『猟奇的な彼女』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 無料のインターネット動画視聴サービスGyaO!は、かつてはテレビで放送される映画のように、視聴途中に何度もCMが入っていました。しかし、今は有り難いことに、最初から最後までノンストップで作品を鑑賞することができます。ただし、視聴中の動画の画面が突然小さくなり、出来上がった余白にCMが入ることがありますが、それも一本の映画のうち二回か三回程度のことなので、ほとんどストレスは感じません。映画館で映画を鑑賞する迫力には断然かないませんが、自宅でゆったりとした時間を過ごしながら映画を鑑賞できるので、私はしばしば利用しています。

 一ヶ月ほど前に、近所の大手スーパーでコンパクトサイズの湯たんぽを購入した。湯たんぽは、ずっと以前から気にはなっていた暖房器具だが、具体的な活用方法をイメージすることができなかったため、なかなか購入に踏み切ることができなかった。湯たんぽというと、夜、寝るときに布団の中に入れて使用するイメージが強いのだが、私たちは、夜、寝るときに、特に暖房器具を使用してはいなかったからだ。

 購入した湯たんぽは、冬も終わりに近いということで、セールに出されていたものだ。何と、一つ五百円の値段が付けられていただけでなく、そこから更に十パーセントオフといううれしい価格での奉仕品だった。大きさは、少し大きめの男性用のお弁当箱くらいで、色は、黄緑とオレンジがそれぞれ一つずつである。こうした組み合わせの色のものを購入した場合、たいてい黄緑がガンモ用で、オレンジが私、まるみ用となる。

セール品で購入した黄緑とオレンジの湯たんぽ。一つ四百五十円。

 湯たんぽには、専用のケースが付いていた。このケースがもこもこして実に気持ちが良い。色合いともこもこ感を兼ね合わせてみると、ガチャピンとムックのようでもある。

もこもことした専用のケースに入れた湯たんぽ

 とは言え、購入してからすぐにこれらの湯たんぽを使い始めたかというと、そうではない。湯たんぽを使用しなければならないほどの寒い日がなかなかやって来なかったので、購入した湯たんぽは出番がなく、しばらくの間、部屋の片隅のほうでひっそりと控えていた。我が家は、暖房器具をほとんど利用してはいないのだが、普段はひざ掛け感覚でベッドの布団や毛布を利用して寒さをしのいでいた。

 しかし、そんな我が家にも、特別寒い日が訪れた。私は、このときぞとばかりに、購入した湯たんぽに熱いお湯を注ぎ、専用のケースに入れてから、ひざ掛け感覚で使用しているベッドの布団や毛布の中に湯たんぽを忍ばせて、その湯たんぽを自分の足で挟み込んだ。むむむ、これは暖かい。私の場合、特に下半身が冷え易い傾向にあるので、湯たんぽで下半身を温めるのはとても気持ちが良かった。

 私は、この気持ちの良さをガンモにも伝えるために、その翌日、ガンモが仕事から帰宅すると、ガンモ用に購入したガチャピン色の湯たんぽに熱いお湯を注ぎ、同じくガチャピン色のもこもことした専用ケースに包んだ湯たんぽをガンモに手渡した。ガンモもまた、湯たんぽを足で挟み込み、その上にひざ掛けを掛けて使用し始めたようだった。しかしガンモは、私が感動したようには湯たんぽを気に入らなかったようだ。おそらくだが、男性と女性では、暖かくすることで幸せになれる場所に違いがあるのだろう。

 湯たんぽが次第に暖かさを失うと、ガンモは湯たんぽの中に入っている水を、ベランダの鳩たちがやって来る寝室の窓辺に流して鳩の足跡を洗い流そうと思ったらしい。そして、何気に窓辺に駆け寄り、湯たんぽのキャップを外して、湯たんぽの中の水を寝室の窓の周辺に流したようだ。そのとき、ついつい不注意で、湯たんぽに付属のキャップを紛失してしまったらしい。

 寝室に転がっているガンモの湯たんぽのキャップが閉まっていないことに気がついた私は、ガンモに、
「ガンモ! 湯たんぽのキャップ、どこへやったの?」
と尋ねた。するとガンモは、苦笑いしながら、
「ばれた?」
と言った。そしてガンモは、湯たんぽのキャップを失くしてしまったいきさつを話してくれた。私は、
「今日、おろしたばっかりの湯たんぽだったのに!」
と怒りを露にした。ガンモは決まり悪そうな顔をしていた。

