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2008年11月

2008.11.30

きたやまおさむ レクチャー&ミュージック ~戦争を知らない子供たちとその子供たちへ~(後編)

きたやまおさむ レクチャー&ミュージック ~戦争を知らない子供たちとその子供たちへ~(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m きたやまおさむさんのレクチャー&ミュージックということで、きたやまおさむさんの音楽をリアルタイムで聴かれていた方たちもたくさん集まっていらっしゃいました。いろいろなコンサートに足を運んでいると、そこに集まって来る人たちが醸し出す会場の雰囲気も違っていることに気付きます。会場内は、とても落ち着きのある雰囲気が漂っていました。

 コンサートが始まって、最初に歌を披露してくださったのは、杉田二郎さんだった。やはり一曲目は、きたやまおさむさんが作詞された『戦争を知らない子供たち』である。杉田二郎さんはこの曲を歌い続ける者としての責任を、きたやまおさむさんはこの曲を作詞した者としての責任を感じていらっしゃるようだ。しかし、きたやまおさむさんにしてみれば、歌詞を振り返ってみると、今となっては恥ずかしく感じてしまう表現もいくつかあるようだ。

 杉田二郎さんは、沖縄が返還されて間もない頃に、沖縄でコンサートを行う機会があったそうだ。そのとき、この曲を沖縄の人たちの前で歌う勇気は断じてないと感じていたので、本編の選曲からは外してしまったという。しかし、アンコールのときに、やはりこの曲を歌うしかないと思い、半ば導かれるようにこの曲を歌い始めたところ、会場で大合唱となり、感極まったそうだ。確かこの話は、ずっと以前にも、テレビ番組の対談で耳にしたことのある話だ。おそらく奇跡が起きるときは、磁場が違って来るのだろう。落ち着いた気持ちで、まるで何かに導かれるように選択し、スムーズに流れて行くものだ。

 年を重ねると物忘れがひどく激しくなるという話になり、杉田二郎さんは、きたやまおさむさんの還暦コンサートのときに聞かせてくださった、後部座席に座ってエンジンをかけようとしてしまった話を再び聞かせてくださった。こうして同じ話を何度も聞かせてくださるのは、それだけ杉田二郎さんの心の中に強く焼き付いた出来事だからなのだろう。きたやまおさむさんもまた、普段持ち歩いているものをチェーンで繋ぐなどして、忘れものをしないように心掛けていらっしゃるそうだ。そんなお二人は、MCのときに言葉がなかなか出て来ないのか、「あー」とか「えー」とか言いながら何度も言葉を詰まらせ、言葉を探して考え込む姿がしばしば見受けられた。お二人からは、伝えたいことがたくさんあるのに、言葉がなかなか出て来ないもどかしさを感じた。

 それにしても、ガンモはまだ会場に現れない。ガンモの身の上に何があったのだろうか。雨が降っていたので、まさか、事故などに巻き込まれていなければいいのだが・・・・・・。ステージの上では興味深いレクチャー&ミュージックが繰り広げられているというのに、ガンモが来ないとなると、私もコンサートになかなか集中できない。コンサートが始まってから、遅れてやって来た何人かの人たちが、会場の案内係の人に誘導されて入場して来た。しかし、ガンモは現れなかった。

 開演して二十分ほど経過した頃だろうか。ようやくガンモが案内係の人に誘導されて入場して来た。遅れてやって来たガンモは、申し訳なくも、今回、一緒にコンサートに参加されている方たちに通路を空けていただきながら、私の席の隣にやって来た。

 一体どうしたのかとガンモに小声で尋ねてみると、
「十七時からだと思ってた。ロビーに誰もいないからびっくりした」
と言うではないか。どうやら私が出掛ける前に、
「今日のコンサートは十六時からだから、間違えないで遅れないように来てよ」
と念を押したことを寝ぼけ眼で聞いていたらしい。ガンモの耳には、いつもの十八時よりは早い開演時間という印象だけが残っていたようだ。ガンモの財布の中に入れておいたチケットを確認すれば、そこに開演時間が書いてあるはずなのに、ガンモは十七時開演だと勝手に思い込み、開演時間を確認しなかったらしい。

 そして、私が一生懸命電話を掛けていたときは、徹夜明けの翌日の仕事疲れのため、まだベッドの中に居たと言う。ただ、開演直前に発信した電話やメールについては、移動中で雑踏の中にいたため、気付かなかったようだ。ガンモの到着で私はようやく安堵し、コンサートに集中できるようになった。

 杉田二郎さんの演奏が終わると、まるで宝塚の公演のようにいったん休憩が入り、再び幕が開いたときには松崎博彦さんが登場した。松崎博彦さんは関西出身のスキンヘッドのミュージシャンである。松崎博彦さんは、『花嫁』や『戦争を知らない子供たち'83』などを含む数曲を披露してくださった。

 松崎博彦さんの演奏のあとは、再び杉田二郎さんときたやまおさむさんがステージに登場した。お二人の掛け合いが妙におかしい。お二人は、長年に渡る音楽仲間ではあるものの、正直言って、本当に息が合っているのかどうかは良くわからないところがある。というのも、例え音楽という世界においては持ちつ持たれつの間柄であったとしても、お二人の精神面の構造はまったく異なっているように見えたからだ。例えば、きたやまおさむさんの研究分野に話が及ぶと、杉田二郎さんはきょとんとした顔をされている。私には、きたやまおさむさんのお話が大変興味深く、熱心に耳を傾けていた。あまり正確ではないかもしれないが、その内容を少しだけお伝えしよう。

 現在、きたやまおさむさんは、本を執筆中なのだそうだ。その本の内容について、少しだけ話してくださった。それによれば、日本は先進国であるにもかかわらず、自殺の多い国なのだそうだ。その理由を、きたやまおさむさんはまず、京都の人の「すみません」の文化を取り上げて説明されていた。簡単に言えば、京都の人は、何かあると「すみません」と謝りながら自分の言い分を引っ込めてしまう習性があるとおっしゃった。それに対し、京都以外の地域で生活していた松崎博彦さんは、京都の人は、言葉では「すみません」と言いながらも、心の中は必ずしも「すみません」という気持ちだけではなく、相手を少し見下しているような部分もあると、京都の持つ二面性を指摘された。それに対し、きたやまおさむさんも、ある程度は同意されていたように思う。

 また、きたやまおさむさんは、日本人に自殺が多いことの理由として、自分の正体が周りにわかってしまうと、美しく消えたがる傾向があるとおっしゃった。例えばそれは、『夕鶴』の中にも現れているという。「おつう」は、自分が鶴であることを「よひょう」に知られてしまうと、「よひょう」を残して姿を消してしまった。しかしそうではなく、「おつう」は自分が鶴であることを「よひょう」に知られたとしても、そこに居座り続けても良かったのではないかときたやまおさむさんはおっしゃった。そうすることで、これまで鶴であることを犠牲にして、「おつう」に機を織らせ続けたという「よひょう」の罪悪感を継続させることにもなるとおっしゃった。

 そもそも罪悪感とは、愛する人を苦しませてしまったことへの後悔の気持ち(きたやまおさむさんがおっしゃったこととは、多少、ニュアンスが異なるかもしれない)なのだそうだ。「おつう」が鶴であることが「よひょう」にわかってしまったとしても、「よひょう」の前から消えることなく、そこに居座り続ければ、「よひょう」は罪悪感を感じ続けることになり、人間としての学びが一層深くなるというようなことをおっしゃった。つまり、人間としてしぶとく生き続けることを推奨されていたのだ。

 これに対し、外国の童話などでは、カエルが王子様に変わったり、野獣が王子様に変わったりする。それは、外国の人たちが愛の奇跡を信じているからだときたやまおさむさんはおっしゃった。日本人は愛の奇跡を信じていないので、自分の正体が知れてしまうとその場からいなくなろうとする傾向にあると分析されていた。大変興味深い話である。そして、しぶとく生き続けること、何年も何年も掛けてこの世に居座り続け、死んで行くことを推奨されていた。そのような習慣を作り上げて行くことで、日本の自殺者は減って行くだろうときたやまおさむさんはおっしゃった。

 このような話を、杉田二郎さんを相手に、言葉を選びながら熱弁してくださったのだが、ときどき杉田二郎さんがきょとんとした顔をされているので、杉田二郎さんにご自分の伝えたいことがきちんと伝わっているのかどうか、とても不安に感じていらっしゃるようだった。しかし、何ヶ月も掛けて書いている本の内容を、わずか数十分で話そうとしているのだから無理もなかったと、あとから反省されていた。

 さすが大学教授というだけあって、きたやまおさむさんのレクチャーはとても奥が深い。言い換えれば、きたやまおさむさんは、音楽以外の分野で自分の中から溢れ出て来るものをとうとう抑え切れず、大学教授という道を選んだのではないだろうか。

 これからも、一年に一度はこのような公演を催されるときたやまおさむさんはおっしゃった。大変興味深いお話と、昔からの馴染みの人たちと一緒に繰り広げられる懐かしい音楽。こうしてきたやまおさむさんのレクチャー&ミュージックは、大満足のうちに幕を閉じたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m きたやまおさむさんの思いを私が受け取り、自分の言葉でここに書かせていただいたので、実際にきたやまおさむさんが使われた言葉とは、多少、ニュアンスが異なっているかもしれません。そのあたりの誤差はどうかお許しください。今回の公演では何と、『戦争を知らない子供たち』を三回も生で聴くことができました。杉田二郎さんも、きたやまおさむさんも、この曲をそれくらい重く受け止め、責任を負っていらっしゃるのだなあと感じました。この曲を聴くすべての子供たちが、『戦争を知らない子供たち』であって欲しいという強い願いがこめられているのだと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.11.29

きたやまおさむ レクチャー&ミュージック ~戦争を知らない子供たちとその子供たちへ~(前編)

ホットヨガ(一二八回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m YouTubeには、役に立つ動画がたくさんありますね。ヨガのポーズの動画もいろいろあるようですので、これからも、記事の中で少しずつご紹介させていただこうと思っています。英語の解説付きのヨガの動画もありますので、英語のリスニングの学習にもなり、一石二鳥かもしれません。(笑)それを考えると、ずいぶん画期的な世の中になりましたね。

 ライブ仲間のお友達とは、本格インドカレーのランチをご一緒しながら、映画や旅行の話などで大いに盛り上がった。冷静に考えてみると、私の周りには、いくつもの映画の感想を語り合うことのできる友人や、楽しく旅行の話ができる友人はほとんどいないことに気が付いた。どちらかと言うと、映画もほとんど鑑賞しないし、旅行にも出掛けないという人が多い。もちろん、ブログや旅行記を通して、インターネット上での交流は存在しているにしても、インターネットという情報過多で速い時間の流れの中では、一つの映画や一つの旅行記の内容をとことん掘り下げて語り合うところまでは実現できていなかった。特に、一つの映画を取り上げてとことん感想を語り合うことは、作品への理解をより深めるためにも、とても重要なことであると痛感した。話をしているうちに、素通りしてしまったいくつものシーンが蘇り、それらが関連性を持って繋がるとき、あたかもジグソーパズルのピースが埋まるかのような達成感を得られるのだ。少々大袈裟かもしれないが、大いなるものを前にして、自分自身がジグソーパズルのピースであるかのようにも思えて来る。私たちは、他者との交流を深めることで、自分自身が何者であるかを知ることになっているのかもしれない。

 楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうもので、時計を見ると、あと数十分でコンサートが始まる時間になっていた。インド料理のお店も、いったんお店を閉める時間だというので、私たちは慌ててお店を飛び出した。

 今回、参加したのは、きたやまおさむさんのコンサートである。きたやまおさむさんと言えば、二年九ヶ月前にも、還暦コンサートに参加している。ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーとして知られるきたやまおさむさんは、ヒット曲『帰ってきたヨッパライ』の中で、「なあおまえ、天国ちゅうとこはそんなにあまいもんやおまへんにゃ。もっとまじめにやれ」というような語りを入れている人である。かつてはミュージシャンや作詞家として活動されていたきたやまおさむさんだが、現在は九州大学で人間共生システム心理臨床学の教授を務めていらっしゃる。

 コンサートの開始時間が十六時からに設定されているのは、おそらく、九州大学で大学教授を務めるきたやまおさむさんが、コンサートを終えたあと、福岡まで移動されるためだと思われる。ガンモには十六時開演と伝えておいたものの、遅れずにちゃんと来るだろうかと心配になり、私はガンモの携帯電話に電話を掛けてみた。ところが、呼び出し音は鳴るものの、ガンモはなかなか電話に出ない。もしかすると、既に大阪の雑踏の中にいるために、携帯電話の呼び出し音が聞こえないだけかもしれない。出掛けて来るときに、コンサートのチケットをガンモの財布の中に入れておいたので、財布さえ忘れなければ、ガンモは会場に直接来るはずだ。私はそう自分に言い聞かせて、会場へと向かったのである。

 会場は、この十一月に生まれ変わったばかりのサンケイホールブリーゼだった。会場のあるビルに着いてみると、真新しいビルの中におしゃれなお店がいくつもあり、たくさんの人たちが行き交っていた。ほとんどのコンサート会場は、地上一階から始まるものだが、何とサンケイホールブリーゼは、ビルの七階にあった。

 間もなくコンサートが始まる時間になったので、私たちはトイレを済ませたあと、会場の中に入ることにした。会場に入る前も、そして、会場に入ってからも、私はガンモに何度も何度も電話を掛けていたのだが、やはりガンモは電話に出なかった。ガンモに一体何があったのだろうか。今回、一緒にコンサートを見ることになっている、ライブ仲間のお友達の更なるお友達の皆さんも次々に到着されたが、ガンモの電話は繋がらず、会場にも現れなかった。一緒にコンサートを見ることになっている皆さんもガンモがなかなか会場に来ないので心配してくださっていた。こうして不安な気持ちを抱えたまま、とうとうコンサートの開演時間を迎えてしまったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 記事が長くなってしまいますので、今回も記事を二回に分けて書かせていただくことにします。きたやまおさむさんがミュージシャンとして活動されていたのは、確か一九六〇年代の終わり頃から一九七〇年代のはじめ頃だったと記憶しています。その頃の私は、まだ幼稚園か、ようやく小学校に上がったくらいの年齢ですので、決してリアルタイム世代ではありません。(苦笑)しかし、当時の音楽の素晴らしさを伝えてくださる方たちにより、リアルタイム世代でなくても一九七〇年代フォークを耳にする機会に恵まれました。十年ひと昔と言われる通り、年齢が十歳も違えば、見て来たことも体験して来たことも違う世の中ではありますが、時代の橋渡しをしてくださる方がいらっしゃることで、世代を超えて接点を持つことができるものなのですね。もしかすると、「ガンまる日記」を読んでくださっている方たちの中には、私よりももっともっと若い世代の方もいらっしゃるかもしれませんが、次回、私が綴る記事も、時代の橋渡し的な内容になればいいなと思っています。

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2008.11.28

ホットヨガ(一二八回目)

映画『まぼろしの邪馬台国』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。康平は、他の人から見れば、とても気難しい人に見えていたのではないでしょうか。周りの人たちは、そんな康平に対し、一歩踏み込めない不自由さを感じていたのかもしれません。しかし、和子にとっての康平は、決して気難しい存在ではなかったのでしょう。トランプのゲームで、ほとんどのカードに対してはジョーカーが最も強いのに、特定のカードにだけはかなわないルールがありましたよね。康平と和子もそんな関係だったのではないかと勝手に想像しています。

 三連休の最終日は、梅田店でホットヨガのレッスンを受けた。わざわざ大阪まで出掛けたのは、この日の夕方、ガンモと一緒に大阪でコンサートに参加する予定を立てていたからだ。前日の昼過ぎまで、徹夜の仕事をこなしていたガンモは、私が出掛けるときもまだベッドで寝ていた。私はコンサートのチケットをガンモの財布の中に収めると、
「今日のコンサートは十六時からだから、間違えないで遅れないように来てよ」
とささやいて家を出た。ガンモは目を閉じたまま、
「うん」
と答えた。

 直前までもたもたしていたせいか、家を出るのがすっかり遅くなってしまった。しかも、最寄駅に着いたときには、運悪く一つ前の列車が発車したあとだった。次の列車に乗るとしたら、遅刻はほぼ確実である。何しろ、大阪駅からホットヨガ梅田店までは、歩いて十分以上掛かるのだ。大阪駅に着いたら、タクシーに乗ったほうがいいのだろうか。梅田店のスタジオは、毎日放送のすぐ近くなので、近場の利用といえども、「毎日放送までお願いします」と言ってしまえば、大阪のタクシーの運転手さんも文句を言わずにしぶしぶ運んでくださるかもしれない。しかし、混雑した道路をタクシーで走るよりは、早歩きで向かったほうが早いのではないだろうか。それに、大阪駅からタクシーに乗るとしたら、タクシー乗り場を探すことから始めなければならないだろう。その時間がもったいない。いろいろと考えた末に、私は大阪駅に着くや否や、これまで何度も歩いた道をできる限り早歩きで歩き始めた。できれば思い切って走りたいところだが、大きな筋腫を抱えている身体では、十数メートル走っただけで力尽きてしまうのだ。

 結局、梅田店に着いたのはレッスン開始の三分後だった。レッスンが開始されてから十分経ってしまうと、もはやスタジオには入れなくなってしまうので、私は大急ぎで支度を整え、スタジオに滑り込んだ。スタジオ内に設置された時計を見ると、レッスンが開始されてからちょうど十分経っていた。ギリギリセーフである。ちなみに今回、参加したレッスンは、七十五分のパワーアクティヴコースである。

 いつものように、梅田店の横長のスタジオには、男女がひしめき合いながら前後に並んでいた。二十人近い参加者のうち、男性会員は四人だった。これまで参加して来たレッスンでは、男性会員は二人程度の参加だったので、今回のように四人も参加されているのは多いほうだと思う。

 私がスタジオに入ったとき、既に足首をほぐすストレッチに入っていた。私はいつも、首の凝りをほぐすストレッチを丁寧に行うのだが、今回は遅刻してしまったために、首の凝りをほぐすストレッチをパスしてしまったので、手を使って足首をほぐしながらも、一緒に首も回していた。

 ストレッチが終わり、いよいよ本格的なポーズを取り始めると、どういうわけか、いつもよりもたくさんの汗が出て来た。身体を少し動かしただけでも、汗がタラタラと落ちて来る。そろそろ生理が近いので、身体は水分を溜め込もうとしているはずだが、今回のレッスンでは、とにかく恥ずかしいくらいに汗が噴き出していた。

 久し振りに受ける七十五分のアクティヴコースのレッスンは、目新しいポーズに溢れていた。そんな中でも、かつての脂肪燃焼コース2のレッスンのときにお馴染みだった太陽礼拝のポーズがやけに懐かしかった。

太陽礼拝のポーズ by YouTube

 七十五分のパワーアクティヴコースのレッスンと言えば、レッスンが開設された頃に参加して、挫折してしまったほどハードなレッスンである。それだけに、レッスンの後半ともなると、私の息はかなり荒くなっていた。他のレッスンに比べて男性会員が多いのは、彼らが肉体に対し、より強い刺激を求めているからなのかもしれない。

 久し振りにたくさんの汗をかいた私は、七十五分のレッスンが終わると、シャワールームになだれ込んだ。レッスンのときに着ていたTシャツを脱いで絞ってみると、Tシャツが吸い込んだ汗がじんわりとにじみ出て来た。やはり、七十五分のパワーアクティヴコースのレッスンはハードだ。しかし、いつもよりも体調が良かったのか、挫折するほど落ち込みはしなかった。

 シャワーを浴びたあと、着替えを済ませて梅田店のスタジオを出ると、雨が降っていた。これから数時間後にコンサートが行われるというのに残念なことである。私は、今回のコンサートにお誘いくださったライブ仲間のお友達とランチをご一緒する約束をしていたので、傘をさして待ち合わせ場所へと向かった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 残念ながら、梅田店のスタジオに転勤になったという京都四条通店のインストラクターには会うことはできませんでした。これからもちょくちょく梅田店には顔を出す予定ではありますが、やはり大阪駅から遠いのが難点ですね。今回のように、家を出るのが遅くなってしまうと、やきもきしてしまいます。梅田店のスタジオでレッスンを受けるときは、家を早めに出ることを心掛けなければなりません。

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2008.11.27

映画『まぼろしの邪馬台国』

向こう半年間予約済み(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 同じ職場の女性から、女性ホルモンの分泌を抑制する注射を打つと、ホットフラッシュの症状が辛いと聞いていたので、「注射をすると、ホットフラッシュの症状が心配なんです」と、注射に対して消極的な姿勢であることをI医師に示しました。するとI医師は、私がその注射を打ってもらったこともないのに、単に知識だけで先入観を持ってはいけないとおっしゃいました。少なくともI医師の患者さんの中では、ホットフラッシュがそれほど辛いとおっしゃる患者さんはいらっしゃらないそうです。果たして、本当なのでしょうかね?

