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2010年2月

2010.02.28

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(9)

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(8)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。やはり、古久澤先生のお話は盛りだくさんのあまりノートにきちんと書き取れていない部分がいくつもありましたね。その部分をカットしてしまったので、ご紹介させていただいたのは、実際のお話よりも短い内容になってしまったかと思います。すべてお伝えすることができずに申し訳ありません。

 質疑応答の時間になると、今回のコラボセミナーの講師であるルースさん、山志多さん、古久澤先生の三人が再び参加者の前に立たれた。そして、お世話役のみぃみさんの司会のもと、参加者から投げ掛けられる質問に、三人の講師の方たちが丁寧に答えてくださった。以下、若干表現は異なってしまうかもしれないが、Q&A形式で書かせていただくことにしよう。

Q.ルースさんに質問します。世の中には、親からひどい虐待を受ける子供たちがいて、とても心が痛みますが、そういう子供たちもまた、親から虐待を受けることで、何か学びがあるのでしょうか?

A.(ルースさん)魂は、ある程度のグループ単位で生まれ変わっていると思っています。その子供は、虐待されることが決まっているのに、そのお母さんに教えるために、わざわざそのお母さんを選んで生まれ変わっています。夫婦でも、毎回、夫が必ず妻を殺すという組み合わせで生まれて来ることがありますが、それは、そういう組み合わせで学ぶことがあるからなんですね。学び終えるまでは、何度でも同じ問題にチャレンジします。しかし、苦しいからと言って自殺してもリセットはできません。また生まれ変わっても、同じ問題と向き合うことになります。

Q.ルースさんに質問します。物とさよならするときはどうしたらいいですか?

A.(ルースさん)物はなかなか捨てられないですね。どうしても、その物とさよならするときは、「ありがとう」と言って手放しています。

Q.古久澤先生に質問します。さきほどのお話の中に出て来た樹を描く話ですが(私の記事の中では、あとでご紹介するつもりでまだ触れていなかったのだが、樹を描くと、その絵からいろいろなことがわかるので、時間があれば皆さんに樹を描いてもらいたいと古久澤先生はおっしゃっていた)、どのようなことがわかるのですか?

A.(古久澤先生)ちょっとだけお話ししておくと、うつの人は、左上の隅に小さな樹を描いただけで終わりにしてしまいます。(キャンバスの)左は過去を表し、右は未来を表します。上は空想力を現し、下は無意識を表します。スワイショウとリツゼンの組み合わせで、真ん中に樹を描けるようになります。

Q.山志多先生に質問します。使わなくなった物は思い切って捨ててしまったほうがいいのでしょうか?

A.例えばそれが壊れた家電であるならば、壊れた家具を見て自分を責める時間がもったいないと思うので、捨ててしまったほうがいいと私は思います。

 このあと、樹を描く話と同じように、本編で時間がなくなってしまい、伝え切れなかったという古久澤先生なりの桃太郎の解釈の話が語られた。大変興味深いお話なので、また後日まとめてお伝えすることにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m こうしてQ&Aをまとめながらも、私は精神世界についてはルースさんの話に強く惹かれ、心と身体のことについては古久澤先生の話に強く惹かれていることがわかります。ルースさんの話はとても霊的ですよね。霊的な話を聞くと、魂が震えます。(^^) 何故なら、真実が語られているからです。こういう話を、もっといろいろな人たちと交わすことができればいいと思うのですが、どうも私がいる世界は、親しい魂のグループ(類魂)から離れてしまっているように思います。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.02.27

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(8)

映画『Dr.パルナサスの鏡』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m そう言えば、学生の頃に英語の授業で、悪魔をOld Nickと習いましたが、本作に登場する悪魔もまさしくニックでしたね。記事の中で拝借した写真の右側に写っているのがそのニックです。悪魔を表す単語には、devil, the Evile One, Satanなどがありますが、Old Nickはdevilに相当します。Old Nickとdevil、それからthe Evile Oneは同義のようですが、Satanとなると、悪魔の親玉みたいなイメージのようです。本作の印象からも、ニックは徹底的に憎むべき対象ではないのかもしれませんね。では、古久澤先生の話に戻りたいと思います。(笑)

 古久澤先生は、イメージしにくかった色で内蔵の悪いところを判断する話を聞かせてくださったあと、両手の指を順番に使いながら、平仮名の「あいうえお」をすべての指で左右対称に書くことを推奨してくださった。あいうえおは五行の「木火土金水」に相当し、また、同時に内臓の悪いところを判断するための色である青赤黄白黒とも<リンクするようだ。

 更に古久澤先生は、六歳ぐらいまでの間に皮膚を通して愛情を感じると、この先どんな荒波に呑まれても乗り越えて行けるとおっしゃった。確か、去年の十月に神戸で行われたセミナーでもうかがったが、皮膚接触を通して愛情を感じることはとても大切なことで、六歳ぐらいまでとは言わず、何歳からでも取り戻せるとおっしゃった。私もそれについてはまったくの同感である。

 私たちが子供の頃は、親にしばしば抱っこしてもらい、皮膚接触を通じて親の愛情を感じ取っていた。おんぶや抱っこという言葉も当たり前のように使われ、また、実践もされて来た。しかし、ある時期から、子供たちはベビーカーに乗せられ、運ばれるようになってしまった。そのことにより、親子間の皮膚接触が減って来ているとも言われている。電車に乗っていても、子供さんをおんぶや抱っこしているお母さんにはなかなか巡り合えない。だからだろうか。ベビーカーで育った若者たちの感情が薄いと感じてしまうことがある。

 それだけではない。昔は、学校の先生が行う体罰も、生徒への愛情として捉えられていた。しかし、現代において先生が体罰を実践すると、それは暴力として解釈され、非難されてしまう。これもまた、皮膚接触が減少してしまったことの影響なのではないだろうか。先生と生徒に限らず、皮膚接触が減少しているために、人と人との距離感も保ち難くなってしまっているように思う。子育ての経験のない私が言うのも変かもしれないが、子供を叱れないと言われている親もまた、子供との皮膚接触を増やすことで、愛情を持って子供を叱れるようになるように思える。

 ところで古久澤先生は、去年の十月に神戸で行われたセミナーのときにもうかがったロイヤルタッチの話を聞かせてくださった。人差し指には怒りが溜まり易いそうだ。とは言え、最も怒りが溜まり易いのは、中指なのだそうだ。そして、薬指には悲しみが溜まり、小指には我慢が溜まるそうだ。それらの指を一本ずつ、強くもなく弱くもなく、落ちないギリギリのところで包み込み、ドックンドックンと心臓の音が聞こえて来たら充電完了だそうだ。

 また、古久澤先生によれば、砂糖は取れば取るほど身体の上に向かい、あらゆる精神面に影響を与えるという。塩分については、動物性の塩分はお腹周りに溜まってしまうのだそうだ。そのため、婦人科系の病気がある人は、魚を控えたほうがいいらしい。それでも魚を食べる場合は、魚を食べる前にミカンを食べておくといいそうだ。これについては、去年の十月に神戸で行われたセミナーでもうかがった話である。確かに私も、ある時期、魚を良く食べていた時期があったのだが、その頃は筋腫が固くなっていたように思う。

 また、古久澤先生の発行されているメルマガにもしばしば書かれているように、午前中に具なし味噌汁などの塩分を取ると、骨盤が締まるそうだ。そして古久澤先生は最後に、どんな問題も身体の不快な症状として現れると締めくくった。

 こうして古久澤先生のお話は終了し、続いて、これまでお話を聞かせてくださった三人の講師の方たちへの質疑応答の時間となった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 予想していた通り、古久澤先生のお話は、予定よりも少しオーバーすることになったのですが、世話役のみぃみさんもこのような展開を予想されていたらしく、少し長くなっても大丈夫ですよとおっしゃっていました。古久澤先生は、時間を気にしながらも、ほっとした様子で、引き続きお話を聞かせてくださいました。

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2010.02.26

映画『Dr.パルナサスの鏡』

ホットヨガ(一七六回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。アンケートが実施されていたということは、自分の思ったことを正直に書いても良かったのですよね。今では自分にそう言い聞かせています。(苦笑)何だかまた関東地方に出掛けて行って、本場ラビエのリラックスコースのレッスンを受けたくなりました。(笑)
 

 テリー・ギリアム監督の新作ということで、ずっと以前から楽しみにしていた本作を鑑賞したのは、映画『板尾創路の脱獄王』を鑑賞したのと同じ一月二十三日のことである。テリー・ギリアム監督の新作が公開されることについては、私が普段から熱心に耳を傾けているBBCの番組でも取り上げられていた。以前、掲載した写真の再掲載で申し訳ないが、私の愛用しているmpioという古いmp3プレイヤーの画面に表示されているのは、まさしくBBCで放送されていたテリー・ギリアム監督のインタビューをmp3化したものである。

 私はまだ、それほどたくさんのテリー・ギリアム監督の作品を鑑賞しているわけではないのだが、比較的最近の劇場鑑賞で印象に残っている作品は、ローズ・イン・タイドランドである。テリー・ギリアム監督の作品は、おかしな世界が真剣に描かれている。そのため、もしかすると、鑑賞する人によっては、わけのわからない作品へと転じてしまうかもしれない。しかし、テリー・ギリアム監督とイマジネーションを共有することができれば、それはそれは楽しく印象的な作品として心に残るのは間違いない。以前も少しだけ書いたが、「あの映画、面白かったねー」と映画好きの友人と共感し合ったのが、テリー・ギリアム監督のローズ・イン・タイドランドだったわけだ。

 さて、そんなテリー・ギリアム監督は、新作の中でどんなおかしな世界を見せてくれるのかと思いきや、今回も「やられた!」という印象だった。本作では、現代のロンドンを舞台に、移動式の見世物小屋を通して繰り広げられる不思議な世界が描かれている。何とその移動式見世物小屋は、千歳を超えるというパルナサス博士が利用客のイマジネーションを操り、利用客の望む世界が視覚的に実現され、至福の体験をすることができるというものだった。移動式見世物小屋で展開されるイマジネーションに触れたとき、何となく、ティム・バートン監督の不思議な世界にも通じていると感じたのは私だけではなかったはずだ。そう、映画『チャーリーとチョコレート工場』を観ているかのような不思議な世界が、そこには広がっていたのである。

 あるとき、記憶喪失となった青年トニーがパルナサス博士の娘に助けられ、移動式見世物小屋のアシスタントとして仲間に加わるようになる。トニーを演じているのは故ヒース・レジャーで、彼は何と、本作の撮影途中に急死してしまった。そこでテリー・ギリアム監督は、トニー役として、新たに三人の俳優を抜擢した。その三人とは、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルである。しかも、いかにも故ヒース・レジャーの代役であるといった作りにはなっていないところが素晴らしい。あたかも最初から台本として仕組まれた「錯覚」あるいは「幻想」であるかのように仕上がっているのだ。楽しい楽しいイマジネーションが広がる物語だが、実はパルナサス博士のイマジネーションには秘密があり、後半はその秘密との関わりが強くなって行く。

 年齢を重ねても、イマジネーションを表現し続けられる人というのは世の中には少ないように思える。とりわけ男性ならば、大人になると、現実にしか目を向けられなくなってしまう人が多いように思う。会社勤めをしていると、特にそう思う。テリー・ギリアム監督は、企業の中では部長以上の役員にも手が届くほどの年齢の監督さんだが、いくつになってもイマジネーションを膨らませ続けることのできる監督さんだと思う。とは言え、実のところ、不運な監督さんではあるのだが、そんな不運をものともせず、これからもイマジネーション溢れる作品を撮り続けて欲しいと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作の原題は"THE IMAGINARIUM OF DOCTOR PARNASSUS"です。私は、この"IMAGINARIUM”という単語がやけに気になります。英和辞典にも英英辞典にも載っていませんが、実際に本作を鑑賞すると、ああ、あの鏡のことなんだとわかるかと思います。辞書には載っていなくても、こんな的確な単語があったんですね。もしかすると、白雪姫の中に出て来る鏡も、"IMAGINARIUM"なのでしょうかね。

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2010.02.25

ホットヨガ(一七六回目)

十五回目のバレンタインデーの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本当にたくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。記事の中に、今年で結婚十五周年と書いてしまったのですが、計算し直してみたら、十四周年の間違いでした。私たちはバレンタインデーから始まったので、ガンモと迎えるバレンタインデーは十五回目だとしても、結婚十五周年を迎えるにはあと一年掛かります。(苦笑)ところで、ガンモに贈った「カーマニアセットチョコレートV3」ですが、私は楽天市場で購入したものの、三宮の地下街「さんちか」で売られているそうです。このチョコレートを製造しているのが神戸の会社なので、そこにお店を構えているようですね。

 開店五周年を迎えた南森町店では、バレエストレッチのレッスンに引き続き、六十分のリラックスコースのイベントレッスンが行われるというので、わくわくしながら受付で申し込んで参加して来た。リラックスコースと言えば、関東地方にある姉妹店のラビエで行われている楽しい楽しいレッスンだが、私が通っているホットヨガスタジオ・オーにはないコースである。確か、私はこれまでに二回ほど、神奈川県にあるラビエでリラックスコースのレッスンを受けている。一言で言って、リラックスコースのレッスンの楽しさは、レッスンの始めのほうに行われる揺れる吉祥のポーズにあると言っても過言ではない。私は、南森町店のスタジオで、揺れる吉祥のポーズが再現されることが楽しみで楽しみで仕方がなかった。

 リラックスコースのイベントレッスンに参加していたのは、私を入れて十二名の参加者だった。そして、レッスンを担当してくださったのは比較的若いインストラクターである。インストラクターの声は通り易く、レッスン中に流れているBGMも雰囲気の出るものでとても良かった。しかし、ウォーミングアップのストレッチを終えたあと、揺れる吉祥のポーズに入ったのだが、彼女の導きでは揺れる吉祥のポーズが持つ楽しさが伝わって来ないことに不満を覚えてしまった。ラビエで行われているレッスンでは、参加者から笑みさえこぼれて来るほど楽しいポーズだと実感出来るはずなのに、実にさらりと流されてしまったのである。

 それだけではない。その後、人魚のポーズや他のポーズにも入ったのだが、インストラクターの口からそれぞれのポーズの名前が語られないばかりか、そのポーズがどのようなことに効果があるのかもまったく説明のないまま、ただ淡々とインストラクターの導くポーズを取るだけのレッスンになってしまったのである。

 レッスンに参加している人たちの多くは、わざわざ関東地方まで出掛けてリラックスコースのレッスンを受けているわけではないと思うので、おそらくリラクスコースのレッスンを初めて受ける人たちがほとんどだったはずである。そのような人たちにとって、レッスン後に何が残るかというと、やはりレッスン中に取る一つ一つのポーズの名前ではないだろうか。レッスン中にメモを取ることはできないにしても、せめてインストラクターの口からそれぞれのポーズの名前だけでも語られれば、帰宅したあとにインターネットでポーズの名前を頼りにそのポーズを検索して、ポーズへの理解を深めることができるのではないだろうか。初めてのレッスンでうまく取ることのできなかったポーズでも、例えば動画投稿サイトなどでそのポーズの動画を参照しながらレッスンを復習することもできるのだ。私は、リラックスコースの楽しさが伝わって来ないレッスンに不満を覚えていた。他の参加者たちも私と同じように感じていたのかどうかはわからないが、半分近くの人たちがレッスンの途中で退出してしまった。

 レッスンを終えてシャワーを浴びたあと、受付にロッカーの鍵を返しに行くと、スタッフから、今回のレッスンに関するアンケートにご協力きださいと言われた。バレエストレッチのレッスンのときも同じようにアンケートに回答したのだが、そのときは、レッスンにとても満足できたと感想を述べ、今後もこうしたイベントレッスンを企画して、また刺激を与えて欲しいと書いた。しかし、今回のアンケートには、厳しいと思われるかもしれないが、上記したような、自分の思ったことを正直に書かせていただいた。おそらく私の提出したアンケートは、レッスンを担当してくださったインストラクターもご覧になることだろう。もし、ご本人がご覧になったとしても、ちゃんと次のレッスンへと繋がって行くように、「これからのレッスンに期待しています!」と添えておいた。

 姉妹店のラビエで行われているリラックスコースのレッスンがホットヨガスタジオ・オーのイベントレッスンで紹介されることにより、今後、ホットヨガスタジオ・オーにもリラックスコースのレッスンが加えられるかもしれないとても大切なチャンスだったはずなのだが、私の感触では、今後、ホットヨガスタジオ・オーのメニューに、リラックスコースのレッスンが加えられることはないように思える。もしも参加者にとってリラックスコースのレッスンがとても楽しいものであったならば、六十分のレッスンなので、私と一緒にレッスンに参加していた人たちは、途中で退出することなく、最後までスタジオに残ってレッスンを受けられたのではないかと思うからだ。アンケートに厳しいことを書いてしまったのは、リラックスコースの楽しさが、リラックスコースを知らない参加者たちに伝わらなかったことが残念に思えて仕方がなかっからだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 大好きなリラックスコースのレッスンが行われるというので、本当に楽しみにしながらレッスンに参加したのですが、このような結果になってしまいました。私は、心の中で思ったことを押し隠して、アンケートには甘い回答をすべきだったのでしょうか。私が行ったことは、単にラビエのレッスンとの比較に過ぎず、本当は、比較ではなく、ラビエのレッスンを受け継いだホットヨガスタジオ・オーのインストラクターの個性を尊重すべきだったのでしょうか。レッスンを終えた今でも、そんなことを自問自答しています。

