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2009.01.25

映画『胡同(フートン)のひまわり』

すずらんの湯(7)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 吹きさらしのバス停で路線バスを待ち続けても風邪を引かなかったのは、冷え取り健康法で愛用し始めた靴下のおかげかもしれません。寒さは感じても、足元がずっと暖かかったので、凍えることもなかったのだと思います。靴下と長いコートとお茶に救われました。(笑)

 二〇〇六年十一月、ガンモと二人で北京に出掛けた。旅行会社の主催するツアーで参加したため、自分たちのペースで観光することができず、かなり慌しい思いをしたのを覚えている。そのとき、北京の下町である胡同(フートン)を訪れ、輪タクに乗って町を駆け抜けたあと、一般庶民のお家でジャスミンティーをご馳走になった。家は小さくても部屋がいくつもあり、人々が工夫をこらしながらここで生活している様がありありと感じられた。私は、胡同の庶民的な雰囲気がとても気に入った。この映画を鑑賞したいと思ったのは、そのとき訪れた胡同が舞台になっていたからだ。しかし、残念なことに、北京オリンピックが始まる頃には都市整備が行われ、胡同のごちゃごちゃした町並みも私たちが乗せてもらった輪タクもなくなってしまうだろうと、私たちを案内してくださった現地係員の男性がおっしゃっていた。北京オリンピックは、去年、開催されたが、果たして胡同はどのように変化したのだろうか。

 さて、この映画の監督は、映画『こころの湯』のチャン・ヤン監督である。映画『こころの湯』においても、北京の下町で銭湯を営む父と息子たちの愛がテーマとして取り上げられていたが、この作品においても、北京の胡同に住む家族、とりわけ父と息子の関係がクローズアップされている。映画『こころの湯』が最初から好感の持てる父と息子の愛ならば、この映画は、次第に何かを溶かして行く必要があるような、父と息子の確執を描いた作品である。小さな男の子が大人になり、結婚して親になるまでのおよそ三十年間が丁寧に描き出されているので、作品の上映時間もそれなりに長くなっている。

 いたずら好きのシャンヤンのもとへ、強制労働のために不在だった父が六年振りに帰って来たことから物語は始まる。この映画の時代背景となっている一九七六年頃、中国では文化大革命があり、知識人や官僚らが農場に追いやられて働かされたらしい。画家だったシャンヤンの父は、農場で手を傷め、もはや絵を描くことができなくなっていた。父は、自分が叶えられなかった夢を幼いシャンヤンに託そうとして、遊び盛りのシャンヤンを画家にすべく厳しい教育を始める。父がシャンヤンに施した教育は強制的で、鑑賞している私も腹が立って来るほどシャンヤンの自由意思を奪っていた。「シャンヤンのためだ」などと言いながらも、結局は自分自身のためなのではないかと、激しい憤りさえ感じたほどだ。

 もちろん、シャンヤンも父に反発する。シャンヤンは、自分の人生を自らの手で切り開いて行きたいのに、父の敷いたレールの上を歩んで行かなければならない。シャンヤンが大きくなっても父の態度は変わらず、画家としての自分の理想をシャンヤンにグイグイ押し付けて来る。そして、とうとうシャンヤンの恋愛にさえ手を回し・・・・・・。

 一方、母はアパートに住むことに固執し続けている。夫の仕事の業績により、アパートに住まわせてもらえるのだが、彼女は何が何でもアパートを割り当ててもらいたいらしく、アパートの割り当てが発表される時期に、夫の仕事先にまで乗り込んで行ったりする。やがて、離婚したほうがアパートを割り当ててもらえる確率が高くなることを知り、とうとう偽装離婚までしてしまう。

 息子を画家にすることに固執し続けていた父と、アパートに住むことに固執し続けていた母。「こうでなければならない」という強い想いが、長年、彼らを突き動かしていたのも事実だが、同時に何か大切なものを削ぎ落としながら歩んで来たような気がしてならない。だから最後は、これまで失って来たものを取り戻すために、意外な展開が用意されている。

 親子はどこまで干渉するのが美しいのだろう。この映画の父とシャンヤンのように、干渉され過ぎると嫌悪感を感じてしまう。かといって、まったくの放任主義もいかがなものか。ひまわりは、太陽のほうを向いて育つと聞いたことがある。あのひまわりは、黙っていても、息子のほうをしっかり向いて見守っている、という意味なのだろうか。ちなみに、シャンヤンは向陽と表記するようだ。ということは、シャンヤンの存在が、ひまわりそのものだったということか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ほとんどの作品は、人生のある時期のみがクローズアップされたものが多いですが、こうして一つの家族を三十年間も追い続けて丁寧に描き出す作品もいいですね。つまり、三十年も掛けて、父が自分自身の生き方を見直したということにもなります。画家という特殊な才能を持って生まれただけに、その才能をどうしても活かしたくて、息子の自由意思を奪うような教育をしてしまったのかもしれませんね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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