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2009.10.02

映画『HACHI 約束の犬』

次なるステージを目指すの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。最近、魂と心の違いについて考えています。心は、私たちの意志とほぼイコールでしょうか。同時に、それぞれの嗜好にも通じていますね。それに対し、魂は本能的なものと捉えています。私たちは多くの場合、心の領域で生活をしていると思います。しかし、あるとき、心の領域から逸脱して、本能が目覚めさせられ、魂の領域に触れることがあります。それは、身体中の血という血が沸き立つような感覚に近いかもしれません。私たちが運命の人に出会い、「この人だ!」と直感するのは、決して心で感じているわけではなく、魂を通じて本能が目覚めさせられているのだと思います。そうした感覚を言葉で説明するのは難しいですが、いつか彼女たちともそんな話をしてみたいですね。

 子供の頃から犬が大好きだった。これまでにも何度か宣言して来たが、私は猫よりも断然、犬派である。犬の映画もたくさん観て来た。しかし、それらの中でも最も印象に残っているのは、やはり、映画『ハチ公物語』だろうか。独身時代、東京に住んでいたときも、渋谷駅前にあるハチ公像をいつも熱い想いで眺めていたものだった。

 あの「忠犬ハチ公」の物語が、アメリカを舞台にリメイクされた。ずいぶん前から劇場では予告編が繰り返し流れていたが、日本での公開日は八月八日だという。それだけではない。私の自宅近くにある大型映画館では、八番スクリーンで上映されていた。きっとハチにこだわったに違いない。「それならばいっそのこと、二〇〇八年の公開作品にすれば良かったのに」などと今さら思ってみても仕方がない。

 ガンモも本作の鑑賞にはかなり乗り気の様子だった。ガンモが、
「映画『HACHI 約束の犬』が公開されたら、俺も観に行く」
と言っていたので、二人揃って鑑賞する計画を立てていたのだが、八月は何かと忙しく、ガンモと一緒に映画館に足を運ぶことがなかなかできなかった。私は、早く映画館に足を運ばなければ、劇場公開が終了してしまうのではないかと気をもみながら、
「もう、劇場公開終わっちゃうから、一人で観に行ってもいい?」
とガンモに尋ねてみたところ、
「いや、ダメ。俺も観たいから」
という答えが返って来た。

 ガンモと一緒に、自宅近くの大型映画館でレイトショーを鑑賞する予定を立てていたというのに、私たちが揃って映画館に足を運ぶことがなかなかできなかったために、自宅近くの大型映画館ではとうとうレイトショーの上映が終了してしまった。レイトショーで鑑賞できなくなるとすると、通常の上映時間に足を運ぶしかない。しかし、いまどき一人千八百円も出して映画を鑑賞するのは悔しいではないか。そこで私は、ガンモの週末の予定を確認しつつ、派遣会社の福利厚生サービスを利用して申し込んだ格安チケットで本作を鑑賞することにした。

 しかし、その頃になると、もはや自宅近くの大型映画館では吹き替え版しか上映されなくなってしまった。そこで私たちは、九月のとある週末に三宮の映画館までカングーで出掛けたのである。三宮を選んだのは、その日の夕方から、三宮でガンモの仕事が入っていたからだ。そのため、ガンモは本作を鑑賞したあと、すぐに客先に向かうことになっていた。あいにくの雨に加え、週末で道路も混んでいたため、私たちの三宮到着は予定よりも遅れてしまった。何とかカングーを三宮の駐車場に停め、雨の中を映画館まで大急ぎで歩いたところ、私たちがスクリーンに入ったときにはちょうど予告編の上映が終わったところという間一髪の状況だった。

 さて、すっかり前置きが長くなってしまった。私は普段、まったくと言っていいほどテレビを見ないので知らなかったのだが、聞くところによると、本作の予告編は、テレビのCMでも何度も流れていたらしい。だから、多くの人たちが、ハチの主人役をリチャード・ギアが演じていることをご存知のはずだ。

