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2009年9月

2009.09.30

逃亡の間違いでは?

映画『アマルフィ 女神の報酬』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。映画『アマルフィ 女神の報酬』の記事は特に、検索エンジンなどから映画のタイトルや出演者の名前で検索して来られた方が多かったようです。それだけ、鑑賞された方の多い作品だったのでしょうね。思えば、織田裕二くんもずいぶん息の長い役者さんになって来ましたね。今回の黒田のような寡黙な役は、彼にはピッタリの役柄だと思いました。彼は、静の役者さんに成長しつつあるのかもしれません。

 「ガンまる日記」をお借りしているココログには、アクセス解析機能が付いている。アクセス解析機能とは、ホームページやブログを訪問してくださった方たちが使用しているOSやブラウザの種別、画面の解像度、参照元のURL、接続しているプロバイダ等の情報を参照できる機能である。

 先日、そのアクセス解析の生ログを参照していたところ、TOBYO : 図書室 : 闘病記【ガンまる日記】プロフィールからのアクセスがちらほら見受けられた。一体どのようなページなのだろうと思い、こちらからもアクセスしてみると、何と、この「ガンまる日記」が登録されているではないか。どうやらこのサイトは、何らかの病気と闘っている人たちのブログやホームページを集めたサイトらしい。どなたが手続きをされたのかわからないが、私のブログ開設時期やハンドル名まできちんと登録されている。これによると、私は「子宮筋腫」で闘病しているらしい。

 とは言え、闘病と言われても、何だかピンと来ないものだ。闘病と言うと、かなり深刻な病気と闘っているというイメージがある。しかも、何らかの化学的な薬を使って治療を受けているようにもとらえることができる。しかし私は、化学的な処置は何も受けていない。I医師に桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)を処方していただいてはいるものの、それによって筋腫が小さくなるわけではない。私の場合、闘病というよりも、逃亡の間違いなのではないだろうか?

 そこで、「そもそも子宮筋腫にとって闘病とは?」ということについて考えてみた。西洋医学的な治療を受けるならば、その治療によって根治できることなのだろう。しかし、子宮筋腫に対して主に行われているのは、筋腫の摘出あるいは子宮の摘出といった手術である。例え子宮を残して筋腫だけを摘出してもらったとしても、多くの人たちが、しばらく経つと再び新たなる筋腫の誕生に脅かされている。また、清光の舞台から飛び降りるような決断をして子宮を摘出する手術を受けたとしても、筋腫の原因がホルモンバランスの崩れにあるとするならば、根本的な原因は何ら解決はされていないことになる。となると、筋腫の摘出も子宮の摘出も、治療ではなく、一時的な回避策ということになってしまうのではないだろうか。

 それを考えると、西洋医学を中心とした現代の医療法においては、子宮筋腫に闘病は有り得ないということになる。ゆえに、私のブログがTOBYO : 図書室 : 闘病記【ガンまる日記】プロフィールに登録されているのも何だか場違いな気がするのだ。

 私は決して、闘病しているわけではない。逃亡していると書いたのはもちろん冗談だが、実際は、模索しているという言い方のほうが正しい。医師の言いなりになるのではなく、自分自身の納得の行く方法を、今も模索し続けているのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 自分の知らないうちにこのようなサイトに登録されていると、正直言って、何だか複雑な気持ちがしますね。書くことによって、世の中に与えている影響もついつい意識してしまいますが、私のブログを登録された方が、私自身のことをどれくらいご存知なのかということも気になります。単に「子宮筋腫」というキーワードで検索して、検索エンジンに引っ掛かったサイトを次々に登録されているのであれば、ちょっぴり残念な気もします。何故なら、自分の前を、多くの人たちがどんどん通り過ぎて行くようなブログにはしたくないからです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.09.29

映画『アマルフィ 女神の報酬』

元気な子の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今の時期、まだまだ半袖で過ごしていても気持ちがいいのは、ちょうど夏のヨーロッパの気温と同じくらいだということもあるのかもしれません。ロンドンだともう少し寒いくらいですが、日本の初秋の気温は、涼しかった夏のヨーロッパ旅行を思い出させるのです。夏のロンドンで、ビジネスマンが長袖のスーツを着込んでいても、ちっとも暑苦しくなかった感覚、きっとおわかりいただけるかと思います。

 鑑賞した映画のレビューも、ようやく一ヶ月ほど前の鑑賞にまで追い付いた。フジテレビの開局五十周年を記念して製作されたという本作を、私は八月二十八日に鑑賞している。実は、本作に関しては、劇場で何度も予告編を目にしてはいたものの、今一つ鑑賞に踏み切ることができずにいた。というのも、予告編を観ても、すぐには映画の世界に浸り切ることができず、「イタリアで日本人の女の子が誘拐されたという設定なのか。ふうん」くらいの気持ちだったのだ。それでも、とうとう鑑賞に踏み切ったのは、観たいと思っていた作品をほとんど鑑賞してしまったことと、本作を鑑賞した人たちの評価が意外にも高かったことが、私の背中を押してくれることになったのだ。

 実際に鑑賞してみると、思っていた以上に面白く、引き込まれる作品だった。テンションの低い状態から鑑賞を始めると、劇場を出る頃にはテンションが高くなっている。こんなふうに、最近は、無防備な状態で何の期待もなく鑑賞することになった作品を受け入れることをとことん楽しんでいる。

 レビューを書くにあたり、映画サイトを参照して知ったのだが、本作の監督は、かつて私が絶賛した映画『容疑者Xの献身』の西谷弘監督だった。なるほど、あれほどの作品を手掛けた監督だから、本作がこれほど引き込まれる作品であったとしても不思議ではない。ちなみに、原作は真保裕一さんの同名小説なのだそうだ。普段は読まない類の作家だが、こうして映像化されると実に面白い作品だと思う。

 前置きのないままに、一組の男女がローマの高級ホテルに戻って来る。一見、夫婦であるように見受けられるが、会話も抱擁もなく、二人の間に愛情が通っていないことが一目でわかる。のちに、女性の娘がイタリアで誘拐されて、外交官の男と夫婦のフリをしてホテルに滞在しているということがわかる。私にとって、舞台となっているイタリアは、二十年ほど前にツアーで訪れた場所である。私自身も足を運んだテルミナ駅やコロッセオが本編に登場したものの、二十年も経ってしまえばほとんど忘れてしまっている。おそらくスペイン広場にも足を運んでいるはずだが、もはや記憶にない。私も、外交官の黒田のようにイタリア語を自由に話すことができたなら、ローマでの自由行動をもっと楽しむことができたのにと思う。

 本作の見どころは、やはり織田裕二くん演じる頭の切れる外交官黒田の活躍だろう。彼の鋭い洞察力は、当たり前のようでいて、ついつい見逃してしまいがちな不自然なことを決して見逃さない。次々にトリックを見破り、狙いを定める。しかも、少女の行方を探すために一緒に行動するうちに、天海祐希演じる矢上紗江子に淡い恋心を抱き始めたであろう様子もうまく表現されていた。

 物語の舞台がローマのみに留まるのかと思いきや、アマルフィという美しい海岸も映し出される。それだけではない。後半部分の意外な展開に、観客は最後まで引き付けられるのだ。本作は、視点をどこに置くかで楽しみ方も違って来るだろう。子を持つ母親ならば、娘を誘拐された紗江子に感情移入するだろうし、謎解きが好きな人ならば、黒田と一緒に事件解決を目指すだろう。普段は、人間の感情描写の豊かな作品を好んで鑑賞している私だが、たまにはこうした大掛かりな作品を鑑賞するのもいいのではないかと思った次第である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 宝塚出身の天海祐希さんは、いい女優さんになって来ましたね。最近は宝塚歌劇団の公演の鑑賞もすっかりご無沙汰してしまっていますが、以前はガンモと一緒にしばしば宝塚歌劇団の公演を観に行ったものです。タカラジェンヌの発声方法は、演劇出身者独特のものがありますよね。例えば和央ようかさんなどは、宝塚時代の発声方法がそのまま残っている女優さんの一人です。でも、天海祐希さんは、宝塚時代の基礎の上に、現在の女優としての自分を築き上げて行ったのではないと感じます。彼女はこれからも、いい演技を見せてくれるのではないでしょうか。

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2009.09.28

元気な子

子育てのコツを掴んだ母親の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m どういうわけか、母ちゃんよりも父ちゃんのほうが食欲旺盛です。もしかすると、母ちゃんのお腹の中には、また新たな命が宿っているのかもしれません。(笑)

 子供の頃、夏が過ぎて多くの人たちが長袖を着始めても、いつまでも半袖で過ごしている元気な子がいた。すっかり涼しくなっているというのに、半袖なんかで寒くないのだろうかと、いつも不思議に思っていたことを思い出す。そんな元気な子が、今、私の周りにもいる。何を隠そう、私自身だ。

 シルバーウィークの九連休中、確かに残暑が厳しかった。とは言え、その少し前にはいったん寒くなったので、そろそろ長袖を身に着けようと思い、衣服の山の中から長袖のTシャツを引っ張り出して仕事に着て行ったこともある。ところが、長袖を着ると暑いのだ。暑くて腕まくりをしてしまうくらいなら、最初から半袖を着て行こうと思い、私は今でも半袖Tシャツを二枚重ねて過ごしている。

 夜、仕事を終えて帰宅すると、自宅の寝室の窓辺から注ぎ込んで来る風がとても心地いい。私が寝室の窓を網戸にして夜風を楽しんでいると、ガンモは、
「寒いから窓をもう少し閉めてよ。俺、風邪、引くから」
と言う。もともと風邪を引き易いガンモは、夜風に当たっているうちに早くも風邪の症状が出始めてしまったらしく、早めに風邪薬を飲んで風邪の症状を抑えようとしている。ガンモが風邪を引いてしまうものだから、私はまだまだ涼しい夜風に当たっていたいというのに、寝室の窓を少し閉めなければならない。とは言え、窓を閉めると暑いので、扇風機を掛けていると、就寝するためにベッドにやって来たガンモが、
「扇風機、寒いよ。まるみ、おかしいんじゃないの?」
などと言う。

 確かにおかしいのかもしれない。私自身もそう思う。そして、私の身体がこのように変化した原因は、冷え取り健康法を始めて、絹と綿の靴下を四枚重ね履きしているせいだろうと思う。足下を温めると本当に気持ちがいい。身体が温まって来るのだ。それに加え、ほんの少し、更年期障害のホットフラッシュも加わっているのかもしれない。

 ホットフラッシュの症状は、特に仕事中に顕著である。職場では、熱を帯びたたくさんのパソコンが稼動しているため、九月下旬といえども冷房が入っている。冷房は足元を冷やすため、私はオフィスでは長靴を履いて過ごしている。そうすると、もっと身体が足下から温まって来て更に気持ち良くなる。そして、顔だけがほてって来るのだ。仕事中の私は、冷房避けのために頭には帽子をかぶり、首にはスカーフを巻いているというのに、顔だけは熱く、団扇でパタパタと扇いでいるのだ。

 私が拝読している整体師の古久澤さんのメルマガによれば、

足首は骨盤と関連して、特に女性の場合は内踝が「子宮」、外踝が「卵巣」につながっています。
なので、秋口の女性特有の不調などは朝の起きがけに「足湯」をするといいです!

だそうだ。ということは、子宮を元気にするには、足を温めるといいということである。私がオフィスの冷房対策のために長靴を履いて、足を冷えから守っているのは正解だったというわけだ。実際のところ、オフィスの冷房で足を冷やしてしまったときもそうだが、夏用の少し丈の短いズボンを履いているときも、足首が冷えて調子が悪くなる。そのため、夏用の少し丈の短いズボンを履くときは、レッグウォーマーで丈の短い部分を覆うととても気持ちがいい。

 冷え取り健康法を始めてから数ヶ月経過し、今や私の筋腫の成長は止まっている。筋腫のある人が冷え取り健康法を始めると、あるとき大量に出血したかと思うと、筋腫がなくなってしまっていたという手記を読んだことがあるが、私はそこまでは行っていない。とは言え、冷え取り健康法が私にとっていかに必要であるかは、シャワーを浴びたあと、靴下を履くまでのほんのわずかの時間が待ち遠しくてたまらないことからもわかる。靴下を四枚も重ね履きするのは、時間も掛かる上に靴のサイズも異なって来ることから、確かに大変なことには違いないのだが、それだけの効果はあると言える。

 子供の頃、みんなが長袖を着ていても半袖を着て元気にはしゃぎ回っていた子供は、もしかすると、子供の頃から冷え取り健康法を実践していたのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m インターネットで偶然見付けた冷え取り健康法ですが、子宮の悪い人は足首を温めると良いという法則にも則っているようですね。洗濯担当のガンモには、「我が家には足が十本もある人がいる」などと言われていますが、始めてみると、じわじわとその効果を実感することになるでしょう。あれこれいろいろな健康法を試したくもなりますが、一つの健康法をとことん続けてみるのもいいかもしれません。

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2009.09.27

子育てのコツを掴んだ母親

映画『30デイズ・ナイト』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 三十日間、太陽が昇らない地域にヴァンパイアが集団でやって来るという設定は怖いですよね。幸いにして、日本にはそのようなこともないので、同様の恐怖にさらされることはないかと思いますが。(笑)夫婦関係の修復と究極的な恐怖心をセットにした作品は、映画『モーテル』もそうでしたね。映画『モーテル』は、DVDで鑑賞した作品なので、後日、レビューを書かせていただこうと思っています。

 かつて子育てのできない母親という記事を書いた。その、産んだ卵をお腹にくっつけて歩いていた母ちゃんが、またしても我が家のベランダに卵を二つ産み、何と、今度は二つとも孵ったのだ。実は、これまで母ちゃんたちが巣を作っていた場所は、日当たりが良過ぎたため、夏の強い日差しを避けるべく、ガンモがそっと巣の位置をずらしたらしい。その成果もあってか、ようやく母ちゃんの卵が孵化に成功したというわけである。しかも、これまで何度卵を産んでもうまく育てることのできなかった母ちゃんが、いきなり二羽の雛の母親になったのだから、大きな前進である。私たちは、これまで子育てのできなかった母ちゃんが、ようやく母親になることができたことを大いに喜んだ。

 不思議なことに、母ちゃんたちの二羽の雛の柄(がら)のうち、一羽は母ちゃん柄だったのだが、もう一羽はどういうわけかキッコロ柄だった。父ちゃんも母ちゃんもキッコロ柄ではないはずなのに、何故、突如としてキッコロ柄が出たのかは謎である。もしかすると、鳩にも隔世遺伝があるのだろうか。

 二羽の雛たちはすくすくと育った。我が家のベランダがにぎやかになり過ぎるのではないかと思っていたところ、私たちが夏休みの旅行から帰ってみると、TKMYジュニアは巣立ちして、キッコロジュニアだけが残っていた。キッコロジュニアは、父ちゃんや母ちゃん、生前のTKMYのほんの短い間の夫のイケメンくんらに抑圧されながらも、何とか我が家のベランダに残っていた。私たちからすれば、イケメンくんが我が家のベランダにいつまでも居座り続けることのほうがおかしいと思うのだが・・・・・・。

 そんなにぎやかな状況の中、二羽の雛たちは立派に成長して行った。ある日のことである。私たちには、再び母ちゃんが産気付いているように見えた。産気付くと、餌を食べなくなったり落ち着きがなくなったりするので、長年の経験からわかるのだ。
「まさか、母ちゃん、また卵を産むんじゃないだろうね?」
とガンモと話していると、それから間もなくして、母ちゃんは再び卵を二つ産んだ。そして、まだ母ちゃんたちの最初の雛たちが巣立ちしていないというのに、父ちゃんと母ちゃんは交替で卵を温め始めた。

 「母ちゃんたちは、調子に乗ってる」
とガンモは言った。子育てのコツを掴んだ母ちゃんは、これまでの遅れを取り戻すかのように子育てに目覚めたようだ。そして、新しい二つの卵も無事に孵り、新しい二羽の雛たちはピィピィと鳴きながら、父ちゃんや母ちゃんからピジョンミルクをおねだりしている。

 妹か弟が生まれて、そろそろ自立しなければならないと思ったのだろうか。母ちゃんたちの最初の雛であるキッコロ柄の雛は巣立って行った。このように、母ちゃんが子育てのコツを掴んだおかげで、我が家のベランダは、めまぐるしい勢いで変化している。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 子育てをしているせいなのか、それとも、食欲の秋だからなのか、父ちゃんの食欲がひどく旺盛であります。父ちゃんの身体からすれば、ほんの一握りの餌でお腹いっぱいになってもいいはずなのに、父ちゃんは私たちの寝室の窓辺に頻繁にやって来ては、TKMYジュニアやキッコロジュニアのために用意した手製の餌箱に入れた餌をぺろりと平らげてしまいます。私たちが餌を与えないでいると、寝室の窓辺に待機して、ガラス越しに寝室の中の様子をじっと窺っているんですね。父ちゃんの、餌を求めるその切なそうな視線がたまらず、餌を与えてしまう私たちであります。

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2009.09.26

映画『30デイズ・ナイト』

戦利品はマグカップと腹巻の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。実は、何気に骨董市カテゴリを追加しています。今後も新しいカテゴリの成長を見守ってやってくださいませ。(笑)

 鑑賞したものの、まだレビューを書いていない映画作品は、自宅で鑑賞したDVDも含めて十七本控えている。まだ劇場公開中の作品もあるので、DVDで鑑賞した作品はひとまずさておいて、しばらくの間、劇場で鑑賞した作品のレビューを書いて行きたい。

 本作は確か、夏休みの旅行から帰って来て、最初に劇場で鑑賞した作品である。私にしては珍しく、アメリカのホラー映画を鑑賞となったことには、それなりの理由がある。ガンモが仕事に出掛けて行った週末で、ホットヨガのレッスンI医師の診察のあと、何となく時間的な余裕があった上に、映画を鑑賞したときに押してもらえるスタンプカードがいっぱいになり、映画を一本無料で鑑賞することができることになっていたからだ。しかも、本作を選んだのは、映画館に足を運んだタイミングと上映スケジュールが重なっただけという、ごく単純な理由からだ。

 私の場合、何の知識もなく鑑賞に臨むと、たいてい大当たりする。そして、今回も大当たりだった。上映スケジュールを確認するために携帯電話からアクセスした映画サイトには、映画『スパイダーマン』シリーズのサム・ライミ監督のプロデュース作品と書かれてあったのだが、実のところ、あまり期待はしていなかった。というのも、過去に同じような宣伝文句でホラー映画を鑑賞し、ちっとも怖くなかったという残念な経験があったからだ。しかし本作は、最初から最後まで引き込まれてしまった。

 舞台となっているのは、夏には太陽の沈まない白夜が見られるものの、冬には三十日間太陽の昇らない極夜を迎えるというアメリカ最北の町バロウである。その町に、太陽の光に弱いヴァンパイアがやって来て、次々に住民たちを襲う。三十日間も太陽が昇らないのだから、ヴァンパイアにとって怖いものはない。住民たちは次々に、人間よりもはるかに強いヴァンパイアたちの餌食にされて行く。

 伏線として描かれているのは、壊れかけた夫婦の絆である。妻は、三十日間続く極夜を目前にして、バロウを離れる予定だった。しかし、あたかも別れようとする二人を繋ぎとめるかのように、妻は飛行機に乗り遅れてしまい、夫のいるバロウに残ることになる。夫は、バロウの町の勇敢な保安官エバンである。町が漆黒の闇に包まれると、ヴァンパイアたちは次々に住人たちを襲い始める。エバンと妻は、生き残った人たちとともに得体の知れぬ恐怖と戦いながら、壊れかけたはずの夫婦の絆を確かなものにして行く。

