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2010.02.02

映画『コレラの時代の愛』

二元的世界の限界の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本当にたくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。振り返ってみると、過去における立場の異なる様々な対立が、自分の立場を認めて欲しい気持ちから来ていることがわかりました。相手の立場を認めずに自分の立場を認めて欲しいと互いに主張するものですから、不毛な対立に発展してしまうんですよね。自分の立場を守ろうとすると、相手の立場が見えなくなってしまいがちなのは、やはり二元的世界だからなんでしょうね。

 本作が劇場公開されている頃、今はなきホットヨガ神戸店のすぐ隣にあった私のお気に入りのミニシアター系映画館で本作が上映されていた。私は、本作の予告編を何度かそのミニシアター系映画館で観ていたので、ずいぶん気にはなっていたのだが、果たして五十一年九ヶ月と四日も好きな女性が自由になるのをひたすら待ち続けた男の物語に耐えられるのだろうかと思い、劇場で鑑賞するのは控えることにしたのだった。予告編を見た限りでは、好きな女性への男の気持ちは愛ではなく、独り善がりな自己愛のように感じられたからだ。とは言え、怖いもの見たさもあり、DVDで鑑賞することにしたのである。

 好きな女性を五十一年九ヶ月と四日も待ち続けた男フロレンティーノを演じているのは、映画『ノーカントリー』のハビエル・バルデムである。彼は何と、青年時代のフロレンティーノから年老いたフロレンティーノまでを一人で演じ切っている。おそらく、映画『サヨナライツカ』よりも主人公の活動期間は長いはずなのに、違和感がないのは、ハビエル・バルデムがそれだけ幅の広い役者さんだからだろう。

 郵便局員のフロレンティーノが配達途中に大きなお屋敷の少女フェルミナと出会い、恋に落ちる。二人はやがて、手紙で愛を交わすようになるのだが、身分違いという理由から引き裂かれ、それから五十一年九ヶ月と四日も過ぎたあと、ようやく結ばれるという物話だ。予告編を観ていた限りでは、フロレンティーノの完全なる片想いなのではないかと思っていたので、五十一年九ヶ月と四日も待ち続けることにずっと違和感があったのだが、実際のところ、二人には甘い相思相愛の時期があったのだ。

 一組の男女の生き様を五十年以上も描写し続けるとなると、それはそれは壮大な物語になる。フロレンティーノと引き離されたフェルミナは、のちに医師と結婚し、必ずしも幸せとは言い切れない人生を送った。フロレンティーノは、フェルミナが医師と結婚してもなお、心の中で彼女のことを想い続ける。とは言え、フェルミナと引き離されて失ってしまった心のバランスを取り戻すために、何と、合計六百二十二人もの女性たちと肉体関係を結びながら、時が熟すのをひたすら待ち続けるのだ。

 ここまで顕著ではないにしても、金城武くん主演の映画『ウインター・ソング』を鑑賞したときのような違和感が募って来た。やはり、映画『ウインター・ソング』の金城武くん同様、フロレンティーノがフェルミナを想う気持ちにはどこか押し付けがましいものを感じてしまう。好きな女性が他の男性と結婚してもなお、無理にでも自分のほうへと向かせたがっているような、そんな強引さを感じてしまうのだ。そのため、ストーリーを真剣に追いながらも、フロレンティーノに同調することができない。

 フロレンティーノが本当にフェルミナのことを想うなら、もっと大らかな気持ちでフェルミナを信頼して欲しかったと思うのだ。言うなれば、彼女の自由意思を尊重して欲しかった。繰り返しになるが、私から見ると、フロレンティーノの取っていた行動は、どう見ても自己愛にしか見えなかった。そんな状態が続いたあとに、フェルミナの夫である医師が亡くなったときに、
「五十一年九ヶ月と四日もあなたを待ち続けました」
と言うのは、やはり興ざめしてしまう。

 五十一年九ヶ月と四日も待ち続けて、フロレンティーノはようやくフェルミナと結ばれるわけなのだが、そのあと、何とも皮肉な結末を迎えることになる。もしかすると、五十一年九ヶ月と四日という長い長い歳月は、この結末のために用意されていたのではないかと思えるくらいの皮肉な結末である。このような皮肉な結末が用意されているところは、本作の面白さでもある。男女の愛について厳しい目を持っていなければ、この壮大な物語は楽しめるところがたくさんあるかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 世間の評価では、「純愛物語」などと表現されているようですが、男女の愛に厳しい私は、「純愛」と呼ぶにはずいぶん抵抗がありますね。(苦笑)純愛ならば、六百二十二人もの女性たちと肉体関係を持ちながら彼女を待ち続けるでしょうか。心と身体は別物だと言いたいのでしょうか。また、夫を喪ったばかりで悲しみに暮れる彼女に、「五十一年九ヶ月と四日もあなたを待ち続けました」などと言って彼女の手を取ろうとするでしょうか。「純愛」という表現には違和感を感じずにはいられない作品ではありましたが、コレラが流行していた時代背景や映像としての描写は良かったと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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