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2009.06.20

映画『路上のソリスト』

新たな不在の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。私たち人間には戸籍があり、家族や友人たちもいるので、行方不明になったことが誰かに意識されるような仕組みが出来上がっています。しかし、鳩の世界は違うんですよね。誰も鳩の戸籍を管理してはいませんし、家族であるTKMYがどこかにキッコロの不在を届け出るというようなこともありません。不在になってしまえば、TKMY以外の存在からは忘れ去られてしまうという過酷な状況の中で生きているんですよね。

 実話を基に製作された本作を鑑賞しようと思い立ったのは、やはり予告編に強く惹かれてのことだった。ロサンゼルス・タイムズ新聞社のコラムニストであるロペスが自転車走行中に道路で派手に転倒し、顔に大きな傷を負っていた頃、バイオリンを演奏しながら路上生活を送っているナサニエルと出会う。かつてジュリアード音楽院に在籍していたこともあるというナサニエルの口からは、数多くの言葉が飛び出すものの、彼の話に耳を傾ける人たちは、彼が口にする多くの言葉たちの中から、本当に意味のある言葉を根気良く抽出して理解する作業が必要である。それでも、ロペスはナサニエルに興味を持ち、自分のコラムにナサニエルのことを綴り始める。やがて、ロペスのコラムの読者の一人が、使わなくなったチェロをナサニエルのために送って来てくれた。何故なら、かつてのナサニエルは、チェロを熱心に演奏していたこともあったからだ。謙遜しながらも、貴重なプレゼントに大喜びしたナサニエルは、ロペスとの距離をどんどん縮めて行くかのように見えていたのだが・・・・・・。

 本作を一言で表現すると、新聞社のコラムニストと路上生活者という、立場の異なる者同士の友情を描いた作品と言えるのかもしれない。しかし、二人の間に通うものを「純粋な友情」と表現するのは、ほんの少し抵抗がある。何故なら、ロペスからすれば、ナサニエルを自分のコラムに登場させるために利用したと言えなくもないからだ。しかし、最初はそのつもりでナサニエルに近付いたロペスだったが、次第にナサニエルの生活の面倒まで見るようになる。そのとことを、ロペスのかつての妻が、相変わらず記事に綴るための存在であるかのように表現したのは、少々カチンと来てしまった。ロペスとナサニエルの間に芽生えている変化に気付かず、最初に抱いた先入観をいつまでも改めようとしないのは、ロペスのことを良く見ていない証拠である。

 実話であるだけに、ロペスとナサニエルの間に芽生えた感情にコメントするのも少々気が引けるのだが、二人が順調に友情を育てて行くことができなかったのは、二人の関係が常に対等でなかったことも大きいのではないだろうか。ナサニエルにはナサニエルの世界があるというのに、ロペスが自分の世界にナサニエルを無理に招き入れようとしているように映ってしまうのだ。私には、二人が順調に友情を育てて行くことができなかった原因はそこにあるように思う。つまり、ロペスがナサニエルを認め、ナサニエルがロペスを認めるという、交友関係を発展させて行く上で最も基本的なことが実現できていなかったのである。

 私には、ロペスが自転車走行中に転倒して顔に大きな傷を負っていた時期にナサニエルと出会っていることが少し気になった。ロサンゼルス・タイムズ新聞社のコラムニストとして、社会的なステータスのあるロペスにしてみれば、世の中に対して少々引け目を感じていた時期だったのではないだろうか。二人の関係はそこからスタートし、ロペスがコラムニストとして社会的なステータスを取り戻した頃に崩壊し始めるというところが興味深い。コラムニストとしての野望を持っているロペスに対し、路上生活で満足しているナサニエル。そんな二人の価値観がぶつかり合うのは当然と言える。

 ロペスを演じているのは、映画『アイアンマン』のバート・ダウニー・Jrだが、私は映画『アイアンマン』を観てはいないので、私の中での彼は映画『毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト』の中の毛むくじゃらの男ライオネルである。野心のないライオネルに対し、本作のロペスはとてもエネルギッシュな存在だった。ロペスの役がはまり役だったので、実際の彼は、ロペスに近い存在なのかもしれない。

 本作は、友情を描いた作品というよりも、本当の友情とは何かについて深く考えさせられる作品であると言っても過言ではない。うまく行かない交友関係が存在するとき、自分が本当に相手のことを受け入れているかどうかを考え直すきっかけを与えてくれる作品なのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 立場の異なる者同士の交流は、互いを認め合うことがとても難しいですよね。「何で相手はこれをしないのだろう。こっちのほうが絶対いいのに」というように、自分の価値観を相手に押し付けてしまいがちだからです。例えば本作では、家の中で生活することのほうが絶対にいいはずなのに、何故、ナサニエルは路上で生活し続けるのだろうとロペスは考えてしまうのです。立場の異なる者同士の交流を成功させるには、まず、相手の立場を認めて尊重することが大切なのかもしれません。相手が自分を認めてくれているという安心感が、自分も相手のことを理解しようとする気持ちを新たに生み出して行くように思います。先手を打って相手を理解するように試みることが、立場の異なる者同士の交流を成功させる秘訣なのかもしれません。

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受信: 2009.07.05 10:54

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