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2008.10.29

写真は語る

カングーの並列乗車の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ちょっと走り気味でマニアックな記事でしたね。(苦笑)それにもかかわらず、応援してくださったことに感謝致します。m(__)m なかなか見掛けることの少ない車ですので、同じことを繰り返していれば、きっと新たな展開があるでしょう。そのときをお楽しみに。(笑)

 映画『しあわせのかおり』の記事を綴っているときに、ガンモと二人で金沢に出掛けたときの写真を掘り起こしてみた。そして、しばらく探したのちに見付けたのが、二〇〇二年の夏にガタンゴトンツアー(青春18きっぷを使った普通列車の旅)で金沢に出掛けたときに私がデジタルカメラで撮影した写真だった。それらの写真の中には、ガンモが私に向けて、心の底からの愛をにじみ出させている、ガンモのポートレートがあった。写真の中のガンモの瞳を覗き込めば、ガンモが私のことを心から愛してくれているのが手に取るようにわかった。ああ、どんなときも、写真は真実だけを映し出す。私は昔から、写真に映し出されている人の表情を読み取って、その人の本心を見抜くのが得意だった。恋人と一緒に映っている友人の写真を見て、
「あなたにはこの恋に不安があるの?」
などとずばり言い当てて、友人をどきまぎさせたこともあったほどだ。私が見付けたその写真には、ガンモの柔らかな表情の中に、私への愛がいっぱいに表現されていたのだ。

 私はその写真を見たとき、うれしさとともに軽いショックを受けた。二〇〇二年の写真というと、今から六年前に撮影したものである。しかし、この六年の間に、ガンモも私もお互いの愛を表現し続けることをちょっぴり怠けてしまったのではないかと反省した。何故なら、ガンモのそんな表情を、最近はすっかり見掛けなくなってしまっていたからだ。もちろん、私に対するガンモの表情だけでなく、ガンモに対する私の表情も同様である。

 私はその写真を、ガンモの目に留まるように、ガンモがいつも使っているパソコンの画面に表示させておいた。その写真を見たガンモは、ひどく照れた様子を見せた。更に私は、その写真を見ながら、うわーんと泣いた。
「この頃のガンモは、私のことを心から愛してくれていた。でも、今はこんな表情、見せてくれない!」
と言いながら。ガンモは私が泣くことが耐えられないらしく、
「泣くなー」
と言って私をなだめた。

 それからのガンモは、私の顔を覗き込む度に、意識的に六年前の表情に近い笑顔を見せてくれるようになった。しかし、どこか違う。六年前の表情を天然とするならば、現在の表情は人工といったところだろうか。六年前は、愛が思わずにじみ出ていた。ガンモの全身から溢れる愛を私のカメラが捕らえた写真だったのだ。しかし、現在の表情は、愛を表現しようとして、意識的に表情を作っているように見えた。ガンモにとっても私にとっても、もはや一緒にいることが当たり前になってしまっているために、愛情表現が省略されてしまっているのだ。結婚したときに、愛情表現を省略する夫婦にだけはなりたくないと思っていたのに、自分たちが少しずつそんな目指したくない夫婦になりつつあったということがショックだった。

 以前と同じように抱き合ったり、キスをしたりしていても、身体からにじみ出ているものが違っている。六年前のガンモのポートレートは、現在の私たちの愛情表現への怠慢に警告を発してくれているように思う。いつまでも新婚さんと言われたかったのに、歳を重ねるとともに、動から静へと変わりつつあった。できれば静を食い止めて、動であり続けたいものだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 日本人は特に、わざわざ表現しなくても伝わっているであろうことを省略する傾向が強いですよね。六年前のガンモのポートレートを見て、ああ、私たちはまさしく日本人だなあと実感しました。(苦笑)これからは、いつまでも愛情表現を怠らない西洋人を目指したいと思います。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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