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2009年3月

2009.03.31

実体験から外国語を学ぶ

バンブーサックス(上海和平管)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。九十度回転した小さな画像でしかご紹介することができなくて申し訳ありません。画像変換ソフトを使って、携帯電話の画像ファイルをパソコンで参照できる形式に変換してみたのですが、拡大されて画像サイズは大きくなったものの、やはり九十度の回転は調整できませんでした。(苦笑)

 上海の代表的な観光スポットである豫園には、猫がいた。
「猫がいる」
と言って、最初に猫に接近して行ったのはガンモである。私は猫よりも犬好きなので、犬を見付けると駆け寄って行くのだが、ガンモは犬よりも猫好きなのだ。猫を良く見ると、妊娠しているのか、お腹が膨らみ、乳首が大きくなっていた。人間に慣れているのか、猫は私たちが近寄っても身構えず、また、身体を撫でても逃げ出さなかった。しかも、ガンモの目の前で、仰向けになってリラックスし始めた。いろいろな国を訪問すれば、そこで生活している人たちの国民性は異なっている。しかし、猫の挙動は万国共通である。

豫園にいた猫

 ところで豫園には、様々な国籍の観光客が訪れている。ガンモが猫と戯れていると、中国人のガイドさんに連れられた白人さんのツアー客がやって来て、その中の一人が猫を見るなり、
"chat"
と言った。「もしやフランス人?」と思ったのは、学生の頃、しばしば足を運んでいた喫茶店が「シャノアール」で「黒猫」という意味だったからだ。おそらく、"chat"は猫のことだろう。

 しばらくすると、今度は別の国籍の人たちがやって来て、やはり猫を見るなり、
「マオ」
と言った。他の会話に耳を傾けていると、どうやら中国人らしかった。おそらく中国では、「マオ」というのが猫を意味する単語らしい。

 ガンモは十数ヶ国語の単語の意味を調べることのできる電子辞書を取り出して、フランス語と中国語の猫の単語を確認した。その結果、やはり、フランス語の猫は"chat"、中国語の猫は「マオ」であることがわかった。そして私たちは思ったのだ。このようにして、外国語を覚えて行くのが自然なのではないかと。

 会話の中に知らない単語が登場したとき、そのときの状況から単語の意味を推測するということ。これは、私たちが小さい頃から日本語を学ぶために、当たり前のように実践して来たことである。時には辞書を片手に単語の意味を調べることもあったが、多くの場合、辞書に頼るのは、まったく知らない単語を覚えるためというよりも、そのときの状況から推測して頭に思い描いた単語を確認するために使用することのほうが多かったはずだ。

 そのときの状況から単語の意味を推測することができれば、例えそれがどんな国の言葉であったとしても、無理なく記憶の中に蓄積して行くことが可能なのではないだろうか。それを考えると、中学から始まった英語教育は、やみくもに単語だけを頭の中に叩き込む不自然な教育だったと思う。

 受験勉強のときに出て来た英単語で、覚えては忘れ、覚えては忘れといった状況を繰り返して来た単語に"apologize"(謝罪する)がある。単語帳で覚えた単語だったので、視覚でも聴覚でも記憶には残っているのだが、すぐに意味を忘れてしまい、忘れる度に辞書で再確認していた。

 ところが、二年前にガンモと一緒にロンドンを旅行したとき、ロンドンの地下鉄の駅で、何度も何度も"We apologize...."という表現が繰り返し流れているのを耳にした。そのアナウンスは、特定の曜日だけ、ある行き先の列車の運行を取りやめることを詫びるアナウンスだったのだ。私たちは、繰り返し流れているアナウンスを聞き逃していて、その列車がやって来るのを駅のホームで長いこと待ち続けていた。しかし、待てど暮らせど、目的の列車はやって来なかった。そこでようやくそのアナウンスに気が付き、"apologize"の意味を思い出し、頭に焼き付けたのである。

 私はもう二度と"apologize"を忘れることはない。同様に、フランス語の猫の単語も、中国語の猫の単語も忘れることはないだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m インターネットで検索してみましたら、「マオ猫」という言葉が存在することがわかりました。これは、中国語の猫という単語と日本語の猫という単語が組み合わさって固有名詞になったものなのでしょうか。ちょっと不思議です。(苦笑)詰め込み方式で単語を覚えても、どんどん忘れてしまうんですよね。新しい単語とは、そのときに直面している状況から単語の意味を推測しながら、これまでの知識と経験によって埋め合わせて蓄積して行くものなのでしょうね。

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2009.03.30

バンブーサックス(上海和平管)

映画『オーストラリア』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m どうやら酷評し過ぎてしまったようですね。(苦笑)期待感が大きかっただけに、残念な想いが強かったのかもしれません。さて、気を取り直しましょう。またまた上海のお話ですが、今回は短めにお届けします。

 上海の豫園商城(※豫園は明の時代の庭園で、上海の代表的な観光スポット。豫園商城は、豫園の周辺にあるたくさんのお土産売り場や飲食店が集まっているところ)で、Chinese Bamboo Sax(上海和平管)なる楽器を実演販売しているおじさんに出会った。見た目は縦笛とそっくりなのだが、サックスの音が出るという不思議な楽器である。

 おじさんは、ノートパソコンでMIDIシーケンサーを起動させて伴奏のみの楽曲を再生しながら、その楽曲に合わせて優雅にバンブーサックスを吹いていた。日本人観光客をターゲットにしているのか、おじさんが好んで選んでいる曲は日本の演歌だった。しかも、演歌のようにこぶしをきかせながら演奏していた。

 このおじさんは、バンブーサックスを売ることよりもバンブーサックスを吹くことのほうが好きなようで、観光客の注目を浴びながら、ずいぶん長い間バンブーサックスを吹いていた。私が撮影しているのがわかると、ポーズを取ってくれたりと、なかなかひょうきんなおじさんだった。

 インターネットで検索してみると、ここで売られているバンブーサックスは、このおじさんが自ら製作して販売までを一貫して手掛けているそうだ。気になるお値段は、百八十元から三百八十元(日本円でおよそ二千七百円から五千七百円)だったとか。上海では、きっと手の届かないほど高価なものだと思い込んで近付かなかったのだが、一部の音楽演奏者の間では気になる楽器として注目されているようだ。お手頃価格のものを一本購入しておけば良かったと、ちょっぴり後悔している。

 演奏中のおじさんの動画を携帯電話で撮らせていただいたのだが、縦位置で撮影したためか、九十度回転できなかった。できれば映画『ホノカアボーイ』のビーさんのように、横になって鑑賞して欲しい。


バンブーサックス(上海和平管) posted by (C)まるみ

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m おじさんが長い間、バンブーサックスを演奏しているのを、私たちも長い間、じっと見入っていました。竹でできているのに、サックスのような音が出るのはとても不思議な楽器です。サックスも、縦笛仕様なら私にも吹けるかもしれません。(笑)日本にも、露店でバンブーサックスを売っている外人さんがいらっしゃるとか。もしかすると、このおじさんが製作されたバンブーサックスかもしれませんね。骨董市などで、バンブーサックスと再会できるといいのですが。

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2009.03.29

映画『オーストラリア』

身はシャコのよう、味は小麦粉のようの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 何も知らない日本人が上海で安全に上海蟹を食べたいと思ったら、お金を支払って、様々な人たちの力をお借りすることになります。上海蟹を食べさせてくれるホテルのレストランに私たちを送迎してくださった運転手さん、日本語を話せるガイドさん、それから、中国と日本の旅行エージェント。私たちは、飲食料とともにその方たちにお世話になるための現地ツアー代金を支払いました。おそらく、日本語を話せるガイドさんがレストランで食べていた蟹料理の代金も、私たちが支払った現地ツアー代金から出ているんですよね。そのため、純粋に上海蟹のコースをいただくよりも少々割高にはなってしまいましたが、おかげでドラマチックな体験をすることができました。別の言い方をすれば、その国の母国語がわかるということは、それだけの価値があるということなんですね。

 劇場で何度も何度も濃厚なラブシーンの予告編を見せつけられると、ラブストーリーものが大好きな私としては見逃せない。それに加え、少々大胆とも思える数々の宣伝にもつられてこの作品を鑑賞したのは、確かこの映画が公開された直後のことだった。

 予告編では、バズ・ラーマン監督がこの映画の特徴を説明している。監督は、オーストラリアの壮大な自然が、イギリス人貴族サラを変えて行く様子を描きたかったようだ。「郷に入れば郷に従え」という言葉があるが、この映画に関して言えば、郷というよりもむしろ「豪に入れば豪に従え」なのかもしれない。

 主演は、最近ちょっぴり表情がきつくなったニコール・キッドマンと、三田村邦彦さん似のヒュー・ジャックマンである。そう言えば、最近、ヒュー・ジャックマンの出演する作品をいくつか鑑賞したはずだと思っていたら、DVDで鑑賞した映画『ファウンテン 永遠につづく愛』と劇場で鑑賞した映画『彼が二度愛したS 』だった。ただ、どちらもレビューは書いていない。

 映画『オーストラリア』というタイトルにふさわしく、バズ・ラーマン監督とヒュー・ジャックマンはオーストラリアのご出身、ニコール・キッドマンもお父様がオーストラリアのご出身ということで、子供時代をオーストラリアで過ごしている。そうしたキャスティングだからこそ、オーストラリアの魅力を伝えたい気持ちも強かったのだろう。

 確かにこの映画を鑑賞すると、オーストラリアの壮大な自然に引き込まれる。特に、登場人物たちが千五百頭の牛を率いて大陸を横断する旅には目を見張るものがある。大自然を前にして、それぞれの持つ力が最大限に引き出されているのは好感が持てる。

 しかし、この映画には、疑問に思うところもいくつかある。それは、オーストラリア先住民アボリジニに対する白豪主義とも取れる数々の行為である。これはオーストラリアの現実を映し出しているのかもしれないが、何故、あとからやって来たイギリス系の移民たちが、先住民であるアボリジニよりも優位な立場に立とうとしているのか、私には良くわからなかった。それを考えると、オーストラリアはイギリス系移民によって侵略された国というイメージがぬぐえない。

 また、ストーリーの中で最も理解できなかったのは、夫を亡くしたサラがただちにヒュー・ジャックマン演じる牛追いのドローヴァーと激しい恋に落ちて行くところだ。最初は反発し合っていた二人だが、サラは最愛の夫の死の悲しみに沈む暇もなく、千五百頭の牛を率いて大陸を横断する旅に出たことをきっかけにして、ドローヴァーと激しい恋に落ちて行くのだ。それもまた、オーストラリアの壮大な自然がそうさせたのだろうか。次なるステップを踏み出すのはいいのだが、せめて夫の死を深く悲しむサラを描いて欲しかった。反発し合う二人が激しい恋に落ちるという展開はとてもいいのに、残念である。

 多くの映画がそうであるように、全体を通して時間の経過が速過ぎる。そのため、鑑賞しながら一つの状況にもう少し感情を留めたいのに、早くも次なるシーンを受け入れなければならない。アボリジニとイギリス系移民との混血少年ナラが母を亡くしたときの展開も速過ぎる。彼は強く生きなければならない立場だとしても、まだ子供なのである。とにかく盛りだくさんな出来事を詰め込むために、一つ一つの状況に立ち止まってはいられないといった感想を抱いた。

 私としては、ナラのおじいちゃんキング・ジョージの存在が最も気になる存在であった。彼こそが、大自然の中で、人間が本来持っている力を忘れ去らずに持ち続けている偉大な人物であるように思えた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 日本軍がオーストラリアを攻撃しているシーンが史実とは異なるという理由で、この映画はあまり多くの人に支持される映画には発展しなかったようですね。私自身はそのことは度外視したとしても、時間の経過が速過ぎることが気になって仕方がありませんでした。普段、一つの状況を丁寧にじっくりと描き出す作品を好んで鑑賞しているせいかもしれません。サラとドローヴァーとの一時的な別れや再会、そしてナラとの交流など、心温まるシーンはいくつもあるのに、もう少し時間の流れをゆっくり進めて欲しかったと思いました。

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2009.03.28

身はシャコのよう、味は小麦粉のよう

中国語を話す運転手さんと、中国語がわからない私たちの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 運転手さんが、それまで話をしていた携帯電話をいきなりガンモに手渡したときは驚きましたが、運転手さんの責任感の強さには本当に頭の下がる思いです。そもそも私たちが、中国に出掛けて行くというのに「何とかなるさ」と楽観視して、中国語の勉強もせずに出掛けて行ったことをちょっぴり恥ずかしく思いました。(苦笑)

 テーブルの上には、中国語と英語で書かれたコース料理のメニューが添えられていた。メニューを手に取って見ると、多くの料理に蟹肉が含まれているようである。

 まず最初にテーブルの上に並べられたのは、前菜だった。日本のお箸よりもいくぶん長い中華料理用のお箸で前菜をつついてみる。おいしい。

 続いて、蟹肉入りの煮込んだ鱈(たら)のスープ、そして、蟹肉と炒めた海老、蟹肉入りの炒めた豚ひれ肉、蟹の油と季節の炒めた野菜(ほうれんそう)が次々に運ばれて来た。最初に出て来た前菜は冷たいお料理だったが、前菜のあとに運ばれて来たのはどれも温かいお料理だった。どのお料理も上品でとてもおいしかった。

 いつもカニを食べに行く城崎温泉で利用している旅館では、食べ終わると、「しばらくカニはいい!」と思えるくらい、それこそ嫌というほどたくさんのカニ料理がテーブルに並べられる。上海蟹を食べさせてくれるというこのレストランでも、同じような体験ができるのではないかと予想していたのだが、その予想は見事に外れてしまった。私たちが案内されたレストランは、上海蟹を上品に織り交ぜた料理を次々に出してくださるレストランだったのだ。

 私たちが上海蟹の上品なお料理をいただいていると、日本語を話す若い女性が私たちのテーブルに近づいて来て、私たちにあいさつした。私は、渋滞に巻き込まれて到着が遅れた日本語を話せるガイドさんだとすぐにわかった。ガイドさんは、まっすぐに私のところにやって来て、何かを差し出しながら、到着が遅れたことを詫びた。私は特に気にしていなかったので、「大丈夫ですよ」と言って、ガイドさんを安心させた。ガイドさんが私に差し出したのは、どうやら中国茶のようである。お詫びの印にと、わざわざ買って来てくださったらしい。

 間もなくガイドさんは、お店の奥のほうに待機していることを私たちに告げると、私たちのテーブルから離れて行った。どうやらガイドさんも、このお店でお食事をされるようである。

 さて、いよいよ目玉となる蒸した上海蟹が運ばれて来た。運ばれて来た上海蟹を見た瞬間、私たちは「えっ? 上海蟹ってこんなに小さいの?」と思った。足の部分を除くと、大人の握りこぶしと同じくらいの大きさか、握りこぶしよりも少し大きいくらいの大きさしかなかったのである。お店の人が、「上海蟹の食べ方」なる冊子を私たちのテーブルの上に置いてくださったので、私たちはその冊子を参考にしながら、上海蟹の解体に取り掛かった。

 その冊子によれば、まず、足をちぎって食べたあと、本体を開いて食べることになっていた。冊子に書かれている通り、上海蟹の足をちぎってみると、身はほとんどなく、しかも、火を通した身は城崎温泉で食べるカニのように赤くなく、シャコのような紫色をしていた。時期が良くなかったのか、それともこれが上海蟹の特性なのか、とにかく身が細い。城崎温泉で食べさせてくれるカニは、足をちぎるとプリプリとした身が躍り出る。しかし、私たちが食べた上海蟹は、足をちぎっても身がついて来なかった。そのため、蟹料理専用の道具を駆使して、一生懸命、身をかき出すしかなかった。

 実は、上海に出掛ける少し前に電車の中で、会社の経営に関わっていそうなリッチな雰囲気の漂う中年男性二人が上海蟹について話をしているのが聞こえて来た。いや、聞こえて来たと言っても、上海蟹に関する感想はあまり良く聞き取れなかったのだが、最後に、
「また上海に行きましょう」
という言葉だけがしっかりと私の耳に届いた。それを聞いて、まだ上海蟹を食べたことがなかった私は、上海蟹に対する希望を膨らませたものだった。

 蟹料理専用の道具と格闘しながら、ひとまず足を食べ終えると、今度は本体の解体に取り掛かった。本体は、とても不思議な味だった。ガンモに、
「これ、何の味だろう? 何かの味に似てるよね?」
と確認しながら食べているうちに、
「わかった! 小麦粉の味だ!」
と私が言った。ガンモも、
「そうそう、小麦粉の味だ!」
と言った。

 上海蟹の本体は、箸でつつく場所によって味が大きく異なっていた。一般的に蟹味噌と言われているところの味は、他のカニの蟹味噌と大差はないように思われた。とは言え、全体的に高級感の漂うおいしさである。上海蟹は、小ぶりな身体に詰まった少ない身をかき出してたべるのが魅力なのだろうか。ただ、上海蟹がまだ温かかったからだろうか。私には、それが上海蟹の体温であるように感じられ、食べることに対する罪悪感のようなものを感じてしまった。もちろん、水の中に棲む上海蟹に体温を感じるというのもどこかおかしいのだが・・・・・・。

 上海蟹との一対一の格闘が終わると、蟹肉と豚肉入り小籠包が運ばれて来た。中がとってもジューシーな小籠包である。あとで知ったことだが、もっと庶民的なお店で販売しているジューシーな小籠包には、包みの中の汁をすするためのストローが付いている。しかし、上海蟹のレストランで出て来た小籠包にはストローは付いていなかった。

 その後、私たちは蟹肉入りチャーハンをいただいたあと、仕上げにデザートをいただいた。中国では、ミニトマトはデザートの仲間のようである。食べ終わったあとのお腹の具合は、城崎温泉のように食べ過ぎというわけでもなく、ちょうど良かった。

 私たちが食べ終わった頃、日本語を話せるガイドさんが私たちの席を訪れ、お茶を入れてくださった。彼女はまだ食事の途中だったらしい。それにもかかわらず、私がトイレの場所を尋ねると、彼女は私をレストランの外にあるトイレまで案内してくださった。しかも、私が用を足している間、トイレの中でずっと待っていてくださったのだ。何と律儀なガイドさんだろう。

 トイレからの帰り、ガイドさんに、
「どのようにして日本語を学んだのですか?」
と尋ねてみると、
「生まれは広州です」
という答えが返って来た。生まれを尋ねたわけではなかったが、私はそれには触れずに、
「へええ、そうなんですか。広州という名前だけは知っています」
と話を合わせた。

 私たちがレストランに戻ると、今度はガンモがトイレに立った。さすがにガンモがトイレに行くときは、ガイドさんは着いて行かなかったようだ。私たちは、ガイドさんの食事が終わるまで、お茶を飲みながらくつろいでいた。レストランの中では、中国民族楽器の音が耳に心地良く響いていた。

 こうしてくつろいでいるうちに、食事を終えたガイドさんが私たちのテーブルにやって来た。ガイドさんに、
「いかがでしたか?」
と尋ねられたので、
「とてもおいしかったです」
と満足感を伝えた。

 それから私たちは、ガイドさんの案内でレストランを出て、再び中国語を話す運転手さんの運転する車に乗り込み、帰路についた。車の中でガイドさんが、私たちの滞在期間を尋ねたあと、
「上海はここのところ、お天気がいいので、滞在中、天候は大丈夫だと思います」
と太鼓判を押してくださった。ところが実際のところ、私たちが滞在している間、必ずしも天候に恵まれたわけではなく、雨に降られた日もあった。とは言え、雨はすぐに上がったので、観光には差し支えなかった。ちなみに、お天気が良かったのは、上海蟹を食べたその日だけだった。

 ガイドさんは私たちに、
「外灘(わいたん)にはもう足を運ばれましたか?」
と尋ねた。上海に到着したばかりの私たちは、上海の有名な観光地である外灘のことをガイドブックで見ていただけだったので、
「いえ、まだです」
と答えた。するとガイドさんは、
「とてもいいところなので、是非お勧めします」
と言ってくださった。

 こうして車の中で話をしているうちに、運転手さんの運転する車は無事に私たちの宿泊ホテルに着いた。私たちは運転手さんとガイドさんにお礼を言って、ホテルの部屋に戻った。今回、私たちのために気を回してたくさんの仕事をしてくださった運転手さんは、私たちに、
「再見(ツァイツェン」
と、これまた太鼓判を押してくださった。

 上海蟹が思いのほか小ぶりでとても上品な食べ物だったことはさておいて、日本語を話せるガイドさんが遅れて来なかったら、私たちにとって、この日は特別なものにはならなかったかもしれない。普段よりもたくさんの仕事をしてくださった運転手さんや日本語を話せるガイドさんに深く感謝している。この上海蟹ツアーが私たちにとって特別なツアーだったように、運転手さんや日本語を話せるガイドさんにとっても特別なツアーであってくれたなら、とてもうれしく思う。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、身はシャコのよう、味は小麦粉のようをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 上海蟹はとても上品で不思議な味でしたが、城崎温泉で食べるカニ料理のように、カニ責めにあうような雰囲気ではなく、少ない身をちょぼちょぼ突付いて食べるといった感じでありました。シーズンが終わっていたからそうだったのか、それとも上海蟹はそもそもそういうものなのか、それは良くわかりません。今になって思えば、フードコートに並べられていた四十五元の上海蟹にチャレンジして、私たちが足を運んだホテルのレストランとの食べ比べをしておくべきでした。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.03.27

中国語を話す運転手さんと、中国語がわからない私たち

映画『チェンジリング』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 警察に連れて来られた子が実の子ではないと、クリスティンが必死で訴えかけているのに、耳を貸さずに裏工作に走るロサンジェルス市警のやり方には、本当にはらわたが煮えくり返る思いでした。正義の味方であるはずの警察が実は悪党であるという映画は、記事の中でご紹介した映画『フェイクシティ ある男のルール』のほか、映画『バンク・ジョブ』などもそうでしたね。これは、私たちが常に二つの面を持ち合わせていて、一つの面にスポットを当てて生きているからなんでしょうかね。

