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2010.02.01

二元的世界の限界

通信料の節約に成功の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。長きに渡ってお届けして参りました香港旅行の記事は、これでほぼ終了です。細々した内容はあるにはあるのですが、それらをまとめて一つの記事にするのも何だかおかしな気がするので、折を見て何かの記事に盛り込んで行きたいと思います。長い間、香港旅行の話題にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 とある週明けの月曜日、派遣仲間と二人で、仕事帰りに晩御飯を食べに行った。睡眠不足に陥りがちな平日に人と会うと、睡眠不足が更に加速されてしまうため、これまで見送り続けて来たのだが、週末にたっぷりと睡眠を取っておいたので、何とか大丈夫だった。

 不思議なことに、彼女と私は、性格面においては似ても似つかない。彼女はきれい好きで物をどんどん捨てられるタイプだが、私は片付けが苦手で物をなかなか捨てられないタイプである。彼女は物事に対していつも冷静かつ客観的だが、私は物事に対していつも熱く、感情むき出しで主観的である。結婚前における異性との付き合いにおいても、彼女は受動的だったが、私は能動的だった。

 そして今回、彼女との新たな違いを発見した。それは、彼女が人を好きになるときは、そこに何らかの理由が存在しているということだった。例えば、相手に尊敬できる部分があったり、話をしていて面白いと感じたりすると、その人のことを好きになるのだそうだ。彼女はご主人さんのことも、尊敬できる部分があるから好きになったのだと言う。また、私とこうして会って話をするのも、私と話をすることが面白いと感じてくれているからなのだそうだ。それに対し、私は驚きの表情を隠し切れなかった。何故なら、私自身が人を好きになるときには、彼女のように理由付けを行っているわけではなかったからだ。私はいつも、自分の直感に従って行動していた。もちろん、ガンモに惹かれたのも、直感によるものである。驚いたことに、彼女にはそうした直感が働かないのだそうだ。そして、彼女が言うには、尊敬できる部分がなくなって来るなど、相手に対して感じていた好意の理由が薄れて来ると、相手に対する好意も同時に薄れてしまうのだそうだ。

 また、彼女と私は、夫婦関係においても異なる部分が多かった。彼女はご主人さんに対し、言いたいことがあっても、思わず言葉を呑み込んでしまうことがあるのだそうだ。当然、ご主人さんの前でおならもしないと言う。私が、
「それは、相手を尊重しているからなの?」
と尋ねると、彼女は、
「いや、そういうわけじゃないと思う。多分、もともと、人ととことん向き合うのが面倒なんだと思う」
と答えた。私は、
「うちはお互いに、言いたいことはとことん言うよ。言いたいことを言っても壊れないことがわかってるし、喧嘩をしても尾を引かずにすぐに仲直りするしね。喧嘩をしたあとでも、抱き合ったりもするし」
と言った。

 彼女曰く、彼女はもともと感情が薄く、人に対しても物に対しても熱中できない性格なのだそうだ。それに対し、私は人に対しても熱い想いを抱え、物に対しても容易には手放せない性格である。彼女は私に、
「例えば物を捨てられないっていうのは、もう使わなくなったものに対しても、いつまでも好きな気持ちを持ち続けていられるってこと?」
と尋ねた。私は、
「ううん、それは難しいなあ」
と答えた。確かに私が物を捨てられない性格であることには違いがないのだが、その捨てられない物に対していつまでも好きな気持ちを持ち続けているかというと、そうではない。物を捨てられない気持ちが単なる貧乏性から来るものなのか、それとも踏ん切りが付かないだけなのか、自分でも良くわからなくなって来た。ただ、彼女は人に対しても物に対しても自分の感情が常に薄いということに対して、どうしたら私のように熱くなれるのかと、思い悩んでいるようでもあった。そこで私は、
「じゃあ、まずは物を捨てないことから始めてみれば?」
と言うと、彼女は笑っていた。

 私たちが生きて行く上で常に付き纏うのは、何かを選択すると、別の何かを選択できなくなるということである。私のように、人に対しても熱く、物もなかなか捨てられないという選択をすると、家の中がどんどん散らかってしまう。そして、彼女はそんな私と正反対である。これは、私たちが生きている世界が二元的な世界であることの証だと思う。二元的であるがゆえに、片方を選択すると、もう片方を同時に選択することができなくなってしまうのだ。そして、世の中に存在している多くの対立が、この二元的な世界における限界から来ているようにも思う。二元的な世界に限界があることに気付かずに、立場の違う者同士が、相手が手にしているものを認めようとせず、相手が手にしていないものを責め立てているように思えるのだ。立場の違う者同士が対話をするときは、相手が手にしているものを認めようとすることで、互いの視野が広がって行くように思う。

 彼女との会話は、私の選択していないことばかりで驚きの連続だったが、彼女の選択から学ぶことも多く、実に楽しい時間を過ごすことができた。かつての私ならば、人との違いをこれほど心地良いとは思わなかったはずだが、最近は、違いを楽しむ余裕が出て来たように思う。それは、自分の幅を広げてくれる存在が、自分と同じ価値観の人ではなく、自分とは違う価値観の人であることが少しずつわかって来たからかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 彼女と私は面白いくらいに違うのに、良く会って話をしています。思えば、若い頃は、自分と似ている人とばかり親しくなろうとしていたように思います。年を重ねて来ると、いろいろなことを経験して、許容できる範囲が次第に広がって来たのかもしれませんね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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