« ミニ・ヨーロッパ | トップページ | ガンまる、タリスに乗る »

2009.08.04

ブルージュ

ミニ・ヨーロッパの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 写真ではご紹介し切れていませんでしたが、鉄道のほか、道路には車が走っていたり、運河を渡る船なども再現されていました。ミニ・ヨーロッパは、大人も子供も一緒に楽しめる場所であります。

 ホテルの最寄駅から地下鉄に乗り、ベルギー国鉄に乗り換えて、ブリュッセルからおよそ一時間のところにある観光都市ブルージュへと足を伸ばした。ブルージュはかなり有名な観光都市らしく、世界各地からたくさんの人たちが集まっていた。ブルージュ駅を出てしばらく歩き始めると、いきなり美しい風景が目の前に広がって来る。まるで、街全体が倉敷の美観地区のようである。どの風景を切り取ったとしても、デスクトップの壁紙にできそうだ。

 私たちは、石畳の道をてくてく歩き、大きな広場の前を通り過ぎ、大きな建物の前に立った。そこは、三百六十六段もの細い階段がある鐘楼である。ガンモはガイドブックでこの場所を見付け、ブルージュの景色を見るためにてっぺんまで登りたいと言う。しかし、私は大変な高所恐怖症で、本当は飛行機に乗るのも怖い。ガンモと一緒にしばしば出掛けていた日本国内の鉄道乗り潰しの旅においても、外の景色を見たいというガンモが寝台特急列車の二段ベッドの下段をいつも陣取ってしまうために、高所恐怖症の私が二段ベッドの上段に寝なければならず、毎回、二段ベッドの簡易階段の昇降に震え上がっていたものだった。また、コンサートで二階の最前列の席に当たろうものなら、開演中は絶対に席を立つことができないほどの高所恐怖症なのだ。

 そんな私は、高所恐怖症でないガンモとともに、高所恐怖症のリハビリのために日本のあちらこちらの灯台にも足を運んで来た。私と同じように高所恐怖症の方ならおわかりいただけると思うが、高所恐怖症の人は、登るよりも降りるときのほうが恐怖心が強い。登ったはいいが、思うようには降りられないという危機感にさらされたことがこれまで何度あったことか。それなのに、ガンモはまたしても私を高所へと連れ出し、今度は三百六十六段もの細い階段を登ると言うのだ。私は最後まで抵抗し続けたが、ガンモはせっかくここまで来たのだから、上まで登りたいと言う。私はとうとう観念し、ガンモに荷物の一部を持ってもらうという交換条件のもとで、登頂の列に並んだ。

 さて、入場料を支払ってゲートをくぐると、いきなり細い階段があった。果たして、このような細い階段を上まで登って行くのだろうか? しかも、もっと上になると更に細くなり、登る人と降りる人が同時に通行することはできないという。私は歯をくいしばり、余計なことは一切考えずに階段を一歩一歩踏みしめた。いや、正確には踏みしめたというよりも、掴まる手すりがないところは手で階段を掴んだ。私はまるで四本足の動物のように、手が汚れることも気にせず、階段に手を伸ばしながら着実に進んだ。

 こうした特殊な場所においては、国籍に関係なく、譲り合いの精神が生まれる。各国の観光客たちは、私が必死で階段を掴んで歩いている姿を見守りながら、狭い通路の上に縮こまって通路を開けてくださった。電車では、降りる人のほうが優先だが、ここでは登る人のほうを優先してくれた。

 途中、休息コーナーのような場所がいくつかあり、私はそれらの場所に辿り着くと、椅子に座り、ゆっくり休んだ。いくつ目かの休息コーナーで休息を取ったとき、てっぺんまであと残り三十段余りだということがわかった。そこは、登り始めたときよりも確かに狭い階段になっていたが、私は気合を入れて登り続け、ついに登頂に成功した。あとから振り返ってみれば、思っていたほど苦痛ではなかった。