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2010.02.24

十五回目のバレンタインデー

映画『板尾創路の脱獄王』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 先日、職場で行われた朝礼で、ある方が映画の話題を取り上げられました。私はその映画を鑑賞していたので、どのような感想が述べられるのか、じっと聞き入っていたのですが、私の感じ方とはまったく違っていて驚きました。自分が心を熱くした作品に対し、冷めた口調で語られると、感性の違いを感じてしまい、寂しくなりますね。感性の違いが新たな発見に繋がることもありますが、温度差があるときは、隔たりを感じることもあります。おそらく、映画の好みが合うというのは、生きて行く上で大切にしているものが近いということなのでしょうね。

 遅ればせながら、バレンタインデーの出来事を綴ってみようと思う。バレンタインデーというと、私たちが互いの想いを打ち明け合い、付き合い始めた記念日に相当する。それだけではない。私たちが付き合い始めた日を記念して、この「ガンまる日記」を書き始めたので、現在は、「ガンまる日記」の書き始め記念日でもあるのだ。この二〇一〇年のバレンタインデーで、私たちは付き合い始めて十四周年、私が「ガンまる日記」を書き始めて六周年を迎えた。そして、「ガンまる日記」に設置したカウンターも、おかげ様でもうすぐ五十万アクセスを達成しようとしている。思えば、一日一記事を目指して書き続けて、丸六年が経過したわけである。こうして毎日書き続けて来られたのも、継続的に訪問してくださり、支えてくださった皆さんのおかげである。本当にありがとう。

 さて、今年のバレンタインデーに、ガンモにどんなチョコレートを贈ろうかと考えていたところ、楽天市場に面白いチョコレートが出ているのを発見した。既に多くのメディアで紹介されている有名なチョコレートらしいのだが、工具をかたどった「カーマニアセットチョコレートV3」と呼ばれるチョコレートである。車好きの男性をターゲットにしたチョコレートのようで、チョコレートで作られたモンキーレンチ、スパナ(SSS)、スパナ(SS)、ペンチ、ボルト、キーがセットになっている。私は、「これだ!」と思い、バレンタインデー当日に配達されるように指定して注文し、そのことをガンモには内緒にしておいた。

 そして、いよいよバレンタインデー当日を迎え、注文しておいた商品が宅配ボックスに届けられた。届いた商品を宅配ボックスから取り出したあと、ガンモに、
「宅配ボックスに入ってた荷物だけど、バレンタインのチョコレートだよ」
と言って差し出すと、ガンモはうれしそうに自分で包みを開けた。そして、パッケージの裏に書かれた商品名を見て、
「あっ、これ、あれだろ。工具の形をしたチョコレートだろ」
と私に言った。
「何だ、知ってるの?」
とガンモに尋ねると、何でも会社の後輩が、お世話になった上司のために、同期のみんなでお金を出し合ってこのシリーズのチョコレートを贈ったことがあるらしい。そのときガンモは実物を見たわけではなかったが、そんな面白いチョコレートがあるなら自分も欲しいと思っていたという。

 ガンモは、ようやくそのチョコレートを自分のものにできる喜びをかみしめながら、慎重に箱を開けた。中身を確認したガンモの表情は、チョコレートのように甘く、口元は緩んでいた。そして、うれしそうに、
「これ、欲しかったから」
と言った。

カーマニアセットチョコレートV3
上から、モンキーレンチ、スパナ(SSS)、スパナ(SS)、ペンチ、ボルト、キー

 毎年、バレンタインデーにチョコレートを贈ると、すぐに食べ始めるガンモだったが、工具の形をしたチョコレートにはなかなか手が出せないらしく、しばらく箱に入れたまま大事にしまっていた。ガンモに、
「ねえ、チョコレート食べないの?」
と尋ねても、
「もったいないから食べない」
と言う。

 数日経っても、ガンモはチョコレートを食べようとはしなかった。バレンタインデーのチョコレートは、贈り主である私も一緒に食べることになっているので、私はとうとうしびれを切らして、
「ガンモ、バレンタインデーのチョコレート、一緒に食べようよ」
と誘った。しかし、ガンモは、
「いやだ! 取っとくから」
と抵抗した。

 それから更に数日経っても、ガンモはまだ工具のチョコレートに手を付けようとはしなかった。それでも、ときどき箱を開けて、中身を確認しているようである。そして、ある日、とうとう、
「キーだけでもかじろうかな」
と弱音を吐いた。キーとは、車の鍵の形をしたチョコレートのことである。いかにも鍵らしく見せるため、鍵のギザギザの部分がホワイトチョコレートで出来ている。とうとうガンモもチョコレートを食べる決心が付いたか? と思いきや、ガンモはすぐに思い直し、やはり手を付けないことに決めたらしい。

 そんなこんなで、既にバレンタインデーから十日経過した今でも、ガンモは私の贈ったチョコレートに手を付けてはいない。こんなバレンタインデーは初めてである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m このまま行くと、ホワイトデーまでチョコレートは持つかもしれません。(苦笑)まさかガンモは、ホワイトデーに私と一緒にチョコレートを食べようと思っているのでしょうか? それもまた面白いかもしれませんが、はてさて、チョコレートの行方はどうなるのでしょう。

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2010.02.23

映画『板尾創路の脱獄王』

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(7)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。私も普段、歩いているときに、左右の足の引きずり方が違うことから、左右の足の長さが違っているのを実感しています。また、ホットヨガのレッスンを受けているときにも、身体をねじるポーズで左右のねじり方に違いがあるのも実感しています。おそらくこうした違いも、骨盤の歪みに関係しているのでしょうね。さて、今回は三日に一度の映画のレビューをお届けさせていただきます。そのあと、別の記事を二つ挟んでから、次の映画のレビューの記事を書かせていただいて、古久澤先生のお話に戻りたいと思います。

 あるとき映画好きの友人が、
「板尾創路ってシュールだよね」
とメールに書いて来た。私が、
「えっ? もしかして、脱獄王のこと? 観てないよ」
と返すと、
「脱獄王、観ないの?」
と返って来た。そこで、
「彼、映画『空気人形』にも出てたけど、関西弁だったでしょう。普段、当たり前のように耳にしているせいか、映画で関西弁を聞くのは好きじゃないのよ」
と返事すると、
「大丈夫。台詞はほとんどないから」
という答えが返って来た。こんなやりとりがきっかけになり、今から一ヶ月前の一月二十三日に本作を鑑賞するに至ったのである。

 とは言え、映画好きの友人が話題にするくらいだから、きっと見応えのある作品に仕上がっているだろうと思いたかったのだが、いかんせん、本作の監督を手掛けた板尾創路氏がお笑い芸人ということで、最初から偏見を持って鑑賞し始めたことは確かだった。ところが、そのような偏見を持って鑑賞し始めたことがかえって良かったのか、あまりにも真面目な作りに驚きを覚え、瞬く間に映画の世界に引き込まれてしまった。

 板尾氏は、本作の監督を手掛けるとともに、脱獄を繰り返す主人公鈴木雅之(どこかで聞いた名前)も演じている。映画好きの友人が言った通り、主人公であるにもかかわらず、ほとんど台詞がなかった。仕草や表情だけで演技をしているのだ。

 無銭飲食の罪で捕らえられた鈴木は、看守たちにも気付かれないような方法でちょっとした道具を隠し、いつの間にか手錠を外していたり、時には難なく脱獄したりする。しかも、脱獄したあとは線路沿いを歩いて逃げるものだから、すぐに保護されてしまう。そんなことを繰り返しながら、無銭飲食という最初の罪はどんどん重くなって行く。そして最終的には何と、これ以上の監獄はないというような究極的な監獄に送り込まれてしまう。しかし、鈴木には思惑があったようだ。

 あたかも、お笑い芸人が監督を手掛けたのではない真面目な映画であるかのように見せ掛けながら、最後の最後でお笑い芸人としての誇りを見せ付けてくれる。そのラストの意外性に、これまで静かに展開を見守って来た人たちは、うならずにはいられない。実に良く出来ている。脚本も配役も演技もいい。

 印象に残っているのは、國村隼さん演じる看守長が、脱獄を繰り返す鈴木に向かって投げ掛けた、
「お前、一体何から逃げてるんだ?」
という、意外な結末へのヒントともなる台詞である。鈴木と看守長の直接的な会話はないのだが、何となく、お互いの中に相手の存在を気に掛けている様子が見え隠れしている。そうした間接的な表現方法もいい。

 私は普段、テレビを見ていないので、お笑い芸人である板尾氏のご活躍ぶりはほとんど知らないのだが、ここまでシリアスなドラマを作り上げ、最後の最後に意外な驚きのプレゼントを用意してくれた彼の手法にいたく感動したのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私が足を運んだ映画館では、既に劇場公開が終了してしまいましたが、調べてみると、まだまだ全国レベルで劇場公開されている地域も多いようですね。一月十六日公開の作品ですので、一ヶ月以上に渡り劇場公開され続けているのは、それなりに理由があるはずです。まだご覧になっていない方がいらっしゃいましたら、その理由を確かめに劇場に足を運んでみるのもいいかもしれませんよ。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.02.22

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(7)

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(6)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 古久澤先生が聞かせてくださる骨盤の話には、とても興味があります。どうやら、骨盤の開閉がスムーズに行われることが女性にとっては大切なことのようですね。おそらく、身体を形成している根本的な部分に関わるからでしょうか。西洋医学は、部分的な症状にこだわりますが、整体などは、部分的な症状にはこだわらず、その原因となっている別の部位を探ろうとします。そういうところが、私の生き方にも合っているのかもしれません。

 古久澤先生は、メルマガの中でも陰陽の話を良く話題に取り上げられる。私は、ツインソウルの男女の組み合わせについては陰陽を感じ取って来たが、古久澤先生の場合、ありとあらゆる存在を陰と陽のエネルギーとして感じ取っていらっしゃるように見受けられる。私が陰陽でわかるのは、ツインソウルのどちらが陰でどちらが陽であるかということくらいだ。ちなみに、ツインソウルのカップルが写っている写真を見ると、陰と陽のエネルギーがお互いの頭の上から抜け出て、相手に向かって交差しているのを感じることがある。

 古久澤先生は、叩く刺激は陽で、摩(さす)る刺激は陰だとおっしゃった。叩く回数は三回、摩る回数は二回がいいそうだ。気を入れたいときは奇数回、気を抜きたいときは偶数回行うのがいいらしい。なるほど、ということは、叩くのは気を入れることで、摩るのは気を抜くということになる。

 また、古久澤先生は、叩いて鈍い音がするところが身体の歪んでいるところだとおっしゃった。叩いてみて文明開化の音がするかどうかはわからないが、他と違って鈍い音が聞こえてくれば、そこの矯正を目指せばいいということだ。

 古久澤先生によれば、骨盤がスムーズに開く人は、生理痛も更年期障害もないそうだ。ああ、今の私は骨盤がスムーズに開かないために、擬似更年期障害のような状態に陥ってしまっているのだろうか。

 私のように、パソコンを長時間使用して目を使い過ぎている場合は、蒸しタオルで目を温めるといいそうだ。疲れた目に蒸しタオルを当てると、本当に気持ちが良さそうなのだが、実は私は、まだ一度も実践したことがない。というのも、私自身、コンピュータ業界で働き始めてからそろそろ二十一年が経とうとしているが、パソコンを使い過ぎて視力がひどく進んだわけでもなかったので、目の疲労についてもほとんど意識していなかったからだ。

 それは、私がいつもオフィスや自宅、あるいは外出先に持ち歩くためのパソコンをカスタマイズして、できる限り自分の目に負担のないように輝度を低くしたり、背景を暗くしてコントラストを抑えたりして、目に優しい配色になるように工夫を凝らして来たからかもしれない。言い方を変えれば、すべてのパソコンのデフォルトの設定である白背景に黒文字の画面は、私にはとても眩しすぎるのた。しかし、私のお気に入りの配色を、オフィスでみんなが使っているパソコンに設定すると、画面を見にくくなるとひどく不評なのである。私にしてみれば、白背景に黒文字の画面のほうがよっぽど見にくいというのに・・・・・・。とは言え、少し前に友人が目を悪くして、パソコンの使用を控えたほうがいいと医師に言われたと聞いたので、私が普段、使っている目に優しいはずのパソコンの配色の設定をWindows XPのテーマファイルに保存してメールに添付して送付したところ、目に優しいと喜んでもらえた。

 話が少々脱線してしまったので、元に戻そう。こんなふうに、パソコンの使い過ぎから来る目の疲労については、自分なりにはかなり気遣っているつもりだった。しかし、私の骨盤が固まってしまっていることは事実なので、蒸しタオルで目を温めることにチャレンジしてみようと思う。

 ところで、人間の足の長さは、左右同じでない場合も多いようだ。例えば、後ろから誰かに名前を呼ばれて振り返るとき、その人が右向きに振り返ったならば、その人は右足が短いのだそうだ。何故なら、人は、短い足を軸にねじるほうが楽だからなのだそうだ。また、右目だけ二重で左目が一重の場合は、右足が長いのだそうだ。それらのことで左右どちらの足が長いかがわかるなんて、なかなか面白いではないか。

 古久澤先生は、五色の色紙をホワイトボードに貼った。それぞれ、青、赤、黄、白、黒の色紙である。古久澤先生は、セミナーに参加している人たちにこれらの色紙をしばらく眺めるようにおっしゃったあと、目を瞑ってさきほど見ていた色紙の色を頭の中でイメージするようにおっしゃった。何と、目を瞑ったときにイメージし辛かった色によって、身体の悪いところがわかるというのだ。

 青をイメージし辛かった人は、肝臓が疲れているそうだ。赤をイメージし辛かった人は、心臓が疲れているそうだ。黄をイメージし辛かった人は、すい臓が疲れているそうだ。白をイメージし辛かった人は、肺が疲れているそうだ。そして、黒をイメージし辛かった人は、腎臓が疲れているそうだ。ちなみに、私は黒をイメージし辛かった。

 昔、横浜の中華街に、文字で書かれたメニューではなく、色で料理を選ぶところがあったが不人気だったという。その人が選んだ色で身体の弱いところがわかるので、それぞれの弱いところに効く料理が自動的に出て来たのだそうだ。それはそれで面白いとは思うのだが、利用する人が自分の身体に対しての関心が薄ければ、自分の身体の状態に関係なく、ついつい自分の食べたいメニューを選びたくなってしまうのかもしれない。

 古久澤先生の話は、まだまだ続くのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m セミナーの当日、メモしたノートを見ながら記事を書かせていただいているのですが、どういうわけか、古久澤先生のお話のときにメモした内容だけが断片的な情報になってしまい、中には前後の繋がりからも、話題として掘り起こせないものも多いようです。短時間のうちに古久澤先生の口から語られる内容をすべて書き留めることができなかったのでしょうね。自分で書いたはずなのに、読めない文字もたくさんあります。(苦笑)昔、速記という資格が流行っていましたが、きっとこういうときに役立つんでしょうね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.02.21

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(6)

映画『ジェリーフィッシュ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m クラゲというと、私はいつも清少納言の書いた『枕草子』を思い出していましたが、これからは映画『ジェリーフィッシュ』を思い出すようにしたいと思います。(笑)映像の中に、本物のクラゲが出て来ないところも面白いですね。

 みぃみさんによる古久澤先生のご紹介が終わり、いよいよ待ちに待った古久澤先生のお話が始まった。古久澤先生は、呼吸で人生をストレッチする!夢を叶える心のストレッチという二つのメルマガを発行されている。

 まず最初に、古久澤先生のご専門は整体と気功であると自己紹介してくださった。気功をしていると、ゲゲゲの鬼太郎みたいに髪の毛がピンと立つことがあるのだそうだ。

 古久澤先生は、日本列島は人間の身体に例えることができるという話を聞かせてくださった。北海道が頭で東北地方が首、能登半島が右手で房総半島が左手、浅間山や富士山が胸に当たり、淡路島は男性性器、琵琶湖は子宮、淀川は産道、中国は右足、四国は左足、富士山は心臓に相当するのだそうだ。なるほど、面白い。ガンモも私も左足で生まれ育ったわけだ。それにしても、ちょっと待てよ。セミナーのときには気付かなかったのだが、胸の膨らみもあり、男性性器も子宮もあるということは、日本列島は両性具有だったのだ。しかし、考えてみれば、それが本来あるべき人間の姿なのかもしれない。

 ところで、古久澤先生が神戸の話をされるときは、たいてい日本の三大滝が話題に持ち上がる。古久澤先生曰く、日本の三大滝とは、華厳の滝、那智の滝、そして神戸にある布引の滝なのだそうだ。(三つ目の滝が、茨城にある袋田の滝ではないところがミソである)大変お恥ずかしい話だが、私は兵庫県に住み始めてからそろそろ十四年が経とうとしているのに、未だに布引の滝に足を運んだことがない。布引というと、新神戸駅の近くなのだが、新幹線を利用して東方面に出掛けて行くときはいつも新大阪駅を利用しているため、西方面に出掛けて行くのでもない限り、新神戸駅から新幹線を利用することはほとんどない。そのため、ついつい行きそびれてしまっているのだ。

