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2009.07.28

星になったTKMY

映画『ディア・ドクター』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 過去と未来の交差のさせ方がうまいな、と感じさせてくれる作品でもありました。多くの職業は、例え未経験であったとしても、実践しながら職業にすることができますが、人の命に関わる医師という仕事は、そうではないんですね。だから、村人たちにどんなに切望された存在であったとしても、伊野は失踪しなければならなかったわけです。そんな伊野の医師としての仕事は、無医村だったからこそ成り立っていたところもあるのでしょうが、逆に他の医師が周りにいないということで、専門の科にこだわらず、幅広い知識が求められる立場にあったのではないかと推測します。

 ブログを毎日綴っていると、リアルタイムの出来事の衝撃に打ちのめされることがある。しかし、まだ綴っていない過去の出来事がたくさんあるために、それらの出来事を順を追って冷静に綴って行かなければ、毎日綴っている記事の繋がりが途切れ、わかりにくいものになってしまう。そんなとき、私は心ここにあらずの状態で、リアルタイムの出来事をひとまずどこかへ押しやって、過去の出来事をせっせと綴ることがある。今回の記事は、リアルタイムの出来事に心を大きく揺さぶられながらも、過去の出来事を冷静に綴るために、ひとまずどこかに押しやっていた出来事である。

 あれは七月第一週の週末のことだった。ガンモも休日のため家に居て、私はダ○ソーの天然ヘナを頭に塗り込んでくつろいでいた。我が家には、寝室側とマシン室側の両サイドのベランダのほかに、ルーフバルコニーがある。下の階の敷地が全面バルコニーになっているため、天気のいい日にはヨガマットでも敷いてヨガを楽しむスペースにしたいところなのだが、ルーフバルコニーに行き着くまでにたくさんの物を乗り越えて行くかなければならない難関があり、現在はルーフバルコニーをほとんど活用できていない。

 そんな、普段、活用されていないルーフバルコニーをふと窓越しに眺めていると、ルーフバルコニーの手すりの奥に、何かが横たわっているのが見えた。私は目を凝らして、その物体をじっと見つめた。あれはもしや、いや、まさか、鳩の死骸ではないだろうか? 私は、外出する予定のない休日は、いつものコンタクトレンズを装着せずに眼鏡で過ごしているため、鼻から少しずれ落ちた眼鏡を耳にきつく掛け直して、その物体をもう一度確認した。それはやはり、あお向けになった鳩の死骸であるようだ。ひょっとすると、カラスにやられたのだろうか? 慌てた私はガンモに声を掛け、ガンモにルーフバルコニーまで出て行ってもらった。そこでガンモが確認したのは、あろうことか、TKMYの亡骸だった。

 実は、その二、三日ほど前からTKMYの姿が見えなかったので、どこかで巣作りをして、イケメンくんとの間に生まれる卵を産む体制に入っているのかと思っていたのだが、そうではなかった。TKMYは、ルーフバルコニーで孤独な死を迎えていた。TKMYの新しい夫であるイケメンくんは、ときどきTKMYの亡骸の近くに舞い降りて来ては、TKMYの亡骸を見守っていた。

 私たちは動揺を隠し切れず、ガンモがルーフバルコニーから小さな箱に入れて持ち帰ったTKMYの亡骸を見つめながらひとしきり泣いた。野生の鳩の死骸を前に涙するなんて、誰に話してもおかしいと思われることだろう。しかし、私たちとTKMYの関わりは深かった。付き合いそのものはわずか二年半ほどだったが、父ちゃんと、かつての母ちゃんから生まれたTKMYが、雛の頃からずっと見守って来たのだ。やがて成長したTKMYが、キッコロと結婚して排水溝のあたりに巣を作り、何羽かの雛たちをこの世に送り出した。私はTKMYから、母性とは何であるのかを学ばせてもらった。TKMYの中には、雛を外敵から必死で守ろうとする強い意志と、キッコロへの強い愛情が常に共存していた。