 そろそろ上海蟹の話をすることにしよう。もともと今回の上海旅行は、ガンモがTOEICの試験を頑張ったご褒美だった。冬になると城崎温泉にカニ料理を食べに行っているところを、ちょっぴり足を伸ばして上海蟹を食べに行こうと計画したのだ。

 とは言え、上海のどのお店に足を運べばおいしい上海蟹を食べさせてくれるのか良くわからない。そこでガンモは、海外ホテルを予約するときにいつも利用しているサイトから、上海蟹を食べさせてくれる現地ツアーを申し込んた。ガンモが言うには、私たちに上海蟹を食べさせてくれるのは、とあるホテルの中にある高級レストランらしい。

 約束の時間になると、日本語を話せるガイドさんが私たちの宿泊ホテルまで迎えに来てくださることになっていた。ホテルと言っても、具体的な待ち合わせ場所が指定されていなかったので、私たちは部屋で待つべきか、それともロビーで待つべきか迷っていたのだが、結局ロビーで待つことにした。相手の顔もわからないまま、誰かを待つのは不安なものである。空港で出迎えてくれるガイドさんのように、私たちの苗字を書いた札を持ってやって来るのだろうか。そんなことを思いながら、ロビーに入って来る人たちの様子をじっくりと観察していた。

 ところが、約束の時間になってもなかなかそれらしい人が現れなかった。おそらく相手も私たちのことを探しているはずなのに、私たちを探していそうな人が見当たらないのである。上海蟹を食べさせてくれる現地ツアーの代金は既に払い込んである。もしかすると、すっぽかされてしまったのかと心配になり始めた頃、少し前にフロントに駆け込んだ中国人男性が携帯電話で話をしながらロビーを移動しているのが見えた。そして、その男性が手に持っている白い紙に、私たちの苗字が書き込まれているのがチラリと見えたのだ。しかし、それはペラペラの紙である上に、細いボールペンで書かれた文字なので、なかなか読み取りにくかった。

 ガンモに、
「あの男性が手に持ってる紙に、私たちの苗字が書かれてるみたいなんだけど」
と言うと、ガンモは電話で話をしているその男性のところに歩み寄り、男性が手に持っている紙に書かれているのが確かに私たちの苗字であることを確認した。ガンモは、自分を指差して、男性が探そうとしているのが自分たちであることを示すと、男性は、それまで手に持っていた携帯電話をおもむろにガンモに手渡した。どうやら男性は、英語や日本語は話してくださらないらしい。

 私は一体何が起こったのかわからずにいたのだが、ガンモが男性から受け取った携帯電話の向こうで日本語を話せるスタッフがガンモに事情を説明してくださったらしい。どうやら、ひどい交通渋滞のため、日本語を話せるガイドの到着が遅れているらしいのだ。私たちが見付けたその男性は、私たちをレストランまで送り届けてくださることになっている中国人の運転手さんだった。日本語を話せるガイドは、私たちのホテルには寄らずに、私たちが上海蟹を食べることになっているレストランに直接出向くと言う。そこで仕方なく、中国語を話す運転手さんの案内で、私たちは車に乗り込んだ。

 中国では右側通行なので、車は左ハンドルである。運転手さんの後ろにガンモが座り、本来ならば日本語を話せるガイドさんが乗るはずの助手席の後ろに私が座った。同じ車に乗ると、たいてい何か会話を始めるものだが、中国語を話す運転手さんと、中国語がわからない私たちは、話をしたくてもコミュニケーションを取る方法が見付からず、沈黙を決め込むしかなかった。しかし、こうしたハプニングがのちに旅の良き思い出となるものである。途中、運転手さんの携帯電話に何度か連絡が入り、その度に運転手さんは怒ったような口調で何かを話していた。

 渋滞のため、日本語を話せるガイドさんが私たちの宿泊しているホテルに迎えに来られなかったのは当然のことで、確かに上海の交通渋滞は厳しかった。というのも、私たちが上海蟹を食べる現地ツアーを申し込んだのは、上海に着いた当日の夜だった。日本にしてみれば祝日だが、上海では平日の金曜日の夕方である。ちょうど夕方のラッシュとぶつかってしまったのだ。

 北京でもそうだったが、上海の道路は車とバイクと自転車と人がギリギリのところで共存している。車はクラクションを鳴らしながら、大胆に走行する。それこそ、いつ交通事故が起こってもおかしくないような状況である。一方、歩行者もかなりの強気で、車が来ているにもかかわらず、道路を横断する。歩行者を轢きたくない車は止まるしかない。

 渋滞の中、二十分くらい走っただろうか。運転手さんが通りの名前を教えてくださった。どうやら目的地が近いようである。そして、私たちが乗った車は、あるホテルの前に止まった。運転手さんは、私たちにそのホテルの名前も教えてくださった。そして、運転手さんの身振り手振りの案内で、私たちは車を降りた。どうやら運転手さんは、車を止めて来るので、ホテルの入口のドアをくぐったところで待っていて欲しいと言っているらしかった。

 私たちが、ホテルの入口をくぐってすぐのところにあるソファに腰を下ろして待っていると、運転手さんが裏口から現れた。そして私たちは、運転手さんの案内で上海蟹を食べさせてくれる高級レストランへと向かった。ところが、運転手さんもお店がどこにあるのかはご存知なかったようで、途中でホテルの別のレストランのスタッフに尋ねたりしていた。

 ようやく目的のレストランに到着した。確かに高級そうなレストランである。私たちは、すぐにテーブル席に案内された。店内では、若い女性による中国民族楽器の生演奏が行われている。運転手さんは、私たちが席に着いたのを確認すると、携帯電話で誰かと話をしながら、どこかに消えて行った。おそらく、私たちに気を遣ってどこかで待機してくださっているのだろう。私たちは、日本語を話せるガイドさんが到着することを心の中で祈りながら、テーブルの上の白いナプキンを膝の上に置き、「これから上海蟹を食べるぞ」という体勢に入った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 日本語を話せるガイドさんがなかなかホテルに到着しなかったのでかなり気をもみましたが、運転手さんのおかげで、何とか無事に目的のレストランに到着することができました。運転手さんにしてみれば、自分の担当以外の仕事を請け負ってくださったことになりますよね。それを、言葉もわからないのに私たちのために一生懸命案内してくださり、とても感謝しています。ペラペラの紙に私たちの苗字を書いてくださっていたのも、日本語を話せるガイドさんが到着しなかったことが、おそらく運転手さんにとっても予想外の出来事であり、用意がなかったのでしょうね。もしかすると、ホテルのフロントで紙とボールペンを借りていたのかもしれません。ありがたいことであります。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.03.26

映画『チェンジリング』

物乞いする人たちの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 上海の話は、まだまだ続きそうであります。そこで、しばらく上海の話ばかり続くのも何ですので、一ヶ月ほど前に鑑賞した映画のレビューも交えながら書かせていただくことにします。

 クリント・イーストウッドの監督作品であるこの映画を鑑賞したのは、確かこの映画が公開されて間もなくのことだった。劇場で何度も目にしていた予告編から、アメリカで実際に起こった事件をベースにした物語だと知り、興味を持っていた。「チェンジリング」という単語を知らなかった私は、映画館のチケットカウンターでチケットを購入するとき、「チェンジ・リング("change ring")」と発音した。すると、チケットカウンターの女性が「チェンジリングですね」と一つの単語に繋げて復唱しながらチケットを発券してくださった。そのとき私は、「チェンジリング」が一つの単語であることをそれとなく感じ取った。

 鑑賞したあと、映画の内容をもとにタイトルの意味を調べてみると、「チェンジリング」は"change ring"ではなく、「すり替えられた子」という意味を持つ"changeling"という一つの単語であることがわかった。予告編でも、失踪した息子が母親の元へ帰って来たものの、「それは息子に似た別の子だった」という説明が流れる。まさしく、「チェンジリング」というタイトルの通り、すり替えられた子供の話だったのである。

 一見、若かりし頃の浅丘ルリ子さんを思わせるような女優アンジェリーナ・ジョリーが演じているのは、クリスティンというシングルマザーである。電話会社に勤めるクリスティンは、九歳になる一人息子ウォルターと二人でロサンジェルス郊外に住んでいる。クリスティンはウォルターの成長が楽しみで、家の柱には伸びて行くウォルターの背丈をマジックで記録しているほどだ。

 あるとき、ウォルターと一緒に休日を過ごしているクリスティンのもとへ、同僚から、仕事の当番を替わってもらえないかという電話が入る。クリスティンはウォルターを一人残してしぶしぶ仕事に出掛けて行くのだが、クリスティンが休日出勤を終えて帰宅してみると、ウォルターの姿はどこにも見当たらなかった。やがて、失踪したウォルターを探し続けるクリスティンに、息子さんが見付かったとロサンジェルス市警から連絡が入る。

 この映画は、最近鑑賞した二つの映画を思い起こさせる。一つは、息子への継続的な強い愛というところから映画『永遠のこどもたち』、そしてもう一つは、警察が常に正義の味方ではないというところから、キアヌ・リーブス主演の映画『フェイクシティ ある男のルール』である。

 この事件が実際に起こったのは一九二八年だそうだ。この当時のロサンジェルス市警は、警察としての機能を確実に果たしていなかったと言える。何故なら、実際に行方不明になったウォルターではない男の子を保護してクリスティンに引き取らせ、我が子ではないと主張するクリスティンに圧力を加えたのだから。当時のロサンジェルス市警にチャールズ・ブロンソンがいれば良かったのに、などと思ってしまう。

 ロサンジェルス市警がウォルターだと言って保護された男の子は、ウォルターよりも背の低い男の子だった。クリスティンはウォルターの成長を楽しみにしながらウォルターの背丈を計っていたのだから、自宅の柱には保護された男の子がウォルターではないという動かぬ証拠がある。それなのにロサンジェルス市警は、自らの捜査ミスを認めたくないがために、クリスティンの申し出を断固として受け入れないのである。それに加え、保護された男の子もまた、ウォルターの振りをし続けている。何故、彼がウォルターの振りをしてクリスティンと一緒に暮らし始めたのかは最後にわかる。

 チャールズ・ブロンソンではないが、ある刑事によって、事件は新たな展開を見せる。次々に明るみになって来る、目を背けたくなるような事実にも、クリスティンは気丈に立ち向かう。クリスティンを力強く支えてくれる教会の神父さんが実にいい。彼は正義のためにロサンジェルス市警と戦う。クリスティンが真剣にウォルターを探し続けているからこそ、力強い支援があるのだ。

 物語は最後まで丁寧に描き出されている。途中、凶悪な殺人犯が登場するのだが、その殺人犯の演技が実に狂喜じみていて恐ろしい。しかも、とても演技とは思えないところがもっと恐ろしい。登場人物の一人一人が完璧に役を演じている。

 実は、クリント・イーストウッドの他の監督作品は、ゴニョゴニョした状態で自宅にあるのだが、戦争映画であるという理由でまだ鑑賞してはいなかった。前作もとても評価の高い作品だったと記憶しているが、今回の作品も素晴らしい。彼の監督作品は、これからも見逃してはならないような気がする。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画を食べ物に例えるならば、具がたっぷりと詰まって食べ応えのあるおいしい食べ物でしょうか。アメリカ映画を鑑賞すると、具があまり詰まっていなくてストーリーの展開があまりにも速過ぎて、すぐにお腹が空いてしまうといった感想をいつも抱いてしまいますが、この映画は違います。こうして、鑑賞してから一ヶ月経ってレビューを書いても、未だに劇場公開されている作品であるのは、具がたっぷりと詰まったおいしい作品だからだと言えます。

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2009.03.25

物乞いする人たち

庶民の生活に触れるの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 仕事を休んで「ガンまる日記」を更新したあと、お昼ご飯も晩御飯も食べず、トイレに立つ以外はほとんど一日中、ベッドの中で横になって寝ていました。仕事から帰宅したガンモに、「まるみは寝不足なんだよ。『ガンまる日記』を自粛しなさい」と言われてしまいました。(苦笑)確かに、ずっと寝不足が続いていたのかもしれません。それでも、たっぷり睡眠をとったおかげで体力も少し回復して来たので、写真の掲載はありませんが、今日も書かせていただきます。(笑)

 海外に出掛けて行くと、日本は比較的裕福な国であることを実感してしまう。何故なら、街を歩いていても、物乞いをしている人たちに出会うことが少ないからだ。私自身も、子供の頃は何度か物乞いをする人たちに出会ってはいるものの、ここ最近では、二年前に倉敷で六十五歳の物乞いおばあちゃんに出会って以来、一度も出会っていない。

 ところが、二年前に出掛けた北京でも、去年の夏休みに出掛けたパリでも、物乞いをする人たちに出会った。北京では街角で、パリでは地下鉄の中で出会った。また、物乞いではないが、北京の地鉄の中では乗客を相手に物品を売っている人たちもいた。パリの地下鉄の中でも、物乞いをする人たちのほか、楽器を演奏したりして、乗客からお金を募る人たちに出会った。

 そして今回訪れた上海でも、北京と同じように、地鉄の中で観光地図などの物品を売っている人たちがいた。日本では、新幹線や特急列車の中で、お弁当や飲み物などの販売が行われているが、北京や上海の地鉄で物品を売っている人たちは、おそらく地鉄の許可なく私的に販売されているのだろう。日本の車内販売とはまったく異なる非公式な雰囲気をかもし出していた。

 上海の地鉄の中では、物乞いをするおばあちゃんにも出会った。おばあちゃんは、硬貨の入った紙コップを手に持ち、乗客に声を掛けながら車両を渡り歩いていた。観察していると、ほとんどの人たちが無視または否定の態度を示していた。上海で地鉄に乗ると、たいてい四元(日本円でおよそ六十円)は掛かる。中国の物価を考えると、わざわざそれだけ投資してまで地鉄に乗り、車両を渡り歩きながら、物乞いをしていることになる。

 繁華街に足を運べば、やはり入れ物を手に持ち、物乞いをする人たちがいる。私たちが出会ったのは、一人はおばあちゃんで、もう一人は六十代くらいのおじさんだった。日本人を見付けると、贋物のブランド品を買わせようと、片言の日本語でしきりに話し掛けて来る人たちもいるが、物乞いをする人たちは、相手の国籍が何であろうと、しきりに中国語で話し掛けて来る。そのような場面に直面したとき、「もしも本当にお金に困っているのだとしたらどうするべきか?」と考える。目の前で物乞いをするおばあちゃんの訴えは、ひどく切実であるようにも思える。しかし、二年前に北京を訪れたときに案内してくださった現地係員の男性が、組織ぐるみで物乞いをするグループがあると教えてくれた。上海でもそうなのかもしれない。結局私たちは、現地の人たちがそうしているように、おばあちゃんの申し出を断った。

 一方、街角で出会ったもう一人の六十代くらいのおじさんは、私たちに声を掛けながらも、頭の中では次なるターゲットを探しているかのような態度を取っていた。おそらく、本当にお金に困っているわけではないのだろう。

 ただ、物乞いが商売なのか、それとも本当に困っているのかを確実に見分けることは難しい。少なくとも、私が倉敷で遭遇した六十五歳の物乞いおばあちゃんは、私がお金を渡してからも、すぐにその場から立ち去ろうとせずに、苦しい生活の状況を語り続けていた。もしもおばあちゃんが私を騙したならば、私がお金を渡した時点で既に私からお金を得るという目的を達成したわけで、後ろめたさからも、すぐに私の前から立ち去ってしまいたくなるのではないだろうか。

 実際にお金を渡してみなければ、物乞いをする人の真実は見極められないが、渡す前に何とか見極めようとするならば、道行く人一人一人に対し、物乞いをする人がどれだけ多くの時間を費やしているかが目安になるように思う。自分の中にどこか後ろめたい気持ちがある場合、一人の人に対して多くの時間を費やすよりも、より多くの人たちに声を掛けて、自分の中の後ろめたさをごまかしてしまうような気がする。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 地鉄の中や街角で人々に声を掛け、物乞いをする人たちは、肝が据わっていると言っていいのでしょうか。本当に切羽詰った状況だからそれができるのか、それとも、商売になるからできるのか、一見、見分けはつきません。しかし、やはり、その人の真剣さを問うには、自分に対してどれくらいの時間を費やしてくれるかということで計るしかないのだろうと思っています。

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2009.03.24

庶民の生活に触れる

リスクを背負って生きるの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 日本よりも上海のほうが一時間遅いので、行きは一時間得をして、帰りは一時間損をしてしまいました。(苦笑)飛行機はお昼過ぎに上海を飛び立ち、離陸後の飛行時間は一時間半余りだったというのに、関西国際空港に到着したのは夕方近くでした。今回の旅行では、マイルを消費したので、ホテルの宿泊料金と滞在中の食費や交通費などで済みました。ちょうどマイルの消費キャンペーン中だったので、ガンモが言うには、北海道に行くよりも少ないマイルの消費で上海に行けたそうです。

 ガンモと一緒に国内の鉄道乗り潰し旅行に出掛けたときに感じたのは、特急列車に乗るよりも、青春18きっぷで普通列車の旅をするほうが好きだということだった。それは、特急列車が他の地方からやって来た旅行者のための乗り物であるのに対し、普通列車は地元の人たちが普段、利用している列車だからだ。特急列車に乗っている人たちはその土地の言葉を話さないが、普通列車に乗っている人たちはその土地の言葉を話す。それと同じように、旅行者向けのちょっと気取ったお土産品売り場よりも、その土地の人たちが普段利用しているスーパーに足を運びたい。私たち自身が旅行者であることに変わりはなくても、せめてその土地で生活をしている人たちの生活の場面に触れたい。旅に出掛けると、そういう気持ちが働くのだった。

 ガンモが勇気を振り絞って焼き芋を買った日、目的地に向かって歩いていると、庶民が生活しているアパート群を見付けた。同じような建物がいくつも立ち並び、窓の外から突き出た棒の上では洗濯物がゆらゆらと揺れていた。私は、それらの洗濯物を下から見上げながら、言いようのない感動を覚えていた。洗濯物こそ、そこで生活している人たちの日常を感じさせてくれるアイテムだと思ったからだ。

 アパートとアパートの間には、そこで生活する人たちの憩いの場とも思える通路があった。その通路は、外の道路と繋がってはいるのだが、外の道路とアパートの通路の間には鉄格子の門が構えられ、部外者の侵入をブロックする働きをしていた。また、アパートを囲む鉄格子には、信号機のような配色のマークが掲げられていた。これは何を意味するものなのだろう。日本で言うところの公団を意味するマークなのだろうか。

 上海のアパート群で私たちが触れたのは、それだけではない。驚いたことに、こうしたアパート群にコンドームの自動販売機が設置されていたのだ。私が最初にその自動販売機を見付け、ガンモに、
「これ、何だろう?」
と尋ねると、ガンモはしばらくその自動販売機を観察し、
「どう見てもコンドームの自動販売機だけどなあ」
と答えた。インターネットで調べてみると、やはりガンモの言った通り、コンドームの自動販売機だった。北京でも、街角の人目につくところにコンドームの自動販売機が設置されているようだ。敢えて人目につくところにコンドームの自動販売機を設置することで、性に対する人々の意識を変えて行こうとする狙いがあるのかもしれない。

 また、私たちは昼食をとるときに、気取ったレストランではなく、庶民が利用するセルフサービスのフードコート「和豊楼小吃苑」を利用してみた。このフードコートは、お店の人が調理して店頭に並べた料理の小皿を、自分の欲しい分だけトレーに取り、レジで精算したあとテーブル席でいただくシステムになっている。レジは店内に何箇所かあり、レジのすぐ横がテーブル席への入口になっている。

 日本にもフードコートはあるのだが、日本の場合、小さなお店がいくつも並んでいて、それぞれが別会計となっているはずだ。私たちが上海で利用したフードコートは、お店は一つだが、料理の数が多いフードコートだった。並べられている料理の小皿の数があまりにも多いため、お店の半分くらいの場所まで歩いただけで、トレーの上には欲しいものがいっぱいになってしまった。トレーがいっぱいになり、向こう半分まで歩いて行くことができなかったので、他にどのようなお料理が並べられていたのかわからない。

 面白かったのは、並べられている料理の小皿の中に上海蟹が含まれていたことだ。私たちは既に別の日に上海蟹を食べて満足していたので、フードコートでは上海蟹の小皿を取らなかった。フードコートで上海蟹が食べられるとは、さすが上海である。ちなみに、上海蟹の値段は四十五元(日本円で七百円弱)だった。

 精算を済ませてフードコートのテーブル席に落ち着くと、飲み物を並べたカートを引いた店員さんがやって来て、私たちに飲み物を勧めてくれた。見ると、ジュース類だけだったので、私たちはパスすることにした。

 どの料理の小皿もとてもおいしそうだったので、お店の半分しか見ていないとは言え、私たちは料理の小皿をたくさん取り過ぎてしまった。ちなみに、私が支払ったのは五十六元(日本円で八百円強)である。ガンモが支払ったのは六十元(日本円でおよそ九百円)を越えていたようだ。結局、一部の中華まんじゅうを食べ切ることができず、容器に入れてこっそり持ち帰った。

 上海に着いた当日は観光客モードだったが、二日目からは、今回、書いたような庶民の生活にたっぷり触れることができた。実際、上海での滞在が面白くなったのは、庶民の生活に触れてからだと言える。観光客のために用意された上海の表面だけを楽しむのではなく、上海を裏側から見るくらいの意気込みで庶民の生活に触れることができたのは、大きな収穫だったと言える。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、庶民の生活に触れるをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m オフィスにノートパソコンを持ち込んではいけないのに、このような時間に記事を更新しているのは、実は旅の疲れがどっと出てしまい、仕事を休んでしまったからなのです。(苦笑)若い頃は、旅行に出掛けてもすぐに体力が回復したのに、年を重ねて来ると、身体がなかなか言うことをきいてくれなくなってしまいます。ちょっぴり情けないです。(苦笑)