 集団で逃げ回る人間たちを見ながら、集団で行動することの難しさを改めて痛感した。集団といえども、一人一人は立派な自由意思を持っている。しかし、隠れ家にいるときは、それぞれの持つ自由意思が、ヴァンパイアたちを引き寄せる材料に結び付いてしまうこともある。例えば、窮屈な隠れ家暮らしが何日も続くと、外の空気を吸いたくもなる。しかし、外に出れば、恐ろしいヴァンパイアたちが新しい血を求めている。命が掛かっているとは言え、全員が息を潜めてじっと隠れ家にこもり続けることは、究めて難しい状況にあったと言える。命が掛かっている状態でさえ、それぞれの自由意思が分散し始めるのだから、命が掛かっていない状態で、集団を一つにまとめることがいかに難しいかが良くわかるだろう。とは言え、集団で行動しながらも、それぞれの人たちが次第に集団の中での自分の役割を見いだして行くプロセスは良かったと思う。

 人間よりもパワーのあるヴァンパイアたちは、人間を襲ったあとも、顔に付いた血をぬぐうこともしない。亡者のようなヴァンパイアたちに太刀打ちできるのは、十字架でもニンニクでもなく、太陽の光だけだ。果たして、私ならどうするだろう。ヴァンパイアたちから逃げ回る人間たちを自分自身に置き換え、考えてみる。やはり、命が掛かっているならば、彼らの弱点につけこむ形で必死に戦おうとするだろう。それなのに、なかなかそういう展開にはならない。一時的に、彼らの弱点いつけこんだ形の戦いに発展するのだが、その戦いは壮絶な戦いには至らずに、やがて意外な結末を迎える。そこに何ともやり切れない気持ちを感じてしまったのも事実である。もしも、ヴァンパイアたちの弱点を活かす壮絶な戦いに持ち込むことができれば、二人は夫婦としてやり直すことも可能だったのではないだろうか。その点が残念でならないのだが、逆に、もしもそのような結末を迎えていれば、観客に結末を読まれてしまう作品になっていたのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 町に再び太陽が昇るまでの三十日間の、生き残りを賭けた大掛かりなサバイバルストーリーでありました。普段は、人間としての生き方の詳細な描写を好む私が、作品の世界にすっかり引き込まれて、鑑賞し終わったあとも、しばらく余韻を引きずっていたのを覚えています。きっとヴァンパイアの描写がリアルだったんでしょうね。

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2009.09.25

戦利品はマグカップと腹巻

ホットヨガ(一六三回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 南森町店のシャワールームには、腰を降ろすことのできる椅子が設置されているので、レッスンで疲れた身体を休めながらシャワーを浴びました。他にも、シャワーを浴びたときに使う足拭きマットを自由に取り替えられるようになっていたり、忘れ物情報がロッカールームに貼り出されているなど、他の支店にはないユニークなサービスも見受けられました。おそらく、利用者の声を積極的に反映させている支店なのでしょうね。

 私が南森町店でホットヨガのレッスンを受けるときは、たいてい大阪の四天王寺で骨董市が開催されているときである。四天王寺では、毎月二十一日前後に、大師会(だいしえ)と呼ばれる骨董市が開催されているのだ。大師会の開催時に出店される露店の数はおよそ四百余りとも言われている。食べ物を扱うお店はもんちろんのこと、古着や古道具、アクセサリを扱うお店など、とにかくたくさんのお店がずらりと立ち並ぶ。また、もともと四天王寺には、厚い信仰心を持った人たちも多く参拝している。供養のために故人の戒名を書く木の札もあちらこちらに用意されている。私は、ホットヨガのレッスン帰りで大きな荷物を抱えながらも、南森町から地下鉄谷町線に乗り、四天王寺の最寄駅である四天王寺前夕陽ヶ丘で降りた。

毎月二十一日前後に開催されている四天王寺大師会(だいしえ)

 私は骨董市の雰囲気が大好きで、結婚前からあちらこちらで開催されている骨董市に出掛けている。意外なものを安く買うのが好きなのだ。何か欲しいものがあって出掛けて行くというよりは、露店を巡っているうちに自分の欲しいものに出会うといった感覚である。露店といえども、たいていは、毎回、ほぼ同じ場所に同じお店が出ているのだが、古物商が多いだけに、品揃えは毎回同じではない。前回、足を運んだときに見付けたものが再び店頭に並ぶことは、むしろ稀である。だからこそ、骨董市には、毎回、新しい発見がある。

 こうした骨董市の営業時間は、日の出から日の入りまでと、だいたい決まっている。ホットヨガのレッスンが終わると、たいていお昼過ぎになる。それからお昼ご飯を食べて骨董市に向かうと、どうしても十四時を回ってしまう。ほとんどの業者さんたちが車で商品を運んでいるのだが、中には、わざわざ岡山からやって来て露店を出されている業者さんもいらっしゃる。そして、遠方から来られた業者さんたちの中には、十五時頃から露店をたたむための片付けを始めてしまう業者さんもいらっしゃる。私が骨董市に到着する十四時過ぎは、遠方の業者さんたちがそろそろ片付けを始めようとする時間帯なので、お店を片付けられてはたまらないと、品物選びも少々駆け足になる。

 ちなみに、今回の骨董市の戦利品は以下の通りである。 

戦利品のGatewayマグカップ。百円

戦利品の腹巻六枚。一枚五百円。ポケット付きとポケット付きでないのがある

 マグカップは衝動買いで、腹巻は、同じものを同じ露店で何枚も買っている。今回も、その露店が出ていれば腹巻を購入しようと思っていた。この腹巻はとても温かいので、冷え性の人にプレゼントすると大変喜ばれるのだ。おしゃれなお店で売られている女性用の腹巻は、温かさよりもデザインを追求しようとしている。しかし、この腹巻は違うのだ。一枚五百円という安価な値段もいい。

 シルバーウィークに平日の有給休暇も加えて九連休を過ごしている私は、この連休中に、四天王寺大師会のほかにもいくつかの骨董市に足を運ぶ予定を立てていたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m シルバーウィークは天候にも恵まれ、いい骨董市日和になりました。お彼岸なので、一泊の予定でガンモの実家に帰省する計画も立てていたのですが、ガンモに急な仕事が入ってしまい、仕事疲れのためと高速道路の混雑のために、帰省を断念することになりました。高速道路が千円になるというサービスについて、あちらこちらで批判の声が上がっているようですね。千円になるのはありがたいけれども、高速道路の混雑はうんざりだだという方も多いのではないでしょうか。実践してみないことにはわからないこともありますので、これから改善されて行くことを願います。とは言え、私たちは二元的な世界に住んでいるので、何かが良くなれば何かが悪くなるという現象からは逃れられないとは思いますが・・・・・・。(苦笑)

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2009.09.24

ホットヨガ(一六三回目)

映画『GOEMON』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本作を鑑賞された方たちのブログを拝見すると、比較的辛口のレビューが多いようですね。時代劇が現代風にアレンジされると、歴史を歪められているような感覚に陥ってしまうのでしょうか。そう言えば、先日鑑賞した映画『火天の城』は、その時代の雰囲気を忠実に再現しようとしていましたね。本作とほぼ同じ時代が描かれた作品なのに、作り手によって表現方法が大きく異なっているのは面白いと思います。

 久し振りに南森町店でホットヨガのレッスンを受けた。我が家から南森町店までは、JR線一本で足を運ぶことができるのだ。今回参加したのは、六十分のフリースタイルのレッスンである。フリースタイルというと、今はなき京都駅前店でフリースタイル ビューティ ピラティス(60分)のレッスンを受けたことが記憶に新しい。フリースタイルのレッスンには様々なコースがあるのだが、詳細を確認しないままレッスンに臨んだところ、何と、F1-「フリースタイル 骨盤(60分)」というレッスンだった。説明には、骨盤周りをほぐしながら骨格全体を調整しますと書かれている。おおお! 私が普段、意識して調整したいと思っている骨盤をほぐしてくれるという、願ってもないレッスンである。

 それほど楽しみにしていたレッスンだというのに、家を出るのがついつい遅くなってしまい、ロッカールームで着替えを済ませて時計を見てみると、既にレッスン開始後五分が経過していた。それでも私はトイレにこもり、レッスンに着るTシャツの写真をカメラに収めたあと、スタジオに駆け込んだ。

 スタジオに入ってみると、既にウォーミングアップのストレッチが始まっていた。驚いたことに、シルバーウィーク真っ只中のレッスンだったためか、参加者は私を入れてわずか八名しかいなかった。今はなき神戸店のレッスンで、参加者が四名しかいないレッスンを受けたことがあるが、インストラクターの想いが参加者全員に行き渡るような密な距離感がとても心地良かった。人と会って話をするときもそうだが、人数が少なければ少ないほど密な交流を実現させることができる。大勢で集まって最大公約数の話をするよりも、人数が少なくて密な会話が実現されるほうが、私には心地良い。

 骨盤コースを担当してくださるインストラクターからは、とても不思議な雰囲気が漂っていた。何と言ったらいいのだろう。人間像が、身体を根本から支える骨盤そのものだった。良く、「地に足のついた」などという表現が用いられるが、骨盤同様、ヨガの知識を根本から伝授してくださりそうな、どっしりとした揺らぎのないイメージのインストラクターだった。

 ウォーミングアップのストレッチのあとは、両足を開いて足の裏同士を合わせて座り(がっせきのポーズ)、そのまま前かがみになるポーズを取った。そのとき私は、普段、詰まりがちだった左の鼻が楽に通って来るのを実感した。もしかすると、鼻の詰まりは骨盤の歪みと関係していたのだろうか?

 実は、いつも私が拝読しているメルマガに、以下のようなことが書かれてあった。

左の鼻で呼吸をすると、副交感神経が刺激されて骨盤が緩み、心も穏やかになり、体液がアルカリ化します。
右の鼻で呼吸をすると、交感神経が刺激されて骨盤が締まり、心は興奮して、体液が酸性化します。
正常ならば、これを繰り返すわけですからバランスが取れていて感覚も敏感に保たれるのです。
つまり、食欲も異常にはなりません。

 私の鼻は、普段、左だけが詰まりやすいために、左の鼻で楽に呼吸することができずに、自律神経のバランスが崩れていたのかもしれない。骨盤をほぐすことで、左の鼻の通りが良くなるのだとすると、自律神経も整って来るのだろうか。

 他にも、骨盤コースでは、猫のポーズとそのアレンジされたポーズなどで、下半身を動かすレッスンが多かった。やはり、左右均等にポーズを取ることが大切らしく、ポーズを取っているうちに骨盤の歪みが調整されて行くようである。六十分の骨盤コースのレッスンのあと、私は言いようのない満足感に包まれていた。

今回のレッスンのときに着ていたTシャツ。何の神様であるのかは不明(苦笑)

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 骨盤コースは、今はなき京都四条通店で人気のレッスンだったそうです。骨盤を調整したい人にとっては痒いところに手の届くレッスンで、充実感がありましたね。実は今回のレッスンに持参した水が、スタジオに着いたときにおおかた漏れてしまっていました。どうやら私の不注意で、保冷専用ボトルのキャップが緩んでしまっていたようです。予備に持参した水で何とかしのぐことができたのですが、保冷専用ボトルに海洋深層水をたっぷり入れて持参したのにもったいないことです。(苦笑)

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2009.09.23

映画『GOEMON』

おじやで回復したおやじ(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ノロウィルスはO型が感染しやすいと書きましたが、何を隠そう、私もO型なんですよね。ガンモがノロウィルスではなかったとしても、私自身は何もなく、ピンピンしています。新型インフルエンザだとか、エイズだとか、他の人に感染する病が流行するのは、他者への慈しみの気持ちが失われつつあることへの警告ではないかと思います。周りの誰かが感染すると、その人のことよりも、自分自身のことや自分の身内のことを心配する傾向が強いですよね。むしろ、そういう世の中だからこそ、こうした病気が流行ることで、人々が学ぶべきことがあるのではないでしょうか。

 ゴールデンウィークの休暇を利用して、お弁当を持参して自宅近くの映画館に一日中こもった話を書いた。そのとき、一日で合計四本の作品を鑑賞し、その中の一つが本作だったのだが、あろうことか、上映中に居眠りをしてしまった。一本千円で映画を鑑賞できる日だったとは言え、せっかくお金を払って映画館に入ったというのに、途中で居眠りをしてしまい、どんな作品だったのか良く覚えていないというのは何とも情けないことである。もしかすると、そろそろ本作のDVDが発売されている時期なのかもしれないが、居眠りをしてしまった作品を鑑賞するためにわざわざDVDを借りるのも何だか悔しい。そんな思いを抱えていたところ、夏休みに出掛けたパリからの帰りの飛行機の中で本作が上映されていた。そこで、帰国後すぐに野外ライブに参加するために睡眠時間を確保しなければならない状況だったというのに、一本くらいならいいだろうと思い、鑑賞することにしたのだ。

 鑑賞してみてわかったことがある。映画館で上映中に居眠りしてしまったときは、ほんの少しのうたた寝程度だと思い込んでいたのだが、見ていないシーンがたくさん出て来たので、情けないことに、上映時間のほぼ半分は居眠りしてしまっていたようだった。全体を通して、やはり彩り豊かな作品だと言える。そのため、時代背景と噛み合わないという感想を抱いている方もいらっしゃるかもしれない。しかし、作り手が、自らの作品をどのように脚色しようと、それは作り手の自由であり、それをどのように受け取るかは、受け手の好みの問題である。むしろ、多くの人たちに受け入れられることを最初から意識して、オリジナリティに欠けた作品を生み出すことのほうが悲劇だ。

 本作を鑑賞して強く思ったことは、当時の人たちは、自らの意志を尊重するよりも、それぞれの立場に沿った生き方をしていたということだ。それが当たり前の世の中だったため、立場に反する自らの意志は、心の中にそっと押し込めるしかなかったようだ。当時に比べると、現代を生きている人たちは、立場というしがらみからは、ある程度、解放されていると言える。例えば、立場に沿って、好きでもない人と結婚する人たちは激減しているはずだ。

 立場によるしがらみの中にあっても、互いに友情を分かち合った五右衛門、才蔵、半蔵。おそらく彼らは、自らの意志を尊重することができずにこの世を去って行ったに違いない。そうした人たちの生き方と、現代の人たちの生き方を比べてみると、自らの意志を尊重できるようになったという点においては、魂が進化していると言えなくもない。私はそこに、一度では決して完結しない私たちの人生を見た。私たちは、少しずつ転生を重ねながら、その時代に沿った生き方をして、魂を進化させているのではないか。一つの転生で実現できなかったことを、次の転生に持ち越して、別の時代で実現させて来たのではないか。ふと、そんなことを思ったのだ。それぞれの立場を尊重することのできなかった時代を生きた五右衛門と茶々のほのかな恋も、現代まで進めばもっと大胆な恋に発展しているかもしれない。しがらみは、転生とともに解消されて行く。現代を生きている私は、そんなことを感じずにはいられなかった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 秀吉役の奥田瑛二さんが狂気の存在でしたね。奥田瑛二さんの新たな一面を発見したような感があります。私はもともと時代劇があまり好きではないので、このように色彩豊かな脚色が施されていることで、自らの好みを意識することなく鑑賞することができました。鑑賞したあとも、ずっと感動を引きずるような作品ではありませんが、こういう独特なアプローチも有りではないでしょうか。

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2009.09.22

おじやで回復したおやじ(後編)

おじやで回復したおやじ(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 文中で触れた「無責任な警戒心」とは、例えば、電車に乗っているときに人身事故が起こったとしましょう。そのときに気に掛けるのは、人身事故で亡くなった人のことではなく、自分自身のこれからのスケジュールのことだったりするのではないでしょうか。また、幼児を狙った殺人事件が起こると、テレビのニュースなどで、地元の人たちにマイクが向けられます。地元の人たちの口から語られるのは、亡くなられた幼児に対するお悔やみの言葉ではなく、自分の子供の心配だったりします。新型インフルエンザへの対応に関しても、企業の取る方針に従うということは、それらの対応にも似た「無責任な警戒心」に触れることになります。愛情で結ばれた関係と、そうでない関係には、どうしても温度差が生まれてしまいますからね。ただ、ガンモの場合は新型インフルエンザではなかったのでこのようなことが言えるとしても、もしも新型インフルエンザだったとしたら、感染を拡大させないための協力はしなければなりません。

 熱が下がったとはいえ、仕事をしていてもやはりガンモのことが気になる。自宅で休養しているガンモに電話を掛けてみると、
「熱は下がったけど、下痢は続いている」
と言う。どうやら、医師に処方してもらった整腸剤よりも下痢の勢力のほうが勝っているらしい。ガンモには喉の痛みもなく、咳も出ていなかった。医師の診察通り新型インフルエンザではないのだとすると、高熱は一日で収まったものの下痢はまだ続いているというガンモのこの症状は一体何なのだろう?

 私が仕事から帰宅してみると、ガンモは前日よりもずっと元気になっていた。そのため、ガンモに注ぐ私の意識が前日よりも緩くなったと感じたガンモが、
「きのうのまるみは、おじやを作ってくれたりして優しかった。まるみのおじやで良くなったから」
と名残惜しそうに言った。私も、無防備な状態でベッドに横たわるガンモを思い出し、
「きのうのガンモは特にかわいかったよ」
と懐かしむように言った。元気になった途端、私のサービスが行き届かなくなったので、ガンモはちょっぴり寂しい気持ちになっているようだった。

 私が、
「今日もおじやを作ろうか?」
と言うと、ガンモは、
「うん」
と言った。前日は、ガンモの分のおじやしか作らなかったが、今度は私の分のおじやも一緒に作ることにした。そして、前日とほぼ同じ材料でおじやを作ったのだが、もう少し塩味を加えるために鮭フレークをまぶした。

 こうして二人でほくほくのおじやを食べた。ガンモがおいしいと言ってくれると、私はついつい調子に乗ってしまう。それからも、私はことあるごとにおじやを作っている。

 それはさておき、二日間に渡る休養により体調がほぼ回復したガンモは、翌日、仕事に出掛けて行くことになった。下痢がまだ続いていたので、私はかつて使用していた市販の生理用紙ナプキン(市販の紙ナプキンはケミカルナプキンなので、子宮の健康のためにも使用をやめて、私は洗って繰り返し使える布ナプキンを愛用している)をガンモが仕事で使うカバンの上にそっと置いておいた。まだ下痢が続いていたガンモは、それをカバンに忍ばせて仕事に出掛けて行ったようだ。ガンモに生理用ナプキンの使い心地を尋ねてみると、
「お客さん(ガンまる用語で生理用ナプキンのこと)を付けていると、あったかいということがわかった」
などと言った。

 ガンモの下痢は二、三日続き、ようやく通常の状態に戻ったようだ。同じ頃、ガンモの職場にノロウィルスに感染した人がいたらしい。その人に、
「○○さん(私たちの苗字)もノロウィルスに感染されたんですか?」
と尋ねられ、ガンモは自分の症状もノロウィルスだったのではないかと思ったそうだ。

 ノロウィルスについて調べてみると、O型の人が感染しやすいと書かれている。確かにガンモはO型である。しかし、ノロウィルスの主たる特徴として挙げられている嘔吐の症状は、ガンモにはなかった。ということは、ガンモはノロウィルスに感染したわけでもないことになる。

 一体ガンモの症状が何だったのか、未だにわからず終いではあるのだが、今ではすっかり元気になり、二十四時間連続勤務というハードな仕事もこなしている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m おじやは、ダイエット食としても良さそうな感じですね。おじやについて調べてみたところ、いろいろな方たちのおじやレシピのページに辿り着き、楽しく拝見させていただきました。おじやには、作る人によっていろいろなバリエーションがあって、とても楽しいですね。また、おじやと雑炊との違いが書かれているページもありました。はてさて、「私が作ったのは雑炊なのか、それともおじやなのか?」と疑問に思いましたが、私にとっての雑炊は、みんなでお鍋を突付いたあとに、残り汁にご飯を混ぜて作るというイメージがあります。それに対し、おじやは最初からおじやを作る目的でお鍋に材料を入れるというところが違うのではないでしょうか。だから、私が作ったのはおじやです。(笑)

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2009.09.21

おじやで回復したおやじ(前編)

