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2008.10.24

映画『愛は静けさの中に』

お菓子セット(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これまでにも、見知らぬ方からチケットを譲っていただいたことは何度かあったのですが、毎回、事務的なやりとりだけに終わっていました。何故なら、お互いの感情に触れることがなかったからです。しかし今回は、特別思い出に残るチケット売買となりました。ちなみに、私は毎日、ガンモと一緒にそれらのお菓子を食べています。(笑)

 最近は、映画館での映画鑑賞と平行して、DVDでの映画鑑賞も進めている。今回は、そうして鑑賞したDVDの中から、一九八六年に製作されたこの映画を皆さんにご紹介したい。

 確かこのDVDをレンタルしようと思い立ったのは、レンタルDVDショップの店員さんのお勧め作品として、陳列棚に説明が加えられていたからだ。若い頃は何につけ、誰かのお勧めよりも、自分自身で開拓したい気持ちのほうが強かった。しかし、こうして年を重ねてみると、次第に受身になる術も覚えて来る。人生がロールプレイングゲームならば、「まるみは受身の術を覚えた!」と説明が加えられるところだ。

 実際に鑑賞してみると、とても見応えのある作品で、「お勧めしてくれた店員さん、ありがとう」と言いたい気分だった。レンタルDVDショップの店員さんの目は肥えている。受身の術を覚えて良かったと思った。

 この映画は、聾唖(ろうあ)学校の教師と聾唖学校で掃除係として働いている卒業生との恋の物語である。聾唖学校の教師ジェームズをウィリアム・ハートが演じ、聾唖学校の卒業生サラを、実際に聾唖者であるマーリー・マトリンが演じている。もともとジェームズには、聾唖者がうまくしゃべることができないのは、最初から諦めの気持ちがあるからだという彼なりの強い信念がある。そのため、自らが受け持つ授業でも、生徒たちの中にある心理的な壁を取り除こうとすることから始める。気の強いサラに出会ったときも、彼女がその気になれば実際にしゃべることができるのではないかと思い、必死になって、しゃべることを彼女に教えようとする。しかし、サラはどこまでも頑なだった。いや、頑なというよりも、サラはサラで自分自身を確立させていたのである。

 この映画を鑑賞した人たちが気付かされるのは、聾唖者に対し、健常者がいかに自分たちが良かれと思っている方法を押し付けているかという事実である。健常者は、手話を学ぼうとするよりも、自分たちにとって楽な方法で彼らとコミュニケーションを取りたがる。つまり、歩み寄るのはいつも聾唖者のほうであり、健常者は聾唖者を自分の領域に引き寄せようとしているという事実を突きつけられるのだ。

 ジェームズとサラはやがて深く愛し合うようになるのだが、サラは自己を確立させているだけに、健常者の方法を押し付けてくるジェームズに強く反発する。サラはジェームズに言う。あなたが見ているのは本当の私ではない。だからまだ、二人は本当の意味で繋がっているわけではないと。つまりジェームズは、自分が好ましいと思う方向にサラを向けさせようとしているのであり、本当のサラを見ているわけではなかった。サラにしてみれば、本当の自分に目を向けてくれてもいないのに、真に愛し合っているとは表現したくなかったのだろう。それは、ジェームズを嫌いになったというよりも、ジェームズと対等になり、ジェームズと更に一歩進んだ関係を目指そうとしたことから出た台詞であると私は感じた。

 本当は深く愛し合っているはずなのに、お互いの立場を尊重し合うことができない二人。違うものを持っている者同士が集まれば、どうしても自分の価値観を相手に押し付けてしまう。それでも、二人の中には燃えたぎるような愛がある。二人の愛は、愛することで、お互いのエゴを克服して行くような愛だと感じた。

 相手をより深く知ろうとするための喧嘩や対立は、むしろ遠慮せずにどんどん展開して行くべきだと思う。そうした喧嘩や対立は、愛の中にいる相手を自分から切り離そうとするのではなく、新しい価値観を受け入れるためのチャンスを与えることにも繋がって行く。その結果、相手に対し、本当の自分を見てもらうチャンスを与えることにもなり、お互いの精神的なギャップが埋められて行く。こうした展開は実にいい。

 この映画でヒロインを演じていたマーリー・マトリンは、アカデミー主演女優賞受賞したそうだ。実際に聾唖者であるだけに、彼女の手話はとても力強く、彼女の伝えたい気持ちがたくさん詰まっているように思えた。彼女は、この映画で共演したウィリアム・ハートと一時的に同棲生活を送っていたこともあるそうだ。二人が現実にも強く惹かれ合ったのだとすれば、それだけ二人がこの映画に全力投球したということではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 耳の聴こえないサラに対し、音楽をどのように表現したらいいのか苦悩するジェームズがとても印象的でした。しかし二人は、そうした苦悩よりももっと大切なものに気付いて行きます。それはサラにとっても同じでした。この映画には、健常者と聾唖者が対等に接するためのヒントが隠されているように思います。自分にとって都合のいい方向に相手を引き寄せようとするのではなく、お互いに同じだけの歩み寄りが必要なんですね。自分の幻影を見ている相手に対し、真実の自分を伝えようとする姿勢も大切なのだと思いました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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