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2009.03.23

リスクを背負って生きる

虎穴に入らずんば、焼き芋を得ずの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私自身も、旅行を楽しめるようになるのは、庶民が慣れ親しんでいるものに触れたときだと思っています。この日は、焼き芋以外にも庶民の生活に触れるチャンスがありました。それについては、また後日綴らせていただくことにしますね。

 三泊四日の上海の旅も、とうとう最終日を迎えることになった。朝、起きてホテルのレストランで朝食バイキングを食べたあと部屋に戻り、スーツケースにせっせと荷物を詰め込むと、私たちは十時過ぎにホテルをチェックアウトした。そこから初日と同じルートで地鉄とリニアモーターカーを乗り継いで、上海浦東国際空港まで移動した。スーツケースが重いので、ホテルから上海浦東国際空港までタクシーを利用しても良かったのだが、リニアモーターカーの往復乗車券を購入していたため、行きと同じルートを辿ることにしたのである。

 行きは時速四百三十キロという高速で私たちを龍陽路駅まで送り届けてくれたリニアモーターカーだったが、帰りは時速三百キロ強しかスピードを出してはくれなかった。ガンモに尋ねてみると、「あれは、行きだけのパフォーマンスだったんだよ」と言う。言われてみれば、確かにおよそ三十キロしか離れてはいないのだから、時速四百三十キロものスピードを出す必要はないのだ。他の利用客も、帰りは時速四百三十キロのスピードが出ないことを知っていたのか、スピードメーターの表示に見入っているのは私だけだった。また、平日だったこともあって、利用客も少なく、空席が目立っていた。

 それでも、およそ時速三百キロで走行したリニアモーターカーは、あっという間に上海浦東国際空港に着いた。時計を見ると、出発の二時間ほど前だった。平日ということで、やはり空港カウンターも空いていた。空港カウンターにスーツケースを預けて身軽になった私たちは、出国審査を受けたあと、続いて手荷物検査を受けた。実は、ここでもまた特筆すべき出来事が起こったのだが、こちらについても日本から出国するときの手荷物検査と同様、後日、綴らせていただくことにしよう。

 ところで、中国に来ると、お土産に何を買ったらいいか、ひどく悩んでしまう。街のお土産売り場に足を運べば、たくさんのお土産品が売られてはいるのだが、比較的簡単な作りのものが多く、お土産として購入するのは憚(はばか)られるものが多い。かと言って、食べ物を選んだとしても、デリケートな人は口にしたがらないかもしれないとも思うと、そこで判断が停止してしまう。その点、空港で売られているお土産品は、少々割高ではあるものの、比較的上品そうな品物が多いので、お土産選びには最適かもしれない。とは言え、街のお土産品売り場で売られているのとまったく同じお土産品が、市場価格の二倍近い価格で売られていたりするので、予め価格調査も必要である。

 私たちが利用したのは、日本の航空会社の飛行機だったのだが、何と、チェックインカウンターも搭乗ゲートも、空港のひどく端のほうにあった。おそらく、中国の航空会社の飛行機を利用したならば、どちらももっと利用しやすい場所に設置されていたのだろう。私たちは、空港の端から端までを、やっとの思いで移動した。

 ようやく搭乗ゲートに着いたので、私は搭乗案内が始まる直前に、実家の母にこれから帰国することを伝えておこうと思い、携帯電話を使って実家に電話を掛けてみた。ところが、ずっと話中で繋がらなかったので、私たちはそのまま飛行機に乗り込んだ。さすがに毎日精力的に歩き回って疲れが溜まっていたのか、飛行機の中では、楽しみにしていた映画鑑賞も諦めて泥のように眠った。私たちの乗った飛行機は順調に飛行を続け、途中、乱気流の影響で少し揺れはしたものの、無事に関西国際空港に着陸した。行きは離陸してから二時間余り掛かったのに、帰りは離陸してからわずか一時間半余りで着いてしまった。

 飛行機を降りてすぐに実家に電話を掛けてみると、母が電話に出て、成田で大きな飛行機事故があったことを知らされた。事故のあった飛行機が中国を飛び立った飛行機だったので、母はとても心配していたらしい。日本にいるときは、ノートパソコンから繋いでいるモバイルカードも携帯電話のパケット通信も定額プランに加入しているため、どちらも気軽に外部に繋いで情報を得ることができる。しかし、海外にいるときは、インターネットへの接続も従量制かつホテルにいるときのみである上に、携帯電話についてもずいぶん割高なパケット料金が課金されるため、使用を最小限に留めていたのだ。そのため、日本でどのようなことが起こっているのか、まったく知らなかった。とにかく母は、私たちが無事に帰国できたことを知り、安堵したようである。

 私は、母との電話を切ったあと、ただちに携帯電話からニュースサイトに接続して事故の詳細を知った。着陸に失敗したのは貨物機であったようだが、アメリカ人の乗員二人が亡くなられたという。こうした事故が起こったとき、「亡くなられた方が自分の知っている人でなくて良かった」と思う傾向が強いが、私はそうした風潮が好きではない。だから、このような事故が起こったことを冷静に受け止めたいと思う。

 最近、あちらこちらで飛行機事故が相次いでいる。しかし、だからと言って、飛行機に乗って旅行に出掛けて行くのを辞めるわけには行かない。飛行機に乗って旅行に出掛けて行くのは非日常だとしても、日常生活においては自動車事故のほうが、ずっと身近で数は多いのだ。飛行機に乗る、乗らないに関係なく、私たちはいつもリスクを背負って生きているということだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m おかげ様で、無事に帰国することができました。旅行に出掛けると、精力的に歩き回った上に、その日に撮影した写真を整理してオンラインアルバムにアップしつつ、記事も更新することになりますので、正直言って、肉体的にも精神的にもかなり厳しい状況であります。(苦笑)それでも書きたいのですから、もう、病気かもしれませんね。今回の上海旅行に関する記事は、まだまだご紹介していないことがたくさんありますので、よろしければもう少しお付き合いください。

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2009.03.22

虎穴に入らずんば、焼き芋を得ず

上海雑技団の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私たちが鑑賞したのは、上海に三つある雑技団のうち、最も近代的な演目を見せてくれる雑技団でした。他の雑技団は、もっと古典的な演目を披露してくれるようです。ちなみに鑑賞中、ガンモはサーカスを見るのは生まれて初めてのことだと、こっそり私に打ち明けました。(笑)

 上海の地鉄(地下鉄)で利用できる交通カード(チャージ型のICカード)も購入し、毎日、あちらこちらを精力的に歩き回っている。二年前に訪れた北京もそうだったが、上海においても、路上で何か物を売っている人たちの姿がたくさん見受けられる。実際に物を並べてを売っている人たちはそれほど積極的ではないのだが、中には日本人とわかっただけで、積極的に片言の日本語で話し掛けて来て、正々堂々と贋物のブランド品を売りつけようとする人たちもいる。実際、上海の繁華街を歩いていると、「バッグやカバンが安いから、ちょっと見て行きませんか?」という勧誘が実に多い。彼らは手に小さなカタログのようなものを持っていて、近くにある店に観光客を誘導しようとする。とは言え、はっきりと断れば、それほどしつこくされることはない。

 また、お土産売り場で何かを買おうと立ち止まると、必ず店員さんが声を掛けて来る。そして、そこで何かを買おうものなら、「ありがとうございました」では済まされず、すかさず別のものを勧めて来る。「いえ、もう結構です」と断っても、すぐにまた次のものを勧めて来る。接客業務でずいぶん押しが強いのである。その一方で、価格交渉に応じてくれるのはありがたい。こちらが引くと、値段をどんどん下げてくれるのが面白いくらいだ。

 さて、上海での滞在も三日目となり、ホテルでガイドブックに見入っていたガンモが、突然、何か閃いたように目的地を定めた。朝食をとったあと、私たちは地鉄を乗り継ぎ、目的地まで移動した。その途中に、露店で焼き芋を売っているおじさんがいた。見ると、そこで売られている焼き芋は、やけに大きいのである。私もその焼き芋はひどく気になったのだが、私たちが興味を示していても、露店のおじさんがそれほど積極的に声を掛けてくださらなかったことと、私たち自身が中国語を理解できないことも手伝って、そのまま通り過ぎようとした。しかしガンモはその露店のすぐ近くで立ち止まり、後ろ髪を引かれるのか、まったく動こうとしない。子供の頃、飼い犬の散歩をしていたときに、何かに気を取られた飼い犬がガンとして動かない現象に遭遇したことがあるのだが、ガンモが立ち止まって動かないのも、その現象にとても良く似ていた。

 ガンモは、どうしてもその焼き芋が欲しいらしい。しかし、私たちは中国語がわからない。そこで私はガイドブックの簡単な中国語の解説ページを開き、「いくらですか?」を意味する「多少残?」という言葉をガンモに教えた。するとガンモは手帳とペンを取り出して、漢字で手帳に「多少残?」と書いた。

 勇気あるガンモは、露店で焼き芋を売っているおじさんのところに歩み寄り、「多少残?」と書き込んだ手帳を見せながら、焼き芋の値段を尋ねた。一瞬、おじさんは、ガンモの持っていた手帳を手に取り、焼き芋の値段を答えようとしたが、すぐに私たちに対し、片言ではなく流暢な英語で、指を使いながら、
「三元(一元はおよそ十五円)です。どの大きさのものがいいですか?」
と尋ねてくださった。露店のおじさんは片言の英語しか話さないと決め込んでいたガンモは少々面食らっていたが、おじさんが英語を話してくださったおかげでガンモは大きな焼き芋を購入することができた。実際は量り売りだったらしく、ガンモが選んだ焼き芋は少し大きかったため、四元(日本円で約六十円)で購入することになった。

 大きな焼き芋は、握りこぶしの二倍くらいの大きさもあっただろうか。日本でこれほど大きな焼き芋を手に入れようと思えば、千円くらいはするだろう。この焼き芋は、見た目はじゃがいもなのだが、皮の間からのぞいている中身の色の通り、味はさつまいもに近かった。これほど大きな焼き芋を、中まですっかり柔らかくなるまで焼き上げることのできる技術力が素晴らしい。しかも、味も抜群においしく、ガンモは大満足のようだった。

 実は、ガンモがガイドブックを見て私を連れ出したところは、ホテルからずいぶん遠出した上に、地鉄の駅から三十分近くも歩いたというのに、目的のものを手に入れることができなかった。そのことをガンモに指摘すると、
「おいしい焼き芋が買えたから、俺は大満足」
と言った。まるで、「虎穴に入らずんば、焼き芋を得ず」と言っているかのようだった。いつもは消極的なガンモが、積極的に筆談をしてまで手に入れようとした大きな焼き芋は、上海の特別な思い出となった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、虎穴に入らずんば、焼き芋を得ずをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 掲載した写真には比較対象物がないので、焼き芋の大きさがわかりにくいかもしれませんね。握りこぶしの二倍くらいの大きさと書きましたが、とにかくボリュームたっぷりだったので、私たちは分け合って、一日掛かりで食べました。いつもは消極的なガンモが、これほど積極的になるシーンは見ものでした。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.03.21

上海雑技団

時速四百三十キロのリニアモーターカーの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 時速四百三十キロというのは、驚きの速さでありました。走行中に時計を見ると、数分先の時間が表示されていました。なあんていうのはウソです。(笑)何度も乗車し続けると、他の人よりも早く年を取ってしまうというのもウソです。(笑)光速を越えない限り、多分、大丈夫だと思います。

 上海に着いてから、実に盛りだくさんな時間を過ごしてはいるのだが、今日は上海雑技団、すなわちサーカスのことを書いておこうと思う。

 二年前に旅行会社の企画するツアーに参加して北京を訪れたとき、北京で雑技団を鑑賞するというオプショナルツアーが用意されていた。同じツアーに参加していたもう一組の人たちはそのオプショナルツアーに参加されたのだが、現地係員の男性が強く推奨してくださるにもかかわらず、私たちは自分たちの時間を優先させるため、そのオプショナルツアーに参加しなかった。のちに、中国の雑技団の高い技術力と人気を知ることになり、そのオプショナルツアーに参加しなかったことがひどく悔やまれてならなかった。そのときの後悔から、今回は、個人旅行で上海に来ているにもかかわらず、私たちは雑技団を鑑賞すべく、出発前にWebで現地ツアーを申し込んでおいたのである。

 夕方、私たちを上海雑技団に案内してくださる現地係員の若い女性が私たちをホテルまで迎えに来てくださり、私たちと一緒にタクシーに乗り込んでサーカス会場へと向かった。会場は、上海で三つあるサーカス会場のうち、上海馬戯城という大きな施設である。私たちがタクシーを降りると、既に何台ものツアーバスが会場の入口付近に停車していた。やはり、上海を訪れた多くの観光客が、雑技団を楽しむようである。

 私たちは、現地係員の女性の案内で中に入った。中は、舞台を扇状に取り囲むような円形の会場になっていた。案内された席は、前から二列目のとても良く見える席だった。現地係員の女性は、私たちが席に着いたのを見届けると帰って行った。私たちをサーカス会場に送り届けるだけならば、チケットを手配してくださるだけでも良かったのだが、どうやら現地係員の女性は、手配したチケットをオプショナルツアーを企画している会社に持ち帰り、領収書をもらっているらしい。そのため、現地係員の女性は私たちに、今回鑑賞した雑技団のチケットの半券をくださらなかった。

 私たちが席に着いたとき、会場にはまだまだ空席が目立っていたのだが、十九時半の開演が近づくにつれ、ほぼ満席状態となった。観客のほとんどが外国人観光客で、日本人は少なく、およそ八割が西洋人観光客だった。開演時間になると、幻想的なライトによって舞台が照らし出され、透明な囲いの中に男性一人と女性たちが湧き上がるように数人登場した。数人の女性たちは重なり合って横になっていたのだが、その中の一人がくねくねと動き出して、女性たちの集合体の中から浮かび上がり、手の平サイズの台の上で逆立ちしながら片手だけで自分の身体を支えたり、身体をくねらせたりし始めた。その演技はまるで花の芽が出たあと、花が開花する様子を表しているかのようだった。私は、その女性の身体の柔らかさに釘付けになっていた。

 やがて場面は変わり、透明な囲いが取り去られた。今度は船に乗った男女が出て来て、ステージの中央までやって来ると、男性が筒のようなものを取り出して、その上に細長い板を置いた。男性はバランスを取りながら板の端のほうに乗った。会場からは歓声が上がった。それだけではない。男性は、板の端のほうに常に位置し、女性からお皿を一枚受け取ると、受け取ったお皿を自分が乗っている板の反対側に置き、板を動かして、そのお皿を自分の頭の上に載せたのである。しかも、それだけでは終わらなかった。一枚の次は二枚セット、二枚セットの次は三枚セット、三枚の次は四枚セットで次々に自分の頭の上にお皿を重ねて行ったのである。途中、お皿が重ならずに失敗したこともあったが、男性は二回目のトライで必ず成功した。ものすごい集中力である。お皿を二枚同時に重ねるまでは、熟練すれば何とかなるのではないかと想像できる。しかし、三枚いっぺんに、更には四枚いっぺんに頭の上に重ねるというのは、もはや私の想像を超えている。しかも、それらを平らな場所で行っているのではない。筒の上に置いた板の上でバランスを取りながら行っているのである。船に乗った男性は、会場からの拍手を浴びながら女性と一緒に乗った船とともに退場して行った。

 さて、今度は風車のようなものを自転車に掲げた男性の映像が映し出されたかと思うと、その男性がステージに登場した。映像と同じように、風車を自転車の前にさして、大きな甕(かめ)のようなものを運んでいる。男性が大きな甕を傾けると、中から若い女性が一人、まるで虫のように逆立ちをした状態で身体を折り曲げながら這いずり出て来た。ほどなくしてもう一人、同じように甕の中から女性が這いずり出て来た。そして、もう一人、更にもう一人・・・・・・。人間が一人入ってちょうど良いと思われるくらいの大きさの甕から、何と四人もの女性が虫のように逆立ちをした状態で身体を折り曲げながら這いずり出て来たのである。いや、四人と書いたが、もしかすると五人だったかもしれない。一体どのような形でその甕の中に収まっていたのだろう。

 更に場面は変わり、十数人の若い男性がマットを用意し、二段に重ねた輪をくぐり始めた。どうやら十数人の男性たちは二チームに分かれて対立しているようである。言語による表現はないのだが、ストーリー性を持ったミュージカルのような雰囲気もあり、出演者の表情や態度で何となく意図しているであろうことを窺い知ることができる。最初は二段だった輪がやがて三段になり、ついには四段になった。それらを一人ずつではなく、同時に双方向からくぐり抜けるのである。ほんの一瞬でもタイミングがずれると、他の人とぶつかってしまう。そんな絶妙なタイミングを見事なチームワークで計りながら輪の演目は終了した。

 他にも、回転している観覧車のようなものに乗り、観覧車の中を渡り歩きながら、時にはジャンプしたり、縄跳びをしたり、覆面をしたりするパフォーマンスを見せてくれた。また、ジャンプ台付きの梯子の上からジャンプして、他の人の上に載る演目を見せてくれたり、トランポリンのようなものの上で回転しながら、しなる木の上に飛び移り、しなる木の上で回転ジャンプをしたりする危険な演目も見せてくれた。実際に愛し合っているのではないかと思われる男女が手を取り合い、手だけ、あるいは足だけで繋がって、愛のエネルギーを振り巻きながら空中を舞うシーンもあった。

 私は、それらの演目を見ながら感動で胸が打ち震え、いつの間にか涙していた。雑技団に参加している人たちは、二十代半ばの若者たちである。彼らは命を賭けて厳しい練習を重ね、素晴らしいチームワークで雑技団を成功させている。彼らの気持ちが一つにならなければ、誰かが命を落とすかもしれない。一瞬の判断が命取りになる場合だってあるのだ。人生の中で、これほどの強い結束力を体験する機会があるのだろうか。彼らは自分の力を百パーセント出し切って好きな課題に取り組んでいる。そうした背景を想像しているうちに、胸の奥に熱いものが走ったのだ。

 それを強く感じたのは、しなる木の上で回転ジャンプする演目を見たときだった。そのような演目を目にしたとき、私たちは、回転ジャンプしている人に注目しがちである。しかし、その演目には、下でしなる木を支えている二人の男性がいた。回転ジャンプをする人は、トランポリンの上から、彼らが支えているしなる木の上に飛び移り、演目を続けるのだが、しなる木を支えている人たちは、回転ジャンプをする人がどの位置に降りるかを予想して、しなる木を移動させて、回転ジャンプした人を受ける立場に回るのだ。つまり、回転ジャンプをする人は、一人で回転ジャンプして舞台の上に着地するわけではなく、二人の男性が支えているしなる木の上に着地するわけである。そこには鋭い観察力と素晴らしいチームワークが必要とされる。しなる木を支えている二人の男性が咄嗟の判断を誤れば、回転ジャンプしている男性は足をすべらせ、舞台の上に転がり落ちてしまうかもしれない。こうした演目では、一瞬のうちにすべてが決まる。それほどの信頼関係が大きな一体感を生み、その一体感が観客にも伝わるのだ。

 ショーの目玉であるモーターバイクのシーンは、You Tubeにも同様の映像がいくつかあるのだが、何と合計八台ものバイクが円形の金網の中に入って同時に走り始めた。これもまた、誰かが少しでもタイミングを間違えば、すべての人たちを巻き込む大惨事になりかねない。見ている側としては心臓に悪く、とにかく祈るような気持ちで、バイクに乗っている人たちを見守っていた。

 高いところに設置された椅子にジャンプして座るときなど、後半は命綱を使うシーンも見受けられたが、かえってそのほうが安心して見られる気持ちもあった。彼らが一体どのような訓練を重ねて来たのか想像してみたのだが、例えば私はホットヨガのレッスンでも、両手を上げるポーズで時間が経って来ると、上げている手に疲れを感じて降ろしたくなってしまう。しかし、そこで限界を感じて諦めてしまわずに、もう少し先の目標を持ちながら手を伸ばし続けることができれば、そこで自分の限界を伸ばすことができるのではないだろうか。彼らもまた、厳しい訓練を重ねて行く上で、自分の限界を少しずつ広げて行ったのではないだろうか。そうした訓練は、毎回、自分自身の限界との戦いであったはずだ。

 ショーが終わったあとは、とにかく興奮状態だった。ガンモも興奮していた。心臓には良くない演目の連続ではあるものの、彼らから感じる一体感のエネルギーにはものすごいものがある。厳しい訓練の末に見せてくれる彼らの素晴らしい集中力とチームワークは、感動に値するものである。皆さんも、中国を訪れることがあれば、是非とも雑技団を鑑賞して欲しい。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、上海雑技団をご覧ください。ただし、上演中は撮影禁止だったため、上演中の写真はありません。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 人間の身体の神秘を感じました。それと同時に、自分の身体に大きな筋腫があるなんて、とても恥ずかしいことだと感じました。彼らは自分の身体を知り尽くし、厳しい訓練の末にこれほどの強い結束力を体験しているのです。人生の中で、このような体験ができる人は、限られていると思います。私はこれまで、命を賭けたチームワークなど体験したことがありません。彼らがどのような訓練を重ねているのか想像することしかできませんが、厳しい訓練を重ねれば重ねるほど、受け取るものも大きいのでしょう。とにかく、今は感無量であります。記事の中に、まだまだ書き足りないことがたくさんありますが、敢えて言葉にしてしまわずに、しばらく感慨にふけることにします。