 この映画の前売券を購入したのは、九月のことだったろうか。映画を鑑賞したい気持ちがあったものの、手持ちの前売券がなかったので、金券ショップをのぞいてみたところ、この映画の前売券がわずか八百円で売られていたのである。そのときの私は、この映画が公開されることも、昭和四十年代に邪馬台国ブームが沸き起こっていたことも知らなかった。つまり、この映画に対して何の予備知識もないのに、ただ前売券が格安であるという理由だけで、八百円の前売券を財布の中で二ヶ月も温め続けていたのである。

 実際にこの映画を鑑賞したのは、この映画が公開されてから一週間ほど経った頃だった。映画館に入場してみると、まず、観客の年齢層がやけに高いことに驚いた。何故、これほどまでに年齢層が高いのか、その時点では良くわからなかったのだが、映画を鑑賞したあとに映画サイトを参照してみてようやく、昭和四十年代の邪馬台国ブームの存在を知ったというわけだ。

 私は、『まぼろしの邪馬台国』の著者である宮崎康平氏を知らない。しかし、彼が社長を務めていたとされる島原鉄道は、およそ一年前に乗り潰した。映画の中にも登場するが、島原鉄道は、災害により、何度も何度も線路を修復している。この映画の中では水害が取り上げられているが、のちに発生した雲仙・普賢岳の噴火においても、島原鉄道は大きなダメージを受けている。

 島原のことを思うと、「がまだす」という言葉を思い出す。「がまだす」とは、「頑張る」を意味する島原地方の方言である。竹中直人さん演じる盲目の康平も、かつて邪馬台国のあった場所を探すために一生懸命がまだしていた。康平と一緒にがまだしていたのは、吉永小百合さん演じる内縁の妻和子である。吉永小百合さんは、一歩下がったところで男性をサポートする、古き良き時代の女性の役を演じるのが実に上手い。一方、康平は、会社においても家庭においてもワンマンぶりを発揮している。それでも、和子だけは文句を言わずに「はいはい」と着いて行く。

 実は、和子を内縁の妻と書いたのは、康平には戸籍上の妻が存在していたからだ。しかしその妻は、小さな子供たちを置いて出て行ってしまった。そのことに関しては、この映画の終わりのほうに、とても感動的なシーンが用意されている。そのシーンを目にしたとき、私は細木数子さんじゃないが、「殺す相性もあれば、生かす相性もある」と実感したものだ。

 殺す相性というのは、一緒にいることでお互いに息苦しさを感じたり、離れることでお互いが楽になれる相性なのだろう。しかし、生かす相性というのはその反対で、第三者から見れば苦労ばかりのように映って見えても、当人同士はとても楽しく感じていたり、むしろ離れてしまうことのほうがお互いにとって辛い相性なのだろう。おそらく康平にとって、戸籍上の妻は前者で、和子は後者だったのではないだろうか。その証拠に、和子は康平から、もっとも康平らしさと言えるものを惜しみなく引き出した。また、和子はあたかも康平色に染まったかのように描かれてはいるが、実際のところ、和子もまた、康平によって、もっと和子らしさと言えるものを惜しみなく引き出されたのではないだろうか。

 邪馬台国を探すために、二人がお弁当を持って九州のあちらこちらに出掛けて行くシーンが実にいい。人間が二人寄れば、必ずしも意志を一つにできるわけではない。身近なところでは、テレビのチャンネル争いがいい例だ。夫があの番組を見たいと言うと、妻はこの番組が見たいと言い張る。だから、お互いの自由意思を尊重するために、テレビを二台用意することで解決しようとする。しかし、康平と和子はそうではなかった。盲目の康平が行きたいと思う場所に、和子も喜んで同行した。二人で同じ目的を持ち、同じ景色を見ることに喜びを感じていた。年齢を重ねれば重ねるほど、互いに別々の意志を持ちたがるのに、康平と和子は違ったのだ。

 この映画の観客の年齢層が高いのは、単に昭和四十年代の邪馬台国ブームだけが原因ではないように思う。年を重ねて互いに別々の意志を持ち始めた老夫婦が、もう一度、同じ意志を持つことを夢見て、映画館を訪れているではないだろうか。康平と和子の邪馬台国探しプロジェクトに、夫婦二人三脚としての理想の姿を見い出そうとしているのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 決して大きな山場や感情の波を体験できるような作品ではないのですが、意志を一つにできる夫婦の素晴らしさをじわじわと実感できる作品だと思います。こういう夫婦は、夫婦喧嘩のシーンにさえも、愛を感じますね。何故なら、例えネガティヴな感情をぶつけ合ったとしても、直ちに忘却が行われているからです。相手を傷つけることが目的でない、互いに心の底からの本音をぶつけ合う喧嘩は、決して陰湿なものには発展しません。だから、喧嘩をすれば、その人が本当は誰を愛しているのかが良くわかります。自分のことしか愛していない場合は陰湿な喧嘩に発展し、相手のことをちゃんと愛している場合は直ちに忘却が起こりますね。

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2008.11.26

向こう半年間予約済み(後編)

向こう半年間予約済み(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これまでお世話になっていた病院では、エコーの診察結果は、毎回、誤差だらけでした。その誤差に、小さくなった、大きくなったと、一喜一憂していたのを覚えています。同じ医師でも、時にはお腹の上からエコーを取ったり、膣の中から撮ったりしていましたので、誤差が生じてしまうのも無理はありません。私のように筋腫が多いと、膣の中からは計り難いそうです。そのため、エコーは誤差が生じ易いものと思っていました。しかし、限りなく正確に計算する方法もあったのですね。

 I医師の手術の予約が向こう半年間までいっぱいだということは、産婦人科の医師不足の影響もあるようだ。ここのところ、妊婦さんが救急車で運ばれても、受け入れ可能な病院が少ないいことが大きな問題になっている。I医師は、産婦人科が医師不足に陥っている実情に対し、もともと産婦人科を希望されるのは女医さんが多いことを理由に挙げられた。I医師の話によれば、国家試験を受ける段階では、まだ何科の医師になるかは決まっていないという。何科の医師になるのかは、国家試験に受かり、医師の免許を獲得したあとに、自分の希望により決めるのだそうだ。言い換えれば、医師の免許があれば、何科の医師になっても良いということだ。ただ、特殊な技術を必要とする場合は、他の資格も一緒に必要になるそうだ。そう言えば、私もかつて、医師になりたての女医さんから同じような話しを聞いたことがある。彼女は大きな病院の医師になったが、しばらくは何科の医師になるかが決まっていなかった。

 もともと産婦人科医を目指すのは女医さんが多いものの、産婦人科医の仕事は皮膚科などのように決められた診療時間に収まり切るようなものではなく、宿直もあったり、手術をしなければならなかったりと大変ハードなため、妊娠・出産をきっかけにして退職される女医さんが多いのだそうだ。そのため、産婦人科は医師不足の状態に陥り、過酷な条件の中で残って行くのは男性医師ばかりだとI医師は言う。私はI医師の話を聞きながら、「なるほど!」と思ったものだ。診察に来て、このような話をうかがうのも楽しい。手術を受けてしまえば、私は大きな筋腫を抱えているという問題からは解放されるが、I医師とこのような時間を持てなくなってしまう。それはちょっぴり寂しい。

 やがてI医師は話を元に戻し、
「では、次回のときにまたMRIを撮りましょうか」
とおっしゃった。そして、次回の診察の予約を一ヶ月後にするか二ヶ月後にするか尋ねられたのだが、私は二ヵ月後で良いと答えた。するとI医師は、
「それから手術を決めるとしたら、七月やで?」
とおっしゃった。現時点で手術の予約をしたとしたら、五月なのだから、二ヵ月後に予約するとなると、七月になってしまうというわけだ。私は、
「はい、それでかまいません」
と答えた。I医師は、
「もし、もっと早い時期に開腹手術を受けたいというのであれば、紹介状を書きますよ」
と言ってくださったが、私はぶるんぶるんと首を横に振り、
「いえ、それは結構です」
と答えた。せっかくI医師に診ていただいているのに、手術を早めたいだけの理由で他の医師のお世話になることなど、現時点では考えられなかった。

 いつまでも手術を渋り続ける私に対し、I医師は、
「まあ、そう言っていられるのも、時間の問題だとは思いますけど」
とおっしゃった。確かにI医師のおっしゃる通りで、私自身も、もはや大きくなり過ぎたお腹を持て余していると言っても過言ではない。特に顕著なのは、ホットヨガのレッスンで前かがみになったときである。脂肪ではなく、固いものがお腹を占めているのがはっきりとわかる。その固いものが邪魔になり、前屈に支障があるのも事実である。

 私が手術に対し、まだまだ消極的な姿勢を見せるので、I医師は、
「じゃあ、MRIの結果を見てから決めましょうか」
と言ってくださった。そして、いつものように二か月分の漢方薬を処方してくださり、診察が終わった。私はI医師に御礼を述べて、二ヵ月後にMRIと診察の予約を入れて病院をあとにした。

 それにしても、手術を受ける時期を決めるのに、また悩んでしまう。手術を含めて一ヶ月、仕事を休むことを考えると、手術を受けるのだとしたら、できる限り休みの多い月を選びたい。今すぐ手術を決断して段取りを組めば、五月には手術を受けられる。その頃はゴールデンウィークがあるはずだ。しかし、来年一月にMRIを受けてから手術を決断するとなると、実際に手術を受けられるのは七月だ。七月というと、夏休みを目前に控えてはいるものの、できれば夏休みはどこかに出掛けたいので、手術で潰してしまいたくない。あれやこれやといろいろな思いが頭を駆け巡る。

 そう考えると、やはり年末に手術を受けるという当初の選択は、ベストな選択だったのだ。しかし、その流れには乗らなかった。となると、一年後の年末に手術を受けるのか? いやいや、おそらく、現在の私の状況からすると、手術を一年も先延ばしにはできないだろう。しかし、そもそも私は、これからもまだまだ働き続けるつもりなのだろうか? 確かに、技術者として自分の限界を見てみたい気もするが、落ちぶれて行くよりも、美しいうちに散っておきたい気持ちも、最近になってようやくわかるようになって来た。

 ああ、考えがまとまらない。どうやら自分の希望がはっきりしないために、もやもやした現状を引き寄せてしまうようだ。自分の中に、はっきりと思い描く未来がないことが問題なのだ。できれば切りたくない気持ちが先立つと、自分が本当はどうしたいのかがわからなくなってしまう。こういうときは、まだ決断しないほうがいいということなのだろうか。このまましばらく、答えが浮かび上がって来るのを静かに待つことにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「手術の前に女性ホルモンの分泌を抑制する注射をするかどうか」で、まず選択肢が分かれます。この答えがYESの場合、筋腫を小さくできるので、開腹手術ではなく、お腹を切らない腹腔鏡を使った手術が期待できます。この答えがNOの場合は、開腹手術になります。これに、手術を受ける時期の要素が加わりますと、いつ、どのような手術を受けるかが決まります。開腹手術か腹腔鏡を使って手術かを選ぶことができたとしても、手術を受ける時期は、I医師の予定がありますから、自由に選ぶことはできません。おまけに、私の身体は早く切ったほうがいいだろうと訴え始めています。うむむ、悩みます。(苦笑)仕事では、良くフローチャートを書いていますが、筋腫手術への決断にあたっても、詳細なフローチャートを書いてみましょうかね。(苦笑)

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2008.11.25

向こう半年間予約済み(前編)

映画『わが教え子、ヒトラー』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。映画レビューサイトを拝見すると、面白かった、面白くなかったと、またしても評価が二分されていました。低い評価をつけている人たちは、どうやら歴史的事実に囚われ過ぎて、「こんなこと有り得ないだろう」という視点で鑑賞してしまったようですね。私は、普段から戦争映画や、ヒトラーのような絶対的権力を持った人たちの登場する映画を好んで鑑賞してはいないので、既成概念に囚われることなく、映画として楽しむことができたのかもしれません。むしろ、この映画を楽しめなかった人たちのほうが、ヒトラーにはずっと詳しいはずです。(苦笑)

 三連休初日の土曜日、ホットヨガのレッスンを受けたあと、私はお昼ご飯を食べて、I医師の診察を受けた。二ヶ月前の診察のときは、手術を受ける、受けないでずいぶん悩んだものだ。あのとき、年末に手術を受けるといったん決意したので、今はもうすっかり度胸が据わっているのかと問われれば、決してそうではない。できれば手術を受けたくない気持ちはまだまだ強いのだ。だから今回も、I医師から手術の話を持ち出されたら、どのようにして切り抜けようかということばかり考えていた。

 I医師の診察は、いつものように、十三時半からの予約だった。毎度のことながら、受付を済ませると、I医師をサポートしている看護士さんが受付まで迎えに来てくださる。二ヶ月おきに一年ほど通い続けると、看護士さんも私の顔を覚えてくださっている。看護士さんと一緒にエレベータに乗り、I医師の診察室のすぐ前にあるソファまで案内していただくと、看護士さんに、
「こちらでしばらくお待ちください」
と言われた。その看護士さんは、いったん診察室に引っ込んだあと、何と、ひざ掛けを持って来てくださった。私が診察待ちをしている間に、冷えるのではないかと気遣ってくださったのである。私は御礼を言って、看護士さんからひざ掛けを受け取り、ひざの上に広げた。

 それほど待つこともなく、私の苗字が呼ばれた。看護士さんに案内されるまま診察室に入ると、I医師には早速、生理の状況を聞かれた。私は、九月よりは出血量が少し多くなったと正直に答えた。するとI医師は、「ほうら、言わんこっちゃない」とでも言いたそうな笑みを浮かべていた。というのも、I医師からは、
「乳製品をやめて生理の出血が少なくなったのなら、しばらくそれで様子を見てみますか。まあ、私はあまり信じてないけどね」
と言われていたからだ。I医師の笑みの奥には、「乳製品をやめたくらいで、出血量が少なくなるはずがないんだ」と言わんばかりの意味が込められていたに違いない。

 I医師は私に、
「以前よりも、筋腫が大きくなっている感じはありますか?」
と尋ねた。それに対し、私は正直に、
「はい。以前よりも少し大きくなった気がします」
と答えた。するとI医師は少し考えたあと、
「じゃあ、エコーを取ってみますか」
と提案してくださり、エコーの準備が整えられた。

 以前、お世話になっていた病院では、診察のペースが半年に一度だったので、毎回、エコーを取っていただいていた。しかし、I医師の診察は、漢方薬を処方していただいている関係で、二ヶ月に一度のペースである。おそらく、漢方薬を処方していただける最大の期間が二ヶ月なのだろうと思う。二ヶ月に一度の診察では筋腫の成長も緩やかなので、毎回、エコーを取るようなことはしない。

 施術台の上に横になった私が、バストのすぐ下まで筋腫があることを伝えると、I医師は、
「それが本当だとすると大変なことですよ」
とおっしゃった。しかし、エコーの診断の結果、私の筋腫はおへそよりも少し上程度だったようだ。どうやら、私が自分の手で感じる筋腫の境界と、エコーで感じる筋腫の境界は、異なっていたようである。

 エコーによる診断が終わったあと、私は再び診察室に戻り、I医師からエコーの診断結果を聞いた。I医師は、今年の二月に受けたMRIの画像とさきほどのエコーの結果を照らし合わせながら、しきりに何か計算していたようだ。その結果、私がバストのすぐ下にあると感じている大きな筋腫が、二月にMRIを受けたときよりも更に二センチ大きくなっていることがわかった。その筋腫は、二月の時点では十センチだったのが、今では十二センチに成長しているそうだ。もちろん、私の筋腫は一つだけではない。十二センチに成長したと言われてる筋腫は、他にいくつもある中の一つだ。

 私は思い切って、
「やはり手術は必要なのでしょうか?」
とI医師に尋ねてみた。するとI医師は、
「必要でしょう。筋腫の成長が止まっていれば手術は勧めませんが、あなたの場合、大きくなっているのでね」
と言われてしまった。

 そしてやはり、以前にもうかがったように、腹腔鏡を使った手術を受けるならば、今から女性ホルモンの分泌を抑制する注射を始めて筋腫を小さくしなければならないとおっしゃった。私はこの場に及んでも、すぐには「はい、わかりました」と答えることができなかった。I医師は、難しそうな顔をしながらも、女性ホルモンの分泌を抑制する注射をすれば、腹腔鏡を使った子宮全摘手術がギリギリ行えるだろうとおっしゃった。

 I医師がおっしゃるには、今から手術を決断したとしても、実際に手術を受けられるのは来年の五月になってしまうという。何と、向こう半年間、I医師の手術の予定はすっかり埋まってしまっているのだそうだ。以前は、十二月に手術を受けるかどうかを十月頃までには決めておかなければ、手術の予定が埋まってしまうとI医師からうかがっていた。しかし現在は、そのときの状況よりも更に、I医師の予約が立て込んでいるということだ。

 私が、
「先生は全国レベルで活動をしていらっしゃるから、全国から患者さんが集まって来られるのでしょうか。それとも、筋腫を抱えている女性が、それだけ増えて来たのでしょうか」
と尋ねてみると、I医師はその両方について、
「決してそうではないです」
とおっしゃった。I医師によれば、開腹以外の方法で子宮筋腫の手術を行っている病院がまだまだ少ないために、I医師のもとへは、腹腔鏡や子宮鏡を使った手術を希望される患者さんが集まって来られているのだそうだ。そのため、I医師は現在、月に十数人の子宮筋腫の患者さんの手術を担当されているという。月に十数人の待ち行列が、向こう半年間までずっと埋まっているのだから、子宮筋腫を抱えている女性がいかに多いかがわかる。私は、
「もっと根本から、子宮筋腫について取り組まないといけないですね」
と言った。しかしI医師は、
「それは仕方がない」
とおっしゃった。どうやら筋腫のプロであるI医師でも、女性に筋腫ができるのは仕方がないという見解のようである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 記事が長くなってしまいますので、この続きは明日、書かせていただくことにしますね。成人女性の四人に一人は子宮筋腫があると言われていますが、実際に手術が必要な患者さんは、それほど多くはないと聞いています。それでも、I医師の手術の予約が向こう半年間、埋まってしまっているという状況は、何かを物語っているかのように思えたのであります。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.11.24

映画『わが教え子、ヒトラー』

地球に優しい髪型の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 髪の毛を短くしてからというもの、シャンプーが素早く終わるようになりました。シャンプーの量やドライヤーを使う時間だけでなく、シャンプーを洗い流すお湯の量もぐっと減っていることに気が付きました。髪の毛を短くしただけで、髪の毛の長さがこれほどいろいろなことにも影響を与えていたことがわかりました。私の場合は、長くなってしまった髪の毛が邪魔で邪魔で仕方がなかったので、髪の毛を短くしたことは一石二鳥に繋がったのですが、中には長い髪の毛が大好き! という方もいらっしゃるかと思います。そういう方は、どうか、私の記事だけで、ご自分が髪の毛を長く伸ばしていることに対し、気後れなさらないでくださいね。私にも、まだまだエコロジーに参加できていない部分がたくさんありますので。

 大きな映画館で上映されている作品のほとんどは、アメリカ映画である。世界中でいろいろな映画が製作されているというのに、何故、アメリカ映画ばかりが日本で広く受け入れられているのか、私にはわからない。しかし、ちょっと小さな映画館に足を運べば、ヨーロッパをはじめ、アメリカ以外の諸国で製作された静かな作品を鑑賞することができる。ドイツで製作されたこの映画も、そんな作品の一つだ。

 この映画の内容を簡単に説明しておくと、プレッシャーなどですっかり自信を失ってしまったヒトラーに対し、かつての自信を取り戻して、群集の前で力強い新年のスピーチをしてもらうために、演劇を教えていたユダヤ人教授の力を借りて特訓を重ねるというものだ。数多くのユダヤ人を死に追いやったヒトラーが、ユダヤ人教授の力を借りるというところからして、いかにもドイツらしいユーモアだと思う。そう、この映画は、ドイツ風のコメディ映画と言ってもいいのかもしれない。と言っても、お腹を抱えて大きな声で「わははは」と笑うような明るい笑いではなく、思わず「ニヤリ」と笑ってしまうようなシニカルな笑いだろうか。

 まず、私が最初に笑ったのが、
「ハイル・ヒトラー(ヒトラー万歳)」
のこだまである。誰かが片手を挙げて、
「ハイル・ヒトラー」
と言うと、あたかもすぐ側にいる人たちに感染するかのように、他の人たちが次々に片手を挙げて、
「ハイル・ヒトラー」
と口にする。その固さと言ったらない。顔には表情がなく、ヒトラーに対して絶対的な忠誠心を誓っているかのように見える。同じ部屋にいる人たちが一通り、
「ハイル・ヒトラー」
の儀式を終えた直後に別の人が部屋に入って来て、同じように片手を挙げて、
「ハイル・ヒトラー」
と言うと、さきほど、
「ハイル・ヒトラー」
と宣言した人たちも再び一人ずつ片手を挙げて、
「ハイル・ヒトラー」
と繰り返す。こんなことを書くと誰かに怒られるかもしれないが、その様子がまるで機械仕掛けの人形みたいでおかしいのだ。一見、とても真面目であるかのように見えていて、実におかしなことを実践している。それがこの映画を通して見たドイツ人の印象である。

 すっかり自信を失って、まるで子供のようになってしまったヒトラーの描写が実にいい。こともあろうに、力を失ってしまったヒトラーが、自分自身が残虐な方法で殺し続けて来たユダヤ人のお世話になっているのだ。しかも、スピーチを成功させるためには、もはやユダヤ人教授の存在は必要不可欠である。このようなことを思いつき、映画にした人のアイディアは素晴らしい。

 印象に残っているのは、スピーチの前日に眠れなくなってしまったヒトラーが、教授一家が寝泊りしている粗末な部屋を訪ねて来るシーンだ。当然のことながら、ヒトラー自身は自分の部屋で何不自由なく、ぬくぬくと生活しているのだが、教授一家のいる部屋は寒いとこぼしたりする。それだけでなく、教授と教授の妻が寝ている間に割り込んで来て、三人で川の字になって寝たりする。つまり、自分が迫害し続けたユダヤ人を両脇に挟んで、無防備な状態で眠り始めるのだ。ああ、これもドイツ人のユーモアかと思う。そのシーンの直後に、ある出来事が起こるのだが、そこは大きな山場には至らずに終わる。

 また、あのヒトラーがジャージを着ていたり、スピーチの当日に自慢のヒゲをそぎ落とされて、付け髭で群集の前に登場したりと、とにかく、そこかしこに、ドイツ人のユーモアがちりばめられた作品だと言える。