 古久澤先生は、今の私たちの身体は、これまでの自分の通信簿であるとおっしゃった。何だか耳の痛い話である。そして、ブリージングストレッチセミナー in 神戸(4)の記事でご紹介した両手の小指だけを下に折り曲げるストレッチを参加者全員で行った。私は、昨年十月に神戸で行われたセミナーでこのストレッチを教えていただいているというのに、小指を鍛えるこのストレッチをずっとサボっていた。そのため、初めて小指を折り曲げたときと同様、他の指が一緒に付いて来てしまい、小指だけをうまく折り曲げることができなかった。それでも、右手のほうがまだ少しマシで、左手のほうは右手を添えて小指を軽く押さえ込まなければ折り曲げることができないほど、私の言うことを聞いてくれなかった。

 古久澤先生は、小指が動かない人は、肩が相当凝っているとおっしゃったのだが、まったくもってその通りである。そういう人は、骨盤を締めようと思ってもなかなか動かないのだそうだ。こちらも、まったくもってその通りである。ここのところ、ホットヨガで骨盤コースのレッスンを受けながら骨盤を動かしているのだが、その度に自分の骨盤が思い通りに動いてくれないのを実感しているからだ。また、パソコンで目を使い過ぎていると、骨盤が固まって動かなくなってしまうのだそうだ。こちらも大変耳が痛い。

 小指は骨盤に繋がっているので、骨盤の状態を整えるには小指を強化するといいそうだ。小指だけでペンを持つことができるように訓練するといいらしい。現在、長く生理が続いている人は、骨盤の締まりが良くなると、四日で生理が終わるようになるという。男性の場合は、骨盤が締まると精力が増すそうだ。

 続いて、親指である。去年開催された神戸セミナーのときにも実践したが、左手の手のひらを上にして前方に差し出して、左手の親指だけを下に向けて、右手を使って左手の親指を下に引っぱりながら、腕全体はそのまま右に向けて、顔は左に向ける。今度は手を変えて、右手の手のひらを上にして前方に差し出して、右手の親指だけを下に向けて、左手を使って右手の親指を下に引っぱりながら、腕全体はそのまま左に向けて、顔は右に向ける。

 実践してみると、親指の付け根のあたりがかなり痛むことがわかった。どうやら私も脳を使い過ぎているらしい。古久澤先生によれば、親指は脳に繋がっているので、親指に力を入れ過ぎていると、脳の病気になりやすいそうだ。例えば、指圧師さんなども親指を良く使う仕事なので、脳の病気で倒れる方が多いそうだ。

 古久澤先生のお話は、まだまだ続く。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私は普段から小指を使っていないために、骨盤が固まっていることがわかりました。もちろん、パソコンの使い過ぎというのもあるのでしょうね。(苦笑)去年の十月に行われたセミナーでも教えていただいていたのにずっと小指を動かすストレッチをサボっていたので、今回のセミナーが終わってからは、親指をほぐして小指を鍛えるように、毎日ストレッチを行っています。職場で、十時と十五時に体操が行われているのですが、仕事中はその時間を利用してに親指をほぐして小指を鍛えるストレッチを行っています。

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2010.02.20

映画『ジェリーフィッシュ』

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(5)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。私は結婚前に十一年間、東京に住んでいましたが、山志多さんのような女性にはあまり巡り合えなかったように思います。住んでいた場所が世田谷区だったからでしょうか。東京の下町の雰囲気をあまり感じることなく過ぎてしまいました。そういう意味で、山志多さんは、私の知らなかった東京の新しい一面を伝えてくれる人でもありました。

 映画『蘇りの血』のレビューを書かせていただいたときに、多少、マイナーな作品のレビューを書かせていただいても大丈夫だという感触を得られたので、今回はイスラエルとフランスの合作映画のレビューを書かせていただくことにする。

 二〇〇七年の作品だが、私は本作が劇場公開されていることを知らなかった。もしかすると、私が好んで足を運んでいたミニシアター系映画館では上映されなかった作品なのかもしれない。本作を鑑賞しようと思い立ったきっかけは、他の作品をDVDで鑑賞したときに付いていた予告編からである。私は普段から、気になる作品に出会うと手帳にメモしておいて、レンタルDVDショップを訪れたときにそのタイトルを探すようにしているのだ。

 本作では、三組の主人公により、三つの物語が並行して進行している。一つ目は、結婚式場で働いている女性バティアが海辺で浮き輪を付けた小さな女の子と出会う話、二つ目は、バティアが働いている結婚式場で挙式したばかりのカップルが、新婦の骨折のため、新婚旅行に旅立つことができずに市内のホテルで過ごすという話、そして三つ目は、フィリピンから出稼ぎに来ている介護ヘルパーのジョイと、彼女がヘルパーを務める女性マルカとの話である。

 バティアが海辺で出会った女の子は、ほとんどしゃべらず、時折ニコニコと笑うだけである。警察に届けたものの、迷子の届けは出されておらず、成り行きからバティアがその子を一時的に預かることになる。バティアは女の子のために、自分が小さい頃に着ていた服を受け取るべく、若い女性と再婚したためにしばらく疎遠だった父のもとを訪れる。そこでバティアは、女の子が何者であるのか、今後の手掛かりになるものを発見する。バティアの住むアパートは水漏れをしていて、あるときとうとう部屋が水浸しになってしまったりと、ちょっぴり幻想的な映像も映し出される。こうした映像は、鑑賞する人の想像力を掻き立ててくれるものだ。

 新婚旅行に出掛けるはずが、市内のホテルに宿泊する羽目になってしまった新婚カップルたちもまた、ホテルで不思議なひとときを過ごしている。おそらく、二人が市内のホテルにこもったのは、少しでも自分たちを日常から切り離して、新婚気分を味わいたかったからなのだろう。決して高級とは言えないホテルの部屋にちょっぴり不満を感じていたところ、ふとしたことから新郎が最上階のスィートルームに滞在している女性と話をするようになる。新郎が事情を話したところ、スィートルームに滞在している女性が部屋を替わってくれると申し出てくれた。しかし、事態は思わぬ方向へと展開して行く。

 フィリピンから出稼ぎに来ているジョイは、フィリピンに幼い息子さんを残して来ているようだった。息子さんの誕生日に贈るべく、ウィンドウショッピングをしながらプレゼントの狙いを定めている。あいにくジョイはヘブライ語を話すことができず、マルカとの意志の疎通ができない。しかしマルカは、言葉が通じるはずの自分の娘ともうまく行ってはいない。最初のうちは、ヘブライ語を話せないジョイを拒絶しているかのように見えるマルカだったが、同じ時間を過ごすうちに、二人は次第に心を通い合わせて行く。人間同士は、決して言葉だけでわかり合うのではないということだ。

 舞台となっているのは、イスラエルのテルアビブという美しい海辺の街である。ジェリーフィッシュとはクラゲのことで、主人公の三人の女性たちがそれぞれクラゲのように波に身を任せてゆらゆらと漂う物語となっている。終盤に近付くにつれて、三人の主人公が緩く繋がりを持つ構成もいい。クラゲのようにゆらゆらと漂う物語だからこそ、形式ばった結論がなく、じわじわと心にも染みて来る。だから、鑑賞する人たちも、肩の力を抜いて、クラゲのようにゆらゆらと漂うだけでいいのかもしれない。

 最後には、バティアが出会った浮き輪を付けた小さな女の子が何者であるかがわかるのだが、もしかすると、浮き輪を付けた小さな女の子もまた、クラゲのように生きていたかったのかもしれない。何故なら、人間がクラゲになるためには、浮き輪が必要だからだ。女の子は、浮き輪を付けて海にプカプカと浮いていたかったのだろうか。そんなふうに、物語のあちらこちらに隠されているクラゲを探したくなるような作品である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 日本に入って来るイスラエル映画が少ないように、イスラエルに向けて出て行く日本映画もまた、少ないのでしょうか。翻訳がなかなか難しいのかもしれませんが、日本にももっともっと英語圏以外の映画が入って来てもいいような気がしますね。

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2010.02.19

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(5)

ホットヨガ(一七五回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。いつもとは違うレッスンを受けると、気持ちが引き締まりますね。私は、小さい頃はバレエとはご縁がありませんでしたが、四十歳を過ぎてからバレエの雰囲気を味わえるのですから、人生、何が起こるかわかりません。ちょっと大袈裟でしたか。(笑)それと、ここ最近の記事でご紹介していたレッスン中に着ていたTシャツの画像ですが、現在、手持ちのほとんどのTシャツをご紹介し終わりましたので、これからしばらくの間、Tシャツのご紹介は見送らせていただきますね。

 山志多みずゑさんは、*ひとことせらぴぃ*ほらね元気出たじゃん♪というメルマガを発行されている。今回のセミナーのお世話をしてくださったみぃみさんが山志多さんをご紹介してくださるときに、山志多さんの発行されているメルマガの語り口調について触れられた。
「あの、べらんめぇ調っていうんでしょうか・・・・・・」
セミナーを終えてから私も山志多さんのメルマガを拝見してみると、確かに独特の語り口調である。チャキチャキの江戸っ子とは、山志多さんのような方のことを言うのだろう。

 山志多さんは、プロのセラピストとしてご活躍されている方である。黒い服がとてもお似合いで、年齢は私よりも一つ下のようである。ほぼ同い年なので、のちにお話の中で「たのきんトリオ」が登場したとき、思わず笑ってしまった。今どきのSMAPや嵐ではないのだ。

 山志多さんは、いきなり好きな歌を流して、その歌の歌詞をホワイトボードに書き、この歌詞がたまらなく好きなのだとおっしゃった。そして、今日はルース先生や古久澤先生と一緒にセミナーを開催できることがうれしくてうれしくてたまらず、先ほどから感動の涙を流しっぱなしなのだという。人前で話をするのがとても上手な方で、既にあちらこちらのセミナー会場で場数を踏んで来られた方だとお見受けした。

 山志多さんは、「叶って欲しい未来に自分がどれだけわくわくできるかが大切。わくわくした願望は必ず叶う。未来のイメージが動画のように繋がれば、それは必ず叶う」とおっしゃった。例えば山志多さんは、上の息子さんの卒業式に着物を着たいと思っていたらしい。人に着せてもらうのではなく、自分の手で着たいと思っていたので、着付け教室にも通っていらっしゃったようなのだが、多忙のため、ほとんど着付け教室に足を運べる状態ではなかったという。そして、今回も人に着せてもらうことになるのだろうかと思いつつも、卒業式の二日前に、
「よし、着よう」
と自分で決めたらしい。そのとき、あれをして、これをして、周りの人たちからどのような反応があって、というようなことを細部に渡って妄想したところ、二日後の卒業式の日には、これまで妄想していたこととまったく同じことが、細部に渡るまで実現されたらしい。こうして山志多さんは、ご自分で着物を着て息子さんの卒業式に出席するという願望を達成されたのだ。

 自分で着物を着るということに限って言えば、実は私にも経験がある。大学四年生の春休み、私は長野県にある温泉旅館で中居さんの住み込みアルバイトをしていた。そのとき、着物の着方を覚えたので、卒業式の袴(はかま)は誰の手も借りずに自分で着たいと思っていた。そして、間もなくそれが実現した。卒業式には、私と同じように袴を着ていた友人たちはたくさん居たが、私は自分で袴を着ることができたことが、とてもうれしかった。そのおかげで、今でも大学の卒業式は良き思い出として私の心の中に残っている。もしも誰かに着せてもらった袴なら、卒業式に袴を着たことなど、すぐに忘れてしまうような気がする。

 山志多さんは、わくわくすることについて、ガソリンスタンドで働く人の例を挙げて話をしてくださった。ガソリンスタンドで働くAさんは、ガソリンスタンドで働くのが楽しくて仕方がない。あいさつも素晴らしく、満面の笑顔でお客さんと接している。一方、同じガソリンスタンドで働くBさんは、ごく普通に働いている。お客様に対する礼儀もそれほど悪くはなく、普通に笑顔を注ぐことができる。

 山志多さんは、AさんとBさんのどちらにガソリンを入れてもらいたいかと参加者に問い掛けた。もちろん、誰しもAさんに入れてもらいたいだろう。山志多さんは、
「Aさんは、自分がわくわくしながら仕事をすることによって、他の人のことも同時に幸せにしている」
とおっしゃった。つまり、自分がわくわくすることで、他の人も幸せにできるということだ。

 そのとき山志多さんは、ホワイトボードに、
「使命
  ○○をして命を使いなさい」
と書かれた。私はその表現を目にした途端、目頭がふと熱くなった。私の使命は何だろう? 私は何の使命を全うしようとしているのだろうかと思ったからだ。

 その後、セミナー会場の照明が落とされ、外の光も入って来ないようにブラインドも降ろされ、セラピストである山志多さんによる集団ヒプノセラピーが行われた。私は、退行催眠のCDと同様、ヒプノセラピーのCDも持っているが、こうして生で、しかも集団でヒプノセラピーを受けるのは初めてのことだった。照明が落とされた部屋で、目を瞑ってリラックスしている状態で耳に届く山志多さんの声はとても気持ちが良かった。

 山志多さんは私たち参加者を、
「人生で最もわくわくした時へ戻ってください」
と誘導してくださった。そして、自分にとって最もわくわくすることは何であるのか、私たち参加者から引き出してくださった。

 私は、自分にとってわくわくすることは、間違いなく「書くということだ」と感じた。「書くということ」を人生の中心に置くことできれば、私は間違いなく、毎日、わくわくすることができるのだろう。しかし、私は「書くこと」を仕事にしているわけではない。同時に、そのことに対するジレンマにも襲われた。このジレンマは、私が仕事を始めてから二十年以上も感じ続けて来たことだった。今になって、その現実に引き戻されることになろうとは・・・・・・。

 どういうわけか山志多さんは、持ち時間の最後になって、思い出したように自己紹介を始められた。山志多さんは子供の頃からお祭りが大好きで、友人たちが下敷きにトシちゃんやマッチの写真を入れているのに対し、山志多さんだけは鳥越神社のお祭りの写真を入れていたのだという。鳥越神社のお祭りでお神輿を担ぎたいと思っていたものの、鳥越神社のお神輿は格式高く、同好会に加入していないと担げないのだそうだ。しかし、あるとき鳥越神社の同好会に加入しているというお兄さんに声を掛けられ、そのことがきっかけで、山志多さんも鳥越神社の同好会に加入することができて、お神輿を担げるようになったのだという。こうして山志多さんは十三歳の頃から三十年間に渡って、お神輿を担ぎ続けているそうだ。

 山志多さんのお話をうかがって、これからの人生をもっと豊かにして行くためには、「わくわくすることを軸に持つ」ことが大切なのだと実感した。そして、何かをするときに、「それは私自身をわくわくさせてくれるものなのか?」と自問自答することも大切なのではないかと思った。

 山志多さんのお話は予定よりも少し早めに終わり、十分間の休憩のあと、いよいよ古久澤先生のお話となった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 山志多さんは、「これまで自分が何に一番時間を使ったか。何に一番お金を使ったか」とも問い掛けてくださいました。私の場合は、やはり「書くこと」でしょう。何にお金を使っているかについては、毎月支払っているモバイルカードの通信費なども「書く」ことに繋がっているように感じました。「旅」や「映画鑑賞」にもお金を使っていますが、これらも最終的には「書く」ことに繋がっています。私の場合、何か新しい経験をすると、「ガンまる日記」に書きたくて仕方がなくなるのですね。しかも、できるだけ詳細に書きたいのです。(笑)そのことに気付くことができただけでも、山志多さんの集団ヒプノセラピーを受けて良かったと思いました。

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2010.02.18

ホットヨガ(一七五回目)

映画『蘇りの血』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本当にたくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。きっとマイナーな映画だと思い、レビューを書かせていただくのをちょっぴり遠慮していた部分もあったのですが、そんな心配は無用だったようですね。(苦笑)映画を通して、日常に近い出来事が映し出される作品もあれば、まったくの非日常が映し出される作品もあります。本作は間違いなく後者でしょう。黄泉の国から戻って来て、ほとんど仮死状態になっているオグリを橇(そり)に乗せて牽(ひ)くシーンは、なかなか生み出せるものではないと思います。まさしく、監督の独特の世界が描き出された作品でありました。

 建国記念の日の翌日の金曜日、私は休暇を取って四連休にしていた。休暇を取っていたその金曜日に、南森町店で七十五分のバレエストレッチのイベントレッスンが行われるというので参加して来た。イベントレッスンとは、通常のレッスンとは別枠で企画されるレッスンのことである。実はこの度、南森町店は開店五周年を迎えることになり、それを記念してイベントレッスンのスケジュールが組まれていたのだ。

 着替えを済ませてスタジオに入ってみると、いつものようにスタジオ正面の鏡に向かって縦向きではなく、横向きにヨガマットが敷かれていたので驚いた。バレエストレッチのレッスンというと、これまでにも他の支店でイベントレッスンとして行われていたので、何度か参加したことがある。ヨガではなく、バレエのポーズを取り入れたストレッチのレッスンが行われるため、週末に開催されると参加者が殺到するほど人気の高いレッスンである。しかし、今回は平日の開催ということで、参加者は私を入れてわずか八名だった。

 以前、他の支店のスタッフから伺った話によると、ホットヨガのインストラクターの中には、バレエ経験者が何人もいらっしゃるのだそうだ。そのため、バレエストレッチのイベントレッスンが企画されたとしても、柔軟に対応できる仕組みになっているのかもしれない。都会では、女の子がバレエを習うのはそれほど珍しいことではないのかもしれないが、私の生まれ育った愛媛でバレエを習おうとすると、大きな町まで出て行かなければなかったので、子供の頃にバレエを習っていたというだけで、何だか特別視してしまう。