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2009.03.20

時速四百三十キロのリニアモーターカー

映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ご覧になられた方も多いようですので、少々追記させていただきますと、お金持ちの家に生まれたベンジャミン・バトンでしたが、老人として生まれてしまったために気味悪がられ、生まれてすぐに実のお父さんによって、老人ホームの前に置き去りにされてしまうのです。それでも、老人ホームで働く黒人女性に保護され、偏見なく、立派に育てられるのですね。ここに、自分に降りかかった出来事を受け入れながら生きている人とそうでない人の違いがはっきり出ているように思います。自分に降りかかった出来事を受け入れられない人は、既に多くのものを受け取りすぎている人なのかもしれません。受け取ることが飽和状態になっているために、「愛しいはずの我が子を老人ホームに置き去りにする」という究極的な手段を選んでしまったような気がします。それに対し、ベンジャミン・バトンの育ての親となった黒人女性は、「自分と結ばれる縁は、どんな縁でもありがたい」という姿勢だったのでしょうね。ベンジャミン・バトンの実のお父さんが反面教師となり、自分の身に降りかかったことから逃げないでいることの大切さを教えてくれた作品であったように思います。

 ゆうべ二時頃就寝したというのに、私たちは朝十時半の飛行機に乗るために、朝五時半に起床した。旅が始まろうとするとき、私たちは毎回と言っていいほど寝不足に陥ってしまう。それでも、時差の多い国に出掛けて行くときは、旅行の一日目にホテルで熟睡することでその寝不足がプラスに働き、時差までも吸収してしまう。しかし、これから出掛ける中国の上海は、日本よりも一時間遅いだけだである。すなわち、日本との時差が一時間しかなく、時差とともに寝不足まで解消できる保証はない。

 支度を整えた私たちは、朝七時前に家を出て、自宅近くのバス停までスーツケースを転がしながら歩いて行った。そして、そこから路線バスに乗り、自宅の最寄駅へと向かったのである。まるで「行っておいで」と送り出されるかのように、目覚めた直後は雨が降っていたのに、私たちが家を出る頃にはピタリと雨が止んだ。私たちは自宅の最寄駅前から関空リムジンバスに乗り込み、関西国際空港到着までの数十分、関空リムジンバスの中でぐっすり眠った。

 三連休の初日だからだろうか。関西国際空港に着いてみると、これまでにないほど空港カウンターが混雑していた。思えば私たちは、夏休みに旅行に出掛けるときは、混雑を避けるため、たいてい休日の前日から休暇を取って出掛けていた。しかし今回は、三連休の初日の出発となったため、このような混雑を初めて体験することになったのである。

 とは言え、私たちは既にインターネットである程度の手続きが終わっていたので、わざわざ長い列に並ぶ必要はなく、空港に備え付けの自動チェックイン機にパスポートを通し、これから搭乗する便名を指定することで、空港カウンターにスーツケースを預けられることになった。

 スーツケースを預けて身軽になった私たちは、すぐに手荷物検査を受けたのだが、そこでまたしても「お客様ご自身の手でお願いします」に書いたのと同じようなハプニングがあった。これについては、帰国してからじっくり書かせていただくことにしよう。

 しばらく空港ロビーで過ごしたあと、ようやく搭乗案内が始まったので、私たちは飛行機に乗り込んだ。上海浦東国際空港までの所要時間は二時間余りである。飛行機の中では、睡眠不足を解消すべく眠ろうと思っていたのに、ついつい映画を観てしまった。ご存知のように、国際線の多くの飛行機には、飛行中に乗客が映画やゲームなどを楽しめるように、座席の前に自分専用の小さなディスプレイが付いている。座席に取り付けられたコントローラを操作することで、好きなメニューを楽しめるようになっているのである。座席ポケットに入っていた映画の上映案内を見てしまうと、どうしても映画を鑑賞したいという誘惑に勝てなかったのだ。上映作品の中には、現在劇場公開中の作品で、まだ鑑賞していない作品もいくつかあったのだが、上映時間に対し、飛行時間のほうが短い作品も多かったので、私は比較的短めの作品を選んだ。考えてみると、上海までの飛行時間が比較的短いことは、かえってありがたいことなのかもしれなかった。何故なら、飛行時間が長ければ長いほど、ムキになって映画を鑑賞してしまいそうだったからだ。

 乱気流による揺れも少なく、私たちの乗った飛行機は無事に上海浦東国際空港に着陸した。毎度のことながら、飛行機が着陸した瞬間は、パイロットに対する感謝の気持ちでいっぱいになる。もともと高所恐怖症の私は、旅行は好きでも、飛行機はあまり好きな乗り物ではない。いろいろな想像が頭を駆け巡るからだ。それだけに、無事に離陸・着陸できると、命がけで操縦してくださったパイロットに対し、「ありがとう! 本当にありがとう!」という気持ちでいっぱいになるのだ。

 上海浦東国際空港は、思いのほか広い空港だった。入国審査を終え、スーツケースを受け取ったあと、私たちはリニアモーターカーに乗るべく乗り場へと急いだ。上海浦東国際空港と龍陽路駅の三十キロをおよそ七分で結ぶというリニアモーターカーである。このリニアモーターカーの最高速度は、何と時速四百三十キロだそうだ。走っているときは、宙を浮いているらしい。

 往復割引があったので往復切符を買ったのだが、購入したリニアモーターカーの切符は、近代的なICカードだった。このICカードはおそらく使い捨てではなく、何度も再利用されているのだろう。改札を通るときは、空港の手荷物検査と同じように、スーツケースやカバンの中身が機械でチェックされる。ただし、飛行機よりはチェックが緩い。

 改札をくぐったあと、トイレに行っている間に乗車案内が始まってしまい、私たちがトイレから出て乗車してみると、既に多くの座席が埋まってしまっていた。強引に座ることもできたのだが、スピードメーターを見守りたかったので、私たちは通路に立つことにした。スピードメーターは、各車両の前後のディスプレイに表示されているのである。

 いよいよ出発時間になり、ドアが閉まった。時速四百三十キロのスピードを、私たちの身体はどのように感じるのだろう。期待に胸を膨らませながらスピードメーターを見ていると、だんだん加速して来るのがわかった。最初は数十キロから始まり、百キロを越え、二百キロを越え、三百キロを越え、ついに最高速度の四百三十キロが表示された。宙に浮いていると言われれば、なるほどそうかもしれないという感覚だった。宙に浮いているとは言え、やはりスピードが加速するにつれ、横揺れが激しくなった。本当に宙に浮いているのだとすると、まるで、きん斗雲(きんとうん)に乗っているかのようだ。

 私は、中国の技術力の高さに感動した。日本にも同等の技術は既に存在しているだろう。しかし、運用に踏み切っている中国の技術は進んでいる。わずか七分という短い時間の中に、中国の高い技術力が活かされているのだ。

 私たちはあっという間に龍陽路駅に着き、そこから地鉄(中国の地下鉄。日本で地鉄と言うと、富山地鉄がすぐに頭に浮かぶ)を乗り継いで、宿泊先のホテルにチェックインした。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、時速四百三十キロのリニアモーターカーをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 無事に上海入りしました。またしても、早朝に起きて更新しています。(苦笑)日本の三連休のお天気はいかがでしょうか。地域によっては、曇り空だというお話も聞いています。私たちもお天気が少し心配だったのですが、上海はとてもいいお天気に恵まれました。気温も日本と同じくらい暖かいです。春もののコートを羽織って来たのですが、コートを着ていると少し汗ばむくらいで、中には半袖のTシャツで歩いている人たちもいました。上海には三泊する予定です。その間、上海から「ガンまる日記」をお届けしますが、一日に体験したことがかなり盛りだくさんになってしまいますので、一日に書き上げるのはその日に起こったメインの出来事に絞らせていただき、その他の出来事については、帰国してからゆっくり綴らせていただくことにしますね。皆さんも、楽しい三連休をお過ごしください。

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2009.03.19

映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』

冷えのぼせの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m もともと私は、ホットヨガのレッスンを受けたあとでも、顔からタラタラと汗を流していたので、その頃から冷えのぼせの症状が出ていたのかもしれませんね。ちょっと、この状況については、今後もレポートして行きたいと思います。

 この映画の原作がF・スコット・フィッツジェラルドの小説と聞いて、私はすぐに作家の村上春樹さんを思い出した。村上春樹さんが、フィッツジェラルドの小説を翻訳されていたからだ。

 それはさておき、この映画は劇場で予告編を鑑賞するとともに、出張中のガンモに会うために溝の口まで出掛けたときに、ホテルの部屋で点けていたテレビから、この映画の予告編が何度も何度も流れるのを耳で聞いていた。普段、まったくと言っていいほどテレビを見ない私は、映画の予告編がこれほどの頻度で流れているということに驚きを覚えたものだった。

 予告編からは、老人として生まれ、年を追うごとに若返って行ったベンジャミン・バトンの数奇な人生を取り上げた作品であることがうかがえたが、実際に鑑賞してみると、決して予告編を裏切らない内容の作品だったと言える。

 人は、老いて行くことを恐れたり、時には嫌がったりもする。それでも、一緒に生きて行くパートナーに出会えたとき、互いに寄り添いながら、一緒に年を重ねて行く喜びを知る。いや、その幸せはあまりにも当たり前過ぎて、気付かずに通り過ぎてしまうものなのかもしれない。あまりにも当たり前過ぎて気が付かないから、こうしてベンジャミン・バトンがその当たり前の幸せを目に見える形で私たちに教えてくれた。彼自身が自分の愛する人と一緒に年を取ることができないという苦悩を示しながら。何故なら、彼の愛する人が年を重ねるごとに老いて行くのに対し、彼自身は若返ってしまうからだ。そこに、人間の力ではどうにもできない自然の法則を感じた。

 また、老人ホームで育ったベンジャミン・バトンは、何度も何度も老人たちの死に直面する。老人ホームでは、入居する老人たちが入れ替わっても、いつも同じような光景が繰り返されているのだ。時間の概念といい、肉体の死といい、この映画は私たちが生きて行く上で抗えないものにスポットを当てているかのようだった。

 ところで、何度も触れるようだが、運命的な二人というのは、互いに強く惹かれ合いながらも、時にはもつれ合ったり、離れたりするものなのかもしれない。ブラッド・ピット演じるベンジャミン・バトンとケイト・ブランシェット演じるデイジーもまた、運命的な二人だったようである。運命的な二人は、継続的に引き合ってはいるものの、第一次接近遭遇、第二次接近遭遇など、何度目かの接近遭遇を経て、ここぞというタイミングで結び付くようだ。時には結び付くまでに、互いに別々のパートナーと付き合うこともある。それでも引き合い続けるために、運命は二人が結び付くチャンスを用意してくれている。いや、むしろそのタイミングでなければ結び付かないと言っても過言ではない。

 そう言えば、この二人は以前、映画『バベル』においても夫婦役を演じていたはずだった。そういう意味においても、運命的な二人である。寄せては返す波のように、くっついては離れ、離れてはくっついた二人の愛の物語。逆境にもまれながらも、生涯を通して引き合う二人の姿が美しい。

 個人的には、ほぼ同じ時期に公開されていた映画『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』に出演されていたレオナルド・ディカプリオと、今回取り上げた映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』に出演されていたブラッド・ピットが胸を張って区別をつけられるようになったのでありがたいところだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画は公開当時、満員で入場できないほどの盛況ぶりでした。二月七日からの公開作品ですが、公開から一ヶ月以上経った今でも、まだまだ上映されている映画館がたくさんありますね。私は、ケイト・ブランシェットが好きなので、彼女の魅力をまた一つ発見できた喜びを感じています。やはり彼女が、演技の幅の広い女優さんであることは間違いないようです。ところで私たちは、明日から上海に出掛けて行きます。次回の更新は上海からお届けする予定です。どうぞお楽しみに。(^^)

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2009.03.18

冷えのぼせ

ホットヨガ(一四三回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m インドの神様Tシャツは、レッスン前にトイレにこもって撮影しているものですから、トイレの明かりの関係で、携帯電話の影が写り込んでしまっています。意外にも肉付きのいいシヴァ神のお腹と同じくらい、かっこ悪いかもしれません。(苦笑)

 最近、仕事中に顔がひどくほてるようになってしまった。他の人たちも暑いのかと思い、周りの人たちの様子をうかがってみたのだが、仕事中に暑いと感じているのは、どうやら私だけのようだった。トイレに立ったときに、鏡に映った自分の顔を見てみると、ほっぺたがひどく赤くなっている。つまり、顔だけが熱くなっているのである。

 やがて私は、仕事中に団扇(うちわ)でパタパタと顔を扇ぐようになった。しかし、それではなかなか仕事に集中することができない。困ったものである。もしかすると、更年期障害のホットフラッシュが始まったのかとも思ったのだが、確かホットフラッシュは、暑い状態と寒い状態が交互にやって来て、汗をたくさん掻くらしい。しかし、私の場合、顔がほてるだけで、寒さはやって来ない上に汗もかかない。インターネットでいろいろ調べてみたところ、どうやら私の症状は、下半身あるいは内臓が冷えているために、冷えているところを一生懸命温めようとして心臓が血液を送り込もうとした結果、熱が上半身に上がって来てしまう「冷えのぼせ」というものらしい。

 冷えには大きく分けて二種類のタイプがあるようだ。一つは、手先や足先が冷えて、身体に冷えがあるとはっきり認識できるタイプ。もう一つは、手先や足先は冷えないが、下半身あるいは内臓の冷えにより、冷えているところを温めようとする作用が上半身に作用してしまうタイプ。どうやら私は、後者の冷えのタイプのようだ。ちなみに私は、手先や足先に冷えを感じることはほとんどない。

 「冷えのぼせ」は、高血圧やホルモンバランスの崩れ、自律神経の乱れなどと関係しているらしいのだが、それらのうち、どれが原因で、どれが結果なのか、私には良くわからない。高血圧もホルモンバランスンの崩れも、自律神経の乱れも、私にはすべて思いあたるフシがあるのだ。

 私が自分の身体で冷えを感じている部分は、やはり大きな筋腫のあるお腹回りである。身体の前面ではバストのすぐ下の辺りからお腹の辺りまでの体温が低く、身体の背面では腰回りの体温が低い。それらの冷えているところを温めようとして心臓が頑張り、血液を一生懸命送り込もうとするものの、内臓には熱がこもりにくいことから、その熱が顔に出ているということらしい。つまり、私が冷えを感じれば感じるほど、私の心臓は頑張ることになり、その頑張った結果が顔に現れるというわけなのだ。最近、血圧が少し高くなって来ているのは、心臓が頑張り過ぎているからかもしれない。そのためには、冷えを感じているところの冷えを改善する必要があるようだ。

 それにしても、冷え取り健康法を始めたことで、これまでよりも冷えは改善されつつあると思っていたのに、おかしなものである。現在、私は冷え取り健康法の靴下を三枚重ね履きしているが、仕事中に顔のほてりを感じるようになるのと同期して、足元に冷えを感じるようになってしまった。以前よりも足を温めているはずなのに、冷えを感じてしまうとはどういうことなのだろう。足が、もっともっと温められることを期待しているということなのだろうか。とは言え、現在、私が履いている靴は、冷え取り健康法の靴下を三枚重ね履きするのにちょうどいいサイズなので、靴下を四枚重ね履きするとなると、より大きいサイズの靴を購入しなければならない。そのため、靴下を四枚履きするのは、自宅で過ごす休日しか実践することができないでいる。確かに、靴下を四枚履くと温かい。

 すぐには冷えを改善できないので、私はひとまず仕事中の対策として、顔のほてりを治めることから始めた。何故なら、ほてった顔を団扇で扇ぎ続けると、仕事に集中できないからだ。そこで、ティッシュを水で濡らし、両側の頬に貼り付けてみたところ、とても気持ちが良かった。恥も外聞もなく仕事を続けるならば、これでいいのかもしれない。しかし、トイレに立ってみると、ティッシュの切れ端が顔にくっついていたりして、ちょっと情けなかった。

 そこで、困ったときの百円ショップ頼みということで、またしても百円ショップに足を運び、面白いグッズを発掘して来た。それは、風水のフェイスマスクである。百円ショップには、様々なフェイスマスクが売られているのだが、それらのほとんどが紙製の使い捨てタイプのものである。しかし私が見付けたのは、繰り返し使えるタオル地のフェイスマスクである。しかも、風水のフェイスマスクとかで、何故かラベンダー色をしている。ラベンダー色は集中力を高めてくれるらしい。

風水のフェイスマスク。
耳に掛けられるように、ゴムが付いているのがうれしい。

 このフェイスマスクを水で濡らし、顔の下半分だけを覆うようにして半分に折り、ゴムを耳に掛ける。すると、瞬く間に怪しい人が出来上がる。もしもこのフェイスマスクを着けたままで銀行に出掛けて行こうものなら、間違いなく銀行強盗がやって来たと人々に恐れられてしまうことだろう。

 怪しいことはさておいて、水で濡らしたタオル地のフェイスマスクは、確実に顔のほてりを治めてくれた。トイレに立ったときに、鏡に映った自分の顔を眺めても、ほっぺたが赤くなっていなかった。それだけではない。オフィスはとても乾燥しているので、水を含んだフェイスタオルが口元にあると、喉にも優しいのだ。フェイスマスクの水分が乾いて来ると、私は霧吹きを使ってフェイスマスクに水を噴き掛け、再びフェイスマスクを耳に掛ける。以前は、団扇でパタパタ扇いでいたのに、両手が使えるようになって、仕事にも集中できるようになった。集中力を高めてくれるというラベンダー色の効果が出ているのかもしれない。

 仕事仲間たちは、ラベンダーのフェイスマスクを着けて仕事をしている私のことを不思議そうに見ている。花粉症や風邪などの理由で白いマスクを着けて仕事をしている人はいるが、私が着けているのは、顔のほてりを治めるためのラベンダー色の濡れたフェイスマスクなのだから無理もない。仕事仲間に尋ねられる度に事情を説明してはいるものの、例え私の仕事中の態度が銀行強盗犯のように怪しくても、周りが寛大であることに感謝している。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 同じオフィスで働いていても、私は他の人たちと身体の作りが違うのでしょうか。またまた怪しい人になっています。(苦笑)それでも、団扇でパタパタ扇ぎ続けるよりは仕事に集中することができます。熱を出したときに取り替える濡らしタオルのように、フェイスタオルに水を噴き掛けると、とても気持ちがいいのです。しばらく手放せそうにありません。と同時に、根本原因となっている冷えを取り除く方法を模索しているところです。

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2009.03.17

ホットヨガ(一四三回目)

映画『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 例え激しい口論になったとしても、互いに言いたいことを言い合えるうちはまだ修復可能なのかもしれませんね。私には、この夫婦の問題点が、互いに言いたいことを心の中に押し込めて、平静を装っていたところにあるような気がしてなりません。フランクよりもエイプリルのほうが、むしろその傾向は強かったように思います。心の中の自分とは違う自分を演出することは、その場しのぎの解決策でしかないんですね。心の中にあるものを隠し切れずにとうとう爆発してしまったとき、周りはそのギャップに戸惑い、理解に苦しむことでしょう。そもそも、何故、夫婦間で本当のことを言えないのかが問題ではあるのですが・・・・・・。

 土曜日は、またしても神戸店でホットヨガのレッスンを受けた。七十五分のベーシックコースのレッスンである。入口の扉を開けてみると、受付にはやはり、ここ一ヶ月のうちに毎回のように顔を合わせ始めたニューフェイスのスタッフが立っていた。私は、二月末に十回回数券を購入したときに付いて来たバスタオル無料レンタル券を使って、シャワーを浴びたあとに使うバスタオルを一枚、無料レンタルした。そして、ロッカールームに向かって歩き始めたところ、受付からロッカールームへと移動するほんのわずかの間に、私がこれからレッスンを受けることになっているスタジオとは違うスタジオから、吉本興業のインストラクターが出て来た。驚いて久し振りのあいさつを交わしたのだが、彼女はちょうどレッスン中のようで、何かのタイミングでスタジオの外に出て来られたところだったのだ。私は、吉本興業のインストラクターともずっと顔を合わせていなかったので、絶妙なタイミングで顔を合わせることができてうれしく思った。

 今回のレッスンを担当してくださったのは、前回のレッスンを担当してくださったのと同じインストラクターである。彼女は毎回、地に足がついたレッスンを展開してくださっている。私が神戸店の店長さんと間違えてしまったくらいだから、ベテランインストラクターのうちの一人である。

 雨が降っていたせいだろうか。レッスンの参加者はいつもよりも少なく、私を入れてわずか八名だった。狭いほうのスタジオで行われたレッスンだったが、参加者が少なくとても広々としていたので、取るポーズがいつもよりも深くなっていることに気が付いた。これまで、同じスタジオで二十名近い参加者に囲まれながらレッスンを受けたこともあったのだが、参加者の人数によって、レッスンを受けるときの気持ちが確実に異なっていることに気が付いたのだ。占有できるスペースが狭いと、身体を大きく広げることに対し、躊躇していたようである。しかし今回は、占有できるスペースが広かったので、伸び伸びと身体を動かすことができたというわけである。

 また、前回のレッスンでは、スタジオの一番奥にあるヨガマットを選んでしまい、レッスン中に熱がこもり、ひどく暑かった。そこで今回は、スタジオの入口に近いヨガマットを選んでみた。私の選んだ場所がクーラーの噴出し口に近かったからだろうか。スタジオに熱がこもると、インストラクターが時々クーラーのスイッチを入れて冷やしてくださるのだが、クーラーから送られて来る冷気が身体に当たり、生き返ったような気持ちになった。

 ところで、今回のレッスンで着ていたインドの神様Tシャツは、シヴァ神である。コブラがはっきりと映っていないのでわかりにくいのだが、シヴァ神とコブラは、たいていセットで描かれている。また、このTシャツにはシヴァ神をお祈りするときに唱えるオーン(オーム)の真言も描かれている。このTシャツを身に着けているときは、踊るシヴァ神のポーズを取るのが楽しい。ちなみに、七十五分のベーシックコースには、踊るシヴァ神のポーズは含まれていない。

