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2009年8月

2009.08.31

映画『マドモワゼル -24時間の恋人-』

長話には至らずの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。実際のところ、現在体験しているホットフラッシュの症状が更年期障害によるものなのか、それとも冷えのぼせによるものなのか、はたまた高血圧によるものなのか、良くわかっていません。ただ、軽い頭痛や肩こりを伴うこともあるので、もしかしたら高血圧によるものなのかもしれません。それでも筋腫の成長が止まっているのは、やはり冷え取り健康法のおかげなのだと思います。足を温めると、本当に調子がいいですから。とは言え、筋腫をかばいながら歩くので、人よりも歩くスピードはかなり遅いです。(苦笑)

 少し前に、映画『灯台守の恋』というフランス映画をDVDで鑑賞した。フランスのブルターニュ地方の田舎の雰囲気や、灯台守という特殊な職業が描かれた興味深い作品ではあったのだが、夫の目と鼻の先で起こる秘密の恋というテーマが私には合わず、レビューを書かなかった。本作を鑑賞したのは、それから数ヵ月後のことである。

 冒頭でいきなり主人公の女性クレールが薬局に入り、男性用シェーバー向けのクリームを求める。一方、クレールとほぼ同時刻に薬局に入って来た男性は、生理用ナプキンを求める。二人とも、購入時に店員から複数の商品の中から選択を迫られるものの、それぞれ異性の使うものを求めようとしているために判断がつかず、それぞれが自分の好みを口にして互いに助言し合う。何とも興味深いオープニングではないだろうか。

 そんなオープニングからいきなり本作に引き込まれたのだが、シーンが変わり、何やらクレールが見ている舞台のポスターが、かつて鑑賞した映画『灯台守の恋』を思わせるようなポスターであった。更にクレールは、コンベンション会場において、この度退職することになった会社の同僚に、灯台の模型を贈ろうとしている。実は、私は高所恐怖症を克服するために、ガンモと一緒に日本のあちらこちらの灯台に登ったのだが、これまで灯台の模型など、ほとんど見たことはなかった。しかし、クレールは灯台の模型を大事そうに抱えている。一度、退職が決まった同僚に贈ったはずの灯台の模型が、同僚に忘れ去られてしまったのだ。クレールは同僚に灯台の模型を届けようとするが、交通手段を失い途方に暮れているところへ、コンベンション会場で即興劇を見せてくれた役者たちがクレールを遠くの駅まで車で送ってくれるという。その即興劇団のメンバーの中には、クレールが薬局で出会った男性ピエールがいたのである。そこから、クレールを遠くの駅まで送り届けるための旅が始まる。

 本作の見どころは、クレールが即興劇団に加わり、ある裕福な家庭の令嬢の結婚式で、即興で灯台守の父の恋の話を祝辞に代えて述べるシーンだろう。コンベンション会場で即興劇団の出し物に感動したクレールが、自分自身も即興劇を演じたのである。実はそのときクレールが即興で語った灯台守の父の話が、のちにピエールの手によって舞台化されるというストーリーなのだが、更に面白いことに、私が数ヶ月前に鑑賞した映画『灯台守の恋』は、本作の脚本と監督を手掛けたフィリップ・リオレ監督の作品だったのである。しかも、クレールを演じているのは、映画『灯台守の恋』、映画『親密すぎるうちあけ話』で主演していたサンドリーヌ・ボネールだったのである。冒頭のシーンから、彼女をどこかで見たことのある女優さんだと思っていたら、そういうわけだったのだ。

 ちなみに、タイトルとなっている「マドモワゼル」は、クレールが久し振りに「マドモワゼル」と呼ばれたことから来ているようだ。そう言えば、去年、私もパリの街を歩いているときにうっかりスカーフを落としてしまい、それに気付いてくださった男性から、「マダム」と声を掛けられた。さすがに「マドモワゼル」とは呼ばれなかった。普段、「マダム」と呼ばれることに慣れている女性が、久し振りに「マドモワゼル」と呼ばれることへのうれしさを表現するために、タイトルに採用されたというわけだ。
 
 クレールもピエールも、互いに家族がありながらもじわじわと惹かれ合い、ついには結ばれてしまうという展開は私好みではないにしても、映画としての目の付け所はとても面白い作品だと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m フランス映画は押し付けがなくていいですね。登場人物がいつも受身の人生を歩んでいるという気がします。私も灯台は好きですが、二つの作品の監督と脚本を手掛けたフィリップ・リオレ監督も灯台がお好きなのでしょうか。本作は二〇〇一年の作品ですが、作品の中ではフランスの通貨として、まだフランが使われています。この頃にフランスを旅行していれば、二十年ほど前に使い残したフランを使うことができたんですよね。(苦笑)

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2009.08.30

長話には至らず

ホットヨガ(一五九回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。これを書いている今、神戸店での最後のレッスンを受けて来ましたが、神戸店が閉店してしまうということが、今でも信じられません。このあと、最後のレッスンも含めて神戸店で二回のレッスンを受けていますので、また追って書かせていただこうと思います。

 神戸店でホットヨガのレッスンを受けたあと、お昼ご飯を食べた私は、I医師の病院へと向かった。その日は、三ヶ月振りのI医師の診察の日だったのである。

 私とほぼ同じ時間に受付を済ませた女性がいらっしゃったので、この方もI医師の診察を受けるのだろうかと思っていたところ、受付を済ませて間もなくその女性と私の名前が呼ばれ、その女性と一緒にエレベータに乗ってI医師の診察室の前まで移動した。I医師の病院は完全予約制なので、受付を済ませるとすぐに名前が呼ばれるのである。

 二人のうち、どちらが先に呼ばれるのだろうと思いながら待合所のソファーで待っていると、私のほうが先に呼ばれたので、診察室の中に入った。三ヶ月振りにお目に掛かるI医師は、髪の毛がとても伸びていた。ガンモならば、私の顔を見る度に、
「切ってくれ!」
と私にリクエストし始める頃だ。

 I医師は私に、この三ヶ月間の生理の状況を尋ねてくださった。私は、
「以前よりもずっと出血量が少なくなりました」
と答え、
「筋腫の成長も止まっているのか、大きくはなっていないと思います。生理の前は膨張して固くなりますが、生理が終わってしばらくすると柔らかくなります」
と付け加えた。それに対し、I医師は、「うんうん」とうなずいていた。

 実は私には、夏休みの旅行から帰国してから、ホットフラッシュの症状が出始めていた。もしかすると、冷房で足を冷やし過ぎたために、単に冷えのぼせの症状が現れているだけかもしれないのだが、朝起きたときから既に顔がほてっていて、仕事中も顔だけが暑く、団扇でパタパタと顔を扇いでいるという状況である。その様子を、オフィスの空調の管理をしているおじさんに見られ、
「何で頭に帽子被って扇ぎよるん?」
と尋ねられた。そのおじさんは、私がかつてオフィスの冷房に苦しんでいたときに、力になってくださった方である。それ以来、顔を合わせる度に、
「寒ない(寒くない)か?」
と尋ねてくださるのだった。そのおじさんは、私が仕事中に冷房避けのために帽子をかぶり、長靴を履いていることもご存知である。それなのに、私が団扇でパタパタ扇いでいるものだから、疑問に思われたのだろう。私は、
「顔だけが熱いんですよ」
と答えた。

 私はI医師に、
「この春くらいにホットフラッシュの症状が出始めたんですが、いったん落ち着いていました。でも、ここ最近、またホットフラッシュの症状が出始めています。更年期が始まったんでしょうか?」
と言った。すると、I医師は、
「更年期が始まったのなら、筋腫の成長は止まるけれども、すぐには小さくはならないからね。でも、更年期には、ちょっと早いんちゃうん?」
とおっしゃった。そして、
「これ以上、筋腫が大きくならなければ、手術の必要はないでしょう」
と付け加えてくださったのだ。私の表情が明るくなったのは言うまでもない。

 I医師は、待合所にもう一人、患者さんが待っていらっしゃることをご存知のためか、今回は長話にはならず、
「じゃあ、今回も薬を三ヵ月分出しておきます」
としめに入った。私は慌てて、五月に受けた健康診断で、マンモグラフィーの検査結果として「良性石灰化」という診断が下されたことを持ち出してみた。I医師は、
「石灰化には良性と悪性がありますが、はっきりと良性と診断されていたなら、心配ないでしょう。カテゴリ2までなら大丈夫だと思いますよ」
とおっしゃった。私は、カテゴリの意味がわからず、
「クラスのことですか?」
と尋ねてみた。それに対し、I医師は、
「クラスとは違って、例えば背の高さだけで人間を分類するのではなく、背の高さに他の要素を加えて分類するのがカテゴリ分けです」
とおっしゃった。なるほど、そのカテゴリ分けの2までなら大丈夫ということらしい。そのとき私は、健康診断結果を持参してはいなかったのだが、あとから参照してみると、カテゴリを意味する数字かどうかはわからないが、良性石灰化は2または62と書かれてあり、どうやら心配しなくても良さそうだということがわかった。

 私は、気になっていたことをもう一つ、I医師に尋ねてみた。
「石灰水を多く含んだ水を飲んだりすると、石灰化しやすいのでしょうか?」
実は、去年、同じく健康診断でエコーの検査を受けたときに、要再検査の指示が出てしまった。そこでI医師のもとでマンモグラフィーの検査を受けたのだが、問題はなかった。そのときは石灰化の話は出なかったのに、今年の検査では良性石灰化という診断が下されたことが少し気になっていたのだ。というのも、去年、パリとロンドンを旅行したときに、石灰水を多く含んだ水道水を飲んだことが関係しているのではないかと考えていたからだ。そして、今年の旅行でも、私は気にせずブリュッセルやパリの水道水を飲んだ。水道水の水質が良いとされている日本でさえ、水道水は極力飲まずに、海洋深層水やフィルターに掛けた水を飲んでいるというのに。

 I医師は、私の疑問に対し、笑いながら、
「カルシウムをたくさん取ったからと言って、石灰化するわけではありません」
ときっぱりおっしゃった。私は、旅先でたくさんの石灰水を飲んでいたので、それを聞いて安心した。

 こうして、いつもよりも早めにI医師の診察は終わった。地元のクリニックで子宮体がんの検査を受けたときに、こちらで面倒をみると言われたことは、まったく話題に昇らなかった。私が検査に訪れたクリニックの院長は、I医師から私のMRIフィルムを取り寄せるとおっしゃっていたが、I医師と連絡は取れたのだろうか。それ以前に、私がクリニックの次の予約を入れていないので、それ以上の話は進んでいないのかもしれないとも思った。もしもI医師から、クリニックの様子を聞かれたら、
「商売熱心な女医さんですね」
と感想を述べようと思っていたのに、残念である。私はやはりこれからも、I医師のもとで診察を受けたいと思った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 完全予約制で待ち時間の少ないI医師の診察は、時間を効率的に使いたい私にはとても合っていると思います。今回は、他の患者さんが待合所で診察待ちをしていらっしゃったので長話はできませんでしたが、また別の機会にいろいろなことを尋ねてみたいと思います。特に、エストロゲンの影響による婦人科系のトラブルを抱えている人は、乳がんへの心配もあろうかと思います。私の場合、筋腫という小さな症状で婦人科にかかることができたのは、これから本格的に迎えるであろう更年期や、乳がん、子宮がんなどの知識を得るためにも、大変心強いことだと思いました。

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2009.08.29

ホットヨガ(一五九回目)

高額通信費の代わりに得たものの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 確かに家の中にあるはずなのですが、失くしたメディアはまだ見付かりません。(苦笑)もしかすると、今は私自身に旅行アルバムを作成する時間的な余裕がないために、落ち着くまでどこかに隠れているのかもしれません。その状況にあまり目くじらを立てても仕方がないので、その間にリアルタイムの記事を更新させていただくことにします。今回は、およそ一ヶ月振りのホットヨガの記事であります。

 私の通っているホットヨガスタジオ・オーを経営している親会社から、ある日、一通の葉書が届いた。何だろうと思いながら目を通してみると、それはとても悲しいお知らせだった。八月三十日をもって、私が通いつめた神戸店が閉店してしまうというものだったのだ。そして、この葉書を受け取った数日後、私はおよそ一ヶ月振りに神戸店でレッスンを受けた。

神戸店閉店のお知らせ葉書

 葉書を受け取ったとき、まず最初に頭に思い浮かべたのは、神戸店でお世話になったスタッフの顔だった。おそらく、神戸店を閉店させるという兆しは、私たちがこの葉書を受け取るずっと以前からあったのかもしれない。そうした内部事情を知った上で、最後まで神戸店で働くことができるということが素晴らしいと私には思えたのだ。私自身が同じような問題に直面したとき、彼女たちと同じ選択ができるだろうかとも考えた。

 どのような顔をして受付に顔を出せばいいのか、私は少し戸惑った。扉を開けて受付のスタッフにあいさつをすると、そこにはいつもお話をさせていただいているスタッフが立っていた。私はひとまず、苦笑いをした。ロッカーの鍵を受け取るときに神戸店閉店の話になり、とても残念であることと、最後まで神戸店で頑張っていらっしゃる姿に感動しましたと伝えた上で、残りの言葉を呑み込んだ。いつもお話をさせていただいているスタッフは、
「大丈夫ですか? 通えますか?」
と気遣ってくださった。そう、私は少し前に五十回回数券を購入したばかりだった。前回の回数券の繰越もあったので、私の回数券は五十回以上、残っていた。私は、
「三宮店も梅田店もありますし、通えますよ」
と答えた。神戸店のスタッフは、これからどうなるのだろうと思ったが、敢えて聞かずに私は支度を整えてスタジオに入った。

 今回、参加したレッスンは、六十分のビギナーコースだった。夏休みでしばらく不在にした上に、帰国後も横浜で野外ライブに出掛けたり、またその翌週は身体をゆっくり休ませたい気持ちがあったりと、レッスンに出掛けなかった。帰国直後に横浜に滞在したときに、川崎のラビエでレッスンを受ける計画もなかったわけではないのだが、さすがにその計画は見送った。そのため、しばらく身体が鈍ってしまっているだろうと思い、ビギナーコースのレッスンを選んだのである。

 私と一緒にレッスンに参加していた人たちも、きっと複雑な思いを抱えていらっしゃることだろう。特に、ビギナーコースのレッスンを受けている人たちは、入会されてからまだ日が浅い人もいらっしゃるはずだ。神戸市内には、ほかに三宮店もあるが、利用している交通機関などの関係で、三宮店よりも神戸店のほうが通い易いという方もいらっしゃるかもしれない。スタジオ内は、いつになくしんみりとした雰囲気が漂っていた。

 レッスンの開始時間になり、スタジオに入って来たインストラクターは、さきほど受付であいさつをさせていただいたインストラクターだった。ああ、このインストラクターからここでレッスンを受けるのも、またこのスタジオに通うのも、本当に残り少なくなってしまったのだろうか。

 思えば、これまで私が足を運んで閉店してしまった支店はいくつかある。大阪の心斎橋店、同じく大阪の本町店、名古屋栄店などがそうだ。そしてこの夏、京都四条通店と京都駅前店も閉店してしまったが、来月の初めに、京都の二つのスタジオが合併したスタジオがオープンするらしい。確か本町店で働いていたスタッフは、梅田店や南森町店に勤務されるとうかがった。ということは、神戸店のスタッフも、三宮店や梅田店に勤務されることになるのだろうか。

 久し振りに受けたホットヨガのレッスンでは、ビギナーコースであるにもかかわらず、たくさんの汗をかいた。やはり、保冷専用ボトルに入れた冷たい水が効力を発揮しているようである。暑い夏でも、冷房の効いた部屋で過ごすため、汗をかかなくなってしまっているので、こうして心行くまで汗をかくと、とても心地の良い刺激になった。

 レッスンを終えたあと、いつものようにシャワーを浴びた。このシャワールームも、おそらく閉店後は取り壊されてしまうのだろう。そして、ロッカーも撤去されてしまうのだ。そんなことを思うと、これまで当たり前のようにここで過ごして来た時間が愛しくてたまらなかった。

 着替えを済ませて受付に行くと、店長さんと、さきほどのレッスンを担当してくださったインストラクターが見送ってくださった。伝えたい言葉がたくさんあるのに、何故か言葉にならなかった。

レッスンのときに着ていたTシャツ。この手は、一緒に書かれている真言の通り、オーン(オーム)を意味している。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 葉書を受け取ったときは驚きました。振り返ってみると、失った時間は大きいですね。私は神戸店のスタジオのすぐ隣にある映画館に入り浸り、ホットヨガのレッスンと合わせてほぼ一日中をそこで過ごしていたこともありました。その映画館が去年の十二月で閉館してしまい、今度は神戸店のスタジオの閉館です。映画館とホットヨガのスタジオのある九階は、テナントがなくなってしまうのでしょうか。本当に寂しいことです。

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2009.08.28

高額通信費の代わりに得たもの

難しいトイレ(6)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。このシリーズは、皆さんが楽しんでくださっているようで、とても光栄です。失くしたメディアが見付かれば、もう一つだけトイレの話題をお届けできるかもしれません。メディアはまだ見付かりませんが・・・・・・。(苦笑)

 飛行機の中では、携帯電話の電源を切ることが義務付けられている。日本を離れ、目的地に着いて飛行機を降りたあと、携帯電話のスイッチを入れると、携帯電話は何やらしきりに通信を始める。しばらくすると、私が契約しているdocomoから、海外での通信はパケホーダイ対象外であるとのメールが届く。パケホーダイとは、携帯電話に付属のメールや、様々なWebコンテンツをiモードで閲覧することで発生するパケット通信料を毎月定額で支払うサービスだ。ちなみに、私はこのパケホーダイに加入し、毎月三千九百円をdocomoに支払っている。この金額で、ひと月に何万通の携帯電話のメールを送受信しようが、また、どれほど多くのWebコンテンツをiモードで閲覧しようが、追加料金は一切掛からない。しかし、それは、日本国内においてのみである。ちなみに、携帯電話の通話料金はこれには含まれないので、別に支払うことになる。

 海外に出掛けると、パケホーダイのサービス対象からは外れてしまうものの、携帯電話に付属のメールや様々なWebコンテンツを利用できなくなるわけではない。docomoは、これらのサービスを海外でも利用できるように、海外の接続サービスと連携して、あたかも日本にいるのと同じようなサービスを提供してくれている。そのためには、日本にいるときに携帯電話を操作して、海外でもiモードを利用できるような設定にしておけば良い。

 とは言え、海外でiモードを使うと、ひどく割高なのである。去年、私たちはロンドンとパリでおよそ十日間の旅をしたが、そのときに私がdocomoに支払ったiモード通信料(正確には、WORLD_WING・iモード通信料)は八千円弱だったと記憶している。普段、日本においては、一ヶ月、いくら使用しても三千九百円しか支払っていないので、そのときはずいぶん割高だとは思ったものの、おそらく今年もそんなものだろうと思っていた。

 ところが今年は、登録している無料きせかえサイトなどから届くメールの数が多かったのか、およそ九日間で二万円を超えるiモード通信料が発生してしまった。去年の実績があったので、八千円程度なら許容範囲だと思い、気が緩んでいたのかもしれない。ガンモに、
「旅行中のiモード通信料が二万円を超えちゃったよ」
と言うと、ひどく怒られてしまった。

 海外に出掛けると、いろいろなものが高くつく。ガンモと携帯電話で話す通話料金にしても、日本にいればファミリー割引でいくら話しても無料なのに、海外に来ると、ガンモに対して国際電話を掛けなければならない。そう、私たちは二人とも日本で使用している携帯電話を海外に持ち込んだので、海外に居ても日本の携帯電話を使っていることになるのだ。そのため、すぐ側にいるはずのガンモに電話を掛けるのも、国際電話を掛けることになってしまうのである。おまけに海外では、電話を着信する側にも通話料が発生する。日本では、電話を掛けた側にしか通話料は請求されないのだが、海外では違うのである。

 更に、日本にいるときは、自宅で加入しているインターネットの接続サービス(毎月三千四百八十円)や、インターネットのプロバイダ(毎月二千四百十五円)、外出先で使用しているモバイルカード(まるみ:毎月五千九百八十九円、ガンモ:毎月およそ一万円)をそれぞれ月額固定で利用している。日本にいる限り、私たちが一日中、パソコンをインターネットに接続しっぱなしにしようが、毎月、これ以上の料金は掛からない。しかし、海外に来れば、これらのサービスは当然、利用することができず(加入しているインターネットプロバイダのメール受信を除く)、ホテルが提供しているインターネット接続サービスを利用することになる。

 私たちは、ブリュッセルのホテルでは、七日間で一〇八ユーロ(日本円で一万五千五円)、パリのホテルでは、三日間で十ユーロ(千三百九十六円)のインターネット接続料金を支払った。ブリュッセルのホテルはかなり高速のインターネットサービスを提供してくれていたのだが、七日間で一万五千五円とはあまりにも高過ぎる。一方、パリのホテルのインターネット接続料金はとてもリーズナブルだった。

 もともと日本で生活の基盤を築いているのに、日本から離れたところで新たに生活の基盤を整えようとすると、それなりにお金も掛かる。しかも、日本で加入しているのはほとんどが毎月定額のサービスだが、海外に出掛けてしまえば、私たちは流れ者であるがゆえに、毎月固定のサービスを受けることができない。そのため、どうしても割高のサービスを利用するしかなくなってしまうわけだ。しかし、このような出費も、年に一度か二度のことと割り切れば、何とか受け入れることができる。

 もちろん、私たちは失っただけではない。これらの代わりと言っては何だが、得たものもある。それは、飛行機のマイルだ。今回の旅で航空券を申し込んだとき、利用した航空会社がマイル二倍のキャンペーンを開催していた。そのおかげで、私たちの保有マイルは、二人合わせて十四万マイルにもなったそうだ。これだけあれば、エコノミークラスなら二人でヨーロッパを往復できるらしい。とは言え、これらのマイルも、もともとは私たちの働いたお金から出たものである。大事に使いたいものである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m おそらく、秋から冬に掛けて、マイルを使ってどこかに出掛けることになろうかと思います。冬のヨーロッパもいいですが、夏と比べてぐっと日が短くなるので、おそらくもっと近場の旅となるでしょう。オークションなどでは、貯めたマイルを航空券に変えて、他の人に格安でお譲りしている方もいらっしゃいますね。それもまた、その人なりの還元の仕方なんでしょうね。

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2009.08.27

難しいトイレ(6)

難しいトイレ(5)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。失くしたメディアを少しだけ探してみたのですが、見付かりませんでした。メディアが見付からないと、新たな旅行アルバムを作成することができません。というわけで、今回もガンモからの借り物の画像でトイレの話を書かせていただくことにします。

 あれは確か、パリの地下墓地カタコンブを出て間もなくのことだった。私たちは喉も渇いていた上にトイレにも行きたかったので、カタコンブ近くのスーパーに入った。しかし、そこで飲み物は調達できたものの、トイレをお借りすることはできなかった。がっかりしながら通りを歩いていると、目の前にパリの公衆トイレが見えて来た。トイレに行きたいと思っていたときに、パリで公衆トイレに出会えるのは実にラッキーである。しかも、パリでは最近、公衆トイレの利用料金が無料になったのだ。私は、実にタイミング良く現れた公衆トイレを利用しようと、公衆トイレの周りをぐるっと回ってみた。