 それはさておき、今回のレッスンを担当してくださったインストラクターも、バレエ経験者なのだろう。バレエストレッチのレッスンでは、通常のレッスンとは違い、ウォーミングアップのストレッチのときに、両足を前に投げ出して座った状態で、両足のつま先を前に伸ばしてみたり、両足の指を大きく開いてみたりする。また、手の使い方にも特徴があり、バレリーナたちがしているように、しなやかな感じに指を曲げてポーズを取ったりする。素人感覚ではあるのだが、手つきだけでも身体の曲線美を感じ取ることができる。

 スタジオの温度は、いつものホットヨガのレッスンよりもやや低めの設定だった。レッスンの前半と後半に行われる休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)も、ヨガのレッスンではないので、自由な時間を過ごして良いとインストラクターがおっしゃった。

 バレエストレッチのレッスンで興味深いのは、それぞれのポーズをピアノ音楽に合わせて取ることだ。おそらくインストラクターが使っているのは、バレエレッスン用のピアノ曲なのだろう。インストラクターが導いてくださるポーズがそれぞれのピアノ曲にぴったり合っていて、とてもリズミカルに身体を動かすことができた。

 参加者の中に、ひどく身体の柔らかい方がいらっしゃり、前後の開脚を取り入れたポーズを取っているときに、前後に開いた両足が床にピタッと付いていた。私は身体がとても固いので、前後に開脚した両足を床に付けることなどできず、身体を浮かせた状態でグラグラしながらポーズを取っていた。

 レッスンも終盤に近付くにつれ、だんだん難しくなった。これまでのバレエストレッチのレッスンでも体験して来たが、バレエの足のポーズ(一のポーズ、二のポーズ、五のポーズ)を取り入れながら、時にはジャンプしたり回転したりして、足がもつれそうになる感覚を味わいながらレッスンを続けた。

 レッスンの最後に、とても興味深いポーズをインストラクターが披露してくださった。それは、「一階の皆さん、ありがとうございます。二階の皆さん、ありがとうございます」という気持ちをこめながら、バレエを観に来てくださった方たちに丁寧なおじぎをするというポーズだった。このポーズは、ミュージカルなどのステージでもしばしば使われているのかもしれない。私は、あたかも自分たちの舞台を観に来てくださった方たちがいらっしゃるかのように、「一階の皆さん、ありがとうございます。二階の皆さん、ありがとうございます」とおじぎをしながら、バレエストレッチのレッスンを締めくくった。

 イベントレッスンは、普段のレッスンでは体験することのできないレッスンを受けることができるので、毎回、とても楽しみである。普段は、今の自分に合ったコースのレッスンを受けながら、イベントレッスンで時々刺激を受けられるような状況が、私はとても気に入っている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m レッスンがとても楽しかったからでしょうか。七十五分のレッスンを受けるのは久し振りのことだったので、多少長く感じられるのではないかと覚悟していたのですが、まったくそんなことはありませんでした。楽しい時間はすぐに過ぎて行くものなのですね。

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2010.02.17

映画『蘇りの血』

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(4)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 続いて山志多みずゑさんのお話のご紹介と行きたいところですが、今回は三日に一度のペースで書かせていただいている映画のレビュー記事をお届けします。山志多みずゑさんのお話は、この映画のレビュー記事のあと、いったん別の記事を挟んでから再開させていただく予定です。

 元旦のファーストデイに三本の映画を鑑賞したと書いたが、実はそれより以前の昨年末に鑑賞した作品で、まだレビューを書いていない作品がいくつかある。今日は、そのうちの一本について書かせていただくことにしよう。

 本作でメガフォンを取った豊田利晃監督は、二〇〇五年に映画『空中庭園』を発表するも、監督自身が覚せい剤取締法違反で逮捕されるという異例の事態となってしまったようだ。本作は、その逮捕により執行猶予の判決を受けて、復帰後初めての作品となるらしい。そうした背景を知らされると、なるほどと納得してしまう。そう、本作のあちらこちらには、どこか普通ではない雰囲気が漂っているのだ。

 大王と呼ばれる荒くれ者が、闇の世界を支配している。病に冒された大王の身体を癒すために、オグリという天才按摩(あんま)が大王のもとに呼ばれる。オグリは、大王の身体を得意の按摩でほぐし、大王に気に入られる。実はこの大王は、少しでも気に入らないことがあると、ただちに切り付けて人を殺めてしまうほど我侭で子供じみた暴君だった。オグリも最初のうちは大王に気に入られ、大事に扱われていたものの、ふとしたことがきっかけで大王にあっけなく殺されてしまう。そして、大王の側近だったテルテ姫が、黄泉の国から舞い戻ったオグリを蘇生させるために、動けなくなってしまったオグリを連れて、地の果てにある“蘇生の湯”を目指す。ちなみに、テルテ姫を演じているのは、俳優の草刈正雄さんの娘さんである。

 全体的に映像が赤く、音楽が落ち着かないほど大音響で響いていた。何故、このような音の使い方をするのだろうと、私には不快に感じてしまうほど耳障りな大音量だったのだ。思えば、病に冒され、身体がどうにもならなくなった大王のやるせなさを表現するために、わざわざそのような演出をしたのかもしれない。しかし私は、暴君である大王に対する嫌悪感とともに、大音量の音楽に対する嫌悪感さえ感じてしまった。

 それでも、黄泉の国から舞い戻り、動けなくなってしまっていたオグリが、テルテ姫の助けを借りてようやく"蘇生の湯"に辿り着き、"蘇生の湯"に入って生き生きと蘇るシーンは、多少、冗長とも言えるものの、見方を変えればとても贅沢なシーンである。"蘇生の湯"は、中に入れば本当に蘇生が叶いそうなほど神秘的で小ぶりな温泉場のように見えた。動けなくなっていたオグリが、"蘇生の湯"に生命力を感じて最後の力を振り絞って何とか這いずりながらも辿り着き、湯に浸かるのを見届けると、思わずほっとする。"蘇生の湯"から生命エネルギーを受け取ったオグリはやがて、生命力に溢れた青年となって蘇るのだ。

 そこから先は、更に不思議な世界が描写される。オグリは、かつてのオグリと同じく黄泉の国へと旅立ってしまったテルテ姫を"蘇生の湯"で蘇生させるのだ。いつの間にか、二人の間には愛が芽生えているのを感じる。おそらく、オグリを"蘇生の湯"まで運ぶために骨を折った時点で、テルテ姫にはオグリに対する愛が芽生えていたのであり、黄泉の国から舞い戻って動けなくなってしまっていたオグリもまた、テルテ姫の愛を感じ取っていたのだろう。

 生まれ変わったオグリがもはやこれまでのオグリではないことは、大王に対し、復讐を試みようとする意気込みさえ感じられることからも想像することができる。そして本作は、何ともユニークな結末を迎えるのだ。これまで見られなかったような展開が、本作の結末には用意されている。これが豊田利晃監督の持つ独特の世界なのだろうかと思う。寺山修司さんを思わせるようなダークでとても不思議な世界の中に、個性的なキャラクターが配置され、どこまでもダークな世界を守り続ける。心から幸せそうにしている登場人物など一人も登場しない。とにかく、ダークな世界をたっぷり味わうことのできる作品なのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 個性豊かな作品を創り上げるためには、究極的な経験が必要なのかもしれませんね。監督自身の覚せい剤取締法違反という経験も、作品の中に取り込まれているのを感じます。決して心が楽しくなるような作品ではないのですが、ダークな映像として、いつまでも心の中に残って行くような不思議な作品でありました。

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2010.02.16

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(4)

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 細かいことを言わせていただくならば、ルースさんのお子さんたちは、前世の記憶があるというよりも、転生と転生の間の中間世の記憶があるということなんでしょうね。私の知る限りでは、前世の記憶よりも中間世の記憶のほうが、よりスピリチュアルな言葉を引き出せるようです。

 ルースさんは、普段から地震雲にも注目していらっしゃるそうだ。私も地震雲というものが存在していることは知っていたが、実際にどのような雲なのかは良く知らなかった。ルースさん曰く、地震雲は、飛行機雲の自然版のような形をした雲なのだそうだ。ただ、例えば神戸に地震雲が出たとしても、神戸で地震が起きるわけではなく、例えば北海道で起こるかもしれないとのことだった。地震雲の出現で、地震が起きる場所までは特定できないものの、普段から空を見上げて地震雲の出現に注意しておくと、地震雲と地震の関連性がわかるようになるようだ。

 その後、心霊現象の話になった。心霊現象で「パチパチ」と音がすることがあるが、霊は電気を使ったいたずらをしやすいのだそうだ。なるほど、海外のホラー映画などでは、電灯やテレビが点いたり消えたりする心霊現象が描写されることが良くあるが、これがまさしく電気を使った霊のいたずらなのだろう。ルースさん曰く、「パチパチ」という音はまだいいそうで、「ドン!」という音がするとまずいそうだ。私なりの勝手な解釈だが、「パチパチ」はまだ戯れ程度で、「ドン!」は怒りにも近いネガティブなエネルギーなのだろうか。

 心霊現象に悩まされるようなときは、部屋の四隅に塩を盛るといいそうだ。そうすることにより、良くない気を塩が吸い取ってくれるらしい。また、部屋に植物を置くのも効果があるが、植物は良くない気だけでなく、良い気までも吸い取ってしまうのだそうだ。また、もしも旅行中に宿泊先のホテルなどで気持ちが悪いと感じたら、好きな音楽を流したりするのも効果があるという。

 そして、最後にルースさんが私たちに教えてくださったのは、自分にかけるちょっとした魔法である。例えば、自分がバリアに守られていると意識しながら行動すると、怖いものなしの自分になれるらしい。また、水を飲むときも、その水が自分にとっておいしい水に変わることをイメージするだけで、その水を自分自身で浄化できるそうだ。ルースさんは、喫煙者であるお父様の煙草を一本手に取り、煙草を浄化するようなイメージを施したあと、その煙草をお父様に返すのだという。するとお父様は、その煙草が明らかに他の煙草とは違っておいしいことを感じ取ってくださるのだそうだ。そう言えば、私は普段からできるだけ水道水を飲まないように努めているのだが、オフィスで使用している電気ポットに入っているお湯は、水道水をそのまま温めたものである。オフィスの電気ポットのお湯を利用するときに、自分で浄化してから飲むようにすれば、ルースさんから学んだことを実生活に活かせそうである。

 あっという間にルースさんの持ち時間である一時間が経過し、最初は人前に立つことに対し、ずいぶんはにかんでいらっしゃったルースさんも、数十人のセミナー参加者の前で話し続けることができたことに驚きを隠し切れないご様子だった。ルースさんの言葉をお借りするならば、そんなにはにかまなくても、セミナーが成功することを最初からイメージするだけで良かったのではないか、などと突っ込みを入れたくなった。

 興味深いルースさんのお話が終わると、十分間の休憩に入ったので、私はその間にトイレを済ませておいた。トイレから帰って再び席に着くと、後ろから私の肩を叩いて声を掛けてくださる方がいた。知り合いもいないはずなのに、一体誰だろうと思いながら振り返ってみると、何と何と、古久澤先生だった。去年の十月にブリージングストレッチセミナー in 神戸で一度お目に掛かっただけだというのに、覚えてくださっていたようだ。古久澤先生からは相変わらずさわやかな雰囲気が漂っていて、古久澤先生がそこにいらっしゃるだけで、春のようなのどかでポジティブなエネルギーを感じるのだった。

 こうして十分間の休憩が終わると、今度は山志多みずゑさんのお話が始まった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 大変興味深いルースさんのお話は、集中力と潜在意識の活用に集約できるような気がします。私自身、精神世界に足を突っ込むきっかけになったのが、実は潜在意識の活用による願望実現だったので、ルースさんのお話は熱心に聞き入りました。しかし、潜在意識を突き詰めて行くと、自分に起こる未来を信頼したからそれが起こったのではなく、それが起こることを予め知っていたからそれが起こることを信頼することができたのではないかという思考に辿り着いたりもして、堂々巡りになってしまうのです。だから、イメージすれば願望が叶うのか、それとも、願望が叶うことを予め知っていたからイメージできるのか、未だにわかりません。(苦笑)

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2010.02.15

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(3)

映画『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 松本零士さんの描く女性は、みんなメーテルに見えてしまいます。(苦笑)金髪で、髪の毛が長くて、まつげが長くて、目がぱっちりしていて、背が高くて、ウエストがキュッと締まっていて・・・・・・。松本零士さんの理想の女性像なのでしょうかね。

 ルースさんは、地球には争いもあり、諍(いさか)いも絶えないが、それだけに良い修行の場であるともおっしゃった。何の修行の場であるかというと、おそらく魂の修行の場ということなのだろう。

 ルースさんは、心臓の隣に空洞があって、生きている間、私たちの魂はそこにあると考えていらっしゃるようだ。そして、魂が肉体を去って行くときには、脳の松果体から抜けて行くと考えていらっしゃるようだ。良く、亡くなる前に三途の河を渡るなどという表現で、魂がこの世からあの世へと移動することが伝えられているが、実はこの三途の河を渡るのは、魂が心臓の隣にある空洞から脳の松果体まで移動することを意味しているのではないかとルースさんはおっしゃっていた。実に興味深い話である。

 ところでルースさんは、空にある雲を適当に選んで、ほんの数秒程度で消すことができるのだそうだ。その方法とは、その雲が消えることをただ信じて受け入れれば良いだけなのだそうだ。そうするだけで、狙った雲が見る見るうちに空から消えて行くという。雲を消す方法をルースさんが発行されているメルマガでご紹介したところ、
「実際にやってみて本当に消えました!」
という反響が数多く寄せられたそうだ。

 ただし、現在はある理由から、雲を消すことを自粛されているそうだ。その理由については教えてくださらなかったのだが、とにかくある時期までのルースさんは、空の雲を自由自在に消していたそうだ。

 また、ルースさんは学生の頃、高い集中力を使って勉強やスポーツに励んでいたそうだ。その頃のルースさんは、高い集中力を使って未来を知ることが出来たそうで、何か大きな事件が起こったとき、その事件が起こったのは一週間ほど前のことではないかと当時の友人におっしゃったそうだ。しかし、実際にその事件が起こったのは前日のことだったという。つまりルースさんは、一週間ほど前から、その事件が起こることを知っていたのだそうだ。そういうことがいくつもあり、ルースさんにとっての新聞やニュースは、既に自分の知っていることを確認するためのツールだったようだ。また、高い集中力を英語学習に使っていた時期もあり、集中して何かに取り組むと、人間の能力を超えることができることを実感されたそうだ。

 ルースさんは更に、三歳までのお子さんは前世を記憶しているともおっしゃった。ルースさんには二人のお子さんがいらっしゃるのだが、二人のお子さんが三歳になる前に、それぞれ、
「ママのお腹に来る前のことを覚えてる?」
と尋ねてみたところ、何と、二人のお子さんは同じように答えられたそうだ。その内容とは、
「雲の上からママのことを見ていて、早くこのママのところに行きたいなあと思っていた」
というものだそうだ。ルースさんが、
「じゃあ、どのようにしてママのお腹に入って来たの?」
と尋ねると、これまた二人とも、
「一気にママのお腹に飛び込んで来た」
と答えられたそうだ。

 ルースさんのお話はもう少し続く。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ルースさんのお話は、配布されたレジュメに従って進められたので、前後の繋がりのないご紹介方法になってしまい、申し訳ありません。m(__)m 最初は、一時間も話し続けることなどできないと、持ち時間を気にしながらのスタートでしたが、時間が経つにつれて、今度は時間が足りなくなってしまったようです。(苦笑)参加者の私としては、そのことがおかしくもありました。

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2010.02.14

映画『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私にとっては、ルースさんのお話は大変興味深いものでした。こうした特殊な出来事は、引き起こそうと思って意図的に引き起こすものではなく、ある日突然、訪れて、大きな気づきを与えられるものなのですね。そのような気づきが訪れた場合は、否が応でも受け入れるしかないのでしょう。

 元旦に鑑賞した三本の映画のうち、最後にレビューを書かせていただく作品である。実は、『宇宙戦艦ヤマト』というと、私はリアルタイム世代である。しかし、当時はまったく興味がなく、劇場にも足を運んでいないばかりか、作品に対する知識もほとんどなかった。それでも、今回、劇場に足を運んだのは、あのヤマトの復活を見届けたい気持ちもあってのことである。

 鑑賞しているうちに、最近鑑賞した映画『2012』のノアの箱舟を思い出した。本作では、移動性ブラックホールの出現により、今にも地球が滅亡しようとしている。そこで、ノアの箱舟とも言える移民船団を形成し、地球の人々か安全な惑星に移動するのを、宇宙戦艦ヤマトが護衛に当たるというわけである。ヤマトは一艘しかないので、何往復かすることになる。その過程において、ヤマトは宇宙の侵略者たちと戦いながら任務を遂行するという筋書きである。

 主人公となっているのは、三十八歳になった古代進である。私は彼の若い頃を知らないので良くわからないが、仕事にばかり熱心で、愛する妻や娘たちにきちんと愛情表現ができていないところは、いかにも日本人サラリーマンらしい。ヤマトという宇宙戦艦に乗った伝説の勇者が、日本人サラリーマンの象徴であるというところが何ともおかしいではないか。