今回のレッスンで着ていたシヴァ神のTシャツ。
オーン(オーム)の真言がバックに描かれ、シヴァ神はコブラを巻き付けている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最近はすっかり早起きのリズムが出来上がりました。五時前に起きてこれを書いています。(笑)それだけに、夜は眠くて眠くて、二十三時頃にはもう起きていられなくなってしまいました。今はそれほど仕事が忙しくないのでいいのですが、忙しくなると、またリズムが崩れてしまうかもしれません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.03.16

映画『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』

繊細な部分とずぼらな部分の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 夫婦関係以外では、繊細な部分とずぼらな部分が噛み合っていないと、相手に不快感を与えてしまうこともあるかもしれませんね。私は、女性的な部分がひどくずぼらなので、女性的部分において繊細な友人たちの期待をいつも裏切っているかもしれません。(苦笑)

 劇場で何度となく上映されていた予告編をきっかけにこの映画を鑑賞したのは、今からおよそ一ヶ月ほど前のことである。映画『タイタニック』以来、十一年振りの共演と言われても、恥ずかしながら、私は映画『タイタニック』を観てはいないのだ。そればかりか、レオナルド・ディカプリオが映画『タイタニック』に出演していたことまでは知っていたが、情けないことに、レオナルド・ディカプリオの相手役の女優がケイト・ウィンスレットだったということを、今になって初めて知ったのである。

 この映画では、一見、絵に描いたように理想的に見える夫婦が、次第に歯車がかみ合わなくなり、夢を抱きながらも夫婦関係が徐々に崩壊して行く様子が描かれている。二人は一体どこでボタンを掛け違えてしまったのだろうか。

 物語は、レオナルド・ディカプリオ演じるフランクとケイト・ウィンスレット演じるエイプリルの夫婦が帰宅途中に激しく口論するところから始まる。お互いの主張がかみ合わず、自分の主張を認めて欲しい気持ちばかりが先行している。しかし、後日、何ごともなかったかのように振る舞うエイプリルに、私は違和感を覚えてしまう。あれほど激しい夫婦喧嘩を繰り広げたならば、それなりに和解のプロセスを踏んでおかないと、後に残してしまう感情が大きく膨らんでしまうのではないかと思ったからだ。二人の間に愛があれば、相手を激しく罵った分だけ後悔の気持ちが強く働くはずなのだ。それを、何の和解のプロセスもなく、なかったことにしてしまっているのは、不自然に思えてしまったのだ。実際、エイプリルの中には、何かが蓄積されつつあったたようだ。だからこの映画のご夫婦は、お互いに言えないことをこれまで蓄積し続けて来た関係なのだと推測する。

 フランクは仕事帰りに女性と肉体的な関係を持っている。フランク曰く、相手の女性たちには心を落とさない、軽い気持ちの浮気だったらしいが、だからこそ私には理解できない。通り魔殺人事件などで、「相手は誰でも良かった」などと犯人が告白するケースがあるが、そうした状況と良く似ているのではないか。私の最も嫌悪するケースである。

 やがて、エイプリルもまた、フランク以外の男性と不誠実な関係を持つことになる。それらの展開を見守っていると、だんだんイライラして来る。夫婦が真正面から向き合わず、真の問題から逃げているように思えるからだ。おそらく、フランクにしてもエイプリルにしても、常にどこか満たされない気持ちを抱えているために、ストレス解消法のような形で他の異性と肉体関係を結んだのだろう。

 振り返ってみれば、フランクとエイプリルがアメリカを出てパリで暮らすという計画を立てたことも、現実からの逃避だったように思える。すなわち彼らは、今いる環境も夫婦関係もひっくるめて、満たされない何かを心の中に抱え続け、そこから逃避しようとしていたように思えるのだ。

 決して、何かを求め続けることが罪ではない。何かを求め続けなければ、現状打破することができないこともあるだろう。しかし、それはやはり、ひとまず現状を受け入れた上で、次なるステップとして目指すべきものではないだろうか。現状を受け入れずに、次なるステップとして、そこにない現実ばかりを追い求めていては、例え環境を変えたとしても、土台がしっかりしていないために同じことを繰り返してしまうような気がする。

 そう言えば、去年、映画『ぐるりのこと。』を鑑賞した。このご夫婦も、しばらくぎくしゃくした関係が続いていた。しかし、彼らが現状打破を実現できたのは、現状を受け入れることができたからではないだろうか。

 やがて、フランクとエイプリルの夫婦は意外な結末を迎える。私は女性として、鑑賞しながらエイプリルの気持ちに寄り添うように努めていたが、物語が終盤に近づくにつれ、彼女の気持ちを追うことができなくなってしまっていた。おそらく、フランクに対し、つとめて普通に振る舞っている彼女の見せ掛けの態度と、彼女自身が実際に心の中で感じているであろうこととの間にギャップがあり過ぎるためだろう。何故、夫婦なのに本当の気持ちを言わないのか、私にはどうしても理解できなかった。いや、夫婦なのに本当の気持ちを言うことができなかったからこそ、二人は崩壊してしまったのかもしれない。

 私がこの映画の中で目を見張ったのは、二人に家を売った不動産屋の息子さんの台詞だ。頭脳明晰だが、精神を患っているという彼の台詞は、二人の真実を鋭く突いている。しかし、その真実は、二人が目を瞑ってしまいたい真実であったようで、やがて二人からは煙たがられてしまう。ただ、不動産屋の息子さんの鋭い台詞の中に二人の真実があったということが、私にはとても興味深かったのだ。

 ちなみにこの映画の監督は、ケイト・ウィンスレットの夫でもあり、映画『君のためなら千回でも』のサム・メンデス監督だそうだ。映画『君のためなら千回でも』においても、人間の心が詳細に描き出されていた。今回の作品では、二人の気持ちに寄り添うことはできなかったが、互いを認め合わない夫婦のすれ違いを、イライラさせるほど詳細に描いてくれた。ラストの後味が悪い分だけ、深く印象に残る作品だったと言える。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画を鑑賞したあと、ブラッド・ピットファンだという友人に、「実はレオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットが瞬間的に区別が付かないんだよ」とメールしたところ、彼女を驚かせてしまいました。(苦笑)とは言え、彼女はレオナルド・ディカプリオも好きだとか。私にしてみれば、二人ともほぼ同じ時期に人気が高まった俳優さんなので、瞬間的に区別が付かず、片方に出会うと、「はて、どっちだっけ?」と判断しようとしてしまうのですね。彼女曰く、「映画『タイタニック』は良かった。泣ける」とのことなので、早速レンタルDVDショップでレンタルして来ました。(笑)今回鑑賞したこの映画のコマーシャルを彼女がテレビで観たとき、「ケイト・ウィンスレットがえらく年を取ったなあ」と思ったそうなので、映画『タイタニック』の彼女はきっと若いのでしょうね。楽しみです。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.03.15

繊細な部分とずぼらな部分

幽体離脱の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。不思議なことがあるものですが、それを大真面目な顔をして言えるということは、自分の中に確信があるということなんですよね。こうした確信は、理屈では説明できない貴重な感覚が導いてくれるものなのであります。

 久し振りにサービス満点の床屋を営業した。いやいや、正確にはサービス満点ではなく、冬場で寒かったので、服を脱いで待機しているガンモのために浴室に予備暖房を入れ、私は服を着たまま浴室に入った。

 せっかちなガンモは待つことが苦手である。私がもたもたしてなかなか床屋をオープンしようとしないので、早めに浴室に入っていたガンモはしびれを切らしていた。私がようやく準備を整えて浴室に入ると、ガンモはちょっぴりご機嫌斜めの様子だった。

 ガンモが自分の髪の毛をお湯で濡らすと、私はガンモの伸びた髪の毛を手で少しずつすくい上げながら、手際良くカットして行った。私自身が、苦手な美容院でカットしてもらったときに、プロの美容師さんの手さばきに目を凝らしながら学び取った技術をガンモのカットに活かすのだ。

 ガンモの髪の毛は、あっという間に刈り上がった。あとは、仕上げのためにうなじの辺りをきれいに切りそろえるだけだ。本来ならば、電動カッターで丁寧に切りそろえたいところだが、電動カッターの電池が切れてしまっていたので、旅先で宿泊したホテルから持ち帰った安全剃刀を使って切ることにした。ガンモは、
「安全剃刀、怖い」
と言いながら構えている。私は、
「大丈夫、大丈夫」
とガンモをなだめて、ボディーソープでガンモのうなじの辺りを泡立てると、安全剃刀を使ってゆっくりと剃り上げて行った。

 こうして無事にうなじも剃り上がり、いっちょうあがりである。カットした髪の毛を排水溝に集めて捨てるのはガンモの仕事である。自分の髪の毛だから、文句も言わずにせっせと集めている。お風呂から上がり、髪の毛が乾くと、ガンモの頭はとてもすっきりしていた。ガンモも満足そうである。

 ただ、良く見ると、少々切り過ぎてしまったところがあった。家にいるときは気が付かなかったのだが、一緒に買い物に出掛けたときにそのことに気付き、私は思わず切り過ぎてしまったガンモの頭を手で押さえた。

 「ごめん、切り過ぎてるところがある」
と私が言うと、ガンモは、
「いいから」
と言った。ガンモ曰く、髪の毛なんてすぐに伸びるのだから、例え少々切り過ぎてしまったとしても、それほど気にはならないらしい。かつてはお風呂の中で鏡を手に持ち、私がどのようにカットするのか目を凝らしてじっと見つめていたというのに、今ではすっかり私の床屋の腕を信頼し切って、すべてを私に委ねてくれている。その私が切り過ぎたところがあると言っているのに、気にしないと言ってくれているのだ。

 私は、「ああ、これが私たちなのだ」と思った。他の人たちから見れば、もっと繊細であってもいいはずの部分が、私たちはずぼらである。反対に、他の人たちがまだそれほど神経質にはなっていない情報セキュリティ関連などの分野において、私たちは特別こだわりを持っていたりする。つまり私たちは、繊細な部分とずぼらな部分がぴったり重なり合っているのだ。もちろん、最初からぴったり重なり合っていたわけではない。特にずぼらな部分がぴったり重なり合っているのは、夫婦生活を続けて行く上で、互いに許容し合って来た賜物なのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m かつてはこだわりがあったのに、今はずぼらになっている部分を振り返ってみると、互いに許容し合って来たのだなあと実感します。しかし、何かに対して繊細であったとしても、反対に、ずぼらであったとしても、確実に見落としてしまうものはあります。これは、一方に傾いてしまうと、もう一方の立場を体験できなくなってしまうからです。だから、繊細な立場を取っている人がずぼらな立場を取っている人の生き方を否定することはできないし、ずぼらな立場の人が繊細な立場の人に自分の生き方を否定することもできないと思います。一方の立場に傾いて、それぞれの立場で見ているもの、経験しているものが大切なのだと思います。

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2009.03.14

幽体離脱

映画『ショコラ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。また、古い映画にお付き合いくださり、感謝致します。自分と異なる価値観の人と交流を持つと、相手を受け入れる行動を取ったとき、新しいものが生み出されますね。しかし、そこに至るまでには様々な試行錯誤があろうかと思います。もしも互いの和解策が折衷だとすれば、人々は互いに同じものを目指していることになるのではないでしょうか。

 「まるみは時々、幽体離脱するから」
とガンモが言う。
「えっ? それ、どういうこと?」
と尋ねてみると、仕事で待機要員をしていたガンモが、遠方の顧客のところで発生したトラブルによりコールセンタから呼び出され、出動すべく玄関のドアを閉めて振り返ると、そこに居ないはずの私の声が聞こえたという。どんな声かというと、掛け声に近いような、ひどく簡単なものだったそうだ。ガンモ曰く、これまでにも同じようなことが何度かあったという。普段、ロジカルなガンモが、ロジカルな部分では決して説明がつかないことを当たり前のように語るのは面白い。

 私は、その話を聞いて納得した。というのも、ガンモがカングーで遠方の顧客のところに出掛けて行くという知らせを受けたとき、私はホットヨガのレッスンを終えて映画館に居たのだが、自分の守護霊に話し掛け、ガンモの無事を何度も何度も祈っていたからだ。ガンモがこれから出掛けて行こうとする顧客は、我が家から高速道路を使って二時間近く掛かる場所にあり、交通量の多い休日にガンモがカングーで出掛けて行くことがとても心配だったのだ。もしかすると、私の願いが守護霊に届き、私の守護霊がガンモを激励するためにガンモの前に現れたのかもしれない。そうでなければ、私自身の意識がガンモのすぐ側まで飛んだのか・・・・・・。

 確か、新婚の頃も、度々出張に出掛けて行くガンモのことを想っていると、その想いが新幹線に乗っているガンモに届いたらしい。ガンモは、
「新幹線の中にまるみがいた」
と言った。どうやら私は、想いを飛ばしながらいろいろなところを旅しているようなのだ。ただ、私自身は飛んで行くだけで、私がガンモの気配を感じることはあまりない。私がガンモの気を感じ取るのは、ガンモと物理的な距離が近いテレパシーごっこのときだけである。

 愛情で結ばれた男女には、計り知れないパワーが備わっている。おそらく、利害関係がないために、伝達したい情報が欲によって停滞しにくいのだろう。しかし私たちは、これらのパワーに気付かずに通り過ぎてしまうことが多い。こうしたパワーをもっと磨くことにより、私たちが本来持っているパワーを取り戻せるような気がしてならない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実のところ、理系のガンモがこのようなことを言うのはとても珍しいのです。ここに書いた以外にも、ガンモは家の中で、「今、何か言った?」と私に尋ねて来ることがたまにあります。私は何も言っていないので、「何も言っていないよ」と答えるのですが、「確かにまるみの声が聞こえた」と言っています。このとき私は何を発信したのか、心当たりはなかったのですが、実に不思議なものです。

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2009.03.13

映画『ショコラ』

すずらんの湯(9)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 酵素浴回数券は、半年間有効のようですね。電車の回数券の有効期間は三ヶ月しかないので、時々余らせてしまいますが、酵素浴回数券が半年間有効ということは、例え月に一度の利用だとしても余らせてしまうことはなさそうです。酵素浴回数券を使用するときは、電話予約が必要なようですので、これからは計画的に酵素浴を利用することができそうです。おそらく、月一度くらいのペースで通うことになるでしょう。

 ジョニー・デップがいいなと思っていた時期がある。彼の出演しているすべての作品をリストアップし、複数のレンタルDVDショップで彼の出演作品を掘り出しては、せっせとレンタルしていたものだった。今回、お届けするレビューは、その頃にレンタルしながらも、ゴニョゴニョしたあとしばらく鑑賞するのを見送り、ずっと温めていた作品である。

 またしても、作品に対する予備知識もなく鑑賞することになったわけだが、率直な感想を言ってしまえば、「何故、この作品をもっと早く鑑賞しなかったのだろう」という後悔の気持ちでいっぱいだった。まるで好物のチョコレートにいつまでも手を付けずに取っておいたかのように、私はこのDVDを長いこと鑑賞せずに来てしまったのだ。何故、長いこと鑑賞しなかったかというと、チョコレートとジョニー・デップの恋愛がなかなか結び付かなかったからである。それが、チョコレートのおいしさを魔女のように伝えるジュリエット・ビノシュ演じるヴィアンヌと、いかにもジョニー・デップらしいジプシー役のルーとの恋だったとは・・・・・・。

 昔からの風習を固く守っているフランスの小さな町に、ヴィアンヌとアヌークの母娘がやって来る。ヴィアンヌが風に誘われて町にやって来て、再び風に乗って町を去ろうとしているところは、メリー・ポピンズを彷彿させている。

 よりにもよって、信仰により、町中の人たちが断食に入ろうとしている時期にチョコレートのお店を開いたヴィアンヌは、町の権威者であるレノ伯爵の反感を買うようになる。しかし、ヴィアンヌが開いたチョコレートのお店は、単にチョコレートを売るだけのお店ではなかった。ヴィアンヌは、いわばチョコレート調合師とも言える存在だったのだ。すなわち、店を訪れた人に一番ぴったりのチョコレートを推測し、食べさせてくれるお店だったのである。何とも夢のあるチョコレート店ではないだろうか。DVDを鑑賞していると、もしも私がそのお店を訪れたならば、ヴィアンヌはどんなチョコレートを調合してくれるのだろうと想像してしまう。

 ずっと同じ町に住み、昔からの風習を大切にし続けているレノ伯爵と、これまでいろいろな町を渡り歩き、様々な価値観に触れて来たヴィアンヌが対照的に描かれている。「こうでなければならない」という概念に囚われ過ぎているレノ伯爵に対し、ヴィアンヌは町にどんな風習があろうとも、とことんマイペースで突き進む。だから、町の人たちが、流れ着いたジプシーたちを敬遠し、彼らに近寄らないようにしているにもかかわらず、ヴィアンヌだけは何の偏見もなく彼らに接するのだ。

 これまでいろいろな町を訪れて来たヴィアンヌと、同じように旅を続けて来たジプシーのルーは、似たもの同士と言えるのかもしれない。二人はやがて惹かれ合う男女の仲になった。ただ、この作品は、二人の恋愛がメインの映画ではない。やはり、固いチョコレートを溶かしてその人に合ったチョコレートを調合するかのごとく、町の人たちの凝り固まった価値観を打破して行くヴィアンヌの魔法に引き込まれるのだ。

 そして、凝り固まった価値観を守り続けている町の人たちと、これまでいろいろな町を渡り歩いて来たヴィアンヌもまた、「恐れを抱きながら逃げている」という点においては似たもの同士であることに気付いて行く。町の人たちは、凝り固まった価値観で自分たちを守ることで、「新しい価値観を受け入れようとする恐れ」から逃げている。一方、ヴィアンヌは、一つの町に留まり続けることで生まれるであろう、永続的な親しさを築くために乗り越えるべき面倒なことから逃げている。何か面倒なことが起こってしまおうものなら、風向きが変わったことを理由に町を出てしまえばいい。ヴィアンヌの中にはそのような甘えがあったことは事実だろう。凝り固まった価値観を持った町の人たちとヴィアンヌが関わり合うことによって取り払われた壁が、この作品には描かれているのだ。町の人々もヴィアンヌも、互いにこれまで長いこと打破することのできなかった新しい世界へと踏み出すことができたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ホットチョコレートが飲みたくなるような作品でありました。凝り固まった価値観を大切にしている町にやって来たとしても、まったくの四面楚歌というわけではなく、ヴィアンヌはチョコレートを媒体にして少しずつ自分の仲間を増やして行くんですね。全般に、ヴィアンヌのチョコレートに魅せられた人たちとヴィアンヌとの交流が描かれた作品であります。それにしても、ジョニー・デップはジプシーの役が似合いますね。他にもジプシー役の作品がいくつかあるので、好んでジプシーの役を演じているのかもしれませんが、ジプシーは彼のルーツであるように思います。

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2009.03.12

すずらんの湯(9)

すずらんの湯(8)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 久し振りに訪れたすずらんの湯でありました。何故、あんなに桶風呂が好きなのか、自分でも良くわからないのです。もちろん、一番好きなのは桶風呂ですが、桶風呂でなくても、丸い湯船であれば全般的に好きですね。以前、東京に住んでいたときに、仕事帰りに良く銭湯巡りをしていましたが、その中に一つだけ、丸い湯船の銭湯があったのです。その頃から、丸い湯船がお気に入りでした。(笑)確か京王多摩線沿線の銭湯でしたが、今でもあるのでしょうか。

 酵素浴の健(スコヤカ)受付カウンターで名前を告げると、酵素浴の経験の有無を尋ねられたので、私は今回で三回目だと答えた。健(スコヤカ)受付カウンター周辺には、懐かしい麹(こうじ)の匂いが漏れている。お水を飲んでくつろいでいる間に、スタッフが酵素浴を行う部屋の準備を整えてくださった。

今回購入した酵素浴の回数券。
一回千九百円のところ、この回数券は五枚綴りで七千五百円。
一回の利用料金は千五百円となる。
今回、一枚使用したので残り四枚となった。

 間もなく部屋に案内され、私は部屋に入った。ひとまずスタッフが部屋から去って一人になると、私はすぐに館内着を脱いですっぽんぽんになり、酵素の入った麹の木の箱の中に横たわった。麹の体感温度は、これまでで一番熱かった。自然のものがこれだけの熱を放出することができるのは驚きである。こうした熱を普段の生活の中にも取り入れることができれば、電気を使った暖房器具も不要になるかもしれない。

 しばらくするとスタッフが部屋に戻って来てくださり、私の身体を酵素の入った麹で覆い始めた。スタッフは、
「どこか寒く感じるところはございませんか?」
と、私の身体に酵素の入った麹がまんべんなく掛かっているか気遣ってくださった。私は、寒く感じるところはないと答えた。

 間もなく私の身体は酵素の入った麹ですっぽり覆われた。スタッフは十分後に現れると言い残して、部屋から去って行った。酵素浴は十五分間行うことになっているのだが、人によっては十五分間も持ち堪えられない人もいらっしゃるようだ。そのため、ひとまず十分間様子を見て、残りの五分間を継続するか、それとも打ち切るか、判断するのである。

 部屋に残された私は、酵素のパワーを受け取ろうと身体の力を抜いた。そして、できるだけリラックスしながら、初めての酵素浴のときに感じた、性のエネルギーにも似た落ちて行くような感覚を再現しようと試みたが、なかなかうまく行かなかった。時間が経つにつれ、私は少し焦りを感じ始めていた。何故なら、私にとっての酵素浴は、第二チャクラを開いてくれる、あの落ちて行くような感覚を体験するためにあるようなものだからだ。しかし、焦れば焦るほど身体はリラックスできず、とうとう十分間が経過してしまった。

 私の様子を見るためにスタッフが戻って来てくださったので、私は
「あと五分、お願いします」
と告げたのだが、内心、暑くてたまらなかった。のどが渇いている。早く上がって水を飲みたい。そう思ったが、あと五分間、踏ん張ることにしたのだ。