映画『走れ自転車』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。飛行機の中で鑑賞したときには、日本語の字幕が付いていたので、そのままDVDに焼き込んで、日本で販売されても良さそうなものですが、そうではないところが不思議ですね。また、日本では販売されていない韓国のDVDを鑑賞している方がいらっしゃるというのも驚きでした。

 すずらんの湯の帰り、私たちはお腹が空いていたので、ガンモの提案により、しゃぶしゃぶを食べることになった。私は肉類を積極的に食べたくはないのだが、以前、ガンモが利用してなかなか良いお店だったというので、私も一緒に入ることになった。そこは、九十分間、しゃぶしゃぶを食べ放題のお店で、お肉の他にも野菜やフルーツ、アイスクリームなどのデザートも揃っていた。お腹が空いていた私たちは、お腹いっぱいしゃぶしゃぶや野菜を食べて、デザートも口にした。

 その後、そのお店と同じ敷地内にある大型ショッピングセンターで買い物をしていたところ、ガンモがトイレに行きたいと言った。さきほどのしゃぶしゃぶのお店でもトイレを利用したらしいのだが、どうやらガンモはお腹が痛く、下痢をしているらしかった。大型ショッピングセンターでトイレを利用したあと買い物をして、カングーに乗り、ようやく帰路についたのだが、運転中もときどき小さな波が押し寄せて来たようで、ガンモは踏ん張りながら何とかカングーを運転して帰宅した。

 その日はいつも通り就寝したのだが、朝、私が仕事に出掛けるために五時に起きてみると、ガンモも私と一緒に起きて来た。
「早起きしてどうしたの?」
と尋ねると、
「トイレ。これで四回目だから」
と言う。寝ている間、私はまったく気付かなかったのだが、ガンモは下痢のために何度か目を覚まし、トイレに立っていたのだという。シングルベッドに寄り添って寝ているというのに、ガンモがトイレに立ったことにまったく気付かないなんて、私は鈍感としか言いようがない。とは言え、ガンモは私が目覚めないように気を遣ってくれたに違いなかった。

 「ちょっと熱もあるみたいだから、今日、病院に行って、点滴してもらうよ」
とガンモは言った。その言葉に安心した私は、仕事に出掛けて行った。

 午後になって、ガンモに電話を掛けてみたところ、ガンモは電話に出なかった。病院に行って、どのように診断されたのかを確認しておきたかったのだが、電話に出ないということは、まさか新型インフルエンザに感染していて隔離されているのだろうかとも思った。心配ではあったものの、電話が通じないのでどうすることもできない。そのまま仕事に戻り、しばらくして携帯電話の着信履歴を見てみると、ガンモからの着信履歴が残っていたので、私は慌ててガンモに電話を掛けてみた。

 蚊の泣くような声でガンモが電話に出た。仕事を休んで家で寝ているのだという。病院で検温したところ、何と、三十八.八度も熱があったそうだ。その後、点滴をしてもらったが、いつもはすぐに良くなるのになかなか良くならず、結局、仕事を休んで帰宅したのだそうだ。自宅の最寄駅に着いたときも、駅の駐輪場に自転車を預けてあるのに、タクシーに乗って帰宅したいほど体力がなかったそうだ。それでも、ガンモは何とか力を振り絞って自転車に乗って帰宅したという。まさか、ガンモは新型インフルエンザに感染してしまったのだろうか? 私は恐る恐るガンモに尋ねた。
「まさか、新型インフルエンザなの?」
するとガンモは、
「いや、違う。検査はしてないけど、医者には、何か悪いもの食べたからだろうと言われた。整腸剤と抗生物質を処方してもらった」
と言う。この時期、医師の診察を受けたならば、新型インフルエンザであるかどうかはちゃんと判断してもらえるのだろう。医師の口から、新型インフルエンザについて語られなかったのならば、ガンモは新型インフルエンザではないはずだ。

 私は、ガンモの症状が気になって仕方がなかったが、折しも仕事が九月半ばの納品を控え、とても大切な時期にあった。その日も残業になるかもしれなかったが、夫が熱を出したので帰宅しますとはなかなか言い出しにくかった。

 しかも、その日、勤務先のアドレスに届いたメールには、新型インフルエンザの感染拡大をを警戒して、家族も含めて三十八度以上の高熱を出した人がいる場合は、出勤してはいけないというルールが定められたことが記載されていた。医師の診察により、その家族が新型インフルエンザではないとわかった時点で自宅待機が解かれ、ようやく出勤できることになるという。もしも家族が新型インフルエンザに感染していた場合は、新型インフルエンザの潜伏期間を考慮して最大で二週間、自宅待機しなければならないという。更に、一緒に仕事をしている人たちも、最大で一週間、自宅待機を命じられることになるそうだ。

 私は、ガンモが医師の診察を受けて新型インフルエンザと診断されたわけではなかったにしても、ガンモが高熱を出したということを職場に報告したくなかった。大切な納品を控えた微妙な時期に一緒に仕事をしている人たちを混乱させたくなかったのと、無責任な警戒心から逃れたかったからだ。

 ありがたいことに、その日、私は残業することなく、帰宅することができた。私は、自宅近くの薬局で氷枕に替わるものとゼリータイプの栄養ドリンク、それから、水分が失われている人に効率良く水分を補給するためのドリンク、頭に貼って熱を冷ます冷却シートなどを買い込んだ。更に、自宅近くのスーパーで卵と菜っ葉を買って帰宅した。恐る恐る寝室に足を運んでみると、ガンモがベッドの上で布団にくるまって横になっていた。

 「ただいま。ガンモ、大丈夫?」
と声を掛けると、病院で処方してもらった薬が効いているのか、少しは楽になっているようだった。ガンモが、
「お腹が空いた。おじやが食べたい」
と言うので、おじやを作ることにした。お昼ご飯にバナナを食べただけだと言うガンモは、ひどくお腹を空かせていた。

 かつて、ガンモがこうして熱を出したときも、おじやを作ったところ、おいしい、おいしいと言いながら食べてくれた。私の作るおじやは、まず、お鍋にお水を入れてその中にご飯をパラパラと入れる。その上に、「温かいご飯に混ぜるだけ」というタイプの塩味の効いたわかめをまぶして、スーパーで買って来た菜っ葉を包丁で切って入れたあと、生卵を落として掻き混ぜて出来上がりだ。

 ガンモは、お替わりをするくらい、おじやをたくさん食べた。これだけ食欲があるのだから、きっと大丈夫だろう。そう思いながら熱を測ってみると、ガンモの熱はまだ三十八.一度もあった。それでも、病院で測ったときに三十八.八度だったというので、少しは下がっていることになる。病院で処方された薬を信じて、しばらく療養するしかないだろう。

 ところで、氷枕に替わるものは、わざわざ薬局で買わなくても我が家にあった。とは言え、冷凍庫に入れて冷やして使うものなので、いったん解けてしまうと替わりがない。おまけに、冷凍庫で六時間程度冷やしてから使うことになっていたので、私は慌ててそれらを冷凍庫に入れて冷やした。

 寝る前に再びガンモの体温を測ってみたところ、三十七.七度まで下がっていた。熱が下がって来たおかげで、次第に体力も回復して来たようである。その頃には、冷凍庫で冷やしておいた氷枕に替わるものも固まっていたので、布で包んでガンモの頭の下に敷いた。私自身は、熱が出たときには冷やさずに、むしろ厚着をして熱を身体から追い出してしまう。しかし、ガンモは冷やすのがいいらしい。おでこの上にも、薬局で買った冷却シートをペタっと貼った。

 幸い、ガンモは翌日はもともと休みの予定だという。ただ、熱は下がって来たものの、下痢はまだ収まっていないようだった。医師は、何か悪いものを食べたのだろうと言ったそうだが、そうだとすると、身体とはうまく出来ているものである。口の中から悪いものを出したいときは痰を出すために咳をして、排便により、悪いものを出したいときは、下痢をするのだ。だから医師たちは、人間が本来持っている力を活かすような処方をしなければ、人間が本来持っている機能がどんどん衰えてしまうのではないだろうか。

 翌朝、ガンモの体温を測ってみると、熱は三十六.八度まで下がっていた。順調に熱が下がって来ていたので、私は安心して仕事に出掛けて行った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 何が原因で、ガンモが高熱と下痢に見舞われたのかは、未だに謎であります。ガンモは、「酵素浴で心臓がキューんとなって、免疫力が低下した途端、ウィルスに攻撃された」などと言っていますが、酵素浴に悪いウィルスがいたとしても、六十度の高熱では死滅してしまうのではないでしょうか。となると、食べ物が怪しいわけですが、私たちはほとんど同じものを食べていたので、私がガンモと同じ症状にならなかったことが不思議であります。

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2009.09.20

映画『走れ自転車』

すずらんの湯(15)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今回、酵素浴の回数券を余らせてしまったことから、今後、すずらんの湯を利用するときは、酵素浴よりもよもぎ蒸しを利用したいと思っています。というのも、酵素についていろいろ調べてみると、酵素が皮膚を通して吸収されるということに関して、科学的には肯定されていないこともあります。しかし、酵素そのものには注目しているので、私は普段、酵素を意識的に口から摂取しています。一方、よもぎ蒸しは下から子宮を温めてくれるので、私自身の抱えている問題に直接働きかけてくれそうです。よもぎ蒸しを受けている三十分の間に、大好きなOxford Reading Treeを読むこともできますしね。(笑)

 本作は、夏休みの旅行で成田からアムステルダムへ向かう飛行機の中で鑑賞した作品である。レビューを書くにあたり、映画サイトを参照してみたところ、どういうわけか、本作に関する情報がなかった。一体これはどういうことなのだろうと思いながら更に調べてみると、どうやら日本では未公開の作品だったようだ。ただ、韓国で発売されている韓国語のDVDでは鑑賞することができるらしい。なるほど、それで映画サイトには情報がなかったわけだ。ということは、ブログなどに本作のレビューを綴っていらっしゃる方たちは、日本語の字幕なしに韓国語を理解することのできる人たちなのだろう。ちなみに、私が飛行機の中で鑑賞した本作には、日本語の字幕が表示されていた。

 韓国映画というと、はっきりとわかり易いくらいの熱くて火傷しそうなほどの感情を持った人が登場するものと思っていたが、本作は意外にも感情の起伏が激しくなく、比較的穏やかな流れでストーリーが展開されていた。

 ぶっきらぼうな青年スウクと、引っ越して来たばかりの女子大生ハジョンが出会う。古本屋で働くスウクの、まるで人を寄せ付けたくないと暗に主張しているかのようなぶっきらぼうなその態度は、自分の中の触れられたくない何かを必死で守ろうとしているかのようだった。そんな彼が、ハジョンと交流を重ねて行くことにより、次第に笑顔を見せるようになる。やがて、二人の間には男女の愛にも似た淡い雰囲気が流れ始めるのだが、実はスウクには、病院に入院中の彼女がいたのである。スウクはその彼女に対して、何か責任を感じている様子だった。最初のうち、スウクが固い殻に閉じこもっているように見えたのは、どうやらそこに原因がありそうだった。一方、明るそうに見えるハジョンにも、人に言えない悩みはあった。

 飛行機の中で鑑賞していたときから、スウクを演じている青年のことをどこかで見たことのある青年だと思っていたのだが、ようやくわかった。映画『後悔なんてしない』で主人公の同性愛の男性を演じていたイ・ヨンフンだった。確か、映画『後悔なんてしない』でも、最初のうち、彼は心を固く閉ざしていた。しかし、お金持ちのジェミンからの情熱的なアプローチにより、次第に心を開いて行ったのだ。役者さんにも、静の役者さんと動の役者さんがいる。静の役者さんは、台詞のないシーンを表情や動作で演じるのが得意だ。反対に、動の役者さんが台詞のないシーンを演じると、どこかぎこちなくなってしまう。イ・ヨンフンは、間違いなく静の役者さんだろう。

 ハジョン役のハン・ヒョジュは、一九八〇年代の日本のアイドルを思わせるような顔立ちである。私は彼女の顔を見ながら、森尾由美ちゃんや河合奈保子ちゃんのことを思いだしていた。二人のアイドルを足して二で割ったような雰囲気が、ハン・ヒョジュには感じられたのである。

 本作の中で私の好きなシーンは、二人が世界地図でダーツをして、ダーツが当たった場所への旅を夢見るシーンである。二人の間には本当に静かな時間が流れていた。お互いに想い合っているはずなのに、自制心が働くために、決定的な展開を迎えることなく、静かな時間だけが流れて行く。この時間をじれったく思うか、それとも心地良いと思うかは、鑑賞する人が恋愛に対してせっかちかどうかで変わって来るのかもしれない。たまにはこんな静かな韓国映画もいいのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 怪我をしたハジョンをスウクが自転車に乗せて走るようになるんですね。ここまで来ると、この二人をもう誰も邪魔してはいけないと思うのですが、スウクには入院中の彼女がいたりして、なかなかハジョンの思い通りにはことが運ばないわけです。それでも、二人で自転車に乗っている時間だけは、誰にも邪魔されない二人だけの時間だったのかもしれません。

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2009.09.19

すずらんの湯(15)

すずらんの湯(14)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これまで、すずらんの湯の入口の四季折々の写真を撮影して来ましたが、この日は、撮影している間も利用客の足が途絶えることがありませんでした。すずらんの湯の入泉料は、休日は少々高めの九百円となっています。それにも関わらず、多くの人たちが訪れているのですから、人々に愛されている数少ない日帰り温泉であると言えます。私の職場近くにあった日帰りラジウム温泉は、すずらんの湯と同じくらいの入泉料でしたが、利用客が少なかったのか、閉館してしまいました。日帰り温泉が多くの利用客で賑わうかどうかは、ある意味、掛けなのかもしれませんが、すずらんの湯は、露天風呂にしても、できる限り自然を活かした設計になっているところが人気の秘密なのかもしれません。

 酵素浴を利用するにあたり、ガンモにはあらかじめ、酵素浴に関する簡単な説明をしておいた。
「酵素浴はね、先にお風呂に入って身体を温めたあと、脱衣場で館内着に着替えて、別の場所に移動してから利用することなるから。酵素浴は個室で行われるんだけど、個室に案内されたら、係の人がいったん部屋を出て行くので、一人になったら館内着を脱いですっぽんぽんになって、酵素の入った米糠の中に横たわるから。米糠は、木の箱の中に入ってるから」
ここまで説明するとガンモは、
「ちょっと待って。その木の箱って棺おけじゃないの?」
などと言った。私は、
「違う、違う。棺おけじゃないよ。そして、係の人がまた戻って来るまでに、気になるところ、見られて恥ずかしいところに自分で米糠をかぶせておくから」
と付け加えた。ガンモはそこで笑いを取ろうと思ったらしく、
「わかった。じゃあ、前シッポのあたりを思い切り盛り上げとくから」
と言った。私は笑いながら、
「いやいや、必要以上に盛り上げなくていいよ」
と答えた。ガンモは更に、
「酵素浴って、二人で一緒に一つの木の箱の中に入れないの?」
と聞いて来た。そう、かつて私たちは、寝台列車に乗って旅をしていたとき、一つの寝台に身を寄せ合って眠ったことが何度かある。それと同じ感覚で、酵素浴も二人で一緒に体験できないかとガンモは思ったらしい。私は、ガンモと一緒に一つの木の箱の中に入っていることを想像してみたが、おそらくそのような提案しても係の人を困らせてしまうだろうし、私たちが一つの木の箱の中に一緒に入ったとしたら、酵素浴どころではなくなる気もしていた。私は、
「いや、二人一緒には無理だよ、きっと」
と答えた。

酵素浴の利用券

 私たちは、酵素浴の受付である健(スコヤカ)カウンターに移動し、名前を告げて受付を済ませた。ガンモには、
「酵素浴は喉が渇くので、先にお水をたくさん飲んでおいたほうがいいから。私は個室に水を持って行くけど、ガンモはどうする?」
と尋ねた。私は、もはや勝手知ったる何とかで、健(スコヤカ)カウンター横にある水の入った樽の中からコップに水を注ぎ、ひとまず口に含んだ。そして、再びコップの中を水で満たして、備え付けのお盆の上の上に載せて個室に持参する準備を整えた。ガンモは、コップに注いだ水を口に含んだものの、部屋にはコップを持って行かないと言った。

 間もなく、私たちの名前が呼ばれ、私たちはそれぞれ隣同士の個室に案内された。既に私が何度も利用しているので、係の方は私たちがリピーターだと思ったらしい。私はそれでいいのだが、ガンモにとっては初めての酵素浴となるので、酵素浴に関するガンモへの説明がちゃんと足りていたかどうか、少し不安になっていた。酵素浴は最大十五分間利用できるのだが、そのときの自分の体調によって、利用時間を調整することができる。私はこれまで、ひとまず十分で様子を見て、十分後に係の人が現れたとき、
「あと五分お願いします」
と、分割式で合計十五分の酵素浴を受けていた。ガンモにもそのことを説明しておいたのだが、もともとガンモは熱いのが苦手なので、
「いや、俺は最初は五分でいいよ」
などと言っていた。酵素の温度はだいたいいつも六十度前後なのだ。

 これまで私は、十五分の酵素浴を受けて問題がなかったので、今回は思い切って、
「十五分通しでお願いします」
と言ってみた。そのほうが、酵素浴に集中できるのではないかと思ったのだ。係の人が私の身体に米糠をまんべんなく掛け終わって個室から出て行くと、いつものように静寂が広がった。隣の個室にいるガンモは、問題なく木の箱の中に横たわっているのだろうか。私はたまらず静寂を打ち破り、隣の個室にいるであろうガンモに向かって、
「ガーン?(ガンモの愛称)」
と呼び掛けた。すると、何やらかぼそい声で反応があった。
「大丈夫なの?」
と尋ねると、ガンモは何か答えてくれたようだが、声がくぐもっていて、良く聞き取れなかった。何とかガンモも木の箱の中に大人しく横たわっているのだろうと思い、私は自分の酵素浴に集中した。

米糠の入った酵素浴の木の箱。決して、棺おけではない

 しばらくすると、受付でセットされたタイマーの音が鳴り、係の人が廊下を走って来られた。どうやらガンモの部屋に入って行ったらしい。ガンモはやはり、五分の利用時間で挫折してしまったのだろうか。そんなことを思っていると、間もなく、隣の部屋からシャワーを使う音が聞こえて来た。ガンモは酵素浴の熱さに耐えかねて、十五分間たっぷり酵素浴を利用することなく、最初の何分かで終了してしまったらしい。

 私は、隣の個室のシャワーの音に惑わされないように、酵素浴に集中しようとした。しかし、やはり、隣の個室のガンモのことが気になって、もはや酵素浴に集中することができなかった。そうこうしているうちに私も終了時間を迎え、個室に現れた係の人に酵素浴の終了を告げられた。私はよろよろと起き上がり、米糠を手で払ってシャワーを浴びた。たっぷり汗をかいて喉が渇いていたので、個室に持ち込んだ水を一気に飲み干した。

 米糠を洗い流したあと、再び館内着を身にまとい、休憩所を訪れると、先に上がったガンモがくつろいでいた。ガンモに、
「五分で断念したの?」
と尋ねると、
「いや、十分だよ。酵素浴、あちい」
と言った。五分間ではなかったものの、やはりガンモには十五分間の利用には耐えられなかったようである。しかも、ガンモは、
「何か、心臓に負担が掛かったのか、心臓がギューっとなったから怖かった」
と言った。以前も書いたが、私たちは鹿児島の指宿温泉や大分の別府にある竹瓦温泉で砂むし風呂を体験したことがある。そのときは確かに、水分を含んだ砂の重みで心臓に負担が掛かる感覚があったのだが、酵素浴で使われている米糠は、水分を含んだ砂よりもずっと軽く、心臓には負担が掛からないはずだった。しかしガンモは心臓が圧迫されるような感覚を味わって怖くなり、最初の十分間だけでやめておいたのだそうだ。