 地球人の受け入れ先となる惑星の決断や、宇宙の侵略者たちの中にも話のわかる者がいるところなど、拍手を贈りたくなるシーンはいくつかあるものの、どれも心が大きく揺さぶられるようなシーンではない。これは、私がこれまでに鑑賞したたくさんの映画を通して、魂が突き動かされるような感動を味わって来たからかもしれない。私の魂は、そうした感動を再び味わおうと心積もりをするのだが、最後までとうとう針が大きく触れることなく結末を迎えてしまったという感じである。鑑賞された方たちの評価がそれほど高くないのも、そうしたところに原因があるのかもしれない。

 個人的には、同じ元旦に映画『アバター』を鑑賞した直後の鑑賞だったので、ヤマトという宇宙船の描写に物足りないものを感じてしまった。その分、ストーリー性でカバーして欲しかったというのが正直なところである。

 本作をご覧になったある方が、本作は戦争の悲惨さを伝えようとした作品だとおっしゃった。しかし私は、戦争の悲惨さよりも、地球人たちの受け入れ先となった惑星に住む人たちが、わざわざ危険を冒してまで地球人を受け入れようと動いてくれたことのほうが印象深く心に残っている。戦争を否定する気持ちは、誰の心にも容易に生まれる。しかし、決して戦争を肯定するわけではないが、戦争という悲惨な経験を通して魂が学びたいものが存在し続けている限り、戦争はなくならないだろう。これが、ルースさんのおっしゃっていた、「それでいいのだ」という声に繋がる解釈なのではないかと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 往年のファンにとっては、年を重ねて三十八歳になった古代進はどのように映っていたのでしょうか。私は、過去の作品を鑑賞していないので、違和感なく鑑賞することができました。ただ、古代進の上司が三白眼であることがやけに気になってしまいました。そんなこと、どうでもいいのでしょうけどね。(苦笑)もともとヤマトをあまり良く知らないので、三白眼の人相の方が出て来ると、悪者だと思ってしまったのです。

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2010.02.13

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(2)

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本当にたくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。主催のみぃみさん曰く、昨年十月のブリージングストレッチセミナー in 神戸を終えて古久澤先生をお送りするときに、今回のコラボレーションの企画が古久澤先生から持ち上がったそうです。みぃみさんは、古久澤先生をお送りしたその直後に、まだ面識のない山志多さんに連絡を取るというアクションを起こされたそうです。こうして今回の夢のコラボレーションが実現することになったそうですが、今の世の中、何か新しいことが起こっても、次に繋げられないことが多いですよね。しかし、こうしてちゃんと次に繋げてくださったみぃみさんの積極的な行動に深く感謝します。みぃみさん、素敵なコラボレーションを企画してくださって、どうもありがとうございます。

 魔法の言葉♪モチベーションアップ! および気づきの3秒というメルマガを発行されているルースさんは、こうしたセミナーで講師を務めるのがまったくの初めてであるとともに、今回は古久澤先生のお誘いを受けて、山志多先生や古久澤先生の前座としてここに立たせていただくのだとおっしゃった。スーツ姿に身を固めたルースさんは、セミナーの講師を務めるのが初めてということもあって、照れや緊張を隠し切れないご様子だった。講師として一時間もの持ち時間を与えられてはいるものの、実際に一時間も話し続ける自信がないともおっしゃった。

 スピリチュアルなメルマガを発行されているルースさんだが、普段はスピリチュアルな分野とはまったく無縁のお仕事をされているのだそうだ。親しいお友達の前でさえも、スピリチュアルなお話は極力避けていらっしゃるという。私もそのお気持ちはわかるような気がする。誰かとスピリチュアルな話をしたくても、なかなかそういう話ができる相手と巡り合うことができないので、自分の中にあるものをついつい押し込めてしまうのだろう。

 現在のルースさんは、本業のお仕事も大変お忙しい上に、お友達のお仕事もお手伝いされているそうで、毎日の睡眠時間が三時間程度しか取れないほど過酷な状況にあるという。そんな状況の中、この日のセミナーで何を話したいのかが、セミナー直前になってようやく決まったのだそうだ。セミナー参加者の手元には、これからルースさんがお話ししてくださるであろう内容を箇条書きにしたレジュメが配られていた。そのレジュメには、それぞれの項目に対する時間配分まで細かく書かれていたので、ルースさんがこのセミナーの講師を務めることに相当プレッシャーを感じていらっしゃることがうかがえる。

 そんなルースさんは、子供の頃から、何故世の中の人々はみんな平等ではないのか、何故、いつまで経っても貧困などがなくならないのかといったことを、ずっと問い掛けて来られたそうだ。ある日、いつものようにそんな問い掛けをしていたところ、どこからともなく、
「なるようにしかならない」
という声がはっきり聞こえて来たのだそうだ。

 そのときルースさんは、自分の意識が地球の外へ出て行くような不思議な感覚を味わい、地球から離れたところから地球を眺めているような感覚に陥ったという。ふと我に返り、部屋のやかんに目をやると、やかんがやかんであることを主張していたのだそうだ。部屋にあるやかんが、自分がやかんであるとはっきり主張していたとルースさんはおっしゃった。ルースさんは、そのやかんを見て、やかんにほおずりをしたくなるほどやかんの存在が愛しくなったそうだ。そのときルースさんは、この世の中の仕組みに従った波動が存在していることに気付いたそうだ。

 ルースさんは、部屋にあったやかんの存在を確認したあと、今度は同じく部屋にあった木の椅子を見たそうだ。すると、さきほどのやかんよりも木の椅子のほうが、自分が椅子であることを激しく主張していたのだそうだ。ルースさん曰く、木の椅子はもともと植物という生命体でできているため、その生命体が持つ波動を感じたのだろうということだった。

 それをきっかけにルースさんは、いろいろなことの答えが瞬時に返って来るようになったそうだ。そして、時間および人間の喜びや悲しみなどの感情は、人間に与えられた道具であることをはっきりと感じ取ったという。感情は、魂に気付きを与えてくれていることもわかったそうだ。

 いろいろなことの答えが瞬時に返って来るようになったルースさんは、何故、いつまで経っても貧困がなくならないのか再び問い掛けたそうだ。すると、
「それでいいのだ」
という声がはっきりと聞こえて来たという。ルースさんは、まるでバカボンのパパみたいな表現だが、はっきりとそう聞こえたのだとおっしゃった。

 ルースさんは、二日間に渡りそのような経験をしたあと、ようやくいつものような生活に戻ったそうだ。ルースさんは、その二日間の経験が、「悟りを開いた経験である」とおっしゃっている。お釈迦様もまた、「ものがあるがままに見えることが悟りを開くことだ」とおっしゃっているそうだ。やかんがやかんであることを主張していることに気付いたり、椅子が椅子であることを主張していることに気付いたことは、まさしく「ものがあるがままに見えること」だとルースさんはおっしゃった。

 ルースさん曰く、長年愛着心を持って接して来たものは、自分のことが好きだという感情を持ってそこに佇んでいるのだそうだ。反対に、これまで邪険に扱ったものは、ネガティブな気持ちが反映されてそこに佇んでいるのだそうだ。つまり、好きという感情も、はたまたその反対の感情も、自分が接して来た感情のまま反映されているのだそうだ。

 興味深いルースさんのお話は、まだまだ続くのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「やかんがやかんであることを主張していた」なんて、私自身には経験のないことではありますが、お話を聞いていただけでも、何となくその状況がわかるような気がします。世の中を構成しているあらゆるものに意識が存在していて、ルースさんはその意識と繋がることができたということなんでしょうね。こういうお話を聞くと、これまでよりももっともっと、ものを大切にしたくなりますね。次回の記事は、ルースさんのお話の続きとさせていただきたいところですが、映画のレビューも待ち行列が出来てしまっていますので、映画のレビューをお届けしますね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.02.12

夢のコラボセミナー 心と体と気づきのストレッチ in 神戸(1)

映画『アバター』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本当にたくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ジェームズ・キャメロン監督が『あるヨギの自叙伝』を読んでいたかどうかはわかりませんが、『あるヨギの自叙伝』は西洋人にも影響を与えているようです。プログレッシブロックグループYESの『海洋地形学の物語』というアルバムは、『あるヨギの自叙伝』からインスピレーションを得て製作されたものだと言われています。私もこのアルバムは好きですね。YESが来日したときにライブに参加したので、そのときに購入した『海洋地形学の物語』のTシャツも持っています。(笑)

 昨年末のことだった。いつも拝読している古久澤(こくざわ)先生のメルマガに、神戸でコラボセミナーを開催するとの案内があった。私は、再びあの感動を味わえると思うとうれしくてたまらず、すぐに参加申し込みの手続きを行った。

 昨年十月に開催されたブリージングストレッチセミナー in 神戸同様、今回のセミナーのお世話をしてくださったのはみぃみさんである。ただ、今回の講師は古久澤先生だけでなく、古久澤先生のメルマガ仲間でいらっしゃるルースさんと山志多(やました)さんと三人のコラボセミナーということだった。

 セミナーが告知された当初は、四十名限定の募集だったのだが、予定されていたキャパをあっという間に越えてしまい、主催のみぃみさんが急遽、もっと大きな別の会場を手配してくださることになった。そこで新たに決定したのが、三宮から歩いて十分ほどのところにある神戸商工貿易センタービルの貸会議室である。

 私にとって、三宮は庭のような場所である。その、庭のような場所で夢のコラボセミナーが開催されるのは、まさしく夢のような話である。とは言え、メルマガを購読されていない方にとって、七千円の参加費を支払うのは、清水の舞台から飛び降りるような気持ちかもしれない。また、ガンモはこの日、仕事が入っていたので、前回同様、私一人で参加することにしたのである。

 セミナー当日、三ノ宮駅からてくてく歩いて会場に着いた。今回の会場は、私がしばしば派遣会社主催の健康診断で利用したことのあるビルである。勝手知ったる何とかでどかどかとエレベータに乗り込み、目的の貸会議室へと向かった。家を出るのが予定よりも遅くなってしまい、会場に着いたのは、セミナー開始の十数分前だった。受付で名前を告げて、胸に貼るシールをもらった。ブリージングストレッチセミナー in 神戸のときもそうだったが、セミナー会場ではお互い知らない者同士が顔を合わせることになるので、自分の名前をシールに書き込んだ上で、胸に貼っておくのだ。受付では、セミナーのあとに行われる懇親会への参加可否が問われたので、私は滅多にないチャンスだと思い、「参加する」に○を付けた。

 会場には、既にたくさんの人たちが着席し、セミナーが始まるのを今か今かと待ち構えていた。私は後ろのほうの空いている席に腰を降ろした。私が座ったのは真ん中にある二人掛けの席だったのだが、両端の席は三人掛けの席で、しかもほとんど余すところなく三人が腰掛けていた。TOEICの試験ならば、窮屈さを感じてしまうところである。東京からも、古久澤先生の整体教室の生徒さんたちがいらっしゃっているようで、あちらこちらから東京弁が聞こえて来た。

 今回は、三人のメルマガのライターさんたちのコラボセミナーということで、全国からいろいろな方たちが集まって来られているようだった。いよいよセミナーの開催時刻になると、主催のみぃみさんがマイクを手に取り、どこから参加されているかを参加者の皆さんに尋ねられた。意外にも、神戸から来たという人は少なかった。私は神戸市在住ではないので、どこから参加しているかという質問に対し、挙手するチャンスを失ってしまったのだが、金沢や広島、愛媛、香川、栃木、東京などからたくさんの方たちが参加されていた。

 今回のセミナーに参加した人たちへの極上のプレゼントだろうか。会場となった二十六階の貸会議室からは、美しい神戸の景色が見渡せるようになっていた。遠方から来られている方たちは、携帯電話に付属のカメラで神戸の景色をしきりに撮影されていた。

 セミナーは、途中で十分間の休憩を挟みながら、ルースさん、山志多さん、古久澤先生の順番で一人ずつ行われることになっていた。持ち時間はそれぞれ一時間程度である。ルールさんのお話が始まる前に、みぃみさんが参加者に対し、リラックスするように導いてくださった。ルースさんは、セミナーで講師を担当されるのは初めてのようで、かなりカチコチのご様子だった。

 これから複数回に分けて、ルースさん、山志多さん、古久澤先生のセミナーの内容をじっくりとお伝えして行くことにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m セミナー会場では、ルース先生、山志多先生、古久澤先生と、セミナーの講師の方たち全員が「先生」と呼ばれていたのですが、私は古久澤先生以外の講師の方たちのメルマガを拝読していないので、いきなり「先生」とお呼びするのはどうかと思い、「さん付け」で呼ばせていただくことにします。ブログを書いている人たち同士で交流することは多々ありますが、このように、メルマガを書いているライターさんたちが横に繋がりを持つこともあるのですね。しかも、こうしてコラボセミナーまで実現してしまうのですから、その出会いは大変貴重なものだと思います。セミナーに参加されている皆さんは、熱心にノートを取られていました。もちろん、私もノートを持参して、講師の方たちからたくさんのことを学んで来ました。次回の記事から、学んだことを本格的にお伝えして行きますので、どうかお楽しみに。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.02.11

映画『アバター』

携帯電話のスパムメール激減の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この記事をアップしたあと、珍しく三通も立て続けにスパムメールが届いてしまいました。挑戦的ですね。(苦笑)それでも、携帯電話に届くスパムメールはまだまだ手動でブロックできる量なのでかわいいものですが、パソコンに届くスパムメールのほうは、もはや手に負えません。加入しているプロバイダのスパム振り分けフィルターが今一つ甘いので、メールソフトのスパム振り分け機能を使って届いたスパムメールをごみ箱へと振り分けているのですが、加入しているプロバイダのスパム振り分け機能により、あらかじめ一日に二百通ほどスパムメールが処理されて私の手元には届かない設定になっていてもなお、一日に数十通のスパムメールが届いています。指定アドレスからの受信拒否対象も千件MAX登録していますが、千件ではとても足りない状況なので、ブロックしてスパムメールが届かなくなったアドレスを上書きしながら運用しています。スパムメールとの戦いは、これからも続いて行くことでしょう。

 元旦のファーストデイに映画館に初詣に出掛け、三本の映画を鑑賞した。本作はそのうちの一本である。普段、あまり派手な宣伝の作品は鑑賞しないのだが、軽い気持ちで鑑賞したところ、思いのほか良かったので、元旦から仕事をしていたガンモにその感動を伝えた。とは言え、ガンモは私が映画を観て感動したと言っても、私の影響はほとんど受けない。それでも、ガンモがブログを通じて交流している人たちの間で、本作の評価が高かったらしく、ガンモもついに本作を鑑賞したいと言い始めた。一番の理由は、いつも辛口の内容ばかりをブログに綴っている人が本作を鑑賞してもまったく批判していないので、きっといい映画に違いないと判断したからのようだ。そこで、私もガンモと一緒に二回目の鑑賞を試みたのである。

 鑑賞したのは、一回目、二回目とも3Dの字幕版である。3D鑑賞に踏み切ったおかげで、もともとの映像の美しさに加え、リアルな感覚に包まれたのだが、いつの間にか目が3Dに慣れてしまったのか、3D鑑賞しているという感覚がなくなってしまっていた。

 二回目に鑑賞したときは、本作が公開されてから既に一ヶ月半ほど経過しているというのに、映画館の比較的大きなスクリーンがほぼ満席の状態だった。おそらく、鑑賞した人たちの感動が口コミで伝わり、まだ鑑賞していない人たちが次々に映画館に駆り出されているのだろう。

 美しい衛星パンドラには、ナヴィと呼ばれる先住民が住んでいた。パンドラにやって来た人間たちは、ナヴィが信仰する聖なる樹の下に眠る鉱石に目をつける。遺伝子が同じという理由から、亡くなった双子の兄の替わりにパンドラに送り込まれたジェイクは、人間の遺伝子とナヴィから生み出したアバターとリンクすることで、アバターの身体を通してナヴィの住む世界へと入り込んで行く。ナヴィたちと交流を持ち、聖なる樹の下に眠る鉱石を手に入れるという任務を遂行するためである。普段は車椅子で生活をしている青年ジェイクが、アバターとリンクしているときだけは、美しい衛星パンドラの大地を踏みしめながら元気に走り回ったり飛び回っている。アバターは、ジェイク自身の夢を叶える媒体でもあったのだ。しかし、アバターとリンクしてナヴィたちと接しているうちに、ジェイクは自分自身の任務に対して疑問を抱くようになる。

 本作の中で最も私が引き込まれたのは、ナヴィが自分の髪の毛を使って他の生物と絆を結ぶところである。もともと本作には、植物を崇める信仰が見え隠れしている。そこで私が思い出したのは、数年前に読んだ『あるヨギの自叙伝』という本に書かれていた「人間もまた木である」という内容である。以下に、その部分を引用させていただくことにする。

あるヨギの自叙伝

 

「創世記の物語はきわめて象徴的に書かれている。だから文字上の解釈をしただけでは、その意味をつかむことはできない。あそこに出て来る"生命の樹"とは人間のからだのことだ。つまり、脊髄は木を逆さにしたようなもので、頭髪が根にあたり、知覚、運動両神経が枝にあたる。この神経系統の木には、視聴嗅味触の五感というおいしい実が成っている。人間はこれらの果実を自由に楽しむ権利をもっているが、ただ性の体験--すなわち肉体の園の中央にあるりんごの実を食べること--だけは禁じられていた。
 "蛇"とは、性神経を刺激するコイル状の脊髄エネルギーを意味する。そして"アダム"は理性を、"イヴ"は感情を表わす。人間の中のイヴ的意識である感情が性的衝動に征服されると、アダム的意識である理性も屈服してしまう。