 しかし、残りの五分間であの感覚を再現しようと試みても、やはりうまく行かなかった。私はのどの渇きと暑さのため、残りの五分間が素早く過ぎて行ってくれることを密かに望んでいた。

 遠くのほうでタイマーの音が聞こえて来た。残りの五分間が経過したのである。スタッフが戻って来てくださり、麹をシャワーで洗い流してくださいと言われた。スタッフが部屋から去って行くと、私はよろよろと立ち上がり、べっとりと身体についた酵素を含んだ麹をはらいながらシャワールームへとなだれ込んだ。今回は、とうとう落ちて行くようなあの感覚を体験することができなかった。もしかすると、私の身体にどこか構えがあったのかもしれない。いや、おそらく、酵素を含んだ麹の温度がいつもよりも熱く感じられたので、暑さに意識を奪われてしまったのだ。それは言い換えれば、酵素を含んだ麹が私を受け入れてくれなかったということなのかもしれない。

 シャワーを浴びて再び館内着を身に付けると、私は酵素浴の部屋を出て健(スコヤカ)受付カウンターに戻った。スタッフがお水と冷たいおしぼりを用意してくださったので、お水を一気に飲み干して、冷たいおしぼりでほてった顔を冷やした。お水は一杯では足りなかったので、備え付けの水瓶からお替りを頂戴した。

 それからよろよろと歩いて更衣室に戻ったわけだが、酵素浴で汗をたくさんかいたからだろうか。更衣室に戻ると、心地良い疲労感が私を襲った。私はその疲労感が収まるまで、すぐには着替えをせずに、露天風呂の見える場所でしばらく身体を休ませながら大きな息を繰り返していた。そうしているうちに、次の無料送迎バスは何分の発車なのだろうという疑問が沸いて来た。私は携帯電話を取り出して、すずらんの湯の無料送迎バスの時間を調べた。私は、すずらんの湯の無料送迎バスの時刻表を携帯電話からアクセスできる場所にメモしているのだ。

 時刻表を確認した結果、次の無料送迎バスの発車時刻は十六時四十分であることがわかった。私は十六時から十五分間の酵素浴を体験してシャワーを浴びたところである。時計を見ると、もう十六時三十二分である。ということは、無料送迎バスの発車時刻まであと八分しかない。しかし、この便を逃すと、次の無料送迎バスの便は十八時までないのだ。私は、もたもたしている場合ではないと判断し、大急ぎで帰り支度を整え始めた。この際、冷え取り健康法のために履いている五本指の靴下を履いている時間はない。私は館内着を脱いで素早く着替えを済ませると、裸足のまま荷物を手に取り、ロッカーの鍵を受付に返却した。そして、下駄箱の鍵を受け取ると、一目散に下駄箱へと走り、靴を履いた。

 ところが、裸足のまま履いた靴はぶかぶかで歩きにくかった。というのも、現在の私は、冷え取り健康法を意識して、実際の足のサイズよりも一センチほど大きい二十三センチの靴を履いているからだ。いつもは重ね履きしている靴下のおかげで、むしろ少し小さいくらいに感じている靴が、靴下を履かないで履くと、長靴下のピッピの長靴みたいにぶかぶかだったのだ。それでも私は、十六時四十分のバスを逃してはいけないと思い、無料送迎バスの乗り場までぶかぶかの靴で必死に走ったのである。

 おかげで、無料送迎バスの発車時刻よりも二分早く無料送迎バスに乗り込むことができた。既に数人の人たちが無料送迎バスに乗り込み、発車を待っていた。それにしても、私は一体どこで靴下を履けばいいのだろう? 北鈴蘭台駅のホームのベンチで履くのだろうか? ちょっとかっこ悪い。そんなことを思いながら北鈴蘭台駅前まで運んでもらうと、ちょうど降りた場所に腰掛けられる場所があったので、私はどこで靴下を履くのも同じだと開き直り、その場所に腰掛けて冷え取り健康法のための五本指の靴下を重ね履きした。ちょっと怪しい。

 思えば、私がこれほど意地になって無料送迎バスに乗り込んだのも、前回の帰りに路線バスのバス停を探して歩き回った経験が、できれば遠回りしたくない思い出として強く胸に焼き付いていたのだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回も朝の更新になってしまいました。朝、いつもよりも早く起きて書いています。とにかく夜は眠くてたまらず、睡魔の攻撃には抵抗できません。私は夜型人間ではなく、朝型人間だったようです。ところで今回の酵素浴は、酵素の入った麹の温度が思いのほか熱く感じられ、「暑い!」という感覚に意識を奪われてしまいました。どのような環境においても自分自身を失うことがなければ、聖人の域に達することができるのかもしれません。酵素浴は修行でもあるのです。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.03.11

すずらんの湯(8)

映画『バンク・ジョブ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ちょっと興奮気味に書き上げてしまいました。(苦笑)既にDVD化されているのであれば、レンタルしてもう一度鑑賞したい作品です。マルティーヌ役のサフロン・バロウズは、女性の私から見ても色気を感じますね。しかし、この映画の中の役柄でもそうでしたが、彼女に想いを寄せる男性は、一時の感情が燃え上がったとしても、最後には妻を選ぶんですね。ここに、愛と恋の違いがあるのだろうかととも思いました。愛には安定を求め、恋には刺激を求めるのかもしれません。

 神戸店でホットヨガのレッスンを受けたあと、私は久し振りにすずらんの湯に足を運んだ。前回すずらんの湯を訪れたのは、もう一ヶ月以上も前のことである。

 神戸からすずらんの湯の最寄駅である北鈴蘭台までは、片道五百円である。しかし、ひょんなことから、土日と祝日に使える休日回数券を購入すれば運賃が安くなることがわかった。とは言え、無料送迎バスの時間帯によっては、北鈴蘭台から乗り降りするほうが都合が良かったり、また、一つ神戸寄りの鈴蘭台から乗り降りするほうが都合が良かったりすることもある。しかし、二種類の休日回数券を自動販売機で購入してしまうと、期限内に使い切れるかどうか、あまり自信がない。そこで私は金券ショップに足を運び、それぞれの休日回数券をバラで二枚ずつ購入したのだった。おかげで、北鈴蘭台まで片道五百円のところが四百十円で済んだ。

 「ガンまる日記」を朝のうちに書き上げておいたので、これまでよりも一時間早い十五時前の無料送迎バスに乗ることができた。今回、北鈴蘭台駅前から無料送迎バスに乗り込んだのは私一人だけだった。どうやら無料送迎バスを利用する人の数は、時には多かったり少なかったりと、少々ムラがあるようだ。

 すずらんの湯に着いたのは、十五時頃だった。私は自動券売機で入浴券と酵素浴の回数券を購入した。酵素浴の回数券は、五回で七千五百円と大変お得である。運良く、十六時からの酵素浴に空きがあったので、私は購入したばかりの酵素浴の回数券を受付で提示して、十六時からの酵素浴を予約したいと申し出た。

 都合良く酵素浴の予約が取れたので、酵素浴までのおよそ一時間で、お風呂を堪能しておこう。私はそう思い、素早く服を脱ぎ、まずは室内のお風呂に足を向けた。今回の女湯は、初めて利用したときと同じ紅葉の湯だった。すなわち、露天風呂に私の大好きな木の桶風呂が設置されているお風呂セットである。

 まずはカランで身体を洗い、室内のお風呂で身体を軽く温めると、私はすぐに露天風呂へと向かった。ああ、この感じ。そう、すずらんの湯の露天風呂は、山の斜面を利用して作られている。つまり、どこか遠慮がちに作られた露天風呂ではなく、正真正銘の屋外の露天風呂なのだ。そのため、素晴らしい開放感を味わうことができる。

 あいにく、お目当ての桶風呂は二つとも使用中だった。そこで私は桶風呂の空きを狙うべく、桶風呂のすぐ近くにある湯船に浸かり、まるで張り込みでもするかのように桶風呂が空くのを待った。ほどなくして、桶風呂に入っていた人が上がった。私はすかさず空いた桶風呂に滑り込み、大好きな桶風呂を味わい尽くした。木の桶風呂は、実際にヌルヌルしているわけではないものの、水ゴケのようなものもこびりついている。しかし、今はその水ゴケのようなものさえ愛しい。山の斜面が目の前に広がる露天風呂で、正真正銘の森林浴を味わいながらゆったりと入る桶風呂は、格別のものである。私は、他に桶風呂に入りたがっている人がいないかどうか注意を払いながら、桶風呂の中で深呼吸を繰り返した。

 露天風呂には、壁に大きな時計が設置されている。私は、酵素浴の時間を気に掛けながら、心行くまで露天風呂を堪能した。そろそろほど良い時間になって来たので、私は室内に戻り、これまたお気に入りの漢方蒸し風呂に入った。紅葉の湯ではなく、もう一つの竹林の湯では、アロマの蒸し風呂がある。好みを言ってしまえば、私はやはり漢方蒸し風呂のほうがいい。漢方の匂いが漂う漢方蒸し風呂は、身体に良いものを運んでくれそうな雰囲気が漂っている。漢方蒸し風呂にゆっくり入っていたかったが、桶風呂で過ごした時間が長かったので、酵素浴の時間までもうあまり余裕がなかった。私は他のお湯も楽しむために、後ろ髪を引かれる思いで漢方蒸し風呂を出た。

 その後、初めて利用したときには利用方法がわからなくてパスしてしまった足つぼ風呂にも入ってみた。注意して良く見ると、足つぼ風呂の説明書きがあった。それには、「ゆっくり五周以上歩いてください」と書かれている。見ると、足のつぼを刺激するような小石が下に敷き詰められている。実際に歩いてみると、「これは効く!」というくらい強い刺激が私の足裏に走った。私は説明書きに従い、足つぼ湯の中を五周以上歩いた。

 前回は、酵素浴の時間まで余裕があり過ぎたので、様々なお風呂を心行くまで楽しむことができた。しかし今回は、到着してからわずか一時間後に酵素浴の予約が入っている。すずらんの湯にある様々なお風呂を楽しみながら、わずか一時間足らずの間に酵素浴の時間を迎えるのはかなり忙しい。私の中には、もう少し様々なお風呂を堪能したい気持ちがあった。そう思うと、前回の余裕はとても貴重な体験だったと思えて来たのだった。

 私は、もう少しゆっくりと様々なお風呂を味わいたい気持ちを抑えながらお風呂から上がり、館内着に着替えると、酵素浴の受付へと向かった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなり、申し訳ありません。m(__)m またしても睡魔に負けてしまいました。(苦笑)早起き生活リズムが出来上がっているようでいて、実はまだ出来上がっていないのかもしれません。久し振りに入った桶風呂、そして漢方蒸し風呂。またしても興奮しましたね。やはり、私はここが大好きだと実感しました。

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2009.03.10

映画『バンク・ジョブ』

ホットヨガ(一四二回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。やはり、情報の出所は少し気になりますね。(苦笑)ただ、今回、お話をさせていただいたインストラクターからは、「ブログ」という表現が出て来なかったので、情報元はこの「ガンまる日記」ではないのかもしれません。仮に情報元が「ガンまる日記」だったとしても、これを書いているのが私であるとわかってしまうくらい一生懸命読んでくださっているのであれば、恥ずかしさはさておいて、素直にうれしいですね。

 久し振りに興奮する映画を観た。と言っても、鑑賞したのは一ヶ月ほど前のことである。レビューを書くにあたり、ようやく知ることになったのだが、この映画は既にDVD化されているらしい。日本での初公開が去年の十一月二十二日だったのだから無理もないだろう。とは言え、まだまだ劇場公開中の地域もある。この面白い映画は、ミニシアター系の映画館でじわじわと全国に広がっているのだ。

 この映画を鑑賞しようと思ったのも、やはり劇場で鑑賞した予告編に釣られてのことだった。実際に起こった事件をもとに製作されているというこの映画は、銀行強盗の素人たち(と言うのも変だが)が集まって企てた銀行強盗と英国史上最大の王室スキャンダルが結び付く。いやいや、実際には王室スキャンダルだけには留まらない。彼らによって、銀行の貸金庫に預けておいたお金持ちや政治家たちの秘密がまんまと盗み出されたのだ。中身を知られずに預けることのできる貸金庫には、金銭的に余裕のある人たちの決して知られてはならない秘密がわんさと集まっていた。そのため、被害に遭った多くの人たちは、預けておいた秘密が明るみになることを恐れ、被害届けを出さなかったという。

 ことの始まりは、経営状態が芳しくない中古車業者テリーのもとへ、昔馴染みの女性マルティーヌが銀行強盗の計画の話を持ち込むことによる。テリーを演じているのは、映画『デス・レース』で主演のレーサーを演じていたジェイソン・ステイサムである。彼の地なのだろうか。あまり多くを語ろうとはしない。見るからに寡黙なタイプの彼だが、体力があり、頭も冴えている。一方、マルティーヌを演じているのは、映画『再会の街で』でちょっと危ない女性を演じていたサフロン・バロウズである。彼女からは色香が漂っている。
 
 マルティーヌはテリーに、ある銀行が警報装置を交換するために、特定の期間だけ警報装置を解除するという情報を提供する。その時期を狙って銀行強盗を実行すれば、警報装置が作動することもないので成功率が高まるというわけだ。テリーは仲間に声を掛けて同志を募り、念入りに計画を立てる。間もなく彼らは銀行のすぐ側にある貸店舗を借りて、貸店舗の地下から銀行に向けて、銀行の地下金庫に向けて交替で掘り進める。何とも大胆な計画である。ところがこれが大成功を収め、先ほども書いたように、彼らは貸金庫に入っていた大金のほか、たくさんの秘密を手に入れるわけである。

 実は、マルティーヌの裏で密かに動いている人物がいた。彼らは何と、国家の秘密を守ろうとする組織だった。マルティーヌがテリーに銀行強盗の話を持ち掛けたのも、ある事情から、彼らとの繋がりがあってのことだった。やがて、何も知らずに銀行強盗を企てたテリーらと、国家の秘密を守ろうとする組織、更には、貸金庫に知られてはならない秘密を預けていた悪党らがそれぞれ対決することになる。取引の場所にはチューブと呼ばれるロンドンの地下鉄が使われ、地下鉄の駅名票が表示される度に、私は実際に訪れた場所と重ね合わせて、目を輝かせた。

 ところで、この映画を鑑賞する人たちは、何も知らずに銀行強盗を企てたテリーらと、国家の秘密を守ろうとする組織、それから貸金庫に知られてはならない秘密を預けておいた悪党のうち、誰の味方となってこの映画を鑑賞することになるのだろう。私はもちろん、テリーらの銀行強盗部隊を応援していた。銀行強盗など、世間一般から見れば悪事に違いないのに、この映画を鑑賞していると、テリーらを応援せずにはいられないのだ。どうか彼らの銀行強盗がうまく行きますようにと心の中で祈りながら必死にスクリーンを見つめる自分の姿に、はっと我に返るのである。そして、紆余曲折を体験しながらも、最後に用意されている驚きのラストに感動する。

 実際、この事件は、一九七一年に発覚した直後はひどく世間を騒がせていたらしいが、事件発生からわずか数日のうちに、事件は一切報じられなくなってしまったのだそうだ。おそらく、国家の秘密を守ろうとする組織や警察が根回しして、マスコミの口を封じ込めたのだろう。それもそのはず、この映画のラストを観れば納得する話である。簡単に言えば、「取引」が成立したというわけである。

 現代は、政治家を始めとする権力者や芸能人らの揚げ足が取られ、失脚させられる時代となってしまった。公の場で何か問題になりそうな発言をしようものなら、それを誰かがすぐに指摘し、ただちにマスコミに取り上げられ、やがては辞職や自粛に追い込まれる。こうした時代背景を考えると、現代においては、何かをうやむやに済ませてしまうことなど決して無理な話だろう。もしもこれほどの大事件をうやむやに済ませることができたのであれば、それは、時代が許したに違いない。とは言え、こうして四十年近く経って掘り起こされ、映画になって再燃したわけである。それがまたワクワクするようなドラマに仕上がっていて、強く引き込まれるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m あまりにも面白くて、鑑賞し終わったあと、しばらく興奮状態でした。事実に基づいたストーリーと言われているのに、まるで作り上げられた物語のように完璧でした。「事実は小説よりも奇なり」というのは、こういうことを言うのでしょうか。銀行強盗を企てたテリーらを応援したくなったのは、貸金庫に預けられていたものが秘密の品々だったからかもしれません。秘密の品々が次々に明るみになり、お偉いさんたちが慌てふためく姿が面白かったのだと思います。これまで闇に包まれていたものに、いきなりスポットが当たってしまったわけですからね。盗まれた金品の中には、秘密ではないものも含まれていたかもしれませんが、映画の中での描写が、あたかもテリーらの銀行強盗を正当化するかのような描写だったので、ついつい乗せられてしまったのです。(苦笑)

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2009.03.09

ホットヨガ(一四二回目)

「何かいるものある?」の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 半年に一度のお祭りが、また一つ幕を閉じました。(笑)我が家の洗濯担当のガンモに、「今回は洗剤を買わなかったよ」と報告すると、「どうせすぐになくなるんだから、買っても良かったのに」と、ちょっぴり残念がっていました。ガンモにそんなことを言われると、現在のストックが半年先まで持つかどうか、少し不安になって来ました。(苦笑)ただ、節約という観点からすると、安くなった洗剤をまとめ買いして遠慮なく使うのと、少々割高でも、洗剤をまとめ買いせずに少しずつ購入してチビチビ使って行くのと、どちらが効果的なのでしょうね。ストックがたくさんあると、チビチビ使うという感覚は薄れてしまうので、節約モードに切り替わらない気がしないでもありません。(苦笑)

 土曜日は、またしても神戸店でホットヨガのレッスンを受けた。今回も、七十五分のベーシックコースである。参加者は私を入れて十七名で、レッスンを担当してくださったのは、今回でようやく三ポイントを獲得されたインストラクターである。

 あろうことか、今回のレッスンでは、かなり息切れしてしまった。おそらく、一番奥のヨガマットを陣取ったせいだろう。鏡のすぐ前なので、自分の取っているポーズを確認しながらレッスンを受けることはできるものの、熱気がこもり易いせいか、とても暑かったのだ。私の息が荒くなっているのを感じ取ったのか、私のすぐ後ろでポーズを取っていた方が、「その荒い息は、一体誰の息?」と確認でもするかのように、私の方を振り返っていた。ちょっと情けない。それでも、途中退場することなく、最後までレッスンを受けた。

 レッスンを終えてシャワーを浴びたあと、受付にロッカーの鍵を返しに行くと、前回のレッスンを担当してくださったインストラクターが対応してくださった。何と、インストラクターは私に、
溝の口店でリラックスコースのレッスンを受けられたとか。いかがでしたか?」
と尋ねてくださったのである。私は、あまりにも突然のことに驚き、言葉を失った。神戸店のスタッフに、溝の口店で体験して来たことを伝えたくてうずうずしていたというのに、まったく予想もしない状況でいきなりチャンスに恵まれたので、なかなか言葉が出て来なかったのである。

 私はしどろもどろになりながら、
「ええ、ゆったりとしたポーズが多かったですよ」
などと当たり障りのない受け答えをしたように思う。インストラクターが、
「ライトコースみたいな感じですか?」
と尋ねてくださったので、
「そうですね」
と答えた。しかし、心の中では、「ライトコースともちょっと違うのだが・・・・・・」とも思っていた。リラックスコースは、骨盤を緩め、身体をゆらゆらと揺らすようなポーズが多かったからだ。ライトコースは身体に負担の掛からないポーズで構成されているが、リラックスコースはどちらかと言うと、脱力のイメージだ。

 私は思い出したように、
「ラビエには、脂肪燃焼コースやフロウコースのレッスンがないそうです」
とコメントした。それを聞いたインストラクターは、
「へええ、それは初めて知りました」
と驚いていた。

 せっかくインストラクターと話が出来たので、私は思い切って、そのインストラクターが神戸店の店長さんなのかどうかを確認してみた。すると、インストラクター曰く、店長さんは別の方だという。どうやら店長さんは、私が先週、十回回数券を購入したときに対応してくださった方のようだ。ちなみに、店長さんはレッスンは担当されていないそうだ。なるほど、それでずっと認識できなかったのだ。

 そして、もう一つ気になっていることを尋ねてみた。それは、良くお話をさせていただいているインストラクターのお姿を、最近、見掛けなくなってしまったことである。すっかりご無沙汰してしまっているインストラクターのお名前を出して、勤務スケジュールを確認してみると、その日は十六時からの勤務になっているそうだ。なるほど、もしも同じようなシフトが組まれていたのだとすると、私はいつも午前中のレッスンを受けているため、顔を合わせる機会がめっきり減ってしまったのかもしれない。もう一人、同じように確認しておきたいインストラクターがいたのだが、あまりしつこく尋ねるのも何なので、私は言葉を引っ込めた。

 それにしても、何故、私が溝の口店でリラックスコースのレッスンを受けたことを話題にしてくださったのだろうか。もしかすると、神戸店のスタッフのどなたかが「ガンまる日記」を読んでくださっていて、「○○さん(私の苗字)から溝の口店で受けたリラックスコースのレッスンの話を聞いてあげてください!」と連絡ノートに書かれていたのだろうか? いやいや、実際に連絡ノートなるものが存在しているのかどうか、私は知らない。あくまでも私の勝手な想像に過ぎない。ただ、もしもそれに近い状況だとすると、ちょっぴり恥ずかしい気持ちである。

 もしくは、私の回数券にスタンプを押してくださるときに、見慣れないラビエのスタンプが押されているのをご覧になり、これは一体どこの支店のスタンプだろうと、私の受講履歴を確認して話題にしてくださったのだろうか。想像は膨らむばかりだが、これからも想像し続けるために、敢えて尋ねないことにしよう。いつも、こうした歩み寄りがうれしいことは事実なのだから。