 その翌日は、ガンモの仕事が休みであることがわかっていたので、私はガンモに、
「私が仕事に出掛けている間に、湯たんぽのキャップを探しておくように!」
とガンモに宿題を出しておいた。ガンモは私が仕事に出掛けている間に、一生懸命湯たんぽのキャップを探し回ったらしい。そして、ようやく見付けたらしく、仕事中にガンモから、湯たんぽのキャップが見付かったことを知らせるメールが届いていた。やれやれである。私が仕事から帰宅すると、確かにガンモのガチャピン色の湯たんぽにしっかりとキャップが取り付けられていた。

 そんな湯たんぽも、まだじっくりと使用しないうちに間もなく気温が上がり始めた。この冬はあまり出番のなかった湯たんぽだが、この次にやって来る冬にはもう少し湯たんぽの出番があるといいのにと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 低温やけどが問題になっている湯たんぽではありますが、使っているととても幸せな気持ちになりますよね。身体を何で温めるかによって、こんなにも幸せな気持ちに違いが出て来るのかと驚きました。電気はとても便利ではありますが、どういうわけか、あまり幸せな気持ちにはなれません。とは言え、湯たんぽの中に入れているお湯は、電気ポットで温めたものなんですけどね。(苦笑)

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2010.03.07

映画『猟奇的な彼女』

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(11)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 好きなアーチストのコンサートに遠征すると、日本のどこの会場に足を運んだとしても、たいてい一度は顔を合わせたことのある人がその会場を訪れています。自分の住んでいる地域から他の地域で行われるコンサートやセミナーにわざわざ遠征するというのは、仲間同士のネットワークが出来上がっていることを表すとともに、遠征する対象への強い情熱が感じられますね。

 恥ずかしながら、あまりにも有名な本作を、私はまだ鑑賞してはいなかった。レンタルDVDショップで何度も何度も本作の棚の前を素通りしていたものの、あまりにも有名な作品であるために、かえって鑑賞するのをためらってしまう気持ちもあった。何故なら、多くの人たちに受け入れられている作品が必ずしも私の好みと一致するとは限らないし、むしろ私は、大多数であることよりも少数派でいたいと思っていたからだ。とは言え、やはり気にはなる。そんなもやもやした想いを抱えていたところ、無料のインターネット動画視聴サービスGyaO!から、本作の動画が無料で視聴できるとの案内メールが届いた。無料で視聴できるなら、これを機会に鑑賞してみようか。そんな軽い気持ちから鑑賞に踏み切ったのだった。

 これまでにも韓国映画は何本も鑑賞して来たが、韓国映画を鑑賞していると、いろいろな意味でエネルギッシュな登場人物に遭遇し、しばしば圧倒されることがある。本作も例外ではなかった。一体何が気に入らないのか、美しい彼女は恐ろしく凶暴な性格である。酔っ払ったまま電車に乗り、電車の中で食べたものを豪快に戻してしまったり、居酒屋で気に食わない人物に出くわせば、大声で説教して居酒屋から追い出してしまったりと、とにかく手のつけられないほどの暴れぶりである。酔っ払った彼女を介抱したことがきっかけで彼女と知り合った大学生キョヌは、そんな彼女にいつも振り回されっぱなしである。とは言え、二人は恋人同士ではなく、仲の良い凸凹コンビとして異性の友人関係を続けている。

 はっきり言って、本作の八十五パーセントくらいはずっと凶暴な彼女が描かれ続けている。本作を鑑賞しながら、そんな凶暴な彼女に圧倒され、嫌気がさしてしまう人も少なくはないはずだ。しかし、彼女が何故、ここまで凶暴な性格になってしまったのか、その理由を見届けずに鑑賞をやめてしまうのは非常に惜しいと言える。

 残りの十五パーセントのストーリーは、切なさと感動に満ち溢れている。映画を鑑賞していて、急に火が付いたように感情が噴出して、突然、涙が溢れて来ることが稀にあるのだが、私にとって本作は、まさしくそんな特異な体験をさせてくれる貴重な作品だった。

 なるほど、本作の八十五パーセントまでは凶暴な彼女に圧倒され、キョヌと彼女の間に離れ難いほど強烈な強弱の関係をじっくりと築き上げ、残りの十五パーセントで二人の出会った意味に磨きをかける。こんな展開が用意されていたのかと思うくらい、これまで凶暴な彼女ばかりを見て来て、感動に対してすっかり無防備になっている状態のときに思わぬ感動が運ばれて来るのである。実にうまい構成だと思う。