 その後、私たちは脱衣場に戻り、着替えを済ませてから再びロビーに集合した。そしてすずらんの湯をあとにしたわけだが、お風呂に入って酵素浴も受けてすっかりお腹が空いていたので、途中で夕食をとってから帰宅することにしたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m どうやら酵素浴は、ガンモの体質には合わなかったようです。むしろ、酵素浴を受けて、心臓がギューっと反応したことのほうが心配であります。人によって、敏感な部分とそうでない部分があるのですね。そう言えば、以前、私が湯治に出掛けていた三朝温泉の株湯を訪れたときも、ガンモは熱い、熱いと言って先に出てしまいましたし・・・・・・。(苦笑)

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2009.09.18

すずらんの湯(14)

ホットヨガ(一六二回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 三宮店のシャワーの数やロッカーの数は足りていると思うのですが、もしかすると、メイク台の数は足りていないかもしれません。私は、髪の毛を洗ってもドライヤーで髪の毛を乾かすということはしませんので、最近はレッスンのあと、シャワーを浴びてもメイク台には座らなくなりました。眉毛を引いてアイシャドーを塗るくらいのことしかしていませんので、ロッカー付近に設置されたソファの上でも可能なわけです。どこでもドアならぬ、どこでもメイクですかね。(笑)

 すずらんの湯の酵素浴の回数券の使用期限が迫っているというのに、なかなか足を運べないでいた。七月の終わりから八月に掛けては旅行の準備や旅行、I医師の診察などで時間が取れず、おまけに八月の終わりには生理が始まってしまった。九月に入ってからは、ホットヨガのレッスンを三宮店で行われる午後一番のレッスンに切り替えたため、酵素浴を受けたあと、十八時にすずらんの湯を出発する無料送迎バスの最終便には乗れそうにない時間になってしまいそうだった。これまで私の人生の中では、自動車の免許を持っていないことがそれほど不便なことではなかったのだが、すずらんの湯に足を運ぶには無料送迎バスを利用しなければならないことが、どうしても不便に思えて来た。

有効期限が差し迫った酵素浴の回数券(二枚)

 折しも、夏休みの旅行から帰って来てからほとんど休みの取れなかったガンモが、九月第二週の週末を自由に過ごせることになった。私は、
すずらんの湯の酵素浴の回数券が二枚余ってるから、一緒に行こう」
とガンモを誘った。しかしガンモは、初めての酵素浴に対し、消極的な姿勢を見せた。ガンモの身体には、酵素浴を心地良く感じるほどの症状が現れていないのだろう。ガンモは、酵素浴の回数券の使用期限が九月十五日までであることを受けて、
「まるみが仕事の帰りに寄ればいいんじゃないの?」
などと言った。

 私はそれに対し、私がすずらんの湯を利用するには無料送迎バスを利用するしかないことと、その無料送迎バスの最終バスは、十八時であることを告げた。つまり、仕事帰りにはとても寄ることができないのだ。おまけに、すずらんの湯は、私の職場からも、また、自宅からも遠いところにあった。

 このまま利用しなければ、回数券の期限が切れてしまい、せっかくの回数券を無駄にしてしまうことがわかると、ガンモはとうとう重い腰を上げた。そして私は、ガンモの運転する愛車カングーに乗り込み、すずらんの湯へと向かったのである。

 ちょっとした旅行気分で浮かれていたのも束の間、我が家からすずらんの湯に行くには、山を越えなければならないことに気が付いた。もともと私は車でドライブするのがあまり好きではない。近くならば、ちょっとした気分転換になっていいのだが、乗車時間が長くなると、頭の中で良からぬ想像が働いてしまうのだ。おまけに、くねくねと曲がった山道は大の苦手とするところで、私はカングーが大きなカーブを曲がる度に助手席で奇声を発していた。

 すずらんの湯は、我が家から有料道路を使っても一時間近く掛かった。二十数キロの道のりだというのに、くねくねと曲がりくねった山道を走ることになったため、思いのほか時間が掛かってしまったのである。

 日曜日だったので、混雑を予想して、十七時からの酵素浴の予約を入れておいた。酵素浴を受けるまでに、先にお風呂に入って身体を温めておいたほうがいいので、着いてから一時間くらいの余裕を見ておいたのだ。私たちがすずらんの湯に到着したのは、十五時過ぎだった。お風呂に一時間入ることを考慮しても、まだ時間的な余裕があったので、ガンモはすずらんの湯の駐車場でカングーのメンテナンスを始めた。我が家はマンション住まいなので駐車場が狭く、カングーをメンテナンスすることができない。その点、すずらんの湯の駐車場は広い。ガンモは、カングーのワイパー用の洗剤が出て来なくなったので、ボンネットを開けてしばらくカングーのメンテナンスをしていた。洗剤が出て来なくなった原因もわかり、ようやく落ち着いたので、私たちはすずらんの湯の受付へと向かった。

およそ二ヶ月振りのすずらんの湯

 考えてみると、私はこれまで、土曜日しかすずらんの湯を利用したことはなかったように思う。すずらんの湯は、私が足を運んでいた土曜日よりもずっと混雑していた。受付を済ませ、ガンモにすずらんの湯の簡単な説明をしたあと、酵素浴の予約の十分前である十六時五十分にロビーで待ち合わせをすることにした。

 私たちが訪れたときの女性風呂は竹林の湯、男性風呂は紅葉の湯だった。竹林の湯は、私の大好きな桶風呂の代わりに壷風呂がある。私は、カランで身体を洗い流したあと、まっすぐ露天風呂へと向かい、壷風呂が空くのをじっと待った。そして、利用客が壷風呂から出たのを見計らって、すかさず壷風呂に身体を沈めた。

 九月半ばといえども、まだまだ気温は高かったので、酵素浴の予約を十七時からにしたのは正解だったと言える。もしももう少し早い時間の利用であれば、気温が高くて露天風呂も堪能できなかったかもしれない。とは言え、カングーのメンテナンスに少々手間取り、受付を済ませたのが十六時十分頃だったので、酵素浴の予約時間まで、もうあまり時間がなかった。私は慌しく露天風呂を渡り歩きながら、ガンモと約束した時間に館内着に着替え、ロビーに出た。

 ガンモは私よりも先にロビーで待っていてくれたのだが、見ると、何やら大荷物である。私の説明が足りなかったのか、酵素浴を利用したあともまだ脱衣場のロッカーを利用できるというのに、ガンモはそのまま帰らなければならないと思ったらしく、館内着は身にまとっていたものの、酵素浴に行くのに、着替えを詰めたバッグも一緒に持参していた。私は、酵素浴のあともお風呂に入ることもできるし、脱衣場のロッカーも利用できるので、着替えを詰めたバッグを脱衣場のロッカーに預けておくよう、ガンモに勧めた。ガンモが再び脱衣場に戻り、着替えの入った荷物をロッカーに詰めて戻って来たので、私はガンモを酵素浴の受付カウンターまで案内した。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ついにガンモにすずらんの湯を紹介することができました。初めてすずらんの湯を利用したガンモは、確かにお湯はいいし、カングーのメンテナンスもできると喜んでいました。このあと、二人で酵素浴を受けることになったわけですが、この続きはまた後日、書かせていただくことにします。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.09.17

ホットヨガ(一六二回目)

映画『人生に乾杯!』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。男女の愛を表現する手段として、私は良く、ソウルメイト的な愛だとか、ツインソウル的な愛といった表現を用いますが、本作に登場するご夫婦の愛は、明らかにツインソウル的な愛ですね。共通点の多いソウルメイトは、面での関わりを大切にします。一方、共通点ベースの結び付きを持たないツインソウルは、それぞれが自立し、接点での関わりを持とうとします。強盗を重ねている老夫婦と対照的に描かれている女刑事は、恋人との間に面の関係を求めたために、相手の浮気にひどく苦しむことになったのでしょう。とは言え、面の関わりから接点の関わりへの意識の切り替えはなかなか難しいでしょうね。面の関わりと接点の関わりは、相手の自由意思を許容する度合いも違って来ます。共通点ベースの面の関わりは、相手の意思がいつの間にか自分の意思になったりもするので、もともとお互いの自由意思の領域が少なくても運命共同体であり続けることができます。しかし、接点の関わりは互いに自立し、それぞれが別々の意思を持っていたとしても接点で繋がっていることができるので、互いの自由意思を許容する範囲が広いのです。だから逆に、普段から面の関わりをベースに生活している人と、普段から接点の関わりをベースにしている人が互いに交流を始めると、自由意思を許容する範囲に意識の差が出て来て、価値観の違いを感じることになりますね。

 九月最初の土曜日は、三宮店で六十分のスクィーズクラスのレッスンを受けた。久し振りに三宮店を訪れることになるため、従来からの三宮店のスタッフと顔を合わせるのがちょっぴり恥ずかしいなどと思いながら入口の扉を開けたところ、従来からの三宮店のスタッフである小悪魔インストラクターと、神戸店から異動されたスタッフがあたたかく迎えてくださった。小悪魔インストラクターというのは、レッスン中にきついポーズに対して容赦がないので、私が勝手にそう呼ばせていただいているのだ。私は小悪魔インストラクターに、
「にぎやかになりましたね」
と言った。三宮店には、小悪魔インストラクターやカリスマインストラクターがいらっしゃるので、毎回、顔を合わせるのが楽しみなのだ。

 受付でロッカーの鍵を受け取り、ロッカールームへと向かった。中に入ってみると、やはり、これまで神戸店に通っていた人たちが三宮店に足を運んでいるためか、これまでに体験したことのないほどの混雑ぶりだった。私は、普段から持ち歩いている荷物が多いために占有するスペースが広くなり、何だか申し訳ないくらいだった。

 たくさんの人たちが行き来するロッカールームで慌しく着替えを済ませてスタジオに入ってみると、スタジオ内にもびっしりとヨガマットが敷かれていた。レッスンに参加していたのは、私を入れて二十四名だった。スクィーズクラスは、両手を横に広げて船を漕ぐようなポーズを取ることが多いのだが、隣の人と前後することで、何とか両手を広げるスペースを確保することになった。

 今回のレッスンを担当してくださったのは、神戸店から異動されたスタッフだった。思えば、ここのところ、彼女のレッスンを受けることが多いように思う。彼女はいつも、良く通る声でしっかりと発声し、堅実なレッスンを展開してくださっている。レッスンの場所が神戸店から三宮店に変わっても、これまでのペースを失うことなくレッスンを展開してくださっている彼女に、神戸店時代には気付かなかった魅力を感じていた。

 そして、レッスンを受けながら、私の中に、ある感情が芽生えつつあった。それは、一種の安心感のようなものに近かった。人は、変化を受け入れることに対し、臆病になってしまうことも多い。だから、神戸店でスタッフの顔ぶれが次々に変わり始めたときは少々不安になった。しかし、こうして神戸店のスタッフが三宮店に異動されて、これまでと同じようにレッスンを担当してくださったり、また、従来からの三宮店のスタッフがあたたかく迎えてくださったりすることが、私にとっては、そこに変わらないものを確認できるという意味で安心に繋がっていることに気が付いた。

 スクィーズクラスのレッスンでたっぷりと汗をかき、シャワーを浴びた。スクィーズクラスのレッスンは、七十五分のパワーアクティブコースのように激しくはなく、六十分の集中レッスンなので、疲労感もちょうどいい感じである。ちなみに、三宮店のシャワールームの数は、かつての神戸店のシャワールームの数よりも多い。シャワーを浴びたあと、ソファに座って冷え取り健康法のソックスを重ね履きしていたところ、これまでロッカーのなかったところにまでロッカーが設置されているのを発見した。神戸店を利用していた人たちが三宮店を利用するようになるため、ロッカーの数を増やしてくださったのかもしれない。もともと、ロッカーそのものの数は充分足りていても、細いロッカーであるがゆえに、ほぼ同じ時間にロッカーを利用する人たちが隣同士のロッカーに割り当てられることはほとんどなかった。ロッカーの前でゆったりと着替えをするには、使用するロッカーを少し離して利用者を割り当てるようになっているようだ。

 たくさんの人たちで溢れ返ったロッカールームを出て受付に足を運ぶと、懐かしいカリスマインストラクターが受付に立っていらっしゃったので、久し振りのごあいさつを交わした。三宮店はしばらくご無沙汰してしまっていたが、神戸店から異動されたスタッフとともに、これからは小悪魔インストラクターともカリスマインストラクターともちょくちょく顔を合わせることができるので、それもまた楽しみである。

この日のレッスンで着ていた、シヴァ神の妻パールヴァティの化身と言われているカーリーのTシャツ。
かつてのレッスンで着ていたオレンジ色のカーリーの色違いTシャツ

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これまで神戸店でレッスンを受けていた人たちが、一斉に三宮店を利用するようになったので、三宮店のスタジオには慌しい雰囲気が漂っていました。ちなみに、神戸店の閉店により、私の回数券は有効期限が一ヶ月延長された上に、回数券も一回分プレゼントしてくださいました。これからも、しっかり活用したいと思います。

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2009.09.16

映画『人生に乾杯!』

別人28号(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ちなみに、帰宅してから、なくしたコンタクトレンズをじっくり探してみましたが、やはり見付かりませんでした。我が家では、最近、失せ物が多いですね。夏休みにパリで撮影したメディアもまだ出て来ませんし・・・・・・。(苦笑)翌日、新しいコンタクトレンズを装着して出勤し、レーシックの手術を受けた派遣仲間に、「レーシックの手術を受けて来たよ」と言いました。(笑)

 あれ? あれれれれ? 本作は、夏休みに成田からアムステルダムに向かう飛行機の中で鑑賞したハンガリー映画である。二〇〇七年の作品だったので、私はてっきり、少し古い作品が機内で上映されているものと思っていた。しかも、ハンガリー映画など滅多にお目に掛かることができないので、稀少なハンガリー映画を飛行機の中で鑑賞することができてとてもラッキーだと思っていた。鑑賞し終わったあと、「そうそう、私はこういう映画が好きなんだよ」と大満足だったので、是非とも本作のレビューを書きたいと思っていた。そして、こうしてレビューを書くにあたり、映画サイトにアクセスしてみたところ、何と、現在、本作を上映中の映画館が全国にいくつかあることがわかった。本作の日本での公開日が今年の六月二十日だったので、全国のミニシアター系映画館でちょろちょろと上映されている作品を飛行機の中で鑑賞できたことになる。

 ある出来事により、運命的な出会いを果たして結ばれた老夫婦がお金に困り、強盗を繰り返しながらお金を作り、警察から逃げ回っている。老夫婦の夫エミルは八十一歳、妻のへディは七十歳という設定である。最初はエミルだけが強盗を始め、夫が強盗犯であることを知らなかったへディは、一時的に警察に協力するものの、最終的には警察よりもエミルを選び、老夫婦の大胆な逃亡生活が始まる。

 老夫婦の逃亡に使われているのは、エミルが大事にしていた旧ソ連製の愛車チャイカである。エミルが手入れをしていたために、古いチャイカはいまだに現役で、警察の追っ手をぐんぐん引き離して行く。確か、「チャイカ」はロシア語で「かもめ」という意味だったと記憶しているが、オールドカーのチャイカはちっともかもめらしくなく、ひどくパワフルな印象を受けた。

 何ともハートフルに仕上がっているのは、強盗を始めたエミルをヘディが少しも責めようとせずに、黙って強盗の仲間に加わるところである。更に、私の心をぐっと掴んだのは、恋人に浮気された女刑事が、エミルが逃亡中に娼婦と遊んだかもしれないことをヘディに告げ口するシーンである。恋人の浮気を許すことができずに心の中でずっと葛藤し続けている女刑事に、エミルが娼婦と遊んだかもしれないと言われたヘディは、
「そんなこと関係ない」
と平然と言ってのける。この言葉は、エミルとヘディの自立した夫婦関係を象徴している。実際、エミルは娼婦と遊んでなどいないのだが、女刑事は自分の抱えている苦しさを、同じ女性であるヘディと分かち合おうとしてそんなことを言ってしまったのかもしれない。それなのにヘディは、
「そんなこと関係ない」
という言葉だけで片付けてしまう。ヘディのその言葉の裏には、自分にとってはエミルと一緒にいる時間だけが大切であることと、エミルに対する自由意思の尊重が見て取れる。言い換えれば、自分と一緒にいない時間にエミルが何をしようとも、自分には関係ないと思えるほどエミルを深く愛しているということだ。

 ヘディの言葉で、これまで恋人の浮気を許せなかった女刑事は、問題解決のためのヒントをもらったはずである。人と人はこんなふうに関わり、互いにヒントを与え合いながら生きているのかもしれない。逃亡中のヘディは、かつて看護師だった経験を活かし、怪我をした女刑事に心からの手当てを施す。こうした背景から、女刑事と犯罪者という立場でありながらも、そこに人間的な交流が生まれたのは言うまでもないだろう。

 ある程度、展開の読めるラストではあったものの、本作のように、鑑賞したときに心が大きく揺れ動く作品は実に少ない。私は、この手の作品が好きなのだが、こうした作品が上映されている映画館は全国でも少数である。やはり、映画の嗜好に関しても、私は少数派なのかもしれない。
 
※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 夏休みの旅行は、行きと帰りで月が替わっていましたので(行きは七月、帰りは八月)、機内で上映されている作品も若干異なっていました。帰りは、そのまま横浜で行われる野外ライブに参加することになっていたため、睡眠時間を確保することを優先し、機内での映画鑑賞は控えました。しかし、現在公開中の映画『幸せはシャンソニア劇場から』も上映されていたんですよね。鑑賞せずに、惜しいことをしました。(苦笑)

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2009.09.15

別人28号(後編)

別人28号(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。鉄人28号世代の方たちが喜んでくださると、とてもうれしく思います。とは言え、ここで念のために申し上げておきますが、私自身は鉄人28号世代ではありません。(笑)

 私が行こうと思い立ったコンタクトレンズショップは、三宮駅前にあった。たいていの場合、コンタクトレンズショップは眼科とセットになって運営されている。眼科で処方していただいたコンタクトレンズをコンタクトレンズショップで受け取るという仕組みである。私が訪れたコンタクトレンズショップも、先に眼科で診察していただいたあと、処方されたコンタクトレンズをコンタクトレンズショップで受け取ることになっていた。

 営業時間は十九時までとなっていたが、私が到着したのは十八時半を少し回った頃だった。勤め人としては、できれば残業などしたくはないのが共通の気持ちだろう。だから、これからコンタクトレンズを処方していただくというのに、十八時半過ぎに受付をしていては、残業を強制しているようで、嫌がられるのではないかと思っていた。ところが、受付をしてくださった方は嫌な素振りを少しも見せず、まるで当たり前のように対応してくださった。

 私はその眼科での診察は初めてだったので、問診表に必要事項を書き込み、自分の名前が呼ばれるのを待った。待合所には三、四人の女性が待っていたが、私よりも先に女性が二人ほど呼ばれると、今度は私の名前が呼ばれた。

 目の検査をしてくださる検査技師の女性が一人、私に付いてくださった。とても丁寧で好感の持てる女性だった。何と言ったらいいのだろう。眼科を職場と考えると、職場の雰囲気がとてもいいのだ。雰囲気の良い職場が生み出す独特のプラスのエネルギーが、患者と検査技師の間にも流れていた。おかげで私は、とても気持ち良く検査を受けることができた。

 まず、いろいろな機械の前に座り、目の検査を行ったあと、視力検査に移った。ご丁寧に、効き目や眼鏡の度数まで検査してくださった。そのとき私が掛けていたのは、別人28号に変身するための、結婚直後に作った分厚い眼鏡だった。私はその眼鏡で一.二および一.〇見えているらしい。十三年ほど前に作った眼鏡が今でもそれだけ見えるのだから、私の近視はほとんど進んでいないことになる。とは言え、裸眼で〇.〇一であれば、それ以上、進むのも難しいのかもしれないが・・・・・・。

