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2009.04.06

物事を限定しない、宙に浮いたふわふわした言葉

ホットヨガ(一四四回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m レッスンを終えたあと、ロッカーの鍵を受付に返しに行ったところ、「古い回数券はこちらで回収させていただきました」と、あっさり言われました。実は、新しい回数券を購入したときに古い回数券が二回分残っていたので、残った回数券を繰越するために古い回数券とともに受付に預けていたのです。私は、せっかくあちらこちらのスタジオでいろいろなスタンプを集めて来た思い出がなくなってしまうと思い、慌てて、「記念に持ち帰りたいのですが・・・・・・」と申し出て、使用済の回数券を返却していただきました。古い回数券など不要だろうと思い、気を利かせてくださったのかもしれませんが、会員の使い古しの回数券など、受付で回収されてもゴミとなるだけでしょう。しかし私の手元に残れば、ゴミではなく、一つ一つのスタンプが思い出として輝くのです。

 先週の水曜日は、好敵手の彼女と二人で職場の最寄駅近くのレストランにご飯を食べに行った。彼女は今、私が働いているのと同じビルの別の階にある同系列の別会社で働いている。もちろん彼女は、私と同じ派遣会社から派遣されている派遣社員であり、派遣会社の営業担当も私と同じである。

 不況のため、かつて彼女も働いていた私の今の職場も、そして彼女が今働いている同系列の別会社も、フレックスタイム制度が廃止され、基本的には定時に出勤して定時に退社することが義務づけられている。私の今の職場では、今のところ、派遣社員が契約を打ち切られるという話は浮上していないものの、彼女の職場では、私たちとは別の派遣会社から派遣されている派遣社員で、既に七年もその職場で働いているというのに、あと一ヶ月で契約を打ち切られてしまう派遣社員がいるそうだ。

 七年と言えば、私が今の職場に派遣されてからの年数に等しい。一方、彼女もまた、私の現在の職場に六年間勤務したはずだった。彼女がいた頃は、企業にもまだ比較的余裕があった。彼女が私の今の職場を辞めるとき、もう少し時給をアップするから居て欲しいという話も持ち上がっていたという。しかし彼女は、今が辞めどきだと思ったのだろう。仕事がひどく忙しいことを理由に、自ら派遣契約を満了させた。

 そんな彼女は、私が今の仕事を辞めないでいることが不思議で仕方がないらしかった。これまでにも彼女に何度か、今の派遣先での仕事を辞めるつもりはないのかと尋ねられたことがある。その度に私は、仕事に関しては常に受身の姿勢を取りたいと添えた上で、自分から辞めることは自分自身への負けを認めることに等しいので、できる限り自分からは辞めたくないと答えて来た。

 そんな私でも、仕事中にクーラーの著しく冷たい風が降り注いで来るという、自分の身体の限界への挑戦とも取れる局面を迎えていたこともあった。今になって思えば、あの頃が私の辞めどきだったのではないだろうか。その時期を逸してしまった今は、今の職場での仕事を辞めるきっかけが、もはや見付からないのだ。

 ただ、私は、仕事中にクーラーの著しく冷たい風に直撃されるという苦い経験を通して、自分自身が肉体的に苦しい思いをして来た人とそうでない人との決定的な違いを知ることになる。幸い、私の上司のまた上司や以前の部長は、肉体的に苦い思いを経験されて来た人だった。上司のまた上司や以前の部長のおかげで、私は席替えをしても、比較的暖かい席を選べるようになったのだ。だから私は、せめて他の人が苦しい想いをしているときに、少しでもその苦しさを理解できる人間になりたいと思ったものだ。

 彼女と、いろいろな思い出話に花を咲かせているうちに、彼女が現在、直面している衝撃的な感情について話が及んだ。衝撃的な感情とは、彼女自身が体験したことではなく、彼女が交流している人から受け取った感情である。平たく言えば、彼女はその人からある衝撃的な事実を聞かされた。決して相談を受けたわけではないにしろ、それを聞いた彼女は、それがあまりにも衝撃的な内容だっただけに、その人に対してどのように接したらいいのかわからないと言った。彼女はまた、自分自身はそのようなことをいまだかつて経験したことがないとも言った。

 私は、
「そういう経験をしている人とペアになることで、自分の体験として足りていないものを補っているんじゃないのかな」
と言った。彼女は、
「そっか」
と言いながら納得していた。実は、私にも彼女が受けた衝撃と同じような衝撃を自ら体験したことがある。そのときは、心にぽっかり空いてしまった穴が一生埋まらないのではないかとさえ思っていた。それは、「取り返しのつかないこと」という表現に値する出来事だったのだ。私よりももっと近い状況でその出来事に直面した人は、その経験から、黒かった髪の毛が真っ白になってしまったほどだ。そのことを彼女にも話した上で、
「そんな時期もあったけど、やっぱり時間が解決してくれると思うよ」
と言った。

 その話が始まってからは、私が聞き役に徹して、彼女が話をするというモードに切り替わっていたのだが、私は彼女との会話が、これまでお互い触れなかった領域に達していることが心地良くてたまらなかった。人を深く知るということは、どうしてこんなにも気持ちがいいのだろう。私自身が発する言葉もまた、「これを言ってはいけいない」というフィルタを通さない、私自身に最も近い言葉に変わっていた。

 彼女との会合に深い満足感を感じて帰宅すると、その翌日、彼女から、自分ばかりがおしゃべりしてごめんなさいという内容のメールが届いた。彼女は、私の上海旅行の話を聞いてくれるつもりでいたらしいのだが、実際のところ、私の上海旅行にまで話が及ばなかったので、私に対して申し訳ないと思ったらしい。私は彼女に、彼女の話にじっくりと耳を傾ける上で最も自分らしい発言をすることができたので、自分の話をするよりも深い充実感が得られたという内容のメールを送った。

 普段、人と会って話をするときに、聞き役に徹することでこれほど充実感を得たことは、これまでなかったように思う。しかし、振り返ってみれば、私は決して聞き役に徹していたわけではなく、話の内容に対する感想を述べることで自分自身を表現できていなかっただけなのだ。私の中から私自身が表現されるときは、物事を限定しない、宙に浮いたふわふわした言葉が飛び出す。彼女は、そんな私の宙に浮いたふわふわした言葉をしっかりと受け止めてくれた貴重な存在となったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 彼女とは、新たな局面を迎えることができたという充実感でいっぱいです。物事を限定しない、宙に浮いたふわふわした言葉は、相手に受け止められていることがわかると次々に出て来ますね。しかし、相手に受け止めらないままでいると、宙に浮いたふわふわした言葉はしぼんでしまうようです。宙に浮いたふわふわした言葉がたくさん出て来ることで、私自身がコミュニケーションを楽しんでいると実感できるのだと思います。そういうときは、あたかも聞き役に徹しているかのようであっても、自分自身をきちんと表現することができているのですね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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