パリの公衆トイレの外観
(撮影:ガンモ)

 しかし、これまでの私たちの経験から言えば、こうした公衆トイレは壊れていることが多い。ロンドン郊外のグリニッジにあった公衆トイレのように、用を足している最中に扉が開いてしまったらどうしたらいいのだろう。そんな心配もなかったわけではないのだが、これからまだまだパリの街を散策する予定だったので、私は思い切ってこの公衆トイレに入っておこうと思った。

 ところが、使い方が良くわからない。扉を開けるには、一体どこを押せばいいのだろう。そんなことを思いながら、物珍しげに公衆トイレを眺めていると、通行中の男性がささっと公衆トイレのボタンを押して、「どうぞ」と扉を開けてくださった。パリの人たちは観光客に優しい。私はその男性にお礼を言い、開いた扉の間から恐る恐る中を覗き込んだあと、中に入った。

パリの公衆トイレの便器
(撮影:ガンモ)

 中を見て驚いたのは、便座のない、とても不思議な便器だったということだ。便座がないので、私は中腰になって、お尻を浮かせたまま用を足した。その昔、日本のおばあちゃんたちは、田植えの最中にこんな格好をしてどこかで用を足したかもしれない。今、私が取っているポーズは、きっと伝統的なポーズなのだなどと自分に言い聞かせた。

 ところが、いよいよ流す段階になって気が付いたのだが、便器を洗い流すためのスイッチがどこにもないのだ。トイレの仕掛けに注目してみると、このトイレは折り畳み式のように見えた。どうやら扉が閉じられたときに、トイレを丸ごと洗浄する仕掛けがあるらしい。そこで私はトイレから出て、扉を閉めるボタンを押してみた。すると、扉が閉まるとともに、何やらトイレの中で洗浄が始まっているようだった。やれやれである。私に続いて、ガンモがこのトイレを利用したのだが、ガンモが使用するときには、確かに便器はきれいに洗浄されていた。

 ちなみに、通行中の男性が何故、この公衆トイレが現在使用中でないことを見抜いたかというと、公衆トイレのボタンの色で、現在使用中か空いている状態かがわかるようになっていたようだ。

Occupied:こちらは、使用中の状態
(撮影:ガンモ)

こちらは、空いている状態
(撮影:ガンモ)

 通行人の男性は、このボタンを見て公衆トイレの状態を確認し、私に扉を開けてくださったようである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 意外にも小さな便器で驚きました。しかも、男性用とも女性用ともつかぬ中性的な便器でありました。(苦笑)扉が閉まると、トイレ全体を洗浄するなんて、日本人には思いもつかない発想ですよね。確かに、去年、フランスの別の地域で、便座を水洗するトイレにも出会っていますので、あまり驚きませんが・・・・・・。(苦笑)

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2009.08.26

難しいトイレ(5)

映画『サガン -悲しみよ こんにちは- 』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。フランスの女流作家というと、私の中ではサガンのほかにもう一人、頭に思い浮かぶ人がいます。中国人男性とご縁のあった『愛人/ラマン』のマルグリット・デュラスです。単に男女の愛の感情面の表現方法だけを比較するならば、デュラスは淡々としているように見えても、実は心の中に熱いものを秘めていたような気がします。

 二十年ほど前にツアーでヨーロッパを回ったとき、宿泊したロンドンのホテルのトイレの便器の横にもう一つ、小さな便器のようなものが設置されていた。私は、それが何であるのかわからずに、「もしかすると、子供用の便器なのだろうか? それとも、洗濯をするところなのだろうか?」と判断しかねていた。そのとき参加したツアーは十二日間のツアーだったのだが、ロンドンから旅が始まったばかりだったので、まだ洗濯物は溜まっていなかった。もしもその小さな便器のようなものに出会ったのが旅行の後半であったならば、私は戸惑いながらもそこで洗濯をしていたかもしれない。その小さな便器のようなものがビデだということを知ったのは、ずいぶんあとになってからである。

 さて、今回、ブリュッセルで宿泊したホテルにも、私がかつてロンドンのホテルで見たのと同じようなビデが備え付けられていた。いまどきの日本では、ビデは便器に備え付けられているというのに、わざわざビデだけを便器の横に設置しているのは贅沢である。

ブリュッセルのホテルのトイレ
手前:便器 奥:ビデ
(撮影:ガンモ)

 調べてみると、このタイプのビデは、その昔、お風呂がまだ普及していなかった時代に、性交後の女性性器を洗浄するために設置されたのだそうだ。どうやら、その頃の習慣が今でも残っているらしい。しかし、何故だろう。ホテルに宿泊して、バスタブに浸かったり、シャワーを浴びたりすることには何ら抵抗はないのに、ビデを使うのは抵抗がある。目的が一つに限られているからだろうか。

 ちなみに、ビデの使い方は、栓をしたあと蛇口をひねり、お水やお湯を出して貯めて、便器とは反対方向にまたがって性器をじゃぶじゃぶ洗うらしい。いやはや、私には到底できない。だから、そっと眺めるだけにしておいた。

 やはり、海外のトイレは難しい。海外のトイレをじっくり楽しむために、難しいトイレをカテゴリ化しておいた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回の旅では、デジタル一眼レフを持参して、三枚のメディアに撮影したのですが、実は、そのうちの一枚を、今週の日曜日に自宅で紛失してしまいました。(苦笑)そのため、ブリュッセルの後半からパリの画像が手元にありません。はてさて、困りました。おまけに、九月半ばの納品に向けて仕事がとても忙しくなり、数ヶ月振りの残業生活が始まってしまいました。かつてよりも出勤時間が早くなっているので、残業しながら記事を更新して行くのは正直、きついですね。そんな状況なので、失くしてしまったメディアを本格的に探す時間がなかなか取れないでいます。今度の週末にでも探してみますが、何しろ小さなメディアなので、モノが溢れ返っている我が家で見付かるかどうか・・・・・・。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.08.25

映画『サガン -悲しみよ こんにちは- 』

パリで宿泊したホテルの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 一部のガイドブックなどによると、Gare du Nord(パリ北駅)周辺はあまりガラがよろしくないといったことが書かれていますが、私はそんなふうには思っていません。確かに他の地域に比べれば、移民系の外国人が多い場所ではあるのですが、だからこそ、私たちも何となくその場に溶け込むことができるのです。さて、今回は、久し振りに映画のレビューを書かせていただきますね。

 映画のメモを書き留めているノートには、この映画を鑑賞した日付として七月十日が記されている。ということは、一ヶ月半あまりも前に鑑賞したことになる。ちょうど、「ガンまる日記」も夏休みの旅行の出来事を綴っている最中なので、フランスが舞台となっている本作のレビューは、これまでの記事とそれほどギャップがないかもしれない。

 サガンというと、若い頃、一時的に読みあさった記憶がある。薄い文庫本で何冊も出版されていたので、それほど時間を掛けずに読破することができた。サガンの作品に登場する主人公たちはどこか冷めていて、とてもけだるそうな上流階級の匂いがした。サガンの生涯を描いた本作を鑑賞したとき、サガンの文章にどうしてこうも冷めた感じが漂っていたのか、ようやくわかった。彼女は、生涯を通じて、自分の探していたものにとうとう巡り合えなかったのだ。だから、本当は求めて止まないのに、あたかも何も求めていないかのような素振りをしたかったのではないだろうか。そして、あのけだるそうな上流階級の主人公は、サガンが自分自身を投影させた存在だったのではないだろうか。

 デビュー作『悲しみよこんにちは』が大ベストセラーになったとき、サガンはわずか十八歳だった。若くして大金を手にしたサガンは、ギャンブルに明け暮れ、湯水のようにお金を使った。本作を鑑賞する限り、サガンは遊び友達には恵まれているように見える。しかし、彼女の友人たちは、彼女と一体何で繋がっていたのだろう? 少なくとも、心ではなさそうだ。私には彼女の友人たちが、彼女の富という蜜にたかる蟻のようにも見えた。

 派手な遊びを繰り返していれば、お金はいつか底をついつしまう。やがて、サガンは落ちぶれて行く。これまで、著名人の生涯を描いた多くの作品を鑑賞して、毎回感じることは、彼らには必ずと言っていいほど栄枯盛衰があるということだ。例えば、サガンを演じていたシルヴィー・テステューがピアフの親友モモーヌ役を演じていた映画『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』、映画『マリア・カラス 最後の恋』など、人生のある時期に著しく輝いて、のちに運気が下降して行く人生を描いた作品は、他にもたくさんある。「人生、山あり谷あり」という言葉があるが、成功を収めた人ほど、山と谷の差が激しいようにも思える。大物になるには、上昇する覚悟だけでなく、下降する覚悟も必要なのかもしれない。

 私たちが、彼らの生き方から私たちが学ぶことがあるとすれば、現在、人生の谷を迎えている人たちは、深い谷の分だけ、今度は高い山を迎えることができるということなのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 例えお金がたくさんあったとしても、また、友達がたくさんいたとしても、決して幸せにはなれないということを象徴している作品であるようにも思えます。サガンは、何かを求める前に、ひとまず現状を受け入れて、満足することを知る必要があったのかもしれません。しかし、もしも彼女にそれができていれば、あのけだるそうな文章は生まれなかったのかもしれません。

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2009.08.24

パリで宿泊したホテル

涼しい夏の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。旅行の記事を綴っているうちに、リアルタイムの出来事も着実に進んで来ました。それらの出来事も綴っておかないと、どんどん過去のものになってしまうのですが、実のところ、できれば写真を交えながら綴っておきたい旅行の記事がまだまだあるのです。しかし、写真の整理に思いのほか時間が掛かってしまい、仕事のある平日には、旅行アルバムの作成と「ガンまる日記」の記事の同時更新を実現できそうにありません。とは言え、旅行の記事を書いてしまわないと、リアルタイムの記事も綴れないので、ちょっと困りました。そこで、できれば、仕事のある平日はリアルタイムの出来事や映画の記事を少しずつ書かせていただきながら、旅行アルバムとは連携しない旅行の記事も書かせていただいて、比較的時間に余裕のある週末に旅行アルバムの作成と「ガンまる日記」の同時更新をさせていただこうと思っています。もちろん、平日であっても、時間に余裕がある場合は、できる限り旅行アルバムもまとめたいと思っています。

 ブリュッセルで宿泊していたホテルをご紹介したので、今度はパリで宿泊していたホテルをご紹介することにしよう。パリで私たちが宿泊していたのは、去年も利用した実績のあるHOTEL DE LA GARE DU NORDである。ブリュッセルで宿泊していたブリュッセル・ヒルトン・ホテルよりは庶民的でこじんまりした部屋だったが、何よりもGare du Nord(パリ北駅)からとても近いことが便利でありがたかった。

 タリスに乗ってブリュッセルからパリまで移動した日、私たちは、
「去年、フロントで対応してくれたあのお兄ちゃんに、また会えるかな」
という淡い期待を胸に抱きながら、ホテルの入口をくぐった。私たちは、去年の滞在中、フロントで最も多く対応してださったお兄ちゃんに好感を持っていたのだ。私たちのお気に入りのお兄ちゃんは、まるでテレビドラマにでも出て来るような模範的なフロントマンだった。しかし、私たちがチェックインしたとき、フロントを切り盛りしていたのは別の人だった。結局、二泊三日の滞在中、私たちがそのお兄ちゃんと顔を合わせることはなかった。去年も働いていたスタッフは他にもいたというのに、私たちのお気に入りのお兄ちゃんには会うことができなかったのである。

 さて、私たちの部屋は五階だった。実は、HOTEL DE LA GARE DU NORDには、映画に出て来るような引き戸と自動ドアがセットになった、定員二人くらいの小さなエレベータがある。エレベータが到着すると、まず、中の自動ドアが開く。エレベータを利用する人は、中の自動ドアが開いたのを確認したあと、手前の引き戸を引いて、エレベータに乗り込む。日本でお目に掛かるほとんどのエレベータには、自動ドアしかないはずである。そのため、私たちには、手前に引き戸のあるそのエレベータがとても珍しかった。

 珍しいエレベータで五階に着いた私たちは、もう一度、部屋番号を確認した。フロントで渡されたカード入れには、五〇一と書かれている。私たちは、エレベータのすぐ近くにある五〇一号室に、電子ロックを解除するカードを通した。すると、あろうことか、中から人が顔を出したではないか。どうやら部屋を間違えてしまったようだ。しかし、私たちがカードを通したのは、間違いなく五〇一号室だ。もしかすると、フロントの人が間違えたのだろうか? その部屋に宿泊している人を安心させるため、私たちはひとまず謝り、そして戸惑いながら、フロントで渡されたカード入れをその方に見せたところ、その方はニコニコしながら、フロアの奥のほうを指差してくださった。どうやら、私たちの部屋は、もっと奥のほうにあるらしい。

 フロントで渡されたカード入れをもう一度確認してみると、五〇一と読めるものの、一の真ん中には点のようなものが添えられていた。どうやらこの数字は、一ではなく七だったようだ。私たちは五〇七号室を目指し、間もなく五〇七号室の前に立つと、フロントで渡されたカードを恐る恐る通した。今度も間違いだったらどうしようと心配だったが、部屋の鍵は音を立てて開いた。やれやれである。

 私たちが宿泊した部屋は、ダブルベッドが部屋のほとんどを占めているような造りだったが、それでも、クローゼットの中には本棚のような仕切りがいくつもあり、私は長期滞在者に使い勝手がいいように設計されたこの部屋がとても気に入った。

 冷蔵庫の設備はなかったが、それほど困らなかった。シャワールームに備え付けの全身シャンプーは、ヨーロッパの人たちから漂って来るような独特の匂いを放っていた。去年、初めてその全身シャンプーを使ったとき、何となくその匂いに慣れなかったのだが、今ではすっかり抵抗感もなく、むしろ懐かしいくらいの気持ちに包まれた。ありがたいことに、シャワーヘッドは固定式ではなく、自由に動かすことができたので、私たちはシャワーヘッドを好きな角度に向けながらシャワーを浴びた。ただ、シャワーカーテンがなかったので、シャワーを浴びると、すぐ隣にあるトイレの周辺がびしょびしょになった。

 さて、滞在中、エレベータが故障してしばらく使えなかったことがある。そのとき私たちは、朝食を終えてグランドフロアー(〇階)にいた。日本の感覚ならば、エレベータが止まっているので、五階まで階段で昇ろうという気にもなるだろう。しかし、ここはヨーロッパである。私たち日本人にとっての一階は、こちらのグランドフロアー(〇階)に相当し、その上に一階があり、更に二階、三階へと続いている。つまり、ヨーロッパの五階は日本の六階に当たるのだ。私たちは、まだかまだかと思いながら、必死に階段を昇った。実質、日本で言うところの六階まで階段を昇り、ようやく五階に辿り着いた。荷物の少ない朝食のあとでまだ良かったと思う。チェックイン時にスーツケースを持って五階(日本で言うところの六階)まで運ぶのは本当に大変だったことだろう。

 今回のパリは、わずか二泊三日という短い滞在だったが、またパリに来ることがあれば、是非ともここに泊まりたいと思っている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今年は、ホテルに到着するなりコインランドリーで洗濯をして、部屋のあちらこちらに洗濯物を干していたので、ホテルの部屋の写真は撮りませんでした。(苦笑)ところで、去年、食堂で朝食バイキングの用意をしてくださっていた女性スタッフは二人ともいらっしゃいませんでした。一年も経てば、働いている人も変わって行くのですね。でも、そんな中でも何人か、去年と同じスタッフに出会うことができたので、ホッとしました。些細なことではありますが、こういう感覚が、旅行中に安心感をもたらしてくれるのでしょうね。

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2009.08.23

涼しい夏

ブリュッセルで宿泊したホテルの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今回の旅では、ブリュッセルとパリのホテルに滞在したあと、横浜のホテルに宿泊した私たちですが、そこで、あるギャップを感じてしまいました。それは、ブリュッセルのホテルもパリのホテルも、部屋の鍵はカードを使用した電子ロックだったということです。しかし、横浜のホテルでは、フロントに預けたり、また、受け取ったりする、いわゆるアナログ式の鍵でした。この鍵は、例えばその部屋に宿泊していない人がフロントに部屋番号を告げれば、フロントの人は鍵を渡してしまうかもしれないんですよね。例えば、私たちが野外ライブに出掛けている間に、第三者が私たちの部屋番号をフロントに告げれば、フロントの人は私たちの部屋の鍵をその人に渡してしまうかもしれないのです。そのことをガンモに言うと、ガンモは、「日本はそれだけ安全だってことだよ」という答えが返って来ました。もちろん、日本においても、電子ロック式のホテルも中にはありますが、確かに自動販売機がたくさんあることからしても、やはり治安がいいのかもしれませんね。

 私たちが旅行中、ブリュッセルの最高気温は二十四度から二十七度くらい、パリはもう少し高く、二十七度から三十度くらいだった。ロンドンでもそうだが、涼しい夏のヨーロッパには、様々な格好をした人たちがいる。半袖Tシャツで過ごしている人たちもいれば、長袖シャツを着ている人たちもいる。時には、ダウンジャケットや冬のコートを羽織っている人までいる。おそらく、生まれ育った国の夏の気温を身体が覚えてしまっているのだろう。

 涼しいベルギーに滞在中、ガンモは半袖Tシャツの上に半袖シャツを着て過ごしていた。私はというと、半袖Tシャツの上に日本から持ち込んだボレロ(冬、寝るときにパジャマの上に羽織るタイプのもの)を着て、その上に更にもう一枚、半袖Tシャツを重ねていた。もちろん、首にはスカーフを巻いていた。しかし、ボレロを半袖Tシャツの間に挟んでいると、昼間は少し汗ばむくらいだった。そこで、ボレロを脱いで、首に巻き着けたスカーフも取り去り、半袖のTシャツを二枚重ね着しただけで活動してみたところ、ちょっと涼しげでいい感じだった。途中で寒くなっても困らないように、サイドバッグの中にはいつもボレロとショール、それから薄手の長袖ジャケットを用意していた。

 ところが、アントワープに出掛けた日は、朝から雨がしとしと降っていて、これまでよりも気温が少し低かった。おそらく、最高気温が二十一度くらいまで下がっていたのではないだろうか。私は、こんな日のために、サイドバッグの中に忍ばせていた薄手の長袖ジャケットを取り出して着込んだ。もちろん私は、自分の分だけでなく、ガンモの分も一緒に用意していた。

 去年、ロンドン郊外のグリニッジに出掛けたときも、雨が降ってかなり寒い思いをした。半袖Tシャツの上に毛糸のベストしか羽織っていなかった私はブルブル震えていた。そのとき、私はガンモの分の毛糸のベストも持参していたというのに、ガンモに毛糸のベストを勧めても、ガンモは、
「要らない」
と言って着ようとはしなかった。どうやらガンモは、半袖シャツの上から毛糸のベストを着るのが嫌だったらしい。しかし、今回のアントワープでは、私が差し出した薄手の長袖ジャケットを黙って着た。

 珍しくガンモが私の差し出した薄手の長袖ジャケットを着たので、
「寒かったの?」
と尋ねると、ガンモは、
「うん、寒かった」
と答えた。私には、素直に私の差し出した薄手のジャケットを着たガンモの態度が何ともおかしかった。

 その後、私たちは少し暑いパリに移動した。少し暑いパリは、十九時頃まで日差しが強かったのを覚えている。それでも日本の暑さと比べれば、ずいぶんマシだった。湿度がそれほど高くないからだろうか。暑くても、不快感がないのである。

 そんな旅を一週間余り続けて日本に帰って来たものだから、私たちの身体は日本の暑さになかなか慣れなかった。暑い、暑い。とにかく暑い。しかし、日本では、暑さをしのぐにはクーラーしかなく、クーラーに頼ると今度は足が冷えて上半身がのぼせてしまい、体調がおかしくなりそうだった。夏の一番暑いときに、涼を求めて日本を脱出してしまった罰だったのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 日中はまだまだ暑いですが、朝と夜はずいぶん涼しくなりましたね。こうして秋を迎えることになるのでしょうが、とにかく日本の、とりわけ、関西地方の夏の暑さは異常です。(苦笑)今までこんなに暑かったのでしょうか。身体がクーラーに慣れてしまって、なかなか汗をかかなくなってしまったために、暑い夏を越せなくなって来たのでしょうか。それとも、地球の温暖化が確実に進んでいるのでしょうか。一時的に暑い日本を脱出することが出来たとしても、帰国してから暑さに苦しむことになってしまったわけです。(苦笑)

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2009.08.22

ブリュッセルで宿泊したホテル

トラムに一目惚れの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ベルギーのトラム、お楽しみいただけたでしょうか。そう言えば、日本の路面電車は、車体に広告が入っているものが多いですが、ベルギーのトラムにはほとんど広告は入っていませんでした。それと、日本のほとんどの路面電車にはロングシートが採用されていますが、ベルギーのトラムは地下鉄同様、クロスシートが採用されています。日本の路面電車が詰め込み式なのに対し、ベルギーのトラムは一人でも多くの人が座ることができるように配慮されているのかもしれません。

 今回は、私たちがブリュッセルで宿泊していたホテルをご紹介することにしよう。私たちが宿泊していたのは、ブリュッセル・ヒルトン・ホテルである。

 朝、伊丹を発った私たちは、十一時間余りかけて、成田からオランダのアムステルダムにあるスキポール空港に降り立った。およそ二十年前に、ヒースロー行きの飛行機に乗り換えるためにスキポール空港に着いたときは夜中だったので、外の明るい今回は、まるで別の空港にいるかのような気がした。

 アムステルダム行きの飛行機を予約したとき、利用する航空会社が無料でサービスを行っているブリュッセル行きの高速バスも一緒に予約しておいた。出発前はその無料バスの情報が極端に少なく、利用する航空会社に問い合わせても、現地でもう一度尋ねてみてくださいという答えしか返って来なかったので、到着してすぐに迷子になってしまわないか、とても不安だった。

 しかし、スキポール空港に到着するや、私たちは日本語の話せるスタッフに案内され、予定していたブリュッセル行きの無料バスに無事に乗り込むことができた。ありがたいことに、無料バスでは、飲料水や地図を無料配布してくださった。至れり尽くせりのサービスである。

 この無料バスは、途中、アントワープやブリュッセル空港に停車したあと、終点のブリュッセル・ヒルトン・ホテル前に到着した。スキポール空港に到着したのが現地時間の夕方で、それから一時間余りのちに無料バスに乗り込み、ブリュッセルまでおよそ二時間半掛けて高速道路を走った。今回の旅の行程を組んだとき、私たちはそこから更に別のホテルまで移動する元気はもう残っていないだろうと予測し、普段はあまりご縁のない、この五つ星ホテルに五連泊することにしたのである。

 ヒルトンと言えば、三年前にハワイに出掛けたときに、ハワイのタイムシェア・コンドミニアムを購入しないかとご提案いただいた。しかし、私たちはそのお話をお断りした。あのとき、タイムシェア・コンドミニアムを購入していれば、今回のヒルトンはもう少し安い金額で宿泊できたかもしれないとも思う。