 検査技師の女性は、私に、どのようなコンタクトレンズを希望しているか尋ねて来た。私は、これまでもずっと、使い捨てではないハードコンタクトレンズを使用し続けて来たので、今回も使い捨てではないハードコンタクトレンズを希望していると答えた。ところがその眼科では、ソフトコンタクトレンズを患者に勧めるのがお決まりになっているのか、ソフトコンタクトレンズのほうが視野が広くなることを理由に、ソフトコンタクトレンズを勧められた。私は、高校時代からおよそ二十八年に渡りハードコンタクトレンズを使用し続けて来たことや、これまで一度もソフトコンタクトレンズを使用したことがないこと、そして、ハードコンタクトレンズ用のケア用品の買い置きがたくさんあることを理由に、今回もハードコンタクトレンズを希望すると主張した。

 その後、テストレンズを装着して医師の診察を受けたのだが、この医師がまたとてもフレンドリーな医師で、私はいっぺんにこの眼科が気に入ってしまった。この眼科のかもし出す明るい雰囲気は、最初にこの医師が作り出し、ここで働く人たちによって着実に引き継がれ、患者に降り注がれているのだと実感した。

 医師によれば、私の場合、近視の度合いがかなりきついので、どちらかと言うと、ソフトコンタクトレンズよりもハードコンタクトレンズのほうが適しているだろうとのことだった。私はそれを聞いて安心した。医師は、私の眼球に少量の検査液を垂らし、眼球の動きを観察していた。私が、ドライアイが気になっていることを訴えると、確かに角膜に少し傷があるとおっしゃった。保健適用で四百円程度で購入できるヒアルロン酸入りの目薬を処方するので、それを使えば間もなく角膜が修復されるはずなので、しばらく様子を見て欲しいとのことだった。

 医師にお礼を言って検査の場を離れると、再び検査技師の手引きで、今度はコンタクトレンズの度数を合わせることになった。眼鏡を掛けて度数を合わせて行くのだが、私は去年の経験から、できるだけ遠くを見やすい調整にして欲しいと思っていた。しかし、検査技師の勧める度数は、やはり、去年、調整されたような比較的緩めの度数だった。

 「これくらいでいかがですか?」
と検査技師に尋ねられ、私は、                
「ううむ・・・・・・」
と言葉に詰まった。はっきりしない私の反応に対し、
「物足りないですか?」
と検査技師に言われ、心の中で、「そうそう、その通り!」と思っていた。私は、
「はい、物足りないですね。もう少し、遠くがはっきり見えるほうがいいのですが・・・・・・」
と言った。

 しかし、やはり検査技師は、私にあまりきつい度数のレンズを勧めたがらなかった。そこに、すべての患者さんたちの診察を終えた医師が割り込んで来て、専門用語でコンタクトレンズの在庫について検査技師に語り始めた。○○で合わせれば在庫があるとか、そんなことを検査技師に助言していた。その様子が、まるでちょっかいを出して来るかのようでおかしかったので、私は思わず噴出してしまった。私が噴出すと、これまで凛とした態度を取っていた検査技師の女性も笑い始めた。ああ、この眼科は何だか楽しい。私は検査技師の女性に、
「楽しい先生ですね」
と言った。

 医師の発言からすると、どうやらコンタクトレンズの合わせ方はいろいろあるらしい。私も、できれば在庫のあるコンタクトレンズにしたかったので、医師の意見に従った。しかし、やはり、医師や検査技師のお勧めのレンズでは遠くが良く見えず、視界のシャープさが物足りなかった。

 私が物足りない様子でいると、医師がまた私たちの話に加わり、保証期間内であればレンズの取り替えが可能であるので、ひとまずこの緩い度数で合わせておいて、どうしても物足りなければ、あとからレンズを交換することもできると言ってくださった。それでも、私はやはり、最初からもう少し遠くの見える度数に合わせて欲しくて、無理を言って、遠くの見える度数に調整してもらった。

 良く、眼科で、
「赤と緑の文字はどちらがはっきり見えますか?」
と尋ねられることがあるが、緑の文字のほうがはっきり見える場合は過度調整なのだそうだ。つまり、度数がきついということである。私がこの度数にして欲しいと申し出た度数では、緑の文字のほうが若干はっきりと見えていた。

 私は、
「レンズ交換も可能ということであれば、この度数でお願いします」
と申し出た。やはり、この一年間、遠くがあまり良く見えないコンタクトレンズで過ごして物足りなさを感じていたので、もう少しはっきりと見えるレンズにしておきたかったのである。

 ありがたいことに、私が申し出た度数のコンタクトレンズは持ち帰りできるようだった。既に診察時間の十九時を回っていたが、受付の方も丁寧に対応してくださった。私は、医師や検査技師に厚くお礼を言って、眼科を出た。

 そして、眼科の隣にあるコンタクトレンズショップで、遠くの良く見えるコンタクトレンズを受け取った。多くのコンタクトレンズショップでは、ショップが運営する携帯電話サイトにアクセスし、特典ページを開いてコンタクトレンズショップのスタッフに提示すると、コンタクトレンズの購入時に割引してもらえたり、また、ケア用品をプレゼントしてくれたりするあ。今回、私が足を運んだコンタクトレンズショップも、携帯電話サイトに特典ページが用意されていたので、会計時にそのページを提示することで、何らかのサービスが受けられると思っていた。

 ところが、私が提示した携帯電話のサイトの特典ページには、どういうわけか、一体何の特典が受けられるのか、はっきりとは書かれていなかった。私が携帯電話を差し出すと、スタッフの方がそれを受け取り、他のスタッフの方に特典の内容を確認してくださった。しかし、そのサイトには特典の内容がはっきりとは書かれていなかったので、残念ながら、何の特典も受けることはできなかった。スタッフの方曰く、私が辿り着いたのとは別のサイトであれば、コンタクトレンズが千円引きになる割引クーポンが付いていたのだそうだ。しかし、それらのやりとりも、大変好感の持てるもので、そこで働いている人たちの日頃からの人間関係が良好であることを容易に想像させた。
 
 その後、私は再び眼科に戻り、購入したコンタクトレンズを装着して帰宅した。遠くまで良く見えるコンタクトレンズを手に入れることができて、私の心はうきうきしていた。それだけではない。雰囲気の良い眼科に巡り合うことができたことも、大きな喜びの一つだった。人間関係の良い職場を感じさせてくれる明るいこの眼科に、また通いたいとさえ思うのだった。

ドライアイ対策のために処方していただいたヒアロンサン点眼液。
角膜の修復も行われるらしい

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私にとっては偶然見付けたようなコンタクトレンズショップと眼科だったので、度数の合ったコンタクトレンズさえ手に入れば良いくらいの気持ちでした。しかし、働いている人たちが実に生き生きとしていて、人間関係の良さを感じさせてくれる職場であったことで、早くも何か理由をつけてこの眼科を訪れたい気がしています。(笑)目薬の使い方についても丁寧な説明書が添付されていて、そこで働く人たちだけでなく、患者のことも大切にしてくれる眼科なのだと思いました。

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2009.09.14

別人28号(前編)

不快なアンケートの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m いつもは遠慮して人に言わないようなことでも、自分のブログでは表現することができます。それにしても、こうして自分の本質に触れる部分を表現してみると、やはり私は少数派であることを実感しますね。普段から、男女の熱い愛の話を誰かと交わしたくてうずうずしているのに、それができないために自分自身の本質を押し隠して、大勢の中に埋もれながら生活しているわけです。だから私は、自分と同じように、心に熱いものを持った人をいつも探しています。ちなみに、この手の話題にとことん対等に付き合ってくれたのは、後にも先にもツインソウルだけですね。手加減なしに話ができると、そこから更に、自分自身の限界を目指すことができます。

 先週の木曜日のことである。朝、仕事に出掛ける前にコンタクトレンズを装着したところ、コンタクトレンズを左右入れ違えてしまったのか、いつもとは視界が違っていた。私は、目のカーブも度数も左右異なっているため、レンズの左右を間違えて装着すると違和感を感じてしまうのだ。既にレンズを装着したあとだったので、レンズを外して付け替えるのにほんの少し躊躇したが、左右間違えて装着したまま出勤するのは少々気持ちが悪いと思ったので、思い切って入れ替えることにした。

 私はまず、左目のレンズを外し、洗面台に付属のシャワーヘッドの上に置いた。続いて、右目のレンズを外し、そのレンズを左目に装着しようとした。ところが、どこをどう誤ったのか、これまで右目に収まっていたレンズがなくなってしまっていた。私は、シャワーを浴びたばかりですっぽんぽんの状態でコンタンクとレンズを装着しようとしていたのだが、それから洗面台の上も下もくまなく探してはみたものの、なくしたコンタクトレンズは見付からなかった。

 仕事に出掛ける時間は刻一刻と迫っているというのに、どうしたらいいのだろう。このあと、お弁当も詰めなければならないというのに。私は、お弁当を詰めるのを諦めて、このままなくしたコンタクトレンズを探し続けるか、それとも牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡を掛けて出勤するか、少し迷った。その結果、やはり、自分の身体のためにもお弁当を持参することを優先し、それ以上、コンタクトレンズを探し続けるのはやめて、分厚い眼鏡で仕事に出掛けて行くことにしたのである。

 ちなみに、私の視力は裸眼では左右とも〇.〇一程度である。そのため、眼鏡を掛けるとまったくの別人になる。普段、眼鏡を掛けて出掛けて行くのは、近所にあるスーパーくらいなものである。とは言え、あまりにも眼鏡の度数が進んでしまっているために、眼鏡を掛けると少々卑屈になる。それでも、なくしたコンタクトレンズを探して遅刻するよりはずっとマシだと思っていた。

 私の職場では、毎朝、仕事を始める前にグループ単位での朝礼を行っている。朝礼の席では、上司のまた上司が私の眼鏡姿に気付いて驚いていたが、同じプロジェクトのほかのメンバーは私に無関心なのか、分厚い眼鏡を掛けている私に気付くこともなく、いつもと同じような素振りをしていた。彼らが私の眼鏡姿に気が付いたのは、仕事が始まってずいぶん経ってからのことだった。いつも私が座っている席にまったくの別人が座っているというのに、いつもと同じ時間が流れていることが滑稽でもあった。私は、仕事仲間の無関心さに驚くばかりだったが、裏を返せば、自分の醜い眼鏡姿にそれほど卑屈になることもなかったというわけだ。

 私は、コンタクトレンズを新たに購入するか、それとも、帰宅したあと、なくしたコンタクトレンズを探すかどうかでずいぶん迷った。仕事の忙しい時期で、その日も残業になるかもしれない状況だった。残業になると、新しいコンタクトレンズを買いに行くことはできなくなってしまう。残業のあと帰宅しても、なくしたコンタクトレンズが見付からなければ、明日もまた醜い眼鏡姿の別人のまま出勤することになる。

 実は私は、去年、コンタクトレンズを新調したばかりだった。そのとき、これまであまり利用したことのない、大阪の格安のコンタクトレンズショップを利用し、コンタクトレンズをうまく調整してもらえなかった。その後、一時的には良く見えるようになったと感じたものの、次第に目に馴染んで来ると、やはり自分の目の度数には合わないレンズだということがわかってしまった。おまけに仕事中、ドライアイにひどく悩まされるようになり、少なくとも一時間に一回はコンタクトレンズを外して、コンタクトレンズ装着液に浸してから付け替えなければならない状態だった。そんな、自分の目に合わないコンタクトレンズを片方なくしてしまったのも、私の目が悲鳴をあげていたからかもしれないと思い始めた。私は、格安のコンタクトレンズショップで度数の合わないコンタクトレンズを作ってもらった経験から、もしも次にコンタクトレンズを作る機会が訪れれば、これまでのように丁寧に度数を調整してくださる三宮のコンタクトレンズショップで作ってもらおうと思っていた。

 ところが、普段、持ち歩いているカードケースを見てみると、そのコンタクトレンズショップの診察券やポイントカードを自宅に忘れて来てしまったことに気がついた。おまけに、そのコンタクトレンズショップのホームページにアクセスしてみると、毎週木曜日は定休日であることがわかってしまった。はてさて、どうしたものか。

 夕方になり、何となく残業せずに帰宅できる雰囲気になった。私は、いろいろ悩んだ挙句、残業をせずに定時で仕事を上がれるのは、コンタクトレンズを新調するまたとないチャンスだと思い、携帯電話を使って、木曜日も営業している三宮付近のコンタクトレンズショップを探し当て、そこに向かうことにしたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 久し振りに前編と後編の記事をお届けします。職場には、レーシックの手術を受けている派遣仲間がいます。彼女が私の眼鏡姿に気付き、声を掛けてくれたのですが、レーシックの術後がものすごく快適のようです。やはり、コンタクトレンズのわずらわしいケアから解放されて、裸眼で見える喜びをかみしめているのでしょうね。しかし、私は大の手術嫌いですので、レーシックに対しても消極的です。レーシックの手術か筋腫の手術をどちらか無料でできると言われたら、さて、どっちを選びましょう?(笑)

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2009.09.13

不快なアンケート

映画『サンシャイン・クリーニング』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m あるサイトに、エイミー・アダムスがお人形さんみたいな顔立ちをしていると書かれていましたが、まさしくその通りだと思いました。共演のエミリー・ブラントも、顔に感情が表れにくい女優さんですので、姉妹という設定に違和感がなかったのかもしれません。

 人と会ったときに私が最も語り合いたいのは、男女の愛に関することである。特に、前世からの繋がりのあるパートナーのことや、尋常ではないほどの感情を伴う前世の記憶、魂の奥底から沸き上がって来るような感情を共有したい。しかし、こういう話ができる相手は本当に限られている。だから私はホームページを立ち上げて、自分と同じような価値観を持った人たちとの交流を望んで来た。私にとっては、そうした交流が自分自身の本質に最も近いものだと思っている。

 実際、ホームページを立ち上げてからというもの、実にたくさんの人たちと出会った。私は掲示板に書き込まれたメッセージを読みながら、熱くて深い愛の体験談に何度も涙したものだった。男女の愛に関して、相手が自分と同じように熱いと安心する。しかし、男女の愛に関して相手が冷めていると、自分自身を出せず、私は仕方なく言葉を仕舞い込む。例えば、仕事をしている職場などでは、それが最も顕著である。飲み会の席ですら、私が熱く語り合いたい話題に行き着くことはない。何度か話題を振ってはみたものの、私自身の持つ熱さとはかなりの温度差があった。私は、男女の愛に関して淡々としている人たちを前にして、言いたいことを口に出すことができず、口から出掛かった言葉をいつも飲み込んで来た。

 そんな私が、最近、不快に思ったことがある。それは、大手通販サイトの関連会社が主催する「結婚生活に関するアンケート」だ。アンケートに答えると、大手通販サイトで利用できるポイントが付与されるというので、こうしたアンケートのモニターに登録しているのである。すべてではないが、皆さんにもその一部をご紹介しよう。





 はっきり言って、私はこのアンケートに答えているうちに腹が立ち、選択肢ではなく、記入式の回答欄に、「このアンケートは不快です」と書き込んだ。何故、私が不快になったのかというと、「条件を考慮した上で結婚に至った」ことが大前提になっていたからだ。このアンケートを考えた人の、結婚に関する意識レベルがあまりにも低過ぎることに憤りを感じたのだ。このアンケートからは、結婚相手を決めるにあたり、まるでスーパーに買い物に出掛けて行って商品を見定めるような感覚さえ伝わって来る。

 多くの人たちは、愛と欲望を混同していると思う。例えば大人たちは、セックス描写を含んだ映像を子供には見せたがらない。しかし、世の中には、子供たちに対して隠すべきではない男女の尊い愛の営みが表現されたセックス描写も存在している。子供たちに対して隠すべきは、欲望を対象にしたセックス描写であるはずなのに、何でもかんでも封印してしまうのはいかがなものだろう。それもこれも、愛と欲望の区別がつかないことから来ているのではないだろうか。

 今回のアンケートに掲げられた質問に関しても、愛ではなく、欲望に関するものが実に多い。自分の欲望を満たすために結婚するわけではないのに、欲望に関する項目ばかり並べたてられているのだ。また、愛し合う男女は、「条件」を考慮して結婚するわけでもないはずなのに、結婚の「条件」の候補となりうるようなものが並べたてられているのも不快である。このアンケートを作成した人は、愛と欲望の区別をはっきりと認識すべきだと思う。そして、世の中には、「条件なんて関係ない」と言い切れるほどの愛が存在することを認識して欲しい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m それにしても、実に腹立たしいアンケートでありました。ちなみに私は、結婚前の点数も結婚直後の点数も100点と記入しました。ご紹介した質問以外にも、結婚の理由を問われる項目があったのですが、列挙された選択肢の中に答えがなかったので、「鐘が鳴ったから」と書いて提出しました。男女の愛について語り始めると、本当に話題は尽きないですが、多くの人たちが私の意見には口をつぐみます。実は、私は密かに、子供たちに愛情ベースのセックスを教えるのは、深く愛し合って結婚した夫婦の役目ではないだろうかとさえ思っています。しかし、そんな話をしても誰も賛同してくれないので、私はこっそり自分のページに書き綴っています。(苦笑)

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2009.09.12

映画『サンシャイン・クリーニング』

ホットヨガ(一六一回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。神戸店の閉店にあたり、それぞれの人たちが様々な思いを抱いていらっしゃることでしょう。その変化がどこに向かっているのであれ、最初のうちは変化を受け入れて行くのは勇気が要りますよね。神戸駅と三宮駅はJRでわずか二駅の距離なので、私がレッスンに通い続けることに関してはほとんど差し支えはありません。むしろ、我が家からは三宮のほうが近いので、レッスンに通う時間がほんの少し短くなって、ありがたいくらいです。(苦笑)ただ、私の場合、I医師の診察やすずらんの湯など、神戸駅から出掛けて行くのに便利な場所に足を運ぶことが多いので、神戸店でのホットヨガのレッスンとセットにしていたそれらの場所がほんの少し遠のいてしまうような気はしますね。

 手元の映画鑑賞ノートによれば、本作を鑑賞したのは七月二十二日となっている。それなのに、全国のいくかの映画館では、本作がまだ上映されている。全国一斉ロードショーの作品ではないために、あちらこちらの映画館でパラパラと上映され続けているのだろう。確か、本作が製作されたアメリカでも、わずか四館での上映から始まったものの、次第に人気が出て来て、ついには全米トップテンに入るほどの作品に成長したとか。私はそうした背景に、映画『JUNO/ジュノ』のような面白さを期待して、鑑賞に踏み切ったのだった。

 この物語は、ある姉妹、いや、ある家族のサクセスストーリーと言ってもいいのだろう。姉妹の姉ローズの役をエイミー・アダムスが演じ、妹ノラの役を映画『ジェイン・オースティンの読書会』のエミリー・ブラントが演じている。高校時代はチアリーダーだったローズも、かつての恋人だった刑事のマックと不倫関係にあり、ハウスクリーニングの仕事をしながら一人息子を育てるシングルマザーである。アルバイトをしながら生計を立てているノラも、感情のコントロールができず、アルバイトがなかなか長続きしない。姉妹いっかkの父もまた、裏ルートで仕入れたものを売りさばくなど、一攫千金を夢見てちょっと怪しい仕事をしているが、こちらの仕事もなかなかうまく運んでいない。

 そんな人生の負け組みとも言える彼女たちが、一度にたくさんのお金をもらえるというだけで、事件現場の清掃作業を請け負う仕事を始める。もちろん、事件の中には殺人事件も含まれている。血に染まった部屋をきれいにクリーニングしたり、死後何日も密室だった事件現場をきれいに片付けるのが彼女たちの仕事だ。

 姉妹と対照的な立場として描かれているのが、勝ち組とも言えるローズの高校時代の華やかな友人たちである。何の苦労も知らず、お金持ちの雰囲気にどっぷり浸かっているローズの友人たちを、ローズはどうしても見返したかったのだろう。事件現場の清掃を請け負う仕事を組織化し、「サンシャイン・クリーニング」と名付けるのだが、ある出来事によって、再び激しい挫折感を味わうことになる。