『あるヨギの自叙伝』より

 つまり、人間もまた木であり、髪の毛が根に相当しているということだ。本作の中では、人間にとっての根である髪の毛を使って、他の生物と絆を結んでいる。『あるヨギの自叙伝』を読んでいた私には、その部分がとても興味深かったのだ。そのため、根と根が互いに絡み合い、一つになるという発想を容易い受け入れることができた。根は、自分自身をしっかりと大地に立たせる役割だけでなく、他者と繋がる役割も果たしているというわけだ。

 この話をガンモにすると、
「じゃあ、髪の毛が少ない人は、他と繋がることができないの?」
などと反論して来た。私は黙るしかなかった。ちなみに、そんなガンモも、
「良く出来た映画だ」
と本作を褒めていた。

 他の作品の予告編を入れるとおよそ三時間近くもの上映時間になるというのに、今もなおたくさんの人たちに鑑賞され続けている映画『アバター』。3Dテレビが発売されたとは言え、まだまだ自宅で3D映画を楽しめる機会は少ないので、まだ鑑賞されていない方は、思い切って劇場に足を運んでみてはいかがだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ジェームズ・キャメロン監督が表現したかったことがすべて表現され尽くした作品だと思います。監督は、千人以上のスタッフとともに本作を製作し、惑星パンドラの動植物はもちろんのこと、ナヴィ語までご自身で生み出されたとか。派手な宣伝の作品は、実際に鑑賞してみるとがっかりすることが多いのですが、本作は違っていました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.02.10

携帯電話のスパムメール激減

ご厚意で差し出された切符が役に立たなかった話の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。こうした企画切符は、むしろ私たちが普段から良く利用している切符でもあります。確かに、こうした企画切符を使って小旅行を終えたあとは、切符を購入するために自動券売機に並んでいる人に声を掛けたくなりますね。しかし、実際はなかなか声を掛けられないのが実情でした。ガンモに声を掛けてくださった男性は、私たちが躊躇して実践できなかったことを実践してくださったんですね。

 「きせかえツール」が欲しかっただけ(4)という記事にも書いたように、私のところには、パソコンのメールアドレスだけでなく、携帯電話のメールアドレスにもスパムメールがたくさん届いていた。パソコンのメールアドレスに毎日届いている二百通ほどのスパムメールは、加入しているプロバイダのスパムメールのブロック機能により、ある程度の振り分けが行われているものの、携帯電話のメールアドレスに届くメールにはスパムメールのブロック機能はないため、スパムメールを受信する度に、そのドメインからのメールを受信拒否するという設定を毎回行っていた。しかし、これがなかなかやっかいな作業だった。

 指定ドメインから届くメールの受信拒否を行うと、スパムメールを送信しているほとんどの相手は、私のメールアドレスへの送信を控えるようになる。そのため、既にスパムメールが届かなくなったドメインの情報を上書きしながら受信拒否の設定を行っていた。そうしなければ、携帯電話で受信拒否できるドメイン数には限りがあるからだ。

 スパムメールが届く度に、そうした方法でスパムメールを受信拒否していたのだが、ある時期から、@docomo.ne.jpや@softbank.ne.jpなどの通常の携帯電話のアドレスからスパムメールが届くようになってしまった。おそらく、相手はこうしたスパムメールを効率良く発信するために、受信拒否対象に設定されないドメインに偽装してスパムメールを発信しているはずである。

 これまでの方法ならば、スパムメールが届いたドメインをまるごと受信拒否に設定してしまえばスパムメールをブロックできたのだが、友人たちとメールのやりとりもあるので、@docomo.ne.jpや@softbank.ne.jpのドメインを受信拒否に設定してしまうわけには行かない。しかし、スパムメールを送信して来る相手は、次々にメールアドレスを変えながら、@docomo.ne.jpや@softbank.ne.jpなどの携帯電話のメールアドレスからスパムメールを送り付けて来る。これは困った。

 そこで私は思い切って、携帯電話に届くメールの受信方法を変えてみた。docomoユーザ限定の設定方法ではあるが、私が実践した方法とは、以下の通りである。ちなみに、●と○はラジオボタンを意味し、●がラジオボタンを選択した状態で、○がラジオボタンの選択を解除した状態である。

迷惑メール対策

▼URL付きメール
○設定
●設定解除

▼受信/拒否設定
●設定
○設定解除

「次へ」ボタン → 以下の内容は、「次へ」ボタンを選択したあとの画面である。

▼ステップ1
受信したいメールをチェックしてください。

▽ドコモ(iモード)
▽ドコモ(mopera U)
▽au(EZweb)
▽ソフトバンク
▽イー・モバイル
▽ウィルコム
▽その他携帯など
※ディズニー・モバイルは、ソフトバンクに含まれます。

上記ドメインになりすましたメールを
●拒否する
○拒否しない
※ステップ2で受信するにチェックした場合に有効です。

▼ステップ2
ステップ1以外の携帯・PHSやパソコンからのメールを受信したい場合はチェックしてください。
▽受信する

他のアドレスになりすましたメールは
●全て拒否する
○存在するドメインからのみ受信
○拒否しない
※"全て拒否する"に設定した場合は、ステップ1のドメインになりすましたメールも拒否されます。

▼ステップ3
ステップ1、ステップ2の「なりすましメール設定」で拒否設定した場合でも、パソコンの転送元アドレスやメーリングリストのアドレスを指定することで、これらのメールを受信できます。

「宛先指定受信」ボタン → 「宛先指定受信」ボタンを選択して、携帯電話にメールを転送するときなどに使用するパソコンのメールアドレスを設定しておく。私の場合、親しい友人から届いたメールを携帯電話のメールアドレスに転送しているので、パソコンで使用しているメールアドレスを設定している。

▼ステップ4
ステップ1、2でチェックを外した場合でも、個別にドメインまたはアドレスを指定して受信することができます。

「受信設定」ボタン → 「受信設定」ボタンを選択して、例えば購読しているメルマガやきせかえツールから届くメールアドレスなど、大量に発信されているメールで、スパムメールではないメールアドレスを指定しておく。ここに記載したメールアドレスからのメールは、他の設定で受信拒否の要素があったとしても確実に届く。

▼ステップ5
ステップ1、2でチェックをした場合でも、個別にドメインまたはアドレスを指定して拒否することができます。

「ドメイン拒否設定」ボタン → 「ドメイン拒否設定」ボタンを選択して、受信拒否したいスパムメールの発信元ドメインを指定している。
いま「アドレス拒否設定」ボタン → 「アドレス拒否設定」ボタンを選択して、受信拒否したいスパムメールのメールアドレスを個別に指定している。

 このような設定に変更したところ、これまで一日に何通も届いていたスパムメールが激減した。今ではむしろ、スパムメールが届くことのほうが珍しいくらいである。それでもスパムメールが届いた場合は、これまで通り、▼ステップ5の「ドメイン拒否設定」で受信拒否したいドメインを一つ一つ指定しているのだが、スパムメールそのものの数が極端に減ったので、これまでほどやっかいな作業ではない。

 ちなみに、私は、

▼iモード大量メール送信者からのメール受信制限

についても、以下のように設定している。

iモードメール大量送信者からの500通目以降のメールを
●拒否する
○拒否しない

 この設定が効いているからなのか、以前は山のように届いていた楽天ショップからのメルマガが届かなくなった。楽天ショップからパソコンのメールアドレスに届くメールは一括解除することが可能なのでそれほど煩わしくはなかったのだが、携帯電話に届く楽天ショップからのメルマガは、ショップごとに一つ一つ解除しなければならなかったので、毎回、手間が掛かっていた。何故なら、メルマガを解除するためにわざわざショップごとに個別のURLにアクセスして、自分のメールアドレスを入力した上で解除ボタンを押す必要があったからだ。この作業がなくなったことだけでもずいぶん楽になった。

 ただ、上記の設定で必ずしも問題がないわけではない。携帯電話から楽天ショップを利用したときに、▼ステップ3で楽天のドメインを指定受信に設定しているため、楽天からのオーダー完了メールは届くのだが、ショップからのオーダー完了メールが届かないことが多い。何故なら、メールを指定受信するには、ショップのドメインを知っておく必要があるからだ。とは言え、楽天にいくつもあるショップで、商品を注文する度にそのドメインを追加するのも面倒である。そこで、ショップごとのドメインはわざわざ追加しないようにしているのだが、それが原因なのか、ショップからのオーダー完了メールは私の携帯電話には届かないのである。それでも、注文した商品はちゃんと届いているので、今のところ問題はないと思っている。どうやら、携帯電話に届くメールの門を狭めすぎてしまったようである。

 門を広げるには、▼ステップ4の「受信設定」で、受信したいメールアドレスを登録しておけばいいだけの話なので、もう少し調整が必要かもしれない。とは言え、私と同じように、携帯電話のスパムメールに悩まされている方がいらっしゃるならば、ご参考になれば幸いである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この設定に変えてからは、携帯電話に届くスパムメールに悩まされることもなく、ずいぶん快適になりました。おそらく、もう少し微調整をすれば、更に快適な受信環境が整うことでしょう。docomoの設定メニューを例に挙げましたが、他のキャリアの方も同じようなメニューがあるはずなので、スパムメールに悩まされている方は是非トライしてみてください。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.02.09

ご厚意で差し出された切符が役に立たなかった話

映画『ジュリー&ジュリア』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本当にたくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。映画の中だけの脚色なのか、それとも、人生のある時期においての出来事だからなのか、二組のご夫婦には子供さんがいらっしゃらないように見受けられました。そのせいか、子供のいない私たち夫婦の関係と重ね合わせながら、二組のご夫婦を見守らせていただきました。

 最近、ガンモは大阪の事務所で仕事をすることが多くなって来たので、仕事帰りに最寄駅の自動券売機で大阪までの回数券を購入しようとしていたらしい。すると、見知らぬ男性に声を掛けられたのだそうだ。男性は、
「この切符で、区間内ならどこへでも行けるので使ってください」
と言いながら、ガンモに一枚の使用済み切符を差し出したという。

男性に差し出された使用済み切符:冬の関西1デイパス・大人(普通列車乗車券)

 見ると、その切符は広範囲に渡って関西地区のJR線を乗り放題できる「冬の関西1デイパス・大人(普通列車乗車券)」というものだった。おそらくその男性は、その切符を使用して関西地区のJR線をあちらこちら乗り降りして、この一日を過ごされたのだろう。そして、小旅行を終えて最寄駅まで戻って来たものの、その日いっぱい、その切符を利用することができるので、これから普通列車の乗車券を購入しようとしている人に声を掛けて、自分の使用したこの便利な切符を使ってもらおうと思ったのだろう。

 ガンモは、せっかくのご厚意なのでありがたく頂戴したそうだが、ガンモが自動券売機で購入しようとしていたのは普通列車の乗車券ではなく、後日使用するための大阪までの回数券だったので、何となく目的が達成できずにもやもやした気持ちを抱えてしまったそうだ。しかも、この乗車券を譲ってくださった男性がすぐに立ち去ろうとせずにしばらく自動券売機の周辺にいらっしゃったので、再び自動券売機に向かうこともできず、やきもきしていたという。

 しばらくして、ようやくその男性が立ち去ったので、ガンモは自動券売機で大阪までの回数券を購入したそうだ。

 おそらくその男性は、ガンモが普通列車の乗車券を購入しようとしていると思い込んでガンモに近付いて来られたのだろう。その男性にしてみれば、この切符さえあれば、関西地区のJR線沿線ならばほとんどどこへでも行くことができるので、むしろ人の役に立つことをしたという気持ちにさえなっていたかもしれない。しかし、ガンモが欲しかったのは普通列車の乗車券ではなく、後日から使用する回数券だったので、譲り受けた乗車券を役立てることはできなかった。帰宅したガンモは、
「もうちょっと時間が早ければ、この切符を使ってどこかに出掛けて行ったんだけど、もう遅かったのでやめたよ」
と苦笑いしながら、私にこの話を聞かせてくれたのだった。役に立つと思われて差し出されたものが、実際は役に立たないものだったというちょっぴり苦いお話である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「役に立つと思われて差し出されたものが、実際は役に立たないものだった」という故事成語はあるのでしょうか。ほんのちょっと調べてみたのですが、見当たりませんでした。反対に、役に立たないと思っていたものが、実際は役に立ったという故事成語なら、いろいろありそうでした。こうした状況に対応した新しい言葉を作って欲しいものです。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.02.08

映画『ジュリー&ジュリア』

「ランダムに」という名目の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本当にたくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。「二度あることは三度ある」と言いますので、おそらくあと一回は同じことを経験することになるでしょう。そのときは、何が名目になるのか楽しみです。(笑)

 劇場で本作の予告編を観た瞬間、「あっ、この映画は絶対に観よう」と思った。というのも、予告編の中で、主演のメリル・ストリープが実に楽しそうな表情をしていたからだ。そこで、映画が千円になるファーストデイに当たる元旦に、いそいそと映画館へと初詣に出掛けたのである。

 本作の中には、二つの物語が織り交ぜられている。一つは、一九四九年に外交官である夫の転勤でパリにやって来たメリル・ストリープ演じるジュリアの話、そしてもう一つは、その五十年後に、ジュリアの出版した料理本に紹介されている五百二十四の料理のレシピすべてを一年間で再現して味わい、ブログに公開するというエイミー・アダムス演じるジュリーの話だ。

 私のように、それほど料理好きでなくとも、わくわくする作品に仕上がっているのは、二人が料理に対してとても真剣かつ情熱的に取り組んでいるからだと思う。真剣かつ情熱的な姿は、ついつい応援したくなってしまうものだ。

 かつて私のホームページの掲示板で交流させていただいていた方が、キャラ弁(キャラクター弁当)のお弁当ブログを開設されている。彼女は何と、一つのキャラ弁を作り上げるのに二時間も掛けているのだそうだ。現在の彼女の仕事はお料理に関することではないのだが、彼女はとにかくお料理が好きで好きでたまらないのだそうだ。キャラ弁作りのことは良くわからないが、彼女のブログに掲載されているキャラ弁の写真を拝見しているだけでも、とても楽しい気持ちになって来る。やはり、情熱を持って製作されたものは、第三者をも幸せな気持ちにさせてくれるものなのだ。

 ちなみに、彼女がお料理にかける情熱に替わり得るものは、私の中にも既にある。私が一生懸命情熱を傾けて、一日に二時間費やすことと言えば、「ガンまる日記」の更新である。文月のふみの日に生まれたからだろうか。彼女がお料理を好きで好きでたまらないように、私は文章を書くことが好きで好きでたまらない。もしかすると、誰かが情熱を持って何かに取り組んでいるとき、私は自分の中にある文章を書くという情熱と照らし合わせながら、相手の情熱を理解しようとしているのかもしれない。

 話を映画に戻そう。本作の中には、料理に捧げる情熱のほかにも目を見張るものがある。それは、二組の夫婦仲の良さである。とりわけ、ジュリアと夫の仲の良さには好感が持てる。互いに年を重ねても、料理にかける情熱と同じくらい、いや、それ以上に、互いに深く愛し合っているのだ。

 メリル・ストリープは、映画に出演する度に新たな顔を見せてくれる。映画『プラダを着た悪魔』では冷たい女性編集長を演じ、映画『マンマ・ミーア』では、シングルマザーとして娘を育て上げた母を演じ、映画『ダウト 〜あるカトリック学校で〜』では、厳粛なシスターを演じた。そして本作では、夫を深く愛し、料理に情熱を傾ける女性を演じた。ジュリアを演じる彼女の感情は、スクリーンで確認する限り、いつもフルパワーである。とにかく生きることが楽しくてたまらないといったオーラが、彼女からは伝わって来る。

 一方、エイミー・アダムスは、どんな作品に出演してもあまり羽目を外さない。もともと、どことなく感情が伝わりにくい顔立ちをしているからだろうか。それでも、ジュリアの料理を忠実に再現してブログに公開するジュリー役を演じていたのは適役だったと思う。時には夫と激しくぶつかり合いながらも、ブログを通してジュリアの料理を再現して行く喜びと戸惑いが的確に表現されていた。

 さも楽しそうに台所に立つ二人の女性のおかげで、料理が得意でない人も十分に楽しめる作品に仕上がっていたと思う。ジュリアの料理本がきっかけになってジュリーがジュリアの料理本の料理を再現したように、本作を鑑賞した人たちの中にも、自分もそろそろ本腰を入れて台所に立ってみようと思い立った人もいるかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 単なる道楽で終わってしまう趣味と、他の人たちをも巻き込んで幸せにしてしまう趣味の違いは何なのでしょうね。その趣味が与える影響範囲によるものなのでしょうか。例えば、ゴルフがものすごく好きな人がいたとします。その人がゴルフという趣味を通じてどれだけたくさんの人を幸せにできるかは、その人がゴルフを通じて得た幸せを、どれだけ多くの人たちに伝えることができるか、ということに掛かっているのかもしれません。喜びが自分だけの世界に閉じてしまうと、道楽で終わってしまうような気がします。

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2010.02.07

「ランダムに」という名目

理想的な管理職の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私には、暖房の入ったオフィスがとても暑いので、半袖Tシャツで過ごしているのですが、懇親会の席でも半袖Tシャツの上に半袖のカーディガンを羽織っていたところ、著しく出世された方に、「ところで、何で半袖なんですか?」と尋ねられました。同じプロジェクトのメンバーは、私が仕事中に半袖で過ごしていようが団扇でパタパタ扇いでいようがまったくの無関心なので、そういうことを尋ねてくださることも、理想的な管理職であることの貴重な要素だと思います。