 実は、本作を鑑賞した直後に同じGyaO!で、映画『猟奇的な彼女 in NY』という作品を鑑賞した。本作の舞台をニューヨークに移したリメイク版である。しかし、突き上げられるような感動をオリジナル版で最初に味わったからだろうか。ほぼ同じストーリーであるにもかかわらず、引き込まれ方が全然違った。言うまでもなく、オリジナル版のほうが断然良い。それと同時に、チャ・テヒョンが演じているキョヌに対し、彼以外にはこの役を演じ切ることは難しいのではないかという絶対的な魅力まで感じてしまったのだ。

 また、究極的な凸凹カップルを演じる組み合わせとして、オリジナルのほうがそれぞれのエネルギーバランスが整っていたようにも思う。カップを演じる役者さんたちのエネルギーバランスが映画の良し悪しを決めていると言っても過言ではないだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 久し振りに、突き上げて来るような感動を味わうことができました。いやはや、有名な作品だからと言って、最初から奇妙な偏見は必要なかったみたいですね。リメイク版の映画『猟奇的な彼女 in NY』からは、酔っ払った彼女が電車の中で食べたものを豪快に戻すシーンはカットされています。あのシーンを取り入れるかどうかは国民性の違いなのでしょうか。何故、カットされてしまったのかがとても気になりますね。(笑)

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2010.03.06

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(11)

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(10)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 少し前まで、古久澤先生の発行されているメルマガは、バックナンバーも参照できたのですが、現在は最新号しか参照できない設定になってしまっているようですね。もしかすると、一時的に設定が変更されているだけかもしれませんので、興味のある方はときどきアクセスして、バックナンバーにアクセスできるようになっているかどうか確かめてみてくださいね。

 ロビーでしばらく待っていると、セミナー参加者の方たちと一緒に、今回のセミナーの講師であるルースさんや山志多さん、古久澤先生らが荷物を持って次々に降りて来られた。懇親会に参加するためにロビーに集まったのは、全部で四十名近くの方たちだったと思う。間もなく、懇親会に参加する人たちが全員ロビーに集合したようなので、セミナー会場を出て、三宮にあるお店まで移動することになった。

 三宮駅からセミナー会場までは徒歩でおよそ十分程度だったが、三宮駅からポートライナーという新交通システムを一駅だけ利用すると、目の前にセミナー会場があった。そのため、三宮に不案内な方でも安心して参加できるようになっていた。私は、普段から三宮周辺を歩き回っているので、セミナー会場まで出掛けて行くのに三ノ宮駅から歩いて行ったのだが(注:「ガンまる日記」では、路線ごとの駅名表記に従って、JR線の駅名は三ノ宮駅、JR線以外の駅名は三宮駅と表記している)、懇親会の会場のある三宮まで、やはり徒歩で向かうのかと思いきや、引率してくださっている方たちがポートライナーの乗り場に向かって歩き始めたのである。おそらく、そのほうが確実だと判断されたのだろう。

 ポートライナーの乗り場で、私は関西地方で利用できるICカード、ICOCAを通して改札の中に入った。関西地方以外の地域から来られた方たちは、ポートライナーの切符を購入するために、券売機の前に並んでいらっしゃった。私は心の中で、関東地方で利用できるICカード、SUICAも使えかもしれないと思い、そのことを話題にしてどなたかとコミュニケーションを始めようとも思ったのだが、敢えて冒険はしなかった。

 そうこうしているうちに、今回のお世話役のみぃみさんが、お店の場所を確認するために、
「地元の方はいらっしゃいますか?」
と尋ねられたので、私は恐る恐る手を挙げた。正確には地元ではないのだが、兵庫県在住ということで挙手したのである。私は、みぃみさんに懇親会のお店の場所を尋ねられたが答えられなかった。すると、私のほかにもう一人、挙手された方がいらっしゃった。その方は三宮周辺にとても詳しかったので、その方のおかげで懇親会のお店の場所を確認することができた。

 その直後に、去年十月に神戸で行われたセミナーに参加されている方にお目に掛かったので、あのときは私も参加していたのだとごあいさつさせていただいた。しかも、その方は、わざわざ私の生まれ故郷から、海を越えて高速バスで参加されていた方である。私はその方に、同郷であることも伝え、前回の神戸セミナーのときは、予約していた高速バスに無事に乗ることができたのかどうか、尋ねてみた。するとその方は、あろうことか、セミナーを終えて最寄駅まで一目散に走ったものの、走ることに夢中になり過ぎて最寄駅を通り過ぎてしまい、道に迷って途方に暮れている間に予約していた高速バスに乗り遅れてしまったのだそうだ。そのため、何と、わざわざ海の向こうにいらっしゃるご主人さんが自家用車で迎えに来てくださったのだという。私のまったく知らないところで、このような偉大なドラマが展開されていたとは驚きである。