 それはさておき、私たちのチェックインを担当してくださったのは、日本語の話せる女性スタッフだった。中国などでは、日本人観光客へのサービスを行き届かせるために日本語を話せるスタッフが多いのは良くわかるのだが、ここは日本から遠いブリュッセルである。さきほど利用した航空会社の無料バスの案内スタッフと言い、ブリュッセル・ヒルトン・ホテルのフロントの女性と言い、日本語が話せるなんて驚きである。彼女たちは、当然、英語も自由に話せるはずである。それでなくても、ブリュッセルはフランス語とオランダ語が共存する街なので、一体ここに住む人たちが何ヶ国語を話せるのか、とても不思議だった。

 チェックインを済ませて部屋に入ると、落ち着いた感じの広い部屋だった。机と椅子、ソファーとテーブルのほか、ダブルベッド、クローゼット、金庫などが備えられていた。また、冷蔵庫や電気ポット、コーヒー、紅茶なども用意されていた。有料だが、冷蔵庫には飲み物も入っていた。

 シャワールームには、ボディーソープやシャンプー、コンディショナー、乳液などのセットがきれいに並べられていた。バスタブは思いのほか広かった。ただ、シャワーについてはシャワーヘッドが固定されてしまっていたため、シャワーヘッドではなく自分の身体を動かして身体を洗い流さなければならなかった。また、ヨーロッパではほとんどのホテルがそうだが、水圧が低く、お水もお湯も、決して勢い良くは流れない。そのため、何となく洗い足りない気持ちも残ってしまうのだった。

 ホテルの部屋から眺める景色はなかなか良かった。夏のヨーロッパは二十一時頃まで外が明るいので、私たちがチェックインしたときもまだ外は明るかった。

 ところで、宿泊中、とてもビクビクしていたことがある。というのも、トイレットペーパーが補充されないことがあったからだ。ブリュッセル・ヒルトン・ホテルに備え付けのトイレットペーパーは、一日で使い切ってしまいそうな上品で小さな二枚重ねのトイレットペーパーだった。最初のうちは、掃除係の方がトイレットペーパーの予備を置いてくださっていたのだが、連泊しているうちに、三泊目くらいからか、トイレットペーパーの予備を置いてくださらなくなってしまった。

 私たちは、
「ベルギーではチップは不要とガイドブックには書かれてあるけど、もしかすると、チップが要るのかな?」
と不思議がっていた。しかし、ガイドブックには確かに、ベルギーやフランスではチップで生活している人はいないと書かれていたらしい。そのため、私たちは部屋の掃除をお願いするときに枕元にチップを置いて行かなかった。もしかすると、そのことが原因で、トイレットペーパーの予備を置いてくださらなかったのだろうか。

 四泊目の夜、ビクビクしながらホテルに戻ってみると、やはりトイレットペーパーの予備は置かれていなかった。こんなときは、フロントに電話を掛けて、トイレットペーパーを持って来てくれるようにお願いすればいいのではないかと思うのだが、今度はその行為に対してチップが必要なのかどうかわからなかったので、私たちはフロントに電話を掛けるのをためらった。とは言え、三泊目の夜は、節約すれば何とかやり過ごせるくらいの量が残っていたが、さすがに四泊目の夜となると、あと数回もトイレットペーパーを回せば芯が見えて来てしまいそうだった。それでも、幸いにして、もしもトイレットペーパーが底を尽きてしまったとしても、洗面所には柔らかいティッシュペーパーが設置されていた。

 節約しながらも、私がトイレットペーパーを使っているうちに、ついに芯が見えて来てしまったので、私たちはとうとう洗面所に設置されている柔らかいティッシュペーパーに手を出してしまった。きっと柔らかいから大丈夫。そう、言い聞かせて、何とか追加のトイレットペーパーを持って来てもらうことなく、最後の夜を迎えた。

 そして五泊目の夜、ホテルに帰って来た私たちは安堵の息を漏らした。トイレットペーパーは補充され、予備のトイレットペーパーもちゃんと置かれていた。このときほど、トイレットペーパーの大切さを実感したことはなかった。これまでは、掃除係の人がうっかり忘れていたのだろうか。

 一つだけ気になっていたことは、石鹸やボディソープ、シャンプーなどを置いてくださる位置が、トイレットペーパーの予備が置かれていなかった三泊目と四泊目だけ、少しずれていたことである。もしも毎日のようにホテルの部屋を掃除することを日課としている人が掃除を担当してくださったのならば、これらの位置が前日とずれることはないだろう。ということは、トイレットペーパーの予備が置かれなかった日だけ、別の方が掃除を担当してくださったのかもしれない。そのとき、うっかり予備のトイレットペーパーを補充するのを忘れてしまったのではないかと思った。

 かなりビクビクした出来事だったので、私たちにとって、ブリュッセル・ヒルトン・ホテルでの一番の思い出と言えば、五つ星ホテルの優雅な雰囲気ではなく、トイレットペーパーを節約したことになってしまったのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ブリュッセルで宿泊したホテルをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなり、申し訳ありません。思ったよりも写真の整理に時間が掛かってしまっているようです。旅行中は、その日に起こったメインの出来事のみを綴っていたので、撮影した記録メディアのあちらこちらから写真を探し回ることはなかったのですが、今回のホテルの記事のように、宿泊したホテルに関する写真を集めるとなると、撮影した記録メディアのあちらこちらから画像を持って来ることになるため、思わぬ時間が掛かってしまいました。おまけにパソコンの性能もあまり良くないので、何だかしっちゃかめっちゃかですね。(苦笑)

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2009.08.21

トラムに一目惚れ

おいしいはなしの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 旅行中、どうしても野菜の摂取量が少なくなりがちだったので、私は日本から粉末の酵素を持参して、体内酵素が不足しないように心掛けていました。ちなみに、持参した粉末の酵素は白い粉で、ボトルガムの入れ物にたっぷり入れて行きました。白い粉をスプーンですくって口に含むのは、ちょっと怪しかったかもしれませんね。(苦笑)

 ブリュッセルに着いた翌日、私たちはブリュッセルの街へと繰り出して、小便小僧や小便少女などの名所を観光した。そのとき、ブリュッセル市内を走るトラム(路面電車)に出会った。何を隠そう、私は路面電車が大好きで、最近はほとんど更新が滞ってしまっているものの、全国の路面電車を紹介する路面電車のはなしというブログも立ち上げているくらいだ。

 そんな私が、ブリュッセルのトラムに一目惚れしてしまった。何とかわいいのだろう。正面の愛らしいカーブと、どっしりとした、いもむしのような安定感がたまらなく私を魅了したのである。

 日本の路面電車は、かつてはいろいろな街に存在していた。しかし、自動車や歩行者との共存が難しかったのだろう。確かに、路面電車の走る街を訪れてみると、路面電車の走る線路の上を自動車が走ったり、また、路面電車を降りた停留所が車道にひどく近かったりと、常に危険が伴うようである。

 それでも、ブリュッセルではトラムが大活躍していた。購入した地下鉄とトラムの三日間の乗り放題切符で自由に乗り降りすることができるので、私たちは心置きなく何度もトラムを乗り降りした。

 私たちの場合、トラムに乗車すると、乗り口に設置されている自動改札機に三日間の乗り放題切符を通す。不思議なのだが、ベルギーではほとんどの人たちが切符を購入していないように思えた。というのも、日本と違い、地下鉄もトラムも切符を自動改札機に通すことは任意なのである。その代わり、車掌さんが切符のチェックにやって来たときに切符を持っていないと、高いペナルティが課せられるようだ。日本のように、改札の入口でも出口でも自動改札機に通して念入りにチェックされるようなことはないのである。そのため、地下鉄の入口に設置されている自動改札機もひどく消極的なもので、ほとんどの人たちがそこに切符を通さずに素通しりしているように思えた。同様に、トラムに乗車したときに切符やICカードを通す自動改札機も、ほとんどの人たちが利用していないように思えた。ベルギーだけでなく、ヨーロッパの国々の多くが、切符を自動改札機に通すことは任意だが、切符を持っていないときに高いペナルティが課せられるとう方式を採用しているようだ。

 ベルギーでトラムが走っているのはブリュッセルだけではなかった。アントワープでも、ちょっと古めかしいトラムが走っていた。日本で走っている路面電車は、かつてどこかの街で走っていた別の路面電車のお古だったりする。例えば、かつて岐阜を走っていた名鉄の路面電車は、引退したあと、豊橋鉄道にもらわれて行った。もしかすると、アントワープを走っていた路面電車も、どこかからもらわれて来たお古の車両なのかもしれない。

 それにしても、私はどうしてもこうも、路面電車に魅了されてしまうのだろう。列車のために特別に用意された線路ではなく、自動車や歩行者とうまく共存しながら走っているからかもしれない。トラムは、線路を走る電車や自動車と一緒に道路を走るバスよりも、地元の人たちの生活に深く根付いているようにも思える。また、停車しているときの静かな音と動き始めるときの切り替え音のギャップが、私にはどうにもこうにもたまらないようなのだ。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、トラムに一目惚れをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ベルギーで何が一番気に入ったかと言えば、やはりトラムですね。(笑)そのため、ガンモに提案して、地下鉄で行けるようなところでも、積極的にトラムを利用して移動していました。ちなみに、トラムは地下鉄との乗り換え駅でも走っていました。その場合は、当然、トラムも地下鉄に合わせて地下を走ります。そのときは路上の停車場ではなく、地下鉄と同じ駅の構内に停車します。皆さんも、ベルギーに足を運ばれたときは是非ともトラムにご乗車くださいませ。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.08.20

おいしいはなし

ルーベンスの家の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。「ガンまる日記」を読んでくださっている方たちの中には絵画ファンの方もたくさんいらっしゃるのかもしれませんね。きっと皆さんのほうが、私よりもずっと詳しいはずです。(笑)ルーベンスの家(ルーベンスハウス:Rubenshuis)は、当時の社交の場にもなっていたようです。私もその頃に訪れていれば、当時の有名人たちと会えたのにと思うと残念です。(苦笑)

 今回は、私たちが旅行中、どんなものを食べていたかについて書いてみようと思う。これまで、食べ物については、ブリュッセルで食べたムール貝タリスの中でとった昼食などをご紹介して来た。しかし、ベルギーと言えば、まず最初に頭に思い浮かべるのがベルギーワッフルだろう。ガンモ曰く、日本で売られているベルギーワッフルは固いが、本来のベルギーワッフルは柔らかくて横長なのだそうだ。そこで、私たちも本場の(?)ベルギーワッフルを味わってみることにした。

 アントワープで食べたベルギーワッフルは、表面にジャムが塗られ、生クリームが添えられていた。ジャムの酸っぱさに押され気味になって来たら、生クリームをつけてホッとするような感じである。これがなかなかおいしい。それから、小便小僧の近くにあったワッフル屋さんには、様々な種類のベルギーワッフルが並べられていた。どれもおいしそうだが、私はガンモが買ったチョコレート塗りのベルギーワッフルを少し分けてもらった。ガンモの家系は糖尿病とずいぶん深いご縁があるというのに、ガンモ自身もまた、甘いものに目がない。私はいつも、ガンモが甘いものを食べ過ぎるのを監視しているのだが、時には監視し切れないことも多い。一方、私はというと、甘いものよりも辛いもののほうが好きである。だから、自分から積極的に甘いものを食べることはあまりないのだ。ちなみに、チョコレート塗りのベルギーワッフルもまた、おいしかった。

 小便小僧、そしてチョコレートと言えば、小便小僧のすぐ近くにあるチョコレート屋さんに、小便小僧の形をした巨大チョコレートの像が飾られていた。ガラス越しに撮影したのでずいぶん見にくいが、小便小僧が小便をしている様子が見事に再現されている。JR浜松町にある小便小僧も、そろそろチョコレートの小便小僧に取り替えてみてはどうだろうか。

 それから、ブリュッセルのホテルで食べた朝食バイキングをご紹介しておこう。ご覧の通り、野菜が少ない。野菜もほんの少しは並べられているものの、量が少ないのですぐになくなってしまう。緑の生野菜を好んで食べているのは日本人観光客ばかりである。こちらの人たちはあまり生野菜を食べる習慣がないのだろうか。ソーセージやハム、卵といった動物性の食べ物が多いのが特徴である。また、パリでもそうだが、ブリュッセルにおいても、朝食バイキングのメニューに乳製品が多い。私は筋腫があるので、エストロゲン過多になりやすい乳製品は極力控えている。一方、ガンモは乳製品が好きなので、様々な種類のヨーグルトやチーズなどをおいしそうに食べていた。また、ドライフルーツが食卓に並ぶのも珍しい。

 ブリュッセル滞在中、動物性に片寄った食事にとうとう堪えかねて、フルーツや生野菜を中心とした朝食に切り替えてみた。というのも、いつも拝読しているメルマガで、朝食は果物だけにしたほうが良いと、しきりに勧められていたからだ。日本で朝食を果物だけに切り替えるのは、かなりコストが掛かる。というのも、果物だけで満足感を得ようと思うと、一度にたくさんの果物を食べなければならないからだ。朝の早い時間から活動していると、特にお腹が空くので、できればお昼ご飯までにたくさんの果物を食べておきたい。そこで、私はこのときぞとばかりに、ホテルの朝食バイキングでフルーツを山盛り食べてみた。すると、飲み物はほとんど必要ないことに気が付いた。果物に水分がたっぷりと含まれているため、果物を食べるだけで喉の乾きが潤されるのだ。確かに、いつも拝読しているメルマガにもそのようなことが書かれていたが、これまで実践してみたことはなかったので、半信半疑だったのだ。なるほど、これが自然な形で水分を補給するということなのかと実感した。

 ブリュッセルのホテルでは、朝食バイキングの席に着くと、コーヒーにするか紅茶にするか、尋ねられる。ガンモはいつもコーヒーだが、私は筋腫のためにコーヒーも紅茶も控えているので、朝食バイキングの飲み物コーナーにあるハーブティーのティーバッグをもらい、紅茶にすると答えた。すると、小さなポットに熱いお湯を入れて持って来てくださるのだ。

 ところで、ブリュッセル滞在中、私は普段、仕事で疲れたときに飲んで元気をもらっている栄養ドリンクが飲みたくなり、ベルギー国鉄の駅の自動販売機を探し歩いた。しかし、そんなところに栄養ドリンクがあろうはずもない。それでも、何やら変わった入れ物に入った飲み物を見付けたので、これはジュースではなく栄養ドリンクに違いないと思い、ボタンを押した。すると、出て来たのはアルコール五.二%と書かれたベルギーのビールだった。しかも、冷えていなかったので、その日は五百ミリリットル入りのそのビールを一日持ち歩くことになってしまった。

 旅行に出ると、どうしても外食が多くなるので、私たちはせめて夕食だけでもホテルの部屋で食べようと、スーパーでパンとカット野菜、マカロニサラダなどを買って来て、パンに挟んで食べた。ジュースもスーパーで買って来て、ごくごく飲んだ。私にとっては、ガンモと一緒にサンドイッチを作って食べる時間が、旅行中、最もくつろげる時間となった。外に出ていると、自分たちを周りと合わせようとする意識が働いてしまう。しかし、ホテルの密室で夕食を食べることは、周りに左右されず、自分らしさを保ったままくつろげる貴重な時間となったのだ。

 パリのホテルも朝食バイキングだった。やはり、生野菜のメニューはほとんどない。私はパリのホテルでも、朝食に果物を積極的に食べていた。そのせいだろうか。旅行中も、帰国してからも、しばらくずっとお腹が緩かった。おそらくデトックス効果が現れ始め、腸がきれいになりかけていたのかもしれない。もう少し果物中心の朝食を継続していれば、私の身体に大きな変化が起こっていたかもしれないと思うと、少し残念ではある。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、おいしいはなしをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ブリュッセルでも、パリでも、ホテルの朝食バイキングには生野菜が少なく、乳製品や動物性のたんぱく質が多いことがひどく気になっていました。私の参加しているMLにそのことを投稿すると、乳製品の特産国となっているオランダでは、乳がんの発生率がトップなのだと教えていただきました。オランダは、今回訪問したベルギーとも隣接していますね。乳製品を取り過ぎるとエストロゲン過多に傾くということを、乳製品を好むヨーロッパの人たちに教えてあげたいですね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.08.19

ルーベンスの家

紙コップを差し出す人たちの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。街角で堂々と物乞いをしている人たちの総数からすると、やはり日本は豊かな国だと思います。ただ、それ以前に、他の国から移住して来た人たちの絶対数が少ないというのもあるのかもしれません。海外で外国人が生き残って行くのは、定職を得るという面においても、なかなか難しいのでしょうね。

 アントワープを訪れたとき、バロック時代の画家であるルーベンスの家(ルーベンスハウス:Rubenshuis)にも足を運んだ。ルーベンスが生まれたのはドイツだったが、ルーベンスのご両親がアントワープ出身だったらしい。ルーベンスが十歳のときに父が亡くなったことをきっかけに、母はルーベンスを連れてアントワープに戻って来たそうだ。そして、十四歳頃から絵の勉強を始めたとか。

 アントワープにあるルーベンスの家は、一六一〇年から五年間かけて建築された、ルーベンス自らが設計したアトリエ兼住居を修繕したものなのだそうだ。入場料は一人六ユーロ、日本円にしておよそ八百二十二円である。市立博物館なので、入場料は他の博物館に比べて少々割安かもしれない。

 入場券を購入すると、荷物をコインロッカーに入れるように言われた。また、写真は屋外のみ撮影可能で、室内では撮影禁止だとも言われた。

 入口をくぐって中に入ると、室内には数十点のルーベンスの作品が展示されていた。印象としては、まず、描かれているキャンバスが大きい。そして、描かれている対象物の質感がたまらなくいい。絵の中の果物や花、動物などが、まるで本物ではないかと錯覚してしまうほどの質感を漂わせているのだ。

 そう言えば、私はかつて同じような絵を鑑賞したことがあることを思い出した。過去の記憶を探ってみると、二〇〇四年に神戸市立博物館で開催されていた「栄光のオランダ・フランドル絵画展」に足を運び、フェルメールらの作品とともにルーベンスの作品も鑑賞していた。「栄光のオランダ・フランドル絵画展」というタイトルだったので気付かなかったのだが、名作「フランダースの犬」がオランダを舞台にした話ではなく、オランダとベルギー、フランスをも含むフランドル地方の物語であったように、「栄光のオランダ・フランドル絵画展」にも、アントワープにアトリエを構えていたルーベンスの絵画が展示されていたのである。確かそのときも私はルーベンスの絵の前で立ち止まり、その質感に酔いしれた覚えがある。時間を掛けて大きなキャンバスに描かれた絵は、きっと何かの一シーンに過ぎないはずなのに、その前後に一体何が起こっていたのかを容易に想像させるだけの表現力を持っていた。

 ルーベンスの家の中には、世界各国からたくさんの観光客が訪れているはずなのに、室内はとても静かだった。多くの人たちが携帯電話に耳を傾けていると思っていたら、携帯電話ではなく、オーディオ・ガイドだった。オーディオ・ガイドは入場券を購入したところで借りられたらしいのだが、気付かなかった。とは言え、このあとノートルダム大聖堂で名作「フランダースの犬」のネロ少年が見たがっていたルーベンスの絵を見ることになっていたので、英語のオーディオ・ガイドに熱心に耳を傾けていれば、ノートルダム大聖堂で過ごす時間がもっと少なくなってしまっていたかもしれない。

 素晴らしい質感にあふれた数々の作品にため息をつきながら、おばけ屋敷のような造りの室内をすべて鑑賞し終わると、私たちは順路に沿って中庭に出た。中庭には、たくさんの花や木が植えられていて、とてもきれいに手入れされていた。至るところに彫刻が設置され、ルーベンスが金銭的にもかなり恵まれた状況にあったことをうかがわせた。

 ただ、中庭の感想を正直に述べさせていただくならば、個人的には、去年、訪れたクロード・モネの邸宅と庭園のほうが断然好みである。というのも、モネの庭は、ルーベンスの家の中庭と違って自然な形のお手入れが行き届いていて、とてもくつろげる場所になっているのだ。しかし、ルーベンスの家の中庭はきれいに手入れされ過ぎていて、愛着が沸かなかった。

 中庭に置かれた裸の女性の彫刻の前で、西洋人のカップルが写真撮影をしていた。男性がその彫刻のおっぱいをつかんでいる様子を女性が撮影していたので、彼らが立ち去ったと、ガンモもそれを真似てその彫刻の前に立った。ところが、ガンモは背が低くて彫刻のおっぱいまで手が届かず、膨れっ面になってしまった。改めて、西洋人の背の高さに驚かされてしまった。

 訪問台帳があったので、gammaruと書いて来た。ため息のたくさん出て来たルーベンスの作品に対し、Wonderfullとコメントしたのだが、あとから考えると、l"エル"が一つ多かった。綴り間違いで恥ずかしい。考えてみれば、もともとgammaruだって、ガンモの英語表記はgummoなので、gummaruとすべきなのだ。だから、私たちが立ち上げているガンまるコムサーバも、gammaru.comではなくgummaru.comにすべきだった。それを考えると、Wonderfulのl"エル"が一つ多くなってしまったことくらい、かわいいものだ。そんなことを思いながら、私はルーベンスの作品を鑑賞したときとは違うため息をついた。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ルーベンスの家をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ルーベンスの作品を前にして、私は本当にため息ばかりついていました。ため息しか出ない状況というのは、本当にあるんですね。いやはや、ネロ少年が見たがっていたという気持ちもわかるような気がします。

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2009.08.18

紙コップを差し出す人たち

洗濯日和の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ホテルの部屋に干した洗濯物は、暑くてもクーラーをかけずに窓からの風を取り入れると、すぐに乾きました。去年、コインランドリーでおじさんから教わったことを他の人たちにも伝えるために、またいつか、あのコインランドリーで洗濯をすることができるといいのですが。(笑)

 海外旅行に出掛けると、しばしば街角で出くわすのが物乞いをする人たちである。そうした人たちに出会う度に、日本という国がいかに豊かな国であるかということを実感せずにはいられない。というのも、私たちは鉄道乗り潰しの旅をしながら、日本のいろいろな地域を訪れたが、私の記憶する限り、日本においては物乞いおばあちゃんくらいしか遭遇していないからだ。しかし、海外においては違う。もちろん、ブリュッセルやパリも例外ではない。

 パリでは、去年、メトロやRERの中で物乞いをしている人たちに出会った。ブリュッセルでは、観光客の多い教会の前で、紙コップを差し出して物乞いをする人に遭遇した。いきなりのことで驚いたのだが、その後、繁華街を歩けば、物乞いをする人たちがたくさんいることに気が付いた。例えば、肌を露出させたくない国の人たちが、地べたに頭をこすりつけるようにして座り込み、祈るように紙コップを差し出していた。中には、寝ている子供を抱いたままでじっと動かない人もいた。

 お隣の中国に出掛けたときは、商売で物乞いをしているように感じられる人たちもいたが、ブリュッセルで出会った物乞いをする人たちは、本当にお金に困っている人たちのようにも見えた。しかし、それほど痩せ細っている人たちでもなかったので、もしかすると物乞いが商売かもしれないという疑いの気持ちも芽生え、私はどの物乞いをする人たちの前も素通りしてしまった。

 ブリュッセルのある広場で、やはり紙コップを持った人が私に近づいて来て、お金を恵んでくれという素振りをした。私は本当にお金に困っている人なのかどうか判断がつかなかったため、ひとまずお断りさせていただいた。しかし、私と同じようにお金を恵んで欲しいと迫られた人は、迷うことなく財布から小銭を取り出して、差し出された紙コップの中に入れてあげていた。もちろん、ほとんどの人たちは私と同じようにお断りしていたので、その方の取った行動のほうが珍しいと言える。中にはそんな親切な人もいるものだと思った。

 今回、パリのメトロでは物乞いをする人には遭遇しなかったのだが、シャンゼリーゼ大通りで手に紙コップを持ち、義足を見せて足を引きずりながら物乞いをしている男性に出会った。また、犬を連れて道端に座り込み、物乞いをしている人もいた。上品な観光客の多いシャンゼリーゼ大通りは、お金も集まり易いのかもしれない。

 シャルル・ド・ゴール空港に向かうRER線の中でも、紙コップを手に持った子供に遭遇した。私が断わってもしつこく紙コップを差し出し続けるので、商売ではなく切実に訴えかけているようにも思えた。もしも彼が本当に困っているのであれば、果たして彼を救済するのは誰なのだろう? 私だけの力ではきっと手には負えないはずだ。

 毎度のことながら、物乞いをする人に出会うと、何となく後味が悪い。おそらく、お金をあげてもあげなくても、この後味の悪さは変わらないだろう。何故なら、例えお金をあげたとしても、相手が本当に困っているのかどうか、的確に判断することができないからだ。

 先日、街角で行われていた選挙演説で、ヨーロッパは老後の生活が保証されているので、日本もそれに倣うべきだというような主張を掲げている候補者がいた。その演説を聞いたとき、私は思わず立ち止まりそうになった。その選挙演説をしている人は、日本よりも物乞いをする人が多いヨーロッパの実情をご存知ないのだろうか?