 著しく出世された方を囲む懇親会の帰り、自宅の最寄駅から自転車を走らせていると、ビールをたくさん飲んでいたせいか、喉が渇いていることに気が付いた。そこで、とある自動販売機の前に自転車を停め、自動販売機の飲み物を買うために財布の中から小銭を取り出そうとゴソゴソしていると、いつの間にか、私の目の前に制服を着た女性が立っていた。制服を着た女性は私と目が合うなり、
「さきほど自転車に乗って走っているところを確認させてもらったのですが、ライトを点けていらっしゃらなかったですよね?」
と私に言った。制服を着た女性とは、婦人警官である。婦人警官のほかにも、制服を着た警察官が二人、控えている。どうやら、私を見付けてパトカーの中から降りて来たばかりのようだ。私はあっという間に三人の警察官に囲まれた。

 「何だ、何だ?」と思ったものの、前例のあることなので、私には警察官が一体何を知りたいのかは良くわかっていた。私は、
「ああ、ライトは壊れているんです。自転車の防犯登録を確認されたいんですよね? 前にも呼びとめられたことがあるんですけど」
と言った。

 以前も書いたように、私の自転車の前輪に付いていた固定の鍵は、付属のキーを二つとも失くしてしまったために、現在は取り外している。警察官は、そうした状況を素早く観察して、私が乗っている自転車が盗まれた自転車かどうかを確認したいのだ。警察官は、
「はい、ランダムに確認させていただいておりますのでね。防犯登録を拝見させていただきます。お名前は?」
と言いながら、私の自転車の防犯登録のナンバーを素早く確認していた。私が自分の苗字を言うと、婦人警官が私の苗字とともに私の自転車の防犯登録のナンバーを無線の相手に告げた。

 直ちに防犯登録のナンバーの確認が取れ、私は間もなく無罪放免となった。無灯火で自転車に乗っていたことは注意されず、また、新型インフルエンザ予防対策のためにマスクを着用していたからか、自転車の飲酒運転についても指摘されなかった。

 警察官は、「ランダムに確認している」などとおっしゃってはいたが、私が無灯火で走っていることがきっかけで話し掛けて来られたのは間違いないのであり、また、私の自転車の前輪に固定の鍵がないことを理由に、自転車の防犯登録を確認したかったことは一目瞭然である。それなのに、「ランダムに確認している」というのは、警察官が嘘をついていることになるのではないだろうか。しかも、前輪に固定の鍵がないことを理由に、毎回防犯登録の確認をされるのは非効率だ。例え前輪の固定の鍵が取り外されていたとしても、警察官により、一度でも防犯登録の確認が行われて問題のなかった自転車には、警察官からダミーの前輪の固定の鍵を付与されるというシステムを導入したらどうだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「無灯火で走っているので、声を掛けさせてもらいました。前輪の固定の鍵が取り外されているようなので、防犯登録の状況を確認させていただきます」と、はっきり言われたほうが気持ちがいいですよね。おそらく、警察官がこのような曖昧な態度を取るのは、後ろめたさもあるのだと思います。私たちは、警察官の後ろめたさに、毎回、付き合わされているというわけなんです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.02.06

理想的な管理職

映画『THE 4TH KIND フォース・カインド』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m おそらく日本では、この手の映画はまず作られないでしょうね。本作は真剣に作られてはいるのですが、フォース・カインドについて、同時に逃げ道も作っています。その逃げ道は、タイラー博士の夫の死因が鍵になっています。タイラー博士の夫の死因を知ることにより、この映画をいかようにも解釈することができるようになっているのです。

 かつて私の勤務している神戸の部署で部長さんだった方が著しく出世され、現在は東京の本社に勤務されているのだが、神戸に泊まりで出張に来られるというので、その方を囲む懇親会が開催された。平日に催された懇親会だったが、開始時間が十八時からだったので、翌日も仕事があるというのに思い切って参加することにした。というのも、その方は、神戸での部長さん時代に私を面接して採用してくださった方だったからだ。それが今からおよそ八年前のことなので、現在の職場での私の派遣生活も、そろそろ八年を迎えることになる。

 私は懇親会の席にほんの少し遅刻してしまい、席に着こうにも、もはや恐れ多い席しか残されていなかった。何故、派遣社員の私がこのような恐れ多い席に座ることになってしまうのだろうと、ほんの少し遅刻してしまったことを後悔しながらも、私は空いている席に腰を降ろした。今回の懇親会には、著しく出世された方のほかに、本社から管理職の方たちが何人か参加されることになっていた。しかし、その方たちはまだ仕事が終わっていないらしく、その方たちが座る予定の席だけが残されていたのだ。つまり、派遣社員の私が、その方たちのために用意された席の近くに座ることになってしまったのである。

 間もなく、今回の主賓さんを含めた管理職の方たちが仕事を終えてお店に入って来られて、空いていた私の席の近くに腰を降ろした。主賓さんは私を見るなり、
「相変わらず帽子をかぶってますね」
などとおっしゃった。私は冬になると毛糸の帽子が手放せないのだが、懇親会の席でも毛糸の帽子をかぶったままにしていた。しかし、もしかすると、管理職の方たちの前で帽子をかぶったままでいるのは失礼に当たるのかと思い、帽子を脱いだ。

 最初は何だかぎこちなくても、お酒が入って来ると次第にリラックスして来た。今回の飲み会で改めて思ったのは、著しく出世されるような方は、仕事の能力だけでなく、やはり人間的な器も大きいということだった。かつての部下からも慕われているのはもちろんのこと、派遣社員である私から見ても、心の距離はそれほど遠くはなかった。しかも、語られているのは本音である。裏表のないフランクな態度が人々に信頼され、着実な出世を果たされたのではないだろうか。

 私の隣には、私のかつての上司が座っていたので、著しく出世された方を交えて昔話をした。著しく出世された方が神戸を離れられるときに送別会を催したのだが、そのとき、私のかつての上司は、著しく出世された方との別れがとても辛そうだった。聞くところによると、お二人は当時、住んでいた家も近く、私のかつての上司は著しく出世された方の家にしばしば遊びに出掛けていたのだそうだ。私自身は、仕事を通じてそこまで親しくなれる人には出会っていないので、何だかうらやましい気もした。

 世の中に、仕事のできる人はたくさんいる。しかし、仕事のできる人が必ずしも管理職に向くとは限らない。特に、私たちのような技術職の場合、その傾向が顕著である。反対に、ある程度の勤続年数を経ても、決して管理職を目指さずに、いつまでも技術職のままでいたいと願い出る人もいる。私の働いているコンピュータ業界においては、技術職のままでいたがる人は、たいていの場合、コミュニケーションがあまり得意ではなく、どちらかと言うと、一人で黙々と仕事をしたがる人が多いようである。

 私たちぐらいの年齢になると、管理職を目指すか、それとも技術者のままでいるかを嫌でも決めなければならない。その選択は、誰にとってもプレッシャーであるはずだ。しかし、自らそのような選択をしなくても、人望が厚い人は、まるで周りから持ち上げられるように、どんどん出世して行くのかもしれない。著しく出世されたかつての部長さんを囲み、ふとそんなことを思ったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 組織が凝り固まっていると、仕事の成績や人脈だけで管理職に就くこともあるのでしょうね。確か、映画『沈まぬ太陽』の一部の登場人物もそうでした。しかし、企業はやはり、人望が厚く、器の広い人を管理職に選ぶべきですよね。そうでなければ、部下がついて来ませんから。管理職は、部下に慕われてこそ、管理職としての価値が上がるように感じますね。その人間性は、ほんの少し話をしただけでもにじみ出て来るものだと思います。

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2010.02.05

映画『THE 4TH KIND フォース・カインド』

芸術一家の家族愛の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 舞台に立つ役者さんは、自分の身体のリズムに関係なく、本番に差し支えないような時間帯に食事をとっているそうです。おそらく、健康上はあまりよろしくないでしょうね。会社勤めのような規則的な生活は望めないので、生活も不規則になりがちかもしれません。更に、短い期間でプロジェクトを組むようなものなので、出会いも多ければ別れも多いことでしょう。それでも、自分の好きなことを仕事にしているという大きな喜びが、役者さんたちを突き動かしているのでしょうね。

 本作は、去年の十二月二十五日のクリスマスの日に劇場で鑑賞した。ネットで流れていた予告編を観てとても気になったのだ。予告編を観た限りでは、心霊現象が記録された映画に違いないと思い、その心積もりで鑑賞し始めたのだが、実際はそうではなかった。とは言え、私はすっかりこの映画の世界に入り込み、鑑賞し終わったあとは恐怖心に引きずられながら映画館をあとにした。

 本作は、アラスカ州ノームで実際に発生した事件に基づいて製作されているという。それが事実かどうかはわからないが、あたかも映画の中の出来事を裏付けるかのように、ホームビデオで撮影した映像が事件発生当時の映像としてスクリーンに同時に映し出されている。何者かに夫を殺されたという心理学者のタイラー博士が夫の遺志を継ぎ、アラスカ州ノームで不眠症患者のカウンセリングを担当することになる。どういうわけか、不眠の悩みを抱えている患者たちには、夜中に白いフクロウを見たという奇妙な共通点がある。退行催眠により、不眠の原因を探って行くうちに、トランス状態に入った患者がひどく取り乱す。トランス状態で観た光景の恐ろしさに恐怖を隠し切れない様子である。その衝撃が強過ぎて、カウンセリングから帰宅した患者の一人が事件を起こす。

 鑑賞された方たちのレビューを拝見していると、退行催眠そのものを否定されている方がいらっしゃるが、それはその方の認識不足と言っていいだろう。心理療法で患者に催眠術を施し、トランス状態に陥った患者が問題の原因となった過去を見て立ち直るという療法は実際に行われている。私自身は、心理学者やカウンセラーによる催眠誘導は受けたことはないが、自分の過去世を思い出したくて購入した催眠誘導CDを用いてトランス状態に入り、過去世を思い出したことが何度かある。

 トランス状態に入るときは、身体がガクンと堕ちて行くような感じである。身体中の力が抜けると、やがて問題の原因となったシーンが見えて来る。そのシーンには一切の無駄がなく、問題の根本原因を探るべく実に良くまとめられている。リラックス度が足りないと、うまくトランス状態に入れないこともある。また、問題の原因となった過去を見たくないと自らブロックしてしまうと、なかなかトランス状態に入ることができず、問題の原因となったシーンも見ることができない。私自身も、衝撃的な過去世を思い出したことがあり、そのときは、トランス状態から覚めたときは興奮状態だった。だから、本作の中でトランス状態から覚めた患者が興奮して、驚きのあまり走り回り、診察室の電気スタンドを壊してしまった行為の意味が良くわかる。

 しかし、そうした経験のない人が本作を鑑賞すると、トランス状態から覚めた患者が何故、そこまで興奮するのか、理解できないかもしれない。そもそもトランス状態に入ることに対してさえも、懐疑的になっている人もいらっしゃるくらいなのだ。そういう人たちが本作を評価すると、状況を理解できないために低い点数を付けてしまうようだ。

 『THE 4TH KIND フォース・カインド』が何を意味しているのか、ここでは敢えて触れないでおくが、タイラー博士の娘はフォース・カインドにより行方不明になったとされている。未だにその娘は見付かっていないそうだ。

 本作の興味深いところは、古代のシュメール語が登場することだろう。シュメール語を専門に研究している博士もタイラー博士に招かれ、タイラー博士とともにフォース・カインドを経験したとされている。しかし、その後、フォース・カインドを経験したことについては言及していないという。本作はタイラー博士の視点で製作されているため、事実はどうなのかというところが鑑賞後も尾を引くところである。

 私自身はフォース・カインドに対して否定的ではない。あってもおかしくはない話だと思う。私の解釈としては、不眠症の人たちが共通して見ていたという白いフクロウは、人々の記憶を消すために施されたブロック機能なのではないかと思っている。そもそも、人々が何故、不眠症になってしまったかというと、フォース・カインドが人々の寝ている間に起こっていたからだと推測される。そのため、フォース・カインドを経験した人たちは、あまりにも恐ろしくて、夜、眠れなくなってしまったのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 映画の世界に入り込み過ぎて、鑑賞したあとの帰り道は怖かったですね。その夜、私もフォース・カインドを経験してしまったらどうしようと思いましたが、大丈夫でした。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2010.02.04

芸術一家の家族愛

袋のおじさん、ありがとうございますの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。タイトルをご覧になって、何が書かれているかわかってしまった方がいらっしゃるとしたら、きっと同じような聞き間違いをされた方が周りにいらっしゃるのでしょうね。日本では、エコバックやMy箸を持参すると有り難がられ、海外ではレジ袋がささやかな売り上げに繋がっています。微妙な違いではありますが、日本の環境問題への取り組みが遅れているのを感じずにはいられませんね。木のお箸を使い捨てしている国も少ないでしょうに。

 友人のお姉さんがミュージカルの舞台に立つというので、友人にチケットを手配してもらい、友人とガンモと私の三人でミュージカルを鑑賞した。友人のお姉さんの話は、これまでにも「ガンまる日記」に書かせていただいているのだが、今回は敢えて、過去の記事へのリンクは張らないでおくことにしよう。

 普段、私たちは最寄駅まで自転車で移動している。しかし、ミュージカルに出掛けるその日に限って、ガンモが自分の自転車を最寄駅の駐輪場に預けたままの状態だったので、ガンモよりも早く支度を整えた私が路線バスに乗って最寄駅まで移動し、ガンモは私の自転車に乗って最寄駅まで向かうことになった。

 路線バスの中には、カンガルーのようにお母さんのお腹のジャケットに包まれ、お母さんと向かい合わせに座っている赤ちゃんがいた。私はその赤ちゃんに釘付けになっていた。赤ちゃんをベビーカーに乗せてしまうお母さんが多い中で、このように赤ちゃんと密着しながら子育てをしているお母さんを見ると、とてもうれしくなる。私の理想的な子育ての距離だと思うからだ。しかも、お母さんと赤ちゃんが対等であるのが、二人の間に流れるエネルギーからもわかる。

 そんな思いにふけりながら、お母さんと対等な赤ちゃんから目を離せないでいると、お母さんの隣に座っていた女性が私に声を掛けて来た。私は、バスの中で何か落し物をしてしまって声を掛けられたのかと思い、ふとその女性を見ると、何と、今回のミュージカルのチケットを手配してくれた友人ではないか。知り合ったのは松山だったのだが、彼女と私は家が近所で、最寄駅まで移動するのに同じ路線バスを利用しているのである。彼女とは、チケット受け渡しのために開演の三十分前である十二時半に会場のロビーで待ち合わせをしていたのだが、待ち合わせの時間までまだずいぶん時間があるというのに、同じ路線バスの中でばったり出会ったのである。

 彼女曰く、
「大きな荷物を持っている人がいるので、もしかしてと思い、顔を上げてみたら、まるみちゃんだった」
ということらしい。彼女にガンモの所在を尋ねられたので、ガンモは自転車で最寄駅まで向かっていることを告げると、最寄駅でガンモと落ち合ったあと、会場まで三人で一緒に移動することになった。

 前回、お姉さんが舞台に立たれたときもそうだったが、今回のミュージカルも彼女のお母様が一緒に鑑賞されるため、路線バスにはお母様も一緒に乗っていらっしゃった。ただ、お母様は、これからお友達と待ち合わせをしてどこかでお食事をされるとかで、私たちよりも先に電車に乗って会場まで向かわれた。ミュージカルの開演時間までまだまだ時間があったので、私たち三人もそれまでにどこかでお昼ご飯を済ませておくことになった。

 会場近くのレストランでお昼ご飯を食べたあと、友人が手配してくれたチケットを受け取った。今回の鑑賞券は一人一枚一万千五百円と割高である。お姉さんの出演される舞台といえども、彼女は毎回、きちんとお金を払ってミュージカルを鑑賞している。しかも、先日、彼女が東京に出掛けた際に、ちょうど今回の舞台の東京公演が開催されていたので、時間を作って東京公演も鑑賞したそうだ。それに対し、彼女は、
「痛い出費」
などと言ってはいたが、きっと舞台に立つお姉さんの姿を客席から鑑賞するのは、彼女にとっての大きな喜びに繋がっているに違いない。

 お姉さんの舞台を楽しみにしているのは彼女だけではない。さきほど路線バスでお会いしたお母様はもちろんのこと、今はご自宅にいらっしゃるというお父様もまた、私たちが鑑賞する昼の部の公演のあとに上演される夜の部の公演でお母様と一緒に鑑賞されるのだそうだ。つまり、お母様はその日、昼の部の公演と夜の部の公演、ともに鑑賞されるわけである。それだけではない。お母様は、翌日の千秋楽の公演も鑑賞されるというのだ。一回一万千五百円もするチケットを、自腹を切って合計三回分も払って、ご自身の娘さんの舞台を鑑賞されるのだ。

 友人は、
「こういうところに親の愛情を感じるね」
と言っていた。実は、彼女のお母様もまた、かつて舞台に立っていた方である。そんな背景からか、今回のチケットがSOLD OUTにならなかったことを配慮してのことらしい。ミュージカルには、決して彼女のお姉さんだけが出演されているわけではないのに、少しでも空席を埋めようとする親心なのだろう。私はこの美しい家族愛に感動せずにはいられなかった。