 人物描写の甘いアメリカ映画であっても、ミニシアター系の映画館で上映されているような作品は、登場人物の感情描写に取りこぼしが少ないのだと実感する。人生の負け組みだった姉妹たちの仕事が軌道に乗り、壁にぶつかりながらも試行錯誤を繰り返し、やがて生き生きと輝き始める様子がうまく描かれていた。また、そんな状況の中にあって、ノラが事件現場で入手した情報をもとに単独行動する伏線もいい。ある女性の、固く閉ざされた心の中に入り込もうとするノラ。果たして、ノラの熱き想いは彼女に通じるのだろうか。

 もしかすると本作は、こんな不況の時代だからこそ、受け入れられる作品なのかもしれない。全体を通して感じるのは、たくさんのお金を稼ぐということは、決して容易ではないということだ。しかし、勇気を持って新しいことにチャレンジすれば、そこには新しい出会いも用意されている。これまで刑事のマックと不倫関係にあったローズにも、決して負け組みではない春の予感が訪れる。日本人の感覚からすれば、出会って間もない男性に、自分の留守中に息子のオスカーをみて欲しいと懇願するなど、少々強引なシーンも見受けられたのだが、その後、ちゃっかりその男性がオスカーの誕生日パーティーに出席しているなど、いかにもアメリカらしい人間関係の築き方が描かれてもいる。

 大きな挫折感を味わった彼女たちが、やがてどのように再生して行くのかも、納得の行く形でうまくまとめられていた。世の中にこのような仕事が存在していることは驚きだったが、多くの人たちに嫌がられる仕事であるというこことからも、彼女たちの仕事が人々の役に立っているのは間違いない。ただ、できれば彼女たちのお世話にならないように生きて行きたいものである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 人々が嫌がる仕事を請け負うことで、たくさんのお金をもらえるというのは、理にかなっていると思います。事件現場を目にすることで受ける精神的なショックを、たくさんのお金を受け取ることで帳消しにしてもらっているのでしょうね。ただ、そうした状況も、場数を踏むごとに慣れてき来ると想われますので、その道の達人になってしまえば、仕事も順風満帆のはずだったんですよね。そこに、激しい挫折感を味わうような出来事を盛り込んでいるのは、さすがと言えます。しかも、エイミー・アダムスとエミリー・ブラントの姉妹が本当の姉妹のようで驚きました。

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2009.09.11

ホットヨガ(一六一回目)

高いトリートメント効果の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ザ・ダイソー ナチュラル ヘナのクチコミ - アットコスメ(@cosme)を拝見していると、中にはダ○ソーヘナを使用して髪の毛がキシキシになったという方も見受けられますね。素人判断ではありますが、私が使用しているせっけんシャンプーとの相性がいいことを考慮すると、そういう方は、普段から化学物質を多く含んだシャンプーなどを使用されていて、どちらかと言えば、髪の毛が自然ではない状態に傾いていらっしゃるのではないかと思います。天然素材のダ○ソーヘナを快適に使用されるためには、普段から、化学物質をあまり含まないシャンプーを使用して準備を整えておく必要があるように思うのです。

 八月の最終日曜日は、前日に引き続き、神戸店でホットヨガのレッスンを受けた。信じたくないことだが、その日は神戸店の最終営業日だった。そのため、私はその日の最終レッスンを予約していた。最終レッスンを選んだのは、神戸店が本当に閉店してしまうのか、この目でちゃんと見届けておきたかったのと、名残惜しさを感じるのに最も適したレッスンだと思ったからだ。最終レッスンにこだわったため、私にとっては少々きつい七十五分のパワーアクティブコースのレッスンを受けることになってしまった。

 神戸店の最終営業日にふさわしいのかふさわしくないのか良くわからないが、受付にはスタッフがただ一人だけで立っていた。比較的新しいスタッフで、これまであまりお話をしたことがなかったため、
「今日で本当に終わってしまうんですか?」
とも言い出せず、いつも通り、タオルとロッカーの鍵を受け取ったあと、ロッカールームへと移動した。

 着替えを済ませてスタジオに入って待機していると、さきほど受付にいらっしゃったスタッフがインストラクターとしてスタジオに入って来られた。スタジオ内には、私を含めて十六名の参加者がいたが、みんなそれぞれどのような思いを抱いていらっしゃるのか、私には良くわからなかった。ただ、しばらくお目に掛かっていなかったフリーパス会員の方や、これまで何度もお目に掛かっている会員さんも参加されていたので、おそらく神戸店で行われる最後のレッスンを受けたいという気持ちは私と同じだったのかもしれない。

 インストラクターによるレッスン開始のあいさつも、また、レッスンの途中でも、今、行われているこのレッスンが神戸店で行われる最後のレッスンであることは一言も語られなかった。私は、もしかしたら神戸店が閉店してしまうのは何かの間違いなのではないだろうかと疑い始めた。それほど、いつもと変わりないレッスンだったのだ。七十五分のパワーアクティブコースというと、私にとってはレッスンの内容がとてもきつく、レッスンの後半になると息もずいぶん荒くなっていたが、そんなことよりも、インストラクターの口から、
「これで神戸店のレッスンは終了になります」
と宣言されることを待っていたように思う。しかし、とうとう最後まで、インストラクターの口からその言葉は発せられなかった。

 そして、レッスンを終えて、いつものようにシャワーを浴びた。その日の最終レッスンが終わり、レッスンを受けた人たちが一通りシャワーを使い終わると、いつもは数人のスタッフがシャワールームの掃除に現れる。次の日に備え、スタッフが毎日、シャワールームをきれいに掃除されているのだ。しかし、こうして神戸店が閉店してしまう日の最終レッスンが終わってしまったのだから、おそらくこのシャワールームを誰かが使用することはもうないのだろう。それならば、シャワールームをきれいに掃除する必要もないのではないだろうか。そんなことを考えていると、さきほどレッスンを担当してくださったインストラクターがロッカールームに入って来られて、一人でシャワールームの掃除を始められた。いつもは数人でにぎやかに掃除をされているのに、今回は一人だけのようである。もう誰にも使われることのないシャワールームを、どのような思いで掃除されているのだろうと思うと、何だか胸が熱くなった。

 帰り支度を整え、ロッカールームを出ると、スタッフの方がもう一人いらっしゃったので、私はとうとう我慢できずに、
「本当に終わりなんですか?」
と話し掛けた。すると、そのスタッフも残念そうに、
「そうなんです」
と答えてくださった。

 そこへ店長さんが歩いて来られたので、少しお話をさせていただいた。今回の閉店は、急に決定したとのことだった。そして、神戸店の名物のサボテンのサボ子を見ながら、神戸店の閉店を惜しんだ。神戸店の名物のサボテンのサボ子は、ロビーに飾られているサボテンである。もともと植木屋さんからレンタルしていたサボ子だったが、神戸店のスタッフにかわいがられ、すくすく成長したため、植木屋さんがプレゼントしてくださったのだそうだ。サボ子は、もはや動かすことができないくらいに大きく成長してしまったらしい。神戸店が閉店してしまったら、サボ子の行き先はどうなってしまうのだろう。

 スタッフの皆さんの今後の行き先をお尋ねしたところ、ほとんどのスタッフが三宮店に異動されるそうだ。ああ、良かった。これからも、三宮店でスタッフの皆さんにお会いできるのだ。ただ、残念なことに、私が一番長くお話をさせていただいていたスタッフは退職されてしまうのだそうだ。とても残念である。

 神戸店はなくなってしまったとしても、三宮店で神戸店の皆さんにお会いできるということで、私は少し安心した。とは言え、一番長くお話をさせていただいたスタッフには、もうお会いすることはできないのだろう。私は、もはや伝えてもらえる状態なのかどうかはわからなかったが、店長さんに、そのスタッフによろしくお伝えくださいと伝言して、神戸店をあとにした。

 こうして、私が三年間通った神戸店は、静かに幕を閉じた。いや、神戸店のスタジオの隣にあった映画館のように、シャッターが降りているのを確認したわけではないので、まだまだ実感が沸かない。いつかまた、神戸で用事を作って、神戸店のあった場所を訪れてみたいと思う。三年間、お世話になった神戸店よ、どうもありがとう。

神戸店の細いロッカー。
私は荷物が多いので、リュックの中から貴重品だけを取り出して、リュックはロッカーの上に置いていた


何度も汗を洗い流したシャワールーム

今回のレッスンのときに着ていた多面ガネーシャのTシャツ

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m とうとう神戸店が閉店してしまいました。神戸店のスタッフとともに、私もこれからは主に三宮店でレッスンを受けることになるでしょう。三宮店に行けば、もともと三宮店勤務の楽しいスタッフにお会いできるのでそれも楽しみです。ただ、これまで神戸店でレッスンを受けていた人たちがみんな三宮店に流れ込むので、レッスンの予約は早めに入れておかなければなりませんね。神戸店のスタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。これからは三宮店でお目に掛かれるのを楽しみにしています。

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2009.09.10

高いトリートメント効果

メリハリのハリ?の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m だんだん涼しくなって来ましたね。ちょうど今頃の日本の、日中の最高気温が二十八度くらいの気候が、真夏のブリュッセルの少し暑いくらいの気候でしょうか。今が一番過ごし易い時期かもしれませんが、季節の変わり目の時期でもありますので、体調管理には充分気を付けなければなりません。以前よりも、新型インフルエンザの患者さんが死に至るケースが増えていることが気に掛かっています。皆さんもどうかお気をつけください。

 夏休みの旅行に出掛ける前から、私は鏡を見る度に、頭の白髪が気になり始めていた。できれば旅行の前に天然ヘナを使って白髪染めをしておきたかったのだが、なかなか時間を取ることができず、とうとう頭のてっぺんが少し白いまま旅行に出掛けてしまった。夏休みも終わり、旅行の疲れも取れて、普段の週末に戻った九月の初め頃、私はおよそ二ヶ月振りに天然ヘナを使って白髪染めをすることにした。

 実のところ、もう少し早く白髪染めをしたかったのだが、八月の終わりに生理が始まってしまったので、しばらく控えていたのだ。とは言え、愛用しているダ○ソーヘナは化学物質の白髪染めではないので、取扱い説明書には「生理中のご利用はお控えください」などという記述はどこにもない。それなのに、ついつい生理中の白髪染めを控えてしまうのは、化学物質の白髪染めに慣れてしまっているからなのだろう。

 我が家にはダ○ソーヘナの買い置きがたくさんあるのだが、最初のうちはナチュラルブラウンを好んで使用していたものの、今ではすっかりナチュラルオレンジの虜になってしまっている。店頭では、ナチュラルブラウンのほうが良く売れ、ナチュラルオレンジのほうが売れ残っている場合が多いのでラッキーである。

 ちなみに、今回、使用したナチュラルオレンジは、既に一回分、使用しているので、三分の二程度残っていた。ショートヘアのため、税込みわずか百五円の商品を三回に分けて白髪染めすることができるのだから、これ以上、お得な白髪染めはないだろう。

 さて、今回もマグカップの中に紅茶のティー・バッグを入れ、お湯を注いだ。その中に少量のレモンを加え、あらかじめ容器に入れておいた天然ヘナのナチュラルブラウンの上に少しず垂らし込んで行った。そして、スプーンを使って天然ヘナがマヨネーズ状になるまで注意深くかき混ぜ、マヨネーズ状になったのを確認すると、そのまま三十分ほど放置した。

 その間に髪の毛をシャンプーして、タオルドライの状態にしておいた。その後、三十分間放置した天然ヘナをドレッシング入れのような容器に移し替え、頭のてっぺんから塗り込んで行った。毎回、体験するのだが、この瞬間が泥遊びをしているようでとても楽しい。鏡越しに自分の表情を観察してみると、ニヤニヤしているのがわかる。また、天然ヘナを塗り込んだあと、日本てぬぐいで頭を巻き込み、ターバンで固定する瞬間も好きだ。その上からビニールのシャワーキャップをかぶり、数時間そのままにする。

 塗り込んだ天然ヘナを頭に巻き込んだまま、私は「ガンまる日記」を書き上げ、しばらくくつろいでいた。そして、数時間経たのち、シャワーキャップとターバン、それから日本てぬぐいを慎重に外し、頭に塗り込んだ天然ヘナをしばらく空気にさらした。天然ヘナは、固くなってごわごわしていた。そして、空気にさらしたあと、シャンプーを使って天然ヘナをきれいに洗い流した。

 仕上がりを見てみると、今回も良く染まっている。やはり、大人の泥遊びは楽しい。私はそれほど気にはならないが、牧草や畳の臭いと言われているダ○ソーヘナ独特の匂いは、レモンを垂らし込むことである程度、抑えられるようだ。ザ・ダイソー ナチュラル ヘナのクチコミ - アットコスメ(@cosme)を拝見すると、ヨーグルトを垂らし込んでいる人もいるようだが、ヨーグルトが乳製品であることから、念のため控えるようにした。

 私は普段から、経皮毒を気にしてせっけんシャンプーを愛用しているのだが、どうやら天然ヘナはせっけんシャンプーとの相性が抜群にいいようだ。天然ヘナをすると、トリートメント効果が出て、髪の毛がサラサラになる。税込みわずか百五円のダ○ソーヘナを決して侮るなかれ。見た目や臭い、価格だけで判断してはいけないのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 化学物質を含んだ白髪染めをしたあとも、多少の臭いは気になりますよね。ダ○ソーヘナも、白髪染めをしたあとは少し臭うので、私自身はそれほど気にはならなくても、他の人がどう思うのかが気になります。特に仕事中は、一緒に仕事をしている人たちの近くに寄ることが良くありますので、おそらく化学物質を含んだ白髪染めの臭いを嗅いだことはあったとしても、ダ○ソーヘナの臭いを嗅いだことがある人は職場には少ないだろうと思うと、気になりますね。それでも、生理のときに布ナプキンを洗うことといい、ダ○ソーヘナで泥遊びをすることと言い、私は筋腫のおかげで楽しいことをたくさん覚えました。(笑)

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2009.09.09

メリハリのハリ?

映画『ハリー・ポッターと謎のプリンス』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 映画サイトに掲げられている本作への評価を拝見すると、これまでのハリー・ポッターシリーズの中では最も低いようです。どうやら、原作に忠実でないことが原因のようではありますが・・・・・・。原作に忠実でない場合、原作を読んでいない人のほうが映画を楽しめるというのは、何だか皮肉なものですね。(苦笑)初期の頃の作品の評価が高いのは、原作に忠実であったことと、クィディッチのシーンに迫力を感じたからではないかと思います。

 九月半ばの納期を控え、仕事がひどく忙しくなっている。現在、私の職場では、残業規制されているため、毎日のように仕事の進捗状況と照らし合わせながら、上司にその日の残業の必要性を判断してもらっている。フレックスタイム制が廃止され、八時半の出勤が義務付けられことにより、私は毎朝五時に起きて七時前には家を出ているのだが、その状況で定時まで働き、ご飯を食べて帰宅すると、だいたい二十時前である。翌日、五時に起きるためには、できるだけ睡眠時間を確保しておきたいので、残業のない日は二十一時過ぎから二時間ほど眠ったりしていた。

 ところが、残業をすると、帰宅してからの二時間の睡眠時間を確保することができない。そのため、どうしても寝不足になってしまう。そんな状況から、次第に疲れもストレスも溜まりつつあった。

 しかし、私よりももっと過酷な状況で働いているのはガンモのほうだった。ガンモは、夏休みが開けてから、ほとんど休みが取れていない。客先のトラブルやイベントが次々に発生し、毎日対応に追われていた。特に週末は、夜中に出掛けて行って朝まで働くことが多く、週末のガンモは昼間のうちに睡眠を確保しておいて、夜に働くおじさんになっていた。ガンモは、会社で定められた勤務時間とは関係なく、客先の都合に合わせて働くエンジニアなので、時としてこのような過酷な勤務スケジュールが組まれることがあるのだ。

 あるとき、私が残業をして遅い時間に帰宅すると、何やら黒い粉のようなものが玄関に散らばっていた。どうやら、ガンモが少し前に玄関に置いていた古い靴の入った袋を、誰かが踏んでしまったようなのだ。その靴は、あまりにも古かったために、靴のゴムが劣化してしまっていたらしい。そのため、それに気付かずにそこを歩いた私の靴下が黒く汚れてしまっていた。私はガンモに、
「ちょっと、ちょっと。玄関に置いている靴が裂けて大変なことになってるよ。何とかしてよ」
と言った。

 いつもは帰りの遅いガンモだったが、その日、たまたま私よりも早く帰宅していたのは、仕事を持ち帰り、自宅でパソコンに向かっていたからである。何でも、翌日行われるプレゼンテーションの準備をしなければならなかったらしい。その準備をするために、これまで使ったことのないソフトを使うのだとか。しかも、そのソフトの使い方が良くわからず、パソコンの前で長いこと格闘していたようなのだ。

 ガンモは私の呼び掛けに反応したが、
「ごめん。俺、今、本当に忙しい。ごめん」
と言って、寝室のパソコンの前から一歩も動かず、難しい顔をしたまま作業を続けていた。仕方がないので、私がその古い靴を片付けたのだが、何でもその古い靴は、客先で作業をするときに使う作業靴だったらしい。客先でその靴を借りたものの、客先で何年も放置されていたために、ゴムが劣化してしまっていたのだ。

 そんなときに、実家の母が宅配便で私たちのところに野菜を送って来てくれた。母は、野菜の料理の仕方をメモして入れておいてくれたのだが、宅配ボックスに入れられた荷物を受け取ったことを知らせるには既に遅過ぎる時間帯だったので、後日、時間を見付けて母にお礼の電話を入れた。母は私に、
「十分あればできる料理だから」
と言った。しかし私は、
「でもね、ありがたいけど、今はその十分がないのよ」
と言った。

 ああ、自分の親にこんなことを言わなければならない自分がひどく情けない。しかし、今の私たちは二人ともそんな状況である。幸いなことに、ガンモも私も、今月半ば以降になれば、ようやく仕事が落ち着きそうである。そして、それを乗り越えれば、私には楽しみなシルバーウィークプラス有給休暇の九連休が待っている。今はそれを励みに、目の前にある課題を一つずつこなして行くしかないのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 夏休みの楽しさが嘘のような毎日を送っています。考えてみれば、私たちのいる業界には、仕事にメリハリがあり過ぎるのかもしれません。(苦笑)それだけに、その反動で、旅に対する期待感も脹らむのでしょうね。

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2009.09.08

映画『ハリー・ポッターと謎のプリンス』

マンションの自主管理の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私たち夫婦には子供がいないので、普段は同じマンションの住民の方たちとじっくり話をする機会はほとんどないのですが、管理組合の役員に当たった年には、同じ役員の方たちと比較的密な交流が持てたように思います。やはり、多くの人たちとやみくもに関わるのではなく、少人数の集まりの中で自分と合う人と引き合い、交流を深めて行くのがいいですね。

 手元にある映画の鑑賞ノートには、本作の鑑賞日として七月十九日と記載されている。そう、まだまだ劇場公開中である本作は、夏休みの旅行に出掛ける少し前に、ガンモと二人で鑑賞したのだ。二ヶ月近く前に鑑賞した映画がまだ劇場公開されているのだから、このシリーズの作品がいかに多くの人たちに受け入れられているかが良くわかる。

 ハリー・ポッターシリーズは、私が最初に原作を読み始めたことがきっかけではまり、やがてガンモをも巻き込み、ガンモと一緒に全作品を劇場で鑑賞している。ただ、監督が毎回異なっているので、映画としては何となく作風に一貫性がないと思っていたところ、本作の監督は前作と同じ監督で、しかも最終作の監督も担当されることになっているのだそうだ。とは言え、この手の映画は、鑑賞した側からすぐに内容を忘れてしまうので、前作の記憶などもうはるか彼方である。

 子供たちが主役の映画であるだけに、ハリーやロン、ハーマイオニーの成長ぶりが毎回気になっている。二年前にロンドンでミュージカル『メアリー・ポピンズ』を鑑賞したところ、購入したプログラムに記載されている子役の数があまりにも多いのに驚いた。どうやら子役たちは、役の年齢よりも成長すると降板されるらしい。サザエさんが実写版で映画化されたとしても、おそらく同じ子役で配役され続けるわけではないだろう。原作者のJ・K・ローリングがハリーポッターシリーズをこれ以上執筆しないことで、映画化されたときの配役が変わる心配がなくなるとも言える。