 とは言うものの、この作品はドイツ映画という位置づけではあるが、監督自身は、ヒトラーによって迫害され続けて来たユダヤ人なのだそうだ。だから、これほどまでに弱り切ったヒトラーを描きたかったのだろうか。映画の冒頭では、「この物語は真実である。しかし、あまりにも真実であるために、歴史には登場しない」などといった紹介がなされている。この物語が真実かどうかは別にして、ある筋の解説によれば、ヒトラーのスピーチ指導を担当した人物は実在するそうだ。

 何はともあれ、この映画を観ると、あれほど猛威を奮っていたはずのヒトラーが一人では何もできない哀れな存在にも思えて来る。ヒトラーを描いた作品は他にもあるはずだが、ドイツ人的なユーモアを保ちながらも、これほどまで力を失い、まるで子供のように変化してしまったヒトラーを描いた作品が、他にあるとは思えない。コメディ映画として観るには少々暗過ぎるが、シリアスドラマとして観るにはニヤリと笑いが止まらない作品である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 教授役の俳優ウルリッヒ・ミューエは、二〇〇七年に亡くなられているのだそうです。どうやら、この作品が彼の遺作となってしまったようですね。彼の出演作で、この映画の一つ前の作品である映画『善き人のためのソナタ』でも多くの人たちに支持され、高く評価されています。映画『善き人のためのソナタ』はまだ鑑賞していないので、DVDで鑑賞したいリストの中にしっかり入っています。めでたく鑑賞が実現したら、またこちらでご紹介させていただきますね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.11.23

地球に優しい髪型

ホットヨガ(一二七回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 実は、来月の祝日に行われるホットバレエストレッチのレッスンの予約が取れました。今からとても楽しみにしています。(^^) 記事でご紹介させていただくのはずいぶん先になってしまいますが、どうぞお楽しみに。

 ホットヨガのレッスンを受けたあと、インストラクターに髪の毛が伸びて来たことを指摘されたが、実は私自身もシャワーを浴びて、ロッカールームに設置されたメイク台でドライヤーを使って髪の毛を乾かしているときに、髪の毛がひどく伸び過ぎてしまったことに対し、ため息をついていた。伸び過ぎた髪の毛をそろそろカットしたいが、美容院嫌いのため、なかなかカットに踏み切ることができないでいたのである。「女性にとって、髪は命」などという古い表現があったが、果たしてそれはすべての女性に当てはまる表現なのだろうか。ショートヘアに慣れている私からすれば、長くなってしまった髪の毛は、邪魔で邪魔で仕方がない。ただ、ヘアアクセサリを駆使して、髪型のバリエーションを楽しむ喜びは生まれる。

 私は、普段の生活の中ではドライヤーを使わず、タオルかタオルターバンで水分をふき取ったあと、自然乾燥している。しかし、ホットヨガのレッスンを受けたあとは、濡れた髪の毛のまま外に出て行くわけにも行かないので、備え付けのドライヤーを使うことにしている。しかし、髪の毛が長くなると、必然的にドライヤーを使う時間も長くなってしまう。

 私はふと、エコロジーについて考えてみた。もともとホットヨガのレッスンに参加していること自体、地球温暖化を加速させているようなものである。その上、レッスンを受けたあとは、普段、使わないドライヤーまで使用している。更に、ドライヤーを使用する時間は、髪の毛の長さと比例して長くなっている。思い切って、髪の毛を短くしてしまえば、ホットヨガのレッスン後に使用するドライヤーの時間も短くて済む。一回の洗髪で使用するシャンプーの量も少なくて済む。毛染めのヘナの使用量も少なくて済む。そう考えると、ホットヨガのレッスンを受けている私が地球のために出来ることは、髪の毛を短くすることではないだろうかと思い始めたのだ。

 そうと決まれば、もはや美容院嫌いなどとは言っていられない。私は、レッスンの帰りにいくつかの予定をこなしたあと、思い切って三宮の美容院に足を運んだ。そこは、かつても訪れたことのある美容院だった。美容院の閉店時間は十九時半だったが、時計を見ると十九時だった。私は受付でカットをお願いして、案内されるままにシャンプー台に座った。

 美容院で何が苦手かと問われれば、くすぐったくなるような「当たり障りのない会話」である。どうかそのような展開にならないようにと願いながら、流れに身を任せていると、男性美容師が私の髪の毛のカットを担当してくださることになった。ありがたいことに、「当たり障りのない会話」は展開されず、私の髪の毛のことに話題が集中した。

 「長いことカットされてなかったんですか?」
と尋ねられ、内心、
「ばれたか」
と思いながらも、
「はい、そうなんです。美容院が苦手なので・・・・・・」
などと一言多い受け答えをした。

 私は鏡越しに、美容師さんの手さばきをじっくりと拝見した。その技術を、サービス満点の床屋さんで活かそうと思ったからだ。美容師さんは、まず、私の髪の毛をいくつかに束ねた。そして、束ねた髪の毛を解(ほど)きながら、手で掬(すく)い上げながら、同じ長さにカットして行った。更にそれを繰り返したあとは、鋤(すき)バサミで鋤(す)き始めた。我が家の事情と異なっているのは、鋤バサミの切れ味が抜群にいいことだ。我が家の鋤バサミは、切れ味が良くないのか、引っかかり易い。なるほど、道具にこだわりを持つことも、仕事をやりやすくするコツなのだと理解した。

 長かった私の髪の毛は瞬く間にカットされ、十九時二十分にはカットが終了していた。十九時半の閉店までに、無事にカットが終了したわけである。これまで、このたった二十分間を嫌悪し続けていたことが少し恥ずかしくなった。

 帰宅して、仕事で徹夜明けのガンモに髪の毛を披露すると、ガンモは私の新しい髪型をとても気に入ってくれた。私の顔を見るたびに、
「その髪型、いいよ、いいよ」
と何度も言う。美容師さんの見事な手さばきで瞬く間にカットが終了したことと言い、ガンモが私の新しい髪型を気に入ってくれたことと言い、私が長いこと、美容院を避け続けて来たことは、むしろ無駄な抵抗だったのではないかという気さえして来た。これを機会に、そろそろ美容院嫌いを卒業してみるとするか。ホットヨガのレッスンを受けている私にとって、髪の毛を短い状態に保つことは、地球に優しい行為であることには間違いないのだから。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 髪の毛を長い状態に保つと、ヘアアクセサリも充実して来ますよね。髪の毛をうまくまとめているときはそれでいいのですが、ヘアアクセサリを解いてしまうと、長くなった髪の毛が邪魔で邪魔で仕方ないと思うようになってしまいます。それはおそらく、私がショートヘアに慣れ過ぎているせいでしょう。結婚して以来、最も長いと言える状態まで髪の毛を伸ばし続けていましたが、おかげ様でようやくすっきりしました。切ろうかどうしようか迷い続けていた状態が吹っ切れたので、迷っているときはとにかく実践したほうがいいのだということに、今更ながら、気が付きました。(苦笑)

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2008.11.22

ホットヨガ(一二七回目)

映画『ブタがいた教室』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この映画は、最後にとても考えさせられるシーンがあります。それは、星先生が、「教師としての選択」をしたということです。果たしてその選択は、「教師という立場から離れた人間としての選択」とはイコールではなかったということなのでしょうか。もしそうだとしたら、教師である前に一人の人間であるということを忘れ去らなければならない状況にあったということが、とても残念なことだと思いました。

 三連休の初日は、ホットヨガのレッスンから始まった。神戸店で九十分のベーシックコースのレッスンを受けたのである。

 準備を整えてスタジオに入ってみると、十四枚のヨガマットが敷かれていた。いつもの二十名前後のひしめき合いからすれば、少ない数である。レッスン開始時間になり、インストラクターがスタジオに入って来ると、ヨガマットを一枚片付けた。おそらく、キャンセルが出たのだろう。しかし、レッスンが始まってからも、三枚のヨガマットが埋まらないままだった。ということは、今回のレッスン参加者は全部で十名ということになる。三連休でお出掛けの方が多かったのだろうか。それにしても、一レッスンで四名ものキャンセルが出るとは驚きである。レッスン直前のキャンセルは、回数券消費の対象になってしまうのに、もったいない。

 レッスンを担当してくださったのは、受付では何度かお見掛けしてはいるものの、初めてレッスンを担当してくださるインストラクターだったかもしれない。記憶があやふやで申し訳ないのだが、過去に一度だけ担当してくださったことがあったような気もする。しかし、インストラクターのお名前だけはしっかりと記憶した。

 鳩のポーズのときに、私は足を上げる上級者向きのポーズに挑戦した。すると、右足を上げるポーズは取れなかったが、左足を上げるポーズはきれいに取れた。以前から、左足を上げるポーズしか取れないという実感はあったのだが、今回のレッスンで、いよいよそのことがはっきりしてしまった。鳩のポーズは、ホルモンバランスを整えると言われている。もしも片方ずつの足がそれぞれエストロゲンとプロゲステロンを意味しているならば、私の場合はエストロゲンは正常に分泌されているが、プロゲステロンの分泌は少ないということだろうか。だから、プロゲステロンを補充すると調子が良くなるのかもしれない。

 さて、今回のレッスンでは、気持ちがいいほどたくさんの汗が出た。私はいつものように、シャワーを浴びて着替えを済ませたあと、受付にロッカーの鍵を返しに行った。

 すると、受付にいらっしゃったのは、いつもお話をさせていただいているインストラクターだった。私が、髪の毛をゴムでまとめずに現れたからだろうか。
「ずいぶん髪の毛が伸びましたね。雰囲気が全然違いますよ」
と言われてしまった。私は、
「そうなんですよ。そろそろ切りたいとは思ってるんですけどね」
と答えた。

 そして私は、以前から気になっていたことを尋ねてみた。
「ホットバレエストレッチのコースは、平日だけの開催なんでしょうか?」
そう、ホットヨガのレッスンに十一月から新しいコースが誕生したのだ。それも、ホットバレエストレッチというコースである。これまで、ホットヨガとバレエを組み合わせたレッスンは、過去に何度かイベントレッスンとして開催され、毎回、絶大なる人気を得ていた。おそらくそのコースが常設化されたのだと思う。私もかつて、バレエヨガのレッスンには参加したことがある

 新しく開設されたホットバレエストレッチのレッスンにはとても興味があったのだが、予約を入れようにも、ほとんど平日のみのスケジュールが組まれているため、予約を入れられなかった。ごく稀に、祝日にもレッスンの予定は組まれているのだが、すぐに定員に達してしまうらしい。インストラクターの話によれば、
「これまでは三宮店のインストラクターが神戸に出張してホットバレエストレッチのレッスンを担当していたのですが、十二月からは神戸店のインストラクターが担当することになりますので、若干スケジュールに変更はあるかもしれません」
とのことだった。そのインストラクターの話では、神戸店のインストラクターは、バレエの経験を積んでいらっしゃる方が多いらしい。なるほど、インストラクターの身体が柔らかいのは、過去にそれなりに経験を積んで来られたからなのかもしれない。

 私は、以前、バレエヨガのレッスンに参加したときにレッスンを担当してくださった京都四条通店のインストラクターのことが気になっていたので、思い切って尋ねてみた。すると、そのインストラクターは、梅田店に転勤になったのだそうだ。最近、京都四条通店でのレッスンはとんとご無沙汰だったので、知らなかった。そのインストラクターが梅田店に転勤になったとすれば、近いうちにお会いする機会はあるだろう。実は、今度、梅田店でレッスンを受ける予定を立てているので、彼女に会えるかどうかを楽しみにしておくことにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 受付でお話をさせていただいたインストラクターが、先日、梅田店でレッスンを担当されたそうです。そのときに、たまたま神戸店でレッスンを受けている会員さんが彼女のレッスンを受けに来られて、お互い、驚いたそうです。慣れないところで孤独を感じているときに、知っている人に出会えると安心できるものですよね。そのインストラクターは、うれしくなって思わず、その会員さんの肩をポンと叩いたそうです。私もそんな場面に遭遇したいものです。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.11.21

映画『ブタがいた教室』

「きせかえツール」が欲しかっただけ(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m こんなことでもなければ、出会い系サイトに登録するチャンスもなかったので、貴重な体験をしたと言えるのかもしれません。(苦笑)もしもまた、ポイント稼ぎのために同じサイトに登録するようなことがあったとき、今回、メッセージをくださった方たちが再び同じメッセージを送って来たらおかしいですよね。そのときは、サクラだったと確定するでしょう。(笑)それにしても、良い社会勉強になりました。(苦笑)

 この映画は、劇場で何度となく予告編を目にする機会があり、食肉に関するテーマを扱った作品ということで興味を持った。聞くところによると、実際に大阪の小学校で起こった出来事を映画化したものだそうだ。

 妻夫木聡くん演じる新米教師の星先生が、担任を務めている小学校六年生の児童たちに命の大切さを教えるために、ある試みを決意する。それは、最終的には食べる目的で、学校でブタを飼い始めるということだった。学校にブタがやって来た途端、児童たちは生き生きと輝き始める。ブタの飼育という共通の目的を持つようになるため、クラスは一つにまとまり始めていた。児童たちは校庭にブタのための小屋を作り、交代でブタに給食の残飯を与えたり、糞まみれのブタ小屋を掃除したりしている。ブタはPちゃんと名づけられ、時には児童たちと一緒に校庭を走り回る。

 学校でブタを飼いたいという星先生の申し出を受け入れた、原田美枝子さん演じる校長先生が実にいい。鶏やうさぎならまだしも、学校でブタを飼育するなどという星先生の突拍子な申し入れに対して頭ごなしに否定するのではなく、星先生の話にきちんと耳を傾けた上で、星先生からブタを飼うことへの熱意と意図をしっかりと聞き出そうとする。人間の器の大きさというものは、相手を許容できるかどうかにかかっている。特に自分が責任を負わなければならないような立場のときには、新しい価値観を受け入れることに対し、保守的な立場を取ってしまいがちだ。しかし、校長先生は保守的な立場を取ることなく、学校でブタを飼育することに対し、星先生を信頼し、すべてを任せる勇気を持てたことが実に素晴らしい。

 最終的には食べる目的でPちゃんを飼い始めたものの、児童たちは、Pちゃんと一緒に過ごす時間が長くなれば長くなるほど、Pちゃんに対する愛着が沸いて来る。当然のことながら、これまで一緒に歩んで来たPちゃんを食べるなんて、とてもできないと主張する児童も出て来た。それに対し、Pちゃんも他のブタと一緒なのだから、区別することなく食べるべきだという意見も出て来た。はてさて、Pちゃんを食べるか食べないか。その結論を下すタイムリミットは児童たちの卒業式である。卒業式を迎えるまでの間に、みんなで飼い始めたPちゃんをどうすべきか、児童たち自身で決めなければならない。

 星先生を交えて、Pちゃんをどうするか、何度も何度も話し合いが行われる。この実話の素晴らしいところは、星先生が自分の意見を児童たちに押し付けることなく、児童たち自身によって、最終的な結論を導き出そうとしているところだ。多くの授業が、最終的には先生たちの手によって「正しい」方向へと導かれて行くのに対し、Pちゃんをどうするかという問題は、児童たちの判断に委ねられているのだ。

 何度にも及ぶ話し合いの中で、
「動物を殺すことと食べることは違うと思います。殺すことは、命を絶ってしまうことだけど、食べることは、その動物の命を引き継ぐことだと思います」
と発言した子がいた。これはなるほど、と思ったものだ。しかし、傍観者であるはずの私としても、納得の行く結論は出せない。おそらく、私がこの小学校の児童なら、食べないと主張する側に回るだろう。しかし、食べたいという児童を説得できるだけの理由がない。Pちゃんを食べると主張する児童たちは、Pちゃんを他のブタと区別しないようにするために食べると言っている。だから、例えPちゃんを食べなくても、他のブタなら食べるというのでは、説得力がないのだ。

 実は私は、ある時期まで、私は動物の肉を食べずに過ごしたことがあった。理由は、動物愛護の精神からである。動物たちが私たちのために犠牲になる瞬間を思うと、彼らの肉を食べることはできないと思っていた。それでも、完全なベジタリアンになることはできず、魚貝類は食べていた。そのとき、肉を食べることに対して抵抗のない人たちに、
「魚介類は食べていいの?」
という疑問をぶつけられた。私はその疑問に対し、的確に答えることができなかった。更に、現代において、完全なベジタリアンに徹することは難しいということも実感した。何故なら、目に見える食材以外にも、動物たちの肉は使われているからだ。徹底的な自給自足を始めない限り、完全なベジタリアンに徹することはできないだろう。やがて私は、再び動物たちの肉を食べることを受け入れた。

 そのときの経験からすると、現代社会においては、中途半端な動物愛護の精神しか育めないということだった。徹底的に動物愛護の精神を育むならば、食肉だけでなく、身に着けている革製品や毛皮なども除外対象に含めなければならないだろう。しかし、そうしたものを既に生活の中に取り入れている以上、動物愛護のためにお肉は食べませんなどとは公言できない立場にあると気づいたのだ。

 映画の中でも、Pちゃんをどうするか、児童たちは最後まで大いに悩む。最終的に、意見は大きく二つに分かれた。一つは、Pちゃんを食べたくないという児童たちが提案した、他の学年にPちゃんの飼育を任せるというものだ。そしてもう一つは、Pちゃんを食べるという児童たちが提案した、Pちゃんを食肉センターに引き取ってもらうというものだ。児童たちの間で多数決が取られるのだが、投票を行っても、真っ二つに分かれた意見はどちらも同点で決着が付かない。そこで、ついには星先生の意見が求められることになるのだが・・・・・・。

 何ごとも、「正しい」、「正しくない」という判断ではなく、自分がどうしたいかに従うことが大切なのだと思う。それは、自分の欲望を満たすという意味ではなく、欲望を除外した魂の想いに気づくということだ。自分の魂がどうしたいのかが見えて来たならば、もはや自分と違う意見の人たちを説得するための理由など必要ないのかもしれない。ただ、命に関することだけに、児童たちは大いに悩んだのだ。この映画の中で何度も出て来た児童たちの話し合いのシーンは、何を選ぶかよりも、命に関することで結論を導き出すまでのプロセスが大切ということをひしひしと感じさせてくれた。

 児童たちにPちゃんの未来を議論させた星先生は、最初からこの問題に答えがないことを知っていたのかもしれない。そして、児童たちに命の大切さを知ってもらうためにブタを飼い始めるという星先生の狙いは、これまで、食卓に並べられたブタの肉を当たり前のように口にしていた児童たちの心にダイレクトに響いたに違いない。食卓に並べられたブタの肉を前にして、食べられなくなってしまう児童もいるだろう。また、「いただきます」という言葉に、これまでよりも心をこめるようになる児童もいるだろう。誰に対しても納得の行く答えは出せない。しかし、みんなで真剣に話し合った時間こそが宝物。そんな映画だったと思う。

 映画を鑑賞したあと、私もアンケートに答えておいた。

私の答えは、「食べない」

映画館に設置されたアンケートの投票箱

後日、その映画館を訪れてみると、集まったアンケートが展示されていた

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 教科書通りの教育を行うのではなく、児童たちに、一つの体験を通して命の大切さを学ばせたという新米教師の物語でありました。この映画を鑑賞して、このような先生がいらっしゃるということが、とてもうれしくなりましたね。そして、新米教師である星先生の能力を摘み取らずに、星先生の申し出を快く受け入れてくださった校長先生の器も大きいと思います。もしも、校長先生がブタの飼育を許可しなければ、この物語は成立しなかったわけですから。卒業式が近づくにつれ、児童たちは大いに悩みました。悩んで悩んで悩み抜いたからこそ、自分たちが卒業したあと、三年生にPちゃんを託すという話が浮上したときに、彼らが卒業するときもまた自分たちと同じように悩んでしまうのではないかという優しい言葉が出て来たのだと思います。三年生にPちゃんを託すことに関して、自分たちの抱えて来た問題を他の児童に押し付けているだけだという意見もありました。映画サイトの情報によると、児童たちが討論する台詞は、台本には書かれていなかったそうです。児童たちは、Pちゃんの今後について、映画の撮影ということも忘れて、真剣に討論したのかもしれませんね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.11.20

「きせかえツール」が欲しかっただけ(3)

「きせかえツール」が欲しかっただけ(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 顔も知らない、本名もわからない相手だから、こんなふうに押しの強さでアプローチし続けることができるのでしょうか。相手のことを真剣に想えば想うほど、相手の自由意思を尊重するようになるはずですが、真剣でないうちは、このような押しの強さが顕著に現れるのでしょうね。それでは、当初の予定よりも長くなってしまいましたが、最終話をお送りします。

 登録した出会い系サイトを退会するには、退会専用のメールアドレスにメールを送信するシステムになっていた。退会専用のメールアドレスのリンクをクリックすると、「退会理由を明記下さい」という文字がメールの本文に自動で追加されたので、私は以下のようなメールを送信した。

退会依頼

退会理由を明記下さい。
占いサイトのつもりで登録させていただいたところ、真剣な出会い系サイトだとわかり、戸惑っています。
現在、出会いは求めていないので、
真剣に出会いを求めていらっしゃる方に申し訳なく思いました。
お手数ですが、退会の処理をお願い致します。

 すると、以下のようなメールが直ちに返って来た。

お問い合わせありがとうございます。
お客様は総額300万円プレゼントキャンペーンの対象者となっております。
退会されてしまいますと当選された場合、当選権利無効とさせて頂きますが宜しいのでしょうか?
当選発表は近日中に行いますので、当選発表メールを楽しみにお待ちください。(当選者のみに通知)
また、最近、当選されたにも関わらず、退会をされてしまった方からのお問い合わせを頂きますが、弊社としましては一切お受付できませんので、ご了承下さい。
※退会をせず当選発表をお待ち頂く事をおすすめします!