 そうした経験から、今回は最終バスの時間が遅い一つ手前の県に向かう高速バスを予約されているとかで、懇親会にも参加されるそうだ。その方は、一つ手前の県まで高速バスを利用したあとは、JR線を利用してご自宅の最寄駅まで移動されるそうだ。私は、その方の意気込みに感動せずにはいられなかった。私の故郷からわざわざ日帰りの予定を組んで、神戸で行われるセミナーに参加されることだけでも大変なことなのに、予約していた高速バスに乗れなかったという苦い経験をされてもなお、再びこうして古久澤先生のセミナーに参加されているのだから。

 考えてみると、古久澤先生の東京の体操教室の生徒さんたちがたくさん参加されていることも感動的である。関東地方に住んでいれば、いつでも好きなときに古久澤先生の体操教室に通うことができるだろうし、地方で行われるセミナーで古久澤先生が語られるであろうことも、既に良くご存知のはずである。しかも私たち人間は、慣れというものに非常に弱いので、存在が近くなればなるほど、情熱を持って行動できなくなってしまいがちである。それでも、体操教室に参加されている生徒さんたち同士で誘い合わせて、神戸で行われる古久澤先生のセミナーにわざわざ参加されているのである。

 それだけではない。他にも、実に様々な地域から来られた方たちがこのセミナーに参加されていらっしゃった。私は、古久澤先生が話してくださった桃太郎の話を思い出した。桃太郎のお供となった猿やキジ、そして犬は、桃太郎のきびだんごに惹かれたのではなく、志に惹かれたのだというところである。古久澤先生の東京の体操教室の生徒さんたちや、いろいろな地域からこのセミナーに足を運ばれた方たちもまた、古久澤先生の志に惹かれているに違いない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m およそ一ヶ月前のことを思い出しながら書いていますが、こうして詳細モードで振り返ってみると、リアルタイムでは見落としてしまっていたことがたくさんあったことに気付かされます。私たちはリアルタイムの時間を生きているときに、実に多くのものを感じ切ることなく前に進もうとしているのかもしれませんね。

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2010.03.05

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(10)

映画『サロゲート』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 映画の中でははっきりとは触れられてはいませんでしたが、例えば夫婦間の愛の営みにしても、サロゲートを通して行われるのでしょうか。もしそうだとしたら、やはり寂しいですよね。そう考えると、サロゲートで生身の人間の身体を守ることよりも、生身の人間の身体を多少磨り減らせてでもいろいろなことを体験したほうが、生きている実感を味わえような気がしますね。

 古久澤先生なりの桃太郎の解釈とは、以下のような内容だった。この話は後日、古久澤先生が発行されているメルマガで詳細が語られたのだが、私としてはセミナーで語られた部分についてお伝えしたい。

 まず、動かない山と流れている川は、陰陽を表しているそうだ。そして、桃太郎が桃から生まれることは、女性のおしりから子供が生まれる(実際はおしりではないのだが)ことを連想させ、性教育を意味しているという。

 また、桃太郎がお供の動物たちに、肉だんごではなくきびだんごを用意することは、穀物を食べることの大切さを教えているそうだ。お供の動物たちの猿は知恵、キジは将来への見通し、犬は忠誠心を表しているそうだ。そして、これらのお供の動物たちに桃太郎がきびだんごを与えるのは、自分と一緒に働いた動物たちにお給料を払うことに相当しているのだという。しかし、もともとお供の動物たちは、きびだんごに惹かれて桃太郎のお供になったわけではなく、桃太郎の志に惹かれたのだろうと古久澤先生はおっしゃった。

 鬼退治に出掛けて行く桃太郎は、鬼を改心させるだけで鬼を殺したりはしない。このことは、赦す心が大切であることを教えているという。西洋には、悪を殺してしまう物語が多いが、日本では殺さずに改心させる物語が多いそうだ。

 桃太郎のお話は、小さい頃から当たり前のように触れてはいたが、その中身がどのようなことを意味しているかなど、これまで考えたこともなかったので、古久澤先生なりのこの解釈の話はとても興味深かった。古久澤先生の桃太郎の解釈をお手本に、自分なりに他の童話で解釈してみるのも面白いかもしれない。

 ところでルースさんは、古久澤先生が参加者の前に立ってお話をされているときに、古久澤先生から緑のオーラが漂っているのが見えたそうだ。それは、古久澤先生が動くと、古久澤先生の頭の後ろから残像を引きずるくらいはっきりとした緑のオーラだったという。ルースさんは、こんなにきれいなオーラが見えたのは初めてだとずいぶん感動されていた。