 鐘楼のてっぺんには金網が張り巡らされ、金網の間から美しいブルージュの街並みを見下ろすことができるようになっていた。私は、金網の間にカメラのレンズを滑り込ませ、美しいブルージュの街並みを撮影した。三百六十六段の階段を登ってほど良く疲れている身体に、あたかも「お疲れさん」と言ってくれるかのように、涼しい風が降り注いで来る。ああ、頑張ってここまで登った甲斐があった。私はそう思った。

 しかし、美しいブルージュの街並みを堪能したあと、いよいよ降りることになったとき、私の足はすくんだ。これを降りるの? 登るときは無我夢中であまり感じなかったが、やはり階段は細くて狭い。しかも、てっぺんにはたくさんの人たちがいて、私が降りようとするタイミングに他の人たちも一緒に降りて来ることになった。その人たちをお待たせしてしまってはいけない。私はそう思い、恐怖心に鞭を打って、最初の一歩を踏み出した。私は再び四本足の動物に変身していた。頑張れ、自分。ガンモも私のすぐ後ろから、掛け声を掛けてくれている。ガンモは、アメリカ人らしきお父さんが小さな息子さんのために、
"step, step"
と掛け声を掛けていたのを真似て、私にも、
"step, step"
と声を掛けてくれているのだ。

 のろい私のペースに合わせて降りてくださる他の方たちの優しい気遣いや、ガンモの掛け声に支えられながら、四本足の私は一歩一歩着実に降りて行った。途中、登る人たちとすれ違ったが、自分が登るときに道を譲ってもらったことを思い出し、階段の端のほうに身を寄せながら、登る人たちに道を譲った。登って来る人たちの中には日本人もいた。普段、海外に来ると日本人には声を掛けないのに、私はその日本人に声を掛け、
「あともう少しですから頑張ってください」
と言った。その日本人は、
「あとどれくらい登ればいいのか、誰も教えてくれなかったから助かります」
と言ってくれた。

 今、私たちが降りているこの細い階段は、一体何に例えられるのだろう。観光地という特殊な場所が、人々の中に譲り合いの精神を目覚めさせているのだろうか。私は、戦争のことを考えた。戦争はどうして起こるのだろう。みんなが、この細い階段での体験を活かせば良いのではないだろうか。そんなことを考えているうちに、私はほとんど降り切っていた。地上はまだだったが、私が大喜びしていると、私の後ろで私のゆっくりしたペースに付き合ってくださった方たちが、私を見ながら微笑んでくださっていたそうだ。私が喜びを表現していた場所は休息できるスペースだったので、私の後ろでゆっくりしたペースに付き合ってくださった方たちを先にお通しして、私たちはゆっくり降りた。

 間もなく私たちは無事に地上に着いた。地上に着いたあと、私はガンモに、
「三百六十六段なんて、ちょろいちょろい」
などと言った。途中、確かに恐怖心はあったものの、もっともっと大変なのかと思っていた。私は更に、
「やっぱり登って良かったよ。いい経験になった」
と付け加えた。高所恐怖症の恐怖心を克服できたわけではなかったが、国籍に関係なく、細い階段を譲り合う精神に触れられたことは、私にとって、大きな収穫だった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ブルージュをご覧ください。

※旅行アルバムでご紹介し切れなかった写真は、壁紙としてダウンロードできるサイトにアップロードしています。よろしければそちらもご覧くださいませ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 細い階段の上では、互いに言葉が通じなくても、相手を労わり、理解しようとする美しい精神がありました。人と人が理解し合うのは、言葉ではないと感じた瞬間でもありました。高所恐怖症に負けて、ここに登らない選択をしてしまえば、決して体験できないような貴重な体験ができたと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

« ミニ・ヨーロッパ | トップページ | ガンまる、タリスに乗る »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18521/45844747

この記事へのトラックバック一覧です: ブルージュ:

« ミニ・ヨーロッパ | トップページ | ガンまる、タリスに乗る »