 なるほど。このようにして、出会い系サイトは会員を繋ぎ止めておこうとするのか。プレゼントなんていらない。私はとにかく退会したかった。そこで私はこのメールを引用し、再び退会依頼のメールを送った。

下記メールをいただきましたが、
やはり退会の意志は固いので、退会処理をよろしくお願い致します。

 すると、しばらくして以下のメールが返って来た。

ご連絡頂きまして有難う御座います。
只今こちらで退会処理という事でお客様のご登録を削除致しました。
尚、行き違いで何通かメールが送信されてしまう場合も御座います。
その際、お手数お掛け致しますがお客様の方でメールを削除して頂きます様宜しくお願い致します。
ご利用有難う御座いました。
またのご利用お待ち致しております。

 入会したその日に退会手続きを申請したにもかかわらず、紳士的に対応してくださったことに感謝したい。試しに、これまでひっきりなしに届いていたメールに記載されていた出会い系サイトのアドレスをクリックしてみると、確かに私のアカウントは削除されていることが確認できた。ふう、やれやれである。

 私はこのことを、是非ともガンモに報告したいと思っていた。しかし、ガンモがこの日、仕事を終えて帰宅したのは、午前一時頃のことで、私は既に布団の中でうとうとしていた。ガンモが帰宅したことに気づいた私は、その日のうちに体験したことをガンモに話して聞かせた。
「出会い系サイトに登録しちゃったんだよ」
と言うと、ガンモは、
「何でそんなことする! 禁止!」
と言って怒った。私は、
「きせかえツールが欲しかっただけなんだよ。きせかえツールをダウンロードするのに、ポイントが必要だったから。いろんな無料サイトに登録すれば、ポイントがもらえるシステムだったの」
と説明すると、ガンモは、
「きせかえツールって何?」
と尋ねて来た。そうだった。ガンモはFOMAではなく、まだmovaを使用しているのだ。だからガンモは、きせかえツールが何たるかを知らない。私は眠い目をこすりながら、自分の携帯電話を取り出して、
「携帯電話のメニュー画面がいろいろ装飾されてるの。ほら、こういうのだよ」
と言いながら、きせかえツールの画面をガンモに見せた。それを見たガンモは、ようやく理解してくれたようだった。そして、
「何だ、パソコンの出会い系サイトじゃないのか」
と言った。
「違う違う、携帯電話のサイトだよ。もう退会したけどね」
それだけ言うと、私はとうとう睡魔に負けてしまい、寝入ってしまったのである。

 何はともあれ、出会い系サイトの雰囲気や、出会い系サイトに導入されているシステムが少しだけわかったことは、大きな収穫だったと言える。結局私は、出会い系サイトへの登録ではポイントが付加されなかったので、ポイント数は少ないが、健全そうなスポンサーサイトを選んでせっせと登録し、コツコツとポイントを貯めて、お目当てのきせかえツールをダウンロードしたのだった。一攫千金ならぬ、一攫千ポイントを狙うと、落とし穴に落ちることもあるということだ。

※なお、このシリーズには続編があります。「きせかえツール」が欲しかっただけ(4)をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長い話になってしまいましたが、このような結末を迎えました。携帯電話のきせかえツールは、とても魅力的なツールだと思います。皆さんの中にも、私と同じように、無料のきせかえツールをダウンロードするために、せっせとポイントを貯めていらっしゃる方も多いかもしれませんね。どうか、出会い系サイトの巧みな勧誘にはお気をつけください。(苦笑)本来、自分が居るべき場所というのは、こうした裏の経験からも見えて来るものだとわかりました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.11.19

「きせかえツール」が欲しかっただけ(2)

「きせかえツール」が欲しかっただけ(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 前編と後編に分けて記事を書かせていただこうと思っていたのですが、後編を書き始めたところ、またしても長くなってしまいました。(苦笑)そこで、記事を三回に分けて書かせていただくことにします。どうぞご了承くださいませ。

 いくつかの無料サイトへの登録を試みたものの、まだ目的の三百ポイントには足りなかった。私は、無料で登録できるスポンサーサイトのリンクページを根気強く参照し、できるだけ高いポイントを獲得できそうなサイトを探し求めた。その中に、占いサイトなのに百三十ポイントも獲得できる無料サイトがあった。これまで登録したスポンサーサイトは数十ポイントしか付与されないサイトだったので、一気に百三十ポイントも獲得できるとなると、かなり大きい。私は早速登録することにした。

 実際にそのサイトを訪問してみると、どうやらそのサイトでは、登録時に私のことを何か占ってくれるらしい。しかし私は、登録ページの右下のスペースに書かれている内容が少し気になっていた。それは、「この占いは、出会い系サイト○○の占いコンテンツです」という注意書きだった。

 なるほど、登録するだけで百三十ポイントももらえるのだから、それなりに理由があるのだろうとは思っていたが、あたかも占いサイトに勧誘するかのように見せ掛けておいて、その実態は出会い系サイトだったというわけだ。私は、その時点ではそれほど深く考えることもなく、きせかえツール欲しさに送信ボタンを押して、届いた確認メールに書かれていたリンクをクリックして申し込みを完了させた。

 これまで登録して来たスポンサーサイトが比較的静かなサイトだったからだろうか。出会い系サイトに登録したとしても、こちらから何のアクションも起こさなければ、特に害はないものと思っていた。きせかえツールを配布しているサイトの注意書きには、「スポンサーサイトに登録した直後に退会された場合は、獲得されたポイントを無効にさせていただくことがあります」と書かれていたので、こちらから何のアクションも起こさず、二、三日だけそのまま放置したあと、退会してしまえばいいと思っていたのだ。

 ところが、登録した途端、この出会い系サイトから、メールがひっきりなしに届き始めた。登録直後に届いたのは、六十五歳の占い師からのメッセージだった。メールには、メッセージのタイトルだけ記載されていて、届いたメッセージの内容は、メールに記載されている出会い系サイトのアドレスにアクセスすることで参照できるようになっていた。何でもその占い師は、登録直後の私の不穏な「気」を感じ取り、私のことを勝手に占ったのだという。しかも、私のような気を持っている人には、これまでほとんど出会ったことがないそうだ。それにしても六十五歳というと、私の父とほとんど変わらない年齢ではないか。六十五歳になってもなお、異性を求め続けるバイタリティに溢れているのだろうか。

 続いて届いたのは、HERMES/エルメスのバーキン(本物・証明書付き)を無料でお譲りしますというメッセージだった。元彼女のために買ったものらしいが、不要になってしまったので、無料で私にくれるらしい。是非手渡ししたいので会えないか? という内容だった。そもそもバーキンとは何なのだろう? ブランドとは無縁の生活を送っている私には難しい。

 私は、出会い系サイトなどというものに登録したこと自体、初めてのことだったので、罪悪感とともに戸惑いを感じてもいたが、もともと出会いなど求めてもいないので、このまま返信もせずに黙り続けて、二、三日が過ぎて行くのを静かに待てばいいだろうと高をくくっていた。そして、携帯電話をロッカーに残したままホットヨガのレッスンを受けたのだが、シャワーを浴びたあと、携帯電話を確認してみると、何と六十分のレッスンの間に十通ほどメールが届いていた。携帯電話よりもパソコン中心の生活を送っている私にとって、普段の生活では有り得ない数のメールである。

 メッセージを確認してみると、さきほどのバーキンを無料でお譲りくださるという方から、返事を催促するメッセージが届いていた。更に驚いたのは、女性からもメッセージが届いていたことだ。その女性は、離婚されたあと、私と同じ市内に小さなお子さんと二人暮らしをされているそうだが、話し相手がいないため、月に十万円支払うので話し相手になってもらないかと書いていた。株の取引で稼いでいるので、安定した収入があるのだそうだ。その女性は、私が返信しないでいると、もう一度メッセージを送信されていた。二回目に届いたメッセージには、お互い女性同士なのだから、金銭抜きで信用して仲良くして欲しいと書かれてあった。話し相手になるだけで月に十万円支払うなどというメッセージを送りつけて来ること自体、既に信用できない状況なのに、この女性は何故、このようなことを書いて来るのだろう。おそらくだが、その女性は、月に十万円支払うことで、話し相手以外の何らかの見返りを求めているのではないだろうか。こうした出会い系サイトにおける出会いとは、好意ではなく、お互いの利害関係が一致したときに結び付いて行くものなのかもしれない。

 更にメッセージを読み進めて行くと、男性会員から写真付きのメッセージが届いていた。写真を拝見すると、なかなかのイケメンくんである。これほどのルックスを持った彼が、何故、出会い系サイトに登録しているのだろう。何でも彼は、東南アジア諸国を相手に事業を始めた若社長らしい。海外出張が多く、女性との出会いに焦りを感じ始めたので、出会い系サイトに登録してみたものの、なかなかうまく行かないそうだ。交際費として月に五十万円支払うので、一度会えないかと書いていた。ここでもまたお互いの利害の一致を求められた。私が返信しないでいると、そのイケメンくんはその後も何度かメッセージを送り付けて来て、携帯電話は手元に置いておくのでよろしくとか、これ以上無視されると辛いとか、挙句の果てには、預金通帳の残高を示す画像まで送り付けて来た。画像がそれほど鮮明ではなかったので実際の残高は良くわからなかったが、自分にはこれだけ預金があるということをアピールしたかったのだろう。それにしても、そんな画像がすぐに出て来ることからすると、同じ手口でいろいろな女性を誘って来たことがうかがえる。

 私は、いくつかのメッセージを確認するだけで既にうんざりしていた。それでも、自分宛にメッセージが届いているとなると、ついつい確認したくなってしまうのも、人間の悲しい性である。このような世界には決して足を踏み入れたくはないし、もともと新しい出会いなど求めていないというのに。

 ちなみに、きせかえツールを配信しているサイトに戻ってポイントを確認してみると、占いサイトと見せ掛けたこの出会い系サイトに登録したときに得られるはずの百三十ポイントは、まだ加算されていないようだった。すぐにポイントが付加されるわけではなかったようである。

 そうこうしているうちに、新しいメッセージがもう一通、届いた。メールに記載されているアドレスにアクセスしてみると、「ポイントが足りません」というメッセージが表示された。どうやら、メッセージを読み書きするために出会い系サイトにアクセスする度に、出会い系サイト内で有効なポイントが消費されるようである。登録直後は無料のポイントが割り当てられているのだが、それ以上、そのサイトを利用し続けるためには、お金を払ってポイントを購入しなければならないらしい。

 出会い系サイトのポイントなど追加で購入するものかと思いながらも、私は次々に届くメッセージに心を痛めてもいた。もしも私にメッセージを送り付けて来た人たちが、真剣に出会いを求めている人たちなのだとすると、出会いを求めてもいない私が出会い系サイトに居座り続けるのは申し訳ないのではないか。私はそう思い、退会を決意した。この出会い系サイトに登録することで、きせかえツールを配信しているサイトで使用できる百三十ポイントが付与されるはずだったが、ポイントのことなど、もうどうでも良かった。とにかく退会したい。私はその一心で、退会の手続きを取ることにしたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m きせかえツールをダウンロードするためのポイントを獲得しようとして、このようなことになってしまいました。(苦笑)届けられたメッセージには、自然な男女の出会いには有り得ないようなことが書かれていましたね。出会い系サイトでのポイントを追加購入させるためのサクラがこのようなメッセージを送り付けて来ているのではないかと疑ってしまったほどです。しかし、もしも私に届けられたメッセージが本物だとすると、お金がたくさんある人ほど、異性との出会いに苦しんでいるということなのでしょうか。何だか悲しいですね。ちなみに、エルメスのバーキンをネットで検索してみましたら、ああ、なるほど! 多くの女性が持ち歩いている、あの手のバッグだったのですね。この中に、ノートパソコン、入りますかね? 入りそうにありませんね。(苦笑)

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2008.11.18

「きせかえツール」が欲しかっただけ(1)

映画『めがね』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ユージの描くひどく大雑把な地図や、代金の代わりに、自分にとって、とっておきの何かを置いていくかき氷屋さんなど、この映画の特徴として思い出すものがたくさんあるからでしょうか。それら一つ一つの要素が余韻の波を作っているのかもしれません。

 今年の三月に新しい携帯電話を購入してから、遅ればせながらのFOMAデビューを果たした。ご存知の方も多いと思うが、最近の携帯電話にはきせかえツールというものがある。きせかえツールは、ブログで言えばテンプレートのようなもので、各種のメニュー画面に加えて、待ち受け画面やメールの送受信画面、電池容量や電波状態を示すアイコンなどの素材がセットになっている。携帯電話にプリインストールされたきせかえツールもいくつかあるのだが、ブログのテンプレートと同じく、しばらく使い続けると取り替えたくなってしまう。

 そこで私は、iモードメニューからアクセスして、他のきせかえツールを探そうと試みた。ところが、iモードメニューからアクセスできるほとんどのサイトが有料サイトとなっていた。ブログのテンプレートを無料で自由自在に変更している感覚からすると、きせかえツールをダウンロードするだけでお金を支払うというのも何だか贅沢である。そう思いながら、携帯電話の検索エンジンを使って携帯電話サイトを検索してみると、運良くきせかえツールを提供している無料サイトを探し当てた。

 私は早速、その無料サイトに登録してみたのだが、残念なことに、私の使用している携帯電話の機種に合った着せ替えツールは提供されていなかった。きせかえツールは、携帯電話の機種を的確に識別してダウンロードできるようになっている。おそらくだが、きせかえツールは、携帯電話の画面の大きさに依存するのだろう。私が使用している携帯電話は、画面のサイズが比較的大きいほうなので、ピッタリ合うきせかえツールがなかなか見当たらないのかもしれなかった。

 そもそも無料できせかえツールをダウンロードしようなどと考えていたことが間違いだったのだろうかと、無料のきせかえツールの入手を半ば諦めかけていたところ、どこかの携帯電話サイトを閲覧中に、「きせかえツールを無料で取り放題!」といった内容の広告を見付けて思わずクリックした。期待に胸を膨らませながらリンク先のサイトを参照してみると、私の使用している携帯電話の機種が自動識別され、私の携帯電話で使用できるきせかえツールの一覧ページへのリンクも表示された。更に、その一覧ページへのリンクをクリックしてみると、私の携帯電話で使用できるきせかえツールが四ページにも渡って掲載されていた。

 私は、「これだ!」と思い、すぐにその無料サイトに登録した。無料サイトなので、早速、気に入ったきせかえツールをダウンロードしようとすると、ダウンロードするにはポイントが必要だと書かれてあった。確かに無料サイトではあるものの、そのサイト内だけで有効なポイントを貯めなければ、きせかえツールをダウンロードすることができないらしい。そして、ポイントを貯めるには、スポンサーサイトにアクセスするためのリンクをクリックするか、スポンサーサイトに会員登録するか、といった条件が記載されていた。

 スポンサーサイトに会員登録するのは抵抗があるものの、スポンサーサイトにアクセスするだけでポイントを貯められるならばお安い御用と思い、早速、アクセスしてみた。しかし、リンクをクリックするために用意されているスポンサーサイトはわずか二つだけで、しかも、リンクをクリックしても、それぞれ一ポイントしか獲得することができなかった。それなのに、お目当てのきせかえツールをフルパックでダウンロードするには、三百ポイントも貯めなければならなかった。スポンサーサイトへのリンクをクリックしてポイントを獲得できるのは、一日一回のみである。つまり、二つのスポンサーをせっせとクリックして得られるポイントは、一日わずか二ポイントである。三百ポイント貯めるには、一体何日掛かるのだろう? 毎日アクセスするとしても五ヶ月は掛かってしまう。きせかえツールを獲得するために、それほど根気強く頑張れるはずがない。

 それに対し、スポンサーサイトに会員登録すると、だいたい数十ポイントから、多いもので百数十ポイントも一気に獲得できるサイトがあった。そこで私は、とうとう意を決して、あまり害のなさそうな無料で利用できるスポンサーサイトを物色し始めた。できれば、趣味と実益を兼ねたサイトがいい。そう思い、健康に関するサイトや女性向けの占いサイトなどにせっせと登録してポイントを稼いで行った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長くなりそうなので、複数回に分けて記事を書かせていただきたいと思います。皆さんは、きせかえツールをご存知ですか? 私は今年になって、初めて知りました。(苦笑)良く、街角などで、携帯電話に絵を描いてくれる業者さんがいらっしゃいますが、あれは携帯電話のハードウェアに装飾を施すのですよね。きせかえツールは、携帯電話に対し、ソフトウェア的に装飾を施すものであります。私は、自分の好きなもので周りを固めたいタイプなので、毎日眺める携帯電話の画面をできるだけ楽しくしたいと思ったのです。この続きは明日のお楽しみであります。(笑)

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2008.11.17

映画『めがね』

ホットヨガ(一二六回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ゆったりとしたペースで展開されたレッスンだったので、脂肪燃焼コースといえども、あまり汗はかきませんでした。それでも私は、汗をたくさんかくことよりも、このゆったりとしたペースがとても心地いいと感じました。そのせいでしょうか。普段は挫折して休んでしまう板のポーズも頑張って取ることができました。ゆったりとしたペースのレッスンで、疲労感が少なかったために、チャレンジできたのだと思います。そのため、いつもよりもレッスン後の達成感が大きかったように感じました。

 登場人物が全員めがねを掛けているというこの映画が劇場公開されているとき、私は観たい観たいと思いながらも、映画館に足を運ぶことができなかった。だから、レンタルDVDショップの旧作DVDレンタル百円セール開催中にこのDVDをわずか百円でレンタルできたのは、とてもラッキーだったと言える。鑑賞してみると、久し振りに余韻の残る素晴らしい映画に巡り合えたことをうれしく思った。何だろう、この余韻は。押し付けのない作品だったからだろうか。鑑賞してしばらく経っても、映画の不思議な余韻が頭から離れない。

 ある海辺の町の空港にプロペラ機が着くと、二人の女性が一人ずつ空港に降り立つ。一人は、もたいまさこさん演じるサクラ、もう一人は、小林聡美さん演じるタエコである。サクラは、毎年春になると、この海辺にかき氷の店を構えるためにどこからともなくやって来る。一方、タエコは、この海辺の宿、ハマダを目指してやって来た宿泊客だ。都会からやって来たタエコには、この海辺の雰囲気がどことなく合わない。一人で静かに過ごしたいタエコだったが、光石研さん演じる宿の主人ユージをはじめ、かき氷の店のほか、ユージの経営する宿の手伝いも兼ねているサクラまでが、タエコに対し、一緒にご飯を食べるように誘ったりと、家族的に接して来る。

 最初のうちは、都会の個人主義をこの海辺の町に持ち込んだタエコの拒絶感が緊張感として伝わって来る。タエコはマイペースでいたいのに、その家族的な雰囲気からマイペースでいることができず、出鼻をくじかれたような気持ちになっているに違いないのだ。

 海辺の町の人たちは、何かをはっきりと決めて行動しているわけではない。誰かがただ何となく始めたことに対し、他の人も何となく自然になびいて行く。サクラさんが考案したという、海辺で早朝に行われているメルシー体操も然りだ。マイペースを貫きたいであろうタエコに、一緒にご飯を食べることを勧め続けたり、早朝のメルシー体操に誘ったりと、ユージの態度は一貫して変わらない。マイペースなのはむしろ、海辺の町の人たちなのかもしれない。しかし、拒絶されてもなお、変わらないでいることは、やがて相手に変化をもたらすものだ。最初は拒絶感むき出しのタエコの態度も、少しずつ柔らかくなって行く。その変化は、ほとんど気づかないくらいのスピードだ。

 タエコが何故、この海辺の町にやって来たのかは、最後まではっきりとは明かされない。いつの間にか、宿で一緒に食卓を囲むようになった市川実日子さん演じる高校教師のハルナが、何故、ここにやって来たのかと、何度となくタエコに尋ねる。それに対し、タエコは、携帯電話の通じないところに来たかったと答える。いかにも現代的な答えである。最後まで、タエコの職業は明かされないが、おそらく仕事かプライベートで携帯電話の対応に追われ続け、携帯電話に応答しないと咎められるような毎日だったのだろう。だから、居留守を使うのではなく、携帯電話の通じない地域に来てしまえば、携帯電話には応答できないと胸を張って主張できるわけだ。

 どういうわけか、加瀬亮くん演じるタエコの後輩と思しき男性ヨモギがタエコの滞在している宿を訪ねて来る。携帯電話も通じないのに、何故、タエコの居場所がわかったのかもわからない。ヨモギは、タエコのことを「先生」と呼んでいる。ヨモギはいつの間にか、この海辺に馴染んで行く。もしかすると、タエコよりもたとがれる(何もしないでボーっと過ごすこと)が得意かもしれない。

 毎年、春になるとやって来るサクラさんが、一体どこからやって来るのかもみんな知らない。サクラさんとユージの関係も、何かありそうではあるが、最後まではっきりとは明かされない。こうして何もかもはっきりと明かされないことにより、お互いの中の自由意思が尊重されているのがわかる。鑑賞する人も、その自由意思を受け継いで、海の上に浮かぶボートのようにゆらゆらとこの映画に自分自身を預けることができる。

 やがて、たそがれることが苦手だったタエコも、この海辺の町に馴染んで行く。押し付けがなく、ゆったりとしたペースが実に心地いい。宿の食卓に並べられる手作りの料理も、心がこもっていてとても温かい。とにかくそんなほっこりとした映画である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 久し振りに余韻の残る映画を鑑賞しました。私もこの海辺の町に滞在したい気もしますが、携帯電話の電波も届かない場所となると、「ガンまる日記」の更新ができないですよね。それはかなり困ります。(苦笑)この監督の前作である『かもめ食堂』は鑑賞していないのですが、この作品は、『かもめ食堂』とほぼ同じスタッフ、キャストで構成されているのだそうです。『かもめ食堂』もまた、DVDで借りる作品のリストに加えておくことにします。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.11.16

ホットヨガ(一二六回目)

回数券通勤の誤算の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私が結婚直後に派遣された職場では、現在、私が働いている派遣会社以外の派遣会社から派遣された派遣社員も働いていました。その人たちがどうだったかはわかりませんが、一般的に派遣会社で働く人たちは、交通費が支給されません。そのため、交通費を何とか安く上げたいという人たちが多いのかもしれません。ちなみに、私が現在、働いている派遣会社では、交通費がしっかりと支給されています。(笑)