 さて本作だが、世間の評価はどうであれ、私の感触では、これまで鑑賞したハリー・ポッターシリーズの中では一番良かったように思う。最初の頃は、原作が忠実に再現されている喜びを感じながら鑑賞していたものだが、ある時期から原作を読まなくなってしまったので、原作と比較することなく純粋に映画として楽しめるようになった。どの作品だったかはもう忘れてしまったのだが(確か、湖の中に潜って対決するシーンがあった作品)、中には構成が難解で理解に苦しむ作品もあった。本作は、ストーリーも良く理解できたし、途中の展開も良かったと思う。

 ところで、本作に出演されている役者さんたちの中で、私がいつも注目しているのは、ヘレナ・ボナム=カーター(ハリー・ポッターシリーズでは、シリウス・ブラックを殺した女性)である。映画『チャーリーとチョコレート工場』などの作品で知られるティム・バートン監督と内縁関係にあるヘレナは、ティム・バートン監督の作品はもちろんのこと、様々な映画作品に出演されている。私は彼女の、他の人たちが厳格に守っているであろう境界をいとも簡単に超えてしまう演技が好きだ。日本の女優さんで言うと、大竹しのぶさんに近いものがある。彼女の演技を見ていると、与えられた役に対し、常に自分を極限に配置し、その役に没頭しているのがわかるのだ。もしも私がこれから女優さんになれるのなら、彼女のような女優さんを目指したいとさえ思う。

 今回は、「ええっ? 本当に?」と疑ってしまうような、かなりハラハラする事実を突きつけられたまま終わってしまった。いつも、どことなく悪役の雰囲気が漂っているスネイプ先生も、今回に限り、本当は悪役ではなかったというフォローなしに出番が終わってしまった。原作を読んでいないので、果たしてこの先どうなるのかはわからない。しかし、物語がクライマックスに差し掛かっているのは良くわかる。いよいよ最終作では、ヴォルデモート卿との激しい戦いが繰り広げられるのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本シリーズ作も回を追うごとに、恋愛色が豊かになって来ましたね。(笑)最初、ハリー役をダニエル・ラドクリフくんが演じると決まったとき、私自身が原作を読んだときに抱いたイメージとはまったく異なっていたので、かなり戸惑いました。しかし、今では彼以外のハリーは有り得ないとさえ思っています。それに対し、ロンとハーマイオニーは、最初から原作通りのイメージでしたね。最終作が、ハリーやロンに髭が生えないうちに完成することを祈っています。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.09.07

マンションの自主管理

白熱灯もどきの明るい蛍光灯の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。これからは、トイレなども白熱灯ではなく蛍光灯が灯る時代になるのでしょうか。トイレが落ち着くのは、白熱灯の怪しい光のおかげだったのかもしれません。蛍光灯によって何もかも明るみに映し出されると、曖昧さを失ってしまうようにも思いますね。

 私たちが住んでいるマンションは、今から十一年前にある建設会社によって建設され、分譲された。入居後しばらくは、建設会社の子会社の管理会社がマンションの管理に携わっていて、年に一回行われる管理組合の定期総会には、管理会社の社員が出入りして、その年の会計報告などを行っていた。

 ところが、入居して三年ほど経った頃だろうか。管理会社にマンションの管理を任せてしまうよりも、自分たちの手でマンションを自主管理して行こうという動きが出て来た。というのも、私たちが毎月支払っている管理費は、将来、マンションの修繕積立金の一部として蓄えられることになっているのだが、マンションの管理を管理会社に任せることにより、多くの手数料が発生し、実際に積み立てる金額が少なくなってしまうことがわかって来たからだ。それよりも、自分たちの手でマンションを自主管理し、少しでも多くのお金を修繕積立金として積み立てようと、思い切ってマンションの管理会社と手を切り、自主管理することになったのである。

 入居当時からお世話になっていたマンションの管理人さんのお給料も、最初は管理会社を通して支払われていたのだが、マンションを自主管理に切り替えることにより、私たちが毎月支払っている管理費から直接お支払いするようになった。

 マンションを自主管理して行く上で大変だったのは、会計の仕事である。毎年、管理組合の役員は持ちまわり制と決まっていたのだが、その中でも特に、管理組合長と会計の役員を選出するのが至難の業だった。私もこれまでに一度、管理組合の役員の仕事を担当したことがあるのだが、やはり夫婦共働きということで、会計の仕事はパスさせていただいた。会計の仕事を担当されていたのは、平日でもマンション近くの銀行に足を運ぶことのできる専業主婦の女性が多かったようだが、それでもマンションの管理組合所有の通帳を管理したり、出金や入金などの管理を行うのは慣れない仕事である上に責任も重いので、かなり骨の折れる仕事だったようだ。

 そこで、ある時期から、会計の仕事とマンション管理の一部を外部に委託するようになった。もともと管理会社を介入させることにより、マンションの修繕積立金が少なくなってしまうことを懸念して始めた自主管理だったが、やはり、会計のように専門的な知識を必要とする仕事もあるために、専門家に任せることで任された仕事への負担を軽くすることに、多くの住民が同意したのだった。

 さて、先日、私たちのマンションでは、自転車やバイクの駐輪場の抽選が行われた。自家用車と違って、自転車やバイクは、お子さんの成長などにより、各戸における台数の増減が顕著である。そのため、私たちのマンションでは、毎年、夏の終わりに駐輪場の抽選を行っているのである。駐輪場の抽選は、あらかじめ申告しておいた台数分の駐輪場スペースをくじ引きで決めるというものだ。各戸につき二台までは無料で、それ以上の台数の駐輪場スペースを必要とする場合は有料となる。有料となった駐輪場の代金は、マンションの修繕積み立て金などの一部として蓄えられる。各戸二台までの無料駐輪場は、ほとんどの場合、立体駐輪場の上下段に割り当てられる。

 自転車やバイクの駐輪場の抽選は、毎年、恒例のイベントなので、今ではもう手馴れたものとなったが、入居したての頃は勝手がわからず、手際も悪かった。各戸の代表者をマンションのエントランスに集め、袋なり箱なりに入れたくじを引くことにより、駐輪場スペースが決まる。一年間使用することになるこの駐輪場スペースは、最寄駅までいつも自転車で移動している私たちにとってはかなり重要なものである。私たちは二台だけの利用なので、立体駐輪場の上下段が割り当てられている。

 マンションで立体駐輪場をご利用の方なら良くご存知かもしれないが、立体駐輪場の上段は、高いものと低いものが交互に設置されている。私たちのように、自転車のハンドルがそれほど大きくない自転車ならば、上段の高さが低くても問題はないのだが、中には自転車のハンドルがひどく大きい人や、お子さんを乗せるための前籠を取り付けている方もいらっしゃる。そうした方は、例え立体駐輪場の上段の高さが高くても、立体駐輪場のスペースにはうまく収まり切らない。そのため、左右の駐輪場にはみ出すような形になってしまうのだ。この一年間、私たちの隣に駐輪されていた自転車も、ひどく大きなハンドルの自転車で、定められた駐輪場スペースからいつもはみ出していたので、私たちが肩身の狭い思いをすることになった。駐輪場の抽選は、そんな状況からようやく解放されるのだという期待感が高まる瞬間なのだ。

 休日であるにもかかわらず、ガンモは仕事に出掛けて行ったので、私が抽選に参加することになった。駐輪場の抽選が行われる日は、抽選が行われる一時間ほど前までに自転車を所定の場所に移動させておく。そうすることで、新たな駐輪場スペースが決まったときに、それぞれが自転車を移動させやすいからだ。

 管理組合の役員さんに部屋番号を呼ばれ、くじを引くと、これまでとほぼ同じ場所の駐輪場スペースを引き当てた。これまでの駐輪場スペースは屋内だったので、雨に濡れる心配もなく、気に入っていたのだ。あとは、両隣にハンドルや前籠の大きな自転車が来ないことを祈るばかりだった。

 くじ引きが終わり、新たな駐輪場スペースが決まった人たちは、次々に自転車を定められた駐輪場スペースに移動する。ガンモが仕事に出掛けていたので、私はガンモの自転車も一緒に移動させた。見ると、両隣にはそれほど大きな自転車は停められていなかった。ひとまず安心である。新しい駐輪場スペースに自転車を停めたあと、私は仕事中のガンモに電話を掛けた。
「駐輪場のスペース、決まったから」
「どこ?」
とガンモに尋ねられたのだが、私は意地悪をして、
「教えない。自分で探すように」
と言った。仕事から帰宅したガンモは、真っ先に自分の駐輪場スペースを確認し、両隣にそれほど大きな自転車が停められていないことに安心したらしい。

 ところで、管理組合の役員になると、マンションの駐輪場を利用する自転車に貼るステッカーも業者さんに注文することになる。ちなみに、現在、私たちのマンションで使用されているステッカーは以下の通りだ。

マンションの駐輪場に置く自転車に張るシール。
このようなシールも、自分たちで業者さんに注文する。

 かつては、こうしたシールにもマンションの名前や部屋番号まで手書きあるいはテプラなどを使って記載していたのだが、最近は個人情報保護の動きがあり、マンション名も部屋番号の表示もやめてしまった。ちなみに、私が管理組合の役員を担当していた頃は、もう少しカラフルなラベルだった。駐輪場スペースの要望を住人から募ったあと、ラベルを作成してくれる業者と連絡を取り、有料と無料でステッカーの色を分けて注文したりしていた。そんな管理組合の仕事も、最初は右も左もわからない状態から始まったのだが、今では持ち回り制も二順目となっている。私たちが再び役員を担当する時期までもうすぐだ。

 多くのマンションは、まだまだ管理会社に任せ切りの状態かもしれない。しかし、こんな時代だからこそ、思い切って自主管理を始めてみるのもいいかもしれない。三人寄れば文殊の知恵というくらいだから、住民が集まれば、きっといいアイディアが浮かんで来るはずだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最初は恐る恐る始まったマンションの自主管理でしたが、情報はどんどん蓄積され、何とかうまく回っているようです。築十一年経ったので、もうすぐちょっとした修繕計画が実行されることになりそうです。修繕が行われる年に管理組合の役員に当たるといろいろ大変なんですよね。それでも、自分たちの手でマンションを管理しているという自信とこれまでの実績が、直面している問題へのヒントを与えてくれることでしょう。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.09.06

白熱灯もどきの明るい蛍光灯

引き継がれた遺伝子の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m TKMYジュニアとキッコロジュニアはとても仲が良く、まるで恋人同士のように寄り添っています。これまで、鳩の雛が二羽とも孵ることは珍しかったので、そういうことからも、彼らが孤児(みなしご)になっても強く生きられるように動いていたのかもしれないと思ったりします。それと、失くしてしまったデジタルカメラのメディアですが、週末を中心に探しているのですが、やはり見付かりません。最後にそのメディアを参照した場所が確かに自宅だったので、自宅にあるはずなのですが・・・・・・。そのため、旅行の記事がストップしてしまい、申し訳ありません。写真なしで旅行の記事を再開するか、またしてもガンモから写真を拝借して記事を書くかについては、考えさせてください。

 買い物に出掛けたとき、ガンモが丸いワッカの新しい蛍光灯を買った。寝室の蛍光灯の二つあるうちの一つが切れてしまったのだ。ガンモは丸いワッカの蛍光灯のほかにもう一つ、ぐにゅぐにゅと曲げられた白熱灯もどきの蛍光灯を買っていた。その蛍光灯を、現在、ベッドの横に取り付けている白熱灯と取り替えるのだそうだ。

 実は私は、白熱灯の灯りが大好きで、学生時代に勉強するときも、一人暮らしをしていた頃も、わざわざ白熱灯の電気スタンドを愛用していたくらいだ。結婚してからも、寝室の枕元に白熱灯を使ったり、マシンルーム(ガンまるコムサーバや私が自宅で使用しているデスクトップなど、何台ものパソコンを設置している和室)でも白熱灯を好んで使っていた。

 しかし、ガンモ曰く、白熱灯はもうすぐなくなってしまうのだそうだ。おまけに、これまで使用していた白熱灯は消費電力が四十ワットだったが、今回、ガンモが購入した白熱灯もどきの蛍光灯は、消費電力が六十ワットであるにもかかわらず、白熱灯よりも電気代が七十八パーセントもカットされるらしい。このようなものを製造されてしまっては、白熱灯は肩身が狭くなるばかりである。

 ガンモは、私が愛用していた白熱灯の電球を、
「熱い、熱い」
と言いながら取り外し、代わりに白熱灯もどきの蛍光灯を取り付けた。スイッチを入れてみると、まぶしいくらいの光が枕元を包んだ。

白熱灯に似た新しい蛍光灯
(掃除が行き届いていないのは、ご愛嬌(^_-))

 「うわあ、これ、まぶしいよ」
と私は言った。明るさよりも、これまでの四十ワットの怪しげな白熱灯の灯りが早くも懐かしい。しかし、電気代が七十八パーセントもカットされるとなれば、蛍光灯への移行は避けられないのだろう。私は、せめて白熱灯の怪しげな灯りの写真を撮影しておこうと、いったん取り付けた白熱灯もどきの蛍光灯を、
「熱い、熱い」
と言いながら取り外し、代わりにさきほど外したばかりの白熱灯を再び取り付けた。しかし、スイッチを入れてみると、もはや白熱灯はうんともすんとも反応しなかった。どうやら球が切れてしまったらしい。私は、白熱灯の最後の光を写真に収めることさえできなかった。電気代が七十八パーセントもカットされる白熱灯もどきの明るい蛍光灯の登場を受けて、白熱灯は、もはや自分の時代ではないと思い、こっそり引退を決意したのかもしれない。

 これまで綴って来た「ガンまる日記」も、白熱灯の怪しい光の下で生み出され続けて来たものである。しかし、これからは、白熱灯もどきの明るい蛍光灯の下で綴って行くことになりそうだ。薄暗い光の下ではどんどん脹らんだイマジネーションも、明るい蛍光灯の下ではどれだけ脹らんでくれるのだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 白熱灯の灯りは、優しくて曖昧で、蝋燭をともしているような温かさがありました。しかし、なくなってしまうんですね。だからでしょうか。何となく、白熱灯を惜しむような蛍光灯が製造されているのは。ガンモは白熱灯もどきの蛍光灯が気に入ったらしく、同じものをもう一つ買って来ると言っていました。おそらく、もう一つ買ってくれば、マシン室の白熱灯を取り替えるつもりなのでしょう。明るい蛍光灯の下で、どのような「ガンまる日記」が生まれるのか、ご期待ください。(苦笑)

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2009.09.05

引き継がれた遺伝子

映画『12人の怒れる男』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m オリジナルの映画『12人の怒れる男』は、映画『その土曜日、7時58分』のシドニー・ルメット監督の作品だったようです。一九五七年製作の作品となっていますので、ずいぶん古い映画ですね。オリジナルの上映時間は九十五分となっていますので、リメイクされたときに一六〇分に脹らんだことになります。オリジナルはアメリカ映画のようですが、もしもレンタルDVDショップで私の前に現れたならば、鑑賞してみたいと思います。

 私に母性を教えてくれたTKMYが我が家のルーフバルコニーで亡くなってからは、残された雛たちの面倒を私たちがみることにした。幸いにして、雛たちは、大人の鳩の餌を食べられるようになっていたので、ガンモは牛乳パックをハサミで切ってビニールテープで繋げたものを寝室の窓辺に置き、雛たちの餌入れと水入れにした。そして私たちは、仕事から帰って来ると寝室の窓を開けて、雛たちにせっせと餌を与えた。

牛乳パックをハサミで切って、餌箱と水入れを作り、寝室の窓辺に置いた
(暗い場所での撮影のため、画質が悪くてごめんなさい)

 雛たちをこうして特別扱いしたのは、孤児(みなしご)になった雛たちが、父ちゃんやTKMYの最後の恋人であるイケメンくんたちに追いやられていたためだ。雛たちがベランダの地べたに寝ると、父ちゃんやイケメンくんたちに突付かれるため、雛たちは私たちの寝室の窓辺のサッシの上で寝ていたのだ。

 面白いことに、彼らはTKMYとキッコロの遺伝子を確実に受け継いでいた。というのも、小さい身体でありながらも、立派な鳩パンチを私たちに食らわしたからだ。その鳩パンチの激しさは、在りし日のTKMYやキッコロを思い出させてくれた。それにしても不思議なものである。雛たちの親であるTKMYもキッコロも、雛たちと過ごす時間を充分に取ることなくこの世を去ってしまった。雛たちが生まれてから、TKMYとキッコロがこの世を去るまでのほんのわずかな時間に、雛たちに鳩パンチを教え込んだとは考えにくい。それなのに、私たちが餌を与えるために寝室の窓を開けると、餌を与えようとしている私たちに対して立派な鳩パンチを食らわすのである。

 しかも、面白いのが、TKMYに良く似た柄(がら)のTKMYジュニアはキッコロにそっくりの荒くれ者で、キッコロに良く似た柄のキッコロジュニアは、キッコロよりも少し大人しいTKMYにそっくりだった。そのうち私たちは、だんだんジュニアを付けて呼ぶのが面倒臭くなり、TKMYジュニアをTKMY、キッコロジュニアをキッコロと呼び始めた。ところが、ガンモと私の間で、
「TKMYがさあ・・・・・・」
という言葉が飛び出すと、
「ちょっと待って。そのTKMYって、TKMYの肉体を持ったTKMYジュニアのこと? それとも、TKMYの魂を持ったキッコロジュニアのこと?」
と、いちいち確認しなければならなかった。その度に、
「ああ、ごめんごめん。魂のほう」
と、お互い、魂で彼らを判断していることを示した。

在りし日のTKMYに生き写しのTKMYジュニア(左)とキッコロに生き写しのキッコロジュニア(右)
しかし、魂はキッコロ(左)とTKMY(右)

 子供のいない私たちは、遺伝子は確実に親から子供に対して引き継がれることを知った。そして、動物の世界においては、親から伝えられた遺伝子が濃ければ濃いほど、親と子供の共存が難しくなるのではないかと感じた。TKMYとキッコロが立て続けに亡くなったことや、彼らに生き写しの雛たちが生まれたことから、そのように考ずにはいられなかった。更に、雛たちがTKMYとキッコロに生き写しであることから、子供が生まれた直後に魂は宿らず、成長してしばらく経ってから魂が宿るようにも思えた。私にはどうも、遺伝子と魂は、感覚的にはほぼイコールなのではないかと思えるのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 遺伝子が、親から子供へと確実に引き継がれているということを初めて実感しました。彼らがただちに孤児(みなしご)になってしまったのは悲しいことではありますが、それだけ強い遺伝子をTKMYとキッコロから受け継いでいるので、自分の中に親が共存しているわけです。だから、きっと寂しくはないだろうとも思いました。彼らにとって遺伝子は、バトンみたいなものなんでしょうね。

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2009.09.04

映画『12人の怒れる男』

イギリス英語とアメリカ英語の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。小学校についても、イギリス英語ではprimary schoolですが、アメリカ英語ではelementary schoolなんですよね。いろいろ調べてみると面白いですが、日本ではアメリカ英語がかなり優勢ではあるものの、イギリス英語も混在しているので、どちらの英語を学んでいるのか、常に意識しておきたいものです。

 本作は、劇場公開中に見逃してしまったため、DVDで鑑賞することになった作品である。確か劇場で観た予告編では、過去の作品のリメイクとのことだった。あとからわかったことだが、ロシア映画である本作は、どうやら舞台を現代ロシアに変えてリメイクされたものらしい。ある殺人事件を十二人の陪審員が裁くというおおまかなあらすじしか知らないまま鑑賞に及んだのだが、まるで予測もしなかった展開と、十二人の陪審員一人一人の熱き告白がもたらす感動に心が打ち震えてしまった。本当に素晴らしい映画というのは、本作のような映画のことを言うのではないだろうか。