 私が思うに、ヨーロッパは日本よりもいくぶん物価が高い。特に、ロンドンにおいてはそれが顕著である。物価が高く、老後の生活が保証されているということは、それだけ税金が高いということではないだろうか。だから、もしもブリュッセルやパリなどで見掛ける物乞いする人たちが真の生活苦から物乞いを行っているのだとしたら、そのような高い税金を払うことができずに、日々の生活をまともに送ることができないでいるのかもしれない。

 そうした実情をどのようにとらえるかによって、ヨーロッパの見方が違って来ることだろう。単に、老後の生活が保証されているという点にのみスポットを当てれば、ヨーロッパの芝生は青く見えるのかもしれないが、そうなるには老後の生活が保証できるだけの収入源が必要なのである。おそらく、その選挙演説を行っていた人は、日本でももっと計画的に国民の税金を使うことができればいいのに、ということを主張したかったのだとは思うのだが、何となく狭い範囲の実情だけでものごとを判断されているように思えてしまったのである。

 とにかく、物乞いをする人たちに遭遇するにつけ、私はいろいろなことを考える。国民から徴収する税金が多過ぎても少な過ぎてもいけない。どうやらその加減が難しいことだけは、はっきりと言えそうだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 陸続きであることも理由の一つだと思いますが、ブリュッセルでもパリでも、いろいろな国からやって来た人たちが生活しています。そして、ヨーロッパで物乞いをしている人たちのほとんどは、よその国から移住して来た人たちのように見受けられました。やはり、そこに何かがあるような気がしますね。

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2009.08.17

洗濯日和

アントワープのアイアンマン・トライアストンに思うの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。選手たちに手渡されていたスポーツドリンクのキャップは、選手たちが走りながら飲み易いような仕様になっていました。これらのスポーツドリンクは、おそらくスポーツドリンクのメーカーがスポンサーとして提供したものなんでしょうね。ですから、宣伝の意味も兼ねていたのかもしれません。そういう観点からすれば、丸ごと一本飲み干してもらうことよりも、一本でも多くのスポーツドリンクが選手たちの手に渡ってくれたほうがありがたいと感じているのかもしれませんね。

 ブリュッセルで滞在していたホテルの周辺が、コインランドリーなど到底ありそうにない、ちょっと高級な雰囲気の漂う場所だったので、私たちは五日分の洗濯物を溜め込んだまま、タリスに乗ってパリまで移動した。そして、パリのホテルにチェックインした直後、私たちは大きなバッグの中に五日分の洗濯物を詰め替えて、去年、利用したコインランドリーを目指した。

 ホテルからコインランドリーまでは、ホテル近くのヴェリブステーションからヴェリブ(パリの貸自転車)を借りる予定だったのだが、夕方だったからだろうか。ヴェリブステーションのヴェリブはほとんど出払ってしまっていた。かろうじて残っていた何台かのヴェリブは、パンクしてしまっていたり、タイヤが動かなかったり、サドルが壊れていたりと、どこか問題のあるヴェリブばかりだった。

 ヴェリブに乗れば、ホテルからコインランドリーまではそれほど時間は掛からないはずだった。しかし、ヴェリブは二台同時に借りなければ意味がない。例えば問題のないヴェリブに一台だけ巡り合うことができたとしても、ヴェリブのないもう一人は徒歩でコインランドリーに向かわかければならなくなってしまう。しかし、ヴェリブは三十分以内にヴェリブステーションに返却しないと追加料金が掛かるため、もう一人の歩くスピードに合わせてヴェリブを転がして歩いていては、三十分以内にヴェリブをヴェリブステーションに返却できない可能性も出て来る。とは言え、夕方で、ほとんどのヴェリブが出払ってしまっている状態では、二台まとめて借りられる状況ではなかった。そこで私たちは、コインランドリーのある方向に向かって、ヴェリブを求めて歩き始めた。

 しかし、歩けども歩けども、ヴェリブステーションは見付かるものの、ほとんどのヴェリブが出払ってしまっていたり、問題のあるヴェリブだけが残されていた。そうこうしながら歩いているうちに、私たちはコインランドリーのすぐ近くまで歩いて来てしまった。パリに着いた直後に五日分の洗濯物を詰め込んだ大きな荷物を抱え、ヴェリブを求めて歩いて来たつもりが、とうとうコインランドリーのすぐ近くまで来てしまったのだ。皮肉なことに、コインランドリーのすぐ近くのヴェリブステーションには、調子のいいヴェリブが残っていた。私たちはひとまずそれらを借りてみたものの、これからすぐに洗濯に入るため、三十分以内に返却という約束を果たすべく、借りたヴェリブを直ちにヴェリブステーションに戻さねばならなかった。パリに着いたばかりだというのに、私たちは何と非効率なことをしているのだろう。

 さて、コインランドリーは一年前とほとんど変わっていなかった。
私たちにコインランドリーの使い方をフランス語で教えてくれたあのおじさん、またいるかな」
と期待に胸を膨らませながらコインランドリーの中に入ってみたところ、中には誰もいなかった。ただ、奥のほうにある乾燥機がカラカラと回っていた。

 私たちは、去年、おじさんに教わったことを思い出しながら、どの洗濯機を使うかを慎重に決めた。そして、目的の洗濯機に五日分の洗濯物を押し込んで蓋を閉めるると、去年、おじさんに教わったように、洗濯機の上にある洗剤入れに、日本から持って来た洗剤を注ぎ込んだ。そして、コインランドリーを集中管理している制御装置に必要なユーロのコインを入れて、選んだ洗濯機の番号を押した。すると直ちに、私たちの選んだ洗濯機が動き始めた。どうやらうまく行ったようである。私たちはほっと胸を撫で下ろしながら、コインランドリー内に設置された椅子に座り、無事に洗濯が終わるのを待っていた。

 しばらくすると、フランス語圏ではない国の家族連れが、お父さん、お母さん、娘さんの三人でやって来た。どうやら、このコインランドリーを利用するのは初めてのようである。しかし私たちは、英語の聞き取りは可能なものの、自分からは思うように話をすることができない。そんなコンプレックスから、コインランドリーの操作方法がわからずに戸惑っているであろう三人家族に声を掛けることもできず、彼らの様子をさりげなく見守っていた。

 すると、奥の乾燥機を使っている青年が
「ボンジュール」
とあいさつをしながら戻って来たので、私たちも「ボンジュール」とあいさつを返した。青年は、三人家族が戸惑っている様子を見捨ててはおけなかったらしく、彼らに英語で語り掛けた。そして、コインランドリーの使い方を一通り説明すると、三人家族は自ら選んだコインランドリーに洗濯物を入れた。青年は、彼らからユーロのコインを預かると、コインランドリーを集中管理している制御装置にそのユーロのコインを入れて、彼らが選んだコインランドリーの番号を押した。すると、彼らの選んだコインランドリーが動き始めた。

 それにしても、去年のおじさんと言い、今回の青年と言い、パリには世話好きな人たちが多い。それは一体どうしてなのだろうと考えたときに、もしかすると、自分自身も同じように教わって来たからではないか、と思えた。彼らは、自分たちが教わったことを、かつての自分と同じ問題に直面している人たちに伝えようとしているのではないだろうか。

 それを思うと、私たちは一年前からステップアップできるチャンスに恵まれたのに、それを活かせなかった。私たちは今回、一年前におじさんから教わったことを、三人家族に伝えるチャンスに恵まれたのだ。それなのに、英語をうまくしゃべれないというコンプレックスから、彼らに声を掛けることができなかった。今となってはそのことがとても悔やまれるのである。

 洗濯を終えた私たちは、ヴェリブにまたがり、脱水して濡れたままの洗濯物をホテルに持ち帰った。乾燥機を使わなかったのは、洗濯物の量が多かったため、乾燥機を使い始めるとなると、それから更に一時間以上も洗濯に時間が掛かってしまいそうだったからだ。それに、パリはとても暑く、お天気も良かったので、おそらくホテルの部屋に干しておけば、そのうち乾くだろうと思ったのだ。

 ヴェリブに乗ってホテルの近くまで戻ってみると、コインランドリーに出掛けるときはヴェリブがすっかり出払っていたホテル近くのヴェリブステーションに、たくさんのヴェリブが戻っていた。私たちは、持ち帰った洗濯物を部屋のあちらこちらに干して乾かした。思えばこの日は、時間的にもとてもいい洗濯日和だった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、洗濯日和をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ブリュッセルで宿泊したホテルの周辺とは異なる庶民的な雰囲気が、パリで宿泊したホテル周辺にはありました。パリに着いた途端、「ああ、パリが好きだ!」と感じたのは、そこがGare du Nordだったからかもしれません。ブリュッセルで宿泊したホテルの周辺には、コインランドリーはおろか、スーパーさえもありませんでした。私たちにとって、旅先での楽しみは、変に気取った街でホテルに缶詰になるのではなく、今回のようにコインランドリーで洗濯をしたり、エコバックを持ってスーパーに買い物に出掛けて行くことなのです。(笑)

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2009.08.16

アントワープのアイアンマン・トライアストンに思う

コミック発祥の地の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 時間の関係で、ベルギー漫画センターには足を運ぶことができなかったのですが、どのようなものが展示されているのか気になりますね。このような施設があれば、ベルギーの子供たちは、小さい頃から正々堂々と漫画を読むことができるのでしょうか。(笑)何となく私は、「漫画は悪である」という環境の中で育って来ましたので、もしもそうだとすると、ベルギーの子供たちがちょっぴりうやらましい気もしますね。

 私たちがアントワープを訪れた日、アントワープでは、折しも、アイアンマン・トライアスロンが開催されていた。実は、何を隠そう、トライアスロンなどという言葉を使ってはみたものの、私はテレビで放映されているようなスポーツにはまったく興味がないので、理解できるのは、アイアンマンが鉄人を意味する言葉であることくらいで、トライアスロンが一体何であるのか、良くわかっていないのである。ガンモに尋ねてみると、いろいろな種目を順番にこなしながら競い合うレースだとか。何しろ私は、世界中がオリンピックに注目しているときでさえ、テレビをまったく見ないので、スポーツに興味を持っていらっしゃる方からすると、信じられないかもしれない。

 それはさておき、アントワープの街には、トライアスロンのコースを示すテープが張り巡らされ、テープで保護された道路を、スポーツウェアにゼッケンを付けた人たちが一生懸命走っているのが見えた。中には有名な選手なのか、バイクに乗ったテレビカメラにずっと追われている選手もいた。また、おそらく空からも、この模様がテレビカメラに映し出されていたのだろう。空を見上げれば、ヘリコプターがいつも目の届く範囲にいた。

 私はしばらくの間、普段、見慣れない光景を楽しんでいた。コースに沿って歩いて行くと、選手の水分補給ポイントに行き着いた。そこにはたくさんのスタッフが待機し、湿らせたスポンジやスポーツドリンク、コークなどの水分を、選手が取り易い位置まで差し出していた。喉の渇きを潤したい選手たちは、それらの中から自分にとって最適なものを選び出して、喉の渇きを潤していた。私は、その連携プレイの素晴らしさに見入っていたものだ。そこには、裏方として選手たちを支えるスタッフの姿があった。

 アントワープの街には、トラム(路面電車のようなもの)が走っているのだが、その日はアイアンマン・トライアスロンが開催されていたため、コースに該当する地域を運行するトラムは運休していた。トラムの運行をわざわざ止めてまで開催されていたのだから、それなりに大きな大会だったのだろう。私たちはひととおり観光したあと、アントワープの駅までトラムに乗りたかったのだが、トラムが運行されていなかったため、疲れた身体を引きずりながら、トボトボ歩くしかなかった。

 帰り道に、行きとほぼ同じルートを歩いていて気が付いたことがある。来るときには気付かなかったのだが、道路に散乱しているものが目に入ったのだ。それは、選手たちが口をつけたスポーツドリンクだった。しかも、スタッフによって蓋は開けられているものの、中身はほとんど残ったままである。すなわち、水分補給ポイントで大会のスタッフによってスポーツドリンクなどが、喉の渇きを潤したい選手たちに差し出されたものの、走っている最中の選手たちは、スポーツドリンクをほんの一口、二口口の中に含ませただけで、そのスポーツドリンクの入れ物をコースの脇に放り投げ、走り続けていたのである。まるで、手にしたスポーツドリンクを最後まで飲み干すことよりも、走り続けることのほうが自分にとってはずっと大切であるかのように。

 選手たちによって放り投げられたスポーツドリンクは、すっかり街のゴミと化していた。もちろん、大会もそろそろ終盤に差し掛かっていたので、スタッフたちが、選手たちによって捨てられたスポーツドリンクの入ったペットボトルを集めてはいたのだが、私はほとんどのスポーツドリンクが飲み干されないままゴミとなってしまっていることが残念でならなかった。

 スタッフらは、選手たちによって捨てられたスポーツドリンクの中身をドボドボと道路に捨ててから、空のペットボトルだけをゴミ袋の中に回収していた。ほんの一口か二口しか飲まれないことが最初からわかっているなら、もっと小さいサイズのペットボトルでも良かったのではないだろうか。世界中でエコが叫ばれる中で、こうした無駄が正々堂々と行われていることを、おそらく世の中の人たちは知らない。テレビカメラが中継に入っていたとしても、映し出されるのは選手たちが一生懸命トライアスロンに取り組むシーンだけである。

 選手たちのために用意されたスポーツドリンクは、いくらか余りが出たようで、しばらくすると口を付けていないスポーツドリンクが通行人たちに配られていた。きっとスポーツドリンクを受け取った通行人たちは、手にしたスポーツドリンクを飲み残すことなく、丸ごと一本飲み干したことだろう。例え多くの選手たちに一口、二口飲まれようとも、丸ごと一本飲まれて初めて、スポーツドリンクの存在価値が出て来るように思える。

 おそらく世の中には、こうして明るみにはならない無駄がたくさんあるような気がする。そうした無駄は、しきたりであるとか、ルールに目隠しされてしまって見えなくなってしまっているように思えてならないのだ。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、アントワープのアイアンマン・トライアストンに思うをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 行きと帰りで同じ道を通ったことで、このような気づきがありました。写真では、ほんの一部のスポーツドリンクしかご紹介できませんでしたが、このようなスポーツドリンクが他にもたくさん転がっていました。それらを目にした途端、「ああ、もったいない!」という言葉が口を就いて出て来ました。無駄はどこにあるのかを突き詰めて考えたとき、パーソナルなエリアを広げ過ぎてしまうことにあるんでしょうね。いくら選手たちがスポーツドリンクを一本丸飲みできないとしても、それを他の選手と共有することはできないですものね。

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2009.08.15

コミック発祥の地

進化した乗車券の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 機械翻訳された日本語を、あとから貼り付けておきましたが、意味不明な表現が多いことがおわかりいただけたかと思います。特に、「* 到着ステーションの出口を持つまで、このタイトルはカン詰めでなければなりません。」とは一体何なのでしょう? タイトルがカン詰めって・・・・・・。ちんぷんかんぷんでございます。(苦笑)

 今回、ブリュッセルを訪れて初めて知ったのだが、ベルギーはコミック発祥の地なのだそうだ。そのためか、街のあちらこちらのビルの隙間に、まるで壁画のように漫画が描かれている。それらの漫画を見付けながらブリュッセルの街を錬り歩くのも楽しい。また、ビルの壁だけでなく、お店のシャッターにまで漫画が描かれているのだから、ベルギーの人たちが漫画を描くために、ちょっとしたスペースも見逃そうとしていないのがわかる。ベルギーの人たちの漫画への思い入れの強さは、ベルギー漫画センターなる施設が存在していることからもわかる。

 それにしても、ビルの壁が漫画を描くためのキャンバスだとすれば、まずは漫画を描くスペースがあってそこに漫画を描きたいと思うのか、それとも最初に漫画がの原画があって、その漫画の原画にぴったりのスペースが存在するからそのスペースを利用して漫画を描こうと思うのか、果たしてどちらなのだろう。あまりにも漫画がビルの間にピッタリとはまり過ぎているため、漫画の技術よりも、漫画を配置する技術に感心してしまった。

※いつものように、撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。内容は、デジブックにアップロードした写真と同じです。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、コミック発祥の地をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回の記事に関しては、漫画についてあれこれ書くよりも、写真を見ていただいたほうが一目瞭然ですね。それにしても、滞在中、毎日のように写真を整理しながら記事の更新まで行っていたことがまるで奇跡のようであります。(苦笑)

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2009.08.14

進化した乗車券

アントワープの情熱カップルの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 日本でも海外でも、こうして同じことが行われているというのがとても不思議です。きっと本能なんでしょうね。ということは、彼らにあるのは本能のみで、欲望はないのでしょうかね。

 旅行に出掛ける前、ガンモがパソコンの前でひどく頭を悩ませていた。ブリュッセルからパリまでのタリスのチケットをインターネットで申し込んだものの、フランス語の説明しかなく、何が書かれているのかさっぱりわからないというのだ。購入したタリスのチケットは、PDFファイルでダウンロードできたようである。そのPDFファイルの中には、フランス語の説明とともにQRコードのようなものが写し込まれていた。

 私は、高校卒業後、すぐに入学した広島の大学でも、一年の浪人を経て入学した神奈川県の大学でも、第二外国語はフランス語を選択していた。しかし、どちらも出席日数が足りず、単位を落としてしまったので、フランス語はほんの少ししかわからない。そこで私は、
「PDFファイルの中にあるフランス語をコピー&ペーストして、フランス語の翻訳サイトにかければいいんじゃないの?」
とガンモに提案した。フランス語の翻訳については、機械翻訳でたどたどしいが、Infoseekエキサイトなどもサービスを提供してくれている。

 ところがガンモは、
「保護されてるPDFファイルだから、テキストの選択はできても、コピー&ペーストはできないんだよ」
と言う。私は、そんなはずはないだろうと思いながら、ガンモにそのPDFファイルをメールで送ってもらった。

 ガンモから届いたPDFファイルを開いてみると、確かにそのPDFファイルの、チケットの説明文らしきフランス語のテキスト部分を選択することはできるものの、クリップボードへのコピーはできないようだった。試しにフランス語のテキスト部分を選択してクリップボードにコピーしたあと手持ちのエディタに貼り付けても、選択したテキストはペーストされなかったのだ。

 「こんなことってあるの?」
と私はガンモに言った。ガンモもまったく埒があかないらしい。このPDFファイルを一体どうすればいいのだろうと、そこに書かれているフランス語が読めない私たちは悶々としていた。

 しかし、このような事態は、技術者としてのプライドが許さない。何とかして保護されているPDFファイルからフランス語の説明部分をコピーして、フランス語の翻訳サイトにかけなければ・・・・・・。私は、インターネットを使って、保護されたPDFファイルからテキスト部分を抽出する方法を模索し始めた。すると、securityで制限のかかったPDFファイルのテキストコピーという記事がヒットし、そちらに書かれている内容に従ってツールをダウンロードして、ようやく保護されたPDFファイル内に書かれているテキスト部分を抽出することに成功した。

 そのテキスト部分を、今度はさきほどご紹介したフランス語の翻訳サイトにかけると、たどたどしい日本語が表示された。しかし、その日本語を見ても、あまりにも機械的過ぎて何だか良くわからない。PDFファイルの印刷の方法が書かれているようでもある。そのたどたどしい日本語をここにご紹介してみよう。

あなたの予約(s) Nde電車Row席05/08 13H13 BRUSSELS-MIDI/BR-> ノース14H35 TGH9430に22の013プレビューを賭けてください: EURは、使用の55.00のConditionsに札を付けます:

* 使用の条件:

* このチケットは、Traveler ThalysのGuide Servicesの使用の関税状況と以下の特定の状況だけでなく条件に提出されます:

* それがレーザープリンタでフォーマット肖像(垂直な)の中で、印象サイズの修正なしで、フサザキズイセンA4、処女の右ページと背中に印刷されるか、インクを投げることをするならば、このチケットは単に有効なだけです。 彼/それは、もう一つの支持(電子回路、スクリーン、その他)に関して、決して紹介されることができます。

* 印象の上質は、必要です。 チケットは、印刷(土)で部分的にす読みにくい損害がそうでないどちらでも、側を持って、なし有効なもののようであると思われることを認めます。 事件または印象の悪い品質の場合には、あなたは印刷しなければなりませんあなたの.pdfファイルを新しいです。

* このタイトルは交換できもしないし、返済できもしません。

* このタイトルは個人的で、incessibleです。 規制の時に、有効性の下で、そして、写真で、あなたは必然的にアイデンティティの公式証明を示さなければなりません: アイデンティティまたはパスポートのカード。

* このタイトルは、単に電車、日付、クラスとコースノミネート候補者にあてはまるだけの上記です。 公認候補に見えることがそうであるケースまたは関税で、関税は義務的周遊旅行に規定させます、あなたは2枚のチケットを示すことができるはずです‖(彼と復帰を賭けるために)規制の時に側を持ちます。 離脱するために、このタイトルはなし有効なもののように考慮されます、そして、あなたは適切なもう一つのタイトルをもたらさなければなりません。