 ところで、今回からできる限り、レッスンのときに着ていたTシャツの写真を掲載して行く予定である。やはり、ヨガはインドで生まれたので、私はインドの雰囲気を味わうため、毎回、ヒンドゥー教の神様Tシャツを着てレッスンを受けているのだ。今回、着ていたのはドゥルガーである。ヒンドゥー教の神様Tシャツは、様々なバリエーションがあるので、今後もお楽しみに。

今回のレッスンで着ていたドゥルガーのTシャツ。
レッスン前にトイレにこもって撮影。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いやあ、驚きました。vドッキリカメラかと思いましたよ。(苦笑)それにしても、私という人間は、いざというときに気の利いた台詞を発することができないのだなあと、つくづく実感しました。だから、文章のように、時間を掛けてじっくりと温めることができる表現方法を好むのかもしれません。本番に弱い私です。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.03.08

「何かいるものある?」

映画『ヴィーナス』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ジェシーはイアンのところにやって来たのに、イアンはジェシーのことを持て余してしまい、イアンの友人であるモーリスがジェシーと少しずつ仲良くなるという展開が面白いですね。イアンにはなくて、モーリスにはあったものが、確実にジェシーを惹き付けたのです。何となくですが、モーリスが年老いても「求め続ける男」であったならば、ジェシーは「求められることに対し、まんざらでもないわと感じる女」だったのかもしれません。

 先日、半年に一度の○○フェアが開催された。今回の○○フェアは、一年前と同じメーカーさんによる消耗品のフェアである。派遣仲間たちも、この○○フェアをとても楽しみにしていて、昼休みになると、
「今日は○○フェアだね」
という会話が飛び交っていた。お昼ごはんを食べ終えた私は、一階にある屋外特設会場に足を運び、会場に並べられている様々な消耗品を物色した。

 コートも着ないまま外に出て来てしまったので、もしかすると寒いのではないかと心配だったが、外は春の陽気でぽかぽかしてとても暖かかった。今回も洗剤が格安で放出されていたのだが、一年前に購入した八個入りの洗剤がまだ残っていたので、今回は購入しなかった。

 ガンモに電話を掛けて、
「今日は○○フェアなんだけど、何かいるものある?」
と尋ねたところ、ガンモは客先で夜勤の仕事をするために家を出る直前だったらしく、私にすべて任せると言ってくれた。私は以前、
「今度、○○フェアがあったら歯磨き粉を買って欲しい」
とガンモが言っていたことを思い出し、歯磨き粉をまとめ買いすることにした。他に、小さめのボトルガムが三つで五百円だったので、同じく三つで五百円の携帯用歯磨きセット一つとボトルガム二つを組み合わせて清算した。n個でm円という価格設定の商品は、同じ商品同士の組み合わせでなくても良いのだ。

 実は、小さなボトルガムを買ったのは、ケースが欲しかったからだ。大きなボトルガムのケースには、ハーブティを入れたり、旅先で洗濯をするときに使う洗剤を入れたりしているのだが、今回購入した小さなボトルガムのケースは、鉄分たっぷりのサプリメントを入れるのにちょうどいい大きさだと思ったのである。

 ○○フェアが開催されるときは、誰もが顔をほころばせている。ときどき食堂で見掛ける関連会社の男性が、奥さんと思しき人に電話を掛けているのが聞こえて来た。
「何かいるものある?」
と、生活に必要なものを奥さんに確認しているようだ。私はその会話を聞いた途端、
「ああ、○○フェアっていいなあ」
と思った。何故ならここでは、普段、食堂でしか顔を合わせることのない人たちの体験している愛に触れることができるからだ。その男性のほかにも、家族に電話を掛けて、必要なものを確認している姿があちらこちらで見受けられた。多くの男性たちがクッキングペーパーを購入していたのは、奥さんやご家族と連絡を取り合いながら、生活に必要なものを確認した結果だと思われる。

 春のぽかぽかした陽気と、ご家族の方たちと連絡を取り合いながら、生活に必要なものを確認して購入する男性たちのほのぼのとした姿に、思わず私の顔もほころんだ。このメーカーさんの次回の○○フェアは、おそらく半年後の開催である。そのときはまた八個入りの洗剤を買って、少しずつ持ち帰ろうと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ○○フェアのときにみんなの顔がほころんでいるのは、単に価格が安いことだけが理由ではないと感じました。ご家族の方たちと連絡を取り合う声があちらこちらから聞こえて来ると、思わず顔がほころんで来るんですね。普段、そういう姿に触れるチャンスがないからこそ、このような形で誰かが体験している愛に触れることができるのは、とても貴重な体験であると言えます。

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2009.03.07

映画『ヴィーナス』

さらば、隨縁(ずいえん)の湯の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 神戸市西区|天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)は、オープンしてからわずか二年余りの閉館となってしまうようです。しかし、こうした事業は、どこかの企業が行っているので、神戸市西区|天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)は閉館してしまったとしても、企業の本体としては生き残って行くのでしょうね。残念ではありますが、企業の本体を残すためには仕方のない選択だったのかもしれません。

 劇場で鑑賞した映画で、まだレビューを書いていない作品がたくさんあるのだが、今回は敢えてDVDで鑑賞した作品のレビューを書かせていただくことにする。

 どうも私は予告編に釣られ易い。この映画を鑑賞しようと思ったきっかけは、他のDVDを鑑賞した際に、同じDVD内に収められていたこの映画の予告編に惹かれたからだ。私はこの映画のタイトルを手帳にメモしておき、レンタルDVDショップで他に気になっていた作品とともにレンタルした。実際に鑑賞してみると、既に冒頭部分からこの作品の世界に強く引き込まれてしまった。

 ロンドンに住むモーリスとイアンという二人の老人は、気の合う俳優仲間だ。今は死体役などを演じて細々と生計を立てているが、若かりし頃のモーリスはいくつもの浮き名を流し、妻とはもう長いこと別居生活を送っている。ある日、イアンのもとへ、仕事を探すために田舎からやって来た姪の娘ジェシーが住み込むようになる。ジェシーが自分の身の回りの世話をしてくれるものと思い込んでいたイアンだったが、ジェシーはイアンの世話をするどころか、ひどくぶっきらぼうで無作法な娘だった。やがてイアンはジェシーを持て余すようになるが、女性の扱いに慣れているモーリスはジェシーを誘い出し、次第にジェシーとの距離を縮めて行く。

 この映画の見どころは、モーリスが老人であっても若い女性ジェシーを求め続けたところだろうか。例えばモーリスは、ヌードモデルとして仕事を始めたジェシーの裸体を一目見ようと覗き見を試みる。ところが、こっそり覗き見するはずが大きな物音を立ててしまい、覗き見していたことを人々に知られることになる。その場の悪さが、思わずクスッと笑ってしまうようなユーモアとして仕上がっている。最初は警戒していたジェシーも、次第にモーリスを受け入れて行く。ジェシーとの距離が縮まるにつれ、モーリスはジェシーの肌に触れることを望んだりもする。観ている側としては、「まったく、いい年してしょうがないわねえ」という感想を抱くのだが、モーリスの生き方に対しどこか憎めない。

 ただ、モーリスとジェシーの間に通うものは、愛というよりもむしろ、穏やかな性欲に近いものがある。別居中の妻とモーリスの間に芽生えているものが静かで永続的な愛ならば、モーリスとジェシーとの間に芽生えているのは、どこか刹那的な欲望だと言える。モーリスは若いジェシーの肉体に触れたいという欲望を持ち、ジェシーはモーリスからの金銭的な援助を期待している。実はモーリスは、死を意識しなければならないような病に侵されている。だからこそ、生きているうちに、自分の欲望に対して積極的に行動していたのかもしれない。やがてモーリスとジェシーは一緒に海辺を訪れる。そこでモーリスは・・・・・・。

 何とも印象に残る展開だった。二人の老人の生き様にブラックユーモアが添えられ、美しいヒューマンドラマに仕上がっている。暴れ馬だったジェシーがモーリスと危ない友情を結んで行く経過もいい。人と人は出会い、互いに関わり合うことによって、大きく変わることができる。例えそれが七十代男性と二十代女性であったとしても。

 モーリスの妻がジェシーに言った台詞がいい。妻はジェシーに「彼の瞳に映っていたのはあなたね」というようなことを言う。それは決してジェシーを責めるような台詞ではない。夫の浮気相手とも取れる若いジェシーに対し、モーリスの妻という立場でありながらも、むしろ年老いたモーリスを生き生きと輝かせてくれたお礼のように受け取ることができるのだ。

 この映画の監督は、映画『ノッティングヒルの恋人』のロジャー・ミッシェル監督だそうだ。そう言えば、ロンドンに出掛ける前に、ロンドンを舞台とした映画作品について調べた中に、映画『ノッティングヒルの恋人』も含まれていた。しかし私はこの有名な作品を観てはいない。このような静かなヒューマンドラマを見せてくれる監督作品なら、映画『ノッティングヒルの恋人』もまた、手帳にメモしておくことにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m またしても朝の更新になってしまいました。やはり、夜は眠いですね。(苦笑)お金のために、最初はモーリスを利用しているかのように見えているジェシーが少しずつ変わって行く様子が見事に描かれていました。ジェシーは「求める」だけでなく、「与える」こともできるようになったのです。七十代になっても若い女性を求め続けたモーリスが、ジェシーをここまで変えたと言えます。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.03.06

さらば、隨縁(ずいえん)の湯

失われた四十分の行方の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ガンモに「私物のノートパソコンを持ち込んではいけないと、上司のまた上司に言われたよ」と報告すると、「やっぱりそうだろうね」と言われてしまいました。思えば、今まで私が私物のノートパソコンを持ち込むことを大目に見てくださっていたことのほうがありがたいことなのかもしれません。どんどん進化する技術が広く一般に浸透して行くのと比例して、それらの技術を悪用したり、また、使い方を誤ってしまうケースも出て来るため、今度はその技術を慌ててブロックする方向へと進んで行きます。例えば、かつてはみんな当たり前のようにUSBメモリを持ち歩き、オフィスでもちょっとしたデータをコピーするために使っていました。ほんの数年前のことですね。現在、私の派遣先のオフィスでそのようなことは絶対に有り得ません。業務で使用しているパソコンに接続できるUSBメモリは限られていますし、そのUSBメモリを使用するためには申請が必要です。もちろん、使用が許可されているすべてのUSBメモリには暗号化ツールが搭載されています。それくらい、企業は情報セキュリティに関して慎重になっているということなのです。

 職場近くにある天然ラジウム温泉の一つ、神戸市西区|天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)が三月いっぱいで閉館することを知り、閉館前にもう一度足を運んでおこうと、タイミングを見計らっていた。職場から近いので、仕事帰りに寄るのが一番である。仕事がそれほど忙しくなく、映画を千円で鑑賞できる火曜日、水曜日、金曜日以外の曜日であり、なおかつガンモの仕事が遅くなる日であれば、チャンス到来である。そして、それらすべての条件を満たした木曜日、私は定時で仕事を上がり、職場の最寄駅近くにあるホテル前から発着している隋縁の湯の無料送迎バスに乗り込んだ。

 確か以前、この無料送迎バスを利用したとき、利用客は私一人だけだった。しかし今回は、合計七名もの利用客が無料送迎バスに乗り込んだ。誰もが三月末の閉館を惜しんでいるのかもしれない。

 無料送迎バスはおよそ十分ほど走り、私たち利用客を神戸市西区|天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)まで運んでくれた。神戸市西区|天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)にはおよそ一年半振りに足を運ぶことになったわけだが、三月末に閉館してしまうとは言え、やはり贅沢な雰囲気が漂っている。二階の入口には、三月末に閉館するというお知らせが大きく掲げられていた。

二階の入口に掲げられていた閉館案内

 下駄箱に靴を預け、更衣室のロッカーの鍵を受け取るべくフロントに並んだ。フロントは、同じ無料送迎バスを降りて来た人たちや、自家用車でやって来た人たちでとても混雑していて、下駄箱の鍵と引き換えに更衣室のロッカーの鍵を受け取るまでに少々時間を要した。

 神戸市西区|天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)の利用料金は少々高めで、平日利用の場合、会員は七百五十円、非会員は八百五十円である。一緒に並んでいた多くの人たちが会員だったようで、七百五十円を支払ってロッカーの鍵を受け取っていた。私は非会員なので八百五十円を支払ったが、やはり少々割高だという感じが否めない。休日利用ともなれば、非会員の利用料金は百円増しの九百五十円である。こうした施設が不況の中でも生き残って行くには、価格設定を見直したほうが良かったのかもしれないが、既に三月末に閉館が決まってしまっているので、もはやどうすることもできない。

 利用料金は少々高めではあるものの、バスタオルとタオルをそれぞれ一枚ずつ無料レンタルできるので、荷物は少なくて済む。ロッカーの鍵を受け取った私はエレベータに乗り、四階の更衣室へと向かった。更衣室に足を踏み入れてみると、やはり、以前、利用したときよりも利用客が多い。私は、廃線になってしまう列車や路線に多くの人たちが集まる現象を思い出した。もう利用できなくなると思うと、人々はまるで最後の思い出を織り上げるかのように、せっせと足を運ぶのである。もちろん、私もその一人だ。普段からこれだけの人たちが利用していれば、廃線や閉館に追い込まれることもなかったのに、皮肉なものである。未来のない対象物は、こうして最後に一花咲かせるのだ。

 服を脱いで浴室に入り、まずはカランで身体をきれいに洗った。もちろん、シャンプーやリンス、ボディソープはそれぞれのカランに備え付けられている。身体を洗い流したあとは、室内の水流浴槽にゆったりと浸かったあと、すぐに露天風呂へと足を向けた。露店風呂には、私の好きな壷風呂があるのだ。とは言え、神戸市西区|天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)の露天風呂は、ずずらんの湯のように大自然を切り開いて作られているわけではなく、ビルの中に構えられている。そのため、露天風呂としての開放間はやや欠ける。感覚としては、長距離フェリーの中で利用するお風呂に近いものがある。

 露天風呂には、壷風呂のほか、岩風呂、寝湯がある。三つある壷風呂は人気があるため、なかなか利用することができない。壷風呂は一人用ではなく、二人ほど一緒に入れる大きさなのだが、既に誰かが利用している壷風呂にあとから足を踏み入れるのはちょっと勇気がいる。私は、壷風呂が空くまで、岩風呂に浸かったり、寝湯に寝転がったりしながらチャンスをうかがっていた。そのうち、壷風呂を利用していた人が一人立ち上がったので、私はすかさず空いた壷風呂に滑り込んだ。壷風呂に入って外の景色を眺めようとするが、ビルの中に作られた露天風呂なので、夜景を楽しむことはできなかった。

 三つある壷風呂の内訳は、源泉湯が二つとハーブ湯が一つである。私が利用したのは源泉湯の壷風呂だった。ハーブ湯の壷風呂にも入っておきたかったのだが、なかなか空かない。しばらく待ってみたものの、なかなか空かないので、私は帰りの無料送迎バスの発車時刻を気にして、室内のお風呂に戻った。

 室内には、比較的温度の低い谷湯、比較的温度の高い山湯、源泉浴、水風呂、さきほど入った水流風呂のほか、ウェットサウナとドライサウナがある。私は、水風呂とドライサウナ以外のお風呂を少しずつ利用した。天然ラジウム温泉ということで、ホルミシス効果を期待して、深呼吸を繰り返した。お腹の筋腫に効いてくれればいいのにと願いながら。ふと、お腹に手をやると、筋腫が大きく固くなっているのがわかった。久し振りのラジウムに反応しているのだろうか。

 私は、無料送迎バスの発車時刻を気にしながら湯船を渡り歩いた。十九時過ぎに神戸市西区|天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)に入館し、帰りの無料送迎バスの発車時刻は二十時ちょうどである。この無料送迎バスは、職場の最寄駅行きの無料送迎バスではなく、少し三宮寄りの駅へと向かう無料送迎バスである。私は三宮方面に向かって帰るので、職場の最寄駅に向かう無料送迎バスよりも、三宮寄りの駅へと向かう無料送迎バスを利用したほうが便利なのである。ただ、滞在時間が着替えも含めて一時間足らずしかないので、少し忙しかった。

 そろそろタイムリミットが近づいて来たので、私は湯船から上がり、服を着て、帰り支度を整えた。帰りの無料送迎バスの利用客は、私一人だけだった。運転手さんは、さきほど私を職場の最寄駅前のホテルから運んでくださった運転手さんだった。三月末に閉館が決まっている状況の中、そこで働いている人たちは一体どんな気持ちなのだろう。もしも私自身が同じ状況に直面したとして、投げやりにならず、ぐれもせず、最後までその仕事をまっとうできるだろうか。別れを惜しむかのように毎日詰め掛けて来るにわか利用客に対し、普段からもっと足を運んでくれていれば良かったのにと、怒りさえ感じてしまわないだろうか。しかし、ここでどうあがいても、三月末で閉館してしまうのである。

 こうして私自身もまた、複雑な想いを胸に抱きながら、三宮寄りの駅前で無料送迎バスを降りた。さらば、神戸市西区|天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)。ちょっぴり贅沢な気分を体験させてくれてありがとう。そして、無料送迎バスの運行が終了しているにもかかわらず、わざわざ自家用車で私を三宮寄りの駅前まで運んでくださった男性スタッフにもありがとう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m リアルタイム日記などとうたっておきながら、いきなり朝の更新です。(苦笑)金曜日は、ガンモに夜勤の仕事が入っていたことに加え、シネマポイントカードに加入しているミニシアター系の映画館で映画を千円で鑑賞できるため、映画を二本鑑賞してから帰宅するとともに、恐ろしい眠気に襲われたのです。しばらくの間、眠気と戦いながらパソコンに向かっていたのですが、日頃の寝不足がたたって、とうとう負けてしまいました。申し訳ありません。m(___)m ちょっぴり贅沢な天然ラジウム温泉は、三月末で閉館することになりました。この施設は、これからどうなるのでしょう。もったいない気がします。利用客としては、経営者が変わっても生き残って欲しい気がしますが、今の景気では、それも難しいでしょうね。私自身もあれほどラジウム温泉に情熱を燃やしていたのに、あまり足を運ぶことができず、ちょっぴり胸が痛みます。

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2009.03.05

失われた四十分の行方

映画『マンマ・ミーア!』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ドナの同性の仲良しさんも三人組、ドナがほぼ同じ時期に付き合うことになった男性も何故か(?)三人組、そしてソフィの友人たちも三人組。三人組はバランスの取れたトライアングルを意味しているのでしょうか。三人組は、バランスが取れたままの状態でずっといられるならば、とても安定した関係を築くことができますよね。ただ、バランスが崩れると、二対一になってしまったりもしますが・・・・・・。(苦笑)

 いつもと違う時間に「ガンまる日記」が更新されているので、「あれ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれない。そう、これまで「ガンまる日記」は、ほぼ半日遅れのお昼過ぎに更新していたのだが、現在はリアルタイム更新に近づきつつある。というのも、実はこんなことがあったからなのだ。

 仕事をしていると、上司のまた上司が私のところにやって来て、私の苗字を呼び掛けた。私がその呼び掛けに応えると、上司のまた上司は何やら紙を差し出して、オフィスに私物のノートパソコンを持ち込むのは禁止になったことを告げた。私は、私物のノートパソコンをオフィスに持ち込み、休み時間に「ガンまる日記」を更新したり、メールを書いたりしていたのだ。というのも、オフィスで過ごす時間が長い上に、仕事で使っているパソコンはインターネットに接続されてはいるものの、基本的には私用目的での使用は禁止されているからだ。それではとても不便なので、私は私物のノートパソコンを持ち込んでいたのだが、これからはオフィスに私物のノートパソコンを持ち込んではいけないという。

 それを聞いた私はガツンと衝撃を受けた。確かに、情報セキュリティが叫ばれる中で、ソフトウェアを開発している会社に私物のノートパソコンを持ち込むのは好ましくないだろう。いやいや、私が現在の職場に派遣された七年前は、情報セキュリティに関して、まだそれほど厳しい状況でもなかったのだ。実際、私物のノートパソコンをオフィスに持ち込んでいた社員の方たちも何人かいらっしゃったくらいである。

 しかし最近は、顧客情報の持ち出し事件や、Winnyなどを通して業務で使用する文書が外部に流出するなどの事件があちらこちらで発生しているため、これまでよりも一層電子データの取扱いが厳しくなったのである。そのため、私物の携帯電話を充電するために、USBの充電ケーブルを仕事で使っているパソコンのUSBポートに差し込んで充電するといった行為も固く禁止されている。

 詳しくは書けないが、上司のまた上司が私に私物のノートパソコンの持ち込み禁止をわざわざ伝えに来られたのも、つい最近、派遣社員に絡むことで、何か公にできないような事件が発生したことがきっかけになっているらしい。

 私は上司の上司に対し、
「えーっ、それは困りましたねえ」
と言いながら、あれこれ思いを巡らせていた。これまで「ガンまる日記」は、前日の夜からガンモの英語学習の音にもめげずに下書きを始め、朝の通勤途中の地下鉄の中で半分くらい書き上げて、お昼ご飯を食べたあと、昼休みが終わるまでの四十分間で一気に完成させていた。しかし、今後はオフィスに私物のノートパソコンを持ち込めなくなってしまうとなると、もはや「ガンまる日記」を毎日更新することは不可能になってしまう。五年前に一日一記事書き上げる意気込みで「ガンまる日記」を書き始めて以来、ようやく五周年を迎えたところだったというのに、とうとう一日一記事を続けられなくなってしまうというのだろうか。それは絶対に嫌だ。