 実は、お姉さんは、その翌週も別の舞台に立つことが決まっているらしく、彼女もまたお金を払って観に行くのだという。彼女は、
「姉ちゃんの歌なら、自宅でタダで聴けるのに、わざわざお金を払って観るのも何か複雑な気持ち」
などと言ってはいたが、そんなことを口にしながらも、仕事や趣味で多忙な彼女が毎回、スケジュールを調整して、自宅でタダで聴けるというお姉さんの舞台をわざわざお金を払って鑑賞しているのである。ここにも、美しい姉妹愛があった。

 さて、ミュージカルは意外な展開で面白かった。いつもストーリーを先読みするガンモでさえ、その意外な展開は読めなかったと悔しがっていた。また、こうした舞台ならではのオーケストラの生演奏も良かった。

 終演後、友人のお母様や友人に誘われて、お姉さんの楽屋にお邪魔することになった。楽屋口がわからず、スタッフの人に尋ねて、外からぐるっと回ったあと、立入禁止の入口をくぐることになった。そのミュージカルを鑑賞していたのがほとんど女性ばかりだったのと、夜の部の公演の開演時間まであと二時間ほどしかないことを気遣って、ガンモは楽屋にお邪魔するのを遠慮した。

 楽屋に一歩足を踏み入れると、さきほどのミュージカルで使われた小道具やセットの一部が見えて来た。夜の部の公演の開演時間まであと二時間しかないというのに、お姉さんはにこやかな表情で対応してくださった。以前も友人に誘われて楽屋を訪問しているので、お姉さんは私のことを覚えてくださっているようだった。お姉さんは私に、
「ご主人さんも来れば良かったのに」
と言ってくださった。それにしても、役者さんはとても不思議だ。舞台に立つと大きく見えるのに、間近で拝見するととても小さく見える。役者さんには役者さんなりの遠近法があるのかもしれない。

 楽屋には、私たちの他にもお姉さんとお話しをされている方がいらっしゃった。お姉さんがこうして舞台に立つことがわかると、親しい人たちはスケジュールを調整して会場に足を運んではミュージカルを鑑賞し、舞台が終われば楽屋を訪れ、お姉さんの労をねぎらっている。役者さんたちは、自分が周りの人たちに支えられていることを常に実感しながら、その感謝の気持ちを自らの才能で還元して行くのだろう。やがてそのエネルギーが良い循環になり、ファンの元へと届いて行く。

 私は芸術とは無縁の家庭に生まれたが、友人のお母様はかつて舞台に立っていたり、お姉さんも現役の役者さんである。私から見ると、立派な芸術一家だというのに、友人は、自分たちの家族が「至って普通」だと言い切る。私は、そんな彼女の言う「至って普通」の家族に、ただならぬ家族愛を感じていたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 家族みんなでお姉さんの舞台をそれぞれが鑑賞するという家族愛に触れることができた一日でありました。家族のこうした想いがお姉さんのエネルギー源になっていることは間違いないでしょうね。ちなみに、友人は一般企業で働いていますが、カラオケに行くと、歌手のように歌が上手です。やはり、生まれ持ったものが違っています。(笑)

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2010.02.03

袋のおじさん、ありがとうございます

映画『コレラの時代の愛』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本当にたくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。原作は、ノーベル文学賞作家さんの作品だったのですね。私は、ノーベル文学賞作家さんの描いた男女の愛に難癖を付けたことになりますか。(苦笑)フロレンティーノのフェルミナへの態度や気持ちには共感できませんでしたが、その一方で、フェルミナの生き方はとても素晴らしかったと思います。自分の決めた人生を貫き通しましたからね。しかも、フェルミナの状況も考慮せず、「五十一年九ヶ月と四日もあなたを待ち続けました」と言ったフロレンティーノに対し、冷ややかな態度を取りましたしね。これは彼女が、心の中にフロレンティーノに対する愛情を秘めながらも、自分にとって何が正解であるかのバランスを常に取り続けていた証拠だと思います。

 ガンモがとあるスーパーで買い物をしたときのことである。お会計のとき、レジ係の女性に、
「袋のおじさん、ありがとうございます」
と言われたという。ガンモは一体何を言われているのかわからないままお会計を済ませたそうだが、いざ、購入したものを持ち帰ろうとするも、レジ袋をもらえなかったことに気が付いたらしい。ガンモはそこで初めて、
「袋のおじさん、ありがとうございます」
ではなく、
「袋のご持参、ありがとうございます」
と言われたことに気が付いたようだ。

 ガンモはそのとき、エコバッグとは言えないまでも、購入したものを持ち帰ることができるくらいの大きさの布バッグを手に持っていた。しかも、その布バッグの中には物がほとんど入っていなかったので、ガンモがエコバッグを持参して買い物にやって来たのだと、レジ係の女性は思ったらしいのだ。結局ガンモは、レジ袋をもらえなかったので、持参した布バッグの中に購入したものを詰め込んで、スーパーを出たそうだ。

 ところで、去年の夏休みに出掛けたベルギーやフランスでも、また、先月出掛けた香港でも、スーパーで買い物をすると、レジ袋が必要かどうかをレジ係の人に尋ねられた。エコバックを持参していない場合は、わざわざお金を出してレジ袋を購入する仕組みになっているのだ。ちなみに、香港ではレジ袋が一枚五十セント(単位は香港ドル。日本円でおよそ六円)だった。私は、日本でも常にエコバッグを愛用しているので、海外に出掛けて行くときにもエコバッグを必ず持参していた。そのため、レジ係の人にレジ袋が必要かどうか聞かれると、私はすかさず日本から持参したエコバッグを差し出した。すると、レジ係の人は私の差し出したエコバッグを受け取り、購入したものを私のエコバックの中に詰めてくれた。

 ここに、日本と海外のレジ袋の消費に対する意識の違いを感じる。日本では海外のように、お金を出してレジ袋を購入するケースはまだまだ少ない。レジ袋不要と申し出ても、せいぜい、そのスーパーだけで有効なポイントカードにポイントが加算される程度である。その点、海外ではレジ袋にお金を取るのだから、日本よりも環境問題への取り組みに対して徹底している。そういう意味では、海外のスーパーにおいては、
「袋のご持参、ありがとうございます」
と言われることは少ないのかもしれない。むしろエコバックを持参しないでいると、後ろめたい気持ちにさえなる。

 そう言えば、以前も書いたが、私はいつもMy箸を持ち歩いている。普段から外食が多いので、このMy箸を活用するチャンスは実に多い。My箸を使っていると、お店の人にすぐに顔を覚えてもらえるので、比較的簡単に顔馴染みになることができる。My箸の使用からコミュニケーションが広がることも多いのだ。

 ちなみに、飲食店でMy箸を使うと、
「お箸のおばさん、ありがとうございます」
ではなく、
「お箸のご持参、ありがとうございます」
と言われることになる。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 日本でも、お金を払ってレジ袋を購入するケースが少しだけありますが、そういうお店は、海外に店舗を構えているお店が多いように思います。おそらく、レジ袋を有料化するという海外の文化が入って来ているのでしょうね。エコバックを持参すると、そのスーパーだけで有効なポイントカードにポイントが貯まるというくらいでは、まだまだ海外の環境問題への取り組みには追い付けない気がしています。

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2010.02.02

映画『コレラの時代の愛』

二元的世界の限界の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本当にたくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。振り返ってみると、過去における立場の異なる様々な対立が、自分の立場を認めて欲しい気持ちから来ていることがわかりました。相手の立場を認めずに自分の立場を認めて欲しいと互いに主張するものですから、不毛な対立に発展してしまうんですよね。自分の立場を守ろうとすると、相手の立場が見えなくなってしまいがちなのは、やはり二元的世界だからなんでしょうね。

 本作が劇場公開されている頃、今はなきホットヨガ神戸店のすぐ隣にあった私のお気に入りのミニシアター系映画館で本作が上映されていた。私は、本作の予告編を何度かそのミニシアター系映画館で観ていたので、ずいぶん気にはなっていたのだが、果たして五十一年九ヶ月と四日も好きな女性が自由になるのをひたすら待ち続けた男の物語に耐えられるのだろうかと思い、劇場で鑑賞するのは控えることにしたのだった。予告編を見た限りでは、好きな女性への男の気持ちは愛ではなく、独り善がりな自己愛のように感じられたからだ。とは言え、怖いもの見たさもあり、DVDで鑑賞することにしたのである。

 好きな女性を五十一年九ヶ月と四日も待ち続けた男フロレンティーノを演じているのは、映画『ノーカントリー』のハビエル・バルデムである。彼は何と、青年時代のフロレンティーノから年老いたフロレンティーノまでを一人で演じ切っている。おそらく、映画『サヨナライツカ』よりも主人公の活動期間は長いはずなのに、違和感がないのは、ハビエル・バルデムがそれだけ幅の広い役者さんだからだろう。

 郵便局員のフロレンティーノが配達途中に大きなお屋敷の少女フェルミナと出会い、恋に落ちる。二人はやがて、手紙で愛を交わすようになるのだが、身分違いという理由から引き裂かれ、それから五十一年九ヶ月と四日も過ぎたあと、ようやく結ばれるという物話だ。予告編を観ていた限りでは、フロレンティーノの完全なる片想いなのではないかと思っていたので、五十一年九ヶ月と四日も待ち続けることにずっと違和感があったのだが、実際のところ、二人には甘い相思相愛の時期があったのだ。

 一組の男女の生き様を五十年以上も描写し続けるとなると、それはそれは壮大な物語になる。フロレンティーノと引き離されたフェルミナは、のちに医師と結婚し、必ずしも幸せとは言い切れない人生を送った。フロレンティーノは、フェルミナが医師と結婚してもなお、心の中で彼女のことを想い続ける。とは言え、フェルミナと引き離されて失ってしまった心のバランスを取り戻すために、何と、合計六百二十二人もの女性たちと肉体関係を結びながら、時が熟すのをひたすら待ち続けるのだ。

 ここまで顕著ではないにしても、金城武くん主演の映画『ウインター・ソング』を鑑賞したときのような違和感が募って来た。やはり、映画『ウインター・ソング』の金城武くん同様、フロレンティーノがフェルミナを想う気持ちにはどこか押し付けがましいものを感じてしまう。好きな女性が他の男性と結婚してもなお、無理にでも自分のほうへと向かせたがっているような、そんな強引さを感じてしまうのだ。そのため、ストーリーを真剣に追いながらも、フロレンティーノに同調することができない。

 フロレンティーノが本当にフェルミナのことを想うなら、もっと大らかな気持ちでフェルミナを信頼して欲しかったと思うのだ。言うなれば、彼女の自由意思を尊重して欲しかった。繰り返しになるが、私から見ると、フロレンティーノの取っていた行動は、どう見ても自己愛にしか見えなかった。そんな状態が続いたあとに、フェルミナの夫である医師が亡くなったときに、
「五十一年九ヶ月と四日もあなたを待ち続けました」
と言うのは、やはり興ざめしてしまう。

 五十一年九ヶ月と四日も待ち続けて、フロレンティーノはようやくフェルミナと結ばれるわけなのだが、そのあと、何とも皮肉な結末を迎えることになる。もしかすると、五十一年九ヶ月と四日という長い長い歳月は、この結末のために用意されていたのではないかと思えるくらいの皮肉な結末である。このような皮肉な結末が用意されているところは、本作の面白さでもある。男女の愛について厳しい目を持っていなければ、この壮大な物語は楽しめるところがたくさんあるかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 世間の評価では、「純愛物語」などと表現されているようですが、男女の愛に厳しい私は、「純愛」と呼ぶにはずいぶん抵抗がありますね。(苦笑)純愛ならば、六百二十二人もの女性たちと肉体関係を持ちながら彼女を待ち続けるでしょうか。心と身体は別物だと言いたいのでしょうか。また、夫を喪ったばかりで悲しみに暮れる彼女に、「五十一年九ヶ月と四日もあなたを待ち続けました」などと言って彼女の手を取ろうとするでしょうか。「純愛」という表現には違和感を感じずにはいられない作品ではありましたが、コレラが流行していた時代背景や映像としての描写は良かったと思います。

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2010.02.01

二元的世界の限界

通信料の節約に成功の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。長きに渡ってお届けして参りました香港旅行の記事は、これでほぼ終了です。細々した内容はあるにはあるのですが、それらをまとめて一つの記事にするのも何だかおかしな気がするので、折を見て何かの記事に盛り込んで行きたいと思います。長い間、香港旅行の話題にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 とある週明けの月曜日、派遣仲間と二人で、仕事帰りに晩御飯を食べに行った。睡眠不足に陥りがちな平日に人と会うと、睡眠不足が更に加速されてしまうため、これまで見送り続けて来たのだが、週末にたっぷりと睡眠を取っておいたので、何とか大丈夫だった。

 不思議なことに、彼女と私は、性格面においては似ても似つかない。彼女はきれい好きで物をどんどん捨てられるタイプだが、私は片付けが苦手で物をなかなか捨てられないタイプである。彼女は物事に対していつも冷静かつ客観的だが、私は物事に対していつも熱く、感情むき出しで主観的である。結婚前における異性との付き合いにおいても、彼女は受動的だったが、私は能動的だった。

 そして今回、彼女との新たな違いを発見した。それは、彼女が人を好きになるときは、そこに何らかの理由が存在しているということだった。例えば、相手に尊敬できる部分があったり、話をしていて面白いと感じたりすると、その人のことを好きになるのだそうだ。彼女はご主人さんのことも、尊敬できる部分があるから好きになったのだと言う。また、私とこうして会って話をするのも、私と話をすることが面白いと感じてくれているからなのだそうだ。それに対し、私は驚きの表情を隠し切れなかった。何故なら、私自身が人を好きになるときには、彼女のように理由付けを行っているわけではなかったからだ。私はいつも、自分の直感に従って行動していた。もちろん、ガンモに惹かれたのも、直感によるものである。驚いたことに、彼女にはそうした直感が働かないのだそうだ。そして、彼女が言うには、尊敬できる部分がなくなって来るなど、相手に対して感じていた好意の理由が薄れて来ると、相手に対する好意も同時に薄れてしまうのだそうだ。

 また、彼女と私は、夫婦関係においても異なる部分が多かった。彼女はご主人さんに対し、言いたいことがあっても、思わず言葉を呑み込んでしまうことがあるのだそうだ。当然、ご主人さんの前でおならもしないと言う。私が、
「それは、相手を尊重しているからなの?」
と尋ねると、彼女は、
「いや、そういうわけじゃないと思う。多分、もともと、人ととことん向き合うのが面倒なんだと思う」
と答えた。私は、
「うちはお互いに、言いたいことはとことん言うよ。言いたいことを言っても壊れないことがわかってるし、喧嘩をしても尾を引かずにすぐに仲直りするしね。喧嘩をしたあとでも、抱き合ったりもするし」
と言った。

 彼女曰く、彼女はもともと感情が薄く、人に対しても物に対しても熱中できない性格なのだそうだ。それに対し、私は人に対しても熱い想いを抱え、物に対しても容易には手放せない性格である。彼女は私に、
「例えば物を捨てられないっていうのは、もう使わなくなったものに対しても、いつまでも好きな気持ちを持ち続けていられるってこと?」
と尋ねた。私は、
「ううん、それは難しいなあ」
と答えた。確かに私が物を捨てられない性格であることには違いがないのだが、その捨てられない物に対していつまでも好きな気持ちを持ち続けているかというと、そうではない。物を捨てられない気持ちが単なる貧乏性から来るものなのか、それとも踏ん切りが付かないだけなのか、自分でも良くわからなくなって来た。ただ、彼女は人に対しても物に対しても自分の感情が常に薄いということに対して、どうしたら私のように熱くなれるのかと、思い悩んでいるようでもあった。そこで私は、
「じゃあ、まずは物を捨てないことから始めてみれば?」
と言うと、彼女は笑っていた。

 私たちが生きて行く上で常に付き纏うのは、何かを選択すると、別の何かを選択できなくなるということである。私のように、人に対しても熱く、物もなかなか捨てられないという選択をすると、家の中がどんどん散らかってしまう。そして、彼女はそんな私と正反対である。これは、私たちが生きている世界が二元的な世界であることの証だと思う。二元的であるがゆえに、片方を選択すると、もう片方を同時に選択することができなくなってしまうのだ。そして、世の中に存在している多くの対立が、この二元的な世界における限界から来ているようにも思う。二元的な世界に限界があることに気付かずに、立場の違う者同士が、相手が手にしているものを認めようとせず、相手が手にしていないものを責め立てているように思えるのだ。立場の違う者同士が対話をするときは、相手が手にしているものを認めようとすることで、互いの視野が広がって行くように思う。

 彼女との会話は、私の選択していないことばかりで驚きの連続だったが、彼女の選択から学ぶことも多く、実に楽しい時間を過ごすことができた。かつての私ならば、人との違いをこれほど心地良いとは思わなかったはずだが、最近は、違いを楽しむ余裕が出て来たように思う。それは、自分の幅を広げてくれる存在が、自分と同じ価値観の人ではなく、自分とは違う価値観の人であることが少しずつわかって来たからかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 彼女と私は面白いくらいに違うのに、良く会って話をしています。思えば、若い頃は、自分と似ている人とばかり親しくなろうとしていたように思います。年を重ねて来ると、いろいろなことを経験して、許容できる範囲が次第に広がって来たのかもしれませんね。

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