* 到着ステーションの出口を持つまで、このタイトルはカン詰めでなければなりません。

* 上で指定される規則のセットの非尊敬の場合には、このタイトルは、なし有効なもののようであると思われます。
CNR: それ(s)を曲げないFXNF WQNELA EFDGYU WPRLIWは、DNRバーをコード化します: A4SNCB 1ページで印刷するGLAIIDBVeuillez-1/2-(s) Nde電車Row席05/08 13H13 BRUSSELS-MIDI/BRの名前を記録しているYour-> ノース14H35 TGH9430に22の012プレビューを賭けてください:

 おそらく、最初の部分は日付が逆転しているのだろう。日本では八月五日を08/05と表記するが、ベルギーでは05/08である。更に、駅の名前まで頑張って日本語化しようとしている姿勢がうかがえる。BRUSSELS-MIDIは駅の名前である。私たちが乗車したタリスは、BRUSSELS-MIDIを十三時十三分に発車して、十四時三十五分にパリのGare du Nordに到着したのだ。

 フランス語から日本語への翻訳はあまりピンと来なかったので、今度はYahoo! Babel Fish - Text Translation and Web Page TranslationFull Text Translator | Free Translations from Dictionary.comを利用して、フランス語から英語に翻訳してみたりもした。しかし、英語に翻訳しても、フランス語特有のアポストロフィなどがそのまま残っていたりと、完全な英語には翻訳されなかった。それでも、たどたどしい日本語の翻訳と、たどたどしい(?)英語の翻訳で、ガンモはそこに何が書かれているのかを、ある程度、理解したようである。

 ガンモはひとまず、入手したPDFファイルを印刷したようだ。おそらく、PDFファイルに写し込まれているQRコードを読み取ることでチケットが認識されるのだろうと思ったらしい。もしも印刷したものが有効でなかった場合は、ノートパソコンを開いてPDFファイルを提示する覚悟もあったようだ。こうして私たちは、ちょっぴりドキドキしながらも、タリスに乗車する当日を迎えたのである。

 そして、いよいよその当日、車掌さんが私たちの席にやって来てチケットの提示を求めて来たので、ガンモがPDFファイルを印刷したものを提示すると、車掌さんはQRコードのリーダーのような機械を使って、印刷されたQRコードをピッと読み取った。素晴らしい! たったそれだけの操作で、私たちのチケットは認識されたのである。それだけでは、チケットを第三者に盗まれてしまえば悪用されてしまうのではないかという不安もあるのだが、チケット購入時に申請した名前とパスポートにより、本人確認を行うことができるようだ。

 わざわざ窓口まで出向かなくても、このような形で海外の列車のチケットを購入することができるのだから、時代は進化している。これだけ進化しているのだから、ベルギーでももっとクレジットカードの利用が活発になればいいのに、とも思った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最近、飛行機でも、インターネットなどから予約すると、チケットレスサービスと言って、チケットが手元になくても予約が成立していますよね。チケットが手元にないのは、何となく心もとない気持ちもありますが、同時にどこにいても予約を成立させることができるということなんですね。確かに私たちも、この印刷した紙で本当にタリスに乗れるのだろうかと不安でもありましたが・・・・・・。(苦笑)それにしても、今回の場合、ファイルのコピーは簡単にできてしまうので、果たしてPDFファイルそのものが保護された状態にあることが、何に役立っていたのかは不明です。(苦笑)

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2009.08.13

アントワープの情熱カップル

意外にも使えなかったクレジットカードの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。少し前までの海外旅行では、現金よりも換金手数料が割安なトラベラーズ・チェックなるものが積極的に利用されていましたが、今はどうなんでしょう。クレジットカードの普及により、あまり利用されなくなって来たのかもしれません。トラベラーズ・チェックも、比較的大きなお土産品売り場などでは利用できる場合もありますが、利用できるお店がかなり限られていたように思います。それでも、比較的高額のトラベラーズ・チェックを使ってお釣りをもらうと、換金手数料なしでその国の通貨を手に入れることができるので、ずいぶんお得ではありました。

 ベルギーのアントワープの街角で大胆なキスを交わす情熱的なカップルに出くわした。彼らが交わしていたのは、唇まで持って行ってしまいそうなほどの、熱烈に吸い付く激しいキスである。彼らはキスの度に身体を震わせ、全身でキスを体験しているかのようだった。こちらが恥ずかしくなるほど情熱的なそのカップルの間では、どうやら雄から雌へとピジョンミルクが渡されているようだ。そう、アントワープで出会った情熱的なカップルとは、鳩のカップルのことである。

 雌が雄にピジョンミルクをおねだりすると、雄は自らの身体を震わせながら雌にピジョンミルクを与える。しかし、雌はなかなか満足しないのか、自分から雄の口元へとおねだりし、その度に同じ動作が繰り返される。これまで私たちが見て来た父ちゃんや母ちゃん、そして今は亡きTKMYとキッコロのそれよりもずっとピジョンミルクを与える時間が長く、情熱的だった。雄が雌にピジョンミルクを与え終わると、今度は雄が雌の上に乗り、交尾を始めるはずだ。これほどまで情熱的にピジョンミルクを与えるカップルだから、きっと情熱的な交尾を交わすに違いないと思い、私たちはその瞬間をじっと見守っていた。

 おっと、雌が準備を整えて、私たちのほうにお尻を向けた。間もなく雄が雌の上に乗り、交尾が始まった。しかし、あれれ? あれほど情熱的にキスを交わし合ったというのに、たったそれだけ? 交尾は一瞬にして終わった。交尾の時間は情熱的なキスの時間とは比例せず、むしろ父ちゃんや母ちゃん、TKMYやキッコロよりも短いくらいだった。彼らの様子を見守っていた私たちは、すっかり拍子抜けしてしまった。

 私はそれらの模様を携帯電話を使って動画に収めた。実際は、私が納めた動画の時間よりもずっと長く、アントワープの情熱的なカップルはキスを交わしていた。ガンモは、携帯電話で彼らの動画を撮ったという私に、
「日本に帰って、父ちゃんに見せてやれば? 洋モノだよって」
と言った。まあ、確かに洋モノには違いないのだが・・・・・・。

※撮影した動画を貼り付けておきます。向かって左が雄で、右が雌です。


アントワープの情熱カップル posted by (C)まるみ

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m アントワープの情熱的なカップルの交わすキスと交尾はいかがでしたでしょうか。雄に対し、雌がピジョンミルクをしきりにおねだりしている様子がおわかりいただけたかと思います。しかし、ピジョンミルクを与えるキスがあれほど情熱的でも、彼らの交尾は意外にもあっけないものでありました。とは言え、ここまで情熱的にピジョンミルクを求める雌も見たことがないので、やはりガンモの言うように、洋モノなんでしょうかね。(苦笑)

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2009.08.12

意外にも使えなかったクレジットカード

身体は環境に順応するの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。帰国後すぐに横浜で野外ライブに参加したりして、周りからはタフだなどと言われていますが、横浜から帰宅した翌日から仕事が始まり、これまで通り五時起き生活に戻りました。正直言って、きついですね。(苦笑)旅行中は、「ガンまる日記」を書きたくて、普段よりも早起きすることもあったというのに、仕事のための早起きとなると、一気にテンションが下がります。おまけに旅行中は、早起きしても日中はちっとも眠くならなかったというのに、仕事中は眠くて眠くてたまりません。仕事から帰宅して、二十一時くらいから二時間ほど眠るのが至福の時間であります。しかし、そんな状況から、とうとう仕事を休んでしまいました。(苦笑)仕事に出掛けて行くつもりで五時に起きたのですが、どうにもこうにも活動することができず、勤務先に「今日は休みます」と何とかメールを打ったあと再び眠りに就き、次に目を覚ましたのは十時半過ぎでした。どうやら、睡眠時間が足りていなかったようです。やはり、無理はいけませんね。

 今回、ブリュッセルを訪問して、とても不便に感じたことがある。それは、クレジットカードを使えるお店が意外にも少なく、日本で両替して持って行ったユーロが底をつきそうになってしまったことだ。クレジットカードを使えるお店が少ないばかりか、例えクレジットカードを利用できるお店であっても、利用金額に上限が設けられていたりと、使用できると思って差し出したクレジットカードを泣く泣く引っ込めたことが何度かあった。

 以前も書いたが、クレジットカードで決済すると飛行機のマイルが貯まるので、私たちは普段の生活においても積極的にクレジットカードを利用している。特に、海外旅行においてクレジットカードを使用することは、通貨両替の手数料が省かれるために現金で購入するよりも割安になるばかりか、旅行中の出費を一元管理し易い利点もある。しかし、ブリュッセルではクレジットカードを利用できるお店が限られていたので、用意していたユーロはどんどん少なくなり、私たちはとうとう現地で両替することを決意した。

 通貨の両替は、銀行や街の両替所などで可能である。私たちは、ガイドブックに掲載されている地図を頼りに、両替できるところを探していた。すると、親切なベルギー人が私たちに英語で声を掛けてくださった。両替したいと申し出ると、その親切なベルギー人は、両替できる場所の方向を示しながら英語で説明してくださった。私たちはお礼を言って、その方向へと歩いて行った。

 その方向には銀行があったのだが、既に夕方だったので、どうやら時間外だったらしく、その銀行のクレジットカードを持っている人でなければ銀行の中に入ることができない仕組みになっていた。仕方がないので再びガイドブックを見ながら歩き始め、銀行の近くにある街の両替所を見付けた。私たちは恐る恐る、提示されている交換レートを確認した。こうした街の両替所は、時として高い手数料を求められたりもするのだが、そこには手数料不要と書かれていた。つまり、提示されている交換レートだけで両替が可能だということだ。ありがたいことに、提示されている交換レートは、日本で両替した交換レートとそれほど変わりのないものだった。そこで私たちは、ひとまず一万円を両替することにした。

ガイドブックを頼りに見付けた街の両替所

 とは言え、相手がフランス語しかしゃべってくれなかったら、フランス語を理解することのできない私たちはどうすればいいのだろう? そんな不安がよぎったが、とにかくユーロが欲しかったので、勇気を振り絞って一万円札を差し出すことにした。こういうとき、実験台にされるのはいつも私である。小心者のガンモは奥に控え、私が両替カウンターに立つことになった。

 カウンターで両替業務を行っていたのは女性だった。恐る恐る一万円札を差し出すと、それだけでその女性は理解してくださったようで、五十ユーロや二十ユーロなどの比較的高額紙幣を織り交ぜながら、日本円にして一万円分のユーロを渡してくださった。ガンモは交換レートと照らし合わせて直ちに計算を行い、渡されたユーロが提示されている交換レートと一致していることを確認した。

 こうして一万円分のユーロを手にした私を、ガンモはとてもうらやましく思っていたようだが、私を実験台にしたことを負い目に感じていたのか、そのときは何も言って来なかった。その後、スーパーで買い物をして、宿泊先のホテルまで地下鉄に乗って帰ろうとしたとき、ガンモは、
「やっぱり俺も両替しておく」
と言った。窓口で一万円札を差し出せば簡単にユーロが手に入ることがわかったので、さきほどの街の両替所に寄ってからホテルに帰ると言うのだ。

 そこで、再び先ほどの両替所の前まで再び出向いてみたのだが、あいにく両替所は閉まっていた。既に夕方だったので、営業時間が終了していたのだ。

 一万円分のユーロを手にした私はほくほくした気分でホテルに戻ったが、ガンモは自分も両替すべきだったと後悔の気持ちでいっぱいだったようだ。私としては、自分が勇気を振り絞って実験台になって両替に臨んだのだから、両替した一万円分のユーロはすべて自分のものにしてしまいたかった。というのも、もともとガンモの財布には、私の財布に残っていたよりもたくさんのユーロがまだ残っていたからだ。しかしガンモは、
「そのユーロ、分けてくれないの?」
などと言って来た。

 私は、少しならガンモに分けてもいいと思っていたものの、実験台にされたお返しにしばらくじらしたのち、両替したユーロのおよそ半分をガンモに渡した。ブリュッセルではクレジットカードをあまり使えないので、両替した一万円分のおよそ半分のユーロを手放してしまうと、私の財布はかなり心細いものになってしまうのだが、ユーロが手元にない心細さは私にもわかるので、手にしたユーロをガンモと分け合うことにしたのである。ブリュッセルへの滞在も残り少なくなり、このあとパリに移動すれば、ブリュッセルよりもクレジットカードが使えるはずなので、手持ちのユーロで何とか持ち越せるだろうという期待もあったのだ。

 実際、そこから先の行程で、それ以上のユーロの両替は必要なかった。もしもガンモが再び両替所に戻ったときに両替所がまだ開いていたなら、私たちはより多くのユーロを手元に残すことになってしまっていたかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m およそ二十年前に、ツアーでヨーロッパを五カ国回ったときは、入国する度に、その国の通貨を両替しなければなりませんでした。思えば、その度に両替手数料を取られていたんですよね。現在のヨーロッパでは主要な国ではユーロが使えるので、国を移動しても通貨を両替する回数がグンと減りました。そんな中でも、イギリスは頑なにポンドを守り続けてはいますが・・・・・・。(苦笑)それでも、イギリスは小額でもクレジットカードを使える国ですので、それほど多くのポンドを両替する必要はないかと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.08.11

身体は環境に順応する

旅の終わりの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。大雨や台風、東海地方の地震などの被害が出ているようですね。皆さんの住む地域は大丈夫でしょうか。もしも被害に遭われている方がいらっしゃいましたら、お見舞い申し上げます。私たちも、帰宅が一日遅ければ、東海地方の地震の影響を受けていたかもしれません。しかし、そうはならなかったことが、果たして手放しで喜べる状態なのかと考えています。うまく言えませんが、その真っ只中にいるときは気付かないことであっても、あとになってから自分自身のステップアップに繋がる経験になったと感じることは多いものです。そのためにも、今、このときを精一杯感じながら生きていたいものですね。

 今回の旅行では、旅行開始の翌日からいきなり生理が始まった。少し前までの私は生理の周期がなかなか安定しなかったのだが、リー博士のプロゲステロンクリームを愛用するようになってからは、ほぼ二十八日周期でピタリと生理が来るようになり、旅行の日程と照らし合わせながら、旅先で生理を迎える心積もりができるようになった。私は、スーツケースの中にたくさんの布ナプキンを詰め込み、旅先で迎える生理に備えていた。

 ヨーロッパで生理を迎えるときに心配なのは、日本のように外出先で自由にトイレにありつける機会が少ないことである。

 日本では、地下鉄だろうがJRだろうが私鉄だろうが、駅ならばたいてい無料トイレが設置されている。しかし、少なくともイギリスやフランスにおいては、例えばほとんどの地下鉄の駅にはトイレの設備がない。トイレの設備があるのは旧国鉄あるいは国鉄の駅のみで、しかも一回数十円程度の利用料金が必要となっている。街に繰り出せば、公衆トイレが設置されている場合もあるが、やはりほとんどが有料トイレで、しかも数が少ない。

 有料トイレの入口には、トイレをきれいに掃除してくれている女性がいて、その女性にお金を払ってから中に入るのだ。さすが、有料トイレというだけあって、トイレの中はとてもきれいである。日本のトイレはたいてい無料だが、公衆トイレは特に汚いので、日本にやって来た外国人の中には、日本のトイレも有料化すればきれいになるのに、などと思っている人もいるかもしれない。

 さて、そんなヨーロッパのトイレ事情だが、ベルギーもまた例外ではなかった。ベルギーの場合は特に、マクドナルドなどのファーストフードのお店に設置されているトイレも有料化されていた。トイレが有料なので、お店を利用しなくてもトイレだけを利用しやすいという利点はあるかもしれない。しかし、旅行中、常に繁華街を歩くわけでもないので、そうそうトイレにありつけるわけでもない。私のように子宮筋腫がある人は一般的に生理時の出血量が多いので、生理中はトイレに立って頻繁に布ナプキンを取り替えたいものなのだ。

 しかし、そうしたトイレ事情に身体が合わせられていたのだろうか。出血量の多くなる生理の二日目にさえ、それほど頻繁に布ナプキンを取り替えなくても、ズボンに漏れることもなく快適に生理の時間を過ごすことができたのである。生理の出血量だけでなく、尿の量もトイレ事情に合わされていたようで、日本のように頻繁にトイレに立つことができないと予めわかっていると、自分の身体の中で調節が行われるようである。そのせいか、トイレにありつけるまでは上半身にむくみを感じたりもする。身体の中で、トイレ事情に合わせた排泄物の調整が行われているという点で、ヨーロッパの人たちの身体と日本人の私たちの身体には若干違いがあるのかもしれない。

 ブリュッセルのホテルに滞在中、私は毎日のように布ナプキンを手洗いし、日本から持ち込んだ金属性の洗濯物干しに干していた。やはり、布ナプキンを手洗いするのは楽しい。私は、自宅よりも広い洗面所で布ナプキンをせっせと手洗いできる喜びを感じていた。金属製の洗濯物干しは、クローゼットの中にしまっていたのだが、ホテルの部屋が乾燥していたからだろうか。手洗いした布ナプキンはすぐに乾いた。

 生理の出血量が多いと、一日における布ナプキンの消費枚数も多くなるものだが、トイレに立つ回数が少ないので布ナプキンを取り替える機会も少なく、手洗いする布ナプキンの数も少なくて済んだのは幸いだった。そのせいか、生理期間中、日本から用意した布ナプキンの半分の量で間に合わせることができた。使用する布ナプキンの数を抑えることができるとわかっていれば、最初から持参する布ナプキンの数を減らすこともできたのにと思うと、ちょっぴり悔しい気もする。

 旅先で迎える生理は憂うつなものだが、トイレ事情に合わせてか、全体として出血量も少なく、私の生理はいつの間にか終わっていた。ただ一つ、心残りなのは、日本から持ち込んだ金属製の洗濯物干しを、ブリュッセルのホテルのクローゼットの中に置き忘れたままチェックアウトしてしまったことである。金属製なので、スーツケースの中に入れて持ち運んでも壊れたりすることがなく重宝していたのに、とても残念である。ブリュッセルのホテルをチェックアウトするときに、圧縮袋を使わずに力任せに衣類をスーツケースに詰め込むほど慌てたので、クローゼットに入れていた金属性の洗濯物干しにまで気が回らなかったのだ。

 それとも、私が持ち込んだ金属性の洗濯物干しは、この先、私と一緒に旅を続けるよりも、ブリュッセルのホテルのクローゼットに留まりたかったのかもしれない。もしもブリュッセルのホテルに泊まったときに、クローゼットに金属製の洗濯物干しを見つけたら、「ねえ、ここが気に入ったの?」と尋ねてみて欲しい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たちの身体は、環境に順応するように出来ているんですね。もちろん、年齢的なことや、食生活を改善したことが活かされている部分もあるかもしれませんが、それにしても今回の生理の出血量は格別に少なかったですね。まだまだ貧血の症状を抱えてはいますが、そのうち正常値に戻るのではないかと期待しています。

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2009.08.10

旅の終わり

花火とともに燃え尽きた忘れられない夏の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 夏の野外イベントが本当に終わってしまったのだろうかと、今でも信じられない気持ちでいっぱいです。とは言え、一つの物事を続けて行くことは、達成感を味わうことができるとともに緊張感も伴うんですよね。私も、「ガンまる日記」の毎日更新をいつまで続けられるのだろうと、常に緊張感を持っています。

 二日間に渡る夏の野外イベントが終わり、私たちは二泊した横浜のホテルをチェックアウトした。横浜で宿泊したホテルのベッドは、今回の旅行で利用したブリュッセルやパリのホテルと違って固いベッドだったため、畳の上に布団を敷いて寝たときのように背骨が伸び過ぎてお腹が張り、筋腫が引きつれる感じで夜中に何度も目を覚ました。朝、なかなか起き上がれずにベッドの上で苦しんでいる私に、ガンモは、
「まるみはお腹に甲羅があるからなあ」
と言った。確かに私のお腹は亀の甲羅のようだ。亀ならば、甲羅を下にしたときに手足を使ってくるりと起き上がるのだが、私はお腹に力が入るのを恐れるあまり、なかなか起き上がることができないのである。

 さて、私たちは、成田から横浜を経由して自宅の最寄駅までのJRの乗車券を購入していた。そのため、進行方向に向けて、購入した乗車券のルートを外れることなく新幹線を利用することのできる小田原から新幹線に乗ることにしていた。ご存知のように、JRの乗車券は、片道百キロを超える場合、途中下車しながら旅行を進めることができるのである。私たちは、その乗車券を使って、列車を乗り継ぎながら小田原まで出た。

 小田原ではほとんど観光する時間はなく、昼食を食べるだけに終わった。昼食をとったあと、小田原から新大阪行きの新幹線に乗り込んで帰宅したのだが、やはり夏休み中ということもあって、新幹線は混雑していた。自宅に着いたのは十七時過ぎだったろうか。私は比較的元気だったのだが、ガンモがかなりバテていた。口数も少なく、ほとんどしゃべろうとしない。何でも、夏の野外イベントの二日目に横浜のホテルで睡眠を取り過ぎて以来、夜はほとんど眠れないらしい。時差ボケでもないのに、昼と夜が逆転してしまっているようなのだ。ガンモは帰宅したあと、私がマシン室のパソコンを立ち上げて操作している間に、少し睡眠をとったらしい。

 ただ、私も横浜のホテルで固いベッドに寝て、お腹にずいぶん負担を掛けてしまったので、帰宅してからお腹にお灸をすえた。すると、瞬く間に調子が良くなった。私にとって、温めるということは、様々な症状の改善に繋がっているようである。

 それにしても、翌日からの仕事を思うと何だか憂うつである。これまで、夏休みまであともう少しだからと、仕事を頑張って来た。しかし、今やその目標を達成してしまった。新たな目標を定めるまで、この脱力感は続くのかもしれない。

 旅行が好きな人は、日常生活の中に何か変化を求めてアクセントを付けたい人なのだそうだ。もともと日常生活が変化に富んでいる人は、わざわざどこかへ出掛けて行かなくても、変化を充分楽しんでいる。しかし、比較的平穏な日常生活を送っている私たちは、平穏な日常生活の中に変化を求めたくなるのだろう。そして、旅行に出掛けている時間が特別なものになる。だからこそ、その特別な時間が過ぎ去ってしまえば、脱力感としばらく向き合うことになるのだ。

 こうして取り戻した日常生活と、私たちが夏休みに体験して来た十日あまりの出来事は、あまりにもギャップがあり過ぎる。景色や通貨、言語、気温、そこで生活する人々の存在はもちろんのこと、朝、起きたとしても朝食バイキングの用意もなければ、誰かが部屋の掃除をしてくれるわけでもない。十日あまりの夏休みの出来事を振り返る度に、私たちは多くの人たちに支えられながら旅を続けていたのだと実感するのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 十一日間の旅を終え、無事に帰宅しました。日常生活とのギャップを感じるとともに、気温の高さに参っています。(苦笑)横浜や小田原はまだ涼しかったのですが、新大阪で新幹線を降りた途端、「暑い!」と叫びました。私にとって、日本の夏は、外の暑さと不快なクーラーとの戦いです。ああ、クーラーの要らないヨーロッパが早くも懐かしいです。(苦笑)というわけで、旅先の出来事で、まだまだご紹介し切れない出来事も多いので、もうしばらく旅の余韻に浸らせていただくことになろうかと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.08.09