 日本からアメリカに向けて秋田犬の子犬が送られるのだが、途中で引き取り手がわからなくなり、いつもベッドリッジ駅を利用しているリチャード・ギア演じるパーカー・ウィルソン教授が一時的に子犬を預かることになる。そして、やがてそれは一時的な預かりではなくなり、子犬はウィルソン教授の新しい家族となる。

 本当は、犬の苦手な妻が子犬を受け入れるところが実にいい。最初は子犬を毛嫌いしている妻も、夫のウィルソン教授が子犬を大事にしている姿を見て、子犬を受け入れることを決める。自分の好き嫌いよりも、夫への愛のほうが勝っているわけだ。ああ、もしかすると、次なるステージを目指すの記事で模索しようとした「受け入れること」とは、こういうことなのかもしれない。妻は、自分自身の気持ちを押し殺して子犬を飼うことを決めたわけではない。夫を深く愛するがゆえに、夫の喜びと自分の喜びが同化して、自分自身の進むべき方向を見出したのだ。妻が自分自身の気持ちを押し殺して子犬を飼うことを受け入れたのではないことは、その後の妻の態度からも明らかである。

 ウィルソン教授の日本人の友人により、子犬の首輪に付いているマークのようなものは漢字の「八」であることがわかる。この日本人の友人を演じている俳優さんは、どう見ても中国人なのだが、アメリカ映画には良くあることなので気にしないことにする。

 HACHIと名付けられた子犬は、すぐに大きくなる。そして、ウィルソン教授が出掛ける時間になると、いつもウィルソン教授が利用しているベッドリッジ駅までウィルソン教授を見送りに行き、ウィルソン教授が帰る時間になると、ベッドリッジ駅までウィルソン教授を出迎えに行く。とにかくHACHIは、ウィルソン教授のことが好きで好きでたまらないのだ。

 以前、点と面の話をしたと思う。普段はそ知らぬ顔をしていても、自分の都合のいいときだけ人間のところに身体をすり寄せて来る猫は、点の付き合いを望む動物なのかもしれない。しかし、犬が望んでいるのは面の付き合いだ。犬には、主人への想いが持続している。そうしなければならないと思っているのではなく、きっと、自らの意志でそうしたいのだ。そういう意味で、犬は愛情表現がとても豊かなのだろう。

 HACHIにとっては、いつまでも続くと思っていたウィルソン教授との幸せな時間が、ある日、突然、止まる。それでもHACHIは、毎日、同じ時間になるとベッドリッジ駅へと出掛けて行く。ウィルソン教授の帰りをひたすら待ち続けているのだ。やがてHACHIは、ベッドリッジ駅から遠く離れた場所に引っ越しても、本能でベッドリッジ駅に辿り着き、ウィルソン教授の帰りを待ち続ける。

 ラストはやはり、泣けるのだ。隣の席で一緒に観ていたガンモも、手で涙をぬぐっていた。私たち人間は、HACHIの中に、自分自身ではなかなか表現できない一途な想いを垣間見る。人間の複雑な一日に比べて、犬の一日は至ってシンプルなのかもしれない。犬同士の付き合いも、学校も、仕事もない。だからこそ、ウィルソン教授との交流に重みが出て来る。HACHIとしても、その唯一の交流を失いたくはなかっただろう。忙しい毎日を過ごしている私たち人間は、シンプルな生き方をしているHACHIから倣うべきことがあるように思えてならない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 人間と心を交し合う動物は、犬以外にもいるのでしょうか。動物の中では、犬が最も人間に近い存在だと聞きます。それは、犬が人間に可愛がられることによって、霊的な存在に成長して行くという解釈でした。ちなみに、本作を鑑賞したガンモは、「父ちゃんが、○○駅(私たちがいつも利用しちている最寄駅)に迎えに来てくれたりはしないのかな」などと言っていました。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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