 さて、講師の方たちへの質疑応答の最後を飾ったのは、ルースさんの瞑想の危険性についてである。ルースさんが配られたレジュメの中に、「瞑想の危険性」という項目があり、本編の中では時間の関係で語られなかったため、その内容について質問された方がいらっしゃったのだ。

 ルースさん曰く、瞑想をして、まだ準備もできていないのにチャクラを開いてしまうと、異なる次元の人たちから丸見えになってしまうのだそうだ。それはすなわち無防備になることに等しく、「こいつは取り込み易いぞ」と思われてしまい、働きかけられるので注意したほうがいいということだった。なるほど、開くということは、ポジティブな領域からの働きかけだけでなく、ネガティブな領域からの働きかけをも受け入れる体制に入るということだったのだ。瞑想をするときは、ネガティブな領域からの働きかけをブロックした状態でチャクラを開くように気を付けたいものである。

 こうして、四時間近くに及ぶ夢のコラボセミナーは大盛況のうちに幕を閉じた。私はアンケートに記入したあと、三人の講師の方たちも交えた懇親会に参加するために一階のロビーへと降りて行った。懇親会に参加すると言っても、セミナー会場では古久澤先生とほんの少しお話をさせていただいた程度で、まだどなたとも話をしていなかった。しかし、他の参加者たちは、会場で知り合った人たちとそれとなく話を始めていた。私は、何だか取り残されてしまったようで、少々焦りを感じ始めていた。そんな状況の中、懇親会に参加される方たちがロビーに集合するのを、一人静かに待っていたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 早いもので、夢のコラボセミナーが開催されてから、早くも一ヶ月が経とうとしています。他の記事も織り交ぜながらの更新だったため、時間が掛かってしまいましたね。とは言え、これで終わりではなく、このあともまだ、これまで通り他の記事を織り交ぜながら、懇親会の内容をお届けしたいと思います。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.03.04

映画『サロゲート』

ホットヨガ(一七七回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 骨盤コースのレッスンで覚えたポーズを、歪みのある左側を中心に自宅で復習することで、骨盤の歪みもより一層改善されるのかもしれませんが、我が家の諸事情により、自宅ではなかなかポーズが取れないのが実情であります。(苦笑)できればレッスンの日には少し早めに家を出て、早めにスタジオに入ってポーズを復習できるように心がけたいと思います。

 "サロゲート"と呼ばれる代行ロボットを人間がリモートコントロールするようになり、ほとんどの人間たちが生身の肉体をさらすことなく生活するようになった。そんな予告編を目にしたとき、この映画は絶対に鑑賞しようと心に決め、一月二十九日に鑑賞した。大変お恥ずかしい話なのだが、鑑賞し終わったあと、エンドロールに表示された役者さんの名前を見て、
「ええっ? あのスキンヘッドの男性はブルース・ウィリスだったの?」
と思ってしまったのだった。私の映画の好みをご存知の方ならわかってくださると思うのだが、私は普段、彼が出演するようなアクション映画を好んで鑑賞してはいない。そのため、何年か振りにスクリーンで拝見した彼のお顔をすっかり忘れてしまっていたというわけなのだ。

 それはさておき、あるときサロゲートが何者かに襲われ、サロゲートをリモートコントロールしていた人間の生命まで同時に奪われるという不可解な事件が起こった。これまで、人間がサロゲートをリモートコントロールすることは安全だと思われていたはずなのに、一体何が起こったのだろう。ブルース・ウィリス演じるグリアーFBI捜査官が事件解決に臨む。

 生身の人間を守るという役割を持つサロゲートの普及の裏側には、生身の人間同士の触れ合いが薄れてしまっているという問題も映し出している。これは、現代におけるインターネットや携帯電話の普及に当てはめることができるかもしれない。映画の中では、サロゲートという媒体を通して人間同士が間接的に関わっているのだが、現代においても、関係性によっては、リアルな会話よりも間接的な電子メールのやりとりのほうが好まれていたりもする。かつての直接的なやりとりに比べて、そこに悲しさを感じてしまうようならば、本作におけるグリアーFBI捜査官の気持ちも少しは理解できるかもしれない。もしも自分の妻とさえも、電子メールを通してしか交流ができなくなってしまったとしたら、便利なはずのインターネットや携帯電話の存在を否定したくなったとしてもおかしくはないだろう。だから、グリアーFBI捜査官は、一大決心をして世の中を変える人になるわけである。

 グリアーFBI捜査官の妻を演じているのは、映画『リバティーン』映画『プライドと偏見』のロザムンド・パイクである。サロゲートの彼女は若くてとても美しいのに、生身の彼女は精神的な問題を抱えてすっかり老け込んでいて、ほとんど自室に引きこもっている。そう、グリアーFBI捜査官と彼の妻の溝が一層深まったのは、サロゲートをリモートコントロールすることで、現実の問題から逃避していたことが原因とも言える。