花火とともに燃え尽きた忘れられない夏

帰国後の行動の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 帰りの飛行機の中も、横浜まで乗った成田エクスプレスの中も、冷房がきつくてブロックするのが大変でした。日本の夏は気温が高いので、どうしても冷房がきつくなってしまうんでしょうね。私が夏のヨーロッパなどの自然の涼しさを不快に思わないのは、おそらく、足が冷えないからだと思います。冷房の冷たい空気は下に溜まるので、足首が冷えてとても不快に感じてしまうのです。まだまだ夏本番、足首だけは何としても守りたいものです。

 私たちの夏休みを締めくくるのは、横浜で二日間に渡って行われる好きなアーチストの夏の野外イベントだった。私たちがパリへの滞在を引き延ばさずに、夏休みが終わる前に帰国してこの野外イベントに臨んだのは、二十六回も続いた彼らの歴史的な夏の野外イベントが、今回でとうとう幕を閉じることになっていたからだ。

 野外イベントの一日目、パリから帰国したばかりの私たちが会場入りしたのは、開演後、およそ三十分経過した十八時半過ぎのことだった。会場近くまで歩いて来たとき、野外イベントの大音響が会場から漏れて私たちの耳に届き、会場へ急げ、急げとかきたてた。私は、はやる気持ちを抑えながらチケットを握り締め、野外イベントの入口へと急いだ。会場付近には、おそらくチケットを持っていない一般の方たちが周辺の建物の階段に腰を降ろし、柵を越えて垣間見ることのできる野外イベントのステージに設置された大きな液晶モニタを見守っていた。

 チケットを提示して中に入ると、会場スタッフが私たちを席の近くまで案内してくださった。おかげで、何万人も収容できる大きな会場で、迷うことなく自分の席に辿り着くことができた。夏の野外イベントというと、いつもステージに立つ米粒のような彼らを肉眼で見ることを諦め、会場内に設置されている大きな液晶モニタで彼らの姿を確認していた。しかし、ありがたいことに、野外イベントの一日目の席は比較的前のほうだったので、私たちは肉眼で彼らの演奏している姿を見届けることができた。

 夏の野外イベントには、様々な思い出がある。確か結婚して初めて、ガンモと一緒に夏の野外イベントに参加したのも、今回と同じ会場ではなかっただろうか。あれは一九九六年のことである。ちなみに、私自身が一番最初に夏の野外イベントに参加したのは、浪人中に広島から参加した一九八四年の横浜会場である。私は広島の大学にいったん入学していたが、わずか二ヶ月で休学届けを提出して予備校に通い始めた。そのような状況だったので、夏の野外イベントのチケットが発売される頃には申し込みをしなかったのだが、夏の野外イベントが近づくにつれ、その盛り上がりに居ても立ってもいられず、夏の野外イベントが開催される前日の夜に広島から夜行高速バスに飛び乗り、横浜の会場で当日券の発売窓口に徹夜で並んだのである。

 そのとき、私と同じように全国各地から当日券を求めてやって来た熱烈なファン数人と友達になり、その後もしばらく交流が続いていた。私は、当日券を求めて窓口に並んでいたはずなのだが、いよいよ当日券が発売される段階になって、同じ列に並んでいたカップルの片割れの女性が、彼氏と一緒に野外イベントに参加したいという一心から、もともと自分用に購入していた前売券を一枚、私に譲ってくれた。その席が何と、アリーナ席の前から八列目の席だったのだ。

 あいにく、その日の夏の野外イベントは雨が降った。それでも、初めて参加した夏の野外イベントを前から八列目という素晴らしい席で鑑賞することができたことで、私には忘れられない夜になった。そのとき知り合った熱烈なファン仲間と一緒に撮影した写真は、服も髪の毛も雨でびっちょり濡れているのだが、達成感いっぱいのとてもすがすがしい表情をしている。

 一九八四年から始まった私の夏の野外イベントの歴史は、一九八五年、一九八六年と刻み続けるものの、一九八七年から一九九一年までいったんお休みし、一九九二年から再び参加するようになる。一九八七年から一九九一年までは、夏の野外イベントには参加せず、年に一回程度の屋内コンサートへの参加で満足していた。この頃、私が彼らと距離を置いていたのは、より高いものを目指そうとして行き詰まりを感じていたからだ。

 というわけで、一九八二年から始まった夏の野外イベントに関して、私は皆勤賞をもらえない。しかし、今回の夏の野外イベントに参加した人たちの中には、全部で二十六回行われたすべての夏の野外イベント(実際は、一部屋内もあった)に参加した兵(つわもの)たちもいた。みんな、それぞれの思い出を胸に、今回の夏の野外イベントに参加したはずだ。

 夏の野外イベントの風物詩となるのは、終演近くに打ち上げられるたくさんの花火である。私は毎年、どの花火大会にも出掛けない。おそらくそれは、彼らの夏の野外イベントで打ち上げられる花火に満足していたからだろう。今回も、たくさんの美しい花火が打ち上げられた。美しい花火が夜空を彩ると、会場から拍手が沸き起こる。夏の夜空にパッと咲いて散る花火は、あまりにも刹那的でため息が出る。だからこそ私たちは、打ち上げられる花火を決して見逃すまいと意識を集中させて目を凝らす。ドーン、ドーンと打ち上げられる花火は、そのうち、私たちの心臓の鼓動とシンクロして来る。そして、花火が終わる頃、夏の野外イベントはお開きになる。

 夏の野外イベントの二日目は、ホテルの部屋の清掃も不要だと申し出て、十七時前までどこへも出掛けずにホテルにこもった。ホテルの方が気を利かせて、バスタオルや歯ブラシなどの取替え品をまとめてドアノブに掛けておいてくださった。その間、ガンモは睡眠を貪り、私は部屋でくつろいでいた。やはり、飛行機の中で睡眠を取らなかったガンモは、旅の疲れが出たようだった。あまりにも多くの時間、睡眠を貪り過ぎたものだから、ガンモが目覚めたときにはずいぶん腫れぼったい顔をしていた。ガンモの顔を見た私は、
「誰?」
と言いながら、ガンモをからかった。

 ホテルを出て遅い昼食をとったあと、私たちは前日と同じ野外イベントの会場へと向かった。とうとう、泣いても笑っても彼らの夏のイベントはこれで最後なのだ。しかし、本当にこれで最後なのだろうかという疑いの気持ちもあった。これが大掛かりなドッキリだったなら、騙されたことに怒りを感じながらも、最終的には笑って受け入れるだろう。しかし、やはりドッキリではなさそうだった。

 メンバーの一人が言う。
「君らにとって僕らが青春ならば、その青春を決して終わらせはしない」
うおおおおお! かっこいい。私はそのメンバー贔屓ではないのだが、今回の野外イベントでは、彼の中にパリを感じて、彼のことを目で追っていた。鳩のTKMYの名前の由来にもなった彼には、フランスの国旗をモチーフにした衣装が似合うのではないだろうか。そんなことを密かに思ってもいた。

 会場は、昨日にも増して盛り上がりを見せていた。私たちの前の列には、ご家族でこの最後の野外イベントに参加されている方たちがいた。五十代のお父さんとお母さん、そして、おそらく十代後半の息子さんである。その中でも、お父さんが一番乗りに乗っていたようで、お父さんの目からは涙が流れていた。きっとお父さんの中にも、この夏の野外イベントに関する様々な思い出があり、まさしく今、それらの思い出が幕を閉じようとしていることに堪えかねて涙を流しているのだろう。私はお父さんのその熱い思いに心を揺り動かされた。

 そうだった。私が毎年のようにこうして足を運び続けて来たのも、彼らの夏の野外イベントを楽しみにしている一生懸命の魂に出会うためだった。今、ここに足を運んでいる人たちにとって、夏の野外イベントは、年に一度の大切なお祭りだった。仲の良いお友達とおそろいの浴衣を着ている人たちもいる。少し前までは、メンバーのイラスト入りTシャツを数人単位で製作して着ている人たちもいた。そうそう、メンバーのイラスト入りうちわを持っている人たちもいたっけ。また、最近はあまり見られなくなったが、会場近くに楽器を持ち込んで、彼らのコピーバンドとして演奏している人たちの姿も良く見掛けたものだった。彼らの夏の野外イベントが幕を閉じるとともに、そうした人たちの情熱に触れる機会も少なくなってしまうのかと思うと、やはり寂しい気がした。

 そんな私の気持ちとは裏腹に、時計は容赦なく時を刻んだ。ファンサービスのため、およそ三時間に渡るステージを終えた彼らが会場の後ろのほうまで移動しているとき、私たちの前の席で涙を流していたお父さんが大きな声で叫んだ。
「ありがとう!」
きっと誰もが彼らに対して言いたかったであろうことを、お父さんが代表して叫んでくれた。私は拍手で彼らを送り出した。

 こうして二十六回続いた彼らの夏の野外イベントは大盛況のうちに幕を閉じた。私たちの夏休みも終わった。花火とともに燃え尽きた忘れられない夏となった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 夏の野外イベントは、全国から集まって来るファンを一箇所に集める役割も果たしていました。ですので、夏の野外イベントが近くなると、「夏イベ(夏の野外イベントの略称)には参加するの? 席はどこ?」といったメールが飛び交い、お互いに座席の情報を交換し合って、開演前に久し振りの再会を果たすといったことも行われていました。しかし、これからは、全国からのファンが一箇所に集まる機会をなくしてしまうことになります。そういう意味でも寂しさは募りますね。しかし、何かを失えば、きっと別のものを得られるだろうとも思っていますので、これからの新たな展開に期待したいと思います。○○のメンバーさん、長い間お疲れさま!

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.08.08

帰国後の行動

コリニヨンの八百屋とカフェ・ド・ムーランの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 撮影した写真をご紹介する時間がなかったので、ブログ内に写真を二枚だけ貼り付けていましたが、旅行アルバムを作成し、スライドショーを貼り付けておきましたので、映画『アメリ』の雰囲気を味わってくださいませ。

 私たちの乗った飛行機は、シャルル・ド・ゴール空港を飛び立ったあと、およそ十一時間余りに渡って順調に飛行を続け、日本時間の十四時頃、成田空港に無事に着陸した。私はもともと飛行機が苦手なので、フライト中は様々な妄想が頭の中を駆け巡る。そのため、飛行機が飛び立つ前には必死で自分のハイヤーセルフに呼び掛けて、フライト中の無事をお願いする。ガンモにしてみれば、私は無宗教なのに、まるで祈りを捧げているように見えるらしい。

 十一時間余りの飛行を経て、飛行機が無事に成田空港に着陸しようとするとき、私は生まれて初めて自分のハイヤーセルフの姿を感じた。私のハイヤーセルフは、仙女のような、真っ白な髪の毛のおばあちゃんだった。飛行機の中で観た映画の中にも、真っ白な髪の毛の人物は登場しなかったので、何かの影響により、自分の中で作り出した虚像ではなさそうだった。私はいつもその存在に向けて熱心に語り掛け、危機を脱していたのかと有難く思った。

 飛行機の中では、夕食をとったあと、映画を一本鑑賞して五時間ほど眠った。今回、私たちが利用した席は、エコノミー料金で利用することのできるプレミア・エコノミー席だった。通常のエコノミー席よりもゆったりとした席だったため、充分、くつろぐことができた。また、横三列のエコノミー席と違って横二列しかなく、ガンモと二人で座っていたため、フライト中、トイレに立つのもまったく遠慮が要らなかった。更に、プレミア・エコノミー席に備え付けの毛布は、エコノミー席の毛布よりもサイズが大きかったため、飛行機の冷房から身を守ることができた。とは言え、全体的に冷房がきつかったので、私は、足にはレッグウォーマーを履いて、上半身には冬に活用したボレロを纏い、その上から更に薄手の長袖パーカーを着込んでいた。

 座席に備え付けのパンフレットで、機内食サービスのメニューを確認したガンモは、朝食の前にリフレッシュメントとしてカップうどんまたはアイスクリームが配られることを知り、その瞬間を楽しみに、映画を鑑賞しながらずっと起きていたらしい。香川県出身のガンモは、うどんに対する愛着心が人一倍強いのだ。ここまでガンモが必死になったのも、行きの飛行機で危うく夕食を食べ損ねてしまいそうになってしまったため、意地でも起きておこうと思ったようだ。ところが、リフレッシュメントが配られる時間帯にはほとんどの人たちが眠ってしまっていたため、リフレッシュメントの配布は省略され、朝食のあとにアイスクリームが配られた。カップうどんを楽しみにしていたガンモは、とうとうカップうどんにありつくことはできず、単に寝不足に陥ってしまっただけだった。

 成田に到着して飛行機の外へ一歩出た途端、
「暑い!」
と私は言った。涼しいブリュッセルに比べてパリが暑かったとは言え、日本の暑さとは比べ物にならない。これまで夢を見ていたのに、いきなり現実に引き戻された感じである。

 飛行機を降りた直後、私は携帯電話の電源を入れて、実家に電話を掛けて無事に帰国したことを報告した。新型インフルエンザのチェックのための検疫に時間が掛かるのではないかと心配していたが、余裕で通り抜け、預けておいたスーツケースを受け取り、税関もスルーして自由の身になった。それから私たちは、到着ロビーの片隅でせっせと荷物の整理を始めた。横浜に二泊してから帰宅することになっていたので、空港からスーツケースを発送してしまおうと思ったのだ。そのため、二泊分の宿泊に必要な荷物だけを別のバッグに選り分けた。

 とは言え、パリの最終日にモンマルトルを散策したままの服装で、しかも、飛行機の中で冷房対策のために少し厚着をしていたため、私たちは汗をたくさん掻いていた。できればシャワーを浴びて着替えたいところである。しかし、このあと十八時から横浜で行われる野外イベントに参加することになっていたため、もうあまり時間がない。私たちは、ひとまずトイレで着替えだけを済ませて、二日間の滞在に不要なものはすべてスーツケースに詰め込んだ。

 驚いたことに、成田から私たちの自宅までスーツケースを二つも送った料金は、三千四百円ちょっとだった。駅からホテルまで、あるいは、ホテルから駅までスーツケースをコロコロ転がして歩くことや、駅に着いてから電車まで、更には自宅の最寄駅に着いてからバスに乗ってスーツケースを運ぶ手間を考えると、ずいぶん安いものである。こうして身軽になった私たちは、十五時四十八分発の特急成田エクスプレスに乗り、横浜へと向かった。

 私たちの乗った成田エクスプレスが横浜駅に着いたのは十七時十一分だった。そこから予約したホテルのある駅までJR線で移動して、ようやくホテルにチェックインした。野外イベントが始まるまで、もうあまり時間がなかったが、ホテルの部屋に入ると、どうしてもシャワーを浴びてすっきりしたい衝動に駆られた。もともと野外イベントには遅刻して参加することを覚悟していたので、私たちは一緒にシャワーを浴びた。飛行機の中で寝ていないガンモがとても辛そうだったので、頑張れ、頑張れと励ましながら、一緒にホテルを出て野外イベント会場へと向かった。

 野外イベント会場まで歩くまでの途中で、ガンモは、
「こんなきついスケジュール、聞いたことがない!」
とぼやいた。確かにその通りである。何しろ私たちは、昨日までパリにいたのだから。パリから成田に着いたその足で横浜まで移動してホテルにチェックインし、野外イベントに参加するなんて、他の人は多分、そんな無茶なことはしないだろう。それでも、どうしてもこの野外イベントは外せなかった。野外イベントは二日間に渡って行われるため、また後日、改めて報告させていただくことにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 無事に帰国しました。やはり、日本は暑いですが、関西地方のほうがもっと暑いんですよね。飛行機が成田に着いて、まだ良かったのかもしれません。パリを立ったのが夕方で、十一時間以上の飛行を続けて飛行機の中で五時間ほど寝たので、野外イベントに参加してから睡眠を取るのは、ちょっぴりお得な気がしました。時差ボケもなく、こうして元気に活動しています。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.08.07

コリニヨンの八百屋とカフェ・ド・ムーラン

パリの地下墓地カタコンブの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 肉はどんどん腐敗して行くのに、骨だけは三百年経っても残っているというのが、あるい意味、神秘ですね。ただ、積み上げられている人骨の中には、あばら骨はありませんでした。七百万体もの人骨を収納すると、場所を取ってしまうために、どこかで処分されたのかもしれません。

 いよいよパリ滞在の最終日がやって来た。「ガンまる日記」を書き上げたあと、大急ぎで荷物をまとめ、二日間お世話になったホテルを、チェックアウト時間の十二時ギリギリにチェックアウトした。十九時過ぎにシャルル・ド・ゴール空港を飛び立つ飛行機で日本に帰国することになっていたため、ホテルでスーツケースを預かってもらい、私たちは去年のやり残しを実践すべく、今回の旅における最後の目的地へと向かった。去年のやり残しとは、映画『アメリ』の舞台となったモンマルトルで、コリニヨンの八百屋で買い物をすることと、アメリの働いていたカフェ・ド・ムーランを確認することだ。

 私たちが宿泊していたGare du Nord周辺からモンマルトルまでは距離が近かったので、ホテル近くのヴェリブステーションで去年と同じようにヴェリブ(パリの貸自転車)を借りて、モンマルトルに向けて出発した。ご存知のように、フランスの自動車は右側通行なので、自転車も道路の右側を走る。しかも、歩道の上に自転車用の通路が設けられていることもあるが、ほとんどの場合は自動車と一緒に車道を走ることになるため、歩行者と一緒に歩道を走るのが一般的な日本とは違い、恐怖心が芽生える。それでも、メトロを何度も乗り継いで行くよりは、ヴェリブに乗って出掛けたほうがいいだろうということで、再びヴェリブに乗ってパリの街をスイスイ走ったのである。

 去年の記事にも書いたが、ヴェリブは三十分以内にヴェリブステーションに返却することが原則となっている。その繰り返しにより、一日わずか一ユーロ(日本円でおよそ百三十七円)で自転車を借りることができるのである。すなわち、三十分以内に返却し続けるならば、一日のうち何度借りても一ユーロしか掛からない。

 ガンモが地図を確認しながら私を誘導し、二人でモンマルトル周辺までやって来た。とは言え、モンマルトル周辺は坂道が多いので、ヴェリブで移動するよりも歩いたほうがいい。そこで、ヴェリブをヴェリブステーションに返却すべくヴェリブステーションをあちこち探し回ったのだが、なかなか見付からなかった。結局私たちは、ようやく見付けた目的地よりも少し先のところにあったヴェリブステーションにヴェリブを返却し、坂道の多いモンマルトルをてくてく歩き始めた。

 去年、モンマルトルを訪れたときに、コリニヨンの八百屋さんの場所を確認することはできたものの、夕方だったので、既にお店は閉まっていた。そのことが残念でならなかったので、今年、再びパリを訪れたのであれば、もう一度、コリニヨンの八百屋さんに足を運ぼうと思ったのだ。

 ガンモの案内でずんずん歩き、階段を昇ると、そこはコリニヨンの八百屋だった。店先には映画『アメリ』のポストカードや八百屋のポストカードが並べられている。ポストカードは、お土産にはちょうどいいと思ったのだが、ガンモが、
「お店のポストカードをプレゼントするなら、自分が撮影した写真をプリントしてプレゼントすればいいんじゃないの?」
と言ったので、なるほどと思い、伸ばした手を引っ込めた。

 そうなると、コリニヨンのお店に確かにやって来たという証が何か欲しい。そう思っていたところ、ゼリービーンズのようなお菓子が店頭に並べられていたので、それをいくつか求めた。そのお菓子のすぐ側には、コリニヨンのお店のイラストが描かれた小さな紙袋があった。日本では、お土産を複数買えば、購入した数分の小分け袋を入れてくれることもある。私はそれを期待して、いくつかのゼリービーンズもどきを手に持ち、中のレジへと進んだ。

 コリニヨンのお店のご主人なのか、それとも店員さんなのかはわからないが、あいさつをしてお会計を済ませると、お店の方は私が求めたいくつかのゼリービーンズもどきを、オレンジ色のナイロン袋にまとめて入れてくださった。「ええっ? コリニヨンのお店のイラストが描かれた小さな紙袋に入れてくれるんじゃないの?」と思ったが、フランス語で何と言えばいいかわからなかった。それに、買った数だけ、小さな紙袋をくださいと申し出るのも何だか図々しい気がして、私はコリニヨンのお店のイラスト入りの紙袋をもらえなかったことに肩を落としながらも店を出た。ガンモに、
「あの紙袋はもらなかった」
と言うと、ガンモもがっかりしていた。

 さて、あまり時間もないので気を取り直して、私たちはアメリが働いていたカフェ・ド・ムーランを目指した。ガンモが地図を見ながら歩き、間もなくお店の前に着いたのだが、そこは観光客を積極的に勧誘するようなお店ではなかった。確かに、映画『アメリ』を観た観光客が世界各地から訪れてはいるものの、観光客が店の前で立ち止まり、記念撮影をしていたとしても、お店の人に中に入らないかと勧誘されたりはしない。きっと、観光客よりも、地元のお客さんを大事にしているお店なのだろう。

 それでも私はお腹が空いていたので、ガンモに、
「ここでお昼ご飯を食べよう」
と提案した。しかしガンモは、お店の外の看板に書かれていたメニューがフランス語のみであることを理由に、
「メニューが良くわからないから嫌だ」
と言った。私は、せっかくここまで来たのに、お茶の一杯も飲まずにカフェ・ド・ムーランを去ってしまうことが心残りで仕方なかったので、何とかガンモを説得し、一緒に中に入った。

 ところが、お店の人は私たちが中に入ったことに気付いているはずなのに、メニューも持って来てくださらないばかりか、目も合わせてはくださらなかった。カメラを首からぶら下げているために、アメリ目的の冷やかしの客だと思われたのかもしれない。店内を見渡すと、アメリのポスターが貼られていたり、アメリが給仕をしている写真も額に入れられ、掲げられていた。ここがアメリの働いていた店だということをさりげなく主張はされているようである。

 私はそれにもめげず、何とかウェイターさんを捕まえて料理を注文した。注文したのは、良くわからなかったが、メインディッシュとパン、それからデザートが付いている、一人十四ユーロ九十セントのアメリセットだ。料理を注文してからは、ウェイターさんやウェイトレスさんも私たちの存在を認めてくださった。テーブルには、ランチョンマット代わりにアメリのイラスト入りシートが敷かれた。このシートは、一枚三ユーロで販売されているようだ。

 店内を見渡すと、常連さんと思える人たちが何人かいらっしゃった。マスターと親しそうに話しながら、カウンターでコーヒーを飲んでいる男性もいれば、机の上にパソコンや資料をいっぱいに広げて、パソコンに向かって何かしきりに打ち込んでいる人もいた。もちろん、観光客も次々にやって来る。カメラを持った観光客は、うれしそうに店内を撮影していた。

 映画『アメリ』の中で、激しいセックスシーンとして登場するトイレにも行ってみた。トイレには、映画『アメリ』の中で手紙を運んだドワーフとともにアメリのグッズが展示されていた。

 私たちが注文した料理は、ゆっくりと運ばれて来た。私たちはメインディッシュとともにパンをいただき、デザートを食べた。そして、席でお会計を済ませ、ほんの少しのチップをテーブルに残してカフェ・ド・ムーランを出た。ああ、これでもう、モンマルトルに思い残すことはない。