 やがて冷静になった私たちは、TKMYが亡くなった原因を模索した。TKMYに外傷はなく、ルーフバルコニーの手すりの近くで仰向けになったまま息絶えていた。私たちの住んでいる部屋のすぐ上の階もルーフバルコニーになっているのだが、ルーフバルコニーのある部屋は、マンション全体で大きな階段のような形を形成しているため、TKMYが上の階から落ちて来たとは考え難かった。もしも上の階から落ちて来たのであれば、ルーフバルコニーの外側の手すり付近ではなく、ルーフバルコニーのもっと手前側に落下しているはずなのだ。ガンモ曰く、私たちのルーフバルコニーの手すりの上から落ちて息絶えたとしか考えられないという。具合の悪い状態で、手すりの上に踏ん張り続けていたが、力尽きてとうとう落ちてしまったのだろうか。

 TKMYは、キッコロ亡きあと、単独で雛たちを育て上げ、ピジョンミルクをたくさん出そうとして頑張り過ぎていた。もしかすると、フル回転で子育てをしたために、過労死してしまったのだろうか? しかし、それならば、死の兆候があっても良かったはずである。あくまで私の感覚的なものでしかないのだが、動物が病気で亡くなるときは、仰向けの状態で亡くなったりはしないように思うのだ。

 TKMYの死に関して、様々な憶測が飛び交ったが、私たちは夕方の暗くなった頃に、自宅近くの道路脇にある土の中にTKMYを静かに埋葬した。もちろん、その頃には、頭に巻いていた天然ヘナも洗い流していた。そこはかつて、TKMYたちの雛がカラスにやられたときに埋葬した場所でもある。最近は、ほとんどの地面がコンクリートで固められているのだが、その周辺にだけは土があるのだ。

 ガンモが土を掘り、そこにTKMYを横たわらせた。そして、TKMYが好きだった餌を一緒に入れて、土をかぶせた。TKMYはきっと天国で、亡くなった雛とも、キッコロとも再会を果たしたはずだ。

 その日、父ちゃんたちのいるベランダの掃除をしてくれたガンモが、
「気のせいかもしれないけど、鳩の糞の中に農薬の臭いが混じっているような気がする」
と言った。
もしかすると、鳩がやって来るのを迷惑だと思った誰かが、農薬を混ぜた餌を彼らに与えたのだろうか。キッコロもその餌を食べて、どこかで力尽きてしまったのだろうか。

 キッコロ亡きあと、一人で子育てを頑張っていたTKMYは、直ちにキッコロの元へと飛び立った。人間の夫婦でも、夫婦が時間を置かずに亡くなると、仲が良いとされている。TKMYとキッコロももまた、仲の良い夫婦だったに違いない。

 私たちのベランダの排水溝の一角に巣を作り、たくさんの雛たちを世の中に送り出したTKMYとキッコロ夫婦。そんな彼らはもういないのだ。TKMYを埋葬したあと、私たちは彼らの写真を見ながら泣いた。私たちの寝室の窓を開けると、まるで殴り込みをするかのように押し入って来て、餌をねだって来た彼ら。私たちの手を嘴(くちばし)で突付き、羽で鳩パンチを繰り返し、何で餌を与える私たちがこんな仕打ちを受けなければならないのだろうと思いながらも、彼らにはただならぬ親しみを感じていた。キッコロに対し、かつてガンモもこんなことを言っていた。
「こんなに遊んでくれる鳩はいない」
と。

 TKMYの死を受けたガンモは父ちゃんに言った。
「父ちゃんも、死ぬときはウチで死ぬんだよ。どこかよそで死ぬなよ」
私はガンモのその言葉に、鳩に対するただならぬ愛情を感じたのだった。

ベランダの排水溝のあたりに好んで巣を作っていた、在りし日のTKMY(左)とキッコロ(右)撮影:ガンモ

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 何とも衝撃的な出来事でありました。この事実を公表することなく、順を追って他の記事を綴って行くのは、かなり辛いものがありました。もしかすると、キッコロがTKMYを呼んだのでしょうか。イケメンくんは、TKMYと結ばれた直後に妻に死なれてしまったことになりますね。ちなみに、イケメンくんは、TKMY亡きあとも、我が家のベランダにちゃっかり棲み付いて、父ちゃんや雛たちと戦っています。残された雛たちのことは、旅行から帰ってから綴らせていただきますね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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