« 決断のとき(3) | トップページ | 家出した結婚指輪 »

2008.10.02

映画『蛇にピアス』

決断のとき(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 十二月の手術は見送りになりましたが、今後、いつまた手術の話が浮上して来るかわかりません。(苦笑)これ以上、悪化させないように模索しながら、健康的な生活を送りたいものです。怠けて、時間を無駄にしてしまってはいけませんね。

 金原ひとみさんの同名の小説が芥川賞を受賞したとき、世間が沸いていたことを思い出す。若干二十歳の女性が芥川賞に輝いたのだから無理もない。もちろん、若干十九歳で同時受賞された綿矢りささんの『蹴りたい背中』も、同じように話題に昇っていた。しかし私は、どちらの作品も読まなかった。単なるイメージに過ぎないが、どちらも淡々とした小説であるように思えていたからだ。私が好んで読みたいと思うのは、燃え上がるような感情を持った主人公の物語である。しかし、最近の文学には、燃え上がるような感情を持った主人公がなかなか登場しない。ひと昔前に読みふけっていた桜井亜美さんの小説もまた、どこか冷めたところのある主人公ばかり登場する作品だった。最近は、熱血人間よりも、どこか空虚を感じているような主人公が流行りなのだろうか。

 それはさておき、私がこの映画を鑑賞したのは、確か公開初日だったと記憶している。映画館には、この映画の公開を心待ちにしていた人たちがたくさん詰め掛けていた。しかしどういうわけか、上映が開始されると、鑑賞している人たちがこの映画に集中していないのがわかった。中には途中で席を立ち、鑑賞をやめて外に出て行く人も何人か居たくらいだ。その後、席に戻って来なかったのだから、トイレに立ったのではないことは確かである。何故だろう。私はそれなりにこの映画の世界に入り込むことができたので、この映画に集中できなかった人たちがどんな感想を抱いたのか、知りたかった。

 鑑賞を終えて、インターネットの映画紹介サイトを参照してみると、この映画を堪能できた人とそうでない人で意見が真っ二つに分かれていた。いわゆる酷評を書いている人たちは、どうやらこの映画で描写されている世界があまりにも自分のいる世界とかけ離れ過ぎていることを受け入れられなかったようだ。かつての私も、映画に対してそのような姿勢で臨んでいた。つまり、映画を映画としてとらえずに、現実の世界の延長線上に置いて鑑賞してしまうために、映画で描かれた特殊な世界に入り込むことができなかったのである。言い換えるとそれは、映画に対して自分なりの期待を持って鑑賞することに似ていた。期待を持って映画を鑑賞すると、その映画が期待通りでなかったときにがっかりしてしまうのだ。そのことがわかってからは、映画に対してできるだけ期待を抱かずに、受身の姿勢で鑑賞するように心掛けている。そのおかげで、それぞれの映画に沿った鑑賞が可能になった。つまり、あまりにも自分の理想とする世界とかけ離れた作品であったとしても、映画は映画として楽しめるようになって来たのである。

 この映画は、見方によってはとても過激な内容である。付き合い始めた恋人のアマに感化され、蛇のように割れ目の入った舌(スプリットタン)を目指す主人公ルイ。スプリットタンは、舌にピアスをあけて、少しずつその穴を広げて行くことで、ようやく完成する。ルイが鏡を見ながら、舌に装着するピアスを少しずつ拡張して行くシーンがやけに生々しい。また、スプリットタンを目指す以外にも、SMの濡れ場シーンも繰り返し登場する。席を立った人たちの多くは、こうした濡れ場シーンの連続に目をそむけるしかなかったのかもしれない。

 実は、ルイは様々な痛みを通して、自分自身を感じ取ろうとしているのだ。スプリットタンを完成させようとすることも、刺青を入れることも、SMプレイも、ルイにとってはすべて自分探しの手段の一つなのだろう。私がこの映画をそれなりに楽しめた要因は、ルイの気持ちが少しだけわかったからかもしれない。私は筋腫を患ってからというもの、感情レベルがひどく落ち込んだ。かつての私は、いつも溢れんばかりの感情を持て余していた。ふとしたことがきっかけで、とにかく泣けて泣けて仕方がなかったのだ。しかし、お腹に余分なものを抱えていると、感情の反応が鈍くなる。私が映画をしきりに鑑賞するようになったのは、映画によって自分の溢れんばかりの感情を引き出して欲しいと思ったからだ。方法は違っても、何とかして自分自身を引き出したい気持ちはルイと一緒なのかもしれない。

 確かに過激な映画ではあるのだが、あることをきっかけにして、ルイは肉体の痛み以外の要因で、自分の心の痛みを感じることができるようになる。それは、取り返しのつかない方法ではあるのだが・・・・・・。普段、当たり前のように存在しているものは、失くしてしまってからでないとその大切さに気付かないものだ。そうした警告を、この映画は与えてもいる。何故、それが成り立っているのか。成り立たせているものが背景にあるからなのだが、たいていの場合は、成り立たせているものが何であるかに気付かないまま通り過ぎてしまっているものである。

 東京に住んでいた頃、下北沢の住人だった私は、自転車に乗ってしばしば渋谷まで遊びに出掛けていたものだった。私にとっては、比較的身近な存在だった渋谷が、この作品を通して、これまで私のまったく知らなかった世界を見せてくれた。本当にこの作品の原作を、若干二十歳の女性が書き上げたのかと思うと、改めて驚きを隠し切れないでいる。決して感動して涙するような作品ではない。観る側にとっては、痛い映画と言えるのかもしれない。しかし、これまで私のまったく知らなかった世界をとことん見せてくれたという点においては、得たものが大きい作品であると言える。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 思わず目を覆いたくなるようなシーンの多い映画ではありました。まさしく別世界を体験させてくれる映画でしたね。私は、いったん手で目を覆いながらも、積極的に別世界を思う存分体験しようと、手と手の間からスクリーンに視線を戻していました。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

« 決断のとき(3) | トップページ | 家出した結婚指輪 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18521/42668447

この記事へのトラックバック一覧です: 映画『蛇にピアス』:

» ポーラデイリーコスメ [ポーラデイリーコスメ]
ポーラデイリーコスメ [続きを読む]

受信: 2008.10.03 08:00

« 決断のとき(3) | トップページ | 家出した結婚指輪 »