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2008.11.27

映画『まぼろしの邪馬台国』

向こう半年間予約済み(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 同じ職場の女性から、女性ホルモンの分泌を抑制する注射を打つと、ホットフラッシュの症状が辛いと聞いていたので、「注射をすると、ホットフラッシュの症状が心配なんです」と、注射に対して消極的な姿勢であることをI医師に示しました。するとI医師は、私がその注射を打ってもらったこともないのに、単に知識だけで先入観を持ってはいけないとおっしゃいました。少なくともI医師の患者さんの中では、ホットフラッシュがそれほど辛いとおっしゃる患者さんはいらっしゃらないそうです。果たして、本当なのでしょうかね?

 この映画の前売券を購入したのは、九月のことだったろうか。映画を鑑賞したい気持ちがあったものの、手持ちの前売券がなかったので、金券ショップをのぞいてみたところ、この映画の前売券がわずか八百円で売られていたのである。そのときの私は、この映画が公開されることも、昭和四十年代に邪馬台国ブームが沸き起こっていたことも知らなかった。つまり、この映画に対して何の予備知識もないのに、ただ前売券が格安であるという理由だけで、八百円の前売券を財布の中で二ヶ月も温め続けていたのである。

 実際にこの映画を鑑賞したのは、この映画が公開されてから一週間ほど経った頃だった。映画館に入場してみると、まず、観客の年齢層がやけに高いことに驚いた。何故、これほどまでに年齢層が高いのか、その時点では良くわからなかったのだが、映画を鑑賞したあとに映画サイトを参照してみてようやく、昭和四十年代の邪馬台国ブームの存在を知ったというわけだ。

 私は、『まぼろしの邪馬台国』の著者である宮崎康平氏を知らない。しかし、彼が社長を務めていたとされる島原鉄道は、およそ一年前に乗り潰した。映画の中にも登場するが、島原鉄道は、災害により、何度も何度も線路を修復している。この映画の中では水害が取り上げられているが、のちに発生した雲仙・普賢岳の噴火においても、島原鉄道は大きなダメージを受けている。

 島原のことを思うと、「がまだす」という言葉を思い出す。「がまだす」とは、「頑張る」を意味する島原地方の方言である。竹中直人さん演じる盲目の康平も、かつて邪馬台国のあった場所を探すために一生懸命がまだしていた。康平と一緒にがまだしていたのは、吉永小百合さん演じる内縁の妻和子である。吉永小百合さんは、一歩下がったところで男性をサポートする、古き良き時代の女性の役を演じるのが実に上手い。一方、康平は、会社においても家庭においてもワンマンぶりを発揮している。それでも、和子だけは文句を言わずに「はいはい」と着いて行く。

 実は、和子を内縁の妻と書いたのは、康平には戸籍上の妻が存在していたからだ。しかしその妻は、小さな子供たちを置いて出て行ってしまった。そのことに関しては、この映画の終わりのほうに、とても感動的なシーンが用意されている。そのシーンを目にしたとき、私は細木数子さんじゃないが、「殺す相性もあれば、生かす相性もある」と実感したものだ。

 殺す相性というのは、一緒にいることでお互いに息苦しさを感じたり、離れることでお互いが楽になれる相性なのだろう。しかし、生かす相性というのはその反対で、第三者から見れば苦労ばかりのように映って見えても、当人同士はとても楽しく感じていたり、むしろ離れてしまうことのほうがお互いにとって辛い相性なのだろう。おそらく康平にとって、戸籍上の妻は前者で、和子は後者だったのではないだろうか。その証拠に、和子は康平から、もっとも康平らしさと言えるものを惜しみなく引き出した。また、和子はあたかも康平色に染まったかのように描かれてはいるが、実際のところ、和子もまた、康平によって、もっと和子らしさと言えるものを惜しみなく引き出されたのではないだろうか。

 邪馬台国を探すために、二人がお弁当を持って九州のあちらこちらに出掛けて行くシーンが実にいい。人間が二人寄れば、必ずしも意志を一つにできるわけではない。身近なところでは、テレビのチャンネル争いがいい例だ。夫があの番組を見たいと言うと、妻はこの番組が見たいと言い張る。だから、お互いの自由意思を尊重するために、テレビを二台用意することで解決しようとする。しかし、康平と和子はそうではなかった。盲目の康平が行きたいと思う場所に、和子も喜んで同行した。二人で同じ目的を持ち、同じ景色を見ることに喜びを感じていた。年齢を重ねれば重ねるほど、互いに別々の意志を持ちたがるのに、康平と和子は違ったのだ。

 この映画の観客の年齢層が高いのは、単に昭和四十年代の邪馬台国ブームだけが原因ではないように思う。年を重ねて互いに別々の意志を持ち始めた老夫婦が、もう一度、同じ意志を持つことを夢見て、映画館を訪れているではないだろうか。康平と和子の邪馬台国探しプロジェクトに、夫婦二人三脚としての理想の姿を見い出そうとしているのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 決して大きな山場や感情の波を体験できるような作品ではないのですが、意志を一つにできる夫婦の素晴らしさをじわじわと実感できる作品だと思います。こういう夫婦は、夫婦喧嘩のシーンにさえも、愛を感じますね。何故なら、例えネガティヴな感情をぶつけ合ったとしても、直ちに忘却が行われているからです。相手を傷つけることが目的でない、互いに心の底からの本音をぶつけ合う喧嘩は、決して陰湿なものには発展しません。だから、喧嘩をすれば、その人が本当は誰を愛しているのかが良くわかります。自分のことしか愛していない場合は陰湿な喧嘩に発展し、相手のことをちゃんと愛している場合は直ちに忘却が起こりますね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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