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2008.12.04

映画『ブーリン家の姉妹』

ホットヨガ(一三〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 一日に何レッスンも受けていらっしゃるフリーパス会員の方たちが、どれだけタフであるかが良くわかりました。ライトコースは体力をほとんど消耗しないコースなのに、汗をたくさんかいてしまったのですから、レッスンを終えてもホットヨガのレッスンがもたらすものは大きいのだということに気付かされました。この先、私が一日に二レッスン以上受けることは、まずないでしょう。(苦笑)

 高校のときの世界史の先生が、
「イギリス国王は、自分の王妃アン・ブリンの首をはねた。ロンドン塔は恐ろしいところ」
と力をこめて教壇で語っていた。それ以来、私の頭には、「王妃アン・ブリン」の名前が強く印象づけられていた。ガンモと二人で出掛けたロンドンでロンドン塔の周辺を歩いたときも、「ここはとても恐ろしい場所なんだ」という先入観がずっと消えずに残っていた。

 だから、映画館でこの映画の予告編を観たときは、「世界史の先生が言っていたアン・ブリンの話に違いない」と思った。映画のタイトルは、ブリンではなくブーリンと伸ばされてはいるが、私は心の中で、ブーリンをブリンに置き換えて解釈していた。そして、予告編を鑑賞した直後から、この映画の公開を待ち望み、一ヶ月ほど前にようやくその想いが叶ったのである。

 実際に鑑賞してみると、とにかく驚きの連続だった。何しろ、「女」を武器にして次々にのしあがって行くブーリン家の愛憎劇が展開されていたからである。しかも、武器となった娘たちは、ブーリン家を仕切っていた叔父や両親に利用されたと言っても過言ではない。男の子の跡継ぎが生まれないイギリス国王の愛妾の座を狙い、まずは姉のアンが国王の気を惹くことになるのだが、最初はうまくことが運んでいるかのように見えてはいるものの、失敗に終わってしまう。そのため、作戦を変更して、今度は結婚していたはずの妹のメアリーが国王の気を惹くことになる。負傷した国王を懸命に介抱したメアリーは、言うまでもなく国王に気に入られ、愛妾に迎えられることになる。そして、当時の風習だったのかもしれないが、ブーリン家は一家揃って宮廷に引っ越して来る。つまり、同じ敷地内に正妻と愛妾が同居したわけである。

 ブーリン家の姉アンの役をナタリー・ポートマンが、妹メアリーの役をスカーレット・ヨハンソンが演じているのだが、この二人の対比が実にいい。もしも逆の配役ならば、決して成り立たなかっただろうと確信できるほど、二人の女優さんの個性がそれぞれに生かされた配役だった。アンは、ブーリン家の武器として利用されながらも、次第に権力への野心を抱いて行く。それに対し、メアリーは権力に対してずっと控えめだった。やがてメアリーは、国王の子供を身ごもることになるのだが、メアリーの妊娠と同期して、国王は再びアンに惹かれるようになり、アンを捨ててメアリーに執心してしまう。

 この姉妹の不思議なところは、互いに因果関係を作り合っているところだ。その度に、どちらかがクローズアップされると、もう片方がマイナーな存在になっている。例えば、アンが国王の気を惹くことに失敗すると、今度はメアリーが気に入られる。メアリーが国王に気に入られたのも、アンが国王の気を惹くことに失敗したからだ。つまり、メアリーが愛される原因をアンが作ったことになる。メアリーが妊娠したときにアンに光が差したのは、妊婦では国王の床の相手ができないからなのだろうか。あれほど跡継ぎの誕生が望まれていたにもかかわらず、メアリーが男の子を産んでも、もはや国王の気持ちはアンに傾いてしまっていたのだから、人生とは皮肉なものである。

 それでも私には、国王は、メアリーとは心の底から通じ合っていたようにも思えた。ベッドを共にするときに、国王とメアリーは確かに互いの心の底にあった何かを共有している。多くの男女が、男女としての終わりを迎えると、心の結び付きまで失ってしまうのに対し、国王とメアリーは根底に友情を残していた。アンに操られていた国王は、自分が本当に求めるべき大切な存在を見失ってしまったのではないだろうか。

 先日、一緒に食事をした映画好きのライブ仲間のお友達が、映画『エリザベス:ゴールデン・エイジ』の中でスコットランド女王メアリーが、自分のほうが正統なイギリス王位継承者であるというような表現があったが、この映画を観て、その意味がようやくわかったと言っていた。つまり、メアリーという名前が同じなのでややこしいのだが、スコットランド女王メアリーとは、アンが王妃になる前の最初の王妃だったキャサリンと国王の間に生まれた王女だったのだ。そして、ゴールデン・エイジを築いたエリザベスI世とは、アンが生んだ王女だったのである。

 映画『エリザベス:ゴールデン・エイジ』のときも感じたが、権力を持っている人はどこか寂しそうだ。あの寂しさは、対等に話ができる人がいないからなのだろうか。ブーリン家も含め、権力を求めて奔走する人たちは、その先に深い孤独が待っていることを知らずにいるようだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 英国王室は、昔からいろいろあったのですね。(苦笑)それにしても、欲望と欲望は結び付きやすいのでしょうか。娘を武器にして権力を得ようとするブーリン家の人たちの欲望と、跡継ぎが欲しいという国王の欲望が結び付いた物語であると言えます。しかし、互いに利用する関係であるだけに、愛と違って、役目が終わったり、困難なことにぶち当たったりすると、持続できなくなってしまうようです。うまく行かなくなるとクルクルと環境を変えて行くのではなく、一人の人ととことん向き合いながら関わって行くことの大切さを思い知らされますね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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