 朝からガンモが仕事に出掛けて行ったので、私も負けずに神戸店でホットヨガのレッスンを受けた。日曜日ということで、いつもの土曜日とはレッスンスケジュールが異なっている。できるだけ早い時間にレッスンを受けようと思うと、候補に挙がるのは、九十分のベーシックコースか六十分の脂肪燃焼コースである。しかし、いくら午前中の早い時間にレッスンを受けたいと思っていても、日曜日の午前中にスケジュールされている九十分のベーシックコースは、普段、仕事に出掛けて行くよりも早い時間に家を出なければならないため、六十分の脂肪燃焼コースのレッスンを受けることにした。

 もたもたしているうちに家を出るのが遅くなってしまい、神戸駅に着いたのはレッスン開始の十分前だった。人ごみを掻き分けてスタジオに向かい、何とか滑り込みセーフでレッスンにこぎつけた。レッスンを担当してくださったのは、いつもお話をさせていただいているインストラクターである。かつての脂肪燃焼コース2のレッスンのときも感じていたのだが、彼女のレッスンはスローペースで実に心地がいい。激しさはないが、ゆっくりとポーズを深めて行くことができる。スタジオ内を見渡してみると、フリーパス会員の方一人を除いては知らない方たちばかりだった。おそらく、土曜日には土曜日の参加者の顔があり、日曜日には日曜日の参加者の顔があるのだろう。

 新しい脂肪燃焼コースのレッスンと言えば、これまでに三宮店で一度受けただけである。そのときは、ブロックを使った、位の高い人に貢物を納めるようなポーズがいくつも含まれていて、とてもきつかった。同じコースのレッスンであったとしても、レッスンを受ける支店によって、あるいはインストラクターによっても、その内容は若干異なるものだ。貢物を納めるようなきついポーズは、今回のインストラクターのレッスンでは最小限に留められていたように思う。

 インストラクターの美しいプロポーションに見とれているうちに、あっという間に六十分のレッスンが幕を閉じた。ホットヨガのレッスンでは、レッスンの前半と後半にヨガマットの上に仰向けになって、休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)を取ることになっている。後半の休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)のときには、インストラクターが私たち一人一人にスプレーに入ったアロマを吹き付けてくださる。インストラクターは、レッスン終了後のあいさつのときに、
「皆さん、これからお昼ご飯を食べられると思いますが、さきほど使用したアロマは柑橘(かんきつ)系のアロマで、食欲を抑える効果があります。もっとこのアロマのパワーを受け取りたいという方がいらっしゃいましたら、帰りにしゅっしゅっと吹き付けてみてください」
とおっしゃり、アロマの入ったスプレーをご自分の前に置いた。しかし、レッスンを終えた人たちがスタジオから退出し始めると、インストラクターはさきほどのアロマのスプレーを手に持ち、出入口のところに高く掲げ、スタジオを退出して行く人たちに再びアロマを吹き付けてくださった。

 レッスンのあと、私はお昼ご飯を食べたのだが、確かに食欲を抑えるという柑橘系のアロマの効果が現れていたように思う。おまけに、夜になってもそれほどお腹が空かなかった。

 さて、レッスンのあと、私は映画『キサラギ』のDVDを返却するために、JR神戸駅近くの地下鉄ハーバーランドから勤務先の最寄駅まで神戸市営地下鉄を乗り継いで移動した。普段、月に一度の定時退社日に映画を鑑賞したり、ホットヨガのレッスンを受けたりするために、勤務先の最寄駅からハーバーランドに移動することは良くある。このとき、途中の駅で乗り換えるのが面倒なのだが、勤務先の最寄駅からハーバーランドに向かうときは、映画かホットヨガのレッスンという楽しいことが待っているために、長い乗り換え通路を歩くのも苦にならない。しかし、DVDを返却するために歩くのはあまり楽しくない。そもそも、休日に勤務先近くまで出掛けて行くということ自体、楽しくないということがわかった。

 しかし、一つ気づいたことがある。それは、逆ルートからの利用だと、エスカレータを利用できるということだ。ハーバランドに向かう地下鉄の階段は長くて深い。エスカレータはあるものの、それは昇る人のためだけに用意されている。私が職場の最寄駅からハーバランドまで利用するときは、いつも階段を利用するしかなかったのだ。しかし今回は逆ルートである。そのため、私が昇ることになり、長い階段ではなくエスカレータを利用することができた。これまで逆ルートしか利用したことがなかったために気づかなかったのだが、このルートを通勤に利用している人たちは、行きと帰りでバランスが取れているのだと思った。

 さて、職場の最寄駅に着いてみると、いつもの殺伐とした雰囲気とは違って、駅前の広場を和気藹々と家族連れが行き交っていた。なるほど、ショッピングセンターも充実しているこの駅周辺は、地元の人たちが休日に家族連れでやって来るのどかな場所だったのだ。新たな発見があっただけでも、わざわざここまで出掛けて来た甲斐があったというものだ。

 私は、映画『キサラギ』のDVDを返却したあと、神戸ではなく三宮に戻り、観たい映画を鑑賞しようとした。ところが、映画館に足を運んでみると、私が鑑賞しようとしていた次回の上映は既に満席で×マークが表示されていた。そこで私は、同じ映画が上映されている神戸まで戻り、その映画を鑑賞して帰宅した。ちなみに、鑑賞した映画とは、『レッドクリフ Part I』である。私が帰宅しても、ガンモは仕事から帰宅していなかった。私は、疲れと寝不足のため、ガンモが帰宅するまでコックリコックリと居眠りをしていた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これまでは、土曜日に動き回って、日曜日に自宅でのんびり過ごすというパターンが多かったのですが、今回は土曜日に自宅でまったりと過ごし、日曜日に動き回ってみました。特に、日曜日の職場の最寄駅近くの風景は意外でしたね。いつもと同じ場所なのに、時間が違えばまったく別のドラマが繰り広げられているのだいうことを改めて実感しました。私は平日の顔しか知りませんでしたが、反対に、遠くまで仕事に出掛けている地元の人たちは、平日の顔を知らないのかもしれませんね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.11.15

回数券通勤の誤算

映画『P.S. アイラヴユー』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 主人公が最愛の夫を喪った悲しみから立ち直って行くプロセスを描いた作品としては、少し前に鑑賞した映画『悲しみが乾くまで』のほうがずっと緊張感があったように思います。映画『P.S. アイラヴユー』は、アメリカ映画の宿命なのか、最愛の夫との死別というシリアスな問題に直面しながらも、どことなくコメディタッチの作品に仕上がっていました。それに対し、映画『悲しみが乾くまで』は最初から最後までシリアスドラマでしたので、感情移入することができました。

 勤務先の最寄駅付近にあるレンタルDVDショップで、またしても旧作DVDレンタル百円セールが開催されるという案内がメールで届いたので、金曜日の仕事帰りにいそいそと立ち寄ってみた。映画館に頻繁に足を運んでいることや、旧作DVDレンタル百円セールが開催される度にレンタルDVDショップに足を運んでいることを知っている派遣仲間からは、
「それだけ映画を観ていれば、借りたいDVDなんて、もうないんじゃないですか?」
などと言われている。しかし、実際に足を運んでみると、まだまだ借りたいDVDはざくざく出て来るものである。

 旧作DVDをわずか百円でレンタルできるとなると、例え映画館で鑑賞した作品であっても、もう一度鑑賞したくなってしまう。私は手帳に、もう一度鑑賞したい作品のリストをつらつらと書き連ねているのだが、そのリストの中には、ずっと以前から、完璧な台本で構成された映画『キサラギ』が挙がっていた。

 私は、旧作DVD百円セールが開催される度に映画『キサラギ』のDVDが収納されている棚に足を運んでみるのだが、やはり人気の作品なのか、毎回、貸し出し中になっていた。しかし、金曜日に足を運んでみると、あったのだ。私は、これはラッキーだと思い、他のいくつかの作品と一緒にレンタルすることにした。ほとんどのDVDは、一週間レンタルが可能な作品だったが、人気の映画『キサラギ』に限っては、二泊三日で返却しなければならないことになっていた。私は、週末に頑張って鑑賞して、月曜日に返却すればいいだろうと思い、他のDVDと一緒にカウンターに持ち込んだ。

 カウンターで貸し出しの手続きを行っていると、
「申し訳ありませんが、こちらのDVDに限っては、二泊三日でご返却いただけますでしょうか」
と言われた。私は、月曜日に返却するつもりで、
「はい」
と答えた。店員さんは、一週間レンタルできるDVDと、二泊三日で返却することになっている映画『キサラギ』のDVDを別々に分けて貸し出し用の袋に入れてくださった。しかし、その後、確認のために店員さんが発した言葉に、私は硬直してしまった。
「それでは、こちらのDVDのみ二泊三日ということで、日曜日のご返却、残りのDVDに関しましては、来週の金曜日のご返却ということで承りました」
ええっ? 日曜日の返却? 私は一瞬、焦ったが、既に店員さんが私の借りるDVDを貸し出し用の袋に詰め終えて私に手渡そうとしてくださっている段階だったので、私は焦る気持ちを押し隠して平静を装いながら店員さんからDVDを受け取り、レンタルDVDショップをあとにした。

 私は、金曜日に二泊三日でレンタルすると、月曜日に返却すればいいものだとばかり思っていた。しかし、金曜日の夜で既に一泊、土曜日の夜で二泊なので、返却日は日曜日になってしまうのだ。はてさて、困った。日曜日に、わざわざ勤務先の近くまで出掛けて行かなければならない。往復三時間も掛かるというのに。

 私は、ガンモに電話を掛けて、週末の予定を尋ねてみた。もしもガンモの日曜日の仕事が私の職場近くならば、ガンモが仕事に出掛けて行くときに一緒にカングーに乗り込み、DVDを返却しようと考えたのだ。しかし、ガンモの日曜日の仕事は私の職場近くではないという。となると、やはり自分の足で電車に乗って、職場近くまで出掛けて行かなければならない。休日に往復三時間も掛けてDVDを返却しに行くのは何となく気が重いし、何よりも、私は回数券通勤をしているため、わずか百円でレンタルしたDVDを返却するためにわざわざ回数券を消費するのは、少々割高になってしまう。

 回数券通勤というと、耳慣れない方も多いかもしれない。私も、関西に移住するまでは、通勤に回数券を使用するなど、思い付きもしなかった。しかし、結婚して東京から関西に移住した直後に、現在の派遣会社の紹介で仕事を始めてみると、他の派遣仲間たちが毎月の交通費を的確に計算し、定期券を購入するよりも回数券のほうが割安であると導き出していることを知った。私は、何も考えずにさっさと定期券を購入して通勤していたのだが、確かに出勤日数を考えると、定期券よりも回数券のほうが割安であることがわかったのだ。さすが、関西の人たちはお金に対してシビアである。そして、私も他の派遣仲間たちに見習って、回数券通勤を始めるようになったのである。

 そのような経緯から、定期券の購入は、普段から利用することの多いJRのみに留め、JRから先の神戸市営地下鉄は回数券を購入して通勤していたのである。ちなみに、神戸市営地下鉄の三宮から勤務先の最寄駅までの往復料金は七百八十円である。つまり、一枚わずか百円でレンタルしたDVDを返却するために、七百八十円の交通費を掛けて出掛けて行かなければならなくなってしまったというわけだ。

 私は、ひょっとすると、延滞料金を支払ったほうが安上がりなのではないかと、良からぬことも考えた。しかし、それではレンタルDVDショップに対する私の信用はガタ落ちである。やはり、往復三時間と、神戸市営地下鉄の往復料金七百八十円を掛けてDVDを返却しに行ったほうがいいのだろう。そのために、私はホットヨガのレッスンの予約を土曜日から日曜日に変更した。かくして、この土曜日はDVD鑑賞と決め込んだわけである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ずっと他の利用者によってレンタル中だった映画『キサラギ』のDVDをようやく借りられると思って喜んでいたら、このような落ちが待っていました。(苦笑)やはり、休日に職場近くまで出掛けて行くのは気が重いですね。でも、ホットヨガのレッスンの予約も日曜日に変更しましたし、休日出勤ではない日に職場の最寄駅まで出掛けて行くと、新たな発見があるかもしれません。休日の小旅行を楽しむことにします。(苦笑)

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2008.11.14

映画『P.S. アイラヴユー』

冬の布団争奪戦の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 十月の暖かさからすると、寒さが一気に増した十一月ではありますが、十一月中旬の気温としてはどうなのでしょうか。ダブルの掛け布団と毛布を使い始めるのは、コートが必要になる頃かもしれません。

 映画を観るとしたら、やはり恋愛ものを一番に観たい。私の中には、いつもそんな想いが渦巻いている。亡くなった夫から次々に手紙が届くというこの映画は、派遣会社の福利厚生サービスを利用して購入できる作品リストに上がっていたので、予告編を観て気になっていた私は、前売券を購入しておいたのだった。

 本編が始まると、いきなり不機嫌そうな女性が映し出される。そして、何かに怒っているであろう彼女を追う男性の姿がある。どうやら彼女の夫らしい。二人でどこかに出掛けていて、帰宅したところのようだ。部屋に入ると、靴を投げつけたりの大喧嘩が始まる。一体二人に何があったのか。そう思いきや、こうした夫婦喧嘩は彼らにとって日常茶飯事であることが見て取れる。鑑賞している私には、単に彼女の虫の居所が悪いとしか感じられなかった。彼が彼女に何を与えてくれているかということは一切関係なく、彼女にははっきりと求めているものがあり、それが得られないために腹を立てているのだ。

 不機嫌な妻ホリーを演じているのは、ヒラリー・スワンクだ。一方、妻に取り入る夫ジェリーを演じているのは、映画『幸せの1ページ』で父親と英雄の一人二役を演じていたジェラルド・バトラーである。この夫婦は、仲がいいのか悪いのか良くわからない。ついさっきまで激しく罵り合っていたかと思えば、ベッドの上で愛し合っている。きっと二人にはモードが切り替わるスイッチがあるのだ。

 そんな山あり谷ありの夫婦関係がいつまでも続くと思っていたはずなのに、ある日、ジェリーは脳腫瘍で亡くなってしまう。ジェリーの亡くなり方があまりにも突然だったため、私には受け入れられなかったのだが、黒い服を着た人たちがジェリーの死を悼んでいるシーンが映し出されたので、観客の私もジェリーの死を無理にでも受け入れるしかなかった。考えてみれば、物語が始まるのは、むしろそこからだったのかもしれない。

 自分の死を予測していたジェリーは、ホリーの周りにいる人たちに自分の想いを綴った十通の手紙を託していた。毎月一日になると、それらの手紙がいろいろな形でホリーの手元に届くようになる。そして、それらの手紙を開封する度に、自分がどれほどジェリーを愛し、ジェリーがどれほど自分のことを深く愛してくれていたかということに、彼を喪ってからようやく気づかされるホリー。ジェリーがまだ元気だった頃、ホリーはジェリーのように真っ直ぐには彼を愛せなかった。だからこそ、ジェリーを喪ったホリーの悲しみは深く、後悔の気持ちが後を絶たないのだろう。

 ジェリーの故郷であるアイルランドの景色がとびきり美しい。アメリカからアイルランドやスコットランドには旅行し易いのだろうか。ここ数ヶ月のうちに鑑賞した映画を振り返っただけでも、映画『近距離恋愛』映画『あの日の指輪を待つきみへ』で主人公がアメリカからアイルランドやスコットランドに飛び立つことにより、その美しい景色がスクリーンに映し出されている。旅行好きな私としては、それらの美しい景色を目にすると、ついつい足を向けたくなってしまう。

 ただ、同じ英語圏であっても、アメリカから見たアイルランド人やスコットランド人は、自分たちとは別の人種として描写されているようだ。もちろん、その反対も有り得る。日本語を話す民族は日本にしかいないので、飛行機に乗って遠く離れた外国に住む人たちが自分たちと同じ母国語を話しているというのは、ちょっぴりうらやましい気もする。しかし、確かに同じ英語といえども発音が若干異なる上に国民性も異なっているので、単に言葉が通じるというだけでは壊せない壁もあるのかもしれない。この映画からは、アイルランド人は真っ直ぐで情熱的だという印象を受けた。ジェリーがまさにそんな人だった。そして、ジェリーの友人も・・・・・・。

 ジェリーの故郷、アイルランドに出掛けたホリーが新しい恋を始めるかと思いきや、友人ベースで交流の続いていたハニー・コックJr.演じるダニエルに真剣な想いを告白されたりと、ミニシアター系の映画館で上映されているような作品ならば、きっと立ち止まってしばらく悩んでしまうであろうようなことが、実にあっけらかんと素早く解決されているという印象は否めなかった。それでも、ホリーにしてみれば、とにかく前に進むしかなかったのだろう。彼女の立ち直り方を見守っていても、実際に彼女と同じような状況に直面した人たちがこの映画を鑑賞したとしたら、少々物足りないと思ってしまうかもしれない。しかし、ジェリーの書いた手紙は、ホリーの新たな恋を応援してもいるのだ。

 それに加え、これまでぎくしゃくしていた母との関係が修復されたりと、最愛の夫ジェリーを喪うという大きな悲しみと引き換えに、ホリーが得たものも大きい。ホリーにはずっと、父と別れることになった母が抱え続けて来たものが見えなかったのではないだろうか。だから、例えジェリーを喪った悲しみを穴埋めできなかったとしても、決して喪うばかりではないのだ。それは、今年のうちに私自身が体験した身近な人たちの死を通して感じたことでもある。

 それにしても、映画『近距離恋愛』にも出て来た花嫁の介添人という立場の存在が、私には良くわからない。私たち夫婦が結婚式を挙げなかったせいだろうか。花嫁に介添人を付けるのは、アメリカだけのしきたりのように思えてしまう。映画『近距離恋愛』では、介添人の手配により、花嫁の自宅で行われるパーティにパフォーマンスを披露してくれる人を招く習慣があった。また、今回鑑賞した映画の中では、ホリーが介添人の役を放棄して友人である花嫁と半ば絶縁状態に陥りそうなシーンもあった。これらのことからも、やはり、日本ではアメリカほど、介添人の存在は大きくないのではないだろうか。

 映画を鑑賞し終わった私の心の中には、アイルランドで着ていたヒラリー・スワンクのカラフルな衣装と、彼女の白い歯が印象に残った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実際に死に直面した人が、ここまで妻のことを思えるとなると、感動的だと思います。何故なら、死に直面するとなると、自分の問題で精一杯になってしまうからです。また、脳腫瘍を煩っている状態で、たくさんの手紙を残すだけの余裕があったことも、早いうちに決断して実行したのだろうと想像できます。それを考えると、ジェリーは本当に真っ直ぐにホリーを愛したのでしょうね。何となくその真っ直ぐな愛が、あまりにも早い展開のために実感し切れなかった部分もありましたが、ジェリーの持つアイルランド魂に触れたような熱い感触がありました。

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2008.11.13

冬の布団争奪戦

靴の魔法の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。フィット感のある靴を履くことによって、足の歪が矯正さたるのでしょうか。とにかく、靴を変えるだけで、これほど顕著に足の痛みがなくなるのは驚異であります。しかし、私は現在、激しい靴擦れと戦っています。(苦笑)普段、革靴を履くことはあまりなかったので、久し振りにカットバンが大活躍しています。このようにして、私たちの踵は革靴に合わせて削られて行くのでしょうね。この痛みはまるで、動物の革を剥ぎ取って作った靴を履く人のための戒めのようでもあります。

 私たちは、結婚してからずっと一つのシングルベッドに仲良く寄り添って寝ている。シングルベッドなので、最初のうちは、使用している布団もすべてシングルだった。私の両親は、私たちがシングルベッドに寄り添って寝ていることを知っていたが、せめて掛布団だけでもダブルを使ったほうがいいだろうと気を利かせて、結婚祝いにダブルの掛布団と毛布を買ってくれた。しかし、新婚ホヤホヤの私たちは、シングルベッドなのだから、掛け布団も毛布もシングルでいいと言い張り、しばらくその掛け布団と毛布を使わなかった。一つのもの、あるいは一人分のものを分け合って使うということに喜びを感じていたので、ダブルの掛け布団や毛布のように二つのもの、あるいは二人分のものを分け合って使いたくはなかったのだ。

 とは言うものの、人間というものは、幸せな結婚生活が続くとどんどん横に成長してしまうものらしい。あまりにも楽ちんな生活を続けていたために、ガンモも私もすっかり横幅が広くなってしまった。そのため、冬になると、シングルの掛け布団と毛布では布団の取り合いになり、ガンモが風邪を引くようになってしまった。そう、シングルベッドの上で繰り広げられる布団争奪戦には、いつも私が勝利していたのである。そこで、冬に限り、ダブルの布団と毛布を使用するようになった。

 ところで、今は秋から冬に向けての微妙な時期なので、我が家のシングルベッドでは、まだシングルの掛け布団と毛布を使用している。しかし、夜、寝るときは暖かくても、朝、起きると布団や毛布がないということもしばしばだ。たいてい、ガンモが布団を自分の身体に巻きつけ、私が毛布を身体に巻きつけている。そのため、ガンモは
「毛布がなくて寒い!」
と文句を言い、私は、
「布団がなくて寒い!」
と文句を言っている。

 だから、今夜こそダブルの掛け布団と毛布に取り替えようと思うのだが、不精な私たちは、なかなか重い腰が上がらない。別の部屋に仕舞い込んでいるダブルの掛け布団と毛布を取りに行き、替わりにこれまで使っていたシングルの掛け布団と毛布を仕舞うのが面倒なのだ。しかし、そのうちどうしても我慢し切れなくなるときが来るのだ。おそらくそのタイミングとは、どちらかが風邪を引いたときである。それまでの間は、シングルベッドの上で激しい布団争奪戦が繰り広げられるのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 普段、私たちが使用している寝具にも季節感が漂っているものだと、改めて実感しました。シングルからダブルに切り替わるときは、掛け布団と一緒に使っていた毛布をそのまま下に敷いてしまいます。(笑)そのタイミングを考えると、まだまだ敷き毛布が必要なほど寒くはないので、ダブルの掛け布団と毛布を使用するのはもう少し先のことになるでしょう。

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2008.11.12

靴の魔法

映画『容疑者Xの献身』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。大変な人気の作品ですので、既にご覧になった方も多いのかもしれませんね。あらゆる意味で「完璧」な映画だと思いました。まだ公開中の作品です。この映画が気になるけれど、まだご覧になっていない方は是非とも映画館へお急ぎください!

