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2009.02.26

映画『サルバドールの朝』

ホットヨガ(一四〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。少々大袈裟ではありますが、生理中に六十分の脂肪燃焼コースのレッスンを最後まで受けることができたことで、ここのところ失いつつあった体力の自信を取り戻すことができました。(苦笑)やはり、七十五分のパワーアクティブコースが今の私にとって最も厳しいレッスンのようですね。京都駅前店は、午前中に脂肪燃焼コースが設定されているので、いつも京都駅前店に通っていらっしゃる方たちがちょっぴりうらやましく思えました。(笑)

 スペインのフランコ政権時代を背景にした作品は多いのかもしれない。映画『パンズ・ラビリンス』もそうだったが、先月DVDで鑑賞したこの映画もまた、フランコ政権末期に実際に起こった出来事を再現した作品である。一九七〇年代の初めというと、既に私はこの世に生を受けてはいたものの、まだ幼稚園児か小学校低学年くらいだったので、スペインの情勢など知るはずもない。

 サルバドールは二十五歳の青年である。彼はフランコ政権に反対し、やがて反体制運動に参加するようになる。サルバドールらは、単に思想的な活動に留まっただけでなく、銀行強盗などを繰り返したため、ついには警察と銃撃戦を繰り広げることになってしまった。そのとき、サルバドール自身も瀕死の傷を負ったのだが、サルバドールの発砲した弾が若い警部に当たり、警部が死亡してしまう。サルバドールはその場で逮捕されたが、現場にはサルバドールが発砲した以外の弾も残されていたようだった。本当にサルバドールが発砲した弾が警部に当たったのかどうか、詳しく調査されることもなく、サルバドールは裁判で死刑を宣告されるのだった。

 前半は、主にサルバドールの反体制運動を中心に描かれている。サルバドールには恋人がいるが、反体制運動に参加していることは恋人には内緒である。やがて二人は別れてしまうのだが、のちにサルバドールは元恋人を頼り、反体制運動の仲間とのやりとりに元恋人の住所を使わせてもらうことになる。実はそのことが、元恋人にひどく迷惑を掛けることになってしまう。

 そして後半は、警察に逮捕されたサルバドールとサルバドールの家族やサルバドールを支持する人たちとの強い絆を中心に描かれている。その中には、サルバドールと看守の心の交流も描かれている。主に反体制運動による暴動などが描写されている前半を淡々と受け入れたあと、この映画に引き込まれるのは、後半になってからだと言っても過言ではない。とりわけ、サルバドールの死刑が執行される当日の朝に、母や姉や妹たちが刑務所に足を運び、死刑を目前に控えたサルバドールと面会するシーンは圧巻である。サルバドールを強く支持する男性は、あらゆる権力者に電話を掛けまくり、死刑執行の直前までサルバドールの死刑執行の中止を請う。しかし、彼らの努力もむなしく、サルバドールの死刑は執行されることになる。

 これまで、いろいろな映画で死刑執行のシーンを見て来た。正真正銘の極悪犯もいれば、中には恩赦によって救われてもいいのではないかと思える死刑囚もいた。しかしサルバドールの場合は、反体制運動に参加していたということで、見せしめのための死刑執行であったようだ。だから、警部が亡くなった現場には、サルバドールが発砲した以外の弾も残されていたというのに、詳しく調査されることもなかったのだ。確かにサルバドールが行って来たことは、胸を張って生きられるような出来事ではないかもしれない。しかし、それらが死刑に相当するのかというと、疑問を感じる。

 大切なことは、死刑を執行することではなく、何故、サルバドールのような人物が反体制運動に加わったのかということから逃げずに、向き合うことではないだろうか。フランコ政権を信頼できないから暴動が起こっているのに、蓋をされたのは反体制運動を行っていたサルバドールのほうである。蓋をすべき臭いものの標的が間違っているのではないだろうか。しかし、誰もがどこかおかしいと感じながらも、時代に流され続けていたのかもしれない。そういう時代だったからこそ、のちにいろいろな映画で時代背景として取り上げられているのだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 死刑執行については思うところがいろいろあり過ぎて、なかなか一つの記事には書き切れません。死刑を執行するときに心が痛まないのは、死刑囚を一人の人間として尊重していないからだと思います。しかし、サルバドールと心を通わせた看守のように、死刑囚を一人の人間として尊重することができれば、死刑囚が背負っている罪とは関係なく、死刑の執行に対し、心を痛めるものだと私は思います。これまで、日本でも数々の死刑が執行されて来ました。広い世の中には、法のもとにおいての死刑執行を受け入れる動きもあります。しかし、世の中がこれまで死刑執行を受け入れ続けて来たのは、死刑囚を一人の人間として扱わない「無関心」であるように思えてなりません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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