 時計を見ると、十五時半過ぎだった。これからヴェリブに乗って、地図を見ながらホテルまで戻る時間はない。そこで私たちは、カフェ・ド・ムーランの最寄駅Blancheからメトロに乗り、メトロを乗り継いで、再びGare du Nordまで出た。ホテルに戻って、預けておいたスーツケースを受け取り、今度はGare du NordからRER線に乗り、シャルル・ド・ゴール空港まで出た。去年のやり残しを完了させた達成感があるとは言え、パリを去るのは名残惜しい。私たちは、まだまだパリでやり残したことがあるように思えた。しかし、もう日本に帰らなければ。

 私たちは免税店で買い物をし、成田行きの飛行機に乗り込んだ。関西国際空港行きではなく、成田行きの飛行機を選んだのは、日本を立ったときに成田から出発したからではなく、夏休み最後のイベントが横浜で控えていたからだ。というわけで、帰国しても、私たちの夏休みはもう少し続くのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、コリニヨンの八百屋とカフェ・ド・ムーランをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回は、パリに二泊しかしなかったので、去年のやり残しは完了させたものの、パリを立つときは、やはり後ろ髪を引かれる思いでしたね。景気もあまり良くないので、来年の夏休みの旅行は実現させられるかどうかわかりませんが、もしもまたパリを訪れることがあるならば、今度はもう少しフランス語を勉強して行かないと、パリの人たちに失礼な気もします。英語を話してくださったパリの皆さんに感謝です。(苦笑)

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2009.08.06

パリの地下墓地カタコンブ

ガンまる、タリスに乗るの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。日本ほどではありませんが、日中のパリはとても暑いです。(苦笑)暑いので、ホテルの部屋に備え付けのクーラーを付けたまま寝たのですが、寝苦しくて目が覚めてしまいました。窓を開けてみたら、外のほうが涼しかったです。どうやら、日中と夜の気温さが激しいようですね。

 ホテルで朝食バイキングをとったあと、最寄駅のGare du Nordからメトロに乗った。メトロに乗るとき、ガンモは一年前にパリで購入したメトロの回数券を私に差し出した。メトロの料金は、一年前よりも値上がりしているのだが、回数券そのものは有効期限がないため、使用できるはずだとガンモは言う。しかし、一年前の回数券で自動改札を通ったときに警告が出てしまうのは恥ずかしいので、私を実験台に使おうと思ったらしい。私は、喜んでその実験に臨んだ。実際、私が一年前の回数券を自動改札機に通しても、警告は出なかった。その様子を側で見守っていたガンモは、手元に残っていた一年前の回数券を自分用に一枚取り出して、安心して自動改札を通り抜けた。こうして私を実験台に使うとは、ガンモも小心者である。

 メトロを乗り換え、Denfert-Rochereauで降りると、通りを挟んで向こう側の建物のあたりにたくさんの人たちが行列を作っていた。今回、私たちが目指したのは、パリの地下墓地カタコンブである。十八世紀に、人口増加のため墓地のスペースが足りなくなり、葬る場所がないためにあちらこちらに放置された遺体を、これまで鉱石などを掘るために使われていた坑道内に運び込んだのが始まりだったとか。カタコンブには、およそ七百万体の無縁仏の遺骨が葬られているという。

 長い長い待ち列は、カタコンブの入口近くの小さな公園のようなところまで曲がりくねった状態で続いていた。私たちは最後尾に並んだものの、ちょうどお昼どきだったので、ガンモが並んでいる間に、私が近くのマクドナルドに出向き、昼食を調達して来た。購入したのは、アントワープのマクドナルドで食べたのと同じヨーロッパ限定(?)の四角いハンバーガーとポテト、ドリンクのセットである。テイクアウト用に包んでもらったので、包みを開けるまで気付かなかったのだが、ポテトの形が面白かった。アントワープのマクドナルドでは、日本と同じく細長いフライドポテトだったのだが、パリのマクドナルドのポテトはフリッツだった。私たちは、行列を作って並んでいる間に昼食を済ませた。

 各国から観光客が訪れているらしく、入場待ちをしている間にいろいろな言語が聞こえて来た。とりわけ、英語圏からやって来た人たちが多いように思えた。入場待ちをしている間に、英語のヒアリングのレッスンができるのはありがたいことである。およそ一時間半ほど並んだのち、ようやく私たちも入場できることになった。入場料を支払い、中に入ろうとすると、「写真撮影は可能ですが、フラッシュは焚かないでください」とカタコンブのスタッフに言われた。

 中に入ると、まず、地下へと続く長い長い階段があった。私は思わず、ブルージュの鐘楼を思い出したが、今回は出口が別にあるので、一方通行である。これでもかというくらい長い階段を降りて、私たちはようやく地下に降り立った。空気がひんやりとしていて気持ちがいい。

 展示室のようなところを通り抜け、その先にある長い長い坑道を進んだ。カタコンブはパリ市内全域の地下に広がっているらしく、中は迷路のようになっているという。そのため、観光客用に公開されているのは、およそ一.五キロのコースだとか。指定されたコース以外の坑道に入ると迷ってしまい、自分自身が骨になってしまったという人もいるそうだ。

 先へ先へと歩いて行くと、何となく厳格な雰囲気の漂うゲートまでやって来た。おそらく、そこから先が無縁仏の葬られているスペースなのだろう。ゲートのようなところをくぐり抜け、中に入ると、そこには人骨が山積みにされていた。それを目にした途端、私たちも、そして他の観光客たちも言葉を失い、薄暗い坑道の中には人がたくさんいるというのに静寂が広がっていた。

 人骨は、何かの入れ物に入れられて大切に仕舞われているわけではなく、むき出しのままで、秩序を保ちながら山積みにされていた。どの骨が誰の骨なのか、もはやわからない。骨ごとにまるで薪(たきぎ)のようにまとめられ、ところどころにアクセントのように頭蓋骨が並べられている。ああ、これが三百年前に生きた人たちの遺骨なのか、と思う。足を踏み入れた直後は、重苦しい雰囲気に包まれていたが、人骨ばかりが積み上げられたコースを進むに従って、ここに葬られている人たちが何かこの世に恨みを持ってここに留まっているわけではなさそうだと感じた。

 様々な形で積み上げられた人骨は、およそ一キロに渡って続いていた。人骨の山がまだある、まだあると思いながら人骨の前を通り過ぎ、ようやく出口へと近付いて来た。途中、パリの地下水がポタポタと落ちている場所もあった。もしもポタポタどころかドバーッと地下水があふれ出して来たら、七百万体の人骨は再び行き場をなくしてしまうのだろうかとも思った。

 フラッシュを使った撮影は禁止されているにもかかわらず、観光客の中にはフラッシュを焚いて撮影している人たちが何人もいた。私は三脚を持たずにデジタル一眼レフを手持ちで撮影したため、手ぶれ写真が多くなってしまった。ガンモは、デジタルカメラの感度を千六百の高感度に設定して撮影していたため、手ぶれもなくきれいに撮影できたようだ。

 私たちはチェックされなかったのだが、出口では、中の人骨を持ち帰ろうとしている人がいないか、荷物チェックが行われているらしい。確かに手の届くところにむき出しのままで人骨が山積みされているので、誰でも人骨を持ち帰れる状況にはある。しかし、人骨を持ち帰る人は、一体何のために持ち帰るのだろうか? それもまた疑問である。

 山積みされた人骨は、いくつものオブジェのように私たち観光客の心の中に響く何かを落として行った。私の中に芽生えたのは、肉体を出て行った魂は、もはやかつての肉体には執着していないという感覚だった。それと、たくさんの人骨が一箇所に集められることで、個は潰されているが、「大きな一つ」を生み出しているということだった。私たちは、肉体を持っている間は自由意思を持ち、全体の中の単なる一つの存在に過ぎないが、ここに集められた七百万体の無縁仏は、肉体から離れることで自由意思を手放し、全体で「大きな一つ」を形成していた。つまり、One of themからOneへの変貌を遂げたように思えたのだ。生きるということは執着し続けることで、肉体を離れるということは執着から解放されることなのかもしれないとも思った。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、パリの地下墓地カタコンブをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回は、暗くて手ぶれ写真が多かったので、小さめのサイズのスライドショーを公開させていただきます。(苦笑)それにしても、積み上げられた人骨を初めて目にしたときは驚きました。最初のうちは、人骨を薪のように積み上げるなんて、死者に対して敬意が払われていないように感じたのですが、骨の種類ごとにきれいにまとめられているのを確認したとき、決してこれらの人骨が無造作に扱われているのではないと思い直しました。それに、ここに葬られていればたくさんの仲間たちと一緒なので、寂しくはないのではないか、とも思いました。更には、ここに収められた人骨は、自分への扱いが無造作であるとか、敬意が払われていないとかいうことはもはや気にせずに、次の段階へ進んでいると思いました。感じることや、考えるところの多い場所でありました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.08.05

ガンまる、タリスに乗る

ブルージュの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。記事の中でご紹介していたスライドショーの元画像(旅行アルバム)へのリンクが間違っていました。リンクをクリックしてくださった皆さん、申し訳ありませんでした。修正しておきました。今回撮影した写真を一冊の旅行アルバムにまとめ切れなかったので、撮影した写真を壁紙としてダウンロードできるサイトにアップしてみました。もし、お気に入りの写真がありましたら、パソコンの壁紙としてダウンロードして、かわいがってやってくださいませ。(苦笑)

 とうとうブリュッセルを出発する日がやって来た。いつものように、ホテルのカフェで朝食バイキングを食べたあと、部屋に戻り、「ガンまる日記」を書き上げた。しかし、写真の整理に思いのほか戸惑ってしまい、十二時チェックアウトだというのに、ギリギリまでパソコンに向かっていた。ようやく書き上げて時計を見ると、チェックアウト時間のおよそ二十分前だった。まだスーツケースに荷物を詰めていないというのに、何ということだろう。

 私たちはブリュッセルに五泊したので、既に洗濯物がたくさん溜まっていた。できればブリュッセルに滞在中に一度、コインランドリーに出向いて洗濯をしておきたかったのだが、宿泊したホテルの周辺には、ルイ・ヴィトンだのカルティエだのディオールだのエルメスといった高級ブランド店が立ち並ぶ場所にあったため、庶民的なコインランドリーにお目に掛かることはできなかった。コインランドリーでの洗濯を諦めたガンモは、ホテルのバスルームで自分の着たものをせっせと洗濯していたが、私は腹巻や四足セットの靴下などとにかく量が多いので、次なる目的地であるパリまで洗濯物を持ち込むことにしていた。

 五日分の洗濯物をたっぷりと含んだ洗濯物入れは、パンパンに膨れ上がっていた。日本から衣類をスーツケースに入れて持ち込んだとき、私はすべての衣類を圧縮袋に小分けしてコンパクトにしていた。衣類をコンパクトにした状態でようやくスーツケースに収まったのだから、溜まった洗濯物も小分けして圧縮袋に入れなければ、スーツケースには収まり切るはずがない。しかし、チェックアウト時間が差し迫っている今、もはや洗濯物入れの中の洗濯物をわざわざ小分けして圧縮袋に入れている時間はない。

 ガンモは私のスーツケースに、五日分の洗濯物を洗濯物入れのまままるごと押し込み、周辺に散らばっている小物たちも一緒にスーツケースの中に放り込んだ。私は、
「日本から持って来るときは、圧縮袋に衣類を入れてようやく収まったんだから、それらの衣類を圧縮袋に入れずにスーツケースに収まるわけがないでしょ」
と言った。すると、ガンモは、
「もう時間がないんだから、仕方ないだろ」
と反論した。仕方がないので、私はパンパンに脹らんだスーツケースの上に乗り、何とかスーツケースの蓋を閉めようとした。しかし、私の重い重い体重を掛けても、私のスーツケースの蓋はなかなか閉まらなかった。そこで、私がスーツケースの上に乗っている間に、ガンモが上から手で押さえて力をかけると、ようやく私のスーツケースの蓋が閉まった。

 そして、十二時ギリギリにホテルをチェックアウトしたあと、ホテルの最寄駅から地下鉄に乗り、ベルギー国鉄の乗り換え駅まで出た。ロンドンと違って、地下鉄の駅にエスカレータやリフト(エレベータ)の設備が整っているのはありがたい。ベルギー国鉄の駅からは、パリ行きのタリス(ドイツのケルンとフランスのパリを結ぶ国際高速列車)を利用することになっていた。

 タリスの発車時刻が十三時十三分だったので、私はタリスの中でサンドイッチを食べようと、ベルギー国鉄の構内にあるスーパーで長いサンドイッチを買ってタリスに乗り込んだ。今回、私たちが利用したのはファーストクラスである。去年、ロンドンからパリまでユーロスターを利用したときもファーストクラスだったが、そのときは昼食が付いていた。今回も同じように昼食が付いているのかとガンモに尋ねてみると、良くわからないという答えが返って来た。というのも、ブリュッセルからパリまでは、およそ一時間二十分ほどしか掛からないため、昼食を食べるには時間が短いのではないかと思ったからのようだ。

 お腹が空いていた私は、タリスに乗り込むや否や、さきほど購入した長いサンドイッチをむしゃむしゃ食べ始めた。朝食にはホテルの朝食バイキングをたっぷり食べたものの、健康のために果物と生野菜中心の朝食にチャレンジしたため、ひどくお腹が空いていたのだ。タリスに持ち込んだ長いサンドイッチを半分以上食べ終わった頃、サービス係の男性がお手拭と昼食のメニューを配ってくれたので、私はかなり慌てた。昼食のサービスはないと思っていたのに、これから用意されることがわかったからだ。

 私は食べかけのサンドイッチを慌てて仕舞い込み、何食わぬ顔をして昼食のサービスを受けた。サービス係の男性が、
「飲み物は何にしますか?」
と尋ねてくださったので、私は、
「白ワインをください」
と言った。すると、私の隣に座っていたガンモもまた、
「赤ワインをください」
と言った。「何故、お酒の飲めないガンモが食事のときに赤ワインを頼むのか?」と思われる方もいらっしゃることだろう。私もそう思う。そう、ガンモはその場の雰囲気に呑まれ易い。このような場で私が白ワインを注文すると、ガンモはそれほどお酒が飲めるわけでもないのに私に便乗して赤ワインを注文してしまう。そして、ガンモが飲み切れない赤ワインは、私の元へやって来て、私はすっかりゴキゲンになってしまうというわけだ。

 幸いにして、用意された昼食はそれほど重いものではなかった。私はパンを一つだけいただいて、白ワインを飲みながら、昼食をぺろりとたいらげた。隣では、早くもガンモが赤ワインに酔っていた。これ以上、ガンモに赤ワインを飲ませてしまっては大変なことになる。ガンモは自分でもわかっていたのか、私の空いたグラスに自分の赤ワインを注ぎ込んだ。私はガンモに注がれた一杯の赤ワインを責任を持って飲み干したあと、ガンモの手元に残っていた赤ワインも飲み干した。高速で走るタリスの中で、私の気分もハイになって来た。

 ところで、タリスには、無線LANを使って無料でインターネットに接続できるサービスがあった。自分の電子メールを登録するだけで誰もが利用することができる。「最初からタリスの中でインターネットを利用することができるとわかっていれば、ギリギリまでホテルでパソコンに向かわなくても良かったのに」などと思ったが、昼食を食べ終えると、パリ到着までほとんど時間がなかったので、これで良かったと思うしかないだろう。

 ブリュッセルとパリは思いのほか近かった。あっという間にタリスはパリ北駅(GARE DU NORD)に着いた。そう、一年前に私たちが拠点にした駅である。一年前に宿泊したホテルに、今回も宿泊するのである。タリスを降りると、私たちは、
「パリに帰って来たね」
と言った。ああ、何だか本当に懐かしい。私は間違いなくパリが大好きだ。パリ北駅に降り立った瞬間、そう思った。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ガンまる、タリスに乗るをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 日本の新幹線とタリスが同じくらいのスピードで走ると仮定するならば、ブリュッセルとパリは、神戸と名古屋くらいの距離なのでしょうか。ずいぶん近いですよね。ヨーロッパ諸国では、こんなふうに簡単にお互いの国を行き来できるために、こちらに住む人たちは外国語に強いのかもしれません。もちろん、もともと構文が似ているというのもあるのでしょうが・・・・・・。それを考えると、海に囲まれている日本は、外からやって来たものを受け入れるためには大きな壁があることは間違いないでしょうね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.08.04

ブルージュ

ミニ・ヨーロッパの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 写真ではご紹介し切れていませんでしたが、鉄道のほか、道路には車が走っていたり、運河を渡る船なども再現されていました。ミニ・ヨーロッパは、大人も子供も一緒に楽しめる場所であります。

 ホテルの最寄駅から地下鉄に乗り、ベルギー国鉄に乗り換えて、ブリュッセルからおよそ一時間のところにある観光都市ブルージュへと足を伸ばした。ブルージュはかなり有名な観光都市らしく、世界各地からたくさんの人たちが集まっていた。ブルージュ駅を出てしばらく歩き始めると、いきなり美しい風景が目の前に広がって来る。まるで、街全体が倉敷の美観地区のようである。どの風景を切り取ったとしても、デスクトップの壁紙にできそうだ。

 私たちは、石畳の道をてくてく歩き、大きな広場の前を通り過ぎ、大きな建物の前に立った。そこは、三百六十六段もの細い階段がある鐘楼である。ガンモはガイドブックでこの場所を見付け、ブルージュの景色を見るためにてっぺんまで登りたいと言う。しかし、私は大変な高所恐怖症で、本当は飛行機に乗るのも怖い。ガンモと一緒にしばしば出掛けていた日本国内の鉄道乗り潰しの旅においても、外の景色を見たいというガンモが寝台特急列車の二段ベッドの下段をいつも陣取ってしまうために、高所恐怖症の私が二段ベッドの上段に寝なければならず、毎回、二段ベッドの簡易階段の昇降に震え上がっていたものだった。また、コンサートで二階の最前列の席に当たろうものなら、開演中は絶対に席を立つことができないほどの高所恐怖症なのだ。

 そんな私は、高所恐怖症でないガンモとともに、高所恐怖症のリハビリのために日本のあちらこちらの灯台にも足を運んで来た。私と同じように高所恐怖症の方ならおわかりいただけると思うが、高所恐怖症の人は、登るよりも降りるときのほうが恐怖心が強い。登ったはいいが、思うようには降りられないという危機感にさらされたことがこれまで何度あったことか。それなのに、ガンモはまたしても私を高所へと連れ出し、今度は三百六十六段もの細い階段を登ると言うのだ。私は最後まで抵抗し続けたが、ガンモはせっかくここまで来たのだから、上まで登りたいと言う。私はとうとう観念し、ガンモに荷物の一部を持ってもらうという交換条件のもとで、登頂の列に並んだ。

 さて、入場料を支払ってゲートをくぐると、いきなり細い階段があった。果たして、このような細い階段を上まで登って行くのだろうか? しかも、もっと上になると更に細くなり、登る人と降りる人が同時に通行することはできないという。私は歯をくいしばり、余計なことは一切考えずに階段を一歩一歩踏みしめた。いや、正確には踏みしめたというよりも、掴まる手すりがないところは手で階段を掴んだ。私はまるで四本足の動物のように、手が汚れることも気にせず、階段に手を伸ばしながら着実に進んだ。

 こうした特殊な場所においては、国籍に関係なく、譲り合いの精神が生まれる。各国の観光客たちは、私が必死で階段を掴んで歩いている姿を見守りながら、狭い通路の上に縮こまって通路を開けてくださった。電車では、降りる人のほうが優先だが、ここでは登る人のほうを優先してくれた。

 途中、休息コーナーのような場所がいくつかあり、私はそれらの場所に辿り着くと、椅子に座り、ゆっくり休んだ。いくつ目かの休息コーナーで休息を取ったとき、てっぺんまであと残り三十段余りだということがわかった。そこは、登り始めたときよりも確かに狭い階段になっていたが、私は気合を入れて登り続け、ついに登頂に成功した。あとから振り返ってみれば、思っていたほど苦痛ではなかった。

 鐘楼のてっぺんには金網が張り巡らされ、金網の間から美しいブルージュの街並みを見下ろすことができるようになっていた。私は、金網の間にカメラのレンズを滑り込ませ、美しいブルージュの街並みを撮影した。三百六十六段の階段を登ってほど良く疲れている身体に、あたかも「お疲れさん」と言ってくれるかのように、涼しい風が降り注いで来る。ああ、頑張ってここまで登った甲斐があった。私はそう思った。

 しかし、美しいブルージュの街並みを堪能したあと、いよいよ降りることになったとき、私の足はすくんだ。これを降りるの? 登るときは無我夢中であまり感じなかったが、やはり階段は細くて狭い。しかも、てっぺんにはたくさんの人たちがいて、私が降りようとするタイミングに他の人たちも一緒に降りて来ることになった。その人たちをお待たせしてしまってはいけない。私はそう思い、恐怖心に鞭を打って、最初の一歩を踏み出した。私は再び四本足の動物に変身していた。頑張れ、自分。ガンモも私のすぐ後ろから、掛け声を掛けてくれている。ガンモは、アメリカ人らしきお父さんが小さな息子さんのために、
"step, step"
と掛け声を掛けていたのを真似て、私にも、
"step, step"
と声を掛けてくれているのだ。

 のろい私のペースに合わせて降りてくださる他の方たちの優しい気遣いや、ガンモの掛け声に支えられながら、四本足の私は一歩一歩着実に降りて行った。途中、登る人たちとすれ違ったが、自分が登るときに道を譲ってもらったことを思い出し、階段の端のほうに身を寄せながら、登る人たちに道を譲った。登って来る人たちの中には日本人もいた。普段、海外に来ると日本人には声を掛けないのに、私はその日本人に声を掛け、
「あともう少しですから頑張ってください」
と言った。その日本人は、
「あとどれくらい登ればいいのか、誰も教えてくれなかったから助かります」
と言ってくれた。

 今、私たちが降りているこの細い階段は、一体何に例えられるのだろう。観光地という特殊な場所が、人々の中に譲り合いの精神を目覚めさせているのだろうか。私は、戦争のことを考えた。戦争はどうして起こるのだろう。みんなが、この細い階段での体験を活かせば良いのではないだろうか。そんなことを考えているうちに、私はほとんど降り切っていた。地上はまだだったが、私が大喜びしていると、私の後ろで私のゆっくりしたペースに付き合ってくださった方たちが、私を見ながら微笑んでくださっていたそうだ。私が喜びを表現していた場所は休息できるスペースだったので、私の後ろでゆっくりしたペースに付き合ってくださった方たちを先にお通しして、私たちはゆっくり降りた。

 間もなく私たちは無事に地上に着いた。地上に着いたあと、私はガンモに、
「三百六十六段なんて、ちょろいちょろい」
などと言った。途中、確かに恐怖心はあったものの、もっともっと大変なのかと思っていた。私は更に、
「やっぱり登って良かったよ。いい経験になった」
と付け加えた。高所恐怖症の恐怖心を克服できたわけではなかったが、国籍に関係なく、細い階段を譲り合う精神に触れられたことは、私にとって、大きな収穫だった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ブルージュをご覧ください。