 ここのところ、足の痛みがひどく気になっていた。足を踏み出すときに、足の裏や踵(かかと)のあたりに強い痛みを感じていたのである。以前も同じような症状に悩まされ、整形外科を訪れたところ、湿布を処方されただけでいっこうに良くならなかった。そこで今度は鍼灸院を訪れてみると、足底腱膜(けんまく)炎と呼ばれる症状であることがわかった。それからホットヨガのレッスンを受けるようになるまでおよそ二年間に渡り、毎週のように鍼灸院に通い続けた。鍼灸院での治療は保険が効かないため、一回の治療費は四千円以上も掛かったが、足の裏に強いお灸を施していただくことで足の裏の痛みが和らいだことに加え、他にも肩こりや冷えなどの症状がある程度、緩和された。私にとって鍼灸院での治療は、整形外科で処方された湿布よりもずっと効力を発していた。

 その頃のことを思い出し、私は今回の痛みに対しても、自分で足の裏にお灸をすえて何とか痛みを和らげようと試みた。ところが、我が家にあるお灸がマイルドタイプだからなのか、いくらお灸をすえてもすえてもいっこうに痛みが治まらなかった。やはり、鍼灸院で施してくださっていたような強いお灸でなければ効果はないのかもしれない。とは言うものの、これまでお世話になっていた鍼灸院には、ホットヨガを始めるという理由で通わなくなってしまったので、何となく行き辛い。そこで私は、通勤の途中に見付けた、自宅の最寄駅近くにある鍼灸整骨院の看板に保険適用と書かれているのを確認し、思い切って訪ねてみようかと考え始めていた。しかし、ホットヨガのレッスンとの兼ね合いから、なかなか訪れることができず、日数ばかりがいたずらに過ぎて行った。

 そんなとき、休日にふと思い立って、ガンモの運転するカングーに乗って出掛けた、とあるショッピングセンターの中にある靴屋さんを訪れた。私は以前、足の痛みの原因は靴にあるという話をどこかで聞きつけたことがあるので、新しい靴を買ってみようかと思っていた。確か足底腱膜炎には、足のアーチを守る靴が良いとされているはずだった。私は店内にある靴の中で、自分の足にフィットしそうなものを探し始めた。

 もともと私は、多くの女性が好んで履くようなパンプスの類はまったくと言って履かない。足先が尖っているものや、踵が固いものは足に負担が掛かり易いからである。私が好んで履いているのは、足先をのびのび伸ばせて全体的に弾力性のあるウォーキングシューズの類である。ただ、困るのはサイズだ。私の正確な足のサイズは、二十二センチと二十二.五センチの中間である。大人の女性用の靴で二十二センチのサイズの靴はまずないのだが、万が一見付かったとしても二十二センチの靴ではやや小さいし、二十二.五センチの靴ではやや大きいのである。

 店内をぐるぐる回り、いろいろなウォーキングシューズを見て歩いた。その中に、ふと目に留まったウォーキングシューズがあった。普段は一万円数千円の値段が付けられているのだが、週末に限り、数千円程度で購入できる革製のウォーキングシューズだった。私は中途半端な動物愛護の気持ちから、革製品を好んでは使用していないのだが、そのウォーキングシューズはひどく気になったので、手にとってじっくりと見ていた。ウォーキングシューズと言っても、完全な紐靴ではなく、紐の横にジッパーが付いている。そのため、靴を着脱するときに、わざわざ紐を解いたり結び直す必要がない。これはとても便利である。足先の部分の広さも合格だ。足幅がやや狭いということと、革製品であるというこだわりを捨てれば、快適なウォーキングシューズとしての役割を果たしてくれそうである。

 私がそのウォーキングシューズを手に取ってじっくり見ていると、店員さんがにこやかに近づいて来て、
「よろしければサイズをおうかがいします」
と話し掛けてくださったので、二十二.五センチの商品を出してもらった。セール中のそのサイズの商品が、棚の中に一つだけ残っていたのはラッキーだった。

 私は店員さんに出してもらった靴を履き、自分の足にフィットするのを実感した。店員さんは、
「通常の二十二.五センチよりも少し小さめかもしれません」
とおっしゃった。確かに毎回、二十二.五センチの靴を試着すると少し緩い感じがするものだが、この靴は妙にフィットしていて、とても心地が良かった。靴も私のことを気に入ってくれたのかもしれない。私は、
「じゃあ、これください」
と申し出て、その靴を包んでもらった。

 これまで履いていたウォーキングシューズは、夏休み前に購入したものだった。サイズは二十二.五センチだが、次第に足に馴染んで広がって来たのか、最近では靴下を履いても靴が緩く感じられ、フィット感を感じられなくなってしまっていた。この靴でパリやロンドンも元気に歩き回っていたのだから、最近になって足が痛くなってしまったのは、決してその靴のせいではないのかもしれない。しかし、足を踏み出す度にブカブカ感を味わうのは何となく気持ちの悪いものである。

 私は思い切って、新しく購入した革靴を履いて出勤してみた。同じ二十二.五センチの靴でも、少し小さめに作られているようで、締まりがいい。一歩踏み出すごとにフィット感を感じる。ただ、新しい革靴を履き始めた宿命としての靴擦れは起こる。私は踵に何枚ものカットバンを貼り、靴擦れの痛みをしのいでいる。こうして自分自身の踵を削りながら、足の形に靴を合わせるのではなく、靴の形に足を合わせようとしているのだ。

 しかし、どうしたことだろう。新しい革靴を一日履いただけで、歩行時の足の痛みを感じなくなってしまったのだ。気になるのは、靴擦れの痛みだけである。これまで痛みを感じていた部分を押さえてみると、痛みが完全に引いたわけではないことがわかった。しかし、歩行時には痛みが気にならなくなってしまったのだ。一体これはどういうことなのだろう。足が靴に対するフィット感を激しく求めて痛みを起こし、新しい革靴に履き替えたことで、満足感を得たのだろうか。

 足に痛みを感じたときは、靴を替えてみると良いという話は本当だった。ガンモもまた、
「靴は大事だから。自分に合った靴を履いたほうがいい」
と私に言った。私のために命を投げ打ってまで革を提供してくれた動物よ、ありがとう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これまで足の痛みを感じたときは、足のアーチを守るために、足の中に一生懸命詰め物をしたりして試行錯誤を重ねていたのですが、そのような苦労をすることもなく、靴を替えただけで瞬く間に痛みを感じなくなってしまったのは驚きです。靴のフィット感がこれほど大切だったということを改めて思い知らされました。

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2008.11.11

映画『容疑者Xの献身』

「スリッパ持参でお越しください」の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m スリッパを持参して開店前のショッピングセンターに入店したガンモは、「とにかく広い!」と驚いていました。最寄の阪急駅前も大きく開けているようです。ちなみにガンモは、持参したスリッパをちゃんと持ち帰りました。(笑)

 一言で面白い映画と言ってもいろいろある。お腹を抱えて大笑いする映画、「なるほど、そんなカラクリがあったのか!」と大きく頷(うなず)く映画、まるで子供時代に還ったかのように次から次へと楽しい映像を見せてくれる映画・・・・・・。さて、この映画は、興奮に値するほど大きく頷いた映画だった。

 普段、テレビを見る習慣のない私がこの映画を鑑賞したのは、ひとえにこの映画の上映時間のタイミングが合ったに過ぎなかった。月九と呼ばれるテレビドラマを観ていたわけでもなく、映画館でこの映画の予告編を目にしたわけでもない。ガンモの仕事が深夜まで及ぶと聞いていたので、レイトショーを鑑賞しようと映画館の受付に並んだとき、どこかで目にしたこの映画のポスターのことを思い出した。そして、たまたま待ち時間が少ないという理由だけでこの映画を選んだのだ。もしかすると、こんなふうに何の構えもなく鑑賞した映画ほど楽しめるようになっているのかもしれない。

 あるアパートで殺人事件が起こる。そのシーンがやけにリアルで、思わず手に汗を握ってしまった。その直後から、私はこの映画にどっぷりと浸かり切ってしまったと言える。殺人事件の容疑者として浮かび上がったのは、松雪泰子さん演じる被害者の元妻である。しかし、事件解決の糸口を見付けられず、頭を抱えた警察は、福山雅治くん演じるガリレオこと天才物理学者の湯川に捜査の協力を依頼することになる。やがて湯川は、容疑者である被害者の元妻のアパートの隣の部屋に、大学の同級生だった堤真一さん演じる天才数学者の石神が住んでいることを知る。湯川は、高校で数学の教師をしている石神がこの殺人事件に深く関わり、完全犯罪を成立させようとしているのではないかと目をつける。そして、ついには天才物理学者と天才数学者の頭脳対決が展開されるのだ。

 私がこの映画をとても面白いと思ったのは、仕事柄、ロジカルな考え方をする癖が板についているからだろうか。謎解きが終わったあとに得られた回答に激しく納得するのだ。そして、このような緻密な展開を計画することができる人を天才だと思う。こんな小説が書けたならば、きっと充実感を味わうことができるだろう。原作者の東野圭吾さんの作品は、若い頃に読んだことがある。これほど有名になる以前の作品だ。その頃は、これほど完璧な物語を書く人だとは思っていなかった。当時から素晴らしい才能があったはずなのに、それを見破ることができなかったことが悔しい。

 しかも、完全犯罪への緻密な計算だけでなく、ちゃあんと、どんでん返しのラストまで用意されている。あれほど緻密な計画を立てたはずなのに、人間は愛というものにはかなわない。愛が予測できないというわけではない。緻密な計算も、愛を前にしてしまえば、ふにゃふにゃになってしまうということだ。

 被害者の元妻を演じていた松雪泰子さんは、映画『デトロイト・メタル・シティ』で、デス・メタル好きのはちゃめちゃな女社長を演じていたはずだ。この両極端な二人を同じ女優さんが演じ分けているのだから、女優という仕事はきっと楽しくてたまらないのだろう。はちゃめちゃな役も、清楚な役も両方こなすことができる女優さんは、なかなかいないものだ。

 いつもスパッとした演技を見せてくれる堤真一さんも、この映画では、寝癖があってもおかしくないような、一見、冴えない数学者を演じていた。隣の部屋から大きな物音が漏れて来たときの堤さんの反応は、緊張感があってとてもリアルで、本当に殺人事件の証人になっているかのようだった。

 私は、この完璧なストーリーに酔いしれたまま映画館を出た。そして、深夜まで仕事をしていたガンモに電話を掛けて、興奮気味に映画の感想を語ったのは言うまでもない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 子供の頃、読んでいた推理小説に、「完全犯罪は成り立たない」などという理論が書かれていました。しかし、この映画を観ると、ひょっとすると完全犯罪は成り立つのかもしれないと思いました。証拠を残しているところと、わざわざ消しているところがチグハグではありましたが、そのことにもちゃんと意味があったんですよね。いやあ、ブラボーであります。私も、人々がうなるような小説を書いてみたいものです。(笑)きっと、絶大なる集中力が必要なんでしょうね。

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2008.11.10

「スリッパ持参でお越しください」

ホットヨガ(一二五回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。鳩のポーズを取るときに、上級者向けのポーズを取るためには、自宅で練習を重ねてレッスンのときにビシッと決めるしかないのかもしれません。完成途中のポーズを取っていると、私が苦しそうにポーズを取っているように見えてしまうんでしょうね。(苦笑)

 我が家から自転車で十分くらいのところにある球場跡地に、西日本最大の店舗面積のショッピングセンターが建設され、今月下旬のオープンを控えている。何と言っても気になるのは、そのショッピングセンターの中に、十二ものスクリーンを持つ大規模な映画館が誕生するということだ。

 仕事帰りやホットヨガのレッスンのあとにしばしば足を運んでいる神戸市内の映画館は、毎週火曜日がレディースデーとなっている。しかしこの新しい映画館では、レディースデーが毎週水曜日に設定されている。ということは、うまく行けば、火曜日と水曜日に連続して映画を千円で鑑賞できるということである。しかも、レイトショーも上映されるらしい。更にうれしいことに、オープンから三日間は、全作品を千円で鑑賞できるのだそうだ。実際に実現できるかどうかは別として、できればオープン直後は有給休暇を取って、自転車に乗って新しい映画館に出掛け、映画を千円で何本も鑑賞しながら一日を過ごしたいものである。

 ただ、残念なことにそのショッピングセンターは、私たちが普段、利用していない阪急電車の沿線に建設されている。そのため、自宅から直接出向いて行くのでなければ、少々不便ではある。例えば、仕事帰りやホットヨガのレッスンのあとにその映画館で映画を鑑賞したいと思ったならば、いつものようにJRの最寄駅で降りたあと、自転車に乗って、自宅とは反対方向の映画館に足を運ぶことになる。それを思うとちょっぴり面倒ではある。とは言うものの、それくらいの苦労は、むしろ運動になっていいのかもしれない。

 大規模な映画館のオープンを前にして、私がわくわくしていると、たまたまガンモにそのショッピングセンターでの仕事が入った。映画館ではないのだが、同じショッピングセンター内に店舗を構える顧客である。ガンモがその顧客のところに出向くことになったとき、顧客からは、
「オープン前なので、スリッパ持参でお越しください」
と言われたそうだ。どうやら、建設業者から正式に引き渡されるよりも前に店舗に立ち入ることになるため、細心の注意を払う必要があるらしい。

 そこでガンモは、確か急行銀河に乗車したときに持ち帰ったスリッパがあったはずだと思い出し、家の中をゴソゴソと探し始めた。しばらく探したのち、ガンモは急行銀河の中で使用したスリッパの片方だけを発掘したのだが、もう片方がなかなか見付からないらしかった。私もガンモと一緒に探してみたのだが、やはりもう片方のスリッパは見付けられなかった。探しているうちに、しばらく目に触れていなかった懐かしい品々が次から次へと掘り出され、私は何度も何度も思い出に浸っていた。

 おっと、そんな思い出に浸っている場合ではない。もう片方のスリッパを探し出さなければ・・・・・・。そう思いながら、更にゴソゴソと探し回っていると、探していたスリッパの片割れではなく、ビニール袋に入った新品のスリッパが見付かった。探しているスリッパと同じく急行銀河に乗車したときに持ち帰ったものである。ガンモは、探していたスリッパを現地で履いたあと、捨てて帰るつもりだったらしい。しかし、未使用のスリッパを見付けてしまったので、何だか捨てて帰るのを惜しそうにしていた。ガンモは私に、
「映画館までは行けないと思うけど、とにかく、ショッピングセンターの中の様子を偵察して来るから」
と言った。

 仕事とは言え、気になるショッピングセンターにオープン前から足を踏み入れることができるガンモが、私にはちょっぴりうらやましかった。おそらく、ガンモと同じ日に多くの人たちがショッピングセンターに入店することになるのだろうが、みんなおすまし顔で通用口から入店していたとしても、バッグの中にそれぞれ自分用のスリッパを忍ばせているであろうことを想像すると何だかおかしいではないか。しかも、顧客がスリッパを用意してくれるのではなく、My箸ならぬMyスリッパの持参を推奨されているのだから、更におかしい。果たしてガンモは、持参したスリッパを持ち帰るつもりなのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 大規模な映画館のオープンはとても楽しみであります。十二月の終わりに、ホットヨガ神戸店のすぐ隣にある映画館が閉館してしまうので、そこで上映されていたような見応えのあるマニアックな作品も上映されればいいのにと期待しているのですが、なかなかそうも行かないようであります。どうやら、静かな映画館というよりも、ワイワイガヤガヤとにぎやかな映画館になりそうな予感です。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.11.09

ホットヨガ(一二五回目)

映画『落下の王国』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この手の映画は、ストーリーを追い難いことも多いのですが、この映画は比較的わかり易かったと思います。ロイの作り話を表現するために、二十四ヶ国以上でロケを実施するなんて、とても贅沢な話ですよね。また、原題は"THE FALL"ですが、これを『落下の王国』と訳した人もなかなかセンスがあると思います。

 およそ二週間振りにホットヨガのレッスンを受けた。先週は、生理が始まるか始まらないかの微妙な時期だったので、レッスンの予約を入れなかったのである。生理も終わり、新しくなった六十分の脂肪燃焼コースのレッスンを受けるか、いつものように九十分のベーシックコースのレッスンを受けるかでかなり迷ったのだが、やはり午前中にレッスンを受けておきたい気持ちから、神戸店で九十分のベーシックコースのレッスンを受けることにした。

 今回のレッスンを担当してくださったのは、先日、三ポイント獲得されたインストラクターである。レッスンの参加者は、私を入れて十五名だった。もともと十七名の予約が入っていたらしく、狭いスタジオ内には十七枚のヨガマットが所狭しと並べられていた。しかし、レッスンが始まっても、二枚のヨガマットは使用されないまま残っていた。おそらく、直前にキャンセルされた方がいらっしゃるのだろう。もともと狭いスタジオで十七名もレッスンを受けるのはかなり厳しい状況ではあったのだが、たまたま私の左隣のヨガマットがレッスンの最後まで空いていたので、私は他の人に比べて伸び伸びと両手を広げることができた。

 狭いスタジオに、参加者がひしめき合っていたからだろうか。スタジオ内がいつもよりも暑いと感じた。インストラクターが時々冷たい空気を送り込んでくださったのだが、それでも暑く、私は休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)のときにスタジオの外に出て行くか否か、しばらく迷っていた。しかし、何となくタイミングを逃してしまい、スタジオの中でずっと過ごすことになってしまった。今になって思えば、メリハリを付けるためにも、一度スタジオの外に出て冷たい空気を吸い込んだほうが良かったと思う。

 これまで、九十分のベーシックコースのレッスンは、私にとってはちょうどいいレッスンのはずだった。しかし、スタジオ内がいつもよりも暑く感じられる上に、およそ二週間振りのレッスンで身体が少し鈍っていたからだろうか。後半になると、次第に疲労感が激しくなり、息も荒くなって来た。寝ポーズに入ったときに、私の息使いが荒いことを察知したインストラクターが、
「大丈夫ですか?」
と声を掛けてくださった。私はすぐに、
「ありがとうございます。大丈夫です」
と返した。

 また、鳩のポーズのときに、ようやく上がり始めた足を上げて、上級者向きのポーズを取ろうとしていると、インストラクターが私に、
「足を上げなくても大丈夫ですよ」
と囁いてくださった。そのため、私はビギナーコースで取っている、足を上げない初級者向けの鳩のポーズに戻ることにした。以前よりも足が上がるようになって来たので、足を上げる練習をしてポーズを完成させたかったのに、ちょっぴり残念である。次回からは、少し無理をしてでも足を上げる上級者向けのポーズを取ろうと思った。

 こうして九十分のレッスンが終わり、シャワーを浴びたあと、着替えを済ませてロッカーの鍵を受付に返しに行くと、さきほどのインストラクターが対応してくださった。どうやら次回のレッスンから五回連続で、バスタオルの無料レンタルサービスが受けられるらしい。現在、十一月末までの予定で、関西地区の支店でレッスンを受けた人たちを対象に、レッスンを受けるごとにスタンプカードへの捺印が行われているのである。ありがたいことにそのスタンプが溜まり、次回のレッスンから五回に限り、バスタオルを無料でレンタルできるという。おかげで次回からは、少し荷物を減らすことができそうである。

 そう言えば、先日、三宮店でレッスンを受けたときに、レッスンを終えたあとに返却された回数券の有効期限が修正液で修正され、一週間延びていた。一体何が起こったのだろうと思い、三宮店のスタッフに聞きそびれたことをさきほどのインストラクターに尋ねてみると、
「年末年始で一週間、お休みをいただくので、延長させていただいてるのだと思います」
という答えが返って来た。なるほど。とは言うものの、これまでは年末年始に一週間も休業になることはなかったはずである。それだけ、ホットヨガで働くスタッフの福利厚生も充実して来たということなのかもしれない。そのために、私たち会員の回数券の有効期限を延ばしてくださったお心遣いに感謝することにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最近、休日のレッスンの予約を入れるときは、どのレッスンを予約するか、迷うようになってしまいました。体調によっては、緩いレッスンのほうがありがたいこともあったりしますが、そういうレッスンは、たいてい午後からなんですよね。緩いレッスンとして、ビギナーコースも受け入れるならば、朝の早い時間からレッスンを受けられるのですが、緩いレッスンを望んでいても、ビギナーコースだと反対にちょっぴり物足りなかったりと、なかなか難しいものであります。(苦笑)

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2008.11.08

映画『落下の王国』

二十パーセント減の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 状況が少しずつ変化して行くことで、これまで受け入れられなかったことも、やがて受け入れられるようになって行くものなのでしょうか。私たちは、絶えず変化し続ける存在なのですね。しかし、守りに徹したいときは、変わらないことを尊重したり、変わることを悲しんだり、逆に攻めに徹したいときは、変わることを喜んだり、変わらないことにしびれを切らしたりと、忙しいですね。(苦笑)

 観たい映画があると、実際に鑑賞にこぎつけるまで、その映画が気になって気になって仕方がない。そして、上映スケジュールと自分のスケジュールと映画の割引デーを突き合わせては、何とか時間を作って鑑賞しようと試みる。この映画を鑑賞したのは、月に一度の定時退社日だった。定時退社日は水曜日に設定されている。ホットヨガのレッスンを受けるか、映画鑑賞をするか、いつも悩むところだが、毎週水曜日は、ホットヨガ神戸店のすぐ隣にある映画館で映画を千円で鑑賞できる上に、どうしてもこの映画を鑑賞したかったので、映画鑑賞を選んだのである。

