映画『余命1ヶ月の花嫁』
※フレンチ−フレンチ尼崎の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ガンモに、「またフレンチ−フレンチに顔を出すの?」と尋ねてみると、「わからない」と答えていました。(苦笑)出掛けて行った時間帯も遅かったので、もう少し早く出掛けていれば、もっと積極的に行動できたかもしれませんね。

この映画は、乳がんにより、わずか二十四歳で短い生涯を閉じた長島千恵さんの闘病生活と、恋人赤須太郎さんとの愛の記録である。ご存知のように、私はテレビをまったくと言っていいほど見ていないので、この映画がTBSにより放送されたドキュメンタリー番組に基づいて製作されているということを知らなかった。実際の千恵さんの映像も、太郎さんの映像も目にすることのないまま、単に映画館で観た予告編だけの情報から、ガンモと一緒にこの映画を鑑賞することにしたのである。この映画を鑑賞したのは確か、神戸市でインフルエンザの国内感染が確認された日のことだった。
乳がんについて語ろうと思えば、実に様々なことが頭に浮かんで来る。というのも、私の周りにも、実際に乳がんの手術を受けた人たちが何人かいるからだ。千恵さんのように、若い頃に乳がんが見付かり、早期発見だったために助かった友人もいる。しかし、中には亡くなってしまった知人もいる。この映画を見ると、まずは乳がんについて考え、更には、例えどれほど医学が発達したとしても、がんによる死を回避できないことへのやるせなさを感じずにはいられない。
とりわけ、乳がんに関して言えることは、早期発見が重要だということだ。若かった千恵さんは、胸にしこりがあるのを自分自身で発見したものの、病院に行かずに一ヶ月ほど放置してしまったため、その間に若かった千恵さんの身体の中でがんがどんどん進行してしまったらしい。この映画には、乳がんの早期発見が大切であるという千恵さんからの強いメッセージが込められているのだ。
とは言え、乳がんはしこりだけで発見できるものでもないらしい。先日、私の健康診断結果でも、良性石灰化が見付かったが、時には石灰化した中にがん細胞が潜んでいる場合もあるらしく、しこりがないのでわかりにくいそうだ。それでも、石灰化した中にがん細胞が潜んでいる場合は、乳がんのごく初期の段階なので、救いはあるそうだ。すなわち、しこりがあるにしろないにしろ、定期的な検診を心掛けることが大切だというわけだ。
さて、映画を鑑賞する前に、私たちは映画サイトで既に鑑賞された方たちによる評価を参照して出掛けた。驚いたことに、非常に多くの人たちに鑑賞されている作品であるにもかかわらず、評価がそれほど高くなかった。鑑賞中、評価の高くない理由を知りたくて、あれこれ模索していたのだが、どうやらこの作品を取り巻く背景として、様々な憶測が飛び交っていることが原因らしい。そうした憶測が邪魔をして、この作品に関してあまり良い印象を抱いていない人たちがいるようなのだ。
確かに私も一つだけ気になる点があった。それは、千恵さんが亡くなるシーンがあまりにもあっけなかったことだ。中にはそのシーンを見て、死はもっと壮絶なものだとコメントしている人もいた。確かにそうなのだが、それについてはガンモが解明してくれた。
ガンモは去年、肉腫で母を亡くしている。そのとき、私も義母の壮絶な闘病生活のほんの一部を見守った。だから、死が決して美しいものではないことも知っているつもりだ。しかし、その詳細については「ガンまる日記」に書けないでいる。何故、書けないのかは、皆さんで想像して欲しい。おそらく、身近な人の死がそれぞれにとって特別なものであるということもあるのだが、苦しみ抜いた故人の姿を世の中にさらしたくないという気持ちが最も強いように思う。ガンモ曰く、この映画の製作に関しては、千恵さんのご遺族の方たちにも承認を得ているはずなので、千恵さんが苦しみ抜いた姿を映像にして欲しくなかったのではないかと推測していた。確かに私もその通りだと思う。
だから、製作側のそうした配慮を、映画としての表現力が欠けていると非難すべきではないと思うのだ。映画としての表現力が欠けているのではなく、映画を製作した側が、千恵さんのご遺族と良好な関係を結んでいると感じるべきなのではないだろうか。
実際に闘病生活を送っている人が身近にいる(いた)場合、千恵さんと過ごす時間を少しでも多く取るために、わざわざ病院に寝泊りして、病院から仕事に出掛けて行く太郎さんの姿に心を打たれるだろう。きっと、病院からの出勤は距離的にも遠かったはずで、睡眠時間や入浴、食事などにも不便を感じたはずなのだ。それでも太郎さんは、千恵さんと一緒に過ごす時間を優先させた。太郎さんは、究極的な状況にあるときに、何が一番大切なことであるのかを的確に判断できる人だったのだろう。妙な遠慮が働いて行動が制限されるときは、あたかも他の人の都合を考えているようでいて、実は自分自身の都合を考えていることが多い。しかし、的確な時期に一線を越えた太郎さんは違ったのだ。
そういう献身的な態度が千恵さんのお父さまにも通じているのだろう。太郎さんと千恵さんのお父さまは、今でも良好な関係を保っていらっしゃるそうだ。本当の家族になるということは、的確なところで一線を越えることだということを、この映画を通して太郎さんが教えてくれているように思う。
事実を基にして製作された作品であるがゆえに、映画としての脚色はないが、脚色がないだけに、千恵さんが多くの人たちに支えられていたことがますます浮き彫りになって来る。例え、千恵さんと太郎さんが短い付き合いだったとしても、二人の交際はいつまでも心に残る、とても中身の濃いものだったことがうかがえる。もしかしたら二人は、短い間に、一生分の恋をしたのかもしれない。
※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実はこの映画を鑑賞する直前に、私の小・中学生時代の後輩が、三年半ほど前に乳がんで亡くなっていたことを友人から聞き、ショックを受けていました。後輩は何と、千恵さんとは正反対で、乳がんが発覚してから離婚させられたのだそうです。その事実を聞いて、何だか胸がいっぱいになっていました。愛のある結婚がいかに大切であるかを思い知らされる出来事です。千恵さんは、たくさんの愛に包まれていました。そのことだけでも救いだったように思います。
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