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2009.08.06

パリの地下墓地カタコンブ

ガンまる、タリスに乗るの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。日本ほどではありませんが、日中のパリはとても暑いです。(苦笑)暑いので、ホテルの部屋に備え付けのクーラーを付けたまま寝たのですが、寝苦しくて目が覚めてしまいました。窓を開けてみたら、外のほうが涼しかったです。どうやら、日中と夜の気温さが激しいようですね。

 ホテルで朝食バイキングをとったあと、最寄駅のGare du Nordからメトロに乗った。メトロに乗るとき、ガンモは一年前にパリで購入したメトロの回数券を私に差し出した。メトロの料金は、一年前よりも値上がりしているのだが、回数券そのものは有効期限がないため、使用できるはずだとガンモは言う。しかし、一年前の回数券で自動改札を通ったときに警告が出てしまうのは恥ずかしいので、私を実験台に使おうと思ったらしい。私は、喜んでその実験に臨んだ。実際、私が一年前の回数券を自動改札機に通しても、警告は出なかった。その様子を側で見守っていたガンモは、手元に残っていた一年前の回数券を自分用に一枚取り出して、安心して自動改札を通り抜けた。こうして私を実験台に使うとは、ガンモも小心者である。

 メトロを乗り換え、Denfert-Rochereauで降りると、通りを挟んで向こう側の建物のあたりにたくさんの人たちが行列を作っていた。今回、私たちが目指したのは、パリの地下墓地カタコンブである。十八世紀に、人口増加のため墓地のスペースが足りなくなり、葬る場所がないためにあちらこちらに放置された遺体を、これまで鉱石などを掘るために使われていた坑道内に運び込んだのが始まりだったとか。カタコンブには、およそ七百万体の無縁仏の遺骨が葬られているという。

 長い長い待ち列は、カタコンブの入口近くの小さな公園のようなところまで曲がりくねった状態で続いていた。私たちは最後尾に並んだものの、ちょうどお昼どきだったので、ガンモが並んでいる間に、私が近くのマクドナルドに出向き、昼食を調達して来た。購入したのは、アントワープのマクドナルドで食べたのと同じヨーロッパ限定(?)の四角いハンバーガーとポテト、ドリンクのセットである。テイクアウト用に包んでもらったので、包みを開けるまで気付かなかったのだが、ポテトの形が面白かった。アントワープのマクドナルドでは、日本と同じく細長いフライドポテトだったのだが、パリのマクドナルドのポテトはフリッツだった。私たちは、行列を作って並んでいる間に昼食を済ませた。

 各国から観光客が訪れているらしく、入場待ちをしている間にいろいろな言語が聞こえて来た。とりわけ、英語圏からやって来た人たちが多いように思えた。入場待ちをしている間に、英語のヒアリングのレッスンができるのはありがたいことである。およそ一時間半ほど並んだのち、ようやく私たちも入場できることになった。入場料を支払い、中に入ろうとすると、「写真撮影は可能ですが、フラッシュは焚かないでください」とカタコンブのスタッフに言われた。

 中に入ると、まず、地下へと続く長い長い階段があった。私は思わず、ブルージュの鐘楼を思い出したが、今回は出口が別にあるので、一方通行である。これでもかというくらい長い階段を降りて、私たちはようやく地下に降り立った。空気がひんやりとしていて気持ちがいい。

 展示室のようなところを通り抜け、その先にある長い長い坑道を進んだ。カタコンブはパリ市内全域の地下に広がっているらしく、中は迷路のようになっているという。そのため、観光客用に公開されているのは、およそ一.五キロのコースだとか。指定されたコース以外の坑道に入ると迷ってしまい、自分自身が骨になってしまったという人もいるそうだ。

 先へ先へと歩いて行くと、何となく厳格な雰囲気の漂うゲートまでやって来た。おそらく、そこから先が無縁仏の葬られているスペースなのだろう。ゲートのようなところをくぐり抜け、中に入ると、そこには人骨が山積みにされていた。それを目にした途端、私たちも、そして他の観光客たちも言葉を失い、薄暗い坑道の中には人がたくさんいるというのに静寂が広がっていた。

 人骨は、何かの入れ物に入れられて大切に仕舞われているわけではなく、むき出しのままで、秩序を保ちながら山積みにされていた。どの骨が誰の骨なのか、もはやわからない。骨ごとにまるで薪(たきぎ)のようにまとめられ、ところどころにアクセントのように頭蓋骨が並べられている。ああ、これが三百年前に生きた人たちの遺骨なのか、と思う。足を踏み入れた直後は、重苦しい雰囲気に包まれていたが、人骨ばかりが積み上げられたコースを進むに従って、ここに葬られている人たちが何かこの世に恨みを持ってここに留まっているわけではなさそうだと感じた。

 様々な形で積み上げられた人骨は、およそ一キロに渡って続いていた。人骨の山がまだある、まだあると思いながら人骨の前を通り過ぎ、ようやく出口へと近付いて来た。途中、パリの地下水がポタポタと落ちている場所もあった。もしもポタポタどころかドバーッと地下水があふれ出して来たら、七百万体の人骨は再び行き場をなくしてしまうのだろうかとも思った。

 フラッシュを使った撮影は禁止されているにもかかわらず、観光客の中にはフラッシュを焚いて撮影している人たちが何人もいた。私は三脚を持たずにデジタル一眼レフを手持ちで撮影したため、手ぶれ写真が多くなってしまった。ガンモは、デジタルカメラの感度を千六百の高感度に設定して撮影していたため、手ぶれもなくきれいに撮影できたようだ。

 私たちはチェックされなかったのだが、出口では、中の人骨を持ち帰ろうとしている人がいないか、荷物チェックが行われているらしい。確かに手の届くところにむき出しのままで人骨が山積みされているので、誰でも人骨を持ち帰れる状況にはある。しかし、人骨を持ち帰る人は、一体何のために持ち帰るのだろうか? それもまた疑問である。

 山積みされた人骨は、いくつものオブジェのように私たち観光客の心の中に響く何かを落として行った。私の中に芽生えたのは、肉体を出て行った魂は、もはやかつての肉体には執着していないという感覚だった。それと、たくさんの人骨が一箇所に集められることで、個は潰されているが、「大きな一つ」を生み出しているということだった。私たちは、肉体を持っている間は自由意思を持ち、全体の中の単なる一つの存在に過ぎないが、ここに集められた七百万体の無縁仏は、肉体から離れることで自由意思を手放し、全体で「大きな一つ」を形成していた。つまり、One of themからOneへの変貌を遂げたように思えたのだ。生きるということは執着し続けることで、肉体を離れるということは執着から解放されることなのかもしれないとも思った。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、パリの地下墓地カタコンブをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回は、暗くて手ぶれ写真が多かったので、小さめのサイズのスライドショーを公開させていただきます。(苦笑)それにしても、積み上げられた人骨を初めて目にしたときは驚きました。最初のうちは、人骨を薪のように積み上げるなんて、死者に対して敬意が払われていないように感じたのですが、骨の種類ごとにきれいにまとめられているのを確認したとき、決してこれらの人骨が無造作に扱われているのではないと思い直しました。それに、ここに葬られていればたくさんの仲間たちと一緒なので、寂しくはないのではないか、とも思いました。更には、ここに収められた人骨は、自分への扱いが無造作であるとか、敬意が払われていないとかいうことはもはや気にせずに、次の段階へ進んでいると思いました。感じることや、考えるところの多い場所でありました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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