※旅行アルバムでご紹介し切れなかった写真は、壁紙としてダウンロードできるサイトにアップロードしています。よろしければそちらもご覧くださいませ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 細い階段の上では、互いに言葉が通じなくても、相手を労わり、理解しようとする美しい精神がありました。人と人が理解し合うのは、言葉ではないと感じた瞬間でもありました。高所恐怖症に負けて、ここに登らない選択をしてしまえば、決して体験できないような貴重な体験ができたと思います。

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2009.08.03

ミニ・ヨーロッパ

「パトラッシュ、ボクはもう疲れたよ」の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 出掛ける直前に記事を慌てて更新したため、誤字や脱字が多く、とても見苦しい記事になってしまっていました。申し訳ありませんでした。ところで、今回の旅行の計画を立てるまで、私は「フランダースの犬」の舞台はオランダだと思っていました。おそらく、かつてのネーデルランドがオランダだと思い込んでいたからでしょう。しかし、今回の旅で初めて知ったのですが、ネーデルランドは現在のオランダももちろん含みますが、同時にベルギー北部も含むのだそうです。アントワープはベルギー北部なので、かつてのネーデルランドに含まれていたわけです。そのため、アントワープの公用語はフランス語ではなくオランダ語のようです。どうりであのあたりで話されている言葉は、フランス語じゃないなあと思っていました。(苦笑)ベルギーの公用語はオランダとフランス語と、更にはドイツ語の地域もあるんですよね。駅名票も、フランス語とオランダ語の両方が書かれていたりして、とてもにぎやかです。

 ブリュッセルに、ヨーロッパ各地のミニチュアで楽しませてくれるミニ・ヨーロッパなるテーマパークがあるという。面白そうなので、ガンモと二人で出掛けてみることにした。

 ホテルの最寄駅から地下鉄に乗り、しばらくてくてく歩くと、ミニ・ヨーロッパに隣接する施設の入口が見えて来た。その入口から入り、矢印の方向に進んで行くと、ミニ・ヨーロッパの入口が見えて来た。

 入場料を支払って中に入ると、ミニ・ヨーロッパのマスコットであるカメのサンドイッチマンが迎えてくれた。日本で真夏にサンドイッチマンに出会うとひどく暑苦しいが、真夏でも最高気温が二十数度までしか上がらないベルギーでは、ちっとも暑苦しくはない。マスコットのカメのサンドイッチマンは、とても友好的に私たちに手を差し出し、握手をしてくれた。入口付近にはカメラマンの女性がスタンバイしていて、マスコットのカメと並んでいる私たちの写真を撮影してくれた。おそらく、この写真がのちにプリントされ、「記念写真が撮れているが要らないか?」と購入を促されるのだろう。観光地にありがちなパターンである。私たちは二人とも、それぞれの首からデジタル一眼レフをぶら下げて歩いているというのに、「そのカメラを使って写真を撮りましょうか?」と言ってくださるのではなく、カメラマンの女性が持っているカメラで写真を撮ろうとするのは、サービスではなくセールスなのだ。

 それはさておき、中に入ってみると、予想通り、なかなか楽しいところだった。特に、実際に訪れた場所のミニチュアに関しては、「なるほど、そこまで細かく再現するのね」というおかしさがこみ上げて来た。例えば、パリとロンドンを結ぶユーロスターは、ドーバー海峡を海底トンネルで渡るところが忠実に再現されていた。また、去年訪れたパリのサクレ・クール寺院は、そこに行き着くまでのケーブルカーや高台から見下ろすための見晴台まで忠実に再現されていた。更に、放射線状に伸びた通路の中心にそびえ立つパリの凱旋門も、その周辺の雰囲気まで良く出ていた。

 オランダの風車や、兵士や兵隊さん、農家の人の立体顔抜き、エッフェル塔、飛行場、闘牛場など、どれも大人の遊び心いっぱいのミニチュアが勢ぞろいしていた。ベルリンの壁のミニチュアもあり、スイッチを押すとショベルカーが動き、ベルリンの壁を壊す仕掛けがあったり、実際に訪れていなくても、知識だけで楽しめるミニチュアもあった。とは言え、中にはまったく知らないミニチュアも多かったので、ヨーロッパを訪れる度にミニ・ヨーロッパに展示されているミニチュアへの理解度も深まると思えば、ヨーロッパを訪れる楽しみも増えるというものだ。写真をたくさん撮影したものの、毎回、スライドショーとしてまとめている一冊のアルバムだけではとてもご紹介し切れない。

 もともとブリュッセルにこのような施設が出来たのは、どうやらブリュッセルにEUの本部があるからのようだ。すべてのミニチュアを見終わると、最後はEUに関する展示物で締めくくられていた。

 ミニ・ヨーロッパを堪能した私たちは、施設内の飲食コーナーで少し遅めの昼食をとった。飲食コーナーのすぐ先には、予想した通りの写真販売コーナーがあり、入口で撮影してもらった私たちの写真や、その写真から作成したキーホルダーも販売されていた。写真は一枚六ユーロ(一ユーロ百三十七円として八百二十二円)、キーホルダーは一つ五ユーロ(一ユーロ百三十七円として六八五円)だった。私たちはキーホルダーは購入せず、写真だけを一枚購入した。その写真は、マスコットのカメが真ん中に立ち、私たちの両肩に手を置いていた。マスコットのカメの中に入っているサンドイッチマンだって、きっと普段は一般の人間であるはずなのに、彼あるいは彼女は、こうしてマスコットのカメの中に入っているときだけ別人になり切ることができるのだ。

 ようやく身体が慣れて来たのか、それとも睡眠時間を確保することができたからなのか、あるいは生理が落ち着いて来たからなのか、広い敷地内を歩き回ったというのにほとんど疲れは出ず、ホテルに帰ってからもすぐにバタンキューとはならずに二十三時頃まで起きていた。しかし、こうして身体が慣れて来た頃に、その地を離れなければならない。それが海外旅行の鉄則というものだ。私たちがベルギーに滞在するのは、あと二泊だけとなってしまった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ミニ・ヨーロッパをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ミニ・ヨーロッパという名前が実にいいですよね。短時間のうちにヨーロッパの雰囲気を堪能することのできるスポットかもしれません。あいにく、すべてのミニチュアをご紹介することはできませんでしたが、まだまだたくさんのミニチュアがありました。知らないミニチュアもたくさんあり、私たちはまだまだヨーロッパのヨの字も知らないなあと感じです。隣接している国であっても、それぞれの文化があって面白いですね。

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2009.08.02

「パトラッシュ、ボクはもう疲れたよ」

小便小僧と小便少女、そしてムール貝の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。とても励みになっています。とあるサイトからの情報によりますと、小便小僧の顔抜きがあるのだそうです。(顔抜きがどのようなものであるかについては、顔抜きのはなしをご覧ください)しかも、小便小僧の顔抜きは、顔だけでなく、性器も出せるようになっているとか。むむむ、これは見逃してしまいました。(苦笑)

 前日の夜、二十時頃に就寝したためか、三時半に目が覚めてしまった。途中、起きて三十分くらいガサゴソしていたので、合計七時間くらいは眠ったことになる。いったん目覚めたときに、「ガンまる日記」を更新しておきたかったのだが、どうにもこうにも眠気と疲れに勝てず、再びベッドに倒れ込んだ。三時半に目覚めたあと、じっくりと「ガンまる日記」を書き上げ、ホテルのカフェで朝食バイキングを食べた。

 外はあいにくの雨だった。朝食のあと、準備を整えて私たちが向かったのは、アントワープである。アントワープは、ブリュッセルからベルギー国鉄に乗っておよそ四十分のところにある。アントワープはベルギーでブリュッセルの次に大きな都市で、私たちが利用した航空会社によって運行されているアムステルダムのスキポール空港からブリュッセルまでの無料バスを利用したときも、その無料バスがアントワープに停車したくらいだ。

 ベルギー国鉄に乗るために、私たちはホテルの最寄駅から地下鉄に乗り、ベルギー国鉄の乗り換え駅にやって来た。そこでベルギー国鉄の十回回数券を購入し、アムステルダム行きの列車に乗り込んだ。EUの加盟国同士は、パスポートの提示なしに自由に行き来できるため、運行されている列車も国をまたいでいる。もしも日本が韓国や中国と陸続きならば、パスポートの提示なしで韓国や中国に自由に行き来できるようなものだ。

 列車はヨーロッパには多いテーブル付きの席だった。私たちが乗り込んだ直後は利用者が少なかったのだが、発車直前になるとたくさんの人たちが乗り込んで来た。アムステルダム行きの列車ということで、スキポール空港に向かう人たちも多かったのかもしれない。大きな荷物を抱え、国際色豊かな乗客で溢れ返っていた。およそ四十分後に私たちがアントワープで降りると、やはり大きな荷物を抱えている人たちがたくさん、私たちの降りた列車に乗り込んで行った。

 アントワープの駅は、荘厳な感じのする大きな駅だった。ダイアモンドが名産品らしく、駅前にはダイアモンドを扱うたくさんのお店が立ち並んでいた。

 ちょうどお昼どきだったので、駅前にあるマクドナルドで昼食をとった。日本では見掛けないような四角いハンバーガーが販売されていたので、注文してみた。思ったよりもボリュームがあったので、朝食をたっぷり食べていた私は食べ切ることができず、捨ててしまうのももったいないので、ポテトと一緒に入れ物に入れて夕食のために持ち歩くことにした。

 マクドナルドを出たあと、大きな通りを歩き、ひとまずアントワープ出身の画家、ルーベンスの家を見学した。記事が長くなってしまうので、ルーベンスの家に関しては、帰国後にじっくり綴らせていただくことにしよう。

 ルーベンスの家でお土産を買い、ショップを出ると、外で待っていたガンモが血相を変えて、
「えらいこっちゃ、あと三十分で大聖堂が閉まってしまう! 大聖堂に行けなかったら、何のためにアントワープに来たかわからない」
と言うではないか。あまりにも慌てふためくガンモにつられて時計を見ると、十五時半だった。

 実は、私たちがアントワープまで足を伸ばしたのは、「フランダースの犬」のネロ少年がルーベンスの絵を見たい一心で辿り着いたものの、とうとう命尽きてしまったノートルダム大聖堂を訪れるためだった。まだまだ時間があるだろうと思い、ルーベンスの家でのんびりくつろいでいたところ、ガイドブックに記載されていたノートルダム大聖堂の閉場時間まであと三十分しかないという状況に陥ってしまったらしい。しかも、ルーベンスの家からノートルダム大聖堂までは、歩いて二十分ほど掛かるという。

 私たちは、早歩きで目的のノートルダム大聖堂へと急いだ。しかし、既にあちこち歩き回ってひどく疲れている上に、私は生理の二日目で、しかも大きな筋腫をかばいながら歩くことになるので、どんなに急いでもゆっくりしか歩くことができなかった。ガンモは途中で何度も振り返りながら私の先を歩いていた。ガンモが焦っている様子は私にも良くわかる。わざわざベルギーまでやって来て、しかもアントワープまで足を伸ばしたというのに、ノートルダム大聖堂の中に入れないなんて、そんな悔しいことはない。私は苦痛に顔を歪めながら歯を食い縛り、一生懸命歩いた。

 しばらく歩くと、目の前に大きな建物が見えて来た。あれがノートルダム大聖堂に違いない。私はガンモよりも遅れを取りながらも必死で歩き続け、ようやくノートルダム大聖堂の前まで辿り着いた。私が入口から入ろうとすると、先を歩いていたはずのガンモが慌てて私のいる入口付近までやって来た。どうやらガンモは、あまりにも慌て過ぎて、ノートルダム大聖堂の入口を通り過ぎてしまったようだ。私はガンモよりも冷静に入口を探していたので、途中に掲げられていた入口の場所を示す案内板を見逃さなかったのだ。

 大急ぎで移動したので、私たちはルーベンスの家からおよそ十分余りでノートルダム大聖堂に着いた。時計を見ると、閉場時間まであと十五分あまりあった。受付で入場料を支払うと、
「十七時までですが、よろしいですか?」
と言われ、閉場時間が十六時だと思い込んでいた私たちは拍子抜けした。ガイドブックに記載された情報が間違っているのか、それとも夏の間だけ特別に延長されているのか、ガイドブックに記載されている閉場時間よりも一時間延びて十七時閉場だという。私たちは、もちろん、
「了解しています」
と答えて入場した。

 ノートルダム大聖堂には、世界各地からたくさんの観光客が訪れていた。ネロが見たがっていたルーベンスの絵は、「キリスト昇架」と「キリスト降架」である。ネロはもともと同じくルーベンスの描いた「聖母被昇天」を見て、ルーベンスの作品に心惹かれていたらしい。この「聖母被昇天」は、ノートルダム大聖堂の祭壇中央に展示されていた。そして、「キリスト昇架」と「キリスト降架」は、中央の祭壇を挟んで左右にそれぞれ展示されていた。ネロはこれらの絵の前で命尽きてしまったようだが、実際、二つの絵には距離があったので、どちらの絵の前で命尽きてしまったのかは「フランダースの犬」を鑑賞し直してみないとわからない。

 ネロがルーベンスの絵の前で命尽きてしまったように、私自身もまた、歩き疲れてこれ以上は動けないという状況だった。今なら、「パトラッシュ、ボクはもう疲れたよ」とネロが言った気持ちも少しは想像できる。ネロがルーベンスの絵を見たい一心でノートルダム大聖堂に足を運んだように、私たちもまた、子供の頃に見ていた「フランダースの犬」の主人公であるネロが命尽きた場所を訪れたい一心でノートルダム大聖堂を目指した。そういう意味で、子供の頃に感動した作品に関わる場所を実際に訪れることができたのは、実に感慨深いものがあった。

 とは言え、「フランダースの犬」は、本国ではそれほど人気の高い漫画ではないらしい。もともとイギリス人の原作によるものらしく、現地の人からすれば、生活に困っている子供を決して放置したりしないという反感を抱く作品となっているようだ。

 日本人観光客向けなのか、ノートルダム大聖堂の前の広場には、日本のTOYOTAが寄贈したネロとパトラッシュの碑が設置されていた。碑といえども、ベンチとして使用されているようで、私が訪れたときも西洋人の女性が腰を降ろしていた。写真を撮りたいのでちょっとどいてくださいとも言えず、無言で撮影した写真の中には、その女性のお尻の一部が写り込んでしまった。

 ノートルダム大聖堂の中には、他にもいくつかの宗教画が展示されていた。これらの絵を鑑賞すると、昔と今の時間の進み方はまったく異なっていたのだと実感する。著名な画家たちは、こうした絵を何年も掛けて仕上げているようだ。時間を掛けてじっくりと描き上げられた作品の前に立つと、本当にため息しか出て来ない。だからだろうか。こうして時間を掛けてじっくりと描き上げられた作品は、二百年以上経った今でも、世界中の人々に鑑賞され続けている。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、「パトラッシュ、ボクはもう疲れたよ」をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m またしても更新が遅くなり、申し訳ありません。日本とベルギーには七時間の時差があり、日本のほうが一足早く朝を迎えます。夜のうちに更新できると、皆さんにいち早い情報をお伝えできるのですが、毎日精力的に歩き回っているため、夜はホテルに帰ると沈み込むように眠ってしまいます。たっぷり睡眠をとったあと、ベルギーの早朝に起き出して、更新の準備を始めるのですが、こちらは早朝でも、日本では既にお昼過ぎだったりします。その日に撮影した写真の整理をしているうちに外が明るくなるので、ホテルで朝食をとり、出掛ける前に記事に仕上げを入れてアップすると、日本ではもう夕方になってしまっているというわけです。というわけで、毎日遅い更新になってしまいますが、根気強くお付き合いくだされば幸いです。

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2009.08.01

小便小僧と小便少女、そしてムール貝

ブリュッセル到着の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 国際線に乗ると、個人ディスプレイで映画を鑑賞するのが楽しみなんです。中には日本での公開に先駆けて鑑賞できる作品や劇場公開中に見逃してしまった作品もあり、睡眠不足を解消しなければならない状況だというのに、睡魔と激しく闘いながら鑑賞することになるわけです。ビデオやDVDと同様に、早送りや巻き戻しも可能なので、途中で居眠りしてしまったとしても、見逃したシーンを巻き戻して鑑賞することができるのはいいですね。

 ブリュッセルに着いてから「ガンまる日記」を更新したあと、私は現地時間の二十三時に就寝した。目覚ましもかけずに自然に目覚めると、四時前だった。部屋にクーラーが入っていて寒いと思っていたら、単に部屋の窓が開いていただけだった。寝ている間に布団を脱いでしまう癖のあるガンモは、寒いと言いながら布団にくるまっていた。何しろ、夏でも最高気温が二十四度くらいまでしか上がらないのだから、無理もない。

 目覚めたあと、ガンモと一緒にお風呂に入り、ゆったりとバスタブに浸かった。夏になってからは、ほとんどシャワーを浴びるだけの生活を続けていたため、こうしてゆったりとバスタブに浸かると温かくて気持ちがいい。特に、クーラーの良く効いた機内で長時間を過ごし、身体が冷気にさらされていたので、こうして身体を温めると、身体が喜んでいるのがわかる。

 お風呂に入ってしばらくパソコンをいじったあと、七時過ぎにホテルのカフェで朝食バイキングを食べた。既に「ガンまる日記」を書き上げていたせいか、朝食のあとはいつもよりも早めにホテルを出ることができた。

 ホテル近くの地下鉄の駅で、地下鉄とトラムの三日間乗り放題チケットを購入し、地下鉄に乗った。そして、途中でトラムに乗り換えて、まずはブリュッセル名物の小便小僧を観光した。私の記憶では確か、JR浜松町駅に小便小僧の像があったように思う。世界的に有名なブリュッセルの小便小僧は、服を着て、ズボンも履いていた。とあるサイトからの情報によると、小便小僧のために世界中から衣装が送られて来るとか。そのため、衣装持ちの小便小僧は頻繁に衣装替えをしているらしい。しかし、現在の小便小僧は、ズボンの上からというよりも、上着の上からおしっこをしているところが何とも面白いではないか。そして、今回のブリュッセル訪問でわかったことは、小便小僧が左利きかもしれないということだった。

 小便小僧の近くには、たくさんのお土産屋さんが並んでいて、小便小僧グッズが売られていた。私は、ワイン好きの派遣仲間に、小便小僧のワインオープナーを買った。小便小僧の性器の部分がワインオープナーになっているという、壊れ易いかもしれないが、大変ユーモアのあるお土産品である。私は、店内でこれを見付けたときは、おかしくてクスクス笑ってしまったほどだ。

 小便小僧を堪能したあとは、小便少女を観光すべく、ガイドブックを見ながら目的地を目指した。途中、世界遺産に指定されているグラン・プラスを通り抜け、世界的に有名なタンタンのお店でメモ帳のお土産を買う。その人の顔を思い浮かべながらお土産を買うのが、私流のお土産の買い方である。

 更に、お店の外にテーブルがたくさん並べられているイロ・サクレ地区に出て、小便少女を観光した。小便小僧は笑いが出るのだが、小便少女を見ると、決して卑猥というわけではないものの、思わず口をつぐんでしまう。それは、男性の立ち小便が世の中でトイレの個室では行われていないのに対し、女性の放尿は、普段からトイレの個室で行われ、その姿が厚いベールに包まれているからだろう。そのせいか、小便小僧はオープンな場所に堂々と存在しているのだが、小便少女は路地を曲がったところに、格子付きの扉の中に大事に仕舞いこまれていた。

 小便少女を観光したあと、私たちはすぐ近くのレストランで、ブリュッセル名物のムール貝の白ワイン蒸しを食べた。同じようなお店がたくさんあるので、どのお店にするか、迷っていたところ、あるお店の積極的な店員さんに声を掛けられた。店員さんは、私たちがフランス語を理解できないので英語で説明してくださったのだが、食前のビールをサービスしてくださるという。そして、私たちに客寄せの看板になるように、最も目立つ外のテーブルの椅子を引き、私たちにそこに座るように誘導した。積極的な店員さんに根負けした私たちは、そのお店でムール貝を食べることにした。

 ムール貝のセットは、メニューの中から二品選べる上に、デザートも付いて一人十二.五十ユーロ(一ユーロはおよそ百三十七円)だった。私たちは野菜サラダと、ムール貝とフリッツのセットを注文した。

 最初に出て来たサービスのビールは、一気に飲んでしまった。ガンモが、
「ブリュッセルのビールはうまいらしいよ」
と言っていたが、苦味の効いたドライなビールで、確かにおいしかった。お酒に弱いガンモは、ほんの数口飲んだだけですっかりご機嫌になっていた。ガンモがグラス一杯のビールを飲むと大変なことになるので、私は空いた自分のグラスとガンモのグラスを交換して、ガンモのグラスに残っていたビールを飲み干した。

 野菜サラダを食べたあと、ムール貝が出て来るまでにひどく時間が掛かった。ちょうどお昼どきだったこともあって、私たちの存在は、客寄せになっていたようだ。そのせいか、私たちの食事の時間をできるだけ引き伸ばしたいと思われたのかもしれない。ようやく運ばれて来たムール貝を平らげても、食べ終わったムール貝の殻をなかなか片付けてはくれず、結局一時間半以上もお店の外の一番目立つテーブルで過ごすことになってしまった。

 とは言え、ムール貝はとてもおいしかった。ムール貝は、玉ねぎと一緒に煮込まれていた。ムール貝を開き、中の貝を取り出して、玉ねぎも一緒に突付いたて食べた。おそらく、ムール貝だけでは物足りないというお客さんもいらっしゃるのだろう。ほとんどのお店で、ムール貝はフリッツとセットになっていた。

 ボリュームもたっぷりで満足したのだが、さすがに汁の中に浸かったムール貝を食べ始める後半の頃になると、少々辛いと感じ始めていた。飲み物を何も注文しなかったので、喉が渇いて仕方がなかった。

 長いこと待ち続けて、ようやくテーブルの上に残ったムール貝の殻が片付けられ、自家製プリンのデザートが出て来た。私たちはデザートを平らげると、お勘定を済ませた。二人合わせて二十五ユーロのところ、三十ユーロ支払った。ベルギーの飲食店代には、税もサービス料も含まれているそうだが、お料理がおいしかったり、サービスが行き届いていると感じたときには、チップのために多めに支払うのだそうだ。もしかしたらお釣りをくれるかもしれないと期待して、それとなく待ってみたのだが、私たちの支払ったお勘定を受け取った店員さんが日本語で、再会を意味するさよならの言葉を告げて来たので、お釣りは出て来ないのだと思い、店を出た。

 何はともあれ、小便小僧と小便少女、それからムール貝という、ブリュッセルの名物を立て続けに体験することができて、とても充実した一日だった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、小便小僧と小便少女、そしてムール貝をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなり、申し訳ありません。いやはや、早速旅の疲れが出てしまいました。寝不足のまま旅行を始めてしまった上に、精力的に歩き回ったので無理もありませんね。パリでもそうでしたが、ブリュッセルも石畳が多く、弾力性のない靴を履いて歩き回ると足がかなり疲れます。ヨーロッパのご旅行には、是非とも弾力性のある靴をご用意ください。(苦笑)ホテルに帰ったあと、泥のように眠り、何とか体力回復です。

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