 それにしても不思議なものである。人間は、次々に新しいツールを生み出すのに、新しいツールによって便利になることもあれば不便になることもある。サロゲートという便利なツールの場合、人間の抱える問題からは一時的に遠ざけてくれるものの、完全な解決をもたらしてくれるものではない。問題を解決させるためには、サロゲートを使って問題から逃避するのではなく、その問題から逃げずにじっくりと問題と向き合う勇気が必要なのだ。

 本作は、便利さの奥に潜んでいる不便さを表現しようとしている作品であるようにも思う。どんなに便利な時代になったとしても、私たちが生身の人間であることを忘れてはいけない。そんな警告をも含んでいるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 便利なものを世の中に生み出しているつもりでも、便利なもので新たな何かを得ながら、同時に別の何かを失っているというのが何とも悲しいですよね。例えば身近なところでは、USBメモリの普及なども、これに当てはまるのではないでしょうか。USBメモリの普及で一度に大容量の情報を扱うことができる便利な時代になりましたが、その一方で、不注意に落としてしまったUSBメモリが悪用されるという事件も多発しています。そうなると、果たして技術の進歩はどこまで私たち人間を豊かにしてくれるのかと疑問に思ってしまいますよね。

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2010.03.03

ホットヨガ(一七七回目)

わくわくすることの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本当にたくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。普段、文章を書くことに喜びを感じているときの私は、自分の身の回りで起こった出来事を無意識のうちに文章化して頭の中にインプットしています。しかし、映像を創り上げるとなると、頭の中では文章化ではなく映像化が行われるのでしょうね。そう考えると、映画監督さんの頭の中は、映像化されたシーンの宝庫かもしれませんね。

 リラックスコースのイベントレッスンから一週間経った日曜日、いつものように、南森町店で六十分のフリースタイル骨盤コースのレッスンを受けた。

 今回の参加者は十名で、レッスンを担当してくださったのは、ここのところ、南森町店で骨盤コースのレッスンを担当してくださっているインストラクターである。

 最近の私は、仕事中にトイレに立つ度に、鏡の前で骨盤を動かしていたので、これまでよりも骨盤の動きがスムーズになっているはずだと思っていた。ウォーミングアップのストレッチが終わったあと、立ちポーズに入る前に、いつものようにインストラクターが骨盤を動かすように導いてくださったのだが、あれほど職場のトイレで柔軟に骨盤を動かしていたにもかかわらず、私の骨盤は思うようには動いてくれなかった。以前よりもほんの少しマシになった程度だったのである。

 職場のトイレで骨盤を動かし始めてからわかったことは、やはり私の骨盤は、左側に不具合があるということだった。何故なら、私の骨盤は左右均等には動かず、左の骨盤を右の骨盤と同じように動かそうとすると、毎回、グキッと小さな音がして痛いのである。そう言えば、古久澤先生に教えていただいた親指を折り曲げる体操のときも、いつも左手の親指の付け根だけが強く痛む。他の指を立てて、小指だけを折り曲げる体操のときも、右手は意図する形になりやすいが、左手はなかなか完成しない。また、骨盤コースのレッスンにはないのだが、これまでホットヨガの他のコースのレッスンで鳩のポーズを取っていたときも、右側を向くポーズは左足を立てて胸を開き易かったが、左側を向くポーズはうまく右足を立てられずにグラグラした。これらはすべて、左右の骨盤のずれから来ていることがはっきりした。しかも、左右の違いはずいぶん著しいものである。これまで、明確なほどのこの違いに気付かなかったことが不思議なくらいだ。人よりも歩くことが遅いのも、いつも左の鼻だけが詰まり易いのも、大きな筋腫がいくつもあるのも、みんな骨盤の不具合に原因があったのかもしれない。そう思うと、骨盤コースのレッスンに一層力が入るのだった。

 とは言え、やはり後半になると私にはきつくて、どうしても息が荒くなってしまう。とりわけ、猫のポーズから入るバランスのポーズは持続力がなく、途中で休みながら行っている。そのため、今回もレッスンを終えてスタジオを出て行くときに、
「大丈夫ですか?」
とインストラクターが気遣ってくださったほどだ。私は、
「はい、大丈夫です」
と言いながら、いつものようにスタジオを後にしたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 数年前に、良い整体師さんをご紹介いただいて、愛知県にある整体院を訪れたことがあります。そのとき、その整体師さんに、「いつも身体をこちらに傾けることを意識するといいですよ」と、おそらく骨盤の歪みがあるほうを矯正するような方向に身体を傾けることをアドバイスいただいたのですが、そのときは自分の骨盤に歪みがあることを実感できていなかったので、どちらに傾けるべきなのか、すぐに忘れてしまったのです。しかし、今は違いますね。はっきりと、左の骨盤に不具合があることがわかります。やはり、人から言われただけで理解することは難しいですね。頭で理解するのではなく、身体を通して理解することが大切なのだと思います。