 予告編を観たときから、とても幻想的で芸術的な作品であるという印象を受けていたが、実際にその通りだった。冒頭に流れるスローモーションのモノクロ映像からも、この映画はただものではないと感じた。写真で言うと、広角レンズをふんだんに使った写真を見せられて、強いインパクトを受けたような感じだった。

 五歳の少女アレクサンドリアと自殺願望の強いスタントマン、ロイが入院先の病院で出会う。アレクサンドリアはオレンジの木から落ちて左腕を骨折したものの、病院内を自由に歩き回っていた。一方、映画の撮影中に足を骨折したロイは、ベッドから起き上がることができないでいる。少女の名前がアレクサンドリアであることから、ロイはアレクサンドリアにアレキサンダー大王の話を聞かせる。アレクサンドリアはロイの話に夢中になり、ロイに話の続きをせがむのだが、ロイの目的は、アレクサンドリアの興味を引いて、自殺するための薬を盗ませることにあった。

 ロイの語るアレキサンダー大王の話は、実に壮大な物語だった。実際にこの映画が撮影されるとき、四年の歳月をかけて撮影され、二十四ヶ国以上の映像が盛り込まれたそうだ。ロイが語り始めると、スクリーンにはいつも新しい景色が映し出されていた。ロイの思いつきで語られる物語であるだけに、景色はクルクルと切り変わる。しかも、世界各国が映し出されるというとびきり贅沢でクリアな映像である。ロイの話にすっかりのめり込んだアレクサンドリアは、薬を持ち出して欲しいというロイの頼みを聞き入れるのだった。

 アレクサンドリアの役を演じていた子役のカティンカ・ウンタールは、この作品が映画デビュー作になるのだそうだ。それにしては演技が上手い。彼女が演技をしているという感じはまったくなく、本当に骨折をして病院に入院しているかのようだった。健康優良児のようにぽっちゃりしていて、お人形さんのような子役よりも親しみ易く、人間味があった。彼女の演技は完璧である。この映画を鑑賞された多くの人たちが、彼女の完璧な演技に注目するだろう。

 『落下の王国』というタイトルの通り、この映画の中には様々な落下が登場する。アレクサンドリアがオレンジの木から落ちて怪我をしたことも、ロイが撮影中に怪我をしたことも、おそらく落下に繋がっている。その上ロイは、いつまでも自殺願望が消えず、人生からも落下しつつあった。一方、アレクサンドリアは、落下癖がついてしまったのか、病院の中でも落下してしまう。落下したままの人生でいいのか、と訴えかけているような映画ではないのだが、ロイは最終的には立ち直るのだ。もしかすると、ロイが病院でアレクサンドリアと出会ったことがきっかけとなっているのかもしれない。自分のために病院で再び落下したアレクサンドリアを見て、これ以上、自殺願望を抱き続けてはいけないと奮起したのだろうか。特に解決を求めるような作品ではないのだが、一つだけはっきりと言えることがあるとすれば、人生のある時期において、互いに関わり合った人たちの物語を世界を股にかけた映像美とともに表現された映画であるということだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ないものを求める気持ちが強くなるからでしょうか。身体を自由に動かせないときほど、空想力が豊かになるのかもしれませんね。そうだとすると、健康な状態のときは、それ以上のものを欲する気持ちが薄れているために、空想したり、新たに何かを生み出すということからは遠ざかってしまうとも言えますね。満足していないという状態は、意外と大切なことなのかもしれません。(笑)

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2008.11.07

二十パーセント減

集合体としての相乗効果の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私はお気に入りのものがあると、もう一つ同じものが欲しくなってしまいます。ガンモが気に入ってくれたお弁当箱は、一セットしかないんですよね。もう一セットあれば、ガンモと一緒にカングーの後部座席のテーブルにお弁当を広げて一緒に食べられるのですが・・・・・・。(苦笑)

 生理の報告をしておこう。最近は、二十四日周期の生理と二十八日周期の生理が交互にやって来ている。今回の生理は二十八日周期でやって来たので、次回の生理は二十四日周期でやって来るはずだ。出血量は、前回よりもやや多くなってしまった。そう、またしても食べ物に無頓着になってしまったからだ。ただ、乳製品は極力控えたままなので、これまでよりも二十パーセント減といったところだろうか。積極的にというわけではないが、油っこいものや甘いものも食べてしまった。仕事が忙しくなり、自宅でお弁当を作る時間を確保することができず、職場の売店で買ったお弁当を食べることが多くなってしまったからだ。職場の売店で売られているお弁当は、コンビニで売られているお弁当同様、必ずと言っていいほど揚げ物が入っていたのである。

 また、残業するときも、少しでも長い休み時間を確保するために、食堂には出向かずに、職場の売店でおにぎりを野菜ジュースを買って晩御飯代わりにしていた。しかし、それだけではどうしてもお腹が空いてしまい、帰宅後にお菓子を食べて空腹を満たしたりしていた。普段、ほとんど間食などしないのに、晩御飯をしっかり食べなかったことで、夜中にお菓子を食べて空腹を満たす習慣がついてしまったのである。そのためか、体重も二キロほど増えてしまった。

 今回の生理は、就寝直前の夜中から始まった。翌朝、目覚めたときに布ナプキンを確認してみると、染み程度の血液しか付着していなかったので、今回の生理も軽いことを期待していた。ところが、二日目の夜から少しずつ量が増えて来て、三日目の朝には、一番分厚い布ナプキンが血の海になっていた。私は仕事を休みたかったが、ちょうど納品前であたふたしていたので、身体に鞭打って仕事に出掛けた。しかし、仕事中も漏れやしないかと気になって仕方がなかった。実際、漏れてはいたようだが、何とか気づかれずに済んだ。生理痛はほとんどなかったのだが、出血量が多かったのか、少しふらふらして来たので、以前、I医師に処方していただいた鉄剤の残りを服用しておいた。四日目までは鮮血が出ていたが、五日目からはほとんど出血もなく、次第にフェードアウトして行った。以前は一週間以上もダラダラと生理が続いていたので、その頃に比べると、生理が短く終わるようになったと思う。

 はっきりとわかったことは、乳製品の摂取を止めただけでは生理の出血量を減らすための効果は薄いということだった。野菜をたくさん摂ることと、油っこいものと甘いものを控えるということを同時に行わなければ、五十パーセント減のような目立った効果は現れないようである。言い換えると、食べ物に気を付けるだけで、それほど効果があるということが、今回の不摂生で証明されたわけである。

 ただ、それとは別に、私の身体は少しずつ体力と気力を失いつつある。何もしていないのに激しい疲労感を感じたり、何事に対しても消極的になったりしている。仕事中の集中力も失われつつある。最も顕著な衰えは、人とのコミュニケーションに消極的になってしまったことだ。筋腫が大きくなり、お腹に力を込められないことを考えると、人はお腹で考え、積極的に行動しているのではないかとさえ思ってしまう。また、音に対してひどく敏感になり、電車に乗っていても、道を歩いていても、人の話し声がひどく気になってしまう。また、座っていても、同じ姿勢を取り続けることができず、より心地良い姿勢を求めてゴソゴソと動き回ってしまう。

 そんな状況にあっても、一つだけ救われたことがある。それは、頭痛とまでは行かなくても、頭のてっぺんに不快感を感じているときに、普段使用している天然のプロゲステロンクリームを頭のてっぺんに塗り込むと、不快感が収まるという発見をしたことである。ホルモンバランスの崩れ、とりわけ、プロゲステロン不足の状態に陥っている人は、天然のプロゲステロンクリームを使うことで頭痛が緩和されたという報告が、私の参加しているMLでいくつもあがっていた。かくいう私も、I医師に、「プロゲステロンは筋腫を成長させるよ」と言われ、しばらく天然のプロゲステロンクリームの使用を止めていたのだが、その間、生理と前後して激しい頭痛に見舞われるようになってしまった。そこで、思い切って天然のプロゲステロンクリームの使用を再開したところ、最近は、頭痛とまでは行かなくても、頭のてっぺんの不快感程度に収まっている。その後、経皮毒のことを思い出し、更にその不快感を和らげようと、頭皮から吸収されるものが最も子宮に溜まり易いなら、それを逆手に取って、天然のプロゲステロンクリームを塗ってみようと思い立ったのである。すると、頭のてっぺんの不快感がたちどころに和らいだのだ。私の頭のてっぺんは、どうやら天然のプロゲステロンクリームを欲して悲鳴をあげていたようである。

 I医師と言えば、今月、再び診察がある。これからどうなるかわからない。ただ、以前にも増して、筋腫が大きくなっているのは感じる。ガンモも私のお腹を見て、
「大きくなったなあ。もう、切ったほうがいいんじゃないのか」
と心配そうに言う。私も、
「そうだよねえ」
と答える。少し前までは、手術に対する恐怖心から、手術に対して逃げてばかりいた私だったが、九月の診察のときに腹をくくってからは、手術に対する恐怖心もそれほど感じなくなって来た。もしかすると手術とは、医師から勧められてしぶしぶ受けるものではなく、こちらから「どうか切ってください」とお願いするものなのかもしれないと思い始めている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m まだまだどうなるかはわかりませんし、日によっても状況が異なっています。元気なときもあります。でも、体力と気力が失われているときは、「切ったら楽になるんだろうか」と考えてしまいますね。楽になるんでしょうかね、ほんとに。

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2008.11.06

集合体としての相乗効果

映画『エバー・アフター』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 日本の事情に置き換えて考えてみると、皇太子と一般人が恋に落ちるような物語ではありましたが、稀有なラブストーリーだとわかっていても、ついつい引き込まれてしまうほどの素晴らしい作品でありました。

 三連休の最終日、ガンモは仕事の待機要員の当番だった。待機要員とは、客先でトラブルが発生したときに、コールセンタから連絡を受けてトラブルに対処する当番のことである。電話だけの対応で解決できることもあれば、実際にトラブルの発生した客先まで出向いて行って対処することもある。この当番は二十四時間制で、何もトラブルが発生しなければ休暇扱いになるが、もしもトラブルが発生すると、深夜だろうが早朝だろうが対処しなければならない。

 ガンモの業務用携帯電話が鳴ったのは、お昼を少し回った頃だったろうか。ガンモが電話で対応している内容にそれとなく耳を傾けていると、どことなくガンモの口調が重い。どうやらトラブルの発生した客先まで、直接出向いて行かなければならないらしい。ひとまず電話を終えたガンモに、
「これからどこに行くの?」
と尋ねてみると、高速道路を使って一時間半ほど掛かる場所まで出掛けて行くことになってしまったと言う。
「お昼ご飯はどうするの?」
と尋ねてみると、
「途中のサービスエリアで食べるよ」
という答えが返って来た。

 その後もガンモは、業務用携帯電話を使って電話を掛けたり、仕事で使っているノートパソコンを立ち上げて会社のネットワークに接続したりしていたので、私はそっと立ち上がり、台所へと向かった。これからガンモが仕事に出掛けて行くなら、ガンモにお弁当を作ろうと思ったのだ。お弁当と言っても、温かいご飯と、スーパーで買っておいたお惣菜をおかず入れに詰めて、レタスとミニトマトを洗って添えるだけの簡単なものである。私がいつも仕事に持参しているお弁当箱は、保温機能の付いたお弁当箱だったので、炊いたばかりのご飯が温かいまま収まった。更に、ガンモが食後に飲むであろうコーヒーを、飲み口式の小さなボトルに入れた。

 こうして出来上がったお弁当とコーヒーを適当な手提げカバンに収め、出掛ける準備を始めたガンモに、
「お弁当作ったから」
と伝えた。するとガンモは、
「えっ? お弁当作ってくれたの? サービスエリアで食べようと思ってたのに」
と残念そうに言う。どうやらガンモの中では、サービスエリアで食べようと思っていたメニューのイメージが頭の中でどんどん膨らみ、そのメニューを口にしたい気持ちでいっぱいになっていたらしい。そこへ、私がお弁当を作ったと言ったものだから、頭の中でイメージの膨らんだそのメニューを食べられなくなると思い、少しがっかりしたようだ。

 「なあにい、せっかく作ったのに」
と私が口を尖らせながら言うと、ガンモは、
「ありがとう。じゃあ、お弁当、持って行くから」
と言って、私の用意したお弁当を携えて出掛けて行った。

 数時間後、ガンモから、仕事を終えてサービスエリアにいるという連絡が入った。
「お弁当、どうだった?」
と尋ねてみると、
「気に入った! この間、カングーの後部座席の前にテーブルを取り付けておいたんだけど、後部座席に座って、そのテーブルの上にお弁当を広げて、外の景色を眺めながらお弁当を食べたから」
と、ガンモは興奮気味に語ってくれた。

 ガンモはどうやら、私が仕事に行くときに持参している保温式のお弁当箱も気に入ったらしい。世の中に出回っている保温式のお弁当箱は、ジャーのような金属製の入れ物の中に、プラスティック製の容器をすっぽり収めて保温するタイプのものが主流だが、私が愛用しているのは、保温機能の付いた金属製のお弁当箱である。つまり、金属製のお弁当箱そのものに保温機能が付いているのだ。子宮を患ってからは、できる限り環境ホルモンの影響を受けないようにと配慮して、温かいものを入れるときはプラスティック製のお弁当箱の利用を避け、金属製のお弁当箱を愛用して来たのである。ガンモも私と同様、保温機能付きの金属製のお弁当箱がひどく気に入ったらしい。また、飲み口式の小さなボトルも、車の運転中にコーヒーを飲むには最適だったようだ。

 帰宅したガンモは、お弁当箱と飲み口式の小さなボトルをきれいに洗ってくれていた。出掛ける直前までは、私が用意したお弁当よりも、、サービスエリアで食べたいメニューのイメージを膨らませていたガンモだったが、愛車カングーの中でテーブルを広げて食べるお弁当に魅力を感じてくれたようだ。休みの日にくつろいでいるところを、トラブル対応のために呼び出され、片道一時間半も高速道路を走って出掛けて行くのは辛いものだ。しかし、温かいお弁当や飲み口式の小さなボトルに入れたコーヒー、それから、カングーの後部座席に取り付けたテーブルが、ガンモのそんな辛い気持ちを楽しいピクニック気分に変えてくれたようである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m メインディッシュはスーパーで買っておいたお惣菜だったので、私の手料理ではなかったのですが、それでも、カングーのテーブルの上にお弁当を広げて食べることに幸せを感じてくれたようであります。温かいお弁当と飲み口式の小さなボトル、そしてカングーの後部座席に取り付けたテーブル。考えてみると、一つ一つがそれほど大きな役割を持っているとは思えません。しかし、それらが集合体として存在することで、相乗効果を生み出したと考えられます。私が用意した手作りではないお弁当も、カングーの後部座席に取り付けられたテーブルのおかげで、ガンモの元で輝いたようです。

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2008.11.05

映画『エバー・アフター』

ガンモの毛染め初体験の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ガシャポンの入れ物で溶けるくらいの少量ですので、例え化学染料であっても、ガンモの身体にはそれほど悪影響を与えていはいないと思います。この先、買い溜めしておいた化学染料がなくなってしまったら、ガンモが三時間待てるかどうかは別として、ガンモと一緒にヘナが出来るのも夢ではありませんね。(笑)

 レンタルしたDVDで大当たりが出た。いや、大当たりが出たと言っても、DVDをもう一枚レンタルできるわけではない。何故なら、私の中での大当たりだからだ。大当たりが出たDVDとは、映画『エバー・アフター』である。これまでにも同じDVDショップで何度も何度もこの作品の前を素通りして来たはずだった。しかし、とうとう手を伸ばしてレンタルしようと思い立ったのは、この映画が『シンデレラ』の童話をアレンジした作品であると知ったからだ。できれば、童話好きの私の期待を裏切らない作品であって欲しい。そう思いながら実際に鑑賞してみると、予想をはるかに上回る面白さにグイグイ引き込まれた。

 『シンデレラ』の童話をアレンジしたこの映画は、田舎の屋敷に住むダニエルとフランス王子ヘンリーとの、なかなか一筋縄では行かない恋の物語に仕上がっていた。二人は出会いの頃からお互いを強く印象付けている。と言っても、ダニエルは相手が王子だとは知らずに、亡き父の大事な馬を盗んだとして、持っていた果物を王子に投げつける。ほとんどの女性たちは、王子に対して下心を持って近づいて来るのだろう。だから王子は、下心を持って近づいて来る女性たちにはない人間的な魅力をダニエルに感じたに違いない。一方、ダニエルはというと、王子の襟元を見て、自分が果物を投げつけた相手が王子であることに気づき、王子に無礼を詫びる。

 その後も二人は何度か顔を合わせることになるのだが、ダニエルは相手を王子だと知っても、王子に敬意を払いはするものの、王子と対等に接している。映画の世界でなくとも、お互いに対等に接することは、男女が心地良い関係を結ぶための必須条件であるように思う。

 私には、二人が共通の文学を通して会話するシーンがとても印象的だった。二人の会話は、枕草子の「香炉峰の雪は簾(すだれ)を高く掲げて見る」や「海月(くらげ)のななり」に匹敵するほどである。つまり、知っている人だけが深く踏み込める領域を互いに共有するのである。相手に向けて直接的に感情を込めた言葉を発するのではなく、共通の文学という題材を通して自分の意見を述べる。片方の投げた言葉は、二人にとっての共通の文学の領域にいったん預けられ、やがてその世界を共有する相手によって引き取られて行く。ストレートに互いの気持ちを交し合うよりも、間接的なやりとりを行うことでゆっくりと着実に親交を結んでいるように見え、実に心地いい。

 また、二人が互いの想いに素直になったときの深夜のデートもいい。一時は敵に回したはずのジプシーたちなのに、いつの間にか仲良くなり、深夜まで二人と一緒に過ごしている。始まったばかりの二人の恋は、時間の経つのも忘れてしまうほど、一緒に過ごす時間が幸せでたまらないのだろう。

 ところで『シンデレラ』というと、シンデレラをこき使い、いじめ抜く継母や義理の姉たちの存在を忘れることはできないだろう。もちろん、この映画にも、継母や義理の姉たちは登場する。特に、ダニエルの継母役のアンジェリカ・ヒューストンは、まるで継母役を演じるために女優の道を選んだかのようにピッタリ来る。もはや、彼女以外に継母役は考えられない。男爵夫人としての誇りも、田舎をちょっぴり馬鹿にしている雰囲気も、実の娘たちだけをかわいがり、ダニエルに家事手伝いを命じる姿も完璧である。

 この映画に魔法使いは登場しないが、おそらく魔法使いの替わりを演じているであろう重要な人物が登場する。童話の『シンデレラ』を読んだときは気づかなかったのだが、今になって考えてみると、魔法使いの存在は、シンデレラと王子の縁を結ぶ重要な役割を果たしていたのだ。愛し合う二人の周りには、二人の恋路を邪魔する人たちもいれば、縁を結ぶ役割を果たしてくれる人たちもいる。それらが交互に演出されることで、物語としての面白さがより一層際立って来る。そしてラストは・・・・・・。

 鑑賞し終わると、とにかく、何故、これほど素晴らしい映画をもっと早くに鑑賞しなかったのだろうと、後悔さえしてしまった。人生、山あり谷ありが一番面白い。本当の愛とは、自己愛を克服したあとにようやく体験できるものだったのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 映画のDVDをMP3化する方法を調べていましたら、音声の出力をいったんWAVEファイルに切り替えてからMP3化するようですね。私は、英語学習のリスニングの教材に、この映画を選びたいと思いました。WAVEファイルに出力する機材は揃っていますし、WAVEファイルからMP3に変換するツールも持っていますので、気合を入れればこの映画をMP3化できそうです。ただ、MP3に変換するまでにディスク容量がどれだけ必要か、それだけが心配なのですが・・・・・・・。とても気に入った映画ですので、いつかMP3化に挑戦してみたいと思います。

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2008.11.04

ガンモの毛染め初体験

一日だけの特別な会館の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m コンサートが終わってガンモと晩御飯を食べたあと、駅に向かうために会館の裏手を通ったのですが、去年と同様、スタッフがせっせとコンサートの後片付けをしていました。ほんの三時間余りの公演のために、何時間も掛けてセッティングして、コンサートが終われば大急ぎで解体しているんですよね。スタッフの皆さん、本当にお疲れ様であります。

 これまでほとんど白髪のなかったガンモだが、最近、鬢(びん)の辺りに白いものが混じり始めたらしい。それがひどく気になるのか、
「俺もヘナする」
と言い始めた。そして、
「ヘナはどのくらい放置するの?」
と私に尋ねて来たので、
「お湯で溶いたヘナをひとまず三十分くらい放置したあと、頭に塗ってからは、三時間くらい放置するんだよ」
と答えた。それを聞いたガンモは、
「そんなに長く我慢できない」
と言った。

 その数日後、ガンモは、
「白髪染めしたから」
と私に言った。どうやら私が一人でDVDを鑑賞している間に、こっそり毛染めしたらしい。一体何を使って毛染めしたのだろうと思っていると、私が買い溜めしておいた化学染料を使ったという。染めたい部分はほんの少しだけなので、ガシャポンのケースを利用して毛染め液を控え目に溶いたようだ。

 ガンモは、
「十五分も待てなかった」
と私に言った。何と、化学染料の放置時間として指定された十五分を待てなかったのだという。たった十五分の放置時間が待てないなら、三時間以上というヘナの放置時間はもっと待てないだろう。