 チェチェン人の少年がロシアで養父殺しの疑いをかけられている。十二人の陪審員が学校の体育館に集まり、この事件について有罪か無罪かの決を取ろうとしている。少年が有罪であれ、無罪であれ、十二人の陪審員の意見が全会一致ならば、そこで解散することができる。それと同時に、少年が無罪であるのか、それとも有罪であるのかが確定することになる。

 陪審員といえども、他に仕事や用事を抱えている忙しい彼らは、一刻も早く決を取って解散してしまいたい様子だった。状況からして、明らかに有罪と思われる事件だったため、ほとんどの陪審員がその少年に対し、有罪であるとの判断を下していた。しかし、いざ、投票式で決を取ってみると、ほとんどの陪審員が有罪と記入したにもかかわらず、一人だけ無罪と書き込んだ陪審員がいた。

 有罪であることは明らかなのに、無罪と書いたのは一体誰だという問い掛けに対し、一人の男が挙手した。挙手した男は、自分が有罪だと書いてしまえば、少年が無罪であるという可能性がまったく探られないまま少年の有罪が確定してしまうと言った。何とも奥深い発言ではないだろうか。遊びで陪審員に参加しているのではない意気込みが感じられる。何しろ、人の人生が掛かっているのだ。その男の発言をきっかけに、少年の人生に対し、責任を負って行こうとする雰囲気が出来上がり、話は意外な方向へと展開して行く。

 本作を鑑賞するだけで、現代のロシアがどのような国であるかを充分に感じ取ることができるだろう。例えば、いつまで経っても修理されない体育館の配管設備。利益を求めて「個人」が素早く動くのに対し、「国」が上げる腰はずいぶん重いのか、修理に何年も何年も掛かるらしい。陪審員の彼らは、自分たちがそんな国に住んでいることを充分承知している。

 見たところ、陪審員に選ばれているのは、五十代から六十代後半の男性たちである。彼らがこれまで積み上げて来た人生経験がいかに尊いものであるかということが、その後の話の流れの中で次々に披露されて行く。十二人の陪審員の中には、お金持ちの人、絶対に少年は有罪だと主張し続ける人、寡黙な人など、いろいろな人たちが集まっている。それらの人たちが、これまでの人生を通して自分自身が体験して来たことを順番に話すシーンは圧巻である。一つ一つの話があまりにも奥深いために、次は誰が口を開くのだろうと期待する。体育館という限られた空間の中で再現される、奥深い人生経験に基づいた様々なドラマは、観客の目を強く惹き付けて離さないだろう。

 本作には、大掛かりなセットや激しいアクションシーンも用意されていない。映し出されている映像のほとんどは、留置所に入っている少年の過去の映像と現在の映像、そして陪審員のいる学校の体育館である。たったこれだけのセットで、うなるほどの作品を作り上げてしまうのだから、とにかく驚きである。例え、大掛かりなセットや激しいアクションシーンを組み上げたとしても、鑑賞し終わったあとに人々の心に長く残るものがあるかと言えばそうではない。しかし、本作は違う。十二人の陪審員のように、さっさと決を取って解散してしまおうといった、冒頭のけだるそうな雰囲気から一転して、決を取る度に増えて行く無罪の票、そしてクライマックスまでを、それほど時間を経なくてももう一度見届けたい気持ちに駆られるのではないだろうか。

 強く惹き付けられたために、上映時間一六〇分という比較的長い作品であるにもかかわらず、ちっとも長さを感じなかった。劇場公開中に見逃してしまったことを思い出し、半ば偶然のような形でレンタルDVDショップで手に取った作品だったが、こうして第二のチャンスを見逃すことなく鑑賞することができて本当に良かったと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m エンターテイメント性の高い作品は、その場限りの楽しさに溺れてしまいがちですが、本作のような作品は、心が動いた分だけ深く印象に残ります。映画を鑑賞するなら、私はやはり、こういう作品が好きですね。とにかく、ブラボーであります。

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2009.09.03

イギリス英語とアメリカ英語

ホットヨガ(一六〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ああ、またしてもひどい記事をアップしてしまいました。いつもは朝の通勤中にアップして、昼休みに携帯電話からココログの管理画面にアクセスして推敲するというサイクルが出来上がっていました。ところが、昨日の記事は通勤中に書き上げることができず、そのまま出勤してしまいました。オフィスにはノートパソコンを持ち込んではいけない決まりになっているので、昼休みにコソコソと休憩コーナーで書き上げて、昼休みのチャイムが鳴る直前にアップしました。アップする前に推敲する時間がなかったので、とてもひどい記事になってしまったというわけです。申し訳ありませんでした。m(__)m これからも、このようなことがあろうかと思いますが、どうかそのときは、「ああ、またこんなひどい記事を書いているな」と笑ってやってくださいませ。(苦笑)

 「当たり前のことだけど、ヨーロッパで話されている英語はイギリス英語だということが良くわかったよ」
と、今回の旅の余韻を楽しんでいるガンモが言った。そう、確かにガンモの言う通りだった。日本で生活している私たちは、知らず知らずのうちにアメリカ英語に馴れ親しんでいる。映画というと、イギリス英語のfilmよりもアメリカ英語のmovieのほうが親しみ易い。垂直に移動できる乗り物についても、イギリス英語のliftよりもアメリカ英語のelevatorのほうが浸透している。私がホットヨガの記事で良く使うインストラクター(instructor)という言葉も、講師という意味のアメリカ英語だ。それに対し、イギリス英語の講師はlecturerである。イギリス英語の空白はgap、アメリカ英語はblankだ。ロンドンの地下鉄では、"Mind the gap."というアナウンスが繰り返し流れている。

 パリの地下墓地カタコンブに出掛けたとき、入場待ちの列があまりにも長かったので、私は近くのマクドナルドで昼食を調達して、入場待ちの列に戻った。そのとき、私はお店の人には悪いと思ったのだが、英語で注文させていただいた。しかし、私の注文を聞いてくださったお店の方はフランス語専門の店員さんだったらしく、英語を話す別の店員さんを呼んで来てくださった。すべて注文し終わったとき、英語を話す店員さんに、
"to go?"
と尋ねられた。私はきっとテイクアウトのことだと思い、
"Yes, take out please."
などと答えた。このことをガンモに話すと、
「take outはアメリカ英語だよ。イギリス英語はtake awayだから」
と言われた。なるほど、私もそのことは知っていたのに、咄嗟に出て来たのは、いつも馴れ親しんでいるアメリカ英語の"take out"だった。

 とは言え、日本で使われている英語のすべてがアメリカ英語というわけではない。例えば、秋を意味するautumnはイギリス英語で、fallはアメリカ英語だ。日本では、どちらかと言うと、fallよりもautumnのほうが使われているのではないだろうか。

 学生時代に学んだイギリス英語が心地良くて、私は意識してイギリス英語を学習することを試みて来たが、日本で英語を学ぼうと思うと、どうしてもイギリス英語とアメリカ英語が混在してしまうようだ。イギリス英語を学ぶのに最適の教材と思われるBBCでさえ、時にはアメリカ英語も流れて来たり、また、英語が母国語でない人たちのインタビューなど、実に様々な国の英語が飛び交っている。

 ところで、旅行から帰って自宅のポストを見てみると、三ヶ月ほど前にeBayでイギリスの出品者から落札したOxford Reading Treeが届いていた。

三ヶ月以上も掛けて、イギリスから船便で届いたOxford Reading Tree

 中には、現在の表紙とは異なる古いタイプの表紙のものも含まれていたのだが、他の出品者よりも格安で出品されていたので、まとめて落札させていただいたのだ。これほど格安ならばと、ついでにエアメールではなく船便での発送をお願いしたところ、何と三ヶ月も掛けてイギリスからようやく届いたというわけだ。

 中を開けてみると、良く使い込まれ、かなり年季の入った本が多かった。どうやら、イギリスの小学校の図書館で使われていた本らしい。私は、この本でイギリスの子供たちが英語に馴れ親しんで来たのかと思うと、私自身もイギリスの子供たちの仲間入りができたような気がしてうれしくなった。ピカピカの新品もいいが、こうして多くの人たちに読まれた証が刻まれているものもいい。


良く使い込まれたこれらの本は、イギリスの小学校の図書館で子供たちに読まれていたものだった

 ガンモは、発送されてから手元に届くまでに三ヶ月も掛かったことを受けて、
「近くまで行ってたんだから、取りに行けば良かったのに」
などと言った。日本のオークションでは、しばしば近くに住む出品者から手渡しで落札商品を受け取ったことがあるが、世界をまたぐオークションでそんなことが実現できたら、きっと楽しいことだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m TOEICのスコアがなかなか伸びないので、また新たな英語学習法を模索し始めました。(苦笑)Oxford Reading Treeを読むのはとても楽しいし、純粋なイギリス英語を学べるとは思うのですが、すぐに実力がつかないので、やきもきしています。こうした学習の積み重ねがスコアに現れるのはわかっているのですが・・・・・・。(苦笑)

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2009.09.02

ホットヨガ(一六〇回目)

「イエス」を言わない国民性の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m テロなどの行為が多発したため、空港内の手荷物検査の係員はキリキリしているようですね。特に上海の空港ではそうでした。思わぬところで水分の入ったボトルを指摘され、こちらもうんざり、あちらもうんざりといった感じでした。昔よりもずっと便利な時代になっているはずなのに、今のほうがいろいろなところに不便を感じてしまうのは何故でしょうか。

 八月最後の土曜日は、神戸店でライトコースのレッスンを受けた。神戸店閉店のお知らせを受けたものの、私にはまだ実感が沸かなかった。それに加え、八月の週末は何かと予定が入り、神戸店でホットヨガのレッスンを受けることができなかった。

 それなのに、派遣会社の主催するTOEICのIPテストが八月の最終土曜日に大阪(梅田)で行われるという。私は、できればTOEICのIPテストを受けておきたかったが、梅田まで出掛けてしまえば、神戸店でレッスンを受けるよりも、TOEICのIPテスト会場のすぐ近くにある梅田店でレッスンを受けたほうが断然都合が良い。しかし、そうなると、神戸店の営業日数が残り少なくなっているというのに、神戸店でレッスンを受けられなくなってしまうことにやきもきしていた。八月最後の土曜日を逃してしまえば、あとは神戸店の最終営業日である八月最後の日曜日しかレッスンに参加することはできないのだ。とは言え、派遣会社の主催するTOEICのIPテストは、少なくとも向こう二ヶ月は開催される予定がないらしい。はてさて、どうしたものか。

 そんな状況の中、あれこれ思い悩みながらも、私はここのところ、あまり英語の勉強をしていないことを理由に、派遣会社主催のTOEICのIPテストは申し込まず、神戸店でホットヨガのレッスンを受けることを優先させることにした。午前中のビギナーコースのレッスンを申し込んでいたのだが、いよいよレッスンを翌日に控えた金曜日、仕事中にキャラメルを食べていると、口の中に何か固いものがカチリと当たった。「何だろう?」と思いながら取り出してみると、何と、それは三年ほど前に歯医者さんで詰めてもらった金属だった。少し前にガンモにも同じことがあり、歯医者さんで新しい詰め物を詰めてもらったばかりだ。しかも、ガンモはついうっかりして、取れた金属の詰め物を飲み込んでしまったのだ。健康診断のときに、レントゲンに怪しいものが映っていなければそれでいいと、楽天的なガンモは言った。

 今の仕事の忙しさからすると、平日に半休を取って歯医者さんに出掛けて行くことは難しい。それならば、土曜日の午前中に歯医者に行っておいたほうが良い。私はそう思い、レッスンの予約を午後から行われるライトコースに変更した。そして、土曜日の朝、いつもお世話になっている歯医者さんに電話を掛けて、診察の予約を取った。取れた金属を持参すれば、そのまま詰めてくださるのかと思っていたのだが、かつて詰めていたときよりも歯が欠けてしまっているとかで、新しい型を取ることになってしまった。そのような状況に陥ってしまったので、取れた金属をそのままにせずに、レッスンの予定を変更して歯医者さんの診察を受けて良かったと思った。

 さて、ライトコースのレッスンだが、他のレッスンに比べると比較的緩いレッスンとなっている。私はこれまでに二回ほど、神奈川県のラビエでリラックスコースのレッスンを受けたので、ライトコースとリラックスコースの比較を行いたかった。これまでにもライトコースのレッスンは受けたことはあるのだが、そのときはリラックスコースのレッスンを受けていなかったので、比較することができなかったのだ。

 ラビエで開催されているリラックスコースのレッスンが骨盤への刺激を意識したポーズで構成されているならば、ライトコースのレッスンは、立ちポーズ以外の寝ポーズや座位のポーズを中心として構成されていた。以前、レッスンを受けたときには気づかなかったのだが、ライトコースのレッスンでは、猫のポーズのように四つんばいの格好を取るポーズも多かった。ラビエで行われているリラックスコースでも猫のポーズは出て来たが、やはりライトコースは全体的に、ラビエで行われているリラックスコースのレッスンとは異なる分野をカバーしていると感じた。

 今回のレッスンに参加していたのは、私を入れて十八名の参加者だった。ちなみに、レッスンを担当してくださったのは、先週のレッスンを担当してくださったインストラクターである。やはり、保冷専用ボトルの効果もあってか、緩いレッスンであるにもかかわらず、たくさんの汗をかくことができて、満足感いっぱいだった。

 レッスン終了後も、インストラクターは神戸店の閉店については何もおっしゃらなかった。ただ、受付には確かに、私の手元に届いた葉書と同じような文章が掲げられている。

 シャワーを浴びたあと、着替えを済ませて受付に行くと、店長さんが一人で対応してくださった。「本当に神戸店は閉店してしまうのでしょうか?」思わずそんな言葉が口から出掛かったものの、やはりその言葉を奥に引っ込めた。私は、神戸店で行われる最後のレッスンに参加しようと、翌日の神戸店の営業最終日の最終レッスンに予約を入れていた。神戸店が本当に閉店してしまうのか、そのすべてを見届けたいと思っていたのだ。

この日のレッスンで着ていたピンクのガネーシャのTシャツ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 以前からそうでしたが、レッスンのあとは、ホットフラッシュのように顔がひどくほてります。このとき感じる私の顔のほてりが冷えのぼせの現象と仮定するならば、ホットヨガのレッスンを受けた身体は全体的に温まっているはずなので、おそらく違うのでしょうね。以前、激しいレッスンのあとには頭が痛くなることが多かったのですが、最近はそうした状況も落ち着いて来ました。そのとき分析したのは、頭に酸素が足りなくなるために、頭が痛くなるのではないかということでした。それが事実ならば、頭に酸素を送り込もうとして血流が盛んになり、顔がほてっているのかもしれません。このとき、首の後ろをカイロを巻き込んだタオルマフラーで温めると調子が良くなるので、もともと首の後ろの血流があまり良くないのでしょうね。肩こりに悩まされ易いのも、そのせいかもしれません。ああ、それにしても、神戸店の閉店・・・・・・。このあと、しっかり見届けることになります。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.09.01

「イエス」を言わない国民性

映画『マドモワゼル -24時間の恋人-』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 映画『灯台守の恋』が製作されたのは、本作の三年後です。内容は、クレールの即興スピーチとは若干異なっているのですが、どちらの作品もフィリップ・リオレ監督が脚本を手掛けていらっしゃるので、おそらくベースにあるものは同じだろうと思います。フランス映画を鑑賞すると、曖昧ながらも、情緒的な雰囲気をたっぷり味わうことができるので好きですね。

 去年、シャルル・ド・ゴール空港からフランス入りした私たちは、イギリスのヒースロー空港と比べてあまりにも簡単な手続きで入国できてしまうことに拍子抜けしてしまった。ヒースロー空港では、入国審査を受けるために空港で二時間も待ったというのに、シャルル・ド・ゴール空港の入国審査では特に何も聞かれず、ほとんどスルーしたような状態だったので、私はフランスに対し、カムカムエブリバディの国というイメージを抱いていた。

 今回の旅では、去年と違い、行きではなく帰りにシャルル・ド・ゴール空港を利用した。出国時の手続きに関しては、どのようなものであったのか、もはや覚えていないくらい問題なくスルーできたと思う。問題があったのは、手荷物検査のほうだった。実は、私は普段から手荷物が多いためか、手荷物検査にしばしば引っ掛かるのである。

 私が機内に持ち込む電子機器は、デジタル一眼レフ、携帯電話、ノートパソコンなどである。これらの他に引っ掛かりそうなものは水分である。私は、目薬やコンタクトレンズの装着液などを次々に取り出して、空港に備え付けの透明ビニール袋に入れて、検査官の見えるところに出しておいた。これらの水分は、機内に持ち込める総量が決まっているのだ。

 実は、今年の三月に上海から帰国するときに、生理用布ナプキンと一緒に入れておいた液体の女性専用洗剤を外に出さずにゲートを通過してしまい、女性検査官に、
「これは何ですか?」
と尋ねられてしまった。私は、説明がややこしいので、
「液体洗剤です」
とだけ答えた。女性検査官は、女性専用洗剤の蓋を開けて、臭いを嗅いでいた。他にも、ピアスを外したあとに消毒するために持ち歩いている消毒液にも機械が反応し、機内に液体類を持ち込んではいけないとあれほど告知しているのにと、検査官がうんざりした様子で私を見ているのがわかった。そんな苦い経験から、今回はそのようなことがないように、あらかじめ液体類は透明な袋に出しておいたのである。

 ところが、私が手荷物検査のゲートを通ると、またしても検査に引っ掛かり、ピーンと鳴った。今回は、流した手荷物に関してはチェックが通ったようだが、私自身の身体のどこかに問題があるようだった。

 私は、フランス人の女性検査官から念入りな検査を受けた。美しい女性検査官は、私に両手を広げるように言った。言われた通り、私が両手を広げると、女性検査官は私に抱きつくようにして私の身体に不審なものがないか、チェックし始めた。その間、美しい女性検査官との距離があまりにも近かったので、私は自分自身が女性であるにもかかわらず、ちょっぴりドキドキした。

 やがて、私がズボンに付けていた万歩計を、女性検査官は探し当てた。そして、女性検査官の指示で万歩計を外すと、万歩計を籠に乗せてゲートに通すことになった。もちろん、私自身ももう一度、ゲートをくぐった。

 幸いにして、今度は何もアラームが鳴らなかった。しかし、美しい女性検査官は、私に「オーケー」とも何も言ってはくださらず、次の仕事に入ってしまった。私は一体どうなるのだろう? さっさと身支度を整えて、手荷物検査を終えてしまっていいのだろうか? 私は、女性検査官からの正式な許可の言葉がないので、しばらくその場に立ち尽くしていた。そして、その場に立ち尽くしながらも、「そうそう、こういうところがフランスなのよね」などと思っていた。

 隣のゲートでは、二人組の中国人男性が検査官と何やらもめていた。中国人男性は英語が話せないらしく、フランス人の検査官から、
「英語は話さないのですか?」
などと尋ねられていた。私は、その様子を横目に見ながら、きっと私自身はもう解放されてもいいはずだと思い、ゲートに通した手荷物をまとめて、静かにその場を立ち去った。

 その場を立ち去るときも、さきほどの女性検査官からは呼び止められなかったので、おそらく私のチェックは完了していたものと思われる。それにしても、再検査を受けたあとの結果をはっきりと知らせてくれなかったのは、フランスの国民性なのだろうか。受けはいいけれど、何となく曖昧で、決定的な結論を下さない。そんな国民性を、フランスの美しい女性検査官の態度に垣間見たのだった。隣の隣のゲートでは、何の問題もなくゲートを通ったガンモが涼しそうな顔をして、こちらを見ていた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 日本でも、わかり切ったことには反応しないところがありますよね。例えば、掲示板やメールのやりとりにおいても、よほど大きくうなずくような内容でもない限り、「イエス」の意思はスルーされてしまうことが多いように思います。でも、今回のような場合は、はっきりと「イエス」を言って欲しかったと思います。私はしびれを切らして勝手に身支度を整えましたが、もしももう一度呼び止められたらどうしようと、内心ビクビクしていましたから。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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