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2010.03.02

わくわくすること

映画『サヨナライツカ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本当にたくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。日本人キャストで構成されてはいるものの、実は本作は韓国の監督さんの作品なんですよね。本作を鑑賞された方たちの中からは、「原作はもっと素晴らしいので、日本人の監督さんによる作品であったならば、もっとわかり易い映画になっていたのに」という声も挙がっているようです。確かに登場人物の取る行動で、わかりにくいところは多々ありました。日本ではない場所で、日本人の俳優さんたちが演じるためには、韓国語や日本語やタイ語など、いろいろな国の言葉が飛び交っていたことでしょう。さて、今回から数えて三回分までの記事では、夢のコラボセミナーのお話はお休みさせていただきます。夢のコラボセミナーの続きは、この次の映画のレビュー記事のあとから書かせていただきますね。

 ここのところ、ガンモの帰りがひどく遅い。深夜に帰宅しても、先日購入したばかりのICレコーダを使って何やらゴソゴソしたりしている。少し前には、動画編集ソフトも自前で購入し、時代は変わっているなどと言いながら、その動画編集ソフトを使用できる環境を作りのために様々な部品を買い込み、Windows Vista向けのパソコンを自作して組み立てた。

 ガンモが長い時間を費やして取り組んでいたのは、会社のちょっとしたCMを作成するという仕事だった。もちろん、テレビや会社のホームページで流れるような本作的なCMではない。ごく限られたお客様向けにのみ作成したCMのようである。

 聞くところによれば、ガンモが全体の構想を考え、台本を書き、監督を担当したらしい。そのCMの中では、ガンモの会社の同僚が役者さんとして出演しているようだ。撮影も終了し、動画編集ソフトによる編集が加えられて洗練されたそのCMは、思いのほか好評だったらしく、今度はある地方の方言で吹き替え版を作成することになった。そこでガンモは、その地方の出身者から方言を学び、会社の同僚が役者さんとして演じているその映像に対して、ICレコーダを使って方言で吹き替えを行った。それは、なかなかやっかいな作業ではあったものの、実に楽しい作業だったようである。

 我が家には、ガンモ専用の作業部屋があるわけではないので、出来上がったCMは、私の目にも触れることになった。なるほど、これは面白い。昔、フィルム式の八ミリカメラを使って動画を撮影していたときのことを思い出す。フィルムの中に音声を同時に埋め込むことのできるタイプのフィルムもあれば、サイレントタイプのフィルムもあった。撮影が終わると、DPEショップにフィルムを預けて現像をお願いした。そして、映写機に掛けて上映するのだ。そんな手順を踏んでも、当時はほんの短い動画しか撮影することができなかったが、デジタルムービーが主流となっている現代においては、何時間も動画の撮影を続けることができる上に、精度の上がったマイクが同時に音をも拾ってくれる。それだけではない。DPEショップにフィルムを預けなくても、撮影した直後に自分自身で動画を再生することができるのだ。更に、ガンモのように動画編集ソフトを使用する環境を整えることができれば、自分自身の手でその動画に編集を加え、CMを作成することもできてしまう。

 ガンモは、自分で手を加えたCMを何度も何度も繰り返し観ながら確認していた。朝が早いために、私が先にベッドに入っても、ガンモは部屋を暗くして、そのCMを何度も何度も繰り返し観ていたようだ。

 今回は、ガンモがほんの短いCMを製作しただけだが、その作業を傍らで見ていた私の心も踊った。何を隠そう、私は小学生の頃からお話めいたものを書いていたが、中学に入ってからは台本を書いていた。そして、その台本の内容を自演したものをカセットテープに録音して、仲の良い友人たちにプレゼントしていた。今は台本を書くことからはすっかり遠ざかってしまったのだが、現代は、構想から台本、撮影、そして吹き替えまで一挙に自分自身で担うことのできる時代である。もしもまとまった時間を取ることができるならば、私もストーリー性のある短い動画を一本撮ってみたいものである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモの動画編集作業を見守りながら、夢のコラボセミナーで山志多みずゑさんがおっしゃっていた「わくわくすること」を思い出しました。自分で手を掛けて出来上がった動画を観るのは本当に楽しいものでしょうね。ガンモが夜中まで何度も何度も出来上がった動画を確認していた気持ちが良くわかります。ガンモのおかげで、また一つ「わくわくすること」に出会うことができました。