 しかし、ガンモが待てなかったのには、それなりの理由があった。というのも、ガンモはこの日、鳩のいるベランダをきれいに掃除してくれたからだ。ベランダ掃除では、たくさんの鳩の糞を洗い流すために、ガンモは掃除を終えたあと、必ずシャワーを浴びるかお風呂に入ることにしている。ベランダの掃除を終えたガンモは、お風呂に入ろうとして服を脱いだ直後に、私が買い溜めしておいた化学染料の箱を見付け、それを使って毛染めをしようと思い立ったらしい。服を脱いだまま毛染めに入ったので、あまりにも寒くて指定された十五分の放置時間を守り切れず、わずか十三分で洗い流してしまったそうだ。そのため、染まり具合は少し緩かったようで、ガンモは何度も何度も染まり具合を鏡に映し出して確認していた。

 買い溜めしておいた化学染料を誰かにお譲りしようと思ってはいたものの、化学染料が子宮に優しくないとわかっていながら、お譲りする人を決めるのはとても心苦しかった。しかし、化学染料とは言え、子宮を持たないガンモならば、身体に受ける影響も少なくて済むのだろうか。ガンモが一回に使用するのは、ガシャポンで溶けるくらいのごく少量だが、こうして少しずつ私が買い溜めしておいた化学染料がガンモによって消費されて行くことになった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私がDVDを鑑賞している間に、ガンモはこっそり毛染めを初体験していたんですね。後からガンモが毛染めをした洗面所に立ってみると、毛染め液があちらこちらに飛び散っていました。何ともかわいいガンモの毛染め初体験でありました。

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2008.11.03

一日だけの特別な会館

映画『TOKYO!』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 映画を鑑賞する度に、自分の柔軟性を鍛え上げられているような気がします。特に今回のような作品は、柔軟性を鍛え上げられる作品の一つだと思います。映画を鑑賞することは、受身に徹することではありますが、その中でどれだけ自分自身が自由でいられるかということも、重要であるような気がします。

 お菓子セット(前編)およびお菓子セット(後編)の記事に書いたコンサートに参加した。そう、私の好きなアーチストの神戸公演である。

 チケット販売カウンターに並んでチケットを購入したあと、私はその足で三宮へと向かった。夕方はガンモと一緒に好きなアーチストのコンサートに参加することになっていたのだが、ガンモには客先で夜勤の仕事が入っていたため、コンサートの直前まで、たっぷりと睡眠を取っておく必要があった。そのため、私が自宅に戻ってゴソゴソと音を立てないほうがいいと思い、毎月一日の映画サービスデーを利用して映画を二本鑑賞した。

 コンサートが行われるのは、私がしばしば映画を鑑賞している映画館のある会館である。コンサートのあと、客先で夜勤の仕事が入っていたガンモは、カングーに乗ってやって来ることになっていた。そのため、ガンモには予めチケットを渡しておいたのだ。

 お菓子とセットにお譲りいただいたチケットは、三階席だった。なかなか入手することができなかったチケットなので、席がどこであろうと、気にはならなかった。なかなか入手することができなかったことに加え、立ち見券もたくさん出ていたので、座る席があるだけでもありがたいことである。

 私はいつものようにエスカレータに乗って会場へと向かった。今回は三階席なので、更に上の階まで階段を使って昇ることになった。ようやく三階の入口にたどり着き、席を探してみると、私がこれから座ろうとしている席のあたりがまとめて空席になっていた。私は、既に座っている人たちに謝罪しながら通路を開けてもらい、自分の座席の近くまで移動した。ところが、私の席の隣の席までは空席になっているものの、私が座るはずの席には既に人が座っていた。私はチケットに印刷された座席番号をもう一度確認したあと、座っている人に向かって声を掛けてみた。
「すみません、ここは三階の○列△番ですよね?」
すると、座っている人からは、すかさず、
「いえ、ここは二階席ですよ」
という答えが返って来た。どうやら、私が自分の席だと思って座ろうとした席は、実際には二階だったようだ。
「うひゃあ、どうもすみません」
と私は謝り、さきほど私のために通路を開けてくれた人たちにも、
「すみません。私は三階席でした」
と言って謝りながら、その場を離れた。私のために通路を開けてくださった方は、
「ご苦労様です」
と言って笑いながら、私を送り出してくださった。

 これでも一生懸命、階段を昇って来たつもりだったが、まだ二階席にしか達していなかったとは。私は気を取り直して、階段をもう一つ、二つ昇って、正真正銘の三階席の入口にたどり着いた。扉の中に入ると携帯電話は使えなくなるので、私は三階席の入口付近でガンモに電話を掛けた。ガンモは会館の近くまで無事に到着しているようである。ガンモのいる場所から会館までは、およそ十分程度で移動できるだろう。ガンモも私と同じ間違いを犯してはいけないと思い、二階席の更に上にある三階席まで階段を昇って来るように助言しておいた。

 ガンモは、コンサートが始まるギリギリの時間にやって来た。コンサートの後、客先で夜勤の仕事が入っているガンモは、スーツを着込んでいる。入口でチケットをもぎってくれた係の人に、エレベータの使用を勧められたので、ガンモは私のように二階席と三階席を間違えるようなことはなかったようだ。ありがたいことに、ガンモが席に着くや否や、コンサートが開幕したのである。

 私たちの席は、三階席のちょうど真ん中だった。座ったままの姿勢ではほとんど見えないが、席を立つと良く見えた。しかも、一列目ではないので、高所から見下ろす恐怖に怯えることもない。私は心の中で、チケットをお譲りくださった方に感謝していた。確か、都合で参加できなくなったとおっしゃっていたので、チケットをお譲りくださった方の分までガンモと一緒に楽しもうと思っていた。

 毎度のように、観客を楽しませてくれる彼らだが、ひとしきり真面目な演奏が続いたあとは、ステージの上で、例のトレカ付きのお菓子を宣伝した。これ以上、勧められなくても、我が家に何箱もあるあのお菓子である。ガンモの反応を見るために、隣の席にいるガンモの横顔をチラリと見てみると、ステージを見ながら笑っていた。我が家にそれらのお菓子がたくさんあることを思い出しながら、笑っていたのかもしれない。

 今回は三階席からの参加となったので、ステージ全体を見渡すことが出来た。主観と客観という観点から言えば、主観よりも客観を体験することのできる席だった。そのため、私はスポットライトの当て方や、曲ごとに切り替わるライト、そしてステージの後ろに設置されたスクリーンなどに注目した。音の強弱とテンポ、それから光と影で構成されるステージに、観客のパワーが加わっている。そして、観客のパワーを受け取った彼らが、ステージの上で更なるパワーを発揮すると、それが観客のパワーにも還元される。果たして、先にパワーを与えたのはどちらなのだろう。互いに相対的な反応を示し合っている彼らと観客のやりとりを客観的に観察しながら、私はそんなことを考えていた。

 こうして三時間余りの熱演が続いたあと、コンサートはお開きになった。私は、これから仕事に出掛けるというガンモと一緒に会館近くの飲食店で晩御飯を食べて、ガンモを送り出した。 

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いつも映画を鑑賞している会館が、特別な会館に姿を変えた一日でありました。ど真ん中の席で聴いていたので、音のバランスも良く、大満足でした。やっとの思いで手に入れたチケットだっただけに、喜びもひとしおでしたね。ちなみに、コンサートのグッズ売り場をのぞいてみると、例のお菓子がちゃんと売られていました。(笑)今回は時間がなかったので、グッズ売り場に並ぶことはできませんでしたが、いつも購入しているパンフレットなどは、このあと同じツアーをもう一本観る予定があるので、そのときに購入したいと思っています。

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2008.11.02

映画『TOKYO!』

遅れて来た人にもチャンスがあるの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m インターネットで調べた結果によると、今回利用したチケット販売カウンターは、もうすぐ撤去されてしまう運命にあるようです。もともとコンサートのチケットは、郵便振替で申し込むことが多いことから、このような貴重な経験が出来たのも、今回が最後だったかもしれません。撤去される前に、なかなか興味深い体験が出来て良かったと思っています。(苦笑)

 またしても評価の分かれる作品を鑑賞した。三人の外国人監督が東京を舞台に製作したオムニバス映画である。とは言うものの、ほとんどの作品は日本人キャストで構成されている。

 一本目の「インテリア・デザイン」は、映画『恋愛睡眠のすすめ』のミシェル・ゴンドリー監督の作品である。同級生の女性を頼って田舎から自家用車で上京して来たカップルが、同級生のアパートにしばらく滞在しながら、東京で住む場所を探すという話である。同級生のアパートがひどく狭いことや、なかなか融通のきかない駐車場事情などが、外国人監督の視点から見た東京の象徴なのだろう。映画『恋愛睡眠のすすめ』は、上映中にお腹を抱えて笑いたくなるようなとても楽しい作品だったが、今回の作品は、一見、真面目な作品のようでいて、後半になるとあっと驚かせてくれる。前半では監督の視点から見た東京を描き、後半では監督自身が表現したい世界を思う存分描き出した作品と言える。

 二本目の「メルド」は、普段はマンホールの中で生活をし、ときどき地上に現れては人々に危害を与えるメルドという男の話である。三作品の中で唯一外国人の登場する作品である。実は、この作品の上映中、不覚にも居眠りをしてしまった。決してこの作品が退屈だったというわけではなく、単に疲れが溜まっていたのだと思う。鑑賞を始めた直後は、メルドが人々に加える危害もまだ許せる範囲のものだったのだが、居眠りから目覚めてみると、とんでもない展開になっていた。

 おそらく、この映画を鑑賞した人たちの評価を大きく分けているのは、二本目の作品を受け入れることができたかどうかであると私は想像する。というのも、この作品を激しく批判する人たちもいれば、三作品の中で一番良かったと高く評価する人たちもいるからだ。途中で居眠りをしてしまった私が言うのも何だが、私自身にとっては、なかなか見応えのあるユニークな作品だったと思う。

 ちなみに、この作品を制作したのは、映画『ポンヌフの恋人』のレオス・カラックス監督である。そう言えば、夏休みに出掛けたパリで、映画『ポンヌフの恋人』の舞台となった橋を訪問しようとして計画に組み込んでいたのに実現できなかったことを思い出した。ちなみに、レオス・カラックス監督にとって、この作品は、映画『ポーラX』以来九年振りの新作となるのだそうだ。とは言うものの、調べてみると、レオス・カラックス監督は、少し前に鑑賞した映画『ミスター・ロンリー』に主人公マイケルのエージェント役として出演されていた。

 三本目の「シェイキング東京」は、十年間引きこもりの男性が宅配ピザの配達員の女性に恋をするという話である。男の元へ彼女がピザを届けているときに大きな地震が起こり、引きこもりの男性は、地震のショックで気を失った彼女の身体にあったスイッチを押してしまう。地震は男性自身の心の揺れであり、スイッチは男性自身の心のスイッチで、そのスイッチを押すことで恋の始まりを意味していたのだろうか。舞台となっているのが、独身時代に私が住んでいた下北沢周辺だったので、地域設定に親近感が沸いた。

 三作品の中で、一本目と三本目を高く評価した人は二本目を低く評価し、二本目を高く評価したは一本目と三本目を低く評価するという面白い現象が起こっている。確かに、一本目と三本目は一括りにできそうだが、二本目は毛色が違う。とは言うものの、私自身は二本目と二本目以外と分けることなく楽しむことができた。

 オムニバス映画は、それぞれの監督の別の作品を鑑賞してみたくなるきっかけを与えてくれる。ひとまず私は、レオス・カラックス監督の映画『ポンヌフの恋人』をもう一度鑑賞してみようと思う。 

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 三作品の上映が終了したとき、「もうこれで終わり? 次の作品はないの?」と、ちょっぴり寂しい気持ちになりました。どの作品も、「これだ!」とはっきりと何かを訴えかけるような作品ではなく、観客の受け取り方に任せる作品だっただけに、どう受け止めたらいいか悩んでしまう方も多いのかもしれません。でも、それは、鑑賞する側に自由意思が与えられているのだと気持ちを切り替えていいのだと思います。

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2008.11.01

遅れて来た人にもチャンスがある

手紙の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。おかげ様で、少し元気が出て来ました。人間、それなりに長く生きていれば、いろいろなことに出会うものですね。この件に関して、もっともっと綴りたいこともあるのですが、今はまだ主観でしか捉えることができないので、客観視できるようになるまで温めておきたいと思います。

 私の好きなアーチストが、とあるイベントに参加するという情報をキャッチした。いつも一緒にコンサートに足を運んでいるライブ仲間のお友達が知らせてくれたのである。しかも、そのチケットの発売日が今日の朝十時からだという。週末のこの時間というと、私はたいてい、ホットヨガのレッスンを受けているのだが、今回はたまたま生理が始まりそうだったので、予約を入れていなかった。生理が始まって三日目以降ならば喜んでレッスンを受けるのだが、一日目や二日目にレッスンを受けるのは、レッスン中に漏れてしまうのではないかと不安だったのだ。

 コンサートのチケットを入手するとなると、電話予約か店頭に並ぶ方法がある。電話予約は、物理的な移動を伴わないものの、電話がいつ繋がるかわからない。また、電話が繋がらない限り、SOLD OUTの情報も入手することができないので、既にSOLD OUTになっているにもかかわらず、電話を掛け続けることにもなりかねない。しかし、店頭に並べば、確実に自分の順番は回って来るし、SOLD OUTの情報もすぐに伝わって来る。そこで私は、店頭に並ぶことにしたのである。これまでにも店頭に並んでチケットを購入したことはあるのだが、最近は郵便振替を中心としたチケットの申し込みが定着していたので、店頭に並ぶのはおよそ十年振りのことである。

 かつては、朝の暗いうちからパイプ椅子とひざ掛けを持って店頭に並ぶということも経験して来たはずだった。あの頃は筋腫もなく、トイレの心配もなかったし、何よりも若かった。しかし、今は違う。長時間並ぶときに、最も心配になるのはトイレである。そこで私は、朝の暗いうちからではなく、開店の一時間ほど前から並ぶことに決めて、地元のチケット販売カウンターをインターネットで検索してみた。というのも、十年ほど前に私がしばしば並んでいた地元のチケット販売カウンターは大手スーパーの中にあったのだが、経営不振により、数年前にそのスーパーが閉店してしまったからだ。インターネットで検索した結果、いつも利用しているJRの最寄駅前にある商業用ビルの中にチケット販売カウンターがあることがわかった。

 私は、敷物と折りたたみ式の座布団を持参して、チケット販売カウンターへと向かった。チケットの発売日ともなると、チケット販売カウンター付近には長い行列を作って待っている人たちがいるものだが、なかなか見付けられなかった。今回はあまりライバルもいないのだろうかと思っていると、チケットを購入される人たちに向けた張り紙を見付けた。その張り紙によると、商業用ビルの北西にあるエレベータ前に並ぶように指示されている。私はそのエレベータを探してみたのだが、良くわからなかった。そして、しばらくウロウロした結果、ようやくそのエレベータを見付けた。商業用ビルが開店前だったので、まだ中には入れないと思っていたのだが、その商業用ビルの上の階には駐車場があり、駐車場を利用する人たちのために、自動ドアのすぐ奥のスペースのみが開放されていたのだ。更にその奥には格子のシャッターがあり、開店前の店内には入れない仕組みになっていた。そして、格子のシャッターの先には、チケット販売カウンターが見えていた。

 中に入ってみると、既に三人の人たちが並んでいた。先頭は男性で、残りの二人は女性である。開店一時間前の段階で、たったこれだけの人しか並んでいないのはラッキーである。しかし、私が並んだチケット販売カウンターがたまたま少なかっただけで、私と同じチケットを求めるライバルは全国に散らばっている。十時になれば、電話予約の開始とともに、全国に散らばっているチケット販売カウンターでもチケットが発券されるのだ。

 私は何故、これほどまでに人が少ないのだろうかと考えてみた。そのチケット販売カウンターは、十時の開店とともにチケットの申し込み用紙が配布されることになっているらしい。通常のチケット販売カウンターならば、開店の十数分前に係の人がチケットの申し込み用紙を配布してくださるのだ。その申し込み用紙には、予め、処理される順番を記した番号が振られている。係の方は、並んでいる人たちから集めた申し込み用紙をその順番通りに端末を操作して、チケットを発券してくださるのである。チケットは、十時になればオンラインで全国一斉に発売されるので、チケットの発売時間よりも前に申し込み用紙を記入終えているかどうかはとても重要なのだ。何故なら、人気コンサートのチケットは発売開始後、わずか二、三分で売り切れてしまうこともあるため、一秒でも早く端末操作を行っていただくことが重要だからである。

 以前、私が利用していた大手スーパーの中に設置されていたチケット販売カウンターは、チケット販売カウンターに行列を作って待っている人たちに限り、チケット販売カウンターの係に誘導され、大手スーパーの開店前に大手スーパーに入店することができた。当然、取り扱い順番の記載されたチケットの申し込み用紙も事前に配られ、記入した申し込み用紙が回収されたあとは、並んでいた順番通りに厳格に処理されていた。だから、多くの人たちが並んでいたのかもしれない。

 さて、しばらく待っていると、商業用ビルのエレベータを利用される方たちがひっきりなしにやって来た。私はその度に、エレベータを利用する人たちのためにスペースを譲った。せっかく敷物と折りたたみ式の座布団を持参したのに、これでは活用するチャンスがない。静かに待てないことは、次第にストレスにもなった。そんなことを何度も何度も繰り返しているうちに、チケットを求めて並ぶために、他の人がやって来た。その人は、私がエレベータを利用する人たちのために、既に並んでいる人たちから少し離れたところに立っているので、チケットを購入するために列を作って順番に並んでいるとは思わなかったらしい。もしくは、私がエレベータを待っていると勘違いしたのかもしれない。私は、せっかく並んでいた順番を崩されてしまってはたまらないので、その方に、チケットを購入するために列に並んでいることを主張する仕草を見せた。

 いよいよ開店直前になったとき、エレベータから白いセーターを着た女性が降りて来た。彼女は、私たちが列を作って並んでいるのを察して列の最後尾に移動するわけでもなく、格子のシャッターのすぐ近くまで歩み寄った。私は、ビル全体が商業用ビルなので、彼女はチケットを求めるために来たわけではないのかもしれないと思っていた。

 そして、ようやく十時の開店時間になった。警備員さんによって格子のシャッターが開けられたとき、信じられないことが起こった。チケットを求める人たちは、まるで障害物競走の「よういドン!」のように、まだ開き切っていない格子のシャッターをくぐり、おのおのが目の前のチケット販売カウンターに駆け寄った。しかも、これまで並んでいた順番を崩した状態で。そして、係の方から受け取ったチケットの申し込み用紙に次々に記入を始めている。

 何と、一番最後にやって来た白いセーターの女性が、これまで並んでいた順番を無視してチケットカウンターにへばりついているではないか。狭いチケットカウンターは、チケットの申し込み用紙を記入する人たちで埋め尽くされていたが、私はまだチケットの申し込み用紙を受け取っていなかった。私が、信じられないといった様子で怒りを露(あらわ)にしていると、チケットカウンターの女性が私に気付いて申し込み用紙を手渡してくださった。受け取った申し込み用紙には赤いマジックで丸付き数字の5が書かれていた。それは、受付番号五番という意味である。私は四番目に並んでいたはずなのに、白いセーターの女性が割り込んで来たのだ。

 私は、受け取った申し込み用紙に素早く記入して係の人に渡した。すると、私が書き上げた時間が早かったのか、係の人は私の申し込み用紙を二番目に発券処理してくださった。一番目に発券処理されたのは、先頭に並んでいた男性である。どうやらこのチケット販売カウンターでは、開店前から並んでいる順番も関係なく、また、申し込み用紙に赤いマジックで書き込まれた丸付き数字の順番も関係なく、いかに素早く申し込み用紙を書き上げて係の人に手渡すことができるかどうかで、チケットを発券してもらう順番が決まるらしい。何だか腑に落ちない不満を抱えながらも、私よりも先に並んでいた方たちに申し訳ない気持ちがあったので、「お先にすみません」と言おうとしたのだが、なかなか言葉が出て来なかった。

 私は、チケットを入手できるかどうかとても心配だったが、端末を操作していた係の人が、私の申し込んだ四枚分の座席番号を読み上げてくださったので、すぐに発券してもらった。こうして何とか目的のコンサートのチケットを入手することができたのだが、何となくすっきりしない。このチケット販売カウンターでは、並んでいた順番通りに処理されず、申し込み用紙に記載された赤い丸付き数字の番号も意味をなさないという点で、そのときの運によって、チケットを発券してもらう順番が前後してしまうということがわかったからである。私は、一番最後にやって来たのに、私よりも先にチケット販売カウンターにたどり着いて申し込み用紙を記入し始めた白いセーターの女性に対し、割り込みされたような気持ちを抱いたが、私自身も四番目に並んでいたにもかかわらず、二番目に処理していただいたので何にも言えないのかもしれない。ただ、一つだけ言い訳をさせていただくならば、係の人に申し込み用紙を差し出したときの私は、赤い丸付き数字の順番に処理されるものと思い込んでいたので、順番を崩したのは私ではなく、係の人ということになる。

 何故、このチケット販売カウンターがこのような方法を取っているのかはわからない。開店前は格子のシャッターで遮(さえぎ)られてはいるものの、申し込み用紙を配布するくらいなら、格子のシャッター越しにでも可能なはずである。それなのに、他のチケット販売カウンターのように事前に申し込み用紙を配布しないのは、何らかのポリシーがあるかもしれない。何はともあれ、目的のチケットを入手することができたので、ひとまずよしとすることにしようか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これまでにも何度となくチケット販売カウンターを利用して来ましたが、このような処理を行っているチケット販売カウンターは初めてでした。遅れて来た人にもチャンスのあるチケット販売カウンターとして名高いのかもしれません。(苦笑)ただ、私は無事にチケットを入手することができましたが、記事の中にも書きましたように、人気コンサートのチケットは発売開始後、わずか二、三分で売り切れてしまいますので、私よりも先に並んでいた人たちがめでたくチケットを入手できたかどうかは気になりますね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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