 私が私物のノートパソコンの持ち込み禁止に関して承諾しかねて「うーん、うーん」とうなっていると、上司のまた上司がボソっと言った。
「もし、休み時間にロビーかどこかで私物のノートパソコンを広げて使うとしても、私は見ていませんから。でも、この部屋で使うのはダメ」
それを聞いた私は、思わず笑った。なるほど、上司のまた上司には、更にそのまた上司に対し、このオフィス内では私物のノートパソコンを持ち込む人はいないということを報告する義務があるらしい。それは、このオフィス内に限った話であって、それ以外の場所で休み時間に使用することに関してまでは、与(あずか)り知らないということのようだ。なかなか面白いではないか。

 私は、考えた末に、
「わかりました」
と答えた。私のその答えを聞くと、上司のまた上司は、自分の席に帰って行った。

 私は、ノートパソコンを持ち歩かない自分を想像してみた。いや、絶対に有り得ないだろう。ノートパソコンを持ち歩かない場合、私は地下鉄に乗っている三十分とお昼ご飯を食べたあと、昼休みが終わるまでの四十分を同時に失うことになる。一日のうち、書くための時間を一時間以上も失ってしまうのだとしたら、現在の私の生活では、睡眠時間を削りでもしない限り、失った時間を埋め合わせることはできない。しかし、ただでさえ、就寝時間は変わらないのに生活リズムが繰り上がって起床時間と出勤時間が早くなり、睡眠不足に陥っているというのに、これ以上、睡眠時間を削ることはできない。では、「ガンまる日記」の一日一記事の更新をやめてしまうのか。それも絶対に嫌だ。

 私は考えた末に、帰宅してからの時間を「ガンまる日記」更新のためにもう少し繰り上げてノートパソコンに向かうことにしたのである。つまり、これまでの下書きの時間をもう少し長めに取るようにしたというわけだ。その時間は、ガンモが英語学習を始める時間とかぶるため、ガンモの英語学習の音対抗しながら「ガンまる日記」を綴っている。ひとまず書き上げたあとは良く眠り、翌朝の通勤途中の地下鉄の中でノートパソコンを開いて推敲する。これで一日の記事が出来上がるわけだ。もちろん、リュックにしのばせたノートパソコンは、オフィス内では開かない。上司の口調から察すると、ノートパソコンを持ち歩くこと自体には目を瞑ってくださるようだ。あくまでも、オフィスの中で使用することが禁じられているだけのことだと私は解釈した。

 このような事情から、「ガンまる日記」は、従来のほぼリアルタイム日記に生まれ変わったというわけである。とは言え、文章を昼間に書くのと、夜に書くのはノリが違う。どちらかと言うと、昼間は理性的だが、夜になると感情が開放される。夜に書き上げたラブレターが、朝になると恥ずかしくて読み返せなくなるのと同じような現象が起こらないように注意したいと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 起床時間と言い、「ガンまる日記」を書く時間と言い、これまでのリズムが少しずつ崩れては新たなリズムが形成されています。とりあえず、朝早く起きるのは、少しずつ慣れて来ました。「ガンまる日記」の更新時間も、そのうち慣れるでしょう。しかし、更新に時間が掛かると、また寝不足になってしまうんですよね。それに、仕事が忙しくなると、どうなるかわかりません。(苦笑)ところで、ぽっかりと開いたお昼休みの四十分間ですが、英語学習に励むことにしました。失ってばかりではない、ということですね。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2009.03.04

映画『マンマ・ミーア!』

ホットヨガ(一四一回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m振り返ってみれば、ホットヨガのレッスンも、ついに一四〇回を超えました。周りからは、「良く続くね」と言われています。ホットヨガのレッスンが何故続いているかということを、そのまま英語学習に活かすことができればいいのかもしれませんね。それは、いろいろな支店に足を運び、いろいろなタイプのレッスンを受けることなのですが、それを英語学習に活かすとなると、いろいろな教材を試すということでしょうか。しかし、一つの教材を徹底的に学ぶというのが、英語学習の鉄則のような気がします。(苦笑)

 『マンマ・ミーア!』というと、最初に思い出すのはミュージカルの舞台だ。私は舞台を観に行ったわけではないが、舞台のポスターを見ながら毎日通勤していたので、強く印象に残っている。恥ずかしながら、今回、この映画を鑑賞して初めて、『マンマ・ミーア!』がABBAの曲で構成されたミュージカルだったということを知った。

 劇場では、この映画の予告編がかなり以前から上映されていたので、私は何度も何度もこの映画の予告編を観ていた。その度にABBAの曲が流れ、懐かしい気持ちにさせられたものだった。しかし、正直に言ってしまえば、予告編を観た限りでは、私にとってはそれほど観たいと思える映画ではなかったのだ。それでもこの映画を鑑賞するに至ったのは、昨年十一月に自宅近くにオープンした大型映画館のレイトショーに、映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生 』を鑑賞しようと思って足を運んだとき、既に映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生 』のチケットが完売されていたために鑑賞できないことがわかり、くやしまぎれに鑑賞することにしたのがこの映画だったのである。今からおよそ三週間ほど前のことだ。

 主演のメリル・ストリープと言うと、映画『プラダを着た悪魔』の鬼編集長の役が記憶に新しい。しかし、この映画のメリル・ストリープは、鬼編集長のようなキリキリした女性ではなく、女手一つで娘ソフィを育て上げ、ギリシャの島にあるホテルを経営する芯の強い母ドナを演じていた。

 ドナには、ほぼ同じ時期に、縁があって付き合うことになった三人の男性がいる。その三人のうち、誰がソフィの父親なのか、特定できないままソフィは成長し、結婚式を迎えることになる。そこでソフィは、ドナに内緒で三人の男性に手紙を出し、自分の結婚式に呼び寄せたのだった。

 ところで、映画『ダージリン急行』は別にして、男性が三人も寄れば、誰か一人は好みのタイプに巡り合えるものだ。私は、今回の三人の男性の中では、存在感のあるビル役のステラン・スカルスガルドが好みである。彼主演の映画『宮廷画家ゴヤは見た』を鑑賞したときは、それほど好みのタイプだとは思わなかったのに、彼と共演の他の二人の男性のイメージが、独特の雰囲気を持つ彼をより引き立たせたのかもしれない。反対に、最も好みではないのが、サム役のピアース・ブロスナンである。顔立ちが整っていると、人生の中で何か大切なものを見落としてしまっているような気がしてしまう。また、私が応援しなくても、他のたくさんの人たちが応援してくれるだろうという妙な安心感がある。

 それはさておき、内容としては、ABBAの曲が要所要所に挿入され、出演者たちが突然、歌い始める。すべてがオリジナルの歌詞だとすると、良くもまあABBAの曲だけをうまく繋げたものだと思う。そう言えば、この手の映画を去年、鑑賞したことを思い出す。ビートルズの曲を繋げた映画『アクロス・ザ・ユニバース』である。なるほど、映画『アクロス・ザ・ユニバース』のほうが、多少なりとも『マンマ・ミーア!』を意識していたのかもしれないが、改めて考えてみると、一つのものをバラバラにするのは簡単でも、バラバラのものを繋げて一つにするのは難しい。どちらの作品にしても、うまく繋がったものである。

 ラストは、「あっ!」と驚く展開だった。このラストは、人間関係が詳細に描かれる、ミニシアター系の穏やかな展開の映画を心地良く思っていると、「ちょっと、都合が良すぎるのでは?」と突っ込みたくもなってしまう。それでも、ギリシャの美しい景色と、鼻を真っ赤にして泣いたり笑ったり、思い切り歌ったりしたメリル・ストリープの新たな魅力を最大限に引き出してくれたこの映画に拍手を贈りたい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m "アバ"をABBAと書くのは、どうも慣れません。(苦笑)ブログに書いても文字化けしない、Bの反対向きの文字はなさそうですね。久し振りにABBAの曲を聴きましたが、やはりハーモニーが美しいと感じました。メンバーが四人もいれば、美しくハモることができたのでしょう。今はどちらも離婚されてしまったようですが、活動していた頃は二組の夫婦だったそうですね。全盛期があったことからすると、彼らは完全燃焼したのかもしれません。

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2009.03.03

ホットヨガ(一四一回目)

「がんばりたまえ」の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ガンモがこんなにも頑張り屋さんだったということに改めて気付かされました。もしもガンモのスコアを私が追い越したとしたら、ガンモはどんな顔をするでしょうね。そのときのことを頭に思い描きながら、私も日々英語学習に励むことにします。(苦笑)

 土曜日は、久し振りに神戸店でホットヨガのレッスンを受けた。今回、参加したレッスンは、七十五分のベーシックコースである。神戸店の入口の扉を開けると、初めて顔を合わせるスタッフが二人、受付に立っていた。しばらく神戸店に足を運ばないうちに、人事異動でもあったのだろうか。良く話をさせていただくスタッフがいなくて、私は何となく寂しい気持ちになった。

 レッスンを担当してくださったのは、これまでにも何度かレッスンを担当してくださったことのあるインストラクターだった。しかし、私は普段、そのインストラクターともあまり話をしていない。もしかすると彼女が神戸店の店長さんなのかもしれないが、そのことについてもずっと確認できないでいる。ちなみに今回は、私を含む十二名の参加者でレッスンが行われた。パワーアクティブコースや脂肪燃焼コースに比べると比較的緩いベーシックコースだが、七十五分のレッスンということで、私には少し長く感じられた。

 バランスのポーズに入ったとき、以前、あやふやだった白鳥のポーズが出て来た。インターネットを検索してヒットする白鳥のポーズと、私が体験した白鳥のポーズとは大きく異なっているのだが、インストラクターは確かに白鳥のポーズとおっしゃったのだ。私が体験した白鳥のポーズは、まず両足で立ち、片足を膝のところで九十度に折り曲げる。そして、上げた足とは反対の手をまっすぐ上に伸ばし、手先だけをちょこんと斜めに折り曲げる。上げていないほうの手は、確か腰に添えていたと思う。そう、まるで身体全体でリフトを作るような感じのポーズである。ちょこんと斜めに折り曲げた手が白鳥の頭を意味しているのかもしれない。

 無事に七十五分のレッスンを終え、シャワーを浴びたあと、着替えを済ませてロッカーの鍵を返却するために受付に足を運ぶと、さきほどのレッスンでインストラクターを担当してくださったスタッフのほか、あまり見掛けないスタッフが二名ほど受付に立っていた。ああ、私は溝の口店でリラックスコースのレッスンを受けたことをスタッフの誰に話したくてたまらないというのに、今回も良くお話をさせていただくスタッフがいらっしゃらなかったので、とうとう切り出すことができなかった。

 私は、自分の言いたいことをなかなか切り出せないこの状況が、普段の仕事の状況と良く似ていると感じた。職場での私は、聞き役に徹するわけでもなく、かと言って、自分の世界を誰かにペラペラしゃべりまくるわけでもない。そのため私の職場の人たちは、私がスピリチュアルな世界に興味を持っていることなど知る由もないだろう。おそらく職場の人たちは、私が意図的に見せている入口が正規の入口だと思っている。しかし、それは勝手口なのだ。私の本当の入口は、もっと別のところにある。

 ところで、そろそろ回数券の期限が切れてしまうので、新しい回数券を購入しようかどうしようか迷っていたところ、二月末までに回数券を購入すると、バスタオル無料レンタル券が付いて来ることがわかった。ちょうど二月末日だったので、私は十回回数券を購入することにした。本来ならば五十回回数券を購入したいところだが、五十回回数券は既に販売が終了してしまったので仕方がない。しかも、現金払いのみである。「クレジットカードを使うことができれば、マイルが貯まるのに」などと思いながら、私はしぶしぶ現金で支払った。それでも、ありがたいことに、一生懸命貯めた「スタンプラリーでGET! 美肌系スリムボディ」スタンプカードが手元にあったので、二万四千円の十回回数券が千円引きになった。

 私は新しい回数券を受け取り、神戸店のスタジオをあとにした。あれ? ひょっとすると、さきほど回数券を購入するときに対応してくださったのは、三宮店のスタッフだったのではないだろうか。そう言えば、三宮店ともしばらくご無沙汰である。土曜日の午前中に好みのレッスンを受けたい私には、三宮店のスケジュールがなかなか合わず、すっかり足が遠のいてしまっている。次回というわけには行かないが、たまには三宮店に足を運んでみることにしよう。

 ホットヨガのレッスンを終えたあと、お昼ご飯を食べて、「ガンまる日記」を書き上げた。ガンモは仕事に出掛けていたので、私はすずらんの湯に出掛けて行く予定で家を出て来たのだが、「ガンまる日記」を書いているうちにどんどん時間が経ってしまい、時計を見ると既に十五時を回っていた。こんなに遅くなってしまっては、すずらんの湯の最終の無料送迎バスには間に合わない。結局私は、すずらんの湯を諦めて、自宅近くの映画館で映画を一本鑑賞してからおとなしく帰宅したのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いつもお話をさせていただいているスタッフの姿が一人も見えないと、何となく調子が出ませんね。まるで自分の居場所を失くしてしまったかのような寂しさを覚えてしまいます。これまでじっくりと時間を掛けて、神戸店のスタッフと築いて来たコミュニケーションの基盤はとても貴重なものだったのですね。コミュニケーションの大切さをひしひしと実感させられました。

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2009.03.02

「がんばりたまえ」

映画『ラスト、コーション』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 例え映画の中の話であったとしても、外国の映画で反日運動をしている人が出て来るとなると、ちょっぴり寂しくなりますね。先日、映画『オーストラリア』を公開日に鑑賞して来ましたが、その中でも日本軍がオーストラリアを爆撃するシーンがあり、心がチクリと痛みました。映画『オーストラリア』に関しては、歴史的事実と異なるといった論争が繰り広げられてはいるようですが・・・・・・。(苦笑)

 ガンモの英語学習は今、乗りに乗っている。ガンモは毎晩、寝る前にベッドの中でニンテンドー DS Liteを開いては、せっせと英語学習を進めている。二人で一つのシングルベッドに寝ているので、ガンモの英語学習は私にはまる聞こえだ。私も時々、ガンモと一緒に英語学習をすることもあるが、ガンモのすぐ隣で「ガンまる日記」の下書きをすることもある。「ガンまる日記」の下書きをするときは集中したいので、
「ねえ。悪いけど、もうちょっと静かにしてよ」
とガンモに頼んでみる。すると、ガンモはほんの少しだけボリュームを小さくしてくれるのだが、それでも集中力のない私はなかなか集中することができない。

 おまけに、私は最近、これまでよりも一時間早く出勤することになったため、毎朝六時に起きている。それなのにガンモは、毎晩一時半頃までニンテンドー DS Liteで英語学習を続けているのだ。おかげでようやく仕事が落ち着いたというのに、相変わらず寝不足が続いている。私は寝不足を解消するため、仕事を早く上がった日には、帰宅してからお風呂に入るまでの時間を利用して、少し眠るようになった。

 ガンモがここまで英語学習に精を出すのも、先日のTOEICの試験で大台をはるかに上回ったことをきっかけにして、新たなる大台を目指そうとしているためである。ガンモは今、英語学習がものすごく楽しいらしい。ニンテンドー DS Liteを使って英語学習を進めているときの自分が大好きなのだそうだ。もしかすると、ガンモがここまで何かに熱中しているのは、結婚以来、初めてのことかもしれない。私は、TOEICのスコアをガンモにどんどん引き離されてしまうようで、気が気ではない。中学、高校と英語が得意科目だっただけに、ガンモにTOEICのスコアをリードされ続けているのは悔しくてたまらないのだ。

 私は、乗りに乗っているガンモが楽しく英語学習を続けられる理由として、毎日楽しく続けられるような英語教材に出会ったのだと分析している。それならば、私も自分専用のニンテンドー DS Liteを購入しようか。いやいや、ちょっと待てよ。私はこれまで自分なりに、いろいろな教材を試して来た。ダ○ソーの英語学習CDとテキストを購入してみたり、インターネットの通販で教材を買ってみたり、BBCを熱心に聴いてみたりした。しかし、どの教材も毎日のようには続かないのである。これは何故なのだろう? おそらく、ガンモのように、英語学習の中に喜びを見出していないからだと思われる。

 現在、ガンモは公開テストが開催される度に、毎回、受験している。公開テストを受けることが一つの区切りになり、ガンモの目標にもなっているのだ。私はと言うと、M女子大学に自転車で公開テストを受けてからというもの、一度もTOEICの試験を受けていない。そこで私は、久し振りに派遣会社の主催するIPテストを受けることにした。そのほうが、公開テストを受けるよりも受験料が二千円安く上がるためだ。そのことをガンモに報告すると、ガンモは、
「がんばりたまえ」
と私に言った。な、何だ、偉そうに。

 あまりにも悔しいので、私は自分なりの英語学習法を模索し始めた。そこで私が思い付いたのは、携帯電話からYahoo!学習のページにアクセスして、インターネットドリルを実践することである。

 インターネットドリルを実践するために、文月のふみの日に生まれた私は、やはり書くことが大好きなので、以前からちょこちょこと使っていた情報カードを本格的に使い始めた。以前は、この情報カードを収めるのにちょうどいいケースが見付からなくて、ひとまず入れ物に入れて束ねずに持ち歩いていたのだが、百円ショップで売られている伝票用の二穴ファイルを情報カードの大きさに合わせてカットして使用することにしたのだ。

ようやく適当な大きさの情報カードを収めるケースが見付かった

 私もガンモのように、楽しみながらインターネットドリルを実践すれば、きっといつかはガンモに対抗できるはずである。そうなれば、ガンモに「がんばりたまえ」と言うのは、私のほうなのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモが毎日楽しく英語学習を進めているのを見ていると、英語教材が無料であろうと有料であろうと、達成感を味わいながら、とにかく毎日続けられるということが大切なのだと思います。私も英語学習のためにあれやこれやと手を出して来ましたが、これが日課になるよう、毎日欠かさず実践したいと思います。(苦笑)

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2009.03.01

映画『ラスト、コーション』

プライドを持つの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m とても気になっているのに購入しなかったものは、いつまでも心に残りますね。(苦笑)とても素敵なアクセサリだと思います。ブログを拝見すると、いろいろなところに出店されているようなので、またどこかでお目に掛かれることでしょう。今回、イノダコーヒーに初めて足を運んだことも、大変貴重な経験でした。(笑)喫煙コーナーがいつも空いているところからすると、世の中ではどんどん禁煙化が進んでいるのでしょうね。今後は、禁煙コーナーを拡張するなどの革新が見られるかもしれません。

 今回も、DVDで鑑賞した映画のレビューを書かせていただくことにする。この映画のタイトルにあるLustは「強い性欲」、「色欲」、Cautionは「戒め」、「警告」などの意味を持つ。『ラスト、コーション』と二つの単語がンマで区切られていることから、『色欲、そして戒め』といったところだろうか。

 一九四二年、日本軍占領下の上海で、ある男女が出会い、密会を重ねるようになる。しかし、その出逢いは意図されたものだった。男は、トニー・レオン演じる日本軍と手を結ぶ傀儡政府のスパイのトップ、イーである。一方、女は、新人女優タン・ウェイ演じる反日運動を行っている香港大学演劇部の学生ワンである。ワンはイーを暗殺すべく、身元を偽り、色気仕掛けで妻帯者のイーに近付くことに成功した。

 これまでにも、イーを暗殺する目的でイーに近付いた女性は何人かいたらしい。しかし、イーの警戒心の強さから、ことごとく正体を見破られ、闇に葬られて行ったようだ。それほど警戒心の強いイーを信頼させたワンの魅力は、新人女優であることとかぶるのかもしれないが、まだ大学生ということで、プロの暗殺者の匂いが漂っていなかったのかもしれない。

 公開当時、イーとワンの激しいセックスシーンが話題に上ったようだ。確かに激しさはあるのだが、セックスシーンにおける二人のエネルギーを感じてみると、ほぼ一貫して、イーが求める役でワンが受ける役に徹している。つまり、愛し合う男女のセックスに見られるような、互いにエネルギーを与え合うセックスではない。愛し合う男女のセックスは、愛しさのあまり、互いに笑みさえ漏らすものだが、イーとワンのセックスは、欲望を満たすことに没頭しているように思える。このようなセックスで、二人がどれくらい深く結び付くことができるのかが見ものである。

 ワンとしては、本来の自分の目的がいつイーに気付かれてしまうか、気が気ではない。だから、イーから呼び出されたときは、とうとうばれてしまったのかとビクビクしてしまう。しかし、イーはワンの正体になかなか気付かず、いよいよイーの暗殺計画が実行されることになるのだが・・・・・・。

 反日運動を行っている大学生が傀儡政府のスパイのトップを罠にかけるなどという大それた計画で、この先、二人がどうなるのか、また、イーとワンの本当の気持ちはどうなのか、手に汗握るような展開が続き、とにかく画面から目が離せない。これまでイーと何度も激しく絡み合って来たワンが、イーに対してどのような感情を抱いていたのか、最後の最後でわかる。それは、「○○○」という言葉によって。その言葉は、敢えてここには書かないでおこう。勇気を持ってその言葉を発することで、ワンの人生は大きく変わった。それを覚悟でワンはイーにその言葉を告げたのだ。

 すべてが勇気あるワンの一言によって集約される。あたかも、これまでのことがすべてプロローグであったかのように。その言葉を発するまでのワンの葛藤も良く描かれていた。大学生だったワンが、何故、命を懸けてまで反日運動に熱心になったのかというと、ワンの心の中にはイーではない、別の男性がいたからのようである。私自身の生活には無縁のひどくダークな世界を心行くまで体験させてくれた逸品だと言える。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 他の映画のDVDを鑑賞しているときにこの映画の予告編を観たのですが、実際に鑑賞してみると、そのときに抱いたイメージとは少し違っていました。まさか、大学生の演劇部が大物を騙すなんて、思いもよらない展開でした。冷静に観ていると、ちょっと無理のある構成もありましたが、全体を通して緊張感を引きずる良い作品だと思います。ここまで激しいセックスシーンを見せられると、『レッド・クリフ』のトニー・レオンが別人に見えて来るかもしれませんね。(笑)

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