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2010.03.01

映画『サヨナライツカ』

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(9)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。こういうセミナーに参加していると、とても心地良い体験ができるのですが、それと同時に、普段の自分との大きなギャップを感じてしまいます。本当の私は、誰かと魂の話をするのが好きなのですが、普段からそういう自分を見せていないということは、周りの人たちに対して自分を偽っているのだろうかとも思うのです。しかし、周りに魂の話が出来る人がいないのに、一体誰と話せばいいのか? という疑問も同時に生まれます。だから、ホームページやブログに書きたいことを綴って自分らしさを保っているのだとは思うのですが、もう何年も、そんなことの繰り返しなのです。さて、今回は、映画のレビューをお届けします。

 本作を鑑賞したのは、劇場公開された翌日の一月二十四日のことである。本作の原作者である辻仁成さんの妻である中山美穂ちゃんが、住んでいるパリを離れて撮影に参加したという話題作である。もともと、劇場で何度も予告編を観ていたので、だいたいのあらすじは予想が付いたのだが、同僚との揺るぎない友情には着目できるものの、肝心の中山美穂ちゃん演じる沓子(とうこ)と豊が結ぶ関係については、一切の感動がなかった。愛と欲望を履き違えてはいけない。最初から最後まで、私にとっては、思わずそんなことを意見したくなるような作品だったのだ。

 舞台となっているのは、タイのバンコクである。航空会社の社員である豊がバンコク支店への赴任を命じられ、しばらくの間、日本に残した婚約者と離れ離れで生活する。そこで豊は、同僚の紹介で、妖艶でお金持ちの女性沓子と出会う。

 登場人物が極端にお金持ちであると、登場人物に感情移入できなかったりもする。沓子はとてもお金持ちで、バンコクの高級ホテルのスィートルームに滞在し続けている。沓子が何故、これほどまでにお金持ちなのか、本作の中からはなかなか読み取れない。観客は、沓子の人並み外れた富をうらやむどころか、嫉妬の感情さえ芽生えてしまうかもしれない。だから、沓子に観客の味方は付きにくいように思う。

 しかし、私が本作の登場人物に感情移入できなかった最大の理由は、私が普段、感じている愛と、彼らが体験している愛のようなものが、あまりにも違い過ぎていたからだと思う。二人は、最初は明らかに欲望から始まる。何故なら、少々ネタバレになってしまい恐縮なのだが、出会って間もない関係であるというのに、沓子が一人暮らしの豊の部屋を訪問し、部屋に入るや自らパンティを脱いで豊を誘うからだ。こんなシーンをいきなり見せつけられては、「一体これのどこが愛なの?」と疑いたくなるのは当然のことだろう。二人はその後、激しく絡み合うのだが、そんな始まりを見せ付けられても、ただただ興醒めするばかりである。明らかに、私の思う愛とは違うのだ。

 二人のようなシチュエーションで出会った場合、二人の間に通う愛を表現するとするならば、お互いが相手のことを心の中では熱く想いながらも、その想いを決して口にはせず、物理的にも接触を持たないように節制しているほうが伝わり易い。更に、沓子が豊の元々のパートナーである光子との関係をむしろ応援するような形のほうが愛に説得力がある。

 また、二人の関係を知った光子の淡々とした態度も理解できなかった。自分は豊の妻となる存在だから、強気な態度に出たのかもしれないが、もっと感情面でいろいろ表現できるものはあったと思うのだ。しかし、あまりにも淡々としていて、苦しみなど感じていないようにも思えた。愛するが故の自我との葛藤をもっともっと描いて欲しかったと思う。

 結局、沓子と豊は、二十五年に渡ってお互いの中に熱い想いを持ち続けるのだが、そのプロセスにおいても、それほど想う相手ならば、世間に対してもっと堂々としていても良かったのではないかとも思える。誰かを傷つてしまうから秘密にしていたというのならおかしい。傷つけるとわかっているなら、最初から踏み込まなければいいのだから。私には、愛ではなく欲望だから隠していたように思えてならないのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最初から最後まで共感も感動もない作品は珍しいですね。中には、本作を鑑賞して、高い評価を付けている方もいらっしゃいます。「愛とは何か」という感覚が、著しく違うのかもしれません。高い評価を付けている方は、本作の原作者や監督と、「愛とは何か」という点において一致する部分が多かったのでしょうね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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